2020年礼文島旅行記4 桃岩展望台コース

 ◆ 7月1日(水)

昨日と同じく鳥の鳴く音で目を覚ます。3時半。もう外からは明かりが差し込んで来る。もうひと眠りしてまた目覚めると5時過ぎだった。外からは相変わらず鳥のさえずり。

今日も相変わらずの曇り空だった。天気予報も今日は曇り、明日は雨マークもある。日本海上にある大型低気圧が北海道に接近しているようで、明日の雨はどうもガチっぽい。道南道央は完全に雨マークとなっていた。

朝食までボーっとしてても勿体ないし、テレビなど見る気もしない。
窓から見える浜に行ってみた。浜へは宿の裏手から出ることができる。

引き潮で広くなった砂浜は海面はベタ凪で波音もなく静か。海というより湖のようにも見える。
澄んだ海水ときれいな砂浜はどことなく南国のビーチにいるような錯覚にもなる。

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 船泊湾の砂浜はベタ凪の澄んだ海だった。

しかし澄んだ海中に揺らいで見える昆布はまさに北の海なのだった。

満ち潮の時には波打ち際になるだろうあたりには貝殻がびっしりと打ち上げられていた。
もしかして穴あき貝が落ちているかもと注意して見ながら歩くと、たちまちに何枚も集まった。



穴あき貝は、貝殻にドリルでつけたような丸い穴が開いている。もちろん人がつけたものではなく自然のもの。
これはツメタガイという肉食の巻貝が、やすりのような歯舌で貝殻を削って穴を開け、中身を食べた跡。
襲われた貝からすれば恐怖の存在だろうが、時を経てこうして浜に打ち上げられると何となく愛らしい姿となる不思議。

礼文島の土産物屋に並んでいたりするのを見かけたが、この辺りの浜では普通に拾えるものだった。
少し歩けば、たちまちに10枚以上拾うことができた。
これは海水で洗って持ち帰る。旅の思い出品にはなるだろう。

一面空を覆っていた雲はいつの間にか少なくなり、そのうちに日も差すようになった。

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 浜で拾った穴あき貝。

朝食は7時からだが、少し遅れて行くと仕事組の人たちは食事を終えて立ち去る頃だった。

お櫃と味噌汁を持ってきた女将に、
今朝はいい天気になりましたねえ
と言うと、女将が言うには、今週になってから(この時期にしては)珍しく天気が良くなって、先週はずっと雨で寒く、朝はストーブを焚いていたという。
なるほど、それで廊下にストーブが出ていたのか。

女将曰(いわ)く
でもあんまり天気が続いても、逆に花が早く終わっちゃうしねえ

まあ確かに相手は高山植物だから、日に当たることが続けばそうなるんだろうね。

テーブルにはおかずが入った重が置いてあるだけなので素っ気なく見えたが、昨日は塩鮭だったものは今朝はホッケになっていた。目玉焼きだったのも今朝は玉子焼き。
連泊者は違ったものを出すという心遣いがうれしい。

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 最後の朝食。ヨーグルトのデザート付き。

今まで仕事とプライベートを合わせても色んな所に泊ったことがあるが、ここの食事は1位とまではいかないが確実に2位か3位の座にはなると思う。
昨日の夕食といい、見た目は3流のボロ宿だが、料理は1流の宿だった。
これもたまたま日柄が良かっただけで、時化(しけ)の日に当たったら、それこそシケた食事が続いてた可能性もあるが・・・。

食べている途中で、「良かったらデザートをどうぞ」と持ってきた。
これはヨーグルトにマンゴと粉末の昆布砂糖(?)を乗せた品。昆布とヨーグルトの組み合わせが、変わった味がした。


 ◆ 香深へ移動

2泊した礼文荘は引き払って今日は宿替えとなる。
今日の予定は、病院前8時55分発のバスで香深へ行くことになる。
チェックアウトするときに2日分のお酒代1600円の支払い。これは初日に香深港で買って忘れていた礼文島プレミアム商品券を使った。
基本的に宿代には使えないが、追加の酒代や料理代には使うことができる。おつりは出ないので、3枚と100円で支払った。
土砂降りの札幌から持ってきたビニール傘は、邪魔になったので宿に引き取ってもらった。

出る頃にはすっかり青空が広がって、日差しも強くなっていた。

今日は暑くなりそうですよ
と主人が出がけに言った。
島の人が言うんだから間違いないのだろう。
礼文島の天気予報は、基本的に当てにならないと感じるようになっていた。

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 病院前バス停からバスに乗る。

船泊診療所の前にある病院前のバス停で待っていると、一昨日(おととい)に同じバスに乗っていた利尻空港タグの兄さんがやってきた。久種湖畔キャンプ場で2泊してたようだ。

バス停は進行方向とは反対側だが、『香深方面行のバスは玄関前に停車します』と張り紙がある。
診療所の車寄せの下に立っていた兄さんは、診療所にやってきた車にクラクションを鳴らされていた。

・・・すまんね〜、浜の人は気が短いんでね〜、悪く思わんでね〜 (^^;
言わないけどそう思った。

やってきたバスはスコトン発だが誰も乗っていなかった。

ほとんど快晴に近かった船泊の空も、香深に向かうにつれて雲が多くなってきた。初日はくっきり見えた利尻島はガスに霞んでいる、湿気の多そうないやな空気が感じ取れる。

昨日歩いた島めぐりコースも今日にしていれば綺麗だったろうなと思ったが、そうしたら昨日何していれば良かったんだということになるし、あの曇り空の下を歩いたことは別に後悔してはいない。

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 バスの窓から。利尻山はまた頭だけ覗かせていた。

バスは終点までは途中から乗ってくる人もなく、乗客はずっと私を含めた2人だけだった。

ずっと法定速度で走って時どき後続車に譲ったりしながらバスは、香深フェリーターミナルには時刻表通りに着いた。途中から利用する場合も、時刻表の時間よりも遥か前に行ってしまうということもないようだ。

時刻はまだ10時前、今日もまたトレッキングコースを歩くことにしている。
まずは荷物を何とかしなければ。
今日から2泊する宿に頼めば預かってくれるのかも知れないが、何となく面倒くさい。
フェリーターミナルにコインロッカーがあるのでここに預けてしまおう。
バックパックごとロッカーに入れると手ぶらになってしまうので、中身を別の袋に移してそちらをロッカーに入れることにした。
別に手ぶらでも良さそうだが、礼文島は山の天気。雨具くらいは用意しておいた方が良い。


 ◆ 桃岩展望台コースを歩く

昨日、今日の予定をどうするか色々考えたのだが、今日は礼文島トレッキングの定番(?)ともいえる桃岩展望台コースを歩くことにした。

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 本日歩いたルート(地理院地図より筆者作成)

桃岩展望台コースは香深から桃岩展望台を経て島南部の知床という漁村へ下りる全長6.4kmのコース。
礼文島のトレッキングを取り入れたツアーも、このコースを歩くものが多いようだ。


9時50分、フェリーターミナルを出発する。
町中を北へ歩くと、やがて礼文島に2つしかない信号機のうちの1つという交差点がある。ここを左に曲がると上り坂が始まる。
ちなみに、もう1つの信号機は船泊にあって、そちらは押しボタン式となっている。
どっちも信号機をつけても意味ないように見えるほど車は通らないが、子供の教育上のために付けたのだとか。

しばらく進んで町が途切れたあたりに、新しくできた新桃岩トンネルが口を開けている。
これが出来たことによって、元々あった旧桃岩トンネルは封鎖されてしまった。香深〜元地間の往来は便利になったが、元地方面から桃岩展望台へ行くには逆に不便になった格好になる。

元地は地蔵岩や桃岩を下から見上げるポイントがあったり、有名なユースホステル桃岩荘もあるのだが、徒歩で行くにはこの長いトンネルを通るしかない。歩道も狭く、あんまり歩きたいトンネルではないな。

実は3年前に仕事で礼文島に来たのは、この新桃岩トンネル絡みだった(かなり間接的だが)。少々懐かしくもある。

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 2016年11月に開通した新桃岩トンネル入口。

新桃岩トンネルの入口わきに『桃岩展望台近道』と書かれた道しるべがあって、登山道はそこから始まる。

しばらくは鬱蒼とした林の道が続く。暑い。
ずっと着ていたウインドブレーカーは脱いでバックパックに入れた。

大型バス駐車場からのコースと合流するあたりから視界が良くなる。足元に高山植物も見え始めた。
レンジャーハウスまで続く車道と交差するとここから一気に登りになる。レンジャーハウス前は駐車場があって、一般車で来た場合はそこに車を置くことになる。

10時30分桃岩展望台着。

フェリーターミナルからここまで歩いて約40分。
ちょっとした広場になっていて、その名の通り桃岩を上から見下ろす箇所。
ここに着いたら、

うわ〜〜〜!
マジかよ〜〜〜〜〜!
と叫びそうになった風景がそこにあった。

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 桃岩展望台と利尻富士。

さっきバスの窓から頭しか見えてなかった利尻富士が綺麗に姿を見せているではないか。
裾野は薄いガスを纏っているが、それが雲の上に浮かんでいるような恰好で、より一層幻想的な光景を作り出している。
まるで1000m級の頂上にでもいるような錯覚になるが、いま立っている場所の標高は200mと少しなのだった。

反対側は桃岩、その向こうには小さいが猫岩が見える。
この辺りは有名どころなのでわざわざ画像を貼るまでもないと思うが、一応貼っておきます。

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 桃の形をしているからこの名がついた桃岩。

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 猫が背を丸めてうずくまっているような形の猫岩(画像中央)。

車やバスで来た人は、桃岩展望台までで引き返すことも多いようだが、ここからがこのコースの本番となる。
ツアー客もぞろぞろと来るような道なので、木柵を設けたりやロープを張ったりして整備してある。昨日の腰まで藪に埋まるような岬めぐりコースの道とはえらい違う。

いやしかしこの雲に浮かんだような利尻富士の見え方はどうだろう。
足元には高山植物が咲き乱れ、天空の花道を行くようだ。
しばし足を止めて利尻富士に見入る。

実は肉体は既に失い、もう魂だけの存在になっていて、

この先に三途の川でもあるのでは・・・

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 海に浮かぶ利尻富士。

同じ礼文島でも花の縄張りが違うのか時期が違うのかは分からないが、咲いている花がずいぶんと違っていた。
昨日岬めぐりコースの主役だったエゾカンゾウはほとんど見つからず、代わってこちらの主役はピンクの花穂が揺れるイブキトラノオ(伊吹虎の尾)だった。
この群落にさしかかると、可愛らしくピンク色の穂が一斉に揺らいで出迎えてくれる。

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 あちこちでイブキトラノオのピンク色の花が揺れていた。

ピンクと緑と空色のコントラスト。
しかし写真うつりは悪かった。画像では肉眼の通りにはならない。カメラとか写真に造詣が深ければ綺麗に決めるのだろうが、一眼レフのオート撮影ではこれが限界です。

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 元地灯台1.9km 桃岩0.9kmの道しるべ。

景色に見入ったり撮影をしたり、何度も足を止めているうちに、後続組に抜かれる。
あと、意外と反対から来る人とすれ違う。知床から逆コースで来た人たちだろう。

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 スカイブルーの海の色。

ここまでは断崖の上を通ってきたが、やがて草原が広がる場所に出る。
草原の中に一筋の遊歩道が下ってまた登るのが一望できる。ここがキンバイの谷
キンバイって何だろうと思っていたが、ここがレブンキンバイソウ(礼文金梅草)の群落ということらしかった。

