2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記10

◆ 5日目 サンライズ出雲〜東京〜成田空港〜新千歳空港〜札幌

◆ 出雲市 前日18:51【サンライズ出雲】7:08 東京

夜行列車の旅はやっぱり良い。
特に寝台車の旅は楽だし、横になってゴトゴト揺られながら眠るのがとても良い。

窓の外が明るくなって目覚めると6時前。熱海を発車して相模湾沿いを走っている。
空が白んで水平線のあたりが赤くなっていた。
日の出前の風景。今日も天気は良さそうだ。

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 夜明けの相模湾。

小田原を6:04に通過。あと1時間ほどで終点の東京に着く。
もしかして富士山が見えるかもと思い、部屋を出て通路の窓から外を見ていると、富士山がはっきりと姿を現した。
朝日に照らされて、富士山も町も赤く染まっている。

通路の両側に個室が並ぶサンライズシングルやソロの車両と違い、この4号車は海側が個室、山側が通路となっている。
こうして通路に出れば両側の車窓が堪能できるのだ。

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 赤い富士山。小田原のあたり。

部屋に戻ると、今度は家並みの向こうから朝日が差し込んできた。
まさにサンライズエクスプレス。今日も新しい1日が始まる。
昨夜は島根県だったが、一転して大都会東京である。

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 朝日に出迎えられて。

日が昇るにつれて、部屋も明るくなってきた。
壁や机は、明るい木目調で揃えられているので、明るく清潔に見える。

夜の照明がビジネスホテルと同じように暗めだったので寝るためだけの空間のような印象だったが、朝を迎えるとすっきりとしていて、妙に重厚だったブルートレインの個室よりもこちらの方が好印象だ。

車体の外装だけでなく、内装もサンライズの名の通り朝をイメージしているのだろう。

それにしても7時過ぎに終着とはもったいない。
逆に下り列車ならば東京発は22時だが、翌朝は10時近くまで乗っていられる。

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 朝を迎えたシングルデラックス。

遅れてくれ〜、と念じてみても効果はなく、横浜に着く。6:44定刻。

ここは既に朝のラッシュが始まっていて、ホームはすごい人。
もうここは通勤電車の方が主役で、寝台特急はその中に割り込んできたような格好である。

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 横浜駅のホームは人、人、人。

横浜を発車すると次は23分で終点東京である。
降り支度はもう終えているので、あとは着くのを待つだけ。

もう少しゆっくり走ってくれよ〜、と思うが、列車は容赦なく東海道本線を突っ走る。

♪〜ご乗車ありがとうございました、間もなく終点東京です。

これも容赦なく音楽のあとに自動放送が入る。

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 新幹線と並走。

7:08、東京着。定刻。
出雲市から953.6km、所要時間12時間17分で1分の遅れも無し。

さすが日本の鉄道は優秀。

しかし、豪華寝台に乗っているときは逆に遅れてほしいと願ってしまう。
着いてからそのまま出勤なんて人もいるだろうから、あまり大きな声では言えないが。

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 終点東京に到着。

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 サンライズエクスプレスの正面。

東京駅も上野東京ラインの開通によって途中駅になってしまった。
前のように、特急専用ホームも無くなってしまった。

東京駅のラッシュはまだ始まっていないようで、サンライズの客がいなくなると、ホームは閑散となった。
何枚か写真を撮るくらいの余裕はあった。

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 戦前の姿に復元された東京駅丸の内駅舎。


◆ 皇居、柴又、新橋、銀座、東京見物

さて、東京である。
今日は成田空港まで行き、夕刻の飛行機で札幌へ帰ることになっている。

成田空港までは、東京駅発13:15発の快速エアポート成田を予定しているので、半日ほど時間がある。

前回東京に来たのは、寝台特急あけぼのに乗った時だから2013年、ほぼ4年前である。
その時は上野に着いてから、江ノ電に乗りに行った。

今回はどこに行こうかと考えたが、東京もこれと言って行きたいところもなく、結局まとまらなかったので、候補をいくつか挙げておいて、その日の気分で決めようということにしていた。

第一の候補は東京スカイツリー。ここは朝8時からやっている。
天気は今日も快晴。気持ちがいいほど秋の青空だ。遠くまで見通せて気持ちが良いだろう。

ところが、この時間じゃ電車でどこへ行くにもラッシュに当たるだろうし、何となく丸の内口から出て皇居へ向かって歩き出す。

新しくなった東京駅丸の内駅舎を写真に撮るが、見事な逆光。
晴天は歩く分には気持ちが良いが、逆に全くのカメラ泣かせでもある。

朝7時半の皇居は人が少なくて良い。
散歩する人やジョギングの人が目立つくらい。

まずは東京観光の定番スポット、皇居二重橋

今朝は風もなく、お堀の水面は波ひとつなく、まるで鏡のように空や周りの景色を映している。
二重橋も水面に鏡のように映っていた。

なんという幸運。
こんどは皇居に呼ばれていたのかもしれない。
当初はスカイツリーが8時からやっているので、そちらに行こうとしていたのである。

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 皇居二重橋。鏡面のような水面にも美しく映っている。

この風景に気付く人は少ない。
早く見ないと水が波立ってしまうよ (^^;

ところで二重橋といえばこの眼鏡橋ということになっているが、実はこの奥に架かる橋が本当の二重橋で、今見えている橋は『正門石橋』という橋だそうだ。

二重橋をあとに桜田門へ。ここから国会議事堂に向かう。
皇居から国会議事堂は意外と近い。

このあたりは霞が関や永田町といった政府関係の機関が多いせいか警官やパトカーがやたらと多い。

おお〜あれが国会議事堂か。見覚えののある建物だが、実物を見るのは初めてだ。
何だか東京見物の定番めぐりになってきた。

今日はもうお上りさんに徹することにする。

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 国会議事堂の実物

国会議事堂は見学ができると知っていた。
私も国民の一人として見学させてもらおうと、裏側にある見学者入口のところにいる警備の人に聞いてみた。
すると、見学ツアーは9時からで、しかもツアーに空きがなければその次のツアーまで待つことになりますよ、とのつれない答え。

こんなところでただ待つだけなのは馬鹿らしい。

はい次、ということで近くの永田町駅から地下鉄に乗る。
ここで8時半、ラッシュだと覚悟していたが、この辺りでは降りる人の方が多くて、それほど混んではいなかった。

次に向かうは葛飾柴又の寅さん記念館である。ここは9時から開いている。
出発前に朝早くから開いているところばかりピックアップしてきた。

地下鉄半蔵門線と銀座線、上野からは京成電車を乗り継いで柴又駅に着く。

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 柴又に到着。

柴又に来たのは2回目になる。今から16年前。当時は青春18きっぷでの旅の途中で、JR金町駅から江戸川の土手を歩いて行った。京成電車の柴又駅とは全く逆の方向になる。

寅さんも柴又に帰るときは江戸川の土手を歩くことが多かった。
それは東京までの長距離乗車券を買うと必ず行先が『東京都区内』となるのである。
上野からの電車賃をケチって、寅さんは常磐線で金町まで行き、そこから江戸川の土手を歩いて帰ったのだろう。

駅前はどこもかしこもマンションだらけになる中で、柴又の帝釈天参道だけは昔から変わらない街並みになっている。
参道を通って、帝釈天前を過ぎて、寅さん記念館へ行く。

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 帝釈天参道。寅さん映画の時代からあまり変わっていない。

寅さん記念館はその名の通り『男はつらいよ』で使われたセットや実物の資料が展示されている。
私は寅さんシリーズは全部見たわけではないが、寅さんファンの一人である。
今でもたまに寅さんのDVDを借りて来ることもある。

そんなわけで『くるま菓子舗』のセットは懐かしいというより、お馴染みのように見えた。
セットだが、映画では映らない場所も精巧にできている。

寅さんファンには面白いところだ。

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 『くるま菓子舗』店内のセット。

この博物館は鉄道ファンでも見逃せないところがあって、帝釈人車鉄道の展示もある。
これは、今の京成金町線の前身で、人が客車を押して動かすというめずらしいもの。

人が押して動くのを再現した模型や、実物のサイズで復元した客車などがあった。

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 帝釈人車鉄道の模型。ボタンを押すと動き出す。

あとは旧型客車を再現したコーナーなど。何だかそっちの方ばかりに関心が行ってしまった。
まあ、寅さんと言えば旅中に汽車は欠かせないから当然ともいえるが。

40分くらい居て、また帝釈天前に戻る。

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 柴又帝釈天と二天門。

帝釈天でお参りをして、また参道を歩く。
10時半、こんどは参道の店も開いていて、人通りも多く賑わっている。
場所柄か道を行く人の年齢層は高い。

もう寅さんを知らない世代も出てきたんだとか。
最近はテレビでもあまりやらなくなったしね。

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 高木屋老舗と帝釈天参道。

高木屋の店先で草団子を1本買う。ここで食べるというと、お茶をサービスしてくれた。
店先のベンチで食べる。

草団子と餡は素朴な味わい。
東京駅に着いてからずっと歩きっぱなしだったので、甘いものが美味しい。

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 草団子(160円)とサービスのお茶。店先で頂いた。

ひっきりなしに人が来るので、あまり落ち着ける場所ではない。
食べ終わると早々に駅へ戻る。

この帝釈天参道は日本人ばかりで、落ち着いた雰囲気だった。
そういえば、今までの旅行でも、あのやかましい爆買いの御一行には1度も遭遇しなかった。
今まで純日本風のところばかり回っていたせいかな。

今回の旅行のサブタイトルを付けるなら、純和風の旅と言ったところ。

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 フーテンの寅像と柴又駅。

柴又から京成電車に乗る。
こんどは新橋にある旧新橋停車場鉄道歴史展示室へ行ってみる。
ここは明治5年に日本で最初に開通した鉄道の、旧新橋停車場を復元した建物になっている。

新橋に着いたらまず昼食にしよう。
なぜかラーメンが食べたくなった。
スマホで『ラーメン』『新橋』でググったら、タンメンの店が出てきた。ここにしようか。

上野に着いて、ここから地下鉄銀座線で新橋へ。着いたらすぐに店に向かった。

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 新橋のタンメンしゃきしゃき。

タンメンは札幌ではあまりメジャーではない。
札幌ラーメンと言えば炒めたモヤシが乗っているからだろう。
旅行中は野菜をほとんど食べていなかったのでちょうど良い。

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 タンメン(700円)は、たっぷりの野菜に太縮れ麺と塩味スープ。

たっぷりの野菜と太い麺は突撃〜という感じで攻めたくなる。
朝から団子1本しか食べてないしね。
そういえば温かい食事は初日の博多のもつ鍋以来じゃなかっただろうか。1人旅の食事なんて、得てしてこんなものだ。

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 旧新橋停車場の建物。

旧新橋停車場へ行ってみる。
1階が旧新橋駅の遺構や出土品などの展示。2階が企画展示室になっている。
企画展示は『鉄道博物館 収蔵資料展』ということで、オレンジカードや食堂車で使われていた食器などが展示されている。
残念ながらこれといった見ごたえは無かった。まあ、入場無料なので文句を言うわけにはいかないが。

館内は撮影禁止なので、館内の画像はありません。

いまは12時を過ぎたばかり。
あと1時間ちょいほど時間がある。

ここから東京駅の八重洲口まで歩いて2キロくらい。
途中、銀座の街を通って歩いて東京駅に戻ることにした。

歩くのは中央通り、地下を地下鉄銀座線が通り、銀座のメインストリートである。

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 銀座4丁目の交差点と銀座のシンボル和光の時計塔。

銀座4丁目が銀座の中心。時計塔のある和光や三越銀座店がある。
国税庁が発表する路線価の全国1位に毎回登場するのもこの辺りである。

おお〜、あれが銀座の和光か〜、三越のライオンか〜、と写真を撮る。
今日は完全にお上りさんを決め込んでいる。

次は木村屋でアンパンを買う。木村屋と言えばアンパンの元祖。
アンパンとはそもそも木村屋の創業者である木村安兵衛が明治7年に考案されたもので、これによってパンになじみがなかった日本人にパンが広まったとされる。

パン1つにしてもこれだけ由緒ある店なのである。さすが銀座
店内は対面式。ショーケースのアンパンを2個取ってもらう。

1個162円。随分小さいんだね (´・ω・`)
(天の声)
高級品はみんな小さいの(#^ω^)

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 アンパンの元祖、銀座木村屋。

再び銀座をテクテクと歩く。
ちょっとした銀ブラといったところ。

まだ時間があるので、東京駅に行く前にKITTEに寄る。
ここは旧東京中央郵便局を高層ビルのJPタワーと商業施設のKITTEとして建て替えた所。

ここの一番の見どころは、屋上庭園にある。
ここから東京駅に出入りする電車を見下ろすことができるのだ。
日本一のトレインビュースポットと言ってもいい。

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 KITTEの屋上から行きかう電車を眺める。

一番手前が京浜東北線の北行、一番奥が東海道新幹線。
ひっきりなしに走る電車を見ているといつまでも面白い。
鉄道好きでなくとも、なかなか面白いスポットですよ。

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 精巧な鉄道模型を見てるようでもある。

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 東京駅丸の内駅舎も一望できる。


◆ 東京 13:15【快速エアポート成田】14:39 空港第2ビル

20分くらい電車を眺めていて、今度は東京駅へ。
総武線なので地下ホームになる。

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 東京駅地下の総武線ホームから出発。

帰りの飛行機はLCCのジェットスターなので成田空港まで行くことになる。

東京駅から成田空港まで遠いこと。
快速エアポート成田は1時間に1〜2本で、1時間27分もかかる。
特急成田エクスプレスなら1時間に2本で、56分で着くが、特急料金が1700円かかる。
急ぐわけでもないし、節約のために快速電車とした。

