2020年沖縄・八重山旅行記5

 ◆ 11月9日(月)

2泊3日の沖縄・八重山の旅は今日が最後の日。
初日と2日目である昨日は天気に恵まれたが、天気予報を見ていると今日こそ雨のようである。

帰りの飛行機は石垣空港14時30分発の便なので、離島ターミナル13時20分発の直行バスに乗ればよい。
今日は午前中は丸々観光に使えることになる。
そういうわけで、今日は竹富島に行くことにしていた。

竹富島なら雨でもいいかなと考えていた。
フェリーは1時間ごとに出ているし、まさか欠航ということもないだろう。雨がひどけりゃさっさと石垣に戻ってくることもできる。

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 今日の朝食、じゃりじゃりサンドとゲンキクール。

8時少し前に部屋を出て、初日に着いた時と同じように母屋の玄関の呼び鈴を押す。
するとやはり初日と同じおかみさんが出てきた。長袖の上っ張りを羽織っている。

部屋のカギを返せばチェックアウト。
おかみさんが私の半袖Tシャツ姿を見て、

半袖で寒くないの?

ええっ?今朝の気温は25度と昨日よりすこし低いが、こちらの人は25度が寒いらしい。
逆に北海道じゃ朝から25度は盛夏だよ。

これからどこに行くのか聞かれて、竹富島に行って午後の飛行機で帰るというと、「ああ、竹富島はいい所だね〜」。

「どうもお世話になりました」「いいえこちらこそ何もできませんで」
と挨拶を交わして港へ向かう。


 ◆ 竹富島半日旅行

今日は月曜日だが、離島ターミナルのコンコースは昨日より人が多いようだった。
年配の人が多いのは休日を避けて出てきたからなのか。
添乗員が旗を持って前を歩く団体旅行の人たちも見かけた。

石垣から竹富島へのフェリーは安永観光と八重山観光フェリーの2社が運行している。
どちらも1時間ごとに出航し、出航時刻もどちらも同じ。

前は30分ずらして30分間隔で、共通乗船券でどちらのフェリーも利用できたのだが、何があったのかは知らないが今年の9月から共通乗船券制度が無くなって両者とも同時刻に競うように出航するようになってしまった。

安永観光と八重山観光のカウンターは、コンコースの正面入口を挟んで隣り合っている。
安永観光は昨日の波照間行きで利用したので八重山観光の方にしようと思ったら、八重山観光のカウンターは7〜8人の行列、対して安永観光のカウンターで待つ人は1人だけだった。
安永観光の方で往復チケットを買う。

往復券で1,160円。片道ならば610円。運賃は両社とも同額になる。
支払いは1枚残っていた地域共通クーポンを併用した。

コインロッカーがあったので背負っているバックパックはここに預けることにした。

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 石垣〜竹富の往復乗船券。

竹富島行きが出る浮桟橋には『うみかじ2』と書かれた双胴船が停泊している。
昨日の波照間島行きで乗ったのと同じような船だ。

桟橋の入口で検温、乗船口の前の係員に乗船券を渡して船内へ入る。
船内中央はソファーが向かい合わせに並んだロビーのような座席配置になっている。
普通の前向きになった座席の窓側が空いていたのでそこに座った。

それからも次から次へと乗客が乗ってきて、ソファー席も埋まって満席に近くなった。

もうすぐ出航というころ、窓ガラスの水滴が増え始める。
やれやれ雨が降り出した。まあいいや。雨具は用意しているし、雨の伝統的集落も悪くないんじゃないかな。

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 石垣港〜竹富港を往復する『うみかじ2』。

石垣から竹富島までの所要時間は10〜15分となっている。
私のように午後の飛行機で帰るの者でも気軽に島に行けるので人気があるのだろう。

港外に出ると各方面に行くフェリーが並走するようになった。
並走と言っても、今度はこちらの方が次々と追い抜かれる。

15分ほどで竹富港へ到着。
港の少し離れた所にはマイクロバスが数台停まっていて、観光客を待ち受けているのが見えた。

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 竹富島に到着。

下船して岸壁に出ると雨は上がっていた。曇り空だが、石垣よりも空は明るい。
でもいつ降り出してもおかしくはない。降り出す前に行けるところは行っておこうとフェリーターミナルを後に集落に向かって歩き出す。
まずは集落へ向かい、そこから西桟橋を目指すことにした。

フェリーターミナルから島の中ほどにある集落への道は、歩道のある舗装道路が続く。
歩いていると今のフェリーで着いた観光客を乗せたマイクロバスが次々と走り去って行った。

10分ほど歩くと、道路の真ん中に木が生えていて、その周りを石垣で囲んだものが現れた。
看板をみるとこれは『スンマシャ―』と言って、病魔や凶事が集落に侵入するのを遮るために設けられたとあった。

舗装道路はここで終わり。
ここからはサンゴの砂が敷き詰められた道となる。

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 木を石垣で囲んだスンマシャ―は集落の入口を示す。

スンマシャ―からは白砂の道、グックと呼ばれる珊瑚石灰岩を積んだ石垣、赤瓦屋根の家々といった伝統的な沖縄の伝統的な集落となる。
集落の道は、まだ早い時間のせいなのか人影はなかった。
こんな所に来て観光客がうじゃうじゃいたらがっかりする。
掃き清められた白砂は人の足跡もほとんどないのが心地よかった。

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 サンゴの白砂が敷き詰められた道。

まず見に行ったのが安里屋クヤマ生誕の地。

沖縄民謡の、
  “ サァ 君は野中の茨の花か
    サァユイユイ ” 
で知られる『安里屋ユンタ』は竹富島が生んだ歌。
しかしこれは後世に作詞された歌で、新安里屋ユンタとも呼ばれる。

入口の石碑にある、
 『安里屋ぬクヤマによう
 『目差主ぬゆたらよう
というのが竹富で唄われた本来の歌詞。

琉球王朝の人頭税時代、安里屋クヤマという美女がこの家に住んでいた。
クヤマに惚れた首里から派遣されてきた目差主(役人)を、美女クヤマが肘鉄を食わすように振るという話が唄となって語り継がれたのが本来の安里屋ユンタなのだとか。

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 安里屋クヤマ生誕の地。民謡『安里屋ユンタ』はここから生まれた。

『美女安里屋(美女クヤマ)生誕の地』と書かれた看板はあるが、ここは単なる民家。塀の中には店らしき看板もあったが開いてなかった。
そのまま白砂の道を西の方へ歩く。

墓地の中を通り過ぎると海の中に突き出た突堤が現れた。
西桟橋といい、昔はここから西表島へ通う船があったそうだが今は使われていない。

よく写真ではブルーの海と青空に飛び出すような美しい風景として紹介されているが、今日の西桟橋は曇り空で干潮。
海水が引いてしまって底の苔や泥が露出した西桟橋を撮ると、ドブ川の河口のような画像になってしまった。

しかし目を凝らして海面を覗くと、海水は綺麗で真水のように透明だった。

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 今は使われていない西桟橋。先には小浜島、さらに先に西表島がうっすらと見える。

西桟橋の次はコンドイ浜へ向かう。
ここも晴れていればマリンブルーの海と白砂の美しいビーチなのだろうが、引き潮と曇天の組み合わせは暗い風景だった。
ここから浜沿いにコンドイ岬を回ってカイジ浜まで歩く。

皆治(カイジ)浜は別名星砂浜と言って星砂が採れるらしい。
『星砂浜』と書かれた看板が砂に突き刺してある。

ここは星砂拾いなのか何人かの人がいた。

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 星砂が採れる皆治(カイジ)浜。

試しに足元の砂を拾って手のひらの上に乗せて探したがそれらしき粒は見つからない。
何度かやっているうちにもしかしてこれかもというのがあった。
大きさ1mmにも満たない小さな星形をした砂粒。

土産物屋で、星砂を小さなビンに詰めて売っているが、あれはこうして拾い集めていたものなのか。

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 色々な形をしたサンゴの砂に星形の砂粒を見つける。(赤丸は筆者)

根詰めてやれば小さなビンの底に溜まるほどにはなるんだろうけど、今日はそんな暇はないので次へ行きます。

皆治浜からまた集落へ戻ってきてぶらぶらと歩く。
集落の道は変形碁盤の目のようになっていて、どこも似たような集落風景なのだから地図を見て歩かないと道に迷いそうになる。
何度も見覚えのある場所に出くわしたり、まあそれはそれで楽しいんだけど。

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 屋根上のシーサーいろいろ。

歩いているとどこからか三味線の伴奏に乗せて民謡の唄が聞こえてくる。
角で唄の主が現れた。
水牛が牽く観光水牛車だ。ガイドが三味線を弾きながら乗客に唄って聞かせる。その前を水牛がのっしのっしと歩くのだった。

石垣越しに咲いていたハイビスカスの花に身を寄せて水牛車を撮影してみたら南国らしい1枚が撮れた。

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 竹富島名物の水牛車がやって来た。

見ていると水牛車には手綱を持つ人もいないのに、道順を覚えているかのように交差点を曲がって行く。
大きな車を牽いての見事なコーナリングだった。

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 器用に交差点を曲がる水牛車。

竹富島の名物でもある水牛は1933年(昭和8年)に台湾からの移住民が持ち込んだのが始まりとされている。
八重山の気候風土にも馴染み、働き者の水牛は農耕や運搬に重宝された。
後に機械化によってその役目を失うが、今はこうして観光水牛車として活躍するのだった。

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 なごみの塔(現在は閉鎖中)が建つ赤山丘。

なごみの塔に登ると島全体を一望できるということで行ってみたが、階段の登り口は施錠されていた。

この高台は赤山丘と呼ばれ、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人が漂着して要害とした所とされている。
塔に登れなくても丘の上からの眺めは良い。
手前の家の屋根は補修中なのかブルーシートに覆われていたのは残念だが、それでも伝統的な民家が並ぶ集落風景は絵になる。

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 赤山丘から東集落を見下ろす。(ミニチュア風に加工してみた)

9時前に竹富島に着いてから2時間近く、ずっと歩き回っていた。
集落にはどういうわけか中に入って見学したり、買い物したりするところが無い。食事するところもあるが、まだ昼には早いせいかどこも準備中のようだった。

さすがにもう行くところもなくなり、フェリーターミナルに戻ることにした。何か店くらいあるだろう。

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 竹富港のフェリーターミナル。(竹富東港旅客待合所)

11時過ぎにフェリーターミナルに戻ってきた。コンコースも待合室もまだ誰もいない。次の石垣行きは11時50分発。
昨日の波照間島のようにターミナル内に土産物屋とか軽食店くらいあるのかと思っていたが、店といえば乗船券売場がちょっとした土産物を並べているだけだった。

ここのベンチでじっとしていてもしょうがないので港をぶらぶらして過ごす。

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 待合室には乗船券売場兼売店があるだけ。

11時半近くになると集落の方から観光客を乗せたマイクロバスが次々とやってきた。
コンコースはしばし賑やかになる。
見るものと言えばコンコース片隅にある土産物が並ぶコーナーくらいなので、観光客の人も所在なげな感じ。

待合室に居ると、しきりに「入島券をお買い求めください」との放送が流れる。
入島券と引き換えにプレゼントをくれるという。だからというわけではないが、券売機で入島券を買った。1人1枚300円。

乗船券売場の人に入島券を差し出すと、この箱の中から1つ好きなのをお持ちくださいと言われた。
箱の中は手作りらしい草を編んで作ったアクセサリー。

見ていると入島券を買う人はほとんどいないようだった。

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 入島券と引き換えにプレゼントを1個もらえる。

11時45分、石垣からのフェリーが港に入ってきた。
3隻続けて入って来る。最初が安永観光の『うみかじ2』。続けて八重山観光フェリーの『サザンコーラル』と『サザンキング』。

乗り場の浮桟橋には安永と八重山に分かれて、それぞれ大勢の行列ができていた。

安永は大型船1隻、八重山は小型船2隻で運航している。
列に並ばなかったので乗船は最後の方になったが、通路側の席に座ることができた。

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 竹富港の桟橋に接岸する『うみかじ2』。

再び15分ほどで石垣港に到着。

桟橋にあった時刻表を見たら、波照間航路は朝の便は出航したようだが、昼と夕方の便は欠航のプレートが貼ってあった。

朝に波照間島へ渡った人は今日は戻ってこれないことになる。昨日もそうなっていた可能性があったわけで、八重山で離島に渡る際は日程に余裕を持った方がよさそうだ。


 ◆ ルートビアのA&W

空港に行く前に昼ご飯を食べて行こうかと思っていた。
札幌まで飛行機の乗り継ぎは2回あるのだが、行きと違って乗り継ぎ時間がほとんどないので、食べたり飲んだりする時間はないだろう。

町の方へ歩くと八重山そばの店を見つけた。昨日食べたしなあ。それに中は混んでそうだ。

交差点の向かいにA&Wを見つけた。A&Wは日本では沖縄だけに展開しているハンバーガーショップ。
14年前に沖縄に来た時に行ったことがある。

昼時だから混んでるかなと思って店の中を覗いたら意外なことに空席だらけだった。
ここに決める。

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 地元の人は『エンダー』と呼ぶA&W。

並ぶ人も少なく、すぐに自分の番がくる。
あんまりこういう店は慣れていないので、カウンターのメニューではなかなか決められない。

なんだかよくわからないので、モッツァバーガーとスーパーフライというのにした。
ドリンクはもちろんルートビア。A&Wに来てこれを飲まないで帰るわけにはいかない。

店員が今はルートビアフロートデーなので無料でフロートにできますがどうしますか?と聞かれ、思わずそうしてくださいと言ってしまった。

番号札を渡されてテーブルで待っていると運ばれてきた。

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 A&Wのモッツァバーガーとスーパーフライとルートビアフロート。

