またも消えるキヨスク

またもキヨスクが閉店になる。
こんどは地下鉄のキヨスクで、今月中(2018年3月)に閉店になるのは以下の3駅。

 すすきの駅:3月5日閉店
 北24条駅:3月8日閉店
 大谷地駅 :3月14日閉店

札幌市内の地下鉄駅の売店は一部を除いて北海道キヨスク(株)による『キヨスク』として営業をしていた。
駅構内だけではなく、駅のバスターミナルにも進出していた。
そのためか、普段JRを利用しない札幌市民にとってもキヨスクは身近な存在だったのである。

そんなキヨスクも、閉店が見られるようになったのは2000年代に入った頃からだったろうか。
利用者の少ない駅から順次、キヨスクが姿を消していった。

同じくしてコンビニが駅前の商店街にも進出し始める。コンビ二といえば今はどこにでも目にするようになったが、それまでは郊外の住宅地に出店するのが主で、駅前商店街や都心には少なかった。
年中無休のキヨスクは、いまのコンビニの役割もあったのである。

ここ数年でキヨスクの閉店が相次いでいる。
地方の駅だけではなく、利用者がJR駅に比べて圧倒的に多いはずの札幌市営地下鉄の駅でも、閉店ラッシュは止まらない。

 * キヨスク閉店に関しては、以下の記事もご覧ください。
   * キヨスクは絶滅危惧種なのか
   * 昔ここにはキヨスクがあった

コンビニに押されて、売り上げが激減するようになったキヨスクは次々と閉店し、今では地下鉄駅のキヨスクは大通、すすきの、北24条、大谷地の4駅に残るのみとなってしまった。

今回の3店舗閉店により、これで地下鉄駅最後のキヨスクは大通駅だけになる。

せめていまあるうちにキヨスクを記録しておこうと地下鉄に乗ってキヨスク巡りをしてきた。
買ったきっぷはドニチカ。土日祝日用の地下鉄1日乗車券である。

私は地下鉄に乗ることはほとんど無いので、ちょっとした旅行気分だった。

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 券売機で買ったドニチカ。

まず降りたのはすすきの駅。

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 すすきの駅ホーム。

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 すすきの駅コンコースとキヨスク。

ここは改札口前で人通りも多く、またここで待ち合わせする人も多いので、それなりに繁盛していたような気がするのだが。
ウィンズが近いせいかスポーツ新聞や競馬新聞が多いのが特徴だった。

3月5日閉店のチラシが下がる店舗は、カラの棚が目立つ。
補充がないので売り切れたか、商品を引き上げてしまったのかわからないが、閉店売り尽くしみたいになっている。

カラの陳列棚を目にしては、素通りする人ばかりで、売り子さんも手持ち無沙汰という感じだった。

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 キヨスクすすきの店。

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 キヨスクすすきの店閉店のお知らせ。

次は大通駅で降ります。

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 大通駅南北線ホーム。

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 大通駅南北線麻生方面ホーム連絡用コンコースとキヨスク。

南北線2番ホームから西側に行く東西線乗換えのコンコース。
地下鉄で唯一改札内にあるキヨスクでもある。

シャッターが下りていたので、もう閉店したかに見えたが、定休日の貼り紙があった。
営業時間のお知らせのところに、土・日 定休日と表示してあった。

朝ラッシュ時は電車が着くたびに怒涛のように人の流れが押し寄せる場所で、キヨスクの職人技の見せ所であろう。

昔からあるようだが意外と新しく、ここに開店したのはたしか1990年代頃だったような気がする。

東側のコンコースにも同じような場所にキヨスクがあったが、そちらは移転してセブンイレブンとして開店している。

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 キヨスク大通ホーム西店。

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 大通駅西改札口前のコンコース奥にあるキヨスク。

大通駅のもう1つのキヨスクは西改札口から2番出口に向かう途中にある。

この出口の辺りはビジネス街。土曜の今日は閑散としている。
ここは普段もあまり人通りが多くなく、この場所のが最後まで残ったのが不思議。

ほかの集客の見込める場所にあるキヨスクはコンビニとなる中、ここがキヨスクのまま残っているのは、いずれ閉店するということなのか。

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 キヨスク大通B1西店。

キヨスクもただ閉店するだけではなく、他業種へ進出して生き残りを図っている。駅ナカのセブンイレブンへの転換もその1つである。

もともと売り上げが多かった場所にあったものを、セブンイレブン化したのだろう。結構繁盛している。
看板の隅に北海道のマークとKioskとあるのが、キヨスクの名残り。

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 東豊線連絡用コンコースにできたセブンイレブン。

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 看板のマークがキヨスクだった証。

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 セブンイレブンになっても、さりげなくKioskの文字は残る。

