2024年サンライズ出雲旅行記8

 ■ 2024年11月11日

おはようございます。
上り『サンライズ出雲』車内から。
こんどはシングル個室内での目覚めです。

朝5時20分はまだ真っ暗。
目覚めたまましばらく窓から空を眺めます。

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 熱海駅停車中。ここからJR東日本の駅。

5時43分、熱海到着。
まだほとんど人けのないホームに、この列車から降りたらしい乗務員の姿がありました。
熱海はJR東海とJR東日本の境界駅。
ここで車掌が交代したのでしょう。

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 まだ夜明け前の駿河湾。

熱海を発車したあたりからだんだん空が明るくなり始めますが、雨模様の曇り空。
3日前に出雲に着いた時からずっと好天に恵まれてきましたが、最後の最後は雨に当たってしまったようです。

小田原からは東京の通勤圏。
次から次へと通り過ぎる駅のホームには多くの人の姿が。
朝早い通勤ラッシュが始まっています。

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 ラッシュの始まりかけた大船駅を通過。

6時24分、チャイムが鳴っておはよう放送が始まります。

「今日は11月11日月曜日、6時24分です」
「定刻で運転中、あと20分で横浜です」
「首都圏の運転状況は平常運転です」

もうちょっと乗っていたいのと、早朝に着いても時間を持て余すこともあって、定刻で運転中というのが恨めしく聞こえます。
遅れてくれれば・・・
しかし、このあと乗り継ぎ予定がある人や、仕事先へ向かう人もいるわけで、少々ワガママな願望ですね。

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 京浜急行の電車と並走。

横浜を発車するとビルやマンションが立ち並ぶ、完全に首都圏の風景。
楽しかった旅ももうすぐ終わりだなあという気分になります。
昨日まで出雲や鳥取にいたのが夢のよう。

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 すっかり高層ビル街となった品川駅を通過。

行きの夜行列車は、到着地が近づくと観光や名物などに夢が膨らみます。
反対に、帰りの夜行列車で到着地が近づくと、何か現実に戻ってきたような気持にさせられます。

私は札幌の人なので、昔『北斗星』や『はまなす』で札幌が近づいたときのことを思い出します。
こんな気持ちは、夜行列車ならではですね。

もっとも私の場合は、東京に着いても今度は飛行機で札幌に戻らなければならないわけで、ここからがまた長いわけですが。

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 見慣れた『はやぶさ』号が見える東京駅。

浜松町あたりから東海道新幹線と並走して東京駅に到着。
新幹線ホームに、見慣れたE5系『はやぶさ』号の車両を見ると、完全に戻ってきた気分になりました。

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 東京駅に到着。

7時08分東京駅8番線に定刻到着。
ホームに出ると、今着いた人たちで賑わいますが、あっという間にいなくなります。

誰もが「あ〜あ着いちゃったなあ」と言う気持ちで家路に、あるいは仕事先にと向かうのでしょう。
車体の行先表示も『回送』に変わっていました。

これで今回の往復分含めて『サンライズ出雲』には4回乗ったことになります。
今度はいつ乗ることができるのでしょうか。

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 出雲市から12時間11分走行してきたサンライズ出雲。

サンライズも運行開始から26年が経ちますが、車体も車内も古さを感じさせないところは頼もしいところです。
一般に鉄道車両は40年は使われていることを考えると、Xデーが来るとしても、まだまだ先のことではありそうです。

しかしこのサンライズ編成も、毎日使用の4編成と予備の1編成しかなく、1編成でも走行不可となると毎日運転は不可能になります。
実際、10月には車両の損傷による修繕のため、『サンライズ出雲』に合計8日間の計画運休日が設けられました。
廃止となることはなさそうでも、将来的には運休日が設けられて、毎日運転ではなくなることも考えられます。

今後どうなるかは誰にもわかりません。
確実に言えることは、あるうちに乗っておくしかないということ。


 東京 → 山手線 → 横浜(山手線・東海道線)

このあとは午後の飛行機で札幌に戻ることになっています。
東京11時15分発の総武線快速電車で成田空港に行くことにしていますが、それまでどう過ごすか。

朝7時過ぎではどうしたらいいのでしょう。
それに、もう少ししたら朝のラッシュが始まるころです。

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 通勤者が足早に行き交う東京駅の通路。

丸の内北口から外に出てみると、曇り空ですが空は明るく、雨に当たることはなさそうです。
ここから歩いて皇居東御苑に行き、江戸城跡を見てくることにしました。

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 皇居の堀と桜田巽櫓(たつみやぐら)。

前回サンライズで朝の東京駅に着いたときも皇居に行きました。
東京駅近くで、朝にどこかへ行くとなると皇居くらいしか思いつかないわけで。

ところが、東御苑入口の大手門まで来たら門扉が閉じていて立入禁止の表示が。
案内板を見ると入場は9時からで、しかも月曜は休園とありました。
仕方なくまた東京駅へ戻ります。

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 東京駅丸の内北口。

もうこうなりゃ電車に乗っていようと、今度はKitacaで入場して山手線の内回り電車に乗ることにしました。
7時40分。
まだ都心のラッシュには早いようで、空いていた席に座ります。

秋葉原、上野と乗って来ますがさほどの混雑ではなく。
8時を過ぎて、池袋でたくさん乗ってきますが、新宿でまた入れ替わります。

それでもすし詰めというほどでもなく、札幌の朝の地下鉄の方が混んでるなと思うほど。
これは池袋〜渋谷間に並行して開通した地下鉄副都心線による効果だそう。

渋谷からはこれでもかというほどの大混雑となりました。
品川までは山手線しかないから集中するのでしょう。

なんとか品川で降り、東海道線に乗り換えて横浜で降ります。

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 横浜駅に来てしまった。

なんとなく横浜に来てしまいましたが、この時間に横浜駅に着いたとてやはりどこも開いていないわけで。

横浜駅と言うと、いつ来ても工事ばかりしていた駅の印象でしたが、今は完成してすっかり広々とした駅になりました。
すっかり様変わりした構内を見て回りましたが、特に面白いものがあるわけでなく。


 横浜 → 品川 → 日本橋(京浜急行・都営浅草線)

何しに横浜に来たのかわからないまま、東京に戻ることにします。
ただ戻るのではつまらないので、今度は京浜急行に乗ります。

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 横浜から京浜急行に乗る。

京浜急行と言えば、横浜を発車すると120km/h運転でJR東海道線の電車を追い越すのが見どころ。
それを見たくて快特青砥行き電車の最前部に陣取ります。


果たせるかな、東海道線の湘南帯電車が先に発車して行きました。
その後を追いかけるようにこの京急1000系電車も発車します。

さあ、一気に加速・・・
しましたが先に見える信号は黄色現示。

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 東神奈川で減速。

神奈川新町の手前でついに停止信号となってしまいました。
前を走る普通電車が逃げ切れなかったようで・・・

信号が青になると一気に加速して120km/hへ。
だけど先に発車した東海道線電車に追いつけるはずもなく、残念。

もっとも途中で東海道線電車を追い越しても、また品川の手前で追いつかれるんですけどね。

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 トラスの八ツ山跨線線路橋を渡る。

品川駅の手前の踏切と八ツ山鉄橋前後の急カーブが京急の泣き所。
この区間は20km/hでゆっくりと進みます。

現在は品川駅の大改良工事が行われており、近くこの線路も切り替わることになっています。
完成すればこの徐行区間もなくなり、京急VS東海道線は京急の完全勝利となるのでしょうか。

京急のターミナルは品川ですが、この電車は都営新宿線直通で京成の青砥まで行きます。
私も品川では降りずにこのまま地下鉄区間へ。

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 都営浅草線の日本橋駅。

10時07分、日本橋で降ります。
ここで降りたのは、文字通り日本橋を見に来たからです。

日本橋と言えば、日本のすべての国道の起点として知られています。
江戸時代はここが東海道の起点とされ、現在も国道1号線の起点となっています。
写真で見たことがあるという人も多いのではないでしょうか。

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 日本国道路元標。本物は車道の路面にある。

私も日本橋は写真でしか見たことがありません。
石造りの橋に獅子の標柱、上を横切る首都高速の高架橋が横切っていて『日本橋』の看板が掲げられているのも写真で見た通り。
本物を見ることができたことに嬉しくなります。
こんな機会でもないと、わざわざ日本橋を見に行く機会はなさそうですな。