グリーン車ならば980円
ホームにグリーン券の券売機があるので買おうとしたらSuica専用だった。
もういい、普通車で行く。

やってきた電車はやっぱり混んでいて立つことになった。
ずっと混んだままで、東京を出てから1時間の佐倉でようやく座れた。

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 空港第2ビルに到着。

ジェットスターは成田空港の第3ターミナルが乗り場になる。第3ターミナルは第2ターミナルからさらにバスで移動することになる。

空港第2ビル駅で電車を降り、改札口で乗車券を見せるとそのまま通してくれた。
無効印を押してもらおうと思っていたのだが、券面の行先は成田空港となっていたので、途中下車ということにしてくれたのか。
いずれにしても博多からの乗車券は手元に残った。


◆ 成田空港 16:35【ジェットスター GK121】18:20 新千歳空港

第3ターミナルで飛行機のチェックインをする。預け荷物は無し。ていうか預けると1個3000円の追加料金がかかるのだ。
このため荷物も増やさないようにしていた。
ま、もともと土産物などほとんど買わないので、これで良かった。

早めに来たので出発時刻までまだ1時間半もある。
フードコートがあるので、1杯やろうか。
まだ金曜日の3時前だが、あとは飛行機に乗るだけだし、勘弁してもらおう。

昼のタンメンがまだ腹にあるので、軽いものをということで、ぼてぢゅうのたこ焼きとビールにした。

ビールのサイズは思わずダブル生にしてしまった。
あちゃー、やっちまった。ダブル生とは1Lジョッキなのである。

過去にドイツやチェコに行ったときは、このサイズのジョッキを昼から開けていたものだ。

しかし、飛行機に乗る前にこんなに飲んでもいいのか? ぼてぢゅうさん (^^;

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 たこ焼ソースマヨとダブル生ビール(1490円)。

でもおいしく全部頂きました。

旅も残すところ新千歳空港までの飛行機だけとなり、フィニッシュを前にして打ち上げといったところ。

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 新千歳空港行ジェットスター。

ここから新千歳空港までの1時間45分の苦行が始まる。
それでも座席は通路側が取れたのでいくらかマシだ。

出発前に旅行中に読もうと文庫本を1冊買っていたが、結局読んではいなかった。
ちょうど良いからここで読んでしまおう。

18:20、飛行機は新千歳空港に着いた。定刻通りだが長かった。
搭乗前にあれだけビールを飲んだのだから、ずっと寝ていられるかと期待したが一睡もできず、本は1冊全部読んでしまった。

荷物受け取りも無いので、飛行機を降りたら一目散にJR新千歳空港駅へ。
もう早く帰りたい。

18:30発の快速エアポートにはぎりぎり間に合った。
そのかわり満席。札幌までずっと立ちっぱなしだった。

19:07札幌着。ホームに降りると空気は冷たく、もうすぐ冬だと実感する。
西改札口を出ると、もう家に帰ってきたような気分だ。

晩御飯は何にしようかな。帰ってから作る気力もない。たこ焼きと1Lビールが効いて、あまり腹も減っていない。

家に着いてバックパックから荷物を出すと、私を忘れちゃいやよとばかりに、銀座で買った木村屋のあんぱんが出てきた。

今夜の晩御飯が決まった。

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 銀座 木村屋總本店のあんぱん2種。

 【4泊5日の旅行費用】
費目金額(円)割合
交通費(飛行機)7,3708.5%
交通費(博多→成田空港)32,78037.7%
交通費(その他)7,9709.2%
宿泊費(3泊)10,40012.0%
食費20,08923.1%
その他(土産、雑費など)8,2149.5%
合計86,823 

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 福岡市内→成田空港の使用済み乗車券。下車印が旅の記録。

 また長い旅行記になりましたが、最後までお読みいただきましてありがとうございました。

〜おわり〜

posted by pupupukaya at 18/01/14 | Comment(2) | 西日本の旅行記

2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記9

 ◆ 出雲市 18:51【サンライズ出雲】翌7:08 東京

いよいよ、今回の旅行一番の目玉であるサンライズ出雲である。

1か月前に苗穂駅のみどりの窓口でシングルデラックスの寝台券をゲットしてから、ようやくそれと対面する日が来たのだった。

サンライズ出雲は東京〜出雲市間953.6kmを夜行で結ぶ寝台特急列車で、東京〜高松間のサンライズ瀬戸とともに、定期列車としては日本国内で唯一の寝台列車であり、夜行列車である。

上り列車はそれぞれ出雲市と高松を出発し、岡山で併結して東京へと向かう。下りは逆で、岡山で切り離してそれぞれ出雲市と高松へ向かうことになる。

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 サンライズ出雲のルート。(地理院地図より作成)

毎度のことながら、夜行列車に乗る前はワクワクする時だ。
乗車前に車内で飲み食いするものを買い物したり、車内で読む本を探したり、結構忙しかったりする。

サンライズ出雲は食堂車も車内販売も無く、飲み物の自販機くらいはあるのだろうが、乗ってしまったら何も手に入れることができないのである。

そんなわけで、今のうちにお酒とか夕食とかを仕入れておく必要があるのだが、出雲市駅前って本当に何もないのね (^^;
 (出雲の人すんません)

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 居場所も無くウロウロと。

アトネス出雲という土産物街があるくらい。歩いて片道15分くらいのところにスーパーはあるようだが、往復だけで30分は取られる。駅中で調達するしかない。

駅構内で買い物できそうなのはセブンイレブンくらいなもの。酒類はここでいいとして問題は食料のほう。
いくら何でも、車内の個室寝台でコンビニの弁当では侘しいのにも程があるだろう。

出雲そばの店には駅弁の売店があった。あとで駅弁を買おうか。

待合室があるがここは満席。
しばらく駅舎の写真を撮ったり、ぶらぶらして過ごす。

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 正面の三角屋根に神話に夕焼け空。

駅弁は早めに買っておくかと、構内の出雲そばの店に行くと、店内は客が誰もおらず、もうすぐ店じまいのような雰囲気。
ショーケースを見ると1080円の『出雲そば弁当』と、940円の『かに寿し』だけのようだ。

店のおばさんが出てきて、出雲そば弁当をくださいと言うと、おばさんは出しかけたが、
「あれ、これ6時までだ」
「お客さんこれ賞味期限が6時なので、それまでに食べるのなら売ってあげられますが」

と言われたので、すぐに食べるという約束で売ってもらった。
そのかわり値引きして700円でいいとのこと。
とは言っても列車に乗ってから食べるつもりだが。
店を後にすると『弁当完売いたしました』の札が出た。

最後の1個だったのか (^^;)

とりあえず夕食の確保はできた。

夕食時なのだが、サンライズ出雲のために駅弁の作り置きはしていないようだ。寝台特急の始発駅としては寂しい。
まあ、駅弁業者が残っているだけまだマシか。
ずっと山陰本線を乗り継いできたが、ここ出雲市駅が小倉駅以来の駅弁のある駅なのだ。

あとはセブンイレブンでお酒とつまみ、あとはちょっとした土産物などを買う。
もうすることはない。

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 駅構内の出雲そば黒崎と駅弁の売店。

18:18発米子行普通列車が発車すると、改札口の発車案内に『特急サンライズ出雲』の表示が出た。
駅前やコンコースはさんざんウロウロしたので、もうホームへ行くことにした。

改札口で入線時刻を聞くと、18:46とのこと。
発車5分前の入線とはずいぶんと慌ただしい。

ホームへ行くと、サンライズ出雲の客たちがすでにいた。
自分もそうだが、皆さん列車の入線まで居場所がないのだ。

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 ホームのサンライズ出雲の表示。

2番ホームはずっと空いてるんだからもっと早く入線してもらいたいのだが、何ゆえに発車5分前なのか。
たまに「サンライズ出雲は18:46に入線します」とのアナウンスがある。

ようやくサンライズ出雲の入線を伝える放送があった。

待ちくたびれたぞぉ〜 (# ゚Д゚)

先頭車両の停止位置のところでカメラを構える。
夜に動いている列車を撮っても写らないからね。

先頭車両は、ホームの屋根の部分からはみ出して真っ暗なところ。カメラ泣かせ。
しかし、ホームで三脚なんて無粋なものは使いませんよ。つーか持ってきてないし。

先頭車両はフラッシュも厳禁。何とか手持ちで撮影する。
夜景の撮影は相当に気合がいるのだ。

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 入線したサンライズ出雲。

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 特急サンライズ出雲の行先表示。

始発駅なのだから、外から編成を一通り見てきて車内探検もして、自室でくつろいだあたりでゆっくりと発車といきたいところだ。
しかし、停車時間が5分では乗り込んで荷物を降ろして腰掛けたらもう発車である。

機関車を先頭にブルーの車体が連なっていた寝台特急のイメージとは程遠い。

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 シングルツインのある4号車の通路。

さて、乗り込んだ4号車はA個室シングルデラックス(1人用)とB個室サンライズツイン(2人用)との合造車になっている。
窓側が通路になっていて、壁は木目調で統一されている。

明るくて清潔だけど何だかドライな感じ。ホテル調と言えばそんな気もするけど、どちらかというとオフィスのような印象を持った。のっぺりしているので写真的にはイマイチ。

A個室は通路から登る階段になる。
B個室は逆に下りる階段で、通路から見ると地下室のように見える。

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 隣の部屋と向かい合わせのシングルデラックスの個室ドア。

お邪魔しまーす。

室内はビジネスホテルを小さくしたような感じ。
窓側はベッド、これは固定されていて、折りたたんで座席にはできないようだ。

通路側は机(デスク)になっていて椅子も置かれている。
奥は洗面台で大きな鏡が張られていた。

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 シングルデラックスの部屋。

実際ビジネスホテルの部屋と比べれば格段に狭いのだろうが、狭さはまったく感じない。
感覚的にはA個室のロイヤルと同じくらいの広さ。

窓も大きく、2階部屋なので目線は高いのは気持ちが良い。
明日の東京到着7:08までの12時間以上、この空間を独り占めできるのだ。

さすが1等寝台 (^o^)/

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 洗面台と机。

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 乗車券とサンライズ出雲の寝台券。

荷物を降ろすのも忘れて部屋の撮影に熱中していたらいつの間にか発車していた。
本当に慌ただしい。

もう少し早く入線させてよ JR西日本さん。

ところで、この部屋は喫煙部屋なのだが、灰皿が無かった。
私にはどうでもいいことだが、部屋で一服というときにどうするんだろう。
洗面台に?そんなばかな。

部屋は清掃が行き届いているせいか換気が良いのかはわからないが、それの臭いはまったく感じなかった。

すぐに車掌が車内改札にやってきた。サンライズエクスプレスのロゴが入ったアメニティーグッズとシャワーカードが手渡される。シャワーは後で行ってみよう。

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 ベッドは窓側にある。

もう誰も来ることはないので、車内探検に出かける。

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 車内のご案内。1〜7号車はサンライズ出雲、8〜14号車はサンライズ瀬戸になる。

3号車にはラウンジがあって、フリースペースとなっている。両側の窓に向かって固い椅子が4席ずつ左右に並んでいるだけなので、あまり長居するようなつくりにはなっていない。
ノビノビ座席の人が弁当を食べたりするのにはここがいいだろう。

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 3号車にあるラウンジ。

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 ラウンジに設置された自販機。酒類や食べ物は無い。

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 3号車の1人用B個室ソロ。とにかく寝るだけといった印象。

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 2号車の1人用B寝台シングル。ソロよりは若干余裕がある。

個室を見てきたが、空き部屋が多かった。主のいない部屋はドアが開けっぱなしになっているので、カメラを突っ込んで写真を撮らせてもらう。

5号車はノビノビ座席といって、フェリーの桟敷席のようにゴロ寝で行くスタイルになっている。上下2段になっていて、かつて急行はまなすにあったカーペットカーと同じような造りだ。

横になって頭の部分だけ仕切り板があるほかは開放的になっているので、プライバシーの面ではイマイチ。
そのかわり寝台券不要の指定席特急券で利用できる。

リーズナブルなのでここが一番人気かと思っていたが、見事に空席だらけ。
撮影させてもらう分にはありがたいんだけど。

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 5号車のノビノビ座席。上下2段になっている。カーテンは通路との仕切り。

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 ノビノビ座席の上段。

途中駅から乗ってくるんだろうか。
シーズンオフの平日だからこんなもんなのだろうか。

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 4号車の洗面所。

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 4号車のトイレ。

車内を一通り見てきたので、次はシャワー室に行く。
A個室客は、4号車のシャワーが無料で使えるのである。

シャワー室は3号車にもあり、そっちはシャワーカードを買えば一般客の利用ができる。

通路からシャワー室に入ると脱衣所になっている。
どうやら一番乗りのようだ。

脱衣所のカードリーダーにカードを入れると、シャワーのお湯が6分間出る仕組みである。

ボディーソープとシャンプーはシャワー室にも置いてあった。
アメニティグッズの中にフェイスタオルは入っているが、バスタオルだけは無いので持参する必要がある。

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 4号車のシングルツイン専用のシャワー室。こちらは脱衣所。

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 シャワー室の内部。

風呂は毎晩入っていたし、暑い季節でもないので無ければ無いで良かったのだが、気分は良い。

最後に洗浄ボタンを押してから出る。
次の人用にシャワールームを自動で洗浄する仕組みである。

さっぱりしたところで、部屋に戻って、宴会を始めよう。

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 出雲市駅で買った出雲そば弁当。

弁当とお酒を机に並べるが、机と椅子は壁側を向いているので、壁に向かって飲み食いする格好になる。
夜景を見ながら一杯という風に考えていたが妙なことになった。
ベッドに腰掛けてだと、こんどはテーブルがない。

机の上にはスタンドがあって、机の上を照らす。
うーん、まるでビジネスホテルだね。
この机も、飲み食いするよりも、仕事か勉強用だね。

何のことはない。椅子を洗面台の方へ向ければ良い。これなら机の弁当にも箸を付けられるし車窓も見ることができる。

洗面台の鏡に映った自分自身と差し向いでやることになるが (^^;)

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 メインは出雲そば。あとはかに寿しと宍道湖名産のうなぎ、わかさぎなど。