次は北24条に向かいます。
ここはコンコースではなく、バスターミナルの待合所にある。

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 北24条駅ホーム。

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 北24条駅バスターミナル内にあるキヨスク。

3月8日をもって閉店のチラシが下がる売店は、みるも無残な姿だった。
商品はおろか、奥側の陳列棚までもが撤去されている。
僅かに残ったカゴに少ない品物が並ぶだけ。

すすきの駅のキヨスクもだけど、大勢の利用者に惜しまれつつ閉店とはいかないでも、せめて最終日までは普段のキヨスクのままでいさせてほしかった。

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 キヨスク北24条バスターミナル店。

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 キヨスク北24条バスターミナル店閉店のお知らせ。

次は大通駅で東西線に乗換て大谷地へ向かいます。

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 大谷地駅ホーム。

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 大谷地駅コンコースとキヨスク。

ここも3月14日をもって閉店のチラシが下がる。
閉店日までまだ日数があるためか、ここはまだ通常通り営業していた。

かつては1Fのバスターミナル待合所にもキヨスクがあって、高速バスも発着するそちらの方が成績が良さそうだが、バスターミナルのは先に閉店になり、地下鉄コンコースのが残されてきた。

大通駅以外ではここが地下鉄駅最後のキヨスクとなる。

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 キヨスク大谷地店。

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 キヨスク大谷地店閉店のお知らせ。

対面販売方式のキヨスクで残るのは、大通駅と札幌駅の数店舗、それに南千歳駅、苫小牧駅だけになる。
あとはコンビニと同じように、自分で商品をレジに持って行くセルフサービス方式になっている。

すでにセルフになっているキヨスクは、早晩コンビニに転換することだろう。

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 セルフ方式のJR新札幌駅のキヨスク。

いままで身近にあったと思っていたものが、気づけば遠い存在となってしまっていたというものはたくさんある。
キヨスクもそんな存在になってしまった。

時代の流れといえばそれまでだが、やはり寂しくなる。

でもコンビニの方が便利なんだよね (^^;)

残り少なくなったキヨスク。私もせめて通りかかったときには、意識して買い物してみることにしよう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

posted by pupupukaya at 18/03/04 | Comment(0) | 北海道の駅

2006年ロシア極東旅行記13 帰国の日

 8日目 2006年7月16日

 ◆ ハバロフスク日曜の朝

一週間のロシア旅行も今日が最終日。飛行機の時刻は14時なので、昼近くまではゆっくりできる。

8時半ごろレストランに行って朝食。メニューは相変わらず4種類の中から選ぶ。めずらしく焼ニシンというのがあったので、それを指差して注文する。

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 朝食のテーブル。

出てきたものは、ナスとトマトの炒め物、スープ、そしてニシンである。

焼ニシンといってもソテーにしたもので、日本のような焼き魚ではなかった。
ロシアでは、魚を焼くと死体を焼く匂いがすると言って、大変嫌がるそうだ。

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 パン2種。バターとジャムが付く。

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 ナスとトマトの炒め物。

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 スープ。

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 ニシンのソテーとライス。醤油をかけたくなった。

一匹丸ごとのソテーをナイフとフォークで食べる。昔、家庭科の教科書に魚のナイフとフォークでの食べ方が載っていたっけ。
半身を食べ終わると、ペリペリと骨を剥がしてから反対側を食べる。

皿にはライスも添えてあって、これが今回旅行中で食べた中で一番まともなライスだった。

後ろのテーブルには、日本人の団体旅行のおっさん連中が座っていて、大声でしゃべりあっている。
団体旅行の添乗員が来て「今日は10時に出発しますのでそれまでは自由にお過ごしください」と説明していた。自由にしろと言われてもどこへも行きようがないので、食後もずっとテーブルでしゃべっているようだった。

部屋に戻って、帰る準備をする。荷物などは昨日のうちに整理して置いたので、今日はとくにすることもない。
11時ごろホテルを出ることにして、ホテル周辺を散策することにした。

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 ウチョース展望台とムラヴィヨフ・アムールの立像。

青空が広がって、日差しが照りつける。今日は暑くなりそうな感じだ。今までの中で一番良い天気である。

アムール川沿いの公園もこの時間はまだ人影は少なく、清掃員の姿をちらほらと見かけるだけ。
崖の上の展望台に立つと、海のように水をたたえたアムール川が眼下に広がり、その向こうには、建物ひとつない緑一色の平原が遥か彼方まで広がっている。

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 木材を積んだ貨物船が行く。

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 ウスペーニャ大聖堂。

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 トロリーバス。

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 広告車体のトロリーバスとレンガ積み建物が妙に似合う。

ムラヴィヨフアムールスキー通りもこの時間はまだ人通りが少ないので、明るく広々として見える。
通りの露店はどの店も開店の準備をしていた。

クワス売りが出ていたので、また1杯買い求める。冷たくて甘酸っぱくておいしい。

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 広々としたムラヴィヨフアムールスキー通り。

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 通りのキオスク。コーラの冷蔵庫は客が自由に取り出せる。

