2004年ロシアサハリン旅行記9

 2004年9月23日

 ◆ 始発のティモフスク駅

朝6時過ぎ、昨夜のオバサンがドアをノックし起こしに現れた。まだまっくらだ。

7時、だいぶ明るくなってきたところでオバサンが再び現れた。鍵を返して「ダズビダーニャ」(さようなら)と言い、ホテルを後にする。後ろでオバサンが何やら言い出した。ホテルの前は広場になっているのだが、広場を指差して何か言っている。

「バクザール」(駅)の一声でわかった。”駅はここを通って行きなさい”と近道を教えてくれたのだ。
広場を斜めに突っ切って踏み分け道がある。再び礼を言ってオバサンと別れた。

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 1晩の宿だったホテルアグロリツェイ全景。 

ティモフスクはトゥイミ川上流の盆地に開けた町で、林業が主な産業となっている。北緯51度に近い内陸の盆地に位置するこの町は、冬には-50℃まで気温が下がることもあるという。
この日も、まだ9月だというのに吐く息は白く、地面には霜が降りている。

広場を横切っていくと、昨日通った交差点の所に出た。交差点のところには『Тамара』という店があり、駅からホテルまではこれを目印にすればわかりやすそうだ。

まだ誰も歩き出さない道を駅まで歩く。途中にはダーチャ(別荘)らしい一軒家が数軒あるだけ、駅に近づくにつれだんだん人家が途切れてくる。林の向こうに広場が見え、そのまんなかに小さい駅舎がぽつんとあった。

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 ティモフスク駅の駅舎。

駅の周りは林があるだけで何もない。ホームには木材を満載した貨物列車が停まっている。
ユジノサハリンスク行の列車は見当たらない。

なぜ何もないティモフスクで1泊したかというと、夜行の急行列車だと夜中に通り過ぎてしまう途中の車窓を見たかったのと、昼間の定期列車にも乗って見たかったのが理由である。

ホテルでは散々心細い思いをしただけに、せめて列車だけは正確に運行してほしいのだが。
この頃には、もうなるようになるさという心境だった。

重たい扉を開けて、駅の中に入ると小じんまりした待合室にはすでに数人が列車を待っていた。
どうやら運休や遅れはあっても、列車は運行されるようだ。

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 ホームに停車中の貨物列車。

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 小じんまりとしたティモフスクの待合室。

しばらくして、きっぷ売り場が開く。

待合室の人たちが窓口に向かう。ユジノサハリンスクまでの人も何人かいる。この列車だとユジノまで丸1日かかるのだが、夜行列車の切符が買えなかった人たちだろうか。

相変わらずホームは貨物列車が占拠している。列車はいつ入線してくるのかと思っていると、突然放送があり、待合室にいた人が荷物を持ってホームに出て行く。

一緒について行くと、十何両も連結した貨車のはるか先頭に2両だけ客車がついていた。

先頭は機関車、その次に荷物車、座席車、寝台車そして貨車が十何両もズラ〜っと並んでいて、日本ではすでに過去のものになっている客貨混合列車だった。

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 混合列車の968列車。2両だけ客車を連結。

切符に指定された車両は1号車で、寝台車となっている。昼間の列車なのに寝台車というのはヘンだが、・・・1等4人用コンパートメントとして使用される・・・とガイドブックに書いてあった。

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 4人用コンパートメント寝台車。

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 寝台車の通路。折り畳みの腰掛もある。

入口で車掌に切符を見せて乗車する。1号車の乗客は私1人だった。

いや、個室が9室あるうち入口側の2室は乗車した時から扉が閉まっていて、中からイビキが聞こえてくる。個室の扉には『ミリッツア』(警察)と張り紙がしてある。

時々制服の警官がいちいち鍵を掛けて出たり入ったりしていたが、一体なんだったのか結局わからなかったが。


 ◆ 968列車、各駅停車14時間の旅

誰もいないので、車両のあちこちを見てまわっているうちに発車時刻になり、7:55、列車は衝撃もなく静かに動き出す。ユジノサハリンスクまで490キロ、14時間01分の列車の旅となる。ユジノサハリンスク着は21:56

発車すると車掌がやってきてシーツ代35Рを請求される。寝台は使わないので納得はいかないが渋々と払う。車掌がパッケージされたシーツを持ってきた。寝台車なのだから寝台として使えということか。

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 パッケージされたシーツ。

客車の車端には給湯器が置いてあり、お湯だけは自由に使える。
昨日ノグリキで買っておいたカップ麺にお湯を入れて部屋に戻る。

『ラプシャー・ドシラック』という韓国製のカップ麺で、サハリンではわりと普通に売っている。ラーメンなのにカップ焼きそばのような平たい容器なのは、フォークとスプーンで食べる人が多いからだと聞いたことがある。ロシアではヌードル入りスープのことを“ラプシャー”と言う。
ラーメンはキムチ味なのか辛口で味はまあまあ。

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 車内で食べた韓国製カップ麺。

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 デッキに設置してある給湯器(サマワール)

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 砂利道の国道と交差する。

国道と交差してトゥイミ川の鉄橋を渡る。パリェーボで下りのbP列車と交換した。

このあたりから登り勾配になってきたようで、列車のスピードが落ちる。北に注ぐトゥイミ水系と南に注ぐポロナイ水系とのサハリン2大河川の分水界越えになる。

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 線路脇の沼に木立が映る絵になる車窓風景。

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 ツンドラの平原が広がるトゥイミとポロナイの分水界付近。

サハリンは東西に横断する場合は、険しい峠越えを余儀なくされるが、南北に縦断する場合は、中央低地帯と呼ばれるどこまでもなだらかな低地が続き、どこで峠を越えたのか判別しないほどだ。いつの間にか列車のスピードが上がっている。

トゥイミ川はここでお別れ、ここからはポロナイ川にそって南下する。
ポロナイ川は日本時代は幌内川といって日本と当時のソ連にまたがる国際河川だった。

農業にも牧畜にも向かないのか、人家は全くない。車窓は白樺の林が続き、林が途切れると永久凍土の冷たい大地がどこまでも広がる。

枯れた木立がシルエットのように浮かび、過酷な気候を思わせる。

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 霧の中、枯れた木立が悲しげに現れる。

廃駅を通過する。地図には『セベルハンダサ』とあった。列車は進むにつれ、だんだん霧が濃くなってきた。

パリェーボを出てから1時間10分延々と走ってようやく人家が見え、オノールに着く。
珍しくコンクリート製のホームがあり、ホームには乗客や見送りの人たちが15人ほどが立っている。

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 霧のオノール駅。赤い帽子の駅長が発車合図を出す。

オノールではオバチャンが1人、山のような荷物を抱えて乗ってきた。手馴れたように座席の下の荷物入れに荷物をしまい、向かいの座席のベッドメーキングを始めたと思うと、毛布をかぶって寝てしまった。

