【昔の小樽】拡幅工事前の小樽中央通り

小樽は札幌から特別快速『エアポート』で34分の隣町です。
ですが、札幌人の私にとって、小樽は隣町以上に馴染みのある都市。
内陸に作られた札幌市からは、海や港を求めれば必然的に小樽ということになります。

そんな小樽の玄関口である小樽駅に着けば、振り返ると目に入るのが昭和モダニズムの雰囲気が色濃い鉄筋コンクリート製の駅舎です。

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 1934(昭和9)年建築の小樽駅舎(2024年8月撮影)。

また駅の正面玄関から街の方を見れば、幅広の中央通りが真っすぐ港まで伸びています。
坂の向こうに港と青い海の見える風景。
小樽に着いて最初に港町らしい旅情をそそる玄関口です。

そんな小樽駅からの風景を見て思い起こすのが、小樽出身の作家、伊藤整の小説『幽鬼の街』。

膚(はだ)寒く曇った日であった。
私は小樽駅前の広い坂道を真直海の方に向って下って行った。
道の向端には赤い船腹をでくんと突き出した北洋通いの貨物船がものうげに幾隻も浮かんでいた。
 ↑ 伊藤整『幽鬼の街』(1937年)から冒頭の引用。

まずは伊藤整の『幽鬼の街』冒頭のにある小樽駅から街に向かう描写を紹介します。

これは1937(昭和12)年に文芸雑誌『文藝』に書かれた小説。
小樽駅に降り立って、正面玄関から出たら一番最初に目に入るのが一直線に港へ下る広い通り。
たしかに『幽鬼の街』そのままの姿です

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 小樽駅正面玄関から中央通りを見る(2024年8月撮影)。

だけど、昔の小樽を知る私には、このすっきり港まで見通せる通りはちょっと寂しく感じるのでした。
なぜかというと、今は駅からすっきりと港まで見通せる通りになっていますが、この中央通りは2000年代になってから拡幅されたもの。
現在は幅員36mで4車線の堂々とした通りですが、拡幅以前は幅員18mの2車線道路でした。

拡幅工事以前の中央通りの写真が出てきたので、紹介させていただきます。
時は2000(平成12)年3月。
そろそろ小樽の中央通りの拡幅工事が始まると知って、カメラを持って出かけたのでしょう。

百聞は一見に如かず。
当時の画像をご覧いただき往時を懐かしんで、あるいは過去の小樽の街並みを知っていただきたいと思います。

では24年前の小樽を、とくとご覧ください

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 小樽駅から中央通り方向(2000年3月撮影)。

中央通りの拡幅工事が始まる前。小樽駅前から撮影したもの。
画像を見る限り、とにかくごちゃごちゃしていますね。

この頃はサンビル(左)と長崎屋(右)を結ぶ歩道橋があって、空中には無数の電線が横切っていて、港への展望は失われていたものです。

明治大正生まれの方ならば戦後の高度経済成長に毒された忌々しい姿に見えるのでしょうが、昭和戦後生まれの私などからすればこちらの方が商店街の原風景な気がします。

次は駅前の中央通りを横切っていた歩道橋から撮影したもの 

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 中央通歩道橋から港方向(2000年3月撮影)。

狭い通りに車やバスがびっしり。
『幽鬼の街』で “広い坂道” と表現していた中央通りですが、この当時はお世辞にも広いとはいえない通りですね。
車がほとんど通らなかった昭和初期では広い通りだったのでしょうか。

道の両側は中小の店舗がびっしり並んでいて、駅前から第一大通りまで続いていました。
画像左側の店は喫茶エンゼル。右側はパチンコハーバーライト。

下画像は喫茶エンゼルの前から撮影したものです。
時代はちょっと進んで2002年、拡幅に伴う建物解体が進んでこの一角だけがまだ残っていました 

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 中央通り喫茶エンゼルの前(2002年4月)

駅から歩いて行くと小さいながらも目立つ建物だったエンゼル駅前店。
エンゼルは小樽市内に複数店舗展開していた喫茶店のチェーン店でしたが、2007年のサンビル店閉店を最後に姿を消しています。
中央通りは2001年頃から本格的に立ち退き・拡幅工事が始まったと記憶していますが、この喫茶エンゼルは遅くまで残っていた店でした。

ちなみに、現在(2024年)の中央通りの画像はこちら 

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 長崎屋前の横断歩道から港方向(2024年8月)。

かつての倍の幅員に拡幅されて見通しが良くなりました。
それに伴って新築された建物も石造り調に統一されたので、歴史的建造物が並ぶ運河周辺から統一した風景となっています。
しかしどことなく人工的で、風景というより景観という言葉が似合いそうですね。

昔のごちゃごちゃした風景と比べると、やはりどこか寂しい。

次は坂道を少し下って都通り入口へ 

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 都通り入口と旧小樽中央通郵便局(2000年3月撮影)。

都通りといえば中央通りから浅草通までの300mほど続くアーケード商店街です。
今は『小樽都通り』と鋳物風の看板を掲げてアーケード入口もレトロ調になっていますが、画像の頃は『セントラルタウン都通り』の看板を掲げていました。
浅草通り側には大国屋デパートがあって(1993年閉店、現在オーセントホテル)小樽随一の繁華街でした。

でした・・・とは、今は空き店舗が目立ち人通りも少なくなって、他の地方都市の例にもれず中心部の空洞化は避けられないようです。
運河や堺町通りはこれでもかというほど観光客が歩いているのに。
もうちょっとこちらの方に来ないものなのでしょうか。

それはともかく、画像左側の上の方に郵便マークを掲げた建物はブティックが営業していますが、元は小樽中央通郵便局だった建物です。
建築年は1925(大正14)年、今も残っていたら間違いなく歴史的建造物となっていただろう風格のある建物です。
郵便局として使われていたのは1986(昭和61)年までで、今の小樽駅前郵便局として移転したようです。

郵便局が出て行っても、郵便マークそのままで建物を使うあたりはおおらかというべきか。
そんなところも小樽らしさの一つなのでしょう。

下は中央通郵便局が現役だった頃の地図 

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 ↑ 昭文社北海道都市地図(1986年発行)より引用、緑囲みは筆者。

1986(昭和61)年発行の地図。
こんな地図を引っ張り出してきて、つい見入ってしまいました。
丸井今井、北海ホテルなんて懐かしい名称も数々。

この年は小樽運河を半分埋め立てて造成した臨港線が開通して、同時に運河沿いの散策路が完成した年です。
新しくなった運河は小樽のシンボルとなり、同時に観光都市として生まれ変わったのでした。

ところで地図には手宮線が描かれていますが、この当時は廃止となっていたはず。
ですが線路や踏切はそのままにされ、この年の秋には、のちに『C62ニセコ号』として運転されるC62-3号機がディーゼル機関車に牽引されて手宮の鉄道記念館(現在の小樽市総合博物館本館)から搬出されています。
だからこれはこれで間違いではないと思います。

話がずれましたので、再び都通りへ。
こちらは現在の都通りアーケード入口 

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 中央通りから小樽都通り入口を見る(2024年8月撮影)。

都通りアーケードも中央通り拡幅に伴って柱1本分短くなった格好です。
かつての派手な看板から、落ち着いたレトロ調のデザインとなりました。
しかし、小樽随一の繁華街も今では人通りが少なく、昔日を知る私などしい思いをするのですが。

観光客からすれば全国どこにでもあるアーケード商店街の1つにしか見えないのでしょう。
小樽駅に着くと真っすぐ運河や色内の方に行ってしまう人が多いのは残念。
結構小樽の名店が連ねている通りなんですけどね。

人を呼び込むには、いっそのことアーケードを撤去して、中央通りのようにレトロ調の町並みで統一するというのもアリかもしれません。

次はもう少し坂を下って第一大通りとの交差点付近から 

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 稲穂町第一大通り交差点付近から小樽駅方向(2000年3月撮影)。

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 稲穂町第一大通り交差点から小樽駅方向(1998年頃?撮影)。

写真が2枚出てきたので連投で。
2枚目の雪のない画像の撮影年は1998年としましたが、紙の写真では撮影年月がわからないので推定です。

正面奥は小樽駅なのですが、やはり横断歩道橋が邪魔して駅を見通すことはできません。

しかし雑然としている方が人間味があったよなあと思う反面、拡幅されて新しくなっていなかったら、これもどこにでもある地方都市中心部のように老朽化した空き店舗が立ち並ぶシャッター通りになっていた可能性があります。
だから昔の方が良かったと簡単に言うことはちょっと憚られます。

下は現在の第一大通りから小樽駅方向を撮影したものです。

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 第一大通り交差点から小樽駅方向(2024年8月撮影)

正面に小樽駅が見える広い通りは、小樽市の玄関口にふさわしい貫禄があります。
ごみごみした通りの中に埋もれてしまっていた昔の街並みよりも、誰が見たって今の風景の方が絵になりますね。

それにしても街路樹の背が高くなったこと。
20余年の歳月を思い知らされます。

一方で、小樽の中心部を南北に通る第一大通は拡幅がされておらず、かつての中央通りのような雑然とした街並みを今でも残しています。
すっきりと美しい景観になった中央通りですが、乾いた人工的なものを感じてしまいます。
私など、やっぱり昔ながらの第一大通りに小樽らしさを感じるのですが。

次はさらに坂を下って、手宮線の踏切へ 

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 旧第二火防線踏切から南小樽方向(2000年3月撮影)。

昔(1980年代)は小樽駅から港に向かう途中に2か所踏切があって、1つ目が手宮線の踏切。2つ目が運河の橋を渡った先にある第三埠頭への貨物線の踏切でした。
第三埠頭は、現在は指定保税地域に指定されて立入り禁止になっていますが、あの当時は自由に出入りできて釣り人が多かった記憶があります。

・・なんの話?
そうそう、手宮線の踏切の話でしたな。

手宮線はご存じの通り北海道初の鉄道、日本でも3番目に開通した鉄道の一部です。
旅客営業は1962(昭和37)年に廃止。以降は貨物専用線としての営業でした。
それも国鉄の合理化と貨物輸送の減少により、1985(昭和60)年をもって廃止となっています。

上は3月に撮影したものなのでまだ雪がたくさん残っていますが、雪が解けても廃止当時のまま残っていて夏には草ぼうぼうという状態でした。
もちろん踏切も遮断機は撤去されていましたが、標識と警報器それに線路はそのまま残っていました。

現役当時の踏切名称は第二火防線踏切。
明治時代に小樽の町が作られたとき、現在の浅草通りが第一火防線、中央通りが第二火防線として作られたことによります。
1903(明治36)年に今の小樽駅が中央小樽駅(この当時の小樽駅は今の南小樽駅)として開業すると、中央通りの名で呼ばれるようになったとか。

2000年代の中央通り拡幅工事によってこの踏切も撤去されるのかと思っていましたが、そこは道内初の鉄道という由緒ある線路なので中央通りを横切る線路は保存されることになりました。
ですが、踏切の標識はトラジマの柱だけ移設されて残っている格好です。

ところで手宮線の線路跡を歩いていると、中央通りと交差する部分だけ線路が不自然に下がっていることに気づきますが、これは中央通り拡幅の際に手宮線の方を盤下げしたためです。
以前は手宮線の方が水平になっていました 

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 旧手宮線と中央通りの交差部分(2024年8月撮影)。

そのため、拡幅前の中央通りは、踏切を渡ると港へ向かって急な下り坂になっていました。
その描写を、また伊藤整『幽鬼の街』に見てみましょう。

私は百枝についてその裏路地を歩き、停車場通りへ出て、海の方へ歩いて行った。
だらだら坂になって踏切がある。それは手宮駅から南小樽駅、築港小樽駅を経て札幌駅へ通ずる支線である
 〜(中略)〜
私は空っぽの線路を見やってから、更に埋立地に向う急な坂を下りる。
 ↑ 伊藤整『幽鬼の街』(1937年)からの引用。

現在の中央通りは、確かに踏切跡から色内大通りにかけて、傾斜が大きくなっていますが、上の引用にあるような “急な坂” と呼ぶほどではありません。
ではこの手宮線の線路から埋立地に向かう急な坂とは一体何だったのでしょう。

それがこちら

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 旧岡島薬局前から小樽駅方向(2000年3月撮影)。

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 上画像の坂部分を拡大。

坂の下から踏切と小樽駅方向を撮影したものですが、手宮線踏切の手前が急な坂となっていることがわかります。
距離にして10mほどの短い坂道ですが、歩いていたら急な坂に感じるところです。

現在の中央通りは、拡幅工事の際に通行をスムーズにするために手宮線を盤下げして、勾配が緩やかになるように改良したものだったのでした。

あとちょっと見づらいですが、踏切下の道路が20〜30mほど石畳になっているのがおわかりいただけますか。
ここだけ扇状に石を敷き詰めた、ちょっと変わった造りになっていました。
坂のすべり止めだったのでしょうか。

古い建物やギリシャ神殿風の北海経済新聞社(旧安田銀行小樽支店)などと相まって、ここだけヨーロッパのような感じがしたのを覚えています。
中央通り拡幅と勾配改良工事によってこの石畳も消え失せています。
せめて雪のない時期に撮影しておけばなあ・・・

  ★   ★   ★

以上、小樽市中央通りの過去画像をお送りしました。
伊藤整『幽鬼の街』とも重ねてみると、昭和戦前の小樽の世界が蘇ってきそうです。

いまや国際的な観光都市となった小樽。
幅広の中央通りは絵になる風景ですが、ごちゃごちゃしていた狭い通りだった中央通りが小樽らしい街並みだった気がします。
じゃあ拡幅工事をしなかった方が良かったかというと、そんなことはないわけで、前述の通りシャッター商店街になっていた可能性が高いです。

これは時代の流れとして割り切るしかありませんね。
私が若かった24年前当時の画像の頃や、伊藤整の頃も過去のこと。

でも街を歩いていると、時空を通り越して過去の街に迷い込んでしまいそうな錯覚に陥いる不思議な街。
現代と過去が同居しているような小樽。

札幌人の私にとって、札幌が父とすれば小樽は母なる地。
どうもこの小樽という街は昔から愛してやまないのであります。

 ※かつての手宮周辺の街並みはコチラ ↓
  → 2004年の小樽・手宮を歩いてみる

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 24/09/14 | Comment(0) | 道央の旅行記

2024年ゴールデンウィーク、汽車旅有情を求めて

ゴールデンウィーク後半の4連休。
混んだところは嫌いなので、今年は(も?)どこへも行かないと決め込んでいましたが、退屈と春の陽気とに誘われて出かけてしまったワタクシです。

で、朝9時半の札幌駅。
コンコースの指定券券売機で買ったのは一日散歩きっぷ。
4月27日から2024年度分が発売開始となっています。

今回の目的は、3月から岩見沢〜旭川間で走り始めた737系電車に乗ってこようというもの。
室蘭線方面では去年から走り始めているが、今まで乗ったことがありませんでした。
あとはローカル列車に乗って、途中下車しながら汽車旅の気分を味わって来ることにします。

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 2024年度も発売開始となった一日散歩きっぷ。

ということで、一日散歩きっぷを手にして日帰りの乗り鉄旅行のスタートです。


 ◆ 札幌 9:46 → 江別 10:10【149M】

今回乗り鉄の一番手は9:46発江別行普通列車。
車両は転換クロスシートの721系電車だった。

今年3月ダイヤ改正で札幌直通を除いて岩見沢〜旭川間から撤退した車両だが、ダイヤ改正後は札幌圏でこの車両に当たる確率が高くなった気がする。
まずは幸先の良いスタート。

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 721系電車、江別行。

岩見沢へ行くのに江別行に乗ったのは、江別で途中下車して久しぶりに江別の駅前を歩いて見たかったから。
いや、それ以上に札幌駅に早く着きすぎたというのもあります。

江別までは家並みが途切れることがなく続く通勤電車の風景なのですが、クロスシートから風景を見ていると汽車旅らしい気分になってくるものです。
もう少し乗っていたい気分になってきたところで、終点江別に到着。

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 江別駅4番ホームに到着。

到着したホームは行き止まりになった4番ホーム。
昔は0番ホームと呼んでいた。
いつの頃からか上り線の一番外側から番号が振られるように変更されて、このようになっている。

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 かつてはアーケード商店街だった江別の中心部。

江別駅を出ると妙に空が広いのびのびとした風景だけど、逆の見方をするとまったく発展しない駅前ということにもなる。
駅を出ると右手方向に商店街があったものだった。
ものだった、というのは20年くらい昔の話になるから。

