2022年留萌本線乗車記2

 ◆ 留萌駅の栄枯盛衰

札幌から普通列車を乗り継いで留萌まで来たわけですが、着いてから折り返しの発車時刻まで2時間近くあるので駅前を歩いてみました。
しかし、寒いのと足元の雪がツルツルなので歩くのも面倒になり、2つ先の交差点まで行ったところで駅に戻ることにします。

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 街から見た留萌駅舎。

駅前はすっかり寂れた商店街になっていますが、昔ながらの市場や食堂などが残っていて昭和の駅前商店街の雰囲気がよく残っています。
その向こうに建つ2階建ての駅舎。
どこか懐かしさというか、安心感というか、そんな思いが湧いてきます。

あそこから汽車に乗れば帰れるんだ・・・

また留萌駅に戻ります。

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 改札口とみどりの窓口。

駅に戻ると、さっきみどりの窓口にできていた行列は消えていました。
窓口で『ありがとう留萌本線記念入場券』(2,000円)はまだあるかと尋ねたら、あるとのこと。
思わず1セット買ってしまいました。
別に並んでまで買うことはなかったようですね※。

 ※ この記事を書いている現在では完売したようです。

留萌駅に来ていつも思うのは、留萌市の規模と駅の乗客数に似合わないほど広くて立派なコンコースだということ。

今は行き止まりのローカル線になってしまった留萌線ですが、その昔は羽幌線が留萌から幌延まであって、増毛方面、羽幌方面、深川方面と3方向へ向かう人や乗り換える人で、広いコンコースは賑やかだったことでしょうね。

往時は急行列車もあって、札幌直通の『はぼろ』『ましけ』、旭川行きの『るもい』と1日4往復もの急行列車が発着してたのだから、当時は主要駅の1つであったことでしょう。
夏季の観光シーズンには、札幌からの臨時急行『天売』も運転されていました。

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 広いコンコースが賑わった往時を思わせる。

一方で札幌〜留萌間の直通バスも古くからあって、主に中央バスが運行していました。
しかし、当時は深川経由で途中の主要バス停に数多く停車する特急バス。所要時間も4時間以上とあっては鉄道の敵ではなかった模様です。

例えば留萌線の最盛期だったと思われるの1973(昭和48)年の時刻表で鉄道とバスの所要時間を比較してみます。

札幌〜留萌間所要時間比較(1973年)
運行所要時間価格
中央バス4:24〜30600円
急行はぼろ(上り)2:44830円
急行はぼろ(下り)2:31
急行ましけ(上り)2:49
急行ましけ(下り)2:27

運賃こそバスが安いですが、所要時間で比較するだけでも、この当時は鉄道の独断場だったといえます。
急行『はぼろ』号の編成は指定席1両、自由席3両の4両編成。
函館線内は急行『大雪』『紋別』と併結して、堂々13両編成で走っていました。

ところが、1984(昭和59)年春に札幌〜留萌間に道央自動車道経由の高速バスが登場します。

札幌〜留萌間所要時間比較(1984年
運行所要時間価格
中央バス(高速るもい号)3:101,500円
急行はぼろ(上り)2:493,500円
急行はぼろ(下り)2:39

バスはリクライニングシートに冷暖房付きで、所要時間は鉄道と遜色ないまでになりました。
対して鉄道はと言うと、札幌直通は急行『はぼろ』1往復だけ、車両はボロボロのボックスシート、運賃+料金はバスの倍以上とあっては、あっという間に鉄道のシェアは崩れ、札幌への乗客はバスへと移ってゆくことになります。

さらに追い打ちをかけるように、同年暮れには札幌〜羽幌〜豊富間に沿岸バスの特急はぼろ号が運行を始めます。
これで羽幌線内からの急行利用客も激減し、同時に留萌線は都市間輸送としての使命を終えたともいえましょう。

国鉄も末期の頃になると、ようやく重い腰を上げて陳腐化した車内アコモの向上やスピードアップなどを始めます。
しかしそれは留萌線急行にまで及ぶことはありませんでした。
またそれは函館線のL特急や都市間の増強がメインで、急行列車は逆に遅くなるという始末。
1973年と1984年を比べると、急行『はぼろ』でも所要時間が5〜8分延びています。

末期の急行『はぼろ』は自由席のみ2両編成、『るもい』は1両編成にまでに短編成化がなされました。
これらの急行も国鉄最後の1986(昭和61)年11月ダイヤ改正で姿を消します。
第2次廃止対象線区となっていた羽幌線も、国鉄最後の1987(昭和62)年末をもって廃止されることになりました。

優等列車も羽幌線も失った留萌線は、ダイヤも営業上も深川〜増毛間の普通列車だけが往復するローカル線と化してしまいます。

その後、国鉄は民営化されてJR北海道となりましたが、高速バス全盛の現状では鉄道は全くのお手上げ状態ということからか、特に動きはありませんでした。

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 多くの出会いと別れがあったであろう改札口。それを見守ってきた時計。

1990(平成2)年秋、札幌〜旭川間が本格的に高速化され、同区間を1時間20分で結ぶ特急『スーパーホワイトアロー』が運行開始となりました。

同時期に留萌線の列車も1往復が快速に格上げされ、快速『るもい』を名乗ります。
所要時間の最速は、下りの『スーパーホワイトアロー』『るもい』乗り継ぎで、2時間00分にまで短縮されました。

留萌駅にみどりの窓口が開設され、札幌〜留萌間に往復割引きっぷのSきっぷが設定されるなど、留萌線の営業もようやく利用者増に向けたテコ入れが行われます。

しかし、その頃には札幌へは高速バスが定着し、道央自動車道も深川ICまで開通して旭川鷹栖ICまでの開通も間近という頃。
翌々年には国道231号線が札幌〜留萌間で通年通行が可能となり、車への移行に拍車がかかります。

JRの施策もバスからのシェア奪回とはならず、僅かな利用者が増えただけの結果だったようです。
快速『るもい』も数年後には普通列車に戻されてしまいました。

冬の道内は吹雪で高速道路が止まることが多々あります。こうなると高速バスも運休となるので、こうした客も取り込もうという狙いもあったのかも知れません。

ところが函館線の特急はともかく留萌線が脆弱で、高速道路よりも留萌線が先に止まってしまうことが多いのではどうしようもありません。
『冬こそJR』なんてキャッチコピーも聞かれなくなって久しくなりました。

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 改札側から見たコンコース。

都市間輸送を捨てた留萌線に残された道は、高校生を中心とする通学生輸送となります。
深川〜石狩沼田間は通学利用がそれなりにあり、留萌線のダイヤは深川口の通学利用に合わせたものとなっています。

一方で、ここ留萌駅は市内の高校が駅から離れた場所にあるのと、列車ダイヤが通学時間と合わないこともあって留萌線沿線でも古くからバス通学が主流になっており、鉄道利用はほとんどありませんでした。

増毛町に高校があった頃は留萌市内から増毛への通学利用がありましたが、2011年に閉校してからは通学利用も皆無となりました。
2016(平成28)年12月には留萌〜増毛間が廃止となっています。

現在の留萌駅の乗車人員は、『JR北海道 地域交通を持続的に維持するために』によると、1日あたり35.2人(H29-R3の5年間平均)。
1列車当たり平均で見ると、わずか5人ということになります。

数少ない貴重な乗客ともいえますが、この留萌駅の利用者はどのような人たちなのでしょう。
その答えは、きっぷうりばの上に掲示してある時刻表にあります。
留萌から新千歳空港への乗り継ぎ時刻表。

それと、札幌までのSきっぷと札幌〜新千歳空港間の往復乗車券を組み合わせた『留萌〜新千歳空港間 8,050円』という表示が目立ちます。

札幌ではなく、新千歳空港というあたり。
ほとんどの人は札幌へは高速バス一択だけど、新千歳空港となるとJRで行こうという気にはなるでしょうね。
逆に言うと、もうこんな隙間産業的なところに活路を見出すしか営業施策は残っていなかったということになります。

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 今は新千歳空港が留萌駅の売りのよう。みどりの窓口上の掲示。

シェアでは大きくなった高速バスですが、これも車への移行と留萌市の人口減少が進んだために、最盛期は12往復あった高速るもい号も今では7往復までに減らされています。

華やかだった頃を想像し、赤字ローカル線として辿って来た留萌線を振り返り、こうして列車に乗って留萌駅を実際に見ていると、留萌駅が廃止になるのは時代の流れと受け止めることしかできません。

駅や鉄道が消えるのは寂しいことですが、現役でありながら人が寄り付かず寂びれる一方の駅や駅前ってどんなものでしょうか。
すっかり錆びついて、ぽっかりと街から取り残されたような駅がいつまでも放置されていてもしょうがありません。

この留萌駅は廃止後は取り壊され、留萌市の複合施設が建設されることになっています。
それがどのようなものになるのかはまだ不明ですが、各所にバラバラにあるバスターミナルはここに集約されることでしょう。

今となっては、新たな交通拠点として再出発することを願うだけです。


 ◆ 留萌駅あれこれ

留萌駅で一番新しいものは改札口に設置された液晶モニターの発車案内標でしょうか。
あれば便利だけど、古びたコンコースで異彩を放っています。
そもそも、この列車本数で必要なのかって気もしますけど。

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 液晶モニターの発車案内。

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 『ありがとう留萌本線』のスタンプも加わったスタンプ台。

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 改札横に設けられた写真撮影コーナー。

留萌駅の待合室はコンコースとは仕切られています。
これも国鉄型の駅舎によく見られるタイプで、ここ留萌駅のほかは倶知安駅、滝川駅、富良野駅など。

新しい駅は待合室は設けられず、コンコースにベンチを置いただけというのが多いですね。
寒い北海道なので、改札口やエントラスから外気が入ってくるコンコースと仕切ったほうが暖房効率が良くなるし、乗客も暖かい部屋で待つことができるわけです。

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 コンコースに隣接した広い待合室。

待合室にある立ち食いそば屋は14時までの営業時間で、着いたときは既に閉店してました。
ここのそばを食べたければ、もう1本早い列車で付く必要があります。

にしんそばが有名。私も何度か食べたことがありますが、こんどは天ぷらそばが食べてみたかった。

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 待合室にある立ち食いそば屋。

待合室の奥は、天井からはカモメのハリボテがいくつも吊り下げてある空間があります。
カモメは、2007年に訪問したときに撮影した画像にも写っていたので、それ以前からのものということになります。
SLすずらん号絡みのイベントにでも使われたのでしょうか。

いかんせんトイレの出入り口の前とあっては、何かしようにも難しいだろうし、デッドスペースと化している空間です。

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 待合室奥にカモメが舞う。

待合室の一部はパネルが設置され、懐かしの留萌本線として過去の留萌駅と留萌本線の特別展示コーナーとなっていました。
時間だけはたっぷりとあるし、ほかに行くところもないのでじっくりと拝見させてもらいます。

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 待合室の一角に設けられた懐かしの留萌本線のコーナー。

私はSLファンではないのでSLの写真を見てもフーンとしか思いませんが、惹きつけるのは留萌駅が賑やかだった時代の写真。
あとはネットだけではわからない留萌駅の歴史を知ることができました。

下は留萌駅待合室に展示の特別展示の画像をいくつか紹介します。

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 『留萌駅前風景』(昭和41年)

これは1967(昭和42)年建築の今の2階建て駅舎となる前の留萌駅舎。
勾配の途中に段のついたギャンブレル屋根(腰折れ屋根)が特徴の木造駅舎で、同様の正面玄関上の庇も特徴となっています。

屋根と庇の形だけは銭函駅に似てますね。この留萌駅舎も同時期の昭和初期の建築と思われます。
あと、写真右側に停まっているタクシーは、3代目トヨタコロナでしょうか。

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 『初代駅舎』(明治末期〜大正)

次は明治末期から大正あたりに撮影された駅舎。
こちらは旧増毛駅の駅舎に似た印象。

説明書きに、
”初代駅舎は明治43年から昭和42年までの間、判明しているだけで2回改修を行っています”

とあるので開業当初の駅舎のようです。上画像の駅舎にいつ頃建て替えられたのかは展示のものだけではわかりませんでした。

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 『乗降客で賑わう留萌駅』(昭和30年代)

次は1番ホームにあふれる乗客を跨線橋から撮影した写真。
先代の駅舎時代は、1番ホームから2・3番ホームとを結ぶ跨線橋と、1番ホームから羽幌線用の4・5番ホームとを結ぶ跨線橋が別々にあったようです。
1番ホームの人々は羽幌線ホームに着いて改札口に向かうようです。

中線に貨車が停車中ですが、3番ホームから向こうも貨車がひしめき合っていますね。
昭和30年代といえば道路網は貧弱でマイカーなど庶民には無縁の時代。
貨物も人も鉄道が唯一の手段だった時代の一コマ。

この頃の人々は、まさか留萌線や留萌駅が廃止になるとは絶対に思いもしなかったことでしょう。

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 『97mあった長い跨線橋』(年代表示なし)

跨線橋といえば、羽幌線ホームとを結んでいた長い跨線橋。今は一部が残るだけです。
写真で見るに想像すると、この跨線橋は今の駅舎と同時期に建て替えられたものと思われます。
下の画像を見ると、建築中の跨線橋の後ろに木造の跨線橋が見えますね。


待合室に展示の写真や、元留萌駅員だった高木勲氏のイラストと回想をじっくりと見て回って30分。
あとは待合室でエンドレスで放映している『留萌本線開通90周年』のビデオを見て過ごしました。
留萌駅での2時間近くは思いのほか長く感じます。

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 待合室の窓からホームを見る。

この留萌駅も来年3月末で廃止となるというのに、ずいぶんと寂しい感じがします。
寂しいから廃止になるんだということではなく、駅で何もやっていないということ。

待合室のそば屋は14時で閉店、駅前のラーメン屋はシャッターが閉まっています。
駅の外に観光案内所とお土産屋の看板が立つが、店までは雪道を3分ほど歩かなくてはならず、そこまで行くのも面倒。
ホームからは新しくできた道の駅が目と鼻の先に見えますが、歩けば10分ほどかかりそうです。

ここ数年来、道内の鉄道は廃止が相次いでいますが、廃止が決定する頃から駅の中や駅前には売店ができたり観光案内所ができたり、にわかに商売する人達が現れるわけですが、ここ留萌駅はそうしたものが何にもない。

かつての終着駅、江差駅、増毛駅、新十津川駅と思い出しますと、廃止前は廃線フィーバーといった熱気がありましたね。
廃止が近づくと名残乗車客が多くやってくるわけですから、もうちょっと商売っ気があってもいいような気がするんですけどねえ。

それとも、留萌駅自体が市民からはすっかり忘れ去られたところになってしまったとか?
さすがにそれはないでしょうけど、留萌駅は有人駅なので構内営業という扱いになるからという事情もあるのかも知れませんね。


 ◆ 留萌 16:17 → 深川 17:15【4928D】

ガランとしたコンコースの床には緑色のラインがジグザグに引かれていて、この線に沿って並ぶことになるようです。
気の早い人達は15時30分頃には改札口の前に並んでいました。

だんだんと人が集まってきて20人くらいの行列となります。
改札口前に並ぶ派と、改札まで待合室で座っている派に分かれた様相。
並んでいる人も、席を取るためというよりも、他に行く場所がないから並んでいるという感じ。
外に出たって寒いし、出たところで何かあるわけでなし。

廃止が近くなると便乗商法の業者が出てくるのは賛否両論あるでしょうけど、こうして何もないのもどうかと思います。
それくらい長い折り返し時間でありました。

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 整列用に緑色のラインが引かれたコンコース。

16時、深川行きの改札が始まります。
同時にコンコースやホームにメロディーが流れるのは『夕陽』という曲で、2010年から発着メロディーとなっているそうです。
ちょうど日が沈み、これから夕暮れという時間に聞くと、ちょっとセンチメンタルな気持ちになるようなメロディーです。

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 乗客を乗せ、1番ホームで発車を待つ深川行。

私は留萌駅から列車に乗るのは、おそらくこれが最後になります。

年末年始以降は留萌本線の列車も留萌駅も本格的に混雑するようになるのではないでしょうか。
最終日のラストランは、このホームも大勢の乗客と見送りびとでごった返すことでしょう。

改札口に立つ駅員と発着メロディーの『夕陽』に見送られ、留萌駅を後にします。

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 信号機は出発進行。留萌駅発車前。

ホームでの撮影を終えて車内に入れば、行きと同じくらいの乗車率。
空いていたロングシートに腰を下ろします。

外はもう薄暗くなっており、留萌を発車してしばらくすれば暗闇になるでしょう。

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 留萌駅発車直後の車内。

列車は各駅に停車しますが、峠下までは乗降ゼロ。
明日萌駅クリスマスフェスタをやっている恵比島駅から数人の乗客がありました。
行きの4937Dから降りた顔ぶれもあって、ここで3時間もお疲れ様でしたといったところ。

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 サンタが出迎える恵比島駅。

このまま深川駅まで乗り降り無しかと思いましたが、次の真布でも何人か乗ってきたのには驚きました。

撮り鉄組?
下り4929Dからの折り返し乗車?
クリスマスパーティー in 真布?

よくわかりませんけど、真布からは立ち客数人となりました。
ここから先は各駅乗降ゼロで深川駅に向かいます。

17時17分、私たち鉄オタを乗せた列車は若干遅れて深川に着きました。

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 深川駅に到着。

ホームに出たら列車の撮影をする人が多いのかと思っていましたが、降りた人たちはあっというまに階段を登っていってしまいました。
おそらく札幌行『ライラック36号』に乗り換えたのでしょう。

私は18時01発岩見沢行普通列車に乗り換えとなり、46分間待たねばならないので一旦改札を出ます。
改札を出たものの、ベンチはふさがっているし外は真っ暗なのでコンコースの隅っこで立って過ごします。

みどりの窓口では、さっき留萌線の列車に乗っていた人がいて指定券の発行替えをしてもらっている様子。
「大雪は」とか「サロベツは」と聞こえてくるので、そういえば宗谷線と石北線は雪害で運休していることを思い出しました。

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 深川駅コンコースと改札口。

だから今日は留萌線の列車も空いていたんですね。
ツイていたと言えば不謹慎でしょうが、札幌からだと影響がほとんどなかったので忘れていました。

ちょうどいま時期に鉄道で道内旅行をしている人たちにとっては大きく予定が狂ったことだろうし、予期せぬ宿泊が増えたり他の交通機関で移動するなど予想外の出費を余儀なくされた人も多そうです。

冬の北海道も素敵ですが、冬の旅行は交通機関が止まるリスクも念頭に置いて予定を組む必要があるでしょう。


 ◆ 深川 18:01 → 岩見沢 19:15【2336M】

岩見沢行が発車するのは1番ホームですが、ちょっと早めに入場して跨線橋を渡って6番ホームへ向かいます。
停車中の列車は18時09分発留萌行4931D。
留萌線の列車は、普段は4番ホームに発着するわけですが、この列車だけは深川駅6番ホームから発車する唯一の列車なんですね。

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 深川駅で一番離れた6番ホームで発車を待つ留萌行4931D。

なぜこの列車だけなのかと言うと、4番ホームは18時10分発旭川行2333Mが特急『カムイ31号』の退避で使用するからです。
もともとこのホームは深名線の列車が使用していましたが、深名線廃止後も一部の留萌線列車発着用として残っていたものです。

この留萌行きの乗客は地元の人らしい2人だけという寂しい車内。
こんな時間に留萌方面に行こうという名残客はいないようです。
逆に言うと寂しい留萌本線に乗りたければ、こうした夜間の列車に乗ってみるのもありでしょうか。

ただ、冬は夜に留萌に着いても確実に戻ってこれるという保証はありませんがね。

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 深川駅1番ホームに岩見沢行普通列車が到着。

1番ホームに戻り、こんどは岩見沢行き普通列車の客となります。
入ってきた列車は721系電車。
岩見沢〜旭川間は電車であれば安定の721系運用です。

車内には乗客の姿が結構見えましたが、ほとんどが深川で降りてしまい、入れ替わりに入った車内はガラガラでした。
深川からの乗客は、さっきの留萌線で見た顔ぶれも見ましたが、数えるほどしかいませんでした。
留萌線4928Dの乗客は、札幌行『ライラック36号』、旭川行『カムイ31号』、それにこの岩見沢行に分散したようです。

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 転換クロスシートが並ぶ721系電車。

せっかくのガラガラの車内なので、ここで夕食とさせていただきましょう。
このために午前中に岩見沢駅で釜めしを買っておいたわけです。

釜めしと深川駅で買ったカップ酒を出して・・・
そうか、特急じゃないからテーブルがないんだ。

しょうがないから窓枠に置いてみます。

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 岩見沢観光協会で買ったとり釜めし。

岩見沢の釜めしの容器は陶器の釜を使っている。
もともとは岩見沢駅の駅弁で、当時は箱を持った駅弁売りのおじさんから買ったものです。
私が中学生の頃の話。1個たしか600円でしたね。

岩見沢を通るたびに買うものだから、家にはこの釜の陶器が10個くらい溜まったものでした。
いつしか駅弁業者が廃業となり、釜めしも姿を消します。

2000年代になって、市内の仕出し業者が復刻発売するようになったものが今の釜めしです。

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 とり釜めしと純米げんき村。

駅弁だった頃の釜めしは、釜の容器に生米を入れて炊いていたので底にお焦げがあったのを思い出します。
この釜めしにはお焦げがないので、炊きあがったものを詰めただけのようです。

とは言ってもホロリとほぐれるほど柔らかく炊いた鶏肉や、しっかいと味の染み込んだ具材、それに鶏だしの炊き込みご飯はどれも素朴だけどしっかりとした味。

アテは日本酒といきたいですね。
深川物産館で買った純米 げんき村は倶知安の二世古酒造のお酒。
なんで深川で倶知安のお酒なのかはわかりませんが、スッキリと飲みやすい味わいのお酒と炊き込みご飯が妙にマッチする組み合わせでした。


 ◆ 岩見沢 19:38 → 札幌 20:23【268M】

岩見沢でまた乗り換えです。
23分の接続時間があるので、改札を出て1階のセブンイレブンでまたお酒を買ってきました。
また721系だったら車内でもう1杯やろうと言うものです。

ロングシートだったら・・・
あきらめます。あの座席でお酒を飲む勇気は、まだ私にはありません。

こんどは小樽行普通列車の客となります。
ホームへの階段を降りると・・・残念、733系でした。

まあお酒は飲めなくても持って帰ればいいだけの話。
そう思って編成の中ほどまで行くと、なんとuシート車両が。

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 岩見沢からの小樽行はuシート連結の733系電車。

uシートに乗るには指定券が必要です。
ですがそれは快速『エアポート』だけのことで、それ以外の列車で使用される場合は自由席扱いとなるんですね。
これはツイてるとばかりに、深々としたuシートに座ってワンカップを開けさせていただきました。

白石の手前あたりで721系電車の快速エアポートが隣の線路をゆっくり追い抜いてゆきます。
年末の週末ということもあるのでしょうか、エアポートはこんな時間でも混んでいますね。

転換クロスシートの席がほぼ埋まった隣を走るエアポートを見ていると、何で古い721系をエアポートに使って、新しい733系を岩見沢方面の普通列車に使うんだろうと、ふと頭をよぎります。

新しい方をエアポートに使ったらいいのに。
このあたりがJR北海道の謎運用ですな。

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 札幌駅2番ホームに到着。ここも新幹線工事が始まる。

20時23分、すっかり通勤電車風となって札幌駅2番ホームに到着。
10月で使用停止になった向かいの1番ホームは、柵で塞がれて工事のための資材が積んでありました。
2030年度開業予定で工事が進んでいる北海道新幹線の線路が敷かれることになっています。