レブンキンバイソウはと探したが見つからず、意外と歩いている足元に普通に咲いていたりする。

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 レブンキンバイソウを見つけた。日本では礼文島にのみ自生する。

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 キンバイの谷を見下ろす。

さっきガイドとマンツーマンで歩いている人に追い越されたが、ガイド付きの人はキンバイの谷で引き返していった。
ここまで来れば知床まで通り抜けても手間は同じだと思ったが、よく考えたら車で来た人はまた車へ戻らなければならないのだった。

キンバイの谷からまた登り切ったところがつばめ山の頂上。
ここからは東に利尻水道、南に礼文水道、西に日本海と三方の海を望む場所。木柵で囲われた、ちょっとした展望台のようになっている。
眺めは抜群だが、雄大過ぎて1枚の写真で表現するのは難しい。

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 つばめ山から見た桃岩と元地方向。下に桃岩荘が見える。

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 足元に咲くチシマフウロ、レブンシオガマ、写真うつりが悪い。実物はもっと綺麗。

つばめ山を過ぎるとあとは基本下り。
途中に広地灯台があって、ここにはベンチがあった。ここでちょっと休憩させてもらう。

さっきまで尖がったシルエットを見せていた利尻富士は、いつの間にか頭だけすっぽりと雲の中になってしまっていた。
雲は少しずつ動いているので、待っていればまた雲が晴れるだろうと、ここでしばらく様子を見ることにした。
それにまだ11時30分を過ぎたばかり。

ゆっくり歩いてきたつもりだが、フェリーターミナルを発ってから、まだ2時間も経っていない。
早く下山したところで、次に行くところがあるわけじゃない。ここでしばらくのんびりと過ごす。

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 元地灯台は別名花の浮島の灯台。

40分くらいベンチで利尻富士の様子を眺めていたが、頂上の雲は流れているが一向に消える気配はない。
あきらめてもう先に行くことにした。

元地灯台からは下に会津ノ崎と灯台、それに利尻富士を見下ろしながら一直線に下る道。
それはそれで絵になる風景だが、今までずっと絶景ばかり続いていたのと、もうそろそろコースも終わりだなということで退屈な感じは否めない。
かといって、ここからまた来た道を戻るのかと言われれば、そこまでする気にもならない。
途中からは灯台の管理用なのか、二条の轍の道となった。

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 利尻富士を正面に見ながら知床へ下る。

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 桃岩展望台コース知床口。

知床口のゲートでトレイルコースは終わり。
桃岩展望台コースに咲く花の看板が立っていて、花の写真と名前が載っている。
その中に、これでもかと咲いていたピンクのイブキトラノオと白いハナウドは載っていなかった。ありふれているからなのだろうか。

さらに下ると知床の漁村が見えてきた。
時刻は12時30分。さっき元地灯台の休憩時間を差し引けば、香深フェリーターミナルを出発して2時間で知床に下山できたことになる。
桃岩展望台コースのフェリーターミナル〜知床間の所要時間は、ガイドブック等の公称では3時間程度となっているが、実際にはゆっくり歩いても2時間程度の所要時間なのだった。

このまま真直ぐ行けばバス停のある道道に出るのだが、町の手前に『北のカナリアパーク0.6km』と書かれた道しるべがあったのでそちらの方へ行ってみる。

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 知床の漁村と雲をかぶった利尻富士。

小さな沢を渡った先に、廃校になった小学校の建物が現われた。
それらしく綺麗にリフォームされているので期待するが、今は防災避難所となっているだけのようだ。
そこから新しい道路を行くと北のカナリアパークがある。

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 北のカナリアパークとロケに使われた木造校舎。

利尻富士を背に建つ古い木造校舎は、2012年に放映された東映映画『北のカナリアたち』のロケに使われたもの。
吉永小百合演じる小学校教師が、とある事件から島を追われ、その教え子が起こした事件からまた再び島を訪れるまでのストーリー。

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 映画『北のカナリア』に使用された校舎。

実はこの旅行に出発する前にDVDをレンタルして見ておいた。
おお、映画で見たのと同じ校舎だと感激する。
礼文島に行って北のカナリアパークも見てこようという人は、一度この映画を観ておいて損はないですよ。


 ◆ ゲストハウスのんの

ここ知床から香深までは3kmほどの距離。数少ないが路線バスもあって元地灯台で休憩しなければ間に合ったが、もうずっと平坦な道路なので、歩いてもどうってことは無い。それに早く戻っても困るので。

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 知床から香深までの道道。

右側に海と利尻富士を見ながらテクテクと歩く。道沿いは家が途切れることなく続いていた。
13時45分、ぐるっと1周してまたフェリーターミナルに戻ってきた。

コインロッカーの荷物を出して、14時になったので今日からの宿に向かう。
チェックインが14時からとなっていたからだ。

今日から香深で2泊する宿はゲストハウスのんの
素泊まりオンリーでトイレ・シャワー共同ながら1泊4,500円という格安なのが魅力。
ビジネスホテルでも3千円台からある本土に比べると安くはないが、この時期に礼文島に泊ると平気で1万円超えがザラということを考えると格安ということになる。

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 今日から2泊する宿はゲストハウスのんの。

場所はフェリーターミナルから徒歩1分という交通至便な場所にある。とはいっても町の中心部からは若干離れているので、フェリーターミナルに近いのが必ずしも便利というわけでもないようだが。
ともかく、当初は礼文荘の2泊で帰るところだったのだが、もう2泊するのを決めたのはこの宿の存在だった。

1階はカフェになっていて、宿のエントランスもカフェと同じで、店に入った脇に2階の宿へのドアがある。
チェックインは1階のカフェで行う。
店番のねえさんが2階まで一緒に上がってきて色々説明してくれた。電子レンジや電気ポット、冷蔵庫もあってこれらも共同である。
海外旅行で安宿に泊まるとこんな所ばかりなので、むしろ慣れた宿に感じた。

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 6畳1間の簡素な和室だが、値段相応。

下のカフェに似合わず部屋が畳部屋なのは、元々旅館だった建物を改装したからだろう。
窓の外はすぐ隣家の壁。小さなテーブルと、布団が敷いてあるだけの簡素な部屋だが、1人旅ならばこれで十分。

時刻はまだ2時を過ぎたばかり。さて、これからどうする。
夕食はどこか店に入るか、それとも何か買ってきて部屋で飲みながら食べるか。
横になってしばらく考えた。

あっ、礼文町郷土資料館があるのを思い出した。一応雨に当たったときのことを考えて、屋内で時間を潰せるようなところはマークしておいた。そこへ行くことにした。


 ◆ 香深の過ごし方

外に出ると、さっきまできれいに見えていた利尻富士がきれいさっぱり消えていた
水平線ちかくは雲が覆っていた。ほんの30分前まではあんなにくっきり見えていたのに。
本当にこの時期の利尻礼文は大気が不安定というか山の天気そのものだと実感する。

郷土資料館は『礼文町町民総合活動センター ピスカ21』という建物に同居していた。中の受付で310円の入場料を払ってチケットとパンフレットを貰う。
礼文島のジオラマやトドのはく製から始まって、島の歴史や文化を展示している。
それなりに見ごたえもあって、これなら500円くらい取ってもいいんじゃないくらいに思えた。

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 トドのはく製。

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 1階の展示コーナーを見下ろす。

できるだけジックリと見てきたつもりだが、外に出ると15時20分。40分しか経っていなかった。

利尻富士は相変わらず雲の中。
もう宿に戻って1杯やってようかと、香深唯一のスーパー、香深マリンストアに寄る。
これが店内に入ると驚いた。

ロシア人もびっくり

何に驚いたかって、棚や冷蔵ケースはスッカスカ。またどれも高いこと。離島だから高いのは仕方ないが、昨日行った船泊マリンストアーとはえらい違いに感じた。

どうでもいいことだが、昨日行った船泊の『マリンストアー』に対し、ここ香深のは『マリンストア』となる。
本当にどうでもいいが。

しょうがないな、セイコーマートまで行くことにした。
礼文島唯一セイコーマート香深はなぜか香深の町ではなくて、町から2km以上北に行ったところにある。
車社会だから別にどこにあってもいいのだろうが、車を持たない人や旅行者にとっては困ったところ。

まあいいや、セイコーマート買い物コースというトレッキングコースとでも思えばいいや。
どうせ時間はたっぷりとあるし。

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 礼文島にただ1軒のセイコーマート。

さすが我が道民のセイコーマート。こんな辺境でも期待を裏切らない豊富な品揃え、本土と変わらない価格。
あらためてセイコーマートを見直したのだった。
ホットシェフやイートインもある。ただ、イートインはコロナの影響で閉鎖中だった。

総菜や酒、それに明日の朝食を仕入れて、セイコーマートの袋を下げてまた来た道を戻る。
青空なのだが、歩いている途中、利尻島を隠した海霧(ガス)が流れ込んできた。
香深に戻ってくる頃には、ガスは町中を真っ白に覆い隠すほどになっていた。

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 香深に戻ると町はガスに覆われていた。

フェリーターミナルには、ちょうど稚内からのフェリーが着くのが見えた。
着いた人を出迎える気分で、ターミナルに寄ってみる。

1階のコンコースには、一昨日はほとんどいなかった各宿の迎えの人たちが、宿の名前の入った幟(のぼり)を持って立っている。
日本じゃとっくの昔に消えた時代がかった光景が、真新しいフェリーターミナルのコンコースに残っているのだった。

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 宿の幟(のぼり)を持って下船客を迎える光景。

やがて乗船客が次々とエスカレーターを下りてきた。
一昨日と違って、観光客とわかる人が増えていた。
道民限定で旅行代金を補助する『どうみん割』も今日からスタートしている。

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 今日の夕食というか酒宴。

部屋に戻って、シャワーを浴びてから1杯やりはじめる。
ずっと歩いていたのでビールが美味い。
焼き鳥は電子レンジで温めてきた。

礼文荘の2食付き据え膳上げ膳(すえぜんあげぜん)も悪くなかったが、部屋にこもって1人で酒宴というのもまた気楽な良さがある

スマホで明日の天気を見ると、雨マークが消えていた。これも朝が晴れだったり逆に夕方から晴れとするのもあったり各社バラバラな予報だが、少なくとも雨に当たることはなさそうだ。
コロコロと変わる予報だから、どうなるかはまだわからないが。

7月1日(水)の費用
費目場所金額(円)
交通費宗谷バス980
食費(飲料)香深フェリー(タ)120
コインロッカー香深フェリー(タ)300
入場料礼文町郷土資料館310
食費(食品・酒)セイコーマート香深2,237
7/1 合計
3,947

5へつづく

posted by pupupukaya at 20/07/23 | Comment(0) | 道北の旅行記

2020年礼文島旅行記3 岬めぐりコース

 ◆ 6月30日(火)

朝、ピーチクパーチクさえずる鳥の声で目覚める。窓の外は空がもう明るかった。
枕元のスマホを見ると3時18分。トイレに行って戻ってきたらすっかり目が覚めてしまった。
今日の礼文島の日の出は3時50分。朝日の写真が撮れるかなと期待したが、空全体は雲が覆っているので無理っぽい。