かつて中央銀座通りと呼ばれていたアーケード街は、アーケードは撤去されて明るくなったのはいいが、営業している店など1軒もない。
2024年の今はどうかというと、人通りも生気もなく下手すればゴーストタウンのようになってしまった。
他の道路に比べて妙に歩道が広いのにアーケードの名残りを留める。

 ↓ まだアーケードがあった頃の江別駅前はこちら


札幌駅まで直通24分の駅前という一等地にもかかわらず荒れるがままで放置され、外周ばかりが発展する。
こんなのは江別駅前だけじゃなく古くからの駅前商店街あるあるだけど、ここのは輪をかけて酷いのではないか。
空き家も多そうで、ここまで来ると商店街の遺跡と呼びたくなる。

ワンチャン希望があるとすれば、あちこちに目立つ新しい賃貸アパートだろうか。
なんと言っても通勤通学の人たちにとって駅前という立地は魅力だろう。それに一応札幌都市圏でもあるし。
人口が増えればスーパーは無理でもコンビニかドラッグストアは進出して来るかも知れない。

再び江別駅に戻る。


 ◆ 江別 10:30 → 岩見沢 11:07【153M】

こんどの岩見沢行も721系電車をちょっと期待したが、残念ながらオールロングシートの731系だった。
江別10:30発岩見沢行普通列車。
乗車18分なので別にロングシートでもいいんですけど、だけどやっぱりがっかりする。

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 江別駅に到着する731系岩見沢行。

10:48、岩見沢着。
次に乗る旭川行普通列車は12:03発。
ちょっと早く着きすぎたようだ。

また駅を出て街を歩いてくる。

岩見沢駅前は数年前の再開発工事で古い建物が一掃され、広々として明るくなった。
駅舎も新築されて、長らく蒸気機関車が似合いそうだった古い駅や駅前は様変わりしてしまった。

半面、明るくなりすぎて逆に寂しさが漂うようになった気もする。
古い商店街に代わって新しく建ったものはというと、病院と調剤薬局それに銀行など。

車移動が当たり前の地方都市では、商店街や中心部というものをもはや必要としなくなった現代を象徴する駅前風景でもある。

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 岩見沢駅前のアーケード商店街。

駅前通り以外は古いアーケードが所々に残っている。基本シャッター通りだけど細々とながらやっている店もあった。

空知地方の中心都市である岩見沢だが、ここも他の都市の例に洩れず、2000年代に郊外に大型ショッピングセンターが次々に進出すると、中心部としての機能は低下する一方になってしまった。
4条通りの西友が閉店してからはますます空洞化に拍車がかかることになり現在に至る。

今からもう20年以上昔になるかな、4条通りは西友を中心にラルズプラザ、三番館といったデパートや昔ながらの市場なんかが並んで、人通りも多かった。

当時仕事で毎日岩見沢に来ていたこともあったので、今でもはっきりと覚えてる。
立ち食いそばの店もあって、駅前にあった小もろとか、駅前通り北洋銀行向かいにあった、かまだ屋もよく行ったけな。
どこか昭和の香りがしてくるアーケードの下を歩いていると、そんなことを思い出す。

どこか一角を保存して、昭和時代を再現する街並みとして観光地として売り出してみてはなんて勝手なことを想像してみる。
だけどこういう古くからの土地って利害関係が絡んで、再開発事業でも動き出さない限りどうにもならないんでしょうな。

30分くらい歩いて一回りして駅へ戻ってくる。
まだ40分以上あるが、狭い駅にいてもしょうがないしホームで列車の観察でもしていることに。


 ◆ 岩見沢 12:03 → 滝川 12:42【2363M】

跨線橋の窓から、3番ホームにさっき着いた滝川からの普通列車が停車しているのが見えた。
2両編成の737系電車。

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 3月ダイヤ改正から運用に就いた737系ワンマン電車。

ホームに下りると『普通 旭川』の表示が出ていてドアが開いていた。
もう乗ってもいいようだ。

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 岩見沢駅ばん馬像と737系電車。

発車40分前とあって、車内は一番乗り。
誰もいないうちに車内をあれこれ撮影してしまう。

737系電車旭川方がクモハ、札幌方がクハの2両1ユニット。
一般形電車の2ドアタイプは711系電車以来。

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 737系電車は長〜いロングシートが特徴。

2ドアロングシートなのだから、車内はとにかく長いロングシートが目を引く。
片側の中ほどの座席がない部分はフリースペース。

新型電車だけど、好んで乗りたい電車ではありませんな。
だけど、青春18きっぷ等の普通列車限定フリーきっぷで乗車する際は移動の手段と割り切って付き合うしかない。
私も今日は一日散歩きっぷの客である。

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 運賃箱と運賃表が設置された運転士後ろ側。

ワンマン運転なので、運転士後ろの仕切りには運賃表が掲示され、貫通ドア部分には運賃箱が設置されている。
そこで1つ疑問が。

3月から旭川までKitaca区間となったのだが、ICカード乗車券所持者は一体どうするのだろう。
市電やバスならば運賃箱にカードリーダーが設置されていて、降りる際にそこにタッチすることになっている。

運賃箱はカードリーダーもなければ、車内にICカード乗車券の利用案内も一切表示ナシ。
その謎は発車してからの車内放送で判明する。

「運転士にICカードを見せて駅の改札機にタッチしてください」

これでは運転士はICカードの所持を確認するだけで、改札機にタッチするかどうかは乗客の自己判断ということになる。
それでいいのかなあ・・・なんて思うが、邪推はこのくらいにしておきましょう。

だけど運賃箱まわりにICカード乗車券の利用案内くらいはあってもいい気がする。

旭川行列車の話に戻りますが、11:47に手稲からの普通列車が到着すると、この列車にも乗り継ぎ客が乗り込んできた。
2両合わせて50〜60人は乗っているのではないか。

中には大型スーツケースを持った外国人客の姿も目立つ。
なんでこんなローカル列車に乗ってくるのだろう。
交通費節約のために普通列車で旭川へ?

その外国人客の多くは美唄で降りて行った。
美唄に観光とも思えないので農業関係の技能実習生なのかも知れない。

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 滝川駅に到着。

ロングシート電車なので旅情もヘッタクレもないけど、加速性能はなかなか感心させられる。
あと最高速度は特急と同じ120km/hになったのでスピード感は半端ない。

だけど岩見沢〜滝川間の所要時間は721系の頃と全く変わっていない。
これはワンマン運転のための余裕時間に充てられたのだろうか。

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 駅前広場がバスターミナルとなった滝川駅。

12:42、滝川に到着。
一日散歩きっぷ所持者にとってはここが北限。
ここからは根室本線に乗り換えるか、来た道を戻るかの二択になる。

かつては新十津川まで移動して札沼線に乗るという選択肢もあったが、すでに4年以上も過去の話。
北海道の鉄道もだんだん寂しくなったものですね。

いずれにしても1時間近く時間があるので、駅前を歩いてくる。

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 滝川駅前のアーケード商店街。

滝川駅からかつて中心部だったところまで続いているアーケード商店街。
アーケード自体は新しめなものだが、商店街は生気が全くな感じられない。

駅横の西友だったスマイルビルは3年ほど前に閉鎖されて空きビルになっている。
駅前正面の雑居ビルも荒れてしまって、こちらも空きビルとなって久しいようだ。
中心部のかつて地元デパートが並んでいた一角は地元の信用金庫の本店ビルがそびえ立つ。

駅前に進出してきた中央バスターミナルも閉鎖されて、今は駅前広場がターミナルとなった。

せめて駅前や商店街にコンビニでもと思うところだが、古び建物が軒を寄せる商店街に今は駐車場用に広い土地を必要とするコンビニ出店も難しそう。

この滝川駅前もすでに駅しかないような場所に変わってしまっていた。
駅を取り囲むのは、遺跡というか化石と化してしまった商店街。
肝心の駅はというと、売店も不採算と人手不足からすべて閉店している。
駅と駅前では買い物もままならなくなってしまったことを思い知らされる。

逆に隣の砂川駅前はというと、駅近くにスーパーがあり商店街も細々とながら生き残っている印象がある。
何が違うのだろう。

滝川市といえば昔は周辺に炭鉱町を控えた中心に位置する都市だった。
その中心都市として過去に栄えてしまったが故に、古くからの利害関係が絡んで身動きが取れなくなってしまったというのが滝川駅前の印象だった。


 ◆ 滝川 13:27 → 富良野 14:32【2477D】

再び駅に戻ってくる。
ここからの選択肢は、根室本線で富良野まで往復してくるか、岩見沢へ戻って室蘭本線に乗り継ぐか。
戻り列車とすると、こんどの岩見沢行は924Dということで気動車となる。

構内の外れに見えたのは2両編成のデクモことH100形。
あれが岩見沢行なのは間違いない。

一方で1番ホームには1両編成のキハ40形気動車が入線。こちらは富良野行き。
デクモとキハ40ならばそりゃキハ40に乗りますよ。

あなただってきっとそうするでしょ?

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 滝川駅1番ホームのキハ40形富良野行。

この車両は銘板を見ると『新潟鉄工所昭和55年』とあった。
鉄道車両としてもかなり高齢の44歳。
しかし、車内外を見てもあまり古さを感じさせない不思議。

これはキハ40形車両の中でも状態の良い車両が最後の最後まで残ったのと、国鉄時代の車両なので、とにかく頑丈さをコンセプトに作られたからだろう。
車両を急行型並みに大型化し、鋼板を厚くして車両重量が増したのでエンジンの出力が足りず、新製時から旧型車よりも性能が劣ると言われたのは有名な話。

JR化後にエンジンを強力なものに取り換えてワンマン化改造してからは道内でも主力の車両となった。
反面、どこへ行ってもこの車両ばかりなので飽き飽きする感もあったが。

そんな一大勢力を振るった車両もいつかは終わりの時が来る。
キハ40形気動車は、来年(2025年)3月での引退が決定している。

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 滝川駅4番ホーム下にある根室本線0キロポスト。

そんなキハ40形が停車する反対側の4番ホーム床下に0キロポストを見つけた。
『根室線0k』とあるので根室本線のものだ。

気を付けて見ないと見つけられないし、ここに車両が停車していれば見ることはできない。

根室本線は富良野〜新得間が廃止となってしまい、途中がちょん切れたような格好となってしまったものの、根室本線の起点は滝川駅であることに変わりはない。

天下の根室本線の起点なのだから、もうちょっと立派な0キロポストを設置してあげればいいのにね。

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 どこか旅情を誘うキハ40形車内。

富良野行きキハ40形の車内に入れば、予想に反してガラガラ。
ボックスシートも選び放題。
逆の見方をすれば、今はゴールデンウィークの真っただ中とは思えないような情けない姿。

それもそのはずで、この列車函館本線の列車との接続がすこぶる悪いのだ。
ボックスシートで旅情に浸りながらのんびり行けるのは嬉しい反面、こんなんでこの先大丈夫なのかという気分にもさせられる。

と思っていたら、発車数分前になったあたりから次々と乗客が乗ってきて、ボックスシートはあっという間に全部ふさがった。
大型スーツケースの外国人客が目立つ。
接続する列車もないのに、この人たちどこから現れたのだろう。

乗車人員は目見当で40人といったところ。
まずまずの乗車率だが、函館山線の余市倶知安方面とは比較にもならない。

ラベンダー畑にはまだ早いが、大型連休なので観光客もそれなりに多いはずだ。
しかし観光特急の運転開始は6月から。
富良野も世界的な観光地なのだから、もうちょっと何とかならないものなのだろうか。

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 函館本線と別れる。

発車して複線電化の函館本線と別れる様はいかにもローカル線。
一段窓と青いボックスシートが往時の汽車旅を彷彿(ほうふつ)とさせる。

こんな旅気分が味わえるのも最後の時が近づいている。
せめてあるうちに乗っておくしかないね。

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 空知川と国道38号線に沿って。

富良野行は進行左側の席がおすすめ。
なぜかというと、赤平あたりからは空知川の谷間を行くため、左側が谷側となるから。

ドラマ北の国からの第一話で、

蛍「川!」
五郎「空知川だよ」

のシーンが頭に浮かぶ。

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 平岸駅に停車。豊平区ではありません。

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 木造駅舎の芦別駅。

芦別では意外なことに目立った乗り降りがあった。
幅広のホームと立派な木造駅舎が炭鉱町として賑わった往時を伝える。

もう何度も乗って見飽きている車窓風景なのだけれど、キハ40形から見る風景もあとわずかなのだと思えば別物に見える。
14:32、富良野着。

汽車旅の旅情に浸っていれば、滝川からの1時間5分はあっという間の時間だった。

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 『ぬのべ』が消された富良野駅の駅名標。

富良野駅の駅名標は『ぬのべ』の文字が消されて矢印の片側はシールが貼られ、ここが終点ということを示していた。
かつてはホームに『新得・帯広方面』の文字を見れば、ああ根室本線なんだなという気になったけど、もうそんな文字はどこにもない。

そうなると線名を変更するか、それとも『花咲線』のように愛称をつけるかということになるのだろうけど、そういった話は聞かない。
将来的に存続するのかわからない路線に余計な経費をかけたくないとも見て取れる。

良いように解釈すれば、1本の根室本線だった頃の記憶を忘れないように、あえて根室本線とは別の根室本線としてやってゆくと言うこともできる。

ところで富良野〜新得間の廃止後は、旅客営業上は関係ないけれど、線路名称的には石勝線と合流する上落合信号場〜新得間の扱いがどうなるのか気になっていた。
この区間は根室本線の富良野〜新得間の一部ではあったけど、石勝線の列車が走るので当然存続区間となる。

でどうなったかというと、石勝線に組み入れられたようだ。
国土地理院の地図でもこの区間を見ると、根室本線石勝線に変更されている。

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 いかにも国鉄駅という感じの富良野駅。

列車を降りると空気が妙に暖かい。
暖かいというか、外を歩いていたら暑くなりそう。
あとでスマホで気温を調べたら24℃となっていた。

富良野駅の折り返し時間は29分。
さっき着いた列車の折り返し作業を見ようと、駅横の跨線橋へ。
ここから富良野駅の南側の構内がよく見える。

さっき3番ホームに着いた列車には、緑と赤の旗を持った作業員が乗り込むのを見た。
富良野駅に着いた列車は一旦構内の南側に引き上げて、こんどは2番ホームに入線して折り返す。

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 ホーム入換のために移動する。

そのまま着いたホームで折り返せばいいのになんでこんな面倒なことをするのかというと、根室本線のホームは信号機の関係で一方通行となっているからだ。
札幌の地下鉄も終点では一旦奥に引っ込んでから隣のホームに入線する駅があるが、あれと同じようなものだ。


 ◆ 富良野 15:01 → 滝川 16:03【2480D】

再び駅に戻って、まだ開いていた駅そばを食べようとしたら改札が始まった。
10人くらいの人が改札口に群がる。
このくらいの人数ならば、またボックスシートで行けるかなと改札を通る。
駅そばは次回にお預けとなった。

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 2番ホームに移動して滝川行となる。

改札開始のグループが乗車した段階では空きボックスシートだらけだった。
だけどまだ乗ってきそう。
相席になるのも嫌なので、2人掛け席に陣取ることにした。
キハ40形は4席分だけ2人掛けシートがある。

とは言え立派なものではなく、座席自体はボックスシートと同じものなので少々窮屈な席だ。
窓もここだけは小窓になっている。

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 すっかり希少価値となった青いボックスシート。

こんども進行左側。
つまり来た時と反対側の風景となる。
しかも日が当たる側。
窓はこの席だけのものなので、大きく開けさせてもらう。

乗ったときはガラガラだったのだが、だんだんと乗ってきて行きと同じくらいの乗車率になって富良野を発車する。

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 北の峰の町並みと芦別岳。

もう初夏のような陽気。
窓から吹き込む風が心地よい。

考えてみれば列車の窓が開くのも今となってはこのキハ40形と、あとキハ54形だけになってしまったなあ。
いや、新しい737系電車も窓が開くけど、あれは窓というより換気用みたいなものだから。

キハ54形は今のところ引退の話は聞かないが、あちらも製造から38年ということもあり長くはなさそう。
SLがなくなり、客車列車がなくなり、夜行列車がなくなり、今度は窓の開く列車がなくなる。
キハ40形の引退は鉄道旅行のターニングポイントの1つにはなりそうですな。

