北海道百年記念塔が解体されることになったことは数々の報道で知っていましたが、いよいよ本格的に解体工事が始まったようです。
私は札幌市の西側の人なので馴染みはそれほどありませんが、札幌市内の高い場所からは見ることができるし、厚別や大麻あたりを通るとそびえ立つ百年記念塔は北海道のシンボルのような存在でしたから、無くなるのは寂しい思いです。
まだ姿かたちあるうちに見ておこうと、札幌駅から森林公園駅へ向かって出発しました。
ホワイトボードと張り紙によるお知らせ。
デジタルサイネージによるお知らせ。
札幌駅の西改札口に着くと列車の遅れのお知らせが。
道内低気圧の影響で道北方面の列車は軒並みストップしている模様。
札幌〜旭川間の特急も朝からずっと運休となっていました。
札幌はこんなに晴れているのに。
高速バスは運行していて、エスタ1階のバスターミナルに行ってみると旭川行の乗り場は案の定長蛇の列。
ずっと辿ってゆくと、階段を登り2階のビッグカメラ入口が最後部となっていました。
行列の中には外国人観光客の姿もチラホラ。
とんだ災難といったところですが、鉄道もバスも冬は突然運休になるのが日常茶飯事。
せいぜい余裕を持った行程と、代替交通機関を事前に調べておくくらいしか対策はありません。
大混乱の都市間輸送ですが、普通列車は比較的定刻運転でした。
それでも各方面、1時間当たり1本程度が計画運休となっていました。
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11:53発江別行普通列車に乗って森林公園駅まで乗車します。
こちらは特に遅れもなく、厚別12:04着。4番ホームに入ります。
通常ならばここで特急ライラック15号に抜かれるわけですが、今日は旭川方面の特急が運休のためにカラ退避。
この間に跨線橋から百年記念塔の撮影をしてきました。
厚別駅跨線橋から見た百年記念塔。
やっぱり百年記念塔はこのあたりのシンボル的存在だなあ。
あるのが普通だと思っていましたが、あれがなくなるってのはどんなものなのか。
通過列車もなく、江別行普通列車は厚別駅を発車します。
厚別〜森林公園間の車窓から見える百年記念塔。
厚別駅を発車すると車窓にも百年記念塔が見え隠れするようになります。
そろそろ札幌市内から出て、旅の気分も盛り上がろうってものです。
JRの車窓から見るのはこれが最後になりますかね。
今回は車で行っても良かったんですけど、車窓から百年記念塔を見たいということもあってJRとしました。
厚別の次は森林公園駅。
森林公園駅に到着。
ホームの名所案内には『北海道100年記念塔』の記載も。これも近いうちに消されるのでしょう。
百年記念塔は森林公園駅のホームからも見えます。森林公園駅のシンボルでもありますね。
森林公園駅ホームから見た百年記念塔。
森林公園駅の東口から道なりに15分ほど歩くと百年記念塔入口の駐車場に着きます。
車で来てもここからは歩きになります。
解体工事に関わる場所は囲いが設けられて関係者以外立入禁止となっていました。
百年記念塔解体の工事標識。
駐車場からは上り坂の歩道に水路や噴水が並行して百年記念塔まで続いていましたが、今は囲いができて近づけず迂回して反対側へ行く格好になります。
囲いの上からのぞき込むと、数台の重機と解体した鉄屑の山が見えました。
今日は日曜なので作業はお休みですが、平日は重機が忙しく動き、鉄屑を積んだトラックが出入りしているのでしょう。
解体工事が始まった百年記念塔。
下は2019年に撮影した百年記念塔。
この年に解体が決定したのを聞いて、当時私は撮影に行ったようです。
在りし日の百年記念塔(2019年9月撮影)。
この百年記念塔は1968(昭和43)年に北海道開道百年を記念した塔として着工、1975(昭和45)年9月に完成。
建設費は5億円で半分は道民の寄付によるものだそうです。
以前は階段から8階展望室へ行けましたが、2015(平成27)年より老朽化により危険となったために入塔禁止となっています。
展望室の大きなガラス窓からは石狩平野や連なる山々を見渡せたことを覚えています。
説明書きの張り紙(2019年9月撮影)。
高さは北海道百年記念に合わせたのか100m。
裾から二次放物線を描くように天に伸びるフォルムは、未来の発展を象徴したものになっています。
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1869(明治2)年、この北の島は蝦夷地から北海道と名を改められ、明治新政府は北海道開拓のための開拓使を設置しました。
本格的な北海道の開拓の歴史はここから始まるわけです。
それまでは北海道の産業といえば沿岸の漁業くらいなものでしたが、以降奥地の入植と開拓が進みます。
炭鉱が次々とできて鉄道も開通。開拓はさらに奥地へと発展します。
北海道侵略を狙っていたロシアの南下政策に対抗するために、北海道開拓と近代化は明治政府の急務でした。
一方では、先住民族だったアイヌが追いやられ、同化政策によって文化も奪われたことも忘れてはいけない歴史であります。
第2次世界大戦後は外地からの引揚者の受け入れ地となってさらに開拓が進み、食糧と石炭の一大供給地として日本の復興を支えました。
ここまでの北海道の開拓の歴史は、農業、酪農、漁業、鉱業など1・2次産業の発展の歴史であったといえましょう。
