2023年夏フィンランド旅行記11 帰国・おわりに

 ◆ 新しくなっていたヘルシンキ・ヴァンター空港

海外旅行終盤、大体は空港へ着けば日本に帰国したも同然なのだが、それは帰りの飛行機が日本の航空会社の場合。
今回は帰りもフィンエアーなので、ここはまだアウェーなのである。

今手にしている飛行機のeチケットはJALのものだが、乗る便はフィンエアーなのでチェックインもフィンエアーで行うことになる。
そこでフィンエアーのカウンターへ行くと、自動チェックイン機が並んでいた。

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 フィンエアーのチェックインコーナー。

どうもこの機械でチェックインして搭乗券を出し、機械から出てくる手荷物タグも自分で付けるようだ。
見ていると、チケットのQRコードをかざしてから操作している。

日本の国内線でもそうなってきたので、別に驚くことではないが、手にしているのは紙出力したJALのeチケット。
QRコードもないので、まず何をどうしたらいいのかわからない。

幸い近くにフィンエアーの名札を付けたスタッフがいたので聞いてみる。

「エクスキューズミー、アイハブア、ディスチケット・・・」

そのスタッフはeチケットを見ると、最初にチケットナンバーを入力すればいいと教えてくれた。

言われた通り、チケットナンバーを入力すると、チケットの情報と座席の選択画面が現れた。
何のことはない。
いやはや便利になったものだ。

座席はデフォルトで指定してあって、エコノミー前側の通路側席。
これは断然窓側希望なので、空いている列の窓側を選択した。
OKボタンを押すと次は手荷物の選択と思ったら・・

げげっ、支払い画面!?
『SEAT PRICE €34.00

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 シートを選択したつもりが・・・

そういえばフィンエアーの事前座席指定って料金がかかるんだった。
チェックイン時はさすがに無料だと思っていたが、これも有料だったとは。

それにしても34ユーロって、日本円ならば5千円以上だよ。
たかが窓側に座るだけで5千円札1枚飛んでくのなら通路側でいいわ。

座席指定をキャンセルしようとしたがキャンセルできない。
操作を続けていたら、搭乗券らしきものがプリントされて出てきた。

よく見ると、『not a boarding pass』(搭乗券ではありません)と印字されている。

もう一度初めからやり直すが、座席指定の34ユーロは消されていなく、これもキャンセルできないまま同じ紙が出てきた。
成す術もなく、また別のスタッフに声をかけて出てきた2枚の無効チケットを見せると、向こうのカウンターでどうぞみたいなことを言われた。

1つだけの有人カウンターは前の客は2組だが、対応にやたらと時間がかかる。
そりゃそうで、自動チェックイン機が使えない面倒な客が有人カウンターに来るのだからしょうがない。

自分の番が来たので、JALのeチケットと無効チケットそれにパスポートを渡す。
カウンターの人はキーボードを操作し、

「シートチャージ?」
と言った。
「シートチャージ、キャンセル」
というと「オッケー」と言ってまた操作を始める。

34ユーロは無事キャンセルとなったようで、帰りの飛行機の搭乗券が無事渡されて、手荷物も預けてようやくチェックイン終了。

受け取った搭乗券を見ると、座席指定はさっき機械で指定した窓側席のままとなっていた。

これは一旦座席指定してキャンセルエラーとすれば、好きな席をタダでゲットする裏ワザ・・・?

と思いかけるが、私の場合は本当に間違っただけですから。
いや、マジで・・・(汗

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 出発コンコースの出発案内。

ようやく面倒な手続きから解放されたので、出発コンコースの中をぶらぶらと。
3年前の前回から比べると、全然違う空港といった印象。
リニューアル工事にしては変わりすぎている。

これは後で調べたら、いまのヘルシンキ・ヴァンター空港の旅客ターミナルは、2021年に新築・移転したものなのだそうだ。
それに伴って空港駅のホームへも新しい連絡通路とエスカレーターが新設されたとのこと。

行きも帰りも、駅からのエスカレーターがやけに新しく感じたのはそのためだった。

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 保安検査場入口。

出発コンコースは何か面白いものがあるわけでなく、ひと回りしたら保安検査場を通って中に入る。
検査場を出ると免税店エリアとなっていて、ここは見覚えのある場所だった。

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 シェンゲンエリアの免税店エリア。

このヘルシンキ空港のややこしいところは、保安検査場を出るとすぐに免税店が並んでいるということ。
もう出国したと錯覚するが、ここはまだシェンゲンエリアだということを忘れてはいけない。
まだパスポートを出していないからね。

出国イミグレーションはこの免税店エリアの一番奥にあるので、それを忘れてこの辺りで出発時間ぎりぎりまでウロウロしていると、イミグレーションが混んでいたら乗り遅れることにもなりかねないので注意。

こういった免税店も見ているだけで楽しいものだが、高級品ならばともかく、お酒なんか買っても街中のスーパーの方が安かったりするので特に買うものはない。
免税店を横目で見ながら出国イミグレーションを目指す。

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 シェンゲンエリアからの出国審査場。

出国審査場は2つあって、1つは有人ゲートでもう1つは自動ゲート。
前回は自動化ゲートが利用できたのだが、今回は利用できないようだ。
なぜかというと、ツアーの旗を持った日本の一行が有人ゲートの方に並んでいたから。

それほど長蛇の列というほどでもないので、こちらの列に並ぶ。
こういう所では、分かっている人の後に付いて行くのが一番安心だ。

ここまで来ると日本人が多くなった。
ヨーロッパ各地から乗り継ぎの人達だろう。
ヘルシンキ空港乗継で帰国する際も、このゲートからシェンゲンエリア出国となる。

あとは飛行機の出発時刻からして、ソウル行きの人たちも目立った。
前の緑色のパスポートの人たちは審査官にずいぶん色々聞かれているようで、こちらもちょっと身構える。

次に自分の番が来て、パスポートを差し出すと審査官は、
「コンニチハ」と言った。

スタンプを押して
「アリガトウ」
と言って返してくれた。

それだけ。
日本人は得だなと思う一瞬である。

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 シェンゲンエリア外の免税店エリア。

ここまで来ればもう面倒ごとはない。
あとはビールでも飲んでゆったりと待っていれば良い。

こちら側はシェンゲンエリア外。
同じように免税店が並ぶが、同じものでもこちら側の方が高い気がする。

手持ちのユーロは5ユーロ札1枚、2ユーロ硬貨1枚、1ユーロ硬貨1枚、あと20セント硬貨2枚の8.4ユーロ。
これはカフェでビールを飲むことにした。

カルフビールが1杯10.9ユーロ(約1,668円)。
ずいぶんと高いね。
でも、無事帰国できそうなのでお祝いだ。

レジで現金を7ユーロ置くと店員は足りないと言いたげにメニューの値段を指さしたが、クレジットカードを出すと分かったようで、不足分はクレジット払いとしてくれる。

残り1.4ユーロは土産代わりに持ち帰ることにした。

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 フィンランド最後のビール。

ヘルシンキ初日にスーパーで買ったサラミソーセージが1本余っていたので、つまみに食べてしまおう。
日本国は肉製品の持ち込みが禁止されているので、捨てるか食べるかしてしまわねばならない。
荷物の奥に忍ばせれば税関をスルー出来るのかも知れないが、どう考えてもそんなリスクを冒してまで持ち帰りたいものではない。

テーブルでしばし今日の日記を綴る。
短い旅行だったけど、ヘルシンキに着いて以来の出来事を思い出す。

また長い旅行記になるんだろうなあ・・・
夏ごろには書き終わるかなあ・・・
今からちょっとうんざりしてくる。

6月9日の費用(現地払分のみ)
費目場所金額(ユーロ)円換算備考
昼食マーケットスクエア162,453鮭スープとビール
土産物Kスーパーマーケット31.354,807ナプキン、チョコ、チーズ
交通費ヘルシンキ駅4.1629ABCシングルチケット
ビールヴァンター空港10.91,6797€現金払い
合計
62.35
9,568 
 ※ 7€以外はクレジットカード払い


 ◆ ユーラシア大陸横断の旅へ

便名出発地発時刻到着地着時刻
AY067ヘルシンキ17:45関西空港12:35(日本時間)

大阪行きAY67便の搭乗ゲートは51B。

このゲートはコンコースからエスカレーターを下りた場所にある地上と同じ高さ。
つまり、ボーディングブリッジから搭乗するのではなく、バスゲートなのだった。

16時55分に改札が始まるが、中にまた待合所があってバスが来るまで待つことになる。

いわゆる沖止めってやつで、バスで移動して機内へはタラップの階段を登るというもの。
LCCなんかではおなじみだが、国際線ではそうそうないんじゃないかな。

やがてバスが到着して乗り込む。
バス目線から空港の中を見物出来たり、飛行機を下から見上げたりと沖止めならではの体験ができるので面白いっちゃあ面白いけど、格下の扱いを受けているようで良い気分はしない。

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 エアバスA350-900を下から見下ろす。

バスはタラップに横付けされて、降りてから階段をえっちらおっちらと。
荷物の多い人は大変だ。

階段を登る途中どこからか、
「だから安いんだな」
の声が聞こえてきた。

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 2便目のバスで着いた人たち。

結果的にタダで手に入れたも同然の指定された席に着く。
10分ほどして、2便目のバスが到着し機内にまた乗客が乗って来る。

3列席の通路側には新たな客は来なかった。
嬉しいことにこの席は貸し切り状態で行ける。

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 日本まで12時間50分世話になるシート。

帰りの便の搭乗率はというと、目見当で30%台といったところ。
3列席に平均1人というくらい。

3列席貸し切りは快適すぎるほど快適。
ビジネスクラスも目じゃないぞと言いたくなるほどだ。

出発時刻が過ぎても動かない。
「ただいま機内整備中です」との放送。

17時58分、飛行機は動き出して滑走路へと移動。
その間に機内放送。

「大阪までの所要時間は12時間40分を予定しております」

離陸すると、フィンランドの大地を下に見ながら飛行機は高度を上げる。

さようならヘルシンキ、さようならフィンランド。

また来る日までさようなら。

でも3度目にまた来ることはあるかな。
ヘルシンキ乗継で来ることはあるかも知れないが。

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 さようならフィンランド。

前列の人は水平飛行になるとCAに断わって、荷物を持って移動していった。
それ以外にも、荷物を持って席を移動する人が目立った。

これはどうやら連れの人の隣の席に移動して行ったらしい。
というのは、さっき自動チェックイン機であったように、有料の座席指定をしないと自動で席が指定されてしまうためのようだ。

だから連れと一緒になるためには、34ユーロの座席指定料が必要となることになる。
何でも商売にするのは結構なことだ。
だけどフィンエアーさん、ちょっとガメツイのではありませぬか。

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 エストニアのタリン上空から再び陸上。

平時ならばヘルシンキ空港を離陸するとロシアのシベリア上空を目指すが、現在はロシア上空は通過できないので飛行機は一路南へ向かう。
ヘルシンキ湾の洋上を南下し、しばらくすると対岸のエストニアの陸地が見えてきた。

バルト三国のエストニア、ラトビア、リトアニアの上空を通過、ロシアの飛び地とベラルーシを避けてポーランド上空に入る。
なかなか楽しい空の旅だ。

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 ラトビアのリガ上空。

バルト三国はかつてはソ連の構成国だったこともあるが、今はEU加盟、NATO加盟、シェンゲン協定加盟、通貨はユーロと、紛うことなき西側国の一員だ。

こんどの海外旅行は、空路でヘルシンキ入りをして、フェリーでエストニアに渡って鉄道旅行なんてのもやってみようかな。
物価も安いだろうし。
またヘルシンキ空港の世話になるか。

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 東欧の西側諸国内上空を南下する(フライトマップより)。

そんな下界の景色に見入っていると、後ろのギャレーから美味しそうな匂いが漂ってくる。
そろそろ機内食の時間も近いようだ。

行きのときのメニューからして、あまり期待できるものではないのだろうが、搭乗時間の長い国際線では機内食も大きな楽しみであったりもする。

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 雑穀のチキンカレーとマカロニサラダ。

ポーランドに入ったところで機内食と飲み物を積んだワゴンがやって来た。
やはり1種類だけ。何も聞かれずにトレーだけ渡される。
こんどはアルミシートに包まれた熱々のホットミールがあった。

開けると、チキンカレーライス。
付け合わせは温野菜。
ライスは雑穀米のように色々な粒が混じりあって、しかも固くてルーと混ぜ合わさないとボロボロとこぼれる。

何だか素直じゃないなあ・・・
と思いつつ、これもカルチャーショックと思えば腹も立たん。

もう1つのボール箱はマカロニサラダ。デザートはチョコバー。
ドリンクは赤ワインを貰う。

この辺りから厚い雲が覆うようになって、下界は見えなくなってしまった。

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 まもなく就寝タイムとなる機内。

食事タイムが終わると窓のシェードを閉めさせられて、機内は暗くなる。
食ったらさっさと寝ろと言わんばかりだ。

まだ午後8時前、北緯47度のハンガリー上空はまだ明るい。
たまにこっそりシェードを上げて外を眺める

午後9時、黒海上空で日が暮れる。雲の向こうに夕焼雲が見えた。
白夜の国で三日三晩過ごし、長かった1日がようやく終わったような気分にもなる。

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 雲が覆う黒海上空で日が暮れる。

この辺りからだいぶ揺れるようになってきた。

そのうちに、
「この先気流の悪いところを通過します」
とアナウンスがあって、シートベルト着用サインが点灯した。

このしばらく後に、アトラクションかと思うほどの大きな揺れがやってきた。

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 トルクメニスタンの夜景。

揺れがおさまると、いつの間にか眠っていたようで外も真っ暗になっていた。
無人になっていた前のシートはいつの間にかフィンランド人らしい乗客が、ひじ掛けを跳ね上げて3列シートに横になっていた。
私もひじ掛けを跳ね上げて足を投げ出す。

しばらく外を眺めていたら、どこかの町の夜景が現れては流れ去って行く。
フライトマップを見ると、カスピ海は通り過ぎていて、トルクメニスタン上空らしい。

中東というか、どうもこの辺りの地理は苦手で、ニュースなんかで国の名前はよく聞くけど位置関係はいまいちよく分からない。
飛行機で通るのも初めてだし。

時おり下に流れる弱々しい街灯かりを見ていると、人々の暮らしはどんなだろうと思いを馳せる。
飛行機ながら、夜汽車の旅情。

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 黒海、カスピ海、カラクム砂漠上空を通過(フライトマップより)。

足を投げ出して楽な姿勢になったのに、眠気は飛んでしまった。
変な姿勢で体が痛くなると眠れるのに、楽な姿勢になると眠れなくなってしまうのはどういうわけか。
それでも、ウトウトしたり目が覚めたりの繰り返しだったようだ。

気づくと空は白んできて、地平線近くの空が赤く染まり始める。

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 新疆ウイグル上空で朝日を迎える。

午前1時半、日の出。
とはいってもこれはフィンランド時間なので、現地時間(新疆時間)だと4時半ということになる。
日本時間だと7時半。

国際線の機内で時刻の話をしてもあまり意味はない。そもそも時計なんてないし。
出発地と到着地の現地時間だけがすべてだ。

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 標高4000m級の山々が続く天山山脈。

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 ゴビ砂漠上空。

夜が明けて中国上空に入ってから風景は一変し、天山山脈やゴビ砂漠が眼下に現れる。
西遊記の三蔵法師一行は、ここを西へ西へと歩いたのだろうか。

そんなことに思いを馳せながら、シェードを少しだけ上げて毛布で覆った隙間から顔を出して眺める。

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 中国上空の山岳地帯や砂漠を東へ(フライトマップより)。

中国には行ったことはなく、今のところ行く気もないけれど、上空を通過していると中国に行ったような気分になってくる。
行きの飛行機だって北極上空を通過しただけだが、北極に行ったような気分になった。

富士山に登らなくても、新幹線の窓から富士山を眺めただけで富士山に行ったような気になるものだ。
あまり堅苦しく考えることはない。

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 天津上空。

5時、真っ暗だった機内に照明が灯る。
CAが朝食のワゴンを押して出てくる。

そろそろ日本の味が恋しくなるころで、いつもならばおにぎりと味噌汁が出てくるところだが、こちらはフィンエアー。
ここはまだフィンランドなので。

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 オムレツとフライドポテト。

今度はボール箱1個だけの配膳だった。
開けるとケチャップがかかったプレーンオムレツとサイコロ状のフライドポテト。
このあとにきっとパンが配られるんだなと思わせる中身だが、主食はポテトということなのか、これだけ。

塩味の効いたシンプルな味付けはビールのつまみを思わせる。
食べているとビールが飲みたくなってきた。
もちろんそんなものは無し。

いつもはJALかANAを利用していたので、いろいろ比較してしまうのはよろしくない。
こういうものだと思わないと、旅がつまらなくなってしまうよ。

飛行機のルートは中国から黄海に出て韓国上空を飛ぶのだが、朝鮮半島近くになると再び雲が覆ってしまい、下は見えなくなってしまった。
韓国に行ったつもりにまでは、させてもらえなかった。


 2023年6月10日(土)

フィンランド時間午前6時は日本時間お昼12時。
ここからは日本時間とします。

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 鳥取県米子上空から日本に上陸。

12時20分、日本海から鳥取県上空に上陸。
中国山地を飛び越えて瀬戸内海へ出て、そのまま四国まで行ってしまった。
なかなか大胆なルートだ。

鳴門大橋を下に見ながら東に旋回し、関西空港を目指す。

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 ヘルシンキ〜大阪間のフライトルート(フライトマップより)。

着陸が近くなると、フライトマップにも全飛行ルートが表示されるようになる。
あらためて見るとすごいね。
ユーラシア大陸を横断したことになる。
距離にして1万1000km以上

行きはベーリング海峡から北極海へ抜けるルートで、帰りはユーラシア大陸横断とルートが異なるのはどうしてかと思い、調べたらジェット気流があるからとわかった。

ジェット気流とは地球上空に吹く偏西風のうち特に強く吹いているもので、この西から東へ強く吹くジェット気流の追い風を利用することで所要時間の短縮や燃料の節約ができるわけだ。
逆に日本発の場合は逆風となるので、それを避けるために北極経由となっている。

この措置はロシア・ウクライナ戦争によるものだが、今後どうなるのかは誰にもわからない。
ロシアが白旗を上げて世界はまた元通りになるのか、冷戦時代のように世界は再び分断してしまうのか。

グローバル化が進んだ世界が、再び分断することなどあり得るのか?
うーん、無いとは断言できないね。
古今東西、人間なんて所詮その程度の存在よ・・


 ★ 関西空港に到着

関西空港に着陸して駐機場に泊まったのが13時15分だった。
定時刻より40分遅れての到着。

ヘルシンキ空港を出発してから13時間15分。
なかなかの乗り応えだった。

それでも疲れもストレスも少なかったのは、やはり空いていたからだろう。
これが満席の中で過ごしていたら、もうぐったりだったかも。

出国時同様に自動化された入国イミグレーションはすんなり通過。
預け荷物も無事出てきた。
税関もすんなり通過できた。

無事日本に帰ってきました。

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 関西国際空港に到着。

フィンランドでの3泊4日は、向こうにいるときは長かったけれど、こうして帰国すればあっという間の出来事だった。

まず帰国祝いにビールでもとイートインコーナーを覗いたが、中国人と思しき人たちで混んでいる。
さっき、バゲージクレームで香港と台北の表示がある所が人だかりがしていたので、その人たちだろう。