赤平あたりから風が冷たくなってきたので窓を閉める。
そういや明日は雨予報だったな。

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 滝川駅1番ホームに到着。

滝川駅に着いて跨線橋に登ってみれば、キハ40形が2両並んだ貴重な光景が見られる。

右は今着いた富良野からの列車、左は16:21発富良野行きの車両。
滝川〜富良野間を単純に行き来するというものでもないようで、鉄道車両運用の複雑さをうかがえる。

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 1番と4番ホームに並んだキハ40形。

16:03に滝川駅に着けば次の岩見沢行は17:15発となる。
どうも函館本線と根室本線の列車の接続は悪すぎる。

滝川の街はさっき歩いてきたので、今度は駅で過ごす。
札幌を出てからここまで飲まず食わず。
駅周辺はコンビニすらないの場所なので、駅の自販機だけが頼り。
自販機でペットボトル飲料を買って一息つく。

待合室はテーブルと椅子が並べられて、コミュニティーセンターのようになっている。
テーブルで勉強する高校生らしき姿も。

妙に広々とした待合室だが、かつてここにはキヨスクと駅そばと薬局が同居していた。
その店舗が閉店して撤去され、こうした広い待合室が出現したのだった。

待合室の隅には見慣れない自販機を見つける。
見ると滝川の土産菓子の自販機だった。
確かに、駅から特急に乗るのに土産物を買うにもままならないよりはあった方がいいけど、なんだか味気ないなあ。
ちょっとは物産館を併設した隣の深川駅を見習ったらいいですよ。滝川市さん。

ところで飲み終わったペットボトルを捨てようとしたらゴミ箱がない。
待合室も改札口周辺も探したけど置いていないようだった。
これだけ自販機が並んでいるのに。

物陰にやたらと空きペットボトルを見かけたのはこういうことだったのか。
どうにも困ったものだ。
まあいいや、どこかゴミ箱を見つけたら捨てることにしよう。


 ◆ 滝川 17:15 → 岩見沢 17:55【2370M】

今度の岩見沢行の発車は17:15だが、入線時刻は16:54となっている。
旭川から来る列車なので『ライラック34号』に追い抜かれるために滝川で21分も停車する。
乗り通す客からすれば迷惑な長時間停車だが、どこへも行く当てがない私のような客からすれば早くから乗車できるのでありがたい。

とはいえオールロングシートの車内では居心地が良いとは言えないが・・・

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 滝川からは再び737系電車。

ロングシートといえば端っこの席からふさがるのが定番だ。
大抵はこの端の席から埋まる。
理由は片側の隣に人がいないから。

誰だって両側に人がいるというのは嫌だからね。
それに片側が壁だとそちらに寄りかかることもできるし。

たまにいっぱい空いているのにわざわざ隣に来る、トナラーと呼ばれる方々もいるようですが・・・
それはともかく。

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 車内中央にあるフリースペース。

で、この737系電車は端っこ席が1両当たり6席しかない。しかもうち1席は優先席。
3ドア電車ならば8席〜16席あるんだけどね。

端っこ席が空いていない場合、おすすめなのがフリースペース向かいの席。
ここは座席がないので、向かいの人と顔合わせになることがないし、外の景色がよく見える。


 ◆ 岩見沢 18:05 → 札幌 18:47【244M】

岩見沢から乗り継ぐ小樽行普通列車は721系電車であることを期待してみたが、階段を下りた先に停車中の小樽行はオールロングシートの731系電車だった。しかも3両編成。

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 岩見沢からの731系電車。

もうここからは札幌の通勤電車。
ロングシートに腰を下ろし、他の乗客と同じようにスマホいじりで札幌まで過ごしていた。

  ★    ★    ★

こうしてたまに普通列車なんか乗りにでかけると、『汽車』ってものがどんどん無くなってゆくなあと改めて思います。
ロングシートばかりになった車両のこともあるけれど、汽車とセットだった駅前風景というものがどんどん失われている現実も思い知らされます。

特急停車駅でも駅や駅前から店が消えてしまい買い物すらままならない駅。
駅周辺だけが発展から取り残されてしまい、商店街の遺跡が残るだけとなってしまった駅前。

駅があれば人が集まってきて、駅前は店が集まる。
店が集まれば賑やかになり、町ができる。
その町から汽車に乗る人が集まってくる。

そんな賑やかな町にやってきて駅に向かい汽車に乗る。
駅には必ず売店があって、昔は汽車に乗る前に売店で新聞やお菓子を買うなんてのが儀式のようなものでしたね。
そんな余所行きの感覚もすでに過去のものになってしまったのかなあ。
考えてみればそんなこと、もう20年以上昔のことなのかも知れませんね。

2024年の現代に、札幌から気軽に行ける所に汽車旅有情(うじょう)を求めたとて、今ではもう叶わないものになってしまったようです。

駅はただ電車の乗り降りをするだけの場所になり、やって来るのは無情にもロングシートの通勤電車ばかり。

昔は良かったと言うつもりは毛頭ありませんが、汽車の文化が消えてゆくのは寂しいことです。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 24/05/06 | Comment(0) | 道央の旅行記

2024年、721系電車乗り納めと短縮された留萌本線へ2

 ◆ 深川 → 石狩沼田 →深川【4925D/4926D】

留萌本線に乗り換えるために深川駅で下車した私です。
次の石狩沼田行は12時36分発。旭川始発なのでホームでしばらく待つことになる。

ホームで列車を待つのは私のほかは地元のおばちゃん2人、それに車内整備の係員だけ。
日曜昼のローカル線なんてこんなものなのか。
やがて遠くに近づいてくる列車のシルエットが見えてきた。
どうやらキハ54形の模様。

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 旭川始発の石狩沼田行4925Dが到着。

やがてキハ54形1両の石狩沼田行が到着した。
車内は結構人の姿が見える。

2023年3月末をもって石狩沼田〜留萌間が廃止となった留萌本線だけど、残った区間も2026年春には廃止となることが決定している。
だからこの線も名残客や鉄道ファンで混んでいるのだと思い込んでいた。

列車が到着してドアが開くと思いのほかぞろぞろと降りてきた。
留萌線の客とばかり思いこんでいたが、ほとんどが旭川〜深川間の乗客だった。

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 降りる人が多かった。

車内に乗り込んだのは地元のおばちゃん2人と私。
引き続き車内に残っていたのは鉄道ファンらしい3人だけ。

車内整備の係員はというと、窓を開けてサボの回収。

ずいぶんと寂しい姿になって発車を待つ。

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 キハ54 509の車内。

このキハ54形は国鉄型車両。
国鉄最後の1986年11月に登場している。

当初は札幌や函館にも配置されたが、のちに宗谷本線北部や留萌本線、釧網本線、花咲線といった気候条件の厳しい地方に配置されるようになった。

軽量ステンレス車体に計500馬力の2台エンジン搭載の強力型気動車は、急勾配や積雪の多い線区では歓迎されたことだろう。
またスピードアップにも貢献している。
急行『礼文』に使われていたこともあった。

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 JNRマーク入りの扇風機。

このキハ54の登場時は、ステンレス車体というのが新鮮だった。
今でこそ鉄道車両といえばステンレス製ばかりだけど、当時はステンレス製車体はこの車両が初めてだったからね。

車内はというと、当初はカラフルなボックスシートが並んでいたが、のちに新幹線0系や特急車両からお下がりの座席に交換されている。
オリジナルのボックスシートの車両は、現在は存在しないようだ。

当時としては真新しい車両だったのだけれど、どこかちぐはぐな感じの拭えない車両でもあった。
デッキ付きなのはともかく、旧来から踏襲する一段上昇の二重窓とか、天井からぶら下がる扇風機とか。

倒産寸前の国鉄は、旧車からの中古品を車内に取り付けて新車としたのだった。

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 シートは0系新幹線からのお下がり。

車内中央部に9列並ぶ転換クロスシートは、元々は東海道・山陽新幹線で走っていた0系新幹線のお下がり。
いや、0系新幹線から津軽海峡線用の50系客車に転用されて、さらにこのキハ54形にやってきたのだと察する。
かつて青函間を走っていた快速『海峡』も、モケットの色こそ違えど同じ座席が並んでいたから。

花形の新幹線の座席から、流れ流れて今はローカル線の座席となっているのだった。

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 ひじ掛けに内蔵の灰皿とテーブル。

さっき乗っていた721系電車も同じ転換クロスシートだけど、こちらのは新幹線用なのでひじ掛けに灰皿とテーブルが内蔵されている。
テーブルはつまみを引っ張り出して回転させればテーブルになるものだが、いくら引っ張っても出てこなかった。
使用できないように固定されているらしかった。
これは灰皿も同様。

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 深川からは普通乗車券の客となる。

発車時刻が近づいても新たな乗客は増えないまま発車となる。
地元客2人と鉄道ファン4人(私含む)という陣容。

函館本線と別れると、一面銀世界の中を1両の気動車は進む。
リズムよく刻むジョイント音が心地よい。

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 木造駅舎の北一已駅。

やがて最初の駅である北一已へ停車。
木造駅舎がポツンとあって、駅前は水田が広がるだけという寂しい駅だが、深川から乗った地元客の1人が下車していった。

こんな駅でも、利用者にとっては貴重な列車であり駅でもあると思わせる光景

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 木造駅舎の秩父別駅。

その次の秩父別も木造駅舎が使われている。
降りる人はいないが、若者が1人乗ってきた。ファン客ではなさそう。

次の北秩父別は通過、次が終点石狩沼田となる。

留萌本線は深川〜増毛間の路線だった。
2016年12月に留萌〜増毛間が廃止され、続いて2023年3月で石狩沼田〜留萌間が廃止されたのは記憶に新しい。

その後3年間だけという約束で深川〜石狩沼田間が存続することが決まったのだが、これは深川と秩父別・石狩沼田間の利用者がそれなりにいるので、すぐに廃止できなかった事情でもあった。

逆に言えば、鉄道廃止後の新たな交通体系を検討するために3年間の猶予期間ができたとも言える。
地元自治体も、2026年3月での廃止を合意している。

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 深川市 地域公共交通網リバイバルプランよりスクショ引用。

深川〜秩父別〜石狩沼田間には、1日5往復の空知中央バスの運行があるから、そちらにシフトすればいいんじゃねという話も聞こえてきそう。

ただこの路線、深川への通勤通学時間帯の便がないのである。
通勤通学輸送は鉄道オンリー。

全国でバスの運転手不足が問題となっており、バスを増便するといっても、そう簡単にはいかない時代になっている。
そこらへんは、偉い人がちゃんと考えているので心配ないのだろう。

だけど今後は、鉄道はコストが高いからという理由で安易に廃止する考え方は、改める必要がありそうだね。

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 終点石狩沼田駅に到着。

立派な屋根のある石狩沼田駅のホームが見えてくればまもなく終点。
深川から14.4km、所要15分のあっけない乗車だった。

線路はホームを過ぎても除雪されているが、300m先の車止めの手前で終わっている。
間違いなくここが留萌本線の終点だ。
留萌へ行かない留萌本線というのも奇妙なものだが、ほかにもこんな例はいくつもある。

そういえば札沼線の“沼”も石狩沼田のものだったな。
いまは北海道医療大学止まりだけど、古くはこの石狩沼田までの路線だった。

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 石狩沼田駅に停車するキハ54。

石狩沼田駅の折り返し時間は9分。
どこかへ行く時間はないけれど、せめて外に出て駅舎くらいは眺めたいところ。

ドアを開けて駅舎の中に入ると、ベンチにはこんどの上り列車の乗客となる地元客の姿があった。

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 石狩沼田駅舎。

石狩沼田駅の駅舎は鉄骨ブロック造りの立派な建物だ。
この駅舎は札沼線の廃止後に建て替えられたものだが、当時の留萌本線の重要度が伝わってくるようでもある。

その当時といえば急行が4往復あり、空知の炭鉱から留萌への石炭輸送列車がバンバン走っていた頃だからね。
景気のいい時代もあったねえ。
そんなことを思わせる駅舎だった。

昔は駅前にJRバスの乗り場があって、ここから滝川駅まで結ぶ路線があった。
私も1度だけ乗ったことがある。
新十津川〜石狩沼田間の札沼線代替という路線であったが、JRバスの滝川地区撤退から中央バスの路線となり、その後はいつの間にか消えてしまった。

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 石狩沼田駅の待合室。

再び待合室へ戻る。
薄暗くて色あせたベンチが並んでいるあたり、うら寂れた感じがする。
それでも壁にいろいろ展示物があったりするので、なんとか駅を盛り立てていこうということは感じるが、いかんせん町の人が駅に来るなんてことなど、まずないだろうからねえ。

待合室の中が妙に寒い。
ストーブはあるけどスイッチが入っていなかった。

また折り返し列車の乗客となって深川へ戻る。
乗客は地元客4人と石狩沼田で折り返す鉄道ファン4人(私含む)。

合わせて8人ではやはり車内はガラガラ。
途中で乗ってくる人もなく、15分で終点深川に着く。

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 函館本線と合流。

この留萌本線も残りあと2年とちょっと。
今はまだ静かだけど、そのうちまた名残乗車や鉄道ファンで賑やかになるのだろう。

この留萌本線を最後に、新幹線並行在来線を除けばJR北海道が廃止したがっている路線は一通り片付くことになる。

しかしこれで終わりではなく、JR北海道が『当社単独では維持することが困難な線区』としている路線が8路線残っているわけで。
今のところ結論は3年間先延ばし状態になったようだが、結論を出すときは必ずやって来る。

ローカル線の存続というと、とかく観光客を呼び込むとかそんな話ばかりに行きがちだ。

そんなことより、社会インフラとして国や行政がどうやって維持してゆくべきかという視点で議論してもらいたいものだ。
社会インフラとして必要ならば、コストがかかっても維持してゆかねばならないし、文明国ってのはそういうものなんじゃないの。

ローカル線問題なんて、私ら都会に住む者には関係ないように思えるけど、地方の交通政策の無策のツケは、巡り巡って私ら都会に住む者にも回ってくるに違いない。

都会に住んでいると当たり前のように交通機関に囲まれているけれど、これが10年先、20年先どうなるのだろうか。

今のうちにきちんとした交通政策を作っておかないと、都会の交通機関だって維持してゆくことができなくなることは想像に難くない。

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 深川駅の跨線橋と乗り場案内。

深川からはちょうど札幌行『ライラック24号』の接続があるが、私は721系電車に乗りに来たので14時10分発の滝川行まで待つことにする。

跨線橋にある乗り場案内の『留萌方面』の文字はどうなったのかというと、『石狩沼田方面』に改められていた。
でもよく見ると、留萌方面の文字がうっすらと見えた。

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 深川駅前。

55分間の接続待ち時間があるので駅の外に出る。
寒いなあ。
いや、気温はプラスでむしろ冬にしては暖かい日なのだが、今回は乗り鉄なのであまり冬装備で来ていないからだ。
駅前広場から駅の撮影だけしてまた待合室に戻る。

さっき石狩沼田から着いた列車は、こんどは13時28分発石狩沼田行4927Dとしてホームに停車している。
待合室の窓から様子を窺うが、車内に乗客の姿は見えなかった。
この列車で石狩沼田へ行くと、向こうで3時間近くも過ごす羽目になる。

車両も運転士も石狩沼田で3時間も・・・
そんなはずはないわけで、きっと回送列車になって戻ってくるんだろう。

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 深川駅に設置されたKitaca対応の自動改札機。

深川駅の自動改札機はよく見るとICカード対応のものに交換されていた。
ダイヤ改正の3月16日から岩見沢〜旭川間の各駅もKitacaなどのICカード対応となる。

岩見沢から深川まで乗ってきた車内からも、無人駅の駅舎の中にシートに包まれた新しい自動改札機が見えた。
この駅舎の中にというのが気になるところだ。
ダイヤ改正後には737系電車によるワンマン運転が始まるわけです。

そうすると、今までは無人駅で降りるときは運転士横にある運賃箱にきっぷやお金を投入していたわけだけど、KitacaなどICカードの客はどうなるのだろう。

考えられるのは、
1,運転士にICカード利用であることを告げて降り、駅の改札機にタッチする。
2,バスや市電と同様に運賃箱にICカードリーダーを設けてタッチして降りる。

無人駅でのICカードの扱いは札幌圏の駅でもあるけれど、ワンマン運転区間のICカードの扱いはJR北海道初となるので気になるところ。


 ◆ 深川 → 滝川【2328M】

やがて滝川行の改札が始まったのでホームに出る。
この列車を待つ人は5人くらい。
その9分後には札幌行『ライラック26号』が来るから、待合室の多くの人は特急の客だ。

