2002年、冬の張碓海岸を走る列車

最近スキャナーを買いました。
これまで紙の写真をブログにアップする際は、わざわざコンビニのコピー機までスキャンしに行くという有様でしたが、これで自宅で写真をスキャンできるようになったわけです。

さっそくですね、昔フィルムカメラで撮影した写真をスキャンして、ここで公開してみようと思います。

撮影年月は2002年2月の休日。
場所は小樽市張碓町の高台を通る道路から。
駅でいうと、張碓(当時)〜銭函間。

安物のスキャナーなので低解像度なのと、写真の保存状態が悪いせいで若干色あせなのはご容赦願います。

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今から23年前。
フィルムの一眼レフカメラを買ったばかりの私。
いっちょ撮り鉄でも始めようかと思い立ち、手始めに張碓海岸を走る列車を・・と出かけたのでしょう。
銭函駅で電車を降り、雪道をエッチラオッチラと歩いて行ったのを覚えています。

高台の道路脇にできた雪山に登り、張碓海岸と線路を望む場所を見つけ、これもカメラとセットで買った200mmの望遠レンズを装着してスタンバイ。
なお、カメラは手持ちでした。

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やって来たのは赤い711系電車。
2000年3月のダイヤ改正以来、札幌圏では朝夕以外の運用が減った711系電車ですが、この頃はまだ日中の運用があったようです。
たまたま来たのか、これを狙って出かけたのかは定かではありませんが。

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711系堂々の6両編成。
冬の風景には、711系の赤い電車が似合うなあ。
雪に閉ざされた海岸風景とのコントラストが素晴らしい。
しばれる中、二重窓でボックスシートの車内はとても暖かそうだ。

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今度やって来たのは、特急『ニセコスキーエクスプレス』。
恵比寿岩とのショットを狙ってみたが、手持ちなのでブレ気味。
この距離では無理があったかな。

この列車は、その名の通りスキーシーズンの12月〜2月運転の臨時列車。
当時はインバウンドなんて少なかったから、純粋に札幌や新千歳空港からのスキー客のみ輸送していたのだろう。

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この列車がスキーシーズンの臨時特急として運転されていたのは、調べたら2015年度までとなっていた。
今走っていとしたら、連日インバウンドで大盛況だったんだろうけどなあ。
惜しいなあ。
こんなところで言ってみても始まらないが・・。

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う〜ん、このアングルは・・・?
恵比寿岩が近い、先の写真とは明らかに違う場所。
どこから撮影したのかなあ・・

構図はベストアングルなのだけど、肝心の列車が白飛びしちゃってるよ。
冬晴れの強い日差しと、オート設定で撮ったのでこうなっちゃったんだろう。
まだ一眼レフを買ったばかりで、操作方法もロクに知らなかったので仕方がないけど、残念な1枚。
今だったらもっと上手く撮る自信があるけどね。

これの帰りは国道のバス停からJRバスに乗ったのか、歩いて銭函駅まで戻ったのかは覚えていません。
あの当時は地下鉄宮の沢駅へ行くバスが1時間に2本あったけど、そう上手くバスが来たのかな。
やっぱり銭函駅まで歩いて戻ったのかも。

こうして、当時の写真を改めて眺めていると、当時の自分はまだ若かったなあ、体力があったなあと思い出されます。
それ以上に、23年も昔の記憶が鮮明に蘇ってくるのは、写真が持つ不思議な力ですね。

〜最後までお読みいただき、ありがとうございました。

posted by pupupukaya at 25/12/27 | Comment(0) | 道央の旅行記

廃止となる中央バス石狩線乗車と石狩渡船場跡探訪

2025年12月14日をもって、北海道中央バスの石狩線が運行を終了しました。

札幌と石狩市本町地区を結ぶこの路線は、全長24.7km、所要時間約1時間10分に及ぶ路線です。
石狩川の河口に位置する本町地区は、かつて鮭の町として栄えた北海道の中でも古い歴史を持つ地域です。
市制施行前の石狩町時代には町役場がこの地区に置かれており、また石狩河口橋ができる以前は渡船が両岸を結ぶ交通の要所でもあったわけです。

札幌と石狩を結ぶバス路線が開設されたのは、1938(昭和13)年のこと。
札幌観光バス会社によって営業が開始されたのが始まりです。
その後、1943(昭和18)年のバス事業の戦時統合により、北海道中央乗合自動車株式会社(現在の中央バス)による運行となりました。

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 北海タイムス昭和13年4月1日号掲載のバス運行広告。(平成9年発行石狩町誌より引用)

戦前から続く、歴史があるバス路線までもが廃止になるというのは正直驚きでした。
乗客の減少と、運転手不足問題から、これ以上路線の維持が困難ということが理由です。
これも時代の流れと言うことなので、仕方がありませんね。

私は、廃止前に一度乗っておこうということで、石狩までそのバスに乗ってみることにしました。
廃止1週間前の日曜日のこと。
葬式鉄ならぬ葬式バスというわけです。


 ◆ 札幌ターミナル10:33発 → 石狩着11:39【中央バス】

石狩線のバスは札幌ターミナルが起点となります。
北1条と創成側通りの角にある、中央バスのターミナルです。
地下鉄駅や地下街とは直結しておらず、少々中途半端な場所は否めません。

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 中央バス札幌ターミナル。

このターミナルに乗り入れする路線は主に高速バスで、中央バスが主となる路線は始発の札幌駅前を発車すると、このターミナルに立ち寄ってから各地へと向かう恰好になっています。
あとは石狩・厚田方面の路線と、屯田と篠路・花川方面への一部路線が始終着とするのみ。

立派なターミナルビルですが、ちょっと持て余しているような印象もあります。

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 どことなくひと昔前の駅を思わせる待合室。

だけど、ここのターミナルは昔の駅のような雰囲気があって好きですね。
どこか懐かしい。
道内各地の故郷の香りが漂ってきそう。

地下の食堂街も昭和時代って感じで好き。
ですが日曜定休なのか、地下への階段はシャッターが下りていました。

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 乗車ホーム出入口上の発車案内。

待合室から乗車ホームへの出入口上には、発車案内がずらりと並んでいます。
網走とか旭川とか函館などの行先を眺めていると、なんだか旅情のようなものが湧いてきますね。

対して6〜8番のりばの発車案内は石狩のほかは屯田や篠路など。
高速バスが特急とすれば、こちらはローカル列車の各駅停車といったところです。

いいなあ、どこか旅に出たいなあ。

何しに来たんでしたっけ。
そうそう、石狩行きのバスに乗るんでした。

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 札幌ターミナルの券売機。

ワンマンの路線バスなのでSAPICAでも乗れるのですが、せっかくなので券売機で石狩までの乗車券を買います。
高速バス用の券売機なのかとも思いましたが、操作すると意外や意外、「石狩」のボタンが現れました。

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 札幌から石狩までの乗車券。

券売機のボタンに『石狩』とあったので行先を表示した乗車券が出てくるのを期待したけど、JRと同じ『840円区間』と印字された乗車券でした。
バスらしいのは両面に印字されていること。
下車時に運賃箱に入れるので、裏返っても確認できるようにしてあるのでしょう。

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 7番のりばに入って来た石狩行。

ここ札幌ターミナルの乗車ホームは、今では珍しくなった頭端式となっています。
横づけするのではなく、ホームがL字形に斜めに切り込んであり、そこに前向きに突っ込んで停車するというもの。
狭いスペースに多くの乗り場を設けられるという利点がありますが、発車する時は一旦バックしなければならないのが欠点でしょう。
道内でこの頭端式バスターミナルとなっているのは、ここと小樽駅前バスターミナルくらいかな。

石狩行きのバスは発車時刻1分前に入ってきました。
結構ぎりぎりです。

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 7番のりばの行先案内。

到着したバスに乗り込んだのは私含めて5人。
寂しいターミナルの始発風景です。
まあ、日曜の午前中の郊外行きなのでこんなものでしょうか。

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 ノンステップバスの車内。

発車時刻になり、バスは一旦バックして発車します。
そう言えば、札幌ターミナルからバスに乗るなんて何年ぶりだろうなあ。
ちょっと思い出せません。

北1条から創成川通りに入るのかと思っていたら、一旦東1丁目通りに入り、北3条から創成川通りへと入りました。
最初の停留所が北5条西1丁目。札幌駅はここが最寄りとなります。2人乗車。

その後も停留所ごとに1人、また1人と乗って来ます。
でも車内はガラガラのまま。
創成川通りを各駅停車で北上します。

篠路のあたりから高校生と思われる若者が次第に増えてきました。
逆に都心方面から乗車した客はこのあたりで少しずつ下車し始めます。
札幌ターミナルからの乗客といえば、茨戸までに全員下車して、札幌ターミナルから石狩まで乗り通す客は私1人ということになりました。

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 東茨戸2条1丁目から石狩市に入る。

東茨戸1条1丁目手前で、バスは創成川通りから右折します。
これは旧国道のルートを辿るため。
車で走っていると何も考えずに片側3車線の道路を直進しますが、そうだ昔はこっち経由だったなと思い出しました。
伏籠川を2回渡って石狩市へと入ります。

道道花畔札幌線となった旧国道231号線へ。
高校生は石狩翔陽高校で降りるのかと思っていましたが降りず。
全員石狩庁舎前で下車しました。
ここで乗り換えて石狩南高校まで行くのでしょう。

一般の客もここでほとんど降りてしまい、車内は札幌ターミナルからの私と、途中から乗ったもう1人だけとなります。

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 花畔中央バス停。

ずいぶんと寂しい車内となりました。
多分このままの状態で石狩まで行くのでしょう。

ところが、次の花畔中央で5人ほどの乗客がありました。
見るからに地元の利用者。
こんなところから乗って来るとはちょっと意外でした。

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 北海道らしい長屋の市営住宅。

ここからのバス停は、『10線』『9線』と北海道らしい停留所名が続きます。
石狩に近づくにつれ1つずつ数が減って行くわけです。
このあたりは今は工業団地となっていますが、昔は何もなく道路の名称を付けるしかなかったのでしょうね。

3線停留所から国道231号線と別れて道道小樽石狩線へと入ります。
こちらも、石狩河口橋が開通するまでは国道231号線だった道路。
これも国道だった石狩渡船を経由して厚田方面へと繋がっていました。
ここからは石狩線の廃止される区間となります。

3線から国道231号線に行く厚田線と石狩線のトーメン団地への路線は引き続き存続します。
ですがこの2路線も来年(2026年)3月をもって廃止がすでに決定しており、4月から石狩庁舎から北へ行く路線バスは消滅することになります。

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 終点、石狩と表示された運賃表示器。

花畔中央からの乗客も、親船東から下車しはじめ、終点の1つ前の石狩温泉からは私が最後の1人となりました。

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 終点石狩に到着。

11時39分、ピッタリ時刻表通りに石狩に着きました。

『石狩』の文字があるバス停のポールが1本立つだけ、やたらと空地だけが目立ちます。
ここから先は道幅も狭くなり、どん詰まり感が半端ない。
本町は石狩川と石狩湾に挟まれた半島のような所なので、物理的にもこの先は本当に行き止まりです。
何だか最果てに着いたような寂しい終点でした。

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 石狩まで来たバスは、川側の道を通って折り返す。

次の札幌行きのバスは11時00分発。
今来たバスが折り返すのかと思っていたら、バスは前面に回送の表示を出しました。

別なバスがもう1台待機していて、それが11時発の札幌行きとなるようです。
なんだか妙な運用のような気がしますが、鉄道と違ってバスの運用は乗務員の運用と同一行程だからこうなるのですね。

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 コンクリートの骨組みだけが残る石狩川河口渡船場跡。

石狩川へ行くには一度高い堤防に登らなければなりません。
昔は町と石狩川の桟橋は一体化していましたが、水害防止のために高い堤防が築かれて町と石狩川が分断されてしまった格好です。
その代わり、堤防の上から渡船場の跡が見下ろすことができるわけで。

川に突き出した人工物がその渡船跡。
昔はここから釣り竿を垂らす人をよく見かけたものですが、今は柵がめぐらされて入ることはできなくなりました。

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 石狩川河口渡船場跡の看板。

堤防を下って桟橋跡まで行ってみると、『石狩川河口渡船場跡(左岸)』と書かれた看板が立てられていました。

説明書きを要約すると以下の通りです。

〜〜
幕末以前から運航されていた石狩川最古の渡船場であること。
昭和30年代後半からはカーフェリーも導入されたこと。
1978(昭和53)年3月31日、石狩河口橋の供用により100年以上にわたる歴史に幕を閉じたこと。
〜〜

せっかく渡船場の桟橋跡が残っているのに、簡単な説明書きと当時の写真が1枚だけでは何とも物足りない。

私は歴史あるこの石狩渡船について以前から興味を持っていました。
ところがネット上で調べても当時の運航状況を知る情報がほとんど出てこないのです。

そこで石狩市民図書館へ行って調べてきました。
以下、石狩の渡船場について説明させていただきます。


 ◆ 石狩渡船について

石狩河口橋が1972(昭和47)年に供用されるまでは石狩河口に橋は無く、国道231号線は渡船を介して両岸を結んでいました。
北海道開発局による国営渡船で、渡船料金は人も自動車も無料。
運営は石狩町に委託されていました。