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 乗車するなり寝てしまったオバチャン。

いよいよ列車は北緯50度線越えにさしかかる。
サハリンがまだ樺太と呼んでいた時代は、ここが日本とソ連の国境であった。

旧国境を見ようとずっと目を凝らして車窓を見るが、どこまで行っても同じような林ばかり。
時おり小さな川を鉄橋で渡るだけで、どこが国境だったかも分からないまま列車はユジナヤハンダサに着いてしまった。
日本時代は半田いう地名で、日本とソ連の激戦が行われた地でもある。

林と湿原しか見えず、人を寄せ付けないような風景ばかりだったが、このあたりから少しずつ拓けてくる。
頻繁に町や畑が現れるようになった。

停車駅ごとに数人の客が乗って来るようになった。
各駅停車の列車は、地元住人の貴重な足となっているようだ。

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 日本時代は樺太庁鉄道の終点だったポペジノ(古屯)駅。

スミルヌィフに着く。
ティモフスク以来の町らしいまとまった人家がある。

反対側の線路には、客車列車が停まっている。客車の表示を見ると『ポロナイスク−ポベージノ』とあり、ポロナイスク発着の区間運転列車らしい。

スミルヌィフでは母子連れが2人、赤ちゃんを抱えて乗ってきた。赤ちゃんとそのママ、それにおばあちゃんという家族連れ。
部屋を見てとても困惑した様子だ。
やがて車掌がシーツ代の集金に現れた。2人が車掌に何か言う。

よく分からないが2人の座席はこの部屋の上段の寝台らしい。向かいの席ではオノールのオバチャンが寝ているし、赤ん坊連れで上段で寝ているわけにもいかない、ということのようだ。
母子連れのおばあちゃんの方と車掌とでだんだん激しい言い争いになる。(以下のセリフは推定)

「とにかく切符には座席が記されているのだから、ちゃんと決められたところに座って頂戴!」
「赤ん坊を抱えて梯子を登って上段のベッドで座ってろと言うの!席を替えてくれてもいいじゃないの!」
「そんなこと私に言われても知らないわよ!とにかくあんたたちの席はここ!」

もう1人の車掌もやってきて、2人の車掌とおばあちゃんが猛烈に言い合う。まるでケンカだ。オバチャンも寝て毛布にくるまりながら何やら口を出す。

私はと言うと、窓の景色がきれい・・・とばかりに知らんぷり。
言葉が分からないし、ほかにどうすればいいの?

車掌も一歩も引かず、やがて母子連れのほうが根負けしたらしく、「わかったわ。ここに座ればいいんでしょ・・・」と呆れ顔で言った。車掌も「わかればいいのよ」というふうに去って行った。この寝台に3人腰掛けるとかなり窮屈だ。

私は外の景色を見たいだけなので、親子連れにこの席をゆずろうとすると、「あんたはそこに座っていていいのよ」と言うように押しとどめた。

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 頻繁に人家も現れるようになった。

駅が頻繁に現れるようになってきて、車内の乗客もだいぶ増えたようだ。
わりと大きな町の駅に停まった。オバチャンが「レオニードヴォ」と言う。
駅舎には『アレーニ』と表示してあった。

すっかり人里まで下りてきたような感じである。
今まではとにかく人を寄せ付けない過酷な気候を思わせる風景だったが、この辺りまで来たら何となく北海道に似ているなと思えるようになった。

ダーチャ地帯を抜け、列車はポロナイスクへと到着する。ここでは45分間停車となる。

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 ポロナイスク駅は3階建ての立派な駅舎。

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 広いだけで何もないホーム。

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 入口に立つ車掌も、乗客と雑談したり手持ち無沙汰のよう。

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 見事に何もない駅前。

昼時なので、立ち売りでもいないかとホームに降りてみたが何も売っていなかった。
駅舎の中にキオスクがあり、列車の乗客たちで行列ができる。
飲み物とスナック類しかなく、腹の足しになるようなものはカップ麺くらいしかない。

駅は町外れにあるらしく、駅前は列車に乗る人がたまに車で現れるくらいで、とても人口2万5千人の都市の玄関口とは思えないほど見事に閑散としている。

キオスクでマロージナエ(アイスクリーム)を買って、駅舎の階段に腰掛けてかじる。コーンに詰まった霜のたくさん付いたアイスは素朴な味だった。発車時刻まで日向ぼっこをして過ごす。

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 キオスクで買ったアイス(1口かじった後)

通路に立って外を眺めていると、発車まぎわにリュックを背負った女性が乗ってきた。
服装があまりロシア人っぽくないので「日本の人かい?」と声をかけると日本語で「そうです」と答えが返ってきた。

彼女はKさんといい、名古屋からひとりで来たという。ユジノサハリンスク以来の日本人にようやく再会となった。
21日のフェリーでサハリンに着き、翌日の昼の列車で1人でポロナイスクまでやって来て1泊したと話した。

なかなかやるな。
久々に話す日本語だった。今までの体験談を、通路に立って車窓を眺めながら色々話をする。


 ◆ オホーツク海岸を南下する

部屋のおばあちゃんが、「立ちっぱなしだと疲れるから、上の寝台に横になったらどうだい」の様なことを言うが、立って外の景色を眺めたいのだと伝える。

列車はオホーツク海沿いを南下する。流れ行く車窓は、笹がないのと平行する国道が砂利道だという以外は、北海道の釧網本線や花咲線の風景と変わりない。

永久凍土帯の北サハリンから戻ってきた身には、なんとなく北海道に帰ってきたような気になってくる。
とはいえ、退屈な海岸線が延々と続き、車窓も何だか飽きてくる。

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 オホーツク海沿いを南下。砂利道の国道が平行する。

相変わらず列車は変わりばえしない明るいオホーツク海岸沿いを走る。

立ちっぱなしなので足が疲れてきた。部屋に戻り、上段の寝台を指差し横になりたいと言うと、おばあちゃんが上段の寝台をベッドメーキングしてくれた。
「ハローシイ(上等だ)・スパシーバ(ありがとう)」と言って梯子を登り横になった。ユジノサハリンスクへはまだまだ遠い道のりだ。

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 ボストーチヌイ付近。北海道の続きといった海岸線が続く。

横になりウトウトしてるうちに列車はフズモーリェに着いた。ここでは46分の停車となる。
隣の線路には西海岸のトマリまで行く気動車列車が8両編成が停まっていた。ここで交換するダイヤになっている。

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 フズモーリェ(白浦)で交換するトマリ行気動車8両編成。

何か売っていないかとホームに降りると、駅前には1軒の商店があり、また駅前広場は青空市場になっていて、ピロシキや山で採ってきた木の実やキノコを並べた露店が並んでいた。

ゆでた花咲ガニと毛ガニを売っていたが、これはさすがに食べきれないので見送る。

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 並ぶカニはこのあたりで獲れたものなのだろうか。

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 駅前広場はキノコや木の実などを並べた露天の市場となっていた。

商店で缶ビールを買い、露店のピロシキ屋で『ピャンセ』なるものをKさんの分と4つ買う。
ピャンセは1つ20Рで、中にキャベツとひき肉を詰めて蒸した中華まんじゅうだったが、素朴な味でうまい。