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 駅のコンビニで買った地酒。天穏と十旭日。

出雲市駅で買ってきた駅弁は出雲そば弁当。賞味期限間近の値引き品であるが、列車内で食べるのはやっぱり駅弁がいい。
デパートの惣菜なんか買ってきてテーブル一杯広げたって逆にむなしくなる。
コンパクトな箱の中にきっちり詰める日本文化は素晴らしいね。

まずはカップ入りの天穏を開けて乾杯。
何に乾杯かって。
今回の旅行も無事終わりに近づいたことと、思いのほか楽しい出来事が多かったことに。


1人宴会を始めたころに突然車掌の車内放送があって、
「ボールペンを貸出ししてるお客様、車掌までお返し下さい」

思わず噴き出した。
そのあとも何回も繰り返し放送があった。
セコい客もいるもんだと思ったが、車掌さんも1本しかボールペン持ってなかったのかよ (-_-;)

果たしてボールペンは車掌の手に戻ったのだろうか。

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 個室寝台内で宴会。

寝台車と日本酒って何だか似合っていたものだった。
外からピーッと汽笛が聞こえてきたりして。

ところが、このサンライズには昔ながらの夜汽車を思わせるものは全然ない。
日本酒は似合わないような気がしてきた。
私が日本酒好きだから買ってきたのだが、出張先のビジネスホテルで侘しく晩酌をしているような気分だ。

 しんみりと夜長に夜汽車に一人酒

この列車にはワイングラスなんか傾けている方が似合う気がする。
肴はローストビーフなんかがいいな。
この次はそうしようか。

次はあるのかないのかわからないけど (^^;

おかずを肴にセブンイレブンで買ってきた地酒は全部飲んでしまった。
最後は出雲そばで締める。

そばの薬味は青ネギと一味唐辛子。
昼に食べた出雲そばのもみじおろしが随分と辛かったが、この唐辛子が出雲そばのポイントなんだな。

食べ終わって、机の上を片づける。もういつでも横になれるようにベッドメイキングをしてから、窓側に境港で買ったお酒を置いてベッドに胡坐をかいた。
こんどは部屋の明かりを消して、夜景を眺めながら行く。

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 ベッドメイキングは自分で。

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 だんだん散らかってくる。

もう米子を過ぎて伯備線を走っている。
伯備線は山間部の路線なので町灯かりは少ない。
それでも暗くした部屋からは、山の稜線や遠くを走る車のヘッドライト、時折通り過ぎる踏切や小さな駅などが見える。

そんな夜行個室寝台ならではのひと時をずっと楽しんだ。

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 ベッドに腰掛けて窓辺でまた飲む。

この列車が登場したのは1998年
このころはまだ東京・関西〜九州間を中心に、各地にブルートレインが健在だった。

『北斗星』や『トワイライトエクスプレス』といった豪華ブルートレインもあったが、ほとんどは古びた2段寝台の客車を連ねただけの、時代遅れの列車になっていた。

そんなブルートレインだった『瀬戸』と『出雲』をこの新車両に置き換えて颯爽とデビューしたのがこのサンライズだった。
機関車牽引から電車になったこと、座席車を除いてオール個室寝台になったのも斬新だったし、それまで夜行列車の車体はブルーが主体で夜のイメージだったのだが、それに対してサンライズの車体は赤系となり、朝のイメージとなったのも新しかった。

この列車も車両も、登場からすでに19年
鉄道車両は、製造されてから30年くらい使用されることを考えると、サンライズの将来も何となく想像がつく。
寝台列車だけではなく夜行列車そのものが既に過去のものになっているのが現実だ。

『トワイライトエクスプレス瑞風』とか『トランスイート四季島』といったクルーズトレインは何かと話題になっているが、普通の人が乗れないしね。

どうかなるにしても、まだ10年以上先のことだろうけど、
せいぜい今を楽しんでおくしかない。

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 部屋を暗くすると夜景が見える。すれ違う貨物列車。

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 どこかの小駅でまた運転停車。

最後のお酒も飲んでしまったのでベッドに横になった。

仰向けになると、空に向かってカーブした窓が目の前になる。

なんと 窓の外は一面の星空。

星空なんてまじまじと見つめるなんていつ以来かね。最高のベッドだよこれは。
見覚えのある星座はオリオン座。しばらく車窓の友になる。

星を眺めながら眠りに着く。なんという贅沢。

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 流れる町灯かり。

ベッドで星空を眺めていると、これをカメラに収めたくなった。
横になりながら何度もシャッターを押すがうまくいかない。走っている車内から星空を写そうなんて無茶だとわかっているが。

下の画像は、37枚目にして決まった根性の1枚。この後は朝まで記憶がない。

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 窓からの星空(f1.8、1秒)、画像処理もしています。部屋を暗くしてどうぞ (^^)


posted by pupupukaya at 18/01/08 | Comment(0) | 西日本の旅行記

2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記8

出雲大社の勢溜の大鳥居から神迎の道という道路を歩いて行く。

神迎の道(かみむかえのみち)とは、全国の神々が出雲に集まるときは稲佐の浜からこの道を通って出雲大社にお入りになるとのこと。
知っていなけらばわからないほど普通の住宅地の道である。

交差点の角にその出雲そばの店があった。『かねや』という店。
入ってみるとまだ準備中だった。「10分くらいで準備できますから待ってますか」と言われたが、それまでその辺をぶらぶらすることにした。

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 朝からやっていた出雲そばの店。

道をさらに進むと浜に出る。
突き当りに灯篭が2本立っていて、ここが稲佐の浜かと思うが、あたりは防波堤が続いていて殺風景な場所。
地図で見たら、稲佐の浜はもっと北側だった。

ここからまた引き返す。
9時半。こんどはそば屋は開いていて、入ると先客が2組いた。

出雲そばは初めて食べる。
写真とかテレビとかでは見たことはあるが、味だけは食べてみなければわからない。

注文したのは750円の『割子そば』。
ほかに、『おろし割子』とか『三色割子』とかあったけど、結構いい値段ね (^^;

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 割子そば(750円)。

割子そばは3段になっていて、つゆは直接そばにかける。

そばは黒目で、もそっとした食感なのは、そばの殻も挽いているため。香りも強い。
つゆもそばに負けじと甘辛い濃いつゆになっている。かなりしょっぱい。
赤い薬味はもみじおろしで、これが結構辛い。この辛味が出雲そばの一番のポイントと言えそうだ。

基本薬味しか乗っていないので物足りないが、そばそのものを味わえたので良しとする。

そばを食べながらこれは酒に合うと個人的には思った。それも甘口で濃厚な日本酒ね。
あと濃厚なそばつゆ。あれ音威子府のそばにかけてみたい。

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  つゆは直接うつわに注ぐ。

食べているうちに客がだんだん増えてきた。昼時は結構混みそうだ。
食べ終わったら早々に店を出る。

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 出雲そばの店が並ぶ。

朝着いたときは閑散としていた神門通りも、商店街の店も開いていて賑やかになってきた。
電車の発車時刻が迫って来たので駅へ急ぐ。


◆ 出雲大社前 10:22【一畑電車】10:33 川跡

窓口に行くが誰もいない。
改札口の駅員さんが「何か御用ですか」というので入場券を買いたいと言うと、その駅員さんが窓口の向こうにやって来た。
ワンオペですか (^^;

朝乗った電車に、車内乗車券を発売していますという張り紙があったので聞いてみると、ありますよとのこと。
入場券と松江しんじ湖温泉駅までの乗車券を車内乗車券で買った。

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 出雲大社前駅の窓口で買った車内補充券の乗車券と硬券の入場券。

車内乗車券とは、ワンマン化以前の車掌乗務時代に車掌が車内で販売していた乗車券である。
ローカル線では発駅着駅と金額を印刷してあって、そこにパンチで穴をあける方式になっている。
JRでも昔はローカル線にあった。無人駅から乗ると、車掌さんがパンチで穴をあけて発券していた。
残っているのは全国でもここだけじゃないかな。

出雲大社前駅だけではなく、主要駅にもあるので記念に買うといいですよ (^^)

そうだロッカーから荷物を出さなきゃ。
このロッカーは改札外ということになっているが、駅員さんは柵のある改札口ではなく、どういうわけか駅舎の出入り口のところに立っているので、改札内のロッカーのようになっている。

とにかくロッカーから荷物を出して、出入口で切符にパンチを入れてもらう。入場券にも入れてもらった。

パンチか。正式名は改札鋏といい、昔は改札口でパチンパチンと切符を刻む音が聞こえたものだ。
すでに昔のものとなってしまったパンチだが、これはローカル私鉄では意外とまだ残っていたりする。

来た時と同じ1両の電車で川跡へ。そこでこんどは松江しんじ湖温泉行の電車に乗り換える。


◆ 川跡 10:35【一畑電車】11:22 松江しんじ湖温泉

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 川跡で松江温泉しんじ湖行に乗換。

2両編成の電車は京王電鉄で使われていた中古。
今や地方の私鉄は、大手私鉄の中古車両ばかりになってしまった。

何だか味気ないが、大手の中古譲り受けることで何とか鉄道が残ってこれた面もあるので仕方がない。

空いているのでロングシートに横向きに座って外を眺める。
平凡な田園風景が続くが、途中から宍道湖が見えるようになる。

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 2100形は元は京王電鉄の車両。

途中の一畑口で電車は方向転換する。いわゆるスイッチバックというやつ。
遠軽駅なんかが有名ね。座席の方向転換をするのに一仕事だからね。

こちらはロングシートなので宍道湖の見える方向が変わるくらい。
向かい側の席に座り直す。

一畑口からはずっと宍道湖を見ながら走る。
この辺りから停車する駅ごとに1人2人と乗客が現れるようになった。

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 路線のほぼ半分の区間は宍道湖に沿っている。

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 松江しんじ湖温泉駅に到着。

出雲大社前駅で買った車内乗車券は、改札口で記念にほしいと言うとそのまま通してくれた。

松江しんじ湖温泉駅は松江温泉駅だったのを温泉街が松江しんじ湖温泉と改称したのに合わせて駅名も改称したもの。
確かに温泉もあるし宍道湖も近いんだけど。

困ったことに観光駅の駅名は長くしたがる傾向にある。色々盛り込みたい気持ちはわからんでもないが。
まあ、一介の旅人がとやかく言う問題ではない。

ただ、パソコンで変換できないのよ (^^;

松江しんじ湖温泉からはバスで境港へ向かう。JRもあるが、松江からは一畑バスの『松江境港直行バス』というのがあって、そちらの方が早い。
駅前はバスターミナルになっていて、直行バスのバス停もそこにある。

バスの乗り継ぎ時間は38分ある。
駅の待合室にいるには長すぎるし、かといってどこか観光できるような時間でもない。

宍道湖が近いので、湖畔をぶらぶらして時間をつぶした。

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 駅近くの宍道湖の湖畔から松江の街を見る。


◆ 松江しんじ湖温泉 12:00【松江境港直行バス】12:56 JR境港駅

発車時刻の12時が近くなっても、バス停には私以外だれもいない。バスもなかなかやってこない。
乗り場は本当にここで合っているのかと思いかけたころ、バスがやってきた。

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 松江しんじ湖駅始発の境港直行バス。

私1人を乗せて発車する。
このまま境港に直行するのではなく、次の松江城で2人、松江駅では10人ほど乗ってきた。
松江駅からの客は中国人やインド人もいて国際色豊か。

地図で見ると松江と境港の間には中海という湖があって、バスは湖沿いに行くように見えるが、この直行バスは橋を渡って中海にある2つの島を経由して行くという面白いルートを走る。

大根島、江島と2つの島を通り、江島大橋を渡って再び本土(?)に戻る。

江島大橋は境港と江島を結ぶ橋で、開通は2004年と新しい。
この橋は、下を大型船が通るのに支障がないように中央部分が高くなっている。
しかも中央部分の高さは45mもある。

下から見ると見上げるような登り坂で、その名も ベタ踏み坂

もともとは某軽自動車のCMのセリフ

「業界ではここではベタ踏み坂と言うんだ」
「どうだ、アクセルベタ踏みだろ」

から発しているらしい。

まあ本当にここでベタ踏みし続けたら、頂上部分から空に飛んでしまうよ (^^;

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 高さ45mまで登る江島大橋。どうだ、アクセルベタ踏みだろ?

