2018年流氷を見に弾丸旅行2

流氷を見にやって来たのは網走の北浜の海岸。
釧網本線の踏切を渡った先にある浜は流氷が接岸して一面の白い世界だった。

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 流氷と薄曇りの太陽。

日の光は注ぐが、太陽は雲越しでぼんやりと光る。
曇り空では今一つ冴えない。やっぱり流氷は青空が似合うな。

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 浜辺に打ち上げられた流氷。

波打ち際だったところは、打ち上げられた流氷が折り重なって山のようになっていた。
この流氷が見る角度によって色んな姿に見えて面白い。

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 折り重なった流氷。

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 天に向かって飛び出した板氷。

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 ガオ〜、怪獣流氷星人 (^^;)

ここはイベント会場ではなく、すべて自然の造形。
氷を割って進む観光船から見る流氷も悪くはないが、やっぱり流氷は接岸したものをじかに見る方がいい。

流氷で覆いつくされた海岸は波音が一切消えるが、そのかわり国道を行きかう車の音が聞こえて落ち着かない。
100%白い氷原の世界に浸るには人間の世界に近すぎるようだ。

高みから氷原を見下ろすと、所どころに割れ目があって海水面が見える。
南からの風で、この流氷も沖に流されてしまうかもしれない。

ついでなので北浜駅にも寄ってみる。

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 木造駅舎の北浜駅。

北浜駅は喫茶店が併設されているが、まだ営業時間前。
待合室は相変わらず壁から天井まで紙片がびっしりと貼られている。
もともとは旧広尾線の幸福駅で始まったことだが、なぜかこの北浜駅にも飛び火している。

駅の訪問者が貼り付けていったもので、前は定期券が多かったが、いまは名刺が多くなっている。

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 北浜駅のホーム。ホームの目の前はオホーツク海。

ちょうど7:56発、北見行普通列車が来る頃だった。
駅横の展望台でカメラを構えていると列車が近づいてくる。

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 北見行の2両編成が到着。

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 乗客は全員観光客のようだった。

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 流氷と汽車。

流氷原になったオホーツク海沿いにやって来た。
いいなあ。何だか無性にあの汽車に乗りたくなった。 

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 白い世界に去って行く白い汽車。

さて、北浜を後にして、今度は紋別へと向かう。
また網走市内に戻って、国道238号線を北上する。

途中の常呂では、高台の国道から接岸している流氷が見えた。

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 国道238号線から見えた常呂の町と流氷。

国道は町を迂回して素通りするが、この流氷を見に町の方へ行ってみる。
道道を町の方へ行くと、突き当りが交通ターミナルとなっている。昔の湧網線の常呂駅跡だ。

横が駐車場になっていたので、車を停めて海岸に下りて行く。

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 常呂交通ターミナル裏の海岸。

足跡があるので、流氷まで行ってみる。

北浜と違ってここは物音ひとつない世界だった。
キーンと耳鳴りが聞こえるほど静まり返った流氷原。

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 消波ブロックに打ち上げられた流氷。

足跡をたどって波打ち際まで来たが、その先は黒い水面が見える。

もしかしてここって海の上なのか。
ここまで妙に平らだと思っていたが、海水がただ凍っているだけのようだ。

そう思うと足がすくんできた。
氷が割れないように静かに歩いて戻る。

あとでグーグルマップの衛星画像を見たら、思い切り海の上だった。
ひー ( ̄▽ ̄;)

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 氷が割れて海水面が出ている。

常呂からまた国道238号線を北上。
こんどは凍って真っ白になったサロマ湖が見える。

流氷と違ってこちらはひたすら静の世界。
平らで白い雪原がどこまでも続く。

昼近くに紋別に着いた。
紋別の道の駅に車を停めて海岸に行ってみる。

残念ながら紋別の流氷は去った後だった。
沖の方には白い帯が見えるので、観光船に乗れば流氷は見られるのだろう。

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 流氷が去った紋別。

紋別市内を通って紋別港へ行ってみる。

考えたら、前に紋別に来たのはまだ名寄本線があった頃じゃなかったかな。
1989年の3月のこと。あの時は港に流氷が来ていた。

29年ぶりの紋別来訪となる。
ついでに駅跡がどうなったかも見てこよう。

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 凍り付いた紋別港。

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 船が引き揚げられて冬眠する港。

紋別港は流氷こそ去ったものの、港内は一面氷結していた。
漁船はすべて陸に引き揚げられている。

最後に紋別駅跡に行く。

駅跡はいまはバスターミナルとオホーツク氷紋の駅という施設になっていた。
バスターミナルには客待ちのタクシーが数台停まっているあたりが、今でも町の中心ということがうかがえる。