橋の供用直前の1972年の時点で就航していた船は、車専用の車運船が2隻、旅客用の客船が2隻、客船が曳航するはしけの車運船が1隻の合計5隻。

石狩渡船の就航船(1972年)
船名区分屯数(t)定員(人)台数(台)就航(年)
やはた丸客船12.5232   1959
おやふる丸車運船42.061261962
第2車運船車運船40.001251965
あつた丸車運船52.153681967
ちどり丸客船18.2228 1969
 ※積載台数は中小型車の場合
 ※第2車運船は客船が曳航するはしけ
 ※出典:石狩町郷土研究会発行、いしかり渡船場物語

石狩側と八幡町側の両岸に桟橋と待合所があり、車運船用の桟橋には電動の可動橋を設けてありました。
可動橋により、川の水位が上下しても自動車の乗降をスムーズに行うことが出来たそうです。

なお、1971年国土地理院撮影の空中写真をオンライン閲覧所の高解像度写真にて確認すると、八幡町側は客船と車運船の桟橋は別々に配置されていたようです。
上流側に可動橋のある桟橋と車運船に車の列、下流側に待合所のある客船桟橋とバス発着場らしき敷地が見えたので間違いないようです。

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 石狩渡船の位置図(地図・空中写真閲覧サービス_1971年6月撮影より筆者加工)

渡船の運行時間は6時から22時まで。
さらに22時から24時までは30分おきに客船のみ運行しました。
それ以外に、運航時間外に救急等の輸送が発生した際には、夜間当直員によって臨時運行も行われました。

所要時間は、川の流れが普通の場合は片道10分たらず。
客船の運航回数は1日に50往復、バスがある時間はバスの発着に合わせての運航だったようです。

当時渡船の定期的な利用者は、八幡町地区から石狩中学校へ通学する通学生、札幌行きのバスに乗り換える通勤通学者、それに町内のそれぞれ対岸の職場へ通う通勤者。

また厚田村の人たちはバスで八幡町まで来て渡船に乗り、石狩から札幌行きのバスに乗る。帰路はこの反対を辿るというから大変だったことと思われます。

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 1972年7月の石狩渡船桟橋(石狩町郷土研究会発行、いしかり渡船場物語より引用)

旅客輸送以上に重要だったのが自動車航送でした。
国営化当初は自動車をはしけに乗せて客船が曳航していましたが、だんだんそれでは輸送が追い付かなくなります。

モータリゼーションの波とともに、年々輸送量は増加する一方。
2隻の車運船を就航させてピストン運航することにしました。
それでも常に乗船を待つ車の列ができ、川を渡るために待つ時間の増加が問題視されるようになります。

特に厚田方面への海水浴客が増加する夏の最盛期には、通常2隻の車運船のほかに、車を積んで客船で曳航させる第2車運船も加わって、三艘体制としてフル運行しました。
それでもさばき切れず、渡船場から本町市街入口まで、1km近くもの乗船を待つ車の列が連なったといいます。

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 撮影年月不明、車運船から出てくる車(石狩町郷土研究会発行、いしかり渡船場物語より引用)

参考に、利用ピークだった1971年8月の1日当り平均の利用状況がこちら。

 人:6,065人/日
 車:1,597台/日
(いしかり渡船場物語の『毎年の渡船利用状況』から日割計算)

車の1日当りの1600台近くという数は、1隻に6台積載するとして単純計算すると、1日に266回運航しなければ運べない台数です。
ピークの時間帯は、職員は休憩時間も取れないほどのフル稼働だったといいます。

毎日毎日休むことなく自動車を運び続ける渡船は、いつしか『動く国道』とも呼ばれるようになりました。

1972年7月に念願だった石狩河口橋が開通します。
そちらが国道231号となり、バスも車も厚田方面へ直通できるようになりました。
同時に、車運船の運航も廃止されることになります。

しかし、本町と八幡町を結ぶ便利な交通機関であったことから客船は引き続き運航継続が決まります。
翌1973年には渡船の運営は、国から石狩町営へと引き継がれました。
2隻の客船と桟橋、待合所は国から無償で町へと引き渡され、渡船料金は引き続き無料とされました。

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 1978年3月、さよなら終航会(石狩町郷土研究会発行、いしかり渡船場物語より引用)

こうして客船は存続が決まった渡船ですが、人口減少などから利用者は年々減少の一途をたどることになります。
また町営になったことで運行経費は石狩町の負担となります。
利用者が少ない渡船の費用負担は大変ということから、住民と協議の上、渡船は廃止されることになりました。

最終運航日は1978(昭和53)年3月31日です。
長い間石狩の風物詩だった渡船、町民にとって無くてはならない交通機関だった渡船も幕を閉じます。

廃止された渡船の代替として、石狩〜母子会館間に中央バス石狩町内線が設けられて、石狩河口橋経由で両岸を結んでいました。
しかし、1993年にはこの路線も廃止されたようです。


 ◆ 石狩発 11:00 → 札幌ターミナル着 12:07【中央バス石狩線】

さて石狩停留所まで戻って来ました。
それにしても何もない終点。
石狩灯台やはまなすの丘へはこのバス停が最寄りなのですが、それにしても寂しいバス停周辺です。

渡船場があった時代の活気はどこへやら。
まさに『兵(つわもの)どもが夢の跡』という感じがします。

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 終点石狩停留所付近。

昔はこのあたりまで家が並び、通りは商店街になっていたのですが、それが見事に取り払われて空地ばかりになってしまいました。
バス停横の妙な石垣は歴史的なものではなく、比較的最近築かれた物のようです。

下は23年前の2002年に撮影した同じ場所。

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 2002年筆者撮影、終点石狩停留所付近。

この本町の道道は、2000年代半ばくらいに道路の拡幅が行われ、道路に面した古い家屋は拡幅工事のために取り壊されてしまった経緯があります。

立ち退きになった家は、更地になったあとは花川や札幌に引っ越したのでしょうか。
人が出て行って、買い物も不自由な本町での生活は厳しそうですね。
唯一の交通機関であった中央バスも、もうすぐ予約制のバスに変わってしまい、札幌へも直通しなくなります。

かつては渡船が結ぶ交通の要所として、あるいは鮭の町として栄えた本町と札幌を結ぶ中央バスは、もうすぐ手の届かない過去のものになってしまいます。

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 石狩のバス停と待合小屋。

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 12/14までと記された時刻表。

この本町地区の住民の足は、12月15日から石狩市が運行する予約制バスになります。
今までと同じ路線を運行し、バス停もそのまま引き継がれるため、廃止というよりも新たな運行形態に変わるというべきでしょうか。

札幌へは直通しませんが、大型スーパーや銀行がある石狩病院前までの運行となるので、地元の住民にはより実情に合った交通機関となるのではないでしょうか。

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 石狩停留所と札幌ターミナル行バス。

バスは堤防沿いの通りにずっと停まっていますが、一向に動き出す気配がありません。
気温はプラスなのですが、風が強いので立って待っていると寒い。
やっと動き出してバス停にバスが来たのは発車1分前でした。

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 バスの窓から。

今度はカードリーダーにSAPICAをタッチして乗車します。
乗客は私1人で発車するのかと思ったら、発車直前になって地元客が1人乗って来ました。

次の石狩温泉で1人乗車。
中央バス整備工場では2人乗車。
数は少ないが、利用者にとっては貴重な足であることには変わりありません。

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 完全予約制の本町花川線運行開始のポスター。

15日からは完全予約制に移行するものの路線自体は残ります。
ですが、気軽に利用できる乗り物ではなくなってしまいます。
特に観光客にとっては、石狩への交通機関は事実上無いことになります。
こんなことまで調べてまでなんて、普通はやりませんからね。

国道231号線に出てからは新たな乗客もなく、停留所は次々と通過します。

来年の4月からは厚田線とトーメン団地行の路線も廃止され、石狩市のデマンド交通になるようです。
石狩庁舎から北は完全に路線バスの空白地帯になってしまいます。
とはいえ、僅かな利用者のために運転手を配置して大型バスを運行することは、今の日本では難しいようです。

そんなことをぼんやりと思っていると、9線停留所からは数人の乗客がありました。
その乗客は東南アジア系。
このあたりの工業団地で働いているのでしょうか。

花畔中央では本町地区からの乗客3人が下車します。
ここからは停留所ごとに乗客があるようになります。

あと目立つのが、東南アジア系の乗客。
途中の停留所からも乗ってきて車内で目立つようになりました。

観光客ではありません、外国人技能実習生なのでしょうか。
みんな若くて、車内では大人しい。
どこかのインバウンドとは違います。

篠路か太平あたりからは、車内は結構な混雑となってきました。
日曜日、ちょっとマチのほうまでといった客層が多く、きっと地下鉄乗り換えなしで都心に直通できる便利なバスなのでしょう。

この石狩線は14日までの運行ですが、15日からも石狩線だった便は運行区間を札幌〜石狩庁舎間に短縮された上で引き続き運行されます。
こうして実際に乗車して分かったことは、実態は札幌〜石狩庁舎、石狩庁舎〜石狩と別々の路線だったということ。
だから利用実態に合わせて石狩庁舎〜石狩間を切り離して別形態の運行に置き換えたのだとも見て取れます。

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 札幌ターミナルに到着。

北7条東1丁目では大量下車。ここは札幌駅北口が最寄りとなります。
続いて北3条東1丁目でも大量下車。この停留所は私など『鉄道病院前』と言ってしまいますが・・・

だいぶ車内もすっきりして終点の札幌ターミナルに着きます。
始発の石狩から乗り通したのは私1人だけでした。

あと1週間で廃止となる石狩線の石狩系統ですが、鉄道と違って名残乗車客というのは見ませんでした。
あまり話題にもならなかったようで。

これで1938年から運行してきた中央バス石狩線は、87年の歴史に幕を下ろしました。
本町地区に中央バスが乗り入れることはもうありません。

寂しいことですが、これも時代の流れですから仕方がありませんね。

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

【参考文献】
平成2年3月発行、いしかり渡船場物語
平成9年3月発行、石狩町誌
まなびぃ【石狩市教育委員会社会教育課】56いしかり川渡船(youtube)

posted by pupupukaya at 25/12/21 | Comment(0) | 道央の旅行記

2005年の北海道医療大学駅とキハ141形

今から20年前、私は北海道医療大学駅に行っていたようです。
また過去の画像が出てきましたので、ここでご紹介したいと思います。

なお撮影日は、2005(平成17)年11月5日土曜日です。

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まずは札沼線の、浦臼や新十津川まで直通する列車が発着する1番ホームから。

現在は立派な屋根がありますが、この当時のホームは1981年に大学前駅として開業した当時からあまり変わっていません。
まだ電化前、架線や架線柱も無いので空が広々としています。

ところでなぜ私は北海道医療大学駅にいたのだろう。
それは、天気の良い土曜日、おそらく一日散歩きっぷを持って札沼線の列車に飛び乗り、終点の北海道医療大学駅まで乗って折り返したのでしょう。

本当は当時の終点である新十津川まで行ければ良かったんですが、そうなると日帰り旅行みたくなってしまうので、
「そこまでは・・」ということだったと思われます。
この当時は新十津川までの列車は3往復ありましたし、廃止の話もありませんでしたから。

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 ↑ 札沼線が新十津川まであった頃の路線図(交通新聞社発行道内時刻表2004年発行より引用)

考えたら20年前のこの時代が、JR北海道の一番良かった頃だったのかも。
北海道新幹線はようやく函館延伸が決定した頃。
特急のスピードアップも進み、札幌近郊の列車も年々充実していった時代。
その後起こったJR北海道の不祥事やトラブル続きに経営の悪化を誰が想像したでしょうか。

2010年代に入ると、ダイヤ改正ごとにスピードダウンに減便、ローカル線の廃止も相次ぐことになります。
2020年代になると、コロナ禍がさらに拍車をかけました。

この当時の時刻表と、20年後の現在の時刻表を見比べるだけでも、北海道の鉄道はここまで凋落したのかという思いにさせられます。

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1番ホーム終端方向です。
今は少し行った先で線路は終わりですが、まだまだ新十津川まで路線があった頃。
出発信号機があり、線路は北へ向かって続いています。

さらに昔は留萌本線の石狩沼田までありました。
札幌と石狩沼田を結ぶ線だから札沼線というわけです。
その石狩沼田駅も来年の3月いっぱいで廃止されてしまいますから、線名の由来も消えてしまいますね。

北海道医療大学から先は2020年に廃止され早いもので5年、現在ではホームから少し行った先で線路は終わり、その先は藪となっています。

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ホームの端っこから見ると、線路は非電化単線で頼りなさげ。
札沼線はもともと簡易線規格で作られた路線で、気動車でも最高速度は65km/hに抑えられていました。
昭和初期に『我田引鉄』の勢いで、軽便鉄道規格で敷設された路線のひとつ。

それでも、1980年代にもなると当時の国鉄は、札幌近郊の通勤路線として生まれ変わりを図ろうと、軌道改良工事を行います。
その結果、1986(昭和61)年3月ダイヤ改正から桑園〜石狩当別間で最高速度85km/hにスピードアップされました。
これにより札幌〜石狩当別間の所要時間は最速42分→39分と短縮。

しかし同年11月のダイヤ改正では新駅が3駅開業して逆に所要時間が増えてしまう結果になってしまいました。
その後も新駅は増えて、今では85km/hで走れる区間は太美〜当別間くらいなんじゃないかな。