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 江島大橋の頂上からの眺め。

45mの橋上からは眺めが良い。
今日は快晴、遠くには大山の山影も見えた。
この橋は自動車専用ではなく歩道もあって、歩いている人も見かけた。

江島大橋からは鳥取県になる。

バスは定刻通りに境港駅に着いた。


◆ 境港と水木しげるロード

境港は鳥取県の西部にあり、日本海側の港町として栄えてきたところ。
水木しげるの出身地にちなんで、ゲゲゲの鬼太郎の町として有名になった。

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 駅前にある水木しげる先生と妖怪たちの像。

駅前からの商店街は水木しげるロードと名付けられ、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪の銅像が道端に並んでいる。
妖怪にちなんだ土産物屋も並んでいて、今じゃすっかり観光地になった。

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 境港の水木しげるロードは工事中だった。

肝心の水木しげるロードはあちこちで工事中だった。リニューアル工事とのこと。
今は古ぼけた商店街のようだが、完成すれば完全に観光地になるのだろう。

ゲゲゲの鬼太郎は私が小さいころからアニメで見ていた。しょっちゅう再放送もしていたしね。
国民的人気もあるだろうが、やっぱり町をあげての商売の上手さだろうなあ。

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 ねずみ男の像。ここは人だかりが多く一番人気だった。

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 どこも妖怪だらけの水木しげるロード。

工事中の水木しげるロードを妖怪の銅像を見ながら歩く。
途中からアーケード街になった。

妖怪食品研究所という看板があって、店先のショーケースに目玉の形をした和菓子が並んでいた。
その名も妖菓 目玉おやじ

目玉おやじのスペアの目玉なのかね。
 アンパンマンかヾ(--;)

面白いので1箱買ってしまった。
2個入りで700円と結構高いが、これは誰かのお土産にしよう。

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 妖菓目玉おやじ。その名の通り目玉そっくりの和菓子。

水木しげる記念館の前まで行って、また引き返す。
途中で港に寄ったりして駅に戻った。

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 境港はその名の通り港町。水木しげるロードに並行して港がある。

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 灯台のような形の境港駅。


◆ 境港 14:16【1652D】15:13 米子

駅前の酒店で鬼太郎純吟ワンカップと焙りほたるいかを買った。昼食がわりに車内で飲もうか。

券売機で出雲市までの乗車券を買って改札へ。
ホームにはまだ列車は入っていないが、しばらくすると米子発の列車が入ってきた。折り返しで米子行となる。

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 境線の鬼太郎列車と境港の駅名標。

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 境港駅は鬼太郎駅の愛称もある。

列車はキハ40の単行。境線の車両は鬼太郎列車になっている。
車内外を鬼太郎のキャラクターをデザインした車両になっている。その車両によってキャラクターが違っていて、この車両は目玉おやじ号になる。

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 座席には目玉おやじがたくさん。

さっき歩いた町中でも、目玉おやじ率が高かったような気がする。
シンプルに目玉だけという容貌と憎めないキャラということから、鬼太郎の妖怪のなかで一番人気だったりして。

さっき買ったお酒はやっぱり飲めないな。日曜日ならばともかく、平日の昼間でしかも普通列車だ。
今夜のサンライズ出雲のお供にしよう。

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 車窓からは大山(だいせん)が見えた。

境線に乗るのは初めてである。
しかし、車窓は平凡で、住宅街や田畑が続く。印象に残ったところと言えば、大山がくっきりと見えたことくらい。

それでも乗車路線が増えたのはうれしい。
別に全路線完乗を目指しているわけではないが。

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 米子駅の広い構内が見えてきた。

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 米子駅に到着。

米子駅は山陰本線と伯備線、それに境線が分岐する駅で、国鉄時代からの駅ビルと広い構内がそのまま使われている。
昔からの鉄道のジャンクションという貫禄がある。

米子では35分の乗り継ぎ時間があるが、持っている乗車券では途中下車はできない。

1番ホームに駅弁の売店兼立ち食いそば屋があったので、そばでも食べようと値段を見たら中のテーブルに座って食べるのと値段は一緒だった。

駅弁を1個買って、向かいのホームに行ってベンチで食べよう。

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 米子駅の改札口と売店。

駅弁は吾左衛門鮓(ござえもんずし)5貫入りで1100円。
最近の駅弁ブームで新作したものではなく、昔からあるものだ。

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 吾左衛門鮓 鯖 五貫入(1100円)。

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 しめ鯖と寿司飯を昆布で巻いてある。中身の半分が鯖。

値段は結構張るが、一度食べてみたかった駅弁だったので、いい機会だ。

寿しは押しずしで、しめ鯖と寿司飯を昆布で巻いてある。
私は鯖寿しが好きでねえ、脂も乗って身の厚いしめ鯖もたまらん。

おっさんが1人ホームのベンチで駅弁を食べる姿はさえないね (´・ω・`)

何を言うか。
駅弁は列車の中ではなく、ホームのベンチで食べるのが本当の通なのである(大嘘)

鯖を食べていたら一杯やりたくなってきた。
境港で買ったお酒を飲もうかと思ったが、こんなところでワンカップ酒なんか飲んだ日にゃ、完璧にアル中だ。

食べていると出雲市行の特急やくも13号が到着した。
これに乗って車内で食べるという手もあったな。
しかし、特急料金払ってまで早く着いても仕方がないし、これで良かったんじゃないか。


◆ 米子 15:48【141D】17:11 出雲市

こんどの列車は出雲市行普通。たらこ色のキハ47の2両編成。

出雲市までは電化されているが、この区間の普通列車のほとんどは気動車になっている。電車は下り列車でいえば24本中6本だけとなっている。

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 米子からはまたもキハ47の2両編成。

米子市、松江市、出雲市と中規模の都市が並んでいて、京都口は別とすれば山陰本線の中でも最も元気な区間だろう。
岡山からの特急やくもが1時間に1本、鳥取からのスーパーまつかぜやスーパーおきも走っていて、特急街道でもある。
今までなかった複線区間もあった。

松江では帰宅時間にかかるので結構乗客があった。
車内や乗客の顔ぶれを見ていると今までローカル線ばかり乗って来たので、都会的に感じる。

宍道湖が見えてくるころには日がすっかり傾いていた。
一人旅で一番寂しいのはこの夕暮れ時だね。

海外旅行で、まだホテルに着かないのに夕暮れ時を迎えた時の、あの消えてしまいそうな心細さって経験者しかわからないだろうな。

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 宍道湖の向こうに日が沈む。

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 再び出雲市に到着。

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 381系特急やくもの車体に夕日が反射する。

出雲市駅のホームから地平線に沈みかけた夕日が見えた。
秋の日はつるべ落とし。もうじき暗くなる。

これで山陰本線の旅は終わり。
ここからは伯備線経由のサンライズ出雲で一気に東京まで行く。

山陰本線はまだ米子から京都まで続いているが、そっちの方はまたいずれの機会に。

posted by pupupukaya at 18/01/04 | Comment(0) | 西日本の旅行記

2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記7

◆ 4日目 雲州平田〜出雲大社前〜境港〜出雲市〜サンライズ出雲

◆ 雲州平田 7:32【一畑電車】7:41 川跡

今日は出雲大社にお参りに行って、そのあと一畑電車で松江へ行き、そこからバスで境港へ行く予定でいる。
境港からはJRの境港線で米子へ出て、また出雲市へ戻って来ることになる。

出雲大社とその周辺だけでも良かったんだけど、せっかくなので境港線にも乗ってみることにしたのだった。

ということで今日も朝は早い。7:20には旅館を出発する。

旅館の1階に下りるが、誰もいない。呼ぶと昨日の女将さんが出てきた。

女将さんは火打石を打って見送ってくれた。まるで時代劇 (^^♪
昔ながらの人情味ある旅館だった。

「それじゃお世話になりました」
「お気をつけていってらっしゃい」

振り返ると女将さんがまだ立っていた。
「さようなら〜」とまた手を振る (^ー^)ノ~~

昨日と違ってこんどはまっすぐ駅へ向かう。旅館から5分とかからずに着いた。

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 今日のスタートは雲州平田駅から。

ちょうど通勤通学の時間帯だけあって、ホームは大勢の客がいる。といっても、都会から比べるとのんびりとしたものだが。

改札を通ってホームに出ると向かいの2番ホームにちょうど電車が入ってきた。
この駅で上下列車が交換するのだろう。しばらく停車したままだ。

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 雲州平田駅のホーム。それなりに朝ラッシュ。

またしばらくしてこちらの1番ホームにも電車が入ってくる。
2番ホームの電車の行先を見ると『電鉄出雲市』とあった。

あ〜、あの電車に乗るんだ ( ̄Д ̄;;

1番ホームは松江方面の乗り場だった。完璧に勘違い。
階段を下りて地下道を走る。間一髪間に合った。

車内はラッシュなので混んでいる。
高校生ばかり。ローカル線やローカル私鉄の主役は彼らだ。

結構揺れるので掴まってないと立っているのが大変だ。
わずか9分で川跡に着く。


◆ 川跡 7:49【一畑電車急行】7:59 出雲大社前

川跡で降りる高校生が多かった。
大社線に乗り換えるのかと思ったら、ほとんどは改札を出て行った。

大社線のホームに立つのは高校生が3人、観光客風1人、それに私と計5人。

ここ川跡駅は出雲市方面と松江しんじ湖温泉方面、それに出雲大社前方面の3方向が集まるようになっている。
ダイヤはここ川跡で双方向に乗り換えができるようになっているので、3方向の電車が同時にこの駅に停車することになる。

こんどは電鉄出雲市発松江しんじ湖温泉行が入ってきた。
こちらの出雲大社前行の電車はなかなかやってこない。

また踏切の音が聞こえてきて、次が出雲大社前行かと待っていると、3番ホームの出雲市行が発車していった。
入れ替わりのように出雲大社前始発の電車が入線してくる。
出雲市行の電車はキーッと音を立てて急停止した。

やっちまったね ( ̄ー ̄)

余程の遅れでない限り、接続待ちをしなければならないんだよね。

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 大社線の電車とフライングの電鉄出雲市行。川跡駅。

出雲大社前行の電車は新車だが1両だった。乗った乗客は高校生が7人、2人は観光客(自分含む)。
停止したままの出雲市行を横目で見ながら、こちらが先に発車する。
あっちはおそらくバックでホームに戻るんだろう。大社線からの乗り継ぎ客も多いだろうし。

この電車は急行ということになっていて、途中2駅のみ通過する。
出雲大社観光には早すぎる時間だし、急行というより利用者のいない駅を通過としただけのように見える。

次の浜山公園北口で高校生は全員降りて行った。車内に残ったのは2人だけとなった。

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 出雲大社前に到着。

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 ウッディーな改札口。

改札を出たところにコインロッカーがあって、背負っていたバックパックを預けることにした。

出雲大社前駅の駅舎は小さいながら西洋風建築の駅舎になっている。建築は昭和5年。いかにも昭和初期の建築といったデザインでもある。

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 ステンドグラスの明り取り窓。
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 出雲大社前駅の駅舎。

ここから少し離れたところに、旧JR大社線の旧大社駅があって、大正時代建築の和風木造駅舎が保存されている。
そっちも行ってみたいが時間があるかな。

まずは出雲の神様と、出雲大社に向けて歩き出す。
松の並木道の両側には、そば、ぜんざい、土産物などの店が並ぶ、いかにも門前町という感じ。朝早いのでまだどこも閉まっているが。

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 出雲大社へつづく神門通り。


◆ 出雲大社

早く来たおかげで静かだ。
天気は神々しいばかりの快晴。やっぱり神様に呼ばれて来たのかもしれない。

まずは第一の鳥居である勢溜の鳥居までやって来た。
いやここは二の鳥居で、駅の向こうにある宇迦橋の大鳥居が一の鳥居ということになり、正式にお参りするんならあっちから順番にということになるのだろうが、今回は二の鳥居からスタートということで勘弁してもらおう。

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 出雲大社勢溜の鳥居。

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 勢溜鳥居から神門通りを見る。遠くに宇迦橋の大鳥居が見える。

さて始めますか。
出雲大社の参拝方法はちゃんとネットで調べてきていた。旅館の女将さんにも色々教えていただいたので、順番にやって行こう。
まずは一礼して鳥居をくぐる。

この鳥居は木の鳥居だった。

出雲大社ともなると、なんだか格が違うような風に見える。

勢溜の鳥居から緩やかな下り坂が続く。
この下り参道は全国でも珍しく、本殿に向かって吸い込まれて行くような感覚とどこかにあったが、そんな感じはある。

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 鳥居からの下り参道。

この下り参道の途中に小さな社があって、気を付けていないと通り過ぎるほど目立たない存在だが、『祓の社(はらえのやしろ)』という重要ポイントである。

まず最初にここでお参りすることで、世間で身に付いてしまった厄や心身のけがれを祓い清めることができるという。
心を清めてから神前に立ちたいものだ。

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 まず最初のお参りは祓社から。

2礼4拍手1礼。拍手は大きく響くようにと昨夜女将さんに言われていたので、そのとおり手が痛くなるほど強く叩いた。礼は深々と。

結構恥ずかしいな。今は周りに人がいないからいいけど。
混んできたら、このくらいやらないと神様は気付いてくれないのかもしれない。

進むと橋があってその先にあまり大きくない鳥居がある。
これが三の鳥居である『松の参道の鳥居』。

鉄の鳥居である。

この松の参道は真ん中を通れるのは殿様や貴族だけ。普通の人は道の脇を歩かなければならない。
真ん中は通れないように通せんぼがしてあるのは松の根を保護するためだとか。

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 松の参道の鳥居。

次に向かうのは手水舎。ここで両手と口を清める。
ここでも作法があって、柄杓を右手に持って水を汲み左手を清め、左手に持ち替えて右手を清め、最後に右手で受けた水で口を清めるというもの。

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 銅の鳥居前の手水舎。

手水舎で手と口を清めてから、四の鳥居である銅鳥居をくぐる。おっと1礼を忘れないように。

ここは銅の鳥居である。

おっ、次ははがねの鳥居
と思ったあなたはドラクエのやりすぎです。

銅の鳥居は触れると金運が上がると言われている。1礼のあと軽く触れる。
銅なので青サビが浮いているが、この手で触れられるところだけはピカピカだ。

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 最後の鳥居が銅鳥居。

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 銅鳥居に触れると金運がアップするんだとか。

さて心も体も清めたらいよいよお参りである。

賽銭は10円は遠縁(とおえん)に通じるのでNG。5円(ご縁)とか11円(良い)とか41円(良い縁)などがおすすめとか。
賽銭は投げてはいけなく、箱にそっと落とすように入れる。

参拝所の上には大きな注連縄(しめなわ)が下がっている。
賽銭を投げて、この注連縄に刺さると幸運になるという人がいるが、それは大変罰当たりな行為なのでやめましょう。

2礼4拍手1礼。拍手は大きく、礼は深く。

手がヒリヒリしてきた。

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 大きい注連縄が下がる拝殿。

拝殿の次は御本殿のお参りとなる。
ここが出雲大社詣での本番といったところだろうか。

昨夜の女将さんが言っていた。
「本殿の横に手水舎があってね、本当はお参りの前にもう一度ここで清めなきゃならない」
「これはどの本にもネットにも書いていないからね」

はいここテストに出るからね。
 何のテスト (^^;