まずルートビア。
おお〜、きつ〜い湿布薬の匂い。これだ、思い出した。
置いておくと上のソフトクリームが溶け出すので先に食べてしまわなければならない。フロートは余計だったな。

ハンバーガーも野菜がたっぷりなのはいいが、食べなれないので野菜がポロポロとこぼれる。
でも、たまにはこういうのもいいなと思った。

食べているとだんだん店も混んできた。カウンターも長い列となる。
さっき竹富からのフェリーで見かけた添乗員の姿もあった。

だんだん落ち着かなくなってきたので、食べ終わったら店を出た。
そのあとユーグレナモールに行って土産物屋を覗いたりしてからフェリーターミナルに戻る。


 ◆ 離島ターミナルから石垣空港へ

13時20分発の空港直行バスに乗るつもりでいたが、東運輸の路線バスの方に13時03分発の便があったのでそれで空港へ行くことにした。

コインロッカーから荷物を出してバス停で待っていると小雨が降り出した。
もう雨だろうと嵐だろうと飛行機が飛んでくれりゃ文句はない。

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 4系統の石垣空港行き路線バス。

路線バスの方は4系統が空港行きになる。
来たのは1ステップ2ドア車。乗り降りは前ドアだけで中ドアは締め切りだった。

空港までの所要時間は32分〜39分とバス停にある。
途中のバス停からもスーツケースを持った人が乗ってきたり、数少ないが地元の人の乗り降りもある。

あとはオジイやオバアがトロトロ運転する車の後ろに付いたり、時間通りに着くのかいなと思う走りっぷりだが、郊外に出ると乗り降りする人も無くノンストップとなった。

バスは離島ターミナルから35分ほどで石垣空港国内線ターミナルに着いた。

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 石垣空港に到着。


 ◆ 石垣空港 14:30【JTA614】15:30 那覇空港

JALのカウンターでバックパックを預けてから土産物屋をぶらぶら。
お菓子をいくつか買った。

奥のほうはフードコートになっていてテーブルもたくさん並んでいる。
ここで昼ごはんにすればよかったかな。

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 2階から1階の吹き抜けコンコースを見下ろす。

空港にいると意外と時間がたつのが早い。
保安検査場も混んでいたのでもう中に入ることにする。
これで石垣島はもうおしまい。

帰路は札幌まで2回の乗り継ぎ。最初は那覇へ向かう。
機内は満席のようだった。隣にも相席の人が来る。
コロナで乗客減のため欠航となっている便が多いのだが、そのために1便当たりが混雑するということになっている。

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 これが石垣島最後の風景。

空港に着いてからここまで慌ただしかったので、せめて飛行機の窓から石垣島を眺めてお別れとしたかった。
しかし飛行機が離陸するとすぐに石垣空港から海上に出てしまい、それから雲の中に突っ込んでしまった。
なんだかあっけない去り方になってしまった。

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 那覇の街並みが大都会に見えた。

再び雲の下へ降りてきたら那覇空港の手前。
陸に広がる都会を見たらまだ帰ってはいないけど、なぜか帰ってきたという気持ちになった。


 ◆ 那覇空港 16:10【JTA44】18:10 中部空港

那覇空港の乗り継ぎは余裕があったので売店の土産物などを見て過ごす。
次の中部空港行きも満席。キャンセル待ちコーナーも受付終了となっていた。

こんどの座席は非常口の1つ前にあるリクライニング不可シート
事前に選ぶときに窓側の席はここしか空いてなかった。
非常口座席というのは前後の幅が広く当たり席とされているが、この非リクライニング席は外れ席とされている。

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 非常席ひとつ前の非リクライニング席。

ここしか空いてないんじゃ仕方ないけど、そんなに悪い席なのだろうか。

実際乗ってみると席自体は普通だし、窓は2つ独占。
窓は若干翼の上にかかっているけど前の方からは下が見える。
実際、国内線の昼の便でをシートを倒すことなんてしないしね。

そんなわけで非リクライニング席は十分アリだと思いました。
もっとも好んで選択する気にはならないけど。

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 モニターには『JTA機内マナー道を極める』のアニメーションが流れる。

こんどのフライトもずっと雲の上だった。
行きの機内でも見たけど、天井からぶら下がるモニターではずっとJTAのマナービデオが流れている。
何だか気に入ってしまい、ずっとそればっかり見ていた。

だんだんと窓の外が赤く染まってくる。
飛行機の後ろの方は真っ赤な夕焼け、それに夕日が沈むところだった。
窓にもたれて沈みゆく夕日をずっと眺めていた。

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 17時25分、雲海の地平線に夕日が沈む。 

中部空港に着くころには完全に暗くなっていた。
この飛行機の乗客のほとんどは名古屋から沖縄旅行へといった人たちが占めているようだった。
GoToトラベルキャンペーンもそれなりに成功しているようではある。

降りた人たちはほぼ全員到着口の方へと向かって行き、搭乗待合室はあっという間に閑散としてしまう。


 ◆ 中部空港 18:35【JAL3117】20:15 新千歳空港 

札幌行きのゲート周りはまだガランとしている。
売店が開いていたので何か名古屋らしいものを買おうと寄ってみた。

名古屋なんて行くこともそうそうないだろうしね。
迷っている時間は無いので、えいっ!

なぜか八丁味噌を買った。

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 最後のフライトは中部〜新千歳。

さすがにこの時間帯に札幌へ行く人もいないだろうし、札幌からGoToで名古屋へという人もそうそういないようで、機内は空席が目立った。隣席も空いているので快適ではある。

飛行機に乗ってから気づいたが、周りの人たちは完全に冬の装備だった。
私は石垣空港でTシャツの上にウインドブレーカー1枚という恰好。
沖縄に3日間いるうちに北海道は冬だということをすっかり忘れていた。

夜間は離陸時は客室の照明を暗くする。
そのおかげで離陸してからしばらくは夜景を見ることができた。

しばらくは海の上を飛んでいたが、いきなりきらびやかな夜景が一面に広がった。
名古屋の上空に差し掛かったのだ。

よく見ると名古屋駅、名古屋城、栄の碁盤の目の道路、そのすべてが光の渦となって銀河のように広がる。
よく百万ドルの夜景なんて言うけど、それで言えば夜の札幌行きの便から見る名古屋の夜景は1億ドルの夜景だね

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 1億ドルの夜景と呼んでもいい名古屋・栄の上空を飛ぶ。

思わぬ光景が飛び込んできたので軽く興奮してしまった。
ずっとカメラのシャッターを切り続ける。
夜景の撮影、しかも揺れて動き続ける機内からなので難しい。
20枚ほど撮ったら2枚ほどまともに写っているのがあった。それが上の1枚。

あとはずっと雲の上の暗闇ばかりだった。

新千歳空港に着いてボーディング・ブリッジに出ると、沖縄ですっかり忘れていた冷気に包まれた。
快速エアポートで札幌へ、そこから地下鉄で中島公園で降りる。
地上に出ると、中島公園はすでに真っ白になっていた。

 〜旅行記おわり

11月9日(月)の費用
費   目場  所
石垣〜竹富 往復安永観光1,160
地域共通クーポン1枚  〃-1,000
コインロッカー離島ターミナル300
竹富島入島料竹富島300
モッツァバーガー他A&W石垣店917
離島(タ)〜石垣空港東運輸バス540
土産菓子石垣空港507
さんぴん茶他那覇空港323
八丁味噌中部空港756
新千歳空港〜札幌(JR)Kitaca1,150
 11/9 合 計4,953

2020年沖縄・八重山旅行の総費用
費   目
JAL楽パック(飛行機と宿泊)42,965
11/7計5,939
11/8計2,935
11/9計4,953
合 計56,792

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 20/12/20 | Comment(0) | 沖縄の旅行記

2020年沖縄・八重山旅行記4

 ◆ 地獄の波照間航路

そばを食べて、まだ帰りのフェリーまで40分くらいあったので港をぶらぶらと散歩する。
防波堤の突端では釣りをしている人が数人。港で見かける人といえばそれくらい。
ターミナルから離れた所には漁船も停泊していたが、日曜日は休みですというくらいシーンとしていた。

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 防波堤にペイントされた歓迎イラスト。

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 『んぎしたおーりょー』は波照間語でいらっしゃいの意味。

朝に着いた岸壁とは反対側に立派な桟橋があって、看板を見たら13時15分発の便はここ高速船用浮桟橋から出港すると書いてあった。
朝の段階では運行未定となっていた便である。

天気予報を見ると、八重山地方は依然として波浪注意報が出ている。
しかし港から見る限りでは海面は穏やか。風と雲が少し出てきたなと感じるくらい。

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 波照間港の乗船場所案内。

12時45分になって、1隻の船が港に入ってきた。あれが13時15分発の石垣行らしい。
行きに乗った朝の船と比べるとずいぶん小さい。

船から客が出てくるとフェリーターミナルにいた人たちもこちらに向かってきた。

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 ずいぶんと小さい船が入ってきた。

あっという間に10人くらいの行列ができる。自分もその中に加わって乗船開始を待つ。

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 高速船用浮桟橋に着く第十二あんえい号。

13時ちょっと前に乗船開始となった。
入口で最後の乗船券をもぎ取られて乗船。

船室は2つに分かれていて、1段低くなった前方は通路を挟んで3列のリクライニングシートが並び、後ろはプラスチック製のベンチが並んでデッキのような区画になっていた。
前方客室の前の方の窓側が空いていたのでそこへ座る。

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 狭い高速船の船内。

この船の座席にもシートベルトがあった。しかも前の背もたれに貼ってある注意書きには
『船が大きく揺れた際、腰椎圧迫骨折をするという事故が発生』
などと恐ろしい注意書きが・・・

しかしあまりシートベルトをしている人はいないようだ。

乗客はさっき桟橋で並んでいた人がすべてではなく、出航間際まで次々と乗ってきた。自分がいる席の通路側も後から乗ってきた客が座る。ペアが通路を挟んで別個になった模様。

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 シートベルト着用のお願い。

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 高速船の注意書き。

13:15になり、フェリーターミナルにいたフェリー会社の受付のおばちゃんがやってきて、係船ロープを桟橋のフックから外すと出航。
おばちゃんに見送られて船は桟橋を離れていく。ほかに見送る人もいない。

このおばちゃんは家に帰って、また夕方の船が着くころにまたフェリーターミナルへやってくるのだろう。
離島らしいのんびりとした出航風景ではある。

さて、こちらはと言うと、防波堤に描かれた歓迎のイラストを見ながら港外へと進む。行きの高速船も音と水しぶきだけは景気がいいが速度はさっぱりという感じだったので、今度もそんなものだと思っていた。

ターミナルの売店で缶ビールでも買っておけばよかったかなと思いかけたら、

ドバババババババババ〜!

船とは思えない勢いで加速しだした。
加速のGに加えて船底にぶつかる波がドンドンドンと次々と衝撃がやってくる。

島内ではあんなに穏やかだった海は、外海に出ると大きなうねりに囲まれるようになった。見ているだけで小さなこの船は転覆するんじゃないかと思うほどだ。

朝に天気予報で見た八重山地方は波浪注意報、波高さは4mというのは信じ難かったのだが、目の前に高さ4mのうねりに次々と高速船は、

うおりゃーーー!特攻!!

とばかりにうねりに突っ込んで行く。

ザーー!!!と突っ込んで持ち上がって宙を舞ってストーン!!と落ちる感じ。その度に下から叩きつけるような衝撃が来る。
その揺れもだんだん大きくなって、今絶対に宙を舞ったなと思うくらいまで持ち上がって、数メートルも一気に落ちたときなど船内に「キャー!」とか「おお〜!」という声が響き渡る。

おやおや、フェリーかと思ったら絶叫アトラクションに乗ってしまったようですな (^^;

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 高波に容赦なく突っ込むので水しぶきもすごい。

あり得ない勢いで次々と起こるピッチングと船底からの衝撃波に、もう必死になって耐えていた。
顔面蒼白、はっきり言って船酔いする余裕すらなかった

そんなのが30分ばかり続くと、次第に島が近づいてきた。
あれだけ飛ばしてきたのだからもう着いたのかと思ったら、この船は大原港に寄るとアナウンスがあった。
大原は西表島にある港で、船の時刻表にはこの便は不定期で大原経由の場合がありますと記載してある。

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 西表島の大原港に寄港。

大原港では石垣港行うみかじ号が先に出航し、そのあとに同じ桟橋に着いた。
ここで何人かの人が下船していったようだ。
乗ってくる人はなく、3分ほどでまた出航する。しばし小休止といったところ。

桟橋を離れて港外へ舳先を向けると

ちゅどーーーーーーーん!

また鬼のような加速で猛ダッシュ。

ここからはサンゴ礁の浅瀬が多いのか、さっきのような大きなうねりこそ無いが、それでも波に船底を叩きつけるようにして猛突進を続ける。

ドドン、ドンドン、ドドーンドンドン!

