2006年沖縄旅行記3

前回の続き、渡名喜島の後編になります。

再びさっきの道に戻り、今度は東浜の方に下って行く。
山の斜面は草や背の低い木が地肌をおおっているだけで、所々に枯れた木立が目立つ。視界をさえぎるものは少ないので、道を歩きながら東浜の海が一望できる。
島の上空はジェット機の航空路となっているのか、飛行機雲が次々と現れては消えてゆく。

DSC04340.JPG
 下りの山道から浜を見下ろす。

DSC04358.JPG
 枯れた木立がよく目に付く。

DSC04346.JPG
 現れては消える飛行機雲。

下まで降りてきたが、村の集落以外には人家はまったく無く、荒地ばかりで最果て感も漂っている。
このあたりの風景だけは、真夏の北海道の原野を歩いているのと同じような感覚になる。

DSC04353.JPG
 どこか北方的な風景。

島の南側を一周して再び集落まで戻ってきた。相変わらず誰もいない。
潮がさらに引いて、東浜の海岸は干潟のようになっていた。ここは海水浴場になっているらしいが、泳いでいる人はいない。

DSC04370.JPG
 東(あがり)浜の風景。人もいなくて静かであった。

日向は暑いが木陰に入ると涼しい。干上がった浜を見ながら少し休憩する。
それにしてもフェリーで着いてから今まで人の姿をまったく見ていない。誰ともすれ違ってすらいないのだ。
島人は暑い日は外に出てこないのだろうか。

DSC04382.JPG
 木陰の椅子は島人の“指定席”なのだろうか。

東浜から美しい集落の道を歩き回って、15時少し前頃、再びフェリーターミナルに戻ってくる。
だいぶ雲が出てきて日が陰ってきた。

DSC04391.JPG
 フクギの木陰になった道は涼しい。

DSC04393.JPG
 汲み上げ井戸。島では水は貴重品だろう。

DSC04405.JPG
 軽トラックの消防車。

DSC04413.JPG
 渡名喜村役場。小さいが一応『村』だ。

DSC04438.JPG
 港の荷揚げ場。

DSC04439.JPG
 島に1箇所だけの信号機と横断歩道。車などほとんど通らないが。

フェリーターミナルは船を待っているらしい数人が所在無さげにしている。待合室の椅子に座っていると海からの風が吹き抜けて涼しい。
船に乗る人が1人また1人と集まってくる。
島に着いて以来、ここに戻って来て初めて人の姿を見たのだった。

DSC04430.JPG
 渡名喜島フェリーターミナル。

DSC04431.JPG
 待合所はクーラーなど無いが、海風が通り抜けて涼しい。

DSC04446.JPG
 乗船券うりば。

さっきまでの青空は姿を消し小雨が降り出してきたころ、那覇行のフェリーが水平線の向こうから姿を現し、ゆっくりとこちらに近づいて来る。たった1人で詰めているらしい職員が着岸作業のため出て行った。

フェリーが岸壁に接近すると、港の職員は走り回って船から投げられた係船索を拾って岸壁のフックに掛ける。
最後にこれも手作業でタラップを取り付けて乗船開始となった。

DSC04453.JPG
 久米島から来たフェリーがだんだん近づいてくる。

DSC04455.JPG
 岸壁の手前で方向を変える。

DSC04459.JPG
 岸壁側はただ1人らしい職員が着岸させる。

DSC04465.JPG
 タラップを据え付けて乗船開始。

ぐらぐらと揺れるタラップを渡って乗船。渡名喜からの客は十数人。船内には久米島からの先客がいるが、それでも船内は空いている。
客室内は冷房が効き過ぎて肌寒いくらいだった。

DSC04472.JPG
 見送り人もなく渡名喜島を出港する。

15時45分、船は定刻に渡名喜港を出港する。小雨の中、見送る人もなく淋しい出港風景だった。

DSC04177.JPG
 船内にあるオリオンビールの自販機。

那覇までは再び2時間15分の船旅なので、自販機でオリオンビールの発泡酒を買って飲む。
キンキンにまでよく冷やされた発泡酒が身体に染み渡るようだ。飲むと体が冷え切ってしまった。歩き疲れてそのまま眠ってしまった。

DSC04475.JPG
 オリオンビールの発泡酒はキンキンに冷えていた。

渡名喜島は那覇からフェリーでわずか2時間。週末ならば日帰りで行ける島なのだが、あまり存在は知られていない。
沖縄旅行ブームにあっても、観光でこの島を訪れるひとも少ないようで、沖縄のガイドブックからも完全に無視されている(注、2006年現在)。

島には民宿と商店があるだけでコンビニもレンタカーもレンタサイクルすらも無く、積極的に観光客を受け入れているようでもないので、沖縄に観光しにきた人がこの島に行っても、多分つまらない所だろう。でも、観光地嫌いな人や、昔ながらの沖縄を満喫したい人は渡名喜島に行けばよい。ここには沖縄伝統の家々や、美しい島の風景がある。

DSC04495.JPG
 那覇港に着く。タクシーの列が出迎える。

フェリーが那覇泊港に入るころ、雨は上がっていた。17時50分、定刻より若干早めに着岸。
久米商船の岸壁には出迎えの車や客待ちのタクシーが列をなしている。
1日島にいて那覇に戻ってきたら、外国から日本に帰ってきたような気分であった。

