2006年ロシア極東旅行記4 連絡船サハリン7号

3日目 2006年7月11日

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 ユジノサハリンスク〜ホルムスク〜ワニノのルート。(地理院地図より作成)


 ◆ ユジノサハリンスク 〜車〜 ホルムスク港

昨日に昼寝したせいか、あまりよく眠れなかった。

旅行会社から当初もらっていた予定では、10時頃ホテルを出発、連絡船のホルムスク出港が18時頃、ワニノ着が翌15時頃となっていた。
ところが、フェリーの出港時刻が定かではないということで、朝7時に出発と伝えられていた。

6:40にガイドのP君が部屋にやってきた。朝食だという。レストランは8時からなので、今日は朝食抜きだと思っていたが、ホテルに話をつけておいてくれたのか、レストランに行くと朝食の準備がしてあった。

昨日と同じサラダと目玉焼きの朝食。P君がやたらと時間を気にしている。タクシーがもう来たと言うので、急いで紅茶を飲んで部屋に戻り、荷物を持って1階へ降りる。フロントで鍵を返し、車に乗る。

6:55に車はホテルの前を出発し、サハリンスカヤ通りの踏切をわたる。踏切のあたりは、昼間はいつも渋滞しているが、この時間はまだほとんど車は走っていない。

車は100キロ以上のスピードで飛ばす。道路はツギハギだらけのデコボコ道だが、そこはさすがに日本車で、サスが効いて揺れは少ない。運転手の兄ちゃんは、道路の穴ぼこやマンホールを器用によけながら運転する。

8時、1時間少々でホルムスク市内へ、そのまま港に直行する。ホルムスクは雨。これからの行程を考えると少し気が重くなる。

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 ホルムスクのソベツカヤ通り。

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 ホルムスクの連絡船ターミナル『モルスコイ・バクザール』。

フェリーターミナルビルの前に車を停め、P君のあとについて窓口へ。窓口に今日は9:20出港(7:50入港便)と表示してある。

先客の後ろに並び、P君は「早く出てちょうど良かった」と言った。
本来ならば、ホルムスクは夕方に出てワニノには翌日の昼に着くはずだったのだが、あまり早く着きすぎても列車待ちの時間が長くなりすぎて困る。最悪の場合、今日中に着いてしまうと、ワニノで泊まるところも探さなければならないのだ。
もう1便遅い便に出来ないかと頼むが、台風が来ているので、天気の良いうちにワニノに渡った方が良いと言われた。

この便はワニノ到着は朝5時なので、ワニノに泊まる心配はないようだ。

前の客が終わって、順番が来る。
予約してあったのかP君が名前を言う。窓口の女性はなにやら書類をめくって名前を探す。手続きが面倒そうだ。

コンコースはあまり広くはないが、フェリーターミナルだけあって、ベンチがたくさん並べられ大勢の人が座っている。売店やカフェも一応ある。めずらしく、缶ジュースとカップのコーヒーの自動販売機が置いてある。

椅子に座っている人たちは、フェリーを待っているのだと思っていたら、表にバスが着くと皆ゾロゾロと出て行った。
きっぷはなんとか買え、渡されたのは、乗船券とワニノ港から駅までのバスの切符。指定された部屋は302号室の1番。

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 あまり広くない連絡船ターミナルのコンコース。

出港まで時間があるので車の中で待つ。P君からワニノからハバロフスクまでの鉄道の切符を渡される。

9時過ぎ、いつ船に乗るのかと聞くと10時だという。船が遅れているらしい。



◆ ホルムスク港 【サハリン7号】ワニノ港(翌日)

ホルムスクと大陸側のワニノとの間は連絡船が結んでいる。

この航路は、昔の青函連絡船のように貨物列車の車両航送を行っていて、大陸側とサハリン島内の貨物列車はこの連絡船を介して直通している。ただし、レール幅の違う大陸の貨車はそのままではサハリンの線路は走れないので、ホルムスクには広軌〜狭軌の台車交換工場がある。

大陸側の貨車も直接乗り入れできるように、サハリン島内の線路も大陸側に合わせて広軌化されることが決定していて、一部区間では広軌化工事を着工しているという。

就航船は「サハリン」号が4隻、5000tクラスの大型船だが、貨物主体のため旅客定員は70数名しかない。貨物に合わせての不定期運行で、出港時刻も船が入港してから決まるので、一般客には利用しずらい。

鉄道連絡船だが、経営しているのは「SASCO」(サハリンシッピングカンパニー)という海運会社である。

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 跨線橋を渡って連絡船の桟橋へ。

10時、ターミナルビルから何やらアナウンスがある。乗船開始らしい。車のトランクから荷物を出し、ターミナルビルの隅にある裏口のようなところから外に出る。ここでパスポートを見せ、P君とはここでお別れとなった。

潮風にさらされたボロボロの跨線橋の階段を登る。正面に連絡船が見えた。船体には「САХАЛИН-7」と表示してある。「サハリン7号」だ。

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 船体の「サハリン7号」の表記。

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 船に貨車を積み込む可動橋。

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 連絡船の桟橋。船の前で待たされる。

船の前でタラップ取り付けまで待たされる。乗船客を数えてみると全部でたったの22人。

10分ほどして、乗船開始。タラップの入口で乗船券とパスポートを見せ、つづいて船内の食事券を受け取る。

船内に入るといきなり階段の踊り場のようなところで、前の人のあとについて階段を降りる。狭くて長い階段で、降りたところがロビーになっていた。案内係の制服を着た女性にチケットを見せて部屋を教えてもらう。

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 船底客室のロビー。

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 なぜか日本語で書かれた案内所。

ドアを開けると2人部屋で、ニス塗りの木製二段ベッドと2人分のクロゼットがあった。個室に洗面台もあるのはさすがに船だ。

車両甲板のさらに下、船倉部屋なので窓もなく、壁は船体に沿って斜めになっている。それらが天井の白熱灯と洗面台の裸電球に赤く照らされている。どの部屋もこんな感じのようだ。ここは2人部屋だが他は4人部屋になっている。