前の方にはこれも勢いよく水しぶきを上げて走る高速船がいたが、だんだん近づいてきてぶっちぎりで追い越した。
さっき大原港を先に出たうみかじ号ではないか。

このあとも白い水しぶきを上げて進む石垣港へ向かう高速船を、ボートレースさながらに次々と追い越して行くのだった。

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 並走する高速船うみかじを追い越す。

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 貨客船のかりゆし号をぶっちぎりで追い越す。

この船の船長はボートレースと勘違いして、もう完全に逝っちゃってるんじゃないかと思えてくるほどだった。

大原港を出てひたすら衝撃波を耐えること30分、ようやく石垣島と街並みが見えてきたとき、

あ〜生きて帰ってきた〜・・・

という思いが湧いてきた。

よく見ると石垣港には小さい虹が見えた。
と言うことは石垣島は雨が降っていたことになる。

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 石垣港には虹がかかっていた。

石垣港の桟橋に着いたのは14時40分。途中大原寄港で所要1時間25分だった。直行の場合は1時間となっている。

桟橋に足を下ろしたらもうフラフラになっていた。
まだ揺れている感じが消えない。しばらく続きそうだ。

昼に1往復の高速船は、絶叫アトラクション好きや、ぶっちぎりのボートレースを体験したい人にはおすすめの航路だが、普通は朝と夕方の船にした方が無難だろう。
それに、高速船の便は小型船のため欠航率も高く、季節風の強まる冬は特に欠航が多いようである。

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 石垣港にある具志堅用高の像。

朝は気づかなかったが、桟橋の一角に元プロボクサーの具志堅用高の像を見つけた。観光客が一緒になってガッツポーズをして写真を撮っている。

横にある現役当時のファイティングポーズの写真を見たら「ちょっちゅね〜」が思い浮かんだ。
ちなみにこの「ちょっちゅね〜」とは「そっすねー(そうですね)」から派生したのだそう。


 ◆ ユーグレナモール

まだ午後3時前。
当初の予定では昼の便で石垣に戻ってきたら、鍾乳洞に行こうと思っていた。
フェリーターミナルから歩けば片道40分程度。宿に戻れば自転車も借りられるようだが、もうどこに行く気力も残っていなかった。
さっきの地獄の高速船でフラフラになってしまったし、また自転車漕ぐのも勘弁してほしい。

ちょっと街をぶらついて土産物でも物色して、昨夜のスーパーで買い物して宿へ戻ることにした。

フェリーターミナルから市役所にかけてが石垣市の中心部ということになっていて、このあたりが飲食店も集中しているし、海側の美崎町は飲み屋街となっている。

その中でも一番賑やかなのがアーケード商店街のユーグレナモール。
商店街と言っても土産物屋ばかり並んでいる。公設市場もあるけど、基本観光客向けのようだ。

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 アーケード商店街のユーグレナモール。 

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 土産物屋が並ぶ。

昨日石垣に着いてから感じていたけど、こっちは那覇と違ってあんまり沖縄らしくしていないのが不思議に思っていた。
那覇の国際通りあたりはいかにも沖縄とか琉球らしさを前面に押し出しているけど、石垣は対照的でうちは沖縄じゃありませんと言わんばかりに沖縄らしさを封じ込めている。

実際ユーグレナモールを歩いていても『沖縄』の文字すらなかなか見つからない。

その辺の事情はググってみたら少し理解した。
過去の歴史的な経緯から八重山や宮古では琉球や沖縄に対しては複雑な感情があるようだ。

尖閣諸島は石垣市になるが、そこへ中国船がやってきても海上保安庁が水鉄砲で追い返すだけ。そんな現実に背を向けてその反対方向にばかり熱心な県や知事。

こちらは一介の旅人なのでこれ以上は踏み込まないが、ここは八重山でありうちらは八重山人(やいまんちゅー)なんよ、ということなのだろう。

難しい話はこれくらいにしておいて、土産物屋を見て歩くのは結構楽しい。
両親への土産と自分用に2つだけ買うことにした。
それに地域共通クーポンも使わなければならない。石垣ではどういうわけか飲食店で使えるところがほとんどないのだった。

いくつかの土産屋を出たり入ったりしていると、ななな〜んと波照間島名産の幻の泡盛『泡波』を発見。
港の売店で買ったミニチュアビンだけではなく3合瓶も置いている。
お値段は3合瓶が4,500円て、高え〜よ。

ミニチュアビンは800円。波照間港の売店で買ったのが410円だったから、石垣島に渡ると倍の値段になるようだ。

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 とある土産物屋で見つけた泡波。

両親用にマンゴージャムと自分用に調味料を1個ずつ買ってユーグレナモールを後にする。
また新川(あらかわ)にあるマックスバリュで買い出しをしてから宿に戻る。


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 宿近くの古い住宅地。


 ◆ 石垣島の夜

宿に着くと4時半だった。
今の日没は18時なので、今から鍾乳洞まで行って見学してきても明るいうちに戻って来れそうだが、今日はこれでおしまい。
それにさっきの地獄船ですっかり魂を抜かれてしまった。

はるばる石垣島まで来てなんともったいないと10年前の自分なら思っただろうが、今は旅先でのんびりするのも悪くないと思うようになった。

シャワーを浴びて汗を流したら早いけどスーパーで買ってきた酒と食材で一杯やることにした。

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 マックスバリュで買ってきた惣菜とビール。

ベランダから南国らしい庭先を眺めながらのひととき。
うん、悪くないね。

肴の総菜は沖縄らしいものをチョイスしてきた。ていうか、今日はあまり沖縄らしいものは無く、その中でらしい食材はこれくらいしかなかった。
揚げだし豆腐は島豆腐で作ったんだろうなと思ったので。

しかし静かだな。
今日は上の階の部屋は空いているようだ。玄関に自分以外の履物もないので、1棟貸し切り状態だ。
どんな高級ホテルよりもいい宿だよ。

逆に学生のグループなんかが泊まったらうるさいだろうなとも思ったが・・・

暗くなってからまた外に出てみる。
ユーグレナモールの方まで歩く。店はやっているが歩く人は少ない。
どこも空席が目立つ。どこかの店で一杯やっていこうかなとも思ったが、コロナの渦中なのでやめておく。
感染(うつ)されるかもというのもあるけど、自分が無症状なだけで実は・・・かも知れないので。

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 市役所通りの夜景。

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 夜のユーグレナモール。

夜景をいくつか撮影して宿に戻る。
昨日の泡盛の残りを飲み始めたら、外からドーンドーンと音が聞こえてきた。今夜は花火をやっているらしい。
ベランダから外を見ると、港の方に花火の明かりが見えた。残念ながらここから花火を見ることはできなかった。

もう着替えちゃったし、外に出るのも面倒だ。
一体何事かとググってみたら『石垣島まつり2020』というのをやっていたようだ。全然気が付かなかった。
そのイベントでの花火大会ということだった。

花火の音を聞きながら、あとは泡盛のお湯割りを飲んでいた。

11月8日(日)の費用
費   目場  所
波照間サイクリングBコース安永観光4,980
地域共通クーポン4枚  〃-4,000
自販機アクエリアス波照間島160
泡波ミニチュア2本あがでぐに820
そば並めっしー750
土産2品ユーグレナモール2,138
地域共通クーポン2枚  〃-2,000
夕食用ビール、総菜マックスバリュ新川2,087
地域共通クーポン2枚  〃-2,000
 11/8 合 計2,935


posted by pupupukaya at 20/12/13 | Comment(0) | 沖縄の旅行記

2020年沖縄・八重山旅行記3

 ◆ 日本最南端の碑からさらに南へ

最南端広場を去ろうとした頃、さっきのフェリーで着いたらしい観光客が次々とやってきた。グループで来た人もいてしばし賑やかになりそう。みんな自転車で来ていた。
そんなに大きな島ではないし、レンタカーを借りるまでもないのだろう。

着いた人たちと入れ違いに、こちらは次へ向かう。

波照間島には、島を1周する道路があって、その道を時計回りに自転車で走る。
この道路はさっきの場所からさらに南下し、最南端広場入口から南へ170mほどのところから西へ向かっている。
つまり日本最南端の碑は実は最南端ではなかったことになる。

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 グーグルマップで今いる場所を表示すると・・・

最南端の碑が立ったころは今の道路は無く、あそこへ向かう道路しかなかったのだろうが、周回道路がさらに南を通っていので少なくとも最南端ではない。
そういう意味では今いる場所が本当の日本最南端というわけだ。

実際はこの道路からさらに100mほど南にある海岸が最南端というわけだが、海岸に出るには道路から藪を漕いで行くしかなさそうだ。さすがにそこまでする気にはならない。

とにかくこれで最南端は制覇したことになる・・・のかな?

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 日本最南端之碑よりさらに南を通る道路。

この辺りから自転車で走る観光客やレンタカーとすれ違うようになる。港から反時計回りで来た人たちだろう。
さっきとは違って坂がないので走りやすい。

この辺がペムチ浜かなあと思って走っていると、林の中に分け入っていく道を見つけた。
もしやと思って自転車を置いて入っていくと海岸に出た。
ここがペムチ浜、日本最南端のビーチ(砂浜)ということになる。

今の時間は引き潮で波も無いベタ凪。
海に飛び込んだら気持ちよさそうだが、浜の入口には遊泳禁止の札があった。

水平線の向こうには、できかけの入道雲がいっぱい並んでいる。
あの雲の下にはきっとパイパティローマ(南波照間)があるんだ、なんて昔の人は考えていたんだろうか。

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 ペムチ浜は日本最南端のビーチ。

誰もいない白砂の静かな海岸。
この浜も景色はいいが、直射日光を遮るものが無いので暑いし、これといって何かあるわけではない。
5分ほどしたらまた自転車に戻った。

また西へ向けて自転車を漕ぎ出す。
とにかく暑い。蒸し暑い。
額から玉のような汗がドバドバと出てくる。
しかもマスクだからもうたまらん。

もう日陰でちょっと休まないと・・・
と思った頃、1台の自販機があった。
やーこれは助かったとアクエリアスを買う。

あ〜つめた〜い、気持ちいい〜、ゴクゴクと冷たいアクエリアスを半分くらい一気に飲んで生き返った気分になった。

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 最南端の自動販売機?

ひと息ついたら、なんでこんな人家も無いような所にポツンと自販機があるんだろと思った。
さっきの最南端広場にも無かったのに。

そういえばさっき灯台のそばを通ったけど、あの灯台は海岸じゃなくて、なんだって島の真ん中のサトウキビ畑の中に立っているんだろうと思った。

意外なものが予期しなかった場所に現れるというのが波照間島なのだった。

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 浜シタン群落と南(ペー)浜への入口。

次に向かったのが浜シタン群落と地図にある所。
それらしい場所に行くと、『遊泳禁止』と『ハマシタン入口』とだけ書かれた看板があるだけ。
そこから先は枝や葉が包むように覆いかぶさった小道が続いている。

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 ビーチへの道。

暗いトンネルのような小道を進んで行くと突然視界が開け、青い海と白砂のビーチが現れる。
なかなか上手い演出だなと思うが、海岸と陸(おか)の間はびっしりと林になっているので自然とこんな風になるのだろう。

南(ペー)浜もさっきのペムチ浜と同じく引き潮のベタ凪だった。
水平線の向こうに見える山並みは西表島だろう。

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 広々とした南(ペー)浜。

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 遠くに西表島の山並みが見える。

波照間島はサンゴからなるサンゴ礁。
南国のシンボルのような白砂は、足元を見るとサンゴのかけらがいっぱい。

海中の色とりどりのきれいなサンゴは死ぬと漂って島に流れ着く。そうしてできたのがサンゴ礁。
こういうのを見ると、ああ今南国のサンゴ礁にいるんだなと実感する。

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 南浜の砂浜はサンゴのかけらがいっぱいあった。

いろんな形のサンゴのかけらを見ていると、拾い集めてお土産にでもしたくなるが、実はそれはNG
サンゴは浜に落ちているものでも、勝手に採取しちゃいけないという法律がある。

サンゴの破片を飾りにするとか旅の記念にと少し拾うくらいならばアリなのだろうけど、ブログ等でうっかり『サンゴを拾ってきました』なんて書くと、違法行為と思われることになるので気を付けましょう。

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 プライベートビーチのような浜シタンのビーチ。

今回は石垣島から日帰りでやってきたので忙しいが、もし波照間島に宿を取って丸1日ここにいるのならどう過ごすかな。

海水浴もシュノーケリングもしない私など、ビーチのどこか日陰に陣取って日がな一日浜辺を眺めながらビールでも飲んでいるかな (^^; ←飲むしかすることが無いんかい!

