札幌は50年ぶりの大雪なんだとか

12月24日現在、札幌市内の積雪量は96cmにもなった。これは12月の積雪量としては50年ぶりだそうだ。


札幌の積雪96センチ 12月では50年ぶり 交通機関も乱れ
どうしんウェブ 12/23 19:14、12/23 23:40

北海道は23日、発達した低気圧の影響で、日本海側とオホーツク海側を中心に記録的な大雪に見舞われ、札幌市では午後9時現在の積雪が96センチに達した。札幌管区気象台によると、12月に札幌市の積雪が90センチを超えるのは1966年以来、50年ぶり。


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 降雪量・積雪深:札幌管区気象台(2016年12月24日現在)札幌市HPより。

12月の雪の量じゃないわ、ありえない。札幌の人はみんな思っている。
しかも気温が高めなので湿ったベタ雪。もうカンベンしてー。

■2016年12月23日

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 電車通りではササラ電車が活躍。12月10日は全面運休になったが、今日は通常運行。

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 南1条西4丁目を曲がる市電。湿った雪のため、架線上にも雪がこんもりと積もる。

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 日が暮れた中島公園通電停。しんしんと雪が降り積もる。

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 雪の降る夜は雪明りでぼんやりと明るい。

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 ササラ電車も1日じゅう走っていた。

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 トラ縞の雪2号。


■2016年12月24日

明けて一転して青空となった札幌。しかし、昨日の大雪の余波は続いていた。

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 きれいに除雪された電車通り。

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 雪をかぶった駅前通りの並木。

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 都心はいつもより車は少なめだった。

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 ロードヒーティングも間に合わず、ザクザクになった札幌駅前広場。

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 線路の除雪が間に合わず、始発から運休となったJR。

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 発車案内のパネルも真っ黒。

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 自動改札機もすべて停止していた。

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 昨日とは一転、今日は冷え込んだ。市電も雪だらけ。

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 雪が積もった郵便ポスト。


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 車道と市電軌道の間は雪山ができている。狸小路電停。

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 ちょっと郊外へ行くと大渋滞。市内はどこもこんな感じだった。
posted by pupupukaya at 22:47 | Comment(0) | 札幌市電

なつかしの列車名『大雪』が復活

12月16日にJR北海道のHPで2017年3月ダイヤ改正の概要が発表された。
こんかいのダイヤ改正で一番変わるのは道北方面の特急列車で、いままで全ての列車が札幌発着としていたのを、札幌直通は一部だけ残してあとは旭川発着になる。


JR北海道 プレスリリース

◆札幌〜稚内間および札幌〜網走間の一部特急列車を旭川でお乗換えいただく体系とします
【ダイヤ改正日】平成29年3月4日(土)

■特急体系の見直し
・札幌〜網走間2往復を「オホーツク」、旭川〜網走間2往復を「大雪」として運転します。
・旭川での特急同士のお乗換はすべて同一ホームとなります。


旭川〜網走間に短縮される2往復は『オホーツク』から『大雪』へと列車名が変更され、旭川〜稚内間に短縮される2往復は『サロベツ』となる。
旭川発着になる特急列車は札幌〜旭川間の特急『ライラック』が接続し、特急料金も旭川駅での乗換ならば通しになる特例も設けられる。

長時間乗っているよりも乗換があった方が気分転換になるかな。
それに、車内販売が廃止された今では、何も持たずに乗り込むと下手をすると5時間以上も飲まず食わずになりかねないので、ホームで買い物もできるようになるな、などと考えたりする。

そのためには旭川駅ではキヨスクのある3・4番線での乗換にする必要があるが。駅弁の立売ワゴンも復活したりして。

昔、稚内にいた頃、よく急行『宗谷』や『サロベツ』に乗って札幌へ行ったものだった。
あの当時は上り列車は旭川で10分以上も停車して、その間に札幌方面へのL特急が先に発車するというダイヤだった。
名寄や士別からのSきっぷ所持者は、そのまま特急にも乗れるので早く着く特急に乗り換える人が多く、混んでいるのは名寄〜旭川間で、旭川〜札幌間は空いているのが常だった。
稚内からのSきっぷ所持者は、特急に乗り換えると特急料金が必要になるので、我慢してそのまま乗っていた。

旭川の停車時間はちょうど食事の時間帯とも重なるので、駅弁売りのワゴンも繁盛していたね〜、懐かしいね〜。
稚内方面の特急分断は案外定着するかもしれない。旭川までの乗客も結構多いし。

