2017年インド旅行記3 アグラへその2

◆マターブバーグ(タージマハル)編

ダディ「次はマターブに行くぞ、いいか?」
私「オーケー」
と言ってリクシャーはイティマド・ウッダウラー廟を後にして走り出す。
このあともダディは出発するごとに次の行先を確認するのだった。

いかにも下町といった、町工場や商店が並ぶ道を行く。
ゴミだらけの道端は、軒先に座り込んで駄弁っている男たち、しゃがんで洗い物をする主婦、子供達がチョロチョロ。あと、色んなものが混じりあった鼻を突くような匂い。
吹きさらしの車窓(窓はないけど)からは普段着の暮らしぶりが見える。

エアコン付きチャーター車でも通る道は同じだろうけど、同じ風景に見えただろうか。リクシャーに乗って良かったと思った。

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 生活感のあるストリート。

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 野良犬をやたらと見かけた。

街中を抜け、道の両側に畑が広がるようになる。郊外まできたようだ。
道の突き当りがお土産を並べた売店が並んで観光地らしくなっていた。

せっかくアグラまで来たのだが、タージマハルは今日は金曜日のため休み。
せめて裏側から見ようとこのマターブバーグまで来たわけである。

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 マターブバーグの駐車場から。

タージマハルは、17世紀、ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが皇妃ムムターズ・マハルのために建てた白大理石の巨大な墓である。
自身の墓は、ヤムナー河を隔てた対岸にタージと対照となるように黒大理石で建てる計画だったが、息子である第3皇子のアウラングゼーブによってアグラ城に幽閉され、叶わぬ夢となる。

白大理石を使用した広大な建物はユネスコの世界遺産に登録され、今では年間700万人の観光客が訪れるというインド観光のシンボル的存在になっている。

今着いたのはタージマハルのちょうど対岸。世が世なら『黒タージ』が建てられるはずだった場所。
現在は『マターブバーグ』と呼ばれ、英国式の庭園となっている。

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 広々としたマターブバーグ。

車を降りてダディと入口へ。
お土産の小物を持った子供が何人も寄ってくる。ダディはガン無視。自分もそれに倣って無視を決め込む。
入場料は200ルピー、チケット売り場で買う。
中は庭園というか普通の公園のような感じ。

おおー、あれがタージマハルか。

来る途中で何回か見かけた姿だが、遠くからなのでスモッグで霞んでいた。ここからははっきり見える。
ダディは木陰のベンチに腰かけて、「ここで待っているから」と言った。

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 ヤムナー河対岸から見るタージマハル。

今は広い河原だが、雨季ならば川幅も広がって、川面に映るタージが見られたのかもしれない。
もっと時間があれば、腰かけて夕日に染まって暮れゆくタージを眺めてみたいものだ。

あちこちに朱色の花をつけている木があって、白い大理石のタージマハルと好対照に見える。
あとでダディに聞くとグルモールと教えてくれた。

調べたらグルモールはインドでは真夏の花。日本では『鳳凰(ほうおう)木』といい、なるほど燃えるような朱色の火の鳥が飛び立つようにも見える。

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 朱色のグルモールの花とタージマハル。

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 朱色の火の鳥が羽ばたくグルモール。

金曜でなければ中に入って美しい壁面も見られたのだろうが、タージマハルの実物を見られただけでも満足だ。
一部に改修中の足場が組まれていたのは少々残念だった。2017年の5月から2か月間本格的な改修工事に入るようなので、行かれる方はご注意を。

庭園には石積みの土台や瓦礫が転がっている場所があって気になったが、これは『黒タージ』ではなく、ムガル帝国時代にあったレクリェーション施設の跡で、当時はプールや噴水があったがヤムナー河の頻繁な洪水で破壊されたあとはすっかり忘れ去られたものの、1990年代に発掘されて日の目を見ることとなった。

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 ここに黒タージが建つはずだった。ムガル時代の遺跡が夢の後。

ここマターブバーグは人も少なく静かで、のどかな公園といったムードだった。
タージマハルは見たいが、人混みと高い入場料(1000ルピー)は嫌だと言う人はこちらをおすすめします。

長いこと居たような気がするが、20分くらいしか経っていない。
見るものと言えば対岸のタージマハルくらい、いくら美しくても20分もすれば飽きる。

ベンチで待っていたダディとリクシャーに戻る。
「次はアグラジョウへ行くがいいか?」
アグラジョウってどこだ?
英語で「アグラフォート?」と聞くと、そうだと言った。

ダディはアグラ城を『アグラジョウ』と言う。英語なら『Agra Fort』、ヒンディー語では『アグラキラー』である。
やっぱり日本人慣れしている。普段は日本からのツアー客を相手にしているのか、毎朝駅前で日本人客を待ち構えているのか知らないが、まあ悪いようにはされないと思うが。

基本は英会話でのやり取りだが、時どき日本語を混ぜるのでこちらを混乱させる。

そのアグラ城はインサイドとアウトサイドがあって、インサイドは入場料500ルピー、アウトサイドはフリー(無料)だと言う。どっちにするか聞かれて、フリーの方にしようと思いかけたが、せっかく来たんだからお金払ってもちゃんとしたのを見ておこうとインサイドの方をお願いした。

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 再びリクシャで出発。

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 道路を歩く牛の群れ。

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 また街中のストリートを通る。

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 南国らしいのんびりとしたムードも。

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 鼻を突く匂いも。画像でお伝えできないのが残念。


◆アグラ城塞編

リクシャーはアグラ城入口に行くのかと思ったら、少し離れた駐車場に入った。
ダディは「マイパーキング」と言った。
「30分で戻ってきてくれ、ここで待っているから」

駐車場からアグラ城の入口であるアマルスィン門へは広い道路を渡る必要があるのだが、車がビュンビュン通る道路は信号など無く、一応横断歩道はあるのだが、止まる車などあるはずも無い。