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 露店で買ったピャンセとビール。

ホームの隅に腰掛けて食べていると、野良犬と野良猫がやってきた。野良犬のほうは物ほしそうにしきりに尻尾をふる。野良猫はムスッとしたまま近寄ってくる。

食べているまんじゅうをちぎって放り投げると犬はジャンプしてキャッチする。なかなか芸達者だ。一方猫は放り投げても落ちたのを渋々拾って食べるだけで無愛想この上ない。何となくこの列車の車掌に似ているなと思う。

1個食べ終わって車内に戻る。

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 上下列車の乗客たちで、露店の市場はしばし賑わう。

発車時刻になっても発車しないと思ったら、駅舎から出発合図の標識を持った駅員が飛び出してきて発車となった。

フズモーリェを出ると相変わらず列車は穏やかなオホーツク海沿いの砂浜の海岸を南下する。通路で行けども行けども続く砂浜の海岸を眺めているうちに日が暮れてきた。

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 オホーツク海を見ながら日が暮れる。

ユジノサハリンスクまであと2時間。部屋に戻り、上段寝台にまた横になる。外はすっかり暗闇になった。


 ◆ とっぷり日は暮れて

オノールのオバチャンはドリンスクの次のソコルで下車していった。スミルヌィフの母子連れもさすがに疲れたようだ。赤ちゃんだけが元気で、ママの携帯をオモチャにしている。

暗闇ばかりだった車窓にも次第に街明かりやヘッドライトが次々と飛び込んで来るようになった。ユジノサハリンスクの街に入ったのだ。

久しぶりに見る都会は光の洪水に見えた。終点を目前にして、列車は手前の貨物駅で15分停車する。再び動き出し、列車はゆっくり、ゆっくりとユジノサハリンスク駅のホームに到着した。

同室だった母子連れたちと「ダズビダーニャ(さようなら)」と言って列車を降りる。わずかな薄明かりのみのホームは、列車から降りた数十人と出迎えの人たちでごった返していた。

   

今日の宿はラーダホテルとなっているが、夜道を歩いて行けば20分以上かかる。
Kさんが今夜泊まるユーラシアホテルでタクシーを呼んでもらうと良いと教えてくれたので、そうすることにした。

とりあえず駅の待合室を抜け、Kさんとユーラシアホテルに一緒に向かう。時刻はすでに22時。今日はすでに列車はないのだが、待合室には人がいて、キオスクまだ営業している店がある。

ユーラシアホテルのフロントでKさんが英語でラーダホテルまでタクシーを呼んでくれるように頼んでくれる。10分ほどしてフロントが「ラーダ」と言って車のナンバーを言った。

表に出るとちょうどそのタクシーがやってきた。Kさんと別れ、運転手に「ラーダ」と伝えて車に乗る。
車は日本車で無線も付いていた。神社通りをまっすぐ進み、5分ほどでラーダホテルに着いた。

「スコーリカ・ストーイト(いくら)」と尋ねる。
「シェッジェシャート(60Рだ)」

60Р払ってタクシーを降りる。

「スパシーバ(どーもー)」と言うと「パジャールスタ(イーエ)」と返ってきた。すでにこの程度の会話ならば出来るようになっていた。

フロントでチェックインをする。部屋番号は最初の日と同じ415号室だった。売店がまだ開いていたので、ビールとウォッカを買って部屋に入る。

早速シャワーを浴びて、冷えたビールで無事戻ってきたことに1人で乾杯する。

初日に1泊しただけの部屋だが、もう自分の家に帰ってきたような気になった。


2004年ロシアサハリン旅行記8

 ◆ 寝台急行2列車

列車の時刻まで、まだ2時間以上もあるが、駅に入ると列車を待つ人がすでにたくさんいた。
ユジノサハリンスク行急行列車の乗客たちである。

ホームにはまだ列車は入っていないようだ。

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 駅前の市場の前で野菜を売るおばちゃんたち。

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 市場の食料品店。

とりあえず、駅前にある市場に入り、黒パンとカップラーメンと水を買ってきた。
この先買い物できるかどうかわからないので、とりあえず水と食料だけは確保した。

あいているベンチを見つけて腰掛ける。駅のベンチは深々としていて大変座り心地が良い。
もっと早くに駅に着いていてもよかったかもしれない。

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 きっぷ売り場の小窓。

駅の待合室には町側とホーム側に出入り口があるが当然改札口はない。
切符売り場の小窓には次から次へと切符を買う人がやってくるが、行列するほどではない。列車に乗る人の多くは、事前に切符を用意しているようだ。

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 待合室のキオスク。小窓から声をかけて買う。

キオスクもあるが食べ物は売っておらず、また駅前に市場があるために、あまり売れていないみたいだ。

コインロッカーもある。5カペイカ硬貨を入れて暗証番号をセットする仕組みのようだが、35Рと張り紙がしてあったので、駅の窓口かキオスクに頼めば使わせてくれるのだろう。

待合室に腰掛けて、ぼんやりと始発駅の雰囲気を眺めていたらあっという間に時間が過ぎた。
今日はティモフスクまで行き、そこで泊まることになっている。

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 急行列車発車前の待合室。

17時過ぎにようやく列車の改札が始まる。
今回の乗車は、ノグリキ〜ティモフスクの区間乗車なので座席車かと思っていたら、切符に指定された車両は寝台車だった。

客車の入口で車掌に切符とパスポートを見せて乗り込む。コンパートメントにはすでに先客がいた。

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 急行2列車の行先表示板。

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 ホームでは見送りや別れの光景が。 

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 車掌が入口に立って改札する。

「ズドラーストビーチェ(こんにちは)」と先客のおっさんに言うと、本を読んだままコクッとうなずいただけ、無口な人のようだ。

先客の向かいの窓側に座る。しばらくしてもう1人乗ってきた。こちらはビジネスマン風で、英語の雑誌を読んでいるのでアメリカ人だろうか。

発車直前になって学生らしい青年が1人乗ってくる。結局コンパートメントは始発から満員となった。

誰かが「皆さんどこまで行くの」とたずね、他の3人はユジノサハリンスクまでのようだが、私ひとりが「ティモフスク」と答える。

すると向かいの人が何か言った。たぶん「何しにティモフスクに行くんだね?」とでも言ったのだろうが、「わからない」と言うとアメリカ人らしい男性が、「キャン・ユー・スピーク・イングリッシュ(英語はわかるか)?」と言うがこれも「ノー」と答える。

「イポーニェッツ(日本人か)?」と言われ「ダー(そうだ)」と答える。3人とも別に珍しくないというふうに、1人でよくきたなというような顔をする。

向かいのおっさんは突然日本語で「コンニチハ」と言った。驚いてこちらも「今日は」と返す。つづけて、「アリガトウ」、「サヨウナラ」、「トーキョー」「ハッカイドー(北海道)」と言い終わると、再び本を読み始めた。

車掌がやってきて、シーツ代を集金に来る。ティモフスクまでなのでシーツなど使用しないのだが、決まりらしく40Pを払う。昼間の寝台に男4人が座るのはやはり窮屈だ。青年は個室を出て行って通路に立ってずっと窓を眺めている。