  ★  ★  ★

遅れも運休にも遭遇することがなく無事札幌に帰ってきました。
ここのところ雪害による運休が続いていたので運が良かったといえます。

これから北海道は冬本番となりますが、冬は荒天や雪害による運休や不通が年々増えております。
留萌線乗車を含めた道内旅行は余裕を持ったスケジュールで、また運休の際の代替交通機関を事前に調べておくことをおすすめします。

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 今回の旅行で手に入れたもの。

最後に今回の旅行の費用をあげます。

2022年留萌本線乗車の費用
費目場所金額\備考
宿泊代ルートイン北四条4,076旅行支援40%引
交通費桑園駅2,000クーポンde乗り放題
食費・小物岩見沢観光協会1,880釜めし、711グッズ
食費・小物深川物産館730お酒、駅名標マグ 
食費セブンST岩見沢店302ビール
入場券留萌駅2,200記念と普通の
食費セブンST岩見沢店162カップ酒
クーポン -3,000ほっかいどう応援クーポン 
合計8,350 

宿泊代と留萌までの交通費を合わせて3千円ちょっとで行けるぞと思ってましたが、結構ちょこちょことお金を使ってしまいましたね。
とは言え、しばらくはもうどこへも行く予定はないので、たまにはいいんじゃあないでしょうか。

ではこのへんで。

〜2022年留萌本線乗車記 おわり  

posted by pupupukaya at 22/12/29 | Comment(0) | 道北の旅行記

2022年留萌本線乗車記1

今回の旅行は、2023(令和5)年3月31日をもって廃止が決まった留萌本線です。

廃止といっても全線ではなく、今回は石狩沼田〜留萌間35.7kmの区間。
残る深川〜石狩沼田間は今後3年間は存続するものの、2026年3月末での廃止がこれも決まっています。

留萌へ行く留萌本線としては来年の3月末までの営業となります。
最後にもう一度くらいは・・・と思っていましたが、札幌から鉄道で留萌までというのはちょっと遠い。

遠いというのは、留萌まで安く行ける切符がないということで、一応深川まで往復特急利用ができる『Sきっぷ』札幌〜留萌間(5,750円)というのがあるけれど、わざわざ混んだ列車に乗るために6千円近くも出す気はしませんね。

北東パス(7日間)や青春18(5日分)ならば1日あたりならば安くなるけど、とてもそんな日数は使い切れない。
普通列車で行くと札幌からだと接続も悪く時間が掛かり過ぎるし。

深川か留萌まで車で行って、留萌線を往復乗車してくるという手もありますが、ここのところ留萌線は連日混雑しているとも聞いており、正直そうまでして乗りたいとも思わないわけで。

しかし見つけてしまいました。安いきっぷ。

クーポンde 北海道乗り放題パス』というもの。
2,000円でJR北海道内の普通列車が1日間乗り放題というきっぷ。
普通列車限定なので留萌までは時間がかかるけど、安く行けるのはありがたい。

ところがこのきっぷを買うには条件があって、ほっかいどう応援クーポンを最低1枚使う必要があるということ。
このクーポンを手に入れるには、『HOKKAIDO LOVE!割』(全国旅行支援)を使ってホテルに泊まる必要があります。

なんだ、駄目じゃん。
と思った瞬間、どこかに泊まればいいんじゃね!とひらめきました。

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 ほっかいどう応援クーポン専用のクーポンde北海道乗り放題パス。

こうなると行動は早い。さっそくHOKKAIDO LOVE!割プランがある札幌市内のホテルを予約してしまいました。

宿泊代金は40%引きで4,076円に。
さらに、『ほっかいどう応援クーポン』が3,000円分付与されるので、実質宿泊代はと言うと千円ちょっと。

というわけで、出発前日の金曜日に会社からホテルに直行しました。

ホテルは朝食バイキング付きプラン。
これなら週末は毎週ホテル暮らしも悪くないなと思ったくらいでした。

この全国旅行支援は12月28日で一旦終了し、年明けの1月10日から再開することになっていますが、割引額もクーポンの額も減額されるので、こんなオイシイ思いもこれが最後となりそうです。

それはともかく、ほっかいどう応援クーポンをゲットして、翌土曜日にホテル最寄りの桑園駅で『クーポンde 北海道乗り放題パス』を購入してスタートします。


 ◆ 桑園 → 札幌 10:07 → 岩見沢 10:48【155M】

桑園駅で1本早い列車に乗って札幌駅へ。
新しくできた11番線ホームを見てから岩見沢行普通列車に乗ります。

岩見沢までは大体オールロングシートの車両に当たることが多いのですが、嬉しいことに転換クロスシートの721系電車でした。

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 札幌駅から721系電車でスタート。

札幌の天気は曇り空。
天気予報では雪となっていますが、留萌方面は晴れの模様です。

心配なのは列車の運休。
今週前半は空知方面の大雪で岩見沢〜旭川間の運休が続き、さらに宗谷線と石北線では運転再開の見込みが立たず、運転再開は早くても27日以降になるとしています。

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 曇り空の札幌駅を発車。

岩見沢では44分の待ち時間。
この次の旭川行2325Mに乗り継ぐには1本あとの159Mでも間に合ったんですが、岩見沢で買い物をしたいので1本前の電車で来たわけです。

一旦改札を出て、駅舎1階の岩見沢市観光協会へ。
ここの物産販売コーナーに置いてある釜めしが目当て。

店内を探すと、冷蔵ケースに並んだ釜めしがありました。
えび、とり、ほたての3種類が3個ずつ。なくなったら売り切れということなのでしょう。
とり釜めし(1,080円)にします。

あと711系コーナーがあって、クハ711塗装破片入りキーホルダー(800円)というのを見つけ、これも買ってしまいました。
別に集めているわけではないんだけど、こういう鉄道小物を見るとつい買ってしまう・・・。

ここで、ほっかいどう応援クーポンの最後の1枚を使いました。


 ◆ 岩見沢 11:32 → 深川 12:28【2325M】

こんどの旭川行普通列車は3番ホームからの発車となります。
この3・4番ホームは上り線ホームとなっていて、下り普通列車はたいてい7番ホームから出るのが多かったのですが、ホームの割り振りが改められたようです。
逆に札幌方面の普通列車の多くは7番ホームからとなっていました。
これも除雪の関係からなのでしょうか。

11時17分に滝川から来た2324Mが到着。折り返し旭川行2325Mとなります。

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 岩見沢から再び721系電車。

青春18きっぷのシーズンだし、数少ない旭川直通の普通列車なので混んでいるかなと思っていましたが、到着して乗り込んだ時点ではどの車両もガラガラ。
発車時刻が近づくにつれて乗客が増えてきましたが、それでも十分余裕があるくらいの乗車率で岩見沢を発車しました。

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 肘掛けが赤い721系の初期車。

岩見沢からの721系転換クロスシートの座席でさっそく呑み鉄させていただきます。
今日は土曜日、お休みです。
たまには昼から1杯やってもいいんじゃない。

そう思って、岩見沢駅1階のセブンイレブンでサッポロクラシックのロング缶を仕入れておきました。

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 サッポロクラシックで呑み鉄。汚れきった窓が残念。

乾燥した車内で飲むビールがまた旨い。
車じゃこうはいかないね。
酒気帯び運転で捕まってしまうからね。

幸いなことに、列車内では酒気帯び乗車で捕まることはないからね。
だけど、近年はこうした車内での飲酒は忌み嫌われる傾向にはあるようです。

ところで、岩見沢〜旭川間の電車は安定の721系運用ですが、この車両も初期のものは製造からすでに30年以上が経過しており、そろそろ置き換えになってもおかしくない頃です。

普通列車が気動車で運行されている室蘭線の電化区間では、2023年5月に新型737系電車に置き換わることになっています。
JR北海道の発表では、737系電車は13編成製造とのこと。
これは室蘭線だけの運用ではちょっと多すぎるので、函館線岩見沢〜旭川間の721系電車を置き換えてワンマン化する可能性が高いです。

いや、きっとそうなるのでしょう。
 ・・・

新型電車はワンマン仕様の2両編成、車内はオールロングシートということです。
クロスシートでのんびりと呑み鉄なんてことも、これが最後となりそうです。

車内は鉄道ファンらしき人も多いですが、地元客の方が多い模様。
峰延、美唄、奈井江と下車する地元客の姿がありました。

途中から乗ってくる人もいて、地域密着の列車といったところです。
このあたりはここ数年続いている特急の減便と、並行する国道12号線の中央バスの減便の影響もあるのでしょうか。

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 車内は北へ向かうにつれて混んできた。

滝川から予想以上の乗車客があり、座席は多くの列がふさがった状態に。
顔ぶれだけ見ていると、さてはみんな留萌線に乗りに行くのでは?

岩見沢から乗車56分で深川着。
さてどうなることやら。

車内は一斉に席を立つのかと思ったが、そうでもありませんでした。
逆に深川から乗車する客の方が多いくらいでした。

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 深川駅に到着。

車内の顔ぶれも、深川からの乗客も、意外と学生のような若い人が多い。
女の子は着飾って、旭川へ遊びや買い物にいくのでしょう。

コロナ以降、たまに列車の旅に出ると若い人の利用が多いのに驚かされます。
年寄りが外出を控えるようになったので若い人が目立つだけなのかもしれませんが、乗客の顔ぶれだけ見ていると鉄道もまだまだ捨てたものじゃないと思えます。

深川駅ではちょうど1時間の待ち時間。
駅前の散策でもしたいところですが、昨日からの暖気で雪が溶けて路面はツルツル&ザクザク状態。
駅舎の撮影だけして、また駅にもどります。

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 昭和、平成、令和そして国鉄からJRへと時代を経てきた深川駅舎。

駅の隣は深川物産館となっていて、深川の名産品や土産物などを販売しています。
そばめしおにぎりが置いてあるので手を伸ばしかけるものの、さっき岩見沢で釜めしを買ったしなあ。

代わりに買ったのはワンカップ入りのお酒(290円)と留萌駅の駅名標のマグネット(440円)。
また小物を買ってしまいました。

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 深川駅コンコースと改札口。

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 駅員手書きの留萌線の案内。

深川駅は留萌線の客でごった返しているのかと思いきや、ベンチがほぼふさがったくらいの人が列車を待っている程度。
特急の客の方が多いようです。

改札口横にあるパネルに留萌線の案内があるくらい。
まあ、3月末で廃止になるのは石狩沼田から先で、深川駅からすれば留萌線は石狩沼田までは3年間存続となるわけだから、こちらはまだ廃止ムードには早いようです。


 ◆ 深川 13:28 → 留萌 14:25【4927D】

13時過ぎ、まだ改札中の表示はないが自動改札機を通ってホームへ向かいます。

留萌行の列車は4番ホーム、旭川行特急ライラック15号は向かいの3番ホームから発車。
3・4番ホームは特急の乗客の方が多いくらい。

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 跨線橋の乗り場案内。

ライラック15号が発車すると3番ホームに2つある乗車口に4〜5人の列ができるくらいの乗客となりました。

発車1時間くらい前からホームに行列ができるくらいを想像していたのでちょっと拍子抜けの光景ですが、さほどの混雑ではないようなのでひとまず安堵します。

この時点で並んでいれば車内のクロスシートをゲットできたのでしょう。
こちらは立ちんぼう覚悟でやってきたので、列には加わらず様子を観察することにしました。

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 留萌からの4926Dが到着。

13時13分、留萌からの4926Dが4番ホームに到着。
キハ54形気動車1両。
これは日によってはキハ150形になることもあるようです。

着いた列車は、窓ガラスが曇っているので車内の様子はよくわかりませんが、ざっと見で詰めれば全員着席できるほどの乗車率といったところでしょうか。

全員下車すると車内清掃員が1人乗り込んで一旦ドアが閉まります。
ホームの放送でもその旨の案内がありました。

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 今日の留萌線はキハ54 503がつとめます。

そうしている間に乗客が少しずつ増え始め、ドアの前は10人以上の列ができました。
ドアが開いたのが13時17分。
車内清掃といっても、転換クロスシートの向きを変えるだけなのですぐに終わったようです。

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 車内清掃が終わるまではドアの前で並ぶことになる。

並んでいた人が全員乗車したあたりのタイミングで車内へ。
クロスシートは全部ふさがっていますが、ロングシート部分はまだ余裕がありました。
デッキで立って行くつもりでしたが、せっかく空いているのでロングシートに座らせてもらいます。

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 発車10分前の車内。座席は十分余裕がある。

それ以降も1人2人と乗ってきて、発車時刻間際に帰宅の高校生が数人乗ってきて発車。
乗客数はざっと見で30数人といったところ。
高校生は後部デッキを居場所としていました。

秩父別、石狩沼田と高校生と地元客が下車、これで車内はほぼ鉄道ファンと名残り乗車客となった模様です。

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 学生が下車した石狩沼田駅。

石狩沼田からは来年3月末で廃止になる区間。
しっかりと車窓を眺めておきたいものですが、窮屈なロングシートと小さい窓ではままならず、ちょっとデッキへ移動します。

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 石狩沼田駅発車時の4927D車内。

高校生が下車して無人になった後部デッキからしばらく車窓を眺めます。
フロントガラスには巻き上げた雪が付着し、ドアの窓は曇って眺めは良くありませんが、ロングシートで窓を背にしているよりはマシですかね。

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 後部デッキからの後面展望(石狩沼田〜真布間)。

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 古めかしい真布駅。

この車窓も最後なんだなあということになるのですが実感は沸かず。
ずっと車窓を眺めていても、沿線の撮り鉄さんの姿は意外と見かけませんね。

本当に来年3月で一部廃線になるんかいなというような拍子抜けな留萌線でした。

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 一面雪原となった水田地帯を行く(真布〜恵比島間)。

明日萌(あしもい)駅、じゃなかった恵比島駅で数人が下車。
『ありがとう留萌本線』の幟が立ち、サンタクロースに扮した人が手を振っているので、何かイベントをやっているようです。

調べたら、12月24日、25日の2日間に『明日萌駅クリスマスフェスタ』が行われているとのこと。
イベントはグッズ販売やクリスマスカードのプレゼントなど。
ちょっと楽しそうですけど、ここで降りてしまうと次の列車まで最低でも3時間近くここで過ごす羽目になるので、それはちょっと・・・

駅以外にどこへも行きようがない場所なので、夏ならばともかく冬はちょっとやめといたほうがよさそう。
このあたり、所詮は車で来る人用のイベントということになりますね。

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 クリスマスフェスタが行われている明日萌駅こと恵比島駅。

恵比島駅で降りていった人たちは、これからどうすんるんだろうと余計な心配をするも、どうしようもない。
数人が下車しましたが、ここから乗ってくる人も同じくらいいました。
いつまでも荷物に番をさせておくわけにいかないので、自席に戻ります。

車内もだいぶ落ち着いて、前のデッキでかぶりつきの人以外は全員着席といったくらいの乗車率で恵比島を発車。
2つのトンネルをくぐって峠越えをすれば、沼田町から留萌市へとなります。

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 木造駅舎が原型で残る峠下駅は留萌本線唯一の交換駅。

峠下では完全冬装備の人が下車しました。
この次の列車は暗くなってからしか通らないので撮り鉄さんなわけないか。
地元の人?

次は幌糠駅に停車。乗降ゼロ。

幌糠は留萌市の幌糠コミュニティセンター、郵便局、警察の駐在所などがある小さな市街地となっています。
その市街地にある幌糠駅はそれなりに利用客はいそうですが、JR北海道の統計では1日あたり乗車人員は1名以下。
つまり日常的な利用者はほとんどいないわけです。

時刻表を見ても留萌駅に通勤通学時間帯に着く列車が1本もないのがそれを物語っていて、国道にバスが通っているので、通勤通学を含めて日常の足は古くからバスとなっていることになります。

それでもホームはきちんと雪かきがなされ、貨車駅ながらもきれいに塗装され、出入り口の上には照明が灯っている。
誰かがボランティアでやっているわけではないので、当然誰かが負担しているわけです。

駅はいったい誰のためにある?
幌糠駅を見ると、そんなことを思ってしまいます。

少なくとも、廃止の話が出ると声高々に主張を始める人たちの為にあるのではないと思うんですが。

また余計な話になってしまいましたね・・・。

とにかく、遅れも運休もなく留萌駅に到着しました。

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 留萌駅1番ホームに到着。

留萌駅に着いていつも思うのは、幅広のホームと駅舎から堂々と張り出した鉄骨を組んだ上屋です。
これぞ1番ホームというような貫禄がありますね。
たった1両の列車が不釣り合いに感じます。

かつて羽幌線があった時代は1番から5番までのホームがありました。
4・5番ホームは羽幌線のホームで、1番ホームから長い跨線橋で結んでいたのを思い出します。

今は駅裏の船場公園となっていますが、たくさんの貨物側線が並んで、その向こうに羽幌線ホームがありましたね。
もう今から35年も昔の話ですが、結構思い出せますよ。
羽幌線がなくなってから留萌駅も一気に寂しくなった気がします。

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 留萌駅の駅名標。

2016年に留萌〜増毛間が廃止となってから2番ホームは閉鎖されたようです。
それでも除雪車の待機線となっているようで、レールは除雪されて踏面を出していました。

かつての増毛方向はというと、ホームの先からは雪に埋もれ、その先には車止めが見えました。
増毛まで列車が行っていたのがついこの間のような気がしますが、あれからもう6年も経つんですね。

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 留萌駅停車中の列車と駅構内。

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 かつての増毛方向。

構内の東側に踏切がありましたが、留萌〜増毛間の廃止後に線路が撤去されると、待ってましたとばかりに国道231号線が整備されました。
いまは4車線の立派な道路が通っています。

国道231号線増毛方向から、羽幌方向へ行く国道232号線へ出る短絡路となる道路なので、車で通るには便利になりましたね。
2020年7月には道の駅るもいがオープンしています。
このあたりは車で通るので、そちら側からよく知っていましたけど。

しかし、鉄道がなくなったおかげで便利になるとは皮肉なものですが、これが現実でもあります。


 ◆ 留萌駅の駅舎

前回留萌駅に来たときは11分の折り返しで駅そばも食べてという慌ただしいものだったのでホームや駅の様子を見る暇はありませんでしたが、今日は1時間52分の折り返し時間があるので、そのあたりじっくり見学しようと思います。

改札を出ると、みどりの窓口に行列ができいました。
これは『ありがとう留萌本線記念入場券』を買い求める行列ですね。

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 記念入場券を求める列。

私はその手のものは集めてはいないので行列には加わらずに外に出ます。
札幌からずっと曇り空でしたが、留萌は青空が出ていました。

留萌駅の駅舎は鉄筋コンクリート2階建ての、これも堂々たる駅舎です。
2階はかつては駅員の詰め所や現業機関となっていたのでしょうが、現在はFMもえるが入居して、ここから放送しています。

列車が着いたときは客待ちタクシーが数台止まっていましたが、乗客がいないと見るや去ってしまいました。
だんだん人影もなくなって、駅舎は存在こそ大きいけれど、今では市民からは影の薄い存在になってしまったかのようです。

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 JR留萌駅の表示。

この留萌駅は廃止後はどうなるのかというと、駅舎は解体して跡地には留萌市の複合施設が建設されるようです。

鉄道があった時代の遺産として・・・と言うのは簡単ですが、長年雨風や潮風にさらされた建物は既に建物としての使用は限界と思われます。
これからも使用するのならば耐震工事も必要になるでしょうから。

せいぜい今のうちにしっかり見ておく、しっかり撮っておくしかありませんね。

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 東側から見た駅舎。

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 構内に残る跨線橋。

駅舎の東側にある使われなくなった跨線橋は、今は2番ホームのところで切られているが、かつては羽幌線のあった4・5番ホームまで延びていたものです。

その延長は97mありました。
昔の留萌駅といえばこの長い跨線橋が一番印象に残っています。

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 留萌駅待合室に展示の特別展示『留萌駅構内』より。

上画像は留萌駅待合室にある特別展示の写真を撮影したものです。
説明書きに『昭和30年代』とありますが、おそらく昭和60年代の誤り。

構内に1両停車している、キハ24と思しき車両の側面にJRマークらしき物が見えますので、少なくともJR化以降の撮影と思われます。

留萌駅は1987(昭和62)年3月にに羽幌線が廃止されてから旅客駅としては、1989(平成元)年3月に赤平と芦別からあった石炭列車の発着がなくなってからは、実質鉄道としての役割は終えていたと言えましょう。

外からの駅舎はこのくらいにして、こんどは駅の中を見てみましょうか。


posted by pupupukaya at 22/12/25 | Comment(0) | 道北の旅行記

2007年留萌本線乗車記

ついに留萌本線の廃止日が正式に決定しました。

 *ニュースリリース | JR北海道 2022.09.09
  留萌線(石狩沼田・留萌間)の鉄道事業廃止届の提出について*

数年前からJR北海道が廃止の方針を示していましたが、このたび沿線市町村が廃止受け入れを合意したことから正式に届出となったものです。

といっても全線廃止ではなく、石狩沼田〜留萌間、深川〜石狩沼田間の2区間に分けて段階的に廃止となります。
今回の廃止はその第一段。

届け出では石狩沼田・留萌間を2023(令和5)年9月30日で廃止とありますが、ニュースリリースの文面にある通り、実際の廃止日は2023年4月1日(最終運行日同年3月31日)となる模様です。

留萌線はというと、もう半年以上前からお名残り乗車客が目立つようになっていましたし、今年のGWにキハ150単行の4925Dを見たときは、立客も出るほどの混雑ぶりでした。
正式に廃止が決定したことから、今後は休日などラッシュ時と変わらない混雑ぶりとなるのでしょう。

私も最後にもう一度くらいは・・・と思っていますが、もう何度も乗った路線ですし、わざわざラッシュ並みに混雑した車内で過ごすのもうんざりするし、今年の1月に留萌まで往復したのが最後の乗車となるかもしれません。


せめてもう一度乗車した気分になろうかと過去の画像を探すと、2007年のものが見つかりました。
当時の画像を見ながら乗車記を書いて、もう一度留萌本線に乗った気分を味わってみましょうか。

以下15年前の2007年を思い出して書いた乗車記になります。


 ◆ 札幌 → 深川

2007年8月11日土曜日、小樽始発の旭川行711系電車で出発。
所持している切符は青春18きっぷ。
18きっぷの余りの始末ということで、留萌まで往復してこようと出かけたわけだ。

留萌本線は一日散歩切符の区間外だし、札幌からだと普通列車との接続も悪い。
18きっぷの余りでもなければわざわざ乗る機会もないだろう。

札幌から乗った711系電車は、夏休みで18きっぷシーズンなのと数少ない旭川直通列車ということもあって混んでいた。
みんな考えることは同じだなあ、と考えながら憮然と車内で過ごしていた。

岩見沢、滝川と長時間停車があって、札幌から3時間以上かかって深川に到着。
18きっぱーの多くは旭川まで乗り通すらしく、深川で降りる人は少なかった。

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 留萌本線の旅は深川駅から。

深川駅で1時間以上の待ち合わせとなるので一旦改札を出る。
北空知地方の中心都市ながら深川駅は地味な存在だが、L特急が30分おきに発着する深川駅は活気がある。

待合室は駅弁屋の高橋商事の売店と立食いそばの『そば処深川』、その向かいにはキヨスクがあり、3店舗ひしめき合っている。
奥の入口は深川物産館となっていて、北空知地方のの名産品や『そばめしおにぎり』を売っていた。

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 駅弁の売店と立ち食いそば屋が並ぶ待合室。

昼時で、1時間以上の待ち時間があるので、そば処深川で腹ごしらえ。
ウロコダンゴや駅弁が並んだ売店とそば屋は中でつながっていて、同じ人が両方の店番をしているようだ。