私もSきっぷ所持なので特急で帰ろうとも思ったが、やはり721系に乗るのが目的なので。

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 4927Dは回送列車として戻ってきた。

1番ホームで待っていると、留萌本線のほうから1両のキハ54がやってきた。
さっき発車して行った13時28分発の列車。
やっぱり回送で戻って来たのだった。

でも何で回送運転なんだろうか。
営業運転でも大して変わらないと思うんだけど。

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 旭川発滝川行2328Mが到着。

続いて滝川行の721系電車が入ってくる。
この電車はさっき岩見沢から深川まで乗ってきた車両が旭川で折り返してきたもの。

車内を見ると、空席は多いが意外と席が埋まっている感もある。
ドアが開くとまた結構降りる人が多かった。

深川は空知振興局に属するが、旭川とのつながりの方が強いということなのだろう。
車のナンバーも深川では旭川ナンバーだし。

車内に入ると、行きの旭川行よりは乗っているかなという感じだった。

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 滝川行2328M車内。

ところで、今乗っている列車は滝川行だが、滝川では17分で岩見沢行に接続する。
滝川で終点となっても、同じ時間帯に滝川始発で旭川へ行く普通列車は存在しないし、もしかしたらこの列車がこのまま列車番号を変えて岩見沢行になるのではと予想してみた。

滝川近くになって、車掌の案内放送に耳をそばだてる。

まもなく終着駅の滝川に着きます・・・4番線に到着します
岩見沢行普通列車は向かい側ホーム5番線から・・・

やっぱり本当に滝川が終点みたいだ。
滝川駅に到着すると車体の方向幕は『回送』を表示した。

反対側の4番線はというと、まず札幌行『ライラック26号』が到着。
席が空いていればこの列車で帰ろうかなとも思った。
もう各駅停車もかったるくなってきた。

Sきっぷを持っているんだから、特急に乗らなきゃ勿体ないような気にもなってきたところだ。
でもなんだか混んでそうだな。
自由席の乗車口はどこも4〜5人の列ができている。

入ってきた特急の車内を窓越しに覗いてみる。
う〜んやっぱり混んでるね。
パス。

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 滝川駅で並んだ721系電車。

特急が発車してしばらくすると、今度は岩見沢行となる721系電車がゆっくりと入ってきた。
滝川駅のホームに721系電車が並んだ格好になる。


 ◆ 滝川 → 岩見沢【2330M】

さっき着いた滝川行は一旦ホームから引き上げて留置線に入るんだろう。
旭川始発の電車がまっすぐ岩見沢まで行けばいいのに、なんでこんな面倒なことをするのか。

鉄道車両の運用ってのは複雑で、1つの編成が単純に決まった区間を往復すれば良いというものではない。
何日かに1回は検査や修繕のために基地へ戻らなければならないし、何年か置きには工場に入って数週間かけてオーバーホールもしなければならない。
それを運休列車を出さないように、線路上で順繰りと回してゆかなければならないのでこうなる。

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 721系の3000番台車。

こんどの721系電車の車番は3000番台。
私は車両の知識がないので何が違うのかはわからないが、デッキの壁の色が落ち着いたものだったので、さっきの車番一桁台のよりは新しい車両ということはわかる。

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 磨りガラスのような窓。

この車両の窓も、またすごいことになっていた。
外から見れば、窓の内側が曇っているように見えたのだが、これは外側が曇っているのだった。
いや、曇っているというより、窓全体をやすりをかけたようにザラザラになっている。

完全に磨(す)りガラスとなってしまっている。

これには原因があって、かつてスピードアップした際に冬に列車から落ちた氷片がバラストを跳ね上げて、そのバラストで窓ガラスが破損する事故が相次いだために、窓ガラスの外側をポリカーボネート板で覆ったことによる。
それが長い年月をかけて劣化し、磨りガラス状態となってしまった。

しかし、外は全く見えない状態。
いくらなんでもこれは酷いんじゃない?

窓くらい何とかしてよ、JR北海道さん。

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 一部の窓は換気用に開けることができる。

奈井江からはこの客室内は貸し切り状態となった。
誰もいないので、車内をあれこれ撮影したり、前部デッキの窓から前面展望を見たりして過ごす。

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 小樽寄り先頭の1列座席は撤去されて車椅子スペースとなっている。

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 前面展望も楽しめる最前部デッキ。

721系電車は助士席側が大きな窓になっているので前面展望が楽しめる。
快速『エアポート』の130km/h運転時代は、ここから覗いていると結構迫力がある眺めだったものだ。

731系以降の通勤電車だと貫通扉の窓しかないからちょっとつまらなくなったね。

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 一直線に伸びる函館本線(奈井江〜茶志内間)。

砂川から美唄までは気持ちよいくらいの直線区間が続く。
重軌条のレールに複線電化、鉄道はやっぱりこうじゃないとね。

道内で真っ先に130km/h化による高速運転が行われたのが札幌〜旭川間の特急だった。
直線区間が多くて線形が良いので、高性能を遺憾なく発揮できたからだ。
その後はいろいろあって、120km/hに抑えて運転するようになった。

再びここを特急が130km/hで走る日は来るのか。
この立派な線路を見ているともったいない様な気がする。

こちら721系普通電車はというと、速度計はピタッと110km/hを指していた。

滝川からわずか39分で岩見沢へ。ちょっと名残惜しくなってきた。
車内の居住性といい、レイアウトやデザインといい、721系電車はJR北海道の名車と言ってもいいだろう。
普通列車用で、これに匹敵する車両が登場することはもうあるまい。

でもまだ引退するわけではないので、そのうち乗る機会はまだあるだろう。
だけど今後は721系電車に会うには偶然に期待するしかないわけで。

快速『エアポート』や札幌近郊電車では、駅弁とワンカップを持って乗るわけにはいかないからね。
そういう意味では、私にとって乗り納めです。

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 岩見沢に到着。

岩見沢が近づくと車掌の到着案内が始まる。
この列車に接続するのは15時38分発小樽行普通列車だけだと思っていた。
岩見沢では14分の接続時間。

ところが車掌は、
札幌行カムイ28号は4番線から15時30分・・・
と伝えた。

そんな列車あったんだね。
あとで調べたら、週末だけ運転の運転日注意の列車だった。
臨時列車だったから全くノーマークだったわ。


 ◆ 岩見沢 → 札幌【カムイ28号】

岩見沢からは特急で帰ります。

入ってきた『カムイ28号』。
2007年に、先代『ライラック』781系電車の置き換えのために登場した車両。

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 週末のみ運転の『カムイ28号』。

特急『スーパーカムイ』として、新千歳空港〜旭川間を結ぶエースとなった車両。

だけど、2016年3月には快速『エアポート』の直通運転取りやめ、2017年3月には津軽海峡線の『スーパー白鳥』がやってきて『ライラック』を名乗るようになると“スーパー”の冠も取れて『カムイ』になり、影の薄い存在となってしまった。

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 カムイ28号の自由席車内。

もう立ちっぱでもいいやと乗り込んだが、運よく空席に座れた。
臨時列車にしては中々の乗車率。

特急は早いね、楽だね。
乗って座席に座ってしまえば札幌までわずか25分。

さっき721系電車のことを褒め称えたけれど、特急に勝るものはないわけで。
まったく現金なものですな (^^♪

ゆるい締めとなったところで終わります。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。  

posted by pupupukaya at 24/02/24 | Comment(0) | 道央の旅行記

2024年、721系電車乗り納めと短縮された留萌本線へ1

今回は乗り納めです。

今年(2024年)3月に行われるダイヤ改正で大きく変わることの1つは、函館本線の岩見沢〜旭川間の普通列車が737系電車に置き換わるというもの。

新しい737系電車は、すでに室蘭本線で運用されていますが、2両1ユニットのワンマン仕様で車内はオールロングシートというもの。
この電車の投入により輸送状況は大きく改善されることになるでしょうが、また味気ない車両が幅を利かせるんだなというのが正直な感想です。

現在岩見沢〜旭川間で運行されている車両の主力は721系電車
3扉デッキ付き転換クロスシートでおなじみの車両です。
これがダイヤ改正後は、オールロングシートのワンマン電車、737系に変わることになります。

とは言っても、721系電車が引退するわけではなく、ダイヤ改正後も快速『エアポート』や札幌近郊の普通列車では残ることになります。
721系電車自体には今後も乗ることができますけど、旅情とか汽車というものとは縁遠いものになってしまいます。

だからそういう意味では、今回は721系電車ではなく、“汽車” の乗り納めと言うことになるのでしょうか。

せっかくなので終点の旭川まで乗りたいところですが、深川で降りて石狩沼田へ行くことにしました。
去年(2023年)3月いっぱいで石狩沼田までに短縮となった留萌本線ですが、こんなことでもないと乗る機会もなさそうなので。

使用するきっぷは普通乗車券としました。
札幌から石狩沼田まで往復で5,720円

現在は『一日散歩きっぷ』は冬は発売されないし、『青春18きっぷ』も春の分は3月1日から開始なのでこれしかありません。
結構高くつくけどしょうがない。
3月からの青春18シーズンになれば混むようになるだろうし、私自身1枚5回分買ったとて使い切れませんから。

というわけで、以下旅行記となります。


 ◆ 石狩沼田までのきっぷ

で、やってきました日曜日の札幌駅。

まず調達しなければならないのが石狩沼田までの乗車券。
それが、10時前の札幌駅の西コンコースの券売機はすごいことになっていた。
5台ある指定券券売機は何十人もの列がずっと続いている。
多くが外国人とみられる人たち。

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 西コンコース指定席券売機にできた長蛇の列。

列は30〜40人くらい?
この後ろについたら順番が来るまでどれくらい並ばされるんだろう。

これはちょっと酷いのではないか。
とは言え大行列は今日だけでなく、札幌駅でのここ最近は日常茶飯事の光景となっている。

JRの特急や指定席に乗るには、紙の磁気券を専用の端末で発券する必要があるのでこうなるのだ。
こんなガラパゴスというか、前時代的なことをいつまで続けるつもりなんだろう。

このブログで再三主張していることだけど、いい加減にチケットレス化できないものですか?JRさん。
ですが今回は旅行記ですので、そういった話はまた改めて・・・

長蛇の列とは反対に、みどりの窓口は余裕がある。
そちらへ行ってカウンターで買うことにした。

順番が来たので、
石狩沼田まで往復」と言うと、
今日行って今日帰られる形ですか?
はい

窓口氏は端末を操作して、
5,460円です

ん?
調べてきたのより安いぞ?

出てきたのが、札幌〜深川間のSきっぷと深川〜石狩沼田間の往復乗車券だった。

いや、Sきっぷでなくて乗車券の往復
と言うと窓口氏は端末を操作して、
乗車券の往復だと5,720円です

特急に乗れるSきっぷの方が安いとは、思わぬ展開になった。

あ、じゃあSきっぷでいいです

結局Sきっぷと乗車券の組み合わせのを購入した。
その代わり深川以外では途中下車できなくなるけど、仕方がない。

DSCN3468.JPG
 深川までのSきっぷと深川〜石狩沼田間の往復乗車券。

車や高速バスとの競争が熾烈なので、特急も普通乗車券より安くしなければならない。
だからJR北海道は赤字なんだろうな。

安いことは一見すると良いことに見えるけど、これでは正規の運賃・料金で乗ってくれるようなビジネスや飛び入り客でも、安いきっぷで乗せてしまうことになってしまう。

こんどの特急列車の全車指定席化というのは、こうした悪い割引制度(JR北海道にとっては)を改めるという意味では必然だったのだろう。
経営改善的には、取れるところからしっかり取らなければね。


 ◆ 札幌 → 岩見沢【159M】

10時07分発の岩見沢行で出発して岩見沢で途中下車してから旭川行に乗り継ぐつもりでいたが、途中下車ができなくなったので次の10時37分発岩見沢行に乗ることにする。

時間ができたのでホームで列車を見て回る。
快速『エアポート』の6番ホームはすごいことになっていた。
乗客の半分は外国人じゃないかと思うほどで、車内は立ち客も大勢。

4号車の指定席は大人気で、大型スーツケースを持った外国人の専用車と思えるほど。
しかも発車前から乗車口の前に次の列車の指定席客の列ができる有様。

DSCN3357.JPG
 外国人客で大盛況の快速『エアポート』。

3月のダイヤ改正から、『エアポート』も1時間6本体制になり、毎時1本の特別快速が登場する。
JR北海道も、これからは新千歳空港アクセス輸送1本に全ツッパかよと思ったものだ。
しかし、この混雑を目の当たりにすると、それも当然なのかもと思えてくる。

そんな『エアポート』と指定席の様子を見ていたら、なんだかうんざりしてきた。
うんざりなんて言っちゃいけないんだけどね。
制度上普通列車グリーン料金より高い、1席840円也のuシート指定席を満席にしてくれる大事なお客様なのだから。

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 岩見沢行159Mは731系+733系の6両編成。

喧噪のエアポートホームから9・10番線ホームへ向かうと、こちらは閑散としたもの。
ホームの人がほとんど増えないまま、ほしみ始発の岩見沢行が入ってきた。
予想していたけれど、オールロングシート。

私など通勤でJRを利用するわけではないし、それ以外の移動は基本車なので、たまに乗った列車がロングシートだとがっかりする。

でも10時37分発岩見沢行は午前中の下りなのと6両編成ともあってガラガラ。
人がいなければロングシートは広々として快適ではある。

DSCN3375.JPG
 731系電車のロングシート。

こんどのダイヤ改正は大幅に増発される快速『エアポート』の裏で、他の路線では減便ダイヤとなる。

今乗っている札幌から江別までの区間は、現在は毎時4本となっているが、こんどのダイヤ改正からは毎時3本に減らされる。
小樽方面も減便となるし、千歳線は『エアポート』の増発の陰で各駅停車は減便となり、運行系統も北広島で分割される。

日中の学園都市線以外の各駅停車列車の本数は、国鉄時代末期まで戻ってしまうことになる。

乗務員不足というのも、さらに減便に拍車をかけることになるだろう。
バスはすでにそれが始まっている。

この先に待ち受けているのは、減便して不便になって利用者が減り、利用者が減ったのでさらに減便して不便にという負のスパイラル。

北海道新幹線が札幌まで来る頃には、北海道の公共交通機関はどうなっているのだろうか。
“どうなっている” は札幌市内や近郊とて例外ではない。

交通政策の無策は、いずれ道内だけではなく、札幌近郊の交通機関をも破壊することになるだろう。
日本の交通行政、とくに北海道庁は『赤字』の2文字だけを理由に、鉄道やバスといった社会インフラの維持を放棄してしまう存在だからだ。


 ◆ 岩見沢 → 深川【2325M】

岩見沢は1番ホームに到着。
3両編成の旭川行普通列車は3番ホームにすでに入っていた。

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 岩見沢駅跨線橋から見る721系電車。

そういえば赤い711系電車の乗り納めに来たことがあったなあ。
あれも2015年の今時期だったっけなあ。

その時の記事はこちら ↓ ↓ ↓

早いもので、もう9年が経つ。
あの時は711系電車が721系電車に置き変わったわけだが、その721系電車に乗り納めに来る日が来ようとは・・・

DSCN3384.JPG
 721系電車は近郊電車らしい安定の顔つき。

ステンレス車体に黄緑の帯を巻いたこの電車が登場したのは1988年11月のダイヤ改正だった。
札幌駅の高架開業と同じくしてのこと。
3扉車、冷房付き、転換クロスシート、大きな固定窓というのが斬新だった。

それまで普通列車といえば、ボックスシート、2扉デッキ付き、小さな二重窓が標準だったし、そういうものだと思っていたから。
ED76形電気機関車牽引の客車列車が札幌圏でも普通に走っていた時代。

1988年は、昭和63年だよ。
昭和だよ、しょうわ

昭和時代の車両だったんだねえ。
私はその当時ね、高校生やってたよ。

当時あんたは何やってたんだい。
えっ?
まだ前世だったって?