ノグリキを出て最初の駅ヌィシまでは44kmあり、55分も延々と走る。舗装道路の国道が平行するが、この間人家はまったく無し。ようやくヌィシ駅に着くが、駅しかないような場所だ。

地図ではトゥイミ川の対岸に集落があるので、そこからやってきたのだろう、数人の乗客がホームに立っていた。座席車からは数人が下車していった。
急行列車だが、北部では地元の人の貴重な足ともなっているようだ。

ノグリキからティモフスクまでは地図上ではトゥイミ川に沿って走っているが、実際に川が見えることはない。どこまで行っても同じような森林地帯が続き、時々林が途切れて不毛の草原が広がる。窓からは西日が差し込んで眩しい。

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 すっかり日も落ちて。

ツンドラの原野に日が沈み、もうすぐ夕闇が迫って来るという頃、遠くに点々と家々が見えはじめた。向かいのおっさんが本から目を上げて「ティモフスクだよ」と言った。

「どこに泊まるんだい。ガスチーニッツァ(ホテル)かい?」
「ダー、ガスチーニツァ(ホテルです)」
「気をつけてな」「忘れ物はないかい」
「ダズビダーニャ(さようなら)」と言って荷物をもって部屋を出た。

デッキにはホームに買い物に降りるらしい数人が立っている。列車は定刻の19:53にティモフスクに到着すると車掌がドアを開ける。

まだ明るいが、日はとっくに暮れている。座席車から、荷物を持った10人ほどが降りてきた。ノグリキ〜ティモフスク間のみの利用も意外とあるようだ。
この区間を交通機関で移動するとなると鉄道しかない。

ホームを駅舎の方に向かう。


 ◆ ティモフスクに日は落ちて

T社からはホテルからの迎えがあると事前に案内されていたが、それらしき人も車も見つからない。もう少し待っていれば現れたのかもしれないが、何としても明るいうちにホテルに着かねばならない。真っ暗になっても誰も来なかったでは途方に暮れてしまう。

ホテルの場所を記した地図をもらっていたので、それを見ながら歩くことにした。駅のキオスクでビールでも買っておこうかと思ったが、キオスクは列車の乗客が殺到して大行列となっていたのであきらめる。

地図に記されているのは道路と通りの名前だけで、目印になるようなものは何も書いてない。
大抵は建物の壁に通りの名を記したプレートが表示してあるのだが、暗くなってはわからない。

行けども行けども町らしい所は無く、遠くの方に街あかりが見える。20分くらい歩いて行くと、街灯も無い道はついにまっくら。彼方に見える地平線が赤く染まっている。星も見えはじめた。

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 だんだん夕闇が迫り、ついにまっくら。 

1軒の商店のあかりが見えてきた。最悪の場合ここで道を尋ねれば良いと少しほっとする。

たぶんこれだと思う交差点を左に曲がると、向こうに5階建の建物が2棟ぽつんとあるのが見えた。あれに違いないと目標を定める。

狭い裏道のような道を歩いて行く。普通ならばこんな道の先にホテルがあるはず無いと思うが、ノグリキのクバンホテルの経験もあるので、疑いもせず、真っ暗で狭い道を歩いて行く。

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 なんとかたどり着いたアグロリツェイホテル。

5階建ての建物の前に来たが、どう見ても普通のアパートのようで、間違えたかなと思いつつ建物に近づくと、隣の建物に『ティモフスキー・アグラチェーフニチェスキー・リツェイ』と表示した明かりがあった。
なんか良くわからないが、ここで間違いはなさそうだ。入口にガスチーニッツァ(ホテル)の表示を見つける。

ドアを開けて中に入る。やっぱり誰もいない。
廊下が続いていて学校のように見える。奥へ入っていると受付のようなところがあり女性がいたので、バウチャーを見せて「ガスチーニッツァ?」と尋ねて見る。バウチャーを見るとわかったらしく、「パイジョーチ(ついてきて)」と言った。

ここではなかったのかと、彼女の後をついて行くと、入ってきた反対のドアから外に出て、建物の裏の方をまわって5階建てのアパートほうの建物に案内される。入口は反対側だったのだ。


 ◆ アグロリツェイホテル

ドアを開けると中は真っ暗でしかも床は水浸し。入口そばにあるトイレでは、オバサンがモップをもって床を拭いている。トイレが詰まって床が水浸しになったのか。案内してくれた女性はオバサンに、ホテルのお客が来たよと伝える。なんでこんな時に来たのかという感じで手を止めてどこかへ出ていった。

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 ここがホテルらしいのだが。

開けっ放しのトイレが唯一の明かりの中でしばらく待たされる。廊下の壁は剥がれ落ちて天井からはコードが垂れ下がり悲惨な状態となっている。リフォーム工事中というようにも見えなかった。
まるで廃墟ビルのようだ。

しかしもう泊まれれば何でも良かった。案内してくれた彼女と2人で話をしながら待つ。
「駅から歩いてきた」とか「列車で来た」というようなことを片言のロシア語と身振り手振りで話す。

やがてオバサンが部屋の鍵を持って現れた。奥のほうに案内されるかと思ったら、入口のすぐ横の物置部屋としか思えない“トビラ”を開けた。すると普通に綺麗なシングル部屋が現れた。

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 意外とまともなシングル部屋だった。

オバサンが何かいうが、さっぱりわからない。案内の彼女も中に入り、身振り手振りも加えるがぜんぜん通じない。
話し方からトラブルのようなことではないようだが、とても大事なことのようだ。知っている単語から色々連想して何とか分かった。

「明日は何時に出発するか」

7:55発の列車で発つから、7時に出ると言った。

オバサンがまた何か言う。また3人であーでもない、こーでもないと始まる。間に立つ案内の彼女も参ってしまったらしく「ウーン・・・」とうなってしまった。

大のオトナが簡単な会話も通じず、こんな夜遅くに廃墟のような空間に3人立ちつくしている。ここに来てから1時間近く経っただろうか。
なんか可笑しくなって3人で笑い出してしまった。

すると彼女は、やっとある言葉を思い出したようで、「モーニングコール」と言った。そうして時計の6時を指差す。「朝は6時に起こしにくる」ということだった。

とにかくこれでチェックインとなる。2人に「スパコーイナイノーチ(おやすみなさい)」と言って部屋に入る。

部屋は意外すぎるほどまともで、テレビと電気ポットが置いてあった。ノグリキの『クバン』のインパクトがまだ残っていたので、まともに見えただけかも知れないが・・・。

トイレはさっきオバサンが掃除していたところで、共同である。

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 洗面台となぜか便座の無いトイレ。

とりあえず夕食にすることにした。バッグからノグリキで買ってきた黒パンとキャビア、それに昨日の残りのウオッカを取り出して、テーブルに並べる。

まるでキャンプの食事のようだ。パサパサして固い黒パンにキャビアをのせて、ウオッカで流し込む。
貧しいようだが日本にいればまず不可能な食事で、ある意味で至高の食卓ともいえる。