メニューはかけ、玉子、天ぷら、山菜、山菜玉子の各そばとうどん。
山菜というのも惹かれたけど、天ぷらそばにした。

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 そば処深川の天ぷらそば(380円)。

これといって特徴のあるそばではないが、天ぷらは手作りらしく、ずっしりとした野菜のかき揚げ。
タネが偏っていたのか、栄養のバランスを考えてなのか、やたらとニンジンが多いかき揚げだった。


 ◆ 深川 → 留萌

13時11分に留萌からの普通列車が到着すると13:23分発増毛行の改札となる。
4番線ホームには折り返しとなるキハ54が1両停車していた。

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 4番線に停車中の増毛行キハ54。

キハ54の車内は簡易リクライニングシートが集団見合い式に並んだタイプ。
転換リクライニングシートタイプは全席前向きにすることができるが、簡易リクタイプは席の回転ができないので、半分は後ろ向きに座ることになる。

改札が始まったばかりの車内はがら空きだったので、進行向きの一番良い席をゲット。
発車時刻が近づくにつれて地元客や特急からの乗り継ぎ客が乗車してきて席が埋まってきた。

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 単行のキハ54車内は地元客や帰省客が多かった。

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 785系『スーパーホワイトアロー』が発車。

車内の乗客は夏休み中の部活帰りの高校生や子供を連れて実家に帰省するらしいお母さんなどが中心。
私のような鉄道ファンの試乗客と思しき人も居なくはないがごく少数だった。

秩父別では部活帰りの高校生の下車が目立ち、石狩沼田では荷物を持った帰省らしき人たちの下車が目立った。
深川始発時は賑やかだった車内も、石狩沼田を発車するころには大分落ち着いてきた。

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 主要駅であるかのように立派な石狩沼田駅のホーム。

板張りの短いホームと待合所が印象的な真布駅、1999年放映のNHKドラマのロケで明日萌駅として使われた木造駅舎がある恵比島駅と各駅に停車する。
この先は留萌まで乗り降りする人は見なかった。 

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 短いホームに背が高い木造待合室が特徴の真布駅。

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 NHKのドラマ『すずらん』のロケに使われた恵比島駅。

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 木造駅舎が残る峠下駅。

現役の木造駅舎が残っている峠下駅で上り列車と交換。
隣の恵比島駅はNHKドラマのロケのために明日萌駅が新築されたわけだが、こっちの峠下駅を使えば改造だけで済んだだろうに何でだろ。
列車交換があったり、無人駅だけど保線関係の詰め所として使われているだろうからロケに使えなかったのだろうか。

この駅も以前は駅員がいて、列車が着くたびにタブレットを交換していたのを覚えている。
調べたらタブレット閉塞から自動閉塞になり、無人化されたのは1998年とのこと。

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 サビサビになった貨車駅の幌糠駅。

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 留萌駅1番ホームに到着。

深川から約1時間、留萌に到着する。
この列車は増毛行だが、ここまで乗っていた10人ほどの乗客はほとんどが席を立ち、残ったキハ54の車内は回送列車のようになってしまった。


 ◆ 留萌駅と駅そば

改札を出て留萌駅の駅舎を見る。
鉄筋コンクリート建ての2階建て駅舎は1967(昭和42)年11月の竣工。
いまの留萌本線からすれば不釣り合いなほどに堂々とした立派な駅舎。

昭和40年代初め日本は高度成長期駅。
斜陽化が始まったとはいえ炭鉱はまだまだ北海道の主力産業だった時代だった。

羽幌、赤平、芦別の炭鉱で産出された石炭は貨物列車で留萌へ運ばれ、留萌港から船積みされて全国へ運ばれていた。
旅客列車はというと、急行列車が札幌へ2往復、旭川へ2往復運行され、旅客輸送の主役だった時代。

この立派な駅舎を見ていると、そんな栄光の時代を彷彿とさせる。

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 ローカル線とは思えない堂々とした留萌駅の駅舎。

駅舎正面にあった大時計は故障してそのままになったのか、塗りつぶされているあたりに留萌本線と留萌駅の落ち目を示しているようだ。

今着いた人たちがいなくなると、駅コンコースも駅前も急にガランとしてしまった。
改めて駅舎の中を見物する。

誰もいないコンコースは妙に広く感じる。
昔、急行列車が走っていたころは、札幌行急行の改札が始まる前など、これでも狭いと感じるほどに人がわんさかといたのだろう。

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 広々としたコンコース。

コンコースの隣はガラスの壁で仕切られた、これも立派な待合室がある。
手前に大きな暖簾を掛けた立食いそば屋、奥にはキヨスクが営業中だ。

一番奥がトイレで、その入口前は駅員が育てているのかガーデニングコーナーがある。
その中にモジャ君の立て看板が。

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 待合室のガーデニングとモジャ君。

待合室は立食いそば屋からの良い香りが立ち込めている。
さっき深川駅で天ぷらそばを食べたばかりだが、そばの香りに誘われて立食いそば屋の客となった。

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 待合室にある立喰そば。

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 立喰そば屋の品書き。

天ぷらはさっき食べたので、今度はにしんそばを注文。
昔ニシン漁で栄えた留萌らしい品だ。

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 にしんそば(500円)。

北海道らしい濃いツユに甘辛く炊いた身欠きにしんが乗る。
ツユにも身欠きにしんの風味が混ざってなかなかのもの。

この店では昔90年代にも食べたことがあって、あの当時はきしめんがあって、これは珍しいときしめんを食べた記憶がある。
うろ覚えなので、どこかほかの店とごっちゃになっていたかも知れない。
ただ、あのとき店の姐さんがテレビの笑っていいともを見て大笑いしながら店番をしていたのだけはハッキリと覚えている。


 ◆ 留萌の街

戻りの列車は16:14発深川行。
時間はたっぷりとあるので、留萌の街を歩いて見物してくることに。

駅を出ると目立つのがアーケード商店街。
ここも地方都市では珍しくなくなったシャッター商店街と化しているが、留萌駅前は昔から寂れていて、市の中心部は駅から歩いて10分ほど離れた錦町になる。

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 アーケードがあった留萌駅前。

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 アーケードから見た留萌駅。

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 留萌駅前のアーケード商店街。

駅から歩いて国道231号線に出ると、留萌の中心街らしく人通りも多かった。
歩道には夏祭りでもあるのか提灯が掲げられている。
しばらくラルズプラザの本屋で時間をつぶす。

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 ラルズプラザがあった錦町が留萌の中心街だった。


 ◆ 留萌 → 深川

15時過ぎ、再び留萌駅へ戻る。
さっきのそば屋はすでに店じまいしていてシャッターが下りていた。

待合室は次の深川行の客なのか、ベンチで雑談している2人の姿だけ。
奥のキヨスクはまだ営業中だが、中のおばちゃんも暇そうだった。

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 待合室とキヨスク。

深川行の改札が始まると数人がホームへ。
数人といっても片手で数えられるほどだが。

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 『只今の改札』の札が掛けられた留萌駅の改札口。

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 ホーム屋根から下がる電気時計とのりば案内が主要駅であったことを伝える。

やがて増毛から来た深川行が見えてくる。
さっき留萌まで乗ってきた列車の折り返しだ。

事務室から赤い帯の制帽の駅員が出てきて停止位置に立つ。
留萌〜増毛間はタブレットの閉塞方式となっているので、運転士からタブレットを受け取るためだ。
留萌駅ではローカル線では珍しくなったホームの立番風景が見られる。

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 増毛発深川行の列車が近づく。

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 助役帽の駅員が増毛からのタブレットを受け取る。

増毛から来た列車は回送列車のようだった。
乗客はいたのかいなかったのか覚えてないが、回送列車とか空気輸送といった言葉が当てはまる格好で増毛まで往復してきたことになる。

留萌からの数人と私が増えた車内は、それでもガラガラだった。

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 がら空きだった深川行。

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 秩父別〜北一已間の後面展望。

途中から乗ってくる客もほとんどなく、ガラガラのまま終点深川着。
パラパラとホームに降りた客はすぐに改札口へと向かっていった。

夏休み中の土曜日だからなのか、いつもこうなのかは分からないが、夕方の留萌本線は寂しいものだった。

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 深川駅に到着。

深川駅で50分の待ち合わせ。
改札を出ると駅弁の売店がまだ営業中だった。
幕の内弁当しか残っていなかったが、それを1つ買う。
車内で夕食にするとしよう。


 ◆ 深川 → 岩見沢 → 札幌

再び赤い711系電車。
行きに乗った旭川行と違って下りの旭川発岩見沢行はガラガラだった。ボックスシートも選び放題。

駅弁はこういう時に食べてしまうのが良い。
包み紐を解いて蓋を開ける。

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 深川駅で買ったおたのしみ幕の内弁当。

ザンギを筆頭に焼鮭、がんもの煮物、卵焼、煮しめ、昆布巻、素朴だけどどれもが美味しい。
地味だけど、ご飯もとても美味しい。

観光客受けのするものではないし、どこぞの駅弁大会で売られることもない名もない駅弁。
さりげなく栄養のバランスも考えられているし、調整元の良心がひしひしと感じられる。

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 深川駅弁はボール箱にプラ容器だが素朴なおかず。

駅弁を食べながら1杯やって、ひと眠りしたら真っ暗になっていた。
岩見沢では19分の待ち合わせで小樽行区間快速『いしかりライナー』に接続する。

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 岩見沢駅ホームと711系電車。

乗り継ぐ列車もまた711系電車だった。こんどのはラッシュ輸送の折り返しなのか6両編成。
夏休み中の土曜日ということもあってか、こんども札幌までガラガラの車内で過ごせた。

 〜2007年版乗車記おわり


 ◆ 最後に

以上2007年、今から15年前の留萌本線乗車記になります。
たかが15年、されど15年。
鉄道も変われば街も変わるものですね。

乗車記の画像は、2022年の今では存在しないものが写っているものを選んでみました。
いっぱいありますね。

 ・深川駅の駅そば
 ・785系のスーパーホワイトアロー
 ・留萌駅前のアーケード
 ・錦町のラルズプラザ
 ・留萌駅のキヨスク
 ・留萌駅ホームの時計
 ・増毛駅方向から到着する列車
 ・留萌駅のタブレット収受
 ・深川駅の駅弁
 ・赤い711系電車

あなたはいくつ見つけられました?

あの当時は何でそんなもの撮影してるの、と言いたくなるようなものばかり写していましたが、15年経つとどれもが貴重な画像ばかり。

鉄道ファンだからといって鉄道車両ばかり写していちゃ駄目だということですね。
駅舎、待合室、改札口、駅前、町の風景、人物など、10年以上経てばどれもが貴重な画像となります。
人物はやたらとカメラを向けるのは憚(はばから)られますけどね。

え?、ストリートビューで過去の風景も見られるからそんなもの必要ないって?
う〜、今はそういう時代になってしまいましたね・・・

それはともかく、廃止となるもの、無くなってしまうものを嘆いていても仕方がありません。
私たちにできることといえば、今あるものを記録しておくくらいなもの。

留萌線の石狩沼田〜留萌間は、廃止日の繰り上げが認められれば残り半年と少しとなります。
これからはますます混むようになりますね。

札沼線廃止のときは新型コロナの緊急事態宣言下だったのでひっそりと終了した感がありますが、今後はさすがに行動制限もないでしょうから営業最終日はお祭り騒ぎのような人出となりそうです。

廃止の噂すらなかったけど鉄道ファンからも忘れ去られたような2007年当時の留萌本線。
当時の画像を見て、当時の乗車記を書いていたら乗り納めしたような気分になりました。

以上、最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 22/09/11 | Comment(0) | 道北の旅行記

2022年道北の無人駅とサロベツ原野

6月25日から2泊3日で宗谷地方に行ってきました。

当初はこのままオホーツク海沿いに下って6月28からの知床旅行に繋げようと思っていましたが、雨模様の週だったために、知床へは一旦札幌へ戻って出直すことにしたので、知床旅行記とは別記事にしました。

記事の内容
2022年6月25日 稚内まで
2022年6月26日 道の駅わっかない
  旧天北線に沿って
  サロベツ原野と豊富駅
  雄信内駅
2022年6月27日 抜海駅へ寄って札幌へ

また少々長めになってしまいましたが、お付き合いの程お願いいたします。


 ◆ 2022年6月25日 稚内まで

初日は札幌を午前中に出発。
留萌のあたりまでは晴れて青空でしたが、北上するにつれて雲が多くなり、天塩を過ぎるころにはガス(海霧)が立ちこめるようになりました。

天塩河口大橋を渡るとサロベツ海岸沿いを走ります。
晴れていれば日本海の向こうに利尻富士が見えるのですが、あいにくとこの日は全く見えず。
その代わり黄色いエゾカンゾウの花が道端に一面に咲いて出迎えてくれました。

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 サロベツ海岸の稚咲内園地。

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 ガス(海霧)に霞む道道稚内天塩線とエゾカンゾウの群落。

どうやら花の一番の見頃に当たったようです。
エゾカンゾウは朝花が咲いたら夕方にはしぼんでしまう短い花。
この黄色く彩られた街道も、数日後には緑の草原に戻ってしまうことでしょう。

花を見ながら北上して稚内市内に入ります。
まずは稚内桟橋駅のジオラマを見に稚内副港市場の2階にある稚内市樺太記念館へ。

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 稚内市樺太記念館にある『北防波堤ドームと稚内桟橋駅』のジオラマ。

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 稚内桟橋駅と稚泊連絡船の宗谷丸。

他にも展示物はたくさんあるが、このジオラマだけ印象に残っています。
こういうの大好き。
時間が許せば1日中でも眺めていたいものです。

このあとセイコーマートで夕食を仕入れて道の駅わっかないへ。
ここは車中泊キャンパーに大人気のようで、暗くなっても駐車場は満車状態。

トイレは洗浄機付き、洗面所はお湯も出る、コンビニ併設と便利なことこの上なし。
難点は人気が故に、早めに着かないと満車で駐車する場所すらないことになります。
そういうときは稚内森林公園キャンプ場が比較的余裕があるようです。

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 20時11分、幌延行き上り最終列車が発車。

居住は快適なんですが、両隣にも車中泊の車というのはあずましくない(北海道弁)もので、またここで車中泊したいかと問われると、個人的にはう〜ん・・・


 ◆ 2022年6月26日 道の駅わっかない

おはようございます。

外に出て、駐車している車のナンバープレートを見てびっくり。
これがまあ本州ナンバーばかり。
しかもドライバーは爺さんばっかで、奥さん連れだったり1人だったり。
定年退職後の余暇を車で北海道旅行か。いいなあ。

キャンピングカーとか車内を改造したワゴン車が多い。
この時期の車中泊キャンパーは概してマナーはよろしいようで。

これが夏休み期間になるとチェア並べて宴会したり、タープ張って焼き肉やってるバカも見たことあるけど、いわゆるDQNがあちこちで見られるようになるわけです。

車中泊で旅行するならオススメは今時期ですよ。
何と言っても日が長いですからね。

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 すっかり名所っぽくなった稚内駅前広場。

朝5時過ぎの稚内駅前。
山から下りてきたのか3頭のシカがウロウロしている。
このシカは翌朝も見たので、稚内駅前は毎朝エゾシカの通り道になっているようです。
目当ては広場の芝生なのでしょうか、しばらく芝を食んでいました。

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 稚内駅前に毎朝現れるエゾシカ。

6時、道の駅わっかないを出発。
早い出発ですが、両隣はもっと早く出発していました。

夏至に近いこの時期の稚内は3時には明るくなります。朝寝坊はもったいない。

とりあえず出発してみたものの、さあどこへ行くか。
最初に朝4時から開いているガソリンスタンドで給油して、一旦スーパーの駐車場へ。

さてどちらへ向かうか。
前の道を最初に白っぽい車が通ったらサロベツ方面へ、黒っぽい車が通ったらオホーツク方面へ。

いざ勝負!

黒っぽい車。
オホーツク方面へ向かいます。


 ◆ 旧天北線に沿って  

宗谷岬経由のつもりで国道238号線を東に向かいますが、この曇り空ではねえ・・・
それに宗谷岬はGWに行ったばかりだし。
あの時は奇跡的に晴れたけれど、今日のこの曇り空では奇跡は起こりそうもない。

声問の町を過ぎた交差点を『稚内空港』とある方へ右折します。
旧天北線ルートでオホーツク海側へ出ようというものです。

曲淵からは延々と無人の山岳地帯を走ります。
旧天北線とほぼ平行していて、90年代の初め頃は宗谷バスの天北線代替バスから線路跡を確認することができました。
あれから30年、もうさすがに天北線の線路跡を見つけるのは難しいですね。
その代替バスですら宗谷岬線と統合してこの区間は廃止しているくらいですから、よくこんなところに鉄道があったものだと思うところです。

ようやく猿払村役場のある鬼志別へ。
新しい家が多く目立ち寂れている感じがしないのは、ホタテ漁と酪農という産業があるからでしょう。
鬼志別だけではなく、オホーツク海側の町々は日本海側や内陸に比べてあまり寂れた感じがしません。
同じ道北なのに、宗谷本線沿線の方が寂れた感じなのはどういうわけでしょう。

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 猿払村は日本最北の村。

道の駅さるふつ公園で昨日買っておいたパンと飲料で軽い朝食。
ここも車中泊キャンパーが多数駐車していました。

ここの道の駅は車中泊禁止って聞いたことがありますが、どうなんでしょう。
車中泊ではなくて『仮眠』と言えばそれまでの話なわけですが。
車内からシェードをつけて光が漏れないようにしていれば外見では仮眠なのか車中泊なのかわからないわけで、だから道の駅なんかでの車中泊はグレーゾーンとして存在しているわけです。

軽い休憩で道の駅さるふつ公園を出発。
途中浜猿払から脇道に入ってエサヌカ線を走ります。
牧草地帯の中を8kmにもわたる直線道路。しかも人家が見えないこの道路はすっかり有名になりました。

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 地平線の先へ一直線に続く猿払村道エサヌカ線。

エサヌカ線からまた国道238号線に戻り、浜頓別手前の脇道に入って、ベニヤ原生花園へ行ってみます。
昨日稚咲内で満開のエゾカンゾウを見たので、こちらも花が満開かなと思ったわけです。

しかし着いて見るとこちらは緑の草原が風にそよぐだけ。
一番元気に咲いているのはハマナスくらい。
早かったのか遅かったのか、それともこんなものなのでしょうか。

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 ベニヤ原生花園と浜の内側に伸びる沼。

浜頓別へ着いた頃には雲の切れ目から青空も見えるようになりました。
宗谷地方のオホーツク海側って、日本海側に比べるとどこも人の手が入っている印象を持ちます。
乾いた明るい空気。

それに比べて日本海側は湿っぽく暗く人を寄せ付けない空気。
またあの黄色いエゾカンゾウの花を見たくなりました。
天気も回復しているようなので今度はサロベツ原野へと向かうことにします。


 ◆ サロベツ原野と豊富駅

道道豊富浜頓別線を豊富に向かいます。
浜頓別から豊富へは隣町のように思えますが、無人の森林地帯を60km近く走らなければならないのだから、まあ広いこと。
途中に昔はセキタンベツという炭鉱町があったようですが、今は無人となっています。

走っているうちに雨が降ってきました。
オホーツク海側は晴れに向かっていたようですが、日本海側は雨模様のようでした。

豊富の手前で豊富温泉を通るのですが、このまま札幌に帰るのならばひと風呂浴びて行くところですが、この温泉に入ると体だけでなく車内も石油臭くなってしまうので今日はやめておきます。

豊富の町を通り過ぎてサロベツ湿原センターへ。

DSCN0127.JPG
 サロベツ湿原センター。

ここのエゾカンゾウはどうかな、と思ってきたわけですが、ここも期待を裏切ることなく黄色い花が一面満開でした。

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 木道の脇にはみ出すエゾカンゾウの花。

いやなかなか見事ですね。
こんなに満開のエゾカンゾウを見るのは初めての気がします。
一番いい時に来たようです。

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 黄色く可憐に見えるが近くで見ると野生の力強さを感じる。

どんよりとした曇り空は宗谷地方のこの時期特有の天気。
日照時間が短いからこうして高山植物が低地で育つわけで、青空が広がるピーカンよりも曇り空の下の方が花は元気なように見えました。

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 地平線まで黄色い花で覆いつくされたサロベツ湿原。

サロベツ湿原で満開の花を堪能して、今度は豊富駅へ行きます。
この後は無人駅巡りでもしてくるつもりです。
ほかに行くところも無くなったということもありますが。

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 平屋鉄骨造の豊富駅。

豊富駅の駅舎は鉄骨造の平屋。
1966(昭和41)年建築で、昭和30年代に建築された島松駅や茶志内駅に似ています。

昭和43年には昭和天皇、皇后両陛下が視察のためにこの駅を利用されることになり、その際にトイレにお立ち寄りされるご予定で、トイレを建て直したんだそうです。
だから豊富駅のトイレは立派だったという話を聞いたことがあります。

昔、そのトイレがあった頃に利用したら、そう言われれば駅の割に立派な造りだなと思ったことがあります。
そのトイレの場所は観光情報センターになっていて、今はもうありませんが。

ちなみにそのトイレには、結局陛下がお立ち寄りになることはなかったそうで。

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 ストーブが中央に置かれた待合室。

駅舎の中に入ると、ストーブが中央に置かれて、それを囲むようにベンチが並べられています。
プラスチック製のカラフルなバケット型のベンチ。
私が子供の頃、昭和50年代の国鉄駅のベンチと言えばどこもこれでした。
国鉄からJRになってから急速に姿を消して、レザー張りのソフトなタイプのベンチに替わったものです。
どこか懐かしさを覚えます。

奥のシャッターはキヨスク跡。
ここにあったキヨスクで硬券のきっぷを売っていましたっけ。
平成5年、豊富から徳満ゆきの乗車券は今でも持っていますよ。

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 無人駅とは思えない立派なホーム。

ちょうど下り稚内行き特急『宗谷』が入ってきました。
今日は堂々の6両編成。

かつては・・・っていうか10年くらい前までは増結が常態化していたこともありますが、近年は基本編成の4両編成ばかりになってしまいました。

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 今日は6両編成で運転の特急『宗谷』。

窓越しに車内を覗くと、どの号車も車内は結構な乗車率。
車内の乗客は年齢層高め。
どうやら、利尻礼文ツアーの団体客が多いようです。

利尻礼文は今が一番の観光シーズン。
コロナ前ほどではないでしょうが、観光客が戻ってきているのは関係者にとっては喜ばしい事でしょう。

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 6両でも結構な乗車率だった。

実は、今週の旅行は利尻礼文も候補に挙げていたのですが、島の宿代が高騰していたこともあって、やむなく道内旅行とした事情もあります。


 ◆ 雄信内駅

このあとは南下して雄信内(おのっぷない)駅へ。
この駅を訪れるのは19年前に列車で来たとき以来となります。

その当時から駅前はゴーストタウンと化していましたが、天塩川対岸の雄信内(おのぶない)の町から来て列車で通学する高校生の姿を見たものです。
しかしもうだいぶ前から対岸の町からこの駅を利用する人はいなくなった模様です。

JR北海道の統計を見ますと、駅の乗車人員はゼロ。
列車の乗り降りは、たまにやって来る旅行者くらいで、あとは私のように車で乗りつけて撮影して帰るという人ばかりのようです。

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 森の中にあるような雄信内駅。

雄信内の駅舎は下見板張りですが窓から上はモルタル仕上げ、出入り口には堂々とした庇を設け、その上には明り取り窓という凝ったつくりです。

手入れもされているようで、上部のモルタルは目地埋めがされて、板張りはニスが塗られてピカピカになっています。
待合室の窓は、前に来たときは木製サッシの古いものでしたが、アルミサッシのものに交換されていました。
庇の柱が凝った造りでしたが、角材のものに取り換えられていたのは少し残念です。