今度は国内線カウンターでチェックインして荷物を預けて、また保安検査場へ。

中にあるカフェでビールを飲んだ。
サッポロ生ビール1杯550円がものすごく安く思える。
ビール1杯飲んだら、どっと疲れが出てきた。


 ◆ 札幌まで

便名出発地発時刻到着地着時刻
JAL2505関西空港15:15新千歳空港17:10

これでフィンランド旅行は終わり・・・と言いたいけれど、今度は札幌まで帰らなくてはならない。
今は大阪にいるわけで、大阪から札幌までというのがまた大移動になる。

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 札幌行JL2505便の搭乗口。

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 大阪上空を飛ぶ。

札幌行の機内は混んでいて、狭い座席に詰め込まれたような恰好の2時間となる。
離陸してしばらくすると眼下に広がる大阪の中心部が見えたが、しばらくすると雲の中に突っ込んで、あとはずっと雲の上だった。

着陸態勢に入る前に機内アナウンスが、
「新千歳空港は小雨、気温は15℃」と伝えた。

ヘルシンキとあまり変わらないね。
札幌に着いても、今まで遠いところに行っていた実感があまり湧かなかった。

6月10日の費用(現地払分のみ)
費目場所金額(ユーロ)備考
サッポロ生ビール関西空港-550クレジット
新千歳空港→札幌 JR 
-
1,150
KITACA使用
合計-1,700 


 ◆ おわりに

フィンランドは2回続けての旅行となるため、出発前はあまり気乗りしないというか緊張感にも欠け、正直楽しみと言えば『サンタクロースエクスプレス』の名で呼ばれる夜行寝台列車に乗車することくらい。
これといった観光地もなく、今回の旅行先は退屈になるかもと思ったくらいでした。

しかし実際行ってみると、ハプニングあり交渉ありの連続。
一番心配していたケミヤルビでの滞在も結果的に解決してしまいましたね。

現地滞在3泊4日は、今までの海外旅行では一番短い滞在でしたし、これといった観光もしていませんが、中身は濃い旅行だったように思います。

今回の旅行は、行く先々で出会ったフィンランドの人たちに助けられました。

英会話を忘れ、ただ単語とフレーズだけ並べるだけの日本人に親切に対応してくれたフィンランドの方々には本当に感謝しています。
この場を借りてお礼申し上げます。

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 フィンランド土産(ていうかほとんど食料)。

最後の最後に、今回の旅行の総費用を公開します。
もし旅行される方がいましたら参考にどうぞ。

2023年夏フィンランド旅行記の総費用
費目摘要
往復航空券223,530 
ホテル13,475ケミヤルビ1泊
列車・バス36,989日本で購入
現地交通費2,313ヘルシンキでの電車代
外貨両替4,63230ユーロ分
食費(外食)4,232現金支払分(4,416円)は含まず
食費(購入)11,740 
入館料5,208 
土産4,807 
雑費5,300保険、コインロッカー等
日本国内使用3,350国内移動中の交通・飲食
合計315,576 

3泊6日の旅で30万円を超えてしまいましたね。
飛行機代が223,530円に対し、それ以外(交通費、ホテル代、滞在費等)が92,046円となりました。
円安ユーロ高というのも滞在費の旅費の増加の一因となっています。

しかし何と言っても高いのが飛行機代。これが前回の2019年の水準だったら、総費用は20万円を切っていたでしょう。
次回以降の海外旅行は、以前のようにロシア上空ルートが復活するまでは、ヨーロッパ方面はお預けですかね。

 〜それでは最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
   また世界のどこかでお会いしましょう。

posted by pupupukaya at 23/07/30 | Comment(0) | 2023年夏フィンランド旅行記

2023年夏フィンランド旅行記10 再びヘルシンキ

 ◆ マーケットスクエア

3日ぶりに戻ってきたヘルシンキ。
時刻は午前11時半を回ったところ。
さてどこへ行こう。
行きたいところは初日に回っているので、今日は駅から歩いて行ける範囲内での観光となる。

駅前に発着するトラムの電車を見ていると、また乗りたくなってきた。
しかし乗るにはチケットを買わなければならないし、24時間有効のデイチケットを買っても、ヘルシンキ市内滞在はせいぜい3時間程度なので勿体ない。

とりあえず歩くことにした。

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 トラムの電車が行き交うマンネルヘイミン通り。

石畳の電車通りであるアレクサンテリン通りをずっと歩いていると、初日に来たマーケット広場に出た。

テントが張られて、露店の飲食店や果物屋、土産物屋がずらりと並ぶ。
昔は自由市場的なものだったのだろうが、得てしてこの手の市場というものは観光客相手となってしまったものが多い。

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 露店のテントが並ぶマーケット広場。

露店の飲食店を眺めていると、「サーモンスープ」の呼び声がかかった。
初日マーケットスクエアと昨日のレストランカーで無いと断られたサーモンスープ。
呼び声につられて中に入ってしまった。
まあいい、今日の私はお上りさんだ。

サーモンスープを頼んで、ドリンクに瓶ビールも付けた。
サーモンスープ11ユーロ、オルヴィビール小瓶が5ユーロと露店とはいえ外食は高い。

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 サーモンスープ(lohikeitto)とオルヴィ(olvi)ビール。

紙のカップに入ったスープとスライスしたパンを受け取ってテーブルに着く。

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 サーモンやジャガイモがゴロンと入る。

スープはサラサラしているけど、生クリームやバターがたっぷり。
汁物なのに冷たいビールが合う。

こんな屋台で出すものなので、サーモンの切れ端が入っている程度だと思っていたら、結構大きなサーモンの塊が出てきた。
ジャガイモも大きくて、ボリュームがある。
これだけで十分な昼食となった。

マーケットスクエアでの目的を果たし、あとは近くを見て回って過ごすことにした。


 ◆ ライラックの花咲くヘルシンキ

日差しは夏のものだが、風は涼しい。
こちらでは札幌よりひと月近く遅いライラックが満開だ。

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 ウスペンスキー寺院と満開のライラック。

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 ウスペンスキー寺院の祭壇。

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 マーケット広場を見下ろす。

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 ライラックとヘルシンキ大聖堂のドーム。

人々をロマンチックの世界に誘い込むかのようなライラックの香りが漂うと、長かった冬もようやく終わったと誰もが感じ取る季節だ。

季節は夜の長い冬から白夜の初夏へ。
もうすぐ短い夏がやって来る。

今年の夏は何をしようかと色々思いめぐらすのもこの頃。
北国の人が1年の中で一番幸せに感じるのは、このライラックの時期ではなかろうか。

冬に来たときはコートを着てうつむき加減で歩いていた人々も、この季節は上を向いて歩いているように見えた。

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 水路と街並み。

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 フィンランド海軍音楽隊のパレード。

3年前の冬にも同じところを回っていたが、冬と夏とでは印象がまるで違う。

コロナ明け海外旅行が、前回と同じところになってしまったが、そんなことは悔やんではいない。
むしろ同じところを旅行して、季節が違えばまったく違う印象を得ることができることが、逆に新鮮だった。

また3年前は、どこかの団体さんに散々イライラさせられたが、今回はそれもないので穏やかな気分でいられる。

そんなことを思いながら、また元老院広場に戻ってきた。

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 アレキサンダー2世像とヘルシンキ大聖堂。

マーケットスクエアから路地を通って元老院広場へ。
ヘルシンキ大聖堂を下から見上げて、大階段に腰かけて一休み。

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 ヘルシンキ大聖堂と大階段。

静かだなあ。
日向ぼっこをしながら、初夏が始まったばかりの風を感じる。
強い日差しに汗ばむが、その汗を一瞬で乾かせてしまうような心地よい風が頬を伝う。

不思議だなあ。
いまこうして、日本から遥か遠い外国の北欧にいる。
ライラックの香りにつられて、遠い世界に迷い込んでしまったのだろうか。

夢中であちこち巡っていたときは忙しくてそんなこと思う暇もなかったのだが、旅行の最終日になると、日本に住んでいるはずの自分が、何でこんな遠いところにいるんだろうと、ふと我に返る瞬間が訪れる。

風に吹かれて、こんなことを考えている一瞬が今回の旅のすべてだったのかも知れない。


 ◆ ヘルシンキ鉄

いつまでもボーっとしているわけにはいかない。
帰りの飛行機の時間にはまだまだ余裕があるが、土産物の買い物くらいはしたいし、そろそろヘルシンキ駅に戻ることにする。

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 複雑なレールの上を行く電車。

大階段から広場を見下ろしていたら、ちょっと気になるものがあったので近くに行ってみる。

元老院広場の角はトラムの線路が3方向に分かれるところで、石畳の道路上に複雑な線路がカーブを描いている。

電車が近づくと「カーン!」と大きな音を発してポイントが切り替わり、電車が曲がって行く。
石畳に埋め込まれた二条のレールが幾何学模様のように分岐したり交差する上を電車が平然と通り抜ける様は、見ていると感心する。

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 石畳に幾何学模様のように交錯するレール。

複雑に交錯するレール。
このレールを見ていると、どこか美しさというかエクスタシーとも取れる感情が湧いて来る。

何が美しいのか聞かれても困るが、それがマニアってもので・・・

鉄道ファンと言っても色々あり、車両が好きとか乗るのが好きとか、あるいはダイヤが好きという人もいる。
中には線路が好きという変わり者もいて、タレントのタモリ氏は自身を線路マニアと自称するほどの線路好きなのだとか。

私は線路の中でも、路面電車の線路というものが大好き。
線路マニアの中でもかなり少数派だと思われるが、その原点は幼いころから馴染みのあった札幌市電だということは言うまでもない。

お気づきでしょうが、このブログのヘッダー画像も石畳にレールというもの。
これもヨーロッパの某都市で撮影したもの。
この画像だけで、どこで撮影したものか言い当てることができる人がいたら、筆者顔負けの相当なマニアですな。

変わったものに興味を持ち、マニアとかオタクとか、他人様から後ろ指差されるのは仕方がない。
だけどね、私は仕事が無くても、お金が無くても、家が無くても、これだけあれば生きて行けるというものがある。

他人様から何と思われようが関係ない。
これだけあれば自分は楽しんで生きて行けるってものが、なにか1つでもあった方が人生は楽しい。
長く生きていると、そう思えるようになった。

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 アレクサンテリン通りは4つのトラム系統が通る。

アレクサンテリン通りを歩いてヘルシンキ駅へ戻る。
この通りと交差する通りは歩行者天国となっていて、ヘルシンキで一番の繁華街となっている。
次から次へと通り過ぎて行く電車を見ていると、最後にもう一度乗りたくなってきた。

空港までのシングルチケットを買うと1時間半有効となり、時間内はトラムもコミュータートレインも乗り放題となる。
ヘルシンキ駅から空港までの所要時間は30分程度。
チケットを買ったら空港に向かう前に、どこか1往復してこようか。

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 ストックマンデパート前。

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 3人の鍛冶屋像(Kolme seppää)。

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 ヘルシンキ名物のパブトラム(SpåraKoff)。

アレクサンテリン通りを歩いてヘルシンキ駅に向かう途中、1両だけの赤い電車を見かけた。
他は連結車ばかりなので、単車の電車は珍しい。
思わずカメラを向ける。

この電車は何なのか調べたら、パブトラムと呼ばれる電車で、ビールを飲みながら車内から市内観光ができるというもの。
乗車時に料金を払えば誰でも乗れるらしい。

いいなあ。
この次ヘルシンキに来たら、白夜の街を車内から見物しながらビールを飲んでみたい。

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 5つのトラム系統が集まるヘルシンキ駅前。

電車を見ながら歩いてきて、ヘルシンキ駅に戻ってきた。
帰りの飛行機の時刻は17時45分。15時半までに空港へ着くとすると。
14時ころにシングルチケットを買ってトラムの電車に乗って軽く1往復。再び駅に戻り空港へ向かうことになる。

まだしばらく時間があるので、ちょっと駅の中を見物する。

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 ホーム側から見たヘルシンキ駅。

ヘルシンキ駅の駅舎は1909年建築の石造りの建物。
正面側はドーム状の屋根や時計塔が目を引くのに対して、ホーム側は装飾がない直線的な造り。

コンクリート製の壁に縦長の窓が並ぶ様は、どこか昭和戦前的な感じがしなくもない。
旧函館駅舎や広小路口側から見た上野駅なんかを連想させる。

ガラス製の上屋がホーム全体を覆っているのが、ヨーロッパの鉄道らしく見える。
しかし、この屋根が完成したのは2001年と新しく、それまではホームはすべて吹きさらしだったようだ。

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 駅舎に近い側は長距離列車用ホーム。

駅舎に近い5面9線のホームは長距離列車用、駅舎から遠く構内からはみ出したような格好となっているホームがコミュータートレイン(近郊電車)用として使用されている。
空港へ行く電車ホームがやたらと遠いのもそのためだ。

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 コミュータートレイン(近郊電車)用ホーム。

駅舎や長距離列車用のホームだけ見ていると旅情あふれる風景だが、発着する列車はどれも2階建ての同じような車両ばかりなので、日本の私鉄のターミナルのようで少々味気ない。

10面19線という、ヨーロッパでも有数の規模ともいえる構内を抱えるヘルシンキ駅。

まさに首都の中心駅に相応しい姿だが、どこかローカル線の雰囲気を拭えない駅でもある。
これは地理的な制約もあって、EU諸国からの列車が乗り入れできなく、国内の列車だけが発着しているからなのか。

国際列車は、ロシアとを結ぶアレグロ号という高速列車が唯一の存在。
だけどこれは現在ロシア・ウクライナ情勢から現在運休中となっている。


 ◆ さらばヘルシンキ

駅見物はこれくらいにして、駅横のKスーパーマーケットで最後の買い物。
ここはフィンランドの土産物コーナーもあって、時間がないけど空港へ向かう前に買い物したいというときには便利なスーパーだ。

買ったのはパンとチーズをいくつか。
あとはチョコレート、マリメッコの紙ナプキン。
ほかに欲しいものも特になかった。

土産物として買いたいものは、ご当地の食料品それに消耗品など。
人に頼まれれば買ってくるが、そうでなければ他に買うものは無し。

それに、置物や飾り物ってのは見るとつい手が伸びてしまうが、この類の物は旅行するたびに買ってたら溜まる一方になってしまうので。

スーパーの店内を歩き回っていたらあっという間に時間が経つ。
再び駅に戻ったら14時を大きく過ぎていた。
トラムの電車に乗るのは無理かなあ。
かといって、今から空港へ向かうには早すぎる気もするし。

そう思いながら、ホームの券売機の前でチケットを買おうと財布を出した。

券売機の横のベンチに座っていたおばさんが突然立ち上がり、
「エアポート?」と言った。
「イエス」と答えると、

この機械は違うから、こっちの機械の方で買いなさいみたいなことを言って手招きする。
そして、エアポートはこのボタン押して・・・
英語なのでいちいち細かいことは分からないが、言わんとしていることは分かる。

それにしても親切だな。このおばさんは何者?

服を見るとヘルシンキ交通局のマーク入りだったので職員なのだろうか。

買い方は分かっているので、ちょっとお節介な気もするが、言われるままに操作してクレジットカードで購入する。
ABCゾーンシングルチケット4.1ユーロ。

今度は電光掲示板の時刻表の前に連れていかれ、
『14:26 18 P』
と表示されている列車を指さし、Pの列車に乗りなさい、18番線は駅を一旦出て右に行った所ね、というようなことを言った。

なぜ『というようなこと』と分かるのかというと、聞き取れる単語を頭の中で繋ぎ合わせるとそうなるから。
会話というか、人との意思疎通ってのは面白いやね。

こちらも「イエス」とか「ヤー(yeah)」と繰り返す。

英会話学習といえば、発音から始まって単語やフレーズの暗記。そして文法。

学生時代はロクに勉強せず、いい歳こいてから始めた英会話学習。
私は頭が悪いので、覚えては忘れ覚えては忘れの繰り返し。

だけど、もう真面目な英会話なんてクソくらえだ。

ソースは俺。

現実にこうして意思疎通が成立しているではないか。
フィンランドに着いてから、ずっと片言の英語で現地の人とやりあっている。

だけどこれがフィンランド人の親切さだったのかも知れない。

最後に「サンキュー!」と礼を言って、おばさんと手を振って別れる。

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 別の駅のような15〜19番線のホーム入口。

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 18番ホームに停車中のP系統電車。

というわけで再びトラムに乗ることは叶わなく、さっきのおばさんにせかされるようにして18番線へと来てしまった。

P系統の電車は席が埋まっていて、次の電車でもいいかなと思って先に進んで行くと、前の方の車両はがら空きだったので乗ってしまう。
これにてヘルシンキ観光は終了となった。

15時前に空港に着くのはちょっと早い気もする。
もうちょっとヘルシンキの街にいたかった。

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 6人掛けボックスシート。

次のパシラからたくさん乗ってきて、酒臭くやかましいオッサンの集団と相席になった。
やれやれ、このまま空港までこの状態かと思っていたら、オッサンたちは途中で降りた。
金曜の昼間からご機嫌な人たちだ。

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 ヘルシンキ空港駅(Lentoasema)に到着。

空港(レントアセマ:Lentoasema)駅に着けば、フィンランド旅行もそろそろ終わり。
あとは帰りの飛行機に身をゆだねるだけとなる。


posted by pupupukaya at 23/07/23 | Comment(0) | 2023年夏フィンランド旅行記

2023年夏フィンランド旅行記9 古都トゥルクとビジネス特急

 2022年6月9日(金)

おはようございます。
朝5時、現在タンペレ駅4番線停車中。
久しぶりにぐっすり眠った気がする。

空は雲一つない快晴で、気持ちが良い朝だ。

ロバニエミ発IC266列車として2時59分に到着してから、トゥルク編成が切り離されて現在長時間停車中。
発車は5時50分なので、2時間51分もの停車中にタンペレの街を散策してくることもできそうだ。
今時期は白夜で真っ暗になることもないし。

でもそれやったら寝る時間がなくなるし、さすがにちょっと・・

トイレに行くと、貫通扉の向こう側にトゥルク行き座席車の車両がすでに連結されていた。
タンペレからはレストランカー1両を含む座席車4両編成の列車に併結され、列車番号もIC904列車と名を変えてトゥルクへと向かうことになる。

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 タンペレ駅停車中。

動かない列車の窓から外を見ていると、タンペレ始発の列車としてホームに据え付けられる客車や、それを牽引する機関車が行ったり来たりして忙しい。

そんなタンペレ駅の早朝の風景を見ていると、5時35分に隣の3番線の線路に列車が到着した。
ケミヤルビ始発のIC274列車だ。
ロバニエミは昨日の20時57分に発車となるヘルシンキ行で、今乗ってる列車の後続となる列車。
こちらが長時間停車中に追い付いたわけだ。