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 朝日で赤く染まるスコトン岬。

素泊まりの宿ならもう出発したいところだが、朝食は7時から。
鳥のさえずりを聞きながら外を眺めていたら、スコトン岬が朝日で赤く染まった。朝日の写真撮れたなあ。

5時発表の天気予報を見ると、今日の礼文町の天気は曇り。昨日まで悩まされた雨マークは消えていた。
何だか頼りない空模様だが、今日は1日トレッキングすることに決めた。

時間はたっぷりあるので、朝食前に朝風呂に入ってきた。

ようやく7時を過ぎ、1階の朝食会場へ。
昨日の夕食時と同じように、先客がもう食事をしていた。

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 塩鮭がメインの朝食、あとから目玉焼きが出てきた。

テーブルにはお重が置いてある。席に着くとご飯が入ったお櫃と味噌汁が運ばれてくる。重のフタを開けると塩鮭がメインのおかず。ずいぶんと質素だなと思っていたら、しばらくして目玉焼きとサラダの皿がやってきた。

お櫃にはお茶碗2膳半ほどのご飯が入っていたが、これからのトレッキングに備えて全部平らげる。
昨日夕食時に女将から、岬の方は今は売店がやっていないので、もしよかったらおにぎりを作ってあげますよと言われていたが、これだけ食べれば夕方まで腹は持つだろう。

食べ終えて朝食会場を出ると、仕事の人たちはもうゾロゾロと出勤するところだった。
今日は病院前バス停8:29発のバスでまずスコトン岬へ向かうことにしている。


 ◆ 岬めぐりコースを歩く

8時20分過ぎ、バックパックを背負って宿を出る。荷物は歩きに必要なものだけ残してあとは袋に入れて部屋に置いてきた。
礼文島内の路線バスは全線が自由乗降区間となっていて、事前に運転手に伝えればそこで降りられるし、逆に乗車する場合はバスに向かって手を上げれば停車してくれる。

宿の向かいで待っていたらバスが来た。手を上げるとバスはウインカーをつけて停車した。

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 手を上げると停車したスコトン行のバス。

今日歩くのは岬めぐりコースと呼ばれるトレイルコースの1つ。
スコトン岬をスタートして、ゴロタ岬、澄海(スカイ)岬を回って船泊に戻ってくるコース。

礼文島とひと口に言っても意外と広く、船泊の町からスコトン岬までは7kmもの距離がある。歩けば1時間以上はかかる。数少ないがバスをつかまえれば僅か12分。別に歩いても良かったのだが、今日は初日だし、天気も微妙なので手堅くバスで行くことにしたのだった。

バスのフロントガラスはびっしりと水滴が付いていた。香深方面は雨だったのか。
乗車したバス車内は私と同じくトレッキングと思しき乗客が5人ほど。1人は浜中で下車した。トレイルコースの1つ、8時間コースのスタートはここになる。

スコトンのバス停は岬の600mほど手前にあるが、バスはスコトンの停留所を通り過ぎてスコトン岬の駐車場が終点になった。
ここまでの運賃は420円。

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 スタートのスコトン岬。

道路の終端から下りる階段があって、その先が展望スペースになっていて、『最北減の地スコトン岬』の標柱が立つ。岬の先に海驢(とど)島が見える。
最北端の宗谷岬に対し、こちらは最北限を名乗るが、北の位置としては宗谷岬には6.5kmほど負けている。

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 この日に歩いたルート(地理院地図より筆者作成)

とにかく、最北限のスコトン岬から始める。8時48分スタート。
スコトンのバス停を過ぎて、道道から分岐する坂道を登る。
木のない山の斜面は、オレンジ色をちりばめたようにエゾカンゾウが満開だった。
写真に撮るが、暗い空のせいか見栄えのする写り方にならない。

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 トド島展望台から船泊方向を見る。

9時24分トド島展望台着。ここは車で来られるらしく、駐車スペースがあった。
ここから船泊湾を一望できる。空は暗いが視界は良い。しかし、遠くの山々はガス(霧)に覆われていた。

トド島展望台からしばらく歩くと、鮑古丹と江戸屋への分岐点へ出る。ここで車道は終わり、本格的なトレイルとなる。
木が1本もないので、一条の踏み分け道が山の上まで筋のように見える。海側は断崖絶壁、山側はなだらかな丘陵が広がって絶景だ。

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 ゴロタ岬へ続く道。

9時56分、坂を登り切ったところに柵で囲まれた展望スペースに出た。ここがゴロタ岬。
正確にはゴロタ山の頂上で、肝心のゴロタ岬は岩が邪魔してここからは見ることはできない。

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 ゴロタ岬。

ゴロタ岬には先客がいた。挨拶をすると、先客は反対方向に下りて行った。私とは逆コースの人らしい。
ウインドブレーカーを着てきたが、ここまで登って汗びっしょりになってしまった。
景色を見ながら風に当たっているとだんだん汗も引いてきた。

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 ゴロタ岬から南東方向、ゴロタ浜を見下ろす。

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 ゴロタ岬ですれ違った人が下りて行く。

15分ほど休憩してまた歩き出す。こんどはゴロタ浜へ下って行く。
やがて馬の背に出る。右に日本海、左に船泊湾を望む。

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 ゴロタ岬南側の馬の背から。

ミユキストならば『銀の龍の背に乗って』の一節が浮かんでくるところ。

 ♪ 僕は龍の足元へ崖を登り呼ぶよ「さあ、行こうぜ」
 ♪ 銀の龍の背に乗って届けに行こう〜
  (中島みゆき作詞作曲 銀の龍の背に乗っての一節より)

もう銀の龍の背ならぬ緑の龍に乗った気分。

眺めはいいが、だんだん草が腰のあたりまで覆うようになる。そんな踏み分け道を塞ぐようにハナウドの白い花がびっしりと咲いていた。
いつもなら風が強い所なのだろうが、今日は風はそれほど吹いていない。海も凪のように穏やかだ。

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 ニュッと伸びた不気味なエゾニュウのつぼみ。

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 足元に咲き乱れる花。エゾカンゾウ、ハナウド、チシマフウロなど。

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 エゾカンゾウの群落。

しばらくは海を見ながら馬の背を緩やかに下るが、途中から急坂を一気に下る。
登りより下りの方が怖い。登りはパワーに任せて進めばいいが、下りは足を下ろす場所を間違えればズルッといっちゃいそうだから。しかも草が覆って足元が見辛いとくる。

何とか下まで来れば、ここからは浜沿いの平坦な道となる。

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 ゴロタ浜ですれ違った人々。あちらはゴロタ岬へ向かう。

このあたりで逆方向の人たちと何人かすれ違った。
歩きやすいが退屈な道が続く。しばらくすると鉄府(てっぷ)の町中に入る。
町中といっても十数軒の家が並んでいる漁村だが、ひと休みできるような場所は無かった。

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 またヤブの中を登るのかよ。

鉄府の町を過ぎると澄海岬を示す道しるべが立っている。その先は草に覆われた登坂。
ここもずっぽりと草に埋まって登る。雨上がりだったら腰までずぶ濡れになりそう。

急な斜面はオレンジ色のエゾカンゾウの花が満開。この花はよっぽど斜面が好きなんだろう。
しかし写真うつりは悪い。日が出ていればもう少し映えるのだろうか。

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 斜面に満開だったエゾカンゾウ。

途中で振り返るとさっき通ってきた鉄府の町が一望できた。
その向こうに見えるのがさっき登って下りてきたゴロタ山なのだが、いつの間にか山の頂上は真っ白なガスに覆われてしまっていた。

あらら、さっきゴロタ浜ですれ違った人たちはあのガスの中だ。
山の天気とはよくいったものだ。

南の方も薄いガスがかかり始めている。晴れているのはこの辺りだけのようにも見えた。あのガスの中を歩くのはいやだな。

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 さっき通ってきたゴロタ山はガスに覆われてしまった。

登りはつらいが、また絶景や花々が楽しませてくれた。
こんどのトレイルはそんなに長くはなく、すぐに下りとなる。
澄海岬や西上泊(にしうえんとまり)の町を見下ろしながら下る。

神社の前に出て、そこから車道を下ると澄海岬の駐車場があった。
ここに売店がいくつか並んでいるはずなのだが、昨日女将に聞いた通り、売店らしき建物はシャッターが閉まっていた。

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 澄海(スカイ)岬に到着。

澄海岬と書いてスカイ岬と読む。誰が呼んだか知らないが、イカした名前を付けたものだ。
ここから見下ろす海が空のように青く澄んで見えるからこう呼んだのだろう。

今日は一面曇り空だが、海を見下ろすと青く見える。
最近リニューアル工事されたらしく、歩道の敷石や柵が真新しい。海は美しいが、海岸には流木を片付けたらしいゴミ袋が散乱していた。

あーあ、晴れてればなあと思うが、この時期の不安定な天気を考えれば、雨に当たらなかっただけで良しとするべきだろう。

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 チョコバーとお茶が昼食代わり。

ここでちょうど12時。スコトンを出発してから3時間少々しか経っていない。意外と早かった。
澄海岬のある西上泊からは普通の道路が通じている。路線バスこそ無いが、歩けば宿まで1時間くらいで着く。
あまり早く戻ってもすることがあるわけでなく、時間を持て余してしまう。
もう少し早く出れば、8時間コースも余裕だったかな。8時間コースとはここからさらに西側の海岸沿いに南下し、香深井に抜けるルート。
しかし、あっち方向もガスがかかっている。

とりあえずベンチに腰掛けて、宿の前にあった自販機で買ったお茶と、稚内で買ってきたチョコバーで休憩。

普段ならば観光バスがやってきて、その度にツアー客の喧噪が展開されるのだろうが、今日はたまにレンタカーで回っているらしい観光客が1人、2人やってきて立ち去るだけ。それ以外は貸切状態だった。

しばらく海を見ながらボーっと過ごしていた。たまにはこんな時間があってもいいんじゃないか。
1時間ほどしてから出発する。

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 西上泊からは舗装道路をテクテク歩く。

人家や漁港のある西上泊からは片側1車線の立派な車道が通じている。
途中で道道に合流し、船泊までは約1時間の退屈な道が続く。
かといって、さっき歩いてきたトレイルを逆戻りするかと言われれば、それは勘弁してくれだ。
それに、ゴロタ山はもうずっと雲の中だし。

歩いている途中に、8時間コースの入口があった。
次に礼文島に来たときは挑戦してみたい。
13時40分、町道の突き当りの道道との交差点に着く。ここが浜中の集落で、岬めぐりルートはここが終点。

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 浜中バスステーション。

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 浜中付近の船泊湾。

船泊湾を見ながら道道を歩く。海は波ひとつないベタ凪だった。こういう日はウニ漁は捗るのかなあ。
14時少し前、宿の前まで戻ってきた。
いくら何でもまだ早いなあと思い、久種湖を1周してこようと思った。礼文島のトレイルコースの中に久種湖畔コースという1周1時間のコースがある。

というわけで、キャンプ場内の遊歩道に足を踏み入れた途端、蚊の大群だらけ。こりゃたまらんと逃げ出す。
しょうがない、宿に戻ってビールでも飲んでいるかということで船泊の町にあるマリンストアーまで歩いた。