ひと気のない白砂の浜辺は美しいが、日差しが容赦なく照り付けるのと湿度が高いのがあって、とにかく蒸し暑い。
ここも5分ほどで退散する。


 ◆ 波照間島の集落

今度は集落の方に向かう。
浜に向かって下ってきたので今度は登り坂。

そんなにきつい坂ではないし、普段から自転車に乗っている方ならば難なく登れるだろう。
しかし私は自転車を漕ぐ筋肉はほとんど衰えている人なので、ちょっとした坂でも大変だ。

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 ビーチ以外はサトウキビ畑ばかり。

歩きの方が得意なんだけどなあ。

最初は港から最南端の碑まで歩くことにしていた。
ところが、GoToトラベルで波照間のレンタサイクル付きの日帰りツアーの方が往復のフェリー代よりも安かったのでこちらにしたのだった。

またサトウキビ畑の中をローギアでえっちらおっちらと漕いで行く。また汗がドバドバと噴き出す。持ってきたタオルもびっしょりになってしまった。

集落に着けばどこか休めるところがあるだろう。

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 昔ながらの造りが多い集落。

集落は改めて見ると石を積んだ石垣の塀と赤い瓦屋根、それに家を取り囲む緑のフクギ。
なんと沖縄らしい町並み。

自転車を降りて押して歩いていると、いかにも沖縄っていう感じがする。

伝統的な造りが残る路地を歩いていると、どこか昔にタイムスリップして迷い込んだような錯覚になる。
ひょっとして、時をかける少女に出てくる未来人みたいに、出会った人に実は自分は2020年からやってきた未来人だと語るかもしれない。

何年か後に世界中で奇妙な肺炎が流行するから気を付けろと予言するかもしれない (^^;

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 石垣の塀に背の高いフクギは台風対策。

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 こんな路地にふと迷い込んでみたい。

ウロウロと歩き回っていたら『泡波』の看板を見つけた。
泡波は沖縄に数ある泡盛の中でも幻の名酒と呼ばれる。

何が幻かと言うと、小さい酒蔵なので生産量が圧倒的に少なく、店頭に並ぶとすぐに売り切れてしまうからだそう。

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 幻の名酒『泡波』の酒造所。

幻の名酒と聞くと酒飲みとしては何としても手に入れたいところ。
工場では売っていなく、裏手の方にあるJAの売店で扱っているらしい。

さっそく向かってみると、その売店は休みだった。
島の郵便局も休み。いったいどうしたんだこの島は。

しかし、よくよく考えたら今日は日曜日だった・・・

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 日本最南端の郵便局は波照間郵便局。

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 島では共同売店がスーパーやコンビニ代わり。

集落をぶらぶら歩いて、また自転車で今度はニシ浜へ。西にある浜ではなく、ニシとは北のこと。
漢字で書くと北浜となる。

波照間での方角の読み方は、東=アリ西=イリ南=ペー北=ニシとなり、同じ八重山でも石垣島での読み方とも違うようだ。

ニシは西でなくて北、ペーは北?、いや南。
真面目に考えるとなんだか混乱してきますね・・・

集落からニシ浜へ向かう途中、風が出てきたのに気づく。
外で仕事することが多いので、経験上ひと雨くるのかなあと思うような風である。

海へ向かう坂道を自転車で下ると最南端広場よりも立派な駐車場があった。

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 東屋やトイレがあるニシ浜。

さっき回ってきた浜と違ってこちらは遊泳できるためか人がいた。
といっても数えるほど。
海水浴と言うよりは浜辺で水遊びしたり、シュノーケルを付けて潜ったりするくらい。

さっきの浜とは違って、こちらは波が立っていた。

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 ニシ浜と浜辺で遊ぶ人たち。

遊んでいる人たちとは離れたところにあった岩に腰かけて休憩。
風がある分、幾分かは涼しくなった。

風も結構吹いてきたし、波もある。沖合は波立っているのかもしれない。天気予報では八重山諸島一帯は波浪注意報が出されている。昼発のフェリーは欠航になるかもというのはこのためなのだろう。

沖合にはモウモウと雲が立ちこめて、対岸の西表島は雲に霞んでいる。晴れて日が差しているのは波照間島だけのようだ。
だとすれば、天下の晴れ男だね。

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 波照間ブルーの海が広がる。

20分ほど休んで、また出発する。
この島の見るものと言えばビーチだけのようだ。陸(おか)の方はサトウキビ畑ばっかり。

フェリーターミナルに向かう。
昼のフェリーが出ても欠航でも、もう自転車は返すことにした。

もう完全にギブアップです。もう漕げません (T_T )

昼のフェリーがもし欠航だったら、夕方初のフェリーまでブラブラ歩いて過ごすことにしよう。


 ◆ フェリーターミナル

着いたときに借りたレンタサイクル屋に着いたが、店の人は誰もいなかった。
困ったなと思っていたら、『帰って来られたら帰って頂いて結構です』と書いた張り紙があったので、自転車を置いたらこのまま行っていいらしい。

フェリーターミナルに着くと、昼の便は運航するとわかった。
予定通りこれで帰るとしよう。

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 波照間船客ターミナル。

ベンチの並んだ待合室に居るのは、もう行き場がなくなってとりあえずフェリーを待つような人たちと見受けられる。
意外なことに土産物の売店が2店、フェリー会社のカウンター、それに立ち食いそば屋のような八重山そばのスタンドもあった。

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 波照間船客ターミナルの待合室。

泡波は置いてないかと売店をのぞくと、『あわなみはないです』と書いた札が下がっている。
客に何度も何度も同じことを聞かれるので、業を煮やしてといったところか。

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 『あわなみはないです』ぶちギレパンダ。

反対側の売店は装飾品など女性向けの品物を売っている。
こちらもチラッとのぞいてみたら、あった。

泡盛のビンがたくさん並んでいる。ただし全部100ml入りのミニチュアビンだけど。

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 ターミナル内に2か所ある売店。

ミニチュアビンは1升ビンタイプのものと3合ビンタイプの2種類置いてあった。

幻の泡盛とあって、ごそっとダース単位で大人買いしたい衝動にかられたが、おとなしく1種類ずつ2本だけ買った。
1本410円。幻だけあってかなり高いし、それに割れ物だからね。

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 2本だけ買ってきた幻の泡波のミニチュアビン(あとで撮影)。

まだ時間があるので、ここで八重山そばを食べて行くことにした。

立ち食いそばのようなカウンターの店のメニュー表には『そば』とだけあって、『並・・・750円』『大盛・・・1000円』とだけ書いてある。メニューはこれだけらしい。

カウンターで注文して、近くのテーブルに座っていれば運んできてくれるようだ。
表のテラス席があいていたのでそこでそばを待つ。

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 波照間船客ターミナルの『そば』。

カウンターのおっちゃんがお盆に乗せて持ってきた。
立ち食いのような店なので正直あまり期待していなかった。また値段が高めなのは離島なので致し方ないところ。

ところが運ばれてきたそばの上には大きなソーキ(豚のあばら肉の煮込み)がドンと2個乗って、このソーキは良く煮込まれているのか赤肉部分はトロトロ、軟骨部分はねっとり。少しくどいかなと思ったら島とうがらしを振りかけると引き締まる。

期待していなかっただけにちょっと感動してしまった。

独特の麺やカツオと昆布の出しのつゆも良く合う。
沖縄本島のソーキそばとも違う、これが八重山そばかあと感心しながらつゆまで全部平らげた。

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 ネットリトロトロのソーキ。

ところで、さっきおっちゃんがそばをテーブルに置くとき、親指をズブッと汁に突っ込んだのは見なかったことにしておくよ・・・


タグ:沖縄 離島
posted by pupupukaya at 20/12/05 | Comment(0) | 沖縄の旅行記

2020年沖縄・八重山旅行記2

 11月8日(日)

石垣島2泊3日の中日、今日はフェリーで波照間島へ日帰りで行くことになっている。

天気はというと、昨日の天気予報の通り文句なしの 晴れ!

カーテンを開けると外の庭には南国らしい植物がたくさん。その中にハイビスカスの花が咲いていた。

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 南国らしい植物が多い前庭。

フェリーの時刻は8時発、波照間島まで往復フェリーと島内のレンタサイクルがセットになった安永観光の『波照間島サイクリングコース』というのを申し込んであった。
案内に7時40分までに観光受付カウンターに来るようにあったので、7時15分に宿を出る。
ここから離島ターミナルまで歩いて10分ほど。

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 2泊3日世話になった石垣島宿はればれ。

今日も朝から蒸し暑い。
空は青空が広がっているが、水平線の方は不安定そうな雲が立ちこめている。夕方くらいにザーッと夕立でも来そうな雲だ。

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 ユーグレナ石垣島離島ターミナル。

離島ターミナルは朝早くから各離島へ向かう人たちで混雑している。
と言ってもこれでも少ない方なんだろうな。去年あたりはここは日本か?と思うくらい群れを成していただろう外国人客も今は皆無だ。
ほとんどはGoToトラベルで来たような観光客ばかり。

安永観光の乗船券売り場には10人ほどの列ができていた。その隣のツアーカウンターで波照間島サイクリングコースの支払いとチケットを受け取る。
代金はGoToトラベルキャンペーン適用で4,980円。石垣から波照間までの往復フェリー代(5,990円)より安い。
支払いに昨日受け取った地域共通クーポンは使えるのか聞いたら使えるいうことだった。
クーポン4枚と980円を支払うと、別の地域共通クーポンが1枚付いてきた。

クーポンの支払いでまたクーポンが来るとは思いもしなかった。キャッシュバックのような恰好。
ただし、日帰りツアーなので有効期限は今日のみとなる。

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 ツアーのチケットと地域共通クーポン。

カウンターの人に帰りの13時15分発の便は欠航になるかもしれないと念を押される。その次の16時20分発の便は運航が確定しているとのこと。
運航するかは11時ごろ決定するので、HPで確認してほしいと言われた。

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 旅行会社が並ぶ離島ターミナルのコンコース。

ここはフェリーターミナルだが、正面に出た所にはタクシーが並び、まるで駅のようだ。
港側は島式になった桟橋が頭端式ホームのようになっていて、1番のりばから10番のりばまで並んでいる。

離島ターミナルのコンコースには各観光のカウンターが並び、奥の方の売店が並ぶコーナーは昔のステーションデパートみたい。
もうこの時間から弁当やおにぎりが並んでいて、沖縄らしいおかずやおにぎりは見ているだけで楽しい。

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 売店に並んだポーク玉子おにぎり。


 ◆ 波照間行大型高速船ぱいじま2 

波照間行きは一番端の10番のりば。ぱいじま2という双胴船が停泊していた。
桟橋の入口では全員検温があるのはコロナ渦が収まっていないことを思わせ緊張する。

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 石垣港と波照間島を結ぶ『ぱいじま2』。

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 昼の便はまだ運行未定となっている。

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 駅のホームのようでもある桟橋。

タラップのところで往きのチケットをもぎ取られて船内へ。
まだ空席だらけだが、窓側の席は全部埋まっていた。高速船のためか自由に出入りできるデッキはないようだ。2階席は1000円の追加料金がかかる。

せっかくだから景色を見ながら行きたい。船室後尾の入ってすぐのところにロングシートのように並んでいる席があったのでそこに陣取る。

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 ぱいじま2の船室。

波照間航路は揺れると聞いていたが、各座席にはシートベルトもあって物々しい。船に弱い人は地獄を味わうとか、ゲロ船だとかネットの旅行記などを当たると体験記が見つかる。

今日は風もないし、港から見る限りでは波もほとんどなく静かに見える。
私は船には強いと思っているのでそれほど心配はしていない。

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 後部のロングシートと波照間島行きの荷物。

乗船したときはガラガラだったが、出航時刻間際まで乗船客がぞくぞくとやってきて、船内の座席はそこそこ埋まったようだ。
客室の方を見ると半分くらいの席はふさがっている模様。
座っている席の向かいの壁際には島行きの荷物が置かれている。新聞の束も置かれているあたり、いかにも生活路線という感じがする。

船員が乗船客に何かを配っている。貰うと黒いビニール袋。要はゲロ袋。
私は冬の荒れた日本海を行くフェリーでも平気だったほど船には強いが、これを見てなんだか不安にも思ってきた。

8時になり出航。
高速船なので岸壁から沖合までスタートダッシュと思っていたが、以外とゆっくりな出航だった。
港を出るとすぐに竹富島が見えてきた。

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 竹富島と水路の灯標。

『竹富南水路』『海上保安庁』と書かれた赤い灯台のような柱がいくつも続いて立っている。
これは何かと後で調べたら、このあたりの海底はサンゴ礁の浅瀬が続いているので、座礁しないように船が進む水路を示しているものだった。

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 西表島、小浜島、石垣島などの島々を見ながら進む。

竹富島が遠ざる頃から外海に出たのか揺れるようになった。
ここは船室の最後部で揺れが少ないとされる場所だが、座っているとそうでもないが、立っているとふらつくほど揺れる。
トイレに出入りする人が増え始めたようだ。

後ろの窓から見ると、スクリューから物凄い勢いで水しぶきが上がるのが見えた。しかし、景気よく上がる水しぶきの割に船の速度はさっぱりという感じ。
スマホの速度計で見ると34km/h(約18ノット)くらい。これじゃ普通のフェリーと変わらないよ。

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 最後部のスクリューが豪快に水しぶきを上げる。

前の船室から来て、ここで座り込む人も出てきた。
フェリーの時刻表には石垣〜波照間間の所要時間は60〜80分とあり、石垣港を出てから1時間経つのでそろそろ島が見えてきてもいい頃だと思うが、一向に着く気配はない。
あと20分で波照間港に着くとは思えないほど船はのんびりと進む。
船に弱い人は地獄がまだまだ続くのだろう。