当別〜北海道医療大学間は電化された今でも65km/hのままのようです。
これは距離が短いため、投資してスピードアップしても時間短縮効果がほとんどない為でしょう。
それに、北海道医療大学も2028年をめどに北広島市のボールパーク近くに移転する予定なので、その後はどうなるかわかりませんから。

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話が脱線したので、2005年当時に戻ります。

2番ホームに停車中は、札幌方からキハ48キハ141キハ142の3両編成。

キハ141と142は50系51形客車から気動車改造された車両で、改造初年は1990(平成2)年です。
非電化時代の札沼線では標準車両となっていました。

非電化時代は札沼線に新型車両が入ることはまずありませんでしたね。
この車両が登場した当時の札沼線はというと、道内各地から寄せ集めた中古気動車の見本市のようになっていました。

キハ22はさすがに見なくなっていたけど、24、27、40、46、48、53、56といったところかな。
53は浦臼・新十津川方面直通だった。

キハ24・46なんて知っている人いるかな。
車端部ロングシートにつり革と近郊型仕様なのに床が板張りという変わった車両。
まあ、27と53、56も板張りだったし、バスだって当時は床が板張りというのが多かったから、それ自体は珍しくなかったけど、床が広いぶんニス塗りの板張りがより目立ったものでした。

『学園都市線』と都会っぽい線名を付けてみたけど、ボロいローカル線のイメージが抜けきらなかったのは、この24・46のせいではないかと思ったものでしたね。

まあそれはともかく、この客車改造の気動車が入って来て旧型車を一掃したおかげで、札沼線も都会の鉄道らしく生まれ変わったのでありました。

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 ↑ 札沼線の時刻表(交通新聞社発行道内時刻表2004年発行より引用)

あいにく2005年当時の時刻表は手元になかったので、2004年の時刻表を引用します。
ダイヤはほとんど変わってはいないでしょうから。
撮影画像の時刻からして、20年前の私は北海道医療大学発10時23分発550Dに乗って札幌へ戻ったようです。

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キハ141(左)、キハ142(右)は50系51形客車の形をよく残しています。
車幅2800mmの車体側面は平面形状、先頭の車幅2900mmで裾絞りのキハ48が丸っこく見えます。

キハ141・142は、1990年から1994年にかけて改造された、この形式としたは初期の車両。
このあとに改造されたキハ143形は冷房搭載となっています。

ところで、1990年に札幌駅でこの車両を見た時、また新車が入ったかと思いましたが、新車にしては古くさい車両に逆戻りしたものだと感じました。

古くさいというのは、当時はキハ54形や721系電車が最新で、その斬新な内装にはショックを受けていたこともあったからです。
でもキハ54形にも似た前面は最新車両を思わせる、何とも不思議な車両でした。
私は鉄道ファンでしたが当時から車両には疎く、これが客車からの改造だと知ったのはかなり後のことでした。

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では懐かしいキハ141の車内を見てみましょう。
客車時代のボックスシートは片側が1人掛けとなり通路が広く取られています。
前後の2ボックスは撤去されてロングシートを増設。
ずらりと並んだつり革も通勤列車仕様を思わせます。

天井に取り付けられた機械は冷房ではなくただの送風機。
外気の風が入ってくる分、扇風機よりはマシだったのでしょうか。
キハ40形ものちにこのタイプの送風機が取り付けられました。

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客室内は通勤列車仕様となりましたが、2扉デッキ付き仕切り扉付きはラッシュ時の泣き所。
混雑時は途中駅での乗り降りが大変なのと、どうしてもデッキだけが激混みとなってしまいます。

のちに登場したキハ143形は仕切りが撤去されましたが、初期車のこちらは50系客車時代から変わらない姿が残っています。

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デッキの向こうには客車時代の車掌室を流用した運転室がありました。

その向こうは先頭車両となるキハ48形車両。
あちらはボックスシートの片側が1人掛けとなって通路が広くなったほかは大きな改造は行われていません。
キハ40形のうち方運転台でワンマン化改造されなかった車両は、道内の気動車普通列車がほぼワンマン化されたことから、札沼線専用車両となっていたようです。

もともと製造両数が少ないうえに、宗谷線急行用に改造された車両もありましたから、ほぼ原形のキハ48形は珍しかったですね。
残念なことに、20年前の私はキハ48の撮影はしておりませんでした。
この当時はキハ40形の一党といえば道内どこに行ってもゴロゴロしていましたから。

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10時23分になり、列車は北海道医療大学を発車。
20年前、ボックスシートに腰掛けて札幌へと戻った私。

旧型客車から変わらない北海道特有の二重窓がなんとも旅情を感じますねえ。
幅広になっている窓枠にワンカップを置いて、汽車に揺られて遠くへ行きたい。
この画像を見ているだけでそんな気持ちになってきます。

冬を間近に控えた小春日和の週末、札幌駅からフラッと飛び乗った列車にもこんな汽車旅があったんですね。
こんな身近な旅情も、いまではすっかり過去のものになってしまいました。

   ★    ★    ★

20年前かあ。
もうふた昔ということになります。
北海道の鉄道に関しては現在よりも遥かに充実していましたが、世の中は不景気でしたね。

人余り、リストラ、就職難。

就職にあぶれた若者は非正規雇用に頼るしかない。
正社員でも60歳定年制ということになっていましたが、50歳過ぎたら早期退職か、給料半分を承知で会社に残る選択を迫られる。
この頃はそんな話ばかり聞きましたな。

デフレ経済、失われた30年というヤツです。

今は逆で、各方面で人材不足、とりわけ現場での人材不足が叫ばれています。
それが続けば、私らの世代以降は70歳くらいまで働くことになるのでしょうか。
20年前と比べると隔世の感がありますね。

現在から20年後、2045年には世の中はどうなっているのでしょうね。
AI(人工知能)を筆頭としたハイテクは、さらに進歩していることは間違いないでしょう。
その頃には、今では思いもつかないような新しい社会秩序が生まれているような気がしてなりません。

一方で、道内の鉄道はどうなっているのでしょう。
20年後にはさすがに札幌に新幹線は来ているでしょうが、2005年当時の充実した鉄道に戻ることは無いでしょう。
自動運転が実用化され、今とは全く違う交通体系が実現しているかも知れません。

まあ未来のことは誰にもわかりませんね。
世界でも個人の人生でも、これから先も迷ったり転んだりしながら生きてゆかねばなりません。
それだけは確実に言えることです。

  〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 25/11/01 | Comment(0) | 道央の旅行記

2025年 苗穂工場一般公開に行く

9月6日はJR苗穂工場一般公開の日。
行ったとて毎年代わり映えしないし、人が多いところへ出かけるのも億劫なのですが、やっぱり行ってしまいました。

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まずは札幌駅東コンコースの券売機コーナーから。
いつも大行列ができている西コンコースの券売機コーナーとは対照的に、こちらはいつもガラガラ。

Kitacaを持っているので切符を買う必要はないのですが、せっかくだから指定席券売機で苗穂までの乗車券を買ってみました。

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う〜ん、いいですね。
これからJRで苗穂まで行くんだという気分が盛り上がります。

それにしてもJRの列車に乗るのはいつ以来だろ。
GWの台湾旅行で新千歳空港まで乗ったとき以来かも。
かように私は普段、JRとは無縁の生活となっています。

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10番線ホームから岩見沢行きに乗り込みます。
ちょっと驚いたのは、ホームに立つ駅員さんが、いつもは赤い帯の制帽姿なのに今日は帽子なしだったこと。

調べたら本州の方じゃ、ここ数年来の猛暑対策として、夏場は制帽を省略する鉄道会社が増えているとのこと。
JR北海道もそれに倣ってのことなのでしょう。

札幌市電じゃもう10年以上前から夏の制帽省略をやっているし、職場環境が良くなるならそっちの方が良いに決まっている。
でも久しぶりに見ると、何だか違和感があるような・・・

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札幌駅から一駅だけ乗って苗穂に到着。
やはり今日は家族連れの乗客が多く、この人たちは苗穂工場へ向かうのでしょう。

改札口を出たところにはポスターが苗穂工場一般公開を知らせます。

苗穂工場も苗穂新駅になってから駅から近く便利になりました。
旧駅の頃は、駅を出てから現在の苗穂駅の場所に架かっていた跨線橋を渡って行かなければならなかった。
苗穂駅を出てから工場正門まで1km以上歩いたものでした。
それか、札幌駅北口からバスで行くか。

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あと苗穂駅といえば、萩原朔太郎『旅上』の一節。
元々は旧駅舎のホーム側に掲示していた広告看板だったのだが、その縮小レプリカを額に入れて券売機上の壁に掲示しているもの。

残念ながら、あまり気づく人は居ない模様。
いつも思うけど、もうちょっと目立つ場所に掛ければいいのになあ。

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北口から外へ出て歩くと暑いね。
今日の最高気温は27℃予報と真夏日ではないけれど、日差しを浴びて歩いていると汗が噴き出します。

北口から苗穂工場までの歩道は、工場へ向かう人、帰る人、ぞろぞろと人の列が出来ています。
やはり小さな子供連れ家族が多い。

あとは1人でやってきた大きなお友達。
ええ、私もその中の1人ですよ。
いがみ合わずに仲良くいきましょう。

苗穂駅北口から6分ほどで苗穂工場正門へ到着。

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苗穂工場事務所棟の前庭にはテーブルと椅子が並べられて、キッチンカーとテントを張った売店が取り囲む。
やっぱり毎年代わり映えしないなあと思いつつ中へ進みます。

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入口でイベントマップを貰いましたが、この苗穂工場に来るのも10回目以上になるでしょうかね。
どこに何かあるかはマップを見なくても大体わかります。

それに一般公開以外でも、仕事できたことも何回かありますからね。
ヒッヒッヒ・・・

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まずは奥の方から攻めていきましょう。

ずらりと台車が並んだのは内燃機関検修場。
鉄道工場なので屋内の作業場内にも線路が敷かれている。
所どころに見える小さな転車台が面白いですな。

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こちらはJR貨物の機関車検修場。
塗装も剥げて痛々しい姿のDF200は再塗装も含めてのオーバーホールなのでしょう。

JR貨物の車両がなぜ苗穂工場に?
と思うでしょうが、ここはJR北海道苗穂工場であるとともに、JR貨物の北海道支社苗穂車両所でもあるのです。
ディーゼル機関車は青函トンネルを通って本州側に行くことは無いので、北海道側にも工場が必要なわけです。

脇ではテーブルを置いて、交通新聞社のグッズ販売カウンターがあります。
ちょっと覗いてみたいけど、去年ここで貨物時刻表を買わされましたからね。
1冊2,500円で、クリアファイルなんかのオマケも付いてきましたが、毎年買うものじゃないよ。
10年に1回でいいですわ。

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馬力試験室へ向かう通路。
工場内はどこもかしこも鉄と油の入り混じった匂い。
鉄道博物館なんかと違ってこちらは現場ということをひしひしと感じます。

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こちらは機関車検修場に展示の『貨物駅ジオラマ展示』。
建物は既製品のプラスチック製品ですけれど、なんだかいいなあ。

昔、鉄道模型に憧れて、本気で部屋にジオラマを作ろうかと思ったことがありますが、結局することはありませんでした。
今となっては手を出さなくて良かったと思っています。

でもこんなのを酒を飲みながら1日中眺めていたい。
そう思ってしばらく眺めていました。

この手のものに一番興味を持つのは子供で、やはり観客は子供ばかり。
しかし飽きるのが早いのもまた子供で、すぐに去ってしまいます。
こんなものをいつまでも眺めているのは私くらいでしたね。

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こちらは鉄道技術館に展示のジオラマ。
札幌駅の北口側の高架駅や駅前のビル群が再現されています。
でも札幌駅は北口側の旧デザインを模したものですが、線路は地平という変わった造り。

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鉄道技術館を出ると、旧型客車や無蓋貨車が留置されたのんびりとした光景が。
線路も草生していて、廃車置き場のよう。
ですが、2027年から運行開始予定の『赤い星』『青い星』となる現在整備中のキハ143形が混じっているので、廃車置き場ではなさそうです。

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こちらは苗穂工場一般公開の目玉、ミニSLの運転。
ミニチュアのD51が本物の石炭を焚いて走る本格的なもの。
客車4両、定員20名を牽いて走るのだから大したものだ。

一度乗ってみたいと思っているのですが、いい齢したオッサンが行列に並んでまでというのもどうなのよという思いになり未だに実現しておりません。
う〜ん、いかんなあ。こんなことじゃ。

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終点で乗客を降ろすと、推進運転で始発駅に戻ります。
この回送運転の方が煙を高く噴き上げるようで、一体が煙モウモウに。
昔の、私が生まれる前の苗穂駅周辺はこんな匂いがいつも漂っていたんだろうなあ。

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ちなみにこちらが本物のD51。
後ろに写っている旧型客車と連結したら絵になるだろうなあ。

いや、デゴイチは貨車が似合うかな。

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今度は建物の方に目を向けてみましょう。

苗穂工場の歴史は、1909(明治42)年に鉄道院札幌管理局札幌工場として開庁したことから始まります。
この赤レンガ造りの建物は、1910(明治43)年建築で、工場内に残る最古の建物で、北海道遺産や準鉄道記念物の指定も受けています。
現在は北海道鉄道技術館となっていて、月に2回開館して一般公開されています。

よく見ると窓の上部など各所にアーチを配した構造が、いかにも明治時代という感じがします。

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こちらもまた古そうな赤レンガの建物。
現在は機関車検修場となっています。
鉄道技術館とちょっと違って、こちらは直線を強調した造り。