車の切れ目をねらって走って向こう側へ渡った。怖いなあ。

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 アグラ城入口。右がチケット売り場。

500ルピーのチケットを買って行こうとすると、ガイドと称する男たちが寄ってきた。
ノーノ―と言ってもしつこくついてくる。
英語でガイドされてもこっちは分からんのよ。それに30分で戻らねばならないし。

あんまりうるさいので、振り向いて
「オー、ミスター ノーサンキュー」
と言ったがそれでもついてきた。あとはひたすら無視。もぎりの所でいなくなった。

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 赤砂岩で築かれた要塞壁。

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 そそり立つ城壁。高さは21.4mある。

アグラ城は正式には『アグラ城塞(Agra Fort)』という。城壁の色から、別名『ラールキラー(赤い城)』とも呼ばれている。
完成は1573年。ムガル帝国第3代のアクバル大帝がデリーからアグラに遷都する際に築かれた、ムガル帝国最盛期の象徴でもある。
第4代、第5代の時代にさらに増築されている。
その後、タージマハルを造った5代皇帝シャー・ジャーハンがアグラ城に幽閉され、第3皇子のアウラングセーブが6代皇帝に就くと再びデリーに遷都となった。

以上はネットで仕入れた知識だが、ムガル帝国の歴史は複雑で、私の頭が痛くなってきたのでこのくらいにしたい。

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 内側から見たアマル・スィン門。

坂道を登っていくつかの門をくぐると広い中庭に出た。
ここも綺麗に整っていて、街中の喧噪とは正反対に静かで落ち着いている。

中庭の一番奥まで行くと、門があって鉄扉が閉まっている。この先はまだ続いているが、この先は行けないようだ。
高い入場料を取る割には見るものはこれだけか。

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 アグラ城の広い中庭。

しかし暑い。今は10時を少し過ぎたところ。だんだん気温が上がってきた。
日なたを歩いていると倒れてしまいそうだ。

中庭にある大きな建物に人が集まっている。
行って見るとここは日陰で、風が通り抜けて涼しい。しばらくここで休憩する。

ずっとバッグの中に入れていた車内サービスのペットボトルの水はすっかりお湯になっていた。それでも喉が渇いているので、飲むとうまい。

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 一般謁見の間(Diwan-i-Am)。

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 奥が玉座。ここでお祈りする人もいた。

中庭はぐるりと壁に囲まれているが、入ってきたのとは別の出入り口へ行ってみるとまだ続きがあった。
入るとまた中庭があって、今度は白い大理石で囲まれていて、アングリー庭園という名がついている。

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 ムガル第5代シャー・ジャハーン帝によって建築されたアングリー庭園。

3代帝アクバルと4台帝ギール時代の建築は赤砂岩だが、大理石の建築はタージマハルの5代帝ジャハーン時代のもの。
正面に見えるこれも大理石の建物はシャー・ジャハーン帝の神殿と呼ばれ、帝はそこから沐浴する女性たちを眺めていたという。

愛妃の墓であるタージマハルを建てたり、晩年は幽閉されたりとセンチメンタルな面ばかり伝わるジャハーンだが、若いころは結構な遊び人だったんでしょうかね。

アクバルとギール時代の建造物は現地産の赤砂岩だが、ジャハン時代のものは大理石である。ムガール帝国の皇帝の心など察することはできないが、だんだん贅沢になって国が傾くというパターンではあるようだ。
 〜宮脇俊三著 インド鉄道紀行より

庭園や宮殿など贅を尽くした造りになっていて見ていたら結構面白い。
アグラに来るまでは正直、タージマハルが見えるマターブバーグまでの行き方しか頭になかった。ここアグラ城は来てみるとなかなか見ごたえがある。
30分で戻るという約束なので、どこも歩いて通り過ぎるだけだったが、もっと時間を取ってもよい所だった。

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 ジャハンギール宮殿の屋上。

宮殿の屋上に出ると、窓のところに人だかりがしている。
覗いてみると、ヤムナー川の河原が眼下に広がり、遠くにタージマハルが見えた。

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 アグラ城から見えるタージマハル。

失脚し、息子のアウラングゼーブによってアグラ城に幽閉された5代帝シャー・ジャハーン。74歳で亡くなるまでの8年間、自らが建てた、また愛妃が眠るタージマハルを眺めて暮らすことになる。

ここから眺めるヤムナー河とタージの風景はジャハーンが生きた17世紀から変わっていないんだろうな。
失意の中、毎日タージを眺めて過ごしたのだろうか。対岸には自らの墓になる黒タージが建つはずだった。

 ”露と落ち露と消えにし我が身かなタージのことは夢のまた夢”
 〜それは豊臣秀吉公の辞世でっせ。

結局黒タージは幻と消え、ジャハーンの棺はタージに眠る愛妃の横に安置されることになる。

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 雨季ならばタージが河の水面に浮かぶように見えるという。

約束の30分は10分ほどオーバーしたが、門を出てリクシャーが待っている駐車場へ向かう。
待ってましたと客引きの運転手が声をかけてきたが、
「マイドライバーイズ ウェイティング」と言うと去って行った。このフレーズは使えそうだな。

続いてやって来たのがガイド本売り。
「コリア?チャイニーズ?ジャパニーズ?」
無視するのがいいんだろうけど、一緒くたに呼ばれるとつい「ジャパニーズ」と答えてしまう。