なんだか遠い時代を思い出してしまったなあ。

この旭川行は1ケタ台の車番。
一番最初に登場した初期車ということになる。

この721系車両も、その後に登場した快速エアポート用を始めとする、様々なバリエーションが存在する。
その車両のあれこれをここでご紹介したいところだが、お恥ずかしながら私は鉄道車両に関する知識を、あまり持ち合わせてはいない。
だからそれについては、他のサイトを参照願います。

だけど運行開始から35年以上、さすがにもう置き換えなきゃだわな、ということくらいは分かる。

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 岩見沢駅3・4番ホームにある木彫りの輓馬像。

窓越しに見える車内の転換クロスシート、デッキ付きの乗降口。
ホームはと言うと、レールを組んだホームの屋根、いかにも『汽車』って感じがして良いね。
旅の途中って感じが湧いてくるよね。

ぼんやり光る、行灯の方向幕もまた旅情を掻き立てる。
最近のはLEDとか液晶パネルのものばかりになった。

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 721系電車の側面。

乗客数はというと、見事にガラガラ。
先頭の階段に近いほうの車両は乗客がチラホラ見られるが、後ろの方に行くにつれて無人に近くなる。

最後部の『クモハ』に乗る。
クモハとは・・・

思わず説明しかけた。そういう話はまた今度に。
ていうか、このブログの読者諸氏には説明不要でしょうが・・・

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 ブルーにスズラン柄のデッキ。

この初期車のデッキの壁は、原色ブルーに白抜きのスズラン柄という派手なもの。
色はともかく、このスズラン柄を初めて見たとき、絶対に札幌市営地下鉄東西線の6000形電車の影響だと思ったものだった。

車内は、3扉デッキ付きなので客室は2つに分かれる。
デッキ仕切り扉は両開き、また出入口前の1席は1人掛けとして立席スペースを確保している。
それまでの2扉デッキ付き車両からは、ラッシュ輸送が大幅に改善された。

しかしそれも長くは続かず、さらに増え続けるラッシュ輸送ではデッキ付き転換クロスシートでも輸送力不足という事態になった。
そこで登場したのが、オールロングシートの731系電車。
このロングシート電車のデザインと車内レイアウトは、以後札幌近郊の電車の標準となって今に至る。

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 茶色の転換クロスシートが並ぶ車内。

さて、がら空きで席が選び放題の車内に入るが、窓の汚さが気になる。
そのうちの、窓の汚れが比較的ましな席に座った。

JR北海道は窓が汚れたままの車両が多いのが困ったものだ。
煤と油が混じった水滴がそのまま固まったような細かい斑点模様がびっしり。
いくら車内や座席が快適でも、これでは旅の楽しみが無くなってしまう。

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 札幌駅で買っておいた石狩鮭めしと純米酒金滴。

発車間際になって1人乗ってきたが、岩見沢発車時点でこの客室内の乗客は私含めて2人だけ。
心置きなく呑み鉄をさせていただきます。

岩見沢で途中下車できないので、お酒と駅弁は札幌駅で買っておいたもの。
駅弁は札幌駅立売商会のベストセラー、石狩鮭めし。

お酒は純米酒 金滴。
このカップ酒は、なぜか札幌駅のキヨスクでしか売っていない。

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 イクラがたっぷりで日本酒も捗ります。

石狩平野の雪原を眺めながら石狩の鮭(石狩産かは不明だが)と新十津川町の石狩川ほとりにある酒蔵のお酒は絶妙コンビ。
冷めてもおいしいご飯に冷や酒がまた合うのよ。

コロナ対策でのデッキ扉解放のせいで、車内は冷たい風がスースーするけど、そこは仕方がないね。
客室のもう1人の兄さんも、窓枠にビールを並べていた。
あちらも最後の721系乗車というか、同じこと考えていたんだろう。

普通列車でこんな呑み鉄も、もう叶わなくなりそう。
ロングシートじゃさすがにやりかねるし、必ずクロスシート車に乗れる区間もなくなってしまうから。

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 汚れた窓が残念。

汚れた窓からは外が見づらいし、もう何十回も目にしている風景なので、目線はどうしても車内の方に行く。

ワンマンではないので時おり車掌が巡回に現れる。
特急停車駅以外はすべて無人駅なので、これらの駅から乗った客は車掌からきっぷを買うことになる。
また下車客からの集札も車掌がやる。

普通列車でこんな光景が見られるのも、岩見沢〜旭川間だけになってしまった。
あとはすべてワンマン化されたし、札幌近郊にも無人駅はあるが、Kitaca区間では車掌が集札をすることはないようだ。

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 グローブ付きの照明はどこか高級感がある。

こうして改めて車内を眺めていると、この721系電車というのは豪華な造りだったんだなあと思う。

天井を見ると照明はグローブ付き。
当時はこんなものは特急車くらいなもので、普通列車の照明なんて蛍光灯むき出しだった。
もっともこれは、731系電車以降はまた蛍光灯むき出しに戻ってしまったが。

照明と並行するルーバーは空調の吹き出し口。
道内は普通列車など非冷房が当たり前で、夏は天井にぶら下がった扇風機が暑い風をかき回していただけ、換気はこれも天井のベンチレーターか窓を開けるかしかなかった時代。

普通列車で冷房付きなんて贅沢すぎるのでは、なんて思ったものだ。
この頃は路線バスだって非冷房が主流だったからね。

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 進行方向を示す矢印と座席番号は快速『エアポート』の名残。

網棚は特急と同じように外側に帯がついたタイプのもの。
快速『エアポート』に使われるようになってからは、ここに座席番号と進行方向を示す矢印が表示されるようになった。

つり革と中吊り広告がなければ、特急並みのアコモデーションと言っても良いくらいだ。
あとは、窓が2席共用のブラインドでカーテンじゃないこと、デッキ仕切り扉が両開きということ。

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 特急車と見紛うような車内。

この電車が登場した昭和の時代、バブル景気真っ只中だった。
いや、バブル景気ってのは90年代になってからの造語で、あの当時は神武以来の好景気なんて言っていた。
バブル景気だから車内が豪華というわけでもないだろうけど。

バブル景気の追い風があったにしろ、この電車は国鉄から新生JR北海道となって初の新型電車だったからね。
当時のJR北海道としては、北海道を代表する電車としたいという思いを込めて設計・製造したのだろう。
その当時の意気込みを各所に感じられる。

シートの色は茶色とシックにまとめられているが、実は登場時の座席の色は真っ赤だったな。
そんなことをなぜ思い出したかというと、シート横に見えている金具の赤い色が目に留まったから。

モケットも、レザー部分も、ひじ掛けもすべて赤い座席だった。
赤い座席が並んで、デッキの壁はこれも青地にスズランの柄。
何とも毒々しく感じたものだった。

今の落ち着いた色に改められたのは、新千歳空港駅開業の快速『エアポート』運行開始以降だったかなあ。

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 座席を向かい合わせにしてみる。

周りに人がいないので、転換シートの背もたれを反対にしてみたり。
シートピッチは910mmと国鉄型特急のサイズだけど、座席の構造が簡単なので向かい合わせにしてもゆったりして見える。
大きな窓と、物が置けるように広くなった窓枠。

特急と比較しても遜色ないほどの居住性。
実際、これの少し前までは特急でも座席がリクライニングしない回転クロスシートというのもあった。
関東のほうじゃ、転換クロスシートの特急(185系)もあったくらいだからね。

この電車の座席はリクライニングこそしないけど、背もたれは十分なほどの傾斜があって、リクライニングしていないリクライニングシートよりもはるかに快適。

それに前の客が背もたれを倒してムカつくこともない。
もうこんな座席が採用されることはないのだろうか。

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 背ずりを前後に転換して向きを変える。

相変わらず車内はがら空きのまま。
前のほうの車両は美唄、奈井江と乗降があるが、後ろの方は静かなもの。
砂川でこの車両にも新たな乗客があった。
それだけ乗ってきたのではなく、たまたまこの車両が改札口の近くに停まったからというだけの話。

それでもまたほとんどが滝川で降りてしまった。
この列車は旭川まで行く数少ない普通列車なので、青春18シーズンなどはそれなりの乗車率になるようだけど、シーズン外の今日は寂しい姿だった。

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 滝川でキハ40形気動車。

滝川の手前で、構内で休んでいるキハ40形気動車を発見。
もうすっかりデクモと呼ばれるH100形気動車に追われた格好で、函館本線の岩見沢〜旭川間と根室本線の滝川〜東鹿越間ではまだ主力として走っている。

これも来年2025年3月ダイヤ改正で定期運行終了となるそうだ。
定期運行のラストランは根室本線滝川〜富良野間か函館方面か。
古い車両をいつまでも使うわけにはいかないとわかっているが、昔ながらの車両がなくなるのは寂しいことだ。

滝川からはいかにも721系電車に乗り納めに来たような人たちが乗ってきたが、相変わらずガラガラのままなので気になるほどではない。
私だってどうせ似たようなものだし。

3月になって18きっぷシーズンとなれば、乗り納めの人たちでこの電車も混むようになるのかな。
それとも人知れずダイヤ改正でひっそりと姿を消すのか。

・・・いや、それは絶対ない。

彼らは必ずやって来る。
だから、すいていて静かな721系電車の乗り納めをしたければ、今のうちにどうぞ。

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 赤い711系電車が現れそうな江部乙駅。

滝川の次の江部乙は堂々とした木造駅舎が今も残っている。
開いたドアからホームと駅舎を見ていると、赤い711系電車が似合う気がした。
新型の737系ワンマン電車との組み合わせはどのように見えるのだろう。

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 深川で721系電車を見送る。

12時26分、深川着。
岩見沢から1時間足らずの短い乗車だったけど、呑み鉄もできて乗り心地も堪能できたので満足できた。

深川では乗客の入れ替わりが目立ったが、下車した人のほとんどは跨線橋の階段へと向かって行った。

次は石狩沼田まで短縮となった留萌本線の客となります。


posted by pupupukaya at 24/02/22 | Comment(0) | 道央の旅行記

2024年 春に廃止が決定している東鹿越へ2

 ◆ 富良野→東鹿越 2477D

こんどは3月31日をもって廃止となる富良野〜東鹿越間を往復してきます。
別に乗れれば立ちっぱなしでもいいやと思っていたので、改札口でもホームでも行列には並ばなかった。

2477Dの編成はキハ40形車両の2両編成。
普段は1両なので増結した格好になる。

2477D/2482Dの編成
キハ40 1479
釧クシ
キハ40 1724
旭アサ
←東鹿越    富良野・滝川→

DSCN2978.JPG
 『ぬのべ』の表記が消えるであろう富良野駅の駅名標。

1両ならば結構な乗車率だろうけど、2両編成になると余裕がある。
各ボックスがすべて埋まって、ロングシートに1〜2人、相席にはならない程度といったところ。

客層は乗り納めに来たと思える人ばかり。
改札口ではきっぷを見せるだけの人が多かったので、多くは北海道フリーパスや大人の休日倶楽部パス所持者なのだろうか。
年齢層は高め、若い人はほぼいない。

あとは地元客と思しき人も見られる。
この列車が滝川方面からの列車と全く接続しないのは、富良野市から南富良野町内へ帰宅する人のために設定されたからだろう。

新得まで直通していたころは、道央と道東を結ぶルートとして機能していたが、東鹿越〜新得間が災害でバス代行となってからは本数が減らされ、また時間もかかりすぎるようになったことから、盲腸線のような扱いとなってしまった。
旭川・富良野〜新得・帯広間の利用ならば、3往復ある都市間バスの『ノースライナー』に乗ればいいわけだ。

DSCN2994.JPG
 東鹿越行2477Dの車内。

私はというとロングシートの客となる。
すいていれば壁に背をもたれて、横向きになって外を眺めるのも悪くはない。

最初の停車駅が布部駅。

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 北の国からの舞台となった布部駅。

布部駅はテレビドラマ『北の国から』の舞台となった駅。
ドラマ撮影当時からはリフォームされているが、木造駅舎が今でも残されている。

廃止後はこの布部の駅舎はどうなるんだろうか。
保存して新たな観光名所となるのか、解体して整地して記念碑がポツンと立つだけになるのか。

DSCN3005.JPG
 一面雪原の富良野盆地を走る。

富良野を出てから車窓風景は平らな富良野盆地。
この辺りは米どころの水田地帯だけど、冬になれば一面真っ白な世界になる。
吹雪いた日にはホワイトアウトが恐ろしい。

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 山小屋風駅舎の山部駅。

次の山部では地元の人の乗降があった。
1966年に富良野市と合併するまでは山部町の中心部だったので、駅前は市街地となっている。
また急行『狩勝』の停車駅でもあった。

ここで4人の乗客があったのはちょっと意外だった。
数は少ないけれど、それなりに地域の足となっているようだ。

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 木造駅舎が残る金山駅。

下金山からは南富良野町となる。
山部まで並行していた国道38号線は、下金山の手前から幾寅までは完全に別ルートとなっている。
ここから金山まで並行する国道は、旭川〜富良野〜占冠〜日高を結ぶ国道237号線となる。

金山駅はここも木造駅舎が残る駅。
駅構内には保線車庫があり、駅舎の横には保線区の事務所として使われていた建物があったりと、鉄道としてはそれなりの拠点であったようだ。

しかしそれも今は使われていないようで、保線車庫への線路は雪に埋もれている。

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 レンガ積みの危険品庫と保線区の建物。

金山駅は集落から少し離れた場所にあり、国道から坂を下った場所にぽつんと建っているような駅だ。
廃止後はここも例外なく解体されてしまうんだろうな。

ホームにあるレンガ積みの古い建物が目を引くが、あれは危険品庫として使われていた建物。
危険品庫とは、鉄道が最初に走り始めた頃、電気がなくてランプを灯していた時代に、明かり用の灯油を保管するために建てられたもの。
明かりが電気になっても、ポイントの潤滑油や暖房用の灯油を補完するために残されているものがある。

この金山駅のは1911(明治44)年建築という大変歴史のあるもの。
駅舎は解体されても仕方ないけど、この古いレンガ積みの危険品庫は保存できないものかと思う。

金山からは空知川の谷間へと分け入ってゆく。
ここから幾寅までは人家もほとんど無い地帯となる。
並行する道路は一般道道金山幾寅停車場線で、かなやま湖畔へ行く車しか通らないような道路だ。

ここから先にちょっと見たいものがあるので、失礼して最前部のデッキに陣取らせてもらう。

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 金山湖橋梁と旧鹿越信号場のS字カーブ。

金山を発車して2つ目のトンネルを抜けた先にあるもの。
それは、鹿越信号場跡。

長い空知トンネルを抜けて金山湖の鉄橋を渡った先に不自然なS字カーブが見えてきた。
あれが鹿越信号場の跡だ。
当時はY字分岐のポイントがあって線路が二手に分かれていたのだろう。

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 旧鹿越信号場の小屋。

信号場だった当時は短いホームがあって客扱いもしていた。
道内版時刻表にも掲載されていた客扱い信号場だが、まったくもって謎の信号場だった。

今走っている区間は金山ダム建設の際に新たに付け替えられた線路になる。
今はダムの底だが、旧線時代は鹿越駅というのがあった。
新線に付け替えられた当時は、金山の次が東鹿越では駅間が長すぎるという理由でこの鹿越信号場が設けられたのである。
当時は石勝線がまだなく、特急も急行もすべてこちらの根室本線だった時代。

それが石勝線開業で多くの列車が石勝線経由となり、余剰設備となったことから1982年に鹿越信号場は廃止される。
交換設備は撤去されたが、その後も鹿越仮乗降場として客扱いは続けていたようだ。

“ようだ”と言うのは、この旧鹿越信号場の最大の謎。
時刻表に載っているのに、停車する列車が1本もないということ。
当時の時刻表を見ると、営業キロ設定のない駅として鹿越の名はあるが、すべての列車が通過を示す『レ』マークになっている。

そもそも人家がある場所ではないので、保線関係の人が乗り降りしていたのかも知れない。
ネットで調べると、車掌に頼むと停車して降ろしてもらえたという記述もあったりする。

信号場が廃止されても、仮乗降場として書類上存続していただけなのか。
真相はどうだったのか、今となっては知る由もないけれど。

この謎乗降場は1986年11月のダイヤ改正で正式に廃止となり、以後の時刻表からも姿を消している。

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 線路上のシカ。

このあたりから多くなるのがシカの出没。
人家も道路もないこの辺りはシカにとっては楽園だろう。
1日4.5本しか列車の通らない線路は、シカにとっては歩きやすい獣道だ。

だけど運転士にとっては緊張の連続だろう。
車と違って急には止まれないしハンドルで避けることもできない。
線路わきにシカの群れを見つける度に徐行を繰り返す。

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 前面展望から見る東鹿越駅。

無人地帯を延々と走ってきて、だんだん東鹿越駅の構内が見えてくる。
2本あるうちの片側だけだが、構内はきれいに雪かきがされている。
運転士にとっては、無事に着いてホッとするところだろう。