あちらもタンペレで30分以上停車し、先に5時45分タンペレ発ヘルシンキ行IC162列車が発車する。
早朝のタンペレ駅では、夜行列車同士が抜きつ抜かれつの光景が毎日繰り広げられているのだった。


 ◆ トゥルク行きIC904列車に変身

5時50分になり、こちらもようやくタンペレ駅を発車する。
次のトイヤラまでの40kmは、ヘルシンキ行と同じ線路を走行する。トイヤラ駅からトゥルクへの支線が分岐している。

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 6:12、トイヤラ(Toijala)着。

トイヤラ駅に停車すると、ホーム向かい側には4枚折戸を2か所持つ古びた電車が停車していた。
普通電車のタンペレ行き。

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 トイヤラ駅停車中のタンペレ行 R9623列車。

首都ヘルシンキとフィンランド第2の都市タンペレの間は、列車本数も多くなってフィンランド鉄道の中でも主要路線ということを思わせる。

優等列車はペンドリーノやIC(インターシティ)が毎時何本も運行され、その合間を縫うように列車番号の頭に『R』を付けた普通電車が運行している。

向かいに停車中の電車を見ていると、個室寝台車の旅もいいけれど、ああいう電車にもちょっと惹かれるものがあった。

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 ヘルシンキへ向かう複線の線路と分かれる。

トイヤラを発車するとすぐにヘルシンキへの複線の線路が分かれる。
ここからは単線鉄道。ローカル線のような感覚。

ここからトゥルクまでは初めて乗車する路線だ。
ちょっとワクワクしてくる。

とは言っても、車窓だけは変わり映えするわけでもなく、相変わらずモミや白樺の森が続くだけ。
たまに開けたら牧草地が広がる田園風景といった感じ。
南に来たので田園風景の割合が増えてきたが、それでも単調な風景というのは変わりない。

それにしても東側を向いた窓は日が差して眩しい。
緯度が高いので日が昇ってもなかなか高くならないので、いつまでも差し込んでくる。

ブラインドを下ろすと、こんどは車窓が見づらくなるので悩ましいところ。

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 遮光ブラインド付の窓(左)とブラインドを下ろした状態(右)。

ところでブラインドを下ろすと、遮光タイプだということに気づいた。
これは夏は白夜なので、寝るときに暗くするためのもの。
ケミヤルビで泊まったホテルの窓も、やはり遮光ブラインドが付いていた。

日本では馴染みがない遮光カーテンや遮光ブラインドも、北極圏では生活必需品ということになる。

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 トゥルク〜トイヤラ線の車窓は田園風景が続く。

車窓を遮る森ばかりだった風景も、次第に開けてくる。
緩やかな起伏と牧草地や麦畑、それに遠くに見える農家。
そんな単調な景色を眺めていたら、釧網本線の清里町あたりや富良野線の風景をちょっと思い出した。

本州の人ならば、いかにも北の風景と感じるのだろうが、北海道人の私にとってはありふれる風景。
だから『単調』などと言ってしまうのだろう。

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 左がシナモンロール、右がハムロール。

テーブルにペーパーナプキンを敷いて紙皿を置き、昨日スーパーで買っておいたパン2個と紙パック入りジュースで朝食にする。
水は個室備え付けのものが2本あるので買わなかった。
これで5.81ユーロ(約890円)は高いか安いか。

レストランカーにも朝食メニューがあって、メニュー表を見るとクロワッサン1個にコーヒーとジュースが付いて9.9ユーロ。
昨日行って食事も経験済みだからねえ。
それに、レストランカーに行ったら、きっとまたビールを飲んでしまうような気がする・・・

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 6:54、ロイマー(Loimaa)着。

トゥルク1つ手前のロイマーではまとまった乗車があった。
寝台車からも下車客の姿も見えた。

トゥルク〜タンペレ間を結ぶこの路線はヘルシンキへの直通がなく、1日8往復のインターシティが運行するのみ。
乗客の姿もよそ行きではなく、軽装が多い。
ロバニエミからの寝台車が付いていなければ、ローカル特急そのものだ。
こんな列車でもレストランカーが付いているのは立派。

ロイマーを発車するとだいぶ開けてきて、時おり町も見えてくる。
駅はなく、町があってもそのまま通過。
昔はあったのだろうけど、優等列車だけの運行となった今では駅は廃止されている。

7時17分、信号場で停車。
タンペレ行IC905列車と交換してこちらも発車する。

もうすぐトゥルク到着。
忘れ物がないようにしっかりと確認する。
一昨日のケミヤルビ行では靴下を車内に忘れてしまい、翌日に余計な出費となってしまったので。

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 7:33、トゥルク(Turku)到着。

定刻では7時33分のところ7時36分に到着。
ここでほとんどの乗客が下車する。
“ほとんどの” というのは、この列車はここが終点ではなく、次のトゥルク港(Turun Satama)が終点となるから。

トゥルク港駅にはフェリーターミナルがあり、そこからオーランド諸島やスウェーデンのストックホルムまでバイキングラインと呼ばれるフェリー航路が運航している。
その接続列車ということで、一部列車はトゥルク港駅まで運転される。

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 Sr2形電気機関車と7両の客車+2両の車運貨車。

どうせなら終点のトゥルク港まで乗車したかった。

そうしなかったわけは、現在トゥルク駅からヘルシンキ方面の線路が工事中のため、ヘルシンキ方面への列車はすべて1つ手前のクピッタ駅からの発着となっているということ。
バス代行などは行われておらず、徒歩か公共交通機関を利用しての移動となる。

トゥルク駅からクピッタ駅までは3kmほどの距離で、中心部やアウラ川沿いの古い街並みを歩いて行けば街見物にもなるわけだ。
しかし、トゥルク港駅まで行くと、クピッタ駅まで相当歩くことになる。

それにヘルシンキに戻れば、今日の夕方の飛行機で帰国する行程なので、あまりゆっくりもしていられない事情もある。
だから、この1駅間は泣く泣く未乗区間とすることになった。

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 車運貨車を切り離し、トゥルク港駅へ向けて発車する。

トゥルク駅では停車中に車運車2両を切り離し、機関車を先頭に7両編成となってトゥルク港へ向けて発車して行った。
私は駅横の跨線橋の上からそれを見送る。

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 トゥルク駅構内は1面1線のホームだけ残して更地に。

跨線橋からホームと線路を見ると、ヘルシンキ方面の線路とホームがあった場所はすべて撤去されて整地されている。
2022年8月からヘルシンキ〜クピッタ間を運休しており、2年間かけてこの区間の複線化とヘルシンキ寄りにトゥルク新駅の建設が行われるそうだ。

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 現在のトゥルク駅舎。

1940年建築の、日本人からするとどこか昭和モダニズムも思い起こされる古いトゥルクの駅舎。
その駅舎の、少なくとも現役の姿が見られるのは今回が最後のようだ。

一方で、さっき着いたように、タンペレ方面の列車は工事の影響を受けないので通常通りの運行となっている。
フィンランドはどこもかしこも再開発事業が盛んなのだった。


 ◆ フィンランドの古都、トゥルクを歩く

駅正面から延びる通りを真っすぐ歩けばアウラ川に突き当たる。
しばらくはこのアウラ川沿いに歩く。

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 アウラ川(Aurajoki)と古都の街並み。

トゥルクは人口約20万人。
ヘルシンキ、タンペレに次ぐフィンランド第3の都市という位置づけだ。

トゥルクの歴史は古く、1229年にローマ教皇が司教座を置いたことが始まりとされている、フィンランド最古の都市でもある。

スウェーデンに近いこの地は、1280年頃から城や教会の建設が始まり、スウェーデン王国によるフィンランド統治の拠点として発展することとなった。
歴史的には、長らくトゥルクがフィンランドの文化や経済の中心だった。

1809年にフィンランドがロシア帝国に割譲されてフィンランド大公国が成立し、1812年にヘルシンキに遷都するまでの短い間、トゥルクが首都だったこともある。

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 中世スウェーデン風の建物が並ぶ。

アウラ川沿いは、昔トゥルクがフィンランドの玄関口であり経済や文化の中心として栄えた頃の街並みを今でも残している。
古く懐かしい中世ヨーロッパを偲ばせる風景。

初夏の日差しを浴びるパステルカラーの古い街並みを歩いていると、どこからか優しい気持ちが湧いてきた。

厳しい自然の北極圏や、戦災で新たに作り直されたラップランドの町からやって来た身なので、より一層そう感じる。

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 旧図書館(Bibliotheca)とライオンの噴水(Suihkukaivo Leijona)。

中世スウェーデンの街並みを色濃く残すアウラ川沿いだが、じつは建物の多くは19世紀以降のもの。
1827年に起こったトゥルク大火で、街の大半が焼失し、今の街並みはその後再建されたものだ。

アウラ川沿いにあるヴァハトリ(Vähätori)と呼ばれる小さな広場は、大火後の都市計画で作られた広場のひとつ。
広場を見下ろす1903年建築の旧市立図書館とライオンの噴水は、どこか絵になる風景。

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 トゥルク大聖堂(Turun tuomiokirkko)。

アウラ川沿いにあるひときわ目立つ時計塔はトゥルク大聖堂。
1300年に建築で時計塔の高さは101m、トゥルク城と並んでトゥルクのシンボルにもなっている。
現在の姿は1827年のトゥルク大火のあとに修復されたもので、大火前とは時計塔の形がだいぶ変わったようだ。

歴史的建造物を利用した数々の博物館や美術館もアウラ川沿いにある。
もっとゆっくりしていたいが、クピッタ発の列車に乗らなければならないこともあり、残念ながら先を急ぐ。

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 トゥルクの副都心ともいえるクピッタ駅前。

クピッタ駅までの道のりはトゥルク大聖堂やトゥルク公園を目印にすると迷わずに行けるが、初めての道なのでちょっと不安になる。
それでも歩いているうちにそれらしい所に来た。

クピッタ駅前はガラス張りの新しいビルが林立して、まるでトゥルクの副都心のようになっている。
中世からの古い街並みを歩いてここまで来たら、突然現代のの都会に引き戻されたような気分になった。

建て替え工事が行われるトゥルク駅も、数年後に再訪したらここクピッタのように変貌しているのだろうか。

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 クピッタ(Kupittaa)駅停車中のヘルシンキ行IC950列車。

やたらとビルに囲まれてた場所だけど、肝心のクピッタ駅はどこにあるんだろう。
道路をまっすぐ行くとクピッタ駅を跨ぐ陸橋になっていて、そこの歩道にホームに降りる階段とエレベーターがあった。
階段は直接ホームにつながっていた。

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 駅前の発展ぶりとは対照的な素っ気ない入口。

ビル街に発展した駅なので、もうちょっとしっかりした駅かと思ったら、あまりの素っ気なさ。
まあ、改札口があるわけでなし、営業窓口もない無人駅なのでこれで十分ということなんだろう。

トゥルク新駅が完成するまでの仮の始発駅とはいえ、あまりに寂しい優等列車の始発駅だった。


 ◆ トゥルクとヘルシンキを結ぶビジネス特急

便名出発地発時刻到着地着時刻
IC950クピッタ9:31ヘルシンキ11:23

ホームにはヘルシンキ行IC950列車が既に入線している。
早めに着いて、まだ発車30分前だけど車内には入れた。

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 クピッタ駅ホーム。

2階の指定された席に着くも、まだ誰も乗っていない。
また外に出て編成を見てくる。

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 ホーム発車標の表示。

編成は機関車が後押しする4両編成。レストランカーは無し。
ヘルシンキ〜トゥルク間はインターシティやペンドリーノが1時間ごとに運転されている幹線だが、この編成はちょっと物足りない。
これもトゥルク新駅が完成するまでの仮の姿なのだろうか。

この列車のチケットも事前にVRのホームページから購入しており、値段は11.6ユーロ(1,775円)。
ヘルシンキ〜クピッタ間の距離は190kmあり、日本で言えば特急列車に相当することを考えれば相当に安い。

これも早めに購入したからで、直前に買うと倍近くの22.8ユーロになる。
それでも相当安い。

物価高のフィンランドだが、鉄道運賃だけは安く抑えられている不思議。
鉄道は社会インフラという位置づけで、税金が投入されているのだろうか。
ともかく外国人旅行者にとっては、納税していなくとも国民と同じような恩恵にあずかれる有難い存在ではある。

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 発車20分前の2階席車内。まだがら空き。

乗車時はガラガラだった車内も、発車時刻が近づくにつれ乗客が増え始めた。
こちらはさすがヘルシンキとを結ぶ都市間列車らしく、スーツケースを持った人やいかにもビジネスマンといった、よそ行き姿が目立つ。

短縮運転のクピッタ始発としては上等なものと言える乗車率になってクピッタ駅を発車する。

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 丸太が山と積まれたサロ(Salo)駅で4分停車、IC945列車と交換。

次のサロではさらに乗ってきた。
隣の席に客が来ることはなかったが、車内は結構な乗車率となる。

車内の顔ぶれはスーツケースを持った旅行者、都市間を移動するビジネスマン、用事で集まったようなグループ客とか。
1つ前の席の客は、席に着くや否やノートPCをテーブルに置いて仕事を始めている。

観光客らしい乗客は見なかった。
ヘルシンキに午前中に着くこの列車は、まさにビジネス特急といえる姿だ。

この列車でも、窓から日が差し込んで眩しい。
前の席のノートPC氏はブラインドを下げた。
この窓は前の席と兼用なので、私の席もブラインドが下ろされた格好になる。
誰だって眩しいから仕方ないんだけど、少しムカつく。

サロ停車中にクピッタ行きIC945列車と交換。
あちらはレストランカー付き編成だが、車内はガラガラだった。

車内はすっかり都会の空気となったが、車窓はトゥルクに着いたときのローカル特急と変わらず田園風景が続く。
でも時折見える町の様子や、停車駅の駅前の様子は確実に都会っぽくなっている。

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 10:26、カルヤー(Karjaa)着。

サロの次の停車駅はカルヤー。
ここからフィンランド湾に面した港町ハンコー(Hanko)という所まで50kmの支線があり、2019年の時刻表を見ると1日7往復の列車が運行されていた。
しかし、現在は列車の運行が無くなってバス連絡となっている。

そのバスからの接続客なのか、カルヤーからまたたくさん乗ってきた。
ここからは座席は8割がた埋まった状態となった。

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 カルヤー駅西側に残る転車台と扇形庫。

カルヤーを発車したあたりで、車掌が検札に回って来る。

誰もがスマホの画面にQRコードを表示して、それを車掌が機械で読み取るだけ。
私のように紙に印刷したものを見せている人はだれもいなかった。

車掌は乗客が乗る区間と日付と座席番号、それに支払い済みなのかが分かればいいわけだ。
必要なのはQRコードで、わざわざ紙のチケットを出力する必要はない。

こうした光景も北欧らしい合理主義だからこそなせる業で、日本の鉄道で同じような光景が見られるようになるのは、まだまだ先のことだろう。

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 コミュータートレインが停車するキルッコヌンミ駅(Kirkkonummi)。

コミュータートレインの紫色電車と並走するようになれば、フィンランド都市圏ということになる。

都会に戻ってきた気分。
稚内や網走からの特急で札幌に戻るときに、通勤電車を見かけるようになる岩見沢や江別を過ぎたあたりに感じる感覚と似ている。

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 10:17、発展著しいパシラ駅に到着。

そろそろ旅も終わりに近いんだなという感覚である。

2階建て車両からでも見上げるようにビルがそびえ立つパシラが近づくと、降りる人たちが動き出す。
前の席のノートPC氏もパシラで降りた。

ようやくブラインドを上げさせてもらう。

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 パシラ〜ヘルシンキ間は5複線=10線区間を行く。

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 11:23、ヘルシンキ駅に到着。

クピッタから1時間52分。旅情とは無縁なビジネス特急は終点ヘルシンキ駅のホームに滑り込む。
下車した乗客は、もうこの列車に用はないとばかりに一目散に出口へと向かって行った。

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 ヘルシンキ駅の頭端式ホーム。

いかにも終着駅らしい、ヘルシンキ駅の頭端式ホームも、ビジネス特急で着くと都会のターミナル駅のような印象だった。
人口希薄な北極圏からヘルシンキに戻ってくると、人の多さに大都会を思う。

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 戻ってきました、ヘルシンキ駅正面駅舎。

ヘルシンキを出発して3泊4日。
再びヘルシンキに戻ってきた。

帰国する飛行機の出発時間は夕方なのでゆっくりはできないが、最後のヘルシンキ観光を楽しんでこよう。


posted by pupupukaya at 23/07/17 | Comment(1) | 2023年夏フィンランド旅行記

2023年夏フィンランド旅行記8 白夜急行

 ◆ ロバニエミを後に

アルクティクムで2時間過ごし、午後4時過ぎになって外に出る。
しつこかった雨雲も次第に姿を消し始めたようで、青空が増え始めて日が差すようになった。

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 雨も上がって日が差したロバニエミ中心部。

こんどは鉄道駅へ向かって歩く。
駅まで行ってしまうと買い物できなくなってしまうが、中心部から駅まで行く途中にはスーパーがいくつもある。
ロバニエミも、都市の規模の割に大型スーパーマーケットがやたらと多い印象がある。

ラッピ県の面積は北海道よりも広く、国で言えば韓国と同じくらいの面積なのに人口は約18万人しかいない。
その県庁所在地であり、最大の都市なのだから色んなものが集中する。
人口の割に都会な感じがするのも、そうしたことからだ。

途中にあったスーパーに寄って買い物。
ビールや明日の朝食用のパンなど。

水は寝台車に備え付けてあるので買わなかった。
今日の夕食はひとつ奮発して、レストランカーに行ってみることにする。

駅へ向かって下る坂道からは、車を積み込み中の車運貨車が見えた。
駅舎側の1番ホームにはヘルシンキ行IC266列車が既に入線している。

DSCN2317.JPG
 車を積み込み中の車運車。

16時45分、発車1時間前に駅に着いた。
まだ乗車はできないようだ。

とりあえず編成の先頭まで行って撮影してくる。
このあたりは日本の鉄道ファンの性(さが)。

ほかにそうした人はいなかった。

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 IC266列車が乗客を待つロバニエミ駅ホーム。

DSCN2344.JPG
 入替用のDv12形ディーゼル機関車。

先頭は凸型のディーゼル機関車で、そのあとに6両もの車運車が続く。
この機関車は入替え用のもので、切り離されて別線に停車中の電気機関車が連結されるはずだ。

DSCN2356.JPG
 IC266列車ヘルシンキ行を表示する発車標。

車運車の後部には寝台車4両、座席車2両、レストランカー、さらに寝台車4両と続き、その後ろに車運車がまた2両連結される。
旅客車11両+車運車8両の計19両編成は、こんな小さな駅に似合わないほどの大編成。
長さにすると、ゆうに400mを超える。