ノーノ―と言ってもしつこくついてくる。最初は30ドルだったが、20ドル、15ドルとどんどん値を下げる。が、いらん物はいらん。そもそもドルなんて持ってきてないし。

駐車場までついてきた。助けてくれダディ。
ほかの運転手と駄弁っていたダディが追っ払ってくれた。やれやれ。

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 アマル・スィン門の交差点。渡るのが一苦労。


◆土産物屋編

リクシャーに乗り込む。これで最初に約束していた観光地は全部回った。
次の約束はショッピングとランチである。
ショッピングとは土産物屋のこと。連れて行って買わせるとコミッションが入るので、観光客相手では一番の腕の見せ所であろう。

ダディ「ビフォー ショッピング アフター ランチ OK?」
私「ヤー」

はっきり肯定は「Yes」、生返事は「Yeah」と使い分けていたが、そんなことインド人に通じるはずもない。

まだ旅行は序盤なので荷物が増えるのは困るが、小物くらいなら買ってもいいかなとも思っていた。
リクシャーはどこへ向かっているのかわからない。このときのダディーが一番得意顔だったような気がする。

着いたのは衣料品店のような店。

ダディ「さあ、日本人のお客さんを連れて来たよ。品物を出してやってくれ」
なんて言ってたのかわからないが、多分言っていたんだろう。

しかも品物を選んで自分でレジへ持って行くような店ではなく、対面販売。
また面倒な店へ連れてきやがったな。

店員はスカーフ出して何枚か並べる。シルクだという。触ってみると肌触りは悪くない。
店「彼女にでもどうだい」
うーん・・・
こういう物の良し悪しなどさっぱりわからない。

店「サリーもあるよ」
いやいやいや、そんなん日本に持って帰っても誰も着ないから。

だまっていると、次から次へと品物を出して並べる。
あーわかった分かった、スカーフ1枚買うよ。
私「ハウマッチ?」
店「1500」
値札もないし、相場も分からないので高いのか安いのか。多分相当ふっかけているんだろうけど。

もうヤケになってきた。
私「ドゥーユーディスカウント?」
店「いくらならいいの?」

台の上に電卓があったので、借りて『1000』と打ち込んだ。

店「それは無いわ、1300」
私「1100」

結局1200ルピーで交渉成立。

店「お客さん、もう1枚お母さんにどうね」
店「紅茶もあるよ」
私「ノーサンキュー、エネオスエネオス(もう十分)」

ダディは終始ニヤニヤしながらこっちを見ていた。
スカーフ1枚買って店を出る。

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 シルクのスカーフ1,200ルピー也。

ダディ「ダイリセキに興味ないか、ダイリセキ、いい店があるよ」
ダイリセキって何だ?
ショッピングも1店だけじゃ済まさないつもりなんだろう。いいよいいよ、行ってくれ。

また街中をしばらく走って、小さな工場のような所に入って行った。リキシャーが壊れて修理工場にでも寄ったのかと思ったが、着いたという。

ダディに招き入れられるまま中に入ると、石の加工場だった。狭い部屋だが職人たちが石を削ったりしている。
ここでダイリセキの意味が分かった。大理石ね。
ダディは時々日本語を混ぜるから訳が分からなくなる。

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 さいしょは車の修理工場かと思った大理石屋。

中で座らされると、ダディが「彼がティーチャーね」という人物が現われた。
店員風ではないし、社長かな。どちらでもなさそう。
横に座り、どこから来たかとか、どこに行って来たかなどあれこれ聞かれる。

それから大理石の工芸についての説明。
「これはアグラの伝統工芸で、タージマハルから受け継がれた技法・・・」
正直興味ないので聞き流す。

「どうだい、商品を見て行かないか?」
もう早く出たいので「ヤー」と答えると、
「よしっ、店内へカムイン」

外見は修理工場に見えたが、店の中は上等な工芸品店という感じだった。でも高そうだな。

ティーチャーは皿を出してきて並べた。
テ「どうだいいいデザインだろう、特別に50ドルだよ」
私「ドル持ってないよ。ルピーで言ってくれ」
3220ルピー?上等な物かも知れないけど皿1枚に6000円近くも出せるか。それにこんな物バックパックに入れて持ち歩けないよ。

私「エクスペンシブ。もっと安い物はないの?」
テ「これなら1000ルピー」
と出したのは大理石で出来た象の置物。手のひらに乗るサイズで、これなら悪くない。
テ「2個なら1800ルピーにするよ」
テ「小物がいいの?ほらマグネットも2個付けるよ、3200だけど全部で3000でどうだい

私「まだ高いよ。ディスカウントプリーズ」
テ「いくらならいいんだい」

ティーチャーの持っていた電卓を借りて、少し考えて2000と打ち込んだ。
テ「おいおいおい、このゾウ1個で1000だぜ、そりゃないだろう」
さすがにちょっと引き過ぎたかな。2300と打ち込む。
テ「じゃあ10%引きで2700でどうだ?」

別にどうしても欲しいわけじゃないし、売ってくれないのならそれはそれで結構なことだ。
私「ノーサンキュー、バーイ」
背を向けて外に向かいかけると、
テ「ヘイ サー、わかった、トゥーサーザンシックス、2600、これでカンベンしてくれ」

もう面倒になってきてOKを出した。

お金を払おうと財布を見たが、2600ルピーを払うとほとんど無くなってしまう。このあとランチもあるし、現金がなくなると困る。
仕方がない、少々心配だがクレジットカードで払った。
小物4個で約4600円。ずいぶんふっかけられたという感じは否めない。

テ「ところでこの小物入れは彼女にでもどうだい?2000でいいよ」
さすがにそれは何とか断った。

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 大理石のマグネットと象の置物。2,600ルピー也。

ダディの姿が見えない。車で待っているのだろうか。

ティーチャーはまあゆっくりしていけよとソファーをすすめる。
テ「こちらのお客さんに飲み物を持ってきてくれ。ヒーイズ マイゲスト」
しばらくしてビンにストローが差されたペプシコーラが運ばれた。
テ「ノープロブレム、ディスイズフリー」
金は取らないようなのでペプシをいただく。ずっと炎天下の中リクシャーで来たので冷たいペプシがうまい。