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 こんなキオスクがあちこちにある。

だんだん人通りが多くなってきた。日曜で天気なので、行楽でアムール川へ向かう人が多い。10時頃ホテルに戻る。


 ◆ ホテルチェックアウト、空港へ

10:45に8階のデジュールナヤにキーを渡してチェックアウトする。
係の女性は日本語で「さようなら」と言って笑った。一瞬おどろいたが「さようなら」と答えた。

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 3泊したホテル・インツーリスト。

バス停まで歩く。重たいバッグをかついで歩いていると日差しもきついので汗が吹き出てくる。バス停で待っていると、バスに乗る人が次々と集まってくる。

10分ほど待って、空港行き1番のトロリーバスが来た。
混んでいるので、一番後ろの所に立つ。立ちっぱなしだが、後方からの景色がよく見えるので特等席だ。

途中からも続々と乗り込んできて車内は大混雑してくる。

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 トロリーバスの後方から。

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 エヌケイシティの前を通る。

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 ハバロフスク空港。

トロリーバスは35分ほどで空港に着いた。バスが着いたところは国内線ターミナルの前なので、国際線ターミナルまで少し歩くことになる。


 ◆ ハバロフスク空港 14:10【H8307便】14:10 青森空港

国際線ターミナルに入ってすぐの所に手荷物検査があって、とりあえずそこを通る。
あまり広くないホールはたくさんの人がいて混雑している。チェックインやら、どこで行うのかさっぱり分からない。

出国ゲートの所に立っていた係の人に「アオモリ?」とチケットを見せながら言うと、腕時計を指差して何やら言う。まだと言うことらしい。インフォメーションの窓口に850Рと表示してあったので、空港税をここで払う。

なんだか不安なまま、時間だけが過ぎてゆく。

12:20頃放送があり、ハバロフスク・アオモリ…と聞き取れたので、青森行のチェックイン開始に間違いない。周りの人もゾロゾロと動き始めた。

入口のさっきの係の人にチケットとパスポートを見せると、「移民検査」と漢字で書かれた窓口へ行けと指差す。
そこで「税関申告書はありますか」と日本語で聞かれ、「ありません」と言うとそのまま通してくれる。

飛行機のチェックインをせずに中に入ってしまって良いのだろうか。そして荷物のX線検査、出国イミグレーションと流れ作業のように続く。

その次、ここでやっと飛行機のチェックインとなった。手荷物もここで預ける。日本とは逆だが、出国手続きが終わらないことには飛行機に乗れないわけで、理にはかなっている。

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 ダリアビア航空青森行のボーディングパス。

次が搭乗の手荷物検査。通ろうとすると「シューズ」と言われる。靴も脱いでX線に通す。金属探知のゲートをくぐって、ボディチェック。テロ対策なのか、厳重だ。

やっと終了で、広い待合室に放たれる。

待合室には、カフェや免税店もある。乗客はほとんどロシア人で、日本人の姿は見えない。
念願の日本旅行の出発ではしゃいでいる様子だった。カフェでは、さっそくビールを飲んでいる人たちもいる。広い待合室は大変な喧騒である。

免税店があったので、余ったルーブルとドルでウオッカを買った。

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 搭乗待合室はロシア人旅行者で賑わう。

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 国際線なので免税店もある。

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 どの飛行機に乗るのだろう。

13:30になって、バスが待合室の出口に横付けになると、待合室の人がバスに乗る。バスはすぐに満員になり発車する。
しばらくしてまた戻ってきた。空港では撮影禁止なので、カメラはもう出さない。

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 飛行機へ向かうバス。

飛行機の前でバスを降りる。係の人がチケットをもぎり、タラップの階段を登って機内へ。
座席はうれしいことに窓側、隣は日本人の男性だった。

機内の席は8割方が埋まった状態である。
ロシア人の乗客は、飛行機に乗ってもまだ賑やかだ。

乗る飛行機はTu-214というロシア製のジェット機である。
シートのモケットが破けたままになっていたり、やはりロシアである。

機内の放送はロシア語と日本語の2本立て。棒読みのような日本語がなんとなく可笑しい。

飛行機は定刻の14:10にハバロフスク空港を離陸した。
眼下には広大な緑色のツンドラ地帯やいっぱいに広がって網の目のようなアムール川が見える。
離陸してしばらくすると、雲がおおってしまって陸地は見えなくなった。

青森までの飛行時間は2時間。時差が2時間あるので、出発時刻と到着時刻が同じということになる。

水平飛行になると、ドリンクサービスになる。ジュースのほかにビールやワインもある。缶ビールを1つもらう。
ロシアのバルチカあたりが出るのかと思ったら、エフェスという缶ビールだった。あとで調べたらトルコのビールだった。

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 ビールはトルコのエフェスだった。

この便に乗っている日本人は、どうやらここの2人だけらしい。隣の人は山梨県から来たという。彼もやはり1人でロシアへ。ハバロフスクからさらに飛行機でヤクーツクという所まで行ってきたそうだ。