IC266列車の編成
トゥルク編成
ヘルシンキ編成

車×2
6261605958575655525150
車×6
←ロバニエミ          トゥルク・ヘルシンキ→

後ろ側にも車運車が連結されるのは、こちら側の寝台車3両を含めた編成が、途中タンペレで分割されてトゥルク港行きとなるから。

DSCN2382.JPG
 トゥルク行き2両の車運貨車を連結。

私はロバニエミ〜トゥルクのチケットを手にしているので、トゥルク編成の客となるわけだ。

しかし、駅のホームにある発車標にはヘルシンキとしか表示されておらず、編成の一部がトゥルク行きとなることを知る人は、トゥルク行きの乗客以外ほとんどいないだろう。
VRの時刻表にもこの列車は掲載されていない。

それでも、客車の行先表示機にはトゥルク(Turku)の表示があるし、この列車は全車指定なのでホームに表示が無くても問題はないということなのだろう。

DSCN2369.JPG
 トゥルク港(Turku Satama)行を表示する車体の行先表示機。

この列車の存在は、VRのHPでトゥルク〜ロバニエミ間の列車検索をすると直通列車として表示されるので知ることができる。

上り列車の場合はロバニエミからタンペレまではIC266列車としてヘルシンキ行きに併結し、翌日未明のタンペレで分割。
タンペレで2時間51分停車し、今度はタンペレ発トゥルク港行きIC904列車に併結される。
単独で走る区間を持たない根無し草のような存在だが、一応毎日運転の定期列車である。

ロバニエミからの運賃はヘルシンキまでと比べて若干高くなるが、トゥルクからヘルシンキへは列車で所要2時間、1時間に1本の運行があるので、戻りは変化球としたのだった。


 ◆ ロバニエミ発IC266列車

便名出発地発時刻到着地着時刻
IC266/IC904ロバニエミ17:45
トゥルク
翌7:33

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 ロバニエミ発トゥルク行のルート。

17時10分を過ぎた頃、駅の待合室やホームのベンチに座っていた人たちがドアを開けて車内に入る姿が見えた。
もう乗車できるようだ。
チケットにある号車のドアの前に行き、青色のボタンを押すとドアが開いた。

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 ノンステップ、半自動ドアの客車ドア。

一昨日のヘルシンキ発とは色々変化をつけてみようと、今回は1階寝台としてみた。
2階との違いは、シャワートイレ共同ということ、目線が低いことといったところ。
あと値段も2階に比べて20ユーロ安い。

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 高床部分から見た2階と1階への階段。

1階通路はデッキの乗降扉と同じ高さなので出入りは楽。
車端の台車部分は高床になっていて、この部分にも客室が両端合わせて3室あって、1階室扱いになっている。うち1室はペット同伴室。

この部分は2階が無いので天井が高いお得部屋なのかと空室を覗いてみたが、そんなことはなかった。
他の1階室より若干目線が高いのがお得といったくらいで、台車の真上なのと車端部ということを考えると、結構揺れそう。

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 1階個室寝台。

さて、自室の1階個室寝台へ入る。
広さは2階のと同じようだ。

窓側の壁が2階室のは斜めになっているのに対し、1階室は垂直なのでその分広く見えなくもない。
ただ、天地は1階の方が小さいようで、下段ベッドに座って背を伸ばすと頭がつかえる。

DSCN2411.JPG
 壁の出っ張りは洗面台。

窓側の出っ張りは、扉を開くと洗面台が現れる。
シンクは小さいので少々使いにくい。
洗面台上の棚は無用の長物とも思えるが、扉の内側は大きな鏡となっている。
その代わりなのか、2階部屋にあった個室ドア内側の鏡は1階部屋には設置していない。

ただシャワートイレ室のあるなしくらいと思っていたが、細かいところでずいぶん違っていた。

なお、この個室のお値段はというと、4月上旬に買った時で、ロバニエミ〜トゥルク間シングルユースで108.2ユーロ(16,240円)

同じく、ロバニエミ〜ヘルシンキ間は同様の寝台で90ユーロだったから、トゥルク行きにすると18.2ユーロ高くなるものの、日本に残った寝台特急列車と比べれば破格のお値段。

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 トゥルク編成の寝具。

ベッドには布団と枕それにタオルと水がセットしてある。
枕カバーはフクロウ柄ではなく、ブルーの素っ気ないものだった。あれはヘルシンキ編成だけらしい。
タオルはフェイスタオルだけだった。
シャワールームでバスタオルが必要ならば持参する必要がある。

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 1階寝台からの目線。ロバニエミ駅停車中。

車窓からの目線はやはり低い。
とは言っても、ホームも低いので日本の1階席のように見上げるような感じではない。

線路が近いので、さすがレール幅1524mmの広軌を実感する。

あれこれ部屋の中を撮影したりしているうちに17時45分になり、静かに発車する。

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 1階から見上げるように続く針葉樹の森。

走り出してから気づいたが、2階よりも1階の方が揺れるし、レールの音も響いてくる。
客車らしい響きなどと言いたくなるが、こんなのは鉄道ファン限定だろう。

景色は地面と近く、針葉樹の森など見上げるようだ。
スピード感も全然違って、1階目線の160km/hは飛ぶように景色が流れる。

ただ、駅に到着すれば遥か上から見下ろす天上人の感覚になる2階に対して、ホームと同じ目線になる1階の方が普通の列車に乗っているような感覚でいられる。

発車して15分ほどしたら車掌が検札に現れた。
また印刷したチケットを見せてQRコードをスキャンして終わり。


 ◆ レストランカーで夕食

6時過ぎ、まだちょっと早いがレストランカーへ行く。
レストランカーはヘルシンキ編成の58号車にあるが、併結運転中は行き来できる。

通路を通ると、まだ客のいない個室が結構ある。
この先のケミやオウルあたりで乗って来るのだろう。

レストランカーは、レジのカウンターとキッチンが車両中央にあり、片方が窓側に向かったカウンター席と立食スペース、レジと反対側の半分がテーブルのあるボックス席になっている。
基本はセルフサービスだが、料理はレジで注文して支払いし、キッチンで料理が完成すればクルーが運んでくる仕組みになっている。

メニューに『サーモンスープ』があったのでそれを注文すると、今はやってないようなことを言われた。
あとは食事になるメニューと言えばミートボールかパスタくらい。

仕方なく『ミートボール&マッシュドポテト』(Meatballs & mashed potatoes)を注文する。
これは3年前の前回同じものを食べている。

「ビッグ?スモール?」と聞かれ「スモール」と答える。
「ドリンク?」と聞かれカルフビールのサーバーを指さして「ワンプリーズ」と言った。

ミートボール13.9ユーロとカルフビール7.7ユーロで合計21.6ユーロ

いつものようにクレジットカードを挿してPINナンバーを入力するがエラーになる。
一度抜いて挿しなおしてもう一度やってみるが駄目。

おかしいな。
カードのICチップが壊れちゃった?

もう1枚予備のカードはあるが、パスポートと同じく面倒な場所に身に着けていたので、仕方ないので現金で払う。
出国前に関西空港で両替した30ユーロは、まだ手つかずで財布の中にあった。
お札で25ユーロ分出して、3.4ユーロのお釣りをもらう。

グラスビールと紙ナプキンに包まれたナイフとフォークを先に受け取って、後ろのボックス席に行く。

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 レストランカーのボックス席。

席に着いてビールをチビチビ飲む。

ボックス席の方は半分くらいのテーブルがふさがっているが、ビールだけの客ばかり。
レストランというより、カフェかフリースペースのような感覚での利用が多いようだ。

すっかり天気になって、レストランカーの右側の窓からは日光が容赦なく差し込む。
ケミヤルビとロバニエミの雨模様を思うと、今更と憎たらしく思える。

もうすでに北極圏は遠ざかり、深夜には日が沈むことになる。

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 ミートボール&マッシュポテト。意外とボリューミー。

出来るのは意外と早く、3分くらいして皿が運ばれてきた。
ミートボール8個にマッシュポテトそれに生野菜の付け合わせ。ベリーのジャムもたっぷりと。

ミートボールにブラウンソースとマッシュポテトそれにベリージャムを絡めると、とってもクリーミーで濃厚な味わい。
カルフビールが妙に合う。

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 ミートボールにマッシュポテト、ベリージャムを混ぜていただく。

流れる景色を眺めながらの食事はまた格別に美味しい。

日本じゃ食堂車の廃止で列車内で調理した食事をいただくことは不可能となったわけで。
いや、クルーズトレインならば体験できるけど、あれはフィンランドに行くよりもお金がかかるから。

見た目よりも結構脂っこい料理だったが、ペロッと平らげた。
残ったビールをチビチビ飲んでいたら通りかかったクルーがお皿を下げてくれた。

下げるときにクルーが、
「Do you like ナントカ?」
と聞いた。
「イエス」と答えた気がする。
何について聞かれたのかは忘れた。

ビールグラスが空になったので引き上げる。

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 立食とカウンター席側のレストランカー。

部屋に戻るついでに座席車の方を見てきたり。
座席車は人気がないのか、1階の客室は無人だった。

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 無人だった1階の座席車。

座ってみるとシートも固く、あと座席の回転ができないので半分は後ろ向きとなる。
寝台車との値段差を考えたら寝台車にするわなという気になる。

1階の半分は荷物置き場と自転車置き場になっていた。
こういった色々なニーズに応えた設備を設けることができるのは、羨ましく思える。
それだけ乗客層の幅が広がるということだ。

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 座席車1階の自転車置き場。

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 広々とした多目的トイレ。幼児用におまるもある。

部屋に戻って、シャワーキーとタオルを持ってシャワー室へ行く。
こういうのも空いているうちに行ってしまうのが良い。

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 1階寝台専用のシャワーキー。

1階部屋にはシャワー室用のキーが置いてあり、それを差し込むとシャワー室のドアが開いて利用できる。
一昨日2階部屋にあるシャワーを使ったときに、狭いから共用シャワーの方が使いやすいんじゃないかと思ったが、共用シャワー室も狭くて、2階部屋の個室シャワーとあまり変わらなかった。

ここも体を軽く洗い流すだけにしておいた方がよさそうだ。

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 狭い共用シャワールーム。

シャワールームは、入ったところが一応脱衣所スペースとはなっているが立つのがやっとの狭さ。
脱衣所というより実質は靴を置くスペースだ。
その内側のドアを閉めてからシャワーを使う。

服を脱ぐときはいいけど、着るときは下がベチャベチャだからズボンの裾を濡らさないように履くのが一苦労だった。
夏場は汗を流してさっぱりできるから、あれば便利な設備ではある。


 ◆ 白夜急行

19時を過ぎ、日本ならばそろそろ日没となる時刻だが、太陽の位置はまだまだ高い。

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 19:21、ケミ駅到着。

ケミはラッピ県南部の都市。
ロバニエミからの乗客が座席車から下車する姿もあった。

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 20:24、オウル着。ロバニエミ行きIC37列車(右)と交換。

オウルでは31分という長い停車時間があるので、ちょっとホームに降りてみる。
向かいのホームにはロバニエミ行きIC37列車が停車中。
単線なので、ちょうどオウルで交換するダイヤとなっている。

オウル市は人口20万人の都市で、ここから乗って来る人も多い。
空いていた個室も、ここで埋まることだろう。

オウルからの乗客たちが車内に収まると、ホームに残るのは喫煙タイムとばかりに外に出てたばこを吸う人たち。
とは言っても、別にたばこ休憩のために停車しているわけではない。

31分停車は何のためにあるのかというと、車運車の増結を行うため。
このIC266列車の自動車積込駅はロバニエミとオウルとなっているので、オウル駅で車を積み込んだ車運車を連結することになる。

停車中は2階廊下を歩く人の足音が結構響く。
1階と2階の廊下と客室の位置は互い違いになっていて、1階客室の真上が2階の廊下になっている。

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 発車して行くロバニエミ行きIC37列車。

オウル発車は20時55分。
空室の個室もだいぶ少なくなった。

部屋の窓から澄んだ青空と長くなった列車の影を見ながら、ぬるくなったビールを飲む。

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 ラバーマット敷の上段寝台足乗せは、飲みかけの缶ビール置き場に丁度いい。

オウルからはこまめに停車するようになった。

時刻表を見ると、タンペレまでは深夜でもほぼ全ての駅に停車する。
日本で言えば、昔の夜行急行列車のような位置づけだ。

停車駅の多さは、昔東北本線を走っていた急行『八甲田』なんかを思い出す。
沿線の人にとっては、ヘルシンキ直通でしかもホテル代も節約できる便利な列車なのだろう。
早めに買えば安くなるしね。

これに対してケミヤルビ始発のIC274列車は、特急列車らしく主要駅のみの停車となっている。

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 22:28、ユリビエスカ到着。夕日がホームを照らす。

午後10時を過ぎるとさすがに影もうんと長くなり、日没前のような様子になってきた。
それでもなかなか日は沈まず、地平線の稜線に隠れたり出たりしながらずっと付いて来る。

外の風景だけ見ていれば、夕方のような感覚がいつまでも続く。
行けども行けども日が沈まない各駅停車の夜行列車。

『白夜特急』ならぬ『白夜急行』と呼びたくなる。

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 23:10、夕焼けと日の入り。カンヌス〜コッコラ間。

出たり現れたりの夕日も、午後11時10分頃を最後に姿を現さなくなった。
それでも夕焼雲がまだ眩しく光っている。
長い影こそ消えたけど、外はまだまだ明るい。

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 23:19、コッコラ着。

コッコラ駅のホームにはまた多くの乗客の姿が見えた。
日本では過去のものとなった夜行列車も、ここでは沿線住人にとって貴重な足ということを思わせ、頼もしく思える。

地上は薄暗くなりかけているが、空はまだまだ明るい。
今日のコッコラの日没時刻は23時42分。木の上の方はまだ黄色い日の光が当たっている。

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 23:52、ヤコブスタード-ペデルショーレ(Jakobstad-Pedersöre)着。

すっかり常温に戻ってしまったビールが1缶残っているが、これも飲んでしまおう。
これを空けたら寝ることにする。
コッコラを発車してしばらくすると、完全に日没となったようで、空も暗くなり始めた。

それでもなかなか暗くならず、ようやく夕暮れと言える明るさになったのは、午前0時近くだった。
最後のビールも飲み干したので、もうベッドに横になる。


6月7日の費用(現地払分のみ)
費目場所金額(ユーロ)円換算備考
靴下Sスーパーマーケット6.801,042-1.15ユーロ引後
コーヒーマクドナルド2.45375 
入館料アルクティクム18.002,758 
食料とビールKスーパーマーケット21.213,251 
夕食とビールレストランカー21.603,335現金払い
合計  70.0610,761 
 ※ 一部を除きクレジットカード払い


posted by pupupukaya at 23/07/16 | Comment(0) | 2023年夏フィンランド旅行記

2023年夏フィンランド旅行記7 バスでロバニエミへ

 2023年6月8日(木)

おはようございます。
北極圏の町、ケミヤルビから。

外は昨夜(日は沈まないが)に比べたら幾分明るくなっているものの、空はまだ厚い雲が覆っていた。
テレビをつけて、チャンネルをいくつか切り替えていたらニュース番組らしいのがあったので、それを見ながら紅茶を飲む。

テレビニュースは、ウクライナ南部で起こったダム決壊を伝えている。
水害の映像と、ゼレンスキー大統領、フィンランド軍の制服を着たゲストコメンテーターと交互に映る。
言葉は分からないが、すぐ隣の国が戦争をやっているということを、いやでも思い起こす。

ここケミヤルビも、東へ80kmも行けばロシアとの国境検問所だ。
こんな事件1つ起こっても、この町の人にとっては気がかりなことだろう。

そんなこと知ってか知らずか、ホテルの部屋がグレードアップしたと喜んで、天気の心配ばかりしている海外旅行オタクの日本人が1人・・・

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 テレビの天気予報。

言葉は分からなくても天気予報だけは分かる。
どうやら今日も雨模様らしいが、快方へは向かっているようだ。


 ◆ ホテルケミヤルビの朝

7時過ぎ、昨日言われた通り2階の朝食会場へ行く。
混んでいたら嫌だなと思っていたが、広いレストランに客は3組だけでガラガラだった。

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 ホテル2階のレストラン。

ビュッフェコーナーは、ミートボールや卵料理、ベーコン、ソーセージなど。
あとオイル漬けスモークサーモンと焼きサーモンがフィンランドらしい。

あれこれ皿に取っていると、厨房から昨日のフロントの親父が「グッモーニン」と言って出てきた。
こんどは黒いコックコート姿。

いや、親父と呼んじゃあ失礼かな。マスター(ご主人)と呼ぶべきか。
しかし、ここでは親しみを込めて親父(オヤジ)と呼ばせていただく。

DSCN1895.JPG
 ビュッフェコーナー。

で、その親父は保温器にかけられた鍋のふたを開けて勧めてくる。

これはリーシプーロ(ミルク粥)だ。
横にベリーのジャムが置いてあって、これ添えてみたいなことを言う。

これは3年前のフィンランド旅行でも朝食で食べている。
日本人の感覚からすれば甘いお粥というのも妙なもので、好んで食べたいものでもなく。
しかし、せっかくのお勧めとあればいただきますよ。

小鉢みたいな皿があればと見回したが、お粥を入れる器らしきものはデカいスープ皿だけ。
鍋のお玉もデカいこと。
たんと食ってくれと言わんばかりだ。

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 取ってきた朝食。左はリーシプーロ(ミルク粥)。

トレーはお粥の大皿が占拠しておかずが目立たなくなってしまったが、どれも手作りのような美味さ。

ミルク粥のリーシプーロは麦入りなのか麦の香りが立つ。
ねっとりとしてほのかに甘く、そこへベリーのジャムを混ぜていただく。
日本のお粥とは別物と考えれば、結構美味しい。
きっと親父自慢の一品なのだろう。

あとパンはボソボソしているが、これはこれで美味しい。
脂っこいおかずともよく合うし、このパンにバターをたっぷりつけて食べるとまた美味しい。
こういうパンは日本ではなかなか手に入らない。
パンはお替りしてきた。

食べているうちに、少ない客も入れ替わる。
客層は、観光客と思しきは老夫婦くらいで、あとは工事関係者とか仕事で泊っているような人ばかり。

私など、どういう層だと思われているんだろう。
少なくとも、外で中くらいの登山用のバックパック背負って歩いている姿は、海外旅行客には見えないだろうなあ・・・

最後にコーヒーを飲み終わると、30分以上経過していた。
落ち着いた朝食会場で過ごしていると、ここで連泊しても良かったかなと思う。
でも昼間はレンタカーでもないと、どこへも行きようがないね。

部屋へ戻ってまたテレビを見ながら過ごすが、内容は変わり映えせずエンドレスのよう。

ところで、昨日飲んだビールの空き缶が5本ある。
我ながら、ずいぶん飲んだねえ・・・

それはともかく、これをスーパーに持っていくと1本15セントで引き取ってくれる。
それと2L入りの水のペットボトル。
これは一昨日ヘルシンキで買っておいたもの。まだ開栓していない。
これも重たいから持って歩きたくない。
1杯だけ飲んで、勿体ないけどあとは捨てることにした。

ペットボトル1本と空き缶5本持ってスーパーへ。
いくらになるわけでもないから、わざわざ出掛けるほどでもないけど、ちょっとスーパーで買いたいものがあったので。

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 スーパー入口にあるボトル返却機。

スーパーに入ると、大抵入り口脇にボトル回収機というのがある。
この機械の穴に空き缶や空きボトルを入れると、中のベルトコンベアが動いてスルスルと飲み込まれてゆく。
最後に『Receipt』を押すと金額が表示されたレシートが出てくるので、これをレジに持って行けば現金と替えてくれる仕組み。