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 今は終点になった東鹿越駅。

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 東鹿越駅に到着。

東鹿越駅は出迎える人もなく、普段は寂しい終着駅なのだろう。
一面の雪景色と、広い構内がよりいっそう寂しさを醸し出している。

構内が広いのは、駅裏に石灰石の鉱山があって、この駅から石灰石を積み出していたから。
90年代までは、ここ東鹿越から釧網本線の中斜里まで石灰石の貨物列車が運行されていた。

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 東鹿越駅のホームと駅舎。

当時、構内に並んだ側線には茶色いトキ25000形貨車が並んでいたので、東鹿越駅というと貨物駅という印象があるけれど、それも遠い時代になってしまったんだなあ。

しかし石灰石鉱山は今でも操業している。
要は100%トラック輸送になったということ。

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 東鹿越駅の駅名標。

列車を降りると駅前に新得行の列車代行バスが停まっていると思っていたが、バスはまだ来ていない。
新得からの到着時刻は15:04着で、15:13に新得行となって折り返すダイヤとなっている。

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 列車が到着すると賑わいを見せる。

駅前は列車で着いた人たちがウロウロと。
大半は新得への代行バスに乗り継ぐようだ。

東鹿越駅は、ここも木造駅舎が残っている。
駅前は見事に何もないところで、駅を出ると1本の町道と、かなやま湖の氷結して真っ白になった湖面が見えるだけ。

駅裏に石灰山の鉱業所はあるけれど住宅はなく、駅前は無人地帯となっている。
かなやま湖の対岸に温泉やキャンプ場のある公園はあるが、駅からは約4kmと遠い。

そんな駅なので、2017年3月ダイヤ改正で廃止が決定するも、その前年の台風災害による不通区間の発生で、東鹿越駅は列車と代行バスとの乗継駅として存続することになった。
そういう意味では運のいい駅ということになる。


 ◆ 東鹿越→滝川 2482D

そんな駅前広場をバスを待つ人たちと一緒にウロウロしていると、前面に『列車代行様』と掲げた1台の観光バスがやって来た。
このバスは営業路線ではなく、貸切バスの扱いなのでこうなる。

運行会社はふらのバス。
車内は満席というほどではないが、結構席が埋まっている。
青春18きっぷシーズンにもなれば1台に乗り切れるのかなあ。

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 新得からの列車代行バスが到着。

そんなことを思っているともう1台バスが現れた。
こんどのは拓殖バス。こちらも同じような乗車率。

列車代行バスも、いつの間にか2台体制になっていたのだった。

こりゃあ大変だと、バスの乗客が降り始める前に折り返し列車への車内へと戻る。

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 東鹿越発滝川行2482Dの車内。

この段階では、まだ座席は選び放題。
戻りの列車はボックスシートの客となることにした。

しばらくすると、バスからの客が続々と乗り込んできた。
乗客の顔ぶれを見ていると、こちらもやはり年齢層は高い。
夫婦の客もいるが、圧倒的に多いのが初老の男性。

このボックスシートも初老の男性客と相席になった。

さっき着いた列車の折り返しと、代行バスからの乗り継ぎ客合わせて50〜60人ほどの乗客で東鹿越を発車する。
相席でちょっと窮屈だけど、やっぱりボックス席の旅はいいね。
戻りの列車は旅気分で行くことにした。

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 一面真っ白の金山湖を渡る。

ところで、3月いっぱいで廃止になる東鹿越〜新得間だが、廃止後の交通体系は大変複雑になる。

現在この区間を運行するバス事業者は、以下の通りとなっている。

・都市間バス『ノースライナー』
・ふらのバス(富良野〜西達布)
・南富良野町営バス(金山〜南富良野)
・南富良野町デマンドバス(幾寅〜落合)
・占冠村営バス(占冠〜金山〜富良野)

富良野〜東鹿越〜新得間の廃止後は、これらバス路線が代替交通機関となる。

今まではJR1本で行けたものが、鉄道廃止後は各事業者バラバラな運行になる。

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 新たな南富良野町交通体系フロー図(南富良野町HPから引用)

これは、今までは鉄道の廃止後は、代替交通機関ということでバス路線が新設ということになっていたが、バス業界を取り巻く情勢は年々厳しくなってきており、新たな路線を新設するわけにはいかなくなってきている事情からだ。

かつては鉄道が廃止となってもバスによる代替となり、本数の増加やバス停の増加による利便性の向上となったものだ。
バス転換とも呼ばれていた。

だけど今後は、鉄道が廃止となっても簡単にバス転換とはいかなくなるだろう。
その第1号がこの南富良野町の鉄道廃止後の交通体系なのではなかろうか。

この地域のバス事業者が、それぞれの縄張りを持っていて、それぞれの思惑で運行しているのでこうなる。

公共交通機関をインフラとして捉えるならば、バス会社や鉄道を含め、自治体の垣根を取り払って、共同の運行事業者を作る必要があるのではなかろうか。

同じインフラでも、ごみ処理や消防では複数の自治体組合を作り、共同で運営する制度が実現しているのだから、できないはずはない。

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 撮り鉄さんたち。ご苦労様です。

私個人の意見としては、鉄道の廃止は反対の意見だ。
しかし、利用者が極端に少ない路線については廃止もやむを得ないと思っている。

だけど今後は、鉄道を廃止しても代替交通機関を確保できないということを念頭に置く必要がある。

今まではバス転換ということで、鉄道には無いきめ細やかなサービスを提供することを期待できたが、もうそんな余裕はバス業界にはなくなったということだ。

そんな一方で、過去の国鉄再建法によるバス転換は成功したのだから、赤字ローカル線は廃止するべきだという意見も目にする。

その意見に対して一つ言いたいことは、当時は国からのバックアップ(補助金等)もあってのことだし、バス運転手の確保も容易だったことから実現したことだ。

過疎の市町村でも働き手世代がたくさんいた時代の話だ。
それは団塊の世代が現役だった1980〜90年代の話。
令和のこの時代、深刻な過疎化と高齢化社会ではそういうわけにはいかない。

鉄道の廃止バス転換について「過去に成功したから」と言ったところで何になる?

 〜北海道知事の鈴木さん聞いてる?

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 防雪柵の風景。

今乗っているキハ40形気動車は、青いボックスシートが並ぶ昔ながらの『汽車』の面影を残す最後の車両となった。
道内向けの車両は150両が製造され、ひと頃はどこへ行ってもキハ40ばかりなので食傷気味になったこともあった。

この車両も、製造が一番新しい車両でも40年以上が経過して老朽化が進んでいる。
そのため2025年3月で廃止されることになっている。

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 曇る窓が悩ましい。

富良野では富良野線に乗り換えるのか、下車客が目立った。
代わって乗り込んできたのは外国人旅行者たち。
一気に国際色豊かになって富良野を発車する。

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 富良野駅から秋と冬のみ運行される貨物列車。

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 だんだん日が暮れて。

汽車の窓から暮れゆく風景を見ていると、この根室本線が道央と道東を結ぶ幹線だった頃への思いが膨らんでくる。

まだ石勝線がなかった時代、特急『おおぞら』や急行『狩勝』といった優等列車がここを通っていた。
すっかりローカル線になってしまったが、かつては同じ風景を『おおぞら』の食堂車から眺めていたかも知れない。
今は食堂車にいると思い込めばここは食堂車なんじゃないかな。

富良野で買った男山のワンカップで一杯やりたくなったけど、相席だし周りにも乗客がいるのでさすがにやりかねる。

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 キハ40形の網棚。

単調な車窓からたまに車内に目を向けると、網棚(あみだな)が金網で出来ていることに気づいた。
これぞまさしく網棚だよなあ。
さらに古くは紐を編んだ、本当の網で作られていた。

何となく網棚と呼んでいたが、今のはパイプ棚だし、特急や新幹線のはただの荷棚だ。
網棚ってなんで『あみだな』って呼ぶの?なんて言う時代になるのか、それとも死語となってしまうのか。

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 函館本線と合流。

16:57、滝川着。
東鹿越から1時間45分はさすがに乗りごたえがあった。


 ◆ 滝川→札幌 ライラック34号

ここから乗り継ぐ列車は17:02発『ライラック34号』。
わずか5分の接続だし、次は30分後に『ライラック36号』があるので、そっちでもいいかなと思っていた。

今の列車で降りた人たちのほとんどが改札口ではなく跨線橋へと向かっている。
滝川から特急に乗り人も多そうだ。

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 滝川駅に到着。

しかしここまで来たら早く帰りたくなってきた。
特急のホームに行ってみて、混んでいたら次のライラックで帰ろうと5番線ホームへと向かう。

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 滝川駅に停車中の721系電車。

向かいの4番ホームに停車中の列車は721系電車の岩見沢行。
この電車も今度のダイヤ改正では岩見沢〜旭川間での運行を引退することになっている。

車内はがら空き。
こっちに乗ろうかなと思いかけるも、やっぱり早く帰りたかった。
やがて旭川からの『ライラック34号』が入線。

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 滝川駅に入線する『ライラック34号』。

自由席の3号車にいくつか空席が見えたので、乗ってしまうことにした。
ホームの乗車口案内板には自由席って書いてあったんだよ。

乗って車内に入ると、自由席だと思っていた車内の表示は『指定席』となっていた。
やっぱり次のやつで帰ろうとデッキに向かうと、ちょうどドアが閉まったところだった。

なお帰ってから調べたら、旭川で『大雪』と『サロベツ』と接続するライラックは3号車が指定席となるとあった。

発車してから自由席の方へ行けば、満席というほどではないが席は埋まっている。
反対方向からも空席を探して車内を歩く人たちとすれ違う。

もういいや。

札幌までの53分はデッキで立っていることにした。

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 外国人旅行者が多い自由席車内。

旭山動物園の帰りなのか何なのか知らんが、外国人の乗客が多い。
半分以上がそうなんじゃなかろうか。

これは次のライラックに乗ったとしても、大して変わらなかったかも知れないね。

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。   

posted by pupupukaya at 24/02/03 | Comment(0) | 道央の旅行記

2024年 春に廃止が決定している東鹿越へ1

JR北海道の路線で今年廃止となるのが根室本線の富良野〜新得間

うち、東鹿越〜新得間は2016年に起こった台風災害からの復旧ができず、以来ずっとバスによる列車代行輸送が続いております。

私が列車代行バスを含めて、同路線の一番最近の乗車記録は2021年の7月のこと。
この時点では廃止の噂はあったものの、まだ確定はしていませんでした。
コロナ渦中ということもあってか、列車代行バスの乗客は、地元客数人のほかは私1人という寂しいものでしたね。
そのときの旅行記は以下の記事です。


去年(2023年)の3月末に廃止が決定してからは、代行バスも含めて名残乗車客で混雑していると聞いてはいました。
今更もう乗らなくてもいいかなという思いもありますが、あとでもう一度乗っておけばよかったと後悔するかも知れません。
そんなわけで年明け最初の旅行は、富良野から東鹿越までの区間を乗り納めに行くことにしました。

ですが、札幌から東鹿越まで行くとなると意外と大変です。
根室線の富良野〜東鹿越間は1日4.5往復しか列車がなく、しかも今時期で日がある時間帯の列車となるとかなり限られてきます。
その中でも札幌から日帰りできる列車を選ぶと1日上下各1本だけ。しかも下りの1本に限っては富良野での接続待ちが4時間半近くもあるという恐ろしく不便なことになっています。

またきっぷの問題もあって、同区間を含めて格安で乗れる1日散歩きっぷは現在季節発売のため冬季は利用不可。
普通乗車券だと札幌〜東鹿越の往復で7,260円

札幌発、富良野・新得経由札幌行の1周乗車券も考えましたが、これは7,370円でかえって高くつく。
札幌〜新得間の特急料金も別途かかりますしね。

で、あれこれ調べた挙句見つけたのがこちら。

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 ふらの・びえいフリーきっぷ(7,400円) 

 それが『ふらの・びえいフリーきっぷ』というもの。
フリーエリア入口となる札幌〜富良野・旭川間は行き返り行程のみ特急自由席が利用できるので、普通乗車券を買うよりはお得と言えます。

青春18きっぷシーズンになればさらに混雑しそうですから、そういったお得なきっぷが無いうちに乗り納めしてこようと、このきっぷを使うことにしました。

それでは以下旅行記です、どうぞ ↓ ↓ ↓ ↓


 ◆ 特急カムイ7号で旭川まで

1月最後の土曜日、札幌駅へ。
みどりの窓口で「ふらの・びえいフリーきっぷ」と言うと、窓口氏は「すいません?もう一度お願いします」と答えた。
もう一度言い直すと、窓口氏は備え付けの時刻表をパラパラとめくり、同きっぷの名を見つけるとマルスを操作した。
名前だけ見ると観光客に人気そうなきっぷだが、あまり買う人がいないマイナーなきっぷのようだ。

とにかくきっぷを手にして改札口へ。
昨日までは暴風雪の影響で道内の多くの路線で運休が発生していたが、今日は札幌を発着とする列車に関しては復旧したようだ。
しかし、宗谷線や石北線は今日夕方まで運休となっている。

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 カムイ7号自由席は長蛇の列ができていた。

札幌駅からは9:00発『カムイ7号』で出発します。

コンコースのキヨスクでビールを買ってからホームに行くと、自由席の乗車口は長蛇の列が出来ている。
やれやれ、相席か立ちっぱで行くのか。
そう思って1号車のほうに向かって歩いてゆくと、エスカレーターから離れるにつれて行列も短くなってゆく。
結局自由席に乗車した時点では空席も目立って余裕ある状態だった。

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 785系電車特急カムイ。

かつては札幌〜旭川間の特急といえば『カムイ』(元はスーパーカムイ)だったけど、今じゃすっかり『ライラック』が幅を利かせて『カムイ』の方が脇役のような存在となってしまった。

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 乗車時は比較的余裕があった2号車自由席。

発車7〜8分前くらいまでは余裕があった車内も、後ろのほうの自由席からあぶれてきた人たちや、発車間際に乗車してくる人たちでほぼ全ての列がふさがった。

やっぱり多いのがインバウンドと呼ばれる外国人旅行者。
ぱっと見だけど、半分近くが外国人なんじゃないか。

この時間帯の下りカムイでこんなに混んでいるものなのか。
コロナ前の男山酒蔵開放に出かけたときに乗った特急は結構すいていたけどな。

それもそのはずで、コロナ前は8:30発と9:30発の便があったけれど、コロナ渦中で30分発がどちらも削減されたこともあり、00分発の便にその分集中するのだろう。

これだけ乗っているのだから、乗客数はコロナ前を回復したんじゃないかと錯覚してしまう。
しかしJR北海道が公表した、今シーズン年末年始の輸送実績ではコロナ前の回復には至っていない。

結局は減便と編成の減車がかなり行われた結果の混雑なのであって、乗客増は見かけ上だけのものだ。

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 まずはサッポロクラシックで呑み鉄。

まあでも相席になるほどではなかったので、さっそく一杯やらせてもらう。
車の運転があるわけじゃなし、失礼して朝からロング缶で。
やっぱり列車の旅はいいね。

私は仕事で長距離運転をすることが多いので、車を運転して出かけるよりも、休みの日はこうして乗り鉄をするほうが楽しいと思うようになった。

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 石狩平野を北上するにつれて青空になってきた。

『カムイ7号』は石狩平野を順調に北上。だんだん青空も見えるようになった。
まずは順調なスタート。

車内はアジア系の外国人旅行者が多い。
多いというか、彼らの中に日本人乗客がお邪魔させてもらっているような印象でもある。

似たような人たちでも、コロナ前は近くにいるとなぜか心が苛だってくるような人が多かったが、最近の人たちはそんな感じはあまりしないのはどうしたことか。
ひところ異常に多かった某国からの人が少ないからなんだろうか、

どうでもいいことだが、あの脳天に響くようなキンキン声の中国語自動放送は、いい加減に何とかしてもらえないだろうか。
今乗っている中華系の乗客だって、きっと「あんなしゃべり方しねーよ」と思っているんじゃないの?