「何もない所でしたよ」と言っていたが、彼は彼なりに楽しんできたようだった。

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 出てきた機内食。

しばらくして機内食が配られる。「チキン?フィッシュ?」と聞かれ、「チキン」と答える。

渡されたのは、パンやサラダの入ったパックと、チキンとライスの入ったアルミ容器。ライスと骨付きローストチキンは熱かった。
隣の彼によると、機内食は前に乗った新潟便よりも青森便の方が良いとのこと。

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 ロシア製の機内食の中身。

ライス付きローストチキンのほかは、ミニトマトとスライスしたサラミだけ。
パン2個にケーキまであるので食べ応えはある。食べ終わると紅茶が出された。

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 外はずっと雲ばかりだった。

雲が途切れ、日本海の向こうに陸地が見える。

飛行機は高度を下げ、雲の中に突っ込む。
無線で誘導されているので視界ゼロでも安全だと分かっているが、ロシア機なので何となく恐怖感を感じる。

14:10、無事定刻に着陸する。機内は拍車の渦が巻き起こった。外は薄暗く、雨が降っている。

空港の入国審査はロシア人で大混雑。列はさっぱり進まない。
バスの発車時刻がせまってきて少し焦るが、14:30には到着ゲートを出ることが出来た。

出口の所に観光キャンペーンなのかミス青森が立っていて、りんごジュースを配っている。

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 青森空港ではミス青森が出迎え。

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 雨の青森空港。

青森駅行きのバスにはなんとか間に合う。バスの乗客は自分の他は、地元の見送りに来たらしい人が2人だけだった。

15:22発の函館行「白鳥15号」になんとか乗れそうだ。
青森駅でバスを降りると、大急ぎで駅に向かった。

< ロシア極東旅行記 完 >


 ◆ リメイク版あとがき

この旅行記は、元は閉鎖したホームページ版でアップしていましたが、このたびブログにて復活したものです。

画像は大型化し、文章は若干修正・加筆していますが、文章中に出て来るものは、すべて当時の名称や状況のままです。
この旅行記を参考にされる方は、最新ではないことにご注意ください。


このリメイク版を作成しながら当時の画像や文章を読むと、12年も前になる旅行の記憶が、つい先月のことのようによみがえってきました。
2010年にサハリンに行って以来、ずっと遠ざかっていたロシア語も、普通に覚えていたのも意外でした。
PCの中の当時のオリジナル画像を探し、文章をコピペしているうちに、また旅行の道中にいる気分になってしまいました。

この時の旅行で一番印象的だったのは、以前にサハリンに行ったときと比較して、市内が見違えるほどきれいになっていたこと。
この頃のロシアは、民主化前後の混乱期も終わって経済も安定しつつあった時期で、ようやく暮らしに余裕もできて社会主義からの脱却を図ろうとする風潮も出てきた頃だったのだと思います。
今はさらにきれいになって、モノも溢れるようになったことでしょう。

私は海外へは、今は基本ネットで全部自分で手配して行くようになりましたが、この当時はまだ、旅行会社のパックを利用していました。
ロシアに入国するには、個人で取得するにはあまりにも面倒なビザが要るというのが一番の理由でしたが、この状況は当時も今も大きく変わっていません。

ロシアもまた行きたいし、シベリア鉄道も乗ってみたいけれど、この面倒なビザさえなければねえ。
あと警官 (^^;

 最後までお読みいただきましてありがとうございました。


2006年ロシア極東旅行記12 ハバロフスクとアムール川

 ◆ 明るいアムール河畔

1時間ほど部屋で休んで、4時ごろにまた外に出る。

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 ホテル8階の部屋からの眺め。

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 部屋の窓からアムール川が見える。

ハバロフスクに着いてからずっとトラムにばかり乗っていて、観光らしいことはしていなかった。
せっかく天気も良くなったのだから、アムール河畔を散歩しよう。

インツーリストホテルは駅から遠いのが難点だが、場所はアムール河畔に近く、繁華街のムラヴィヨフアムールスキー通りも歩いて行ける。
ハバロフスクの観光施設はこのあたりに集中しているので、観光滞在には具合が良い。

ホテルを出て、5分くらい歩くとコムソモリスカヤ広場に出る。
ロシア風の教会があって、これがウスペーニャ大聖堂。

ここから河畔に下る階段があり、下りたところから見上げた大聖堂は絵になる風景だ

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 河畔に下る階段。

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 ウスペーニャ大聖堂から河畔へ下る階段。

河畔は文化と憩いの公園となっていて、多くの人でにぎわっている。
そういえば今日は土曜日だった。

市民の憩いの場といった感じ。
河原は砂浜になっていて、水着姿になって日光浴や水遊びをする人も多い。

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 文化と憩いの公園の賑わい。

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 遊覧船のりば。

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 アムール川を行く遊覧船。

アムール川の河畔に立つと、あまりにも大きいので川というよりも湖のように見える。
対岸までは1.5km。その向こうは無人の氾濫原が広がる。

貨物船や遊覧船が通ると、川岸に小さな波が立つ。

右側が下流。河口はここからまだ900kmも先にある。
左側の上流に20数kmもさかのぼれば、中国との国境である。

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 河原は水浴びや日光浴の人も見られる。

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 公園や通り名の由来となったムラヴィヨフ・アムールスキーの像。

