解体工事が始まった北海道百年記念塔

北海道百年記念塔が解体されることになったことは数々の報道で知っていましたが、いよいよ本格的に解体工事が始まったようです。

私は札幌市の西側の人なので馴染みはそれほどありませんが、札幌市内の高い場所からは見ることができるし、厚別や大麻あたりを通るとそびえ立つ百年記念塔は北海道のシンボルのような存在でしたから、無くなるのは寂しい思いです。

まだ姿かたちあるうちに見ておこうと、札幌駅から森林公園駅へ向かって出発しました。

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 ホワイトボードと張り紙によるお知らせ。

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 デジタルサイネージによるお知らせ。

札幌駅の西改札口に着くと列車の遅れのお知らせが。
道内低気圧の影響で道北方面の列車は軒並みストップしている模様。
札幌〜旭川間の特急も朝からずっと運休となっていました。
札幌はこんなに晴れているのに。

高速バスは運行していて、エスタ1階のバスターミナルに行ってみると旭川行の乗り場は案の定長蛇の列。
ずっと辿ってゆくと、階段を登り2階のビッグカメラ入口が最後部となっていました。
行列の中には外国人観光客の姿もチラホラ。
とんだ災難といったところですが、鉄道もバスも冬は突然運休になるのが日常茶飯事。
せいぜい余裕を持った行程と、代替交通機関を事前に調べておくくらいしか対策はありません。

大混乱の都市間輸送ですが、普通列車は比較的定刻運転でした。
それでも各方面、1時間当たり1本程度が計画運休となっていました。

  ★  ★  ★

11:53発江別行普通列車に乗って森林公園駅まで乗車します。

こちらは特に遅れもなく、厚別12:04着。4番ホームに入ります。
通常ならばここで特急ライラック15号に抜かれるわけですが、今日は旭川方面の特急が運休のためにカラ退避。
この間に跨線橋から百年記念塔の撮影をしてきました。

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 厚別駅跨線橋から見た百年記念塔。

やっぱり百年記念塔はこのあたりのシンボル的存在だなあ。
あるのが普通だと思っていましたが、あれがなくなるってのはどんなものなのか。

通過列車もなく、江別行普通列車は厚別駅を発車します。

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 厚別〜森林公園間の車窓から見える百年記念塔。

厚別駅を発車すると車窓にも百年記念塔が見え隠れするようになります。
そろそろ札幌市内から出て、旅の気分も盛り上がろうってものです。
JRの車窓から見るのはこれが最後になりますかね。

今回は車で行っても良かったんですけど、車窓から百年記念塔を見たいということもあってJRとしました。
厚別の次は森林公園駅。

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 森林公園駅に到着。

ホームの名所案内には『北海道100年記念塔』の記載も。これも近いうちに消されるのでしょう。
百年記念塔は森林公園駅のホームからも見えます。森林公園駅のシンボルでもありますね。

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 森林公園駅ホームから見た百年記念塔。

森林公園駅の東口から道なりに15分ほど歩くと百年記念塔入口の駐車場に着きます。
車で来てもここからは歩きになります。
解体工事に関わる場所は囲いが設けられて関係者以外立入禁止となっていました。

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 百年記念塔解体の工事標識。

駐車場からは上り坂の歩道に水路や噴水が並行して百年記念塔まで続いていましたが、今は囲いができて近づけず迂回して反対側へ行く格好になります。

囲いの上からのぞき込むと、数台の重機と解体した鉄屑の山が見えました。
今日は日曜なので作業はお休みですが、平日は重機が忙しく動き、鉄屑を積んだトラックが出入りしているのでしょう。

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 解体工事が始まった百年記念塔。

下は2019年に撮影した百年記念塔。
この年に解体が決定したのを聞いて、当時私は撮影に行ったようです。

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 在りし日の百年記念塔(2019年9月撮影)。

この百年記念塔は1968(昭和43)年に北海道開道百年を記念した塔として着工、1975(昭和45)年9月に完成。
建設費は5億円で半分は道民の寄付によるものだそうです。

以前は階段から8階展望室へ行けましたが、2015(平成27)年より老朽化により危険となったために入塔禁止となっています。
展望室の大きなガラス窓からは石狩平野や連なる山々を見渡せたことを覚えています。

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 説明書きの張り紙(2019年9月撮影)。

高さは北海道百年記念に合わせたのか100m。
裾から二次放物線を描くように天に伸びるフォルムは、未来の発展を象徴したものになっています。

  ★  ★

1869(明治2)年、この北の島は蝦夷地から北海道と名を改められ、明治新政府は北海道開拓のための開拓使を設置しました。
本格的な北海道の開拓の歴史はここから始まるわけです。

それまでは北海道の産業といえば沿岸の漁業くらいなものでしたが、以降奥地の入植と開拓が進みます。
炭鉱が次々とできて鉄道も開通。開拓はさらに奥地へと発展します。

北海道侵略を狙っていたロシアの南下政策に対抗するために、北海道開拓と近代化は明治政府の急務でした。

一方では、先住民族だったアイヌが追いやられ、同化政策によって文化も奪われたことも忘れてはいけない歴史であります。

第2次世界大戦後は外地からの引揚者の受け入れ地となってさらに開拓が進み、食糧と石炭の一大供給地として日本の復興を支えました。
ここまでの北海道の開拓の歴史は、農業、酪農、漁業、鉱業など1・2次産業の発展の歴史であったといえましょう。

開拓から100年を経てようやく安定した暮らしができるようになった頃、先人の苦労と努力に感謝し、さらなる北海道の発展を願って建てられた百年記念塔。

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 澄んだ青空に映える頂上。

ところが、この百年記念塔が完成した1970年代からは、北海道の産業は大きな転換点を迎えることになります。
それは北海道にとって試練の始まりでもありました。

石炭から石油へのエネルギー転換政策により炭鉱は次々と閉山。
農業や酪農はこの頃になると生産過剰が問題とされ、減反政策や生産調整も始まります。
200カイリ水域が設定されると、盛んだった北洋漁業も終わりを迎えます。
期待の星だった苫小牧をはじめとする一大工業地帯への開発プロジェクトも、オイルショックにより頓挫しました。