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 滝川駅に留置中の721系電車。

滝川駅で721系電車を発見。
この電車は現在は岩見沢〜旭川間の普通列車の主役。
だけど3月ダイヤ改正から737系ワンマン電車に置き換わることになっている。

朝晩の札幌直通列車はまだ残る可能性はあるが、日中はロングシートばかりの列車となってしまうのが残念だ。
ダイヤ改正前に、またこいつに乗り納めに来なきゃならないな・・・

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 深川駅の留萌線直通旭川行キハ54形列車。

深川で、これもダイヤ改正後は宗谷北線と花咲線へと追われるキハ54を見かける。
留萌線でまだ使われているとは思わなかった。

これも地味に国鉄車両。
今のところ廃車の話は聞かないが、そう長くないことは想像に難くない。
道内の国鉄車両で最後に残るのはキハ40形か54形か。
これも乗り納めしたいところだけど、札幌からじゃ行くまでが大変だ。

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 旭川駅に到着。

道中は特に障害もなかったのだが、旭川到着は4分遅れと車掌は伝えた。
ずっと穏やかな天候だったけど、昨日までの暴風雪の影響でここから先の特急は、宗谷線が『サロベツ3号』から、石北線は『オホーツク3号』からの運転再開となる見込み。


 ◆ 富良野線普通列車で美瑛まで

旭川に着けば、次は11:33発の富良野行に乗り継ぐことになっている。
だけどその前に10:39発美瑛行というのがあった。

旭川で降りても特に見たいところもないし、美瑛行に乗ってしまうことにした。
美瑛観光というわけにはいかないが、ちょっと美瑛で途中下車してみようというもの。

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 富良野線ラッピング車両の美瑛行。

1両の美瑛行はH100形気動車。
あと10年もしたら、道内の気動車普通列車はすべてこれになっているんだろうなあ。
なんだかつまらんなあ。

車内はボックス席はふさがって、ロングシートもこれはといった席も空いておらず。
最前面で立って行くことにした。
全面展望。どんな列車もここが一番の特等席。

だけどこの特等席は心得が1つだけある。
それは後ろの乗客の視線は気にしないこと (^^) 

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 前面展望の西瑞穂駅。

ところで、東鹿越に行くのに何で旭川から富良野線に乗るのかというと、普通に滝川から根室線に入ると富良野で4時間半待ちになってしまうから。
夏場ならどこか観光してくることもできるけど、真冬の今時期はさすがに勘弁してだ。

というわけで待ち時間が短くなる富良野線経由としたわけである。
それでも富良野で1時間32分待ちとなるが、これくらいなら何とか時間は潰せるだろう。

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 西神楽駅で旭川行728Dと交換。

神楽岡から線路は直線で国道237号線と並行。
旭川〜美瑛間は1時間に1本という運転間隔で、旭川の近郊電車という感じがしなくもない。
車窓的には面白味が欠けるけど、駅ごとに町や集落があって無人地帯というわけではないので、それなりに利用者がある区間でもある。

そんな富良野線も『JR北海道が地元負担を前提に存続を目指す赤字8区間』の1つとされ、将来的にどうなるのかはまだ何も決まっていない。
そんな報道を目にする度に、地方での鉄道経営の厳しさを思い知らされる。

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 美瑛駅に到着。

旭川から34分で終点美瑛に到着。
ここまで乗っていたのは10人ほど。
美瑛までの乗客は、外国人を含めて観光客風の人がほとんどだった。

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 美瑛軟石で建てられた美瑛駅の駅舎。

美瑛で降りたらまず眺めたいのが石造りの駅舎。
美瑛軟石を積んだ、駅舎としては珍しい造りになっている。

建築は1952(昭和27)年と、明治大正の歴史的建築物というわけにはいかないが、1本早い列車に乗って途中下車する価値はあるんじゃなかろうか。

駅舎の隣にある石積みの小屋は駅のトイレ。
トイレまでお揃いで石積みにするとは恐れ入る。当時の設計者が相当な凝り屋だったのだろうか。

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 外国人旅行者ばかりの美瑛駅前。

駅前も駅舎に合わせた瀟洒(しょうしゃ)な街並みとなっているのが素晴らしい。
札幌の時計台じゃないけど、そのものは価値のあるものでも周りの景観がそぐわないのでは、がっかり名所になってしまうから。

そんな駅前で目立つのは大型観光バスと外国人旅行客。
どうやら美瑛駅前がツアーコースになっているらしい。
駅前で一行を降ろすとバスはどこかへ行ってしまう。またバスが戻って来るまでの間は自由散策ということなのか。

彼らから聞こえてくる言葉から、韓国人が多いようだった。
コロナ前はこれでもかってほど見かけた自撮り棒の人は見なかった。

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 駅横の自由通路から見た美瑛駅。

駅前を一回りして、自由通路の上から駅の撮影などをしてまた駅に戻る。
寒いからあんまり外にいたくない。
11時48分発旭川行が発車すると駅の中は人がほとんどいなくなったので、あとは駅で過ごす。

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 高い天井に風格を感じる美瑛駅のコンコース。

この美瑛駅は石積みの外観も風格があるが、内装も結構格調高いのでじっくり見物したいところ。
高い天井、ガラスの壁で仕切られた待合室、どこか温かく包み込んでくれるような内装だ。

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 どこか格調高い美瑛駅の待合室。

待合室の窓にはレースのカーテンがかけられ、高い天井と縦長の窓を眺めていると、どこかヨーロッパの小駅にいるような感覚にもなる。
そんな待合室のベンチに腰掛けていると、外国人旅行者らしい人がポツリポツリと駅の中に入ってくる。
だがすぐに出ていくので列車の客ではないようだ。

石積みの建物に誘われて入ってみたが、ただの電車の駅とわかってそのまま出ていくようだった。


 ◆ 混雑する列車で美瑛から富良野まで

12時頃になると、また駅に人が集まってきた。今度は列車の乗客である。
やがて富良野行の改札が始まる。

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 ランプが光る方式の美瑛駅の改札案内。

ここの改札案内は表示板のランプが点灯して光るタイプのもの。
最近は電光掲示板が普及して、この手のタイプの表示機はめっきり少なくなったが美瑛駅ではまだ健在だった。

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 1両でやって来た富良野行729D。

富良野行を待つ乗客は私含めて8人。しばしホームで到着を待つ。
やって来た列車はやはり1両。前面窓からは混んでいそうな車内の様子が見えた。
到着すると前後のドアからドドドドと乗客が降りてきた。
ここ美瑛まではラッシュもかくやという程の乗車率で来たようだ。

やはり多いのが外国人旅行者。
最近道内のローカル線は、外国人旅行者で混雑しているという話は聞いていたが本当だった。

これだけ混雑しているのだからもう1両増結したいところだが、車両が最小限しかない為に難しいところだろう。
まさかH100の後ろに40をぶら下げるわけにもいかないしね。
ていうか構造上連結できないし。

美瑛で多くの客を降ろしても、車内はまだ混んでいる。
乗客をかき分けて中のボックスシートの通路まで進んだら空間に余裕があった。
座席は満席なので、富良野まで立ちっぱなし。
だけど、H100形は窓が大きいので、立っていても外を眺める分には全くストレスがないのは幸いだった。

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 一面雪景色の赤い屋根のある丘。

美瑛を発車すると丘が続く美瑛らしい車窓風景となる。
やがて差し掛かるのは丘のたもとに建つ赤い三角屋根の家。
いつしかここを『赤い屋根のある丘』と呼ばれるようになった。
富良野線の車窓からも良く見える。

だけど車内でこれに気付いていた人はいないようだった。
この季節じゃ家も丘も雪をかぶって真っ白だから仕方ないか。

美馬牛、上富良野で観光客が下車し、立ちっぱなしなのは変わりないけど車内はだいぶ余裕が出てきた。

上富良野からは富良野盆地の平凡な車窓となって、終点富良野に着く。
この列車も外国人だらけだった。

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 富良野駅に到着。

コロナ前も外国人旅行者は多かったけど、ローカル線の車内にまで溢れるほど乗っているなんて見たことはなかった。
あれから4年、世界は完全にアフターコロナの時代へと移行している。

こんなローカル列車の車内1つ取って見ても、コロナ前の世界とは明らかに違ってきているように思えた。


 ◆ 富良野駅での乗継ぎ時間

富良野に着いたら、ここの駅そばを食べようと決めていた。
で、改札を出たら待合室のそば屋へ向かう。

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 富良野駅待合室にある、駅の立喰 圭子ちゃんの店。

『駅の立喰 圭子ちゃんの店』の暖簾がかかる立ち食いそば屋。

何にしようか一瞬迷ったが、きつねそばにした。
きつねが食べたかったというより、消去法でそうなった。
天ぷらは市販のものだし、山菜は前回食べているし。

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 きつねそば(420円)

ここのそばは太めの田舎蕎麦風の太麺が特徴。
寒い冬には熱い濃い口の汁が最高に旨い。

ここのそば屋があるから、富良野駅はそば汁の香りがいつも漂っている。
昭和や平成前半くらいの駅の待合室ってこんな感じだったよなと思い出す駅だったりする。

こうした駅の立ち食いそば屋も、気がつけばずいぶんと少なくなったものだ。
道内の駅で昔ながらで今でも残っているのはここ富良野駅と新得駅、それに札幌駅のホームくらいなものか。
おっと、士別駅もあったな。
静内駅も残っているけど、あそこは今は駅ではなくなったね。

旭川駅と稚内駅にもあるけど、あれは新しくできた番外編という感じがする。

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 いかにも国鉄駅風の富良野駅正面。

富良野では次の東鹿越行まで1時間半もの待ち時間がある。
そばを食べたら歩いてフラノマルシェまで行くことにした。

富良野の街中も雪山がすごいことになっている。昨日までの暴風雪でさらに高く積みあがったのだろう。
しかも駅を出ると吹雪いてきた。
そんな道をえっちらおっちら歩いて行く。

フラノマルシェとは飲食店や土産物屋が集まって出来た商業施設。
ここで土産物屋をぶらぶらと見て歩く。
これといったものも見つからず、男山富良野ラベンダーカップを2本買って店を出た。
あまり時間つぶしにはならなかったな。

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 駅横のポッポブリッジから東鹿越方向を見る。

また富良野駅へ戻る。

ポッポブリッジという自由通路から線路を眺める。
東鹿越駅方向に延びる線路。
廃止後はこの線路はどうなるんだろうか。

富良野〜新得間の区間が廃止となると、滝川〜富良野と旭川〜富良野の2路線がどちらも富良野で終点となる。
現在の遠軽駅と同じ、スイッチバック駅のような形態となるわけだ。

ホームのあるところまでの線路を残して、平面で各ホームを結ぶ函館駅のようにすれば乗り降りが便利になるんじゃなかろうか・・・
と思ったが、ここ富良野は季節運転とはいえ貨物列車があるのだった。
その機関車の機回しのために東鹿越方向の線路も引上げ線として残しておかなければならない。
廃止後も、富良野駅の構造は大きく変わることはないものと思われる。

脇に見える2両編成のキハ40は、これから東鹿越行となる車両。
この車両は10時48分に着いた滝川からの2475Dで、富良野に着いてから4時間以上も留置線で休んでいることになる。

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 富良野駅券売機上の運賃表。

みどりの窓口で『ありがとう根室本線 記念入場券』のポスターを見つけ、思わず買ってしまった。
富良野から新得まで各駅の入場券が10枚セットになって2,000円。
別にこの手のものは集めているわけではないが、見つけるとつい買ってしまう。

それと富良野から布部までの普通乗車券(290円)も買った。
こちらは単に廃止記念。改札のスタンプも押してもらった。
また切符のコレクションが増えてしまった。

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 富良野駅で買った『ありがとう根室本線』記念入場券と布部までの乗車券。

14時14分発東鹿越行普通列車は、早い人は30分くらい前から改札口前に並び始めていた。
発車20分前くらいになると、コンコースをぐるりと長い行列が出来ていた。

滝川からの接続列車がほとんど無いような列車だし、札幌から安く来られるわけではないので意外とすいているんじゃないかと期待していたのだが、そう甘くはなかったようで。

皆さん富良野までどうやって来たのだろうと思いたくなるほどの人が集まってきた。
私もその中の1人なのだから、文句を言う資格はないわけで・・・

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 改札口前に出来た長蛇の列。東鹿越行の発車20分前。

14時になって東鹿越行の改札が始まる。
普段は1両だけど、今日は増結して2両編成なので余裕はありそう。
私はただ乗れれば満足なので、席取りゲームには加わらずに行列が途切れたあたりで改札口に向かう。

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 北海へそ祭りの像とキハ40形の朱色が妙に似合う。

2両編成の先頭は朱色一色の旧塗装に戻されたキハ40 1749。
1979(昭和54)年製造の車両はすでに44年が経つ。
車体の鋼板は長年の使用で凹凸が目立つようになり、せっかくの朱色塗装もまだら模様に見えてしまうのが残念。

とにかく頑丈なのが取り柄だったこの形式も、あと数年もすれば完全に姿を消していることは間違いないところ。

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 跨線橋の発車案内標とのりば案内。

跨線橋やホームに表示してある新得・帯広方面の文字に、かつては道東方面への特急や急行が発着する駅だったことを思わせる。

札幌と道東を結ぶ富良野経由の列車が消えても、細々とながら道央と道東を結ぶ路線として機能していた。
青春18きっぷ族御用達の、滝川発釧路行日本最長普通列車なんてのもあったっけ。
それが2016年の台風災害で、一夜にして過去のものとなってしまった。

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 ホームに行列ができる。

改札は始まったけれど、列車のドアは閉まったままなので、ドアの前にはまた行列が出来てしまった。
それでも2両に増結されているから座席には十分余裕がある。

今度の3月ダイヤ改正では、富良野〜東鹿越間に1往復増発され、また富良野を境にそれぞれ分割して折り返し運転になることが公表されている。
お名残乗車も、今のダイヤよりはだいぶ改善されることだろう。

だけどさらに混雑することは間違いないところ。
ダイヤ改正後の輸送状況やラストランは、インターネット動画配信にて見ることにします。


posted by pupupukaya at 24/01/28 | Comment(0) | 道央の旅行記

解体工事が始まった北海道百年記念塔

北海道百年記念塔が解体されることになったことは数々の報道で知っていましたが、いよいよ本格的に解体工事が始まったようです。

私は札幌市の西側の人なので馴染みはそれほどありませんが、札幌市内の高い場所からは見ることができるし、厚別や大麻あたりを通るとそびえ立つ百年記念塔は北海道のシンボルのような存在でしたから、無くなるのは寂しい思いです。

まだ姿かたちあるうちに見ておこうと、札幌駅から森林公園駅へ向かって出発しました。

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 ホワイトボードと張り紙によるお知らせ。

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 デジタルサイネージによるお知らせ。

札幌駅の西改札口に着くと列車の遅れのお知らせが。
道内低気圧の影響で道北方面の列車は軒並みストップしている模様。
札幌〜旭川間の特急も朝からずっと運休となっていました。
札幌はこんなに晴れているのに。

高速バスは運行していて、エスタ1階のバスターミナルに行ってみると旭川行の乗り場は案の定長蛇の列。
ずっと辿ってゆくと、階段を登り2階のビッグカメラ入口が最後部となっていました。
行列の中には外国人観光客の姿もチラホラ。
とんだ災難といったところですが、鉄道もバスも冬は突然運休になるのが日常茶飯事。
せいぜい余裕を持った行程と、代替交通機関を事前に調べておくくらいしか対策はありません。

大混乱の都市間輸送ですが、普通列車は比較的定刻運転でした。
それでも各方面、1時間当たり1本程度が計画運休となっていました。

  ★  ★  ★

11:53発江別行普通列車に乗って森林公園駅まで乗車します。

こちらは特に遅れもなく、厚別12:04着。4番ホームに入ります。
通常ならばここで特急ライラック15号に抜かれるわけですが、今日は旭川方面の特急が運休のためにカラ退避。
この間に跨線橋から百年記念塔の撮影をしてきました。

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 厚別駅跨線橋から見た百年記念塔。

やっぱり百年記念塔はこのあたりのシンボル的存在だなあ。
あるのが普通だと思っていましたが、あれがなくなるってのはどんなものなのか。

通過列車もなく、江別行普通列車は厚別駅を発車します。

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 厚別〜森林公園間の車窓から見える百年記念塔。

厚別駅を発車すると車窓にも百年記念塔が見え隠れするようになります。
そろそろ札幌市内から出て、旅の気分も盛り上がろうってものです。
JRの車窓から見るのはこれが最後になりますかね。