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 バッグから食料を出して並べる。 

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 パンにたっぷりとキャビアをのっけて・・・

トイレの隣の部屋はシャワールームになっていた。蛇口を回してみるとお湯が出る。これ幸いと早速部屋からタオルを取ってきて、2晩ぶりのシャワーをあびてさっぱりした。

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 共同のシャワールーム。

明日は7時に発つので、もう寝ることにする。
あかりを消してベッドに横になると、遠くで貨物列車の通過する音が聞こえた。

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 部屋の窓。

夜中の2時頃目が覚めてしまった。トイレに行き、戻ってきてなんとなく窓の前に立つと、外は一面の星空!
これは本当に星空なのだろうか、と思うほど多くの星が力強くきらめいている。

しばらく窓辺でずっと星空に見とれていた。


2004年ロシアサハリン旅行記7

 2004年9月22日

 ◆ クバンをチェックアウト

朝方、夢を見る。日本で生活をして、普通に言葉を話してという、ごくつまらない夢を見る。普段ならば、目覚めて数分も経たないうちに忘れてしまうような内容だ。
夢から目覚めるとそこは、遥か遠いロシアの地だった。

1人きりで不安ばかりの現実に戻る。

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 部屋の窓から見たホテルの玄関。

窓をみるとすでに明るくなっており、相変わらず殺風景な風景が広がっている。天気は良いが、特に予定も行くところも決まってないので、またひと眠りする。

すっかり寝坊して9時頃目がさめる。
顔を洗いに洗面所へ向かう。他の客たちはとっくにホテルを出て行ったようだ。

今日はどこへ行こうかと地図を開く。
今日の列車の時刻は17:20発なので、それまでどこかへ行かなければならないのだ。

ガイドブックは役に立たないので、市内の地図だけが頼りだ。昨日は中心部まで行くのにいったん駅へ行き、そこからバス通りを歩いて1時間近くかかったが、駅とは反対方向の軽便鉄道の線路を歩いていけば、半分くらいの距離で行けるようだ。

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 ノグリキ市内略図(2004年筆者作成)

それより、チェックアウトもせねばならず、バウチャーもまだ渡していなかった。パスポートに宿泊の証明も記入してもらわねばならない。ある程度の会話を想定して、会話集と辞書で“予習”する。

10時近く、荷物をまとめて1階に降りる。やはり誰もいない。何といって呼べば良いのか。

「すいませ〜ん」

日本語で呼んでみる。やはり誰も出てこない。困ったなと思っていると、奥のほうから主人らしい人が現れた。
バウチャーを見せ、「チェックアウト」と言うと通じたらしく、こっちへ来いと言われてついて行く。鍵を開けてドアを開けると机と電話が置いてあった。事務室のようだ。

主人はバウチャーを見ながら何やら書類をめくり始める。パスポートに証明がほしいと言ってみる。主人はウーンとうなり何か言い始めた。何か不備があったのか。不安になるが、言われてもこちらも理解できない。しばらくやりあった後、主人は頭に来たのかバウチャーを指差し「ノーマネー!」と叫んだ。

どうやらまだ宿泊代を受け取っていないと言いたいらしい。そんなバカな。またしばらくやりあった後、バウチャーに何やら書き込んで、「これをもって行ってユジノサハリンスクで証明をもらえ」とバウチャーを返した。

これで良かったのか悪かったのか、私の会話能力ではこれ以上はどうすることもできない。部屋の鍵を主人に返して、チェックアウトとなった。

たった今トラブルがありながら、「5時の列車に乗るので、それまで荷物を預かってくれませんか」と頼んでみる。我ながら図太いというか、図々しいと思ったが、意外にも快く承諾してくれた。

「5時の列車ならば4時に荷物を取りに来い」と言われ、「スパシーバ(ありがとう)」と言ってホテルを出た。

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 ひと晩世話になったクバンホテル。


◆ ノグリキの郊外を歩く

今日も晴れで良かった。こんな町で雨に当たったらどう過ごせばいいのだろう。
軽便鉄道の土手に登り、線路を駅とは反対の方向に歩いてみた。

クバンホテルの裏手はダーチャ(別荘)が建ち並んでいる。駅から来れば廃材置場の中にあるようなホテルだったが、反対側からはダーチャ村の中だったわけだ。

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 クバンホテルの裏手はダーチャ(別荘)が建ち並ぶ。 

線路脇に信号機が建っていたが使われていないらしくソッポを向いたままだった。そのまま歩いていくと踏切があり、右の方へ行くとオハまで延びる州道に出る。線路を歩けるのはここまでのようだ。

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 軽便鉄道の線路とソッポを向いた信号機。

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 オハへと続いている軽便鉄道の線路。

線路は230km北のオハへと延びている。草の間から踏面をのぞかせているだけの線路は、原野の中に消えてしまいそうに、頼りなく見えた。

少し町外れまで歩くと、立ち枯れ木が目立つツンドラ地。
ここが過酷な地であることを思わせる。

ノグリキは北緯51度、ここまで来れば北極圏からの寒々とした空気を感じる。
サハリン南部の北海道に近い空気とは別物だ。

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 川に架かる危なっかしい木橋。これでも車が通るようだ。

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 町の郊外は過酷なツンドラ地が広がる。

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 オハへ続く州道の『ノグリキ』の標識。

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 トゥイミ川に架かる新しい鉄橋。鉄道と道路の共用となっている。


 ◆ 急行1列車ノグリキ駅到着

12時近くになり、駅に行ってみる。
ちょうどユジノサハリンスクからの急行列車が12:06に到着したところだった。

昨日はこの列車で降り立ったわけだが、今日は出迎えるほうの立場となる。ホームにも出迎えの人がたくさんいて、昨日と全く同じ光景が繰り返される。
日本人の乗客はいないかと探して見たが、いないようだった。

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 ユジノサハリンスクからの急行1列車が到着。

駅前広場にはオハ行のバスが停まっていた。オハ行きは週3回のみユジノからの列車に接続して運行される。
オハへはユジノから飛行機が飛んでいるので列車からバスに乗り継ぐ人は少ないようだ。

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 オハ行の切符を売るのは珍しく男性の車掌だった。 

バスの車内では、珍しく男性の車掌が切符を売っている。3年前にチャーターバスで悪路をオハまで走りぬけた記憶がよみがえる。

次のサハリン旅行は、あれに乗ってオハまで行ってみるか・・・

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 オハ行きのバスが出発。

12:20になるとバスは15人程の乗客を乗せて、オハへと発車していった。次第に駅前も閑散としてくる。


 ◆ 中心部への近道と壊れかけた橋

こんどは町の方へ行ってみることにした。
時間だけはたっぷりとある。

駅から線路を歩いてクバンホテルとダーチャ村を通り過る。今朝地図で調べた近道で中心部まで歩いて行くためだ。

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 橋の近くには廃船が棄ててあった。 

トゥイミ川の鉄橋まで来れば中心部は目と鼻の先だと思っていた。しかし橋と中心部とを結ぶ道は池のような水溜りがあちこちで道をふさぎ、ほとんど廃道に近い状態になっている。