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 自室の一般客室と2段ベッド。

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 船らしく個室内に洗面台もある。

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 ホルムスク〜ワニノ間の乗船券。

案内係の女性がやってきてこの部屋はあなた1人だけというようなことを言い、部屋の鍵を渡してくれる。1人部屋なのはうれしい。
またさっきの案内係がきて、ビレット(チケット)をもって来てくれという。ついて行くとビレットと交換でシーツと枕カバーをもらう。明日またシーツと引き換えにビレットを返してくれるそうだ。

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 船のデッキからホルムスクの町を見る。

部屋に鍵を掛けて、階段を登ってデッキに出る。10:40、ちょうど出港するところだった。ゆっくりと岸壁を離れる。スピーカーから音楽が流されるが、何の歌かは知らないが、「サハリーン、サハリーン」と歌っているので、サハリンの歌らしい。

船上から離れゆくサハリンの町を眺めるのは日本に帰るときだけだったが、今日は大陸に向かっている。ゆっくりと離れるホルムスクの町を眺める。

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 ホルムスク出港。ばいばーい。

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 ホルムスクの町がゆっくり遠ざかる。

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 プロムナードデッキ(遊歩甲板)。

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 サハリン7号の浮輪。

船内をあちこち見て回るが、ほとんど貨物専用船なので船内は広くない。食堂兼売店もある。あちこちに日本語で書かれた案内板があって、なんでこんなところに日本語の表示があるのかと不思議に思う。

「サハリン7号」は稚内〜コルサコフ航路でかつて使われていた船ではなかったのか。そういえば、サハリン航路の初期はロシアの連絡船が使われていた。

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 一般客室の通路。

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 船内あちこちにある日本語の案内表示。

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 談話室?ここでは煙草も吸える。

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 便座の無いトイレ。


 ◆ 長い船旅

11時半頃、放送があって食堂に人が集まり始める。どうやら食事時間のようで、船室に食事券をとりに戻る。

カウンターで券と引き換えにトレーに乗った食事を受け取る。
パン2切れ、ハンバーグにサラミ、ライスにガーリック風味のソースをかけたものが使い捨て皿に載る。ライスはべチャッとしているが、そういうものなのだろう。粉末のカフェオレがついていて、これも使い捨てカップに入れてポットからお湯を注ぐ。ポットのお湯は自由に使っても良いらしい。

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 船内の食堂兼売店の様子。

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 船内の食事。味はともかく温かい食事はうれしい。

売店ではビールやスナック類を売っているようだ。食べ終わって、船底の部屋へ戻る。

天井のスピーカーからはラジオが流れている。個室なので音量調節のツマミもあり、消すこともできる。このゴツゴツしたツマミが、いかにもソ連製らしい感じがする。

船底部屋にいても、窓も無いし基本退屈だ。
アッパーデッキ(上部甲板)にも船室があるのだが、こちらは船員の部屋ということになっている。
このあたりが、いかにも社会主義時代らしい船である。

14時ごろまたデッキへ行く。サハリンの島影がうっすらと見えている。船のスピードは遅くて、チャプチャプとゆっくり進む感じである。ホルムスクとワニノの距離は約260km。20時間もかけて運航してる。

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 船の速度は遅く、チャプチャプ進む感じ。

6時半、デッキへ。船は霧の中。寒い。デッキのサロンではロシア人の客が魚の干物をしゃぶりながらビールを飲んでいる。

食堂の売店が開いていて、クレープのようなものを積み上げて置いてあるので、「エータ・プリヌイ?」と聞くと「チェブリキ」だと言った。1枚買う。
カップ麺でもないかと思い、お湯を注いでラーメンをすするしぐさをしてみる。店のおばさんがメニューを指差す。ボルシチと書いてあった。「パンは?」と聞かれたのでそれも1つもらう。あと魚の干物も1本買った。

誰もいない薄暗い食堂でビールを飲みながら1人で食べる。

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 売店に並ぶ品物。酒類は豊富。

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 売店で買った、ボルシチとチェブリキとパン。

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 売店で買った魚の干物。

8時になっても、9時になっても、ずーっとぼんやりと明るい霧の中。腕時計の針だけが唯一、時を刻みを知らせる。

物置小屋のような船室に戻り、さっき買った魚の干物をしゃぶりながらウオッカを飲む。何の魚かは分からないが何となくキュウリの匂いがしたのでキュウリウオの干物かもしれない。

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 夜9時半、ようやく薄暗くなって、灯かりがともるデッキ。

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 夜何時になってもぼんやりと明るい霧の中。

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 上段ベッドの壁は旅行者の落書きだらけ。

ウオッカを飲んでもなかなか寝付けない。ベッドに横になって本を読んでいるといつの間にか眠っていた。翌朝は何時に起きればよいのか分からず、気になってとても熟睡はできなかった。

〜5へつづく

2006年ロシア極東旅行記3 ユジノサハリンスクその2

 ◆ リニューアルされたユジノサハリンスク駅

カフェカラボークで昼食後、ホテルに戻る途中で「駅の中を見たい」と言ってみた。ガイドのP君は「何もありませんよ」と少ししぶったが、少しだけということで、一緒に中に入る。

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 キオスクもきれいに整備された駅前。

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 保存SLのD-51とユジノサハリンスク駅。

いままでコンコースを囲むように占拠していたキオスクが全て無くなっている。ベンチも以前の木製の物から新しい鉄製の物に交換されている。大分すっきりしたようにも見えるが、寒々とした印象のほうが強い。
きっぷ売り場も、リニューアルされて様変わりしていた。

きっぷ売り場の上に掲示されている時刻表を見たが、とくに列車本数も変わりない。2004年11月からコルサコフへの旅客列車が再開したと聞いていたが、時刻表にはコルサコフ行の列車は見当たらなかった。
時刻表の下には、電光掲示の列車発着案内が新設されていて、今日発車する分の列車時刻が表示されている。

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 時刻表下のディスプレイには列車の発着が表示される。

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 きっぷ売り場も新しくなった。

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 売店が全て撤去され、ガランとしたコンコース。

前にたくさんあったキオスクが無くなったと言うと、鉄道構内であのような営業は禁止されたと答えた。
「ここには何もありません、ただの町の駅です」

ホテルのフロントでP君と別れる。明日は朝7時に迎えに来るという。ずい分早いが、予定ではフェリーのホルムスク出港は18時となっていたが、午前中に出ることもある、できるだけ早くにホルムスクについた方が良いと言われた。