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 1911(明治44)年完成の日本橋。

上を横切っている高架橋は、首都高の地下化事業により撤去されることが決まっています。
実際に工事も始まっていて、橋の一部は工事のために囲いが出来ていました。
重苦しい高架橋がなくなった日本橋は、ぜひまた見たいものです。

調べたら完成は2040年とのこと。気の長い話ではあります。

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 1914(大正3)年建築の日本橋三越本店。

日本橋のもう1つの有名な場所と言えば三越本店。
正式には日本橋三越本店。
江戸時代に三井高利が創業した越後屋呉服店と三井両替店。
明治になってから呉服商は丸に越印の三越、両替商は三井銀行(現在の三井住友銀行)と分かれ、今の三越となります。

札幌にもある三越。
う〜ん、ここがその本店かあ・・

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 本館正面玄関のライオン像。

ライオン像や丸越印の暖簾がかかる正面玄関を見て、これが三越本店かあと感心して、気分はすっかりお上りさん。
店内も見て回りたかったですが、あまり時間もないのでまた次回に。
それに、高級デパートに入るような恰好ではなかったので・・・

日本橋からは歩いて東京駅の八重洲口へ。
さっき日本橋見物としたのは東京駅から近かったためです。

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 八重洲地下街のカレーショップ アルプス。

八重洲口の地下街にカレー屋を見つけ、そういえば東京に着いてから何も食べていないと思い出し、ここに寄ることにしました。
先に食券を買うセルフサービスのカレー屋さん。

食券を出すと、皿にご飯を盛ってカレールーをかけるだけの簡単なもの。
もちろんコロッケも出来合いのもの。
その代わり、すぐに出てきます。

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 コロッケ2個のせカレー(530円)。

こちらは注文したら即出てくるカレー、いかにも大衆カレーといった感じ。
最近こういうカレー屋さん、少なくなったよなあ。
カレー専門店といった店は次々と出来てるけど。

やたらと凝ったカレーより、こういう店のカレーの方が旨い。
単に私が貧乏性なだけなのか・・・

とにかく、旅行中はこうした味が恋しくなるものです。


 東京 → 空港第2ビル【成田エクスプレス23号】

また東京駅の中を見て回ります。
ふと気づいて時計を見ると、時刻は11時30分。

ゲッ!

乗る予定にしていた11時15分発成田空港行きに乗り遅れてしまいました。

余裕のある乗り継ぎとしていたので次の電車でも間に合うとわかっているのですが、焦ります。
快速電車で成田空港へ行くとなると、1時間に1本しかないので、次の電車は何時なのだろう。

現在八重洲北改札口前

改札口上にある総武線の発車案内は直近の電車しか表示されないし、他に時刻表の掲示も見当たりません。
あとは『成田エクスプレス』の表示があるのみ。

確か千葉始発の成田空港行きがあったよなあ、それに乗り継ぐことができれば・・
スマホで、東京駅から成田空港までの時刻を乗換案内サイトで検索してみます。
普通電車利用で。

・・・・

東京駅からだから総武線経由を表示しろよ!
使えね〜な!

どういうわけか日暮里から京成電車に乗り継ぐルートばかり表示され苛立ちます。

大丈夫。
まだ奥の手はあります。
成田エクスプレス』に乗ればいいのです。

スマホでえきねっとから12時03分発『成田エクスプレス23』号の特急券を買いました。
この特急券はチケットレスで、しかも『在来線チケットレス特急券サービス』で35%割引になるというもの。

おかげで特急料金1,120円の追加で利用することができます。
別途乗車券も必要になりますが、私は出雲市から成田空港への乗車券を持っていますので。

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 東京駅で買った、横浜DeNAベイスターズ 日本一記念シウマイ。

そんなわけで、東京駅での時間が少々できました。
改札内のグランスタ東京で土産物など眺めながらぶらぶらと。

『横浜DeNAベイスターズ 祝!日本一』の帯がある崎陽軒のシウマイを見つけ1箱買いました。
なんでもリーグ優勝を記念して、今日1日の限定販売なのだとか。
無事に帰り着いたら、これで1杯やることにしましょう。

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 東京駅地下総武線のE259系電車『成田エクスプレス』。

八重洲口から歩いて歩いて潜って潜って、総武線地下ホームへ。
先に入って来たのは大船始発の6両編成。
新宿始発の編成が到着して、東京駅で連結してからの発車となります。

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 スマホに表示させた在来線チケットレス特急券。

予期せず『成田エクスプレス』の客となったわけですが、わずかな追加料金で特急に乗ることができたので良しとします。
車内は空席が目立ちますが、昼間の列車にしてはまずまずの乗車率といったところ。

地上区間に出たら120km/hで飛ばします。
総武線の快速電車に混じっての運転だと思っていましたが、意外や意外で速いこと。
それもそのはずで、成田スカイアクセス線を160km/hで飛ばす京成スカイライナーがライバルですからね。

京成は日暮里〜空港第2ビル間で最短36分と謳います。
こちら成田エクスプレスは東京〜空港第2ビル間で最短50分と所要時間では敵いませんが、東京、横浜、新宿、渋谷から直通が強み。

そんな成田空港アクセス特急ですが、海外旅行者からは影の薄い存在になりつつあります。
2014年に羽田空港の国際線発着枠を拡大してから、国際線の羽田シフトが進んでいるので
今後はLCCが成田空港の主力となるのでしょうか。

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 空港第2ビル駅に到着。

遅れもなく、空港第2ビル駅に無事着けば今回の旅行は98%まで来ました。
残りの2%はここから札幌までのジェットスターの旅になります。


 成田空港 12:03 → 12:54 新千歳空港【ジェットスター115便】 

空港第2ビル駅の改札口から第3ターミナル入口までは結構歩きます。
連絡バスもありますが、歩いて計ってみたら駅から7〜8分といったところ。
早めに着いたので、フードコートで生ビールを一杯。

帰りのジェットスター便は、一昨日スマホからチェックインしていて、通路側座席となりました。
座席指定をしていない場合は早めにチェックインしておいた方が、真ん中席を引き当てずに済むようです。

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 札幌行きジェットスター115便。

新千歳空港までの1時間45分は、ひたすら移動時間。
なにも考えずにスマホでゲームでもしているのがよろしいようで。

  ★    ★    ★

2024年サンライズ出雲旅行記はこれで終わります。
いかがだったでしょうか。

今年は海外旅行はあきらめた格好となりましたが、その代わりに企画した国内旅行です。
当初は海外旅行の代替のつもりでしたが、往復『サンライズ出雲』に乗ることができ、私にとっては海外旅行にも匹敵する楽しさとなりました。

読み進んで旅行気分に、あるいは旅行計画の参考にしていただければ幸いです。


最後に今回旅行での支出を公開します。

2024年サンライズ出雲旅行記の費用
費目金額(円)摘要
交通費(事前購入)63,270JR券、航空券
交通費(現地払い)8,380電車、バス等
宿泊代9,0802泊分
食費17,570現地飲食代
土産4,589自宅・贈呈含む
その他1,980入場料等
合計104,869 

総費用で10万円以上になってしまいました。
事前購入交通費のうち、サンライズ出雲往復分が44,260円で、合計額の4割強の割合となっています。
このせいで高くついた旅費ですが、サンライズに乗車するのがメインの旅行だったので仕方がありませんね。
ていうか目的は果たしたわけだし、大満足です。

今年の旅行は多分これで終わりです。
来年の旅行は・・・
海外に行けるかな?