雄信内駅の開駅は1925(大正14)年ですが、調べたら現在の駅舎は1953(昭和28)年という意外と新しい建築でした。
天塩中川駅と造りがそっくりなのは、こちらも同年同月に建て替えられたからでしょう。

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 風雪に耐えてきた感のある木造駅舎。

森の中にひっそりと佇むモダンな木造駅舎。
駅舎も風景に溶け込んで、絵になりそうな光景です。

しかしこれを駅として維持しようというのは大変な話で、JRだって慈善事業でやっているわけではないので、利用客がいない以上廃止したいというのは良くわかります。
だから今は幌延町による維持管理となっているわけですが、これもいつまで持つのでしょうか。

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 切妻造りの庇と2つの明り取り窓という凝った造り。

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 ホーム側から。

駅はステキなんですが、駅前はというと朽ちた廃屋が並ぶゴーストタウン。
その1つ、元商店だったところは軽トラックが停まっていて持ち主がたまに来ていたようですが、今はすっかり朽ちていました。

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 駅前は廃屋が緑に埋もれたゴーストタウン。

もう人が来るような場所ではなくなったようです。
そのせいか、ヒグマが頻繁に出没するようになり、ヒグマの目撃情報と注意を促する張り紙がありました。


 ◆ 稚内森林公園キャンプ場へ

また稚内に戻ります。
新しくなった天塩大橋を渡って幌延から幌富バイパスに入ります。

みんな飛ばすこと。
その流れで走ると、とてもここでは書けない速度に。
途中から国道40号線に降りますが、ここも改修されて最高速度70km/hの標識が立つ高規格道路のようになっていました。

30年前ならば稚内に高速道路ができるなんて想像もつかなかったものですが、時代は確実に変化してゆくもの。
道内各地と稚内が高速道路ネットワークで繋がる日も近いうちにやって来るでしょう。

稚内に戻って給油。
こんどは稚内森林公園キャンプ場で車中泊しました。

道の駅に比べるとトイレや洗面所がしょぼい、町まで遠いといった不便さはありますが、両隣に車がいないので落ち着けるという長所はあります。
それに道の駅は表向き『仮眠』ということになるわけですが、今日は堂々と車中泊。
酒も飲めるわけで・・・

あとこのキャンプ場は、ごみを無料で引き取ってくれるという嬉しい特典つき。
だから車中泊はキャンプ場で、朝の洗面や用足しは道の駅でというのが賢い利用方法ですかね。

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 セイコーマートのホットシェフ惣菜とビール。


 ◆ 2022年6月27日 抜海駅へ寄って札幌へ

おはようございます。
最北端のキャンプ場の朝、夜明けは早いけど今日も曇り空。
5時には出発して道の駅へ向かいます。

さすがに人気の車中泊スポットだけあって駐車場は満車状態。
しょうがないので、駅前ロータリーに停めさせてもらいます。

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 5時21分発名寄行き上り一番列車。

洗面所で用足しさせてもらって5時半には出発。
天気も悪くなりそうだし、今日はもう札幌へ戻ります。

朝早いし、さすがにこの時間に行っても誰もいないだろうと抜海駅に寄ることにしました。

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 外壁材でリフォームされた抜海駅。

木造駅舎ですが妙に新しくなっているのは正面が白い外壁材でリフォームされているから。
ちょっと味気ない印象ですが、それだけ冬は風雪が激しいところだからでしょう。

出入り口の切妻の風よけ室が妙に大きいのは、トイレとなっているからです。
夏はトイレを閉鎖しているらしく、トイレ入口はロッカーが置かれて塞がれていました。

素っ気ない正面側ですが、抜海駅舎の味わいはやはりホーム側でしょうか。
かつては1番ホームの屋根だった部分に壁を設けて、改札口と駅長事務室を結ぶ廊下のようにしているのが珍しい構造です。
これもやはり冬の気象の激しさがこうした構造にしたのでしょうか。

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 ホーム側の味わいある看板。

抜海駅はJR北海道が公表しているデータによると1日当たり乗車人員が1.4人。
JR北海道としては維持できないということで、2021年4月から稚内市による維持管理に移行しています。

稚内市が負担する年間の維持管理費は100万円となり、市民から公費負担の理解を得ることが難しいとして、市費での維持管理は今年度をもって終了することを決定しました。

反対意見もあり、まだ100%決定したわけではないんでしょうけど、抜海駅は来年(2023年)3月いっぱいを以て廃止となる可能性が高いです。

私にできることと言えば、あるうちに訪れておくことくらいでしょうか。

DSCN0497.JPG
 抜海駅のホーム側。

今は廃止廃止と騒いでいる抜海駅ですが、旅客駅としては廃止となっても列車交換設備のある信号場として残ることになるでしょう。

駅舎は夏は無人となりますが、冬は除雪職員の詰め所として利用されている関係から、抜海駅が信号場とされても木造駅舎は存続するのではないでしょうか。
実際石北線の中越や奥白滝など、旅客扱いが廃止されて信号場となっても木造駅舎はそのまま残されています。

と言ってもこれは信号場として残る前提の話で、現ダイヤでは抜海駅で交換する列車は無いので、棒線化して何も残らない可能性もあります。

駅は廃止となっても、駅舎自体は歴史的建造物とか観光施設として維持すればいいと思うんですけどね。
たぶんしないのでしょうけど。

どこの町とは言いませんが、鉄道廃止には散々反対するけど、いざ廃止されるとまちづくりの邪魔と言わんばかりに駅舎を解体して整地してしまうというのが現実。
この抜海駅も小さな碑だけ残して消えてしまうのでしょうか。

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 待合室から旧改札口を見る。

廃止日が近づけばこの駅も賑やかになることでしょう。
だから私などはもう近づかない。
今日この時をもって、抜海駅とはお別れです。

再び道道稚内天塩線へ。
道路わきの高台から日本海を見ると、利尻島の裾野と礼文島の島影が姿を現していました。

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 裾野だけ姿を現した利尻富士。

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 うねる道道稚内天塩線。

天気は快方に向かっているのかと思わせましたが、だんだん雨模様になってきて、天塩町の辺りからは本降りになりました。

もうこのまま真っすぐ札幌へ帰ります。
今週は1週間休みを頂いているので、明日は休みにして明後日は 知床 へ向けて出発する予定です。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。 

posted by pupupukaya at 22/07/24 | Comment(0) | 道北の旅行記

春の深名線と宗谷本線の旅行記3

おはようございます。5月3日火曜日。
GW休暇の旅行中、最北の町からスタートです。
朝5時前、窓の外が明るくなって目が覚めれば、空は一面雲で雨がしとしと。

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 雨模様の稚内。

昨日の朝もこんな感じだったな。これもまた昨日のように出発する頃には雨は上がるんだろうか。
天気ばかりは案じたってしょうがないので、タオルを持って朝風呂へ。

大浴場は朝5時からやっている。
やった、今日も一番風呂。
だけど昨日と違って宿1棟貸し切り状態ではないので次の客がやって来た。
それにしても朝早いですな。・・・って人のことはいえないけど。

昨日セイコーマートで買っておいたおにぎりの朝食。
酒飲みの朝って2タイプあって、ひとつは早起きで朝食はしっかり食べるタイプ。もう1つはギリギリまで寝ていて朝食は軽いか抜くタイプ。
私は前者。
朝早いけど寝るのも早い。夜更かししたって見たいテレビ番組があるわけじゃなし。

天気が良ければ港まで朝の散歩でもしてくるところだが、しとしと雨の今朝ばかりは早起きしただけ損な気分だった。


 ◆ 南稚内 8:04【4321D】稚内 8:08

長居したい部屋でもないので、7時50分過ぎ、ホテルをチェックアウト。
やっぱりと言うべきか奇跡的にと言うべきか、雨はこの頃には上がっていた。
昨日と同じパターン。今日も雨から逃げ切れるのか。

歩いて向かうのは南稚内駅。
8時04分発稚内行き普通列車があるので、それに乗って稚内駅まで行く。

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 地元の市民は『みなみえき』と呼ぶ南稚内駅。

都会ならば通勤通学時間帯だが、今日は祝日。
それに、稚内駅へはバスが1時間に3〜4本あるので、1日3本だけの普通列車を利用する人など皆無だろう。
乗客は私1人かと思っていた。駅の中に入ると、案の定誰もいなかった。

しばらくすると外に車が停まって、幼い子供を連れた親子3人連れが入ってきた。
券売機で稚内までの乗車券を買っている。表の車はレンタカー。
お母さんと坊やは列車で稚内へ、お父さんはその間車で稚内駅へ移動ということらしい。
最北端の記念乗車といったところだ。

稚内〜南稚内間の記念乗車券でも作って、最北端の1駅記念乗車用として発売すれば結構売れるんじゃないだろうか。
車が無くてもバスで戻ってくることは可能だし、ひとつ企画してみてはどうですか。
ねえ、JR北海道さん。

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 音威子府始発の4321Dが到着。

直前になってもう1人兄さんがやってきた。
こちらも記念乗車かと思いきや、この後稚内駅でのイベントの設営に加わっていたので地元の人らしかった。

昨日は車両不具合のため、幌延で運転打ち切りになった列車だが、今日は時刻通りやってきた。
通勤通学列車とはいえ、130kmも離れた音威子府からはるばる運転されてくるんだから大変なものだ。

列車は南稚内に到着。地元の利用客らしい2人が降りて、件の3人と私が乗り込む。
最初から乗っていたのは4人。荷物を持った人ばかりなので、毎日の客ではなさそう。随分と朝が早いことだが、この列車を逃すと次は稚内着が12時過ぎになってしまうので、ほかに選択肢はない。

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 赤帯の助役に見送られ南稚内駅を後にする。

1駅で稚内駅へ。
まだ8時過ぎでどこも閉まっている。

宗谷岬行きのバスは9時39分発なのでまだまだ時間がある。
バス待合室の切符売り場はこの時間から開いていたので、宗谷岬往復の乗車券を買う。
稚内駅から宗谷岬までの片道運賃は1,420円だが、ここで往復乗車券を買うと往復割引で2,560円となる。

ここで昨日チェックイン時に貰った『わっかない応援クーポン』のうち『乗って応援クーポン』の2枚2千円分を使った。
乗って応援クーポンはレンタカーやタクシーでも使えるが、バスでとなると宗谷岬往復くらいしか使い道がない。
レンタカーというのも考えたが、車を運転するくらいなら初めから車で行くわ。
というわけで宗谷岬行きとしたのである。

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 稚内駅前〜宗谷岬の往復乗車券。

待合室にあったコインロッカーをふと見ると、料金が200円と表示してあった。
旅行していると意外と馬鹿にならないのがコインロッカー代。
ずっとバックパックを背負ってきて、どこへも預けるつもりはなかったのだが、200円ならばと預けることにした。
ここからは手ぶら。随分と身軽になった。

さて、どこへ行くか。
天気が良ければノシャップ岬あたりまで往復できるところだが、この曇天では行ってもつまらないだろうな。
雨が降ってきたもおかしくない空模様なので、あまり遠くへも行けない。
そこで、昨日通った北門神社参りをしてきた。

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 日本最北の神社(神職が常駐する神社としては)は北門神社。

神社の高台から、晴れていれば樺太の島影が見えるのだが、この曇り空ではやはり見えなかった。
その足で北防波堤ドームを見てくる。
ここは戦前は稚内と樺太の大泊を結んでいた稚泊(ちはく)連絡船が発着していた桟橋。
冬の大波から桟橋を守るためにドーム型の設計となった。
稚内駅からここまで線路があって、稚内桟橋駅も設けられていた。

戦後は利尻礼文へのフェリーターミナルとなって、利礼岸壁と呼ばれていたこともあった。
稚内桟橋駅は解体され、跡地には記念碑が残るのみ。
宗谷本線を走っていたSL『C55 49』が保存されていたが、これも潮風による損傷が激しく、もうだいぶ前に撤去されて今は動輪とナンバープレートだけが残っている。

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 北防波堤ドームは稚泊連絡船と稚内桟橋駅の名残り。

話は変わるが、さっきホテルをチェックアウトした時に、さいほく春々旅のアンケートを渡してきたのだが、その欄に『稚内にあったら良いと思うもの』とあった。
そこで、
『北防波堤ドームがガランとして寂しいので、旧稚内桟橋駅舎を復元しては』
と記入したのだが、実現するかどうか・・・

ここから目を凝らしたが、やはり樺太は見えず。
また歩いて駅に戻る。


 ◆ 稚内駅前 9:39【宗谷バス】宗谷岬 10:29 

駅に戻ってきてまだ9時前。
外で撮影などしていたら冷たいものが頬に当たる。
やれやれ、期待もむなしく雨予報が当たったようだ。
まだ霧雨のような弱い雨だが、だんだん空は暗くなってきた。

宗谷岬行きバス乗り場は国道の歩道上にあって、一応屋根が付いている。
まだ誰もいない。
バスの時刻までまだ20分以上もあるが、ほかに行くところもなく、昨日の大行列も見ているので、ここに立ってようかなと屋根の下に立ってみるも、風で舞った雨粒が当たるので駅に戻ろうと思ったら、後ろにもう3人並んでいた。
戻るに戻れなくなって、雨の中20分もバスを待つことになった。

DSCN8891.JPG
 稚内駅前ターミナルの天北宗谷岬線のバスのりば。

所在無く過ごしていると、道路標識に併記してあるキリル文字のロシア語が目に入った。
Асахикава』『Наёро』とか。
20代の頃、熱心にロシア語の独学をしていたことがあったんでね、私は普通に読める。
上の表記は旭川と名寄のロシア語表記。
このロシア語を引っ提げて、ロシアの一人旅をしたものだ。

その後、欧米に行くことが多くなると英語の必要性を感じ、英会話などを勉強するようになった。
その頃の齢にもなると、もう全然頭に入らない。簡単な単語やフレーズも何回覚えても忘れてしまうようになった。
同じ意味の言葉でも、英語より先にロシア語の単語やフレーズが頭に浮かぶ始末。

若い時に修得したロシア語は、棒暗記したフレーズでさえ一生ものだ
しかるに、いい年こいて始めた英会話はというと、全然ダメ

若い時に覚えたことってのは身につくんだねえ・・・
改めてそのことを思い知った。
ロシア語なんて今後の人生で役に立つことも無いだろうけど・・・

読者の皆さんの中に若い人がいたら、これだけは言っておきたい。

勉強だけは若いうちにやっておけ!

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 音威子府行きバスが到着。

バスがようやく来たのは発車3分前だった。
後ろを見るといつの間に長蛇の列。屋根からはみ出した人たちは傘をさして並んでいた。
昨日見たほどの行列ではないが、早く来てよかったことになる。

バスの席は確保して、立ち客も乗せて発車。
『音威子府行』の表示を掲げたこのバス路線は『天北宗谷岬線』といって、旧天北線の代替バスでもある。
当初は沼川、曲淵といった旧天北線ルートを経由していたが、利用客の減少のためそれまで宗谷岬に行く大岬線と路線を統合して今の天北宗谷岬線となっている。

稚内から音威子府まで163kmもの長距離を各駅停車で走る路線バス。車両も市内で見かけるのと同じワンステップ車両。
もう市内路線と長距離路線を区別することができないほど利用者が減っているということだろう。
本数も、まともな交通機関とするにはぎりぎりとも思える4本だけに減便されている。

うち宗谷岬往復ができる便は2本だけ。
だから余計に観光客が集中してバスが混むのかもしれない。

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 長距離路線だが市内線と同じワンステップバス。

この旧天北線代替バスとして運行していた天北宗谷岬線も、来年には音威子府〜浜頓別間の廃止が決定している。
廃止後はスクールバスの混乗と予約制のデマンド交通による代替が予定されている。
1918(大正7)年に音威子府〜浜頓別間の鉄道が開通して以来、鉄道からバスへと受け継ぐも『天北線』として営業していた区間。
来年のバス路線廃止をもって、天北線音威子府〜浜頓別間は本当の廃止を迎えることになる。

世の話題となり名残乗車客がやってくる鉄道の廃止と違って、バス路線は人知れずひっそりと消えてゆく。
前にも書いたが、鉄道の廃止後はバスになるが、バスの次は無い。
だからバスこそ地域交通の最後の砦ということになる。

どうでもいいことだけど、鉄道の廃止となると都会からも弱者切捨てなどと反対の声が出てくるが、それより地域住民にとって深刻なバス廃止に都会からそうした声が上がることはない。
まったく都会人とは身勝手なものだ。

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 声問を過ぎると本降りになってきた。

稚内の市街地を抜けて宗谷海峡を望む海岸沿いに来る頃には雨は本降りになってきた。
窓にも雨粒が点々と。
丸腰でやって来たので、着いたら小走りで最北端の記念碑の撮影でもして、あとは屋根の下にいるしかどうしようもない。

だんだん何しに宗谷岬まで行くんだかわからなくなってきた。
それでもクーポンのおかげで往復バス代は実質560円

そう思えば腹も立たん。

ところが、バスが走っているうちに雨が上がって、空もだんだん明るくなってきた。
富磯あたりでは青空が見えるようになった。

何と言う奇跡。

途中の宗谷で女性客が1人下車する。
降りたらスマホで撮影してたので地元の人ではない。
宗谷岬と間違えて降りたわけでもなさそうだが・・・
あとで地図で見たら、すっかり有名になった『白い道』はここが最寄なのね。

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 日本最北端のバス停、宗谷岬に到着。

宗谷岬でバスの乗客は全員下車してバスはカラになる。この先猿払村中心部の鬼志別までは文字通り空気を運ぶのだろう。

バスを降りると空は青空、日も差すようになっていた。
ここだけが晴れているような空だった。

下車客の多くは最北端記念碑に向かうが、私は坂道を登って大岬旧海軍望楼へ向かう。
ここからの眺めが気持ちが良いのでね。
宗谷岬はもう何度も来ているので、どこに何があるかは知っている。

息を切らせて望楼へ登れば、宗谷岬の広場と宗谷海峡を一望できる。
バスが着けば人だかりができる最北端の碑よりも、まず先にこちらへ向かうのがオススメです。

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 旧海軍望楼から宗谷岬を見下ろす。

おお、宗谷海峡の水平線には樺太(サハリン)の島影が。
稚内では見えなかったが、こっちでは見えていた。
もう何回も見たことがあるし、過去に撮影した画像と比較しても山の形が同じなので間違いない。

ただ山の上は雲に隠れているし、ここにいる間にだんだん霞んでいったようなので、今だけ見えていたのかも。
旅先では妙に強運を引き寄せる私なのだった。

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 水平線にうっすらと見える樺太(サハリン)。

今回は時間が限られているので、樺太の島影を拝められたら下る。
定期観光バスも着いて、日本最北端の碑の前には記念撮影の人たちの行列ができていた。

水平線に樺太が見えているのだが、それに気づいているのかいないのか・・・
スマホなんかいじってる場合じゃないよ。

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 日本最北端の碑は行列ができるほど大人気。

それにしても、バスで来た人は若い人が多く、車組は年配の人ばかり。
昨日稚内公園で思ったことだが、宗谷岬でも同じことを思った。

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 日本最北端の地碑と北を見つめる間宮林蔵像は絵になる構図。

宗谷岬の滞在時間は45分。
岬で観光するにはちょうど良い時間ではなかろうか。
上の旧海軍望楼まで登って、最北端の碑で記念撮影をして、土産物屋を覗いているのも飽きてきて、そろそろ行くかなという頃に帰りのバスの時刻となる。

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 アリバイ作りにできそうな日本最北端の土産物屋。

最北端の土産物屋や流氷館を覗いたり、最北端のトイレで用足ししたりしていたら、あっという間に30分以上は過ぎた。
宗谷岬の気温は5.6℃、ずっと外にいたらすっかり冷えてしまった。

着いたときは青空だった空も、いつしか雲が覆うようになった。
もしかしたら、一番いい時に着いたのかも。
本当に、こういうときだけは強運の持ち主だね。


 ◆ 宗谷岬 11:14【宗谷バス】稚内駅前 12:14 

もう行くところも無くなり、バス停のある歩道に立っていたらいつの間にかまた後ろに行列ができていた。

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 帰りのバス停はこちら。

帰りのバスは鬼志別始発の便。
音威子府ほどではないが、こちらも35kmも離れた地から各駅停車ではるばるやって来るバス。
時間通りに来るんかいなと思っていたが、鉄道のダイヤを思わせるほど正確にバスが現われた。

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 11時44分、稚内ターミナル行きバスが到着。

こんどのバスは地元客が4人ばかりいた。
突然宗谷岬で現れた大量の乗客に驚いた様子でもあった。
やはり普段はガラガラで走っているバスなんだろう。

バスは途中停留所で停まることもなく、定速で走る。
ずいぶんのんびりと走るものだと思ってスマホで速度を計ってみたら48km/h。
後ろに追いついた車は、追い越し禁止標識など何するものぞとばかりに追い越して行く。
うっかりパトカーや白バイに見つかったら違反切符なんだけどね。
いやそもそも危険行為だし、最悪正面衝突事故にもなりかねないので。
でも、時速50km以下で走る大型バスの後ろに付いてしまった気分は、同じドライバーとしてよくわかる。

一定速で走るバスから宗谷湾の向こうに見える稚内の町を眺めていると、一昨年礼文島に行ったとき、戻りのフェリー船上から見た稚内の町を思い出した。

そんなノロノロ運転にも関わらず12時06分、定刻より8分早く終点の稚内駅前に着いた。


 ◆ 活気のある稚内駅

稚内駅に戻ってくれば稚内観光はおしまい。
あとは特急『サロベツ4号』で札幌に戻るだけとなった。

おっと、まだ『買って応援クーポン』2千円分が手つかずだった。
これはワッカナイセレクトで使うことにする。

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 土産物、カフェ、食堂がひと通り揃うワッカナイセレクト。

先代の稚内駅は、いかにも昭和の国鉄時代を思わせる2階建ての駅舎に島式ホームがある駅だったが、10年ほど前に今の道の駅とテナントが一緒になった施設の一部となった。
ピカピカで広くて明るい建物は、札幌のファッションビルと変わらないようなモダンな造り。

前の駅舎だったときは、いかにも国鉄時代の駅らしさと古びたホームに最北端らしい旅情を感じたものだった。
それだけに今の新しい駅を初めて見た時は、歴史も旅情も消えてしまったと残念な思いをしたものだ。

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 最北端の線路の説明書き看板にある旧稚内駅。

あれから10年

メインは道の駅で、鉄道は間借りしている格好にも見えなくもないが、この賑わいはどうだろう。
映画館や図書館も入居しているし、セイコーマートもあるので、町の人だってたまには駅に行ってみようかと思うんじゃないかな。

もし、稚内駅が建て替えられず、昔のままだったら今はどうなっていたことだろう。
待合室のキヨスクは確実に閉店していたし、買い物するにも向かいのスーパーか少し離れた場所にあったセイコーマートに行くしかない。
名物だった立ち食いそば屋は残っていたかも知れないが、列車に乗る前の買い物すらままならず、手ぶらで乗り込んだら旭川まで4時間近く何も手に入らない鉄道である。
相変わらずバスターミナルは駅の向かいにあって、駅にバスは立ち寄らない。札幌へ行く高速バスの乗り場も各社バラバラ。
市民からも忘れ去られ、列車の無い時間帯は誰もいない場所になっていただろう。

建て替えられた当時は、あんな近代的で味気ない駅なんて・・と思っていたが、鉄道を取り巻く状況は想像以上に悪くなっていった。
宗谷本線の存続自体危うくなるとは、当時は思いもしなかったものだ。
そんな中で、鉄道駅を巻き込んで再開発を行った稚内駅は大成功だったと言える。

だからって鉄道の利用者が増えたわけではないが、駅にテナントが入って観光客で賑わうようになり、公共施設が入って地元の人が足を運ぶ場所になれば、市民の鉄道に対する意識もだいぶ違ってくるだろう。

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  稚内駅と車止めのモニュメント。

鉄道を守ろうと最近は利用促進に向けた自治体の動きも出てきたようだが、列車で着いたとてどこへ行くにもバスかタクシーに乗るしかない駅とか、わざわざ行っても買い物ひとつできないような駅をまた利用したいと思うだろうか。
はるばる遠くから何時間もかけて乗ってきた観光客が、次も列車で来たいと思うだろうか。
駅と駅前に魅力があるものがなければ、小手先の利用促進策など意味が無いもので終わってしまうだろう。

私はGWにノコノコやって来ただけだが、この賑わっている稚内駅や、鉄道で来た宿泊客にクーポン券を配布するキャンペーンなど、鉄道の活性化のために本当に良くやっていると感じたのは稚内だった。

いわゆる旅情とか地域のシンボルといくら叫んだって、それだけじゃ鉄道は維持できない。
もし稚内駅が建て替えられず旧駅舎のままだったら、旅情や最果て駅のシンボル的存在にこそなれど、それ以上の意味は無かったと思われる。
裏寂れて市民から忘れ去られたような古い駅に旅情を感じるのは勝手だが、それで鉄道は残しましょうというのは虫が良すぎる。


 ◆ 稚内 13:01【サロベツ4号】16:49

札幌からの『宗谷』は今日は珍しく(?)定時に到着した。
これが折り返し旭川行き『サロベツ4号』となる。

改札が始まるころには改札口に行列ができるが、昨日ほどではない。
昨日は本当に何だったんだろう。

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 札幌から来た特急宗谷が到着。

改札が始まる前にワッカナイセレクトで駅弁を買っておいた。
昨日は陳列棚に完売しましたの札が置いてあるだけだったが、今日は3種類置いてあったのでゲットする。
あとは酒のつまみと自分用の土産をいくつか。
合計2,106円でクーポン2千円分は使い切る。
ビールはセイコーマートで。サッポロクラシックが2本で550円と特売となっていた。

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 旭川行きサロベツの改札を待つ乗客の人だかりができる。

昨日ほどではないだろうが、この『サロベツ4号』はそれでも混んでいる。
稚内始発で空いてる窓側席が1つもないようだ。
それでもしっかりとテーブルに駅弁とビールを並べさせていただきます。

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 かにいくらめし(1,080円)とサッポロクラシック(2本で550円)。

特急に乗る前は駅弁の名のついたものをつい買ってしまう。
稚内駅の駅弁を買うのはこれが3度目になるけど、正直言って旨くない。

食べてみると、ベタッと潰れたご飯と、これ見よがしに観光受けをねらって上に乗せてみただけのカニとイクラ。
消費期限を延ばすためなのか、やたらと酢が効いている味付け。
値段といい中身といい、これじゃコンビニ弁当の方がマシだよ。

販売業者は一応稚内駅の駅弁屋を装っているが、食品表示ラベルを見ると製造者は旭川の駅弁屋となっていた。
わざわざ旭川から運んできているのかは知らないが、稚内駅の細々とした売り上げだけでやっているとは思えないし、きっと稚内駅の名を借りたデパートなんかの催事販売のための商品だろう。
駅に申し訳程度に置いているのは、駅弁とするべく駅販売のアリバイ作りのため?