DSC04502.JPG
 再び国際通り。大都会にやってきたような気分だ。

とまりんから歩いて国際通りへ出る。
少し前まで渡名喜島にいたのが夢でも見ていたかのような気分だ。人も車も多いし騒がしいこと・・・

DSC04508.JPG
 牧志第一公設市場。

夕食はどうしたものかとまた昨日と同じ牧志公設市場に行ってみる。市場の2階は食堂になっているのだが、やたらと客の呼び込みをしているのと、前にも来たことはあるのでやめる。
牧志公設市場も最近は札幌の二条市場のように観光地化してきたように感じる。

DSC04509.JPG
 牧志第一公設市場の様子。

1人旅をしていて困ることのひとつに食事があって、1人ではどうも店に入りづらい。居酒屋も1人は苦手だ。 

市場の惣菜屋の前で、なにか買って旅館で食べようかと考えていると、店のおばちゃんがおでんの丼をすすめてくれるので1つ買うことにした。それと、沖縄らしさに惹かれてパパイヤのチャンブル、グルグンという魚の唐揚げも買う。850円だがおまけで800円でいいという。
おまけで店の人が『キンチャク』と呼ぶ揚げパンのようなものをくれた。こんなに食べられるだろうか。

次は酒を買ってから旅館に戻ろうとすると、おばちゃんたちが後ろから「ニイニイ」と呼ぶ。さっきの惣菜屋の前でショルダーバックに提げていた帽子を落としていたのだった。

途中で泡盛を買って、旅館に戻る。市場で買った惣菜を並べて部屋で1人酒盛りとなる。

DSC04511.JPG
 市場の総菜屋で買ってきたおかず。

DSC04518.JPG
 ゴロンと塊が入るおでん。

◆市場で買った惣菜あれこれ◆

“パパイヤチャンブルー”
パパイヤを細切りにして厚揚げやニンジンと炒めたもの。塩味でパパイヤの甘みはうっすらと。

“おでん”
テビチが3つごろんと入る。他は厚揚げ、キャベツ、ニンジン、結び昆布、コンニャク、大根といった陣容。昆布だしの汁はテビチからコクとコラーゲンが溶け出してトロッとしている。

“グルグンの唐揚げ”
沖縄の県魚を唐揚げにした物。塩味、身は淡白。小骨がカタい。

“キンチャク”
店の人の説明によると、財布をかたどったもので、結婚式の引き出物にもなるという。具は入っていない塩味の揚げパンといったところ。

DSC04517.JPG
 沖縄料理には泡盛が合う。

明日は早起きの必要がないので、沖縄料理と泡盛をじっくりと堪能する。泡盛は30度だが、淡泊な味付けの総菜に泡盛のきつい匂いが妙に合う。
すっかり泡盛が好きになってしまった。

4へつづく

タグ:沖縄
posted by pupupukaya at 20/05/09 | Comment(0) | 2006年の旅行記(リメイク版)

2006年沖縄旅行記2

2006年5月13日(土)

今日も朝から天気が良い。7時半に旅館を出る。
朝から日差しが強く、歩いていると汗が出てくるほどだ。

途中の久茂地川の上には、こいのぼりがたくさん吊るされていた。その上をモノレールが通過して行く。

ここから、離島フェリーの発着する泊港までは国道58号線を歩いて10分ほど。フェリーターミナルは『とまりん』といって、ショッピングやホテルなどが入る複合施設となっていて、港にむかってそびえ立っている。

DSC04099.JPG
 こいのぼりがたくさん吊るされた久茂地川。

沖縄まで行ったならば、那覇市内だけではなく、離島へも行って見たい。本当は宮古島や石垣島の方に行きたかったのだが、日程や予算の都合でそこまでは行けない。那覇から日帰りで行ける本島周辺の離島へ行こうと朝早くから出てきたわけである。

東シナ海の中に、慶良間列島、粟国島、久米島、渡名喜島といった島々があるが、今向かおうとしているのは渡名喜(となき)島という那覇の沖合58kmほどにある、さんご礁の離島である。金曜と土曜に限って那覇からこの島へ日帰りのできるダイヤが組まれる。

とまりん1Fの久米商船の窓口で渡名喜島までの往復乗船券を買う。待合所の売店もすでに開いていて、のぞいてみると弁当も積んであったので、350円の弁当とさんぴん茶、それにサーターアンダギーを一袋買う。弁当を買うとなぜか茹で玉子を一個サービスしてくれた。 

DSC04499.JPG
 フェリー待合室の売店。

DSC04218.JPG
 那覇から渡名喜島への往復乗船券(4,010円)。

DSC04118.JPG
 久米島行のフェリー『ニューくめしま』。

港の先には久米島行きのフェリー『ニューくめしま』がいた。タラップの前で乗船券を渡して船に乗り込む。客室は飛行機のような座席が並んでいて、こちらは定員61名。ほかに、桟敷席や甲板にもベンチが並べられている。桟敷席は人気があってすでにふさがっていた。