鬼が笑うので来年の話はこれくらいで。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 24/11/30 | Comment(0) | 西日本の旅行記

2024年サンライズ出雲旅行記7

13時20分に松江に着いて、歩いて松江城まで行き再び松江駅に戻って来たのは15時10分過ぎでした。
観光に要した時間は2時間といったところ。

出雲市方面の列車は15時29分発がありますが、これには乗らず駅や駅前をしばらく見物することにします。
それに早く出雲市に着いても、東京行き『サンライズ出雲』までの時間を持て余してしまうわけで。

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 高架駅の松江駅。

松江駅前といっても、駅前はビジネスホテルと居酒屋チェーン店が目立ちますがそれくらい。
駅の横に一畑百貨店がありましたが、こちらはシャッターが閉じられて空きビルとなっています。
人口20万人の県庁所在地としては、ちょっと寂しい印象を持ちました。

空はますます暗くなり、いつでも雨が降り出しそう。
駅の高架下はここもシャミネ松江という商店街になっていて、ここで土産物でも見ながら過ごすほかなさそうです。

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 松江駅高架下のシャミネ松江。

シャミネの中に駅弁の一文字屋がありました。
出雲市駅にもかつては駅弁屋がありましたが今はありません。
駅弁は松江駅で仕入れておくことにします。
今夜の『サンライズ出雲』車内での晩酌用です。

土産物屋をあちこち見て回りますが、このあと出雲市駅でも1時間以上ぶらぶらしていなければなりません。
同じ島根県だし、売っている物もそう変わらんよなあ・・
ここで買ってもなあ・・・
と思いつつ、今夜のおつまみと宍道湖名物のしじみの乾物を買いました。


 松江 16:11 → 17:02 出雲市(山陰本線・普通)

山陰での普通列車乗り継ぎ最後となる出雲市行は、またもキハ126形2両ワンマン。
夕方なので乗客はそこそこあります。
といっても、ボックス席で相席させてもらう程度の乗車率でした。

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 出雲市行普通列車はまたキハ126形2両編成。

このまま出雲市までこんな状態かと思っていましたが、2つ目の玉造温泉で車内の1/3ほどの人が降りました。
進行右側のボックス席が空いたのでそこに移ります。

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 暗い宍道湖畔を行く。

列車はやがて宍道湖沿いを走ります。
分厚い雲が覆って、夕暮れのような暗さです。

今日は、出雲大社では稲佐の浜で神迎神事が行われる日です。
旧暦の10月になると全国の神々がここ出雲に集まります。

今夜はその神様を迎えるための儀式が行われる日。
全国の神々の出迎えは水の神様である龍蛇神が行うので、この日は雨となることが多いのだとか。
でも雨は降りそうでなかなか降り出しません。

17時を過ぎ、すっかり暗くなった出雲市駅に着きます。

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 夕暮れの出雲市駅。

さて、出雲市駅に着きましたが、すっかり暗くなり、ほとんど夜です。
駅を出て5分ほど歩けばスーパーがあって買い物はできますが、松江駅で駅弁を買っているのであと買うものと言えばお酒くらい。
寒いし、雨が降ってきたら嫌なので、駅にいることにします。

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 出雲の神話が描かれた三角屋根内側。

駅の高架下はアトネス出雲という商店街。
ここをぶらぶら見て回るしか過ごしようがありません。

土産物屋を見て回っていると、松江駅とこっち出雲市駅で売っている物が結構違うことに気づきました。
有名土産や定番物はどちらにもありますが、さっき松江駅で買った物は出雲市駅では売っていないようでした。

あれこれ物色した後、またお土産を2品買いました。

そのあとは待合室に空いている椅子があったので、そこで過ごします。


 出雲市 18:57 → 翌7:08 東京【サンライズ出雲】

『サンライズ出雲』の入線時刻は発車10分前ということは調べていました。
あまり早くホームへ行っても、売店があるわけでなく、寒いだけで得することはないようです。

18時30分を過ぎたころ、セブンイレブンでお酒と水を買えば準備万端です。

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 『サンライズ出雲 東京』の表示に心が躍る。

18時40分に改札口を通ってホームへ向かいます。
ホームの人は全員『サンライズ出雲』の乗客でしょう。
東京発のときと違って年寄りは見当たらず、年齢層は若いようです。
中には学生らしい一行もあったり。

今日のサンライズの込み具合をおでかけネットで調べると、ノビノビは満席、シングルに若干空席がありました。
東京発下り列車は発売即完売でキャンセルすらなかなか出ない状況でしたが、出雲市発上り列車の場合は比較的余裕があるようです。

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 18:47、『サンライズ出雲』入線。

発車10分前が近くなったころ、西出雲駅の方からヘッドライトが近づいてきました。
サンライズ入線です。
スマホやカメラを構える人が多いですが、東京駅ほどではありませんね。

そして、4号車の乗車口には行列が出来ます。
これはシャワーカード狙いの人たち。
シャワーカードの発売枚数は20枚。
入線前から並んでいれば手に入ったのではないでしょうか。
東京発と違って、こちら出雲市発はのんびりしたムードです。

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 発車前のホーム風景。

私もそろそろ車内に入ります。
今度の寝台はB個室のシングルを取ってあります。

シングルの車内は2階建て構造になっていて、デッキから客室への通路は下る1階と上る2階の通路に分かれます。
ソロとの違いは、ソロは平屋に上下2段の個室を設けた格好なのに対し、シングルは完全に2階建て構造となっていることです。

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 デッキから上下への階段が分かれるシングル車両。

私の指定された個室は2階になっています。
これは1か月前にみどりの窓口で指定してもらったもの。

2階部屋ですが、通路も2階なので室内に段差はありません。
部屋に入ると狭さは感じません。
いやむしろ広い。

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 シングル2階個室。奥側から見る。

ソロは横になるためだけの空間という感じでしたが、シングルは居住空間と言えるほどの広さがあります。
ベッド横はさらに20cmほど空間があり、スーツケースもここに置けそう。
壁側と窓は天井の形状に合わせて湾曲していますが、入口の土間ならば頭がつかえることなく立つことができます。

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 シングル2階個室。入口側から見る。

シングルが広く感じるのは、行きにソロに乗ったせいかも知れませんが。
初めて乗ったのがシングルだったなら、また違った印象だったのでしょうか。

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 鏡、コンセント、小テーブル。

ソロの時は窓枠に物を置くしかありませんでしたが、シングルは小さいテーブルもあり、もちろん窓枠にも物が置けます。
シングルとソロの料金差は1,100円ですが、料金以上の差があると思いました。

発車して10分ほどで車掌が車内改札に来ました。
これでこの部屋を訪れる人はもうありません。

一杯やる前に、車内探検してきます。

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 向い合せで2台あるデッキの洗面台。

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 乗車中に2〜3回は世話になるトイレ。

トイレと洗面所は行きの乗車で体験済みですが、一応画像をあげておきます。
洗面所はハンドソープが備え付け、横にはコンセントがあって『カミソリ・ドライヤー専用』と書いたシールが貼ってありました。

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 シングル1階個室。

私はシングル2階部屋なので、気になるのは同じシングルの1階部屋はどうなっているのか。

空き部屋の1階シングル部屋を見ると、2階部屋とは逆で、下に向かって湾曲した壁と窓が特徴です。
これは車体の裾絞り形状に合わせたためで、天井は広いが床の幅は2階より10cm狭いそうです。

何となく船底部屋のような印象。
これはこれで、秘密基地のような楽しさもありそうです。

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 車端部にあるシングルの平屋個室。

シングルにはもう1つ平屋の個室があって、こちらは車端部の2階建てになっていない部分に存在します。
天井が高く、専有面積が広いにもかかわらずシングルの料金で利用できるので、かなりお得な個室と言えます。

ここを指名して、みどりの窓口で10時打ちを頼む人もいるんだとか。
でも車端部なので、揺れや騒音はどんなものなのでしょうか。

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 2段ベッドのシングルツイン。

こちらも同じように車端部の平屋部分にあるシングルツイン。
その名の通り基本1人用ですが、2段ベッドがあって2人使用ができるというもの。

でも2人部屋ならばサンライズツインがあるし、2名使用ならば寝台料金もほとんど同じです。
こちらは補助的な存在といったところでしょうか。

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 ノビノビ座席の通路。

1編成に1両あるのはノビノビ座席。
寝台ではないので、指定席特急料金で乗車できます。
リーズナブルに、かつ横になって移動したい人用です。

通路だけ見ると昔のB寝台のような印象ですが、カーテンで仕切られるのは座席と通路だけ。
隣同士は仕切りがなく開放的になっています。

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 簡易に仕切られたノビノビ座席。

この日は途中から乗るグループ客でもあるのか、まとまって空いているマスがありました。
混んでいたら落ち着いて過ごせるかどうか。
横になって移動できると割り切るしかないのでしょうか。