かつて紋別駅へは、札幌から名寄経由の急行紋別、旭川から遠軽経由の急行大雪があった。

国道273号線の浮島トンネルが開通したのが1984年。旭川〜紋別間を滝上経由でショートカットする国道の開通である。
同時に同区間を結ぶ都市間バスが運行を始める。

このときから名寄本線の役割はほぼ終わっていたことになる。
両急行も国鉄最後のダイヤ改正の1986年で廃止。名寄本線自体も1989年に廃止となっている。

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 紋別駅前だった場所。なんとなく駅前らしい面影も。

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 紋別駅だったことを示す看板。

オホーツク氷紋の駅は中がスーパーになっていた。駐車場は車がびっしり、けっこう人も集まっている。

なんだか、鉄道があった頃よりも栄えている感じだった。
紋別に限らず、鉄道と決別した町の方が総じて元気なような気がする。
これはどうしたことか。

紋別を後にして、札幌に戻ることにする。

国道273号線は滝上を過ぎたあたりから吹雪いてきた。
前が見えないほどではないが、緊張する。

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 吹雪の国道273号線。

浮島トンネルに入ると一安心。ここを抜ければ旭川紋別自動車道の浮島ICまで近い。

と思っていたら、トンネルの中で前の車に急に追いついたのでブレーキ。
メーターを見ると40km/h。

頼むからトンネルの中を40キロで走るのはやめてくれよ〜

たまにいるんだよね、意味なくトロトロと走るやつが。大抵じいさんの運転なんだけど。

トンネル内や山道で追い越す度胸も無く、高速に入っての追い越し車線でようやく抜くことができた。

愛別からはずっと下道。途中休み休みで、札幌に着いたのは夕方の6時だった。

今回の走行距離約760km。いや〜、走った走った。
北海道はひろいねえ。

それでは最後までお読みいただき、ありがとうございました。

〜おわり

【2018年その他旅行記の記事一覧】
posted by pupupukaya at 18/02/18 | Comment(0) | 2018年その他旅行記

2018年流氷を見に弾丸旅行1

冬は嫌いだ。
雪は降るし、日は短いし、毎日クソ寒いし。

しかしそんな冬でも楽しみにしていることがあって、それは 流氷

私は流氷が好きだ。
あの流氷って毎日のギスギスしたことを忘れさせてくれるチカラがあるね。

あーあ流氷でも来てないかなとネットで調べると、おっと流氷が来ているではないか。
しかもかなりしっかりと厚い氷がきているようだ。

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 2018/2/9の海氷速報。オホーツク海沿岸に流氷が押し寄せている。

流氷見は賭けだね。
ガソリン代かけて車で行っても、着いた頃には流氷は去った後なんてこともある。

それでもこれだけたくさん押し寄せているんだったら、1晩で消え去ることも無いんじゃないか。

嬉しいことに今週末からは3連休。
ちょうど雪まつりと重なるので、観光客とかち合うのはいやだな、とためらった。
長距離の運転が面倒というのもある。

チャンスは1度きりだ。

そんなわけで、金曜日の夜10時過ぎ、車で札幌を出発した。
高速なんて使いませんよ。ひたすら下道を走る。

夜行列車の特急オホーツク9号があった昔ならば、札幌駅から乗って、夜汽車の雰囲気で一杯やってから、座席で横になったのだろうが、あいにくそんな列車はもうない。

行先は紋別にするか網走にするか迷ったが、網走にしよう。
経験から、海岸から流氷を見たければ網走の方が確立は高い。

どちらにしても一路旭川を目指す。

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 0:21、深川通過。

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 0:50、旭川台場のスタンド着。

旭川市内に入ったところにあるモダで給油する。
たしかここは午前2時までやっているはずだが、店の照明は落とされて真っ暗。

店じまいしたのかと思いかけたが、セルフの機械は動いたので給油する。
満タンになって一安心。
去年、野付半島まで行ったときは途中でカラになりかけて、中標津まで冷や汗ものだった。

旭川新道を抜けて国道39号へ。愛別ICから旭川紋別自動車道の無料区間に入る。

早く着いてもしょうがないので、ずっと80km/hをキープ。
終点の瀬戸瀬ICまで1台の車にも抜かれないし追いつきもしなかった。
夜中にずっと走っていると大抵トラックに追いつくものだが、今夜はどうしたのだろう。