本当に北海道の商売人ってのは足りないと思う
何が足りないって、温もりが足りないんだよ。

一昨日札幌駅で買った似たような海鮮弁当は目に見えない温もりがあったね。
ご飯は美味しかったし、値段も良心的。
昨夜のホテルのレストランも、値段は高いけど温もりは感じた。
客に旨いものを食わせてやろうという思いは伝わって来た。

この駅弁にはその思いを全く感じない。
これは北海道全般の観光にも言えることだけどね。昨日の温泉宿もそう。

道内は景色も食材も一流のものばかり揃っている。
その一流の上に胡坐をかいて、これでいくら金を取れるだろうかという魂胆しか持っていない一部の業者がデカい顔をしているのが情けない。
(この記事を書いているときに問題になってる某観光船会社のこともあって頭に来てます)

ま、クーポン使用で実質タダ同然で手に入れた駅弁だ。

そう思えば腹も立たん。

稚内の駅弁に3度目のがっかりをして、2本目のビールを開ける。
つまみは『ほっけ燻製スティック出汁乃介』。
これはオススメですよ。いやマジで

ホッケの燻製って美味しいけどむしって食べると手が脂でベタベタになるし、匂いが広がるし車内ではちょっと・・・
そんな人にオススメ。
脂も燻製の香りもスティック状にしたアイデア商品。
ビールにも日本酒にもワインにも合う。

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 ほっけ燻製スティック出汁乃介(216円)はビールのアテにおすすめ。

今座っている席は進行右側。
上り列車ならば断然右側です。
利尻富士もサロベツ原野も天塩川も終始右側しか見えない。
指定席がうっかり左側座席だった場合は、みどりの窓口で右側席に替えてもらいましょう。

南稚内を発車して最初の景勝は日本海側の高台。
天気が良ければ利尻富士と礼文島が望める。それとなだらかな凹凸がずっと続く海岸の砂丘。
雲の下、利尻富士は山麓だけその姿を見せていた。

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 日本海を望むポイントから見えた利尻島の裾野と礼文島のシルエット。

この曇り空じゃ仕方がないね。
そう思っていたら、豊富の手前あたりで利尻富士が姿を現した。
おお、宗谷岬での樺太に続いて、サロベツ原野越しの利尻富士を拝めるなんて。

何でも諦めちゃだめだってことなんだね。
ただ、見えている方向が進行後ろ側と言うことと、旅疲れなのか眠っている人が多いので、この利尻富士に気が付いている人は少ない模様。
何だかもったいないなあ。
車掌も案内放送くらいすればいいのに。

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 兜沼〜豊富間では利尻富士が姿を現した。

車内は混んでいるけど、圧倒的に私より若い世代が多いのは明るいことだ。
特定国からのインバウンドや年寄りばかりに囲まれていると気が重たくなるけど、こうして若い人の利用が多い状況を見ると、鉄道も捨てたもんじゃないと希望が持てる。

ビールロング缶2本空けて、あとはウトウトしながら旭川まで。
天塩川は覚えているけど、あとは印象に残っているものはなかった。

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 しばらく車窓の友となる天塩川。

旭川までの所要時間は3時間48分。
同じ区間を急行『礼文』は3時間50分で結んでいた。

この列車で札幌まで行くには旭川で特急『ライラック36号』に乗換えになり、札幌着は18時25分となる。
ダイヤはかつての急行『サロベツ』のを踏襲している。
当時のサロベツは札幌直通だったが、旭川で特急に乗り換えると札幌には早く着いた。

【現在】
特急サロベツ4号 → ライラック36号乗継ぎ
稚内発 13:01 → 札幌着 18:25(所要時間 5:24)

【1990年代】
急行サロベツ → 特急スーパーホワイトアロー乗継ぎ
稚内発 12:56 → 札幌着 18:20 (所要時間 5:24)

あの宗谷本線高速化っていったい何だったんだろうなあ・・・


 ◆ 旭川17:00【ライラック36号】札幌 18:25

旭川でライラック36号に乗換え。
同一ホームで、向かいに停車中の列車に乗るだけなので上り下りの面倒は無いが、やはり煩わしい。
ホームで買えるものは自販機の飲料だけだし。
もう前みたいに全列車札幌直通が復活することは無いのかな。

隣のホームには17時05分発『大雪3号』が停車中。
2両だけ登場時の塗装が復活したと聞いていたが、その車両が見られるとは。

懐かしいとは思うけど、私らからすると郷愁を誘うものではないな。
なぜなら、あの車両は私が中学生の時、国鉄最後のダイヤ改正でデビューした車両。
当時はまだ現役だった80系気動車に似た前面に白地に赤系の塗色がとても斬新に映ったものだった。
それまで特急型車両と言えば、クリーム地に赤帯の車両ばかりだったからね。
順次新塗装への変更が行われ、JRが発足する頃にはあれが特急気動車の標準となった。

旧塗色車が復活したということは、長らく道内特急の顔だった183系も見納めの時が近いということか。

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 特急サロベツと旧塗装が復活した183系特急大雪。

毎度毎度だけど、宗谷本線や石北本線の特急から乗り継いで『ライラック』に乗ると、本当に車内が静かだなあと思う。
さっきの『サロベツ4号』は混んでいたが、旭川からの『ライラック36号』の指定席はガラガラだった。
ほとんどは旭川までの人だったのか。

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 特急ライラック36号の表示。

『カムイ』で札幌を出発して『ライラック』で戻って来た道北の2泊3日旅行。
『HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス』12,000円があったからこその旅行で、これが無ければGWに旅行なんかしませんよ。

いろいろ文句はあったけど、楽しい旅行でありました。
大型連休中の旅行など腹の立つことも多いけど、この時期ならではの発見もありましたし。
GW期間中の北海道も、それはそれで素晴らしいものがあるんだなと言うことに気づきました。

何と言っても、天気予報は雨のなか、1回も雨に当たらなかったのは奇跡としか言いようがない。
傘を持たなかったのは正解だったということになりますね。

さて、6日間パスの残りはあと3日間。
明日は1日お休みにして、あさってからは1泊2日で道南へ行ってきます。

6日間パス前半、春の深名線と宗谷本線の旅行記としては一旦これで終わります。
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
後半の旅行記をお楽しみに。

5月3日の旅費
品目場所金額(円)備考
宗谷岬往復宗谷バス5602000円引
コインロッカー稚内駅200 
駅弁・つまみ・土産ワッカナイセレクト1062000円引
ビールセイコーマート550 
5/3 合計1,416 



posted by pupupukaya at 22/05/14 | Comment(0) | 道北の旅行記

春の深名線と宗谷本線の旅行記2

おはようございます、5月2日朝。
5時に明るいので目が覚める。天気は見事に雨 (T T)
天気予報も雨マーク。

今日は普通列車で稚内まで移動する予定で、そのあとも特に予定を組んでいるわけではないので、雨で困ることはないのだが気は重くなる。
傘を持ってきてないので、宿から駅までの道中が濡れちゃうな。

朝風呂は6時からスタートなので一番に行った。
廊下を歩くが、本当に宿泊フロアは人の気配がない。
風呂は当然一番風呂で、ずっと貸し切り状態だった。

6時49分、朝の上り一番列車が天塩川温泉駅を発車する時刻。
窓際で待ち構えていると、遠くから踏切の音が聞こえてきた。
音威子府始発の旭川行き4322D。名寄からは快速『なよろ2号』となる列車だ。

てっきりキハ54形だと思っていたが、やってきた列車はキハ40形だった。
H100形気動車の導入で宗谷線から追放されたと思っていたが、まだ残っていたんだね。

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 レールの響きを轟かせて天塩川の対岸を行く旭川行き4322D。

今だから部屋の窓から枝越しに列車が見えるが、もう少しして緑が茂ったら見えなくなるんだろう。
列車は川の向こう岸を通過して見えなくなっても、しばらくレールの響きは続いていた。

7時過ぎに1階のレストランへ。こんどは朝食会場となる。
夕食時と違って「お好きな席に」と言われたので窓側のテーブルへつくと、配膳の人は朝はいないのか、フロントの人がお膳を運んできた。
飲み物はジュースか牛乳かを選べるので牛乳にした。
食後はコーヒーをお持ちしますとのこと

朝食も大して期待していなかったが、そこはお役所仕事。
全く期待を裏切ることはなかった。

そんな中でも特筆すべき一品は塩辛。
身が妙に極太でシャキシャキして、こんな塩辛初めて食べた。

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 一応塩鮭がメインの天塩川温泉の朝食。

個人的には納豆があれば、もう1ポイントくらいは点数アップしても良かったんだけどね。
まあ、朝から腹が苦しくなっても後の行程が残念なことになるので、朝食はこんなもんでいいのかも。

そう思えば腹も立たん。

コーヒーを飲みながら外を眺める。
前面の駐車場には1台の車も見えない。
まさか宿1棟貸し切りだったとか?

相変わらず雨はやみそうにない。
それでも、空は明るくなってきているし、雨も弱まってはきているようだ。

部屋に戻る途中、フロント横の売店をのぞいてみるが、これといったものは置いていなかった。
音威子府そばの乾麺でもあれば即買いするんだけど。
代わりに『源泉ラーメン』という乾麺の袋が並んでいた。

もう出発する支度を終えた8時過ぎ、外を見ると雨は上がったようだ。
雨の中傘なしで歩く羽目にはならずに済んだ。

8時20分過ぎ、フロントに鍵を返してチェックアウトと会計。
宿泊代と入湯税と夕食のビール代と合わせ、しめて12,120円
領収書も発行されて明朗会計。宿泊代だって予約時に承知の上で泊ってるんだから文句をつける筋合いはない。

ま、1棟貸切って静かに過ごせたようなものだ。

そう思えば腹も立たん。
 ・・・今回の旅行はこればかり言っているな。

ただ、滞在中に不快な思いをしたとか、スタッフの態度が悪かったとかは無かったので念のため。
今回の宿泊に値段をつけるならば、1泊2食付きで6千円台てとこか。

諭吉様は無いわ。


 ◆ 天塩川温泉駅

再びやってきました、天塩川温泉駅。
板張りの短いホームに小さな待合所。
時折り横の踏切を車が通る以外は鳥のさえずりだけが聞こえる。

雨は上がってアスファルトもだんだん乾き始めてきた。このまま晴れてくれればいいんだけどな。

この天塩川温泉駅、去年から音威子府村が維持管理する駅となっている。
利用者がほとんどいないために廃止の対象となったのだが、村が面倒を見るという条件で存続することになったもの。

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 板張りホームの天塩川温泉駅。

せっかく駅を残すのだから、もうちょっと外から人を呼べるようなことを考えれば良さそうなものだが、例えばこの駅は天塩川温泉の最寄り駅だが、温泉への道しるべ1つ無いのは困ったことだ。

せっかく宿泊できる温泉施設が近くにあるんだから、列車で来る人用のプランを設けたり、駅の利用者を1人でも多く増やす方法はいくらでもあると思うんだけど。

せめて列車で来た人には施設からのプレゼントがあります、とか

・・そのくらいやれってんだ!

肝心な住民の足はというと、村営の無料バスが運行されていて、列車よりも本数が多くて路線は村内4つの駅を全てカバーしているので、駅を日常的に利用する住民は基本的にいない模様。

いったい誰のための駅なんだろう。ハコモノさえ残れば満足なのか。
これじゃ単なる金食い虫だよ

ホームの割に立派な待合所の小屋は、ホームと段差ができるほど沈下しているし、建物も傾むいてきている。
自然条件が厳しいところだし、早晩建替えの時期が来ることは想像がつく。
その時がこの駅の運命の時となるのだろうか。

存続する目的もはっきりせず、自治体の思惑にだけ使われているような小さな駅。

なんだかこの駅が可哀そうに思えてきた・・・

DSCN7804.JPG
 8時46分、上り特急サロベツ2号が通過。

踏切の向こう側で通過する特急『サロベツ2号』を撮影してホームで列車を待つ。
今度の下り列車は、今行った特急と隣の豊清水信号場で交換してこちらに向かうダイヤになっている。


 ◆ 天塩川温泉 8:54【4323D】幌延 10:33

8時54分になっても列車は現れない。
何があった。豊清水で特急を待たせているのか。
こんな駅で、まさか運休は勘弁してくれよ。

5分ほどしたら踏切が鳴り始めた。
良かった、シカ徐行でもあって遅れたのかな。

DSCN7831.JPG
 天塩川温泉駅に到着するキハ54×1両の稚内行き4323D。

板張りの小さなホームから1人乗り込んでくる乗客に何を思ったのか、乗客たちが一斉にこちらを見る。
車両はキハ54形1両。車内は中央部が転換クロスシートになったタイプ。乗客は10人(私含まず)だった。

意外と乗っているのは、旭川始発の列車だからだろう。
オタなのか一般の乗客なのか判別はつかないが、少なくとも全員男性。
ほとんどの人は数少ないクロスシートに座っている。

大体こういうローカル列車では、地元客はロングシート、それ以外はクロスシートという棲み分けになるものだ。
私は誰もいないロングシートを独り占めします。
景色の良い区間ではデッキから後面展望を楽しんだりしてね。

ほぼ全員このまま稚内まで行くのかと思っていたら、音威子府で乗客が入れ替わった。
音威子府は3分停車だが、この列車は5分ほど遅れているのですぐの発車となる。
ここからは9人(自分含む)となった。

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 跨線橋と4本並んだ線路が主要駅だったことを思わせる。音威子府駅。

音威子府から雄信内までは天塩川の谷沿いを行く区間。
以前夏に乗った時は木が茂って川面が見える区間など僅かしかなかったが、まだ新緑前のこの時期はずっと天塩川が見えている。
冬に乗った時は一面真っ白で、川なんだか畑なんだか分かんなかったし。
この天塩川だけ見ていると、GW中の旅行も悪くないと思った。

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 音威子府〜雄信内間は天塩川に沿って走る。

やっぱり空いているときはロングシートだなあ。
窓は1個独り占め。デッキに立って後面展望を楽しんだり。しかも窓が大きくて眺望の良いキハ54形。

せっかくだから、特急の窓からは絶対に見られない、あなたの知らない宗谷本線をお届けしましょう。

 ★  ★

まずは神路駅跡

知る人ぞ知る秘境駅だった。
駅周辺は人家はおろか、よそへ通じる道すらない場所にあった。

駅としての廃止は1977年、その後は信号場となるが、上下各1本だけ客扱い停車があった。
試しに1982年発行の道内時刻表を見ると、神路駅に停車する列車は上りが9:31発、下りが15:53発。
一説によると、この駅に勤務する駅員の通勤用として停車していたんだとか。
今はCTC化されて無人となったが、当時はタブレット交換のために駅員が常駐していた。

信号場としても廃止となるのが1985年。
2000年代の中ごろまでは旧駅舎が残っていたが、今は解体されて小さな土台だけが一瞬見えるのみだ。

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 神路駅跡を通過。画像右側に小さな土台が見える。

続いては歌内駅跡

3月に廃止になったばかりの駅。
駅舎とホームはまだ残っているが、これも近いうちに撤去工事が始まるだろう。

去年3月をもって廃止対象となるが、中川町による維持管理を条件に存続することとなった。
しかしその1年後の今年3月、代替の公共交通が確保できたとして廃止に踏み切ることとなった。

高額の維持管理費の負担がやっぱり重荷だったのでという話もあるが、当初から公共交通が確保できるまでという条件付きの存続だったので、当初より早く確保できたことから予定通り廃止したというのが正しいだろう。

自治体管理駅としては初の廃止駅でもある。
今のところ他の自治体管理駅について廃止の話は聞かないが、将来的には歌内駅同様に自治体判断で廃止に踏み切る駅が増えてくることだろう。

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 2022年3月ダイヤ改正をもって廃止となった歌内駅跡を通過。

現役の秘境駅といえばこちら糠南駅

板張りの短いホームに物置改造の小さな待合所がウケたのか、秘境駅として有名になった。
1日当たりの乗車人員が0人として廃止の対象となるが、2021年から幌延町による維持管理になることで存続が決まった。

秘境駅イベントを開催したり、幌延駅のインフォメーションセンターでは手作りの秘境駅グッズを販売したりと、秘境駅の活用に一番積極的だと感じるのが幌延町だ。

町としては鉄道利用促進策を展開し、乗降数向上を目指す考えのようだが、乗降数が増えると逆に秘境駅としての魅力は薄れるわけで、それはそれで悩ましいところ。

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 物置小屋改造の待合所が特徴の糠南駅。

天塩川に沿った区間のハイライトといえばこちら問平陸橋

陸橋というのだから下を道路が通っているんじゃないかって?・・・違います。
ここは山の斜面が天塩川に向かって急に落ち込み、崖下を天塩川の流れが洗う場所。
こんな険しい場所に線路を通すには、ここに川を渡らない橋を架けるしかなかったのだろう。

宗谷本線の問寒別〜幌延間が開通したのが1925(大正14)年。
日露戦争勝利で日本領になった樺太を目指して宗谷本線の建設が急いで進められた。
建設に日数のかかるトンネルや渡河をさけて、とにかく最短で線路を通したかったがための苦肉の策を思わせる。

戦後、列車のスピードアップが叫ばれるようになると、根室本線や函館本線であればここと同じような箇所は一旦対岸に渡ったり山側にトンネルで通したりする線路付け替えによる改良工事が行われた。

その一方で、樺太を失ってローカル線になってしまった宗谷本線では改良工事が施されることはなかった。
今となっては、橋脚の洗堀や橋桁の腐食など、保線の手が抜けない厄介なポイントとなってしまった。

この天塩川を渡らない鉄橋は、問平陸橋(175m)、錦川橋梁(113m)、三笠川橋梁(40m)と3箇所続く。

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 問平陸橋(奥)と錦川橋梁(手前)。

糠南と雄信内の間にあったのが上雄信内駅跡
こちらは秘境駅ブームを待たずして2001年に廃止されている。
上雄信内駅といえば駅までの道が無い駅として知られていた。

90年代の初め頃、稚内発朝6時台の普通列車に乗っていると、上雄信内から通学の女子高生が1人乗ってきたのを覚えている。
道はないけど、一面に広がる牧草地の中を歩いて毎日駅へ向かっていたのだろう。

あれから20年。
元々板張りのホームと簡素な待合所しかなかったため、撤去されて久しい今は駅跡を思わせるものは何もない。
こんなところにも駅があって、毎日の利用者がいたんだなあ。
自然の厳しさと、農業に生きることの厳しさを思わせる。

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 上雄信内駅跡(多分このあたり)。

今度は宗谷本線唯一のトンネルである下平トンネル

ずっと天塩川に寄り添って、トンネルも通さず橋で川を渡ることもせず、ひたすら山裾を回ってきた宗谷本線だが、ここへ来て山側に迂回してトンネルに入る。

もともとここはさっきの問平陸橋と同様に下平陸橋で通していたところ。
天塩川が湾曲して激流がぶつかる箇所のため災害が多かった。

そこへ雪崩が起こり、橋脚全てが天塩川に転落する事故があり、その後も再び雪崩事故が発生したために、1965年に山側のトンネルによる新線に切り替えられた。

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 宗谷本線唯一のトンネル、下平トンネル(1256m)に入る。

下平トンネルを抜けると雄信内駅

古い木造駅舎と列車交換設備が残る。
駅前には人家が1軒あるだけということからか、ここも秘境駅の1つとなっている。

雄信内の町は駅から2km離れた天塩川の対岸の天塩町にあって、あちらは『おのぶない』と読む。
昔は駅前も市街地となっていたようだが、だいぶ前から限界集落化している。

私が2003年にこの駅に降りた時は、駅前の道道沿いに廃墟が並び、崩れて露わになった家の中は、住人が忽然と消えたと思わせるほど生活感が残っていたのに驚いた。
あの当時はこの駅から天塩中川方面へ通学する高校生の姿が数人あったものだが、通学生もいなくなってからは乗車人員0人が続いていた。

糠南駅などと同時に廃止対象となり、住民からも使わないから残さなくていいと突き放されるも、秘境駅という理由から幌延町の維持管理に移行することで存続が決定した駅。
ある意味、悪運の強い駅でもある。

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 秘境駅として名が知れ渡った雄信内駅。

雄信内で天塩川の谷は開け、ここからは天塩平野となる。
かつては安牛、南幌延、上幌延と3駅あったが、今は南幌延だけになった。
晴れていれば地平線の彼方に利尻富士が見え始めるのもこのあたり。
さすがにこの曇り空じゃ・・・と思っていたら、裾野のほんの一部だけ姿を現していた。

「まもなく幌延です」
幌延が近くなると運転手はマイクを取って放送を始めた。

「先行の普通列車が雄信内駅で車両不具合のため幌延駅に停車中です」
「そのためこの列車は幌延〜稚内間は運休とさせていただきます」

なんだってー!