ティーチャーと色々話をする。と言っても片言の英会話なので大した内容ではないが。

テ「トリップアドバイザーを知っているか?この店は5つ星なんだ」
壁にはトリップアドバイザーの張り紙がある。
彼は嘘は言っておらず、後でネットを見たらトリップアドバイザーに店が載っていた。

テ「俺の奥さんは日本人なんだ」
ちょっと奥さんに会ってみたくなったが、話が長くなるといけないのでそれは言わなかった。

テ「君のヘアスタイルはとてもナイスだ」
最近は短く刈り上げている髪の毛だが、お世辞にもオシャレとは言えないと思っていた。ただ剛毛なので、触るとブラシのようではある。
ティーチャーは私の髪の毛が気に入ったのか、何度もナデナデした。

ペプシを1本空けたところで、ではそろそろと退散することにする。
テ「サンキュー、マイフレンド、バーイ」
「バーイ」

ダディは車にいた。
ダディ「いいものはあったかい?」
私「ああ、象の置物を買った」
ダディ「次はリング(指輪)はどうだい」
もういい、カンベンしてくれ。

私「アイムハングリー、アイワナランチ」
ダディ「何が食べたい?」
私「インド料理がいいな」
ダディ「インディアンフード?OK」

時刻は11時過ぎ。ランチには早いが12時までに駅に戻る約束なのでちょうどいい時間だろう。
今度はどこへ向かうのか。リクシャーは街中を走る。

いや〜、それにしても疲れた。

posted by pupupukaya at 20:30 | Comment(2) | 2017年インド鉄道旅行記

2017年インド旅行記2 アグラへ

◆2日目 4/28 旅程
 ニューデリー〜(鉄道)〜アグラ
 アグラ〜(鉄道)〜ニューデリー

今日から一人歩き。

デリーでは最初の方で2泊、最後に1泊することになる。
デリー滞在の中日にあたるこの日は、列車でどこかへ行こうと考えていた。

インドと言えばタージマハルだよなあ。タージマハルがあるのはアグラ。
私は有名観光地というものにあまり興味を持たない人なので、誰もが行くからって、わざわざ行く気にはならなかった。
街の中を歩いたり、スーパーや市場を覗いたりする方がよっぽど楽しい。

ニューデリー駅からどこか日帰りで行けるところを、列車の時刻を調べたりしていたが、案外と難しかった。
ジャイプルまでは片道4時間半。日帰りで行けるが、戻りがどうしても暗くなる時間になってしまう。駅から歩いて数分のホテルとはいえ、夜道を歩くのは避けたかった。
アグラならば片道2〜3時間で、アグラ観光をしても明るい時間にはデリーに戻ってこれる。

失敗だったのは金曜日になってしまったこと。タージマハルは金曜日は休みになる。
中には入れないが、川の対岸のマターブバーグという所からも見ることができるようだ。

ということでアグラ行に決定した。往復の列車チケットも出発前に購入してある。

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 ニューデリーからアグラまでの略図。


 ニューデリー 6:00
    【12002】Bhopal Shtbdi 
 アグラ・カント 7:57  

今日乗る列車は『シャタブディー・エクスプレス』と呼ばれる高速列車で、デリーから各都市に向けて運転されている、全席食事つきという飛行機並みの豪勢な列車である。

朝5時半にホテルを出る。もう明るくなっていた。
歩き出した途端、道端に停まっているリクシャーの運転手からやたらと声がかかる。
「ヘイ、ジャパニ?」
「where do you go?」
ノーノ―と言って歩く。どこへ行ってもこんな感じなのだろうか。今から気が重くなる。

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 早朝のニューデリー駅。

駅に近づくとこんな時間から車で溢れかえっている。道端は座り込んだり横たわったりする人がいっぱい。
やっぱり夜は歩きたくないな。

ニューデリー駅は大きな駅を想像していたが、意外と小さい駅だった。入ったところが吹き抜けのホールになっていて、電光掲示板に発車する列車とホームが表示されている。

駅で夜明かしした人なのだろうか、床に横になっている人が多数。それも、もっと隅の方で横になればいいものを、真ん中で堂々と横になって寝ている。何となく昔の上野駅の雰囲気を思い出した。

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 ニューデリー駅のコンコース。

改札口はないが、ホームに入るところにセキュリティーゲートがあって、空港のX線装置のような機械に持っている荷物を通す。
並んでいるが、脇からすり抜けて通る人もいる。何のためにあるのかいまいちわからないゲートだった。

乗る列車は『ボーパール・シャタブディー(Bhopal Shtbdi)』という名前がついている。その名の通りボーパールまで行く列車で、デリーから約700kmを6時間25分で結んでいる。

途中停車駅のアグラまでは195km、1時間57分となっていて、最高速度は150km/h、インド国鉄ご自慢の特急列車といったところ。
優等列車にふさわしく、ゲートを出てすぐの1番ホームに入線していた。

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 シャタブディーエクスプレスが停車するニューデリー駅1番ホーム。

列車のチケットは、E-チケットを印刷して持ってきた。指定された席番もチケットに表示されている。
自分の乗る車両はE1号車。奮発してエアコン付1等車にした。それでもアグラまで1,068ルピー(1,879円)は安い。2等だと680ルピーになる。日本円にして600〜700円の差額なら1等にした方がお得だろう。

E1号車を探して歩くが、ずっと2等車が続く。一番後ろまで来てしまった。1等車は逆方向だった。
荷物車2両を含めて18両編成。またホームの端から端へと歩く。早めに来て良かった。