部屋に戻ると、歩き疲れて1時間ほど寝る。


 ◆ 路線バスでユジノサハリンスク市内めぐり

2時過ぎ、1人でホテルを出る。このままホテルでじっとしているのはもったいない。やっと1人になれたとも思う。

レーニン通りを歩いて、踏切そばの自由市場へ。
月曜の昼間のせいか人は少なく、またこれといった物も無かった。街中の店の方が物は豊富になってきたので、市場の勢いも衰えてきたように見える。

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 きれいになったレーニン通り。

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 サハリンデパート前の交差点。

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 市場横の踏切。

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 列車の通らない日中は住民の通路となっている線路。

歩道を歩いていると、自転車に乗っている人をよく見るようになった。ほとんどがマウンテンバイクで、交通というよりは、まだまだ子供のオモチャ的な感覚のようだが、たまに大人も乗っている。自転車も歩道を走っているのは日本と同じ。

レーニン通りのバス停でバスを待つ。系統番号と経由地が、ドアの内側から貼紙で一応表示してあるが、どの番号がどこに行くのかは全く分からない。色々な系統番号を掲げた14人乗りのワゴンバスは次から次へとやってくる。どのバスも満車で発車する。満車の場合は次の便を待つしかない。

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 ワゴンバスの車内。

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 路線バスの車内から。

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 窓には系統番号や経由地が張り紙してある。

バスの路線図でもあれば便利なのだが。一応路線図は市販されており、「地球の歩き方」にも路線番号が載っているのだが、実際は一部の番号のほかは違っている。

席の空いているバスがあったので、それに乗り込む。乗ってから前の人に10Рを渡すと、運転手までリレーで渡してくれる。いったいどこへ連れて行かれるのだろうか。車はレーニン通りからコムニスト通りへ入り、ミーラ大通へ。ドームタルゴーヴリデパートの前で降りる。

こんな感じで面白いので、ポケットに10Р札を数枚入れて、夕方までずっとバスに乗っていた。

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 どこだかわからない場所に着いた。同じ番号の反対方向に乗れば戻れる。

ユジノサハリンスクの町は基本的に道路は南北に直角に交わり、方角さえ把握していれば大体の位置はわかる。変なところへ来てしまっても、反対方向のバスに乗れば中心部まで戻ってこれるようになっているので心配することは無い。

バス停の上の方に系統番号と運転間隔が表示してあるが、過去の物のようであまりアテにはならない。バスも路線に沿って流しているという感じで、たまに同じ番号が続けて来たり、途中で追い抜いたりする。

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 クワスのタンク売りを発見。

とあるバス停で降りると、クワス売りのタンクを見つけた。使い捨てコップ一杯10Р。一杯もらう。
クワスとはライ麦と黒パンを発酵させたロシアの飲み物で、味は酸味があって炭酸が少し効いたやさしい味。

クワスを飲んでいると、次から次へと売れている。空きペットボトル持参で買いに来る人も多い。

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 夏場はあちこちで目にするクワス売り。結構人気。

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 クワスは使い捨てコップで販売してくれる(10р)。甘酸っぱいロシアの味。

6時ごろ、バスで駅前まで戻る。
また駅の中をぶらぶらしたりするが、鉄道駅を不用意に歩きまわったりしない方がいいと後日思い知ることになる。
このときはまだ何もなかったが。

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 ユジノサハリンスク駅の地下道。

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 ユジノサハリンスク駅のホームと列車。

昨日のスーパー「ピエールブイ」でウオッカ(110.4р)と鰊の酢漬け(49.6р)などを買う。
店内には日本製のインスタントラーメン、コーヒー、醤油なども売っている。当然、日本国内で売っているよりも高い。
買物袋を提げてホテルまで歩いて戻った。

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 今日の夕食。メインはスモークニシンの酢漬け。

部屋に戻ると、シャワーを浴びてビールを飲む。鰊の酢漬け「マチュー(матье)」をひと口食べ、これはウオッカだとビールはやめてウオッカを飲む。

窓辺で外を見ながら、昨日の残りの黒パンと鰊をつまみながらウオッカを飲んだ。
しかしロシアの食べ物って、すべて黒パンとウオッカに合うようになっている気がすると、あらためて思った。

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 窓辺に並べてみる。異国の風景を見ながらの一杯。

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 黒パンとウオッカが進む。


2006年ロシア極東旅行記2 ユジノサハリンスクその1

 2日目 2006年7月10日

 ◆ まずは銀行でルーブルに両替

7時ごろ起きて窓の外を見ると、広い駅前広場はどこから集まったのか、ぎっしりと車で埋め尽くされていた。駅の正面にはタクシーが10台列を連ねて停まっている。

7:15になり、駅から大勢の人が出てきた。ノグリキからの急行列車が到着したのだろう。駅から出てきた人々は次々に出迎えの車やタクシーに乗り込んで、車も1台、また1台と去って行く。

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 ノグリキからの急行列車の出迎えで続々と集まってきた車。

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 タクシーも集まってくる。

8時を過ぎて、1階のレストランに朝食に行く。ガランとしたレストランは2組ほど先客がいる。
テーブルにつくと、サラダとパンが出てきた。メインは目玉焼きで最後にコーヒーか紅茶が出る。素気ないメニューだが、たくさん料理を出されて朝から満腹になってしまってはかえって困るので、このほうが良い。

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 ユーラシアホテル1階のレストランで朝食。

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 サラダとパン。

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 朝食メインは目玉焼き。

9時半に昨日のP君がやってきた。まず、両替しましょうとなる。P君が言う、
「両替はどこでしましょうか」
オイオイ、それは俺のセリフだ。

幸い、前回みちのく銀行で自分で両替したことがあるので、今回もみちのく銀行へ行くことにする。ホテルから歩いて銀行へ行き、一番奥の両替所で150ドルとパスポートを差し出す。150ドルが4,009ルーブル(ルーブルは以下Рと略します)になって出てきた。


