音威子府といえば黒いそばの音威子府そば。
このそばを製造している畠山製麺が8月末をもって廃業するんだとか。
そば殻も入れてかん水も練り込んだ独特の黒いそば。
このそばを提供するのは音威子府駅の駅そばである常盤軒が有名だった。
その常盤軒も2021年に店主の逝去のため閉店となっている。
もう一度この黒い音威子府そばを食べたかったなあ。
今月(2022年8月)に音威子府駅の常盤軒が2日間だけ復活したのだが、残念ながら仕事のために行けなかった。
袋入りの音威子府そばは、札幌市内のスーパーにも置いてあり、たまに買ってきて自分で茹でて音威子府の味を堪能したものだが、畠山製麺の廃業が決まってからは手に入らなくなった。
もう音威子府の黒いそばを食べることができないのか。
せめてもう一度だけ食べたかったな・・・
・・・おお、モグタンがいたではないか。
モグタンに頼んで過去にタイムスリップして、ありし日の音威子府駅のそばを食べてこよう。
でもモグタンが承知するかなあ・・・
あのアルコール依存症のカバ・・・いや、モグタンを丸め込むには酒しかないのか。
しょうがねえ、酒を引っ提げてモグタンの家へ。
「こんにちは〜、モグタ〜ン!」
「なんだい、またボクに用かい」
「ボクは誰にも会いたくないんだよ」
「まあそう言わないで、お酒持ってきたから、ほら」
お酒を見せるとモグタンの顔がほころんで、
「あ〜よく来たね、まあ上がって一杯いこうよ ♪」
現金なものだ。

酒を飲むモグタンのイメージ(撮影禁止のため筆者作成)
しばしモグタンと酒を酌み交わす。
「いや〜、つまみなしで酒ばかり飲んでたら腹が減ったね〜」
と私。
「そうかい?ボクはちっともだけど」
〜こいつはアルコールでも養分にしてるのか・・・
「いや、でさ〜、一杯の〆にお蕎麦でも食べにいかないかな〜なんて」
「音威子府駅の駅そばなんて洒落てるんじゃない?」
「あんた本当に鉄道ネタが好きだねえ」
「そういえば昔ボクが人気者だった頃、ロンちゃんっておじさんがいて、その人も鉄道好きだったなあ」
「あんたロンちゃんのお友達?」
〜知らねえよ・・・
「どうせモグタンは留守番でしょ、ちょっと蕎麦を食べに行ってくるからさ、タイムトラベルで過去に飛ばしてくれよ」
「しょうがないなあ、じゃあいくよ」
「クルクルバビンチョ・・・(以下略)」
ここは2004年の旭川だよ〜〜〜!
おお、18年前の旭川駅か。
まだ2階建ての地平駅舎じゃないか、懐かしい〜。
音威子府のはずなのに何で旭川?
モグタンも焼きが回ったな。
ピンポイントで飛ばせなくなった。
まあいいや、ここから宗谷本線普通列車の旅を楽しむことにするか。
ふっふっふ・・・
私は2022年から来た未来人だ。
一応未来人なんだけど、わかんねえだろうなあ・・・
そういやあ、前回も2004年に飛ばされたな。
モグタンは2004年に何か思い入れでもあるのだろうか。
リーマンショックも大津波も、原発メルトダウン、北朝鮮のミサイル開発、パンデミック、テロ、戦争、まだまだ先のことだなあ。
平和だなあ・・・
この時代はまだ中国は投資家にとってパラダイスだった時代。
でもこの十数年後、大きなリスクがのしかかることになる。
私が未来人としてアドバイスすることがあるとすれば、投資はやめておけ。
それはともかく、18年前の旭川だよ。
懐かしい。
駅前広場の向こうに見えるビルはアサヒビルではないか。
旭川ステーションデパートは既に閉店となっているが、アサヒビルデパートはまだ健在だった。
ここの1階は昭和の香りプンプン漂うデパートだった。
ちょっと覗いて、平成10年代に残っていた昭和の時代に浸ってみる。
再び旭川駅に戻る。
この地平駅時代は小さいながらも待合室があって、大きな窓からホームが眺められた。
柱に掛かった電気時計も懐かしい。
こうした地平駅時代の小物は、高架駅開業となってからどうしたんだろう。
産業廃棄物として処分されてしまったのだろうか。
名寄行きの改札が始まったのでホームへ。
改札側の地下道入口はエスカレーターが設置されて近代的になったが、反対側は昔のままの階段が残っていた。
いいねえ、欄干のタイル張りに古き良き時代を彷彿する。
地下道を通ってホームへ。
この地下道もいかにも昭和の香り。
♪ どこかに故郷の香りを乗せて
入る列車の懐かしさ〜
(あゝ上野駅の出だし)
そんな唄も出そうな地下道。
宗谷本線の列車はキハ40ばかりだった。