壁側のマスならば悪くはないかな・・・

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 窓に映るラウンジの夜景。

東京発のラウンジは発車時から賑やかでしたが、出雲市発のこちらは静かなもの。
1人カウンターでお酒を飲んだり読書をしたり。
何となく大人の雰囲気です。

ラウンジでの一休みもそこそこに、個室に戻って来ました。
そろそろ夜汽車の1人宴会を始めることにしましょうか。

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 駅弁とお酒で宴会開始。

お酒は出雲市駅のセブンイレブンで買った、松江の李白酒造『やまたのおろち辛口特別純米酒』。
肴は松江駅一文字屋の『邪気退散招福ちらし』です。

ちらし寿司の具は炙りのどぐろ穴子の蒲焼き大山どり旨煮赤天酢漬けズワイガニしじみのしぐれ煮と、島根県の海の幸山の幸がぎっしりと。
1,560円と高めの駅弁ですが、奮発した甲斐があったというもの。
これにを辛口のヤマタノオロチとくれば、邪気も悪霊もコロナウイルスも退散ですよ。

テーブルに駅弁とお酒を並べて始めましたが、壁に向かってとなります。
これでは窓からの夜景を見ることもできません。
窓枠に引っ越して、ベッドに胡坐での宴会としました。

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 窓側にお酒と駅弁を並べて一杯。

具材を肴に酒を飲み、最後は岩海苔と漬物をアテに酢飯で仕上げとする。
『サンライズ出雲』での日本酒のお供にピッタリの駅弁でした。

空いた弁当箱を片付けて、ベッドに布団を敷いて備え付けの浴衣に着替えます。
ちょっと早いけど寝支度をしておきます。

 ★   ★   ★

今度は窓枠にお酒とコップを置いて二次会。
お酒は4合瓶なので、まだまだあります。

部屋の明かりを消して、夜景を見ながらお酒をチビチビ。
夜汽車の雰囲気を飽くことなく楽しみます。

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 下り『やくも23号』と交換。江尾駅。

今年はニュージーランドに行くはずだったのが、どうした心変わりなのか取りやめにしてしまい、今回の出雲・鳥取旅行になりました。
でも、天気に恵まれたし、今まで行ったことがない場所にも行けたし、ハワイ(?)にも行ってきたし、いい旅行でした。

もしかしたら、今回の旅は出雲の神様に呼ばれたのかも知れませんね。
そんな思いが湧いてきました。

 ★   ★   ★

楽しかった旅も、明日朝に東京に着いたら終わり。
そう思うと、少々センチメンタルな気分にもなってきました・・。

・・いやいや、東京に着いたら今度は札幌まで戻らなくてはなりません。
それはそれでまた大移動になるわけですが。

天井に湾曲した窓から星空を期待していましたが、ずっと曇り空なのは残念。
そのうち雨粒が窓を伝うようになり、新見に着くころには本降りになりました。

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 すっかり雨になった。新見駅停車中。

21時13分、新見着。
ここで特急『やくも27号』との交換待ちで6分停車です。
無人のホーム、特急が到着しても降りる人は僅かで、まるで夜中のようです。

一方で東京駅はというと、サンライズは発車前どころかまだ入線前の時刻。
東京駅の方じゃサンライズ入線を撮影しようという人や、シャワーカード購入の行列、ホームの向かい側は帰宅客を大勢乗せた通勤電車と賑やかなことでしょう。

こちらはホームも車内も寝静まったかのように静かな世界。
同じサンライズなのに、上りと下りでこうも対照的に違うのも面白いですね。

喧噪の東京発と、静寂の出雲市発。
どちらに旅情を感じるかは人それぞれ。
私はどっちかというと、静かな出雲市発に旅情を感じました。

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 岡山駅停車中。

22時32分、岡山着。
ここで『サンライズ瀬戸』と併結するのですが、出雲編成の停車時間は2分しかないので、残念ながら連結作業を見ることはできません。

岡山を発車すると、ちょっと早いようですが、おやすみ放送がありました。
この先、明日朝の横浜到着前までは車内放送は中断となります。

歯磨きのために部屋を出ると、シングルの個室はまだ空き部屋がいくつか。
車端のシングルツインもまだ空室です。

今晩のうちは、まだ姫路、三ノ宮、大阪と停車するので、そこから乗ってくるのでしょう。
しかし、この先の深夜帯からの乗車では、ただ横になるだけの個室寝台利用となってしまいます。
下り列車のときもそうでしたが、もったいない乗り方をする人がいるものだなあと思います。

超忙しいビジネスマンが、とにかく個室で横になって移動できるだけでありがたいという人たちが、そうした利用をするのでしょうか。
しかし、夜行のサンライズはいろんなニーズがあるんだろうし、あれこれ詮索しても下世話なだけです。

私はちょっと早いですが、もう横にならせてもらいます。


posted by pupupukaya at 24/11/24 | Comment(0) | 西日本の旅行記

2024年サンライズ出雲旅行記6

 ■ 2024年11月10日

アロハ〜 ♪
朝の目覚めはハワイから。

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 東郷池を望むホテルの部屋。

ハワイつっても、こちらは鳥取県のはわい温泉ですが。

今朝も青空の広がる良い天気。
だけど天気予報を見ると、今日向かう先の島根県松江市や出雲市は午後から雨マークとなっていました。
午後は松江の街歩きを予定しており、天気が持ってほしいところです。


 はわい温泉 9:35 → 10:12 赤瓦・白壁土蔵(日本交通)

9時、ホテルをチェックアウトします。
チェックアウトといっても、昨日おかみさんに言われた通り、部屋にカギを置いて出るだけですが。

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 はわい温泉の街路灯。

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 朝の東郷池。

バスの時間まで30分以上あるので、東郷池のほとりを歩いてみます。
湖面に浮かぶボートはシジミ漁で、ときどきジャラジャラとザルで掬う音が聞こえてくるのどかな風景。
東郷池は海から海水が流れ込む汽水湖で、しじみが名産となっています。

さらに行くと道の駅はわいとか、ハワイ海水浴場がありますが、歩いては行けませんね。

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 倉吉駅経由西倉吉行きのバス。

バス停は一泊したホテルのすぐ前。
9時35分発は温泉街からの乗客があるものと思っていましたが、ここからのバスの乗客は私1人だけでした。
車内の客は数人だけ、観光路線ではなく地方の生活路線です。

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 あちこちハワイだらけ。

途中、ハワイアロハホール前というバス停があったり、国道に出るとスーパーの『ハワイ店』があったりします。
確かにここは紛れもなくハワイ(羽合)なのですが。

9時55分、バスは倉吉駅に到着。
当初の予定ではここで降りることにしていたのですが、普通列車との接続がすこぶる悪く、1時間以上この駅で待たなければなりません。
いろいろ調べていたら、はわい温泉からのバスは、倉吉の旧市街地を通って西倉吉まで行くことがわかったので、このまま乗って行くことにします。

降りた停留所は赤瓦・白壁土蔵前。
ここは倉吉市の旧市街に当たり、歴史的建造物の保存地区にもなっています。

ここに来た目的はもう1つ。
地図で倉吉線鉄道記念館というのを見つけたから。

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 蒸気機関車C11と倉吉線鉄道記念館。

降りたバス停から歩いて3分ほどの所に鉄道記念館がありました。
通りに面して蒸気機関車C11が保存されているのが目印です。

建物の中は真っ暗なので休館日なのかと思いきや、ドアに『開館中』の札が掛かっていました。
入口に『照明を付けてご見学ください』の表示があり、ドア脇のスイッチで明かりをつけます。

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 鉄道記念館の内部。

この鉄道記念館は旧倉吉線の打吹(うつぶき)駅の跡に設けられたもの。
館内は、入れ替えで使われていた機関車と、往時の写真がメイン。

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 在りし日の打吹駅。

1972年に駅名が改称されるまでは旧市街に近いこちらが倉吉駅を名乗っていたという由緒ある駅。
この倉吉線も国鉄末期に第1次特定地方交通線に指定され、1985(昭和60)年に廃止となっています。

展示物を見て回り、最後に明かりを消して外へ出ます。
今度は玉川沿いの倉吉白壁土蔵群へと向かいます。
ここの滞在時間はわずか30分。
何とも慌ただしい観光ですが、倉吉発を次の列車とすると2時間以上も先になってしまうので仕方がありません。