そんな道でも人が通るようで、水溜りの脇には迂回路ができていたり、木が渡されていたりする。

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 水溜りの脇は一応通れるように工夫してある。 

橋の手前まで来てびっくり。今にも崩れ落ちそうな木造の橋が目の前に現れる。

さすがにこれを渡るのはちょっと・・・
と思っていると向こうから人が現れて、ひょいひょいと橋を渡りはじめた。

よく見ると、亀裂が入っている箇所には板が渡してあって、手直しで補修しているようではある。

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 町とダーチャ村を結ぶ朽ちた橋。

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 橋を渡る人。

どうやら渡っても大丈夫なようだ。恐る恐る歩き出す。橋が抜けてしまっているところは板が並べてあるが、隙間からは水面が丸見えだ。

足元に見える川面(かわも)を見ると、日本で掛けてきた海外旅行保険が頭をよぎった。

何とか無事渡り終え、坂道を登って行くと見覚えのあるところに出た。

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 今にも崩れ落ちそうな橋。

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 町から見たトゥイミ川と鉄橋。


 ◆ ノグリキ中心部

ソビエツカヤ通り。どこへも行くあてがないと、いつの間にかここに来てしまう。昨日と同じく人通りは多い。道を歩く人々はどこへ行くのだろう。

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 唯一きれいなロシア正教会。

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 パルク・ポページ(勝利公園)あたりは白樺の並木が並んで整っている。

あてもなく通りを歩く。一応商店街のようになってはいるが、通りに面した入口に店名だけ記した素気ない看板があるのみなので、どれが何屋さんなのかドアを開けて中に入ってみるまで分からない。

食料品店兼雑貨屋となっている店が多い。どの店も全て対面販売で、品数はさすがに豊富だが、なんかどの店も同じ物ばかり売っているような気もする。24時間営業の店もあった。

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 ノグリキのメインストリート、ソベツスカヤ通り昼下がりの光景。

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 ソベツスカヤ通りその2.

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 現役のボンネットバス。

以前にツアーで来た時に昼食をとったレストランを見つける。
ガイドブックにも載っていて、『オリムピック』という名前らしいが、入口にただ『バール(バー)』と表示してあるだけ。

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 表は食料品店。裏口のようなレストラン『オリムピック』入口。

中に入ると2組の客が食事をしていた。テーブルに着くとウエイトレスがメニューを持ってやってきた。また例によってわかる単語のものだけ書き出してて渡せばいいと考えていた。

メニューを開くと、親切にロシア語の下に英語も表記してある。これはありがたいと英語のほうを読むが、しかし英語もさっぱしわからなかった。これはもうお手上げだと思っていると、ウエイトレスが注文とりにやってきて何か言う。

ホットメニューとあるところをウエイトレスのほうに向け「ショームガ(鮭)?」と言ってみた。秋だから鮭くらい獲れているだろうと思ったからである。すると一番上の品を指差して「カルーガ」と言う。「エータ・ルィーバ(それは魚か)?」と尋ねると、そうだと言う。
それに「サラート(サラダ)」これは適当なのを指差した。それにパンにコーヒーを付けて注文した。

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 夜は賑やかになりそうなオリムピック店内。

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 店内で食事をする人。画像は中世の絵画にも思える。

店内は結構広く、入口に近い所はカウンターというかバーになっている。夜は酒場になるのだろう、薄暗い内装でカラオケ装置もある。

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 トマト、ジャガイモ、ゆで卵のサラダはマヨネーズがたっぷり。

サラダの後に出てきたのは、カルーガと言う魚に小麦粉をつけて揚げたもので、これが大当たり!

魚の身は柔らかくて脂がのっていて、わからないで食べたらウナギの唐揚げだと思うほどおいしい。この唐揚げが二切れも皿にのっている。それに玉ねぎとジャガイモのフライがつけ合わせになっていて、これだけでお腹一杯になってしまう。

・・・これは後で聞いた話だが、『カルーガ』とはチョウザメの一種で、このあたりで獲れるのだそうだ。

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 カルーガの唐揚げ。 

食後に砂糖のたっぷり入ったコーヒーを飲んで204Р(約800円)。考えてみればサハリンに渡って初めてレストランでまともな食事にありついたわけだ。

外に出ると、この建物の通りに面したほうは食料品店となっていて、『マガジン(店)・オリンピック』と看板があった。カフェの入口はまるで裏口のように見える。昨夜宿泊したクバンもそうだが、ホテルやカフェは商店の副業でやっているのかもしれない。

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 食料品店オリムピック。ここも対面販売の店。

とある店にキャビアを見つけて一瓶買う。たった65Рなので本物かはわからないが、さっきのカルーガの卵かもしれない。店にいた客のおばさんが「あらこんなのあったのね」というように珍しそうに見ていた。

もう行くところもないので、ホテルで荷物を返してもらい、あとは駅で待つことにした。

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 板で補修されているものの、無茶苦茶怖い。

再び崩れた橋を渡り、巨大な水溜りの道を抜けて軽便鉄道の線路を歩く。この近道を行けば、町からクバンホテルまで歩いて20分くらいで着く。

荷物を預けておいたので、クバンホテルに寄る。中に入るが相変わらず誰もいない。
声を出すと隣の店の姉さんが奥から出てきた。

店員の姉さんが話は聞いてるよというふうに、事務室の鍵を開けてくれた。荷物を持って礼を言ってホテルをあとにする。何度往復したろうこの線路を歩くのもこれで最後になる。


2004年ロシアサハリン旅行記6

 ◆ ノグリキの町

何だかすっかり疲れきって、ホテルを出る。

ホテルの前には軽便鉄道の線路が通っていて、ノグリキ駅のほうへ伸びている。
なるほど、駅から道ではなく線路を歩いてホテルまで行けば良かったのか。

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 軌間750mmの軽便鉄道の線路。

ノグリキに限らないが、列車の少ないサハリンでは、町中に敷かれた線路は住民の通路となっているのをよく見かける。
さっきの泥んこ道と違って車も通らないし、快適な歩道だ。

とりあえず駅に来て見た。バス停の標識があって、路線バスがあるらしい。しかし、どのくらい待てばいいのか。

駅の向かいは市場になっていて数軒の食料品店が並んでいる。レストランがなくても、ここに来れば何か食べ物は買えそうだ。

地図を見ながらバス通りを歩き出す。急ぐ用があるわけではないし、ノグリキの町を歩いて見たかったというのもあった。

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 鉄道駅とノグリキ中心部を結ぶ道路。

ホテルとは反対の、駅を出て右手のほうへ歩いていく。こちらはずっと舗装道路が続く。しばらく行くとサハリンでは珍しい一戸建ての住宅街がある。ダーチャかもしれないが。

軽便鉄道の駅が見えた。3年前はここから途中まで機関車に乗せてもらったことがある。
南のカタングリまであったはずの線路は、道路との交差部分は線路撤去され、その先は草に埋もれてしまっていた。