遠軽着が2:50、ちょっと早すぎたな。もう1時間遅く出てもよかった。
今朝の網走の日の出は6時30分。早く着いても夜が明けないことにはどうしようもない。

能取岬で日の出を見たかったので、遠軽からは湧別経由で網走を目指す。

途中の道の駅サロマ湖で1時間半ほど休憩。
ひと眠りしようとしたが、眠れなかった。
空は三日月と星が見える。これは日の出と青空が期待できるかな。

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 3:40、道の駅サロマ湖着。

休憩と時間調整の道の駅を出発。
だんだん空が白んできた。

6:10、能取岬に到着。もうだいぶ明るくなった。
駐車場にはこんな時間だが車が数台停めてある。

みんな考えることは同じで、流氷と日の出が目的である。

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 6:10、能取岬への道。

肝心の流氷だが、接岸はしている。ただ、沖合には海水面が広がっているところもあって、一面真っ白というわけにはいかなかった。

風がむちゃくちゃ強い。
しかも陸からの風。これでは流氷が風で沖に流されてしまうよ。

サロマでは星が見えたのに、こっちはどんよりと曇り空。朝日は無理っぽい。

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 日の出前の能取岬と灯台。ここは地の果てオホーツク。

6時半、太陽は現れなかった。残念。
朝日ねらいの人たちはもう少し粘るんだろうか。誰も帰ろうとはしない。

私はサッサと退散します。

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 日の出撮影は空振りに終わった。 

自然現象なのだから、あきらめが肝心。
次は北浜だ、と車を走らせる。

網走市内に入る手前の海岸沿いの道から、ぼんやりと光る朝日がみえた。
沖合は結構海面が広がっている。これは一足遅かったか。

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 雲越しにぼんやりと光る朝日。右に見えるは帽子岩。

網走の町中を抜けると、びっしりと流氷が見えた。
やはり紋別ではなく網走にして正解だった。

北浜駅から200〜300mほど過ぎたところにあるセイコーマートの横に踏切があって、そこから海岸に行くことができる。
おお〜踏切の向こうの海は真っ白になっている。流氷がびっしりだ。

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 北浜駅近くの北浜構内踏切。

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 踏切からの線路。

7時20分、人はほとんどいない。
ただ、砂浜に積もった雪の上は人の足跡だらけ。
北浜駅も近いし、昼くらいには観光客が多く来るのかもしれない。

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 水平線まで一面流氷びっしり。

見よ、この大氷原。

札幌から夜通し運転して来た甲斐があったというもの。
さあ近くまで行ってみよう。


posted by pupupukaya at 18/02/12 | Comment(0) | 2018年その他旅行記

昔ここにはキヨスクがあった

北海道内のキヨスク(KIOSK)がここのところ急速に消滅しています。
そこのところの事情は拙ブログ


に書きましたが、ここからはかつてあった北海道内のキヨスクを見てみましょう。

北の方から順番にいきます。


稚内駅(2010年9月撮影) 2012年4月2日閉店

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日本最北端のキヨスクだった。90年代くらいまでは朝6時の急行利尻到着時から、22時近くの同列車発車までずっと開いていた。

まだ市内にセイコーマートがなかったころ、町の人が結構買い物に来ていたのを思い出す。
道の駅と一緒になった新しい駅舎には土産物屋やセイコーマートが入居しているので、買い物の点は以前より便利になった。


南稚内駅(2005年7月撮影) 2012年3月31日閉店

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ここも90年代初頭は急行利尻発車時までやっていたなあ。
地元の人の利用は、稚内よりもこちらの南稚内の方が多い。

雑誌や文庫本が目立つのは、特急の長時間乗車のためか。
旭川までは3時間半、札幌までは5時間の長旅だ。


名寄駅(2004年11月撮影) 2016年12月20日閉店

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稚内駅のキヨスク閉店後はここが最北端のキヨスクになった。
待合室とホームの両側に面したところに、角館商会のそばと駅弁の売店があった。

急行時代は名寄で車両連結のため、3〜5分の停車時間があり、ホーム側の売店に人が群がったものだった。
その売店は2009年に一足先に閉店。名寄駅も寂しくなった。


網走駅(2014年2月撮影) 2016年3月16日閉店

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特急オホーツクと大雪の始発駅の網走駅。
ここのキヨスクは閉店の10年以上前からワンオペで切り盛りしていた。休みは日曜だけで、祝日も年末年始も店に立っていたという。

画像の日は吹雪のため全列車運休だった。そんな日でも営業していた。
キヨスクなき後、待合室では駅弁のモリヤ商店ががんばっている。
駅横にあったローソンは閉店してしまった。駅弁も閉店になれば、特急の利用者は買い物難民になってしまう。