一方石北本線の方は、対札幌の需要が高いのか、旭川で乗客が入れ替わっていた印象はあまりない。
北見・網走方面は高速バスの方が本数が多く、所要時間も早いくらいなので、どうなるんだろう。半分の列車が旭川で乗換えということになると、心理的には札幌行きでないと安心感は無くなる。本数の多いバスを選択する人が増えそうだ。

以上、2017年3月のダイヤ改正について無責任に考えてみました。


『大雪』と『ライラック』、またずいぶんと懐かしい列車名称が復活するものだ。

『大雪』と聞くと、札幌〜網走間に運転されていた夜行急行列車を真っ先に思い出す。こんなことを思い出すのはもう20代や30代の人では無いだろうな。歳がばれますな。

1992年のダイヤ改正で特急に格上げされ『オホーツク』の一員となるまでは、機関車牽引の客車列車として運転されていた。
札幌から旭川方面への実質最終列車でもあったので、最終の特急は『大雪』だったなどと思い出す人も多いだろう。

さらに古くは、石北本線系統の昼行急行はすべて『大雪』だった。札幌発着の昼行2往復、旭川発着2往復、それに夜行1往復と最盛期には5往復もあった。
国鉄末期頃から次第に特急に格上げされ、『大雪』の名称は夜行列車のものとなる。

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 札幌駅に停車中の急行大雪。1990年1月撮影(多分)。

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 大雪号の寝台指定券。北海道フリーきっぷを使用した0円券。夜行列車を駆使してよく道内旅行に出かけたものだった。

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 『利尻』、『大雪』、懐かしい列車名が並ぶ時刻表。この頃は旭川方面への最終列車としての性格が強かった。
 JR北海道編集・時刻表ダイヤ’92年1月号より引用。 

夜行急行の特急格上げまで長らく急行列車の名称だったローカル色の『大雪』だが、調べてみるとなかなか波乱に満ちた運命の持ち主であることがわかった。
『大雪』の命名から石北線の優等列車に収まるまで。そんな列車の歴史を、時刻表を見ながらひも解いてみたいと思います。
時刻表と言っても書店で買った復刻版ですが・・・


■大雪の歴史1:前史

昭和9年(1934)年、上野〜青森間に急行103・104列車が設定された。上野〜青森間はそれまで全て夜行列車になっていたが、このダイヤ改正では大幅なスピードアップにより日着が可能になった。上野を午前中に出発すれば青函連絡船の夜行便に接続できることになる。それに接続する形で函館〜札幌間に急行3・4列車が設定された。

連絡線夜行便を介して本州と北海道の急行列車が接続するダイヤはこの時から始まった。そしてこの急行3・4列車こそ、『大雪』の前身である。

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 昭和9年より運転を開始した急行3列車。
 鉄道省編纂汽車時間表昭和9年12月号より引用。


昭和14(1939)年、急行3・4列車の運転区間を函館〜網走間に延長(旭川〜網走間は普通列車)。

昭和17(1942)年、太平洋戦争の影響により、急行3・4列車は廃止。連絡線夜行便に接続するのは函館〜名寄間普通列車の13・14列車となる。戦前の急行『大雪』の前身は、この改正で姿を消す。

戦時中は昭和20年までに函館〜稚内桟橋間の3・4列車を最後に急行列車は全廃される。


■大雪の歴史2:本州連絡急行として

昭和22(1947)年、函館〜旭川間に急行列車が1往復が復活するが、夜行列車としてであった。

昭和24(1949)年9月、連絡船夜行便に接続する急行列車が復活し、急行1・2列車となる。運行区間は函館〜網走間(旭川〜網走間は普通列車)。同時に函館〜釧路間(札幌〜釧路間は夜行準急)も急行3・4列車として復活している。

のちに夜行『大雪』となる函館〜網走間の準急503・504列車(準急区間は夜行となる札幌〜北見間)もこのとき運転を開始した。

昭和26(1951)年4月、北海道の急行列車に初めて名前が付けられた。網走行き1・2列車(旭川〜網走間は普通列車)が『大雪』、根室行3・4列車は『まりも』と命名される。

ここから『大雪』としての歴史が始まる。しかし石北線急行として定着するまで、この『大雪』の名称は紆余曲折となるのだった。

昭和30(1955)年、運転区間が函館〜旭川間に短縮となったが、名称は『大雪』のままとなる。

昭和33(1958)年、上野〜青森間に特急『はつかり』が運転開始、連絡船夜行便を介して函館駅で接続するのが『大雪』だった。

本州側も北海道側も1・2列車だった。まさに北海道内急行のエースである。

これにより上野を昼過ぎに出発して、連絡船夜行便を介し、札幌に午前中に着くという画期的なダイヤが確立することになった。
このダイヤはよほど功を奏したのか、のちに登場する特急列車にも受け継がれることになる。
急行『大雪』としてはまさに栄光の時代であった。