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 軽便鉄道の廃線跡。

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 方向標識。ティモフスク136km、町1km、空港2km。

10分ほど行くと空港の前に出る。ヘリコプターがたくさんとまっている。空港前の交差点を左へ曲がる。これがユジノサハリンスクへの国道のようだ。
油田開発の建設資材を積んだダンプやトラックが多い。太いパイプを積んだトレーラーも走っている。

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 市街地を二分するノグリキ川。

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 泥炭地特有の茶色い水。

駅から歩くこと40分、ようやく町らしいところに出た。
前回来て、見覚えのある場所だ。

前回来たときに宿泊したノグリキホテルを見つける。その向かいには文化会館があり、前に来た時はここで民族舞踊を見物したっけ。
文化会館の前は小さい公園になっている。旧ソ連の戦勝記念のモニュメントがあった。

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 3年前に宿泊したノグリキホテル。

中心の通りには店やキオスクが並び、結構人通りがある。道行く人々は地元の人ばかりのようで、旅行者やビジネスらしい人は見なかった。昼に列車で着いた大勢の人たちはどこへ行ってしまったのだろうか。

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 町中のキオスク。店員に商品を取ってもらう対面販売が標準。

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 メインストリートのソビエツカヤ通り。 

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 砂地にできた町なのか、町中は砂だらけ。

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 ソ連型住宅と木造家屋。

木造やブロック積みの古い建物ばかりの町並みを歩いていると、中世ヨーロッパの小都市にでも迷い込んだような錯覚になる。

表通りは明るい感じだが、横の道に入ると木造の古いアパートが建ち並んでいて、仕事にあぶれたような人たちが昼からビールを飲んでいたりして、なんとなく暗い雰囲気だった。

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 戦前の匂いもしてきそうな古めかしい木造住宅。

歩いていると若者のグループから「ハイ」と声を掛けられる。
こちらも思わず「ハイ」という。

鉄道の終点のノグリキは、たまに私のような日本人がやってくるのだろう。

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 ブロック積みの高層アパート。

ガイドブックによると北方民族博物館があるとのことだが、地図も住所も記載はなく、全く役に立たない。
列車の長旅で疲れていたしホテルに戻ることにする。

停留所らしいところにバスが停まっていたので、乗客のひとりに「バクザール(駅)?」とたずねたが「ニェート(違う)」と言われ、あれだと前に停まっていたワゴン車を指差したが、ワゴン車は出て行ってしまった。

バスの表示をみればワール(ВАЛ)行きとあった。ワールとはノグリキからオハに向かって約70km北にある村である。
16:00になり、ワール行きのバスは満席の乗客をのせ発車していった。

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 ノグリキと北部の集落を結ぶ路線バス。

しばらくするとまたワゴン車が来て停まる。
車には何の表示もないが、停留所に立っていた数人が乗り込み発車していった。

どうやら乗り合いタクシーのようで、市内をピストン輸送しているのだ。料金は乗客全員で割り勘なのだろう。あまり乗る気はしなく、またバス通りを駅まで歩いて戻る。

途中で系統番号を出したバスとすれ違ったので路線バス自体は走っているようだが、本数も少なくいつ来るか分からないので、がら空きのようだった。

   

再び歩いて駅前に戻ってくると、ちょうどユジノサハリンスク行列車に乗る人が駅に集まっていた。

駅前の市場も列車に乗る人たちが買い物をしてにぎわっている。
おかず売り場があったので、シャシリク(串焼き)とパンを買う。別に店で魚の缶詰とウオッカも買った。

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 駅前にあるスーパーも対面販売。

魚の煮付けも売っていて食べてみたかったが、一匹まるごとは食べきれないのであきらめる。先客のオヤジはこの魚の煮つけとウオッカを買っていった。魚で一杯やるのだろうか。とりあえず今日の夕食は揃った。

買い物していると突然にわか雨が降り始める。さっきまであんなに晴れていたのに。
雨は10分ほどでやんだ。17:20にユジノ行きの列車は発車していった。明日乗る予定の列車だ。

駅で雨宿りして外に出ると、駅前は大きな水たまりと虹が出現していた。

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 駅前広場から見た虹。

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 廃車体とノグリキ駅前に現れた虹。

駅の横に、多分軽便鉄道で使われていた客車の廃車体が物置代わりに置かれていて、虹と客車がメルヘンの国へ連れて行ってくれるように見えた。

ノグリキ駅から軽便鉄道の線路を歩いてホテルに戻る途中、後ろから貨物列車がやってきた。

この線路は、ノグリキから230km北にあるオハまで続いている軽便鉄道である。
昔は旅客輸送もあったようだが、現在は貨物専用の産業鉄道となっている。

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 後ろから現れた貨物列車。

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 汽笛を鳴らして線路の主は行く。

ディーゼル機関車に牽かれた貨車が何両も何両もノロノロと通過する。
線路を歩いていた人たちも列車に気づいて脇に避ける。

10年くらい前ならば、サハリン各地に軽便鉄道があったようだ。
それが自動車の急速な普及から、そのほとんどが姿を消し、残っているのはここノグリキからオハまでの鉄道くらい。

旅客輸送はバスに譲り、道路事情の悪いサハリン北部で、細々と貨物輸送を行っているのだった。

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 ゆっくり、ゆっくりと通過してゆく。

無蓋貨車にコンテナを積んだ6両編成の貨物列車は、汽笛を鳴らしながら通過して行った。
1日中のどかな郊外の、ほんのひとときの出来事だった。


 ◆ クバンホテルの一夜

クバンホテルの前に戻ってくると、昼に着いたときはやっていなかった店が開いていた。こんなところで商売になるのだろうか。

部屋にカバンを置き、1階の店に行ってみる。店内に入ると先客が2人いた。ビールと水を買う。1階で店が営業しているのは便利で、この点だけは『ノグリキホテル』よりも快適だと思った。
  
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 窓辺でビールを飲んで日が暮れる。 

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 部屋の窓から見える風景。

さて買ってきた惣菜は冷たくなっている。窓の下の暖房管の上にのせておいたら温かくなった。

ビニール袋を開けてシャシリクをかじる。肉と玉ねぎを調味料に漬けて木の串に刺して焼いたもので、肉は結構固い。豚肉のようだが、羊肉のような気もする。

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 スーパーで買ってきたシャシリク。

窓辺のベッドに腰かけて、ビールを飲む。まわりは廃材置場。
瀟洒なクバンホテルの向こう側は、持ち主が自作で建てたのだろう、魑魅魍魎(ちみもうりょう)な小屋が立ち並んでいる。

クバンホテルの隣に見えるバラックのような建物には夫婦が住んで居るようだ。

こんな所だが、1階の店への買い物客が1人、また1人と現れる。近くの作業場から仕事帰りの人が立ち寄るのか。

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 廃材置き場の向こうに見えた入れ替えの機関車。

トラックがやってきて建物の前に駐車し、数人の運転手がホテル玄関から中に入っていった。しばらくしてからまた車が着いて、運転手がホテル玄関に入っていく。

宿泊客はロシア人ばかりで、外国からの旅行客なんてのは自分1人。ここはホテルというより、長距離トラックのドライバーなんかが宿泊する“商人宿”のようなホテルなのだろう。