がんばれモリヤ。


遠軽駅(2007年8月撮影) 2015年11月30日閉店

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名寄駅と同じく大型の木造駅舎が健在。
名寄駅の方は、JR化後にかなり改造されているが、遠軽駅はほぼ国鉄時代のまま。
真ん中のストーブとキヨスクが温もりのある待合室という感じ。
おかむら駅弁屋による駅弁の立売りもあったが、こちらは2015年に廃業となった。

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1番ホーム側の窓からも買い物ができた。上記遠軽駅
特急の車内販売が無くなってから、3〜4分の停車時間で買い物ができる唯一の場所だった。


旭川駅、地平時代の2・3番ホーム(2008年6月撮影) 現在も高架駅で営業中

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ここは厳寒の地。冬はガラス戸が閉まっていて、客は自分で戸を開けて買い物をしていた。
1番ホームにも同様にあった。
高架駅になった現在でも3・4番ホームで営業が継続している。

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旭川立売の売店。こちらは同じく地平時代の2・3番ホームにあった(2008年6月撮影)

ホーム上にキヨスクとは別に駅弁業者が売店を構えている駅もあった。
旭川のほかは、地平時代の札幌駅、岩見沢駅もそうだった。
国鉄時代は駅構内の営業はキヨスクの専売だったの新聞・雑誌などは置いていない。扱う商品は限られていたようだった。


富良野駅(2006年10月撮影) 2016年10月31日閉店

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いまや大観光地の富良野だが、観光客の鉄道利用は少ない。
旭川立売製の駅弁を置いていたこともあった。
待合室の立ち食いそばは今でもまだあるようだ。


留萌駅(2007年8月撮影) 2008年10月1日閉店

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この画像の数年前、NHK朝の連ドラにあやかってSLすずらん号が運転された時は一時的に賑わったのだが、長くは続かなかった。
待合室には立ち食いそば屋がある。


根室駅(2013年9月撮影) 2015年9月30日閉店

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日本最東端のキヨスクだった。釧路や札幌までの長距離客が多かったのだが。
駅舎隣の食堂はまだあるようだ。向かいの観光インフォメーションセンターで土産物の調達はできそうだが。


厚岸駅(2013年9月撮影) 2015年8月31日閉店。

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いまや全国区になった駅弁『かきめし』を置いていたこともあった。
駅弁屋は駅前にあって、90年代初頭くらいまではホームでの立売りをしていたのを思い出す。


岩見沢駅(2006年10月撮影) 現在も駅舎1階にて営業中。

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もとは大型の木造駅舎だったが2001年に焼失した。上はプレハブの仮駅舎時代のもの。
JR化後しばらくまではホームにもキヨスクがあって、ホームには岩見沢構内立売商会による売店と立ち食いそば屋の3店舗もあったことになる。それ以外に、駅弁の立売りがあって、列車が着くと「え〜べんと〜」と声を張り上げてホームを往復していた。
岩見沢は鉄道の要衝であり、鉄道の町だった。


追分駅(2009年5月撮影) 2010年頃閉店?

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町の規模の割には大きな駅舎が鉄道の町だった証。
普通列車の旅では、ここ追分で長時間待ち合わせとなることもしばしば。
駅近くには店がなく、ここのキヨスクは重宝ものだった。


札幌駅ホーム 番線不詳(2012年9月撮影) 2015年閉店?

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かつては全部のホームにあったが、端のほうのホームから順次閉店し、いまはホーム上からキヨスクがなくなった。

2000年代は、1つのホームに3店舗もあったなあ。西側のエスカレーターを上ったところ、中央のそば店と同じ小屋、東側の階段を上ったところ。それが次々と閉店・撤去されてしまった。

こうして見ると、売店は店の中も吹きっさらし。しかもずっと立ち仕事。最低気温-10度以下になることがある札幌。冬は寒かったろうな。暖は足元のヒーターだけだったろう。
しかも、ディーゼル特急の容赦なく響く轟音の中で客の注文を聞かなきゃならない。

その苦労話をどこかで聞かせてほしい。


苗穂駅(2013年10月撮影) 2017年3月10日閉店

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昔は工場地帯の通勤駅。いまは駅周辺にマンションも増えた。
木造駅舎だが2018年度中には新築移転し、橋上駅になる予定。新駅舎の計画図にはキヨスクらしきスペースがあるのだが、どうなるのか。


稲積公園駅(2007年5月撮影) 2012年頃閉店?