DSCN1604.JPG
 八足門の脇にある手水舎。

なるほど参拝所の脇に小さな手水舎があった。
ここでもう一度手と口を清める。

本殿の手前に門があり『八足門(やつあしもん)』と呼ばれている。ここから先は一般人は入れず、この門から本殿を拝むことになる。

DSCN1603.JPG
 八足門と参拝所。この奥に御本殿があるが一般人はここまで。

2礼4拍手1礼。拍手は大きく、礼は深く。

だんだん板についてきた。人の目も気にならなくなった。別に気にしている人もいないだろうけど。

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 八足門から本殿を拝む。

ラスボス 大国主大神様にお参りして、これで出雲大社はクリアしたことになる。

が、ここで引き返してはいけない。
ここからクリア後の世界があるのだ。

八足門から右手に道が続いている。御本殿を中心に反時計回りで進んで行くことになる。

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 奥の建物は十九社、さらに参道は続く。

『十九社(じゅうくしゃ)』と呼ばれる細長い建物があり、ここは神無月に全国の神様が集まられた際に神様が宿泊される場所となる。

十九社から御本殿の東側を奥まで続く参道、ここは境内でも特にパワースポットなのだそうだ。
出雲大社の後ろに控える八雲山という山があって、この山が出雲大社のご神体となっていて、その強いパワーがこの参道を通り抜けているのだそう。(うろ覚えなので間違っているかもしれないが)

確かに、だれもいないとゾクッとしてきそうな場所ではある。
パワーを感じながら、おそるおそる歩く。

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 御本殿を反時計回りに進んで行く。

御本殿を正面から見たらちょうど裏側の場所に小さな社がある。
ここが『素鵞社(そがのやしろ)』。

これこそが出雲大社一番の超パワースポットなのである。

建物は小さいが、ここに祀られている神様は素戔嗚尊(スサノオノミコト)といい、出雲大社祭神の大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の義父神、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の弟神に当たる。

出雲大社のご神体である八雲山を背にして、娘婿である大国主大神様に睨みを利かせているのである。

ドラクエで例えれば、御本殿に祀られている大国主がラスボスならば、こちらはまるで裏ボスだね。

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 ここが一番のパワースポットという素鵞社(そがのやしろ)。

能書きはこれくらいにして、お参りをする。

2礼4拍手1礼。拍手は大きく、礼は深く。


スサノオのパワーと後ろの八雲山のパワー、ここはダブルパワーだ。

スサノオといえばヤマタノオロチを退治してクシナダヒメという女神を助け出し結婚した神様である。
その後、スサノオとクシナダはこの出雲の八雲山にて新婚生活を送ることになる。

スサノオがこの地で詠んだ有名な和歌。
スサノオがクシナダと新居を求めたときに、雲が立ち上がるのを見てこの歌を詠んだとされる。

 ”八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を”

スサノオとクシナダ。その後八雲山の新居にてどう暮らしたのだろうか。
古事記にはその新婚生活についても記録があった。

原文:”故、其櫛名田比賣以、久美度邇起而”

訳:彼はクシナダヒメを以て、久美度(くみど)を起こし・・・

 要は ラブラブ ってことよ 。

そんなスサノオを祀った素鵞社、恐るべし
ここは出雲大社に行ったら絶対外せないポイントね。

昨日、最初に稲佐の浜に行って砂を持ってきて、ここ素鵞社の砂と入れ替えて持ち替えればお守りになると言われたが、ちょっとそこまでの時間はなかったな。砂の入れ物も無いし。残念。


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 御神座の正面に当たる場所にある参拝所。

最後に忘れてはいけないのが、御本殿の西側に設けられた小さな参拝所。

御本殿におわす大国主様のご神体は正面ではなく横向きに鎮座されている。
横向きの正面がこの場所ということになる。

八足門の参拝所お参りすると、横からお参りするということになるが、ここで改めて正面からお参りするということで、より一層願い事を聞き入れてもらえるということ。

2礼4拍手1礼。拍手は大きく、礼は深く。

これで参拝は大体終わり。
あとはおみくじを引いて、お守りでも買うことにしよう。

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 神楽殿と日本最大級の大注連縄(おおしめなわ)。

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 下から見上げると迫力がある。

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 だんだん人が多くなってきた。

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 境内のあちこちにある白ウサギの像。

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 ここにも白ウサギ。

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 神楽殿の前にある日本一大きい日の丸国旗。

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 ムスビの御神像。大国主大神が幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)を授けられた一場面を再現したもの。

朝に勢溜の鳥居に来たのが8:08で、境内を回って再び戻って来たのが9:03だった。1時間ほどでほぼお参りできたことになる。

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 勢溜の鳥居まで戻ってきた。

次の電車は10:22発。こんどは松江へと向かう。
まだ1時間以上あるので、せっかくだから出雲そばを食べることにした。

これも昨日出雲そばの美味しい店をいくつか教えてもらったが、その中の1つが9時からやっているので行ってみる。


posted by pupupukaya at 17/12/31 | Comment(0) | 西日本の旅行記

2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記6

浜田着。ちょうど昼時だし、途中下車した。

べつに浜田に用はないが ヾ(-_-;) オイオイ...
(浜田の人すんません)

浜田市は島根県西部の中心都市で人口は5.6万人。
かつては2往復あった寝台特急『出雲』のうち1往復がこの浜田を始終着駅としていたので知っている。

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 新しい橋上駅の浜田駅。

旅行前に島根県の名物料理はないかと探していたら、見つけたのが浜田の『海鮮うずめ飯』だった。
浜田で途中下車するか、三江線を途中まで往復してくるか迷ったが、現地で決めようということにしていた。

結局、食欲に負けて浜田で途中下車することになったのである。

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 神楽めしのポスター。

向かったのは駅前のビジネスホテル、ここの最上階のレストラン。
外見は安ホテルといった感じだが、

昼時だが店内は空いていた。リッチそうな奥様方が数組。

メニューには海鮮うずめ飯が800円のほか、『えびす丼』というのもあって、こっちは海鮮がたっぷりとあって1400円(税抜き)。
せっかくだから贅沢しようとえびす丼にした。
そういや一昨日のもつ鍋からまともな食事をしていない。

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 海鮮がたっぷり載った『えびす丼』。税込み1,512円也。

出てきた丼はでかい。
「えびす丼は初めてですか?」と聞かれ、食べ方の説明をされる。そのまま食べても良いし、お茶碗によそって食べてもいいとのこと。別に説明を受けるほどのことではない。
店内のコーヒーメーカーは自由に飲んでいいらしい。

さすがに1500円だけあって豪華だ。
目立つのはウチワエビとアナゴの天ぷら。あと鯛、イカ、ホタテ、サザエ、イクラなど。

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 お茶碗によそっていただく。

ただ食べるだけではもったいなく、昼から一杯やりたくなってきた。
ビールでも頼もうか。
しかし、休暇中とはいえ平日の昼間なんだよな。
労働者の皆様に申し訳ないのでやめておく。

最後にデザートのオレンジが出てきた。
ほかに行くところも無いので、コーヒーを飲みながらゆっくりする。

けっこういい値段だが、定食にコーヒーを付けたと思えば悪くない。

レジで会計をして、エレベーターホールにあった写真を見たら、天皇陛下・皇后陛下御宿泊記念とあった。
ただのビジネスホテルかと思っていたが、由緒あるホテルのようだ。

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 駅前広場の神楽時計。ちょうど1時の演奏中。


◆ 浜田 13:16【快速アクアライナー】14:46 出雲市

また駅に戻る。
浜田駅は橋上駅。建物の大きさの割に小じんまりとしたコンコースはベンチがいくつか並んでいる。
都市近郊駅といった風。かつて寝台特急出雲が発着していた貫禄はどこにもない。

浜田からは快速『アクアライナー』。益田〜米子間を5往復する山陰本線の乗り得列車である。またオールクロスシートのキハ126。
益田始発なので、少しは混んでるかと思ったが、これも空いていた。半分くらいのボックスがふさがった程度の乗車率。

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 浜田からの快速アクアライナー。またキハ126。

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 快速アクアライナーの車内。

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 江津駅のホームに入る三江線の列車。

この列車の窓も煤だらけ。
東萩から乗ったキハ40は窓を開けて外側の窓を拭けたが、固定窓のこちらは汚れたまま我慢するしかない。

ここからも景色が良い。青い空、静かな海、遠くの島影。
汚れた窓がつくづく残念。

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 窓が汚れているので冴えない色彩の海岸線。田儀〜小田間。

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 出雲市に到着。

出雲市駅は全国どこにでもあるような高架駅。ここからは電化区間になる。門司港駅以来の自動改札もあった。
下関以来1日ぶりの都会らしい駅だった。

私の切符では自動改札を通れないので窓口で切符を見せる。
どうぞと通してくれたが、下車印を押してくれるよう頼む。
博多駅の改札印から始まって、下車印が長門市、東萩、益田、浜田、出雲市と、券面は賑やかになってきた。

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 出雲市駅の改札口。門司港駅以来の自動改札。

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 駅正面は出雲大社を模った三角屋根がある。



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 JR駅の脇にある電鉄出雲市駅の入口。

出雲市着は14:46。一畑電車はすぐの14:55発があるが、あまり早く着いてもしょうがないし、駅前を歩いてみようと次の15:39発の電車にした。

駅前を歩いてみたが、飲み屋街があるくらいで何もない。市の中心部は駅から離れたところにあるのだろうか。
駅の続いてある高架下のショッピングセンターをぶらぶらして時間をつぶす。


◆ 電鉄出雲市 15:39【一畑電車】15:59 雲州平田

一畑電車が発着するのは駅の隣にある電鉄出雲市駅。
JR駅と同じくして高架駅になったはずなのだが、こちらは昭和の雰囲気が色濃い。

券売機で雲州平田までの乗車券を買う。
窓口に『入場券をどうぞ』と張り紙があったので1枚買う。嬉しいことに地紋の入った硬券入場券。

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 電鉄出雲市駅のきっぷ売り場。

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 電鉄出雲市駅の硬券入場券と券売機で買った乗車券。

発車10分前になって改札が始まる。
ホームに上がると、入っていた電車は新車だった。
地方の私鉄といえば、中古の車両で細々と運営しているという印象だったが、高架の堂々たるホームと新しい電車は、都会の郊外電車という風に見えた。

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 電鉄出雲市駅に停車中、新車の7000形2両編成。

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 7000形の車内はセミクロスシート。

一畑電車は、出雲市と松江を結ぶ私鉄である。
同じ区間をJR山陰本線が結んでいて、宍道湖を挟んでJRは南側、一畑電車は北側を経由している。
90年代には廃止の噂もあったが、いまは見違えるようになった。

しかし電車は空いていた。いくつかあるボックスシートが埋まったくらいの乗車率。
次の出雲科学館パークタウン前で1人乗ってきただけ。
地方は完全に車社会だと実感する。1時間に1〜2本の電車を待つか車で行くかと考えたら、自分でも間違いなく後者だろう。

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 川跡駅からは大勢乗って来た。

大社線の乗り換え駅の川跡駅では向かいのホームにぎっしりと人が立っていた。
どうやら大社線からの乗り継ぎ客らしい。川跡からは席がだいぶ埋まった。

川跡からの乗客は観光客風。出雲大社の参拝で、松江温泉に泊まるのだろうか。
車内は賑やかになって一安心といったところ。
あんまり空いていると、路線の行く先が心配になる。

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 車両基地がある雲州平田駅。

雲州平田駅着。ワンマン電車だが、ここは全部のドアが開く。
出雲市からの乗客が数人下車する。私もここで降りる。
他の乗客はやはり松江温泉まで行くようだ。

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 雲州平田駅の改札口。

雲州平田駅は2005年までは『平田市』という駅だった。その名の通り平田市という市で、合併時の人口は約2.9万人だった。
平成の大合併で出雲市に編入となり、同時に駅名も雲州平田と改められた。

一畑電車の主要駅のひとつで、一畑電車の本社や車両基地もここに置かれている。
松竹映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』の舞台にもなったところ。

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 雲州平田駅の駅舎。2005年の出雲市との合併以前は平田市という駅名だった。

駅から今日の宿までは歩いて5分。立地から言ってビジネス旅館といったところだろう。

今日の宿も素泊まりなので、夕食を仕入れにスーパーに寄る。
スーパーのある所は駅から少し離れていて、歩いて10分くらい。

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 買い物をしたスーパー。

スーパーで惣菜と酒を買う。あれこれ地元の食材を探したり、迷ったりしていたら30分くらい過ごしていた。
スーパーは楽しい(^◇^)

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 日が傾いてきた。


◆ 持田屋旅館

もう17時近く。山の向こうに沈みかけた夕日が見えた。急がないと暗くなる。

スマホの地図を見ながら歩くと今日の宿が見えてきた。
下見板張りのこれも純日本風旅館。

当初は出雲市駅前のビジネスホテルにしようかと思っていたが、それでは何だかつまらないし、ビジネスはあまり好みではない。
和室で安いところを探していたて見つけたのがこの旅館だった。
それに翌朝の出雲大社行を考えたら、出雲市からでも雲州平田からでも大して変わりはない。

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 持田屋旅館。ここも渋いねえ。

玄関の戸を開けて中に入るが誰もいない。
「こんにちは〜」と叫ぶとおかみさんが出てきた。

ここも純和風のインテリア。最近はこうした古さと和風を強調した宿が増えている。
日本好きの外国人が来たら大感激かもしれない。

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 純和風のインテリア。

2階の和室に案内される。
おかみさんに「お仕事ですか、観光ですか?」と聞かれ、
私「観光です」

お「予約のFAXが来た時、札幌からというから、随分と遠くからこの旅館を選んでくれてとびっくりしてね」
お「ところでどうしてこの旅館へ?」
私「出雲大社とあと一畑電車ですかね」
お「電車にのるためにこの旅館に来る人も多いんですよ」

鉄っちゃんなのがバレバレ(^^;)

部屋で宿代を渡す。3,300円。すばらしいね。
おかみさんはお釣りと領収書を取りに下へ行った。

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 和室の部屋。

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 昭和というより時代劇に出てきそうな雰囲気。

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 隣の部屋。こっちは広い。

おかみさんが戻ってくると、出雲大社の観光マップも持ってきた。

お「出雲大社参拝でここに泊まる人も多いんですよ」
から始まって、出雲大社のレクチャーが始まった。

お「出雲大社はほかの神社とは違って2礼4拍1礼」
私「ほうほう」
お「出雲の神様は耳が遠いの、だから大きく響くように手をたたかなきゃいけない」
私「へえ」

おかみさんはあっちも行って、こっちも行った方がいいと勧めるが、それ全部行ったら丸1日かかちゃうよ(^^;)