先頭に機関車が付く客車編成。次位に荷物車、1等車2両、その後ろはすべて2等車となる。
機関車の写真を撮ったが、手前の荷物にピントが合ってピンボケに・・・

インドの鉄道は基本的に撮影禁止。ホームには警官も多いので見つからないようにしたい。

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 先頭の機関車。これ1台で18両の客車を牽引する。



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  荷物車では積み込みが行われている。

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 客車の出入り口。

指定された席は通路側だった。窓側にはビジネスマンらしいインド人がいた。
超特急列車の、しかも1等ということもあって乗客の身なりは良い。外国人の乗客も目立つ。

余程車体が大きいのか、ゆったりした幅の座席が4列あっても通路は広い。2等だと日本の新幹線と同じく2列+3列の並びとなる。
インドのレール幅は1676mmで、普通の鉄道としては世界一広い(日本は1067mm、新幹線で1435mm)。そのためか車体も大型になっている。

ニューデリー駅は定時に発車。朝早いが席は大体ふさがっていて、人気の高い列車とうかがえる。
これは、ほかに都市間を結ぶ適当な昼行列車が無いこともあるのかもしれない。
これも出発前に調べてわかったことだが、朝早くに出発するシャタブディー以外では、急行列車は長距離の寝台列車ばかりになってしまうのだ。

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 エアコン1等車の車内。クルーがサービスに回る。

発車するとサービスが開始される。全員に新聞が配られる。続いて水と紙コップが配られる。水はたっぷり1Lのボトル。

それから車掌が検札に回ってきた。印刷したE-チケットを見せる。隣の客はスマホの画面を見せていた。必ずしも印刷する必要は無いようだった。

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 出発前に印刷して持って行ったCleartripE-チケット

ネットで情報収集していると、駅でこのチケットではそのまま乗れないだとか、コンファームが必要とか言う人が現れて、怪しげな旅行会社に連れて行かれたなんて話をよく目にした。
実際は印刷しただけのチケットで全く問題ナシ。

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 新聞が配られる。読めないけど。

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 水のサービス。紙コップ付き。

客車は揺れこそ少ないが、ずいぶんとスピード感がある走りっぷり。この列車のMAXは150km/h、外を見た感じででは120〜130km/hだろうか。日本の旧型客車を100km/h以上で走らせたらこんな乗り心地かなと思うような堂々とした走りっぷり。

そんな中、次から次へとクルーが現れる。ジュースが配られ、今度はコーヒーか紅茶。インドなのでここは紅茶にした。カップと皿は陶器製。紙コップでいいんじゃないか、運んでくるだけで大変だ。

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 最初に出された紅茶とジュース。カップと皿は陶器で本格的。

紅茶のカップは一旦下げられる。
次に配られるのは袋入りの食パンとコーンフレーク、それにバナナの乗ったトレイ。器にはホットミルクが注がれた。これにコーンフレークを入れて食べる。さっきの紅茶の後だからどんなものが出されるのかと思ったら意外と軽食だ。朝だからこんなものか。

インドでは食べ物を持つのに左手を使うのはタブーとされている。しかし、車内の人を見ていると左手を使っている人も結構いたり・・・

隣のインド人客はサービスなぞ要らんとばかりに、ずっと眠っている。

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 コーンフレークと食パン。朝食だからこんなものかと思っていたら・・・

そうこうしているうちに最初の駅マトゥラーに到着。アグラまではあと30分少々。
これで終わりかと思っていたら、また。ベジかノンベジか聞かれたのでノンベジと答える。
隣の人はいつの間にか起きていて、ベジと答えていた。

アルミの容器に入っていたのはオムレツだった。車内で調理しているのか熱い。
一方ベジの方はと見ると、コロッケのようなものが2個。ベジにすれば良かったかな。

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 最後にオムレツがやってきた。これだけは使い捨てアルミ容器。

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 アグラまでの車窓はずっとこんな感じ。

アグラまでの2時間は次から次へとサービスがやってくるのであっという間だった。

8時過ぎ、5分ばかり遅れてアグラ・カント駅に到着。観光都市なのだが一緒に降りる人は意外と少なかった。金曜でタージマハルが休みだからか。

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 アグラ・カント駅に到着。

エアコンの効いた車内から出ると暑いかと思ったらそうでもなかった。今日のアグラの最低気温は26℃で最高は38℃。涼しい朝のうちに観光をするのが吉だろう。


◆アグラ半日観光

アグラは人口約157万人。世界遺産に登録されているタージマハルやアグラ城がある観光都市でもある。インドを旅行した人ならば必ずや訪れる都市だろう。
それにもかかわらず、駅はこじんまりとした印象だった。

さてこれからどうするか。

駅舎から外に出たら、タクシーやリクシャーの運転手たちが待ってましたとばかりに寄ってきた。
人が多いとはいえインド人ばかり。今のシャタブディー急行で降り立った人たちの中に、自分以外で外国人らしい人はいないようだった。肌の白い東洋人は目立ってしょうがない。

アグラへ来たからにはタージマハルが見たい。が、今日は休みなので、対岸にあるマターブバーグへ行こうと思っていた。
ちょっと駅から歩いて行ける距離ではないし、交通機関もあるのかないのかわからなかった。

タクシーに乗る必要があるし、乗る前に値段の交渉もしなくてはならないのだが、こう俺が俺がと寄ってこられると、どうしたら良いのかわからなくなる。

客引きの運転手はとにかくインチキや暴利が多いと聞いていたので、少し離れたところにいる車をつかまえたほうが良いだろう。

歩き出すと群がる客引きのおっさんの一人が、
「Are you from Japan?」「タージマハル?」
思わずイエスと答えてしまった。
カモ確定?