DSC04121.JPG
 船上から見たフェリーターミナルとまりん。

船内の座席の座り、とりあえずさっき買った朝食の弁当を開く。
350円の弁当はスパムとメンチカツ、卵焼、沖縄ソバの焼そば、サバの照焼などのおかずがご飯の上に直接並べられている沖縄スタイルで、なかなかボリュームがある。

弁当を食べ終わったころ、出港となった。時刻は8時30分。渡名喜島までは2時間15分の船旅が始まる。

DSC04217.JPG
 港の売店で買った弁当とサーターアンダギー。

DSC04216.JPG
 どんぶりスタイルが沖縄の弁当。

DSC04125.JPG
 デッキから見た乗船タラップと見送りの人。

デッキに出ると、日差しは強いが海風が涼しい。
船は徐々に岸壁から遠ざかってゆく。澄んだ青空とまさにマリンブルーの海。しばらくすると右側に無人島がいくつか見えてくる。双眼鏡で見ると船着場なんかも見える。那覇から近いこれらの島は、那覇から日帰りツアーもあるようだ。

DSC04139.JPG
 青空に映える信号旗。

DSC04214.JPG
 船内の様子。

海は波もなく穏やかなのだが、小さい船のせいかわりと揺れる。船内の乗船客は、ぐったりと横になる人と、甲板で元気にしている人との二手に別れている。お年寄りの方が元気は良いようだ。

左手には海から突き出たような荒々しい慶良間諸島が続く。

DSC04210.JPG
 たまには船旅もいいものだ。

DSC04208.JPG
 慶良間列島を見ながら船は進む。

DSC04222.JPG
 甲板にも座席が並ぶ。海風が心地よい。

DSC04226.JPG
 渡名喜島がだんだん近づいてくる。

南の海風に吹かれながら島を眺めたり写真を撮ったりしながらの船旅は楽しく、あっという間に2時間は過ぎた。目的の渡名喜島がだんだんと近づいてくる。

渡名喜島はさんご礁の島で、島を取り囲むように浅瀬が続いている。港までの船が通るところだけ深くなっていて、船はそこを慎重に進む。 

DSC04230.JPG
 フェリーは渡名喜港に寄港する。

渡名喜島で下船する人は20人ほど。見ただけではよく分からないが地元の人が多いようだ。
渡名喜は空港が無く、那覇からの便は1日1回この船のみ。港には那覇からの荷物を受け取りにきた車や客を迎えに来た民宿の車が待ちうけている。

ぐらぐらと揺れるタラップを渡って、下船する。すぐ前にはフェリーターミナルの建物があるが、ほかには何も無い。客を降ろしたフェリーはしばらくすると久米島へ向かって出港していった。 

DSC04235.JPG
 渡名喜港の下船風景。

海の上は涼しかったが、陸地にあがると暑い、日光が刺すように照りつける。

フェリーターミナルの近くには村役場があるだけで、ほかには商店も食堂も何もない。港の前の道路に横断歩道と押しボタン式の信号機があって、船上から見るとそれらしい町のように見えるが、車などほとんど通ることはない。

渡名喜島の2万5千分の1地形図をプリントして持ってきたので、それを片手にとりあえず歩き出す。

DSC04266.JPG
 村内はフク木の垣根と白砂の道が続く。

さて、どこへ行こうか。とりあえず島の反対側の浜まで行ってみようと歩き出す。集落の道は白砂が敷き詰められていて、道の両脇にはフク木の高い垣根が続いている。緑濃いフク木の間から赤瓦屋根の古い民家、そして澄んだ青空。
この集落は国の重要伝統的建造物保存地区に選定されている。

ああ、まぎれもなくここは沖縄の離島だ。
念願がかなってただただ感激である。

掃き清められた白砂の道は歩く人もいなく静まりかえっている。背の高いフク木に囲まれて木陰になっている道は涼しい。

DSC04242.JPG
 背の高いフク木に囲まれた古い家並。

木陰の道を抜けて港と反対側の東(あがり)浜に出る。ここもやはり人影は無い。白砂の海岸は引き潮で、沖の防波堤のところまで干上がっていた。 

DSC04263.JPG
 島内あちこちに『ハブに注意』の看板が。

東浜近くから山を登る階段があり、上にはあずま屋らしいものが見えたので階段を登ってみる。階段を登って山の中腹あたりにさっき見えたあずま屋があり、ちょっとした展望台になっていた。
ここから、濃い緑のフク木に囲まれた島の集落がほぼ一望できる。あずま屋のテーブルにはこんな一文が・・・

“夕日に向いて
 この丘から
 一人の愛を
 誓い 祈れば
 必ず 願いは
 かなう”

マリンブルーの海も美しいが、ここから見える夕日はさぞかし美しいのだろう。

DSC04249.JPG

 あずま屋から島の集落を見る。

階段はさらに上まで続いていて、NTTのアンテナの横を通り一番上まで登ると小さな祠があった。看板には『渡名喜里遺跡』とある。
゛「里殿」「ヌル殿内」の拝殿があり、島内随一の信仰地であります″と説明文があり、古くから島の神聖な場所のようだ。
よく分からないがとりあえずお参りしておく。ちなみにこの場所は、国土地理院の地形図ではなぜか神社の記号で載っている。