 ◆ ガイドP君と歩いて歩いて歩いて・・・

銀行をでるとP君は「コムニスト通りに行きましょう」と昨日歩いた通りをまた歩く。

2人で歩きながら、P君は自分のことを色々説明する。漁業の専門学校をで2年間日本語の勉強をしたという。以前に八戸に行ったことがあり、そのときに「今日は」「ありがとう」の2語をおぼえ、それが日本語を勉強するきっかけになったそうだ。

彼は日本語は学校で勉強したほかは独学で習得したので、ナマの会話は今回が初めてだという。なかなか勉強熱心で、自分で作成したという日本人向け観光案内のレポートを見せてもらった。ガイドの素質はともかく、文章力はあると思う。

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 レーニン広場の公園。地震で崩壊したネフチェゴルスクの碑がある。

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 並木の美しいコムニスト通り。

駅前から延びるコムニスト通りは、サヒンセンターやチェーホフ劇場、サハリン州郷土博物館など一応観光っぽい所があり、並木が美しく、ユジノサハリンスク自慢の通りなのだろう。

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 チェーホフ劇場。

「今日は月曜日なので、博物館も美術館もどこも休みです」

P君は残念そうに言うが、観光名所らしいところは以前にも行ったことがあるので、いまさらそんなところに連れて行かれてもつまらない。内心では休みで良かったと喜ぶ。

かといってどこへ行こうかと聞かれても、どこへも行きようがない。本当は市場とか、駅とかを覗いて見たいのだが、あまりそういうところには連れて行きたくないようだ。

歩きながら、時々思いだしたように会話になるが、なかなか話が膨らまなくてすぐに終了する。

歩いていると突き当たりになり、スラーバ広場というところに出た。

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 スラーバ(栄光)広場。

「スラーバとは・・・」と説明しかけたところでP君は言葉を忘れたようで、私が辞書を出すと大変に感心して、
「これは日本の字引ですね」「日本語の字引は高くて買えません」

ロシアでは日本語の辞書はとても高価で、個人で買えるような物ではないのだという。

「日本語を勉強した大学出は外資や大陸の企業に就職してしまい、サハリンの通訳にはならない」
「もっと日本語を勉強して良い通訳になりたい」
「日本に留学したいのだが金がない。もっと日本語を話せる機会があれば・・・」ということをP君は語った。

そのあとも、旧樺太神社跡を探して林の中をウロウロし、本屋に入ったりポページ広場というところを見たり、午前中はずっと2人で歩きっぱなし。もう疲れてきたし、これと言って見るべき物も無く、P君には悪いが、やっぱり一人で色々まわりたい。

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 市内あちこちには市場(ルイノク)がたつ。

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 あちこち渋滞している市内の道路。

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 広告タクシーも走っている。


 ◆ 路線バスに乗ってみる

ミーラ大通を歩いていたら、バス停があったので、「ここからバスに乗ってホテルに戻りたい」と言った。

「バスは乗り心地が悪いです、歩きましょう」
「いいや、バスに乗ってみたいのです」

こんなことでも無いと市内のバスに乗る機会はないだろう。P君もわかったらしく、停留所でバスを待つ。

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 バス停でバスを待つ。

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 次から次へと発着するマイクロバスに乗客が乗り込む。

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 大型バスも走っている。

バス停にはバスのマークが入った標識がある。ベンチが置いてあってそれらしくなっているので、また乗客が何人か立っているのですぐに分かる。
バスは次から次へとやってくる。バスといっても、ほとんどが韓国製の12人乗りマイクロバス。たまに、大型バスもやってくる。

10分くらい待って、マイクロバスがやって来て、P君が「これに乗ります」と言い、我々のほか数人と乗り込む。
マイクロバスと言っても、14人乗りのワゴン車だ。

あっという間に車内は満席になる。満席になるとこれ以上乗れないので次の便を待つしかないようだ。

料金はどうするのかと思ったら、後ろから客がリレーで順送りに10p札を前の方へ手渡して運転手に直接渡す。

なるほど、これでバスの乗り方は分かった。

バスは停留所ごとに1人2人と乗り降りがある。私は運転手後ろの座席に座っているので、他の乗客から運転手へ料金の受け渡し役のようになってしまった。釣銭もやはり運転手から乗客同士のリレーで戻ってくる。

やがてレーニン広場前の停留所でバスを降りる。
レーニン広場の高さ9mのレーニン像はまだまだ健在で、しかもレーニン像の両側には電光表示の広告塔が建てられ、朝から晩までCMを流している。かつての共産主義の象徴が、やかましい広告塔に挟まれた格好になっていて、レーニンさんは草葉の影でどう思っているのだろうか。

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 レーニン像と広告塔。手前を走るのは広告をラッピングした路線バス。

ホテルに戻る前に、カフェで食事したいと「カラボーク」というカフェに入る。メニューは訳が分からないので、P君に教えてもらい、カレイの唐揚とボルシチ風スープとパンの昼食。カレイの唐揚げが肉厚で柔らかく、意外なほどおいしかった。

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 「カラボーク」のスープとカレイの唐揚(242р)。

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 カレイは肉厚で柔らかい。イクラとチーズも付いていた。


2006年ロシア極東旅行記1 ユジノサハリンスクまで

何が面白くて何度も行くの?

よく聞かれるが、答えようがない。自分でもよく分からない。どこまで行っても無人の荒野、北の冷たい海の向こうに何かがある。その何かを見つけにロシアへと向かうのだろうか。

宗谷海峡に面した最果ての地に立つと、晴れていれば海の向こうに島影が見えることがある。サハリンである。ただ雲が立ったり消えたりするだけで、そこには北の海に浮かぶ孤島の冷たさしか感じないだろう。

しかし、北海道旅行中などにそんな島影を見ることがあれば想像してほしい。目にすることはできないが、島影のその先には港があり、にぎやかな町があり、人々の暮らしがあるということを。そしてさらに先には大陸があり、中国やヨーロッパまで続いている・・・

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 アムール川の夕日。

今回はサハリンから連絡船で大陸に渡り、寝台列車でハバロフスクまで行ってきました。今回の旅も一部で現地ガイドに同行していただいた以外はすべて一人です。今までサハリンにしか行ったことは無く、ロシア本土を旅行するのは今回が初めてです。