サボ受けには『マイタウン列車 かえで』の表示が。
この頃には市販の時刻表上で表示されることは無くなっていたが、サボには表示されていたんだね。
『JNR』マーク付き扇風機が天井からぶら下がるキハ40車内。
各駅停車で名寄に到着します。
名寄駅の木造駅舎は現代の2022年でも変わらず健在。
でも今と違うのは、駅舎にJRの旅行商品の広告がベタベタ表示されていること。
駅舎ってのは格好の広告媒体でもあったわけだ。
乗継時間でしばし待合室で休憩。
この頃の名寄駅は待合室の奥にキヨスクがあった。
待合室とホーム側の壁にはかくのだて商会の駅そば屋があって、駅弁もここに置いていた。
それがすべてなくなり、すっかり殺風景になった2022年と違って、この頃はまだ温もりがあった。
90年代の急行時代は、名寄で3〜5分の停車時間があり、停車中に乗客がこの売店に群がったものだが、2004年の今じゃ特急になっていて停車時間も僅か。
この売店の存在も薄くなっていたようだ。
名寄からは宗谷北線のキハ54となります。
名寄駅2・3番ホームは木製の上屋がまだ健在。
老朽化が理由なのか、のちに取り壊されることとなる。
0系新幹線お古の転換クロスシートが並ぶ車内。
この頃はまだクロスシートがメインだった。
この3年後に留萌本線秩父別駅にて、朝ラッシュ時に通学生積み残し事件が起こる。
あれ以来ロングシートが拡大され、今のロングシート主体の車内となった。
音威子府駅に到着。
駅舎手前のバスは宗谷バス天北線の小石行き。
2022年の現代ではこの車両も過去のものとなったが、2004年当時は列車に接続して天北線のバスが駅前で待っていた。
さて、音威子府の蕎麦だ。
駅舎に入って右手奥に常盤軒のそば屋があった。
この店は元々はホームにあったのだが、新しい駅舎に建て替えられたときに今の場所に引っ越してきた。
先客のカップルが2人。
上にある『おしながき』は、
メニュー | 値段 |
かけそば | 320円 |
月見そば | 370円 |
天ぷらそば | 420円 |
天ぷら玉子そば | 470円 |
もちこみドンブリ | 50円 |
もちこみドンブリとは、車内持ち込みのための発泡スチロール製のドンブリ。
駅そばならではのアイテムだった。
天ぷらそば(420円)
天ぷらはスーパーでも売っている市販のものだったのは残念。
もう1杯行きますよ。
今度は正統派かけそば(320円)。
そば殻とかん水を練り込んだ黒い麺、煮干しと昆布だしの意外とあっさりしたツユ。
癖のあるそばなので、意外とあっさりしたツユが合うのだった。
色褪せたのれんとお土産用の箱詰めのそば。
そば店を横から撮影してみた。
駅前の下見板張りの西野商店は音威子府駅前のランドマークだった。
183系の特急『サロベツ』が音威子府駅で交換。
再び名寄駅まで戻ってきました。
タイムトラベルしていると時空間が歪んでおかしくなるのか、さっき音威子府でそば2杯食べたばかりなのだが、もう腹が減ってきた。
名寄駅かくのだて商会の売店がまだ開いていて、カウンターを覗くと駅弁が2個だけ残っていた。
ラッキー!と駅弁をゲット。
駅弁は『ニシン・カズノコ弁当』。
もう暗くなったので、キヨスクでビールも買った。
旭川行き普通列車に乗り込んだら、ここからは呑み鉄といこう。
ビールをプシュッと開ける。
ビールぐびぐび・・・
さ〜て、まずはニシンの甘露煮からいこうか・・・
あ〜ん・・・
「うわなにをする・・やめ・・・」
気が付くと現代のモグタンの部屋だった。
「いつまでボクを残して1人で遊んでるんだい」
「いまニシン・カズノコ弁当を食べようとしてたのに、むりやり戻すことないじゃあないか」
「音威子府の蕎麦を食べるためにタイムトラベルさせたんだよ」
「いつまでも向こうで遊んでたら超過料金はらわなきゃならないんだよ」
「え?タイムトラベルってお金かかるの?」
「あったり前だろ!」
「タダなわけないだろ!」
「支払いできるカードはボクしか持ってないので、かわりに払ってたんだよ!」

激怒するモグタンのイメージ(撮影禁止のため筆者作成)
〜知らなかった・・・
「ボクが有名だったころは、テレビ局の経費で落ちていたんだけどね・・・」
「ああ・・・落ちぶれたもんだよなあ・・・」
「おねえさん元気かなあ・・・」
窓から差し込む夕日を背に黄昏るモグタンを見て、元気出せよと肩を叩こうかと思ったが、モグタンには肩がなかった・・・
〜画像はすべて過去に筆者撮影です。