DSC04253.JPG
 里遺跡の祠。

DSC04251.JPG
 東(あがり)浜を見下ろす。

山を下ってまた集落の道を歩く。

DSC04271.JPG
 集落はどこも絵になるような風景。 

DSC04264.JPG
 門柱のシーサー。

11時半過ぎ、またフェリー乗り場まで戻ってきてしまった。
昔ながらの沖縄の離島風景に感激したが、どこか行く当てがあるわけではない。
帰りの船は15時45分発、まだまだ時間はたっぷりとある。
地図を見ると、島の南側にある山道を辿ると島を1周してこられるようだ。せっかくだから歩いて行ってみよう。

今度は西側の海岸にある道路を歩く。
集落を抜け、港を過ぎると道路は岩肌が露出した荒々しい山裾に沿って道路が続いている。眼に入るのはコンクリートの道路と白い石灰岩の山肌、干上がった海岸ばかり。
日を遮るものは何も無く、とにかく暑い。
そびえ立つゴミ焼却場の前を過ぎたあたりからきれいな砂浜が広がる。海岸の岩に腰かけて一休み。海岸には人っ子一人いない。
足元の白砂はサンゴのかけららしいものが一杯。波は穏やかだが、すこし沖のサンゴ礁から外海になるあたりは白波が立っていた。

DSC04277.JPG
 引き潮で干上がった海岸。

DSC04285.JPG
 白砂が美しい呼子(ユブク)浜の海岸。

海岸沿いの道が途切れるあたりから今度は山道を登ってゆく。クネクネと曲がりくねる細い舗装道路を登って行くと、山の上に展望台があったのでそこでまた休憩する。
いやはやまったく暑い。

DSC04330.JPG
 渡名喜園地の展望台。

展望台は三面海に囲まれて眺めが素晴らしかった。

那覇で買ってきた生ぬるいさんぴん茶を飲みながらサーターアンダギーをほうばる。
ほかに誰もいない展望台のベンチに腰かけて、どこまでも青い海と遠い島影を見ていると、一国の王様になったような気分になってきた。

DSC04312.JPG
 展望台には望遠鏡(無料)もある。

DSC04304.JPG
 沖合にぽっかりと浮かぶ無人島の入砂島。

DSC04329.JPG
 北側は荒々しい風景。

海を眺めながらボーっとしていた。屋根の日陰に腰かけて風に吹かれているといつの間にか汗が乾いていた。フェリーの時間さえ気にしなければ日暮れまでずっと居たいくらいここが気に入ってしまった。

今度は島の東側の方へ出発する。
展望台を出るとき、壁面にこんな一文を見つけた。

”この島の山や海 そして集落風致には
 沢山の数々の思い出がある
   寄る年並みに 里心 増さてィ
   眺めてィん 飽きらん 我が生まり島
   変わるなよ 姿 幾代までィん 

       幾世代にも渡たり そこに住み 働き
        支え合っている 村民が大きく
         躍動することを祈り 願います”



タグ:沖縄
posted by pupupukaya at 20/05/09 | Comment(0) | 2006年の旅行記(リメイク版)

2006年沖縄旅行記1

2006年5月に今年こそは沖縄に行こうと3月に航空券を買っていました。
なぜ5月だったかといいますと、当時はバースデー割引といい、誕生日の前後各7日間に使用できるチケットがあったからで、これも当時は札幌〜那覇間に直行便があり、片道13,300円、往復で26,600円は破格の安さでした。
これに安宿に宿泊すれば2泊3日で3万3千円弱となるわけで、これが沖縄行きを決めました。

以下の旅行記は2006年5月に旧ホームページ(閉鎖)版でアップしていたものですが、今回リメイク版として復活したものになります。

沖縄行航空券.jpg
 バースデー割引の航空券。


2006年5月12日(金)

札幌は5月に入ってようやく桜が開花したが、まだまだ肌寒い。そんな北海道の新千歳空港から3時間25分の空の旅となる。

DSC03882.JPG
 新千歳空港ビルの屋上から。

DSC03909.JPG
 函館上空を通過。

DSC04088.JPG
 機内サービスのお茶と気圧差でパンパンに膨らんだソイジョイ。

那覇空港に降りたったのは14時15分である。飛行機から降りるとムワッとした空気が身体を包む。沖縄はすでに夏のようだった。

私が沖縄に来たのは今回が2回目。前回は3年前の2003年、やはり5月に来ており、そのときは沖縄は梅雨入りで毎日雨が続き肌寒いくらいだったが、今回は良い天気に恵まれそうだ。

DSC04569.JPG
 沖縄那覇空港に到着。

空港の2階コンコースから、ゆいレールの那覇空港駅まで屋根つきの通路で結ばれていて、空港ビルの目の前に駅が見える。那覇空港駅のコンコースはあまり広くなく、自動券売機と自動改札機が数台並んでいて、改札口兼用の窓口が1つ。売店もなく、なんだか素気ない作りだ。日本最西端の駅のモニュメントがある。

DSC03948.JPG
 那覇空港駅からゆいレールに乗る。

さっそく、600円の1日乗車券を買って、2両編成のモノレールに乗る。車内は座席が埋まって立ち客が数人いる程度。立ち客は眺めの良い車両前方にかたまっている。

レールは高い所に敷かれていて、また起伏も多いのでジェットコースターにでも乗っているかの様にも思える。でもすぐに慣れて気にならなくなった。車内の自動放送では、駅に着く前の案内放送で、沖縄らしい音楽が流れる。 