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 玉川と倉吉白壁土蔵群。

玉川といっても道路わきの用水路みたいな川なのですが、波もなく鏡のように白壁を映した姿は絵になる風景。
それにしても、低い日差しが日向と日陰のコントラストをくっきりと作り出すカメラ泣かせの光線ぐあい。
そこを美しく撮影するのが、腕の見せどころでもあるのですが。

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 江戸時代からの町家が並ぶ本町通り。

白壁の倉庫の反対側は、店舗兼住宅となる母屋となる町家が並んで伝統的な風景となっています。
日曜なので昼頃になれば人通りも多くなるのでしょうが、この時間は人がほとんどいないのがまた良い。

有名観光地はインバウンドが押し寄せるようになってしまいましたが、ここは静かな観光の穴場のようです。
はわい温泉からのバスがここまで直通することを知るまでノーマークでした。


 赤瓦・白壁土蔵 → 倉吉駅(日本交通)

わずか30分の滞在ですが古い町並みを堪能して、またバスで倉吉駅へ向かいます。

倉吉駅はこれも標準となってしまった橋上駅です。
正面のガラス張りに木の柱を装飾して、伝統的な町並みを表現していて、パッと見た目には古い駅舎のようにも見えます。
ですが駅前は居酒屋チェーンやビジネスホテルが立ち並ぶ、どこにでもある駅前風景。
この駅で1時間以上過ごすより、旧市街まで足を延ばして正解でした。

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 倉吉駅は伝統的な町並みを表現したデザイン。

倉吉市は鳥取県では鳥取市、米子市に次ぐ3番目の都市で、人口は4万人台。
大阪・京都と鳥取県を結ぶ特急『スーパーはくと』の半数以上の列車がここ倉吉まで乗り入れています。


 倉吉 11:06 → 12:13 米子(山陰本線・普通)

次の米子行普通列車は1番ホームから。
10時58分に米子から着く列車の折り返しとなります。
またキハ126形気動車2両のワンマン列車。
倉吉から乗る人が意外と多く、私が座ったボックス席も、スーツケースを持った旅行者らしき夫婦と相席になりました。

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 倉吉駅ホーム。

車内は意外とスーツケースや旅行鞄の乗客が多く、米子から特急『やくも』に乗り継ぐ人がこの列車を利用するのでしょうか。

ところが、2つ目の由良で多くの人が席を立ちます。
相席の夫婦も由良で降りました。
由良駅もコナン駅の別名が付けられて、ホームもコナンの飾り付けが目立つ駅。
ここは『名探偵コナン』の原作者、青山剛昌の出身地で、駅近くには漫画にちなんだ施設がいくつも作られています。

今日は何かイベントでもあるのでしょうか。
車内の半分くらいの人がこの駅で降りて行きました。

すっかりローカル列車の雰囲気になって米子着。


 米子 12:47 → 13:20 松江(山陰本線・普通)

米子駅の乗り継ぎ時間は34分。
この間に改札を出て、駅弁を仕入れてきます。

米子駅の自動改札機とICカードリーダーが並ぶ改札口を見ると、都会に戻って来た感覚になりました。

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 山陰本線では現役のキハ40形気動車。

米子駅ホームに入って来た出雲市行ワンマン普通列車はキハ47の2両編成。
北海道から九州まで、気動車と言えばこのキハ40形と呼ばれる車両に当たることが多かったのですが、今ではすっかり少数派に。
一番新しいものでも製造から40年以上という高齢化のため、JR北海道では2025年春のダイヤ改正をもって廃車となることが決まっています。

ここ山陰本線ではまだまだ現役。
国鉄型標準だった朱色一色の車両は、どこか郷愁を誘います。

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 キハ47のボックスシート。

乗車した車両は、車内の半分がロングシートに改造された車両ですが、入線したばかりなのでボックスシートに陣取ります。
まだ乗客は僅か。この間に駅弁を食べてしまいましょう。

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 米子駅の吾左衛門鮓 鯖(1,300円)。

駅弁といっても買ったのは吾左衛門鮓 鯖。
米子駅で古くからある駅弁『吾左衛門鮓(ござえもんずし)』。

しめ鯖と酢飯を、柔らかく炊いた昆布で巻いた寿司です。
オリジナルの品は1本丸まんまで、あれはお土産用でしょう。
こちらはハーフサイズの5貫入り。

たっぷりと脂の乗った寒サバを昆布の旨味で閉じ込めた逸品。
サバ好きには吾左衛門鮓抜きで米子は素通りできません。
ああ、酒が欲しい。

箱の説明書きによると、米子駅の駅弁屋である米吾の前身は江戸時代の廻船問屋で、船内食として鯖寿しを持たせたのが吾左衛門鮓の始まりだとか。

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 松江駅に到着。

いつの間にか空は雲が覆うようになってしまいました。
スマホで天気予報を見ると、この次向かう松江は雨のようです。

松江駅で傘を買わなければならないのかなあ。
空もだんだん暗くなって、途中でポツリポツリと窓に雨粒も伝うようになりました。
33分で松江に到着。


 松江城へ

松江市は島根県の県庁所在地で人口は約20万人。
米子、松江、出雲と人口10万人以上の都市が並んで、地図や鉄道の時刻表で見る限りは1つの都市圏のようにも見えます。
実際、東京や大阪からこの3つの都市へは、新幹線から岡山乗り継ぎで特急『やくも』が結んでいます。

このうち米子だけは鳥取県。
遠い北海道の私から見れば、こうしたところが島根か鳥取か分からないけど・・・
なんてことになるのですが。

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 京橋川を行く堀川めぐり遊覧船。

それはともかく、松江に着きました。
松江では松江城見物をすることにしています。

松江駅から松江城へは2kmほどの距離があって、路線バスもありますが街歩きも兼ねて歩くことにしました。
スマホで雨雲レーダーを見ると、松江は雨ということになっていますが、少なくとも松江駅前は雨の気配はなし。
傘は持っていませんが、松江城まで歩くことにしました。
リュックの中にあるレインハットが頼りです。

京橋川を行く遊覧船や、松江城のお堀端の道を歩きます。

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 島根県庁分庁舎にある竹島資料室。

途中で『竹島資料室』という看板を見つけ、気になったのでちょっと寄ってみることにしました。
そういえば竹島は島根県でしたね。

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 竹島や歴史や現在の竹島に関する資料が展示。

竹島といえば韓国が不法占拠している日本の島という認識くらいしかなかったのですが、竹島問題について改めて認識させられます。
この資料室を1回り見学すると、日本の領土問題に対して襟を正す気持ちになります。
北海道だって、ロシアが不法占拠している北方領土問題がありますから他人事ではありませんね。

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 韓国側の主張と日本側の反論。

私は松江は3回目になります。
1回目は乗り鉄のために一畑電車の松江しんじ湖温泉駅から松江駅まで歩いただけ。
2回目はやはり一畑電車から境港行きのバスに乗り継いだだけというもの。
あのころは松江城なんて眼中にもありませんでした。

私もようやく途中下車したら町を観光する余裕を持てるようになったようで。
まあともかく、今の今まで素通りしてきた松江城に、3回目にしてようやくやって来たわけです。

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 松江城大手門跡と天守閣。

松江城の天守閣は江戸時代以前に建設された現存天守のひとつです。
江戸時代初期の1611年に開府の祖、堀尾吉晴によって建てられ、松江藩の城となりました。
以後改易があり、城主は京極氏、松平氏と変わります。

時代は移り変わり明治維新を迎えると廃藩置県で松江藩は松江県となります。
明治政府は廃城令を下すと、全国の江戸時代からの城郭は解体・売却が行われます。

松江城も180円(当時)で売り払われるはずでしたが、地元の有力者の尽力によって買い戻されることになりました。
こうして現在でも天守閣が残されているわけです。
2015年には国宝に指定されています。

ちなみに隣の米子城も天守閣を持った城がありましたが、明治の廃城令によって解体され、廃材は風呂の薪として売り出されたとか。

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 1611年建築の松江城天守閣。

そんな由緒ある松江城です。

下の大手門から階段や坂道を登って行くとチケット売り場があって、680円を払って中へ。
天守閣は土足禁止で、入口でビニール袋を渡され、靴は中に持って入ることになります。