買い物があれば、その金額分を引かれた額となる。
で、今日買いたいものとは靴下。

昨日ケミヤルビに着いた列車内に1足忘れてきたらしく、無くなっていることに昨日気づいた。

どれも必要最小限しか持ってきていないので、昨日履いていた靴下は洗濯して今日使おうと思っていたのだが、忘れていた。
今は替えの靴下を切らしている。
別に困るものではないけれど、1日中履いていると一番臭くなるものなので・・・

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 スーパーで買ったスティンキー柄の靴下。

衣料品のコーナーに靴下を見つける。また高いねえ・・・
一番安いので1足4.95ユーロ。

ムーミンのキャラクター柄のがあったので、それを手に取ってレジへ。
1足7.95ユーロが、ボトル返却の1.15ユーロ引きとなる。


 ◆ バスでロバニエミへ

便名出発地発刻到着地着時刻
Möllärin Linjatケミヤルビ ABC10:35ロバニエミバス駅11:55

10時、ホテルをチェックアウト。
今日はバスでロバニエミまで戻り、そこからまた寝台夜行列車で戻る行程。
こんどは鉄道駅ではなく、バスターミナルへ向かう。
ホテルからは歩いて10分もかからない距離で、昨日の夜中に行ったケミ湖畔手前にある。

外へ出ると風が強くなっていた。
ときに青空も見えているが、空は依然不安定。

DSCN1953.JPG
 荒れているケミ湖。

踏切を渡って、またケミ湖畔に来てみたら、風のせいか荒波が目立っていた。
ここからバスに乗れば昼前にロバニエミに着くが、そこから列車の時間まで5時間以上どう過ごしたものかと思うような天気だった。

ケミヤルビのバスターミナルは、『Kemijärvi ABC』という停留所がそれに当たる。
ABCとは何かというと、ABCというガソリンスタンドの敷地内にあるからだろう。
ドラッグストアが併設になっていて、その建物の裏手がバス乗り場になっている。

バスのマークがある標識がいくつもあるし、建物の壁にバスの時刻表や路線図が掲示されているのでそれらしくなっているが、普段は駐車場の一角にしか見えない。
この時間はバスを待つ、それっぽい人が立っているので、ここで待っていればバスが来るのだろう。

DSCN1968.JPG
 ロバニエミ行きのバスがやってきた。

10時20分、駐車場入口の方から大型バスがやってきて駐車場の真ん中に停車した。
周辺でバラバラに待っていた人たちが、開いた乗降ドアに集まる。

乗客は乗車する際に運転手に行先を告げてチケットを買っている。
全員クレジットカードを機械に差してチケットを買っていた。

私は出発前にMatkahuoltoのHPからE-バスチケットを買っておいたので、それを印刷したものを見せる。
ケミヤルビ〜ロバニエミ間片道18.1ユーロ。
鉄道と違い、事前に買えば安くなるものでもないようだった。

DSCN1979.JPG
 ガソリンスタンド裏手の駐車場がバスターミナル(車内から)。

このバスはケミヤルビ始発ではなく、ケミヤルビ北方にあるサブコスキ(Savukoski)を8時40分に出発して、ここケミヤルビまで113kmを1時間45分かけて到着したもの。
ここで10分間停車して、さらに88km先のロバニエミまで行くという長距離路線である。

人口希薄地帯で乗客数が少ないからだろう、フィンランド北部にはこうした長距離路線が多い。

DSCN1978.JPG
 バスの座席。

ここから乗車した客は私含めて5人。
着いた時から乗っていた2人と合計7人となった。
それに対してバスは48人乗りの大型バスだからガラガラ。
私は一応観光客だが、他に観光客と思しき乗客は皆無だった。

DSCN1987.JPG
 跨線橋からケミヤルビ駅構内を見る。

発車してしばらくすると跨線橋からケミヤルビ駅が見えた。
今朝8時50分に着いて、19時15分発ヘルシンキ行IC274列車となる車両が停車中。

戻りはあれに乗っても良かったんだけど、時間一杯の12時にホテルをチェックアウトしても、それから19時までケミヤルビでどう過ごしているかを考えると、やはり午前中のバスでロバニエミに移動するしかなかった。

DSCN2052.JPG
 主要道路82号線。

ケミヤルビの市街地が途切れると、バスは100km/hで快走する。
ロバニエミへ向かうこの道路は主要道路82号線。
高速道路ではないが、最高速度は100km/hとなっている。

針葉樹の森が延々と続き、所どころに湿地や沼地が現れるところは鉄道の車窓と一緒。
鉄道と違うのは、こちらはたまに人家があったりすること。
人家のあるところは80km/hの速度標識が現れて、バスも減速する。

人家のある所にはバス停もあって、このバスも各駅停車ということになっているが、どのバス停も速度を緩めることなく通過する。

DSCN2014.JPG
 時どき現れる湿原や沼地。

途中で雨が降り出して、重苦しい北極圏の景色が続く。
ロバニエミに着いても雨の中過ごさねばならないのかと思うと気が重い。

バスは雨の中、前の車に追い付くと容赦なく追い越す。
そんなに飛ばさなくても・・
と思うのだが。
何せ、早く着いても行き場所が無いのでね。

DSCN2072.JPG
 サンタクロース村を車内から見物。

途中のビカヤルビ(Vikajärvi)という集落で国道E75号線に合流する。
北へ行けばソダンキュラや前回滞在したイナリを経由してノルウェーとの国境まで続く路線だ。

左側に見えてくるのがサンタクロース村。
ロバニエミ観光と言えばこのサンタクロース村というほど有名だが、今回は割愛してバス車窓からの見物にとどめる。

この先、時刻表ではロバニエミ空港へ寄ることになっているが、空港への道はスルーして真っすぐロバニエミの町へと進む。
乗降客がいないときは空港はスルーするようだ。

ロバニエミの市街地に入ると国道は高速道路のように立派になる。
ケミ川の橋を渡って交差点をいくつか曲がると、前回来て見覚えのある交差点近くの停留所に停車した。

DSCN2084.JPG
 ロバニエミ中心部のポロクルマ(Porokulma)停留所とバス。

着いたのはポロクルマ(Porokulma)という停留所。
11時35分だから13分ほど早着ということになる。

私のチケットはロバニエミのバス駅までとなっているが、何人かの乗客とともにここで降りる。
このバスはこの後、鉄道駅へ行き、バス駅が終点となる。


 ◆ ロバニエミを歩く

ロバニエミ市は北緯66度30分、北緯66度33分線の北極線からは僅かに南にある。
人口は6.4万人。

ラッピ県の県庁所在地となっていて、フィンランド北部の行政、交通、経済の中心であり、またオーロラ観光の拠点となりサンタクロースの住む村があることで有名な観光都市でもある。

ここで紹介する限りでは地方都市のような印象だが、ケミヤルビから着くと、さすがに都会に来たという感じがする。

さてこれからどうしたものか。
ショッピングセンターでも覗いてから町をひと回りしてくるか。
バックパックは2L入りの水を処分したせいか大分軽くなったので預ける必要もなさそうだ。

とりあえず歩き出すと雨粒が落ちてきた。
しょうがない、交差点にあったマクドナルドに入る。

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 世界最北に返り咲いた、ロバニエミのマクドナルド。

ロバニエミにあるこの店は、世界最北のマクドナルドということになっていた。
しかし2013年にロシアのムルマンスクにオープンすると世界最北の座を明け渡すことになった。

2022年にロシア・ウクライナ戦争が勃発すると、マクドナルドは『ロシアから恒久的に撤退する』と表明。
ムルマンスクの店も例外ではなく閉店となる。
それによって、ロバニエミの店が再び世界最北のマクドナルドに返り咲くことになった。

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 世界最北マクドナルドのコーヒー。

そんな世界最北のマックに入ったが、特に何かがあるわけでもなくコーヒーだけ注文する。
ホテルで朝食をたらふく食べているので、全然食欲が湧かなかった。

ちょっとここで雨宿りさせてもらおう。
昼時のはずなのに店内はガラガラ。おかげでボックス席でゆっくりできる。

外を見ていると雨は降ったりやんだり。
1時間ほどいて、雨も上がって空も明るくなってきたので店を出る。

さっきバスを降りたバス停やマックのある交差点は、角にはショッピングセンターがあり、歩行者天国のコスキ通りもここから続くという、ロバニエミの中心部といったところ。
観光シーズンともなれば賑やかになるところだけど、シーズンオフで平日の昼前とあっては人影もまばら。

DSCN2106.JPG
 ショッピングセンターレボントゥリ(Kauppakeskus Revontuli)。

ところで、マックの向かいにはバーガーキングがあって、これも世界最北ではないかと思って調べたら、世界最北のバーガーキングはノルウェーにあるそうだ。

そこの前の道が歩行者天国になっていて、進むとロルディ広場に出る。
中央に時計塔があって、時刻と気温を交互に表示する。

現在の気温は+10℃。
昨日よりは上がったようだが、まだまだ寒気が居座っている。

DSCN2113.JPG
 ロルディ広場(Lordi-aukio)。

このロルディ広場は、ロバニエミの観光名所の1つ。
冬の観光シーズンならば屋台が並んで賑やかだったものだが、今は屋台もなく人影もまばらで寒々としている。

ちなみに『ロルディ広場』の由来は、2006年にロバニエミ出身のロックバンド『ローディ』がユーロビジョン・ソングコンテストで優勝したことを記念して改名されたもの。
それまではサンポ広場(Sampo-aukiona)と呼ばれていた。

DSCN2118.JPG
 ケミ川と木こりのロウソク橋(Jätkänkynttilä-silta)。

ロルディー広場を通り過ぎてまっすぐ行くとケミ川に突き当たる。
ロバニエミはケミ川の両岸に開けた街で、いくつもの橋が両岸を結んでいる。
そのうちの1つが木こりのロウソク橋と呼ばれる斜張橋。

2本の支柱と頂上に灯るオレンジ色の照明は、フィンランドで木こりのロウソクと呼ばれる白樺の松明をモチーフとしてデザインされたのでこう名付けられた。

橋の長さは327m。
満々と流れる水を見ながら対岸へ渡る。

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 上段を鉄道、下段を道路が通るオウナスコスキ橋(Ounaskosken silta)。

ケミ川を渡るもう1つの橋がオウナスコスキ橋で、上が鉄道で下が道路と、2階建て構造になった珍しい鉄橋となっている。

今あるのは1951年完成のもので、最初は1934年にケミヤルビまで鉄道が開通したときに最初の鉄橋が架けられた。
それがラップランド戦争中の1944年にドイツ軍によって爆破されてしまう。
戦後に鉄道と道路の併用橋として現在の2階建て鉄橋が架けられた。

このトラス橋はさっきの木こりのロウソク橋と並んで、ロバニエミの観光名所となってる。

DSCN2147.JPG
 歩道はトラスの外側になる。

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 トラス橋の上に敷かれた線路。

この上を通る列車が来ないかと期待したが、叶わなかった。
ここからロバニエミ教会を見てまた中心部方向に戻る。

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 ロバニエミ教会(Rovaniemen kirkko)。

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 跨線橋から見たケミヤルビへ続く線路。

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 ロバニエミ バスステーション(Rovaniemi linja-autoasema)。

ロバニエミの交通の拠点は2つあり、1つは鉄道駅。
もう1つがこちらのバス駅となる。
行先別に乗り場番号が振られたポールを見ていると、フィンランド北部の交通拠点ということを思わせる。

ここも一番賑わうのはオーロラシーズンなんだろう。
オーロラ観光ならば、ここからさらに北の町へ向かう必要がある。
だけど今は人影もなくひっそりとしていた。

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 ショッピングセンターレボントゥリは高速道路の上に建つ。

再び中心部のショッピングセンターまで戻ってきた。
ケミ川を2回渡って街をぐるり1周してきたことになる。

最後に紹介したいのが、高速道路を跨ぐ人道橋の脇に建つ白壁の木造の建物。
ギャンブレル屋根(腰折れ屋根)を正面に見せた木造の建物は、旧ロバニエミ駅舎。

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 人道橋と旧ロバニエミ駅舎。

この旧駅舎は1909年に開業した当時のもの。
今の駅と違い、こちらは中心部に近い位置にある。

いつ頃まで使われていたのだろう。
フィンランド語版Wikiを見てもわからなかった。

この建物の壁にある銘板によると、『1909-34』『1945-51』とあった。
途中が途切れているが、Wikiで調べたロバニエミにまつわる鉄道の年表と銘板の年代が一致するので、これをもとにして推定すると以下のようになる。

1909年、ロバニエミ鉄道開業により使用開始。
1934年、ケミヤルビへ鉄道延伸開業により駅は現在の図書館の位置に移転。
1944年、ラップランド戦争により鉄道施設がドイツ軍によって破壊。
1945年、戦災から残った旧駅舎を使用して鉄道再開。
1951年、ケミヤルビ方面の鉄道再開によって再び駅が現在地に移転。

上記はあくまで筆者の推定ということはお断りしておきます。

ラップランドの近代史を語る上では、ラップランド戦争とドイツ軍による破壊ということが避けて通れない。
他の施設の年表を見ても、戦争関連の年は一致する。
だから推定とは言え、そう大きくは違わないだろう。

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 綺麗なロバニエミ旧駅舎。

ところでこの旧駅舎、中を公開しているわけではなく、扉は閉ざされている。
看板を見ると『Rovaniemen kuvataidekoulu』(ロバニエミ美術学校)となっていた。

この場所は、横の人道橋の架け替えを含めた都市計画道路の予定地となっていて、高速道路を挟んだ反対側は、新しい道路が完成している。

この旧駅舎も解体の流れのようだ。
解体後は移転して再建する話もあるようだが。どうなるのか心配だ。
私のような旅人が口を挟むようなことではないが。


 ◆ 博物館のアルクティクム

マックを出て、ケミ川を渡ってぐるりと観光してきて1時間ちょっと。
それからショッピングセンターレボントゥリに入ってウロウロするものの、特に何もなし。
スーパーがあるけど、買い物するにはまだ早い。

時刻は14時を回ったころ。
あと2時間はどこかで過ごしていたいところ。

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 郷土博物館と科学センターが併設のアルクティクム(arktikum)。

色々考えたが、博物館のアルクティクムに行くことにした。
3年前もやはり行く当てがなくて、じっくり見学してきたところ。
でも、ここだったら2回行ってもいいかなと思い、歩いて向かう。

中に入って受付で「アダルト・ワン」と言ってチケットを買う。

受付のおねえさんが何やら言った。
「チャイニーズ?イングリッシュ?」

パンフレットのことだとすぐに理解した。
「ジャパニーズ」と言って日本語のパンフレットを貰う。

おねえさんは「アリガトウ」
と言うので、思わず
「どういたしまして」
と答えた。

すると突然彼女は、
「日本のかたですか?」
「はい」

すると、
「私は日本に1年留学していたことがあります」
と流暢に話し出した。

「日本のどこですか?」
「京都です」

彼女は日本での出来事をいくつか話し出す。

「私は日本が大好きです・・」
「できればまた行ってみたい・・・」

私「それはありがとう」

彼女にとって、たった1年間だけど京都での暮らしは、エキサイティングに満ち溢れたものだったのだろう。

コロナウイルスとロシア・ウクライナ戦争と続いて、日本は遠い国になってしまった。
日本を思い出したら、ここの暮らしの寂しさに気づいてしまった・・

余計なことだけど、何だかそんな口調にも思えた。

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 ガラスチューブの回廊。

レシートを見ると、ここの入場料は18ユーロ(2,758円)。
3年前は13ユーロだったから、ずいぶん値上げしたもんだね。

もうどこにも行く当てはないし、ここにいれば椅子もあるしWiFiもあるし、トイレも荷物預けもタダ。
そう思えば安いものだ。
もう4時まではここで過ごさせてもらいますよ。

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 オーロラシアターで見るオーロラ。

館内は郷土博物館と科学センターに分かれていて、それなりに見ごたえがある。

どこもガラガラで日本人も中国人もいない。
おかげでジックリとゆっくりと見学ができた。

館内の展示物をあれこれ紹介してネタバレになってもいけないので、オーロラシアターは結構面白かったとだけ書いておきます。


posted by pupupukaya at 23/07/15 | Comment(0) | 2023年夏フィンランド旅行記

2023年夏フィンランド旅行記6 白夜のケミヤルビ

 ◆ ホテルケミヤルビ

駅から歩きだした途端にザーザー降りに遭遇し、雨宿り中。
これも通り雨だったようで、5分くらいすると小雨になり、やがて止んだ。

昨日のヘルシンキ以来、どうも不安定な天気だ。
雲は厚く立ち込め、また降り出してもおかしくない。
まずは真っすぐホテルへ向かうことにする。

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 ケミヤルビ駅遠景。

駅は町はずれのような場所にポツンとあるような格好で、周りに人家も何もないから夜など怖そう。
坂道を登って行くと国道の交差点に出た。

駅から町の中心部までは2kmほどの距離がある。
私はバックパック姿なので苦にならないが、スーツケースをガラガラ引っ張って歩くのはちょっと大変だなあと思う距離。

ホテルまでの道筋は事前に調べてあるし、国道に出れば道なりに歩けばそれらしい場所に出るようだ。

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 左が貨物線、右がロバニエミ方面。駅南側の陸橋から。

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 市内を貫く国道E63号線。

ところでこの道なりに歩けばというのは、グーグルマップの経路案内で、実際は国道は途中から自動車専用道路となるので歩道はわき道にそれてしまった。
道が途切れたらどうしようかと思うところだが、進んで行くと中心部らしい所へ出る。

駅から歩くこと25分、雨に当たることもなく無事ホテルの前に着いた。

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 ホテルケミヤルビ(Hotelli Kemijärvi)外観。

あまりホテルらしくない外観だけど、ケミヤルビでは数少ないホテルの1つ。
入口のドアに電話番号が書いてあるのは嫌な予感がした。

なぜなら、安宿の場合エントランスのドアに鍵が掛かっていることが多いので。
こうした場合はインターフォンで中の人を呼び出すか、最悪の場合はここに電話して下さいなんて書いてあることもある。

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 ホテルのエントランス。

それは杞憂で、ドアの取っ手を引くと普通に開いた。

レセプションはあるが誰もいない。
呼び鈴が置いてあったので2回ほど押したら、奥の階段からここの親父らしい人が下りてきた。

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 1Fロビーとレセプション。

とりあえず「ハロー」と言って、
え〜と何て言えばいいんだ。

「アイハブア、ブッキング・・・」

親父は客だと分かったようで、
「ネーム?」

自分の名前を告げると、書類をペラペラめくって、
「ブッキングコム?」
「イエス、イエス」
ブッキングコムは予約サイトのこと。

親父は時計を指さして言った。
「チェックインタイム アット スリー」
(チェックインは3時からだよ)