前回沖縄に来た時は、モノレールはまだ工事中で、交通機関はバスしかなかった。連日の雨と愛想の悪いバスの運転手に腹を立て、ロクな思い出の無い旅であった。今回は沖縄のモノレールに乗るというのが第一の目的であるので、とりあえず念願は叶った。

まず、食事をしようと旭橋駅で降りる。日差しの強いこと。道路を歩いていると汗が拭き出てくる。10分ほど歩いて那覇港ターミナルの前に目的の店はあった。
店の中に入るとさすがにクーラーが効いている。時刻は3時近くだが、店内は混んでいた。

DSC03952.JPG
 那覇港向かいの食堂。テビチならここ。

この店の名物らしい『てびちそば』を食べる。テビチとは骨付きの豚足を柔らかく煮込んだもので、ねっとりとしたゼラチン質のかたまりである。でかいテビチのかたまりが沖縄そばの上に4つも入っていて、その下から麺をほじくり出してすする。

沖縄のそばは豚骨とカツオだしのスープと太い縮れた麺が沖縄独特のもので、ラーメンとも少し違う。沖縄へ来たら、まずこの沖縄そばを食べなければ始まらない。おいしくて、汁まで全部のんですっかり満足する。

DSC04085.JPG
 テビチが山盛のてびちそば。

店の外に出ると暑い。また汗をかきながら旭橋駅へ行き、モノレールに乗る。とりあえず旅館に荷物を置いてから市内を回ることにする。宿は見栄橋駅の近くにあるのだが、間違えて牧志駅で降りてしまった。牧志駅はモノレールと国際通りが交差するところにあり、場所は分かるのでここから歩いて旅館に向かう。

DSC03953.JPG
 旭橋駅に近づいてくる電車。

旅館は国際通りや牧志公設市場のほか、美栄橋駅や泊港に近く、便利な場所にある。部屋は和室だった。風呂とトイレは共同だが、1泊3,150円。1人旅ならばこれで十分だ。
荷物を置いて、Tシャツ1枚になり、また外に出る。

DSC04557.JPG
 2泊したなるみ旅館。旅館の人は親切であった。

3年ぶりに国際通りを歩く。那覇の中心街と言って良く、多くの人で賑わっている。3年前は常に渋滞して、バスに乗っていたら歩いた方が早いくらいだったが、モノレールが出来たせいかはわからないが、幾分渋滞も緩和された様子。 

DSC03966.JPG
 那覇で一番賑やかな国際通り。

DSC03956.JPG
 国際通りを行くパレード。

今度はモノレールに乗って壷川へ。壷川駅近くの公園には、戦前に走っていた沖縄県営鉄道のレールが保存されているのを知っていたが、実際に見て見たい。

駅から歩いて行くと、団地の中に公園があり、機関車がおいてあった。機関車とレールは残念ながら20年位前に南大東島で走っていたのを持ってきた物で、戦前のものではない。機関車の乗っている線路と平行して、団地工事の際に出土したという戦前の軽便鉄道の線路があるはずだが、持ち去られたのか影も形もなかった。

DSC03968.JPG
 壷川東公園に保存されている機関車とレール。

DSC03975.JPG
 機関車の中にも入れるが、荒れ果てている。

公園からまた駅の方に戻ると国場川という大きな川があって、モノレールは川の上を走っている。沖縄ではめずらしく広々とした眺めとなっている。

DSC03989.JPG
 壷川駅。ゆいレールの駅はどこも同じ形。

DSC03991.JPG
 壷川駅近くの漁港。

DSC03998.JPG
 国場川の上を行く2両のゆいレール。

DSC04000.JPG
 下から見上げると迫力がある。

国場川の上のモノレールに沿って道を歩いて行くと漫湖公園という所に出る。漫湖とは国場川の河口近くの湿地帯で、ラムサール条約にも登録されている。

漫湖は、この言葉は日本国内、特に東日本では禁句とされているのだが、ここはありのままに読む。漫湖の岸は漫湖公園となっている。噴水や運動場がある街中のごく普通の公園である。

DSC04002.JPG
 漫湖公園の標識。

DSC04012.JPG
 漫湖の広々とした風景。

ずっと汗をかきながら歩いてきて、のどが渇いたので、公園の自販機で『さんぴん茶』のボトルを買う。沖縄でどこでも売っているのがこのお茶で、中身はジャスミン茶なのだが、ひと口飲んで驚いた。よく冷えたさんぴん茶を一口飲むと、ジャスミンの香りと甘みがほのかに効いて、渇いた身体に浸みて行く。沖縄の暑い中で飲む冷たいさんぴん茶がこれほどうまいとは思わなかった。

DSC04021.JPG
 漫湖沿いはジョギングコースになっている。

漫湖公園から那覇大橋を渡って奥野山公園駅へ。今度は首里に行ってみる。

首里行きの電車に乗ると、前方の見える一番前の席が空いていたのでそこに座る。運転席との仕切りはガラス張りになっている。モノレールの軌道は地上からかなり高い所にあるので、眺めは大変良い。川や道路の上を飛ぶように電車は走って行く。
電車はワンマン運転なので、電車の運転からドアの開け閉め、ホームの放送まで運転士はたいへん忙しそうだ。