また同じくして、函館〜網走間準急503・504列車に『石北』の名称が付けられている。

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 本州連絡急行時代の急行『大雪』。特急『はつかり』も気動車化されスピードアップしている。
 時刻表復刻版1961年9月号より引用(上野−青森−北海道連絡)

昭和36(1961)年、函館〜旭川間に待望の特急列車が走るようになった。名称は『おおぞら』と名付けられた。
(この『おおぞら』は滝川で分割し釧路まで延長されるようになり、のちに釧路特急となる)
『はつかり』〜『大雪』から受け継いだ連絡船夜行便を介したこのダイヤは、青函トンネル開業後も『北斗星』や『はまなす』に受け継がれることとなる。

一方、栄光の座を特急に奪われた『大雪』であるが。列車番号を11・12列車、運転区間を函館〜札幌間と変えて存続していた。特急は千歳線経由でこちらは小樽経由だが、特急『おおぞら』の補完列車という役割になった。

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 『おおぞら』の補完列車として列車番号を11列車と変えた『大雪』。
 時刻表復刻版1961年10月号より引用。


■大雪の歴史3:石北線の急行列車として

昭和38(1963)年、名前の由来となった大雪山近くを走らなくなった『大雪』は、名称を『ライラック』(のちに『ニセコ』の一員に)と改称され、気動車急行となる。

同時に『大雪』の名称は2年前から走り始めていた旭川発着の石北線の急行『はまなす』のうち、札幌発着に改めた1往復に充てられることになった。
函館発着時代から客車列車だったが、ここで気動車急行として生まれ変わることになった。

ここに石北線急行として再登場することになる。

昭和39(1964)年、函館〜網走間(函館〜釧路間も併結)に特急『おおとり』が登場。石北線初の特急列車となる。

昭和43(1968)年10月、ダイヤ改正時にそれまで列車ごとに付けられていた名称を方面別に統合されることになった。
それまで石北線の優等列車は特急『おおとり』を筆頭に急行は『大雪』、『あばしり』、『はまなす』、『オホーツク』それに夜行の『石北』とバラバラだったものを急行は全て『大雪』に統合されることになった。
これによって急行『大雪』は夜行も含め1〜6号と6往復(1往復は季節列車)もの大所帯となる。旭川発着の『旭川』はのちに『オホーツク』と改称される。

ちなみに、大雪と同時に命名された『まりも』の名称は、『狩勝』の一員に組み込まれたために一旦消滅する。(のちに石勝線経由の急行列車として復活する)

昭和47年、急行『大雪1・4号』を格上げした形で特急『オホーツク』が運転開始。このスジは昭和38年に気動車急行『大雪』として走っていたものである。『おおぞら』の登場以来、またも特急に座を明け渡すことになった。

旭川発着の急行だった『オホーツク』は特急の名称になった為に『大雪』の一員として組み込まれた。よって『大雪』の本数は変わっていない。

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 1号から5号まで、夜行含め5往復もの大所帯時代の石北本線時刻表。
 交通公社の北海道時刻表1973年12月号より引用。

昭和55年(1980)年、夜行『大雪』の急行区間を網走まで延長。それまでは北見〜網走間は普通列車だった。
上り『大雪』に網走駅で乗り遅れても、後から出る湧網線最終列車に乗れば遠軽で追いつくのは一部で知られていた。それも過去のものになった。

昭和57(1982)年、夜行の座席車を14系客車に置換え。
昭和58(1983)年、夜行の寝台車を14系客車に置換え。長らく旧型客車を連ねていた夜行『大雪』だが14系客車に置き換えられて面目を一新する。この頃にイラストデザインのテールマークが登場した。
なお、特急『おおとり』と一部の『オホーツク』は80系気動車のままで、特急の方がアコモデーションが下ということになってしまった。

昭和60(1985)年、札幌直通の昼行1往復を特急『オホーツク』に格上げ。昼行のもう1往復は旭川〜遠軽間(名寄線直通)のみとなる。

昭和61(1986)年11月、国鉄最後のダイヤ改正で、それまで旭川〜遠軽間に1往復あった昼行列車が旭川〜北見間の臨時急行となる。多客期のみ運転になった『大雪81・82号』はキハ54単行でヘッドマークも付いていたらしい。
定期の昼行『大雪』が無くなったことにより『大雪3・4号』だった夜行列車は再び『大雪』と堂々たる名称になる。