苗穂工場は、1914(大正3)年に、それまで手宮にあった工場を移転してきたものです。
おそらくその頃に建てられた建物ではないでしょうか。

上部のブルーの網は2024年から掛けられているようです。
(2023年は無し、2024年は有り)
外壁の傷みが激しいのでしょうか。

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 ↑ こちらは2023年一般公開時に撮影したもの

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隣(南側)の建物は一部レンガ造りが残っていますが、こちらはアーチがあって明治期の感じがします。
奥が赤レンガの機関車検修場になります。

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どこか大正時代の香りも漂う一角を見つけました。
戦前建築の古き良き時代なんてものを感じます。
工場敷地内でなければ、ちょっとした名所になってたことでしょう。

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こちらはトラバーサー。
屋根の付いた台車に車両を乗せて、水平方向に移動するための装置です。

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トラバーサーの内部。
ここに車両を乗せたまま横移動できる装置というわけです。
日本語では遷車台(せんしゃだい)と呼んでいます。

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このトラバーサーの台車は両側に敷かれた線路の上に乗っていて、電車のようにモーターで車輪を回して動く仕組み。
さらに架線も張って合って、そこから集電しています。
これはそのトラバーサーの運転台。

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こちらのアーチ型屋根の建物は食堂になっています。
地理院の過去の空中写真から推定するに、これは昭和30年代の建物でしょう。

レンガ造りの明治大正期の建物ならば貴重な歴史的建造物と言えますが、こちらは老朽建築物という感じがしないでもありません。

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中はホールの大食堂となっています。
食券を買って、奥のカウンターで受け取るセルフサービス。

普段は券売機で食券を買うようですが、この日は機械にカバーが掛けられ、テーブルを置いた臨時の食券売り場でスタッフが食券を売っていました。

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メニューは、カレーにそばうどん、ラーメンといったところ。
焼きそばはパック入りでの販売になります。

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ここで頂いたのはカレーライス(550円)。
周りを見たら、カレーライスの人が多いですね。

カレーライスが人気というより、この食堂内がクーラーが無くとても暑いので、熱い麺類を啜る気にはなりません。
必然的にカレーライスとなるのでしょう。

このカレーはジャガイモやニンジンがごろごろ入った昔ながらのカレー。
今風の凝ったカレーより、こっちのカレーの方が何だか安心感があって好き。
年1回だけ味わえる、苗穂工場のカレーライスです。

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入場して、色々見て回ってカレーライスを食べたらいつの間にかだいぶ時間が経っていました。
ちょっと様子だけ見て帰る気でいましたが、何だかんだで長居となりましたね。

ほぼ一通り見てきたので、そろそろ帰ることにします。

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苗穂駅の連絡歩道の窓側に、なにやら人だかりがありました。
何だろうと外を見たら、鉄道技術館の前に保存のC62にディーゼル機関車が連結されて、ライトが点灯しています。

これは13:30出発のC62-3牽引運転ですね。
いい時に通りかかったものです。
先頭で誘導員が緑旗を振りながら、ゆっくりゆっくり近づいてきました。
この機関車、DE10形なのは分かりますが、なぜか車番が付いていません。

既に除籍となった機関車に火を入れたのか、構内の入れ替えだけで使うので車番表示は省略しているのか。

歩道橋の反対側に見える引き上げ線くらいまで行くのかと見ていましたが、合流するポイント手前にある車両接触限界標識のところで止まってしまいました。
考えたら後ろに付いているC62-3もすでに除籍となっている車両なので、走れるのはここまでなのでしょう。

折り返しを見届けることなく苗穂駅から帰りの列車に乗ることにします。

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毎年代わり映えしないとかなんとか言いながら、来年もまた来ちゃうのかなあ。

ところでこのJR苗穂工場ですが、将来的には移転の計画も持ち上がっているんだとか。
『JR北海道グループ中期経営計画2026』の項目の中に、
苗穂工場敷地の全面移転または現位置リニューアルに合わせて生み出される用地を活用した再開発ということが記載されています。

JR北海道としては移転かリニューアルかは決定していないようですが、工場として稼働しながらの建替え工事は難しそうです。
移転先があるとすれば、やはり岩見沢でしょうか。

岩見沢操車場の跡地は、空知運転所が廃止となっても長らく空地となっていました。
あの辺も大型スーパーが次々に進出して、宅地化すればそれなりにという立地ですが、一部に太陽光パネルが設置されたほかは遊休地となっています。

それに、あそこに苗穂工場が移転するという噂も、前々からありましたから。

苗穂新駅が出来て、苗穂工場の敷地も駅前の一等地になりましたから、やっぱり移転して再開発の公算が大きいのではないでしょうか。

この苗穂工場敷地ですが、レバンガ北海道が跡地に新アリーナを建設したいと早くも名乗りを上げています。

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もし苗穂工場が移転となったら、工場内の赤レンガ建築物は保存して欲しいなあ。
できれば本格的な鉄道博物館的な施設として。

でもしないんだろうなあ。
JR北海道はそんなお金ないだろうし、札幌市も北海道も産業文化的な施設など、まったく興味なさそう。
最古の北海道鉄道技術館だけ残して、あとは全部解体するのか。
あるいは解体したレンガを積み上げた記念碑だけが、近未来的な街並みの中にポツンと残るのか。

ま、来年や再来年の話ではありませんな。
でも10年後はどうなっているんだろう。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 25/09/07 | Comment(0) | 道央の旅行記

非冷房札幌の夏、車内温度を測る

札幌の地下鉄は冷房化率0%という、全国と比較して前時代的な鉄道となっています。

札幌の夏は暑くても知れている、また地下は涼しいからという理由で新車が入っても冷房は見送らてきました。
ですが、ラッシュ時は蒸し風呂のようになる札幌の地下鉄でもあります。

そんな冷房の全く無い札幌市営地下鉄の車内温度は一体何度あるのだろう。
そんなことを思い立ち、今回の記事としました。

  ★    ★    ★

お盆も終わりこれから秋に向かう札幌ですが、今日は一段ときつい残暑がやって来そうです。
札幌の予想最高気温は33℃。
今回の企画にはまさにうってつけ。

地下鉄の夏、札幌の夏。

さっそく温度計を持って、地下鉄に乗ってみることにしました。
手にしたきっぷはドニチカキップ。
これで地下鉄各路線に乗り放題となります。

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スタートは大通駅からとします。
まずは大通公園から。

ひまわりが咲き乱れる大通公園は雲1つないピーカンの空。
やはり今日は暑くなりそうです。

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天気予報で見る今日の最高気温は33℃。
現在時刻は10:47、現在の気温は30.6℃となっております。

地上はすでに30℃超えですが、地下鉄はどのくらいの車内温度になっているのでしょうか。
まず最初は東西線から測定したいと思います。

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大通駅から東西線新さっぽろ行きに乗り込みます。

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地下鉄東西線8000形は窓全開、天井からはラインデリアからの送風となります。
ですがラインデリアは気休めで、走行中に窓から吹き込む風が一番涼しいですね。

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この東西線車内の温度は27.5℃となりました。
地上より3℃ほど低いという結果です。

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白石駅で地下鉄を下車します。
地下鉄白石駅前もピーカン照り。

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白石区の現在気温は30.8℃。
中央区の予想最高気温が33℃だったのに対し、白石区の予想最高気温は32℃。
白石区は若干ですが気温は低めのようですね。

白石駅から再び東西線に乗り、今度は大通駅で東豊線に乗り換えます。

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東豊線ホームは地下4階と深いせいか、ここのホームまで来ると空気がひんやりと感じます。
大通駅からは9000形電車、栄町行きに乗り込みます。

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東豊線の車内温度は26.4℃となりました。
東西線より1℃ほど低いことになります。

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元町駅で下車。
涼しい地下から地上に出ると、まあ暑いこと。

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東区の現在気温は32.0℃。東区の最高気温に達していました。
こりゃたまらんと、また地下に戻ります。

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元町駅からは福住行きに乗って大通駅に引き返します。
今度は車椅子スペースに立って、開放された窓からの風にあたります。

やっぱり東豊線は地下深くを走ることもあってか、吹き込む風がひんやりとしていますね。

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その風に温度計を当てていると、なんと25.7℃まで下がりました。
これは冷房の効いた室内とほぼ同じ温度です。
地上との温度差は約6℃。
天然のクーラーといったところです。

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大通駅に戻って来ました。
札幌の地下鉄は、車内の冷房も無ければ、駅コンコースも冷房なしです。
このコンコースは一体何度くらいあるのでしょうか。

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示した温度計は28.6℃
東豊線ほどではありませんが、やはり地下は地上に比べるといくらかは涼しいですね。
地上との差は3〜4℃といったところ。

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今度は南北線車内で測定します。
大通から乗り込んだのは真駒内行き5000形となります。

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車内の温度は28.5℃
南北線は札幌地下鉄の中で一番古い路線で、3路線ある地下鉄の中では最も地下浅くなっています。
そのためか、他の路線より車内温度が高くなっています。

これで札幌地下鉄の夏の車内温度データがそろいました。

札幌地下鉄
路線別車内温度
路線名車内温度地下階層
南北線28℃台B2F
東西線27℃台B3F
東豊線26℃台B4F

これで比較してみると、地下階層が1つ下がるごとに車内温度も1℃ずつ下がるということになりますね。
どの路線も、地下鉄は地上よりは幾分か涼しいということは間違いないようです。

   ★        ★

さて地下鉄南北線ですが、忘れてはならないのが札幌地下鉄で唯一地上区間を走ること。
地下は地上に比べれば涼しいという結果になりましたが、地上区間はもろ外気にさらされる区間となります。

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平岸を発車し、地上へ出ると南平岸に到着します。
ドアが開くと、ムワ〜ッと暑い空気が入ってきました。

温度計はたちまち30℃を超えます。
終点真駒内に着きましたが、まだまだ温度計の示す数字が上がりそうなので、ホーム向かいに停車していた麻生行きで折り返します。

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地上区間を走行する電車の車内温度は31.6℃
外気温よりも低いのは、地下区間からの冷気を車両が蓄えているからでしょうか。

とはいえ、地下は涼しいからと冷房化を見送られた札幌地下鉄ですが、地上区間だけは冷房が欲しいところです。

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温度計が車内最高温度を示したので、澄川で降りることにしました。
外に出るとさらに暑い。
日なたは熱風が頬を伝う感じです。

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現在気温は33.1℃。
南区の予想最高気温32℃を超えましたね。

さて、来た道を戻るべく澄川駅に戻ります。

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改札を通って階段からホームに上がると、ムワッとした空気に包まれました。
外より暑いという感じです。

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このホームの温度は34.6℃
鉄筋コンクリート造りの駅コンコースは外より低めの温度を感じましたが、鉄骨造りのホームは熱をため込んで温室のようになるようです。

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一応ホーム各所に冷風扇が設置されて風を送っていますが、焼け石に水という感じです。
それでも窓は開く構造になっているので、南側のマックスバリュに面した窓は開け放たれていますが、なぜかそれ以外の窓は閉め切られています。

ちょっと不思議に思いましたが、窓からの風景を見たらその訳が分かりました。
民家やマンションに面した窓は、列車の走行音が騒音となるために窓が開けられないのでしょう。

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澄川から麻生行きに乗ります。
地上区間は線路を覆うシェルターが続きます。
これが雪に強い札幌の地下鉄となっているわけです。

ですがこれが裏目に出て、夏は巨大な温室と化すわけです。

このシェルター内は、一応窓が開く構造となっていますが、開いている窓はないようです。
やはりここも騒音対策から窓が開けられないのでしょう。

そんな南北線ですが、現在の5000形に代わる新車両の導入時には冷房が搭載されるようです。
道新記事によると、新車両導入は2030年度とのこと。
南北線はまだまだ暑い夏が続くようです。

地下鉄は幌平橋で降りて、こんどは市電の静修学園前まで歩きます。

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ピーカン照りの中を歩いて静修学園前までたどり着きました。
ここ静修学園前は、地下鉄幌平橋駅との乗り継ぎ指定停留場となっています。

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道路上にあるホームは、地面のアスファルトからの熱が容赦なく照り返します。
このホームの日陰で気温を測ると36.4℃

ホームに設置の、鉄骨の上屋自体が熱を吸収する素材となっていることもあってか、これはひどいことになっていますな。

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静修学園前に到着した電車は、非冷房の8500形。
道路からの照り返しをもろに受ける路面電車の車内温度はどのくらいなのでしょうか。

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まあ車内も暑いこと。

車内の空気はまだましで、発車して金属製のポールにつかまると熱い
車内のありとあらゆる部分が熱を帯びている感じ。

真夏の炎天下に駐車している車の車内温度は50℃を超えるそうですが、この市電の車内も同じような環境で、窓だけ開けて走っているわけですから相当なものです。
直射日光が照り付ける車体外側は、熱したフライパン状態なのでしょう。

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で、札幌市電非冷房車の車内温度はというと35.8℃
もうやばいよこれは。

体温よりは若干低いので、外からの風に当たると少しは涼しさを感じる程度。

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電車事業所前で電車を降り、こんどは旧型車である220形電車に乗り込みます。
8500形電車が一段下降窓なのに対し、旧型車は一段上昇窓。
窓際に立っていると、直接外からの風に当たることができます。

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札幌市電旧型車の車内温度は34.5℃
先に乗った8500形よりなんぼかましといったところです。

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中央区の14:08現在気温33.4℃。これが今日の最高気温でしょう。
8月になって1番の暑さ。
それに路面からの照り返しと熱を帯びた車体がプラス約1℃。

非冷房の札幌市電車内では、どうあがいてもこれ以下には下がらないということですね。

環状運転となっている札幌市電は1周の所要時間は1時間。
客として乗っているのも大変ですが、運転手はもっと大変。
札幌市電運転手の夏は、過酷な重労働といえます。

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年々熱帯化となる札幌の夏。
札幌市電は冷房車である低床電車が年々増備されていますが、非冷房車もまだまだ健在。

わたくしごとの話になりますが、朝夕の通勤時、来る電車が冷房車ならば電車に乗り、非冷房車ならば歩くことにしています。
理由は、非冷房車に乗るくらいなら歩いたほうがましだからです。
それほどに非冷房車は暑い。

冷房車のポラリスとシリウスもこの先増備が続くようですが、すべての電車が冷房車となるのはまだ先のことのようです。

この行程の後半は暑い電車ばかりだったのでだいぶ参ってしまいました。
ずっと非冷房の地下鉄や市電にずっと乗っていて思ったこと、それは・・・

あついぜ!サッポロ!!