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 天守閣の内部。階段の昇り降りがまた・・・

天守閣の内部は板張りで薄暗く、屋根裏部屋か倉庫のような殺風景な雰囲気。
こんなところに殿様が御座したのか。

これは松江城の天守閣は住居ではなく望楼のためにあったと説明書きにあって、居住や執務は別の建物で行われていたようです。

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 天守最上階になる天狗の間。

階段を登って、登って、登って着いた先は最上階の天狗の間。
ここからは松江の町を360度見渡すことができます。

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 松江の街並みを見下ろす。

ガラス窓もなく吹きさらしの展望台から見る景色は気持ちが良いものです。
しかし、私は高所恐怖症。
柵の前で下を見下ろすと足がすくみます。

さて、登ったら今度は降りなくてはなりません。
階段と言うよりほとんど梯子に近い角度の階段を下ります。
足を下ろすごとにギシギシきしむ踏板と、頼りない木製の手すり。
片手は靴を入れたビニール袋。

それでも何とか下まで降りて来られました。


posted by pupupukaya at 24/11/23 | Comment(0) | 西日本の旅行記

2024年サンライズ出雲旅行記5


 鳥取 13:35 → 14:33 松崎(山陰本線・普通)

列車待ち時間のおかげで、駅前だけですが鳥取の見物もできました。

鳥取はこの次は・・・また来ることあるかな。
出雲の方は特急『サンライズ出雲』がある限りまた来ることはあるのでしょうが、鳥取の方は微妙ですね。

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 鳥取駅は今でも有人の改札口。

今では絶滅危惧種ともいえる鳥取駅の改札口で、スマホに表示させたパスを見せて通ります。
現在県庁所在地駅で自動改札になっていない駅はここ鳥取駅と四国の徳島駅だけなのだそうだ。
いや本当に貴重ですね。
(誉め言葉です)

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 鳥取からはまたキハ126形。

鳥取からは2日かけて出雲市まで戻ることになります。
今度の列車は倉吉行き普通。
またお馴染みのキハ126形2両ワンマン編成。

空いていると思いきや、これも下校の高校生が目立ちます。
といっても、相席になるほどではありませんでした。

鳥取から倉吉までの所要時間は、特急ならば30分前後ですが、こちらはのんびりと1時間03分。
どれくらいのんびりしているかと言うと、途中の宝木で13分、青谷で5分停車時間が取られています。
2駅とも上下列車の交換、さらに宝木では特急の通過待ちもあります。

単線なので、上下列車の交換も特急の追い抜きも同じ駅で行わなければならないわけで、普通列車の乗客からすればのんびりしていますが、ダイヤ上は大忙しです。

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 宝木で上り列車と交換停車中に『スーパーおき』が通過。

宝木(ほうぎ)では上り特急『スーパーはくと10号』と交換、向こうもしばし運転停車。
しばらくして、下りの特急『スーパーおき5号』が猛スピードで通過。

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 青谷で上り列車と交換停車中に『スーパーはくと』が通過。

青谷ではこちらが先に停車してしばらくしたら上り普通鳥取行が到着。
そのあとにまた特急が猛スピードで通過します。
この特急は時刻表には該当する列車がなく『スーパーはくと5号』が遅れていたのでしょう。

遅れ特急の通過待ちのあおりで青谷発車は4分遅れとなりました。
文章だけでは状況はわかりにくいでしょうが、とにかく単線ながら過密ダイヤだってことで。

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 ワンマン気動車の運転席。

予定では倉吉で降りて、そこからバスに乗ることにしていましたが、天気が良いので1つ手前の松崎で降りることにしました。
松崎駅から今日のホテルまでは歩いて1時間程度。
倉吉まで行ってもバスの待ち時間が1時間以上あり、無為に過ごすのも勿体ないので。

松崎駅は無人駅なので、一番前のドアから降りることになります。
後ろのドアは乗車専用、2両目のドアは開きません。
車内放送で「後ろのドアからは降りないで下さい」と停車駅ごとに流れるが、あまり守られていない様子。

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 松崎駅に到着。

松崎駅に着き、スマホのパス画面を運転士に見せて下車します。
乗っていた下校の高校生も何人かここで下車。
きっと彼らは、前の人はスマホの画面見せて降りてったけど、あれは何だろうなんて思ってたりして・・・

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 東郷温泉のアーチと松崎駅。

松崎駅は木造駅舎が立派ですが無人駅。
倉吉行の列車が発車し、下校の高校生が去ると静かな駅となりました。


 鳥取県のハワイへ

駅前は東郷温泉。
駅からの通りの突き当りは東郷池が広がっています。

ここから今日宿泊するホテルのある温泉街までは、湖畔を半周して約4km半。
東郷池の周回散策コースにもなっています。

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 東郷池とモニュメント。

だいぶ日が傾いてきましたが、湖畔の風が心地よい。
倉吉まで行かず、松崎で降りて正解でした。

♪「晴れた空 そよぐ風
  港出船のぉ ドラの音たのしぃ〜」
  岡晴夫、憧れのハワイ航路より

東郷池の湖畔に沿って歩いて行くので道はわかりやすい。
時折り現れるきれいな風景を撮影しながら歩きます。

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 池の対岸に見える温泉街。

途中にファミリーマートがあったので、ちょっと寄って明日の朝食などを買います。
今度の宿は素泊まりなので。

さて、いよいよ ハワイです。

こちとら、ニュージーランド行きをフイにして、代わりにハワイへやって来たわけです。
せいぜいハワイ観光を楽しむことにしましょう。

ハワイはハワイでも、こちらは はわい温泉

漢字で書くと羽合温泉で、鳥取県の羽合町がハワイと読むのでこうなるわけです。
その羽合町は平成の大合併で湯梨浜町と名が変わるのですが、羽合温泉は、はわい温泉と変えて残りました。

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 はわい温泉の看板。

『はわい温泉』の看板の方へ行けば温泉街なのですが、せっかくなのでハワイ観光をしてからホテルへ行くことにしましょう。

どうせならカタカナのハワイ温泉とすれば良かったのに。
本物のハワイと同じでは恐れ多いという奥ゆかしさなのでしょうか。

この羽合(はわい)の地名ですが、由来は鎌倉時代にまで遡るという説もあり、1580年頃には羽合の地名が成立していたとあります(wikiより)。

カメハメハ大王がハワイ王国を建国したのが1810年。
だとすると、アメリカのハワイよりも、こちら鳥取県のハワイの方が先にあったということになりますね。

どっちが先かはともかく、どちらもハワイ同士と言うことで、ハワイのある湯梨浜町とアメリカのハワイ州ハワイ郡とは姉妹都市交流の関係なっています。

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 ヤシの木の並木。

進んでゆくとヤシの木の並木道があったりして、気分はアロハオエ〜 ♪
ほうら、だんだんと常夏の島、ハワイの気分になって来ましたよ。

どこからか岡晴夫の歌が聞こえてきたりして。

♪「夢も通うよ あのホノルルのぉ
 ヤシの並木路 ホワイトホテル
 あ〜ああ あこがれのぉ ハワイ航路ぉ〜」
  岡晴夫、憧れのハワイ航路より

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 憧れのハワイ航路を歌う往年の岡晴夫先生。

昔は対岸の松崎からはわい温泉までフェリーで結んでいました。
例えば1991年発行の時刻表を見ますと、東郷湖汽船による7往復のフェリーが掲載されています。
今はその航路はありませんが、まさにハワイ航路だったでしょうね。

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 スーパー銭湯のハワイゆ〜たうん。

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 ALOHA(アロハ)の文字がある『ハワイ湯梨浜町友好の碑』。

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 はわい温泉各所にある足湯。

ハワイらしいところをいくつか見て回って、ホテルに着きました。
ホテルと言っても、お土産屋の2階を客室としただけの宿。

観光の続きは部屋に荷物を置いてからということで、チェックインします。

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 1階がお土産屋になっている本日の宿。

表側はお土産屋の入口になっていて、ホテルの入口は裏手の方にあります。
ホテル入口のドアを開けると登る階段があって、すぐ横のドアに『フロント入口はこちらです』と張り紙してあります。
開けて中に入ると、1階のお土産屋の店内でした。

すぐにおかみさんらしき女性が出てきてチェックインの対応をしてくれます。
宿代を払い、部屋の説明を聞いてカギをもらえばチェックイン。
チェックアウトは、部屋にカギを置いたまま出ていけばいいとのこと。