昭和63(1988)年3月、それまで函館〜網走間の特急だった『おおとり』が札幌〜網走間に短縮されたために『オホーツク』の一員になっている。多客期に運転されていた旭川〜北見間の急行『大雪81・82号』が特別快速『きたみ』として運転開始。

『大雪』を牽く機関車の先頭に円形のヘッドマークが取り付けられたのはこの年の11月からではなかっただろうか。
テールマークから引き継いだデザインのヘッドマークを掲げて貫録十分と言いたいが、この頃の基本編成はB寝台車2両と座席車2両の4両編成。大型の機関車が泣くような寂しい姿だった。

平成4(1992)年、ながらく客車編成だった夜行列車を特急気動車に寝台車を組み込んだ編成に変更することになり、特急に格上げされる。これにより夜行列車も『オホーツク』の一員となり、『大雪』の名称は消えることになった。

その夜行『オホーツク』も平成18(2006)年から季節列車化、平成20(2008)年3月16日の網走発の運転を以て最後となった。


■大雪の歴史4:石北線内の特急列車として

平成29(2017)年3月、再び『大雪』の名称が旭川〜網走間の特急として復活する。1992年以来だから25年ぶりということになる。
車両は『オホーツク』から引き続き183系が使用される。いずれ近いうちには261系に置き換わり、一新することだろう。

ところでこの大雪の読み方、『たいせつ』と『だいせつ』が混在している。地理系は『たいせつ(TAISETSU)』、学術系は『だいせつ(DAISETSU)』との読み方が多い。大雪山国立公園の読み方は『だいせつ』となっている。

列車名称は一貫して『たいせつ』だった。こんど復活する特急『大雪』の読みもやっぱり『たいせつ』なんだろうか。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
posted by pupupukaya at 21:30 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

2008年ドイツ鉄道旅行記12

今日はドイツ最終日。朝食のレストランは日本人だらけ。日本語の会話があちこちで飛び交う。

ミュンヘンでの宿泊は駅前のビジネスホテルのようなところだったが、朝食はバイキングであった。べつにこれと言った献立はなかったが、ソーセージとパンのおいしさは格別。日本に帰ってからこのソーセージとパンの味を探したが、ドイツに匹敵する水準のものは日本では手に入らないようだ。

フロントでチェックアウトの時刻を尋ねると12時までということだ。空港へは午後に行けば良いので午前中は街中を歩くことにした。

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 バイキングの朝食。野菜は少ない。こちらではピーマンを生で食べるようだ。

雨は上がったが薄曇りですっきりしない天気。巨大なフラウエン教会やヴィクトリアーリエン市場、開店したばかりのデパートを覗いたりしながら過ごした。

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 ミュンヘンのシンボル、フラウエン教会。

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 ヴィクトリアーリエン市場。

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 マジパン(砂糖とアーモンドを練り合わせた菓子)で作られた飾り物。

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 肉屋のショーケース。

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 惣菜屋のショーケース。

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 またソーセージを買ってしまった。

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 人通りが多いノイハウザー通り。

12時少し前にホテルをチェックアウト。中央駅からSバーンの電車で空港へ向かう。

まだドイツレールパスが1日分残っているので、今日の日付を入れる。市内から空港までしか乗らないのに1日分を使うとはもったいない話だが、トータルで考えれば十分使ったので良しとする。

空港のカウンターで手続きをする。ここでも関西空港までチェックインできる。荷物を預けて身軽になり、空港見物をする。

地下街に「ノルトゼー」があって、ここにも寿司が冷蔵ケースに並んでいた。前から気になっていたので、昼食に1つ買ってみる。「SUSHI-Box Bento」とパッケージされた中身は、太巻・サーモン・エビ・かっぱ巻き・鉄火巻。酢が違うのか、シャリの風味がちょっと変わっていた。

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 空港駅からターミナルまで地下街が結んでいる。

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 空港にあるノルトゼーのカフェ。

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 空港地下のノルトゼーで食べた寿司弁当。


■ミュンヘン 15:45 → 23:45ドバイ  EK050 (エミレーツ航空)

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 ミュンヘン〜ドバイの搭乗券。当然ながら日本語の文字は無い。

出国手続きをして、ゲートラウンジへ。人はまばらにしかいない。免税店を見るが特にこれといったものも無い。
カフェでビールを飲む。ホブロイハウスのビールだろうか。やっぱりおいしい。ドイツビールもこれが飲み納めである。