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もとは駅舎内の待合室にあったが、いつの頃からか駅を出て『コンビニキヨスク』の名でコンビニ形態の営業となった。

キヨスクも対面販売からコンビニ形式にリニューアルされた店をコンビニキヨスクと称していたが、いまはどちらもキヨスクの名に統一されたようである。


銭函駅(2004年11月撮影) 2015年9月27日閉店

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数少なった木造駅舎が現役。
道内の最初の駅立売りだったといわれる『酒まんぢう』を芦別市の菓子店が復元。ここのキヨスクに置いていた。
夏休み中は海水浴客でにぎわうが、普段は札幌近郊の通勤通学駅である。


長万部駅(2013年7月撮影) 2017年8月23日閉店

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長万部といえばかにめし。少し前まではホームでの立売りもあったような気がするが、いつの間にか無くなっていた。
特急ならば車内販売での積み込みがあるが、駅で買うときはキヨスクで取り寄せ販売となっていた。
普通列車はすべて長万部で乗換となる。接続も悪く、この駅で長時間待ち合わせになることも多かった。


八雲駅(2013年10月撮影) 2018年2月14日閉店予定

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意外と知られてないが、JR北海道の最西駅はここ八雲。道内で一番西にあるキヨスクでもある。
瓶入りの元山牧場牛乳が人気。駅で飲んで瓶を返せば40円引きになる。


森駅(2005年9月撮影) 2018年3月7日閉店予定

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森駅名物のいかめしを置いていた。
いかめし自体は真空パックや冷凍なども含めると色んなところから出ているが、駅弁のいかめし阿部商店のが元祖である。
すっかりデパートなどの催事ではおなじみになって久しいが、キヨスクに置いていて、一応駅でも買うことができた。


五稜郭駅(2017年4月撮影) 2018年3月18日閉店予定(道南いさりび鉄道が引継ぐ)

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いまは特急北斗が全部停車するようになり、ダイヤ上は函館市内第2の駅となったが、ここも不採算店舗として閉店することになった。

キヨスクとしては閉店するが、道南いさりび鉄道が店名を変更して営業は継続する。
待合室内には『駅そば みかど』があったが、こちらは2016年に閉店している。


函館駅5・6番ホーム(2015年8月撮影) 2015年9月27日閉店

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函館駅は特急北斗のほか、青函トンネルを通って本州へ向かう特急白鳥の始発駅だった。そのため結構繁盛していた。
ホームの売店だが、函館のはコンビニ形式になっていた。

キヨスクがあったのはおもに特急が発着する5・6番線と7・8番線の2店舗だった。
特急の始発駅だし、ホームは無理でも、せめてホーム入口の通路あたりに1店舗あれば・・・。


函館駅旧駅(2000年頃撮影) 現在セブン-イレブン北海道ST函館店として営業

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函館駅が今の新しい駅舎になったのは2003年のこと。以来キヨスクはコンビニ形式の新店舗として営業していたが、2015年にセブンイレブンとなった。

旧駅舎時代は、改札口と待合所の間に対面式の店があった。
函館駅は深夜・早朝でも夜行列車が発着するため、24時間開放していた。これは旭川駅も同様だった。
その利用者のためにキヨスクもなんと24時間営業だった。90年代前半ころまでの話である。
いつしか治安や管理上の問題から、深夜の1時間ほど駅を閉めるようになり、キヨスクの24時間営業も無くなったようだ。


木古内駅(2013年10月撮影) 2015年3月14日閉店

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JR北海道の木古内駅は新幹線の駅ということになる。それまでの木古内駅は道南いさりび鉄道の駅となり、同時に無人駅となった。

新幹線の新函館北斗駅にはキヨスクが数店オープンしたが、木古内駅の方は売店の類は一切置かれていない。
想定の利用者数では商売にならないとの判断からだろう。

新幹線開業を待たずして閉店した木古内駅のキヨスクだが、しばらくして木古内公益振興社がキーコショップをオープンした。
これも2016年3月末で閉店している。不採算ではなく、当初から期限付きの営業だったようだ。

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木古内駅キヨスクの跡にオープンしたキーコショップ。2016年3月31をもって閉店した。



いかがだったでしょうか。

駅に行けばキヨスクがあり、旅立ちの汽車に乗る前、あるいは通勤通学途中に何げなく立ち寄って買い物をしたキヨスク。
こんなキヨスクも気が付けば過去の遺物になりつつあります。