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 船泊マリンストアー。

船泊にはコンビニは無いが、ここマリンストアーに来れば食料品や日用品は一通りそろっている。
ほかに店がないせいか、わりと繁盛しているようだった。
ここでビール2本とつまみを買って宿に戻る。


 ◆ ホテル礼文荘2日目

宿に着いたのが14時40分。もう行くところはない。
フロントでキーを受け取るときに「風呂は何時からでしたっけ」と聞いたら4時からだけど少し早めてくれて、3時40分からは入れるようにしてくれた。

部屋に戻る途中、洗濯物を抱えた朝食会場で見た工事かなんかで泊まっている人とすれ違った。朝早く出て行ったが、戻りもずいぶんと早いんだな。

部屋に戻ってバックパックを降ろしたら、やれやれやっと着いた〜って感じになった。
まだ風呂まで1時間もあるのか。
本当は風呂上がりに飲もうと思っていたビールだが、待ちきれなくてもう飲んでしまった。

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 ビールが美味かった。

は〜、うめ〜〜〜〜!
トレッキングの後に飲むビールはまた格別なのだった。

3時40分になったので風呂に行く。本当は4時からなので一番風呂。
風呂から上がって、脱衣室から出るときに次の客と入れ替わりになった。ちょうど4時。向こうは一番風呂のつもりで来たのに先客がいたのであれっ?みたいな感じでいた。

また2本目のビールも飲んでしまった。いいや、まだ夕食まで2時間以上もあるし。

6時半、夕食会場へ。
別な客が入ったのか、昨日とは別の部屋だった。

自分の名前が書かれた札が置いてあるテーブルに着く。
ワオ、昨日より豪勢になっている。
また昨日と同じ冷酒の2合瓶を頼んだ。

昨日は塩ウニが入っていた小鉢のフタを取るとななな〜んと、生うに。
しかもエゾバフンウニだよ。

コンロの上に乗った鍋はご飯の上にきのこ、とろろ昆布それに蒸しウニが載っている。
お客さんお酒を召し上がるようなので雑炊にしましたとのこと。
何て気が利くんだろう。号泣ものだ。

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 昨日にも増して豪華になった夕食。

さて、まずは刺身とウニで1杯始めると、八角の焼き物が出てきた。
こうなるとお酒も1升ビンでほしいところだが、さっきビール2本飲んだところだしこれで我慢する。

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 上画像からはみ出たが、コンロに据えられたウニ雑炊。

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 生エゾバフンウニ (>▽<)きゃー!

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 生ボタンエビ (>▽<)きゃー!きゃー!

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 締めはウニ雑炊で。

お酒1本空いたところで、コンロに火をつけてもらった。
このウニ雑炊がまた絶品だった。昆布のだしの旨味が凝縮した汁とコッテリした蒸しウニの風味がもうたまらん。

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 雑炊は昆布だしの旨味とウニの風味が合体した絶品だった。

すっかり幸せな気分となって部屋へ戻った。

窓の外を見ると、やっぱり曇り空。今日は夕日を見ることはできなかった。

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 部屋の窓から。今日は夕日は見えず。

この宿の隣は道道の建設管理部の事務所。夜になっても明かりが消えることがなく、表にも車が1台置いてある。ずいぶん遅くまで残っているんだなと思ったが、早朝にも同じ車があったのですぐにわかった。
1人は一晩中詰めているようだ。夜中に何か起こったときに誰もいませんでしたじゃ困るからだろう。

明日の天気予報は曇りで夕方から晴れマークとなっていた。
朝のバスでとりあえず香深へ行き、それからどうするかは天気の様子を見て考えることにしよう。

6月30日(火)の費用
費目場所金額(円)
食費(飲料)自販機160
交通費宗谷バス420
食費(ビール)船泊マリンストアー723
6/30 合 計1,303


posted by pupupukaya at 20/07/19 | Comment(0) | 道北の旅行記

2020年礼文島旅行記2 ホテル礼文荘

 ◆ 香深フェリーターミナル→病院前 宗谷バス

フェリーターミナル出口の横に仮設の売店があって、見ると礼文島プレミアム商品券というのを売っていた。
5000円で500円券が12枚綴りになていて、6500円分使えるものだ。
礼文島内の店や飲食店で使えるが、宿泊代やレンタカー代には使えないという。
礼文島には5日間滞在し、前半2泊は2食付きだが、後半2泊は素泊まりなので、このくらいならば使い切るだろうと1冊買った。
うに丼とかホッケのチャンチャン焼きくらいは食べて帰りたいし、いくらかは節約になるだろう。

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 5000円で6500円分使えるプレミアム商品券。

フェリーターミナルの前に続く上屋の端っこがバス乗り場になっている。そこは地元のおばちゃんが2人バスを待っていた。
しばらく待っていると、『スコトン』の行先を掲げたバスがやってきた。
ワンステップの2ドアバスだが、中ドアは締め切りになっている。

1人のおばちゃんは「知床じゃないのか」(知床は島の南部にある漁村)
運転手「知床行はこの後だから」「バスが時間より先に行くことはないからね」
とやりあっている。島らしい長閑な光景。

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 フェリーターミナルのバス乗り場。

バスに乗るときに今日から泊まる宿の前で降りたいのだがと告げた。島内のバスは全区間が自由乗降制とわかっていたので。
運転手は「いいですけど、そうすると料金が1区間分高くなりますよ」とのこと。少し歩くが『病院前』という停留所で降りるのが近いということだった。
「病院前の放送が流れたらボタンを押してください」

そのバスの客となったのはもう1人のおばちゃんと私、2人だけ。フェリーターミナルを発車する。

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 自分入れて乗客3人だけのバス車内。

次の停留所は『病院前』、こちらは香深の病院前だ。
ここで利尻空港の荷物タグを付けた大荷物の兄さんが乗ってきた。木炭の箱を持っているのでキャンプ場行きとわかる。
香深井と船泊にキャンプ場があるのでどちらかまで行くのだろう。
バスの客は3人となって北へ向かう。

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 バスの車内から見た利尻富士。

バスの窓を振り向けば、さっきフェリーから見えていた利尻富士がずっと見えていた。

どのバス停も乗り降りする人は全くなくただ通過するのみ。たまに後ろにつかえていた後続車に道を譲るだめに停車する。
高校前の停留所では下校の学生が乗ってきた。札幌あたりとは違って全員マスクをつけている。
ここから賑やかになるのかと思っていたが、学生たちは席に着くと全員うつむいてスマホをいじっていた。

道道は真直ぐ船泊へショートカットするが、バスは金田ノ岬を迂回する。岬からトドが見えないかと思ったが、今日はいないようだった。

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 金田ノ岬を通る。

船泊本町という停留所で、学生の1人が運転手に話しかけていた。
発車してしばらく行った交差点を曲がったところでその学生が降りて行った。1つ手前の停留所までに降りたいバス停を運転手に告げるとそこで停車してくれるようだ。

次あたりが『病院前』だろうと身構えていると、「次は船泊診療所前でございます」と車内に流れる。
あれっ?病院前は?

診療所=病院とわかるまでにしばらく時間がかかった。降車ボタンを押さなきゃと思う前に学生の1人がボタンを押した。

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 車内放送だけが本当の名前を告げる病院前の停留所。

その『病院前』の停留所で、学生2人と香深からのおばちゃん、それに私、あと利尻空港タグの兄さんが降りる。
停留所の表示は『病院前』。たしかに船泊診療所の前にあるが、何なんだこの旅人を惑わせる停留所は・・・
香深フェリーターミナルからの料金は980円だった。


 ◆ ホテル礼文荘

バス停から予約してある宿までは、距離にして300m、歩いて3〜4分といったところ。私はバックパック1個だけなので何のことはないが、荷物が大変な人は宿の前で降ろしてもらえばよい。ちなみに宿の前で降りたらいくらなのか調べたら、1070円だった(2020年現在)。
もっとも、前日までに宿に電話でお願いすれば、フェリーターミナルまで迎えに来てくれるのだが。

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 2泊3日滞在することになるホテル礼文荘。

宿の外観は予約サイトに載っていたのでわかっている。
2泊する宿の名前は『ホテル礼文荘』。ホテルといっても外観はどう見ても木造2階建ての旅館か民宿。
正面に掲げられた『ホテル』の文字に、どことなく昭和の哀愁を感じるのは私だけか。

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 ホテルの入口。

ホテルと言っても、玄関で靴を脱ぐ旅館スタイル。
私はビジネスホテルよりも畳の部屋を好むので、出張では旅館や民宿をよく利用するので何とも思わないが、てっきりホテルを想定してやってきた人が見たら落胆するかもしれない。

フロントで「バスで来たんですか?」と聞かれ「ええバスで」と言うと少し驚いた様子だった。
昨日電話すればフェリーターミナルまで車で迎えに来てくれたはずだが、着いてからそのまま車で宿に直行というのも面白みがないし、別にバス代を損したとは思っていない。

部屋のキーを渡され、夕食は6時半からということだった。

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 8畳の和室。

とりあえず背負っていた荷物を下ろしてやれやれだ。
風呂トイレ共同の和室。しかし寝っ転がって身体を伸ばせるのはありがたい。出張とか長距離運転があるときの宿はこういうのが一番いい。ビジネスホテルじゃこうはいかないね。

テレビの横にあった客室電話はなんと懐かしのダイヤル式。いわゆる黒電話というやつ。
コロコロコロ、ジ〜〜〜、おお懐かしい感触と音(涙)。
中学生の頃までうちの実家に同じ電話機があった。

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 懐かしのダイヤル式電話(黒電話)が置いてあった。

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 部屋の窓からの眺め。

窓からは海が見え、その向こうに礼文島北端のスコトン岬と海驢(とど)島が見えた。
ああ、いい部屋を用意してくれたな。ただ西日が差しこむので部屋は暑かった。窓を少し開けておく。

宿の向かいに、久種湖畔展望台へ登る階段があったのでさっそく行ってみる。
標高30mほどの高台が展望スペースになっているだけだが眺めは抜群。久種湖や船泊湾を見下ろし、遠くにスコトン岬や金田ノ岬も望む。

夕日が見られたらさぞ綺麗なんだろうなと思うが、青空が広がっていても水平線近くは雲が覆っていて、夕日は期待できそうになかった。

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 久種湖畔展望台から南東方向。下はキャンプ場、右に小さく利尻富士も写っている。

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 久種湖畔展望台から北方向。中央は金田ノ岬。

6時半になって1階の夕食会場に行くと、テーブルには別の客たちがすでに食事をしていた。
ほとんど、いや私以外全員が工事関係者のような仕事で泊まっているような人ばかりだった。
出張なんかで地方の旅館に泊まるとよくある光景。
毎年、観光シーズンの今時期は観光客で満卓なんだろうけど、今日は空きテーブルが目立つ。

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 夕食。礼文島で獲れた海鮮がいっぱい。

テーブルの席に着くと、いやあ豪勢。やっぱり2食付きにして良かった。
「お飲み物はどうしますか」と聞かれ、ここは冷酒の2合瓶(800円)を頼んだ。

お酒は『花の島礼文島』のラベル。製造元を見た見たら日本清酒とあった。中身は札幌の千歳鶴。
それでも専用のラベルで用意してくれたのがうれしいではないか。

女将が品々の説明をしてくれるが、忘れてしまった。ていうか上の空でハイハイと聞き流していた。
どれから箸をつけようかということで頭が一杯だった。
こんな豪勢な食事にありついたのはずいぶん久しぶりの気がする。