今回は車で行っても良かったんですけど、車窓から百年記念塔を見たいということもあってJRとしました。
厚別の次は森林公園駅。

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 森林公園駅に到着。

ホームの名所案内には『北海道100年記念塔』の記載も。これも近いうちに消されるのでしょう。
百年記念塔は森林公園駅のホームからも見えます。森林公園駅のシンボルでもありますね。

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 森林公園駅ホームから見た百年記念塔。

森林公園駅の東口から道なりに15分ほど歩くと百年記念塔入口の駐車場に着きます。
車で来てもここからは歩きになります。
解体工事に関わる場所は囲いが設けられて関係者以外立入禁止となっていました。

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 百年記念塔解体の工事標識。

駐車場からは上り坂の歩道に水路や噴水が並行して百年記念塔まで続いていましたが、今は囲いができて近づけず迂回して反対側へ行く格好になります。

囲いの上からのぞき込むと、数台の重機と解体した鉄屑の山が見えました。
今日は日曜なので作業はお休みですが、平日は重機が忙しく動き、鉄屑を積んだトラックが出入りしているのでしょう。

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 解体工事が始まった百年記念塔。

下は2019年に撮影した百年記念塔。
この年に解体が決定したのを聞いて、当時私は撮影に行ったようです。

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 在りし日の百年記念塔(2019年9月撮影)。

この百年記念塔は1968(昭和43)年に北海道開道百年を記念した塔として着工、1975(昭和45)年9月に完成。
建設費は5億円で半分は道民の寄付によるものだそうです。

以前は階段から8階展望室へ行けましたが、2015(平成27)年より老朽化により危険となったために入塔禁止となっています。
展望室の大きなガラス窓からは石狩平野や連なる山々を見渡せたことを覚えています。

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 説明書きの張り紙(2019年9月撮影)。

高さは北海道百年記念に合わせたのか100m。
裾から二次放物線を描くように天に伸びるフォルムは、未来の発展を象徴したものになっています。

  ★  ★

1869(明治2)年、この北の島は蝦夷地から北海道と名を改められ、明治新政府は北海道開拓のための開拓使を設置しました。
本格的な北海道の開拓の歴史はここから始まるわけです。

それまでは北海道の産業といえば沿岸の漁業くらいなものでしたが、以降奥地の入植と開拓が進みます。
炭鉱が次々とできて鉄道も開通。開拓はさらに奥地へと発展します。

北海道侵略を狙っていたロシアの南下政策に対抗するために、北海道開拓と近代化は明治政府の急務でした。

一方では、先住民族だったアイヌが追いやられ、同化政策によって文化も奪われたことも忘れてはいけない歴史であります。

第2次世界大戦後は外地からの引揚者の受け入れ地となってさらに開拓が進み、食糧と石炭の一大供給地として日本の復興を支えました。
ここまでの北海道の開拓の歴史は、農業、酪農、漁業、鉱業など1・2次産業の発展の歴史であったといえましょう。

開拓から100年を経てようやく安定した暮らしができるようになった頃、先人の苦労と努力に感謝し、さらなる北海道の発展を願って建てられた百年記念塔。

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 澄んだ青空に映える頂上。

ところが、この百年記念塔が完成した1970年代からは、北海道の産業は大きな転換点を迎えることになります。
それは北海道にとって試練の始まりでもありました。

石炭から石油へのエネルギー転換政策により炭鉱は次々と閉山。
農業や酪農はこの頃になると生産過剰が問題とされ、減反政策や生産調整も始まります。
200カイリ水域が設定されると、盛んだった北洋漁業も終わりを迎えます。
期待の星だった苫小牧をはじめとする一大工業地帯への開発プロジェクトも、オイルショックにより頓挫しました。

北海道の産業も、1・2次産業から3次産業への転換。
開拓以来ずっと拡大や増産を続けてきた北海道経済は、エネルギー転換政策や国際情勢、国の経済政策に翻弄されてゆくことになります。

農業や酪農は機械化が進み大型化され、中小の炭鉱は閉山して大規模炭鉱への集約など、主要産業はスクラップアンドビルド化が進みます。
国際情勢で漁場を失った北洋漁業基地は沿岸漁業に頼るしかなくなりました。
炭鉱も80年代になると、ほぼ消滅します。
北海道の開拓と経済成長を支えた鉄道も、役割を終えたとして多くの路線が廃止されました。

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 直下から見上げる百年記念塔の雄姿(2019年9月撮影)。

一方で、人々の生活は都市へと移り、特に札幌は異常なまでの発展を見ることになりました。
百年記念塔が完成した1970年、札幌市の人口は100万人を超えます。

その後も2度のオイルショック、冷害と凶作、幾度もの災害、バブル崩壊と地元銀行の破綻、最近ですと新型コロナ禍ですか。

それでも北海道民は頑張りました。

幾度の困難も乗り越えて働いてきた人たちがいて、今の北海道があるわけです。

開拓の開始から100年で北海道は大きな転換期を迎え、それから50余年間北海道を見守ってきた北海道百年記念塔。
次の時代を待てずに、残念ながら解体が始まりました。

100年記念塔解体後には新たなモニュメントが建設されるようです。
新たに建設されるモニュメントはどのようなものになるのかはわかりませんが、北海道の次の100年を見守るにふさわしいものであって欲しいと願うだけです。

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 南東側から見た百年記念塔。

正面から歩いてぐるっと回って塔の南東側まで来ると、こちら側は鋼板が剥がされて中の鉄骨が見えていました。

解体というと、普通は上から壊してゆくものですが、先に下の方の鋼板の撤去から始まったということは、躯体を残して先に鋼板を全部撤去するのでしょうか。
工事が進むと鉄骨だけが剥き出しになった、骸骨のような格好をさらすことになるようです。

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 裾部分はすでに鉄骨がむき出しに。

裾野から徐々に角度を増して天に向かい、無限大の高さを目指して1点に向かう二次曲線のフォルムはもう見られません。
これは過去の画像に見るしかないようです。

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 無限大に向かって伸びる二次曲線のフォルム(2019年9月撮影)。

解体工事は始まったばかりだし、札幌市内にあるものなのでこれで見納めということもないでしょうが、完全な姿で見ることができるのはそう長くはないでしょう。

解体は本当に残念ですが、塔の老朽化と危険性は深刻なものとなっており、また構造上の問題もあって存続は難しいとの判断では仕方がありません。

形あるものはいつか壊れるのが定め。
寿命と思うしかないのでしょうか。

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 百年記念塔近くから南西方向を見る。

そんな解体が始まった百年記念塔は見物人が多いかと思っていたら、人はまばら。
日曜日でせっかくの晴天なのだし、最後なんだから見納めとか、撮影しておくとかあってもいいものだと思いますが、そっちの方がちょっと寂しく思えました。

とは言っても、庭園路は除雪された細い道が1本通るのみ。
足場も悪く、積極的に行きましょうとは言えないところでもありますが。

戻り道を歩いて国道12号線に出ると、ちょうど新札幌行のバスが来ました。
今度はこれに乗って戻ります。

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 厚別東小学校前からバスに乗る。

新札幌駅西側のロータリーだった場所は前に見たときは工事が行われていました。
何か建つのだろうかと思っていましたが、今日行ってみると新しいバスターミナルができていました。
調べたら、北海道ボールパークFビレッジのシャトルバス乗り場になるんだとか。

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 北海道ボールパークFビレッジのシャトルバス乗り場。

当初の計画では千歳線に新駅ができるはずだったのだが、予算不足なのか新駅の開業は早くても2027年ということになってしまいました。
それまでは北広島駅と新札幌駅の2か所からのシャトルバスが主な交通機関となるようです。

こちらは、3月14日に開催されるオープン戦からボールパークのエスコンフィールドで行われることになっていて、ボールパークのプレオープンとなります。

ここでボールパークの様子も見に行きたいところですが、実は私は間接的ながら仕事で関わっているところなので、日曜日にわざわざ行く気はしません。
ま、そちらはオープンしてからということで・・・

ひっそりと消えゆく北海道百年記念塔。
華々しくオープンするボールパーク。
消えゆくものと生まれくるもの、なんだかそんなことを思いました。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。  

posted by pupupukaya at 23/01/29 | Comment(0) | 道央の旅行記

2022年秋のニセコと山線普通列車3

 ◆ ワン・ニセコ・リゾート・タワーズの朝

おはようございます。
朝5時半、まだ日の出前だけど目が覚めてしまいました。

カーテンを開けると、空はどんよりと雲が覆っていいました。
スマホで天気予報を見たら、なんと今日は昼から雨予報。
昨日の晴れ予報はどうなっちゃったんでしょう。
何とか心と秋の空ってやつですか。

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 ホテルの部屋からの眺め。

朝食会場は7時半からとなっていますが、昨日チェックイン時に今日は団体が入っているので混んでいると言われ、8時に予約していました。

私は早起き族なので、こうしたホテルの朝食は朝イチで行きますが、今日は仕方がありません。
腹が減るけど、朝風呂に行ったりコーヒーを飲みながらテレビを見たりして過ごします。

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 朝食会場のレストランTura。

8時になったので朝食会場へ。
混んでいるかと思ったら、意外とそうでもありませんでした。
窓側の4人がけテーブルでゆったり過ごせました。

朝食はバイキング。
ウインナーと卵料理がメインのオーソドックスな品揃え。

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 朝食会場のバイキング。

チキンライスがあるのが珍しかったので、2杯目のご飯はチキンライスにして上にスクランブルエッグを載せてオムライス風にしてみました。

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 朝食バイキングの一例。

せっかくだからデザートも頂きます。
ロールケーキやパンケーキもありますが、プリンを取ってきました。
たまにはこんなゆったりとした朝食もいいですね。

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 デザートのプリンとコーヒー。

30分ほど過ごして部屋に戻る途中、廊下の窓からツアーのバスが出発するのが見えました。
8時半出発のようで、ツアーはどこも朝早いですな。
こちらは9時半にチェックアウトしてホテルを出発します。


 ◆ ニセコ駅へ

部屋の窓から見ていたら雲の隙間から青空も見えていたので、午前中ならばそこそこの風景は見られるんじゃないかと道道岩内洞爺線を山の方に向かいます。
ところが、山の天気を甘く見てはいけませんね。
次第に雲が厚くなってきて、ついにはガス(山霧)の中となってしまいました。

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 ガス(山霧)に包まれたニセコパノラマライン。

こりゃあ駄目だと思い、町に引き返すことにしました。
今日無理しなくても、ニセコならば日帰りでまた来られますからね。

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 ニセコパノラマラインからの風景。

というわけでニセコ駅にやってきました。
列車は昨日乗ったので、今日は駅鉄をするだけ。

ニセコ駅は山小屋風の瀟洒な駅舎です。
駅前はオレンジ色のカボチャで彩られていました。
そういえば今月末はハロウィンでしたね。

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 オレンジ色のカボチャがいっぱいのニセコ駅。

駅前にはカボチャのほかにカラフルに塗られた牛の置物が鎮座していました。
はて?こんなものあったかな。
調べたら『ニセコアートカウ』と呼ばれるもので、毎年アートが変わるんだとか。

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 アートが施された牛の置物。

駅舎だけ眺めていれば、ドイツのアルプス山麓にある町にでもいるようですね。
こんなニセコ駅舎は、元々は三角屋根の鉄骨ブロック造りで無骨な駅舎だったのを覚えています。
JR化後に観光駅らしい装いに改装されたのでした。

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 きっぷうりばがある天井が高い待合室。

ニセコ駅に発着する列車は上下合わせて14本。
町の中心部からも少し遠くて乗降客数も決して多くはない駅ですが、きっぷうりばが営業していて、そのとなりは喫茶店が営業中、その反対側にはニセコ観光案内所があるので観光拠点としては頼もしい限りです。

この駅も北海道新幹線札幌開業を待たずして廃止が決定していますが、廃止後も何らかの形で鉄道遺産として残せないものかと思いました。

せっかくきっぷうりばが営業しているので、記念に入場券と乗車券を買ってみます。
別に集めているわけではないんですが、無人駅のきっぷうりばを見るとつい買いたくなるわけで。

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 ニセコ駅発行の入場券と乗車券。

入場券は『北の大地の入場券』、乗車券は隣の比羅夫まで求めると、なんと補充券タイプのもの。
倶知安や札幌といったよく出る券は赤色の常備券となるようですが、あまり出ない駅はこうして判子と手書きの乗車券となるんですね。

裏面の『ご案内』を見る限りでは全国どこの駅まででも発券できるようにも読み取れますけど、どうなんでしょうか。

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 補充券裏側の『ご案内』。

入場券を買ったのでホームに入ってみます。
上屋が堂々と張り出した立派な1番ホーム。

かつて特急『北海』や急行『ニセコ』といった優等列車が停車していた名残です。
いまはローカル線に落ちぶれて廃止が決定してしまったけれど、幹線の特急停車駅だった時代もあったわけで。

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 無人駅とは思えないほど立派なニセコ駅ホーム。

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 ニセコ駅をホーム側から見る。

表側は山小屋風の駅舎になっていますが、ホーム側から見るといかにも国鉄駅という感じがします。
石積みのホームも歴史を感じさせるあたり、落ちぶれても幹線の風格が残っています。


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 ニセコ駅の駅名標。

ニセコ駅の駅名標は今はカタカナでニセコですが、昔は『にせこ』と平仮名表記で、カタカナ駅でも駅名標はよそと同じく平仮名表記なんだと感心した覚えがあります。

ニセコ駅の構内にはかつてC62ニセコ号が運転されていたときに使われていた転車台や給水塔が今でも残っていて、長らく草に埋もれていたのがニセコ鉄道遺産群として保存されることになったようです。
キューロク形と呼ばれた蒸気機関車や、ニセコエクスプレスの車両も保存されて、ちょっとした鉄道公園のようになっていました。

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 SLとニセコエクスプレスが保存されているニセコ鉄道遺産群。

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 かつてC62の折り返しに使われた転車台。

ニセコエクスプレスは車庫に仕舞われ、公開期間は9/25までということで残念ながら見ることは出来ませんでしたが、扉の下の隙間からはあの青と白の車体を見ることが出来ました。

私は『ニセコエクスプレス』としては乗ったことはありませんが、同車両で運転していた快速『優駿浪漫号』で乗ったことがあり、そういう意味では懐かしい車両ですね。

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 車庫の扉の下から覗き込むとニセコエクスプレスの車両があった。

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 軟石造りの農業倉庫。

鉄道遺産群の向かいは軟石造りのニセコ農業倉庫が2棟。
昔はここから真狩まで殖民軌道真狩線というレール幅762mmの鉄道があって、ガソリン機関車が真狩からの農作物やでんぷんを運んできて倉庫で保管され、ニセコ駅から貨物列車で全国各地に発送されていました。
昔はもっとたくさん倉庫が並んでいましたが、今はこの2棟が往時を伝えています。

駅前を散策していたら雨粒が落ちてきたり止んだり。
そろそろ札幌に帰ることにします。

その前に昨日乗った倶知安行き1935Dが来る時間なので、ニセコ大橋から列車の撮影をしてみることにしました。
橋の手前にパーキングエリアがあり、そこに車を駐車して橋の上からニセコ駅方向を望みます。

さっきまで雲の中だった羊蹄山が、雲が流れて姿を現してくれました。
これは運のいいことで。

橋の上の金網越しにカメラを構えているとやってきました、H100形1両の列車。

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 ニセコ大橋から見たニセコ駅と羊蹄山。

ノースレインボーエクスプレスの特急『ニセコ』号が運転された日は賑わったのでしょうが、今日はほかに撮り鉄もいなくて静かなもの。
だんだんレールの響きが近づいてきて、ダイヤ通りに列車がやってきました。

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 H100形1両の1935D倶知安行きがニセコ駅に到着。

北海道新幹線札幌開業を待たずして廃止となる運命の函館本線山線ですが、具体的なスケジュールはまだ決定していないようです。
廃止と言ってもまだ数年後の話となるわけですが、昨日乗った倶知安発長万部行きの2940Dなどは結構な混みようでした。
これからますます名残乗車客が増えてくるのでしょう。

あと撮り鉄も。
このニセコ大橋も、三脚を立てた撮り鉄がズラリと並ぶようになるのでしょうか。

新型コロナが収束したら、このニセコ界隈も再びインバウンド観光で賑わうのでしょう。

何もない普段の函館本線山線は、このあたりが見納めなのかも知れません。
また空も暗くなってきたので、今日は札幌に帰ることにします。

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 22/10/23 | Comment(0) | 道央の旅行記
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