北海道の産業も、1・2次産業から3次産業への転換。
開拓以来ずっと拡大や増産を続けてきた北海道経済は、エネルギー転換政策や国際情勢、国の経済政策に翻弄されてゆくことになります。

農業や酪農は機械化が進み大型化され、中小の炭鉱は閉山して大規模炭鉱への集約など、主要産業はスクラップアンドビルド化が進みます。
国際情勢で漁場を失った北洋漁業基地は沿岸漁業に頼るしかなくなりました。
炭鉱も80年代になると、ほぼ消滅します。
北海道の開拓と経済成長を支えた鉄道も、役割を終えたとして多くの路線が廃止されました。

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 直下から見上げる百年記念塔の雄姿(2019年9月撮影)。

一方で、人々の生活は都市へと移り、特に札幌は異常なまでの発展を見ることになりました。
百年記念塔が完成した1970年、札幌市の人口は100万人を超えます。

その後も2度のオイルショック、冷害と凶作、幾度もの災害、バブル崩壊と地元銀行の破綻、最近ですと新型コロナ禍ですか。

それでも北海道民は頑張りました。

幾度の困難も乗り越えて働いてきた人たちがいて、今の北海道があるわけです。

開拓の開始から100年で北海道は大きな転換期を迎え、それから50余年間北海道を見守ってきた北海道百年記念塔。
次の時代を待てずに、残念ながら解体が始まりました。

100年記念塔解体後には新たなモニュメントが建設されるようです。
新たに建設されるモニュメントはどのようなものになるのかはわかりませんが、北海道の次の100年を見守るにふさわしいものであって欲しいと願うだけです。

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 南東側から見た百年記念塔。

正面から歩いてぐるっと回って塔の南東側まで来ると、こちら側は鋼板が剥がされて中の鉄骨が見えていました。

解体というと、普通は上から壊してゆくものですが、先に下の方の鋼板の撤去から始まったということは、躯体を残して先に鋼板を全部撤去するのでしょうか。
工事が進むと鉄骨だけが剥き出しになった、骸骨のような格好をさらすことになるようです。

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 裾部分はすでに鉄骨がむき出しに。

裾野から徐々に角度を増して天に向かい、無限大の高さを目指して1点に向かう二次曲線のフォルムはもう見られません。
これは過去の画像に見るしかないようです。

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 無限大に向かって伸びる二次曲線のフォルム(2019年9月撮影)。

解体工事は始まったばかりだし、札幌市内にあるものなのでこれで見納めということもないでしょうが、完全な姿で見ることができるのはそう長くはないでしょう。

解体は本当に残念ですが、塔の老朽化と危険性は深刻なものとなっており、また構造上の問題もあって存続は難しいとの判断では仕方がありません。

形あるものはいつか壊れるのが定め。
寿命と思うしかないのでしょうか。

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 百年記念塔近くから南西方向を見る。

そんな解体が始まった百年記念塔は見物人が多いかと思っていたら、人はまばら。
日曜日でせっかくの晴天なのだし、最後なんだから見納めとか、撮影しておくとかあってもいいものだと思いますが、そっちの方がちょっと寂しく思えました。

とは言っても、庭園路は除雪された細い道が1本通るのみ。
足場も悪く、積極的に行きましょうとは言えないところでもありますが。

戻り道を歩いて国道12号線に出ると、ちょうど新札幌行のバスが来ました。
今度はこれに乗って戻ります。

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 厚別東小学校前からバスに乗る。

新札幌駅西側のロータリーだった場所は前に見たときは工事が行われていました。
何か建つのだろうかと思っていましたが、今日行ってみると新しいバスターミナルができていました。
調べたら、北海道ボールパークFビレッジのシャトルバス乗り場になるんだとか。

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 北海道ボールパークFビレッジのシャトルバス乗り場。

当初の計画では千歳線に新駅ができるはずだったのだが、予算不足なのか新駅の開業は早くても2027年ということになってしまいました。
それまでは北広島駅と新札幌駅の2か所からのシャトルバスが主な交通機関となるようです。

こちらは、3月14日に開催されるオープン戦からボールパークのエスコンフィールドで行われることになっていて、ボールパークのプレオープンとなります。

ここでボールパークの様子も見に行きたいところですが、実は私は間接的ながら仕事で関わっているところなので、日曜日にわざわざ行く気はしません。
ま、そちらはオープンしてからということで・・・

ひっそりと消えゆく北海道百年記念塔。
華々しくオープンするボールパーク。
消えゆくものと生まれくるもの、なんだかそんなことを思いました。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。  

posted by pupupukaya at 23/01/29 | Comment(0) | 道央の旅行記

2022年秋のニセコと山線普通列車3

 ◆ ワン・ニセコ・リゾート・タワーズの朝

おはようございます。
朝5時半、まだ日の出前だけど目が覚めてしまいました。

カーテンを開けると、空はどんよりと雲が覆っていいました。
スマホで天気予報を見たら、なんと今日は昼から雨予報。
昨日の晴れ予報はどうなっちゃったんでしょう。
何とか心と秋の空ってやつですか。

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 ホテルの部屋からの眺め。

朝食会場は7時半からとなっていますが、昨日チェックイン時に今日は団体が入っているので混んでいると言われ、8時に予約していました。

私は早起き族なので、こうしたホテルの朝食は朝イチで行きますが、今日は仕方がありません。
腹が減るけど、朝風呂に行ったりコーヒーを飲みながらテレビを見たりして過ごします。

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 朝食会場のレストランTura。

8時になったので朝食会場へ。
混んでいるかと思ったら、意外とそうでもありませんでした。
窓側の4人がけテーブルでゆったり過ごせました。

朝食はバイキング。
ウインナーと卵料理がメインのオーソドックスな品揃え。

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 朝食会場のバイキング。

チキンライスがあるのが珍しかったので、2杯目のご飯はチキンライスにして上にスクランブルエッグを載せてオムライス風にしてみました。

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 朝食バイキングの一例。

せっかくだからデザートも頂きます。
ロールケーキやパンケーキもありますが、プリンを取ってきました。
たまにはこんなゆったりとした朝食もいいですね。

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 デザートのプリンとコーヒー。

30分ほど過ごして部屋に戻る途中、廊下の窓からツアーのバスが出発するのが見えました。
8時半出発のようで、ツアーはどこも朝早いですな。
こちらは9時半にチェックアウトしてホテルを出発します。