やっぱり今からチェックインは駄目のようだ。

じゃあ荷物だけ預かってくれればいいや。
3時ならば、2時間半ほどどこかへ行っていればいいわけだ。

「プリーズ、キープマイラゲッジ・・・」と言うと、
親父が、ちょっと待ちな、というようなことを言ってパソコンを操作しだした。

しばらくしたら頷いて、キーボックスにあった鍵を出した。
「ウエイト ヒア」
とカウンター横にあるソファーを指さすと、鍵を持って階段を上がって行った。

どうやらチェックインはできそうな感じだ。

空き部屋を整えてきたのか、しばらく待っていると親父が下りてきた。
「オッケー、チェックイン」

ルームナンバーはこれね、キーはこれ。
夜10時以降はエントランスのドアが閉まるから、ルームキーで開けてね。
明日の朝食は2階の食堂ね。

って全部英語だけど、言わんとすることは全部理解する。
こちらも「ヤー」とか「イエス」と返事をする。

親父は一通り説明し終わると、
「ウェルカム、ホテルケミヤルビ」
と言った。

こちらも思わず、
「サンキュー、サンキュー」と繰り返した。

無事チェックイン完了。

親切な親父だった。
もしかしたら、この雨模様のなか放り出すのも可哀そうだと思ったのかもしれないが・・・

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 3Fのツインルーム。

部屋は3階、古い建物なのでエレベーターは無し。
ドアを開けると、おおー広い。
予約はシングルだったけど、ツインルームだった。

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 部屋は古いけどシティホテル並み。

ソファーとテーブルがあって応接間のようにもなる。
ちょっと古いけど、シティホテル並みだよ。

たまたま空いていたからなんだろうけど、これはいい部屋に当たった。
さっき雨に当たって凹んでいたが、テンションが上がる。

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 ワイパーが置いてあるシャワールーム。

シャワールームを見ると、こちらはバスタブがないタイプ。
トイレとシャワーはカーテンで仕切ってあるけど、床の仕切りがないので床じゅうビショビショになってしまう。

そのために奥にワイパーが立て掛けてあるのだった。
シャワーの使用後は、ワイパーで床の水滴を掻くことになる。
ヨーロッパではよくあるタイプだが、安宿でも最近は見なくなった気がする。

窓の前にある椅子に腰かければ、これが深々と身体を包みこむような座り心地。
こういう椅子はちょっと日本にはないな。さすが北欧の家具は違う。

今日の出来事を手帳に綴っていると、そのまま眠ってしまった。


 ◆ ケミヤルビ市内探検

チェックインしてから1時間ほど経っていた。
雨も降っていないようだし、市内探検をして来ることにした。

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 こちらはシングルルーム(ドアが開いていたので)。

1階に下りると、さっきの親父がカウンターの中にいた。
一応「ハイ」と挨拶して出かけると、親父がちょっと待ちなさい(みたいなこと)と言った。

地図は持っているのか?
「ノー」
と言うと、書棚からガイドマップを出して渡してくれた。
「オーサンキュー!」
と受け取って外に出る。

ケミヤルビ市は人口約7千人、林業と製材工場が主な産業となっている。
北緯66度43分に位置する、北極圏の都市。

観光はあまり盛んではないようで、『地球の歩き方』でもこの町は載っていない。

それでもオーロラ観光などで夜行列車に乗ったことがある人ならば、ケミヤルビの名は聞いたことはあるかも知れない。
ヘルシンキからロバニエミへは2本の夜行列車が毎日運行されているが、そのうちの1本はケミヤルビ行だからだ。

オーロラ観光の拠点として、また空港や鉄道駅からバスへ乗り継ぐ交通結節点としてのロバニエミに対して、こちらケミヤルビは、ほとんど行き止まりとも言える町。
そうしたこともケミヤルビまで足を延ばす観光客が少ない理由だろう。

ただ、ケミヤルビと北海道の壮瞥町とは友好都市提携の関係があって、まるっきり日本と縁がない町というわけでもなさそうだ。

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 ケミヤルビ周辺の地図(ケミヤルビのガイドマップより)

で、ケミヤルビには何があるのか。
事前にいろいろネットで情報収集はしていました。
で、わかったことは、何もなさそうということ。

何もないで一蹴するのもケミヤルビの人に対して失礼な話だが、観光するような場所は見つからなかった。
一応博物館的なものはいくつかあるが、規模も小さいし長居できる場所ではなさそうだった。

情報源は主にグーグルマップ。
ていうか、日本語ではグーグルマップ以外の情報源は見つからなかった。

だから市内観光ではなく市内探検と呼ばせていただく。

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 ケミヤルビの中心街。

まずはホテルのある中心街からスタート。

ヴァパウデン通り(Vapaudenkatu)という名の通りで、ビルが並び、ちょっとした商店街になっている。
昔はここがメインストリートで、それなりに賑わったんだろうと感じさせる。

車社会になり、スーパーマーケットが進出してくると中心部が寂れるのはどこも同じ。
ホテルの向かいも、かつてはデパートだったみたいだが、今は廃墟ビルと化している。

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 ケミヤルビ市庁舎(Kemijärven kaupungintalo)。

この通り沿いに、銀行、警察、消防、市庁舎といった主要施設がほぼ揃っている。
それを囲むようにして、スーパーマーケットがあり、車が無くても住みやすい町といった感じがした。

市街地は鉄道駅の反対側や、ケミ湖の対岸にも広がっているが、中心部以外は普通の住宅地となっている。

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 ヴァパウデン通りから見たケミヤルビ教会。

通りの突き当りの目立つ建物がケミヤルビ教会。
時計塔がそびえ立ち、町のシンボルともいえる存在。

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 ケミヤルビ教会(Kemijärven kirkko)。

入口にある看板の説明書きによると、今の教会の建物は4代目で1951年に建てられたもの。
3代目の建物は1944年のラップランド戦争で、ドイツ軍によって破壊されたという。

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 ケミ湖を渡る国道E63号線。

教会を過ぎると国道に出て、ケミ湖を横断する。
ケミヤルビはこのケミ湖北部の湖畔に開けた町。

ケミ湖の面積は約230平方キロメートル、これは日本で2番目に広い霞ヶ浦と同じくらい。
だけど湖の国フィンランドでは、国内19番目の面積ということになる。

ちなみに、ケミヤルビの『ヤルビ』(järvi)はフィンランドで湖の意。
だからケミヤルビは湖の名前がそのまま地名になっていることになる。

この湖に注ぐ川と流れ出る川はケミ(Kemi)川、河口の町が今朝の列車で通ったケミという町になる。

国道の横に電化された線路が並行するが、これは貨物線でケミヤルビ駅から5kmほど東にある製材工場まで続いている。

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 貨物線の線路とケミ湖。

ここで、この貨物線の説明に少しお付き合い願います。

ケミヤルビ駅から東に延びるこの線路は、かつてはロシア国境に近いケッロセルカ(Kelloselkä)まで結ぶ約80kmの路線だった。
今見ている線路はその路線の一部ということになる。

ケッロセルカまでの路線も、過去の一時は旅客営業を行ったこともあるが、ほぼ貨物専用線だった模様。
2012年に、今の製材工場への引き込み線部分を残して廃止されている。

この廃線跡はグーグルの衛星画像で見ると確認できるが、廃線跡を同画像で追いかけて行くと国境を越えてロシア国内まで続いているのがわかる。

この線路は元々ケミヤルビ駅が終点だったものを、冬戦争(1939年にソ連がフィンランドに侵攻した戦争)終結後に結ばれたモスクワ講和条約の一環で、1940年から1941年にかけてソ連(当時)の鉄道網とを結ぶことを目的に建設されたもの。

その鉄道をこんどはラップランド戦争でドイツ軍に破壊されてしまう。
しかし戦後に木材輸送のためにケッロセルカまでの運行を再開することとなった。

 ※ 鉄道データのソースはフィンランド語版ウィキペディア。

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 ケッロセルカまでの路線があった頃の地図(ホテルに掲示してあった地図より)

2012年に廃止されたケッロセルカまでの廃線跡は、現在も線路がそのまま残されているようで、廃線跡好きには大いに気になるところだ。
だけど、そこまで行くには歩けば片道1時間以上はかかる距離となる。
晴れていれば歩いて行く価値はあるのかも知れないが、今日のこの天気では・・・

それに外国人が山の中を不用意にウロウロするのはどんなものだろう。
ひとつ間違えれば撃たれかねない。
熊だって出るだろうし。

車がなければ無理だろうな。

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 駐車帯にあった観光案内。

湖を渡る橋が終わったところに駐車帯があって展望所のようになっていた。
晴れていれば綺麗な景色なんだろうなあと思わせる。

今は雨は上がっているけど、遠くの方は雨が降っているのが見える。
風も少し出てきて、湖面はさざ波が立つようになった。

道路と線路は湖の砂洲のような土手の上に延びている。
湖の対岸くらいまでは行ってみたかったが、こんなところでさっきみたくザーザー降りに遭ったらひとたまりもない。
ここで町に引き返す。

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 ケミ湖を渡る鉄橋。

ケミヤルビの中心部はバスターミナル、ホテル、スーパーといった施設が徒歩圏内に揃っていて、旅行者が滞在するには便利な町だ。
鉄道駅がちょっと離れているのが難点だが、あちらは1日1本だけの発着なので仕方ないところ。
その鉄道駅をこちら中心部に近い場所に移転するという構想もあるようだが、どうなるのか。

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 ケミヤルビもう1つのホテル、メスタリン キエヴァリ(Mestarin Kievari)。

ケミヤルビの町中を歩いていると、やたらと目につくのがスーパーマーケット。
しかも、そのどれもが大型店舗並みとなっている。

こんな小さな町に何でスーパーがたくさんあるのか、都会から来た人には不思議に感じるだろうが、これは商圏が広大という理由から。
人口希薄地帯なので町にしかスーパーが無いから、何十kmも離れたところから車で買い物に来るのだ。
そのため、どの店も広い駐車場を持っている。

この辺りの事情は北海道でも似ていて、道東や道北の方では、ちょっとした町に大型スーパーがいくつもあったりする。
これもやはり近隣の町からも買い物に来るからだ。

しかし、大抵はこの手の大型スーパーは町の郊外にあって中心部からは離れているものだが、ケミヤルビのスーパーは中心部から近い場所にかたまって存在している。

よって、ケミヤルビはスーパーマーケットの町だなという印象を持った。

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 リドル(Lidl)はドイツ系のスーパーマーケット。国営酒屋のAlkoが併設。

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 こちらはフィンランド最大手のK‑Supermarket(Kスーパーマーケット)。

Kスーパーマーケットは市内にもう1店舗あり、さらに同系列のホームセンターもある。

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 こちらもフィンランド大手のS-market(エスマーケット)。

最後にSマーケットに寄って夕食とビールの買い物をする。
なぜここかというと、ホテルに一番近かったから。
ビールの種類が豊富だったので、いろいろ選んでみた。

ホテルを出発してから2時間ほど歩き回っていたが、観光客らしき人は1人も見なかった。
ていうか、アジア人など自分だけのような気がした。

あと、歩いていてもう1つ気づいたことがあって、それは走っている車がやたらと日本車が多いということだった。
ざっと見かけただけだが、半分以上が日本車という印象を持った。
ヘルシンキでは日本車などほとんど見かけなかったのに、フィンランド北部では日本車が人気なのだろうか。


 ◆ 今回旅行唯一のホテル滞在

ホテルに戻ってビールを冷蔵庫に入れたらシャワーを浴びる。
頭を洗うのも2日ぶりだからさっぱりした。
洗面台にドライヤーも備え付けてあったのはありがたかった。


4時半、早いけどディナータイム。
もうどこへも行きようがないし、車の運転があるわけでなし。
テーブルにスーパーで買った食材とビールを並べる。

今回の旅行では、今晩が唯一のホテル滞在となるので、もう少しまともな食事をと思ったけど、1人でレストランに入っても落ち着かないし、やっぱりこうなっちゃうよね。

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 Sスーパーマーケットで買った夕食とビール。

買ってきたのは30%引きのライスサラダ、パン2つ、トナカイのサラミソーセージ。
袋に『Poro』とあるのがそれ。珍しいしフィンランドらしいものをと買ってみた。

ずっと歩き回っていたのでビールが旨い。
トナカイのサラミは、トナカイ肉の風味がそうなのか、スパイスのせいなのかビニールが焼けたような匂いがする。
あまり旨いものじゃないが、話のタネってところ。

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 ホテルの部屋の窓。

フィンランドの窓の造りは独特になっていて、窓はガラスがはめ殺しになっていて開かないようになっている。
これは冬は非常に寒いので、気密性を高くするためなのだそう。
その代わりに脇に小窓があって、開けるとここが通気口となる仕組み。

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 遮光ロールカーテンを下ろした状態。

あともう1つが、遮光カーテン。
これはフィンランドというよりも北極圏に共通することだけど、夏は白夜のため暗くならないので、眠るときは遮光カーテンで部屋を暗くするというわけ。

鳥だったら暗くならないので一晩中さえずっているが、人間様はと言うとさすがにそうはいかないので。
ビール3本飲んだらさすがに眠くなってきた。
外を見ると、いつの間にかまた雨が降り出していた。

ちょっとひと眠りする。
今日は夜中の太陽は見られそうにないが、一応11時に目覚ましをセットしてベッドに横になる。


 ◆ 白夜のケミヤルビ

午後11時、やはり厚い雲が垂れ込めて、路面も濡れている。
天気予報を見たら、今日も明日も雨予報だった。
旅行先ではどこへ行っても好天に恵まれる私だが、どうもフィンランドだけは天気との相性が悪い。

12時を過ぎ、あまり気は進まないが白夜の北極圏まで来たのだからと外へ出る。
雨は上がっているが薄暗いし寒い。気温は6℃。

北海道でも6月上旬の今時期は道東や道北のほうへ行けば同じようなものだ。
どうも道内旅行の延長線上といった感覚が抜けきらない。

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 深夜0時のケミヤルビ。

車もほとんど通らず、誰も歩いていない道を歩いてケミ湖のほとりへ向かう。
明るいけど、町はすっかり寝静まった真夜中そのもの。

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 貨物線の踏切とケミ湖。

町から国道を渡った踏切の先にケミ湖が広がる。
地平線の向こうまで雲が覆っていて、夜中の太陽が見えるはずもなく。

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 晴れていれば沈まない白夜の太陽が見える北の空。

薄暗い湖面を見ていると、いつだったか夏至の時期にキャンプをした豊富町の兜沼公園を思い出す。
朝3時半くらいに夜明けを迎えた湖畔もこんな明るさだったなあ。

ケミヤルビに着いてから、どうも6月の宗谷地方にいるのと大して違わない気分なのはどうしてなんだろう。
あまりヨーロッパらしい建物がなく、景色ものっぺりしているからなんだろうか。

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 白夜の証拠。

現在午前0時14分。正真正銘の夜中ですよ。明るいですよ。
証拠写真として腕時計とケミ湖を撮ってみる。

またホテルへ引き返す。
白夜の太陽は残念ながら叶わなかった。

だけど一晩中明るい白夜と言うものは、1度体験しておいて損はないと思う。
私は2度目だけど、この一晩中暗くならない世界というものは、言葉では言い表せないくらい不思議な感覚が沸き起こる。

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 夜中でも明るい部屋。

部屋に戻ると1本残っていたビールを開ける。
これ飲んでまた寝てしまおう。

いつまで経っても曇りの日の夕方が続く、時が止まった部屋。
時計だけが紛れもなく夜中を示している。

午前1時半、ビール1缶飲み干したら再びベッドに潜り込んだ。

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 午前1時半(見づらいけど)まだ明るい。

6月7日の費用(現地払分のみ)
費目場所金額(ユーロ)円換算備考
夕食とビールSスーパーマーケット 21.043,222 
合計  21.043,222 
 ※ 全てクレジットカード払い


posted by pupupukaya at 23/07/02 | Comment(0) | 2023年夏フィンランド旅行記

2023年夏フィンランド旅行記5 北極圏への遠い道

 2023年6月7日(水)

 ◆ 3時間40分遅れの朝

おはようございます。
フィンランドを走行中の個室寝台車から。

目を覚まして時計を見ると、午前4時少し前。
妙に静かだと思えば、どこかの駅に停車中だった。
駅前には人家も見当たらず、森の中にホームがあるだけのような寂しい駅。

しばらくすると、静かに発車する。
『Parkano』(パルカノ)と書かれた駅名標が見えた。

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 目覚めるとそこは北方の風景・・・のはず。

空は晴れているようだが、妙に薄暗いのはどうしたことか。

時刻表では次の停車駅は4時44分オウル(Oulu)着。
今走っている地点は北緯65度に近く、午前2時台にはすでに日が昇っているはずなのだが。

寝ぼけた頭では深く考えることもできず、薄暗い針葉樹の森や、たまに開けると牧草地といった風景を眺めているだけだった。

30分ほど走ると町が現れて、4時34分、大きめの駅に到着した。
駅構内からビルやショッピングセンターも見える都市。

てっきりオウル駅到着と思い込んでいたが、駅名標には『Seinäjoki』(セイナヨキ)の文字が見えた。
駅名は聞いたことがあるが、そんな駅はあったかな?