公園の高台にはアムール川を見下ろすようにムラヴィヨフ・アムールスキーの像が立っている。この像はソ連時代後に復活したもので、以前はレーニンの像だったということである。
隣には展望台があって、そこへ登るとアムール川が一望できる。

とにかく広い。地平線の向こうにはうっすらとシベリアの山々が見える。
あらためて大陸だと思う。

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 ウチョース(絶壁)展望台。

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 展望台からの眺め。

遊覧船は乗らなかったし、博物館の類も入らなかったが、これで満足だ。

結局ほとんどトラムやバスに乗ってばかりだったが、ハバロフスクやロシアの生活や街の様子がわかって面白く、1日はあっという間だった。

2時間ほどぶらついて、またトロリーバスに乗ってエヌ・ケイ・シティで買い物をしてからホテルへ戻る。

おみやげにマトリョーシカが欲しかったのだが、街中では見当たらなかった。
ホテル1階の土産物屋に置いていたのでいくつか買った。

街中で買うよりだいぶ高そうだったが、ルーブルも使い切ってしまわなければならない。
店の人も日本語が若干話せるので、いくつか選んでもらう。

「ありがとう」とこちらが言うと、店の人が「おおきに、マタドーゾ」と言った。

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 ホテルのみやげ屋で買ったマトリョーシカたち。

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 ホテル8階のテラスから見るアムール川。

ホテルに戻って、シャワーを浴びる。なんだかここはロシアということを忘れそうだ。

昨日の残り物を冷蔵庫から出して、ビールを飲みながら夕食。
もう8時を過ぎているが、ようやく日が傾いてきたなというところで、まだ昼間のように明るい。

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 ロシアのビール。

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 今日の夕食。昨日の残り物ばかり。

そのあとは言葉のわからないテレビ番組を見ながらウオッカをチビチビ飲んでいた。
明日は帰国の日だが、11時ごろにホテルを出ればよいのでゆっくりできる。

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 ロシアで買ったもの。


 ◆ 夕暮れのアムール河畔

ふと外を見ると、外がまだ明るいことに気が付いた。
もう夜9時半である。

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 夕日に照らされた街並み。

部屋を出て、ロビーへ行ってみると、窓からアムール川に沈みかけた夕陽が美しく見えた。
なんだか部屋にいるのがもったいなく、外に出たくなった。

本当は夜の1人歩きはするべきではないが、まだ明るいし大丈夫だろう。

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 貨物船が行き交うアムール川と夕日。

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 夕暮れのアムール河畔。

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 夜10時になってもこの明るさ。

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 夕暮れのアムール川を行く遊覧船。

10時を過ぎても、まだまだ夕焼け空が明るい。公園は、まだ昼間のように人が歩いている。
あちこちにビアガーデンがあり、野外コンサートもやっていて大変にぎやかだ。

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 公園の門。

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 にぎやかな公園のビアガーデン。

遅すぎる夕暮れの街は、長い間冬に閉ざされていた人々の、短い夏をせいいっぱい謳歌してやろうという熱気で満ち溢れていた。

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 暗くなっても賑わいは続きそう。

少しずつ暗くなってはきたが、空はまだまだ明るい。
風も冷たくなってきたので、ホテルへ戻る。 

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 インツーリストホテル。

ホテルに戻ると、1階の朝食レストランから、バンド演奏と歓声が聞こえてくる。
ちょっと覗いてみると、朝とはちがってバーのようになっていた。

テーブルにはウオッカのビンが並び、演奏に合わせて踊る人もいて楽しそう。

ホテルの宿泊客ではなさそう。
ホテルのレストランも、夜には街の人のパブタイムとなっているようだった。

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 1階のレストランはバンド演奏もあって賑やかだった。


札幌駅の新幹線ホームについて考える

2016年3月に北海道新幹線が新青森から新函館北斗まで延伸開業してからまもなく2年。

函館や道南地方ではどうか知らないが、札幌あたりまで来ると、新幹線なんてまだまだ遠いところの乗り物というのが、札幌で暮らしている人の正直なところだ。

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 新函館北斗駅に停車中のE5系新幹線はやぶさ。筆者はまだ乗ったことがない。

たまにテレビのニュースや新聞記事で、工事中の北海道新幹線のことを取り上げている。
多くは、新幹線札幌駅の位置についてで、これも複数案あって、JR北、鉄道運輸機構、札幌市の思惑が一致せずなかなか決まらないようである。

なんでこんなにもめているのかというと、札幌駅高架開業後の、南口再開発の先見のなさということに尽きる。

今回はそんな札幌駅に新設される新幹線ホームについて考えてみたいと思います。

札幌駅が高架化されたのは1988年のことだ。
地平線の0番から9番まであったホームの北側に、新しい高架の駅が完成し、駅施設は全部そちらに移された。
最初は今の1・2番線が無く、代わりに11番線に鉄骨を組んだ仮設のホームが設けられていた。