気さくそうな良い人でした。
はわい温泉についての話を2・3して部屋に向かう。
宿はボロそうだけど、気さくなおかみさんに心が温かくなります。

もしこれが、因業そうな親父が出てきていたら、全然違った印象だったのでしょうか。

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 ホテルの部屋。

とにかく、ハワイのホテルにチェックイン。
また外に出てハワイ見物をして来ます。

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 はわい温泉街。

温泉街を歩くと、1泊1万円は下らないでしょう、立派なホテルが並んでいます。
外から眺めるだけですが、何となくハワイリゾートの気分が盛り上がってきました。

しかし、ここまでハワイまでの道中、ある意味本物のハワイよりも遠かった気がします。

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 はわい温泉の行灯。

東郷池のほとりにある広場と言うか駐車場と言うか、そこには『はわい温泉』と記した行灯(あんどん)がいくつも立っていて、温泉街の風情を醸し出しています。

「赤いランタンほのかに揺れる」
  岡晴夫、上海の花売り娘より

この行灯、宵になっても暗いままだったのは残念。

部屋に戻る前に、1階のお土産屋に立ち寄ります。
またさっきのおかみさんが出てきました。

ハワイらしいものをと店内を探したら、『はわい温泉』の手ぬぐいと『はわいの湯』の入浴剤のセットを見つけました。
はわい温泉に行った証拠にはなります。
レジへ持っていくと、『はわい温泉』のシールを貼ってくれました。
ここで買った品にはシールを貼ってくれるとのこと。

シールを見たらもっと買いたくなりました。
また店内を1回りして、『鳥取砂丘らっきょう』とおかみさんお勧めの『とうごう梨シロップ』を買いました。
シールを貼っただけですが、はわい温泉土産らしくなりました。

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 東郷池の夕暮れ。

今夜の夕食は、3軒ほど隣に居酒屋があるのでそこにしようと決めていました。
18時の開店時間になり店に入ると、
「申し訳ありません、今日は予約のお客さんで一杯で・・・」
完璧に当てが外れてしまいました。

仕方がない。
来るときに寄ったファミマまで歩いて買い物に行くか。

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 はわい温泉からファミマまでの道。

真っすぐだけど真っ暗な道を歩きます。足元もおぼつかないほど暗い。
その道を、通る車、通る車、みんなハイビームの殺人光線を照らしてくるものだから堪まりません。
夜道の運転は、警察庁によるとハイビーム推奨となっているので仕方がないのですが。

ビールとつまみをいくつか買って、またハイビーム殺人光線を浴びながら、歩いて宿に戻ります。

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 ユニットバスのお湯は天然温泉。

そういえばユニットバスのお湯は、源泉かけ流しのお湯だって聞いていました。
そのお湯に浸かってみようと浴槽にお湯を貯めます。
温泉の蛇口が別にあるのかと思っていましたが、お湯の方の蛇口が温泉のようです。

便器の横で、狭い浴槽で浸かるお湯が源泉かけ流しというのも信じがたいことですが、身体の温まり方はやはり温泉でした。
さっき買ってきたビールは冷蔵庫の製氷棚で急速冷蔵してあります。

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 本日のディナー。

ひと汗かいて、冷やしたビールをグラスに注いで飲み干します。
うまい。
温泉上がりの一杯には違いありませんでした。

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 はわい温泉土産。

あとは窓際のリラックスチェアに座って、夜景を見ながら焼酎のお湯割りをチビチビと。
ハワイの夜は更けてゆきます。


posted by pupupukaya at 24/11/17 | Comment(0) | 西日本の旅行記

2024年サンライズ出雲旅行記4

 ■ 2024年11月9日(土)

おはようございます。
今日は訪米2日目になります。

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 ホテルの窓から米子城跡を望む。

訪米と言っても、鳥取県は米子駅前のホテルから。

今日も朝から快晴。
気持ちの良い1日となりそう。

朝は6時30分からやっている朝食会場のレストランへ。
夕食は定食でしたが、朝食はバイキングでした。
こんなところで腹いっぱいにしてしまったら夕方まで悲しい思いとなるのでほどほどに。
とはいえ、この宿泊代では大したものもありませんでしたが。


 米子 8:39 → 10:22 鳥取【とっとりライナー】

8時過ぎ、ホテルをチェックアウトして米子駅へ向かいます。

改めて新しくなった米子駅です。
かつては5階建ての駅舎がそびえて山陰本線の主要駅らしい貫禄がありましたが、どこにでもある新しい駅舎の1つになってしまいました。

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 2023年に完成した米子駅の新駅舎。

橋上駅化されて、自由通路が出来て便利になりましたが、個性は消えてしまった気がします。
まあ、一介の旅人に文句を言う権利はないでしょうけど。

2階のコンコースに面してシャミネ米子があって土産物が並んでいます。
入ってすぐの場所に駅弁が並んだケースがありました。
米子駅は明日また戻って来るので、そのときに駅弁を買うかどうか決めましょう。

今日は鳥取まで行きます。
米子から鳥取までは意外と遠くて、距離にして92.7km。
この区間を特急『スーパーまつかぜ』『スーパーおき』が最速59分で結んでいます。
特急街道と呼べるほどの本数はありませんが、それでも2時間置きくらいの本数はあります。
一方で普通列車に乗ると同じ区間の所要時間は2時間かそれ以上、下手をすると3時間近くかかります。

そんな中、1日1往復だけ快速『とっとりライナー』が走っていて、これに乗れば米子から鳥取まで1時間43分で行くことができます。
私の旅行プランのためにあるような列車ですね。

この『とっとりライナー』はかつては日中も運転されて1日6往復もありましたが、コロナによる利用者の減少からか減便され、今では1往復残るだけとなっています。

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 快速『とっとりライナー』。

『とっとりライナー』はキハ126形2両編成でホームに入ってきました。
普通列車用の気動車と言えば両運転台の車両が多いのですが、この車両は片運転台で2両1ユニットでの運用です。

車内は、これも今どき珍しいボックスシートが並び、ロングシートは車端の一部にあるだけ。
乗降ドアが両端に設けられたのはワンマン運転のためでしょうか。

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 キハ126形はボックスシートがメイン。

ボックスシートに腰掛けると座り心地も良く、向かいの座席とのシートピッチも広く取られています。
製造は2000年頃なのでもう20年以上経っていますが、古さは感じません。

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 往年の急行列車の雰囲気。

ボックスシートから車内を見ていると、『急行型』なんて言葉が浮かびました。
国鉄時代にこんな車両を急行用気動車として製造していたらなあ。
今は消滅した急行列車ですが、急行も違った道をたどっていたのでは。

北海道でいえば、『えりも』『はぼろ』『狩勝』なんて急行を思い出します。
やる気のない国鉄は、ボロボロの老朽車両を使い続け、狭くて固いボックスシートのままでした。
高速バスが運行されるようになると、国鉄は改善することなく一気に廃止してしまいました。

JR以降の新型気動車といえば、ロングシートがメインの車両ばかりになってしまったのは残念です。
少しはJR西日本の車両を見習って欲しいものです。

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 荷棚と座席番号。

入線時は空きボックスだらけだった車内ですが、発車時刻が近くなると登校日なのか部活なのか、高校生がたくさん乗ってきました。
このボックスも相席になります。
でも、シートピッチは十分にあり、相席になっても窮屈さは全然感じません。

天井から下がるつり革がなければ、本当に急行型と呼びたくなります。

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 日本海と風力発電。

山陰本線の伯耆大山から東は初めて乗る区間なので車窓にくぎ付けです。
特に景勝地と呼べる景色はありませんが、いかにも日本の田舎町といった風景が続きます。
北海道人の私にとって、こうした風景は外国のようにも見えます。

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 由良駅は名探偵コナンの駅。

ところで向かいもそうだし周りの高校生を見ていると、一心不乱にスマホに夢中。
中には本や参考書を開いている人もいるが、今は全国どこでも通学生はスマホばかりいじっている気がします。
どうでもいいことですけど。

この高校生たちは2〜3駅で降りるものと思っていましたが、案外遠くまで行くようです。

9時31分、倉吉着。

倉吉市の代表駅で特急停車駅でもあるから、ホームには乗客の姿が多く見えました。
ここからさらに混むのかと思ったら、停車すると高校生たちが一斉に席を立ちました。

一旦空きボックスが多数となりますが、また降りた人数と同じくらい乗ってきて、倉吉までと同じような乗車率に。
このボックスもまた相席となります。

米子と鳥取を結ぶ都市間快速の『とっとりライナー』ですが、その実は都市間利用ではなく乗客は途中でほぼ入れ替わるローカル列車なのでした。
やっぱり都市間となると特急利用となるのでしょう。
いや、それ以前に車社会ですね。