ソイ(だったかな)の刺身と煮魚、甘エビの刺身、コンロ付きの鍋はホタテと野菜のバター焼き、小さな蓋つきの椀には塩ウニが入っていた。生うにでないのが残念なところだが、これで1泊9600円は大したものだ。

「ご飯とおつゆは後で持ってきましょうか」と聞かれて「いや、一緒でいいです」と言った。
あとで呼ぶのも面倒だし、汁物で酒も飲めるので。
汁物は魚のあら汁だった。

まずはお造りをいただいて、お酒をキューっと。
周りを見ると、カニなんか付いているのは私のテーブルだけ。
休暇中の身の上とはいえ、なんだか申し訳ないな。

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 花の島礼文島ラベルのお酒。

まずカニからやっつけるか。
テーブルには毛ガニの半身がデンと乗っている。

私は北海道人のくせにカニを食うのが下手で、そんなわけでカニは苦手なのだが、それでもたまに食べると美味い。
カニ味噌、これは酒持ってこい酒と叫びたくなる。
最初はハサミで切って箸でつついていたが、面倒になって歯で殻を割いて指でほじくって格闘する。

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 毛ガニの半身。

何とかカニはやっつけたが手がベタベタになった。あら汁を啜って、そうしているうちにバター焼きの鍋が噴いてきて、これはご飯に乗せてかき込んだ。
あ〜食った食った、ごちそうさん。


 ◆ 礼文荘の夕暮れ

部屋に戻ると布団が敷いてあった。
ボロさが気になる宿だが、サービスは温泉旅館並みだ。
窓の外が赤く染まっている。見ると水平線の近くだけ雲が切れているではないか。

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 部屋の窓から見えた夕日。

まさかと思っていたが、これは夕日の写真が撮れるかもと、カメラを持って外に出て、向かいの展望台に登った。

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 宿の向かいに展望台の登り口がある。

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 久種湖畔展望台から見た夕日。

上まで登ってしばらくすると雲の切れ目に夕日が姿を現した。
スコトン岬と海驢島を望む日本海に沈む夕日。今の時期はこの方角に沈むんだね。
展望台にいるのは私1人だけ。しばらくこの夕日を独り占めする。


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 19時25分、船泊湾に日が沈む。

部屋に戻って、窓のそばで暮れゆく風景を見ながら、今度は焼酎のお湯割りで1杯やる。
焼酎はペットボトルに詰めて持ってきたもの、お湯はフロントでポットごと貸してくれる。

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 20時00分、窓辺で黄昏れる。

テレビなんか見る必要はない。
北緯45度の夏至に近いこの時期は、日が沈んでも空はずっと明るい。
そんな空を見ながら、4年前に行った北欧の白夜を思い出していた。

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 20時30分、空はなかなか暗くならない。

部屋の明かりもつけずに黄昏れを見ながらお湯割りを飲んでいた。
だんだん暗くなってくるが、北の空はずっと明るいまま。
すっかり日が暮れて星が見え始めたら、もう9時近くになっていた。

スマホで天気予報を見る。明日の雨マークは消えない。
雨には当たりたくないな。礼文島に滞在中は、トレッキングというか、ずっと歩き回ることにしている。それしかすることもないし、行くところもない。かといって、日程は十分あるので雨の中歩くのもいやだ。
雨だったら宿の部屋で時間を持て余すことになる。ノートパソコンを持って来ればよかったかな。

明日どうするかは、朝の天気予報次第で決めることにして、今日は疲れたので早く横になった。

6月29日(月)の費用
費目場所金額(円)
食費(弁当)弁菜亭売店850
食費(ビール) キヨスク札幌ラッチ西店326
食費(飲料) 札駅ホーム自販機140
食費(食料品)セイコーマート稚内駅前336
食費(金券)礼文島プレミアム商品券※5,000
交通費ハートランドフェリー5,700
交通費宗谷バス 980
6/29 合 計13,332
 ※商品券はすべて飲食で使用したため食費で計上。

posted by pupupukaya at 20/07/18 | Comment(0) | 道北の旅行記

2020年礼文島旅行記1 礼文島まで

  ◆6月29日(月)特急宗谷で稚内まで

出発日の朝、一番当てにしていた気象協会の週間天気予報を見ると、昨日までほぼ晴れマークだったのに週の半ばに雨マークが付いていた。
全道的には雨がちな週になるようで、各地の天気も雨マークが目立つ。
雨に当たるのは覚悟しているが、週の半ばに2日間も雨マークを見ると出発前から気分が凹む。

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 6/29朝の週間天気予報(日本気象協会tenki.jpのスクリーンショット)

7時過ぎに自宅を出ると、土砂降りの雨。仕方なく百均のビニール傘を差して地下鉄の駅へ向かう。
まずは札幌駅7時30分発の特急宗谷で稚内まで行く。
所要5時間10分の列車の旅。こんなに長い時間列車に乗るのもずいぶんと久しぶりだ。
月曜の朝だが、駅弁とビールを買い込んで列車に乗り込んだ。
退屈するかと思っていたが、久しぶりに乗る特急列車の旅は思いのほか楽しく、あっという間の5時間だった。

 特急宗谷の乗車記はこちら ↓

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 札幌から5時間10分、稚内駅に到着。

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 稚内駅と日本最北端の線路のモニュメント。

稚内駅からフェリーターミナルまでは歩いて10分とかからない。フェリーの発時刻までは2時間もあるので、駅周辺を散策してくる。
駅舎からはみ出す格好で線路と車止めがモニュメントとして残されている。

そこから花崗岩で模したレールのモニュメントがさらに北へ伸びていて、70mほど先の道路が終点となっていた。
かつて夜行急行利尻が客車列車で運行されていた頃は、機回しのための引込線がここまで伸びていた。さらに古くはこの先の駐車場となっているところに貨物列車の積み下ろし場があり、さらに昔は先にある北防波堤ドームまで伸びていて、樺太との鉄道連絡船だった稚泊連絡船が発着する稚内桟橋駅まで線路があった。

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 花崗岩で模したレールの終点。

北防波堤ドームまでやってきた。
もう何度も見ているし、何か面白いものがあるわけでもないのだが、ここから樺太(サハリン)が見えないかと思ってやってきた。

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 戦前は樺太航路の稚泊連絡船が発着した北防波堤ドーム。

ドームの脇にある階段を登って海を見たが、今日は樺太は見えなかった。
空気が澄んでいれば、ここから肉眼でもわかるようにはっきりと島影が見える。

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 ノシャップ岬方向を望む。樺太(サハリン)は見えなかった。


 ◆ 稚内→礼文島 アマポーラ宗谷

フェリーターミナルに向かう途中、セイコーマートに寄る。
今日から2泊する宿はコンビニも無いような所なので、何か買っておこうかと思ったのだが、店に入るとこれといって必要な物も思いつかなかった。2食付きなので食事の心配はないし、酒はいつも飲んでる焼酎をペットボトルに入れて持ってきた。
お菓子類は普段食べないし、飲料は自販機くらいあるだろう。
日本なのでのどが乾いたら水道の水を飲めばいい。

明日からのトレッキングに持っていこうと、チョコバー2本と炭酸水のボトルだけ買ってフェリーターミナルへ。

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 利尻礼文の出発点、稚内フェリーターミナル。

1時間ほどぶらついてきたので13時40分過ぎ、次のフェリーは利尻島の鴛泊(おしどまり)行が14時20分発、礼文島の香深(かふか)行が14時40分発と表示されている。

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 向かいにある稚内港国際旅客ターミナル。現在は航路の休止により閉鎖中。

利尻礼文行ターミナルと道路を挟んで向かいあっているのが国際旅客ターミナル。
稚内とサハリンのコルサコフ港を結ぶフェリーの乗り場で、中に税関や出入国審査場なども入っている。
去年(2019年)の運航は取りやめになり、今年は運航が決定していたようだが、コロナ禍の影響で今年の運航も中止だろう。

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 1階にある乗船券売場。

フェリーターミナルの乗船券売場は1階にあり、カウンターのほか券売機も並んでいた。最初券売機で買おうとしたら現金しか使えないようだ。カウンターの方に並び直す。
こんどはクレジットカードが使えた。

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 稚内〜礼文香深の往復乗船券。

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 閑散とした2階の乗船待合所。

チケットを買ったらエスカレーターで2階へ。
毎年この時期は、広いコンコースが旅行客でいっぱいになるほど賑わうのだが、今年は見事に閑散としている。
ベンチで乗船開始を待つのは地元の人と思しき人たちばかり、私を含め旅行者と見受けられる人はほんの少数しかいなかった。

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 ひと足先に利尻島の鴛泊(おしどまり)行フェリーが出港。

待合所に座っていてもつまらないので、窓から車の積み込み風景や、先に出港する礼文島行の船を見送ったりしていた。
車は一足先に積み込みというか乗船が始まっている。船に乗る際はバックで入るのが決まりのようだ。

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 稚内市内の幼稚園児作成の『いってらっしゃい』に見送られ。

出港の15分くらい前になると乗船が始まる。
改札はチケットに印字のQRコードを読み取り機でスキャンするだけ。

船は『アマポーラ宗谷』という名前。
1階がカーペット敷きの船室が並ぶ2等席、1階が2等指定席と1等席になっている。
船尾の甲板にもベンチが並んでいて、海風に当たっていれば気持ちよさそうだが、船室との出入口の脇に喫煙所があってタバコの煙が漂っているので居心地は良くない。
2階の甲板に上がって車両の積み込みや出港風景を眺める。

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 トラックの積み込み作業。島にとっては物流の生命線。

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 稚内港を出港。ばいばーい!