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 セイナヨキ駅に3時間40分遅れ到着。

あらためて時刻表を見ると、セイナヨキの定時到着時刻は午前0時54分。
やっと目が覚めて理解した。

この列車は現在3時間40分遅れで運転中なのだった。

さっき寝起きに停車中だったパルカノ駅はタンペレの次の停車駅で、定時刻ならば0時07分発の駅だったのだ。

昨夜のタンペレは定時発車だったので、どうやらタンペレとパルカノの間で何かが起こったらしい。

車内放送があるわけでなく、何が起こったのかは分からないが、とにかくこの列車は3時間40分遅れで運転している。
この先回復運転となるのか遅れがさらに増すのかは分からない。

しかし、内心これはうまい具合になったと思った。

なぜなら、この列車の終点ケミヤルビは何もない町。
しかも、ホテルのチェックイン時刻は16時からとなっていた。

朝着いたらそれまでどこかで時間をつぶさなければならず、どうせなら1時間くらい遅れて着いてくれないかと思っていたくらいだ。
ケミヤルビ着は定時ならば8時50分着だが、この遅れのままだと昼を過ぎた12時30分着となる。

時刻表では14分間停車となっているセイナヨキ駅だが、停車するとすぐに発車となる。
夜行列車なのでこの先停車時間が長めの駅がいくつかあるが、停車時間を詰めて回復運転するつもりらしい。

おどろいたのはホームからこの客車に乗客が1人あり、この車両に乗ってきたこと。
本来ならば未明の1時08分発車なので寝台車に客があってもおかしくはないが、この乗客からすれば駅で1晩明かしてからようやく着いた列車ということになり、何とも災難なことだ。

VRのサイトにはTraffic bulletins(交通情報)というのがあって、そこを見れば何かわかるのだろうが、今朝からずっと車内WiFiはオフラインとなっていた。


 ◆ 北への憧れを乗せて

現在位置は北緯62度50分あたり。ヘルシンキ〜ケミヤルビ間全行程の半分も来ていない。
車窓は相変わらず針葉樹の森と牧草地という単純なもの。

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 森と湖の国フィンランドの車窓。

それでも、じっと車窓を眺めていると、一瞬はっとするような美しい風景が現れる。
湖の水面に森と青空が映る美しい景色は、まさに森と湖の国を思わせる。

北上するにつれて雲が少なくなり、気持ち良いくらいに空気が澄んだ快晴となった。
小さい窓ながら、個室寝台からの車窓は独り占め。
ここに昼過ぎまで居られるのかと思えば心が躍る。

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 マツやトウヒといった針葉樹の森が続く車窓。

のんびりと車窓を眺めて・・と行きたいところだが、列車は1分1秒でも遅れを回復するべく140km/h(スマホアプリで測定)のMAX速度でひた走る。

ところが単線鉄道の悲しさ、時どき小駅や信号場に停車して交換待ち。上り列車が通過してからこちらも発車するといった運転停車がいくつもあった。

5時54分、コッコラ(Kokkola)着。
北緯63度50分にあるボスニア湾に面した港町。

ここはヘルシンキからの距離は481km。この列車の全行程のようやく半分まで来たことになる。

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 すっかり日が昇ったコッコラ(Kokkola)駅。

ホームの発車標には定時刻の横に変更時刻が赤文字で表示されている。
その表示を見ると『5:58』とあったので、ここで4分ほど停車するようだ。

部屋から出て、ちょっとデッキに出てみる。
ホームに出てみたいが、早発となったらホームに置いてけぼりなので、ドアから外の空気を吸うだけで我慢する。

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 朝の日を浴びるコッコラ駅のホーム。

空気がひんやりと冷たい。
3時過ぎには日の出を迎えているこの地だが、緯度が高いせいなのか、太陽は冬の日差しのようにも感じられる。

真冬の装備のように着込んだ降り支度のおばさんがデッキに出てきて、 
 “ここはケミ?”
(と言うようなこと)を言った。

やはり隣の窓から外を見ていた女性が、“ケミはまだですよ” みたいなことを言うと、納得しがたいというような表情をする。
駅名を見て納得したのか、また部屋に戻って行った。

ケミは定時運転ならば5時58分着だが、今はまだここから3時間以上も先の地。
てっきり着いたと思って出てみれば遥かに手前の駅だったというわけだ。
車内放送も何もないので、車窓を注意して見ていないとちょっとわからないだろう。

ケミを発車したら、部屋に戻って朝食にする。

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 スーパーで買った食材の朝食。

昨日ヘルシンキ駅横のスーパーで、朝食も仕入れておいた。
レストランカーでもブレックファーストメニューはあるのだが、クロワッサンにジュースとコーヒー付きで9.9ユーロもする。

こちらはパン2個とブルーチーズ170gとヨーグルトで合計6.72ユーロ。
コーヒーはないけど、代わりに1本残ったビールを開ける。
朝酒になるが、まだまだ先は長いからいいだろう。

6時50分、初めて車掌の案内放送が始まった。
最初はフィンランド語で、次が英語となる。

英語の方はよ〜く聞き耳を立てていると、大まかなことは理解できる。
「アイムソーリー・・・」のあとに続く各駅の到着予定時刻をメモると次のようになった。

オウル着・・・7:40(4:44)
ケミ着・・・8:15(5:58)
ロバニエミ着・・・9:55(7:20)
ケミヤルビ着・・・11:15(8:50)
(カッコ内は定時到着時刻で筆者追加)

この列車はコッコラを3時間20分遅れで発車しているが、この後も停車時間の切り詰めやフルスピードでの走行で遅れ時間を縮めて、終点ケミヤルビ到着は2時間25分遅れにまで取り戻すようだ。

そんなに急がなくてもいいんだけどな〜と思いつつ、列車は140km/hで森の中をひた走る。

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 オウル(Oulu)駅到着。7:46に変更を示す発車標

7時42分、オウル着。

オウル川がボスニア湾に注ぐ河口にある港町で人口は約20万人。
駅のホームからも見えるビル街は、タンペレ以来の都会という感じがする。

この列車もオウルで初めてまとまった降車客があった。

ホームの発車標は赤文字で『7:46』と表示している。
この列車のダイヤは決定していて、遅れIC265列車としてのダイヤで走行するのだろう。

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 オウル駅で交換するロバニエミ発ヘルシンキ行IC22列車。

駅舎側のホームにも2階建ての列車が停車中で、あちらはヘルシンキ行IC22列車。
昼行列車ながらロバニエミ5時15分発、ヘルシンキ13時35分着、所要時間8時間20分という長距離列車。
ちょうどここオウルで交換となる。向こうは定時刻運転のようだった。

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 北へ向かうにつれ、森の背丈も低くなってくる。

車窓は相変わらず針葉樹の森が続くが、次第に木々の幹も細くなり背丈も低くなってきて、北極圏へ向かっていることを思わせる。

8時48分、ケミ到着。

ケミはその名の通りケミ川の河口にある港町。
ケミ川はラップランドのロシア国境付近からケミヤルビ湖を経てボスニア湾に注ぐ延長550kmの河川。
ここから列車はロバニエミ、ケミヤルビと、このケミ川に沿って北上することになる。

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 コラリやスウェーデン方面への路線が分岐するケミ(Kemi)駅。

ケミは人口約2万人と大きな都市ではないが、鉄道はここでケミヤルビへ向かう線と、夜行列車のもう1つの系統であるコラリ(Kolari)へ向かう路線が分かれる。

コラリ線のトルニオはスウェーデンとの国境にある町で、直通列車こそ無いものの、この町を経由すればボスニア湾沿いを鉄道でストックホルムまで行くことも可能だ。
旅行計画当初はそれも検討してみたが、今回のヘルシンキ発着3泊4日の日程ではちょっと無理っぽかった。

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 小さな町だが下車客が目立つ。ケミ駅。

そんな交通の要衝のケミ駅で下車する人は多い。
コッコラ駅で間違って降りかけた冬装備のおばさんも無事下車して行った。

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 ケミ川を渡る。

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 コラリやスウェーデン方面への線路が分かれる。

ケミ川を渡り、しばらくするとコラリやスウェーデンへ向かう線路が分岐する。
コラリとは北緯67度20分にある、フィンランド鉄道の最北端の駅。

コラリ行きの列車にも乗ってみたいが、あちらはケミヤルビ以上に何もなさそう。
バスに乗り継いでスウェーデンやノルウェー方面へ抜ける行程ならば価値もあるのだろうが、単純往復だとコラリ滞在はちょっと辛そうだ。


 ◆ 遅れとトラブルと早とちり・・

しばらくするとまた車掌の車内放送が始まった。
天井のスピーカーに耳をそばだてる。

「ロバニエミ・・アンダーステーション、ケミヤルビ」
「・・コネクション、ケミヤルビ、バイ・バス・・」

車掌は何度も
ケミヤルビ、バスコネクション
を繰り返した。

これは極めて重大なことだと察知した。
早い話が、この列車はロバニエミで運転打ち切りとなり、バスに乗り換えとなるということしか考えられない。

さっきまで終点ケミヤルビ着が遅くなること、列車に長く乗っていられることを喜んでいたのに、ロバニエミ打ち切りとはがっかりだ。

何のために前回(2019年)と同じ列車に乗ったのか分からなくなった。
また次の機会に・・と言うのは簡単だが、ロバニエミ〜ケミヤルビ間、僅か83kmの未乗区間のために、また日本からはるばるやって来るのも大変な話だからね。

ケミあたりまでは青空が広がっていた天気も、だんだんと厚い雲が立ち込めてきた。
その後も何度か車掌の放送があったが、
バスコネクション」を繰り返す。

仕方ない。
残念だけど降り支度を始める。

そうしているうちに、暗くなった空から雨が降りだす。
降り方はだんだん強くなってきた。

通り雨だといいんだけど、空はやっぱり暗いなあ。
弱り目に祟り目とはこのことだ。

ずっと森林地帯だったが、だんだんと人家が現れるようになる。
ロバニエミも近い。

10時07分、2時間47分遅れにまで回復した列車はロバニエミに到着した。

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 ロバニエミに到着。ほとんどの乗客はここで下車。

ロバニエミはラップランドの中心都市で、人口は6.4万人。
オーロラ観光の拠点であり、サンタクロース村のある観光都市で、日本人観光客も多い。

鉄道ファンでなくとも、ヘルシンキからここまでは夜行列車に乗車する人も多いし、それを目玉としたツアーもある。
だけど今日ばかりはこの町に用はない。

とりあえずは荷物を持って列車を降りる。
地面は濡れているが、雨は上がっていた。
下車した乗客でホームはしばし賑やかになるが、ほとんどの人は駐車場の方へ消えてしまった。

駅横のバスターミナルにはバスの姿は無く、ケミヤルビ行の客はどうすればいいんだろう。

ホームで車掌を見つけ、持っているチケットを見せて、
「ケミヤルビ?」
と聞いてみた。

車掌はチケットに目を通すと驚いた表情で、
「オン、ターンバック!」
と列車を指さして言った。

どうやらケミヤルビ行きの乗客が、間違えてここロバニエミで降りてしまったと思ったらしい。
車掌の指さす通り、慌てて車内に戻る。

何度もあった車掌の車内放送を聞き間違えたようだ。
ホームの発車標をよく見ると赤文字で『10:15』と表示してある。

車掌に聞いて良かった。
早とちりもいいところで、このままホームをウロウロしていたら、雨のロバニエミで途方に暮れるところだった。

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 ロバニエミ駅停車中。発車標は10:15発車を伝える。

ヤレヤレ、再び個室寝台車の客となる。
ヘルシンキから一緒だったお隣さんの部屋からは、また子供の声が聞こえた。
とりあえずは一安心。


 ◆ 本邦初公開?ケミヤルビまでの乗車記

発車標の表示通り、10時15分にロバニエミ発車。
ほとんどの乗客は下車して空室ばかりとなってしまった。
回送列車のような寂しい車内だが、ここから先は唯一1往復だけの旅客列車でもある。

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 側線には木材を満載した貨車が停車中。ロバニエミ駅。

サンタクロースエクスプレスの名で呼ばれるヘルシンキからの2往復の夜行列車は、日本からの観光客の利用も多く、ネット上で検索すれば旅行記や乗車記の類がたくさんヒットする。
しかし、どれもこれもヘルシンキ〜ロバニエミ間の利用で、ケミヤルビまでの乗車というのは皆無だった。

ヘルシンキから直通の、しかも毎日運転の直通列車なので、まるっきり日本人が乗らないということもないのだろうが、ロバニエミから先はネット上にその情報を見つけることはできなかった。

もしかしたら、この記事が本邦初のケミヤルビまで乗車記となるのかも知れない。

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 ケミ川を渡るオウナスコスキ鉄道橋から。

ロバニエミ駅を発車するとケミ川を2回渡る。
最初の橋が、オウナスコスキ鉄道橋(Ounaskosken rautatiesilta)と呼ばれる、上が鉄道で下が道路という2階建て構造の橋を渡る。

橋の手前で道路が下の方に潜っていくのがわかるくらいで、車窓からだとちょっとわからない。
ロバニエミは明日戻ってきて観光にも充てる予定なので、その時にあらためて見に来ることにしよう。

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 荒涼とした暗い湿原。

ロバニエミを境に明らかに北極圏らしい車窓風景となってきた。
ずっと針葉樹の森林なのは同じだが、高い木が少なくなり荒涼とした湿原が多くなる。

雨は降ったりやんだり。
晴れていれば美しい風景なのだろうが、厚い雲が立ち込めて暗い空の下、重苦しい風景が続く。

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 雨粒が窓を伝う。

ロバニエミを発車して30分くらい経ったろうか、突然コンコンとノックされた。
開けてみると車掌が立っている。

名簿のようなものを持って、1部屋ずつ回っているらしい。
話の内容は、どうやらケミヤルビでバスの乗り換えはあるかということらしい。

「ノーバス」
「ステイ、ケミヤルビ」
というと、
「オーケイ」

それから、ナンヤラカンヤラ・・・「ハーフ
と言った。

分からないという身振りで答えると、
「オーケイ、ハブア・ナイストリップ」と言って去って行った。

フィンランド国鉄とケミヤルビからのバスは連絡運輸でもしているのだろうか。
それにしても『ハーフ』って何だろう。

この『ハーフ』の意味は、じつは帰国してから明らかになる。
帰国後にVRのホームページを見ていたら、『compensation』(補償)というページを見つけ、読んでゆくと長距離列車が2時間以上遅れた場合は支払代金の50%を払い戻しになるということがわかった。

その払い戻しの入力フォームもあって、そこにチケットと領収書のID番号、それに払い戻しの振込み銀行口座を入力すればその口座へ振り込まれる。

しかし、これもいろいろ調べて分かったことだが、フィンランドから日本の銀行口座宛ての入金は、ほぼ不可能だということ。
いや、まったく不可能ではないが、少なくとも入力フォームから送信すればポンと入金されるものではないようだ。

車掌から証明書でも貰って、ヘルシンキ駅の営業カウンターあたりで申し込めば現金で払い戻しを受けられたのかも知れない。

車掌が言ったハーフ(半額)の意味がこれで分かった。
惜しいことをしたけど、今となってはどうしようもない。

ちょっと脱線したので、話をもとに戻します。

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 ミーシ駅に停車。

ケミヤルビまでの唯一の途中駅であるミーシ(Misi)駅に停車。
北緯66度37分。
すでに北極圏に入っている。

駅前に数軒の人家はあるようだが、近くに町もまとまった集落もないところ。
人の姿はなく、この列車から降りた乗客もいないようだった。
乗客は遠くから車で乗り付けるのだろうか、町もないのに今でも存続している駅だった。

昔はもっと駅がたくさんあったのだが、車社会の到来となると、町の代表駅だけ残して小さな駅は淘汰されることになる。

住人の足はどうするの?
なんて声が聞こえそうだが、そんな話は日本に限った話でしかない。
世界的に見れば鉄道の役割は長距離輸送と貨物輸送なのであって、通勤通学といった地域輸送というものは都市近郊以外は行っていない。

北海道のローカル線も駅の廃止が相次いでいる。
もし仮に宗谷線や花咲線といったローカル線が今後存続に向けて進むとしたら、最終形態はこのフィンランド北端の鉄道に似たものとなることだろう。
それは、小駅はすべて廃止して地域輸送は他の交通機関に譲り、旅客営業は中・長距離輸送だけ行うというもの。

また話が脱線したので、元に戻します。

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 北極圏らしい、過酷な気候を思わせる。

個室寝台の小さな腰掛けに座って、飽きることなくずっと車窓を眺めている。

過酷な気候や過酷な生活を思わせる寒々とした風景。
終点に着いたとて、夕方までどこへも行く当てのないわが身。
いよいよ最果てまで来たかのような気分になってくる。

幸いなことに、降ったりやんだりしていた雨も上がったようだ。
分厚い雲も去って、空は次第に明るくなってきた。

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 湿原の沼。晴れていれば美しい風景なんだろうけど。

着いたらどうしたもんかなと考えながら車窓風景に見とれていると、また車掌の車内放送。

英語の方は、
「ディア、パッセンジャーズ・・・」
で始まる放送は、まもなく終点ケミヤルビということを伝えた。

「サッラ」とか「タクシー」とか聞こえたので、バス乗換はタクシーに振り替えとなった模様。

サッラとはケミヤルビから東に60kmほどのところにある町。
過去にはケミヤルビから先にも鉄道が延びていて、サッラを通って国境を越えてロシアまで通じていたこともあるが、今はケミヤルビが終点となっている。


 ◆ ケミヤルビ駅

森の中に人家が点々と現れるようになり、ケミヤルビが近いことを思わせる。
構内手前で一旦停止してから、ゆっくりと駅構内へ進入した。
ホームには出迎えらしい人が何人か見えた。

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 ケミヤルビ駅に到着。

11時24分、終着駅ケミヤルビ駅に到着。
最大で3時間40分遅れだったこの列車も、2時間34分遅れまで回復しての到着だった。

でも、そんなこともうどうでもいいと言わんばかりに、下車した人の多くは出迎え人との再会を喜んでいるようだった。

乗客のほとんどは地元客か帰省客のようで、ほぼ全員が駅前の駐車場に向かう。
あとはサッラ方面へ行く振替えタクシーに乗る人もいた。

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 下車客の多くは出迎えの車へ直接向かう。

降りた人のほぼ全員が向かった駐車場の車が走り去ると、ホームは瞬く間に誰もいなくなった。

ホームに停車中の編成を見ると、ヘルシンキを発ったときの11両編成のままとなっている。
後ろに車を積んだ貨車が4両増結されていたはずだが、それはロバニエミで切り離したらしく付いていなかった。

いま着いた列車は、今度は19時15分発ヘルシンキ行きIC274列車として折り返すことになる。
発車時刻になったら見送りに来たいけど、ホテルのある中心部から駅まで2kmほど離れているので難しいかな。

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  ケミヤルビ駅の駅舎。

ヘルシンキから983km、北極圏の北緯66度43分にある終着駅、ケミヤルビに到着した。

終着駅とは言え、ホームが1面と小さな駅舎があるだけの寂しい場所だ。
駅舎の中へは入れるのかなとドアを押したら開いたので入ってみる。

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 駅舎内は狭い待合室があるだけ。

中は売店もコインロッカーもなく、待合室とトイレがあるだけ。
置いてあるベンチも固くて、長い時間過ごせる場所ではないようだ。
営業的には無人駅で、出札窓口は残っているけれど2016年に無人化されて今は閉鎖されている。

その閉鎖された窓口に張り紙があって、何だろうと見てみると、
“ナイトトレインの274列車は発車15分前にドアが開きます”
ということが書かれてあった。

列車の券売機やインフォメーションボードは駅舎の外にある。
ここはただ列車の待合いのための施設のようだ。

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 待合室に掲示の昔のケミヤルビ駅。1987年。

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 戦前の木造駅舎時代のケミヤルビ駅

せめてもの救いは、待合室に昔のケミヤルビ駅の写真を展示してあったこと。
かつては駅員もいて、町の玄関口として賑わった時代に思いを馳せることができる。
とは言っても、ものの5分で見終わってしまうほどのものだが。

さてこれからどうしたものか。
ここにずっといるわけにもいかないし、そろそろ出かけることにする。
バックパックを背負って、駅舎を出て町の方へ歩き出す。

ところが、歩き出した途端に雨粒がポツポツと当たり始めた。
路面は乾いているし、大した雨ではないだろうと思ってレインハットを取り出してかぶると、突然ザーザーと降り出した。

こりゃたまらんと辺りを見回すと、カートレイン用の積み下ろし施設があったのでそこに逃げ込む。
こんなところで雨宿りする羽目になるとは。

すぐ後ろには、ヘルシンキから牽引してきたSr2形3245号機関車が停車中。
しばらくその機関車を眺めて過ごす。

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 Sr2形3245号機関車の近景。

こりゃ、雨が弱まったら真っすぐホテルに向かうしかないな。
ワケ話して、部屋が空いていれば早めのチェックインをさせてもらうか、空いてなければ背中のバックパックだけ預かってもらってどこかで時間をつぶしているか。