そのおっさんは身分証を見せてきた。ちゃんとした運転手だということか。それでも胡散臭いのでノーと言って歩き出す。
ずっとついてくる。何度も身分証を見せ、とにかく正式な運転手だ、心配いらないというようなことを何度もアピールしてくる。
試しに「How much?」と言ってみると800ルピーだと言う。それでまたノーと言う。とにかく断る口実を考えていた。
ほかの運転手も寄ってくるが、そのおっさんが追っ払う形になっていた。

どこまでもついてくる。断ったところで別の運転手を見つけなくてはならないし、根負けした。

 ※やりとりは以下日本語にします、基本中学生程度の英会話ですが・・

運「いくらならいいんだ?」
私「マターブバーグへ行って、12時までに駅に戻ってきたい。500では」
運「マターブだけかい?ほかにいくつか回って600ならどうだ」
私「OK、そのかわり600オンリーだ」

交渉成立。600オンリーと何度も念を押したのでまあ大丈夫だろう。ずっと歩いていたので駅からは離れてしまった。
運転手のあとをついて歩く。どこまで行くんだろうと思ったら、駅前の駐車場だった。
これに乗れという車は黄色と緑のツートンカラーが目立つオートリクシャ―。デリーでも多く見かけた。

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 オートリクシャ―の運転手について行く。

運「行くのはマターブバーグ、アグラ城、ベビータージ、バザール、ランチ、OK?」
バザールと言うのが気になったが、とりあえずOK。

運転手の名前を聞いたが忘れてしまった。ここではとりあえず『ダディ』としておく。

ダディ「ワッチュアネーム?」
ファーストネームで答えると、ダディはその名で呼ぶようになった。

ここも昨日のデリーで乗った車のようにクラクションをビービ―鳴らしながら交差点に突っ込んで行く。

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 ドアがないので風を切って走る。

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 とにかく入り乱れる道路。一応4車線道路なのだが。

オートリクシャ―はドアがないので風が容赦なく入る。もちろん埃も排気ガスも。

ダディ「まずベビータージに行く、それからマターブバーグねOK?」
私「Yeah,OK」

タージマハルは今日はオフか?と聞いてみると「イエス、フライデーイズオフ、エブリウィーク」。
やっぱりか、残念。

「インドにはどのくらい居るんだ」「日本はどこから?東京?大阪?」「日本ではゴールデンウィークなのかね」
いろいろ聞かれる。

アグラにはデリーから日帰りだと言うと、「オー、ベリーショート」。

ダディ「仕事は何してるんだい?」
会社員?どう答えるんだろう。
「ジャパニーズ カンパニー エンプロイー(従業員)」
まあ通じたようだった。

「Girl friend?」「Married?」
なんて答えたかなあ。

ダディ「俺は日本語をいくつか知っている」
「コンニチワ」「オハヨウゴザイマス」「サヨウナラ」

そのうちバラが咲いたの歌を日本語で歌い出した。ダディと一緒になって歌う
日本人の扱いに慣れているような印象だった。

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 画像ではお伝えできないが、とにかくビービ―とやかましい道路。

どこをどう走っているのかわからないので、ちゃんとまっすぐ向かっているのだろうか。乗ってしまった以上は運転手に任せるほかはない。
まだ、変なところへ連れていかれたらどうしようという不安は消えてなかった。

ダディはあそこにサル(monkey)がいると言って車を停めた。写真を撮れと言う。オッケー、サンキュー。また走り出す。

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 こちらは野良牛(?)とサルの群れ。

最初にまず着いたのが庭園のような場所。ダディいわく『ベビータージ』とのこと。
道路わきに車を停めて、ダディは「ここで待ってるから」と言った。

中に入るとチケット売り場があった。200ルピー。500札を出すとお釣り無いと言われる。あらためて100札を2枚出す。

ここは正式名称は『イティマド・ウッダウラー廟』という。あとで地球の歩き方を見たら載っていた。
タージマハルと同時期の17世紀に建てられたムガル時代の墓所。

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 イティマド・ウッダウラー廟(通称:ベビータージ)の門。

チケット売り場から進むとまた門があって、そこでチケットを見せる。
芝生や庭木はきちんと手入れがされ、きれいな庭園といった感じ。
真ん中に白い大理石の宮殿(霊廟)が建ち、反対側はヤムナー河が流れる。あのタージマハルと同じようなロケーションで、たしかに『ベビータージ』だね。

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 白い大理石の霊廟。

宮殿に入ろうとしたら、大声で「ハロー!ハロー!」と呼び止められる。何かと思ったら、中は土足禁止らしい。ここで靴を預けるか靴カバーをつけることになる。
履いてきたのはボロスニーカーだが、預けて無くなったら困る。靴カバーをつけてもらった。サービスなわけは無く、100ルピー札を差し出す。お釣りは当然無し。

お札は昨日空港で両替してからまだそのままだ。なんとかして小銭を作りたいのだが。

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 霊廟は裸足になるか、靴カバーをつけることになる。

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 霊廟の内部。この造りは後にタージマハルに受け継がれた。

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 これは墓石だろうか。

入口と反対側からはヤムナー河とその河原見える。ずっとゴミゴミした街中を来たので、開放感もひとしお。
人もいないので落ち着く。

リクシャーのダディは悪い人ではなさそうだが、あれこれ話しかけられて、すべてが英会話なので疲れるといえば疲れる。
しばし休憩時間といったところ。

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 ヤムナー河側の門から。

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 広いヤムナー河。心落ち着く風景。

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 整った芝生の中庭。外とは別世界。

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 イティマド・ウッダウラー廟の説明板。

雰囲気は良いがほかに見るものも無く、20分くらいで外に出る。

リクシャーに戻ると、ダディが「20ルピー、ペイナウ」と言う。何のことかと思ったら「パーキング」と言う。
駐車場代がいるのか。しかし、今は100ルピー札しか持っていない。お釣りをくれと言ったら、駐車場のおっさんからお釣りをもらって渡してくれた。10ルピー札8枚。小銭ができたのがとりあえず有難い。