写真入り旅行記で、ロシアの町中や北方の風景、また一人旅ならでは情景を感じ取っていただければ幸いです。
それでは、下の本編からどうぞ。

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 旅行会社から送られてきたバウチャーとチケット。それにパスポート。

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 飛行機のチケット。上は新千歳〜ユジノサハリンスク、下はハバロフスク〜青森。


 ● 2006年ロシア極東旅行記の行程とルート

 7/9  札幌〜飛行機〜ユジノサハリンスク
7/10 ユジノサハリンスク滞在
7/11 ユジノサハリンスク〜ホルムスク〜連絡船
7/12 連絡船〜ワニノ〜鉄道
7/13 鉄道〜ハバロフスク
7/14 ハバロフスク滞在
7/15 ハバロフスク滞在
7/16 ハバロフスク〜飛行機〜青森〜札幌

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 (地理院地図より作成)






1日目 2006年7月9日

 ◆ 新千歳空港 11:30【HZ152便】15:30 ユジノサハリンスク空港

朝、新千歳空港へと向かう。新千歳〜ユジノサハリンスク間は定期便が就航している。本当は稚内からフェリーで行きたかったのだが、フェリーの運航スケジュールと休暇の日程がなかなか合わず、今回も飛行機でのサハリン入りとなる。

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 サハリン航空専用のチェックインカウンター。

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 ユジノサハリンスク行のボーディングパス(搭乗券)。

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 国際線なので免税店がある搭乗待合室。

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 免税店。あまり安くはないようだったが。

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 おそらくサハリン航空専用の搭乗口。


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 飛行機まではバスで移動。

搭乗ゲートからバスで飛行機まで行く。乗り込むのは旧ソ連製「アントノフ24型」という36人乗のプロペラ機。ついさっきまで居た近代的な大空港から一歩機内に入ると、たちまちに懐かしい思いに駆られる。

あの独特のロシアの匂い。薄暗い客室と薄汚れた壁、ボロボロのリクライニングシート。いきなりロシアンクオリティー丸出しの空間には、最初は相当なカルチャーショックを受ける。

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 旧ソ連製アントノフ24型機。

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 身をかがめて乗り込む。

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 古びた機内のようす。

今日もほぼ満席のようだ。ロシア人と日本人が半々といったところ。狭くて薄暗い機内は、ロシア人の体臭でムンムンしている。

11:30の定時刻を過ぎ、11:40過ぎに飛行機が動き出して離陸した。プロペラ機なので、フラフラと頼りなく上昇するので何となく恐怖感がある。天気はあまり良くなく、離陸からしばらくして雲の中に入ってしまった。サハリン時間に合わせて、腕時計を2時間進める。

30分位してから機内食のサービスがある。千歳市内のホテル製のサンドイッチ弁当で、中身は前回乗った時とほとんど一緒だった。
食後はチャーイ(紅茶)かコーフェ(コーヒー)が出される。

そのあと、ロシアの出入国カードが配られる。これは機内で書き込んでおかなければならない。必要事項をローマ字で書き込む。飛行時間わずか1時間半なので忙しい。

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 座席の様子。背ずりが前へ倒れるのも特徴。

いつの間にか雲が切れて、海の上を飛んでいる。オホーツク海である。日光を浴びた、静かな海面を見ながらしばらく行くと、陸地がみえてくる。右側の窓からコルサコフの町が見える。サハリンだ!

飛行機は高度を下げ、アニワ湾の上空を旋回する。日曜だからか、浜辺には海水浴の人がいっぱい見える。アニワ湾のススヤ川河口付近を、飛行機はかなりの低空でフラフラと飛ぶ。


 ◆ユジノサハリンスク

15:20、ユジノサハリンスク空港に無事着陸となる。飛行機を降りると、乗客全員はバスに乗らされ、100メートルほど移動してターミナルビルの前で降りる。入国審査と税関のX線検査をあっけなく通過すると、出口の所に、ローマ字で名前を書いた札を持った出迎えのガイドが何人も立ち、自分の客が出てくるのを待ちうけていた。

自分の名前を書いた札を持っているガイドはすぐに見つかった。若い男性で、Pと名乗り、今回はじめての仕事で、ガイドとして日本人と話すのも初めてだという。早速、ガイドとともに車に乗り込む。車と運転手は現地旅行会社でチャーターした個人タクシーである。

日本の中古のトヨタ車で、フロントガラスには大きなヒビが入っているが運転手は気にしていないようだ。
すぐに車は走り出し、ユジノサハリンスク市内のガタガタの舗装道路を快調に飛ばす。

空港から直接ホテルまで車を乗りつけて、4時少し前にホテルに着く。
今回の宿は、駅の横にあるユーラシアホテル。荷物を持ってフロントへ。チェックインはガイドP君がやってくれ、パスポートを出すとフロントの女性はキーをくれた。早いというかずいぶんとあっさりとしている。

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 ユジノサハリンスク駅とユーラシアホテル。

ところで、空港からホテルまでの道中で、肝心な行程が抜けている。それは、ロシア通貨ルーブルへの両替で、本来ならば真っ先にしなければ、買物も食事も出来ないので重要なのだが、真っ直ぐホテルまで来てしまった。
それでも私は黙っていた。なぜなら、前回(2004年)サハリンに来た時、かなりの額のルーブルを余して日本に持ち帰ったものを今回持ってきたからだ。当面の食費程度ならば今すぐ両替しなくても困ることはない。

ガイドP君は部屋まで案内してくれ、とりあえず部屋に入り、そこでバウチャーを下さいと言われた。
「今日の夕食はどうしますか」
と聞かれ、
「レストランかどこかで」というと時間はと聞かれる
適当に「6時に・・・」と答えると、案内してくれるらしく、「それでは6時にまた来ます」といって去っていった。

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 さっぱりとしたユーラシアホテルの部屋。

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 ユニットバスは日本製で清潔。

ユーラシアホテルに宿泊するのは今回が2回目となる。隣が駅なので、交通には大変便利。部屋の窓からは駅前広場が見える。部屋はベッド1つのシングル部屋で、内装も新しくすっきりしている。テレビとユニットバスは日本製だった。

1時間ほど経って1階のフロントでパスポートを返してもらい、ホテルの向かいにあるコンビニのような店で水とビールを買って部屋に戻る。テレビをつけると、NHKの衛星放送がうつった。