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました

posted by pupupukaya at 25/08/16 | Comment(0) | 道央の旅行記

2005年の札幌駅前通りを歩く

2025年7月の日曜日。
暑いですな、退屈ですな。

天気が良いし、どこかへ行こうかと思いましたが、どこへ行こうと考えているうちに昼になってしまいました。
ネットの巡回も飽きたし、動画も食傷気味。
そんなときは過去に自分が撮影した画像を眺めたり。

HDD内の画像を見ていたら、2005年撮影の札幌駅前通りの画像が出てきました。
今から20年前に自分が撮影した画像。
2005年と言えば20年前。

10年ひと昔なんて言いますが、私くらいの齢になると10年前は少し前の記憶です。
時計の針を逆さに回せば戻って来そうな感覚になります。

だけど20年前となると、時代が1つ2つ違う、ちょっと遠い時代。

そんな20年前、2005年の札幌駅前通りをちょっと歩いてみましょうか。
画像の撮影日は、特に但し書きがある以外は2005年5月28日です。

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まずは南3条西4丁目交差点から。

手前のアルシュはGAIAというパチンコ屋で、向かいのドン・キホーテはサンデパートビル。
2005年の狸小路近辺は、昔からの老舗店が多くあった一方、新しくオープンした札幌駅の大型商業施設に客を奪われたこともあってか、あまり元気がなかったような感じでした。

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片側3車線の駅前通りはまだ市電はなく、路肩は路駐車両に客待ちタクシー。
歩道の車道側は無法の駐輪場と化していました。

2015年に市電都心線が開業すると、一変してすっきりとした街並みに。
最近はこうした雑然とした街も少なくなりましたね。

狸小路と南1条をすっ飛ばして大通へ。

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大通公園から南側を見てみましょう。

左にちょこっと写っているビルは、建替え前の明治安田生命札幌大通ビル。
壁面の電照式の温度計が南大通りのランドマークでしたね。
建て替え後の現在もこの温度計はデジタル表示になって健在です。

その奥側がみずほ銀行。
元は第一勧業銀行札幌支店だったのを2002年に富士銀行と合併してみずほ銀行札幌中央支店と名を変え、さらに2006年には旧富士銀行だった札幌支店に統合となった。
現在このビルは三越北館として使用されています。

右は道銀ビルディング。こちらは現在建替えのため解体中。

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大通公園とテレビ塔です。
あまり今の時代と変わりはないけれど、テレビ塔の時計が『National』となっています。
これが『Panasonic』になったのは2006年の改装時。
さらに古くはカタカナで『ナショナル』と表示していたそうだ。

えっ?その当時の画像はないのかって?
私はそこまで古い人間ではありませんよ。

あと、2005年はテレビ塔の電波塔の工事で、高さが147mから144mへと3m低くなっています。
この画像は背が縮む前なのか、縮んだあとなのか。
電波塔の上の方が切れているので、これではわかりませんね・・・

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 2005年6月18日撮影。

こんどは北大通に戻って道銀ビル前から北方向を望みます。
この画像は6月のものになりますが、同じ2005年撮影ということでご容赦を。

この頃は高層ビルがまだ少なく、空が高かったねえ。

 ♪ ル〜ル〜
 ♪ さっぽろの青空は限りなく高いよ〜
 (横井弘作詞、札幌の空)

なんて歌も思い出しますね。

 ♪ 牧場から母さんの小包も着くころ〜

牧歌的な風景もまだ残っていたこの頃。

左の『秋田銘酒 高清水』の広告塔があるビルは札幌秋銀ビル。
1階にあった秋田銀行の所有なので、お酒の広告はその繋がりなのだろうか。

このビルは2013年に建替えられて、中世ヨーロッパ風の札幌大通西4ビルになっています。
秋田銀行と言うより、石屋製菓直営店の方が有名かな。

右は北洋大通ビル。旧拓銀本店と言った方がシックリくるかな(2005年当時の人にとっては)。

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北大通から札幌駅方向を見ます。
重厚な造りの旧拓銀本店が北大通のランドマークでしたね。

北海道拓殖銀行が経営破綻し、北洋銀行に営業譲渡したのが1997年のこと。
この拓銀本店は、北洋銀行大通支店と名を変えて営業を継続することになります。
ですが拓銀は拓銀として継続し、債務処理などの清算事務を行っていました。

その後、2007年に清算会社としての拓銀が解散すると、北洋大通ビルも解体されることになります。
現在の北洋大通センターは2010年に完成しています。

話を2005年当時の北洋大通ビルに戻します。

ビルに隣接した歩道にあるメタリック屋根が大通駅7番出入口。
おそらく当時は数ある出入口の中で一番出入りの人が多かったんじゃないかな。
なぜならこの出入口が大通駅では一番札幌駅に近かった。

大通駅から札幌駅へ歩いて行くには、ここから出て北1条、北2条、北3条の交差点を渡り北4条交差点にある、さっぽろ駅9番出入口から地下に潜るのが交差点を渡る数が一番少なかったわけです。

そんなことも、2011年に札幌駅前地下歩行空間が開通すると昔話になってしまいました。

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北1条西4丁目交差点の南側に立つ道しるべ。

国道12号、国道36号、国道230号それに道道札幌停車場線と4方向への道路の起終点となる交差点。
意外と知られていないけど、北1条からすすきのまでの駅前通りは国道36号線なんですねえ。

中央分離帯にある屋根付きのお立ち台は、ここに警官が立って交通整理するためのものだろう。
ここに人が立っているのを昔見たことがあるような・・・
昔むかし、半世紀近く昔の記憶。

なお、札幌ライオンズクラブの寄贈らしい。

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グランドホテルの前から。
片側3車線が札幌駅前まで続いていました。
ですが、路駐や客待ちタクシーなどで実質2車線となっていましたが。

地下歩行空間が完成してから2車線になり、歩道の幅が広げられ地下出入り口も設けられました。
歩道が綺麗になり歩きやすくなったのは良いものの、このまま3車線にしておけば、市電都心線を札幌駅まで伸ばせたのになあ・・と思うのは私だけでしょうか。

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大通と札幌駅の間の駅前通りは、東側の方が歩いてる人が多かったと思います。
西側は1階が銀行だったりするのが多かったのですが、東側は1階がテナントという所が多かったのは通行量の違いなのでしょうか。

味の時計台駅前通り店、なにわ書房グランドホテル前店があった並び。
私はグランドホテル側の西側歩道から撮影しています。

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北2条西4丁目の交差点から。

左側手前は北海道ビルヂング。
新しそうに見えますが1962年建築と古い方のビル。
このビルも2022年に建て替えの為に解体工事が始まったものの、今は更地の状態となっています。
工事費の高騰により着工が遅れているのだとか。

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中央の『HITACHI』の広告塔があるのは、札幌三井ビルディングで1965年建築。
今の札幌三井JPビルディングが完成したのは2014年のことです。
通称『赤れんがテラス』の名が付けられ、テナントビルにもなっています。

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北2条と北3条の間の東側の歩道から。

西側は銀行や高そうな服屋とかそんな店ばかりですが、東側は庶民的な店が並んでいました。

『若草』の看板は元パチンコ屋、『本』の看板はアテネ書房です。
通行人がフラっと入れるような店構えが多かった気がします。

このあたりも2011年の地下歩行空間開通で歩行者が激減したことにより、多くの店が入れ替わってしまいました。
今ではフラっと入れる店は少なくなってしまいました。

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さて今度は北3条西4丁目交差点まで来ました。
いよいよ日本生命札幌ビルです。

なぜいよいよかと言うと、このビルに地下鉄さっぽろ駅11番出入口があったから。
ここからは札幌駅の圏内、サツエキということになります。

地下鉄さっぽろ駅の南北線コンコース南側は、いまは地下歩行空間に繋がっていますが、それ以前は壁でした。
その右側に細い通路が続いていて、そこが日本生命ビルに通じていました。
大通駅から札幌駅に向かう時と違い、札幌駅から大通駅へ歩く際は、こちら日本生命ビルから出ることが多かった気がします。
少しでも大通駅に近かったから。

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 こちらは2006年5月5日撮影、日本生命札幌ビル前。

で、この(旧)日本生命札幌ビル1962年完成というから、これも古いビルです。
駅前通りの並びのビルの中では、一番先に高層ビルに建替えられられていて、上画像のは旧ビルが現役の最後の頃でしょう。

今の日本生命札幌ビルは、西5丁目側の高層棟は2006年完成、その後旧ビルを解体して駅前通り側に低層棟が完成します。
低層棟は商業施設が入居し、noasis3.4の名で呼ばれるようになりました。

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北3条の交差点に面した中央分離帯には瀟洒な時計塔があって、どこか文化的なイメージを醸し出していました。
いつの間にこんなものがと思っていましたが、銘板に『平成六年 札幌駅前通振興会』とあったので1994年に建てられたもののようです。

この時計塔は2008年頃に地下歩行空間工事のために一旦撤去され、工事完了後にまた復活しました。
ですが特に話題になることもなかったようです。
歩いていてもこの時計塔の存在に気付く人も少ないでしょうね。

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日本生命ビルは北海道ビルや三井ビルと違い大がかりなリフォームはされておらず、どこか古さが感じられました。
こうして時計塔と合わせて撮影してみると、歴史的建築物にも見えてきます。

新しいピカピカの高層ビルも良いと思う反面、こうした古い建物をもっと活用してもいいのではとも思います。
だけど地震の多い日本では、古い建物は耐震性に難があるなど、やはり建替えは仕方がないのかも。

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北3条西4丁目交差点の東側歩道から札幌駅方向です。
それにしても通行人が多いですね。
大通駅とさっぽろ駅を結ぶ人の流れ、これがみんな地下歩行空間に潜ってしまったわけです。

こちらの角は大同生命札幌ビル。
2階建てビルの上に柱を立ててのっかっているような変わった建物でした。
ここも2020年に14階建ての新しい大同生命札幌ビルに建て替えられています。

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北3条西4丁目交差点から旧道庁を見ます。
変わらないのはイチョウ並木と赤レンガ庁舎くらい。
北3条通りは歩行者専用道路となり、左の旧三井ビルも右の旧日本生命ビルも建て替わって様変わり。
いや、この交差点の四つ角はすべて建て替わっていて、2005年当時から現存しているビルはありません。

もう変わり過ぎて、札幌に長く住んでいる私ですら浦島太郎状態。
それに、地下歩行空間が出来てから、基本的に地上を歩くことはまず無くなったので、なおさら変わりように驚くばかりです。

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北3条を過ぎると札幌駅がだいぶ近くに見えてきます。
かつては青い札幌駅があって、地下から地上に出ると青い札幌駅を目印にすると方角がわかりやすかったものです。
今なら目印は、ガラス張り円筒状のアピアドームでしょうか。

右手にはレンガ造り風の建物が現われます。

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北4条西4丁目交差点です。
この角にあったのが、忘れはしない札幌西武百貨店。

えっ、何だって? 五番舘(ごばんかん)?
あんた齢いくつだい。

五番舘といえば、昔子供の頃に家族でマチに出かけたとき、昼ご飯は五番舘の大食堂でというのが多かったのを思い出します。
食券方式で、駅の窓口のような食券売り場で食券を買ってテーブルに着く。
ウェイトレス(当時)が来て食券をもぎって半券を置いてゆく。

食堂は1つのフロアなんだけど、厨房は専門店ごとに別々になっていて、料理が出来上がると料理人が「チ〜〜ン」とカウンターの卓上ベルを鳴らすとウェイトレスが取りに行って配膳する仕組み。
今でもはっきりと覚えています。

三越や丸井にも同様の大食堂があったはずなのだけど、私の記憶にあるのは五番舘の大食堂。

建物は由緒ありそうなレンガ造りだけど、元々は平凡なビルだったのを1990年の大改装時にレンガ造り風にしたんじゃなかったかな。
同時に五番舘から五番舘西武と名を改めています。

それまでどこか泥臭い感じがある古いデパートというイメージが抜けきらない印象でしたが、一気に最新風のお洒落なデパートに生まれ変わったものでした。
個人的には当時のバブル景気に迎合したようで、当時高校生だったワタクシには少々抵抗感を感じましたが・・・
のちに『五番舘』が取れて西武百貨店となっています。