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 防波堤の『波照間島にようこそ』のペイントを見ながら入港。

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 波照間船客ターミナル。

ようやく波照間島が近づいてきたのは石垣港を出港してから1時間40分近くが経過していた。
時刻表に60〜80分とあるのは高速船の場合で、ぱいじま2のような大型船の場合は1時間40分ほどかかるようである。


 ◆ 波照間島、日本最南端へ

港に立派な桟橋があったのでそちらに着岸するのかと思っていたら、ターミナルを挟んで反対側の何もない岸壁に船は着いた。
石垣港での乗船口は使われず後部のデッキにタラップが掛けられてそこから下船となる。
岸壁に降りると9時45分になっていた。

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 着いた人と乗る人でにぎわう桟橋。

下船するとまずは観光カウンターで聞いていたレンタサイクル屋へと向かう。
坂の途中にそれらしい小屋があって自転車やバイクが並んでいるのですぐに分かった。

中にいたおっちゃんにチケットを渡すとこれに名前を書いてくれと紙を渡される。
紙を渡すとおっちゃんは自転車を指さした。あの中から好きなのを選んで乗ってってくれということらしい。
どれも似たようなママチャリで、いちおう変速ギアも付いていた。

電動機付きのもあって、そちらを借りる人が多いようだ。
安永観光の波照間島サイクリングコースだと普通の自転車となるようである。

いま着いたフェリーの客が続々とやってきた。
さっさと出発する。

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 坂の途中にあるレンタル屋。

この自転車はカギが付いていないが大丈夫なんだろうか。
島には自転車泥棒なんて不届き者はいないということなのか。

それにしても自転車のペダルを漕ぐのは何年ぶりだろう。
少なくとも車を運転するようになってからは一度も無かったはずだ。
自転車を漕ぐ筋肉は完全に衰えてしまっているようで、レンタサイクル屋そばの上り坂で早やバテてしまった。

何とか体勢を持ち直してペダルを漕いでいたら島中央の集落までやってきた。
ここはまた戻ってくることにして先へ進む。

目指すは日本最南端の地!

ただその思いだけで自転車を漕いでいた。

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 波照間の集落を通り抜ける。

いやあ暑い。ってか蒸し暑い。
ペダルを漕いでいると汗がドバドバ噴き出してくる。

集落を過ぎるとサトウキビ畑が続き、その中に真っ白い灯台がポツンと立っていた。

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 サトウキビ畑と灯台。

灯台を見ながら汗を拭いて一息つく。
噴き出した汗が止まらない。とにかく蒸し蒸しする。
真上は快晴だが、地表近くは雲がモクモクと立ちこめていかにも蒸している感じ。お盆を過ぎたあたりの蒸し暑い夏の日を思わせる。

小休止で地図を見てまた出発。自転車漕ぎも少し慣れてきた。

この辺りは行けども行けどもサトウキビ畑か荒地。
サトウキビも見た目はトウキビ(トウモロコシ)のでかいやつといった印象だ。

何となく最果て感が半端なく、今真夏の北海道の道を走っていると言われればそんな気にもなるほど北と同じような最果て感が半端ない。
そもそも波照間とは八重山方言ではパティローマと読み、これは果て(パティ)の島(うるま)という意味だ。

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 行けども行けどもサトウキビ畑が続く。

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 海へ下る道。 

坂道を海へ向かって下って風に当たると心地が良い。そうしているうちに、最南端広場駐車場という場所に出た。

ああついにやって来たのか。
思えば今年の7月には最北端の島、礼文島へ行ってきた。同じ年の11月には最南端の波照間島へ。
何たる奇遇だろう。そう考えるとワクワクしてきた。

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 日本最南端平和の碑と後ろにある日本最南端之碑。

駐車場から歩いていくと『日本最南端平和の碑』というのがデンと鎮座しているが、これは竹富町が戦後50年を記念して建てたもの。その先に日本最南端の碑がある。
この碑は沖縄の本土復帰前の1972年に訪れた学生が自費で建てたと言われている。

その横の日の丸は聖寿奉祝の碑。神道青年全国協議会が建てたもの。
碑の裏側に、

“日の丸の下にわが民族が一体となり敬神愛国の美しき伝統を守り伝えることを祈念するものである”

の一文があった。

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 ここが日本最南端・・・のはずだが。

これで日本の最北端と最南端の地に立ったことになる。
宗谷岬から直線距離で2,890km。
思えば人生初にして最北端の宗谷岬に立ってから30余年、ついに念願の最南端の地にも立つことが叶ったわけだ。

目の前はフィリピン海、青い空、白い雲。

宗谷岬以来の感激がここによみがえる 。゚(つД`)゚。

もうここから見える島影は無い。
水平線の先は600km以上南にあるフィリピンのルソン島だ。

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 最南端の碑の先にも陸地が広がる。

高那海岸と呼ばれる最南端のこの辺りは岩場が広がっていて、さらに海に向かって下りていく踏み分け道があった。
先の方はゴツゴツした岩が露出していて、その先は急に切り立った崖を波が洗っていた。

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 岩場の先は切り立った崖になっていた。

波照間島にはこの島のさらに南(パイ)にパイパティローマ(南波照間)という島があるという伝説がある。
その昔、パイパティローマは飢えも差別も重税もない理想郷と信じられていた。

1500年頃から琉球王国の支配下となった波照間は政治犯の流刑地となり、また過酷な圧政と重税で人々は長いこと苦しんだ。人々からすれば、北から来るものにはロクなものは無いと思っただろう。

反対の南の方には理想郷のパイパティローマがあり、いつか神様が南からやってきて救ってくれるというのが人々の心の拠り所になっていた。

ところが救いの神様などそうそう来るはずもなく、琉球王国の重税から逃れるために役人の船を奪ってパイパティローマを探しに海に出て行く者も現れた。

しかし彼らは誰一人として再び波照間に戻ることはなかったという。

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 岩場が広がる高那海岸。

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 日本最南端のベンチとテーブル?

岩場の先まで行ってみたり、あれこれ写真を撮っていたらさっきフェリーで着いたらしい人たちがやって来た。
もう30分くらい居たような気がするが、まだ7〜8分しか経っていなかった。

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 だだっ広い日本最南端の地。

日本最南端は土産物屋の1軒くらいあるのかと思っていたが、すこし離れた所に東屋があるくらいで何もない。文字通り端っこの地であった。
うるさいほどに碑が乱立して土産物屋や食堂が観光客を呼び込む北の端っこと対照的なほどに最果て感のある最南端だった。

ところで、ここは本当の日本国最南端ではないということは知っている人は知っているし、そんな野暮な話は取り上げない。
しかし別の意味で最南端ではなかったと、このあと知ることになる。


posted by pupupukaya at 20/11/22 | Comment(2) | 沖縄の旅行記

2020年沖縄・八重山旅行記1

いま盛んに話題になっているGoToトラベルキャンペーン
宿泊やツアー代金の35%相当額を国が支援する事業。しかも代金総額の15%分の地域共通クーポンも貰えるというもの。

GoToトラベルはいろいろ批判もあるが、旅行好きとしては1回くらいは恩恵にあずかっておきたい。

ネットであれこれ調べていると、ホテルだけの予約だとホテル代は35%引きになるが、往復の交通費は割引にならないが、往復交通費と宿泊代込みのツアーだと総額に対して35%引きとなる。
つまり、ホテルと飛行機の予約を別々にするとホテルは35%引きになるが飛行機は対象外となり、飛行機とホテルが一緒になったプランだと支払額から35%引きとなり実質飛行機代も35%引きということになる。

となると、往復飛行機がついたプランがお得だ。それに遠ければ遠いほどお得ということにもなる。
これで行先は決まった。北海道から一番遠い所といえば沖縄。

ネットで札幌発着で沖縄までのホテルと飛行機がセットになったプランを探すと、まあ安いこと。
札幌発那覇2泊3日ならばGoTo割引後で2万円代からある。
那覇ならば以前に行ったことがあるし、どうせなら普段行けないようなところと思って行先は石垣島にした。

10月も後半に差し掛かっていたので11月中の土日跨ぎの日で探してみる。ツアーって出発日によって値段がずいぶん違うんだと知った。
楽天トラベルで検索すると11月7日土曜日札幌発、石垣島2泊3日でなんと3万6千円台。

マジですか!?

これだと宿があまりにボロそうだったので、いくつか当たると面白そうな宿があったのでそこに決めた。
飛行機の便はJALで途中2回乗り継ぎあり。ANAだと乗継1回なのだが2万円近く高くなる。

石垣空港着が18時台で帰りは午前10時台発。これだと実質中日1日しか動けない。帰りは14時台発の便にすると4000円高くなるが、これだと最終日は午前中いっぱい動ける。せっかく石垣島まで行くのだから時間は有効に使いたい。

時は金なり

これで沖縄行きが決まった。
11月7日土曜日発2泊3日、旅行代金は6万6100円のところGoTo割適用で4万2965円となった。
これに現地で地域共通クーポン1万円分が貰えるので、実質3万円台ということになった。

今年(2020年)は6月に4泊5日で礼文島に行っている。コロナ禍の先が見えない中、今年の旅行は礼文島で終わりだなと思っていた。ところがこうしてまた旅行の機会が来たのである。
行先だけ見れば、今年は島に縁がある年回りだなと思った。


とりあえず八重山の島めぐりのつもりで予約したはいいのだが、雨に降られては途方に暮れる。
3週間近く先の天気などわかるはずもなく、あとは運を天に任せるだけとなった。

翌週くらいから週間天気予報で旅行当日の天気予報が出されたが、どうも雨っぽい。
毎日天気予報をチェックしていたが、出発日の土曜日だけは晴れになってきたが、その前後はずっと雨マークという状態だった。
土曜日は石垣に着いたらもう暗くなっているので土曜日に晴れてもねえ。一番肝心の日曜日に晴れてほしいのだが、日曜日は前日まで雨マークの消えることはなかった。

出発日の朝、石垣市の天気予報を見ると日曜日の天気は各社とも雨マーク付き。

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 2020年11月7日朝7時現在、石垣島の各社天気予報。

各社の天気予報を比較すると、今日土曜日は概ね晴れ、明日日曜は雨と晴れが分かれた。
肝心の日曜日は、最悪午前中は雨に当たらずに済みそうという感じである。

 ウェザーニュース → 曇のち雨(70%)
 日本気象協会 → 晴のち雨(60%)
 気象庁 → 晴のち一時雨(50%)
 Yahoo → 晴のち曇(20%)
 AccuWeather → 所により晴(25%)

雨マークが無いのはYahooとAccuWeather。この2社に頑張ってもらいたいところ。
最終日の月曜は雨を覚悟した方が良さそうだ。
一方で札幌の天気はというと、月曜日は雪マークとなっていた。帰ってきたらもう真っ白になっているかもしれないね。


 ◆ 新千歳空港 10:35【JAL2502】12:55 関西空港

石垣島の最高気温は30℃、対して札幌のは1桁台。向こうでは夏の格好で、こちらでは冬の格好となる。
とはいえ荷物になるのは嫌なので、長袖シャツにウインドブレーカー姿で出発。自宅から駅まで5分ほど寒さを凌げればもう外に出ることはない

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 黄金色の銀杏の札幌を出発。

空席の目立つ快速エアポートで新千歳空港へ。空港はそれなりに人はいるが、去年以前から比べると半分くらいしかいないんじゃないか。
手持無沙汰の土産店などを見ると気の毒に思えてくるが、今は買うものは無かった。

出発ロビーにある出発案内を見ると欠航の表示が目立つ。
これは新型コロナによる乗客減の減便で、対象となる便は日によって変わるようだ。
新千歳と関西方面を結ぶ便は半分くらいの便が欠航となっている。
本数が減った分、数少ない便に乗客が集中するわけで、これから石垣空港まで乗る便はどれもほぼ満席という状態だった。

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 欠航が目立つ新千歳空港の出発案内。

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 関西空港行きJAL2502便。

最初に乗る便は関西空港行き。
ボーイング737-800という機材。搭乗待合室の窓から見るとずいぶん小さい飛行機に見えた。

関西空港までは2時間20分のフライト。
座席は非常口座席の23番席。この席に座ると非常口なので非常時には緊急脱出の援助をしなくてはならない。

手荷物預けの時と搭乗してからその旨を説明される。
非常口座席に座るのは今回が2度目。前回はANAだった。

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 シートピッチが広い23番非常口席。

私の席は窓側。続々と乗客が乗って来て席もほとんど埋まったが、隣のシートは最後まで空席のままだった。
シートピッチは広いし隣は空席。しかも前の席は非リクライニング席。前の背もたれが倒れてくることはない。

クラスJなんか目じゃないぞ。

飛行機は離陸すると雲の中に突っ込んで、あとはずっと雲の上だった。


 ◆ 関西空港 14:05【JTA5】16:20 那覇空港

関西空港の駐機場に停止したのは12:50、降りるまで5分とかからなかった。
通常なら人の流れについて行って到着口に向かうところだが、乗継なのでこのまま搭乗待合室に留まることになる。
考えたらLCCを別にすれば、国内線同士の乗り継ぎは今回が初のことだった。