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 ユーラシアホテルの窓から見た駅前広場。

6時過ぎ、再びガイドのP君が部屋にやってきて、大変申し訳ないという顔をして言う。

「今日は日曜日なので、ルーブルへの両替は出来ません」
「1000ルーブルあれば、レストランで食事ができるので、私が1000ルーブルを貸してあげますので、明日両替したときに返してください」

しかし、P君の申し出は断わることにして、
「ルーブルは少し持っています、レストランに行くほどお腹は空いていないので、店で食料を買ってきて部屋で食べたい」
と説明した。P君は会話のほうは苦手でなかなか言うことが通じないが、なんとか分ってもらう。

7時までガイドの時間だというので、一緒に買物に出る。
ホテルから、駅前のコムニスチーチェスキー(コムニスト)通りを歩く。駅前の雰囲気が2年前とは変わっている。歩道は新しいブロックが敷かれて綺麗になっていて、歩道に並んだキオスクも新しくなっている。雑然とした雰囲気は無くなって、全体的に明るくなった反面、人通りは少ない。

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 レーニン広場。

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 逆光のレーニン像。奥がユジノサハリンスク駅。 

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 コムニスチーチェスキー通り。

まっすぐ歩いてきたが、店はない。この通りの先には前回宿泊したラーダホテルがあり、そのときに何回も歩いて往復した道だ。官庁街なので買物するような店はなかったと思う。
「右に行けばドム・タルゴーリ(デパート)がありますよ」と私が言うとP君は「イキマショウ」と歩き出す。しかしデパートは無残にも日曜のためか、すでに閉まっていた。

「レーニン通りに行けば店があるんじゃないですか?」「イキマショウ」と来た道を引き返す。
レーニン広場からレーニン通りを南側へしばらく歩いたところに「ピエールブイ」という24時間営業のスーパーマーケットがあった。中に入ると驚く。日本のスーパーやコンビニと同じセルフ方式の店だったからだ。日本その他ではこれが当たり前だが、これまではサハリンでは対面販売方式が当然だったので、これは画期的なものが出来た。聞くと今年に出来た店だという。

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 24時間営業スーパーのピエールブイ。

惣菜売り場もあって、種類もヘタなレストラン並みに色々な料理がそろっている。あまりロシア料理は詳しくないので、どれが何なのかはよく分からないが、何となく気に入ったものをいくつかP君に頼んで、店の人に包んでもらう。
惣菜売り場だけは、デパ地下のようにショーケース越しに、注文する。あと黒パンとビールを買い、レジでお金を払う。しめて260.78ルーブル。

スーパーの袋をさげて、ホテルに戻る。
P君が「明日は何か予定がありますか?」と尋ねた。「明日は予定ありません、フリーです」と言うと、「明日は私もフリーです、一緒に街を歩きませんか?」と言う。明日はガイドはつけていないので、個人的に付き合ってくれるらしい。一人であちこちブラブラとしようと思っていたのだが、とくに予定は決めていなかったのでOKした。

机に買ってきたおかずやパンを並べて、ビールを飲みながら、それなりに楽しい宴になる。
レストランに入り、メニューも分からず、一人で落着かない食事をするくらいなら、町でいろいろなものを買ってきて部屋で酒を飲みながら食べた方が良いと思う。その方が安上がりだし。

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 スーパーで買ってきた惣菜など。

ビールは「コルサコフスキー」といい、コルサコフの地ビールで、かなり苦味がある。持ってきたナイフで黒パンを切って、チーズをのせて食べるとウオッカが飲みたくなる。でも、今日は無い。
鮭の串揚げはおいしかった。でも、ピラフはライスが硬くてボロボロ。トリ肉は脂くどくって・・・

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 ロシアの黒パン。クセがあるが慣れるとやみつきに。

時計を見ると8時になるが、外はまだ明るい。部屋の窓から駅前広場を眺めていると、ノグリキ行の夜行急行列車に乗る人が続々と車でやってくる。部屋を出て廊下の窓から駅のホームを見ると、ちょうどノグリキ行の列車が停車していた。

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 ノグリキ夜行の乗客が駅前広場に集まってくる。

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 ホームでノグリキ行急行列車が発車を待つ。

20:45にノグリキ行が発車して行くと、駅前広場も閑散としてきた。それでもまだ明るい。
白夜のようだと言えば何となくかっこいいが、日本ではまだ午後7時前である。それでも夜9時を過ぎてもまだ明るいというのは妙な気分だった。

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 10時を過ぎ、やっと暗くなったユジノサハリンスクの街。

10時ごろやっと暗くなった。さすがにこの時間になると駅前広場も人通りがなくなる。遠くで歌う声がするのは、どこかでカラオケをやっているのだろうか。

夜中に酔っ払いらしい2人連れが、なにやらわめきながら外をフラフラと歩いていった。


2018年1月 日高本線はいま 3

次に向かったのは清畠駅から約800m鵡川寄りにある慶能舞川(けのまいがわ)橋梁である。
ここは2016年8月に襲った台風10号の高波で橋桁が流された。

2015年の1月以来連続して発生した日高本線の被災箇所のうち、唯一国道からはっきり見える場所でもある。

国道を行きかう車からは、誰の目からも既に廃線跡のように見えるだろう。桁を失った橋脚がむなしく並ぶ。

国道から砂浜へ下る脇道があって、そこへ車を停める。
秋にここを通ったときは、釣り人の車が並んでいた。ここも釣りのスポットであるらしい。

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 落ちた橋桁が放置されたままの慶能舞川橋梁。

橋脚は低く、地面から1mも無いような高さである。
一番高さのある部分でも、下を通るには身をかがめなければならないほど低い。

この慶能舞川橋梁は、プレートガーダーと呼ばれる形式で、橋台の上に鋼板製の桁を乗せて線路を支える構造になっている。
このため、桁下の空間がほとんど無い状態で、これでは高波や鉄砲水に襲われたらひとたまりもない。

隣にある国道の橋は堤防の高さまで合わせて高い位置にある。

この箇所を復旧させるとしたら、橋梁の前後を盛土して、新たに高い位置に橋を作り直す必要があるだろう。

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 砂浜に橋脚だけが立っている状態。

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 鋼板を組み合わせたデッキ・プレートガーダー。腐食も進んでいる。