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 1989年撮影の空中写真(国土地理院の空中写真から切り出し)

地平駅ホームだったところに新たに1・2番線ホームが増設されたのが1990年。
これによって、札幌高架駅のホームは5面10線の現在形で完成することとなる。

しかし、高架駅が完成しても、南口の旧駅は約10年間そのまま残っていた。
上階にはJR北海道の本社が残ったし、地下はステーションデパートが引き続き営業していた。
まだ、南口関連の再開発構想が未定だったこともある。

旧駅と新しい高架駅の間は2本の連絡通路で結ばれて、西側の通路には動く歩道も設置された。
ホームも順次撤去されて、間にできた空き地には市場ができたり、仮設ながらJRシアターが建てられたこともあった。

この頃、新幹線が札幌に来るなんてことは、ほぼ無しということになっていたと思う。
しかし、もし新幹線ができたらここにホームができるんだろうなと思わせていた。

実際、発寒中央〜札幌間の地平線路跡はそのまま新幹線用地として残されていたし。

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 1993年撮影の空中写真(国土地理院の空中写真から切り出し)

1995年にはJR北海道の本社が桑園の新社屋へ移転。
この頃から旧駅ビルの解体工事が始まっている。

1999年には撤去工事が終わり、地下にあった名店街とステーションデパートも全面改装して、アピアとしてオープンする。
この頃、とりあえず整備が終わった南口には、広大な空き地が発生することになった。

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 1999年12月の札幌駅南口広場。まだ駅ビルが建つ前。

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 1999年12月、南口の駅前通りから北口のビル群を望む。

そんなことも長くはなく、今度は新しい駅ビルの工事が始まった。

2003年にステラプレイスやJRタワーがオープンする。
これによって、再開発が進められていた札幌駅南口は、ひとまず完成することとなった。

それはいいのだが、この新しい駅ビルは、高架駅にぴったりと寄せて建てられたのだった。
新幹線のことはまったく考慮されていなかったのだ。

関係者からしてみれば駅前の1等地を、出来るのかどうかわからない新幹線用地に空けておくのはもったいないということだったのだろう。

当時でも一応は、現在の1・2番線を新幹線用に転用することで、札幌駅に新幹線を乗り入れさせるということだったようだが。

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 2008年撮影の空中写真(国土地理院の空中写真から切り出し)

しかしそんなことは可能なのだろうか。
問題なのは、この1・2番線が、新幹線が乗り入れることを全く想定していない設計だということ。

これは時系列で考えればわかる話。

1988年:札幌駅高架化。4面ホームと1面の仮設ホームで完成。
1990年:1・2番線の増設で札幌高架駅整備は完了。

  ・・この時点で南口地区の再開発は未確定・・

1998年:北海道新幹線のルートが正式に決定
1999年:南口旧駅舎の撤去が完了
2003年:新駅ビルが開業し一連の再開発事業が完了。
2012年:新幹線新函館〜札幌間認可

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 ※国鉄の工事史だか(本の名前忘れました)から

上の図面は、札幌駅の断面図である。これを見れば、1・2番線のホーム幅は9m、ホーム同士の間は6.97mとわかる。

両端のホーム幅が狭くなっているのは、これは優等列車は中央側のホームを使用し、端の方のホームは普通列車用としたことだろう。
実際そう運用されている。

さて、ここでさらなる大問題が出てくる。
それは新幹線の車体が在来線車両よりも大きいということである。

在来線車両の車幅は最大で3m。新幹線のは3.4mとなっている。
このことから、複線の軌道中心間隔(並んだ線路中心の間隔)は在来線が3.8m以上、新幹線が4.3m以上が必要になる。

上図を見ると、2番線と3番線との間は6.97mで、これはホームの縁と縁との間隔なので、ここから在来線車両の建築限界を引くと、並んだ線路の軌道中心間隔は3.82mとわかる。

では新幹線に必要な4.3mの間隔を確保するにはどうするか。
それはホーム幅を削るしかない。

幅9mしかないホームの両側を、単純計算だが25cmくらいずつ削らなければならない。

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上画像は現在使用されている2番ホーム。
3番ホームとの間は新幹線車両が入るには狭すぎる。

このホームの両側を削って、その上ホームドアを付ければ歩くところがなくなるので、階段を狭くするしかない。
新幹線ホームとしてはあまりにも情けないではないか。

新幹線ホームの1・2番線転用案をJRが頑なに拒否しているのは、在来線ホームが不足するからと訴えているが、本当はこのあたりからの事情かも知れない。

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上は1・2番ホームを下りた場所。
ここを新幹線のコンコースとするには狭すぎる。