ほかにも色々と教えてもらった。
明日出雲大社に行ったら実践してみよう。

「出雲大社に来る人はね、みんな神様に呼ばれて来た人なのよ」(←冒頭のセリフ)
私「そういえば、今年はなんで突然出雲に行くのか思い立ったのか、そう言われれば出雲の神様に呼ばれたのかもしれない」
と調子の良いことを答えたが。

とはいえ、今回の旅行はなぜ山陰にしたのかいまいちはっきりしなかった。山陰地方に特に好印象を持っていたわけではない。

旅行先をどこに決めるか。
多くの人は好きな所へと答えるだろう。

私は旅行好きで国内・海外問わず長年いろんなところに旅行したが、はっきりとこれだけは言える。

好きな所だから行くよりも、行ってからそこを好きになる方が圧倒的に多い。

ここ山陰も今回の旅行ですっかり好きになった。
まあ、旅先の印象なんて天気や乗り物の混み具合などでどうにでも変わるものだが。

今回はどこも空いていて、天気も良く、一番いい時に来たような気がする。

それで行くと、本当に神様に呼ばれたのかもしれない。

お「出雲大社の次はどうするの?」
私「一畑電車で松江に出て、そこから境港に行こうかと」
「ゲゲゲかい」(;--)/
「そうそう」(^^;)

いや〜楽しいおかみさんだね(^^)

お「お風呂はどうします?歩いてすぐの温泉の割引券をお渡ししますが」
私「いや、ここで入るよ、もうさんざん歩いたし」

これから沸かしますとのこと。

しばらくして下から「お風呂が沸きましたよ〜」と聞こえてきた。

部屋といい雰囲気といい、なんだか寅さんにでもなったような気分だ。

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 旅館の風呂。

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 1階にある共同洗面所。

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 スーパーで買った惣菜。

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 お酒は出雲市平田の地酒『ヤマサン正宗』。

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 天井の節目。

日本酒は効くねえ。1本開けたらまた寝落ちしていた。

またかよ ヾ( ̄o ̄;)

夜中の1時。布団を敷いてまた寝なおす。


posted by pupupukaya at 17/12/24 | Comment(2) | 西日本の旅行記

2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記5

◆ 3日目 東萩〜益田〜浜田〜出雲市〜雲州平田

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 東萩〜出雲市〜雲州平田間のルート。(地理院地図より作成)

窓のカーテンを開けっぱなしで寝ていたので明るくなって目が覚める。6時。
10月も下旬になるとまだ日の出前。空はまだ茜色をしている。

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 6時過ぎ、まだ日の出前。空が茜色に染まる。

昨日スーパーで買ってあったアンパンを食べる。
荷造りと身支度をすればあとは特にすることもなく。
朝食付きにしても良かったかな。

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 風情ある純和風の階段と玄関。

そろそろ出発しようと1階に下りて玄関へ。やっぱり誰もいない。
帳場のインターホンを押して板を叩くと奥から昨日の羽織姿のご主人が現れた。
ほかに宿の人らしい人は昨日から見ていない。一人でやっているのだろうか。

もう行きますと言ってカギを返す。
ご主人は玄関の外まで見送ってくれた。

芳和荘は大正時代に建てられた元遊郭建築。近代的な手はほとんど加えられていない、当時の原型を残したままの旅館である。
もちろん古いが故の不便さもあるのは仕方がない。
そんな不便さもひっくるめて、昔の人の生活や思いを馳せながら一夜を過ごすことができたのは、貴重な経験ではなかろうか。

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 裏から見た旅館。どこから見ても風情がある。

7:25に旅館を出発。このまま東萩発7:44発の益田行に乗れば接続も良く、午前中には出雲市に着くのだが、そんなに先を急ぐ旅でもなく、あちこち途中下車しながら行きたい。

早く出たのは、世界遺産の萩反射炉をみるためだった。

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 雁島橋から見た阿武川。

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 山陰本線の列車。

旅館から歩くこと20分。セブンイレブンの駐車場わきに萩反射炉の入口があった。

階段を登ると、石積みの煙突が見えた。
ただの広場というか公園というか。もう少し観光地っぽくなってるのかと思ったが。

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 史跡萩反射炉の入口。

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 石積みの萩反射炉。

萩反射炉は萩藩が海防強化のため鉄製大砲を鋳造するために作った金属溶解炉である。
反射炉では、燃焼室で焚いた燃料の炎や熱を天井に反射させて金属を溶解させた。
現在残るのはその煙突のみ。
しかしこの反射炉は、技術的にも資金的にも難しくなって、試作で終わってしまった。

‟幕末に、萩藩が自力で産業の近代化を目指す中での、トライアル&エラー(試行錯誤)を証明する貴重な遺産です。“
(看板より)

また20分歩いてこんどは東萩駅へ。
列車の発車時刻までまだ30分もある。もう少し遅く出ても良かったかな。

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 東萩駅前にある萩城天守閣1/6の模型。


◆ 東萩 8:41【820D】9:54 益田

8:30に列車が入って来た。またもや1両だけ、キハ40のワンマン列車。
東萩で交換する列車はないのに、なぜか10分間も停車時間がある。

海側のボックスシートは余裕で座れた。

きったねえ窓だな(#^ω^)

窓はホコリや泥で茶色くなっている。
この改造キハ40の窓は、下段ははめ殺しだが上段は上に開く。窓を開けて手を突っ込んでティッシュで窓の外側を拭いたらきれいになった。

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 単行のキハ40が来た。

東萩発の上り列車は、この8:41発の益田行の次は13:54発ということになり、乗り遅れたら5時間以上待たなければならない。
山陰本線ということになっているが、本線とは名ばかりの超ローカル線である。なんでこんなことになっちゃったんだろう。
そんな貴重な列車だが、東萩からの乗客は観光客が数人と、地元客が数人だけ。空きボックスも目立つ。
列車本数が減った理由は、結局利用客が減ったからということに尽きるのだろうが。

利用者が減ったから列車本数を減らす→本数が減って不便になりさらに利用者が減る、の典型のようだった。
鉄道で萩に行きたい観光客がいても、これでは利用のしようがない。

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 日の当たる山側の席は空きボックスが目立つ。

東萩を発車してしばらくすると、さっき行った萩反射炉が一瞬見える。
車内から見るだけで良かったかな、とも思うが、今度萩に来るのはいつかわからないし行っておいてよかったということにしておいた。

しばらく山の中を通っていたが、海際に出る。
昨日とは違って、青空が広がって海面も静か。窓に張り付くようにして日本海を眺める。

停車駅ごとに地元客が1人、2人と降りて、車内はますます閑散としてきた。

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 オーシャンビューその1、長門大井〜奈古間。萩大島が見える。

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 オーシャンビューその2、宇田郷〜須佐間。

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 オーシャンビューその3、宇田郷〜須佐間。入り組んだ須佐湾。

須佐、江崎と地元の人が乗ってきて、車内はだんだん賑やかになる。
益田に向かう列車は、この列車を逃すと次は5時間以上あとになるのだから、この人たちにとっては貴重な列車だ。

車内はおかあさんたちの世間話や、おとうさんたちの経済談義などで賑やか。

ローカル線の旅は楽しいね(^^)

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 飯浦駅。ここから島根県になる。

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 オーシャンビューその4、飯浦〜戸田小浜間。

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 益田に近づくにつれ、車内は賑やかになって来た。

車内はいかにもローカル線の午前中の上り列車の雰囲気で益田に着いた。

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 益田駅に到着。

益田では乗り継ぎ時間が1時間ある。
一旦改札を出て待合室へ。

益田は島根県西部の都市で、人口は4.7万人。
益田駅は新山口からの山口線が合流する。
特急『スーパーおき』や『スーパーまつかぜ』も発着して、今まで超ローカル線だった山陰本線もここからは本線らしい面目になる。

待合室は10:31発の米子行スーパーおき2号の乗客で賑やかだ。
座り心地の良いベンチが並んで、売店もあって、いかにも昔ながらの駅といったところ。

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 都会では見なくなった有人の改札口。

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 益田駅の待合室。

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 2階建ての、いかにも国鉄といった感じの駅舎。

駅の外に出てしばらく歩いてみたが、これといったものもなく、また駅に戻る。

1番ホームはスーパーおき2号の乗客が長蛇の列。スーツ姿のビジネス客が多い。
みんなどこまで行くんだろう。県庁の松江までか。

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 米子行特急スーパーおき2号が到着。特急は人気。

たった2両の特急は結構な乗車率で発車していった。
また静かな駅になる。


◆ 益田 10:54【348D】11:40 浜田

こんどの列車は益田発浜田行の普通列車。特急とは反対にこちらはホームも車内もひっそりしている。

車両は変わって。ステンレス車体のキハ126の2両編成。
2000年から新車で導入された車両である。

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 益田からのキハ126系気動車。

どうも、ローカル線の新車というものにはあまり期待していない、というかガッカリさせられることが多い。
というのは、最近の車両はロングシート主体で、クロスシートも申し訳程度にしか設けられない残念な車両が多いからだ。

ところが、車内に入るとびっくり。オールクロスシートではないか。
車端部の優先座席だけロングシートになっているが、あとは4人掛けのボックス席。

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 キハ126のクロスシートが並ぶ車内。

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 車端部は優先座席のロングシート。

これは世が世ならば急行用車両としても通用する。
通路幅が広く取られてつり革が並ぶところが一般形ということなのだろう。

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 シートピッチも余裕がある。

ボックスシートに座ると、シートピッチも十分な広さがある。向き合って座っても余裕がありそうだ。
JR西日本さんも随分と粋な車両を作ったものだ。どこかのJR(西日本以外全部)にも見習ってほしい。

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 キハ126の運転台。

車内は悲しいほどにガラ空きのまま発車した。2両合わせて数人というほどの乗車率。

この車両、車内や座席はいいのだが、窓が汚いのは残念。せっかく景色が良いのに、カメラを向けても色あせてしまう。
拭けばきれいになるのだろうが、窓が開かないのではどうしようもない。

ワンマン列車なので後部の運転台は無人になっている。
しばらく立って後ろに流れる後面展望を眺めることにした。さすがに運転台のフロントガラスはきれいだ。

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 後部展望その1、益田〜石見津田間。

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 後面展望その2、鎌手〜岡見間。なかなかスリリングに見える。

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 後面展望その3、折居〜周布間。

トンネルに入って、海を見て、山中に入っての繰り返し。やはり海沿いの区間は素晴らしい。
もう少しゆっくり走ってほしいところだが、特急スーパーおき、スーパーまつかぜが高速化された区間。普通列車ながらも容赦なく突っ走る。

各駅停車ながら、快速アクアライナーと大して変わらない46分で浜田に着いた。

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 浜田に到着。

浜田では迷うところがあって、着いたホームの向かいに1両の列車が停まっている。
この列車は三江線の浜原まで行く列車である。車内は空いているボックスシートもあった。
三江線と言えば、来年(2018年)の3月末で廃止が決定している。

これに乗れば、全線は乗れないが途中の因原までなら往復してこられる。江津から特急に乗れば出雲市着は16:12となる。
江津から因原までの往復と特急料金は別にかかるが。

でも、雲州平田に着くころには暗くなってるな。できれば明るいうちに宿に着きたい。

ここは涙を呑んであきらめることにした。
階段を登って改札口を出る。


posted by pupupukaya at 17/12/03 | Comment(0) | 西日本の旅行記

2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記4

◆ 2日目 萩を歩く

JRの駅は東萩が代表駅だが、ここは山口県萩市である。
いまは人口約4.7万人の日本海に面した地方都市だが、江戸時代は毛利氏が治める長州藩の城下町だった。

待合室の奥に観光案内所があって、開いてはいるが中には誰もいない。
地図の載ったパンフレットだけ取って来た。これを見ながら町をあるいてこよう。

当初の旅行計画では萩は素通りするつもりでいた。
博多から出雲市までは、新幹線と特急『スーパーおき』を乗り継げば、半日で着くのである。

それが萩に泊まることになったのは、飛行機が希望日の便が取れなかったことによる。
しかしそのおかげでこうして萩の町に寄ることができたのだった。

旅行の出発前に萩の歴史などを調べていた。
そうしたら歴史の教科書に出てきた伊藤博文、木戸孝允、山形有朋、高杉晋作など明治維新や新政府のメンバーの多くが長州藩のお城が置かれていた萩出身なのだった。
それに気づいたら、何だかすごい所に行く気がしていた。


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 松陰神社は幕末の思想家だった吉田松陰を祀った神社。

まずは松陰神社へ向かう。
ここは幕末の思想家であり教育者であった吉田松陰を祀った神社である。

日本の幕末から明治維新にかけて活躍した長州出身の人物に大きな影響を与えたのが吉田松陰であった。
駅から松陰神社までは歩いて行ける距離。沿道はドラッグストアやコンビニが目立つ。
15分ほどで着いた。広場の駐車場には観光バスが何台か停まっていた。

境内は修学旅行だろうか、小学生が大勢ぞろぞろと歩いている。
彼らが通り過ぎると静かになった。

吉田松陰歴史館もあったが今回は時間が無いのでパス。

また次回(^^)ノ~~

松下村塾だけはしっかり見ておくことにした。

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 国指定史跡の松下村塾(しょうかそんじゅく)。

この松下村塾で、高杉晋作や初代総理大臣の伊藤博文など多くの倒幕・明治維新にかけて活躍した人材が学んだ。
その師が吉田松陰なのである。
しかし、松陰がここで教育したのはわずか1年間だけ。

”この短い期間に、この粗末な教室から若い松下村塾グループが育ち、安政の大獄で刑死した師の志を継いで尊攘倒幕に挺身し明治維新の原動力になった。“とは看板より。

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 粗末な小屋だが、ここから明治新政府の要人が育った。

吉田松陰とは名前は知っていたが、どのような人物かまではこれまでよく知らなかった。
ネットでいろいろ調べてみたのだが、満29歳で亡くなるまで波乱というかクレイジーな生涯を送った人物だったようだ。