 ◆ ニセコ駅へ

部屋の窓から見ていたら雲の隙間から青空も見えていたので、午前中ならばそこそこの風景は見られるんじゃないかと道道岩内洞爺線を山の方に向かいます。
ところが、山の天気を甘く見てはいけませんね。
次第に雲が厚くなってきて、ついにはガス(山霧)の中となってしまいました。

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 ガス(山霧)に包まれたニセコパノラマライン。

こりゃあ駄目だと思い、町に引き返すことにしました。
今日無理しなくても、ニセコならば日帰りでまた来られますからね。

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 ニセコパノラマラインからの風景。

というわけでニセコ駅にやってきました。
列車は昨日乗ったので、今日は駅鉄をするだけ。

ニセコ駅は山小屋風の瀟洒な駅舎です。
駅前はオレンジ色のカボチャで彩られていました。
そういえば今月末はハロウィンでしたね。

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 オレンジ色のカボチャがいっぱいのニセコ駅。

駅前にはカボチャのほかにカラフルに塗られた牛の置物が鎮座していました。
はて?こんなものあったかな。
調べたら『ニセコアートカウ』と呼ばれるもので、毎年アートが変わるんだとか。

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 アートが施された牛の置物。

駅舎だけ眺めていれば、ドイツのアルプス山麓にある町にでもいるようですね。
こんなニセコ駅舎は、元々は三角屋根の鉄骨ブロック造りで無骨な駅舎だったのを覚えています。
JR化後に観光駅らしい装いに改装されたのでした。

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 きっぷうりばがある天井が高い待合室。

ニセコ駅に発着する列車は上下合わせて14本。
町の中心部からも少し遠くて乗降客数も決して多くはない駅ですが、きっぷうりばが営業していて、そのとなりは喫茶店が営業中、その反対側にはニセコ観光案内所があるので観光拠点としては頼もしい限りです。

この駅も北海道新幹線札幌開業を待たずして廃止が決定していますが、廃止後も何らかの形で鉄道遺産として残せないものかと思いました。

せっかくきっぷうりばが営業しているので、記念に入場券と乗車券を買ってみます。
別に集めているわけではないんですが、無人駅のきっぷうりばを見るとつい買いたくなるわけで。

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 ニセコ駅発行の入場券と乗車券。

入場券は『北の大地の入場券』、乗車券は隣の比羅夫まで求めると、なんと補充券タイプのもの。
倶知安や札幌といったよく出る券は赤色の常備券となるようですが、あまり出ない駅はこうして判子と手書きの乗車券となるんですね。

裏面の『ご案内』を見る限りでは全国どこの駅まででも発券できるようにも読み取れますけど、どうなんでしょうか。

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 補充券裏側の『ご案内』。

入場券を買ったのでホームに入ってみます。
上屋が堂々と張り出した立派な1番ホーム。

かつて特急『北海』や急行『ニセコ』といった優等列車が停車していた名残です。
いまはローカル線に落ちぶれて廃止が決定してしまったけれど、幹線の特急停車駅だった時代もあったわけで。

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 無人駅とは思えないほど立派なニセコ駅ホーム。

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 ニセコ駅をホーム側から見る。

表側は山小屋風の駅舎になっていますが、ホーム側から見るといかにも国鉄駅という感じがします。
石積みのホームも歴史を感じさせるあたり、落ちぶれても幹線の風格が残っています。


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 ニセコ駅の駅名標。

ニセコ駅の駅名標は今はカタカナでニセコですが、昔は『にせこ』と平仮名表記で、カタカナ駅でも駅名標はよそと同じく平仮名表記なんだと感心した覚えがあります。

ニセコ駅の構内にはかつてC62ニセコ号が運転されていたときに使われていた転車台や給水塔が今でも残っていて、長らく草に埋もれていたのがニセコ鉄道遺産群として保存されることになったようです。
キューロク形と呼ばれた蒸気機関車や、ニセコエクスプレスの車両も保存されて、ちょっとした鉄道公園のようになっていました。

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 SLとニセコエクスプレスが保存されているニセコ鉄道遺産群。

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 かつてC62の折り返しに使われた転車台。

ニセコエクスプレスは車庫に仕舞われ、公開期間は9/25までということで残念ながら見ることは出来ませんでしたが、扉の下の隙間からはあの青と白の車体を見ることが出来ました。

私は『ニセコエクスプレス』としては乗ったことはありませんが、同車両で運転していた快速『優駿浪漫号』で乗ったことがあり、そういう意味では懐かしい車両ですね。

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 車庫の扉の下から覗き込むとニセコエクスプレスの車両があった。

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 軟石造りの農業倉庫。

鉄道遺産群の向かいは軟石造りのニセコ農業倉庫が2棟。
昔はここから真狩まで殖民軌道真狩線というレール幅762mmの鉄道があって、ガソリン機関車が真狩からの農作物やでんぷんを運んできて倉庫で保管され、ニセコ駅から貨物列車で全国各地に発送されていました。
昔はもっとたくさん倉庫が並んでいましたが、今はこの2棟が往時を伝えています。

駅前を散策していたら雨粒が落ちてきたり止んだり。
そろそろ札幌に帰ることにします。

その前に昨日乗った倶知安行き1935Dが来る時間なので、ニセコ大橋から列車の撮影をしてみることにしました。
橋の手前にパーキングエリアがあり、そこに車を駐車して橋の上からニセコ駅方向を望みます。

さっきまで雲の中だった羊蹄山が、雲が流れて姿を現してくれました。
これは運のいいことで。

橋の上の金網越しにカメラを構えているとやってきました、H100形1両の列車。

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 ニセコ大橋から見たニセコ駅と羊蹄山。

ノースレインボーエクスプレスの特急『ニセコ』号が運転された日は賑わったのでしょうが、今日はほかに撮り鉄もいなくて静かなもの。
だんだんレールの響きが近づいてきて、ダイヤ通りに列車がやってきました。

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 H100形1両の1935D倶知安行きがニセコ駅に到着。