ずっと田舎町のようだった風景も、鳥取が近くなると都会的になってきました。

DSCN0978.JPG
 鳥取に到着。

鳥取駅は高架でホームが2面4線の駅。
どことなく北海道の千歳駅に似た構造の駅だなと感じましたが、それもそのはずで鳥取駅高架化が1978年、千歳駅が1980年と同年代の建築です。
必然的に似たような構造となったのでしょう。

DSCN0979.JPG
 一昔前の新幹線駅のような鳥取駅コンコース。

階段を1階に下りると吹き抜けの広いコンコースに出ますが、改札口は有人のボックスが並びます。
ひと昔前(ふた昔?)の新幹線駅を思い出しました。


 鳥取駅前 10:45 → 11:07 砂丘センター展望台【ループ麒麟獅子バス】

鳥取駅からはバスで鳥取砂丘へ行くことになります。
バスの時刻も事前に調べてきていて、『ループ麒麟獅子バス』という鳥取市内の観光ルートを回るバスがちょうど接続しています。

DSCN0983.JPG
 鳥取駅前のバスターミナル。

駅前広場にある屋根付きのバスターミナルへ行くと、外国人らしき人がたむろしていたり。
これは嫌な予感が・・・

ループ麒麟獅子バスを含め鳥取砂丘へ行くバスは0番のりばからの乗車となります。
その乗車口の前に立つと、後ろにはあっという間に行列が出来ました。

中国系の人が圧倒的に多いようです。
後ろのグループは韓国からのよう。
行列はざっと見ですが50人以上にはなった模様です。
とにかく賑やかなこと。

発車5分くらい前になってバスが到着しました。
観光用ではなく、路線バスと同じノンステップバス。
私は1番乗りで座席に座ってしまいます。
車内には続々と乗り込んできてかなりの混雑。

DSCN0986.JPG
 ループ麒麟獅子バス。

コロナ終了後から有名観光地ではオーバーツーリズムなんて言葉を再び耳にするようになりましたが、鳥取砂丘にまで押しかけるようになったのでしょうか。

「ドアが閉まらないのでドアから離れてくださ〜い」
と運転手はマイクで叫びますが、言葉が通じているのかどうか。
なかなか発車できず。

結局積み残しが出てしまいました。
鳥取砂丘までなら、このあとすぐに路線バスの鳥取砂丘行があります。
そっちに乗れば良かったかな・・・

バスは途中の鳥取城跡停留所で何人か降りたほかは乗り降りがなく通過。
私は砂丘センター展望台で降ります。

DSCN0999.JPG
 眺望テラスからの眺め。

バス停の名の通り、ここは鳥取砂丘を一望できる展望台・・・
のはずですが、山の斜面の茂みに遮られて海しか見えません。

広場にあるレストハウスに『眺望テラス』の看板を見つけ行ってみます。
3階が展望台になっていて無料で入れます。
そこからの眺めもイマイチ。

バスをここで降りたのは、砂丘へ行くには坂道を下るだけだからです。
逆に砂丘に行ってからこの展望台に行くには坂道を登るか、有料のリフトに乗ることになります。

DSCN1006.JPG
 人がいない方の砂丘。

展望台からの坂道を下ると、メインの砂丘会館からは離れた場所に出ます。
そこにも砂丘の入口があり、中に入ることができます。

砂丘の中は特に遊歩道があるわけでなく自由に歩けます。
遠くに人がぞろぞろ歩いているのが見え、あれを目印にすれば迷うことはなさそう。
こちらは人があまり来ないのか、砂の上はさざ波模様となっていました。

DSCN1013.JPG
 馬の背と呼ばれる山とオアシスと呼ばれる池。

自由に歩けるとはいえ、砂の上だから歩き辛い。
気を付けないと靴の中に砂が入り込む。
なるべく足が埋まらないような場所を選んで歩いて、オアシスと呼ばれる池まで行きます。
この池は山からの湧水が流れ込んでここに溜まった水のようですね。

DSCN1069-001.JPG
 馬の背へ登る砂の道。

ここからは高さ47mの砂山が立ちはだかります。
正式名は第2砂丘列、通称馬の背と呼ばれる細長い砂山。
鳥取砂丘へ来たら、ここを登らなければならないようです。

これが踏み跡だらけのズブズブ埋まる砂なので1歩1歩踏み出すだけで一苦労。
私は皮のウォーキングシューズなので気を付ければ砂が入り込むことはなさそうですが、布製のスニーカーだったら靴の中は砂だらけになりそう。

中にはヤケになったのか靴を手にもって裸足で登っている人も。
砂ばかり見つめているせいか、丘ごしに見える日本海が青々として見えます。

DSCN1038.JPG
 馬の背から日本海を望む。

何とか頂上まで登りました。
上に何かあるわけではありませんが、ここから見る日本海の風景がきれい。
下に見える浜まで行ってみたくなりますが、砂の上を降りるのも大変だし、戻りはまた登らなきゃならないし、やめておきます。

DSCN1071.JPG
 鳥取砂丘バレー(谷)。勝手に名付けてみた。

鳥取砂丘といえば、これまではなだらかな砂丘が広がっているイメージでしたが、実際は砂の登山ですね。
これも実際行ってみなければわからないこと。
馬の背からの眺めを堪能したので、そろそろ下山することにします。

この砂山は登るのも大変だったけど、下るのはもっと大変。
踏み跡の窪みを選んで足を下ろさないとズルッといっちゃいそう。

DSCN1099.JPG
 砂丘会館から馬の背まで続く人の列。

鳥取砂丘は砂丘会館から馬の背までの400mほどが観光のメインとなっていて、常に人が歩いています。
砂丘会館前の出入り口まで来て振り返ってみると、何となく砂糖に群がるアリのようにも見えます。

DSCN1101.JPG
 レストランや土産物店が入った鳥取砂丘会館。

砂丘展望台から砂丘をぐるり歩いてきて砂丘会館に着いたのが11時55分。
ちょうど12時00分発鳥取駅行きの路線バスがあるので、それに乗ることにしました。
少々慌ただしいですが、次のバスだと13時発になってしまうので。


 砂丘会館 12:00 → 12:22(路線バス)

バス停には10人ほどの列がありましたが、到着したバスに乗ってしまえばガラガラでした。
行きのバスにぎゅうぎゅう詰めで乗っていた人たちはどこへ行ったのでしょう。

鳥取駅〜鳥取砂丘間の運賃は行きが300円でしたが、なぜか帰りの路線バスは380円でした。
なお、どちらも現金のみなので、小銭の用意を忘れずに。

DSCN1129.JPG
 高架駅の鳥取駅。

当初は鳥取砂丘で2時間ほどの滞在を予定していたのですが、1本早いバスで鳥取駅へ戻って来られました。
次の列車まで、軽い昼食と、駅前の散策くらいはできそうです。

DSCN1117-001.JPG
 鳥取駅1階にある砂丘そば。

駅構内の一角に『砂丘そば』の看板を見つけ、ここに入ることにしました。
食券機で、そばと炊き込みご飯がセットになった『砂丘そば定食』の券を買って店内へ。

食券を出すと店のおばちゃんが「ちょっと待って」と中に入って行きました。
「お客さん、炊き込みご飯が切れたので、かに飯になるけどいいですか?」

これは思わぬグレードアップか、2つ返事でOK。

DSCN1121.JPG
 砂丘そば定食(680円)

出てきたかに飯はご飯だけ。
食べてみると、かにのダシはよく出ていて、確かにかに飯。
だけど、かにの身までは乗せてもらえなかったようだ。

そばの汁は関西風の薄口。それにあごちくわ(トビウオのちくわ)が2枚が鳥取らしいところ。

DSCN1137.JPG
 鳥取駅前の街並み。

食事のあとは駅前をぶらぶらして過ごします。
駅前はアーケード商店街と地元の老舗デパートがあり、地方都市ながら元気にやってますといった印象でした。


タグ:鉄道旅行
posted by pupupukaya at 24/11/17 | Comment(0) | 西日本の旅行記
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