松陰の思想や言葉はググればいくらでも出てくる。そのどれもが現代に通用する、いやこの先どうなるかもうだれも予想がつかない現代にこそ必要なことかもしれない。

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諸君、狂いたまえ。by吉田松陰

松陰神社を後にして、今度は町のほうへ歩く。

別にどうということは無い普通の街並み。
だけど、歩いているとそんな中にも一瞬現れるんだよね。これはっていう被写体が。だから町なかは歩くのが一番好き。

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 水路と日本家屋。歩いていればこそ見つかる風景。

パンフレットの地図に『井上勝旧宅跡』というのがあったので寄ってみる。
井上勝は明治維新以来、日本の鉄道発展につくした人物。
鉄道好きとして寄ってみました。奥は普通の民家のようだったが。

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 鉄道の父、井上勝旧宅跡。

松陰神社から松本大橋を渡ってまっすぐ行った突き当りにあるのが唐樋札場跡。
江戸時代はお触書などが掲げられた場所。いまは萩市民憲章が掲げてあった。

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 唐樋札場跡。

この札場の向いにある荒川蒲鉾店に寄る。

旅行前に萩の名物というか、B級グルメ的なものを探していたら魚ロッケ(ギョロッケ)なるものに出会った。
萩市内の魚ロッケといえばこの店が有名らしい。

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 ショーケースに蒲鉾が並ぶ荒川蒲鉾店。

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 荒川商店の『魚(ギョ)ロッケ』は1個65円。

ショーケースに並んでいた魚ロッケ2個と、ごぼう巻きを買う。
歩きながら食べるのも何なので、包んでもらった。旅館で酒の肴にするとしよう。
あとでスーパーの練り物コーナーにも並んでいたので、この辺りではメジャーな食品なのだろう。

ここからはアーケード街になる。
シャッター街というほどではないが、人影は無くひっそりとしている。
この辺が萩市の中心部ということになるのだろうが、これといったものは見つからなかった。

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 『ジョイフルたまち』というアーケード商店街。

アーケードが終わったあたりから、萩城城下町ということになる。
長州藩時代からの旧家や武家屋敷が立ち並ぶ一角。

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 旧商家が並ぶ萩城城下町の旧町人地あたり。

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 呉服商・酒造業を営んでいた旧久保田家住宅の玄関。

このあたりも人通りは無い。平日だからこんなものなのか。
しかしそのおかげでとても静かで落ち着いている。

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 木戸孝允旧宅などがある旧江戸屋横丁。

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 日本の道百選の1つになっている菊屋横丁。

たまに観光タクシーが通りかかって、無粋だなあと思うが、これは私の足腰が丈夫だからで、あと40年もしたらああいうタクシーの世話になっているかもしれない。
・・ヨレヨレのじじいになってもまだ旅行してるんかい(^^;)

つぎは萩博物館へ行く。

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 萩博物館は武家屋敷風の建物。

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 入場無料の別棟にあった『昭和のくらし展』で再現された茶の間。

券売機で入場券を買って受付に見せる。
中に入ってから、バックパックを背負ったままなのに気付いた。戻って受付のおばちゃんに荷物を預かってくれないかというと、入口横のロッカーに入れてくださいと言われた。100円玉は出すときに戻ってくるとのこと。

おばちゃん曰く
「軽そうだから声をかけなかったんですが」

・・・いや結構重たいのよ、これ。

ひと回りしてきて、中にあったレストランに入った。客は私一人。
外に看板が出ていた夏みかんソフトを食べた。
ずっと歩き続けだったので、ここで小休止。

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 萩博物館のレストランで食べた夏みかんソフトクリーム。

さて、時刻は15:20.
ここからさらに歩いて、旧武家屋敷の並ぶ堀内地区重要伝統的建造物群保存地区を通って、萩城跡がある指月公園まで行ってみることにした。
堀内地区の街並みは、白い土壁の塀がずっと続く、町人地とは違った道だった。

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 旧上級武家地の道は白い土壁の塀が続く。

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 クランク状の石垣に囲まれた萩城への道。

萩城があった場所は指月公園となっている。萩城は明治7年に廃城令により解体され、いまは堀と土台の石垣が残るだけとなっている。
入口には料金所があって、中に入るには入場料がいるようだった。

もう4時近かったし、途中で買い物をして明るいうちには旅館に着きたい。
写真だけ撮って、引き返すことにした。

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 慶長9年(1604)に毛利輝元が築いた萩城。いまは土台の石垣が残るのみ。

さっき来た道をまた歩く。
同じ道をただ引き返すとは芸がないが、2回通っても良い道だった。

さっき歩いた城下町地区では、下校の小学生が歩いていた。
ここは観光地というだけでなく、地元の人々が暮らす町なんだな。
そう思うと、萩の町も人も懐が深い所に思えてくる。

有名になったはいいが、観光客相手のお土産屋やカフェばかりになって、反面地元の人が寄り付かなくなったような観光地よりここはずっと良い。

途中でスーパーに寄る。
ここで、今晩の酒と肴を仕入れる。今日の宿は素泊まりだ。

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 旅館近くの水路。

今日の宿は、じゃらんでネット予約してある。
昨日の宿はビジネスホテルだったが、今日と明日の宿は旅館にした。

私はプライベートでも出張でも自分1人で泊まるときは断然和室派である。
和室は立っても座っても寝っ転がっても自由に過ごせるからね。
風呂トイレ共同なのも全然気にならないし。

それにビジネスホテルはあまり好きではない。
狭い部屋にベッドが占領して、寝てるか狭いテーブルの向こうにある鏡の自分と差し向いに過ごすしかないではないか。
たっぷりと部屋に余裕のあるシティホテルクラスならば満足だが、少ない予算でそんなところに泊まれるわけはなし。

で、駅から近くて安い旅館ということで探していたら良い宿が見つかった。1泊4,500円、ちょうど千円分のクーポンがあったので3,500円となった。オンラインでクレジット決済済みである。

いやあ、便利な世の中になったね。
反面、町なかの旅行代理店など、あと10年もしたらほとんど無くなっているかもしれないね (^^;)

というわけで旅館の前までやってきた。

うおおお、古い。
ゾクゾクしてくるほど年季がはいった佇まい。

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 旅館芳和荘。建物は遊郭だったもので建築は大正初期。萩市景観重要建造物にも指定されている名建築。

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 古い佇まいの玄関。

本当にやっているのか?と思いたくなる玄関だが、おそるおそる戸を開けて中に入る。
誰もいない。

靴を脱いで上がったところに帳場があって、インターホンがあったので押してみる。
その隣には板と棒があって、これを鳴らしてくださいみたいなことが書いてある。どうしたらいいんだ、こりゃ。
板をカンカンとたたいて見たら、奥から『芳和荘』と書いた羽織姿の番頭さん?ご主人らしい人が現れた。

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 玄関から。セットじゃないよ本物だよ。

宿帳を書くと、羽織の主人が部屋まで案内してくれた。
部屋は2階になる。階段を登ると中庭があって、ぐるりと囲むように回廊がある。

その回廊に面した1つの部屋に案内してくれた。
部屋は畳の和室6畳。窓も手すりも木製。くすんだ色彩に100年の歴史を感じる。
床の間に置かれたテレビと窓の上のエアコンがむしろ異彩を放つ。

いいねえ、いいねえ(・∀・)

ここで歴史を感じながら1杯やるか。

主人「お風呂は何時に入りますか?」と聞かれ、
じゃあすぐに入るかなと答えた。

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 大正、昭和そして平成と百年間変わらない部屋。

主人が去ってからカメラを持って部屋を飛び出す。
もう軽く興奮していた。
いや〜、国内旅行でこんなにテンション上がるのはいつ以来だろう。

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 中庭と回廊。

中庭をぐるりと囲んだ木の廊下に木の手すり。手すりには文字が彫られた板がはめ込まれている。
床も、手すりも柱も綺麗に磨き上げられて、古さはあるが煤けた感じは全くない。

この建物は大正時代初期に遊郭として建てられた、当時としては大型の木造建築物である。
遊郭は、戦後のある時期までは全国各地に存在したが、現存する建物は今ではほとんどないそうである。
しかも、当時の姿のまま残っているのは全国でもここだけ。

歴史的な建物を保存して、観光化しているところは全国にいくらでもあるが、ここは現役の旅館。
しかも私のような貧乏人が泊まれる安宿 (^^;)

廊下から中庭を見下ろしていると、昭和も戦前、いや大正時代にいるような気分になってくる。
いや、伊藤博文や木戸孝允が向こうから姿を現しても違和感がない気がする。
なんだか軽いめまいがしてきた。

文章ではこれ以上言い表せないので、興味ある方は泊まってみては。

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 狭いけど趣のある風呂。『武者風呂』と呼ばれているそうだ。

風呂もずいぶんと手の込んだ造りになっていた。
安宿にしとくにはもったいない。

すっかり温まって風呂場から出ると主人が出てきて、お風呂の間にお布団を敷いておきましたからとのこと。
上げ膳据え膳だねえ。

さてと、部屋のテーブルにスーパーで買ってきた酒と惣菜を並べて宴会するか。

 〜本日の献立〜
魚ロッケとゴボウ巻き(荒川蒲鉾店製)
萩市沖産 ヤズ刺身
鯨カツ

 〜お飲み物〜
エビスビール1缶
長門峡 上撰 4合瓶


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 スーパーで買ってきた酒と惣菜。

エビスビールから。さんざん歩いてきて一風呂浴びてきたからビールうまい。
まずは魚ロッケから。魚のすり身にパン粉をつけて揚げたもの。コロッケならぬギョロッケ。
軽く塩味があるので、酒の肴ならばこのままいける。おかずにするならソースか醤油をかけたい。

ヤズは珍しい魚かなと思って買った。30%引きだったし。
どういう魚かと調べたらブリの出世魚名だった。

今回のスーパー惣菜で一番のヒットは鯨カツ。札幌あたりでは目にすることがないので買ってみた。
鯨の刺身は何回か食べたことがあるが、正直あまりうまいとは思ってなかった。
肉は叩いて薄くしてあるようだが、これが柔らかいし、感覚としては魚っぽい牛肉(?)というところ。
これがめちゃ旨かった。ビールより日本酒に合うな。

と思って日本酒も買っておきました。
部屋にあった湯飲み茶わんで飲む。

日本酒は、ぐい吞みでもグラスでもなく湯飲みで飲むのがツウの飲み方なのである(嘘)。

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 萩の地酒『長門峡』を友に。

買ってきた惣菜は多かったかなと思ったが、全部食べてしまった。
あとは古き良き時代に思いを馳せながらチビチビやってようか。

あー、くたびれたーと布団にちょっと横になる。

ZZZ・・・

目が覚めたら10時過ぎ。
電気つけっぱなしで寝ていた。最近寝オチが多いよヾ (^^;)

あーおしっこしたい。

外に出ると中庭はライトアップされて、これが昼間とは違う幻想的な光景だった。
トイレから部屋に戻って、カメラを持ってまた廊下に出る。

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 回廊と中庭の夜景。今自分はいつの時代にいるのだろう。

夜景を撮るのはお手の物だ。持っているカメラはニコンのコンデジ。レンズの口径比は広角側で1:1.8。手持ちでもバシッと決まる。
でももう売ってないんだよね、このカメラ。

廊下でカメラをもってウロウロしてると、羽織の主人が階段を登ってきた。

やべっΣ( ̄▽ ̄)、見つかった?

でも何も悪いことしてないよ。

主人「いい写真を撮れましたか」

「ここ、昔は遊郭だったんですってね」
から始まって、ご主人との話が止まらなくなった。

「古いままだから、あまり女性向ではないですかね」
と言うと、意外や意外、女性のファンが多いという。

この建物のこと、萩のこと、札幌のこと、話は明治維新の志士のことまでに及んだ。

私も寝起きとはいえ酒がまだ残っていたので結構饒舌だった。
なんだかんだ知ったかぶったつもりで、倒幕から明治維新の話をしたような気がする。

「松下村塾から始まって萩から明治新政府の要人がたくさんいたのに、萩の町はどうして小さな町のままになってしまったんですか?」

今にして思えば愚問だったかも知れないが、ご主人はたぶんご自分の言葉で答えてくれた。

「うーん、あの頃の人たちは、新しい日本を作る信念があったので、萩だけを発展させるということは頭になかったのでしょうね」

小1時間くらいずっと廊下で立ち話していた。
まだ半分酔っぱらっている自分の話を、物静かに受け答えするご主人はとても優しかった。

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 すべてが本物。

築100年にもなる古い建物を維持するのは大変なことだろうと思う。お金だってかかるだろうし。
ただ1泊の客である私にとやかく言う権利はないが、いつまでも今の形で残っていれば良い。
そして、また萩を訪れることがあればこの宿に泊まりたい。

今日1日を振り返ると、萩に来て本当に良かったと思った。

吉田松陰、萩城下町、そしてこの芳和荘

もしかしたら
「素通りは無いだろ、ちょっと寄ってけよ」
と、萩の町に呼ばれたのかもしれない。

飲みかけだったお酒をまた飲んだ。4合瓶が1本空いたところで、こんどは電気を消してちゃんと寝ることにした。


ところで 松下村塾 のことを私めは まつしたそんじゅく とずっと言っていました。
 ( ̄∇ ̄;)

それに気が付いたのは札幌に戻ってからだった orz


posted by pupupukaya at 17/11/26 | Comment(0) | 西日本の旅行記

2017年 山陰本線とサンライズ出雲旅行記3

◆2日目 博多〜小倉〜門司港〜下関〜長門市〜東萩

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 博多〜東萩間のルート。(地理院地図より作成)

旅先の朝は早い。今日は6時前に起きた。

7:28発の快速に乗る予定なので、7時過ぎにはホテルを出たい。
8時半過ぎの列車でも山陰本線の列車には乗り継げるのだが、門司港へ寄ってみたいので1時間以上も早く出るのだった。

昨日、博多駅のスーパーで買っておいたパンといなりを朝食にする。

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 朝食の九州風味いなりとロングホイップ。

ホテルをチェックアウトして博多駅へ。

改札口に着いたのは7:16だった。
改札口上の発車案内を見ると、小倉行快速は7:18発とあった。時間を間違えた?