左側の通路と、壁も撤去してステラプレイスの壁側まで広げるか。



そんなわけで2/21の道新朝刊の一面記事。


”北海道新幹線札幌駅のホーム位置問題について、札幌市が現札幌駅から200〜300メートル東に離れた「大東(おおひがし)案」を軸に検討する見通しとなった。
 〜中略〜
市は都心の再開発構想の見直しも視野に入れており、ホーム位置は大東案で最終決着する流れが強まっている。”
 (2018/2/21 北海道新聞,どうしん電子版 より引用)

ようやくホーム位置の決着がつきそうである。
現札幌駅を通り越して、東側の創成川をまたぐ位置に高架駅を設けるということだ。

新幹線に相応しい広さのコンコースと、十分な幅のホームが確保できそうなので、文句のないところだろう。

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 ※2018/2/21 北海道新聞朝刊より

これなら現在の1番線側に複線の新幹線を通しても、ホーム幅は半分になるが2番線はそのまま使用できそうだ。

問題点は、在来線や地下鉄南北線からの乗り換えが遠くなること。
また、現在の改札口から新幹線ホームに行くには、一旦ホームに上がって、更に高架ホームの上に設けられた跨線橋を渡ることになるので、距離もさることながら、面倒な昇り降りが何度も発生することになる。

何だか昔の青森駅の青函連絡船を思い出すね。

反面、西2丁目を通る東豊線のお株が一気に上がるだろうな。
札幌市電も、創成川通りのルートで札幌駅延伸が実現したりして。

以上、ド素人による考察でした。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。

posted by pupupukaya at 18/02/24 | Comment(0) | 北海道の駅

2006年ロシア極東旅行記11 ハバロフスクの街

 7日目 2006年7月15日

 ◆ ハバロフスクのトラム(市電)を完乗

8時過ぎ、1階のレストランに朝食へ。日本人の男性と相席になる。
ビジネスか、私のような1人旅かのように見えたが、彼はロシア人の彼女がいて、その両親に会うために昨日やってきた、と話した。
ハバロフスクは今回が2回目で、彼女が日本語を話すので自分はロシア語は分からないという。

今日はハバロフスク市内見物するのでどこか見所はないかと聞くと、市内に見るべきものなんか無いという。
はっきり言って同じ行くなら、ヨーロッパやディズニーランドへ行った方が良いと語った。

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 ホテルの朝食レストラン。

10時ごろホテルを出て、アムール川公園沿いの道を歩いてアムールスキー通りを中心部まで行こうと歩き出す。

しばらく行くと先の方に警官が見えた。三度の職質ですっかり警官恐怖症となってしまったので、やっぱりバスに乗ることにした。

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 ウスペーニャ大聖堂とコムソモリスカヤ広場。

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 坂道のシェフチェンコ通り。

1番の表示をつけたアフトーブス(バス)がきて、車掌が「ナバクザール(駅に行きます)」と言っていたので、乗る。
バスはセールィシェヴァ通りを走り、駅に着いた。

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 電車が待機するハバロフスク駅前。

今日は昨日乗り残した路線に乗ることにする。6番の電車の乗り場は他の系統の乗り場とは別の所にある。ホームがあるわけでもなく、電柱に系統番号と運転時間を表示した標識があるだけで、年配の乗客らしいひとが2人立っている。
表示は10分間隔となっているが、電車はなかなかやって来ない。20分くらい待ってやっと電車が来た。車内はがら空き。

発車してからしばらく専用軌道を走って道路の中央に出る。専用軌道から道路に出るところには信号も何もないのだが、電車が交差点に差しかかると車はすべて停止する。電車優先が徹底している。

道路の中央に出たとたん、歩いても変わらないくらいのスピードなのだが、脱線しそうなほど揺れるようになった。
反対側の線路を見ていると、レールは変形していたり、磨り減って異様に凹んでいたり、継ぎ目は大きくずれていたりで、よく脱線しないと感心するほどにガタガタのレールの上をソロソロと進む。
また道路も舗装されているが、ツギハギ穴ぼこだらけのデコボコ道で、渋滞している。


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 6番のトラム終点。何もない所にループ線だけがある。

シベリア鉄道の線路の下をくぐって、専用軌道になると電車はまたもとのスピードを取り戻した。終点は線路に沿った幹線道路の途中にあって何もない所。電車はぐるりとループ線を回って引き返していった。

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 ロシアっぽい街並み。

道路の方は車の通行も多く、バスが頻繁に走っている。次の電車はなかなか来ない。20分くらいして、やっと電車が来た。戻る電車もがら空きで、閑散路線のようである。

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 空いた車内。

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 5番のトラムが分岐する。

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 トラムのポイント。

次は駅前から5番の電車で北に向かう。車内は混んでいる。5番の路線は坂が多く、線路はアップダウンを繰り返す。
下り坂はブレーキをかけながらゆっくりと走り、上り坂は助走をつけて一気に登る感じ。
途中停留所では降りる人が多いが、乗ってくる人も多くて車内はなかなか空かない。