北海道新幹線札幌開業を待たずして廃止となる運命の函館本線山線ですが、具体的なスケジュールはまだ決定していないようです。
廃止と言ってもまだ数年後の話となるわけですが、昨日乗った倶知安発長万部行きの2940Dなどは結構な混みようでした。
これからますます名残乗車客が増えてくるのでしょう。

あと撮り鉄も。
このニセコ大橋も、三脚を立てた撮り鉄がズラリと並ぶようになるのでしょうか。

新型コロナが収束したら、このニセコ界隈も再びインバウンド観光で賑わうのでしょう。

何もない普段の函館本線山線は、このあたりが見納めなのかも知れません。
また空も暗くなってきたので、今日は札幌に帰ることにします。

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 22/10/23 | Comment(0) | 道央の旅行記

2022年秋のニセコと山線普通列車2

 ◆ 半月湖へ

蘭越駅で列車を降りたら午後1時過ぎ。
まだホテルに向かうには早すぎるのでひと観光してきます。

ニセコは観光地なので行きたいところはたくさんありますが、3時過ぎにはチェックインしたいので山の方は明日行くことにします。
天気予報では明日も晴れのようなので欲張る必要はなし。

で、観光スポットを1つに絞ったのが羊蹄山麓にある半月湖。

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 半月湖の場所(地理院地図より筆者作成)

地図で見つけたのが羊蹄山麓にある窪地のカルデラ湖。
初めて知ったところだし、ここなら人も少ないんじゃなかろうと行ってみることにしました。

国道5号線を倶知安に向かって走り、途中に羊蹄山登山口とある看板が立つ道に入ります。
ずっと奥まで進むと駐車場と山小屋風のトイレがありました。

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 半月湖自然公園の駐車場とトイレ。

車で行けるのは駐車場まで。
ここからは歩きになります。

トイレ脇にある階段を登って登山道を行きます。
途中分かれ道がいくつかあって、『半月湖』の表示がある方へ進んで行きます。

この半月湖は、約1万年前に羊蹄山の火山活動で生じた爆裂火口に水が溜まって出来たもので、火口内の片側に溶岩円頂が形成されたために半月型になったもの。
カルデラのミニチュア版といった感じで、ちょっとめずらしい地形です。

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 半月湖案内図。

外輪山の頂点らしき所まで登ったら今度は下り道。
途中に崖っぷちのような場所もあって、意外と険しい道。
それにしても、下った分は帰りに登らなきゃならないわけで、帰りは登るのかと考えると少々うんざりします。

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 湖畔へ下る道。

外輪山からカルデラを見下ろす風景を期待していましたが、木が茂ってそういう風景は見えないのは残念。
しかし、湖畔まで下ると神秘的な風景がそこにありました。

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 半月湖の湖畔に到着。

鏡面のようになった湖面に紅葉の山々が映る光景は、う〜ん神秘的。
湖面まで下りてきた場所にベンチが置いてあり、人工物はそれだけ。
木道が整備された観光スポットもいいけど、こういうなにもない所で絶景を見られたら、それだけで来た甲斐があったというもの。

道はそこで終わりではなく、続いているのでさらに先まで歩いてみます。
踏み分け道はあるものの、だんだん藪こぎみたいになってきました。
そこで振り返ると羊蹄山が姿を見せていました。

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 羊蹄山(蝦夷富士)と湖面に映る逆さ富士。

湖面に羊蹄山が映って、これぞまさしく逆さ蝦夷富士。
しばらく神秘的な風景を眺めていました。

そんな水面も風が吹いてきてさざ波が出てきました。
神秘的な光景も短い時間だけだったようです。

さっき下った道を今度は登って戻ります。


 ◆ ワン・ニセコ・リゾート・タワーズへ

今度はホテルに向かいますが、途中道の駅ニセコビュープラザに寄ってお酒を買います。
少々奮発して、羊蹄山麓ビール2本と、赤ワイン1本。計3,000円。

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 道の駅ニセコビュープラザから見える羊蹄山。

お酒を買ってからホテルへ向かいます。
ホテルは、ワン・ニセコ・リゾート・タワーズ。

1泊2日朝食付きで13,616円のところ、全国旅行支援で5,000円オフの8,616円になったものです。
しかもクーポンが3千円分当たるので実質8千円引きということになります。
旅行ってのはこういうときに行かなくてはなりませんね。

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 ワン・ニセコ・リゾート・タワーズ。

道道岩内洞爺線を山の方に向かって走り、途中から脇道に入るとだんだん道がショボくなってきて、道を間違えたかなと思いかけたところにホテルがありました。

フロントに行くと先客は2組。
チェックインの説明に時間をかけているので、少々待たされました。

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 1階のロビーとカフェ。

ようやく自分の番が来てチェックイン。
ワクチン3回接種証明書を見せる必要があります。
これ持ってくるの忘れると正規の料金となるので、財布と鍵の次に忘れちゃいけないものですね。

チェックイン時に3千円分のクーポン券も渡されます。
クーポン券は、どうみん割と同じ『ほっかいどう応援クーポン』が3枚。

有効期間は宿泊期間中、道内の加盟店ならばどこでも使えるというものです。
ここのホテル内だとリフレクソロジー・マッサージしか使えないということでした。

さっき道の駅でお酒を3千円分買いましたが、先にクーポン券分を使ったような格好です。
クーポン自体は、明日に札幌市内のスーパーで普通の買物に使いました。

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 ほっかいどう応援クーポン3,000円分。

さて、部屋に入ります。
お邪魔しますよ・・・

ドアを開けると玄関があって靴を脱いで部屋に入る。
ホテルというよりマンションのお宅にお邪魔するような感じがします。

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 スタジオスイート・Tatami、広さ49〜52平方メートルの部屋。