14時40分、係船ロープが外されて出航。船の加速は良くて、あっという間に岸が遠くなった。
これで本土とは別れ、金曜日までは島の人となる。

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 タバコの煙が漂う後部甲板のベンチ。

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 稚内の町がだんだんと遠ざかる。

ノシャップ岬の沖あたりから利尻富士が姿を現した。
といっても雲の上にチョコンと頭を出しているだけだったが。

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 ノシャップ岬灯台と頂上だけ姿を現した利尻富士。

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 ノシャップ岬沖から見た稚内半島。

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 しばらく頭だけ姿を現した利尻富士を見ながら。

出航してから30分ほど2階甲板から遠ざかる稚内半島を眺めていたが、まだ先は長い。船室へと戻る。
2等カーペット席は各区画に2〜3人くらいが横になってるほどの入り具合。
船内探検もしてくるが、さほど大きな船ではないので1回りしたら終わってしまった。
荷物を置いていた場所で横になる。

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 宗谷湾を出るとフェリーは礼文島を目指す。

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 船内売店の商品。

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 2等自由席のカーペット席。

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 2等指定席は座席が並ぶ。(2階のデッキから)

横になっても眠くなることはなく、しばらくスマホをいじっていた。
1時間ほどして進行左側の窓に目をやると、さっき頭だけだった利尻富士の雲が切れてくっきりと見えているではないか。
飛び起きてまた2階甲板へ行く。

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 進むにつれて雲が消えて、秀麗な利尻富士が全貌を現した。

ワーオ、こんなにきれいに見えるなんて思いもしなかった。
札幌は雨だったが、こっちの方はずっと天気だったようだ。
これなら昨日に稚内入りして、朝の船で礼文島に渡れば良かったかなとも思うが、タラレバを言い出したらキリがない。

反対側は、利尻島とは対照的に横たわる礼文島がだんだん近づいてきた。

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 左舷に利尻富士を望みながら、右舷には礼文島の島影が近づく。

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 フェリーは礼文島へと近づいて行く。

島はだんだんと大きくなって、香深の町がはっきりと見えてきた。
3年ぶりの礼文島だった。あのときはガスがかかって暗い印象だったが、今日は晴れていて全然違う印象だった。

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 香深フェリーターミナルが見えてきた。

16時40分、船はフェリーターミナルに横づけして着岸。
下船すると、係員が全員にスプレーで手の消毒を行う。
『新しい生活様式礼文島モデル2020』と書かれたポスターもあったり、コロナ禍はどこも例外は無いことを思わせる。
コロナと思われる症状があったら島の診療所へは行かず、稚内の保健所に電話してくださいと書かれた掲示もあった。

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 香深港に到着。いよいよ礼文島に上陸。

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 香深フェリーターミナルでは、出迎えの人も疎らだった。

1階のコンコースに下りたところに、各ホテルや旅館の幟を持った人が出迎えていた。
今日から泊まる旅館の人がいたらちょうどいいなと思ったが、今日はいないようだった。

今日から2泊する旅館はフェリーターミナルのある香深ではなく船泊の方にある。
礼文島とひと口に言っても意外と広く、香深から船泊の旅館まで20km近くあるのだった。
実は前日までに電話すればフェリーターミナルまで迎えに来てくれるので電話しなくちゃなあと思っていたのだが、だんだん面倒になって電話しなかったのだった。

幸いフェリーに接続して船泊を通ってスコトンまで行く路線バスがあるのでそれに乗ればいいやと思っていた。


posted by pupupukaya at 20/07/12 | Comment(0) | 道北の旅行記

特急宗谷に乗って宗谷線の今後を考える

新型コロナウイルスの移動自粛も解けた2020年6月29日の週、1週間の休暇を取って礼文島に滞在してきました。
札幌から稚内までは鉄道利用、稚内から礼文島まではフェリーによる礼文島入りとなります。
その旅行初日、札幌から稚内まで特急宗谷を利用しました。今回はその乗車記と、宗谷本線の今後について思ったことを綴ってみました。


 ◆ 6月29日(月)礼文島へ向けて出発

出発日の朝、天気予報は全道的に雨。
宗谷地方の週間予報も、昨日までは概ね晴れマークだったのに今朝になって週半ばに雨マークが付いてしまった。
どうもこの時期の宗谷地方は天気が安定せず、天気には悩まされる。

札幌はというと、この日は朝から雨。7時半発の特急宗谷に乗るために7時過ぎに自宅を出たが、この頃が雨が一番激しく降っていた。
傘など持っていきたくないが仕方ない、百均のビニール傘を差して家を出る。

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 札幌駅から特急宗谷に乗車。

今日は特急宗谷で稚内まで行き、稚内からフェリーで礼文島に渡る予定である。。

所持しているきっぷは指定席往復割引きっぷ(Rきっぷ)で、札幌市内〜稚内間が特急指定席利用で往復13,310円となっている。この区間を通常の乗車券と特急券で乗ると、往復22,180円となるので、割引率は40%にもなるというお得なきっぷ。裏を返せば、それだけ高速バスや車との競争が激しいということである。

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 稚内往復に使用した指定席往復割引きっぷ(Rきっぷ)。

実はこの特急宗谷に乗るのは10年ぶりになる。前回は2010年の稚内から往復フェリーで行ったサハリン旅行の行き帰りだった。
たまに特急列車を利用することがあるが、それは本州への行き帰りで乗る北斗系統だったり、お酒を飲むためにやむなく利用するカムイ・ライラック系統くらいなもの。

車社会の住人になってからは、道内特急そのものがすっかり縁遠くなってしまっている。
その間に車内販売が無くなり、稚内と網走へ向かう特急列車は一部を残して旭川発着に短縮され、だんだん寂しいことになってしまった。

今回は稚内港の駐車場代プラス往復のガソリン代と、往復割引きっぷの値段を比較してもさほど差がないことがわかり、たまには鉄道の旅もいいかなと思って車を置いてJR利用としたのだった。


 ◆【特急宗谷】札幌 7:30発

今朝は朝食を抜いて出てきた。久しぶりの鉄道旅なので駅弁を食べながら優雅に行こうと思っていた。
改札を入ってキヨスクでビールを買った。月曜の朝だが、こちらは休暇中。車の運転があるわけでなし、とりあえず稚内までの5時間は車中の客となる。たまにはいいんじゃない・・・

続いて別の売店で駅弁を買おうとすると閉店中。別の売店は開いていたが店員がいない。
これは困ったな、弁当を買って乗らないと稚内までの5時間以上、車内販売もないので何も手に入らない。
キヨスクで売ってる弁当を買うしかないのかと思ったら店員が戻ってきた。

何だかんだでホームに上がったのが発車5分前。
特急宗谷はすでに入線している。所定の4両編成だが指定席の車内は案の定がら空きだった。1両だけの自由席は通勤客らしい人が結構乗っていた。
いくつか撮影してから車内に入る。

なぜか指定席のデッキには立ち客がいる。自由席からあぶれた人だろうか。
指定された2号車指定席の客はビジネス客と思しき人ばかり。コロナの移動禁止は解かれたが、まだ観光客は少数のようだ。
座席は半分の列も埋まっていないのだが、なぜか自分の周りだけゴソっと固まって座っている。
ソーシャルディスタンスで、もうちょっと分散して席を売ればいいのにと思うのだが。

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 朝の札幌は完全に雨だった。

窓ガラスは水滴だらけ。雨が降る暗い空の下列車は発車する。
さてスマホと充電コードを取り出して・・・
あれっ?あるはずだと思っていたものが無い。
コンセントがどこにもなかった。以前183系の『サロベツ』に乗ったときにあったのだから当然あると思い込んでいた。

この宗谷の261系車両は2000年(平成12年)の宗谷本線高速化時に登場した車両。車内外に古さは感じないが、乗車して車内に収まっているとやはり古さは隠せない。
車内販売が廃止されて久しいが、車内に自販機もないし、途中停車駅で買い物できる駅も無い。
スマホも満タンに充電し、食べ物や飲み物も事前に用意して乗らないと、稚内までの5時間は無い無いづくしの旅になってしまう。

高速バスでも標準となりつつあるフリーWi-Fiなんて、何それおいしいの?と言わんばかりに無いし、付けるような話も聞かない。
人的サービスが無理ならば、せめて世の中で標準となりつつあるサービスくらいはしてほしいのだが。
今のJR北海道に期待しても無理か。

発車すると車内アナウンス。
落ち着いた男声で車内や停車駅の案内。そのあと女声で英語のアナウンス。続いて中国語。
これが脳天にキンキンに響くような甲高い声。なぜそこだけボリュームを上げる?
終点稚内まで、車内放送の旅にこのキンキン声に悩まされることになる。

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 幕の内弁当いしかり(850円)とサッポロクラシック。

まあいいや。
車掌の車内改札が済んでから駅弁タイム。
売店で買ってきた『幕の内弁当いしかり』とビールをテーブルに出す。

じゃあ朝から1杯やらせていただきます。
プシュッと音をたてないように栓を開ける。周りはビジネス客ばかりなのでね。

まずは弁当の中身を一瞥。
この弁当を買ったのは、もう10年以上ぶりだと思う。
登場したのは青函トンネル開業の年だった気がする。当時は700円だった。もう30年以上変わらず続くベストセラー商品。
前に食べたときは経木折に紙のラベルだったが、いつの間にかスチロール容器にボール紙の上蓋になっていた。おかずは登場時からほとんど変わっていない。

デパートの催事を狙ったような目立つものは見当たらないが、鮭やホタテといった海鮮や、ご飯は道産米といったところにさりげなく北海道らしさを出しているところが大変に好感を持つ。
容器以外に変わったところといえば、おかずが全体的に薄味になっている。あとご飯が格段に美味しくなっているような気がした。
これで今どき850円なのだから大したものだ。

 ★★★★★

味、量、コスパ、これは文句なしに5つ星をつけさせていただきます。


 ◆ 【特急宗谷】岩見沢 7:56発

岩見沢では4号車自由席から20人ほどの下車客があった。札幌から岩見沢通勤する『かよえーる』の客だろう。
ホームの向かいに停車中は滝川行普通列車。こちらも意外と通勤客らしい人で座席が埋まっていた。
岩見沢ではなぜか指定席の2号車から2人降りて行った。たった1駅で指定席を買っていたのか。さっき車内改札があったので自由席の客ではなさそうだが。

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 岩見沢。自由席の4号車から通勤客が多く下車した。

停車中に、
「ただいま車掌がお客様対応を行っております、発車までもうしばらくお待ちください」とアナウンス。
2分ほど遅れて岩見沢を発車。

いつの間にか雨は上がっている。それでもまた降り出しそうな厚い雲の下を石狩平野の水田を見ながら走る。
かつては通過していた美唄、砂川にも律儀に停車する。その度に自由席から何人かの下車がある。

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 空席だらけの2号車指定席。

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 こちらは半室グリーン車と普通車指定席の1号車。

261系の加速は電車並みに早い。実現することはなかったが、当初は札幌〜旭川間を電車特急と併結して走ることを想定して設計された車両だからだ。
最高速度は130km/hだが、今は120km/hに抑えられている。そのせいか乗り心地も静寂さも電車に近いものがある。
かつてのスーパー北斗やスーパーおおぞらのような、振動や揺れの激しい走りっぷりに比べたら、多少遅くてもこっちの方が余程良い。

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 車内誌『THE JR Hokkaido』に載っていた稚内駅の駅弁。

これも滅多に目にすることがない車内誌『THE JR Hokkaido』。
めくると、稚内駅の駅弁が紹介されていた。
どっさりうに弁当(1,380円)というのが写真付きで載っている。帰りの列車に乗るときに買ってみようか。
でも残っているかな・・・

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 旭川市内は曇り空だが雨は降っていない様子。


 ◆【特急宗谷】旭川 9:00発

9:00、旭川着。定刻は8:58着なので、岩見沢での遅れを回復することはできなかった。
旭川で少し客が入れ替わるのかと思っていたが、2号車は1人増えたほかは動きなし。自由席はホームに並ぶ客も見えたが、指定席3両は相変わらずがら空きのまま旭川を発車する。

天気はずっと曇り空だが、空は少しずつ明るくなっては来ている。

旭川からはかつての急行礼文のスジを追う。

 1994年2020年
 急行礼文特急宗谷
旭川 発8:499:00
 
稚内 着12:4512:40

下り礼文は、旭川発8:49、稚内着が12:45だった。札幌7:05発の特急オホーツク1号が旭川で接続していた。
宗谷線急行のうち『(スーパー)宗谷』『サロベツ』『利尻』の愛称は特急に引き継がれたが、『礼文』だけは消えてしまった。
その後利尻は夜行列車の廃止で消滅、急行宗谷とサロベツだったスジは、旭川短縮となってしまった。現在残っている札幌直通の宗谷のスジは、実はかつての急行礼文のものである。
名前こそ消えてしまったが、今となっては礼文が一番出世した列車といえるのかもしれない。