開拓から100年を経てようやく安定した暮らしができるようになった頃、先人の苦労と努力に感謝し、さらなる北海道の発展を願って建てられた百年記念塔。
ところが、この百年記念塔が完成した1970年代からは、北海道の産業は大きな転換点を迎えることになります。
それは北海道にとって試練の始まりでもありました。
石炭から石油へのエネルギー転換政策により炭鉱は次々と閉山。
農業や酪農はこの頃になると生産過剰が問題とされ、減反政策や生産調整も始まります。
200カイリ水域が設定されると、盛んだった北洋漁業も終わりを迎えます。
期待の星だった苫小牧をはじめとする一大工業地帯への開発プロジェクトも、オイルショックにより頓挫しました。
北海道の産業も、1・2次産業から3次産業への転換。
開拓以来ずっと拡大や増産を続けてきた北海道経済は、エネルギー転換政策や国際情勢、国の経済政策に翻弄されてゆくことになります。
農業や酪農は機械化が進み大型化され、中小の炭鉱は閉山して大規模炭鉱への集約など、主要産業はスクラップアンドビルド化が進みます。
国際情勢で漁場を失った北洋漁業基地は沿岸漁業に頼るしかなくなりました。
炭鉱も80年代になると、ほぼ消滅します。
北海道の開拓と経済成長を支えた鉄道も、役割を終えたとして多くの路線が廃止されました。
直下から見上げる百年記念塔の雄姿(2019年9月撮影)。
一方で、人々の生活は都市へと移り、特に札幌は異常なまでの発展を見ることになりました。
百年記念塔が完成した1970年、札幌市の人口は100万人を超えます。
その後も2度のオイルショック、冷害と凶作、幾度もの災害、バブル崩壊と地元銀行の破綻、最近ですと新型コロナ禍ですか。
それでも北海道民は頑張りました。
幾度の困難も乗り越えて働いてきた人たちがいて、今の北海道があるわけです。
開拓の開始から100年で北海道は大きな転換期を迎え、それから50余年間北海道を見守ってきた北海道百年記念塔。
次の時代を待てずに、残念ながら解体が始まりました。
100年記念塔解体後には新たなモニュメントが建設されるようです。
新たに建設されるモニュメントはどのようなものになるのかはわかりませんが、北海道の次の100年を見守るにふさわしいものであって欲しいと願うだけです。
南東側から見た百年記念塔。
正面から歩いてぐるっと回って塔の南東側まで来ると、こちら側は鋼板が剥がされて中の鉄骨が見えていました。
解体というと、普通は上から壊してゆくものですが、先に下の方の鋼板の撤去から始まったということは、躯体を残して先に鋼板を全部撤去するのでしょうか。
工事が進むと鉄骨だけが剥き出しになった、骸骨のような格好をさらすことになるようです。
裾部分はすでに鉄骨がむき出しに。
裾野から徐々に角度を増して天に向かい、無限大の高さを目指して1点に向かう二次曲線のフォルムはもう見られません。
これは過去の画像に見るしかないようです。
無限大に向かって伸びる二次曲線のフォルム(2019年9月撮影)。
解体工事は始まったばかりだし、札幌市内にあるものなのでこれで見納めということもないでしょうが、完全な姿で見ることができるのはそう長くはないでしょう。
解体は本当に残念ですが、塔の老朽化と危険性は深刻なものとなっており、また構造上の問題もあって存続は難しいとの判断では仕方がありません。
形あるものはいつか壊れるのが定め。
寿命と思うしかないのでしょうか。
百年記念塔近くから南西方向を見る。
そんな解体が始まった百年記念塔は見物人が多いかと思っていたら、人はまばら。
日曜日でせっかくの晴天なのだし、最後なんだから見納めとか、撮影しておくとかあってもいいものだと思いますが、そっちの方がちょっと寂しく思えました。
とは言っても、庭園路は除雪された細い道が1本通るのみ。
足場も悪く、積極的に行きましょうとは言えないところでもありますが。
戻り道を歩いて国道12号線に出ると、ちょうど新札幌行のバスが来ました。
今度はこれに乗って戻ります。
厚別東小学校前からバスに乗る。
新札幌駅西側のロータリーだった場所は前に見たときは工事が行われていました。
何か建つのだろうかと思っていましたが、今日行ってみると新しいバスターミナルができていました。
調べたら、北海道ボールパークFビレッジのシャトルバス乗り場になるんだとか。
北海道ボールパークFビレッジのシャトルバス乗り場。
当初の計画では千歳線に新駅ができるはずだったのだが、予算不足なのか新駅の開業は早くても2027年ということになってしまいました。
それまでは北広島駅と新札幌駅の2か所からのシャトルバスが主な交通機関となるようです。
こちらは、3月14日に開催されるオープン戦からボールパークのエスコンフィールドで行われることになっていて、ボールパークのプレオープンとなります。
ここでボールパークの様子も見に行きたいところですが、実は私は間接的ながら仕事で関わっているところなので、日曜日にわざわざ行く気はしません。
ま、そちらはオープンしてからということで・・・
ひっそりと消えゆく北海道百年記念塔。
華々しくオープンするボールパーク。
消えゆくものと生まれくるもの、なんだかそんなことを思いました。
〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。