2003年に大丸が進出しステラプレイスなど札幌駅直結の大型商業施設がオープンすると、人の流れが変わって客足が減るようになり、2009年に閉店することになる。

解体後は長らく更地になっていましたが、2025年になってようやく工事が始まりましたね。
ここも高層ビルになるんだとか。

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北4条西4丁目交差点から札幌駅方向です。
右の西武百貨店以外はあまり変わってないかなと思いきや、いつのまにか向こうのビル3棟は解体されて跡形もありません。

この1区画にド〜ンと高層ビルが建つのだそうです。
それと並行して地下鉄さっぽろ駅のホーム増設工事も進行中。
さっぽろ駅も数年後には様変わりすることになります。

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北5条通りを渡れば札幌駅南口となります。
振り返ってみればこんな感じ。
ごちゃごちゃしていますが、広い通りの両側にビルが立ち並び、政令指定都市の表口という感じはあります。
2005年の札幌駅前の風景。

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 2025年7月5日撮影。

最後に上画像から20年後の2025年7月の札幌駅前。
右側の伊藤ビルや国際ビルが建つ一角は変わっていませんが、それ以外はすべてと言っていいほど変わってしまいました。
左側で工事中の高層ビルが完成すると、ここが札幌?と言うくらいの街並みとなるのでしょう。

  ★    ★    ★

以上20年前の札幌駅前通りをお送りしました。

それにしても20年前の私は何を思って駅前通りの撮影をしていたんでしょうかね。
前年の2004年から始めたホームページのネタにでもしようとデジカメを持って歩いていたんでしょうか。

20年後の2025年の自分自身からしてみれば、よくこんな画像を撮影していたな、偉いぞ自分と言いたくなるような物も数々。
こうして思うことは、20年という年月は嫌でも変わってしまうということですね。
逆に言えば、今のなんでもない風景も撮影しておけば20年間放っておくだけで財産となるということでしょうか。

20年間、生きているだけで財産になるのだから、人生って不思議ですね。

でも今はストリートビューなんてものが出来て、過去の街並みも簡単に見られるようになってしまいましたから。
こんな個人で撮影した街中の画像など財産にはならないのかも知れません。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 25/07/06 | Comment(1) | 道央の旅行記

【昔の小樽】拡幅工事前の小樽中央通り

小樽は札幌から特別快速『エアポート』で34分の隣町です。
ですが、札幌人の私にとって、小樽は隣町以上に馴染みのある都市。
内陸に作られた札幌市からは、海や港を求めれば必然的に小樽ということになります。

そんな小樽の玄関口である小樽駅に着けば、振り返ると目に入るのが昭和モダニズムの雰囲気が色濃い鉄筋コンクリート製の駅舎です。

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 1934(昭和9)年建築の小樽駅舎(2024年8月撮影)。

また駅の正面玄関から街の方を見れば、幅広の中央通りが真っすぐ港まで伸びています。
坂の向こうに港と青い海の見える風景。
小樽に着いて最初に港町らしい旅情をそそる玄関口です。

そんな小樽駅からの風景を見て思い起こすのが、小樽出身の作家、伊藤整の小説『幽鬼の街』。

膚(はだ)寒く曇った日であった。
私は小樽駅前の広い坂道を真直海の方に向って下って行った。
道の向端には赤い船腹をでくんと突き出した北洋通いの貨物船がものうげに幾隻も浮かんでいた。
 ↑ 伊藤整『幽鬼の街』(1937年)から冒頭の引用。

まずは伊藤整の『幽鬼の街』冒頭のにある小樽駅から街に向かう描写を紹介します。

これは1937(昭和12)年に文芸雑誌『文藝』に書かれた小説。
小樽駅に降り立って、正面玄関から出たら一番最初に目に入るのが一直線に港へ下る広い通り。
たしかに『幽鬼の街』そのままの姿です

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 小樽駅正面玄関から中央通りを見る(2024年8月撮影)。

だけど、昔の小樽を知る私には、このすっきり港まで見通せる通りはちょっと寂しく感じるのでした。
なぜかというと、今は駅からすっきりと港まで見通せる通りになっていますが、この中央通りは2000年代になってから拡幅されたもの。
現在は幅員36mで4車線の堂々とした通りですが、拡幅以前は幅員18mの2車線道路でした。

拡幅工事以前の中央通りの写真が出てきたので、紹介させていただきます。
時は2000(平成12)年3月。
そろそろ小樽の中央通りの拡幅工事が始まると知って、カメラを持って出かけたのでしょう。

百聞は一見に如かず。
当時の画像をご覧いただき往時を懐かしんで、あるいは過去の小樽の街並みを知っていただきたいと思います。

では24年前の小樽を、とくとご覧ください

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 小樽駅から中央通り方向(2000年3月撮影)。

中央通りの拡幅工事が始まる前。小樽駅前から撮影したもの。
画像を見る限り、とにかくごちゃごちゃしていますね。

この頃はサンビル(左)と長崎屋(右)を結ぶ歩道橋があって、空中には無数の電線が横切っていて、港への展望は失われていたものです。

明治大正生まれの方ならば戦後の高度経済成長に毒された忌々しい姿に見えるのでしょうが、昭和戦後生まれの私などからすればこちらの方が商店街の原風景な気がします。

次は駅前の中央通りを横切っていた歩道橋から撮影したもの 

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 中央通歩道橋から港方向(2000年3月撮影)。

狭い通りに車やバスがびっしり。
『幽鬼の街』で “広い坂道” と表現していた中央通りですが、この当時はお世辞にも広いとはいえない通りですね。
車がほとんど通らなかった昭和初期では広い通りだったのでしょうか。

道の両側は中小の店舗がびっしり並んでいて、駅前から第一大通りまで続いていました。
画像左側の店は喫茶エンゼル。右側はパチンコハーバーライト。

下画像は喫茶エンゼルの前から撮影したものです。
時代はちょっと進んで2002年、拡幅に伴う建物解体が進んでこの一角だけがまだ残っていました 

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 中央通り喫茶エンゼルの前(2002年4月)

駅から歩いて行くと小さいながらも目立つ建物だったエンゼル駅前店。
エンゼルは小樽市内に複数店舗展開していた喫茶店のチェーン店でしたが、2007年のサンビル店閉店を最後に姿を消しています。
中央通りは2001年頃から本格的に立ち退き・拡幅工事が始まったと記憶していますが、この喫茶エンゼルは遅くまで残っていた店でした。

ちなみに、現在(2024年)の中央通りの画像はこちら 

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 長崎屋前の横断歩道から港方向(2024年8月)。

かつての倍の幅員に拡幅されて見通しが良くなりました。
それに伴って新築された建物も石造り調に統一されたので、歴史的建造物が並ぶ運河周辺から統一した風景となっています。
しかしどことなく人工的で、風景というより景観という言葉が似合いそうですね。

昔のごちゃごちゃした風景と比べると、やはりどこか寂しい。

次は坂道を少し下って都通り入口へ 

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 都通り入口と旧小樽中央通郵便局(2000年3月撮影)。

都通りといえば中央通りから浅草通までの300mほど続くアーケード商店街です。
今は『小樽都通り』と鋳物風の看板を掲げてアーケード入口もレトロ調になっていますが、画像の頃は『セントラルタウン都通り』の看板を掲げていました。
浅草通り側には大国屋デパートがあって(1993年閉店、現在オーセントホテル)小樽随一の繁華街でした。

でした・・・とは、今は空き店舗が目立ち人通りも少なくなって、他の地方都市の例にもれず中心部の空洞化は避けられないようです。
運河や堺町通りはこれでもかというほど観光客が歩いているのに。
もうちょっとこちらの方に来ないものなのでしょうか。

それはともかく、画像左側の上の方に郵便マークを掲げた建物はブティックが営業していますが、元は小樽中央通郵便局だった建物です。
建築年は1925(大正14)年、今も残っていたら間違いなく歴史的建造物となっていただろう風格のある建物です。
郵便局として使われていたのは1986(昭和61)年までで、今の小樽駅前郵便局として移転したようです。

郵便局が出て行っても、郵便マークそのままで建物を使うあたりはおおらかというべきか。
そんなところも小樽らしさの一つなのでしょう。

下は中央通郵便局が現役だった頃の地図 

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 ↑ 昭文社北海道都市地図(1986年発行)より引用、緑囲みは筆者。

1986(昭和61)年発行の地図。
こんな地図を引っ張り出してきて、つい見入ってしまいました。
丸井今井、北海ホテルなんて懐かしい名称も数々。

この年は小樽運河を半分埋め立てて造成した臨港線が開通して、同時に運河沿いの散策路が完成した年です。
新しくなった運河は小樽のシンボルとなり、同時に観光都市として生まれ変わったのでした。

ところで地図には手宮線が描かれていますが、この当時は廃止となっていたはず。
ですが線路や踏切はそのままにされ、この年の秋には、のちに『C62ニセコ号』として運転されるC62-3号機がディーゼル機関車に牽引されて手宮の鉄道記念館(現在の小樽市総合博物館本館)から搬出されています。
だからこれはこれで間違いではないと思います。

話がずれましたので、再び都通りへ。
こちらは現在の都通りアーケード入口 

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 中央通りから小樽都通り入口を見る(2024年8月撮影)。

都通りアーケードも中央通り拡幅に伴って柱1本分短くなった格好です。
かつての派手な看板から、落ち着いたレトロ調のデザインとなりました。
しかし、小樽随一の繁華街も今では人通りが少なく、昔日を知る私などしい思いをするのですが。

観光客からすれば全国どこにでもあるアーケード商店街の1つにしか見えないのでしょう。
小樽駅に着くと真っすぐ運河や色内の方に行ってしまう人が多いのは残念。
結構小樽の名店が連ねている通りなんですけどね。

人を呼び込むには、いっそのことアーケードを撤去して、中央通りのようにレトロ調の町並みで統一するというのもアリかもしれません。

次はもう少し坂を下って第一大通りとの交差点付近から 

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 稲穂町第一大通り交差点付近から小樽駅方向(2000年3月撮影)。

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 稲穂町第一大通り交差点から小樽駅方向(1998年頃?撮影)。

写真が2枚出てきたので連投で。
2枚目の雪のない画像の撮影年は1998年としましたが、紙の写真では撮影年月がわからないので推定です。

正面奥は小樽駅なのですが、やはり横断歩道橋が邪魔して駅を見通すことはできません。

しかし雑然としている方が人間味があったよなあと思う反面、拡幅されて新しくなっていなかったら、これもどこにでもある地方都市中心部のように老朽化した空き店舗が立ち並ぶシャッター通りになっていた可能性があります。
だから昔の方が良かったと簡単に言うことはちょっと憚られます。

下は現在の第一大通りから小樽駅方向を撮影したものです。

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 第一大通り交差点から小樽駅方向(2024年8月撮影)

正面に小樽駅が見える広い通りは、小樽市の玄関口にふさわしい貫禄があります。
ごみごみした通りの中に埋もれてしまっていた昔の街並みよりも、誰が見たって今の風景の方が絵になりますね。

それにしても街路樹の背が高くなったこと。
20余年の歳月を思い知らされます。

一方で、小樽の中心部を南北に通る第一大通は拡幅がされておらず、かつての中央通りのような雑然とした街並みを今でも残しています。
すっきりと美しい景観になった中央通りですが、乾いた人工的なものを感じてしまいます。
私など、やっぱり昔ながらの第一大通りに小樽らしさを感じるのですが。

次はさらに坂を下って、手宮線の踏切へ 

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 旧第二火防線踏切から南小樽方向(2000年3月撮影)。

昔(1980年代)は小樽駅から港に向かう途中に2か所踏切があって、1つ目が手宮線の踏切。2つ目が運河の橋を渡った先にある第三埠頭への貨物線の踏切でした。
第三埠頭は、現在は指定保税地域に指定されて立入り禁止になっていますが、あの当時は自由に出入りできて釣り人が多かった記憶があります。

・・なんの話?
そうそう、手宮線の踏切の話でしたな。

手宮線はご存じの通り北海道初の鉄道、日本でも3番目に開通した鉄道の一部です。
旅客営業は1962(昭和37)年に廃止。以降は貨物専用線としての営業でした。
それも国鉄の合理化と貨物輸送の減少により、1985(昭和60)年をもって廃止となっています。

上は3月に撮影したものなのでまだ雪がたくさん残っていますが、雪が解けても廃止当時のまま残っていて夏には草ぼうぼうという状態でした。
もちろん踏切も遮断機は撤去されていましたが、標識と警報器それに線路はそのまま残っていました。

現役当時の踏切名称は第二火防線踏切。
明治時代に小樽の町が作られたとき、現在の浅草通りが第一火防線、中央通りが第二火防線として作られたことによります。
1903(明治36)年に今の小樽駅が中央小樽駅(この当時の小樽駅は今の南小樽駅)として開業すると、中央通りの名で呼ばれるようになったとか。

2000年代の中央通り拡幅工事によってこの踏切も撤去されるのかと思っていましたが、そこは道内初の鉄道という由緒ある線路なので中央通りを横切る線路は保存されることになりました。
ですが、踏切の標識はトラジマの柱だけ移設されて残っている格好です。

ところで手宮線の線路跡を歩いていると、中央通りと交差する部分だけ線路が不自然に下がっていることに気づきますが、これは中央通り拡幅の際に手宮線の方を盤下げしたためです。
以前は手宮線の方が水平になっていました 