DSC04026.JPG
 奥野山公園から再びモノレールに乗る。

DSC04041.JPG
 車内の前面からの眺め。

奥野山公園から20分ほどで終点首里に着く。首里駅から首里城までは結構離れていて、歩いて20分ほどかかる。首里城入口に着いたときは、もう日没も近くなっていた。首里城は前に中を見物したことがあるので、今回は守礼門だけ見てまた駅に戻る。

DSC04052.JPG
 夕陽に映える赤い守礼門。

DSC04051.JPG
 守礼門と夕焼け。

DSC04056.JPG
 ビジターセンターにある首里のジオラマ。

地図をみると守礼門からは首里駅よりも儀保駅のほうが若干近いようで、地図を見ながら細い道を儀保駅まで歩く。
儀保駅からまたモノレールに乗り、国際通りの牧志駅で降りる。すっかり日は暮れて暗くなっていた。

DSC04065.JPG
 夜遅くまで人通りの多い国際通り。

夕食はどうしようか。昼に食べたテビチそばがまだ腹に残っているので、軽い物でいい。
考えながら国際通りを歩いて、牧志公設市場まで来た。もう8時近いが、市場はまだ開いていた。

なにか食べるものを買って宿に戻ろうかと、市場の中をあれこれ見ていると、店のおばちゃんに呼び止められて島ラッキョウを味見させられる。うまいので酒のつまみにしようと塩漬けとキムチ風の島ラッキョウ、それにミミガー(豚の耳)の和え物もあったので、3つパックに詰めてくれるように頼む。1,200円だが1,000円に負けてくれた。「サービスだよ」と言って多めに詰めてくれた。こんなに食べきれるだろうか。帰り道にコンビニでオリオンビールを買って旅館に戻った。

DSC04079.JPG
 市場で買ってきた島らっきょうとミミガーのあえもの。

DSC04076.JPG
 市場通りの丸市ミートで買った弁当。

DSC04077.JPG
 オリオンビールと発泡酒いろいろ。

午後に着いてからずいぶんとあちこち回れたものだ。3年前だったら国際通りを歩いて首里城まで往復するのが関の山だったろう。あらためてモノレールができて便利になったものだと実感した。

天気予報を見ると明日も好天に恵まれるようで、予定通り念願だった島へ日帰りで往復する予定だ。


posted by pupupukaya at 20/05/09 | Comment(0) | 2006年の旅行記(リメイク版)

2010年急行はまなすと青森の私鉄探訪3

2010年4月10日(土)

昨夜は飲み過ぎて二日酔い気味だが、今日の目的は三沢から十和田観光電鉄に乗るだけなので、遅めにチェックアウトした。
10:11発の八戸行普通列車で出発する。

私が前回この私鉄に乗ったのは1996年12月のことだった。
あのときは青春18きっぷを使用して、快速『ミッドナイト』から乗り継いで行ったものだ。

観光と名のつく路線名に観光地を連想するが、名前とは逆に沿線に観光するような所は無いようである。
この電車に乗っても十和田湖には行けない。
もともとこの鉄道は、戦前は馬産地だった十和田から農耕馬や軍馬を輸送するのが目的で開通したもので、戦後は十和田湖観光に取り組むことになり、社名を十和田鉄道から今の十和田観光電鉄に改めた経緯がある。

三沢と十和田市を結ぶ僅か15kmのローカル鉄道だが、電化されているのは立派なことだ。そんな健気な私鉄にもう一度乗りたいとこうしてやって来たわけである。今回の旅行の一番の目的がこの十和田観光電鉄だった。

P4100001.JPG

JR三沢駅の横にある十和田観光電鉄の三沢駅に入ると一気に昭和時代にタイムスリップしたような気になる。
駅前広場が整備されているせいか、場末の飲み屋ビルという気がしないでもない。

P4100146.JPG

反対側から見た駅舎。
青森県の私鉄の駅はJR駅と同居のものが多いが、ここは改札の外も中も別々の駅になっている。

P4100002.JPG

細長く奥行きのある駅舎内は駅そばもあった。これはまた戻ってきたら寄ることにする。

P4100006.JPG

きっぷ売り場。窓口と券売機がある。
券売機が2台もあるので、乗車券はそちらでかと思ったら、窓口の方では硬券を販売していた。

DSCN7273.JPG

窓口で記念に買った乗車券と入場券。

P4100010.JPG

十和田観光電鉄の電車は弘南鉄道と同様の東急からの譲渡車。
弘南鉄道と違うのは、こちらは冷房付き。
大手私鉄から余剰車が来るのは鉄道会社にとっては渡りに船だが、全国どこも同じような電車ばかりになり、旅行者にとってはつまらなくなる。

P4100012.JPG

車体に表示の行先表示。
基本的にこれ以外の区間運転がないためかでネジで固定してある。

P4100015.JPG

土曜日とあってか車内は閑散としていた。
乗客は終点に向かうにつれ若干増えたが、部活動へ行くと思しき高校生ばかりだった。
路線には三農校前、北里大学前、工業高校前と学校の名がつく駅が3つもあるので、普段は通学路線なのだろう。