あとで時刻表を見たら乗る予定にしていた7:28発の快速は『土曜・休日運転』とあった。

最初からこれで大丈夫なのかオイ ヾ(--;)

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 成田空港までの長旅は博多駅北改札口からスタート。

気付いたときに走れば間に合ったかも。

まあいい、7:31発の特急にちりんシーガイア7号があるので、それで小倉まで行く。
改札口横にあったみどりの窓口で小倉までの特急券を買った。510円。
余計な出費になったが、小倉には予定より早く着くので門司港での滞在時間が増える。

時は金なり。


◆ 博多 7:31【にちりんシーガイア7号】8:31 小倉

ホームに行くと、特急の乗車口はどこも長蛇の列ができている。この列車の小倉着は8:31、時間からして通勤特急といったところ。並ぶ人もいかにも通勤という人ばかりだった。

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 にちりんシーガイアの自由席は長蛇の列。

列の最後につく。小倉までは1時間。立ちっぱなしも覚悟したが、窓側の席に座れた。
発車間際に続々と乗ってきた。
吉塚、香椎と停まるごとに大勢乗ってきて満席になった。デッキには立つ人も見える。

赤間を発車したあたりで車掌が車内改札に来た。
特急の定期券を持っている人がほとんどで、隣の人も定期券を見せていた。

停車駅の多い特急なので、案の定特急券を持たずに乗っている人が多い。
その度に車掌さんは行先を聞いて端末を操作して特急券を売る。次の駅が迫っているので車掌さんもやきもきだろうな。

折尾で降りる人が多いが、乗ってくる人も多い。隣の人も入れ替わった。
次の黒崎も降りる人が多い。小倉まで乗り通す人は意外と少数派だった。
考えたらこの区間は新幹線なら僅か16分。こちらは1時間かかる。博多から小倉までなら断然新幹線だろう。

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 小倉に到着。


◆ 小倉 8:36【1150M】8:52 門司港

小倉では門司港行普通列車に乗り換える。
こちらはラッシュも終わったのか、乗客は数えるほどしかいなかった。

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 門司港行はがら空きだった。

門司から門司港までは、時刻表の路線図で見ると支線のように見えるが、こちらがれっきとした鹿児島本線である。

門司で分かれる関門トンネルが開通したのは1942(昭和17)年。それまでは関門連絡船が本州側の下関と九州側の門司を結んでいた。門司とは今の門司港駅のことである。トンネル開通とともに今の駅名に改められ、それまで大里駅であった駅が九州側の新たな玄関口として門司と改められた。

このように由緒ある路線なのだが、車内も車外もなんだか錆びついてしまったような印象を持った。
北海道ならば室蘭に似ているなとも思った。

小倉から16分で終点門司港に着く。車内の乗客は私一人になっていた。

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 門司港に到着。


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 門司港駅の頭端式ホームと0哩標。

門司港駅は終着駅らしく頭端式のホーム。
ルネッサンス風の木造駅舎は1914年(大正3年)に現在の駅舎に建て替えられたときのまま使われている。

私の持っている乗車券では門司〜門司港間が区間外乗車になるので、改札口で210円を払って出る。

駅の外に出ると、木造駅舎は工事のために完全に覆われていた。
駅舎は2019年まで保存修理工事中なんだとか。

残念(´・ω・`)

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 門司港駅の木造駅舎は残念ながら工事中。

2019年完成したら、大正時代の姿が復元されるそうだ。
また次回ね。

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 旧駅の面影を残す駅入口。

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 関門連絡船通路跡。

駅舎は見ることができなかったが、駅前は古いビルが健在で、大正ロマンを感じるような街並みになっている。
駅から歩いて一回りしてきた。

通りは人も車も少なくて静か。
ここは九州の玄関口としてすべての拠点だったところ。
戦時中に関門トンネルが開通してから拠点は小倉へ、博多へと行ってしまい、すっかり錆びついてしまったかのようだ。
そのおかげで、今になって門司港レトロという観光地となった。

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 レトロな建物が並ぶ門司港駅前。

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 大正ロマンを醸し出す街角。

昭和戦前から時が止まったような一角が現れて立ち止まると、ふと昔の白黒映画の中を歩いているような気持になった。

人を見ないのになぜか人懐っこい。門司港はそんな不思議な空間だった。
門司港は次回来ることがあればもっとじっくりと歩きたいと思った。

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 関門海峡と関門橋。

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 バナナマンの人形。門司はバナナの叩き売り発祥の地なんだとか。

30分ほどでひと回りして駅に戻って来た。
駅近くには九州鉄道記念館や門司港レトロ観光列車の乗り場があるのだが、今回は時間が無くて行けなかった。
次回来た時に。


◆ 門司港 9:40【2335M】9:47 門司港

こんどは門司まで戻り、そこから下関まで行く。
久留米行4両編成の列車はオールロングシート。この車内はすいていた。
バックパックを背負ったまま腰掛け、わずか2駅。

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 門司港から出発する。



◆ 門司 9:53【5144M】10:00 下関

門司で乗り換える。ここから下関までの1駅は山陽本線になる。

ホームに入って来た下関行の電車は、なんと国鉄形の415系電車。九州電化の際から走っている交直両用電車である。
北海道の711系電車ですら既に廃車になっているのに、こんなところで国鉄形電車に出会うとは思わなかった。

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 門司からは415系電車で関門トンネルをくぐる。

乗るのは1駅7分間だけだが、ボックス席が空いていたのでそこに座る。
走りだすと音といい振動といい、うーん国鉄形。あまりにも堂々とした走りっぷりに感動してしまった。

考えたら九州は交流電化、関門トンネルと本州側は直流電化で、その交直セクションが門司駅の手前にあるためにこの区間は交直両用電車である必要がある。
高価な交直両用電車などあまり新製したがらないのだろう。

同じように駅間にセクションのある羽越本線村上〜酒田間では電化区間だが普通列車はすべて気動車である。
この次来るときは関門トンネルの列車は気動車に置き換わっていたりして。

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 下関に到着。

下関からは山陰本線になる。
向かいのホームには岩国行の2両編成が停まっていて、この電車から乗り換える人が多かった。
妙に鮮やかな黄色一色。この黄色い電車は115系でこれも国鉄形だ。

黄色い岩国行2両編成に立ち客を乗せて発車していった。ずいぶんとケチくさい電車を走らせること。

下関の乗り換え時間は35分、外に出ようと思ったが、大したものもなさそうなのでホームで待つことにした。
地下道のところにセブンイレブンがあったので何か買っておこうと入る。
『とらふくひれ酒』というのがあって下関らしいので1つ買った。515円。

山陰本線のホームは9番。まだ30分も前なので、ホームには3人くらいしかいない。
ホームでぼんやりと列車が来るのを待つ。

昔、ブルートレインのさくら号に乗って長崎へ行ったときに、下関で機関車交換の停車中にホームの売店で駅弁を買ったっけなあ。そのホームの売店は今は無く、駅弁すら無くなってしまった。

ホームは少しずつ人が集まって来た。ホームの乗車口のところに立っていると、自分の後ろに何人かの列ができた。



◆ 下関 10:35【828D】12:31 長門市

10:25に仙崎行の列車が入って来た。

1両だけって(-_-;)

車両はキハ40のワンマン列車。昔ながらのボックスシートだった。
それでも車両はリニューアルされていて、冷房が付けられたほか、窓のサッシが新しくなっていて、上段は開くが下段が固定窓になっている。

しかしこの車両、一番新しいものでも製造から軽く30年以上も経っている。
JR北海道ですら、そろそろ取り換えの話が出てきている。

JR西日本はまだまだ使うつもりなのかね(^^;)

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 下関からの仙崎行828Dはキハ40単行だった。

車内はすべてのボックスと車端のロングシートに何人かというほどの乗車率。
次の幡生で結構乗って来た。ジャージ姿の中学生が多い。

幡生からは山陰本線になる。単線でローカル線といった雰囲気。『本線』と言っても、幡生から益田までの区間約160kmは普通列車しか走らず、実質ローカル線でしかない。

2003年に今回と全く同じルートで博多から東京まで移動したことがあって、その当時は小倉から米子まで特急『いそかぜ』に乗ったのだが、その特急もいつの間にか無くなっている。

停まる駅ごとにジャージ姿の中学生(それも男子ばかり)が乗り込んでくる。部活動なのかわからないが、車内は賑やかになってきた。
彼らは相席を嫌って、通路に立ったままボックス席には座ろうとしない。ひじ掛けに腰掛けたりするくらいなら座ればいいのに。それにしてもうるさいこと。

そんな彼らも吉見で全員降りた。車内は静かになる。
ここから先は降りる人ばかりで、車内はだんだん寂しくなっていった。

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 駅ごとに乗客が減って行く。小串駅。

小串を過ぎたあたりから海岸沿いを走るようになる。
昨日までの台風の影響か波が高い。空も雲が覆っていて、冬のような風景だ。

それでも手付かずの自然の海岸は美しい。
山陰本線はずいぶんと良い所に線路を敷いたものだ。

それに海の見え方が良い。

山の中を走っていて、突然オーシャンビューが開けるのが憎い演出だねえ。

日本海はオーシャン(大洋)ではないけどね(^^)

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 オーシャンビューその1 小串〜湯玉間。

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 オーシャンビューその2 阿川〜長門粟野間。曇り空なので色彩はいまいち。

手付かずの海岸線が多いということはそれだけ人口が少なく過疎ということで、鉄道の経営的には厳しいところなのだが。
これだけの景色がありながら特急列車も無く、観光列車も走らせず、遅くて不便な普通列車ばかりというのは勿体ないなあ。

TWILIGHT EXPRESS 瑞風(トワイライトエクスプレスみずかぜ)はこの路線を走るが、普通の人が乗れねーじゃん。

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 1両なのでこれが全ての乗客。

混んでる列車には乗りたくないが、あんまり空いているのもちょっと寂しい。
空きボックスばかりが目立つ1両だけの列車は長門市に着いた。
この列車は仙崎行で、長門市から1駅だけの支線に乗り入れる。仙崎まで往復してきても良かったのだが、何となく長門市で降りてしまった。

長門市からは東萩行の臨時列車があるので、それに乗り換える。

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 長門市に到着。

改札口で乗車券を見せると、駅員は券面の経由地を指でなぞって確認した。

駅員「すごい切符ですね」
私「ええ、サンライズ出雲に乗ってみたくて」

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 長門市駅の駅舎。

長門市駅からは美祢線と仙崎支線が分岐する。
ジャンクションとなるので、それなりに大きな駅かと思っていたが、意外と小じんまりした駅で、待合室にはベンチがいくつかと売店があるだけ。
駅前も何も無いところだった。

今日はたまたま臨時列車がある日だったが、そうでなければこの駅で2時間も過ごすことになっていた。

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 長門市駅の待合室。


◆ 長門市 12:57【8594D】13:34 東萩

腹が減って来たので、売店でお茶と『バナナン』というお菓子を買って改札を通る。
12:57発の列車は改札口上の発車案内では益田行と表示されていた。

今度の列車はキハ47のワンマン2両編成。
列車の行先表示は、ここも益田と表示されている。東萩行じゃなかったのかこれは。

もしかして東萩から先は時刻表に載っていない臨時列車か。

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 益田行き臨時列車8594Dはキハ47の2両編成。

長門市と益田の間は、山陰本線の中で一番の閑散区間である。

長門市から東萩まで行くのに、1日に普通列車が8本しか運転されていない。
しかも長門市発の上り列車は9:10発の次が14:34である。

北海道のローカル線もびっくりの閑散ダイヤ。

当初乗り継ぎの計画を立てていた時は長門市で2時間もどうしていようかと思っていたのだが、新しい時刻表を見たらちょうど旅行日の日にだけこの臨時列車が運転されていた。

2017年10月の運転日は、10/10〜15・21・23〜26となっている。平日だったり休日だったり、どういう人を対象にしているかよくわからない列車だ。

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 車内はこのとおり。

2両編成の車内は悲しいほどにガラ空き(ノ_・、)

1両目は数人乗っているが、2両目は私一人だけ。まるで貸し切り列車だね。

折角だからビールでも飲みながら駅弁を食べたいところだが、そんなものは売っていないし。
山陰本線は、この先出雲市まで駅弁を売っている駅は無い。

売店で買ってきたバナナンはバナナの香りがする饅頭だった。
初めて見たので買ってみた。このあたりで作っているのかと裏をみたら、住所は大阪府門真市とあった。

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 長門市駅の売店で買ったお茶とバナナン。

さっき下関駅で買った、とらふくのひれ酒を飲んじゃおうかなとも思ったが、さすがに平日の昼間だし、それに萩では歩いてあちこち回るのでやめておく。

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 オーシャンビューその3 飯井〜三見間。青空が出てきた。

長門市からの車窓は、またまたオーシャンビュー。
1両貸切列車からの風景なのである。

ある意味トワイライトエクスプレス瑞風よりも贅沢かもしれない。

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 オーシャンビューその4 玉江〜萩間。

東萩の1つ手前の萩駅は立派な木造駅舎。
駅舎が登録有形文化財に指定され、中は鉄道の父・井上勝記念室となっているので鉄道旅行ならば立ち寄りたいところだが、今回は時間が無いのでパス。次回は必ず・・・

次回ばっかりだな(^^;)

東萩に到着。萩市の代表駅はこちらの東萩になる。
東萩駅のホームにはそこそこ乗客が立っていて、私と入れ替わりに乗り込んで行った。

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 東萩に到着。

改札口で乗車券を見せる。今度はなにも言われなかったが、駅員に頼んで下車印を押してもらった。

さて、東萩から先は時刻表に無い臨時列車のはずなのだが、と思って待合室にあった時刻表を見ると13:54発益田行とあった。
この列車は東萩が終点とばかり思っていたが、東萩からは列車番号を1568Dと変えて、そのまま定期列車になるのだった。



posted by pupupukaya at 17/11/11 | Comment(0) | 西日本の旅行記
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