人の流れについて行ってうっかり到着口から外に出てしまうと、またセキュリティーチェックを通って中に入ることになる。

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 ガラガラの関西空港。

今の便で着いた人が消えると搭乗待合室はひと気が無くなってしまった。
札幌発便もそうだけど、大阪から遠いせいか関西方面の便で欠航が多いのは関西空港発着便となっている。JALの札幌〜関空の便など全便欠航という日もある。

出発案内を見ると14時台発の次は17時台発。その間の便は全部コロナ欠航。
おまけにこの閑散ぷり。なんだか関西空港がかわいそうに思えてきた。

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 関西空港の出発案内。こちらも欠航が目立つ。

人がいないことをいいことに、那覇空港行きの搭乗開始まで燃料補給。
軽食コーナーでつくね串・生ビールセット(670円)をたのむ。
単品はたこ焼き、ソース焼きそば、カレーライスなど。
関西らしくたこ焼きとしたかったが、どれも奥でチンして出しているようだった。

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 つくね串とスーパードライ生(少し飲んでいる)。

那覇空港行き搭乗口の周りは着いたときは誰もいなかったが、少しずつ人が集まってきた。
この便もほぼ満席のはずである。

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 日本トランスオーシャン航空 那覇空港行きJTA5便。

今度は那覇空港まで2時間15分のフライト。
飛行機の席は行きも帰りも全部窓側の席を取ってある。関空までは非常口の快適なシートだったが、ここから先は普通の席。
しかし隣の真ん中シートはこれも空席のままだった。
ひじ掛けは両側使えるし、隣に気を遣うこともない。

またもやクラスJなんか目じゃないぞという感じで那覇空港まで過ごせた。
もっともクラスJには乗ったことがないけど・・・

関空から四国と宮崎県の上空を飛んでいるはずだが、ずっと雲の上だった。
南へ進むにつれ雲が切れ切れになってきて、島が見えてきた。
フライトマップを見るとあれが奄美大島らしい。

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 奄美大島上空あたりで雲が晴れてきた。

続いて徳之島、与論島と島の上を通り過ぎる。

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 与論島がはっきり見えた。

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 沖縄本島上空へ。

またしばらく雲の上を飛んで、雲が切れたらもう沖縄本島の上空だった。
高度を下げた機内の窓からは南国らしい海が見える。
16:14、那覇空港の駐機場着。

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 那覇空港到着。

飛行機から出るとムワッとした空気。
暑くて湿度も高そう。札幌からずっと同じ格好でいるが、もう場違いな感じだ。

前回那覇空港に降り立ったのは2006年のこと。
沖縄はそれ以来なので、14年ぶりということになる。

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 那覇空港でまた乗り換え。


 ◆ 那覇空港 17:35【JTA621】18:35 石垣空港

夕方4時過ぎの那覇空港は、各地への帰り便が集中するのかそれなりに人はいて、関空のような悲惨な感じではなかった。
ここで1時間15分の乗り継ぎ時間。

あとは石垣まで1時間のフライトだが、石垣空港着は18:40、そこからバスで市内に移動したとして、宿に着いた頃には20時近くになっているだろう。
まだ先は長い。

売店を見ていると沖縄らしくポーク玉子おにぎりというのが並んでいた。
これとレジでオリオン生ビールも買ってベンチで燃料補給。

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 那覇空港で買ったポーク玉子おにぎりとオリオン生ビール。

スマホでまた天気予報を見ていると、明日日曜日の天気予報が終日晴れに変わっていた。ちなみに日本気象協会のサイト。
どこからか「やった、あした海に入れるよ」なんて声も聞こえた。

頼むぜ気象協会。

と言っても天気を決めているのはお天道様であって、別に天気予報業者が決めているわけではないのだが。

安堵していたら突然電話がかかって来た。番号は知らない所。
出ると、予約していた波照間島ツアーの旅行会社から。

「明日のフェリーのうち13時台の便が高波で欠航になるかもしれないので予約はどうされますか」
とのこと。

あらら、何てことだ。1日3往復あるうちの真ん中の便。
あとの2本は通常通り運行の予定だというので、そのまま予約は続行ということにした。
欠航になったら1日島でのんびり過ごすのも悪くはない。

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 石垣行きJTA621便は夕暮れの那覇空港を離陸。

那覇発石垣行きの便もほぼ満席。今度は隣の真ん中席にも客がやってきた。1時間のフライトだし、どうってことはない。
と思っていたら、ドアが閉まってから隣のおっさんは席を立ち、後ろの席に移っていった。
後ろの席に連れがいて、その隣の通路側席が空いたままなので移ったようだ。
これで新千歳空港から石垣空港まで隣人なしというクラスJなど目じゃない環境だったことになる。

離陸すると夕焼け空。
下界はもう暗くなっていて、はっきりと見えなかった。

だんだん暗くなる夕暮れのフライト。
着くころには真っ暗になっているのはわかっているが、宿に着く前に暗くなるのはどこか不安になる。
もう1分1秒でも早く着いてほしい。

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 雲の上でとっぷり日が暮れる。

石垣空港の駐機場に停止したのが18:41、ほぼ定刻通り。市内の離島ターミナル行きのバスの発車時間は19:10発と調べてきていた。このバスには余裕で乗れそうだ。

預け荷物の受取場で自分のバックパックを取ろうと思ったらよく見ると違った。
そうしたら傍の外国人が「ゴメンナサイ、マチガエマシタ」といってやってきた。私のバックパックを手にしている。
「いいよいいよ」と受け取ったらタグが外されて、蓋のフックも外されていた。中を見て違うと気づいたらしい。

やっぱりスーツケース買わなきゃダメかねえ・・・

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 『お〜りと〜り八重山へ』が出迎える到着ロビー。

それでも早い方で荷物が出てきたので早めに外に出ることができた。
18:53、石垣空港の到着ロビー着。


 ◆ 石垣島に到着

外へ出ると左側にバスが停まっている。あれが離島ターミナル行き路線バスらしい。
右側は客待ちタクシーが数台。
しばらく考えて・・・この間5秒・・・タクシーに乗り込んだ。

時は金なり。

タクシーの運転手に宿の名前を伝えてもわかるはずもなく。住所で言っても要領を得ず、スマホでグーグルマップを見せると「じゃあそのあたりに行ってみますよ」と走り出す。

いろいろと説明しているうちに、運転手が「もしかして○○アパートの近く?」というのでグーグルマップを見るとまさにその隣だった。
「そうそう、そこの隣」というと「ああわかった」と言った。

運転手に明日の天気を聞いてみると、
「明日は晴れるんじゃないかな、夕焼けが見えたから」

国道をまっすぐ行くのかと思ったら、途中で脇道へ曲がる。
真っ暗な道を相当飛ばす。途中で2台くらい追い越して市内へと入った。
運転手の言う○○アパートの隣に、予約時に画像で見た平屋の建物があった。
空港からここまで25分、3120円だった。

冷房の効いたタクシーを降りると眼鏡があっという間に曇った。まるで風呂場に来たかのようだ。

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 ここが宿らしいのだが。

予約していた宿は『石垣島宿 はればれ』。

どうみても民家だし看板も見当たらず。
ここで間違いなさそうだし中は明かりがついている。玄関の戸を開けようとするがカギが掛かっている。

海外旅行で安宿に泊まるとこんな所ばかりなので別に驚かないが、日本ではこういうの初めてだな。
横に呼び鈴があるので押すと中から返事が聞こえた。

おかみさん(と呼ばせてもらいます)が出てきて「はればれですか?」というとようこそいらっしゃいましたという風に迎えてくれた。

部屋は母屋ではなく隣の離れに案内された。
出入りの鍵かけもセルフサービスで、明日出かけるときも鍵はそのまま持って行っていいとのこと。
こういう宿は旅慣れない人には不安だが、チェックインしてしまうと出入りは自由だし面倒がなくて良い。

部屋は8畳の和室にバストイレ、冷蔵庫、エアコン完備。ホテルよりずっと快適。ただし布団を敷くのはセルフサービス。あとなぜかバスタオルが置いていないので有料貸し出しとなる。

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 2晩過ごす民宿の部屋。

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 1万円分の地域共通クーポン。

それより何より和室なのがいいなあ。8畳間の空間は開放的。でかいベッドの鎮座するホテルじゃこうはいかない。

テーブルには地域共通クーポンが10枚置いてあった。
有効期間は滞在期間中ということらしく11/9までとなっていた。

このクーポンは加盟店で使うことができるがお釣りは出ないことと、石垣島では飲食店で使える店が少ないのでありがたみも半減といったところ。
それでもスーパーではマックスバリュ、コンビニはファミリーマート(それしかないが)で使用できるのはありがたい。
予約していた明日の波照間島ツアーの旅行会社でも使えるようなので、その支払いに使うことができれば助かる。
そのツアーもGoTo割で予約していたので、その支払いに充てることができるのかはまだわからない。

午後7時半、さっそくマックスバリュに買い出しに行って来よう。
時は金なりの格言に従って空港からタクシーを利用したおかげで時間が30分は前倒しになった。

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 今回の旅行で世話になるマックスバリュ新川店。

宿からマックスバリュ新川店までは歩いて10分ほど。
新川は札幌の私からすると「しんかわ」と読みたくなるが「あらかわ」と読む。さっきタクシーの運転手が正してくれた。

カゴを持って泡盛とオリオンビール、それに石垣島らしい惣菜や刺身と明日の朝食用のパンなどを買って戻る。

戻る途中、宿と似たような家があって間違えて入りそうになった。
今日の宿もそんな民家を改造したところなんだろう。

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 マックスバリュで買ってきたお酒と惣菜。

テーブルにお酒と惣菜を並べればディナータイム。
こういうとき和室の宿にしてよかったと思う。

買ってきたのは魚天ぷら、とんぼまぐろ刺身、ジーマーミ豆腐。
醤油は家から持ってきた。

蒸し暑い中歩いてきたのでビールがうまい。
魚天ぷらは軽い塩味のフワフワの衣が特徴だった。淡白な味はビールよりも泡盛に合いそう。
そんなわけでビールは1本だけにして、あとは泡盛をお湯割りにして飲んでいた。

11月7日(土)の費用
費   目場  所
札幌→新千歳空港(JR)Kitaca1,150
つくね串・生ビールセット(飲食)関西空港670
ポーク玉子おにぎり、オリオン生ビール(飲食)那覇空港912
石垣空港→宿(タクシー) 3,120
泡盛、ビール、総菜など(夕食)マックスバリュ新川
2,087
地域共通クーポン2枚マックスバリュ新川
-2,000
 11/7 合 計5,939



タグ:沖縄
posted by pupupukaya at 20/11/14 | Comment(0) | 沖縄の旅行記

2006年沖縄旅行記4

2006年5月14日(日)

今日は最終日。帰りの飛行機の出発時刻は15:20発。14時頃までは街中にいられるだろう。
それまでは那覇市内観光である。

泊まっている旅館は素泊まりなので、朝食もどこかで調達してくる必要がある。
そこで、行ってみたかった沖縄のファーストフード店『A&W』に行くことにした。おもろまち駅近くにその店があるのを発見した。
旅館を出て見栄橋駅で1日券を買ってからモノレールに乗り、おもろまち駅まで行く。
駅から歩いて5分ほど、モノレールの線路がある道路沿いにA&Wがあった。ガソリンスタンドの中に併設されているような店舗だったが、とりあえず中に入る。

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 見栄橋駅からゆいレールに乗る。

A&Wはマクドナルドと並ぶフツーのファーストフード店で、沖縄のあちこちに店がある。A&Wは略して『エンダー』と言うようだ。一時期、東京や大阪にも出店したことがあるらしいが、現在は撤退して沖縄のみで展開しているという。

メニューで一番大きく書いてあるモッツァバーガーをコンポで頼む。ドリンクはもちろんルートビア、ポテトはカーリーフライというのを選んだ。作り置きはしていないようで、トレーにドンと置かれたルートビアのジョッキと番号札を渡されてテーブルにつく。

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 A&Wは沖縄にだけあるファーストフード店。地元の人はエンダーと呼ぶ。

まずはルートビアをひと口。アルコールではなくコーラのような炭酸系の飲み物なのだが、薬くさいのが鼻をつく。
北海道にもガラナという薬くさい炭酸飲料があるが、最初のひと口目はガラナの10倍くらいパンチがある。しかし何かで記憶のある匂いだなと思ったらすぐに思い出した。病院でもらったシップ薬の匂いだった。

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 エンダー名物ルートビア。ビールの中ジョッキ位はある。

しばらくして、モッツァバーガーとカーリーフライが届く。モッツァバーガーはハンバーグのほかに野菜がたくさん挟んである。カーリーフライとは要するにフライドポテトで、カールさせてあるからカーリーフライと呼ぶそうだ。スパイスのよく効いたポテトはルートビアとよく合う。

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 モッツアバーガーとカーリーフライ。ポテトをカールさせたもの。(680円)

店を出て、再びおもろまち駅から見栄橋駅までモノレールで戻る。
ゆいレールができてから市内の移動が大変楽になった。以前ならばバスしかなかったので、ちょっと思いついて郊外の店まで行こうと思っても無理だったが、今はこうしていつでも気軽に行けるようになったわけだ。