次に向かうのが、豊郷〜清畠間の路盤流出箇所

慶能舞川橋梁から約1500m鵡川寄りに駐車帯があって、大型の土のうがびっしりと並べられている。
ここも路盤流出があった箇所で、2015年9月に台風17号による高波によるものである。

被災前から海岸の浸食がひどい箇所で、波打ち際に埋められた鋼矢板で線路への浸食を防いでいた。
この鋼矢板が倒れたことで路盤が流出したということである。

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 豊郷〜清畠間の路盤流出箇所。

線路があった場所は、路盤も跡形もなく砂浜が広がっている。
かつて波打ち際で線路を守っていたであろう鋼矢板だけが残っていた。


  *2016.01.14 JR北海道2015年度のプレスリリース*
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 豊郷〜清畠間58k925付近の災害箇所。

当初のJR北海道のプレリリースでは、この箇所の路盤流出と道床流出の区間は181mということだったが、あれからさらに被害が拡大したようで、現在の路盤消失区間は500m以上(Google Earthで計測したら)にも及ぶようだ。

  *2015.09.14 JR北海道2015年度のプレスリリース*

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 砂地に砂利を敷いた路盤。線路は切断され撤去された。

鵡川方向に歩いて行くと、線路はまた元どおりのまま続いていた。
道床が崩れた箇所を見ると、上の方は砂利が敷き詰められているが、その下は砂である。このあたりは砂地に砂利を敷き詰めて路盤としていたことがわかる。
砂利と言っても、丸っこい玉石。川砂利をふるいにかけて粒をそろえたものだ。

線路は表面上は50kgレールが使われて道床も砕石が敷き詰められているが、軽便鉄道時代からの弱い路盤のままで根本的な改良はされていなかったようだ。

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 苫小牧寄りの線路から流出箇所を見る。

そもそもが脆弱な路盤のために、高波に対抗することはできなかった。
路盤が完全に洗い流された跡は、すっかり砂地に戻っている。

その向こうでは重機が動いていて、工事が行われている。
真新しい消波ブロックが並んでいるのが見えるので、海岸保全工事である。
あのあたりは人家もあるので、国による事業で行われているのだろう。

JR所有の護岸は基本的にJRが維持管理することになる。
破壊した護岸の復旧工事もJRの負担で行うことになる。
この工事自体が資金的に無理な為に復旧断念となったのである。

ところでこの破壊した護岸から、今でも土砂の流出が止まらないという。
海域が濁り、昆布漁やタコ漁への影響が出たために、日高町村会と日高総合開発期成会は、大狩部−厚賀間の復旧工事を求める要望書をJR北海道に提出した。

  *2017年8月6日JR日高線 - 毎日新聞*

それに対してJRは、これ以上の抜本的な工事は厳しいとのことであった。

海岸の保全という面からだけ見れば、日高本線は早々に廃止し、線路跡を国に買い上げてもらうのが最善策になる。
それから国(北海道開発局)の事業として保全工事を行えば良いのだ。

以下にこの区間の空中写真を時系列で並べてみる。
私には、国の海岸保全事業の無策から招いた災害と思えた。

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 1975年頃(地理院地図の空中写真より引用)
線路と海岸の間に採砂場らしきものが見える。右端の建物のあたりには消波ブロックが設置されている。

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 2004年頃(地理院地図の空中写真より引用)
消波ブロックが延長されている。延長の終端あたりの浸食が始まっている。

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 2010年(Google Earthより引用)
砂浜が著しく浸食しているが、消波ブロックの延長はされていない。


こんどは日高門別へ向かう。

現在日高本線の列車は、苫小牧〜鵡川間となっているが、これは苫小牧方向からの列車が折り返しのできるのが鵡川駅だったからだ。

日高町は鵡川〜日高門別間20.8kmの先行復旧の要望JR北海道に求めている。
一連の災害でも被害がなかったこの区間は、日高門別駅に折り返しに必要な信号などを整備すれば可能ということである。
費用は約1億円。地元負担になる。

  *2016年08月05日 どうしんウェブ*

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 道道正和門別停車場線の山門別踏切。踏切の遮断竿は撤去されている。

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 日高門別駅の駅舎。

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 日高門別駅の待合室。2010年までは画像右奥にキヨスクもあった。

日高門別駅の駅舎もホームもきれいだった。

去年の夏ごろの平日に、この駅に寄ってみたことがあった。
その時は車で巡回するJRの保線職員の姿を見かけた。

やはりここは廃線跡ではない。列車は運行休止中でも、JR北海道の手によって維持管理する必要があるのだ。
列車が走らなくとも経費はかかるのである。しかも復旧の見込みゼロの路線である。

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 日高門別駅のホーム。鵡川方を見る。

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 日高門別駅構内の鵡川方。信号の回路を変更すればここで折り返し運転ができそうだが。

さて、鵡川〜日高門別間の復旧について考えてみる。
この区間は災害がなかったとされているが、全くなかったのか。

いまは便利な時代になったもので、家にいながらにして衛星からの空中写真を見ることができる。

グーグルアースでこの区間の線路を追ってみると、汐見〜富川間の海岸沿い区間に路盤の流出箇所がいくつか見つかった。
まずこの復旧工事と護岸強化工事が必要になる。

日高門別駅の列車折り返し設備に1億円という記事があったが、これは同駅を棒線駅とすれば鵡川駅の信号回路の変更だけで済む気がする。
鵡川〜日高門別間の所要時間は23分。往復でも1時間である。将来的に全線復旧させる前提ならば、日高門別駅構内を複線とする必要があるが、無いのならば単線のままで十分だ。

仮に地元負担で復旧させたとしても、この区間にどれだけの需要があるのかは疑問だ。

現在のところ苫小牧〜鵡川間だと、1日当たり乗車人員は459人で、鵡川駅7:12発の2224Dの鵡川始発時の乗車人員が約150人となっている。
通勤通学列車であるこの列車の利用客のほとんどが定期客とすると、鵡川からの乗客は約100人ということになる。残りの50人は鵡川以遠からの入り込みであろう。