おお〜、広〜い。
ベッドが2台、和室に布団が2枚敷け、ソファーが簡易ベッドになるので、5人まで泊まることができるようです。

大の大人5人だとさすがに窮屈そうですが、子供連れ4人家族ならば全然余裕。

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 Tatamiとは4畳半の和室。

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 和室からの眺め。

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 テレビとソファー。

これ1人で使っていいの?
と思うほど広い。

都心のシティホテルならばスイートルーム並みですよ。
1人じゃちょっと寂しいね。

和室は荷物置き場に使っただけでした・・・

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 コーヒーメーカーと電気ポット。

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 洗面所とバスルーム。

チェックイン時にフロントでカメムシとテントウムシが大発生していると聞いていました。
なるほど、バルコニーや窓にはカメムシがたくさん。
中には部屋の中に侵入してくる奴も居て、カメムシ用の殺虫剤も置いてありました。
この時期は仕方がありませんね。

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 カメムシ用の殺虫剤はご愛嬌。

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 7階からの眺め。

リゾートホテルに来たので、ゆっくり寛いで・・・となるところですが、早速夕食の支度にかかります。
食材はニセコに来る途中、スーパーで仕入れておいたものです。

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 4時半前には山の稜線に日が沈む。

いつの間にか日が沈んでいました。
ある程度下ごしらえが出来たところで大浴場へ。

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 3階にある大浴場入口。

ここのお湯はプラスチックが焼けたような匂いがする温泉でした。
ニセコには温泉がいくつもありますが、火山帯のためかどこも個性的なお湯が多いです。

部屋に戻る前にフロント横にある売店を覗いてみました。
ドリンク類はたくさんありますが、あとはお菓子やインスタント麺くらいなもの。
油や醤油などを置いているあたりは、キッチン付き滞在型リゾートホテルらしいところです。

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 1階フロント横にある売店。

部屋に戻ってステーキを焼けば今夜の夕食が完成です。
このあたりの詳しい話はサブブログの方をどうぞ。


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 本日のディナーはシャリアピンステーキコース。

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 部屋からの夜景。

夜は部屋から見る星空を期待していましたが、曇ってきたのか星は見えませんでした。
ワインボトル1本空けたら猛烈に眠くなってきたので、今日はもう寝ることにします。


posted by pupupukaya at 22/10/23 | Comment(0) | 道央の旅行記

2022年秋のニセコと山線普通列車1

 ◆ 蘭越まで

10月半ばの金・土と1泊2日でニセコに行ってまいりました。
ちょうど金曜がスポーツの日連休が仕事だったためにその振替休日となっていたので、どこかへ旅行でもしようと思っていました。
全国旅行支援が10月11日からスタートし、これを使わない手はないとばかりに早速予約を入れたものです。

リゾートホテルが1泊朝食付きで13,616円のところ5,000円オフの8,616円に、しかも平日なので地域クーポンが3,000円分支給されますから、実質5千円台で泊まれることになります。

ニセコは景色がいいし温泉もあるし、一度プライベートで泊まって見たいと思っていたところでした。
ですがコロナ以前ならばインバウンド旅行客だらけで、しかもホテル宿泊費も目が飛び出るほどとあっては足が遠のいてしまうわけです。

こんなことでもないとニセコのホテルに泊まってみることもないわけで、ついでに廃止が決まっている函館本線山線の普通列車にも乗ってみようと今回の旅行となりました。

そんなわけで、当日金曜日の朝8時前に札幌を出発します。

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 喜茂別町から見る羊蹄山。

向かうは函館本線の蘭越駅。
蘭越駅から倶知安駅まで普通列車で往復してみることにしました。

途中南区のイオンで買い物して、スタンドで給油して一路中山峠へ向かいます。
中山峠の駐車場は大型バスが数台停まっていて、修学旅行のようです。
かつては新型コロナの流行により行動制限が課せられて修学旅行が中止なんてこともありましたが、今後はそんなこともなさそうですね。

中山峠からは羊蹄山がはっきりと見えました。
天気予報も金・土は晴れ。いいときに旅行に出られたものです。
この後、ずっと羊蹄山を見ながらのドライブとなりました。


 ◆ 蘭越 11:03 → 倶知安 11:38【1935D】

札幌を出発して約2時間半で蘭越駅に到着。
駅前広場脇の駐車場に停めさせてもらって、ここから倶知安まで乗り鉄します。

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 国鉄駅舎風の蘭越駅。

天気はいいけど見事なピーカンでしかも逆光。
太陽の低さがもうすぐ冬を思わせますね。

駅舎の中にあるきっぷ売り場で倶知安までの乗車券を買います。
蘭越駅は簡易委託駅なので、いわゆる常備券と呼ばれるきっぷです。
磁気券じゃない裏が白いきっぷ。別名ナマ券とも。

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 蘭越→倶知安の乗車券(640円)。

昔は硬券というのがありましたけど、流石にそれはもう絶滅したようです。

フリーきっぷもいいけど、たまにはこんな乗車券を持って『汽車』に乗るのもいいんじゃないでしょうか。
なお、蘭越駅窓口の営業時間は平日の6:00〜14:30となっていて土日祝日と年末年始は休業となります。

予定より早く着いたので、10時25分着の蘭越止まりの普通列車を跨線橋で待ちます。
跨線橋の中はトンボがワンワンと飛び交っていました。
蘭越はらんこし米で知られる米どころ。水田が多く、そりゃトンボも多いだろう。

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 倶知安から来た蘭越止まりの1934Dが入線。

跨線橋からの眺めはローカル線らしい風景。
そこへDECMO(デクモ)H100形1両がゆっくり入ってきました。
バックは白いイワオヌプリを始めとするニセコ連峰。
ほかに撮り鉄はおりません。

到着すると地元客らしい2人が降りてきました。

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 蘭越駅は蘭越町が管理する簡易委託駅。

この列車は10時25分に蘭越に着いて、11時03分発倶知安行きとして折り返します。
発車時刻までまだ時間があるので、しばらく駅前をぶらぶらしてきます。

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 かつての駅前食堂、『御待合所』の文字が歴史を漂わせる。

10時50分少し前、また駅に戻ってきて窓口でもう列車に乗れるか聞いてみると、もう乗れるとのことなのでホームへ。

改札口に改札案内の札が下がっているが、これは別に改札をしているわけではないようです。
ちなみにさっき切符を買ったときに入場券はあるか尋ねてみたら置いてないとのことでした。