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 おもろまち駅の改札口と売店。

旅館に戻り、今日で札幌に帰るので荷物をまとめる。9時過ぎに旅館をチェックアウトした。

見栄橋駅からモノレールで那覇空港まで行き、コインロッカーに大きい荷物を預ける。ロッカー代はなんと200円と破格の安さだった。

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 ゆいレールのおかげで移動がたいへん楽になった。

今度は奥野山公園で降り、豊見城城址公園まで歩く。
この公園にはミニSLが走っているのでそれに乗ろうというわけだったのだが、公園の前まで来れば入口に『休業中のため拝観はできません』と貼紙があり、入口のゲートが閉まっていた。

ここまで来てただ引き返すのもアホらしいので、この先にある海軍壕公園までの坂道を歩いて行った。
ここ高台にある展望台からは那覇市内を一望できる。夜は夜景スポットとして有名なようだ。

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 海軍壕公園にある海軍戦没者慰霊之塔。

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 海軍壕公園展望台からの眺め。

また奥野山公園駅に引き返す途中、『漫湖水鳥・湿地センター』という看板を見つけちょっと寄ってみる。小さいながら展示室があり、野鳥や湿地について色々展示してあった。建物の裏からマングローブの林へ降りることができる。ここにも『ハブ注意』の看板があった。

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 とよみ大橋から見下ろしたマングローブの森。

奥野山公園駅まで戻ってきた。少し昼には早いが次は昼食にする。
今日の昼食は出発前に調べてきていた。その店へ行くためにまたモノレールに乗る。
ゆいレールは、沿線ならばどこでも気軽に移動できるので以前と比べたら夢のようだ。

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 ゆいレールの車内。乗務員室の後ろは展望席になっている。

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 モノレールの走行風景。

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 りゅうぎんロボとドアちゅういの痛そうなカニさん。

終点の首里駅まで行き、そこから少し歩いたところに、あやぐ食堂という店がある。安い食堂として地元ではわりと有名なようだ。

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 首里駅近くにあるあやぐ食堂。

店に入るとまだ11時半だが店内は混んでいた。小上がりのテーブルが1つだけ空いていたのでそのテーブルにつく。
あとから家族連れの客が入ってきて、店の人が「相席お願いしてもいいですか」と言うので、こっちは1人なのでこのテーブルは譲って、他の席に移る。

メニューはこれでもかというほどたくさんあって、沖縄料理はほぼ一通り揃っている。日によって出せないものもあるようだ。何にしようかと迷いはじめると日が暮れそうなので、あまり考えずソバ定食にしておく。

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 あやぐ食堂のソバ定食(570円)

定食にはご飯とマグロの刺身、それにチキンカツがついてこれで570円。味の方は・・・質より量という感じがしたが。まずいわけではない。おいしかった。

店内は地元の人がほとんどで、日曜なので家族連れが多い。首里城見物の観光客らしい人も見られた。

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 首里駅の改札口と売店。

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 首里駅にあった歓迎ポスター。めんそ〜れ。

首里からモノレールに乗り県庁前駅で降りる。
時刻は12時20分、だんだん滞在残り時間も少なくなってきた。 

帰りの飛行機は那覇空港15:20発なので、14時過ぎにモノレールに乗っても十分間に合う。
それまで国際通りあたりをブラブラとして過ごすことにした。

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 国際通り入口にあるシーサー。口を閉じているのがメス。

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 同じく口を開いているのがオス。

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 国際通りのにぎわい。

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 国際通りはどこか異国情緒のある一角もある。

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 むつみ橋のスクランブル交差点。

国際通りも3年前とはかわっているようだ。歩道も整備されてすっかりきれいになった。前はもっと雑然としていたと思ったのだが、モノレールができて人の流れが変わったのか。 

牧志駅から三越のあたりまでが一番にぎやかになっている。国際通りは、ほとんどがみやげ物屋で、道行く人は観光客ばかり。3年前はもっと地元の若い人や買い物客で賑わっていて、地方都市の都心にしてはめずらしく活気があったが、だんだん空洞化、観光地化が進んでいるように感じられる。

県庁側の方は日曜日のせいもあるだろうが、みやげ物屋と観光客ばかりだった。
ダイエーの無くなった沖映通りは人通りもなくなってしまって人通りが少なくなったようだ。

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 往時の名残を留める竜宮通社交街。

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 アーケードの市場本通り。

市場通りのアーケード商店街にジュース屋さんがあって、さとうきびジュースというのを売っている。アルカリ性飲料で健康に良いと書いてある。

めずらしいので1つ買って飲んでみることに。1杯250円。
店の人に頼むとその場でサトウキビを機械で搾り、ジュースにしてくれる。
ひと口飲むと、ああグラニュー糖だなあという味。青臭い砂糖水というところで、とても全部は飲めず、残りは排水溝に流してしまった。(店の人スンマセン)

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 さとうきびジュースはその場でさとうきびを搾ってくれる。

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 アジアンムードな第一牧志公設市場入口。

14時近く、もうそろそろ沖縄とお別をしなくてはならない。もう少し居たかったがモノレールで那覇空港に向かうことにする。

見栄橋からモノレールに乗るが、ちょっと寄りたいところがあるので赤嶺駅で降りる。
ここは名実共に日本最南端の駅。改札口のところに『日本最南端の駅』『最北端稚内駅より二五〇〇キロメートル』と書いた手書きの建て看板がある。駅前広場には『日本最南端の駅 ゆいレール赤嶺駅』と書いた記念碑があった。

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 日本最南端の駅となった赤峰駅。

那覇市内ではめずらしく駅前広場が整備された駅で、駅前には団地とドラッグストア。最南端を感じさせるものは何もなかった。 
一方それまで最南端だった九州の西大山駅の標柱は『本土最南端の駅』と書き換えられたが、「沖縄は本土ではないのか」との意見が出たそうで、現在は『JR日本最南端の駅』と改められている。
ところでこの稚内駅より2500kmとは、あとで調べたらどうやら直線距離のようであった。

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 手書きの看板には最北端稚内駅より2500キロメートルの表示が。

赤嶺駅から1駅で那覇空港駅へ。
コインロッカーから荷物を出してカウンターで搭乗手続きを済ませ、手荷物預かりカウンターへ。酒瓶は係員に「機内持ちをおすすめします」と言われたので機内持ち込み荷物となった。
重い酒ビンを引っさげて空港内のみやげ物屋を覗いて回る。別に買う物は無いが、みやげ物屋を見るのは好きなので、ブラブラと見てまわる。

ほしい物は街中で買ったので、空港で買うものは何もない。15時近くになり、もうそろそろ搭乗ゲートに向かう。

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 日曜日の那覇空港は混んでいた。

出発口のセキュリティゲートは混んでいて、みやげ物をたくさん抱えた人が多く、列はさっぱり進まない。10分くらい並んでようやく自分の番が来る。金属製の物はあらかじめカゴに入れて出す。メンドクサイ、これだから飛行機の旅はいやだ。

出航まであと10分、札幌行の26番ゲートの前は搭乗待ちの人が、まだかまだかと長蛇の列をつくっている。座席はすべて決まっているので並ぶ必要はなく、あわてることはない。
売店で沖縄文庫の『ケービン跡を歩く』という本を見つけ1冊買い、トイレに行って戻ると搭乗が始まっていた。

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 札幌行搭乗ゲート。

帰りの札幌行き飛行機は、ほぼ満席状態だった。
土産袋を持った人が多く、ほとんどが沖縄観光帰りの客のようだ。
行きの飛行機は空席が多く快適だったが、今度は窮屈な3時間となる。

通路側の席でさっき買った本『ケービン跡を歩く』を読む。戦前に沖縄各地に走っていた軽便鉄道の廃線跡を綴った本で、読みながら沖縄に鉄道があればどんなだったか想像する。
機内は旅疲れて眠っている人がほとんどで静か。前方のビデオも消えたままだ。薄暗い機内はけだるい空気が漂っている。

18時25分、飛行機は新千歳空港に定刻に着陸した。18時43分発の円山公園行バスに乗り継ぐ予定でいたのだが、到着口でなかなか自分の荷物が出てこない。結局予定のバスには間に合わず、次の30分後に出るバスの時刻まで時間をつぶすはめになった。

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 沖縄土産に買ったもの。飲み物ばかり、鞄が重たいわけだ。



 ◆ 2020年リメイク版あとがき

こうして記事を作成していますと、画像や文章をいじっているうちに当時の記憶が鮮明に蘇ってくるものですね。
暑かったけど景色が美しかった渡名喜島、あちこち歩き回った那覇市内、牧志公設市場のおばちゃん、暑い中歩き回って喉がカラカラで飲んださんぴん茶。
昨日今日は自宅にいながら、心は沖縄の気分で過ごしておりました。

グーグル・ストリートビューで当時の行動を追いながら作成していましたが、16年も経つと本当にあちこち変わっているものです。
宿泊した旅館は別の経営のドミトリーに、渡名喜島にはレンタカー屋ができてましたね。牧志公設市場は建て替えのため現在移転しているようです。あのごちゃごちゃしたところが沖縄という感じでしたが、これも時代の流れなのでしょうね。

2006年当時は札幌〜那覇間にJALの直行便がありましたが、この翌年には休止となってしまったようです。以来沖縄は金額的にかなり遠い所になってしまいました。

現在はLCCを乗り継いで行けば当時と同じような値段で往復できそうですが、長時間LCCの機内で過ごすことや移動に丸1日かかることを思うと難しいところです。
国際通り界隈も昨今は中国人観光客だらけとも聞きますし・・・
いずれにしても、いつか緊急事態宣言が解け、旅行が解禁になったらまた沖縄を訪れたいところです。

最後に、新型コロナウイルスによる旅行自粛要請が続く中、旅行せずに沖縄旅行気分になっていただければ幸いです。

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 20/05/10 | Comment(0) | 沖縄の旅行記

2006年沖縄旅行記3

前回の続き、渡名喜島の後編になります。

再びさっきの道に戻り、今度は東浜の方に下って行く。
山の斜面は草や背の低い木が地肌をおおっているだけで、所々に枯れた木立が目立つ。視界をさえぎるものは少ないので、道を歩きながら東浜の海が一望できる。
島の上空はジェット機の航空路となっているのか、飛行機雲が次々と現れては消えてゆく。

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 下りの山道から浜を見下ろす。

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 枯れた木立がよく目に付く。

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 現れては消える飛行機雲。

下まで降りてきたが、村の集落以外には人家はまったく無く、荒地ばかりで最果て感も漂っている。
このあたりの風景だけは、真夏の北海道の原野を歩いているのと同じような感覚になる。

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 どこか北方的な風景。

島の南側を一周して再び集落まで戻ってきた。相変わらず誰もいない。
潮がさらに引いて、東浜の海岸は干潟のようになっていた。ここは海水浴場になっているらしいが、泳いでいる人はいない。

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 東(あがり)浜の風景。人もいなくて静かであった。

日向は暑いが木陰に入ると涼しい。干上がった浜を見ながら少し休憩する。
それにしてもフェリーで着いてから今まで人の姿をまったく見ていない。誰ともすれ違ってすらいないのだ。
島人は暑い日は外に出てこないのだろうか。

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 木陰の椅子は島人の“指定席”なのだろうか。

東浜から美しい集落の道を歩き回って、15時少し前頃、再びフェリーターミナルに戻ってくる。
だいぶ雲が出てきて日が陰ってきた。

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 フクギの木陰になった道は涼しい。

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 汲み上げ井戸。島では水は貴重品だろう。

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 軽トラックの消防車。

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 渡名喜村役場。小さいが一応『村』だ。

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 港の荷揚げ場。

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 島に1箇所だけの信号機と横断歩道。車などほとんど通らないが。

フェリーターミナルは船を待っているらしい数人が所在無さげにしている。待合室の椅子に座っていると海からの風が吹き抜けて涼しい。
船に乗る人が1人また1人と集まってくる。
島に着いて以来、ここに戻って来て初めて人の姿を見たのだった。

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 渡名喜島フェリーターミナル。

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 待合所はクーラーなど無いが、海風が通り抜けて涼しい。

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 乗船券うりば。

さっきまでの青空は姿を消し小雨が降り出してきたころ、那覇行のフェリーが水平線の向こうから姿を現し、ゆっくりとこちらに近づいて来る。たった1人で詰めているらしい職員が着岸作業のため出て行った。

フェリーが岸壁に接近すると、港の職員は走り回って船から投げられた係船索を拾って岸壁のフックに掛ける。
最後にこれも手作業でタラップを取り付けて乗船開始となった。

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 久米島から来たフェリーがだんだん近づいてくる。

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 岸壁の手前で方向を変える。

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 岸壁側はただ1人らしい職員が着岸させる。

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 タラップを据え付けて乗船開始。

ぐらぐらと揺れるタラップを渡って乗船。渡名喜からの客は十数人。船内には久米島からの先客がいるが、それでも船内は空いている。
客室内は冷房が効き過ぎて肌寒いくらいだった。

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 見送り人もなく渡名喜島を出港する。

15時45分、船は定刻に渡名喜港を出港する。小雨の中、見送る人もなく淋しい出港風景だった。

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 船内にあるオリオンビールの自販機。

那覇までは再び2時間15分の船旅なので、自販機でオリオンビールの発泡酒を買って飲む。
キンキンにまでよく冷やされた発泡酒が身体に染み渡るようだ。飲むと体が冷え切ってしまった。歩き疲れてそのまま眠ってしまった。