次はタージマハルを見にマターブバーグへと向かう。


posted by pupupukaya at 14:11 | Comment(0) | 2017年インド鉄道旅行記

2017年インド旅行記1 ニューデリーまで

◆1日目 4/27 旅程
新千歳空港 7:55−JAL JL3040便−9:30 成田空港
成田空港  11:30−JAL JL749便−17:35 デリー空港 

毎回海外旅行の出発は朝早い。始発の地下鉄か、さもなくばタクシーを使うことになる。

荷物は前日の夜に終えている。
主な持ち物はというと、何は無くともまずカメラ。街歩き用のメッセンジャーバッグ。衣類が替えズボン1、替え半袖シャツ1、替え下着各3。あとは洗面道具、充電器、B3の電源プラグ、マグカップ、紙皿、洗濯洗剤とロープ、以下は細々した物。それに『地球の歩き方』と百均で買った英会話本。

えっ、たったそれだけ?と思われるだろうが、いつもこのくらいのものだ。
ツアー旅行と違って荷物を持って歩かねばならないので、無駄になると思われるものは一切持って行かない。衣類はホテル滞在中に洗濯するし、必要になれば現地で買えばいいと割り切っている。

これから行くのは灼熱のインドだが、GW前の札幌はまだまだ寒い。インドに着くまではウインドブレーカーを羽織る。薄手なので丸めれば小さくなる。

今回インド行の相棒はバックパックである。セカンドストリートで買った中古。さすがにキャスター付きのキャリーケースをガラガラ引いてインドの町を歩くのはどうかと思って買ったもの。

これからは海外旅行はバックパックで行こうかと思ったのだが、どうやらこれ登山用らしい。
カギは付けられず防犯面もイマイチなので、今回は直行便だからいいけど乗継便の場合は使えないな。
つーか旅行用のバックパックってどこに売ってるんだろう。

今回はこれで行くしかない。バックパックを背負ってまずは新千歳空港へ向かう。
しかし、重てーな。

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 新千歳空港からデリーまでの搭乗券。

新千歳空港のカウンターで荷物を預ける時に、ビニール袋にお入れしますか?と聞かれたのでお願いする。
やはりこのバックパックでの海外旅行は難ありということか。こいつの仕事も今回限りだな。

まだGWとは呼べない木曜日では、国際線乗継カウンターも成田行き搭乗口周りも閑散としていた。

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 空港職員に見送られ。

機内は後ろの方は空席ばかり目立つ。空いていた方が快適とはいえ、いささかさびしいスタートだった。
成田空港までは若干遅れて1時間40分のフライトだった。

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 第2ターミナルの出発ゲート。

成田空港での乗り継ぎ時間は2時間ほど。到着ゲートから一旦外に出てみる。
第2ターミナルに来たのは初めてだ。と言って何か変わったものがあるわけではないが。

セキュリティーゲートに向かう途中に外貨両替屋があったので、米ドルに替えようか立ち止まって考える。

これから行く先であるインドの通貨はインドルピーになるが、日本国内ではインドルピーに両替することができない。
インドに入国してから両替することになるのだが、米ドルで持って行って両替した方が良いという説と、日本円から直接ルピーの両替でも良いとする説がある。

米ドルに替えても余したらもったいないし、2回も両替すると換算するのも大変だ。成田空港での両替はやめて、インドについてから直接円からルピーに替えることにした。

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 行ってきまーす。

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 インド人が目立つ搭乗口。

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 ボーイング787機。飛行機を見るとワクワクしてくる。

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 デリーまで9時間半の宿となるエコノミークラス。

JAL便なので日本人ばかりかと思っていたら意外とインド人乗客が多い。
半分近くがインド人じゃあなかろうか。
自分の隣席もインド人だった。

席は窓側。ヨーロッパ便だとロシア上空を飛ぶが、インド行は朝鮮半島〜中国上空を飛ぶ。
景色を楽しみにしていたが、水平飛行になるとほとんど雲が下を覆っていた。これは残念。

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 機内食のメインはパエリアとサーモンのグリル。

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 シェードが下ろされて暗くなった機内。

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 窓の汚れが星空のようにも見える。

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 2回目の機内食はサンドイッチ。

ここからインド時間にします。
日本とインドの時差は3時間半。時計を3時間半戻すのだが、自分の電波時計ではこの『半』が自動合わせできないので、手動で時刻を直す。結構面倒くさい。

機内で配られたインドの入国票を書く。これは『地球の歩き方』にある通り書く。税関申告書もあるが、これは申告するものが無ければ必要ないそうだ。

機長のアナウンスあり。デリーは気温38℃とのこと。

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 インド国内あたりから晴れてきた。ラクナウ上空。

17時少し前、デリー空港大変混雑のため管制塔の着陸許可を待っていますとアナウンス。
何度もぐるぐると旋回を繰り返す。
空港では迎えが来ているはずなので遅くなっても大丈夫だが、それでも暗くなって着くのはいやだな。

高度が下がると外の光がどんよりと鉄さび色のスモッグに覆われる。インドのPM2.5は中国以上に深刻なのだそうだ。

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 降下するとスモッグで視界が悪くなる。

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 何度も旋回を繰り返す軌跡。

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 眼下にデリーの街が見えた。

デリー空港到着は20分ほど遅れて17:55となった。
飛行機を降りるとムワッとする。ここで1週間過ごすのか。やっぱり旅行する時期を間違えたか。

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 空港トイレの美男美女。

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 ムドラと呼ばれる手の形(印)が出迎えるアライバルホール。