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 旧手宮線と中央通りの交差部分(2024年8月撮影)。

そのため、拡幅前の中央通りは、踏切を渡ると港へ向かって急な下り坂になっていました。
その描写を、また伊藤整『幽鬼の街』に見てみましょう。

私は百枝についてその裏路地を歩き、停車場通りへ出て、海の方へ歩いて行った。
だらだら坂になって踏切がある。それは手宮駅から南小樽駅、築港小樽駅を経て札幌駅へ通ずる支線である
 〜(中略)〜
私は空っぽの線路を見やってから、更に埋立地に向う急な坂を下りる。
 ↑ 伊藤整『幽鬼の街』(1937年)からの引用。

現在の中央通りは、確かに踏切跡から色内大通りにかけて、傾斜が大きくなっていますが、上の引用にあるような “急な坂” と呼ぶほどではありません。
ではこの手宮線の線路から埋立地に向かう急な坂とは一体何だったのでしょう。

それがこちら

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 旧岡島薬局前から小樽駅方向(2000年3月撮影)。

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 上画像の坂部分を拡大。

坂の下から踏切と小樽駅方向を撮影したものですが、手宮線踏切の手前が急な坂となっていることがわかります。
距離にして10mほどの短い坂道ですが、歩いていたら急な坂に感じるところです。

現在の中央通りは、拡幅工事の際に通行をスムーズにするために手宮線を盤下げして、勾配が緩やかになるように改良したものだったのでした。

あとちょっと見づらいですが、踏切下の道路が20〜30mほど石畳になっているのがおわかりいただけますか。
ここだけ扇状に石を敷き詰めた、ちょっと変わった造りになっていました。
坂のすべり止めだったのでしょうか。

古い建物やギリシャ神殿風の北海経済新聞社(旧安田銀行小樽支店)などと相まって、ここだけヨーロッパのような感じがしたのを覚えています。
中央通り拡幅と勾配改良工事によってこの石畳も消え失せています。
せめて雪のない時期に撮影しておけばなあ・・・

  ★   ★   ★

以上、小樽市中央通りの過去画像をお送りしました。
伊藤整『幽鬼の街』とも重ねてみると、昭和戦前の小樽の世界が蘇ってきそうです。

いまや国際的な観光都市となった小樽。
幅広の中央通りは絵になる風景ですが、ごちゃごちゃしていた狭い通りだった中央通りが小樽らしい街並みだった気がします。
じゃあ拡幅工事をしなかった方が良かったかというと、そんなことはないわけで、前述の通りシャッター商店街になっていた可能性が高いです。

これは時代の流れとして割り切るしかありませんね。
私が若かった24年前当時の画像の頃や、伊藤整の頃も過去のこと。

でも街を歩いていると、時空を通り越して過去の街に迷い込んでしまいそうな錯覚に陥いる不思議な街。
現代と過去が同居しているような小樽。

札幌人の私にとって、札幌が父とすれば小樽は母なる地。
どうもこの小樽という街は昔から愛してやまないのであります。

 ※かつての手宮周辺の街並みはコチラ ↓

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 24/09/14 | Comment(0) | 道央の旅行記

2024年ゴールデンウィーク、汽車旅有情を求めて

ゴールデンウィーク後半の4連休。
混んだところは嫌いなので、今年は(も?)どこへも行かないと決め込んでいましたが、退屈と春の陽気とに誘われて出かけてしまったワタクシです。

で、朝9時半の札幌駅。
コンコースの指定券券売機で買ったのは一日散歩きっぷ。
4月27日から2024年度分が発売開始となっています。

今回の目的は、3月から岩見沢〜旭川間で走り始めた737系電車に乗ってこようというもの。
室蘭線方面では去年から走り始めているが、今まで乗ったことがありませんでした。
あとはローカル列車に乗って、途中下車しながら汽車旅の気分を味わって来ることにします。

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 2024年度も発売開始となった一日散歩きっぷ。

ということで、一日散歩きっぷを手にして日帰りの乗り鉄旅行のスタートです。


 ◆ 札幌 9:46 → 江別 10:10【149M】

今回乗り鉄の一番手は9:46発江別行普通列車。
車両は転換クロスシートの721系電車だった。

今年3月ダイヤ改正で札幌直通を除いて岩見沢〜旭川間から撤退した車両だが、ダイヤ改正後は札幌圏でこの車両に当たる確率が高くなった気がする。
まずは幸先の良いスタート。

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 721系電車、江別行。

岩見沢へ行くのに江別行に乗ったのは、江別で途中下車して久しぶりに江別の駅前を歩いて見たかったから。
いや、それ以上に札幌駅に早く着きすぎたというのもあります。

江別までは家並みが途切れることがなく続く通勤電車の風景なのですが、クロスシートから風景を見ていると汽車旅らしい気分になってくるものです。
もう少し乗っていたい気分になってきたところで、終点江別に到着。

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 江別駅4番ホームに到着。

到着したホームは行き止まりになった4番ホーム。
昔は0番ホームと呼んでいた。
いつの頃からか上り線の一番外側から番号が振られるように変更されて、このようになっている。

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 かつてはアーケード商店街だった江別の中心部。

江別駅を出ると妙に空が広いのびのびとした風景だけど、逆の見方をするとまったく発展しない駅前ということにもなる。
駅を出ると右手方向に商店街があったものだった。
ものだった、というのは20年くらい昔の話になるから。

かつて中央銀座通りと呼ばれていたアーケード街は、アーケードは撤去されて明るくなったのはいいが、営業している店など1軒もない。
2024年の今はどうかというと、人通りも生気もなく下手すればゴーストタウンのようになってしまった。
他の道路に比べて妙に歩道が広いのにアーケードの名残りを留める。

 ↓ まだアーケードがあった頃の江別駅前はこちら


札幌駅まで直通24分の駅前という一等地にもかかわらず荒れるがままで放置され、外周ばかりが発展する。
こんなのは江別駅前だけじゃなく古くからの駅前商店街あるあるだけど、ここのは輪をかけて酷いのではないか。
空き家も多そうで、ここまで来ると商店街の遺跡と呼びたくなる。

ワンチャン希望があるとすれば、あちこちに目立つ新しい賃貸アパートだろうか。
なんと言っても通勤通学の人たちにとって駅前という立地は魅力だろう。それに一応札幌都市圏でもあるし。
人口が増えればスーパーは無理でもコンビニかドラッグストアは進出して来るかも知れない。

再び江別駅に戻る。


 ◆ 江別 10:30 → 岩見沢 11:07【153M】

こんどの岩見沢行も721系電車をちょっと期待したが、残念ながらオールロングシートの731系だった。
江別10:30発岩見沢行普通列車。
乗車18分なので別にロングシートでもいいんですけど、だけどやっぱりがっかりする。

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 江別駅に到着する731系岩見沢行。

10:48、岩見沢着。
次に乗る旭川行普通列車は12:03発。
ちょっと早く着きすぎたようだ。

また駅を出て街を歩いてくる。

岩見沢駅前は数年前の再開発工事で古い建物が一掃され、広々として明るくなった。
駅舎も新築されて、長らく蒸気機関車が似合いそうだった古い駅や駅前は様変わりしてしまった。

半面、明るくなりすぎて逆に寂しさが漂うようになった気もする。
古い商店街に代わって新しく建ったものはというと、病院と調剤薬局それに銀行など。

車移動が当たり前の地方都市では、商店街や中心部というものをもはや必要としなくなった現代を象徴する駅前風景でもある。

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 岩見沢駅前のアーケード商店街。

駅前通り以外は古いアーケードが所々に残っている。基本シャッター通りだけど細々とながらやっている店もあった。

空知地方の中心都市である岩見沢だが、ここも他の都市の例に洩れず、2000年代に郊外に大型ショッピングセンターが次々に進出すると、中心部としての機能は低下する一方になってしまった。
4条通りの西友が閉店してからはますます空洞化に拍車がかかることになり現在に至る。

今からもう20年以上昔になるかな、4条通りは西友を中心にラルズプラザ、三番館といったデパートや昔ながらの市場なんかが並んで、人通りも多かった。

当時仕事で毎日岩見沢に来ていたこともあったので、今でもはっきりと覚えてる。
立ち食いそばの店もあって、駅前にあった小もろとか、駅前通り北洋銀行向かいにあった、かまだ屋もよく行ったけな。
どこか昭和の香りがしてくるアーケードの下を歩いていると、そんなことを思い出す。

どこか一角を保存して、昭和時代を再現する街並みとして観光地として売り出してみてはなんて勝手なことを想像してみる。
だけどこういう古くからの土地って利害関係が絡んで、再開発事業でも動き出さない限りどうにもならないんでしょうな。

30分くらい歩いて一回りして駅へ戻ってくる。
まだ40分以上あるが、狭い駅にいてもしょうがないしホームで列車の観察でもしていることに。


 ◆ 岩見沢 12:03 → 滝川 12:42【2363M】

跨線橋の窓から、3番ホームにさっき着いた滝川からの普通列車が停車しているのが見えた。
2両編成の737系電車。

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 3月ダイヤ改正から運用に就いた737系ワンマン電車。

ホームに下りると『普通 旭川』の表示が出ていてドアが開いていた。
もう乗ってもいいようだ。

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 岩見沢駅ばん馬像と737系電車。

発車40分前とあって、車内は一番乗り。
誰もいないうちに車内をあれこれ撮影してしまう。

737系電車旭川方がクモハ、札幌方がクハの2両1ユニット。
一般形電車の2ドアタイプは711系電車以来。

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 737系電車は長〜いロングシートが特徴。

2ドアロングシートなのだから、車内はとにかく長いロングシートが目を引く。
片側の中ほどの座席がない部分はフリースペース。

新型電車だけど、好んで乗りたい電車ではありませんな。
だけど、青春18きっぷ等の普通列車限定フリーきっぷで乗車する際は移動の手段と割り切って付き合うしかない。
私も今日は一日散歩きっぷの客である。

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 運賃箱と運賃表が設置された運転士後ろ側。

ワンマン運転なので、運転士後ろの仕切りには運賃表が掲示され、貫通ドア部分には運賃箱が設置されている。
そこで1つ疑問が。

3月から旭川までKitaca区間となったのだが、ICカード乗車券所持者は一体どうするのだろう。
市電やバスならば運賃箱にカードリーダーが設置されていて、降りる際にそこにタッチすることになっている。

運賃箱はカードリーダーもなければ、車内にICカード乗車券の利用案内も一切表示ナシ。
その謎は発車してからの車内放送で判明する。

「運転士にICカードを見せて駅の改札機にタッチしてください」

これでは運転士はICカードの所持を確認するだけで、改札機にタッチするかどうかは乗客の自己判断ということになる。
それでいいのかなあ・・・なんて思うが、邪推はこのくらいにしておきましょう。

だけど運賃箱まわりにICカード乗車券の利用案内くらいはあってもいい気がする。

旭川行列車の話に戻りますが、11:47に手稲からの普通列車が到着すると、この列車にも乗り継ぎ客が乗り込んできた。
2両合わせて50〜60人は乗っているのではないか。

中には大型スーツケースを持った外国人客の姿も目立つ。
なんでこんなローカル列車に乗ってくるのだろう。
交通費節約のために普通列車で旭川へ?

その外国人客の多くは美唄で降りて行った。
美唄に観光とも思えないので農業関係の技能実習生なのかも知れない。

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 滝川駅に到着。

ロングシート電車なので旅情もヘッタクレもないけど、加速性能はなかなか感心させられる。
あと最高速度は特急と同じ120km/hになったのでスピード感は半端ない。

だけど岩見沢〜滝川間の所要時間は721系の頃と全く変わっていない。
これはワンマン運転のための余裕時間に充てられたのだろうか。

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 駅前広場がバスターミナルとなった滝川駅。

12:42、滝川に到着。
一日散歩きっぷ所持者にとってはここが北限。
ここからは根室本線に乗り換えるか、来た道を戻るかの二択になる。

かつては新十津川まで移動して札沼線に乗るという選択肢もあったが、すでに4年以上も過去の話。
北海道の鉄道もだんだん寂しくなったものですね。

いずれにしても1時間近く時間があるので、駅前を歩いてくる。

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 滝川駅前のアーケード商店街。

滝川駅からかつて中心部だったところまで続いているアーケード商店街。
アーケード自体は新しめなものだが、商店街は生気が全くな感じられない。

駅横の西友だったスマイルビルは3年ほど前に閉鎖されて空きビルになっている。
駅前正面の雑居ビルも荒れてしまって、こちらも空きビルとなって久しいようだ。
中心部のかつて地元デパートが並んでいた一角は地元の信用金庫の本店ビルがそびえ立つ。

駅前に進出してきた中央バスターミナルも閉鎖されて、今は駅前広場がターミナルとなった。

せめて駅前や商店街にコンビニでもと思うところだが、古び建物が軒を寄せる商店街に今は駐車場用に広い土地を必要とするコンビニ出店も難しそう。

この滝川駅前もすでに駅しかないような場所に変わってしまっていた。
駅を取り囲むのは、遺跡というか化石と化してしまった商店街。
肝心の駅はというと、売店も不採算と人手不足からすべて閉店している。
駅と駅前では買い物もままならなくなってしまったことを思い知らされる。

逆に隣の砂川駅前はというと、駅近くにスーパーがあり商店街も細々とながら生き残っている印象がある。
何が違うのだろう。

滝川市といえば昔は周辺に炭鉱町を控えた中心に位置する都市だった。
その中心都市として過去に栄えてしまったが故に、古くからの利害関係が絡んで身動きが取れなくなってしまったというのが滝川駅前の印象だった。


 ◆ 滝川 13:27 → 富良野 14:32【2477D】

再び駅に戻ってくる。
ここからの選択肢は、根室本線で富良野まで往復してくるか、岩見沢へ戻って室蘭本線に乗り継ぐか。
戻り列車とすると、こんどの岩見沢行は924Dということで気動車となる。

構内の外れに見えたのは2両編成のデクモことH100形。
あれが岩見沢行なのは間違いない。

一方で1番ホームには1両編成のキハ40形気動車が入線。こちらは富良野行き。
デクモとキハ40ならばそりゃキハ40に乗りますよ。

あなただってきっとそうするでしょ?