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 改札口に下がる改札案内。

2番ホームに停車中のH100形車両はドアが閉まっていましたが、ドア横のボタンを押すと開きました。
道内の列車は半自動ドアの機能があっても基本的に使わないようで、半自動は札幌近郊電車の長時間停車中などに限られていましたが、このH100形からは基本的に乗客が開け閉めすることになったようです。
慣れないとちょっと戸惑いそうですね。

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 ボックス席は両側3つだけの車内。

発車12〜3分前ですが、車内へは1番乗り。
誰もいないうちに車内の撮影をいくつか。

この車両の特徴は、妙にトイレスペースが広く取られているところです。
その分座席スペースが犠牲になっているわけで、反対側にも機器室の出っ張りがあり両運転台でただでさえ狭い客室の、1席でも多く座席を設けたいところを逆行するような設計です。

このトイレは車椅子対応とするために広く取られたもので、バリアフリー法では1列車に1箇所は車いす対応のトイレを設置しなければならないとあるので仕方がないのですが。
1列車に1箇所というのが曲者で、特急列車ならば数あるトイレの1箇所を車椅子対応とすればいいのですが、ローカル列車は基本1両単位での運行となるので、全列車に車椅子トイレが必要となるわけです。

それ自体は結構なことですが、国鉄型のキハ40形の座席数は48席に対してH100形の座席数は36席。
座席は4分の3に減らされています。
ラッシュ時など混雑時は完璧なデッドスペースとなるわけで、乗客からは恨めしい存在となりそうですね。

そんな残念な作りのH100形ですが、ボックス席に座ってみるとシートピッチはかなり広くなっていて、これなら相席となってもそれほど窮屈ではなさそうです。

そんな車内を眺めていると、発車時刻が近くなると乗客が乗ってきました。
地元の人らしい2人、それに男女2人連れ。
2人連れはあれこれ撮影しているので、どこかの取材なのでしょうか。
それに私の計5名で蘭越を発車します。

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 比羅夫駅に停車。

次の昆布は乗り降りゼロ、ニセコで旅行客らしい2人が乗ってきました。
停車してもドアはボタンを押さないと開かないので、乗客はホームで戸惑っていました。
運転士が前から乗るように手招きすると前のドア横のボタンを押して乗ってきました。

このH100形の乗車方法が定着するまで時間がかかりそうです。
それかキハ150形のように、また半自動ドアの機能をやめてボタンも撤去してしまうか。

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 比羅夫〜倶知安から見える羊蹄山。

ニセコからはチラリチラリと羊蹄山の姿が見えるようになります。
沢を鉄橋で渡る時などに一瞬その秀麗な姿を現すのですが、こう日の当たる席では写真に撮るのも難しく・・・
それでも倶知安近くになれば綺麗に写すことができました。
北海道新幹線からも同じ風景を見ることができるのでしょうか。

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 新幹線工事のために移設された倶知安駅ホームに到着。

蘭越からの5名、ニセコからの2名の計7名を乗せた列車は11時38分、終点倶知安に着きます。


 ◆ 新幹線工事着工前の倶知安駅

倶知安駅は新幹線駅工事のため移設された新しいホームになっていました。
蒸気機関車時代からの堂々とした上屋のホームはすでに撤去されて更地になっています。
ここに新幹線の高架駅が建設されることになっています。

ホーム向かいの1番線には11時46分発小樽行き2両編成が停車中。
蘭越発列車からの7名中3名はこの列車に乗り継いだようです。

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 倶知安駅ホームから見える羊蹄山。

在来線となる函館本線は新幹線開業を待たずして前倒しで廃止されることが決まっており、新しい駅舎が姿を現す頃にはこの線路は無くなっていることでしょう。
新幹線開業予定は2030年度末。
在来線のスケジュールはまだ明らかにされてはいませんが、倶知安町は駅前の再開発のために在来線の前倒し廃止を求めており、そうすると新幹線開業の1年以上前に廃止ということもあるかも知れません。

ちなみに2016年3月に北海道新幹線が新函館北斗まで開業したときは、2年前の2014年5月に木古内〜江差間が先行して廃止となっています。

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 ホームと駅舎を結ぶ通路。まだ旧ホームの屋根が残る。

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 旧2・3番ホーム跡。ここに新幹線の高架駅が建設される。

改札口で蘭越からの切符を見せて、記念に持ち帰りたいと言うと北海道をかたどった使用済のスタンプを押してくれました。
最近はこういう客が多いのか、改札口で使用済みの切符を気持ちよく渡してくれるようになったのはありがたいことです。

駅前広場に出て駅舎の撮影をするも、またもピーカンの逆光。
新幹線の工事が始まってもこの駅舎自体はしばらく残りそうだし、倶知安ならばそれまでに何度も来ることはありそうなので、今回はこれで良しとします。

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 2階建て、いかにも国鉄駅風の倶知安駅。

次は倶知安12時35分発長万部行きに乗って蘭越に戻ります。
まだ50分近くあるので、駅前をぶらついてきます。

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 雪だるまのモニュメントと倶知安駅。

倶知安駅の南側に南一線跨線橋があるのでそこへ行ってみます。
この跨線橋は新幹線高架橋の支障となるので撤去される予定。
ただその場合在来線との交差はどうなるのか。

この道路は主要道道倶知安ニセコ線。
現在では踏切の新設は事実上不可能となっています。
倶知安駅北側の踏切を迂回路とするのか、それともこの跨線橋撤去工事の前に在来線の廃止?