あと何年かすれば対面販売のキヨスクは・・・

私からは言いません。

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

posted by pupupukaya at 18/02/11 | Comment(2) | 北海道の駅

キヨスクは絶滅危惧種なのか

キヨスクの閉店が止まらない。

*2018/1/25 どうしん電子版(北海道新聞)*
”JR函館線の森、八雲、五稜郭の3駅の構内で営業する「キヨスク」が2〜3月で閉店することが24日分かった。3店舗のうち、五稜郭の店舗は道南いさりび鉄道(函館、いさ鉄)が営業を引き継ぐ。いずれも売り上げ減少による不採算が理由。”
 (2017/1/25どうしん電子版より引用)

そういえば、札幌市営地下鉄の駅の売店はキヨスクだったが、気付けば地下鉄駅でもキヨスクを見かけなくなった。
JR駅でも、ここ数年前からキヨスクの閉店が相次いでいる。

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そんなわけで、今回は北海道内のキヨスクについて取り上げたいと思います。

ここ数年でキヨスクがどれだけ減ったのだろうか。
ネット上に年末年始の営業時間のご案内 - 北海道キヨスクというのを見つけたので店舗数を数えてみる。
この案内に年度の記載はないが、曜日からすると2013年度のものである。

その中から、キヨスクの名で営業している店舗を数えると、95店舗あった。うち地下鉄の店舗が33店舗。

2018年2月4日現在の同じくキヨスクの名で営業している店舗を北海道キヨスクの店舗情報で数えると24店舗。うち地下鉄の店舗が5店舗だった。

 ◆ 道内キヨスク店舗数
2014年1月 → 95店(うち地下鉄33店)
2018年2月 → 24店(うち地下鉄5店)

こうして比べると4年間で、4分の1近くまで減ったことがわかる。
とくに地下鉄の店舗の減少が著しい。
地下鉄の売店がローソンになっていたり、野菜を売っていたりするのを見かけるが、もとはキヨスクだった場所である。

中にはセブンイレブンに転換した店や、土産物が中心の北海道四季彩館になった店舗もあるが、ほとんどが営業自体がなくなってしまった。

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 2018年1月、キヨスク部分が撤去されたホームの店舗。

いつからだろう、札幌駅のホーム上からもキヨスクがすべてなくなっていた。
ここのキヨスクは、駅弁の売店と立ち食いそば店が一体化した小屋になっていて、1番から10番まであるホームのすべてに同じような格好であった。

キヨスクだった部分は取り壊されて、ホームの床面が黒くなっているのが跡である。

各ホームに計5店舗あった立ち食いそばも、いまは減って2店舗のみ。これもこれからどうなるんだろう。

かつては特急や夜行列車に乗る前に、キヨスクで飲み物やお菓子を買うのが汽車旅の儀式のようなものであった。

気が付けば車内販売も今ではスーパー北斗のうち日中の列車だけになってしまった。これも今の流れではいつ無くなってもおかしくはない。

そのうちに、駅に行く前にコンビニなどで買い物を済まさなければ、飲まず食わずの旅になる時代になるのだろう。

不便さもさることながら、寂しい。

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 2007年6月の札幌駅ホーム。キヨスク、駅弁売店、立ち食いそば店が一体化した店舗だった。

キヨスクの相次ぐ閉店は、駅構内という限られたニーズの中での営業とあって採算が合わなくなってきたことと、新たな店員の確保が難しくなってきたことなどが理由のようである。

コンビニ全盛の今とあっては、対面販売でのやり取りは、客の側からしてみても少々面倒というのも、客離れに拍車をかけている。

かつてキヨスクでの売れる3大商品と言えば、新聞、雑誌、たばこであった。
この3つともが2000年代に入ってからは売れなくなってしまった。

車内で新聞読んでる人いなくなったなあ。みんなスマホだもんなあ。たばこ吸う人も気づけば今では少数派になった。

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 地下鉄でもすっかり少数派になったキヨスク。2018年1月大谷地駅。

かつてはちょっとした駅であれば、大抵の駅の待合室にはキヨスクがあった。
それが当たり前だと思っていた。

90年代の初頭、宗谷本線ならば私の記憶ではキヨスクがあった駅は次の通り。
士別、名寄、美深、音威子府、天塩中川、幌延、豊富、南稚内、稚内。
ほぼ急行停車駅にはキヨスクがあったことになる。

『汽車』に乗る前にちょっとしたお菓子や飲み物を買ったり、通勤途中に新聞やたばこを買うのがキヨスクだった。

地方の駅では、キヨスクが今で言うコンビニ代わりとなっていて、列車が来ない時間でも、町の人がやってきて買い物をする光景が見られた。

コンビニが無かった時代は、田舎の町で新聞や雑誌を買えるのは駅のキヨスクだったのである。
それに昔は駅前の商店街は日曜日はどこも休みになった。そんな中でも年中無休のキヨスクは町の人々にとっても便利な存在だっただろう。