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 日本最北端の貨物駅、北旭川貨物駅を通過。

急行時代は旭川を過ぎると途端にローカル線ぽくなったものだが、旭川運転所が今の場所に移転してから途中北旭川駅の手前までは複線電化区間となって見違えるようになった。
道北のコンテナ基地であり、日本最北端の貨物駅である北旭川を通過する。
しばらくして永山で運転停車。信号方式がここで変わるので、下り列車だけはここで必ず停車する。

急行時代の90年代の半ば頃までは通過していた。
ソースは?と聞かれても困るが、手元にある1994年と1999年の時刻表を見比べると、下り列車の旭川〜和寒間で急行サロベツが1分、急行宗谷が2分所要時間が伸びているので、この間に運転停車が始まったんだろう。

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 下りは永山駅で運転停車がある。

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 宗谷線に入っても最高速度120km/hを維持。

旭川からは宗谷本線に入る。名寄までは高速化されていて、旭川から蘭留までは直線区間も多いので最高速度の120km/hを維持して走る。
複線区間では感じなかったが、単線区間で、車体脇まで草が生い茂っている中での120km/hはスピード感が半端ない。

速度はスマホの速度計アプリからの測定。

蘭留からは塩狩峠越えと連続カーブのため速度が落ちる。
20‰(パーミル)の上り勾配は、普通列車のキハ40形ならば30キロ台のスピードにまで落ちてしまうが、この261系はグイグイと登る・・・といいたいところだが、速度計を見ていると50キロ台にまで落ちてしまった。
この区間は勾配だけでなく半径250mの急曲線も連続し、最小195mという最小曲線も現れる。(数値は小学館 日本鉄道名所 勾配・曲線の旅より)
いくら優れた足回りを以てしても泣き所の難所。
塩狩駅が頂点となり、ここからは和寒駅まで一気に下る。この辺りからまた雨模様になってきた。
和寒では乗客が1人あった。下車は無し。急行礼文時代は通過していた。

和寒〜名寄間は再び直線区間が多くなり、列車も快調に走る。
士別着は9:42、若干遅れが目立ってきた。ここで4〜5人の下車客が見えた。

ここで上りサロベツと交換する。チラ見だが、あちらの車内は悲惨なほどに人がいなかった。
6/30まではコロナ対策のためサロベツ1往復が運休中。昼の上りと夜の下りが無くなってしまったので、稚内方面から道央への日帰りが難しくなったために、これらの利用客が激減しているものと思われる。


 ◆【特急宗谷】名寄 9:56発

名寄着は9:57、3分遅れ。
このくらいならば定時運転といえるのかもしれないが、秒単位を旨とする日本の鉄道なのだからもうちょっと頑張ってほしいところ。

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 札幌から2時間24分で名寄駅に到着。稚内へはここがほぼ中間点。

下車客は自由席からを中心に10数人といったところ。
駅前には自衛隊の車が待っていた。名寄は自衛隊の町でもある。JRにとっても安定した利用者だ。

この2号車も2人ほど降りて行ったが、意外なほど動きは少ない。みんな稚内まで行くのだろうか。

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 最北の水田が広がる名寄盆地。 

名寄を過ぎると名寄盆地も終わり。天塩川の谷ぞいを行く。
線形も悪くなり、半径400m台の曲線だらけではスピードも上がらない。
名寄までは高速化工事が行われて、また直線区間も多かったので快調に走っていたが、名寄から先は従来からの線路なので最高速度は85km/hとなる。

この先は幌延まで天塩川の蛇行に付き合うように曲線区間が続く。
まとまった直線区間は、美深〜初野間と豊富〜兜沼間くらいなもの。

仮に名寄〜稚内間で高速化工事をしても、連続した曲線区間ばかりでは速度制限が続いて、大幅な時間短縮が難しいだろう。
また路盤も脆弱で、気動車こそ最高速度85km/hだが、DD51の牽引する14系客車時代は音威子府〜稚内間で最高70km/hまでに抑えられていた(鉄道ジャーナル社 懐かしの国鉄列車PART3より)。

それでも、この列車は健気にも短い直線区間を見つけては最高速度の85km/hまで加速して、カーブが近づくと減速するを繰り返す。
さすが261系の威力と思いたくなるが、かつてキハ54形で運行していた急行礼文時代と名寄〜稚内間の所要時間を比較するとで2分しか違いがない。急行礼文時代も何度か乗ったことがあるが、こんなに飛ばしていた印象はなかったが、現実にはほとんど変わっていないことになる。


 ◆【特急宗谷】音威子府 10:41発

音威子府着10:44着。3分遅れ。もう3分遅れが固定になったようだ。
ここで下車は2〜3人てところ。

かつてはオホーツク海側の旧天北線や枝幸へのバスが接続し、特急発着時はそれなりに駅もホームも賑わったものだが、音威子府〜枝幸間を結ぶバスは無くなって、枝幸からは札幌や旭川へ、旧天北線の鬼志別からは浜頓別を経て旭川へ直通する都市間バスが運行しているので、かつての賑わいを見ることはなくなった。
また、朝の上り、夜の下りといったビジネス列車の時刻が大幅に変わってから、天北線のバスはこれらの列車との接続を取らなくなってしまった。

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 音威子府駅ではかわいい出迎えが。

乗り換え客で賑わったのも過去のこと。今は北海道で1番小さな村の駅である。
改札口の前では、新十津川駅の真似事なのかは知らないが園児たちのの見送りがあった。

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 音威子府からは青空も見え始めた。

音威子府からは青空も見えるようになった。ここからは天塩川に沿って行く。宗谷本線の見どころのひとつ。
景色はいいのだが、谷川沿いの崖っぷちに線路が敷かれているわけだから急曲線だらけで速度制限ばかり、また保線上も大変な区間だ。

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 音威子府からは天塩川が車窓の友。

対岸を並行するのは国道40号線。あちらも似たように谷にそって道路があるが、一部はトンネルになったりして改良されている。
以前に国道40号線を車で通った旅行記で、天塩川の眺めは国道からより鉄道の方が良いと書いた記憶があるが、この鉄道からの眺めも昔より悪くなった感じがする。
線路沿いの木々や草が茂って視界を遮っているからだ。
天塩川はチラチラ見え隠れするか、茂った葉っぱ越しに見えるだけで、写真に撮ってはっきりと川が写る区間は数えるほどしかなかった。
草刈りや剪定を行う余裕もないのだろうか。線路沿いの林や草は伸びるに任せてほったらかしというのが増えた。


 ◆【特急宗谷】天塩中川 11:13発

天塩中川では2号車から1人下車があった。私の前の席の人で稚内までの券を持っていたが、札幌から往復だと稚内までのRきっぷを買った方が安いからだろう。

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 開業時の駅舎に復元された天塩中川駅。

逆に天塩中川からの人が札幌や旭川へ行く場合は厄介だろうな。
無人駅のために往復割引きっぷを買うことができない。車内でも買えるが、この場合は正規の乗車券と特急券の扱いのみとなるので、かなり割高となる。

JR北海道が近年販売に力を入れている『えきねっと』は、予約はWeb上で出来るが、発券はみどりの窓口か指定券券売機でしかできない。
飛行機みたいに予約を入れて発券も自分で出来るのならば、無人駅からでも特急の利用がしやすくなるし、極端な話、主要駅以外は全部無人駅にできるので人件費はかなり抑えられると思うのだが、JR各社はそういうことにあまり興味はなさそうだ。

チケットの販売方法だけでなく、駅員による切符の販売や、車内販売のような人手のかかるサービスが無くなるのは今の時代は仕方がないが、コンセントやWi-Fiのようにあって然るべきサービスまでがおざなりになっているのはいかがなものか。
乗客を増やす(あるいは逃さない)ためには、沿線観光のアピールやイベント列車の運行もいいけれど、まずこういったところからだと思うのだが。

話がかなりずれてしまったので戻します。

天塩中川からは天塩川は一旦遠ざかるが、秘境駅で有名になった糠南駅の物置待合室を見て通過すると再び天塩川が現われる。
天塩川が一番近くで見られる区間でもある。ここへさしかかると列車は徐行を始めた。
車窓の見どころなので減速してくれたのかと思ったら、45km/hの速度制限標識が見えたので違ったようだ。

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 糠南〜雄信内間が天塩川に一番近づく。

ここは山肌が天塩川に落ち込んで激流が洗っている箇所で、川の上に陸橋を架けて線路を通している。問平陸橋といって設備も古く、融雪期や台風での増水時の洗堀の恐れがある橋梁とされ、その対策に2億円を投じたところである。(JR北海道 宗谷線アクションプランより)

地図で宗谷本線の線形を見ると、天塩川の対岸に渡ることもせずただ川の流れに沿って線路が敷かれているのがわかる。

日露戦争勝利後の1905年(明治38年)にポーツマス条約締結によって南樺太(サハリン)が日本領に復帰すると、それまで名寄止まりだった天塩線を宗谷線と改称して北へ向けての建設が始まった。
音威子府からは浜頓別経由の旧天北線ルートが先に建設されて、稚内(現:南稚内)まで開通したのが1922年(大正11年)となる。その翌年には稚内と大泊の鉄道連絡船が就航して、函館〜稚内間に直通急行の運転が始まっている。
現在の幌延経由ルートは、1917(大正6年)に着工され、1926年(大正15年)に稚内まで開通すると、函館直通の急行列車も幌延経由となった。

とにかく1日でも早く全通させたかったのだろう。
トンネルも鉄橋も嫌って、ただひたむきに北へ樺太へと目指して設計され工事が行われたのが手に取れるような線形だ。
こんな路線だから、国鉄時代から保守管理が大変だった。さらに施設の老朽化ということも深刻になってきている。

函館本線や根室本線ならば、こんな危険個所は山側へ迂回してトンネルにするか、一旦対岸に渡ってショートカットした箇所も見られるが、樺太を失ってローカル線に成り下がった宗谷本線は、そのような改良工事はなされずに今に至っている。

問平陸橋を過ぎると天塩川はまた離れて行き、こんどはトンネルに入る。
全長1256mの下平トンネルで、宗谷本線で唯一のトンネルでもある。
元々ここは川の崖っぷちを陸橋で通していた区間だが、1961年(昭和36年)に雪崩によって鉄橋が全て転落する大災害が起こった。その後も何度も災害が起きるので、山側にトンネルを掘って1965(昭和40年)に完成したものだ。

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 幌延町の負担で存続が決まった雄信内駅。

トンネルを抜けると左側に木造駅舎のある雄信内駅を通過する。
利用者が0に近いとして2020年度にはJR北海道から廃止の打診があった駅だが、幌延町の維持管理によって存続する方向になっている。
この駅は17年前の2003年に降りたことがある。その当時は、駅前は朽ちた廃屋が並ぶゴーストタウンのような駅前だった。
しかし、天塩川の対岸の国道40号線沿いには天塩町雄信内の集落があって、当時は中川商業高校に通学する高校生が乗り降りしているのを見た。同校が閉校になってから、日常の利用者はいなくなったのだろう。

雄信内を過ぎると天塩川ともお別れ、ここからは天塩平野が車窓の友となる。
このあたりからは空気が変わると言ったらいいのか、とにかく道央にはない日本離れしたものを感じる。
中川あたりで見かけた畑作地も姿を消し、どこまでも牧草地帯が続く。
行く手には雲の隙間から利尻富士が頭だけ姿を現していた。