ゆがんだ窓ガラス越しに、夕暮れの景色をぼんやりと眺めていると、はるばる国境を越えてロシアの地にいるのだと言う実感が湧いてきた。

部屋の電気をつけようと壁のスイッチをひねるが、つかない。天井から1本ぶら下がった裸電球をよく見ると球切れしていた。

1Fに降りていってホテルの人に頼めば電球を交換してくれるのだろうが、言葉も分からないし面倒なのでそのままにする。幸いベッドの枕元のスタンドは明るくなる。

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 ウオッカと炭酸水。

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 意外と美味しかったイワシの油漬け缶詰。

薄暗い部屋の中で他にすることもなく、黄昏れる荒れた風景を見ながら、イワシの燻製の缶詰をつまんで、ひとりでウォッカを飲んでいた。


2004年ロシアサハリン旅行記5

 2004年9月21日

 ◆ ノグリキ クバンホテル

駅には出迎えの人が大勢待ちうけていた。駅前の駐車場には、車がびっしり駐車してある。
あちこちで、列車を降りた人と、出迎えの人たちで、ホームはごったがえす。あちこちで挨拶や握手する光景が展開される。

日本人は私1人だけのようだった。

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 列車を降りた人と出迎えの人でホームはごった返す。 

とりあえず駅の中に入り、荷物を置く。列車を降りた人たちは、車に乗り込んで次々に去っていった。
それにしても皆どこまでいく人たちなのだろうか。

しばらくすると、駅にはまだ迎えの来ない人や、夕方の列車を待つ人が残るのみとなった。

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 車が次々と去って行くノグリキの駅前広場。

どこへ行くにも、まずこの荷物を置かなければ始まらないので、T社から送ってきた地図を見ながらホテルの方角に歩き出す。

駅は町外れにあり、中心部へは少々離れているという若干の地理は、前に来たことがあるので分かっていた。送ってきた地図によると、ホテルはオハまでの幹線道路沿いにあり、町までは歩いて20分だろうと想像していた。

地図にある通り、駅前の舗装道路を左側へ向かって歩く。

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 クバンホテルに続く道。本当に道は合っているのか? 

200mほど歩くと、砂利道ですらない、ただの泥んこ道に変わった。
家も途切れ、だんだんひと気も無くなり、道の先はスクラップ置場になっているようで、どう考えてもこの先にホテルがあるとは思えず、何度も地図を見るが、やっぱりこの方角で間違いないようだ。
やたらとダンプカーが通る。

踏切を渡ると、山のように積み上げたスクラップ置場の向こうに、カラフルな家が見えた。あれだろうか。
この環境の中でカラフルな塗装の瀟洒(しょうしゃ)な2階建ての家はひときわ異彩を放っている。

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 スクラップ置場の向こうで異彩を放つ家。

家の前まで歩いていくと、あった。看板に『クバニ(КУБАНЬ)』と書いてあり、そのうえに『マガジン(商店)』とあった。

МАГАЗИН(店)??

店の入口があってそっちはまだ開店していないようだ。
もう一方は門があり庭の中を入っていく。

どう見ても個人宅の玄関のようで、おばさんがノンキにペンキ塗りをしていた。

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 どう見ても個人宅にしか見えないのだが・・・

とりあえず門をくぐり、おばさんに「ズドラストビーチェ(こんにちは)」と声をかける。

「えーと、ガシチニーツァ・クバン(クバンホテル)?」

そうだと言う。バウチャーを見せてみると、ここの客だと分かったらしく。中へ入れと案内してくれた。玄関で靴を脱ぐように言われる。

靴を脱いで、家の中に上がる。
ロビーと言うか、居間のようなところに通されて、ここで座って待っててくれと言う。
置いてあったテレビの電源を入れて、おばさんは奥へ消えていった。しばらく待たされる。

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 ド派手な内装。北方民族調? 

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 ここは食堂のようだ。 

何と言うか、あちこち派手な内装だ。この奥の部屋が食堂になっているが、そちらの内装はもっとド派手。ロシア調なのか、北方少数民族調なのか。

トラのぬいぐるみがいい味を出している。

片側の壁は金網がはってあって、中には2頭の猿が飼われている。猿をからかったりしていると、おばさんが中から出てきた。

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 壁面にサルの檻が。からかうと楽しい。

「パイジョーム(ついといで)」といわれ、おばさんについて階段を昇る。客室は2Fにあるようだ。これもまた奇妙な廊下を歩き、1番奥の部屋に案内される。「ここがあんたの部屋だ」というようなことを言って、おばさんは下に下りていった。

鍵はないのかと見たら、ドアにささっていた。この鍵がまた年代物というか、時代がかったもので、開け閉めするのにかなりコツがいる。

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 部屋はこんな感じ。慣れるまで落ち着かない 

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 年代物の部屋の鍵。

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 ペンキを塗るおばさん。 

部屋には、ベッドとテレビと冷蔵庫があるのみで、洗面所・トイレは共同となる。

明かりは天井から裸電球が1個ぶら下がっているほか、枕元の壁に小さい照明が取り付けてあった。窓の下には暖房管があり、部屋の中が暑いと思ったら、もう暖房が入っているではないか。

窓ガラスは寒さ対策か2重ガラスで、はめ殺しになっている。一番上の小窓が少し開くので、暑いから開けて置く。窓ガラスも妙にゆがんでいる板ガラスで、何十年もタイムスリップしたような感覚に陥る。

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 古びた窓。

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 厳寒地らしく窓は2重ガラス。

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 窓下の温水ヒーター。

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 傘がどこかへ行って裸電球になった灯かり。

顔を洗おうと洗面所に行き、蛇口をひねると、赤錆まじりの水がちょろちょろ出るだけ。さすがにこれはひどいと思っていたら、夕方に配管屋さんが修理に現れて、夜にはちゃんと水が使えるようになった。

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 ひどい状態の洗面所。

荷物も置いたし、表は良い天気なので町の見物に行きたい。このまま出掛けちゃっても大丈夫だろうか。

1階に降りてみるが、シーンとして誰もいないようだ。

さっきのおばさんがいたので、バウチャーを見せて・・・・えー、何て言えばいいのだろうか。チェックインはロシア語で分かるはずもない。
パスポートに滞在証明をもしてもらわねばならない。

とりあえず色々言って見る。おばさんも色々言ってくるが、何を言っているのか分からない。
20分くらいやり取りしただろうか。おばさんの言わんとすることは、要するにこういうことだった。

「私に言われても分からない」

おばさんの言った「パカー(あとで)」の言葉でやっと分かった。とりあえず私は「ツェントル(町)」のほうに出かけてくる、と言うことを伝えた。ツェントルは、バクザール(駅)からタクシーに乗れば良いと親切に教えてくれた。


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