  *線区データ 当社単独では維持することが困難な線区*

しかし、それ以外の需要は無いに等しい。
ピーク時の50人というのも、バス1台で事足りる人数である。

現在運行している苫小牧〜鵡川間でさえも、輸送密度200人未満の線区として『当社単独では維持することが困難な線区』となっている現状を考えると、かなり難しいといえる。

復旧に関する費用と、復旧後の赤字額を地元自治体で負担するというのならば復旧可能だが、そこまでして鉄道の維持にこだわる必要があるのかどうかは甚だ疑問だ。

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 富川駅のホーム。ここも線路が錆びていることだけが運休を思わせる。

続いては富川駅
富川は日高富川高校があり、また国道沿いには中型の商業施設が立ち並ぶ、日高地方北部の商業の中心となっていて、町役場のある日高門別よりも、こちらが日高町の実質中心である。

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 汐見駅と踏切。

汐見駅は国道から約2.8km離れた所にある。
無人の待合所だけが建つ駅だけを見ていると秘境駅のように見えるが、近くには鵡川漁港があってまとまった集落がある。

JRだけが唯一の交通機関のように見えるが、むかわ町営バスがカバーしているので、日高本線廃止後は町営バスが代替交通機関となるだろう。

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 汐見駅の待合所。ソファーが置かれ応接間のよう。

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 汐見駅踏切から鵡川方を見る。運行休止から2年以上経つとは思えないほど線路の状態は良い。

最後は鵡川駅

鵡川駅の約300m静内寄りにある鵡川大踏切まで来た。
この踏切も遮断竿が撤去されて、踏切としての役目は休止されている。

踏切の鵡川駅構内側には場内信号機が立ち、赤色を点灯している。
踏切の手前の線路には枕木が置かれ、仮設の車止めとなっている。

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 鵡川駅構内の終端。場内信号機が灯る。

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 レールの上に車止め代わりの枕木が設置されている。

鵡川からは胆振振興局となり、苫小牧との結びつきが強くなる。
高校の通学区域も胆振東学区となり、苫小牧への通学需要も多い。

一方、ひだか町門別地区は日高学区となり、通学生の需要は少ない。
このあたり、日高本線の列車が鵡川止まりになった事情がわかる。

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 鵡川駅の駅舎と列車代行バスの案内看板。

鵡川駅は旅客営業的には無人駅だが、室蘭保線所鵡川保線管理室が置かれ、日高本線の拠点駅になっている。

新しい駅舎は、この駅から分岐していた富内線の廃止による転換交付金によって建て替えられたものである。
1998年から2006年までは駅員の配置を復活し、有人駅であった。
その後は駅舎内にあったキヨスクで乗車券の販売をしていたが、これも2009年に閉店となったようである。

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 駅員が配置され、窓口の上には道内各駅までの運賃表が掲げられている。2006年5月筆者撮影。

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 2018年1月、完全無人化された鵡川駅の掲示。

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 折り返し列車が入る2番線の線路だけが光る。


1980年10月、国鉄再建法が成立すると、輸送密度が4,000人/日未満である路線はバスによる輸送を行うことが適当であるとして特定地方交通線に指定し、廃止対象となる。

これでいけば、日高本線も富内線同様廃止線区となるはずであった。
しかし、これには条件を満たせば除外された。
その条件の一つに、平均乗車キロが30kmを超え、輸送密度が1,000人/日以上という項目があって、その条件を満たすということで廃止を免れたのである。

ただしこれは、1977〜79年度の数値である。当時は急行えりもが札幌から様似まで3往復あって、乗客も多かったことだろう。
しかし、1986年11月をもって急行は廃止される。

同時期から道南バスによる札幌〜浦河間で、特急ペガサス号の運行が始まる。
鉄道よりも廉価で、札幌まで直通とあっては、この頃から日高本線相互内の需要しか無くなってしまった。

この時に廃止を選択していれば、国から営業キロ1kmあたり3,000万円を上限とする転換交付金(補助金)を地元市町村に交付されていたし、転換後5年間は赤字額の全額を代替事業者に対して補填されていたのである。

いま鉄道を廃止しても国からは1円の交付金も無い。
日高本線に限ったことではないが、JR北海道の多くの線区が『当社単独では維持することが困難な線区』として挙げられている。
これらの線区がすべて廃止になるとは思えないが、バス転換を含めた総合的な交通体系を考えると、むしろこの当時に廃止していたほうが良かったのではないかと思えてしまう。

JR北海道は日高本線の復旧断念、『沿線自治体の皆様のご意見を充分に反映し』としてバス等への転換の協議開始を求めている。
それに対し、沿線自治体は鉄道としての完全復旧こそ断念したものの、頑なまでにJRによる存続を要望している。

今のところ、JR北海道としては沿線自治体の同意なくしては廃止したくない意向だが、いざとなるとそれを待たずに廃止する可能性もある。
路線の廃止に対して、地元自治体の合意を必要とする法的根拠は無い。

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JR北海道の経営状態を鑑みると、どういう形態であれ、日高本線の存続は無理と思われる。
いま必要なことは、鉄道廃止後の沿線の交通体系をどうするかということになるだろう。

国や道による、税金を投入した上下分離方式であるが、都市間輸送や貨物輸送のある線区では検討すべきところだが、バス輸送で十分なローカル輸送まで適応するのは難しいところだろう。

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 静内駅に停車する列車。2007年5月筆者撮影。

以上、沿線住民でもないし、全くのド素人による私見である。
私自身札幌に住んでいて、すでに車社会の住人である。
だから、交通弱者の側から見れば、正反対の意見も出るだろう。

しかし、日高本線の問題に関しては、沿線自治体が現実に直面せず、夢物語を語っているだけというようにしか見えない。
一番の当事者はJR北海道なのである。
運休中の路線を維持するのにもコストがかかっている。

沿線自治体は路線としての存続を主張しているが、復旧しても僅かな利用者だけ、しかも赤字必至である。

筆者の私見として言わせてもらえば、日高本線の鵡川〜様似間については、早々に鉄道以外の正式な代替交通機関に置き換えるのが妥当であると思われた。

最後までお読みくださいましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 18/01/28 | Comment(0) | 北海道ローカル線考
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