青空が広がって道北は好天のようだが、雲を見ていると不安定な感じもする。


 ◆【特急宗谷】幌延 11:46発

幌延駅には1両のキハ54形が停車していた。幌延で交換する名寄行4326Dで、幌延〜音威子府間は3本しかない上り普通列車のうちの貴重な1本である。
こちらが発車したときに車内を見ると、3〜4人見えた乗客は鉄道ファンと思しき男性ばかりだった。

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 幌延着。名寄行4326Dと交換。

下沼を過ぎたあたりから左側はサロベツ原野が広がる。
雲がなければ、地平線の向こうに利尻富士が見えるのだが、さっきまで頭だけ見えていたが、北の方を覆う雲の中にすっぽりと隠れてしまった。

原野といっても車窓から見えるのは開拓の手が入った牧草地ばかりで、本物のサロベツ原野を見たければ豊富で下車して、バスかレンタサイクルでサロベツ原生花園まで行く必要がある。
今日あたりは黄色いエゾカンゾウが満開かなあ。

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 左手にサロベツ原野を見ながら行く。利尻富士は雲の中だった。

豊富から兜沼までは数少ないまとまった直線区間となり、列車も85km/hで快走。最高130km/hの261系では、それでも力を持て余している様子。


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 線路改良のされていない宗谷北線では、最高速度は85km/h止まり。

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 車窓からチラリと見える兜沼。

兜沼はサロベツ原野の北端で、ここからはゆるやかな宗谷丘陵越えにかかる。
木が少なく、低い笹ばかりのなだらかな起伏は、冬に初めて来たならば北極にでもやってきたかのような最果て感に陥るだろう。

やがて木造駅舎が残る抜海駅を通過する。
この駅も利用者が0に近いとして、JR北海道から廃止の打診を受け入れた駅。
まだ稚内市と地元住民が協議中ということになっている。

ここも先の雄信内駅と同様に17年前に降りたことがある。あの当時は稚内や豊富への通学生の利用が数人あった。
抜海の駅前は民家が1軒あるだけだが、駅から2kmほど離れた漁港が抜海の町になっている。
抜海地区は歩きや自転車でこの駅まで来て、そこから列車に乗るしか交通機関が無いので、駅の利用者が0ということは日常的に車以外の交通手段を使う人がいないということである※。
廃止後の代替交通はデマンドバスか乗り合いタクシーが町へ乗り入れることになるのだろうか。そうなれば町の人にとってはむしろ便利になるだろう。

※ 調べたら抜海・更喜苫内地区はスクールバスの運行があって、2013年度からは住民混乗も実施されている。このため町から2km以上離れた抜海駅の利用者は0人に近くなった模様。

個人的には車で稚内に行っても、抜海駅に大抵立ち寄ることにしているので多少の愛着はある。
しかし、廃止か存続かについては住民でも利用客でもないので筆者は意見する立場にはない。

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 今年度中で廃止の方向の抜海駅を通過。

余談だが、抜海駅の前後は数少ない直線区間となっているのだが、ここで85km/hまで加速してもすぐに抜海駅の分岐器による速度制限があって50km/hの徐行で通過しなければならない。
これが無くなればいくらかは時間短縮・・・・いや、何でもない。

抜海を過ぎて5分ほどすると、日本海越しに利尻島と礼文島を望む高台を通る。
今日はどちらも雲の中に隠れてしまって見えなかった。
宗谷本線で一番の見どころだ。ここを通る列車は大抵は徐行してくれる。
島は見えなくても、下に見える草原のような砂丘やその向こうに広がる稚内半島が一望できる絵になる風景だ。

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 抜海〜南稚内間の唯一日本海を望む区間。利尻富士はやっぱり見えず・・・

ここを過ぎるとまた笹ばかりの丘陵地帯に分け入って、しばらくすると稚内の家々が見え始める。
南稚内で降りる人たちが降り支度を始めるころ。

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 荒涼とした宗谷丘陵の先に人家が見え始めると南稚内が近い。

南稚内では車内の半数が降りて行った。南駅(みなみえき)と呼ぶこちらの方が、地元の人の利用は圧倒的に多い。稚内市内の高校も大型商業施設もすべてこちらにある。がら空きの車内がさらにガランとなってしまった。
かつては稚内運転所として車両基地だった脇を通過する。いまは夜間滞泊用の車庫があるだけだが、運転の拠点はこちらで、折り返し車内整備もここで行っている。

それを過ぎると高架橋で国道40号線を跨ぐ。右側に一瞬だけ港が見えるとまもなく終点稚内に着く。



 ◆【特急宗谷】稚内 12:40着

かつては古びた島式ホームで、終着駅の貫禄たっぷりで出迎えてくれた稚内駅も2011年に建て替えられて新しくなった。
翌年には道の駅わっかないもオープンし、バスターミナルや映画館などが入る複合施設としてオープンした。

車では何度も訪れていたが、新しい駅になってから列車で着くのは今回が初めてである。
新しい上屋が設けられたホームは、やたらと最北端や終着駅を示す看板がある。逆にそうしないと札幌市内の近郊駅と変わらないのだった。

1面1線だけの簡素なホームだが、出口に立つ『日本最北端の駅』と書かれた標柱と、その奥の車止めに最北端と終着駅を感じた。

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 北と南の始発・終着駅と書かれた終点稚内駅に到着。

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 『日本最北端の駅』看板と最北端の車止め。

終着駅の風情こそ失われてしまったが、バスターミナルと一体化されて交通結節点となり、道の駅や複合商業施設が併設されて新たな集客施設として生まれ変わった稚内駅でもある。

一方で風情こそ残ってはいるが、駅の売店も撤退し、駅前にコンビニすらなく乗車前の買い物さえままならない始発駅もあったりする。
駅が列車に乗る用がない限り地元の人は寄り付かないような場所に成り下がってしまうよりも、こちらの方が余程良いに決まっている。

駅が新しくなっても、利用者の増加には結びつかないのは残念なところ。
ちほく高原鉄道ふるさと銀河線にあったいくつかの駅も複合施設となるピカピカの駅に建て替えられたが結局廃止され、駅舎は道の駅として鉄道なんかなかったかのようになって繁盛しているのは皮肉な話。

とてもローカル線の終着駅とは思えないほどのガラス張りで明るいコンコースや隣接する商業施設だが、ここは紛れもなく存続で揺れている宗谷線の終着駅である。


 ◆ 宗谷本線の今後を考える

今年に入ってからJR北海道は宗谷線の無人駅29駅を廃止を沿線自治体に申し入れ、宗谷本線活性化推進協議会はそのうち13駅の廃止を受け入れた。これらの駅は2021年3月のダイヤ改正を持って廃止されることになる。

存続された駅の維持管理費用は1駅あたり年間100〜200万円、これは地元自治体の負担とするのが存続の条件だ。
そうまでして存続させるのはごく少数でも利用者がいるからという理由だが、中には秘境駅として観光資源になるという理由から存続決定としてしまった駅もあるようだ。

とりあえず存続する駅も、遅かれ早かれのような気もするが。
あと数年後には宗谷本線の路線図も以下のようになるんだろうか。

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 JR北海道が廃止したがっている駅を消してみると・・・ 
 (JR北海道HPの路線図より加工して転載)

一番の希望の星は、やはり特急列車だろう。
宗谷本線は『国土形成や北海道の骨格をなす幹線交通ネットワーク』ということにされているが、これは札幌直通の特急が運行されているからこそで、これが無くなれば長大なローカル線に成り下がってしまう。

じゃあ特急の利用客を増やすにはということになるが、これがまた難しい。
沿線人口は減る一方、旭川を除くと最大の都市稚内市でも3万3千人まで減ってしまった。名寄は2万人台、士別は1万人台にまで減っている。
特急3往復のうち2往復は旭川までに短縮され、261系2編成で3往復体制を維持できるようになったのはいいのだが、朝と夜の列車が早朝と深夜に偏りすぎてしまい、逆に不便そうなダイヤになってしまっている。
これは利用者の動向よりも、車両運用の都合からこうなってしまったのだった。

観光客輸送にしても、さいはてや最北端を売りにしたツアーもあるが、逆に言うとそれ以外の売りが無い。
花が咲き乱れるサロベツ原野は大変素晴らしいが、時期を間違えればただの草原だし、冬は流氷観光で賑わう網走方面と違って稚内に流氷は来ない。利尻礼文も素晴らしい観光地だが、新千歳空港に着いてもそこから稚内までの往復がネックとなる。
旅行会社としても、回遊できる道東方面と違って、行き止まりの道北地方はどうしても単純往復になってしまうのも行程が組み辛いところだ。
古くから修学旅行や大型ツアーのルートに組み込まれていた道東方面と違い、大人数を収容できる宿泊施設が少ないという事情もある。

だからといって、これから大型リゾートの開発をやる?
自治体の投資で行った大型リゾート開発がどうなったかはここで論じるまでもない。
中国系あたりの資本は乗り気でやって来るかもしれないが。

そうこうしている宗谷本線に並行して、国道40号線のバイパスとなる高規格道路の延伸工事が行われている。
現在は音威子府村〜中川町間を結ぶ音威子府バイパスの工事が進んでいる。工事の遅れから開通が延期になっているようだが、これができると急カーブが続く国道40号線のボトルネックである区間が解消される。
そう、さっき通ってきた天塩川に沿った区間である。鉄道は相変わらず蛇行する谷川にへばりつくように走り続けるが、車は新しいバイパスをほぼ直線でショートカットすることになる。

そう遠くない将来には、道央自動車道の士別剣淵ICから稚内までの高規格道路が全通するだろう。
ますます鉄道の存在意義が薄れてくる。
それでも存続する大義名分は、僅かでも利用者がいるから。

JR北海道も慈善事業で鉄道の営業をしているわけではないので、民間企業であるうちは宗谷本線の特に名寄〜稚内間の存続は逆立ちしても不可能だ。
北海道も沿線自治体も、そんな鉄道を維持するために必要な億単位の投資をする余裕などあるはずもない。

誤解のないように申し上げておくが、筆者は別に鉄道の廃止推進論者ではない。
どういう形であれ、存続できるのならば存続してほしいと考えている。
しかし現状を見ると、あくまで一般論で考えても、宗谷本線の特に名寄〜稚内間については将来的に存続するのはかなり難しいと言わざるを得ない。ていうか、残念ながら積極的に存続させる理由がほとんど見つからない。

ただ1つだけ一発逆転の可能性があるとすれば、日本国政府が鉄道の維持管理にかかる費用は国が負担するという決定を下すこと。
要は国として、鉄道は維持すべしという政策に方向転換したならばという話。

宗谷本線に限って、国策としての鉄道存続理由としてあるとすれば、対ロシアの国防上の理由か。
だめだろうね。貨物列車も走らなくなって、軸重14トンのDD51が70km/h以下で走るのがやっとこさの路線にDF200が戦車積んだ貨車牽引して走れるのかね。
大陸側の規格に合わせるべく広軌化と重軌条化工事が進んでいるロシアのサハリン側の鉄道とはえらい違いだ。

沿線自治体が、秘境駅だ観光だと言っている今が花なのかもしれない。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 20/07/11 | Comment(0) | 北海道の乗り鉄
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