だいぶ郊外まできたあたりで、アムール川や鉄橋も見えた。
このあたりまでくると、車内もかなり空いてきた。駅から乗ること40分で終点に到着する。

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 5番のトラムの終点。

終点は、アパートが建ち並ぶ普通の住宅地で、停留所周辺を少し歩いてみたがここも特に何も無く、また中心部の方に戻る。一応これでハバロフスク市電は全て乗ったことになる。

駅に戻る電車の運転手はめずらしく男性だった。
電車の中では居眠りしてしまい、目が覚めるといつの間にか車内は大混雑。5番は市電の混雑路線らしい。

中央市場(ツェントラリヌィー・ルウィナク)停留所で降りる。
乗客もここで降りる人が多い。

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 中央市場前で電車を降りる。


 ◆ トラム乗り場とキオスク

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 キオスクが並ぶ中央市場前の停留所。

停留所のキオスク横にタンクのクワス売りが出ていたので、一杯買い求める。
冷たくて甘酸っぱくておいしい。
店によって味が異なるのがまた面白いところだ。

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 クワス売りに人が集まる。

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 炭酸入りでシュワシュワ泡立ったクワス。

中央市場からハバロフスク駅前まで歩く。
これは、電車の写真を撮りたかったから。

駅前から延びる通りはアムールスキー並木通りという幅広の道路になっている。中央は緑地帯というか、公園のようになっていて、トラムの線路はその中を通っている。

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 アムールスキー並木通りの緑の中を走る電車。

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 歩いていると電車が頻繁に行き交う。

またハバロフスク駅前に戻って来た。
トラムの系統はここ駅前を中心としているので、何となく駅前に着いてしまう。

駅前の市電乗り場には、キオスクが建ち並んでいて、その中の1軒の店に、肉を棒のように巻きつけて焼いたものを削って、千切りキャベツと混ぜてクレープに包んだものを売っていた。

「シャーウルマ」と言い、1個60Р。注文を受けてから作り始める。結構売れている。
市内あちこちでこの「シャーウルマ」を売っているのを見たので流行っているのだろうか。

どんなものかと1つ買ってみる。受け取ると結構デカイ。近くのタンク売りのクワスも買って、隅に座って食べる。

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 キオスクで買ったシャーウルマ。デカい!

中身の味付けはマヨネーズとソース、クレープ状の皮は硬くて、かじると中身がはみ出して食べづらい。
家に持って帰って食べるものなのかも知れない。味は、ロシア版お好み焼きのような感じがした。

駅前広場には妖しげな格好をした母子が数組いて、音楽をかけて踊っている。
その中の子供が、周りの人に金をせびっているが、相手にしていないようだ。自分の所にも物乞いの子供が来たが、追い払う。
1人に金を渡すと、全員が集まってきそうだったからだ。

もしかしたらあれはジプシーだったのだろうか。


 ◆ ムラヴィヨフ・アムールスキー通り

もうトラムに用はないので、一旦ホテルに戻ろうと、駅前のバス乗り場から4番のアフトーブス(バス)に乗る。

ところがしばらく行ってから反対方向だと気付いてあわてて降りる。仕方なく反対方向のバス停で待つが、4番のバスはなかなか来ない。
アムールスキー通りを走っていた見覚えのある21番のバスが来たのでこれに乗ると、なんとかレーニン広場まで戻ってこられた。
ここからムラヴィヨフ・アムールスキー通りをホテルまで歩く。

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 レーニン広場前の歩道橋。

ムラヴィヨフ・アムールスキー通りは、レーニン広場からアムール川手前のコムソモリスカヤ広場までの道路になる。
この通りの主役はトロリーバス。
日本では過去の乗り物だが、ここハバロフスクでは現役である。

またここは市内一の繁華街になっていて、人通りも多く市内で一番賑やかなところだ。。
整備された幅広の歩道や、新しい建物もすべて中世ヨーロッパ調で統一された通りは、明るく清楚な雰囲気となっている。

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 人出でにぎわうムラヴィヨフ・アムールスキー通り。

歩道の脇には、ホットドッグやクワス、マロージナエなどの露店が出ている。
マロージナエをかじりながら歩いている人も多い。

露店でホットドッグを1本買う。1本17Р。
ホットドッグを食べながらブラブラと歩く。

デパートや本屋などにも入ってみる。
今度はまた露店でマロージナエを買ってみた。バナナ味というのを指差してコーンに盛ってもらう。1個24Р。
しかしよく食うなあ。

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 道端のあちこちに出ているホットドッグ屋。

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 露店で買ったホットドッグ。ケチャップがたっぷりと。

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 市内の通りはアップダウンが激しい。

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 赤レンガ造りの建物。

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 マロージナエ(アイス)売りの露店も多い。

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 バナナ味のマロージナエ(アイス)。甘さも控えめでおいしい。

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 路上にテントを張ったカフェテラス。

すっかりハバロフスクっ子になった気分だ。
ツアー旅行ではこうはいくまい。

ホテルに戻り、ロビーの両替所で50ドル分をルーブルに換える。
土産物も買わねばならない。しばらく部屋で休んで、また外に出ることにする。


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