「幌延より先に行かれるお客様は後続の特急列車へのご案内となります」

列車は幌延駅の1番ホームへと到着する。
隣の2番ホームは車両不具合だという先行列車が停車中だった。

とにかく幌延駅で降ろされる。
いま乗ってきた車両は、自走できなくなった先行列車を連結して名寄に回送するとのこと。

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 幌延駅の立派な駅舎は、かつて羽幌線が分岐していた名残り。

幌延駅か。
前回この駅で降りたのは2003年だったから19年ぶりということになる。
その後は車で来たことはあるが、それでも10年ぶりにはなる。
札幌から稚内まで行くときは、天塩から道道稚内天塩線の日本海沿いを行くので、幌延に寄ることはまずない。

後続の特急と簡単に言うが、幌延駅で1時間以上も待たされることになる。
それに途中駅で降りる人はどうするんだろ。
途中駅の利用者なんていないと踏んでのことか。
特急が途中の無人駅で臨時停車するとも思えないから、駅側の判断でタクシー代行にでもするんだろうか。

しかし先行列車が運休になると後続のこちらまで運休になるとはどうなってるんだか。
私は早く着いても逆に困るくらいなので、1時間くらい遅く着く分には別に構わないけど。

待合室に居てもつまらないし、かといって行くところも無いし、駅舎の脇から車両の連結作業を眺めていた。

お、不具合の先行列車は上に赤線が入る急行仕様だね。
かつての急行『礼文』で使用されていた車両。
幌延駅に常駐してるのか、どっかから出張してきたのかは知らないが連結作業員が旗を振って誘導する。

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 車両不具合の527号の先頭に幌延打切りとなった501号を連結する。

キハ54が登場したのが1986年11月、国鉄最後のダイヤ改正だった。
道内の国鉄では初のピカピカのステンレス車体を見た時、北海道の鉄道もいよいよ新時代がやってきたことを思ったものだ。
2台エンジン500馬力は、両運転台の一般形気動車としては今でも最強パワーを誇る。

あれから30余年。
ステンレスの外見こそ古さは感じないが、製造経費を抑えるため中古車両からの部品を多用した車内は、老朽化を隠せなくなってきた。

今までキハ54形の牙城だった路線にも、H100形気動車導入で余剰になったキハ150形が進出し始めている。
2台エンジンという燃費の悪さ、ローカル線の普通列車のみの運用では必ずしも高加減速を必要としないこともあり、キハ54形は今後急速に活躍の場は減ってゆくだろう。
もしかしたらキハ40形よりも、キハ54形が淘汰されるのが早いのかもしれない。

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 2両になって名寄に回送する。何となく往年の急行『礼文』を思い出す姿。

さっき1番ホームに着いた列車が旭川方に引上げて2番ホームの先行列車に連結。
堂々としたキハ54の2両編成を見ると、急行『礼文』の復活だ。ヘッドマークを付けて走らせてみたい。

2両の急行礼文・・・じゃなかった回送列車は11時11分に名寄に向けて回送して行った。
このダイヤは雄信内で下り『宗谷』と交換だな。
雄信内でカメラを構えていた撮り鉄さんがいたら、サプライズの交換風景に驚いているだろうね。

ただそのあおりを食ってか、駅員は特急『宗谷』は8分遅れで運転中ですと伝えた。

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 待合室のストーブはまだ火が入っていた。

いつの間にか張り出された運休のお知らせを見ると、3本の運休列車が表示してあった。
しかも『代替の運転はございません』と冷たい対応。
3本とはいえ、1日3往復しかない普通列車のうちの3本。
今日の普通列車は稚内19時49着の4331Dだけ除いて全滅と言うことになる。

ひどい話だが、動けなくなった車両をけん引して今日中に名寄に戻らないと、明日の車両繰りもおかしくなってしまうからだろう。
それにしても、GW中とはいえ今日は一応平日なのだが、通学生とかどうするんだろ。


 ◆ 幌延 11:46【宗谷】稚内 12:40

11時50分に8分遅れの特急『宗谷』の改札が始まる。
自由席は先頭の増1号車と後ろの1号車との案内に、今日はラベンダー編成の日だと気づく。

幌延から『宗谷』の客となるのは、運休となった4323Dからの乗客と幌延から稚内へ行く地元客2人。
みんな増1号車のほうに並んでるけど、あっちはラウンジカーだから席は空いてないよ。
私1人だけが後ろの1号車の位置で待つ。

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 今日の下り宗谷号は『ラベンダー編成』だった。

『宗谷』はやはりラベンダー編成でやってきた。
今までの経験からすると、このあたりまで来れば自由席などガラガラだ。

と思って乗り込んだら、ゲッ混んでやがる。
パッと見の乗車率にして7割くらい。
指定席も似たようなものだった。

デッキはだれもいないので、仕方ない稚内までデッキで過ごすことに。
稚内まで各駅停車でのんびり行くはずだったのが、とんだことになってしまった。

乗降ドアの小さな窓からサロベツ原野を眺めていたら、利尻富士が裾野だけ見え隠れしていた。

1つ手前の南稚内から車内清掃員が乗り込んできて、ごみの回収を始める。
この列車の遅れはさらに増して12分遅れ。稚内で折り返して上り『サロベツ4号』となるこの列車の折り返し時間は定時運転でもわずか21分。
時間を稼ぐために、こうして終点に着く前から作業を始めていた。

終点稚内到着。
ホームは下車客があふれる。
こんなに大盛況の稚内駅を見るのは、今の新しい駅になってから初めてのような気がする。
地元客はほとんど南稚内で降りるから、下車客の大半は観光客ということになる。

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 札幌から5時間10分、最北端の終着駅稚内に到着。

ようやく着いた最北端の駅。駅名標や看板を撮影する人が多い。
閑散としている稚内駅しか知らない私からすると、大盛況だなあ。まだまだ鉄道も捨てたもんじゃないなあと思える光景だった。

そんな光景をよそに気を揉むのは乗務員と車内清掃員だろう。
発車時刻まで10分を切っているのだが、まだ車内の乗客も降ろし切っていないのだから。

ホームの大混雑に驚いて改札を出るとさらに驚いた。
改札口を先頭に乗車客の大行列。コンコースを通り越して土産物屋のあるあたりまで続いていた。

あれだけの大混雑なのだからだいぶ遅れて発車するのかと思いきや、わずか4分遅れの13時05分に『サロベツ4号』は発車して行った。

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 2階の展望デッキからラベンダー編成のサロベツ4号を見送る。


 ◆ 稚内公園へ

今日は南稚内駅前のホテルを予約してあるが、終点の稚内まで来たのは観光でもしようかと思っていたから。
ホテルのチェックインが14時からなので、それまで時間をつぶしていなければならない。

駅から国道側へ出ると、また大行列ができている。
何かと思ったら、宗谷岬行きのバス乗り場だった。

今日はどこもかしこも凄いことになっている。
稚内で何かあったんですか?と聞きたいほどだ。

坂道を登って稚内公園へ向かう。
天塩中川あたりでは雨脚が見えるほどの雨が降っていたが、稚内では雨は降らなかったのか路面は乾いている。
いつしか青空が見えるようになってきた。
歩いているうちに日が差してくる。暑い。坂道を登っていたら汗が噴き出してきた。

稚内といえば何と言っても『氷雪の門』。
札幌にある同名のカニ専門店を連想してしまいがちだが、本物は稚内公園に建立された本郷新の彫刻による樺太慰霊碑。

人々はこの地から樺太に渡り樺太からここに帰った
の碑文は泣かせる。

侵略するソ連軍から追われて、人々は命からがらこの稚内に逃げてきたのだった。
そして追われた故郷に再び帰る日はこなかった。

稚内に来たならばこの碑に来て、戦火に追われて無念のうちに故郷を追われた人々に思いを馳せ、また樺太の地で無念の思いで亡くなった多くの人たちの霊を慰めるべく手を合わせたいものだ。

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 宗谷海峡と氷雪の門。

氷雪の門に並んであるのが『九人の乙女の碑』。

1945年8月20日、ポツダム宣言受諾後にも関わらずソ連軍は樺太の真岡(まおか)に上陸してきた。
残留日本軍が応戦し戦火が広がり砲弾が炸裂する町。
真岡郵便局の電話交換手は刻々と迫る身の危険の中、交換台を命を捨てる場所と覚悟した彼女らは最後まで交換台に残り、

皆さんこれが最後です。さようなら、さようなら

この言葉を最後に青酸カリを飲んで自らの命を散らした。

これはその9人の慰霊碑。
昭和天皇が戦後に稚内を行幸された際、この話を聞いて涙をぬぐわれたそうだ。

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 昭和天皇も涙されたという九人の乙女の碑。

空気が澄んでいればここから樺太の島影が見える。
今でこそ行き来できるようになったサハリンだが、この2つの碑が建てられた当時は遠く帰って来ない望郷の地だった。

ソ連の一方的な侵略。
日本ではもうはるか昔に霞んだ出来事だ。
しかし今この21世紀、ロシア軍が再び同じことを始めて、彼の地では侵略戦争が現在進行形で起こっていることを忘れてはならない。

何だか熱く語ってしまいましたね。

さすがに稚内公園まで来ると人は少ない。歩いて登ってくる人はさらに少ない。
近くに駐車場と売店があるけど閑散としている。
その車の人たちは、なぜか年寄りが目立つ。

そういえばさっき乗ってきた特急の車内は若い人が多かったな。
年寄りなんて見かけなかった。
特急の車内が若い人ばかりで、車で旅行しているのが年寄りばかりというのは不思議な現象だね。

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 稚内公園から北防波堤ドームを見下ろす。

とにかく天気になって良かった。
宿にいるときや列車で移動中は雨に降られたが、こうして外に出ている間は不思議と雨雲が引っ込む。

見たか晴れ男の実力。

稚内公園からまた下ってきて稚内駅に戻る。
稚内駅前からバスで南稚内に移動する。


 ◆ 稚内グランドホテルとわっかない応援クーポン

稚内は南北に細長い街で、そのせいか昔から市内のバスの本数が多い。
ここから南稚内に向かうにも、1時間に4本以上ものバスが毎時出ている。
南駅前でバスを降りて、予約してある稚内グランドホテルに向かった。

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 今夜の宿は稚内グランドホテル。

今は稚内もリゾートホテルやチェーンホテルが目立つようになったけど、昔はこのグランドホテルと稚内駅前で今は廃墟ビルになっているサンホテルくらいしかなかった。
90年代中頃かな、天然温泉が出たって話題になったこともあった。
そんなホテルだが、泊まるのは初めて。

グランドホテルとは言っても札幌にある老舗高級ホテルとは程遠く、部屋はリニューアルされているけど広さは昭和時代のビジネスホテルのそれ。
1泊素泊まりで11,100円
さすがGWの強気価格。

だけど、まともなホテルならばこれでも安い方でね。
今回の宿泊プランは
さいほく春々旅(1名につき現地で3000円割引+3000円わっかない応援クーポン付)
というもの。

稚内市の補助によって、宿泊代が6千円以上のプランならば3千円引きになり、さらに『やど得』として市内で使える3千円分のクーポン券がもらえるというもの。
どうみん割がGW期間中はお休みで、ホテルはどこも強気のぼったくり価格になる中、なかなかお得に使えるプランだ。
これを見つけたので稚内行きを決めたというのもある。

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 リニューアルされているが広さは昭和のビジネスホテル。

宿代は高いけど、この『やど得』の3千円引+3千円分クーポンで実質6千円引きで泊れることになる。
だけどこれだけじゃないのよ。

行きか帰りに名寄〜稚内間を鉄道利用したことが分かるもの(乗車券とか特急券とか)をチェックイン時にフロントで提示すると『てつ得』としてさらに3千円分のクーポンが追加で貰えるんですねえ。
手に入れたクーポン券は合わせて6千円分
いや〜稚内市さん太っ腹。

だから今日のホテル代は実質9千円引きということになる。

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 『やど得』と『てつ得』、わっかない応援クーポン2セット6千円分。

とはいえ、クーポンは買い物用と飲食店用、それに交通機関やレンタカー用がそれぞれ千円分なので、事前に考えて使う必要がある。
あと指定された店でしか通用しないので注意が必要。

チェックインして部屋に荷物を置いてから南稚内駅周辺をしばらく散歩する。
ホテル裏の通り(ていうかこっちが表通りだが)の飲み屋街は『オレンジ通り』と呼ばれている。

コロナのせいなのか元から寂れたのかはわからないが、もう夕方なのに生気がない。
飲食店用の『食べて飲んで応援クーポン』2千円分は今夜どこかの店で使うことになるが、これはという店は見つからなかった。
頼みの綱、つぼ八は月曜定休の張り紙が・・・

セイコーマートでビールとつまみ、それに明日の朝食の買い物をする。
お会計は938円
何と言うこと、千円分クーポンを使い損ねたわい。
まあいいや、買い物で2千円分なんてすぐ使い切るさ。

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 南稚内駅前のオレンジ通りは閑散と・・・

ホテルに戻って大浴場の温泉に浸かってきたら、もう外へ出る気がしなくなった。
1階にレストランがあるので、そこで食事にしよう。
風呂上がりでビールも飲みたいし。

1階にあるレストラン泉の入口に『ビールセット1,050円』というのを見つけたので、とりあえずこれにした。

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 レストラン泉のビールセット(1,050円)

あ〜風呂上がりのビールは格別だねえ。
やっぱり宿は民間のがいいね。役所温泉は味気なくていけない。

真ん中のテーブルは団体さんでも来るのか、卓上コンロやカニフォークなんかが設えてある。
やけに空いていると思ったら、まだ5時過ぎだった。

後ろでは家族連れが早い夕食中。
「デザートはあとで部屋にお持ちしましょうか」とか店員とのやり取りが聞こえてくる。
どうやら食後にノシャップ岬に夕日を見に行くんだとか。
今日の稚内の日没は18時40分。夕食後でも十分間に合う。

続いてビールのお代わりと、チャーメンを注文する。
チャーメンは稚内のご当地グルメなのだとか。
謳い文句は『稚内人のソウルフード』

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 〆めは稚内人のソウルフードらしいチャーメン(930円)で。

チャーメンとは要はあんかけ焼きそば。
稚内のは油で炒めた中華麺に塩味ベースのあんかけをたっぷりかけたもの。
具材はエビ、イカ、豚肉、白菜、うずらの卵など。

そういや昔稚内にいたとき、こんなものをよく食べてたと思い出す。
これがチャーメンなんて意識していないし、あの当時はご当地グルメなんて言葉もなかった。
懐かしいね。
具材のエビが大きくてプリプリなのには感動した。

すっかりいい気分になってお会計。
2,670円のところクーポン2枚使用で670円。
これだけ飲んで食って670円ですよ。

皆さんもぜひ鉄道で稚内へ行きましょう。

部屋に戻って、セイコーマートで買ったビールで二次会。
あまり眺めの良い部屋ではないが、外は町並みが夕日に照らされてきれいだった。
この分じゃノシャップ岬の夕日も見ることができるんじゃなかろうか。
既に酔っ払らいの私は、今日はもうどこへも行きませんけど。

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 18時過ぎ、部屋の窓から見る町は夕日に照らされていた。

明日は『乗って応援クーポン』2千円分を使うべくバスで宗谷岬まで行く予定にしている。
晴れるといいな。
天気予報を見ると、明日こそ雨じゃと言わんばかりに宗谷地方は雨マークだった。

でも、昨日も今日も雨予報の中、雨にあたっていない。
だから明日も雨にはあたんないんじゃない?

天気予報の雨マークよりも、妙な自信の方が強かった。

5月2日の旅費
品目場所金額(円)備考
宗谷バス稚内〜南駅210 
宿泊費稚内グランドホテル8,1003,000円引
部屋での食費セイコーマート938 
夕食代レストラン泉6702,000円引
5/2 合計9,918 


posted by pupupukaya at 22/05/08 | Comment(0) | 道北の旅行記

春の深名線と宗谷本線の旅行記1

2022年もゴールデンウイークがやって来ました。
今年は5/1と5/6が平日になるが、そこを休暇にすれば10連休。
うちの会社はその平日が計画有給という名の強制休暇となってしまったので10連休となります。

だいたい大型連休なんてね、飛行機やホテルは高くなるし、どこ行ったって混んでるし、乗り物だって混んでるし腹の立つことばっかりだとわかっているので、どこへも行かないことが多い。
さらに去年と一昨年はコロナの緊急事態やまん延防止と重なってしまい、ますます家に引き籠っていたものです。

今年は3年ぶりに行動制限がない平時のゴールデンウイーク。で、しかも10連休ともなれば、私でなくともどこかへ行きたくなるでしょうね。

そこで便利なのが『HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス』。
(以下6日間パスと略します)
今年1月の旅行でも使用した道内のJRが6日間乗り放題となるきっぷです。
GW中の旅行は気が進みませんが、1万2千円の格安で旅行ができると考えれば儲けものとも言えます。
このきっぷで道内旅行をすることに決めました。

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 また買いました、HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス。

1月の旅行は、前半は道東方面へ、一旦自宅へ戻り、後半は道南方面へと分けて旅行しましたが、今回も前半と後半に分けて使うことにしました。
色々検討した結果、前半は道北方面へ、後半は道南方面としました。
というわけで、こちらは前半の道北方面の旅行記となります。

 【大まかな行程
 5/1、札幌から深名線経由で北上し、天塩川温泉で1泊。
 5/2、普通列車北上し、稚内で1泊。
 5/3、稚内から特急で札幌へ戻って来る。

雪解けを迎えたばかりの道北のローカル線巡りということになります。
そこで見たもの、感じたことを綴ってゆきます。

では旅行記スタート ↓ ↓ ↓ ↓


 ◆ 札幌 9:30 【カムイ9号】深川 10:35

道北方面、稚内を目指してスタートするのだが、ただ真っすぐ行って帰ってきてもつまらない。
旭川から稚内までの鉄路は延々250kmもの一本道。ただの単純往復となってしまう。
網走や釧路ならば釧網本線経由で周回してこられるが、それは1月にも去年の7月にも行っているしね。

と思っていたら、6日間パス別紙のご案内に『JR北海道バスが乗降自由』の記載があった。
『JR北海道バス』とはジェイ・アール北海道バスのこと。

JRバスなんて札幌市内と近郊路線だけでしょ、道北に路線なんて・・・
と思ったら、あるんですね。
かつて深川から朱鞠内を経由して名寄を結んでいた深名線という鉄道路線があった。
1995年に廃止された旧深名線だが、その代替交通機関としてジェイ・アール北海道バス(以下JRバスと略します)が引き継いで運行している。

この深名線バスに乗り、昔乗った旧深名線を思い出しながら、また鉄道の廃線跡を辿ってみようというわけだ。
それに、こんな6日間パスでもなければ絶対に乗ることなどなかっただろう。

ということで、深名線バスに乗るべく特急『カムイ9号』で深川に向かいます。

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 土休日運転のカムイ9号はuシートで出発。

6日間周遊パスは指定席が4回まで利用できる。
『カムイ9号』はその第1回目。
このあとの『ライラック11号』でも十分間に合うのだが、uシートに乗りたいがために1本前のカムイとしたのだった。

札幌〜旭川間の特急といえば『カムイ』(前はスーパーカムイ)という思い込みだったが、いつの間にか『ライラック』の方が主流になっている。ライラックの指定席は自由席と同じタイプだが、カムイの指定席は快速エアポートのuシートと同じで、自由席よりも若干ゆったりと過ごせる。

この『カムイ9号』は土日祝だけ運転の臨時列車扱いの列車。
指定席などガラガラかと思いきや、一番混んでいるのが指定席で、自由席の方は反対にガラガラ。あっちの方が快適そうだった。
それはともかく、久しぶりの鉄旅なので駅弁と日本酒で前祝といこう。

札幌駅西口の四季彩館で『海鮮えぞ賞味』(1080円)と『純米酒金滴』(262円)のカップを買っておいた。
四季彩館で買って会計時に6日間パスを見せると10%引きになる特典があるので、合計1,362円のところ135円引きで1,207円に。
せっかくの特典なので積極的に活用したい。
お酒は10%引きでもスーパーの方が安かったりするので微妙なところだが・・・

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 “汽車”に乗ったらまずは駅弁と酒。今朝は海鮮えぞ賞味と純米酒金滴。

海鮮えぞ賞味は、蒸しウニ、いくら、カニがふんだんにちりばめられて、これで1,080円とは値打ちもの。
これに限らず、札幌駅の駅弁はかなり質が高いと毎回思う。
その割に道内各地の有名駅弁に押されて影の薄い存在なのは残念なところ。

しかしこれは日本酒にピッタリの駅弁ですね。朝から贅沢な気分に。
真ん中の北海道の形をしたのは昆布。柔らかく煮てあるのかと齧ってみたら固かった。
飾り物だったのかな・・・

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 深川駅で発車するカムイ9号を見送る。

駅弁と朝酒でひと眠りしたらまもなく深川に到着。
到着前の車掌の乗り換え案内放送は、留萌行きと深名線幌加内行きバスの案内があった。
JR化しばらくまでは廃止された路線でもバスの乗換案内があったと思うが、さすがに今は聞かなくなった。
今まで気にも留めなかったが、深川到着時は律義に深名線の案内放送を行っていたのだった。

指定席から降りたのは私1人だけだった。あとの人たちの行先は旭山動物園行きだろうか。


 ◆ 深川駅での乗り継ぎ

深名線バスの発車時刻までちょうど1時間ある。
4番ホームには11時10分発留萌行きが入線してきたので、しばらくはその列車の撮影や観察をして過ごすことにした。

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 深川駅で発車を待つ留萌行4925D。右はライラック11号。

留萌行きはキハ150の1両。ラベンダー帯の富良野線仕様。
前はキハ54形オンリーだったが、3月のダイヤ改正でH100形気動車が増備されてから運用が変わったようだ。

10:48にライラック18号、11:02に普通滝川行、11:05にライラック11号と列車が到着するたびに下車客が留萌行きに乗り込んで行く。
11時10分、車内は立ち客も乗せて留萌へ発車して行った。
留萌線の廃止は今のところ決定ではないものの、既に廃止が決定した根室線の富良野〜東鹿越間に続くことは間違いない。
名残乗車や試乗客が増えているのだろう。

留萌行きが発車したので待合室に戻ると妙にガランとしている。
かつてはキヨスクをはじめ立ち食いそば、駅弁屋の売店が軒を連ねていた待合室は今は何もなくなってしまった。
そのかわり待合室の奥に深川物産館があって、そこで土産物などを売っている。
ウロコダンゴはあったが、駅弁はもう売っていないようだ。
深川そばめし』というのがあったので1個買ってみる。

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 深川物産館に置いてあった『そばめし』(400円)。

深川駅前はどんよりと曇り空。外に出ると細かい雨粒が頬に当たるほどの弱い雨。
今日は夕方まで乗り物に乗りっぱなしの道中なので雨でも晴れでもあまり関係はないが、雨というのは気分が暗くなる。

久々の旅行とあって意気込んでは来たものの、今日から3日間の天気予報は雨マークが目立つ。
昨日までの2日間はいい天気だったのにね。

だけどあまり悲観はしていない。
今まで旅行先で雨に降られたことなんてなかったからだ。
いや、あったかな・・?
週間天気では雨予報でも、どういうわけか前日か当日になると晴れマークに変わることが多かった。