一緒に飛行機を降りた人たちに付いてひたすら歩くとイミグレーションのあるアライバルホールに出た。エスカレーターを下りると金色の皿とムドラと呼ばれる手のオブジェがあった。おおーインドに来たとテンションが上がる。

とりあえずほかの人に倣ってイミグレーションに並ぶ。
自分の番が来て、パスポートとe-ビザを出すと、e-ビザはあっちというようなことを言われた。

言われた方に行くとe-visaと書かれたカウンターがあった。
日本人はすでに通り過ぎたのか、ここで並んでいるのは中国人ばかり。何だか一人ひとりやたらと時間がかかっている。
こちらは迎えがいるので気をもむ。

ようやく自分の番。英語であれこれ訊かれるのかと構えるが、何も言われなかった。最後に両手の指紋をスキャンして終わり。

荷物受け取りのターンテーブルへ。一緒に到着した人たちはすでに去った後だった。
ターンテーブルはカラで回っている。自分の荷物はと一瞬あせるが、1つだけポツンと回ってきた。

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 すでに誰もいなくなっていたターンテーブル。

税関は荷物をX線に通すのみで通過。
18:40ようやく到着ロビーへ。名前を持った出迎えの人が並んでいる。

自分の名前を探すが見つからない。待ちくたびれて行ってしまったかと思ったが、出発前に申し込んだ出迎え場所はここじゃなかった。

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 到着ロビー。名前の紙を持った出迎えの人たち。

出たところにトーマスクックの両替所があった。
遅れたついでにここでインドルピーに両替する。空港の両替はレートが悪いと聞いていたが、もう銀行も閉まっているだろうし、当座のお金を持たなければ何も買えない。
1万円が4,900ルピーに。1ルピー約@2.04円。後日クレジットカードの精算では@1.77円だったので2千円以上違うことになる。馬鹿らしいが、まあ仕方ない。

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 ちょうど出たところにあった両替所。

申し込んだときにメールで来ていたNo.6ゲートから出ると、あーいたいた。すぐにわかった。

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 ターミナルの外に自分の出迎えがいた。黄色い紙の人。

さっそく運転手について行く。
うおー、暑いなあ。
どこまで歩くんだろうと思いながらついて行くと、立体駐車場の中へ。

停めてある車に乗り込む。運転手はウェイトプリーズと言ってどこかへ行った。駐車場料金を払いに行ったらしい。
戻ってきて出発。

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 運転手の後について行く。

外はだんだん薄暗くなってきた。やっぱり送迎を頼んで正解だった。
しかし、運転が荒い。クラクションをビービ―鳴らしながら走っている車の列に割り込んで行く。

こっちも早く着いてほしいので、内心は運ちゃん頑張ってくれよと思っていたが。

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 空港を過ぎると高速道路を順調に走る。

デリー市内に入ると大渋滞になる。すっかり暗くなった。
運ちゃんはクラクションをビービ―鳴らして、とにかくわずかな隙間があれば割り込んで行く。
この車だけでなく、道路上はクラクションの合唱だ。

走っている車はやっぱり日本車が多い。特にスズキのスイフトが目立つ。インドではスズキが人気のようだ。

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 市内に入ると大渋滞。

中心部に入るとオートリクシャ、自転車入り混じってカオス状態。
ひたすら割り込み割り込み。走っている車を見ると車体はボコボコの車ばかり。こんな状態だから、こすったくらいでは事故にしないのだろう。

渋滞で停まっている車相手に物売りが歩き回っている。
車の窓ガラスをボンボンと叩く。すぐに物乞いだとわかった。怖くて思わずドアをロックする。無視していると行ってしまった。運ちゃんもひたすら無視だった。

道端はゴミだらけ。たむろしたり寝そべっている人。
いきなりインドの洗礼を受けた思いだ。

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 車から見た街の様子。

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 道路は渋滞する車に通行人が入り乱れる。

ホテルに着いたら8時を過ぎていた。
旅行会社から事前に知らされていた通り、降りるときに運転手に日本円で1,500円を渡す。

レセプションで「ハロー、マイネームイズ〜」とチェックイン。
大きくてぶ厚いハードカバーの宿帳を取り出して記入する。なんだかドラクエの宿屋みたいだ。

支払はクレジットカードで。
係の人は操作を間違えたのか、PIN番号を入力すると番号が思い切り表示された。オイオイ大丈夫なのか。
あーでもない、こーでもないという感じ。

それでもようやく無事部屋に入れた。

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 ようやく着いたホテルの部屋。

部屋は1階だが、半地下のようなところだった。上の方に窓があって、覗いてみると目の前が路地になっていて、向かいに商店があった。生活感がよく見える。

ベッドにはなぜか掛布団が無かった。ロッカーに毛布が入っているのでそれを使えということか。それとも暑いので必要ないということなのだろうか。

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 遅く着いたときは冷蔵庫(ミニバー)はありがたい。

一息ついたので、まずは食事にしたい。
ホテルにレストランもあるが、もう面倒くさくなった。

部屋には冷蔵庫があって、飲み物が入っている。カゴにはスナック菓子が並んでいた。
机に置いてある値段表を見るとさほど高くはない。

冷蔵庫の水とスナック菓子で一杯やることにした。酒は成田空港の免税店で買ってきた焼酎。
インドではお酒の入手も難しいということで買っておいた。

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 成田空港の免税店で買ってきた焼酎と部屋に置いてあったスナック菓子。

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 インド版ベビースターラーメンと言ったところ。インドらしく結構スパイシーだった。

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 部屋の窓からの眺め。

明日はタージマハルのあるアグラへ行く予定である。
列車のチケットは手にしてあるが、それ以外は何も入れてはいない。

何とか自力でやってみせますとも(ง •̀ω•́)

posted by pupupukaya at 10:10 | Comment(0) | 2017年インド鉄道旅行記