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 オリオンビールの発泡酒はキンキンに冷えていた。

渡名喜島は那覇からフェリーでわずか2時間。週末ならば日帰りで行ける島なのだが、あまり存在は知られていない。
沖縄旅行ブームにあっても、観光でこの島を訪れるひとも少ないようで、沖縄のガイドブックからも完全に無視されている(注、2006年現在)。

島には民宿と商店があるだけでコンビニもレンタカーもレンタサイクルすらも無く、積極的に観光客を受け入れているようでもないので、沖縄に観光しにきた人がこの島に行っても、多分つまらない所だろう。でも、観光地嫌いな人や、昔ながらの沖縄を満喫したい人は渡名喜島に行けばよい。ここには沖縄伝統の家々や、美しい島の風景がある。

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 那覇港に着く。タクシーの列が出迎える。

フェリーが那覇泊港に入るころ、雨は上がっていた。17時50分、定刻より若干早めに着岸。
久米商船の岸壁には出迎えの車や客待ちのタクシーが列をなしている。
1日島にいて那覇に戻ってきたら、外国から日本に帰ってきたような気分であった。

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 再び国際通り。大都会にやってきたような気分だ。

とまりんから歩いて国際通りへ出る。
少し前まで渡名喜島にいたのが夢でも見ていたかのような気分だ。人も車も多いし騒がしいこと・・・

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 牧志第一公設市場。

夕食はどうしたものかとまた昨日と同じ牧志公設市場に行ってみる。市場の2階は食堂になっているのだが、やたらと客の呼び込みをしているのと、前にも来たことはあるのでやめる。
牧志公設市場も最近は札幌の二条市場のように観光地化してきたように感じる。

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 牧志第一公設市場の様子。

1人旅をしていて困ることのひとつに食事があって、1人ではどうも店に入りづらい。居酒屋も1人は苦手だ。 

市場の惣菜屋の前で、なにか買って旅館で食べようかと考えていると、店のおばちゃんがおでんの丼をすすめてくれるので1つ買うことにした。それと、沖縄らしさに惹かれてパパイヤのチャンブル、グルグンという魚の唐揚げも買う。850円だがおまけで800円でいいという。
おまけで店の人が『キンチャク』と呼ぶ揚げパンのようなものをくれた。こんなに食べられるだろうか。

次は酒を買ってから旅館に戻ろうとすると、おばちゃんたちが後ろから「ニイニイ」と呼ぶ。さっきの惣菜屋の前でショルダーバックに提げていた帽子を落としていたのだった。

途中で泡盛を買って、旅館に戻る。市場で買った惣菜を並べて部屋で1人酒盛りとなる。

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 市場の総菜屋で買ってきたおかず。

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 ゴロンと塊が入るおでん。

◆市場で買った惣菜あれこれ◆

“パパイヤチャンブルー”
パパイヤを細切りにして厚揚げやニンジンと炒めたもの。塩味でパパイヤの甘みはうっすらと。

“おでん”
テビチが3つごろんと入る。他は厚揚げ、キャベツ、ニンジン、結び昆布、コンニャク、大根といった陣容。昆布だしの汁はテビチからコクとコラーゲンが溶け出してトロッとしている。

“グルグンの唐揚げ”
沖縄の県魚を唐揚げにした物。塩味、身は淡白。小骨がカタい。

“キンチャク”
店の人の説明によると、財布をかたどったもので、結婚式の引き出物にもなるという。具は入っていない塩味の揚げパンといったところ。

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 沖縄料理には泡盛が合う。

明日は早起きの必要がないので、沖縄料理と泡盛をじっくりと堪能する。泡盛は30度だが、淡泊な味付けの総菜に泡盛のきつい匂いが妙に合う。
すっかり泡盛が好きになってしまった。


タグ:沖縄
posted by pupupukaya at 20/05/09 | Comment(0) | 沖縄の旅行記

2006年沖縄旅行記2

2006年5月13日(土)

今日も朝から天気が良い。7時半に旅館を出る。
朝から日差しが強く、歩いていると汗が出てくるほどだ。

途中の久茂地川の上には、こいのぼりがたくさん吊るされていた。その上をモノレールが通過して行く。

ここから、離島フェリーの発着する泊港までは国道58号線を歩いて10分ほど。フェリーターミナルは『とまりん』といって、ショッピングやホテルなどが入る複合施設となっていて、港にむかってそびえ立っている。

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 こいのぼりがたくさん吊るされた久茂地川。

沖縄まで行ったならば、那覇市内だけではなく、離島へも行って見たい。本当は宮古島や石垣島の方に行きたかったのだが、日程や予算の都合でそこまでは行けない。那覇から日帰りで行ける本島周辺の離島へ行こうと朝早くから出てきたわけである。

東シナ海の中に、慶良間列島、粟国島、久米島、渡名喜島といった島々があるが、今向かおうとしているのは渡名喜(となき)島という那覇の沖合58kmほどにある、さんご礁の離島である。金曜と土曜に限って那覇からこの島へ日帰りのできるダイヤが組まれる。

とまりん1Fの久米商船の窓口で渡名喜島までの往復乗船券を買う。待合所の売店もすでに開いていて、のぞいてみると弁当も積んであったので、350円の弁当とさんぴん茶、それにサーターアンダギーを一袋買う。弁当を買うとなぜか茹で玉子を一個サービスしてくれた。 

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 フェリー待合室の売店。

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 那覇から渡名喜島への往復乗船券(4,010円)。

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 久米島行のフェリー『ニューくめしま』。

港の先には久米島行きのフェリー『ニューくめしま』がいた。タラップの前で乗船券を渡して船に乗り込む。客室は飛行機のような座席が並んでいて、こちらは定員61名。ほかに、桟敷席や甲板にもベンチが並べられている。桟敷席は人気があってすでにふさがっていた。

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 船上から見たフェリーターミナルとまりん。

船内の座席の座り、とりあえずさっき買った朝食の弁当を開く。
350円の弁当はスパムとメンチカツ、卵焼、沖縄ソバの焼そば、サバの照焼などのおかずがご飯の上に直接並べられている沖縄スタイルで、なかなかボリュームがある。

弁当を食べ終わったころ、出港となった。時刻は8時30分。渡名喜島までは2時間15分の船旅が始まる。

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 港の売店で買った弁当とサーターアンダギー。

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 どんぶりスタイルが沖縄の弁当。

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 デッキから見た乗船タラップと見送りの人。

デッキに出ると、日差しは強いが海風が涼しい。
船は徐々に岸壁から遠ざかってゆく。澄んだ青空とまさにマリンブルーの海。しばらくすると右側に無人島がいくつか見えてくる。双眼鏡で見ると船着場なんかも見える。那覇から近いこれらの島は、那覇から日帰りツアーもあるようだ。

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 青空に映える信号旗。

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 船内の様子。

海は波もなく穏やかなのだが、小さい船のせいかわりと揺れる。船内の乗船客は、ぐったりと横になる人と、甲板で元気にしている人との二手に別れている。お年寄りの方が元気は良いようだ。

左手には海から突き出たような荒々しい慶良間諸島が続く。

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 たまには船旅もいいものだ。

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 慶良間列島を見ながら船は進む。

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 甲板にも座席が並ぶ。海風が心地よい。

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 渡名喜島がだんだん近づいてくる。

南の海風に吹かれながら島を眺めたり写真を撮ったりしながらの船旅は楽しく、あっという間に2時間は過ぎた。目的の渡名喜島がだんだんと近づいてくる。

渡名喜島はさんご礁の島で、島を取り囲むように浅瀬が続いている。港までの船が通るところだけ深くなっていて、船はそこを慎重に進む。 

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 フェリーは渡名喜港に寄港する。

渡名喜島で下船する人は20人ほど。見ただけではよく分からないが地元の人が多いようだ。
渡名喜は空港が無く、那覇からの便は1日1回この船のみ。港には那覇からの荷物を受け取りにきた車や客を迎えに来た民宿の車が待ちうけている。

ぐらぐらと揺れるタラップを渡って、下船する。すぐ前にはフェリーターミナルの建物があるが、ほかには何も無い。客を降ろしたフェリーはしばらくすると久米島へ向かって出港していった。 

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 渡名喜港の下船風景。

海の上は涼しかったが、陸地にあがると暑い、日光が刺すように照りつける。

フェリーターミナルの近くには村役場があるだけで、ほかには商店も食堂も何もない。港の前の道路に横断歩道と押しボタン式の信号機があって、船上から見るとそれらしい町のように見えるが、車などほとんど通ることはない。

渡名喜島の2万5千分の1地形図をプリントして持ってきたので、それを片手にとりあえず歩き出す。

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 村内はフク木の垣根と白砂の道が続く。

さて、どこへ行こうか。とりあえず島の反対側の浜まで行ってみようと歩き出す。集落の道は白砂が敷き詰められていて、道の両脇にはフク木の高い垣根が続いている。緑濃いフク木の間から赤瓦屋根の古い民家、そして澄んだ青空。
この集落は国の重要伝統的建造物保存地区に選定されている。

ああ、まぎれもなくここは沖縄の離島だ。
念願がかなってただただ感激である。

掃き清められた白砂の道は歩く人もいなく静まりかえっている。背の高いフク木に囲まれて木陰になっている道は涼しい。

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 背の高いフク木に囲まれた古い家並。

木陰の道を抜けて港と反対側の東(あがり)浜に出る。ここもやはり人影は無い。白砂の海岸は引き潮で、沖の防波堤のところまで干上がっていた。 

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 島内あちこちに『ハブに注意』の看板が。

東浜近くから山を登る階段があり、上にはあずま屋らしいものが見えたので階段を登ってみる。階段を登って山の中腹あたりにさっき見えたあずま屋があり、ちょっとした展望台になっていた。
ここから、濃い緑のフク木に囲まれた島の集落がほぼ一望できる。あずま屋のテーブルにはこんな一文が・・・

“夕日に向いて
 この丘から
 一人の愛を
 誓い 祈れば
 必ず 願いは
 かなう”

マリンブルーの海も美しいが、ここから見える夕日はさぞかし美しいのだろう。

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 あずま屋から島の集落を見る。

階段はさらに上まで続いていて、NTTのアンテナの横を通り一番上まで登ると小さな祠があった。看板には『渡名喜里遺跡』とある。
゛「里殿」「ヌル殿内」の拝殿があり、島内随一の信仰地であります″と説明文があり、古くから島の神聖な場所のようだ。
よく分からないがとりあえずお参りしておく。ちなみにこの場所は、国土地理院の地形図ではなぜか神社の記号で載っている。

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 里遺跡の祠。

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 東(あがり)浜を見下ろす。

山を下ってまた集落の道を歩く。

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 集落はどこも絵になるような風景。 

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 門柱のシーサー。

11時半過ぎ、またフェリー乗り場まで戻ってきてしまった。
昔ながらの沖縄の離島風景に感激したが、どこか行く当てがあるわけではない。
帰りの船は15時45分発、まだまだ時間はたっぷりとある。
地図を見ると、島の南側にある山道を辿ると島を1周してこられるようだ。せっかくだから歩いて行ってみよう。

今度は西側の海岸にある道路を歩く。
集落を抜け、港を過ぎると道路は岩肌が露出した荒々しい山裾に沿って道路が続いている。眼に入るのはコンクリートの道路と白い石灰岩の山肌、干上がった海岸ばかり。
日を遮るものは何も無く、とにかく暑い。
そびえ立つゴミ焼却場の前を過ぎたあたりからきれいな砂浜が広がる。海岸の岩に腰かけて一休み。海岸には人っ子一人いない。
足元の白砂はサンゴのかけららしいものが一杯。波は穏やかだが、すこし沖のサンゴ礁から外海になるあたりは白波が立っていた。

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 引き潮で干上がった海岸。

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 白砂が美しい呼子(ユブク)浜の海岸。

海岸沿いの道が途切れるあたりから今度は山道を登ってゆく。クネクネと曲がりくねる細い舗装道路を登って行くと、山の上に展望台があったのでそこでまた休憩する。
いやはやまったく暑い。

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 渡名喜園地の展望台。

展望台は三面海に囲まれて眺めが素晴らしかった。

那覇で買ってきた生ぬるいさんぴん茶を飲みながらサーターアンダギーをほうばる。
ほかに誰もいない展望台のベンチに腰かけて、どこまでも青い海と遠い島影を見ていると、一国の王様になったような気分になってきた。

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 展望台には望遠鏡(無料)もある。

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 沖合にぽっかりと浮かぶ無人島の入砂島。

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 北側は荒々しい風景。

海を眺めながらボーっとしていた。屋根の日陰に腰かけて風に吹かれているといつの間にか汗が乾いていた。フェリーの時間さえ気にしなければ日暮れまでずっと居たいくらいここが気に入ってしまった。

今度は島の東側の方へ出発する。
展望台を出るとき、壁面にこんな一文を見つけた。

”この島の山や海 そして集落風致には
 沢山の数々の思い出がある
   寄る年並みに 里心 増さてィ
   眺めてィん 飽きらん 我が生まり島
   変わるなよ 姿 幾代までィん 

       幾世代にも渡たり そこに住み 働き
        支え合っている 村民が大きく
         躍動することを祈り 願います”



タグ:沖縄
posted by pupupukaya at 20/05/09 | Comment(0) | 沖縄の旅行記
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