大丈夫だ、俺は晴れ男だ。必ず晴れる・・・

そんな妙な自信もあって、折り畳み傘すら忘れて出てきたのだった。


 ◆ 深川 11:35 【JRバス深名線】幌加内 12:48

の路線は札幌近郊路線以外では日高方面とこの深名線だけとなっている。北海道フリーパスや今回の6日間パス所持ならばフリー区間に含まれる数少ない路線だ。

駅前のバス停に立っていると、やはりご同業の方々が2〜3人集まってくる。
私とて彼らと同じだし、とやかく言う資格はない。

今のところ深名線バス廃止の話は聞かないし、少なくともさっき見た留萌線の乗客と違って、にわか名残乗車組ではないことは確かだ。
ま、名寄までの道中、仲良く行きましょう。

なかなかバスが来ないので休日運休?と疑いたくなるが、発車3分前くらいになってようやくバスが来た。
私はバスマニアではないのでバスの形式はよくわからないが、高床式の観光バスタイプのワンマンカー。
トイレ付きの28人乗り中型車といったところ。

ご同業の方々、私を含め4人だけの乗客を乗せて深川駅前を発車する。
車内放送は札幌市内を走るJRバスと同じなので、気分的には南幌か長沼あたりへ行くような・・・

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 深川駅前に停車中の深名線幌加内行き。

バスは道道旭川深川線を東に走り、左折して踏切を渡ると山の方へ入って行く。
道なりに行くわけでなく、交差点をあちこち左折したり右折したり。
旧駅跡に寄るために複雑なルートを取っている。

多度志からは国道275号線に入り、ここからは車で何度か通ったことがあるので、見どころは把握している。
旧深名線跡を見たければ、バスの席は断然右側。
最前列が良いのは言うまでもないが、今はコロナのために閉鎖中なのは残念。
クルマもいいけど、たまにはバスの旅だって悪くない。

275号線を北上すると、幌成鷹泊といった聞き覚えのあるバス停に懐かしい旧深名線時代を思い出す。
途中に鉄道跡と思しき築堤が続いたりするので、あれが深名線の廃線跡だとわかる。
車内から廃線跡を見つけると、カメラを向けてあれこれ撮りまくる。
クルマの運転中じゃこうはいかないからね。第一クルマじゃ昼から飲めないし (^^;

幌加内トンネルを抜けてしばらくすると右手に腕木式信号機と木造駅舎が見えてくる。
あれが沼牛駅舎で、地元の人たちの手によって修復され保存されているのだという。

このまま通り過ぎるのかと思ったら、国道から右折して駅の方の集落へと入って行き、旧駅舎の正面を通ってまた国道へ戻る。
駅名は沼牛だったが、駅近くのバス停は地名を取ったのか下幌加内だった。

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 保存されている沼牛駅の木造駅舎。

新成生(しんなりう)という懐かしい駅名をJRバスの放送で聞き、幌加内町の市街地へと入って行く。
12時44分、定刻よりも4分早く終点幌加内に着いた。ここで名寄行きバスに乗り換えることになる。

深名線のバスは幌加内で系統が分断されて、深川〜幌加内、幌加内〜名寄の2系統となっている。
鉄道時代は朱鞠内で系統が2分割されて恐ろしく接続も悪かったものだが、バスとなった今は接続は良好になっている。

幌加内のバス停は国道に面した幌加内町交流プラザの中にある、地下鉄駅のバスターミナル化と見紛うような立派なターミナルだった。

運転手に6日間パスを見せると、まじまじと眺めて「これどこで買ったんですか?」と聞かれた。
・・・どこで買ったっけ。
「あ、桑園駅で」
思い出した。桑園のイオンに買い物に行ったついでに桑園駅の券売機で買ったんだ。
『指定席発行開始済み』の印字と重なって見辛くなっているが、桑園駅の表示を見ると納得したらしく券を返してくれた。

この運転手は6日間パスを初めて見たのかな・・・

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 幌加内に到着。前に停車中は発車を待つ深川行きバス。

到着したすぐ前に同じ型のバスが停車している。
このバスが名寄行きかと思って行先を見たら『深川』となっていた。
12時47分発深川行だ。
名寄行きはこのあと入ってくるのだろうか。
発車までまだ10分以上時間があるので、あれこれ見てくる。


 ◆ 幌加内のバスターミナル

バスターミナルがあるこの建物は、2階に『旧JR深名線資料館』がある。しかし土日祝は休館って役所かよ(怒)
平日ならば1本早いバスで来て、資料館を見学するところだが、休みだとわかっていたので今のバスで来たわけだ。
バス待合室には幌加内そばの食堂があって、おそばのいい匂いが立ちこめている。
1本早いバスで来て、ここで幌加内そばを食べるのもアリだったかな。

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 バスターミナル併設の幌加内町交流プラザ。

ここからまた始まる2時間近くの乗車に備えて用足しを済ませてからからバス乗り場へ行く。
さっき深川から乗ってきたバスがそのまま名寄行きとなっていた。
そんなことではないだろうかと察していたので別に驚きはしないが、あえて別系統とするのなぜだろう。
直通だと運行距離が長すぎて冬季などダイヤが乱れた時に遅れを幌加内で食い止めるためなのだろうか。


 ◆ 幌加内 12:58 【JRバス深名線】名寄 14:45

とにかく、今度は名寄行きの客となる。
今度は進行右側の一番後ろの席に陣取った。
横はトイレらしき部屋があるが、トイレの表示も無いし、ドアもカギが掛かっているようで開かないので使用中止なのだろう。
この先トイレのある停留所といえば道の駅があるルオント前、トイレ付待合所のある朱鞠内くらい。
運転手に頼めば待っていてくれるのだろうが、バス側からは特にそうした案内はなかった。
こればかりは乗車前に済ましておくのがベストなようだ。

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 幌加内行きのバスが、ここから名寄駅前行きに変身する。

幌加内からの乗客は深川からの客4人と、新たに幌加内から加わった地元客らしい女性。
だから、普段の休日ならば乗客は0人か1人ということになる。文字通りの空気輸送

旧深名線が廃止となって早や27年。
私は鉄道時代の旧深名線に何回か乗ったことがあるので往時は知っている。午前中の深川行き、夕方の深川発の列車は地元の利用客で賑わっていたものだ。
車両は古びたキハ53形。乗客の話声がざわめきが聞こえるあの車内は、目をつぶると今でも鮮明に頭に浮かぶ。

しかし廃線後にクルマで通ると、よくこんなところに鉄道があったものだなあと思う。
当時とは沿線人口も学生数も自家用車を持たない人の数も違うだろうから単純比較はできないが、こんな除雪経費が半端ない豪雪地帯に今でも鉄道が残っていたら、JR北海道の経営をひどく圧迫していたに違いない。

早くにバス転換となったから鉄道と同系列のJR北海道バスの運営となったわけで、当時としてはひとまず一安心だっただろう。
しかし、今日の乗客数だけ見ていると、この深名線もこの先どうなるのかわからないことは想像がつく。
廃止された鉄道の代替バス路線の廃止すら耳にするようになった今、この深名線も例外というわけにはいくまい。

鉄道と違って、バスは話題にもならずひっそりと消えてゆく例が多い。
これが鉄道ならば、廃止が報道されれば話題にもなり、遠くから名残乗車客もやって来るようになる。
地方切り捨てや交通弱者ガーをもっともらしく叫ぶ、にわか鉄道廃止反対論者が現れるのもこの頃。

ここで一つだけ断っておきたいが、ひと口に鉄道が廃止になるといっても、それはあくまで『バス転換』であって、別に公共交通機関が廃止になるわけではない
この辺は混同しないようにしたいものだ。

一方で路線バスが廃止となると大変だ。
バスこそが地域交通の最後の砦で、これが廃止になると次は事前予約が必要なデマンドバスか乗り合いタクシーしかなくなってしまう。
しかも、それすらなくバッサリ切られてしまうことも多い。
実は、地域交通や交通弱者対策という面からすると、鉄道の廃止よりも路線バス廃止の方がより深刻ということになる。

だけど、もっともらしく『交通弱者』を叫ぶ鉄道廃止反対論者が、同じようにバス路線廃止反対を叫ぶのかというと、そういうわけでもないのは不思議なこと。

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 鉄オタ(自分含む)4人と地元客1人を乗せた定員28人のバス車内。

ローカル線議論はこれくらいにして、幌加内を発車したところで昼食にします。
深川物産館で買った『深川そばめし俵おにぎり』
油で揚げたそばの実をそばつゆと長ネギで味付けしたご飯に混ぜ込んだもの。それを食べやすいように海苔で巻いてある。
ひと口頬張ると、さっきバス待合所に漂っていたのと同じそばの香りが口いっぱいに広がる。

ビールに合うね。
さすがに持ってきてないし、路線バス車内でビールを飲むのもどうかと思うが、深川駅から特急列車に乗るならばビールのお供にしたい。
幌加内そばは食べられなかったが、こっちだってなかなか悪くない。

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 深川で買った『そばめし』で軽い昼食。

バスは国道275号線を旧深名線に沿って北上する。
このあたりの線路跡は整地されて農地に転用されたところが多く、バスの車窓からは判別が難しい。

右側に雨竜川を渡るトラス橋がはっきりと見えてくる。
これが第三雨竜川橋梁で今も保存されている深名線の遺構だ。
それを知ってか知らずか、他の3人のご同業は左側の車窓ばかり見ているようだった。

深名線バスで深川から乗り、深名線の遺構を追いかけたければ、断然進行右側がおすすめです。
それに雪が消えて葉っぱが茂る前のGW前後に限る。

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 保存されている旧深名線の第三雨竜川橋梁。

ルオント前は道の駅『森と湖の 里・ほろかない』の前で、道の駅に横付けした場所に停留所がある。せっかくだからここで5分くらい休憩停車があっても良さそうなものだが、乗降客が無ければそのまま通過する。

狭まった谷が再び開けると政和
政和駅舎も保存されているはずだ。数年前車で通ったときは、そば屋になっていたのを覚えている。
このあたりだと目を凝らしていると、あったのは倉庫みたいな建物。
『せいわ』と記した縦長の駅名標だけが残っていた。

政和では幌加内からの地元客が降りて行った。
ここからは鉄オタの貸し切り状態となる。

「次は添牛内」の放送に、旧駅舎が残っているはずだと左側の席の肩越しに目を凝らしてみたが見つけられなかった。
添牛内(そえうしない)ってのは国道を車で走っているとやたらと標識にこの文字を見る。
そもそも読み方すら覚束ないこの添牛内ってどこやねんと思うこの土地は、南北に走る国道275号線と東西に走る国道239号線が交わる国道の要衝ということになる。
といっても小さな集落があるだけだし、コンビニすらあるわけでなく、車で走っていてもただ通り過ぎるだけの場所だ。

ずっと広がっていたソバ畑も見えなくなり、だんだん山深くなって残雪も目立つようになる。
幌加内以来の市街地らしいところが朱鞠内。鉄道時代は朝の下り1本、夕方の上り1本以外の列車はここで折り返していた。
駅員もいて、窓口では乗車券も売っていたほどの駅だった。

三角屋根の駅舎は跡形もなく、時計塔のあるトイレ付きのバス待合所と、バス回転所のロータリーにある駅名標のモニュメントと線路の一部だけが駅跡であることを伝えている。

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 線路と駅名標のモニュメントが駅の跡。朱鞠内。

朱鞠内では乗降客はいないが停車してドアを開ける。
トイレ休憩でもあるのかと思ったが、すぐにまた発車した。

このまま275号線を行けば母子里への道となるが、バスは直進して蕗の台朱鞠内停車場線に入る。
バス側面の行先に『三股経由』とあったように、三股は旧深名線時代は湖畔駅があったところで人家もあるので。一旦三股まで行って朱鞠内へ戻って来る格好になる。

三股のバス回転場で引き返す。
三股は一応朱鞠内湖畔の最寄停留所だが、それを示す案内は見当たらなかった。

さっきのルオント前もそうだが、このバス路線はホームページを見ても実際に乗ってみても、観光客を特に意識しているわけではなさそうだ。
HP上の時刻表を見ると、一応6/1〜8/31の期間は2往復だけ1.5km先の湖畔まで延長されることになっている。湖畔には宿泊施設もあるが、不便なダイヤと高い運賃を払ってまでバスで来る人は相当物好きな人だろし、施設側だって積極的にバスで来てくださいとは言えないだろう。

また市街地に戻って来るが、今度は朱鞠内のバス停へは寄らずに市街地手前を左折して275号線に戻る。
この朱鞠内〜母子里間だけは旧鉄道ルートを取らず、国道を短絡するためだ。
鉄道時代は、朱鞠内湖の北側に蕗ノ台、白樺の2駅があったが、どちらも無人地帯であったこと、廃止時点で両駅は存在しなかったこと、この区間の道道が未舗装の狭隘区間となっているために当初からバスの運行ルートとはならなかった。

国道とて、ここから母子里までの約17kmは無人地帯。
たまに牧草地として開けたりもするが、人家は無いあたり路線の経営の厳しさを感じる。

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 幌加内行きとすれ違う。あちらは札幌市内のと同じブルーの車だった。

無人の山間部を延々と行く。こちらは法定速度、後ろから来た車が次々と追い越して行く。
本州ナンバーや『わ』ナンバーが目立つのは大型連休を思わせる。
あんまり無理しないようにと心配するも、このバスの後ろに付いたら誰でも追い越したくなるだろう。

ようやく人里まで来たと思えるところが母子里(もしり)。
1978年に日本国内で一番の最低気温、−41.2℃を記録した場所としても知られている。

鉄道時代は北母子里駅だった。根室本線の茂尻と読み方が同じために、こちらは『北』が付けられた。
バス停前には『北』が塞がれて『母子里』と書かれた鉄道時代の接近標識が今も道路に立っている。
駅跡はというと、国道を行くバスからは見えないが、近づいてもそこは携帯基地局のアンテナが立つだけの場所になっている。

国道275号線は北上して美深を目指すが、深名線バスは母子里から道道名寄遠別線へ入り名寄を目指す。
ここからはまた山越えとなる。

途中の名母トンネルは1992年の開通。
鉄道時代の旧深名線は朱鞠内〜名寄間、とりわけ北母子里〜名寄間の代替道路が未整備という理由で国鉄時代の廃止対象選定から免れた経緯を持つ。
この道道が開通して、通年通行が可能になると道路が未整備という鉄道存続の大義名分を失ってしまったことになった。
それだけが廃止の理由ではないだろうが、きっかけの1つではあるだろう。

憎っくき道路め、と思いたくなるが、地図を見ると母子里から名寄へは南回りの道道朱鞠内風連線があり、まったくバスでの代替不可能というわけでもなかった。
だからこの道路が無くとも、旧深名線の鉄道廃止は遅かれ早かれの問題だったと思われる。

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 名母トンネルを抜けてすぐの眺望。名寄盆地を見下ろす。

旧深名線からすれば憎むべき名母トンネルを抜けると右側に一瞬名寄盆地が広がる。
ずっと山道だったので、思わず歓声が出るほどの雄大な景色。

車内の同乗者は、なぜか知らんけどずっと左側ばかり見ている。たまには右側にも目をやれってんだ!
(何怒ってるんだ・・・)

ここから線形の悪い急勾配を名寄盆地に向かって下る。冬などドライバーは通るたびに寿命が縮む思いがするような道路だろう。
山を下って開けてくると、旧天塩弥生駅と西名寄駅に寄るためにバスは右折して町道へ。

バス停は鉄道時代と同じ天塩弥生が残る停留所が近づくとまた木造駅舎が見えてきた。
旧天塩弥生駅の駅舎を再利用したものに見えるが、駅舎は廃止後に解体されていて、旧駅舎を模して新築したもののようだ。
今は民宿として営業している。
腕木式信号機やハエタタキと呼ばれる電柱が、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を彷彿させる空間になっていて、こんな場所で一晩過ごすのも悪くないなと思う。

ところが、建物正面から見ると原色の小屋に某政党のポスターと幟がデカデカと。
何となく近寄りがたいものを感じるのは私だけか・・・

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 天塩弥生バス停前にある旧駅舎を模した民宿。

西名寄駅はライスセンター前と名前を変えている。
この辺りの廃線跡は整地されて水田となってしまって線路跡は判別できないほどになっている。
寂しいことだが、廃線跡をいつまでも不要の敷地として抱えているよりは、売却して他の用途に使ってもらった方がJR北海道としても有難いだろう。
ライスセンターの敷地内に立つ黄色の『西名寄』と書かれた接近標識だけが、ここに鉄道があったことを伝えていた。

天塩川を渡ると名寄の町に入る。深川以来の都会だ。
政和で地元客が降りて以来、結局乗客は1人も乗ってこなかった。
深川から乗り通した4人を乗せたバスは14時42分、終点名寄駅前に着いた。途中の停留所はことごとく通過した来た割には定刻より3分早いだけだった。

深川からの所要時間は3時間10分。
旧深名線時代の所要時間は最速で下り2時間41分、下り2時間58分だった。
バスよりも鉄道時代の方が若干早いようだった。


 ◆ 名寄 14:59 【4327D】天塩川温泉 15:55

名寄駅の接続時間は14分。
14時42分発旭川行き快速なよろ8号が行ったばかりの待合室は閑散としている。
待合室にキヨスクがあり、立ち食いそば兼用の駅弁売店があったのは昔の話。
特急が急行だったころ、名寄で必ず3〜5分の停車時間があり、停車中に売店に乗客が群がったことなど想像もつかないほど寒々としている。
駅近くにコンビニが無いわけじゃないが、僅かな乗り継ぎ時間では買い物は無理だろう。
飲料の自販機だけが営業中。

昔は町の人がキヨスクで買い物したり、立ち食いそばを食べに来たりと駅は町の一部だった。
よそ行きの格好で汽車を待つ待合室は、人々の社交の場だったりもした。
今は鉄道は現役だけど、駅だけが町から取り残されて閑散としてしまった感じがする。
名寄駅に限ったことじゃない、駅も鉄道も人々の意識から遠い場所になってしまった町が多い。

よく鉄道が廃止になると町が寂れると言う。
しかし、鉄道があっても駅や駅前は寂れるばかり。
とっくに車社会になって久しい、列車に乗る人しか用がない場所に成り下がった駅に、人々はそっぽを向いてしまった。
一方で、鉄道を廃止した町は駅跡に集客施設を作り、車で来る人たちがやってきてそれなりに賑やかになっているのはどうしたことだろう。

これが現実だ

鉄道がなければ町が発展しないというのは、マスコミや都会の人が作り上げた幻想でしかない。

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 木造駅舎が現役の名寄駅に到着。

前置きが長くなりましたが、名寄からは稚内行き普通列車の客となります。

ホームに停車中はキハ54の1両編成。
考えてみれば、宗谷北線の普通列車がワンマン化されキハ54形に統一されたのが1992年だから、あれからちょうど30年が経つんだね。
あの当時は今からすると信じられないくらい乗客がいたし、今は廃止されたり秘境駅と呼ばれる駅も通学生の乗降があったりしたものだ。

30年前は合理化したものの、このまま現状維持が続けば・・将来はまた上向くこともあるかも・・なんて希望的観測もあったんじゃなかろうか。
当時は団塊の世代が働き盛りの頃、第二次ベビーブームの団塊ジュニアが通学生の主力、ローカル線輸送は今を辛抱すれば何とかなるんじゃないかと誰もが思ったのだろう。
いや、ローカル線ばかりではなく、日本全体がまだ何とかなるんじゃないかと思っていた時代だった。

しかし政府や社会が当てにしていた第三次ベビーブームは訪れることは無く、少子高齢化、不況、過疎化が想像以上に進む。

現実はこの30年間容赦しなかった。
加えて車両や線路施設の老朽化、車両不足による特急の区間短縮、JR北海道の経営悪化、無料の高速道路の延伸、鉄道を取り巻く状況は悪くなるばかりである。

次の30年後、まだこの地に鉄路は残っているのだろうか。

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 稚内行き4327Dは宗谷北線標準のキハ54×1両。

名寄からの稚内行き4327Dの乗客は4人(自分含む)。
うち深名線バスからの乗り継ぎ3人という内訳で発車する。
皆稚内まで行くんだろうか。私は天塩川温泉で下車することになっている。

次の日進で明らかに地元客とは思えない乗客が1人あった。
1両分に満たない板張りのホーム、少し離れた場所にこじんまりとした古びた待合所。
秘境駅マニアでなくともちょっと見とれるような光景。

それにしてもこの乗客はどこから来たのだろう。名寄から歩いてきたのか。
まあ、他人様のことをあれこれ詮索するのはやめよう。自分だって威張れた身分ではないからね。

美深では上り特急『サロベツ3号』との交換待ちで4分停車。
ここで深名線から乗り継ぎ組の2人は下車した。
1人はサロベツ3号で折り返し、もう1人は美深までの本当の客だったのだろうか。

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 美深駅で特急サロベツ3号と交換待ち。

日進から乗ってきた客は恩根内で降りて行った。
ここの駅前からは名寄まで名士バスの路線バスが運行しているので、そちらを利用するのだろうか。

残ったのは2人だけ。
名寄からの人と私。ガラガラとは予想していたが、ここまで閑散としてしまうとは。

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 真ん中に大型テーブルがある集団見合い式リクライニングシート。

恩根内の次が豊清水駅だったが去年(2021年)3月に旅客営業が廃止されて信号場となっている。
前面の窓から見ると、駅舎は残っていたがホームは跡形もなく撤去されていた。

昔、下り急行『宗谷』に乗ると豊清水駅で急行『サロベツ』との交換待ちでの停車があった。
3〜4分停車するので、駅前にサイロのある牧場があるのが印象的だった。90年代前半の話である。
その後離農したのか空き家となり、通るたびに朽ち果てて行く姿を見ていて心が痛んだものだった。
豊清水を通るたびにそんなことを思い出す。

そうしているうちに天塩川温泉駅に到着。
下車客は私1人、乗る人も無し。
乗客1人だけになった列車はホームに私1人を残し、北へ向けて発車して行った。

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 板張りホームの天塩川温泉駅に到着。

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 1両編成だが、後ろ半分はホームにかからない。

鳥のさえずりだけが聞こえる静かな駅。
柵もない板張りの短いホーム。
国鉄時代の仮乗降場からの雰囲気を今に残す貴重な駅。
秘境駅マニアでなくとも悪くないと思えるそんな場所である。

駅近くに人家は見当たらず、秘境感を醸し出している。
しかし近くに人家が無いということはそれだけ利用者が少ないということでもあり、統計を見ると天塩川温泉駅の1日平均乗車人員は1名以下ということになっている(H28〜R5の5ヶ年平均:JR北海道全線区のご利用状況より)
令和2年度の定期券販売実績は0、要するに日常的な利用者はいないということだ。

当然JR北海道としてはこんな駅は廃止したいということになるわけで、駅を存続するなら自治体(音威子府村)で維持管理を行う、もしくは駅の廃止の選択をすることになった。
温泉客の利用が見込めるということからか、2021(令和3)年3月から、駅の維持管理はJRから音威子府村に移行されている。


 ◆ 住民保養センター 天塩川温泉

今日の宿は天塩川温泉を予約してある。
なぜここに泊ることにしたかというと、天塩川温泉駅があるからで、この駅があるからこそやって来た数少ない客の一人ということになる。
予約時にメッセージ欄にもその旨記載しておいたので、宿側も把握しているはず。

駅の存続に貢献してやっているので、少しは丁重に扱ってもらいたいものだ。

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 宿に向かう途中の止若内橋から見る天塩川。

駅から天塩川温泉までは歩いて10分もかからない距離。
静かな道と思いきや、意外と車が通る。
温泉で行き止まりの道だから、温泉客の車で間違いないだろう。

今にも雨が降りそうな暗い空の下を歩いて宿に向かう。
何とか雨に当たらずに済んだのはやれやれだ。

宿の前は駐車場になっている。基本徒歩で来ることは想定していないようで、駅から歩いて来て正面に着いたのだが、何となく裏口から入るような気分だった。

建物はいかにも公共の宿といった造り。
新築当時は瀟洒な建物だったのだろうが、箱物の公共工事で見るどこにでもある建物様式。
野中の一軒家のような場所だが、温泉は人気なようで駐車場は車が結構停まっているのは結構なことだ。