国鉄末期には地方の駅が軒並み無人化されたが、無人駅化されて駅員が引き揚げてもキヨスクはそのまま営業している駅もあった。そんな駅では、キヨスクで切符を売っていた。
列車の利用者よりも、町の人たちに支えられていたといえよう。

90年代も後半になると、コンビニが地方へも進出しはじめる。
コンビニができるとキヨスクの役割は終わってしまったようで、とても列車の利用者だけが相手では営業を続けるのが難しくなったことだろう。

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 標津線があった時代の厚床駅。この駅にもキヨスクがあった。

キヨスクのうち、採算を見込める店舗については、コンビニへの転換を進めているようで、セブンイレブンとなって駅ナカのコンビニとしてオープンしている所もある。

それでも、コンビニ化されるのはごく少数で、キヨスクが閉店したあとの待合室やコンコースはがらんとした空間になり、火が消えたような寂しさがただよう。

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 キヨスクが閉店した苗穂駅。2018年1月。

冒頭にあるように、今年度中に道南の3店舗が姿を消す。
キヨスク閉店の流れは止まらない。

特急の始発駅である網走駅からもキヨスクが閉店。名寄駅のキヨスクは稚内駅のが閉店してからは最北端のキヨスクということになっていたが、こちらも閉店し、現在の最北端キヨスクは旭川駅になる。道東方面はすでに全滅している。

札幌市内のJR駅でも、キヨスクの名で営業しているのは札幌駅、手稲駅、新札幌駅の3駅のみ。
ホームで営業しているキヨスクは、旭川駅と新幹線の新函館北斗駅だけになる。

北海道内に限らず、あと数年もすればキヨスクという名前自体が無くなっているかもしれない。
不採算店舗の閉店のほかは、コンビニへの転換である。

実際コンビニ化したところ、売り上げは増えているようだし、利用者からも歓迎されるところだろう。
昔ながらの光景が消えるのは寂しいが、致し方ないところではある。

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 壁面に商品を陳列した形態の店。セブン-イレブン北海道ST大通B2店。

ところでキヨスクキオスクは違うのか?
看板の表記は『Kiosk』である。これは英語で「キオスク」で、駅や公園などの売店の意味である。

1973(昭和48)年に、それまで弘済会売店という名前だった鉄道弘済会の売店の名称を『キヨスク』と改める。
本来は「キオスク」と読むべきところを「キヨスク」としたのは、「清い」や「気安い」という意味も込めてということである。


次では、道内の閉店した懐かしのキヨスクを紹介します。


posted by pupupukaya at 18/02/04 | Comment(0) | 北海道の駅

2006年ロシア極東旅行記6 ワニノから351列車へ

 ◆ワニノ駅

5時ごろ、また町に出る。今度は買物をしてきて、預かり所で荷物を引出したあとはずっと駅にいるつもりだ。外に出ると雨が降り出してきた。

まず本屋でハバロフスクの地図を買う。次はアケアンで水とビール、それに食料を色々買いこむ。店を出ると雨はさらに激しくなっていて、道路の坂道は川のように水が流れている。急いで駅に戻るが、すっかり濡れてしまった。
手荷物預かり所で荷物を引き出して、待合室のベンチに座る。

駅のホームには18:00発のハバロフスク行の列車が停まっている。この列車は途中のコムソモリスクで、21:05に出る351列車に追い抜かれる。

激しい雨の中を列車は発車していった。待合室には21:05発の列車を待つ人が残る。
朝にホルムスクからの連絡船で着いた人も何人か見かけた。彼らはずっと駅の待合室にいたのだろうか。

最初ワニノに着いたときは、こんなところで丸1日どうすればいいのだろうかと思っていたが、それなりに時間はつぶせた。

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 激しい雨で道路はたちまち川のように。

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 駅には列車が停まっていた。

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 激しい雨の中発車を待つ先行のハバロフスク行。

さっき買ったイカ味チップスを食べながらビールを飲む。
ガランとした広い待合室に人々の話し声がこだまする。雨は時おり強くなったりして止む気配はない。

警官が時折見回りに現れる。もうあまりウロウロしないほうがいいだろう。
とにかく警官とは関わりたくない。

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 広いホールの待合室。

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 イカ味チップスと缶ビール。


 ◆ ワニノ 21:05【351列車】20:36 ハバロフスク

20時を過ぎたあたりから列車に乗る人が駅に少しずつ集まってくる。
20:40、放送があり、待合室にいた人が動き出したので、一緒にホームに出る。いつしか雨は上がっているが、霧に包まれている。