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 免税店が並ぶ搭乗待合室。

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 ゲートラウンジ内のカフェで一杯。ホーフブロイハウスのマークがついたジョッキ。

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 帰りもエミレーツ航空。

帰路もドバイまで6時間のフライトになる。機内は空いていて空席の方が多いくらいであった。
日本人の客は自分一人だけ。ミュンヘン市内では『地球の歩き方』片手の日本人旅行者をよく見かけたが、ドバイ経由というのはマイナーなルートなのだろうか。自分は結構気に入ったのだが。

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 機内の座席(エコノミーは後ろだが)。ドバイまではすいていた。

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 メインは「マンゴーチキン」。カレーライスのようだがちょっと違う不思議な味。

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 ドリンクはアムステルビール。今回の旅はなぜかオランダ製のビールによく当たる。

18:10、トルコ上空あたりで陽が沈む。夕焼けがきれい。だんだん暗くなってくる。機内の他の乗客は寝ている人が多い。地上の暗闇の中に人家の灯りがひとつふたつと雲の合間から見える。

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 トルコ上空で日が沈む。

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 深夜のドバイ空港に到着。ターミナルまではバス移動。暑い。

23:30にドバイ空港に到着した。バスに乗るためタラップの階段を降りるとムッとした暑苦しい空気に包まれる。

ドバイでの乗り継ぎ時間は2時間50分である。深夜0時過ぎのドバイ空港は昼間のように大勢の人でごった返してすごい活気。ホールに座ったり横になったりしているのは出稼ぎなのだろうかアフリカやアラブ系の人たち、階下の免税店を埋めつくしているのは韓国・中国それに日本人である。

私も免税店で珍しいアラブの民芸品を何点か買った。

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 トルコ上空で日が沈む。

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 アラビアの民芸品が並ぶ免税店。


■ドバイ国際空港 2:35 → 17:20 関西空港  EK316(エミレーツ航空)

ドバイからの関西空港行さすがに日本人ばかりになった。この便もわりと空いていて、隣も空席だったので関西空港までの9時間45分のフライトはゆったりと過ごすことができた。

離陸して1時間ほどした3:30頃機内食が配られる。日本時間なら8:30、ドイツ時間なら夜中1:30である。無茶苦茶な食事の時間は国際線では仕方ない。ドリンクにビールと日本酒をもらって、食事後もお酒をちびちび飲んでいたが眠気も吹っ飛んでしまった。

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 軽食ながら牛肉の照焼きを中心にボリュームがある。

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 ドリンクは日本酒にしてみた。『白鶴スカイキャップ』。

ここからは日本時間にします。

9:40明るくなってパキスタン上空。12:12ウルムチ上空。機内はブラインドをすべて下ろして真っ暗。
15:00、2回目の機内食(朝食:プレーンオムレツとマッシュルームソテー、ベイクドビーンズ添え)。
16:25、雲の合間から日本が見えた。岡山付近から瀬戸内海へ。

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 ヒマラヤの上空だろうか。

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 中国上空を飛ぶ。日本まであと4時間。

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 2回目の機内食。

16:40関西空港到着。

税関はほとんどフリーパス状態だったが、なぜか自分の番だけ鞄を開けさせられる。前回、前々回のロシア旅行のときもそうだった。自分は税関係員には相当怪しい顔に見えるのか?

ともかく、ようやく無事日本へ帰ってくることができた。一人で海外へ行ってこの帰国時の開放感は格別のものがある。


■関西空港 19:20 → 21:10 新千歳空港  EK6255便(JAL)

フライトはこれで終わりではない。今度は荷物を持って国内線ターミナルへ行って札幌までの便のチェックインをする。

時間があったので空港内のフードコートで、せんば自由軒の「名物カレー」とビールで夕食にする。ドイツビールに慣れた身でプラスチック容器に注がれたビールを飲むと「なんじゃこれは」と思うほど味気なく思えた。

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 光の洪水。大阪・梅田付近の夜景。

関西発札幌千歳行き最終の飛行機は、スーツ姿のビジネス客でほぼ満席。窓の外の下界は眩しいほどの光の洪水である。日本に帰ってきたはずなのだが実感が湧かず、まだ魂はドイツのあたりをウロウロしているようだ。

見るもの聞くものすべてが珍しく、夢中で駆け廻って長かったか短かったか分からない8日間だった。記憶を整理できるまではまだ時間がかかりそうだ。しかも明日は通常通り出勤である。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

〜おわり〜

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 ドイツで買った土産物。これ以外にもまだたくさんあるが。