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 住民保養センター天塩川温泉。

フロントでチェックインしてキーを渡される。2階のシングル部屋。
この部屋で予約していたので文句を言う筋合いは無いのだが、安普請のビジネスホテル並みという感はぬぐえない。
しかし、この部屋で1泊2食付きで11,400円とは・・・
と思いかけるが、GWだし、今はどこも強気価格だし、それでも取れただけマシなのだろう。

そう思えば腹も立たん。

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 洋室シングルルーム。

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 天塩川温泉柄の浴衣。

落ち着いたら浴衣に着替えて大浴場へ。
混んでいるというほどではないが、それなりに入浴客はいる。
宿の浴衣を着て浴場に来ているのは私1人だけだった。
あとは日帰り入浴の人ばかりのようだ。

露天風呂へ行くと、上から雨粒が・・・
雨が降り出す前に宿に着いて良かった。

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 天塩川が見える露天風呂。(翌朝無人の時に撮影)

部屋に戻って雨模様で冴えない景色を眺める。
下の駐車場は結構車の出入りがある。日帰り入浴客は多そうだ。
車中泊組なのか道外ナンバーも見かけた。

しかし2階の客室フロアは静かだ。人の気配すら感じない。
もしかして泊り客は私1人だけ・・・と思いたくなるほど静まり返っている。

夕食は6時に頼んでおいたので、6時になって1階レストランへ行く。
結構お客さんがいた。といっても3卓ほど埋まっているだけだが。
恰好や食べているものから、どうやら日帰り入浴のお客らしい。

レストランの隅に宿泊者用のテーブルが用意してあって案内される。それがどういうわけか奥へ続く通路の真ん前という場所。
なんでこんなあずましくない場所をと言いたくなる。
窓側の席が空いているのだからそっちにセッティングすればいいものを。

まあいいや、料理に期待しましょ。
座ってしばらくするとお膳が運ばれてきた。
配膳スタッフは陶板焼きのコンロに火をつけた。
ここで生ビールを注文する。

持ってきたビールはジョッキではなかったが、泡が無く並々と注がれていた。
「泡無しでサービスしときましたから」
量が増えるのはありがたいが。

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 天塩川温泉の夕食。

風呂上がりのビールはやっぱり旨い。
お膳のメインは天ぷらと刺身。
ガラスの器に入った黒い音威子府そばが唯一の名物といったところ。

そのメインはというと、エビとタコとサーモンの刺身に、エビとシシトウとシイタケの天ぷら。
そこらのスーパーで揃うものに手を加えたものばかりという印象。

何となく役所の職員食堂を思わせた。
場末の旅館の夕食だってもうちょっと心がこもっているよと思う。

飯と吸い物は、食ったらすぐに出て行けと言わんばかりに最初から据えてある。
ビールをチビチビやっていたら冷めてしまうね。

唯一の期待は陶板焼き。
焼く前に蓋を開けてみたら肉だったのでジンギスカンかなと思ったがただの豚肉だった。

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 コンロは豚肉の陶板焼き。

この夕食とあの部屋で1泊1万円以上かよ。
文句の1つも言いたくなったが、こちとら声張り上げてスタッフにクレームを叫ぶほど老化しちゃいねえ。

きっと連泊しても同じ夕食なんだろうな。
毎日毎日判で押したような夕食なんだろうな。
そりゃお役所だからハンコが好きなんだろうな。

宿泊客の夕食なんて見た目だけ整えておけと村議会で決まったのだろうか。
こんな田舎の公共施設に期待をするだけ野暮ってもんだ。
せめてビールだけは並々注いでやろうと、できる限りのサービスをと思った配膳スタッフの意思を汲み取ってやろう。

そう思えば腹も立たん。

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 黒い音威子府そばが唯一音威子府らしい一品。

そういえば音威子府そばの畠山製麺が7月で廃業するんだと思い出した。
名物の黒いそばも食べおさめなんだなと、伸びたそばを食べながらしみじみ思った。

レストランは地元の人の利用ばかりのようだ。
きっと家族で車で来て日帰り入浴を楽しんだあと、このレストランで食事して家に帰るんだろう。
村内で娯楽といえば温泉くらいだろうし、家族で外で食事するところもここくらいしかなさそうだし。

この施設の正式名称は『住民保養センター』だからねえ。
あくまで村民の保養がメインで、宿の方は温泉施設のついでにやっているだけなのかも知れない。

5月1日の旅費
品目場所金額(円)備考
駅弁と酒札幌駅四季彩館1,20710%引
そばめし深川物産館400 
お茶深川駅自販140 
宿泊代天塩川温泉11,400翌日支払
入湯税150
生ビール570
5/1 合計13,867 

 〜2へつづく    

つづきを読む
posted by pupupukaya at 22/05/07 | Comment(1) | 道北の旅行記

2022年 HOKKAIDO LOVE!旅行記 留萌編

拝啓、皆様おはようございます。

今日1月10日は成人の日の祝日。
HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パスの5日目になります。

明日から仕事なので、周遊パスも実質今日が最後。
昨日までの4日間で十分にモトを取っているが、もったいないので今日1日は日帰りで往復してくることにしていた。

当初行先は稚内にしようかと思っていた。
札幌7:30発の『宗谷』で出発すれば帰りは『サロベツ』『ライラック』乗り継ぎで18:25には札幌に戻って来られる。
しかし、えきねっとで指定席を検索したら、『宗谷』も混んでいるようだった。

また、稚内まで行って天候不順に遭遇したら帰ってこられないことも考えられる。
それに、稚内へは一昨年の暮れに『はまなす編成』で往復しているので稚内行きはやめることにした。


代わりに行先としたのが留萌
留萌本線の深川〜留萌間を最後に乗ったのは2015年だった。
こんなフリーきっぷの余りでもなければ、今後も乗る機会もないだろう。
せっかくなので、留萌駅にある立ち食いそばで、名物にしんそばも食べてくることにした。


 ◆ 札幌 9:30 → 深川 10:35【カムイ9号】

みどりの窓口で『カムイ9号』の指定券を発行してもらって改札口へ。
一昨日1回分キャンセルしているので、これで4回使い切ったことになる。

改札口の表示板に、『北斗8号の編成と座席の変更について』と表示が出ていた。
内容は使用する車両の変更により、一部で号車と座席の変更があるということだった。
今日の行程と関係ないが、ちょっと8番ホームに寄ってみる。

DSCN1189.JPG
 昨日の車両不具合で281系の代走となった北斗8号。

昨日函館駅で『北斗10号』の車両不具合で運行できなくなったために、折り返し列車は代わりの編成を充てたということがあって、その影響で車両運用が変更になったのだろう。

北斗10号の8番ホームへ行ってみると、先頭がブルーの281系車両が停車していた。
本来は261系編成のはずが、今日は281系による代走というわけだ。

昨日函館駅ホームで、長いこと車両基地の奥で雨ざらしになっていた281系車両の留置線に機関車が入って何やら入替作業を行っていたのを見たが、まさかあの車両を代走に引き出していたのか。
そこまではわからないけど、とにかく281系『北斗10号』と789系『カムイ』の、今では珍しい並びを見ることができた。

DSCN1204.JPG
 281系代走の北斗8号(左)と789系カムイ9号(右)。

『カムイ』の車両に乗るのも随分と久しぶりな気がする。
2007年に颯爽とデビューして、札幌〜旭川間の特急を『スーパーカムイ』に統一。また全列車指定席はuシートと毎時00・30分発車が売りだった。
それがダイヤ改正の度に本数が減らされ、津軽海峡線の『スーパー白鳥』で使われていた車両が『ライラック』として転用してくると『スーパー』の冠もなくなり、だんだん影の薄い存在になってしまった。

旭川特急といえば『カムイ』と思い込んでいたが、考えたら旭川に行く際に乗ったのは『ライラック』ばかりだった気がする。
試しに時刻表で毎日運転の列車だけ本数を数えてみた。

『カムイ』は8本『ライラック』は14本
2007年に追放したはずの『ライラック』が、またいつの間にか主役の座に返り咲いていた。

本数も毎時2本だったのが基本1本に減らされ、ダイヤと列車名だけ見ていたら国鉄時代に戻ってしまったかのようだ。

少数派になってしまった『カムイ』のいいところは指定席がuシートということ。
普通指定席よりも若干前後の間隔が広く、座席にはコンセントもある。

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 カムイ号の指定席はuシート。

9:30発の『カムイ9号』は土曜と休日のみ運転の臨時列車という扱いになっているので、指定席などガラガラと思っていたが意外と乗客は乗っていた。それでも空席の方が多い。

岩見沢までは晴れていたが、美唄を過ぎたあたりから雪が降り始め、次第に吹雪いてきて視界が悪くなってきた。

「降雪による視界不良のため減速して運転しております」
「滝川には3分遅れで到着します」
とのアナウンスも流れてくる。

年明けから大雪の日が続いてJRも遅れや運休が相次いでいるが、特に留萌線はすぐに止まってしまい、終日運休なんてことも多い。
今日は大丈夫なんだろうかと思うほどの吹雪だったが、深川まで来るとまた青空となった。
途中視界不良の減速なんかがあって深川着は5分遅れの10時40分。

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 留萌本線起点の深川駅。 

留萌本線11:10発留萌行きに乗るには札幌10:00発の『ライラック11号』でも間に合うが、それだと深川駅で慌ただしい乗り継ぎとなるので1本前の列車で来たわけだ。
おかげで改札を出て、駅の内外を見てくる余裕があった。

深川駅はかつては奥にキヨスクがあり、改札の向かいに立ち食いそば屋があったものだが、今は全部撤去されてガランとしてしまった。
隣は深川物産館があって土産物や弁当を売っているが、新型コロナ対策のためしばらく休業の張り紙がしてあった。


 ◆ 深川 11:10 → 留萌 12:07【4925D】

さっき着いたときはホームから外れた場所で休んでいた車両が4番ホームに入線したのでホームへと向かう。

DSCN1337.JPG
 4番ホーム停車中の留萌行き4925D。

特急から乗り継ぐ人も次のライラックからだろうし、まだほかに乗客などいないだろうと車内に入ると、どこから現れたのか、すでに先客が数人乗っている。
全員が鉄ちゃん、いわゆる同業者と見受けられた。

留萌行きの車両はキハ54 505。
車内中央が転換クロスシート5列、あとはロングシートという通学向けのレイアウト。
他の路線の車両よりもロングシート部分が多いのは、過去に秩父別駅で起きた通学列車積み残し事件が発端だろう。

まだ空いているクロスシートに腰かけるが、眺めも悪いし、ここじゃつまらないなあ。
ロングシートの1番前に席を移した。

11時08分に3分遅れの『ライラック11号』が向かいの3番ホームに到着すると数人がこちらに乗り移った。
同業者さんもいれば、旅行中とか帰省といった感じの人も混じっている。
車内は総勢15人くらい。

DSCN1347.JPG
 キハ54 505はロングシートが増設された留萌線仕様。

11時10分、深川駅を発車。
運転士ノッチを入れる。エンジンが唸る。動かない。
どうも雪の抵抗で空転してる様子。
そこは2エンジンの強力型キハ54、エンジンを吹かしているうちに少しずつ動き出した。

函館本線と別れて北一已へ向かうあたりから吹雪いてきた。
デッキから前を見ると、レールは完全に雪に埋もれていて、窪んだ2本の轍がレールの場所を示している。

さすがキハ54、そんな雪など物ともせず80km/hで走る。

DSCN1365.JPG
 新雪に埋もれた線路を走る。北秩父別〜石狩沼田間。

吹雪いてきたかと思ったら雪はすぐに止んで、秩父別を発車したあたりでまた日が差すようになった。
新雪の上をスキーで滑るかのように快走。

この列車の前は1時間30分ほど前に上り列車が通っている。
その間に雪が激しく降ったのだろう。

DSCN1435.JPG
 キハ54の運転台。ちょっと寒そう。

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 雨竜川橋梁を渡る。

座っているより、ここから前を眺めていた方が楽しい。
深川発車前にクロスシートを放棄した代わりに、もうずっとここに立っていることにした。

DSCN1415.JPG
 恵比島〜峠下間の峠を越える。

恵比島からは峠越えとなり、右へ左へとカーブが続く。
2台エンジン500馬力のキハ54は、両運転台の気動車としては道内最強馬力の車両。
今日の峠越えは本領発揮と言わんばかりに力強く進む。

1台エンジン1軸駆動のキハ40形ならば間違いなく立ち往生しているだろうと思わせる。
2軸駆動の台車を持ったキハ150形でも恐る恐るだろう。
でも、こんな2台エンジンで燃費の悪い車両はもう作られることはないだろうな。

トンネルを抜けて四角い遠方信号機が見えてきたらまもなく峠下駅。
この駅は留萌線内で唯一列車の行き違いが可能な駅。
ポイントがあって、ここだけが複線になる。

峠下駅のポイント部分は綺麗に雪が取り除かれているが、その上にまた雪が積もって真っ白になっていた。
雪や氷でポイントが動かなくなったら列車が運行不能になるので、こういう駅では冬は除雪作業員が詰めていて、駅構内の除雪に当たっている。

除雪車は線路上の雪を跳ね飛ばすしかできないので、ポイント部分などは人手で除雪するしかない。
今日みたいに短時間でたくさん積もるような激しい雪だと雪かきも大変だろう。

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 唯一の交換駅である峠下駅。

峠を越えて留萌側に来るとさらに雪深くなったようだ。

貨車駅の駅舎が雪の中に埋もれたような格好になった幌糠(ほろぬか)駅が見えてくる。
幌糠は留萌市の東にある、まとまった集落のある町。

雪に埋もれた幌糠駅に停車すると、ホームは綺麗に雪かきがされているのは感心した。
無人駅でも冬は除雪を委託されている人がいて、こうしてこまめに雪かきをしているのだ。

雪かきされたホームだが、この列車からは乗降なし。
ドアを開けて閉めただけで発車する。

JR北海道の資料によると、この幌糠駅の乗車人員は1日平均1.2人ということになっている。
また幌糠駅発着の定期券販売枚数はゼロ。
国道に路線バスが通っているので、車を持たない人の日常の足はバスということになる。

ほとんどいない利用者のためだけに、駅として管理しなければならないってどんなものだろう。
無駄なんて言葉を出すとあまりに短絡的だと思うけど、そうまでしなくちゃいけないのか、という思いは湧いてくる。

DSCN1440.JPG
 雪に埋もれたような幌糠駅。

ローカル線問題は軽々しく結論を出せる問題ではないし、沿線住人でも日常の利用者でもない私たちがとやかく口を挟むようなことじゃない。

でもいろいろ文句を言いたい人は、冬の留萌本線にいっぺん乗ってみるといい

雪に埋もれた駅、きれいに除雪されたホーム。
でも駅前の住人は、すでに鉄道にも駅にもソッポを向けているのが現状。

車社会、鉄道よりも便利なバス。
そんな現実を見て、何を思うかはあなた次第

だんだん家並みが見えるようになるとまもなく留萌。
場内信号機は2番ホーム側に×印が付けられていた。留萌〜増毛間が廃止となってからは使われることがなくなったからだろう。

その2番ホームの線路には新しい除雪モーターカーENR-1000形が停車していた。
DE15形除雪用機関車の置き換えとして導入されたラッセル車とロータリー車の機能を併せ持った新しい除雪車で、こんなところで活躍しているとは知らなかった。

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 除雪モーターカーENR-1000形が発車を待つ留萌駅。


 ◆ 留萌駅

さあ留萌駅に到着。
こんな雪の中でも、ほぼ定刻通りに着いてくれた。
ドアが開いたら1番に降りて改札口で6日間パスを見せて待合室へ向かう。

DSCN1470.JPG
 留萌駅に到着。

改札口からまっすぐに待合室のそば屋へ。
先客が3人いたが食べている途中だったので1番乗り。
迷うことなくにしんそばを頼む。

折り返し時間が11分しかないので慌ただしい。

DSCN1473.JPG
 立喰そばのメニュー表。

そばを湯がいて丼にいれてつゆをかけ、タッパーに入っているニシンの甘露煮とネギをのせるだけなので早い。
600円はお釣りのないように持ってきた。

DSCN1474.JPG
 にしんそば(600円)。

濃い目のつゆにニシンからのダシも出て旨い。
ニシンの甘露煮も柔らかく炊いてある。

発車時刻を気にして腕時計を見ながら食べるのも駅そばらしい風情。

DSCN1478.JPG
 ホロリと柔らかいニシンの甘露煮。

こういう駅の待合室の立ち食いそば屋って、普段は列車の利用客よりも町の人の客の方が多かったりする。
駅前で客待ち中のタクシー運転手とか、駅近くで働いてる人なんかがフラッとやってきて、たまに商売談義なんかしていたりするものだ。

そばを食べている最中に次のお客さんが来たが、こちらも地元の常連さんらしい人だった。店のおばさんと言葉をかわしている。
反対にさっき着いた列車からの客は私だけだった。

食べ終わって、外に出て駅舎の撮影をしたらまた列車に戻る。

DSCN1483.JPG
 待合室にある留萌駅立喰そば。

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 留萌市の代表駅らしい貫禄がある駅舎。


 ◆ 留萌 12:18 → 深川 13:13【4926D】

発車2分前に列車に乗る。
車内は深川発の列車よりも乗客が多い。
さっき着いて折り返す人のほか、旅行鞄やスーツケースを持った客が目立つ。
これは旅行者というより、遅めの帰省Uターンという感じだ。

後ろのロングシートが空いていたのでそこに腰かける。
もう前面展望はやらない。

DSCN1484.JPG
 堂々と屋根が張り出して貫禄のある1番ホームが往時を偲ばせる。

窓は曇っているし、巻き上げる雪煙で外は見えない。
留萌駅のにしんそばも食べたし、もう満足だ。
あとは無事札幌に帰れればそれでいいです。

DSCN1489.JPG
 結構混んでいた上り4926D車内。

遅れもなく、列車は深川に到着した。
入れ替わりに乗ってくる人がいたので、4番ホームに着いたこの列車はそのまま13:28発留萌行きとなるようだ。

DSCN1510.JPG
 深川駅に到着。


 ◆ 深川 13:19 → 札幌 14:25【ライラック24号】

跨線橋を渡って1番ホームへ。
6分間の接続で『ライラック24』号に乗り継ぐ。

深川から乗る人が結構多く、各乗車口は3〜4人の列ができている。
留萌から着いた人たちも多くは『ライラック24号』の客となるようだ。

混んでいるのかと思ったが、着いた列車に乗ってみると車内はガラガラだった。

DSCN1518-002.JPG
 深川駅1番ホームにライラック24号が到着。

留萌を12時18分に出発して、深川で『ライラック24号』に乗り継げば札幌着は14時25分。
所要時間は2時間7分
時刻表を見たら、留萌本線の列車と特急の接続は意外と良い。
最速は4930D→カムイ44号2時間06分となっている。

これに対して高速バスだと、中央バスの『高速るもい号』で3時間前後。朝に1本だけある直行便でも2時間38分だ。
深川駅乗り換えというハンデはあるが、所要時間だけ比べると鉄道の方に分があると思える。

札幌〜留萌間往復のSきっぷ(5,750円)も発売されているが、留萌駅では積極的に売っているようには見えなかった。

かつては駅舎に大々的に横断幕の広告を掲げて往復Sきっぷの宣伝していたと思うが、今はJRも諦めてしまったんだろうか。
冬場は大雪が降るとすぐに運休になってしまう留萌本線の現状では、あまり積極的に宣伝もできないという事情もあるのかもしれない。

DSCN1546.JPG
 あちこちで除雪作業員を見かけた。美唄駅。

深川からはずっと日が差して冬晴れと言いたくなるような天気だった。
明日からの通勤通学列車に備えてか、駅構内はママさんダンプを持った除雪作業員が目に付く。

ポイントやホームの脇などは機械での除雪作業が難しい場所。
こうして列車の合間を見て人手で作業を行う、昔ながらの方法しかないのだろう。
これを解決するには石勝線のように、ポイント全体をシェルターで覆うしかない。

DSCN1565.JPG
 機械の手が届かない箇所は人出が必要になる。岩見沢駅。

帰りはさしたる遅れもなく、無事札幌に戻ってきた。
それにしてもライラックの車内の静かなこと。
気動車から乗り継ぐと決まってこう思う。やっぱり電車はいいなあ。

DSCN1579.JPG
 終点札幌に戻ってきた。

札幌に戻ってきたことで、HOKKAIDO LOVE!旅行記もおしまい。
いやいや、まだ終わりにはできないよ。
この『HOKKAIDO LOVE!6日間パス』には特典があるので、それも使わなきゃ。


 ◆ JRタワー展望室 タワー・スリーエイト

ステラプレイスイーストの6階にその入口がある。
JRタワーができたのが2003年だったから、かれこれ19年が経つ。
その間札幌に住んでいながら、ただの1度も行ったことがないのがJRタワー38階の展望台なのだった。

今回の6日間パスの特典のひとつが、JRタワー展望室 タワー・スリーエイトがパス1枚につき1名が入場無料というもの。
こんな機会でもなければ行くこともないだろう。

受付で6日間パスを見せるとチケットを発行してくれた。
専用エレベーターで6階から38階に登る。

DSCN1581.JPG
 ステラプレイス6階にあるJRタワー展望室 タワー・スリーエイトの入口。

おお〜これが38階からの眺めか。
この前泊ったセンチュリーロイヤルホテルが下に見える。

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 JRタワー38階からの眺め。西方向。

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 地上160mから見下ろしながら用を足す眺望トイレ。

そろそろ午後3時になるので、特急『ライラック23号』と『エアポート150号』の同時発車を見てみようと東側の窓でカメラを構えてみる。
苗穂からカラフルな塗装のDE15形除雪機関車もやってきた。

3時を過ぎると、出てきた出てきた。
789系のライラックと733系のエアポート。それに札幌駅に進入するDE15形。

DSCN1653.JPG
 ライラック23号とエアポート150号が並んで発車。DE15除雪車も登場。

模型を見ているようだ・・・と言いたいところだが、地上160mからの高さからじゃ遠すぎていまいち実感がない。
同時発車の2列車は寄り添うように並んで苗穂駅の先へ走り去って行った。

DSCN1664.JPG
 苗穂方向へ仲良く走り去るライラック23号とエアポート150号。

1時間ほど上からの眺めを堪能して、下へ。
こんどは札幌駅東コンコースにある四季彩館で鉄道グッズを買う。

色々迷ったけど、『こぼろ』と『よいち』の縦型駅名標のミニチュアを買った。
1枚1,100円のところ10%引きで990円に。
別に集めているわけではないけど、『サッポロビール』の広告入り駅名標も今年中に姿を消すものだから記念に。

DSCN1728.JPG
 6日間周遊パスの特典。無料のチケットと1割引きで買ったミニチュア駅名標。

5日間大いに活用しまくった『HOKKAIDO LOVE!6日間パス』。
鉄道だけでも、少なくとも4万円分は乗ったことになるだろうか。
あとは『どうみん割』と『はこだて割』で安くなった温泉旅館に泊まり、道内鉄道旅行も思いのほか楽しかった。
悪天候にも遭遇せず、トラブルもなかったのが良かった。

最後に5日間の主な費用はこちら。

日付場所費目金額
12/196日間周遊パス交通費12,000円
1/7お宿欣喜湯宿泊費9,950円
1/8湯の川観光ホテル祥苑宿泊費4,833円
合 計26,783円

北海道フリーパスならば27,430円なので、宿泊代込みでも6日間パスのほうが安かった?

長い旅行記もこれで終わりになります。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。

敬具

posted by pupupukaya at 22/02/06 | Comment(0) | 道北の旅行記
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