面倒臭いな・・・
こんなことなら、出発前に英会話の復習をしてくるんだったと後悔した。


posted by pupupukaya at 23/07/01 | Comment(0) | 2023年夏フィンランド旅行記

2023年夏フィンランド旅行記4 IC265列車ケミヤルビ行

 ◆ ヘルシンキ駅の旅情

駅横にあるスーパーで夕食とビールの買い物をする。
車内での夕食とビールの買い出しだ。
Kスーパーマーケットはフィンランド全国チェーンで、この先も方々でお世話になることになる。

国内でも海外でも、旅行先でカゴを持って店内をウロウロするのは楽しい。
下手な観光スポットよりも、スーパーの店内の方が100倍も楽しい。
スーパーマーケットはその国の文化の宝庫だと思う。

買い物した食材をエコバッグに詰めて、その足でヘルシンキ駅のコインロッカールームへ。
新しくなったロッカーの装置を見ると身構えてしまうが、タッチパネルの『Open locker』を押してレシートに印字のQRコードをスキャンすると預け荷物が入っていたロッカーがパカッと開いた。

最初見たときは戸惑ってしまったが、操作してみれば何のことはなかった。
このコインロッカー(コインは使えないが)は最近交換されたようで、駅構内の隅には破棄されるらしい旧式のコインロッカーが並べられていた。

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 ヘルシンキ駅正面入口の吹き抜けコンコース。

発車時刻までまだ1時間近くあるが、夜汽車に乗る前の駅でのひとときがまた楽しい。

1919年完成の古い駅舎。
外はまだ昼間のように明るいが薄暗くて天井が高いコンコース。
キオスクに群がる買い物客、立ち飲みのバー。
ホーム出入口上の発車案内標。

そのどれもが、これから夜汽車で北へ向かう旅情を掻き立てる。

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 コンコースの対面式キオスク。

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 薄暗いけど歴史と旅情を感じる中央コンコース。

駅構内でしばし旅立ち前の旅情にひたる。
ただ駅なので色んな人がいるので、不用意にウロウロしていると怖い人に目を付けられかねないので注意。

夕方ラッシュの時間帯だが人の流れは少なく、むしろスーツケースを持った旅行者らしき人の方が目立つ。
これは電車の乗客は直接ホームへ行くからだろう。
それが一層旅立ちに相応しい雰囲気を出している。


 ◆ サンタクロースエクスプレスの旅立ち

便名出発地発時刻到着地着時刻
IC265ヘルシンキ19:29ケミヤルビ翌8:49

駅内をウロウロするのはこれくらいにして、いよいよヘルシンキから北極圏へ向かう寝台夜行列車の旅が始まる。
ヘルシンキを19時前後(夏と冬でダイヤが異なる)に発車してラップランドの中心都市であるロバニエミには翌朝7時半に着くという便利な時間帯に運行するために、オーロラハンティングをはじめ観光にも便利な列車だ。

『サンタクロースエクスプレス』の愛称でも知られ、日本からの観光客の利用も多い。
これから乗るIC265列車はケミヤルビまで直通する唯一の列車だが、観光客のほとんどはロバニエミまでの乗車だろう。
私も、前回(2019年)にオーロラを見に旅行した時も、やはりロバニエミで降りている。

本当は全区間乗り通したかったのだが、ラップランド地方への交通拠点はロバニエミなので、バスでさらに北に向かう旅程となるとロバニエミで下車せざるを得ない。

今回は正真正銘ケミヤルビが目的地。IC265列車こと『サンタクロースエクスプレス』の全区間乗車の旅となる。

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 ヘルシンキ〜ケミヤルビ間、IC265列車のルート。

毎日ヘルシンキ駅から発車する夜行列車は2本あり、これから乗るケミヤルビ行と、もう1本はロバニエミ行。
こちらは発車が23時台と遅いが、途中のタンペレでトゥルク始発のロバニエミ行を併結する。

このトゥルク〜ロバニエミ間の夜行列車は公式の時刻表には掲載が無く、VRの公式HPから検索すると直通列車として表示されるといった知る人ぞ知る列車となっている。
明後日、ロバニエミからの戻り列車はその上り列車に乗る予定だ。

あとは不定期だが、ヘルシンキからコラリまでの夜行列車が1往復ある。
こちらは今日は運転されていない模様。

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 ホームへの出入口上にある発車案内。

発車案内標には8番線ケミヤルビ(Kemijärvi)行の表示があるが、同じ8番線はユバスキュラ行の特急(IC)が停車中。
19時03分にユバスキュラ行が発車するとホームの発車標はケミヤルビ行 IC265列車の表示となった。

やがてホームの向こうから客車列車が姿を現した。
無骨な連結面を先頭に、バックとなる推進運転で入線する。

フィンランドの列車は機関車がけん引する客車列車が多いが、昼行列車は客車最後部にも運転台を設けて機関車を遠隔操縦することで終点での機回しを不要としている。
だからこうした姿の列車は逆に珍しい。

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 8番線に推進運転で入線する。

入線時に先頭となる客車の貫通扉の窓には。黄色いベストを羽織った乗務員の姿が見えた。
おそらく無線で連絡を取って誘導しているのだろう。

かつては上野駅に発着するブルートレインに見られた光景だが、ブルートレインの廃止で日本では見ることがなくなった。

案内放送もなく、ただホームに据え付けられただけなので乗っていいのか迷うが、ドアが開かないのは半自動ドアのため。
ドア横にボタンがあり、このボタンが青く光っていれば乗っても良いということになる。

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 長いホームを、それぞれの車両目指して歩く。

編成は機関車を先頭に前が20号車、後ろが30号車の客車11両。

うち1両がレストランカー、2両が座席車、寝台車が8両。
レストランカーだけが平屋で、あとはすべて2階建て。

寝台車は1階部屋と2階部屋があり、基本は定員2名の個室で、2階部屋がシャワー・トイレ付き、1階部屋がシャワー・トイレ共同となる。

かつては個室寝台とはいえ男女別相部屋が基本だったが、現在は部屋売りが基本となっているので、他人と相部屋となることはないと思われる。

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 夏場はどこか冴えないサンタクロースのロゴ。

この北に向かう夜行列車に付けられた愛称の『サンタクロースエクスプレス』。
これはロバニエミにあるサンタクロース村にちなんだものなのか、車体に描かれたサンタクロースのイラストからなのか。

冬ならば北極からトナカイのソリでやって来るサンタさんのイメージにピッタリだが、夏場のサンタクロースはいまいちしっくりと来ない。

駅ではそうした表記も案内もなく、あくまで『IC265』列車という無機質な表示だけとなっている。

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 先頭はSr2形電気機関車。小さいながらも定格出力6,100KW、最高速度210km/h。

ホームから編成を見て回ったら、車内に入る。
通路はデッキから数段下った1階と階段を登った2階に分かれる。


 ◆ シャワー・トイレ付き個室寝台車

2階の指定された部屋へ。
二段ベッドのそれぞれに寝具とタオルが備え付けられている。シャワー付きなのでバスタオルもある。

タオルの上にはミネラルウォーターのペットボトルも置いてあった。
これは水分補給というのもあるが、歯磨き用としての用途もある。

なぜならVRのHPに、
“車内の水道水は飲めません。また、水で歯を磨くのもおすすめしません”
との注意書きがあるため。

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 2階シャワー付き個室寝台。

部屋に入ってドアを閉めれば、明日の朝8時50分までは自分専用の城だ。
いやあ嬉しいねえ。

フリーWiFiもコンセントもあり、モバイル環境も申し分なし。
ちょっと狭いのを我慢すれば、まさに走るホテルだ。

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 左上:上段寝台、右上:寝台のオーディオパネルと読書灯
 左下:個室壁のコンセントと空調ツマミ、右下:備え付けのタオルとミネラルウォーター

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 窓側から入口方向。

この個室寝台のお値段は、私がチケットを買った時点ではヘルシンキ〜ケミヤルビ間2階寝台で108.2ユーロだった。
クレジットカードの請求額は16,200円。

ちなみにこの間の距離は983kmあって、日本で唯一走っている定期夜行列車である『サンライズ出雲』の東京〜出雲市間とほぼ同じ。
もし『サンライズ出雲』でサービスが同一水準の『シングルデラックス』を利用するとなると、運賃と寝台特急料金込みで29,490円となるので、日本のJRと比べたらいかに安いかがお分かりいただけると思う。

万事物価高のフィンランドだが、鉄道運賃だけはなぜか破格に安い。
ただこれは1か月以上前に購入すればの話で、直前になると同クラスなら300ユーロ以上になることもあるようだ。

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 2階個室のトイレとシャールーム。これは通常状態。

1階部屋もちょっと覗いてみたが、似たような造りだが、あちらはバストイレ共同で、洗面器だけが備えついている。

なお、各部屋や座席のお値段はいくらかというと下に記します。
いずれもシングルユースで、私が購入した4月某日時点の値段です。

ヘルシンキ〜ケミヤルビ間運賃
2階寝台
108.2ユーロ
1階寝台90.0ユーロ
座席51.2ユーロ

座席車と寝台車の差額が寝台料金ということになるけど、その差額は座席と2階寝台でわずか57ユーロ。
2人ユースだとさらに安くなる。
やっぱりフィンランドの鉄道は安い。

本当はヘルシンキで1泊したかったんだけど、ホテル代が馬鹿みたく高いからね。
1泊6日の旅程はつらいけど、往復夜行列車利用としたのはこうした事情もある。

鉄道ファンでなくとも、ホテルの宿泊費が高いフィンランドでは、夜行列車をホテル代わりにして節約するのも十分にアリだろう。

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 個室に備え付けのレストランカーメニュー。

部屋にはレストランカーのメニューが備え付けてあって、読むと注文を車掌に頼めば部屋まで届けてくれるようだ。
以前にはなかったサービスで、これもコロナ対策の一環から始まったのだろうか。
レストランカーは、あとでビールでも飲みに行ってみることにする。


 ◆ ヘルシンキ駅を発車

19時29分、列車は定時刻に発車。
音も振動もなく動き始める。荷物を片付けていたり、話をしたりしていれば気づかないほど静かな発車だ。

隣は子供連れらしく、幼な子たちの騒ぐ声が聞こえていたが、列車が走り始めるとかき消されて気にならなくなった。

ヘルシンキ発車時点でも、車内はまだ空室が目立つ。
これはパシラ、ティックリラといったヘルシンキ近郊の主要駅から乗車してくると思われる。

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 2階個室からの目線。パシラ駅にて。

次のパシラ駅は前項でも述べたが、ヘルシンキの副都心ともいうべき発展著しい駅。
ここから乗って来る人も多く、通路はしばし足音が響く。

パシラを発車してしばらくすると貨物駅のようなところで停車してしまう。
知らないで乗っていると、さてはトラブルか・・
なんて思ってしまうが、時刻表を見ると、パシラ〜ティックリラ間は他の列車は遅くても10分程度の所要時間なのに対し、この列車は50分以上も要している。
ここに何か秘密が隠されていそう。

と言っても別に秘密でも何でもなく、パシラ駅北側にパシラ・カーキャリアステーション(Pasilan autojuna-asema)という駅があって、そこで自動車を積み込んだ貨物車を連結するため。
この列車は夜行寝台列車だが、もう1つカートレインとしての役割もあるのだ。

カートレインとは、列車に車を積んで同乗者は客車の方に乗車して一緒に目的地に向かうというもの。

カートレインの乗客は、カーキャリアステーションで車を積み込み、徒歩でパシラ駅へ向かいそこから列車に乗車することになっている。

日本のJRでも臨時列車という扱いで、一時期運行していたことがあった。
それなりに人気はあったようだが、本家の夜行列車が相次いで廃止されたこと、国鉄車両の改造流用だったので、車両の老朽化ということから続かなかった。

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 折りたたみ椅子に腰かけるか、寝台に腰かけるか。

気づくと空調もコンセントの電源も止まっていた。
客車のサービス用電源は機関車から供給されているのか、機関車が離れると止まってしまうようだ。

まあいいや、そろそろ窓側のテーブルに買ってきた食材とビールを並べて一杯始めることに。
ビールはカルフ(KARHU)とコフ(KOFF)。
どちらもフィンランドではよく見かけるメジャーな銘柄。

つまみは寿しとパン2個とブルーチーズ、それにサラミ。
ビールは全部飲むわけではないが、4本買ってきた。

しめて33.27ユーロは5,103円。
あまり金額のことばかり考えたくないが、円安ユーロ高が重くのしかかる。

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 ヘルシンキ駅前のスーパーで買ってきた食料とビール。

まあとにかく念願の個室寝台車に乗れたお祝いと、白夜の北極圏へ向かう前祝としてカンパイ。
個室寝台車での一杯は楽しいひととき。

パック入りの寿しは『Osaka Sushi』11.8ユーロ。
フィンランドの寿しはどんなものだろうかと買ってみたもの。

ネタはサーモンと炙りサーモン、エビそれに巻き寿し。
サービスのガリとわさびは自分で取る。

パックを開けてから、醤油がないことに気づいた。

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 ヘルシンキの大阪寿しとカルフビール。

今更どうしようもないね。

まあ、醤油無しの寿しもアリなんじゃないか。
シャリの酢飯とネタ、それにワサビだけの素材そのものを生かして味わうのも悪くない。

海外にいると特に感じるけど、醤油の匂いって結構強烈なもので、あれはありとあらゆるものを醤油一色の風味に染めてしまう。
寿しに醤油をつけるのは、実は邪道なのかも知れない。

・・・てのはほとんど負け惜しみですが。

寿しで一杯やっていると、コンコンとノックの音。
開けると車掌の検札で、印刷してきたチケットを出すと、車掌は持っている端末でQRコードの部分だけスキャンして終わり。
あっけらかんとするほど一瞬だった。

わざわざみどりの窓口か指定席券売機のある駅まで出向いて、紙の磁気券を発券してからでしか乗れないどこかの国の鉄道は、ぜひフィンランドの鉄道を見習っていただきたい。

その後ガクンと軽い衝撃があって、しばらくすると空調が復活した。
機関車が連結されたようだ。

20時15分再び発車する。
36分間の停車を経て、次のティックリラに停車する。
ヘルシンキを発車してここまでの所要時間は約1時間。

同じ区間を各駅停車のコミュータートレインだと僅か20分。
ヘルシンキ駅でIC265列車に乗り遅れても、あとからコミュータートレインで追いかければティックリラで追いつくことになる。

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 小さな駅(ヨケラ:Jokela)駅を通過。

ヴァンター空港への乗換駅であるティックリラでまた新たな乗客を乗せ、ここからは列車らしい走りっぷりになった。
21時頃、ビール2本も飲んだので、次はレストランカーへ行ってみる。

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 パンチ穴方式のキー。

出かけるときはキーを忘れずに。
部屋のドアはオートロックなので、これを忘れると部屋に戻れないことになってしまう。

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 2階寝台の通路。

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 1階寝台の通路。

いくつかの寝台車を通り抜ける。
まだ空室の寝台もいくつかあった。

途中通った座席車は不人気なのか、乗客は疎らにしかいなかった。
こんなにガラガラだったら座席車で行くのもアリだったかなと思いかけて、今朝飛行機で着いてまだ1回も横になっていないのを思い出した。
いくら何でも、また1晩座席車でというのは強行軍にも程がある。

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 集団お見合い式リクライニングシートが並ぶ座席車。

レストランカーはテーブルと椅子はすべてふさがっていたが、立食席は誰も利用していなかった。
カルフビールを1杯受け取って立食席でチビチビと。
1杯7.7ユーロ。

安くはないけれど、こうして日本では過去のものとなった食堂車の雰囲気を味わえるならば安いものじゃないか。

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 レストランカーの立食席とカルフビール。

流れる車窓を眺めたり、客たちの雑談を聞きながら時は過ぎる。
フィンランド語が分かるのですか・・と言われそうだが、そんなもの分かるはずもなく。
雰囲気ですよ雰囲気。
でも喋りのトーンとか表情やしぐさから、どんな話をしているかの想像くらいはつく。

20分ほど滞在して、グラスが空になったところで退散する。


 ◆ 個室寝台の夜

部屋に戻ったらシャワーを浴びることにした。
今日はずっと寒いくらいだったから、別にいいかなとも思っていたが、あるものは使わなきゃ損だ。

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 左:洗面台パネルを手前に引く、右:シャワールームが現れる。

トイレと洗面所だが、奥の洗面台の壁を便器側に寄せるとシャワールームとなる。
壁のボタンを押すと、天井に固定されたシャワーヘッドからお湯が出る。
時間制限はないけど、ボタンを押して10秒ほど経つと自動的に止まる仕組み。

水量も水圧も弱く、お湯もぬるいので軽く体を流す程度にしておいた方が良い。
頭にシャンプーなどしたら、洗い流すのに一苦労だろう。
シャワーは、あれば便利なものくらいに考えた方が良いようだ。

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 小さい窓からの車窓。

もうちょっと窓が大きければいいのにな、などと思いながら車窓を見ながらまたビールを飲む。

北極圏はまだまだ遠いが、北緯60度の6月の日の長さは北海道の比ではない。
夜10時を過ぎても窓から西日が差し込んでくる。

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 午後10時過ぎ、太陽も地平線近くまで傾く。

22時31分、タンペレ(Tampere)着。まだ明るい。
タンペレでは34分停車。

ちょっとホームに出てみたかったが、出たところで何かあるわけでもなく。
タンペレで停車中に、ヘルシンキを21時03分に発車するペンドリーノ185列車が追いついて接続することになっている。

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 34分停車のタンペレ駅。

タンペレ市の人口は22万人で、フィンランド第二の都市だ。
日本ではムーミン美術館などムーミンゆかりの地として有名。
2021年にはトラムが開業するなど、活気のありそうな都市だ。

実はこの旅行の計画段階では、ケミヤルビからの戻りはタンペレで途中下車して、タンペレに宿泊することも考えたがそれは断念することとなった。
理由はホテル代の高さ。

なので今回も、タンペレの街は車窓から眺めるだけとなる。

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 水路が美しいタンペレの街。

長い停車時間の後にタンペレを発車するころ、日没時間を過ぎ、外はようやく薄暗くなり始めた。

タンペレ発車後、しばらくするとタンメルコスキ川を渡る。
街の北側と南側の、高低差のある2つの湖をつなぐ水路で、この流れを利用した水力発電でタンペレは内陸の工業都市として発展した。

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 ベッドメイキングをしておやすみなさい。

外はだんだん夕暮れとなる。

眠気はないが、もうそろそろ寝ることにした。
でも、ベッドメイキングをして横になったらすぐに眠りに落ちたようだ。

6月6日の費用(現地払分のみ)
費目場所金額(ユーロ)円換算備考
ABCデイチケット空港駅11.01,684 
コインロッカーヘルシンキ駅8.91,363 
絵葉書マーケットスクエア1.0153 
パン2個Kスーパーマーケット2.58395 
日本へ切手代中央郵便局2.5382 
入場料国立博物館16.02,450 
夕食とビールKスーパーマーケット33.275,103 
カルフビールレストランカー7.71,181 
合計82.9512,711 
 ※ 全てクレジットカード払い

posted by pupupukaya at 23/06/25 | Comment(0) | 2023年夏フィンランド旅行記
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