P4100082.JPG

つり革は東急電車時代のBunkamuraの広告がそのまま。

P4100076.JPG

終点の十和田市駅は1面1線だけの素っ気ないホームだった。
国鉄時代と同じ型の駅名標があるが、字体は微妙に異なるあたりが私鉄っぽい。

P4100063.JPG

線路終端から。
商業施設内に設けられた駅から道路と川を跨いだ跨道橋でホームと結んでいる。
カーブの先に車止めがあるが、昔はこの先に旧駅があったようだが、今は郊外型の広い駐車場に店舗が並ぶショッピングセンターになっている。

P4100067.JPG

道路から見た十和田市駅ホーム。

P4100070.JPG

十和田市駅の駅ビルは以前に来たときはダイエーがあって賑わっていたのだが、今は撤退してしまった。後に新たに入るテナントもなかったようで空きビルになっていた。店舗へつづいていた通路もシャッターでふさがれ無残な姿だ。
1階はバスターミナルになっているので、人が集まるところではあるようだ。1階の立ち食いそば屋も繁盛している。
しかし2階の電車駅は電車が発車してしまうと人がいなくなりひっそりとする。

P4100071.JPG

きっぷ売り場。
三沢駅と同じ型の券売機が2台。

P4100080.JPG

十和田市駅の券売機で買った乗車券。
券売機のボタンは金額ではなく駅名が表示されていて、乗車券の行先も○○円区間ではなく行先の駅名表示となっている。
改札口ではいまだに改札鋏が健在だった。

P4100078.JPG

ワンマン運転用に運賃表示器と運賃箱が設けられた妻面。

P4100098.JPG

七百駅は車両基地も併設された十和田観光電鉄の拠点。ここで十和田市行電車と交換する。
構内には旧形電車と電気機関車が留置されていたが、出番はあるのだろうか。
この鉄道にはかつて元定山渓鉄道の電車が走っていたが、東急電車の中古が譲渡されたときに廃車、解体されたようだ。

P4100125.JPG

小牧温泉の脇を通って三沢駅に着く。

P4100130.JPG

終点三沢着。ここと十和田市駅だけは駅員がいて改札口で集札する。

P4100149.JPG

三沢駅の生そばコーナーで食べたスペシャルそば(390円)。
山菜、天ぷら、玉子入り。

P4100150.JPG


橋上駅のJR三沢駅。
十和田観光電鉄から来ると都会的だが無機質な感じもする。

P4100161.JPG

三沢からは八戸〜大湊間を運航する快速『しもきた』。これで大湊線を往復してから青森に戻ることにする。
真直ぐ青森へ戻っても明るいうちに着いてしまう。
今夜青森発の急行『はまなす』まで、列車に乗って時間をつぶす。
ここから特急を乗り継げば今日のうちには札幌に戻れるのだが、北東パス利用では『はまなす』を待つしかない。

三沢から乗った車内は意外と混んでいて、終点の大湊までずっと立ちっぱなしだった。
網棚には旅行鞄やスーツケースが並んでいたので、下北半島の人にとっては東北新幹線の『はやて』号に接続する便利な列車なのだろう。

P4100175.JPG

終点の大湊駅は堂々とした構えだった。やっぱり旧国鉄の駅は立派だなあ。
大湊から折り返し野辺地行となった列車はがら空きだった。

P4100205.JPG

大湊線からの陸奥湾。
朝の上り『はまなす』からとは反対方向から見る格好となる。
野辺地に着くころにはすっかり暗くなっていた。

P4100214.JPG

18:45に青森に着いて22:10入線の『はまなす』を待つ3時間以上の間どこで何をしていたのか全く覚えていないが、どこかで過ごしてはいたようだ。
上画像は青森駅で発車を待つ『はまなす』。大湊線内からここまで1枚も撮影していなかった。

P4100218.JPG

青森発の『はまなす』自由席も1両あたり10人もいないんじゃないかという程ガラガラだった。
札幌からの青森往復割引きっぷB寝台を利用できるし、それ以外でも510円追加すればドリームカーやカーペットカーにグレードアップできる。わざわざ自由席に乗るのは北東パス所持者か途中までの利用の人くらいだろう。
逆に寝台車は人気のようで、この日も寝台車は増結21号車を含めた3両となっていた。


2010年4月11日(日)

P4110242.JPG

6:07札幌着。
北東パスの有効期間は今日いっぱいまであるが、このまま真直ぐ帰ることにする。

P4110259.JPG

さっぽろ駅から地下鉄に乗る。
この時の真駒内行は3000系電車だった。

〜おわり



2010年春に、旅行記にするつもりで撮ってきた画像。これは私自身がホームページ上に旅行記を作成するモチベーションが失われていた頃で、画像はそのままお蔵入りとなっておりました。
この度のコロナ自粛を受けて、家に籠って書いていたブログ記事の1つとしてできたものです。
しかしこの画像も、10年後に日の目を見ることになろうとは夢にも思わなかった・・・

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 20/05/08 | Comment(0) | 2010年の旅行記