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 南一線跨線橋から倶知安駅を見る。

この跨線橋は北側の歩道が立入禁止となっているので、南側の歩道からバンザイをして望遠で撮影したのが上の画像です。

左側に移設したホームと現駅舎の間に新幹線の高架橋が建設されます。
こんな長閑な眺めももうすぐ見納めでしょう。

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 倶知安駅南側にある石造りの倉庫。

駅から跨線橋までの道沿いに石造りの立派な倉庫がありました。
昔は羊蹄山麓各地からここに農産物が集まったんでしょうね。
倶知安町の新駅周辺整備構想によると、この石造り倉庫は駅前再開発後も保存されるようです。

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 倶知安駅前から見える羊蹄山。

改めて駅前に立つと、建物に遮られてしまいますが羊蹄山がはっきりと見えています。
今年の7月に公表された北海道新幹線倶知安駅のデザインコンセプトによると、高架駅の新幹線ホームの壁面はガラス張りとなり、ホームからも羊蹄山を望むことができそうです。

新幹線の車窓からも羊蹄山を見ることができるのでしょうか。
というのは、倶知安駅の前後はトンネルだらけの北海道新幹線において数少ないまとまった明かり区間となるわけですが、新函館北斗駅を出発してからトンネルに入るまでほとんどの高架区間が窓の上まで覆うほどの防音壁が続いて景色がほとんど見えないという例もあるわけで。

倶知安駅前後の、この明かり区間はわずか9kmほど。
ここを現在計画されている最高速度320km/hで通過すると、1分41秒で通り過ぎてしまいます。
札幌を発車してからすぐにトンネルに突っ込み、倶知安駅の手前でようやく外に出たら羊蹄山が姿を現したら歓喜ものでしょうね。
防音壁を設置するにしても、もう少し車窓が見えるものを設置して欲しいものです。

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 風除け室内にある古めかしい自体の駅名表示。

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 倶知安駅のコンコース。

12時20分頃再び倶知安駅に戻ってきました。
今度は蘭越まで戻ります。


 ◆ 倶知安 12:35 → 13:08 蘭越【2940D】

また切符を買うために窓口へ。
券売機もありますが、『倶知安→蘭越』の表示がある乗車券が欲しかったから。
ワンマン列車なので降りるときに運転士に渡してしまうものですが、せっかく乗るのに『倶知安→640円区間』では旅の感じが削がれるから。

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 蘭越〜倶知安間で使用した乗車券。

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 ボックスが残る倶知安駅の改札口。

改札口からまたホームまでの薄暗い仮設通路を通ってホームへ。
おっと、なんじゃこの人だかりは。
一瞬、団体列車でも着いたのかと思いました。

一体何があったのか。
いやいやすぐにわかりました。
長万部行きの入線を待つ乗客の列。
2箇所ある乗車口にそれぞれ20人ほどの行列ができている。

これは小樽からの1938Dから乗り継ぐ人たちです。
さっき蘭越から着いた1935Dはそのまま2番線で折り返すものだと思ってましたが、一旦車庫に引き上げたようで改めて入線することになります。

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 12:25、2番線に入線する長万部行き2940D。

函館本線山線の列車は廃止が報じられてからは週末など混雑していると聞いていましたが、まさかここまで混んでいるとは思いませんでした。
しかも平日ですよ。

混んでいると覚悟していましたが、蘭越までなのでロングシートの隅にでも腰掛けて行ければと思っていましたけど、甘かったようです。
この列車は札幌からだと長万部まで行く列車としては実質始発列車。
この後の列車だと16:55発となってしまうので多くの乗客が集中するのでしょう。

それにしても皆さんどういう乗車券で乗っているのでしょうか。
青春18も1日散歩も対象外なので、HOKKAIDO LOVE!か鉄道開業150年記念秋の乗り放題といったところでしょうか。
まさか普通乗車券の客が殺到するはずもなさそうですし。

平日でこれなら週末や青春18シーズンは大変なことになりそうですね。

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 1両の長万部行きは大盛況。

車内に入ると立ち客も多く、出入り口付近は居場所が無いので車内奥へ。
ざっくりとですが、50人近くは乗っていそう。

それでもボックスシートはソーシャルディスタンスなのか単に相席を嫌うのかは知りませんけど空席がいくつか。
これだけ混んでいるので空席にしとくのももったいない。
先客の人にことわって相席させてもらう。

ゆったりとしたシートピッチということもあって、座ってしまえば断然楽ですね。
それに上り列車の場合、倶知安からしばらくは後ろ向きの席のほうが景色がいいんですね。

さっきは日が当たる逆光でしたが、こんどは順光の眺めとなります。
紅葉と尻別川の流れを眺めながら行きましょう。

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 時々姿を現す尻別川(比羅夫〜ニセコ間)。

車の運転がなければ一杯やりながら呑み鉄といきたいところですが、この車内の混雑ぶりではさすがにやりかねます。
いい景色なんだけど、廃止となるのはつくづく残念だと思います。
いや、残念と思うだけしかできないわけで、せめてあるうちに乗っておくとか撮っておくしかできないわけで。

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 尻別川と羊蹄山(昆布〜蘭越間)。

おや、尻別川の鉄橋から見るこの眺め、見覚えがあるような・・・
それはこちら。

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 かつて急行『ニセコ』のトレインマーク。

それは『ニセコ』のトレインマーク。
臨時列車で運転された特急『ニセコ』号のトレインマークとして復活しましたな。

このモチーフはニセコアンヌプリとする説もあるようですが、山の形からしてニセコ付近から見た羊蹄山でしょう。
下の紺色は何だろうと思っていましたが、尻別川の水の色だったんですかね。

山麓の茶色は紅葉の森でしょうか。
山頂の白色は積もった初雪だとすれば、まさしく今時期の風景としてもおかしくないわけです。

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 蘭越を発車する1935D。

こんな列車ですが地味に地元の乗客も乗っていて、ニセコ、昆布と数人下車がありました。
13時11分蘭越着。
ここでも数人の下車客と列車を降ります。

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 蘭越駅の古びた跨線橋。

今降りた人たちはすぐに跨線橋を渡って去ってしまい、長万部行きが発車するとすぐに誰もいないホームになりました。
ここで降りても観光するところも泊まるところもなさそうですし、普段は地元の人しか乗り降りしない静かな駅なのでしょう。

札幌〜蘭越間に『SLニセコ号』が走っていたのはいつ頃まででしたでしょうか。
廃止の日が近くなればまた臨時列車が運転されることがあるのでしょうか。
少なくともあと数年後の話ですが、廃止の日が近づくとこの駅も名残客で賑わうようになるのでしょうね。

他人様のすることをとやかく言うつもりはありませんが、私はそういううるさい場所に出かけるのは気がひけるので、静かな今のうちに山線を乗り尽くしておくことにします。


posted by pupupukaya at 22/10/16 | Comment(0) | 道央の旅行記

2022年 第8回北の酒まつりへ行く

今年は3年ぶりに北の酒まつりが開催されると聞いて行ってきました。

2020年の新型コロナ禍以来こうしたイベントはずっと中止となっていましたが、あちこちで再開の動きが出てきたのは結構なことであります。
自粛も大切なことですが、何でもかんでも自粛ばかりでは世の中全体が沈んでしまいますからね。