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 滝川駅1番ホームのキハ40形富良野行。

この車両は銘板を見ると『新潟鉄工所昭和55年』とあった。
鉄道車両としてもかなり高齢の44歳。
しかし、車内外を見てもあまり古さを感じさせない不思議。

これはキハ40形車両の中でも状態の良い車両が最後の最後まで残ったのと、国鉄時代の車両なので、とにかく頑丈さをコンセプトに作られたからだろう。
車両を急行型並みに大型化し、鋼板を厚くして車両重量が増したのでエンジンの出力が足りず、新製時から旧型車よりも性能が劣ると言われたのは有名な話。

JR化後にエンジンを強力なものに取り換えてワンマン化改造してからは道内でも主力の車両となった。
反面、どこへ行ってもこの車両ばかりなので飽き飽きする感もあったが。

そんな一大勢力を振るった車両もいつかは終わりの時が来る。
キハ40形気動車は、来年(2025年)3月での引退が決定している。

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 滝川駅4番ホーム下にある根室本線0キロポスト。

そんなキハ40形が停車する反対側の4番ホーム床下に0キロポストを見つけた。
『根室線0k』とあるので根室本線のものだ。

気を付けて見ないと見つけられないし、ここに車両が停車していれば見ることはできない。

根室本線は富良野〜新得間が廃止となってしまい、途中がちょん切れたような格好となってしまったものの、根室本線の起点は滝川駅であることに変わりはない。

天下の根室本線の起点なのだから、もうちょっと立派な0キロポストを設置してあげればいいのにね。

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 どこか旅情を誘うキハ40形車内。

富良野行きキハ40形の車内に入れば、予想に反してガラガラ。
ボックスシートも選び放題。
逆の見方をすれば、今はゴールデンウィークの真っただ中とは思えないような情けない姿。

それもそのはずで、この列車函館本線の列車との接続がすこぶる悪いのだ。
ボックスシートで旅情に浸りながらのんびり行けるのは嬉しい反面、こんなんでこの先大丈夫なのかという気分にもさせられる。

と思っていたら、発車数分前になったあたりから次々と乗客が乗ってきて、ボックスシートはあっという間に全部ふさがった。
大型スーツケースの外国人客が目立つ。
接続する列車もないのに、この人たちどこから現れたのだろう。

乗車人員は目見当で40人といったところ。
まずまずの乗車率だが、函館山線の余市倶知安方面とは比較にもならない。

ラベンダー畑にはまだ早いが、大型連休なので観光客もそれなりに多いはずだ。
しかし観光特急の運転開始は6月から。
富良野も世界的な観光地なのだから、もうちょっと何とかならないものなのだろうか。

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 函館本線と別れる。

発車して複線電化の函館本線と別れる様はいかにもローカル線。
一段窓と青いボックスシートが往時の汽車旅を彷彿(ほうふつ)とさせる。

こんな旅気分が味わえるのも最後の時が近づいている。
せめてあるうちに乗っておくしかないね。

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 空知川と国道38号線に沿って。

富良野行は進行左側の席がおすすめ。
なぜかというと、赤平あたりからは空知川の谷間を行くため、左側が谷側となるから。

ドラマ北の国からの第一話で、

蛍「川!」
五郎「空知川だよ」

のシーンが頭に浮かぶ。

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 平岸駅に停車。豊平区ではありません。

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 木造駅舎の芦別駅。

芦別では意外なことに目立った乗り降りがあった。
幅広のホームと立派な木造駅舎が炭鉱町として賑わった往時を伝える。

もう何度も乗って見飽きている車窓風景なのだけれど、キハ40形から見る風景もあとわずかなのだと思えば別物に見える。
14:32、富良野着。

汽車旅の旅情に浸っていれば、滝川からの1時間5分はあっという間の時間だった。

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 『ぬのべ』が消された富良野駅の駅名標。

富良野駅の駅名標は『ぬのべ』の文字が消されて矢印の片側はシールが貼られ、ここが終点ということを示していた。
かつてはホームに『新得・帯広方面』の文字を見れば、ああ根室本線なんだなという気になったけど、もうそんな文字はどこにもない。

そうなると線名を変更するか、それとも『花咲線』のように愛称をつけるかということになるのだろうけど、そういった話は聞かない。
将来的に存続するのかわからない路線に余計な経費をかけたくないとも見て取れる。

良いように解釈すれば、1本の根室本線だった頃の記憶を忘れないように、あえて根室本線とは別の根室本線としてやってゆくと言うこともできる。

ところで富良野〜新得間の廃止後は、旅客営業上は関係ないけれど、線路名称的には石勝線と合流する上落合信号場〜新得間の扱いがどうなるのか気になっていた。
この区間は根室本線の富良野〜新得間の一部ではあったけど、石勝線の列車が走るので当然存続区間となる。

でどうなったかというと、石勝線に組み入れられたようだ。
国土地理院の地図でもこの区間を見ると、根室本線石勝線に変更されている。

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 いかにも国鉄駅という感じの富良野駅。

列車を降りると空気が妙に暖かい。
暖かいというか、外を歩いていたら暑くなりそう。
あとでスマホで気温を調べたら24℃となっていた。

富良野駅の折り返し時間は29分。
さっき着いた列車の折り返し作業を見ようと、駅横の跨線橋へ。
ここから富良野駅の南側の構内がよく見える。

さっき3番ホームに着いた列車には、緑と赤の旗を持った作業員が乗り込むのを見た。
富良野駅に着いた列車は一旦構内の南側に引き上げて、こんどは2番ホームに入線して折り返す。

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 ホーム入換のために移動する。

そのまま着いたホームで折り返せばいいのになんでこんな面倒なことをするのかというと、根室本線のホームは信号機の関係で一方通行となっているからだ。
札幌の地下鉄も終点では一旦奥に引っ込んでから隣のホームに入線する駅があるが、あれと同じようなものだ。


 ◆ 富良野 15:01 → 滝川 16:03【2480D】

再び駅に戻って、まだ開いていた駅そばを食べようとしたら改札が始まった。
10人くらいの人が改札口に群がる。
このくらいの人数ならば、またボックスシートで行けるかなと改札を通る。
駅そばは次回にお預けとなった。

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 2番ホームに移動して滝川行となる。

改札開始のグループが乗車した段階では空きボックスシートだらけだった。
だけどまだ乗ってきそう。
相席になるのも嫌なので、2人掛け席に陣取ることにした。
キハ40形は4席分だけ2人掛けシートがある。

とは言え立派なものではなく、座席自体はボックスシートと同じものなので少々窮屈な席だ。
窓もここだけは小窓になっている。

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 すっかり希少価値となった青いボックスシート。

こんども進行左側。
つまり来た時と反対側の風景となる。
しかも日が当たる側。
窓はこの席だけのものなので、大きく開けさせてもらう。

乗ったときはガラガラだったのだが、だんだんと乗ってきて行きと同じくらいの乗車率になって富良野を発車する。

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 北の峰の町並みと芦別岳。

もう初夏のような陽気。
窓から吹き込む風が心地よい。

考えてみれば列車の窓が開くのも今となってはこのキハ40形と、あとキハ54形だけになってしまったなあ。
いや、新しい737系電車も窓が開くけど、あれは窓というより換気用みたいなものだから。

キハ54形は今のところ引退の話は聞かないが、あちらも製造から38年ということもあり長くはなさそう。
SLがなくなり、客車列車がなくなり、夜行列車がなくなり、今度は窓の開く列車がなくなる。
キハ40形の引退は鉄道旅行のターニングポイントの1つにはなりそうですな。

赤平あたりから風が冷たくなってきたので窓を閉める。
そういや明日は雨予報だったな。

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 滝川駅1番ホームに到着。

滝川駅に着いて跨線橋に登ってみれば、キハ40形が2両並んだ貴重な光景が見られる。

右は今着いた富良野からの列車、左は16:21発富良野行きの車両。
滝川〜富良野間を単純に行き来するというものでもないようで、鉄道車両運用の複雑さをうかがえる。

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 1番と4番ホームに並んだキハ40形。

16:03に滝川駅に着けば次の岩見沢行は17:15発となる。
どうも函館本線と根室本線の列車の接続は悪すぎる。

滝川の街はさっき歩いてきたので、今度は駅で過ごす。
札幌を出てからここまで飲まず食わず。
駅周辺はコンビニすらないの場所なので、駅の自販機だけが頼り。
自販機でペットボトル飲料を買って一息つく。

待合室はテーブルと椅子が並べられて、コミュニティーセンターのようになっている。
テーブルで勉強する高校生らしき姿も。

妙に広々とした待合室だが、かつてここにはキヨスクと駅そばと薬局が同居していた。
その店舗が閉店して撤去され、こうした広い待合室が出現したのだった。

待合室の隅には見慣れない自販機を見つける。
見ると滝川の土産菓子の自販機だった。
確かに、駅から特急に乗るのに土産物を買うにもままならないよりはあった方がいいけど、なんだか味気ないなあ。
ちょっとは物産館を併設した隣の深川駅を見習ったらいいですよ。滝川市さん。

ところで飲み終わったペットボトルを捨てようとしたらゴミ箱がない。
待合室も改札口周辺も探したけど置いていないようだった。
これだけ自販機が並んでいるのに。

物陰にやたらと空きペットボトルを見かけたのはこういうことだったのか。
どうにも困ったものだ。
まあいいや、どこかゴミ箱を見つけたら捨てることにしよう。


 ◆ 滝川 17:15 → 岩見沢 17:55【2370M】

今度の岩見沢行の発車は17:15だが、入線時刻は16:54となっている。
旭川から来る列車なので『ライラック34号』に追い抜かれるために滝川で21分も停車する。
乗り通す客からすれば迷惑な長時間停車だが、どこへも行く当てがない私のような客からすれば早くから乗車できるのでありがたい。

とはいえオールロングシートの車内では居心地が良いとは言えないが・・・

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 滝川からは再び737系電車。

ロングシートといえば端っこの席からふさがるのが定番だ。
大抵はこの端の席から埋まる。
理由は片側の隣に人がいないから。

誰だって両側に人がいるというのは嫌だからね。
それに片側が壁だとそちらに寄りかかることもできるし。

たまにいっぱい空いているのにわざわざ隣に来る、トナラーと呼ばれる方々もいるようですが・・・
それはともかく。

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 車内中央にあるフリースペース。

で、この737系電車は端っこ席が1両当たり6席しかない。しかもうち1席は優先席。
3ドア電車ならば8席〜16席あるんだけどね。

端っこ席が空いていない場合、おすすめなのがフリースペース向かいの席。
ここは座席がないので、向かいの人と顔合わせになることがないし、外の景色がよく見える。


 ◆ 岩見沢 18:05 → 札幌 18:47【244M】

岩見沢から乗り継ぐ小樽行普通列車は721系電車であることを期待してみたが、階段を下りた先に停車中の小樽行はオールロングシートの731系電車だった。しかも3両編成。

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 岩見沢からの731系電車。

もうここからは札幌の通勤電車。
ロングシートに腰を下ろし、他の乗客と同じようにスマホいじりで札幌まで過ごしていた。

  ★    ★    ★

こうしてたまに普通列車なんか乗りにでかけると、『汽車』ってものがどんどん無くなってゆくなあと改めて思います。
ロングシートばかりになった車両のこともあるけれど、汽車とセットだった駅前風景というものがどんどん失われている現実も思い知らされます。

特急停車駅でも駅や駅前から店が消えてしまい買い物すらままならない駅。
駅周辺だけが発展から取り残されてしまい、商店街の遺跡が残るだけとなってしまった駅前。

駅があれば人が集まってきて、駅前は店が集まる。
店が集まれば賑やかになり、町ができる。
その町から汽車に乗る人が集まってくる。

そんな賑やかな町にやってきて駅に向かい汽車に乗る。
駅には必ず売店があって、昔は汽車に乗る前に売店で新聞やお菓子を買うなんてのが儀式のようなものでしたね。
そんな余所行きの感覚もすでに過去のものになってしまったのかなあ。
考えてみればそんなこと、もう20年以上昔のことなのかも知れませんね。

2024年の現代に、札幌から気軽に行ける所に汽車旅有情(うじょう)を求めたとて、今ではもう叶わないものになってしまったようです。

駅はただ電車の乗り降りをするだけの場所になり、やって来るのは無情にもロングシートの通勤電車ばかり。

昔は良かったと言うつもりは毛頭ありませんが、汽車の文化が消えてゆくのは寂しいことです。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 24/05/06 | Comment(0) | 道央の旅行記
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