2010年急行はまなすと青森の私鉄探訪2

弘前へ来たのは弘南鉄道に乗るためだ。
弘前駅は前に来たときは1番ホームに面した駅ビルだったが、いつの間にか橋上駅になっていた。
その当時はJRの改札口ともう1つ弘南鉄道の改札口が別にあって、どっちも1番ホームに直接出て跨線橋は共用する格好だったが、今は別々の駅になっていた。

P4090312.JPG

弘南鉄道の駅は城東口の階段を下りたところにちんまりとあった。橋上駅に同居はさせてもらえなかったようで、正面側からはずいぶん不便な場所に置かれてしまったものだ。新しい駅はJRと私鉄や三セクとの乗り換えが不便になる傾向にある。

ここから黒石まで往復してくる。
弘南鉄道は黒石線が廃止になる前の1997年12月に乗りに来ている。その時は川部から黒石線に乗り、黒石から弘南線で弘前に出るというものだった。
弘前に来たのはその時以来かもしれない。

P4090261.JPG

13年ぶりに乗る弘南鉄道。駅は変わったが電車は変わっていなかった。
2両編成の電車は東急電車の中古で、車内はあちこちに東急時代の面影を残す。

P4090262.JPG

ワンマン電車は1両目後ろのドアから乗車し、運転士後ろの運賃箱にお金やきっぷを入れて前ドアから降りる仕組み。

P4090263.JPG

弘前から36分で黒石に着く。ここは改札口があって駅員が集札していた。

P4090269.JPG

昼だったので『つゆ焼きそば』の看板につられて駅前の食堂(店の名前は忘れた)で食べた黒石つゆ焼きそば(600円)。
黒石はつゆ焼きそばというB級グルメがあると聞いていたので、食べて見たかったものだ。
ソース焼きそばに揚げかすを乗せて出し汁をかけたもの。
ひと口食べた感想は、ソースラーメンだね、こりゃ。
意外とボリュームもあり。

P4090268.JPG

客はずっと私1人だった。観光客が来るのが珍しいのか、札幌から来たというと店主は「こんな田舎までわざわざようこそ」から始まって、
「もともとこれ(つゆ焼きそば)は昭和35年くらいにつゆそばってものから始まってね」
「津軽三年食堂で有名になってからうちでも3年前から始めたんだけどね」

よくしゃべる店主だった。

P4090271.JPG

黒石駅から弘前に戻る。
電車は1時間に2本と、ローカル線というよりは都市の電車として機能している。
沿線に観光地もなく電車も観光色はないが、変に観光地化しているところよりこうした生活に根付いた電車のほうが好きだったりする。

P4090280.JPG

弘南鉄道7000系の車内。
車内広告は沿線地元のものが多いが、その中に混じって北海道内の大学の広告も。

P4090279.JPG

東急時代の広告がそのまま残るつり革。

P4090278.JPG

非冷房のため扇風機がついている。
通気口からの外気を扇風機で車内に取り込む仕組み。夏は暑そうだな。

P4090299.JPG

駅間は田んぼが広がり、その向こうには岩木山という長閑な景色。

P4090305.JPG

館田駅で黒石行電車と交換。

P4090306.JPG

札幌の定山渓鉄道も残っていたとしたらこんな感じだったのかと想像してみる。定鉄だったら同系列だから東急の中古電車が入ってきたかも。さすがに北海道じゃ無理かな。

P4090310.JPG

終点弘前着。
電車に乗るのが目的なので、弘前観光もせず青森に戻る。

P4090313.JPG

夕方青森に戻ってきた。
今年度(2010年度)延伸開業予定という東北新幹線を迎え入れるためか、駅前は工事中だった。
新幹線が来るのはここではなく新青森なのだが、青森駅もそれに合わせるためか大改造するようだ。

青森ではビジネスホテルの予約をしており1泊することになる。
この後は知人と会う約束をしている。多分飲みにいくことになるのだろう。金曜日だしね。

明日は三沢まで行き、十和田観光電鉄に乗る予定だ。


posted by pupupukaya at 20/05/07 | Comment(0) | 2010年の旅行記
Powered by さくらのブログ
最近のコメント(ありがとう)
国道230号 定山渓〜中山峠の旧道
 ⇒ こおたん (09/20)
 ⇒ pupupukaya (09/19)
 ⇒ 金属 (09/17)
2019年冬フィンランド旅行記17 帰国と旅のまとめ
 ⇒ pupupukaya (08/30)
 ⇒ のの (08/29)
 ⇒ のの (08/29)
 ⇒ pupupukaya (05/03)
 ⇒ naitya2000 (05/03)
不思議の駅だった張碓駅研究
 ⇒ pupupukaya (07/09)
 ⇒ ちこ (07/09)
 ⇒ pupupukaya (05/06)
 ⇒ 札幌在住50代 (05/05)
定山渓鉄道跡を歩く2015年 9回目
 ⇒ pupupukaya (05/05)
 ⇒ 花パパ (05/05)
2017年インド旅行記16 帰国まで
 ⇒ たかべー (03/19)
 ⇒ PUPUPUKAYA (09/09)
 ⇒ モロッコ行きを目論む男 (09/07)
 ⇒ PUPUPUKAYA (08/16)
 ⇒ 北斗星51号 (08/14)