ホームから、ワニノの町と灯台が霞んで見える。こんな小さい港町のどこからやってきたのか、広いホームは人がいっぱい溢れる。

切符に指定された車両は11号車。何号車がどの辺から乗るのかは全く分からないので、大体この辺かなと見当をつけた場所で列車を待つ。ホームは高床式になっているので、どこか北海道のローカル線の駅の雰囲気そっくり。

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 列車に乗る人や見送りの人がホームに出る。

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 霧でホームから灯台が霞んでみえる。

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 351列車が入線する。

やがてディーゼル機関車に引かれた列車が入線して来た。なんと16両編成!食堂車も連結されている。
機関車の後ろが16号車で、11号車は目の前を通り過ぎてはるか前の方に行ってしまった。人ごみの中11号車の方へ急いで歩く。

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 351列車に乗る人でホームは賑わう。

351列車はバイカル・アムール鉄道、通称バム鉄道の東側終点であるソビエツカヤ・ガバニからハバロフスク経由でウラジオストクまで行く列車で、ハバロフスク着は翌日、ウラジオストクは翌々日の15:09着と2晩かけて走る。
私が乗車するのはそのうちのワニノ〜ハバロフスク間、距離にして807kmとなる。

編成はざっくりとだが、1〜8号車が寝台車、9号車は食堂車、11〜15号車が寝台車、16号車が座席車のようだった。

351列車の時刻表
駅名着時刻発時刻
ソビエツカヤ・ガバニ 20:35
ワニノ20:5421:05
コムソモリスク・ナ・アムーレ9:3510:35
ヴォロチャーエフカ219:0819:40
ハバロフスク120:3621:20
ウラジオストク15:09 

客車の入口で車掌に切符とパスポートを見せて車内に入る。指定された寝台は8番。車内はすべて4人部屋の個室になっている。室内には先客がいて、夫婦と学生らしい女性である。

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 351列車、ワニノ〜ハバロフスクの切符。モスクワ時間で表示されている。

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 入口の乗車風景。車掌にパスポートと切符を見せる。

何やら怪訝そうな目つきで見られる。夕方雨に濡れた身体がまだ乾いていなくて、みすぼらしいな外国人旅行者と思われたかもしれない。とりあえず寝台の隅に腰かけていると、車掌がシーツ代の集金に来る。50р払ってシーツをもらう。

21:05定刻にワニノを発車する。スルスルといつの間にか動いていたと言うような静かな発車である。すぐに次の駅に着いて、ここからも結構乗ってくる。列車は間宮海峡の海岸沿いを走る。

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 車窓に間宮海峡を望む。

個室にいると窮屈なので、通路の窓辺に立ってずっと外を眺めている。
ソビエツカヤ・ガバニからコムソモリスク・ナ・アムーレまでは、バム鉄道の一部として1945年に開通した区間となる。

この321列車は寝台列車だが、各駅停車。駅周辺に人家の無い小駅にも停車して行く。
ワニノからハバロフスクまでの路線距離は807km。23時間31分もの時間をかけて走る。
ずいぶんと時間がかかるのだと思っていたら、各駅停車だったというわけだ。

海が見えなくなると山の風景になる。トゥムニン川に沿ってシホテ・アリニ山脈の山ふところにだんだんと入って行く。天気もだんだん回復してくる。10時を過ぎてようやく暗くなり始める。列車の進行方向には夕焼けも見えた。

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 カーブでは長大な客車が姿を見せる。

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 10時頃、川の向こうに日が沈む。

すっかり暗くなってどこかの駅に停車すると、開けた窓から蚊の大群が入ってきた。また寝ている間に蚊に食われるのかとウンザリする。

寝台の個室では、夫婦がパンとベーコンとサラミをナイフで刻んで広げて夕食を食べていた。
主人が、中に入ってすわれとジャスチャーする。パンとソーセージをお前も食べろと言う。
「スパシーバ」と言ってありがたくいただく。
ビールも飲むか?と言われ、ビールももらった。主人がもっと食べろとすすめてくれる。

女学生がクスクス笑いながら「フクースナ(おいしい)?」と言うので「フクースナ」と答えた。何か情けない気持ちになった。

11時ごろ上段の寝台に登って寝る。
連絡船での寝不足と、ワニノでの歩き疲れで、横になったらすぐに眠ってしまった。


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