当日券もあるようですが、チケットは事前に仕入れておきました。

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 北の利き酒まつりの利き酒券と北広島までの乗車券。

自宅近くの停留所から市電で行こうかと思いましたが、無料デーで混んでいたので地下鉄にしました。
久しぶりに乗る地下鉄で札幌駅へ向かいます。

南北線さっぽろ駅ホームも東側に新ホームを増設する工事が行われるんだとか。
古びた島式ホームもそろそろ見納めかもしれませんね。

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 南北線さっぽろ駅のホーム。

そういえばパセオも新幹線建設工事のために9月30日で閉館ですね。
在りし日のパセオの姿をということで入口なんかを撮影させてもらいます。

札幌駅は私の生活圏内に無いもので、こんなことでもなければ来る機会がないものですから、ちょっと寄り道ということで。

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 東コンコースから見たパセオEAST。

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 パセオへの地下入口階段。

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 ここも閉鎖となる南側の東西連絡通路。

2030年度開業を目指して北海道新幹線の工事が、この札幌駅でも本格化します。
ホームの方も、覆いが外されて新しい11番線ホームが姿を現しています。
各ホームは、東側の先端部分が閉鎖されて新幹線駅と結ばれる跨線橋の工事が始まっています。

この札幌駅も新幹線開業までに大きく姿を変えることになるのでしょう。
まだ8年も先かよ〜と思われるでしょうが、8年なんてあっという間ですから・・・
私からすれば、8年前のことなどついこの間のことのように思えるもの。

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 何気ないコンコースの風景。

いや駅だけではなく、都心部は再開発ラッシュ。
既存のビルもあちこちで建て替え工事が行われています。
新幹線を待たずして都心の風景もがらりと変わることでしょう。

札幌駅でずいぶんウロウロしてしまいましたが、北広島へ向かいます。
北広島までなら快速『エアポート』の一択でしょうが、今日はあえて各駅停車を選択。
エアポートは連休なので混んでいるだろうし、高確率でロングシート車に当たるだろうから。

10:48発苫小牧行普通列車は嬉しいことに721系電車。
オール転換クロスシートの車両など、もう製造されることはないのでしょうか。
今はオールロングシートの電車が主流になって、札幌駅ではこの電車も少数派になってきました。

データイムの利用者からは歓迎されますが、デッキ付きステップ付きではラッシュ時は乗り降りが大変そうですね。

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 苫小牧行721系電車。

千歳線の各駅停車といえばがら空きの印象でしたがこの電車は意外と混んでました。
エアポートは混んでるからと、皆同じことを考えていたのでしょうかね。

北広島が近づくと右側に北海道ボールパークとエスコン フィールドと名付けられた巨大な野球場が姿を現します。
周辺の道路もだいぶ出来上がっていました。
来年(2023年)3月のオープンだから、来シーズンからのプロ野球は新球場で行われているわけですから、早いものですな。

私はスポーツ全般は興味が薄いという残念な人間なので、新野球場に対して格別の思いというものは特にありませんが、開業したら一度行ってみたいものです。

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 北広島駅の縦型駅名標。

札幌から22分で北広島に到着。
この各駅停車はここで8分間停車して後続の北斗10号とエアポート110号の2本の列車に抜かれることに。

来年のボールパーク開業に合わせて北広島駅も改装中。
自動改札機が増設されたけど、コンコースが随分と狭くなった印象。
西口の正面はというと、ここも再開発ビルの工事中でした。

こちらはホテルや商業施設が入居し、2024年秋開業予定だとか。
団地の中にある駅で、近年は寂れかけていたイメージの西口も様変わりするようです。

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 再開発ビルが建設中の北広島駅西口。

肝心のボールパークアクセスはというと、駅からシャトルバスが運行される予定だとか。
ボールパークの横を千歳線が通っており、北海道ボールパーク駅が建設される予定はありますが、そちらの方は早くても2027年度末だということらしいです。

北海道新幹線工事の真っ最中ですし、篠路駅の高架化も控えている中ですんなりと工事が進むのでしょうか。
肝心なところは後手後手になるあたり、今のJR北海道の事情が伺い知れます。

どうも話がずれてばかりいるので、本題の北の酒まつり会場へ。
やってきましたよ、黄色いアーチのエントランス。
場所は北広島駅西口の北広公園に設けられた特設会場になります。

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 黄色いアーチの北の酒まつり会場入り口。

入口ではスタッフによる検温と手のアルコール消毒。
こんなことどこでも標準になってしまいましたね。

チケットと引き換えに利き酒用のお猪口を受け取る。
このお猪口をテーブルに並んだ酒瓶の前に置けばスタッフが注いでくれるという仕組み。

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 全国から集まった113種類のお酒が並んだ利き酒広場。

1番から113番までぐるりと並んだお酒を見たら、どれから飲んだらいいものか迷ってしまいますね。
ぐるり2周してから、やはりここは1番からということにしました。
1番から順番にという手もありますが、最後の113番に行き着く前に倒れてしまいそう。

1番は箱館醸造『郷宝 特別純米 彗星』。
次は最後の113番、沖縄県の泰石酒造『黎明 純米酒』。
沖縄にも酒蔵があったんですね。
飲んでみると、ああ沖縄だなあという味。
何が沖縄なのかは説明できませんが、沖縄料理にはピッタリ合いそうだ。

あとはランダムにお酒を楽しみました。

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 ずらり並んだ全国各地の酒。

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 北の酒まつり会場での注意事項。

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 主催者と来賓者一同での鏡開き。

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 昼頃にはだいぶ混んできた。

あちこちのお酒を飲んで、もう何杯飲んだかもわかりません。
テントの下のテーブルコーナーでは数々のグループが宴会モード。
賑やかだねえ、平和だねえ。

当方は誰とも口を利かず、ただひたすら粛々と立ち飲み。
男は黙ってサッポロビール・・・じゃなかった日本酒ね。
そういえば生ビールを販売しているブースもあって、こちらは有料。
ビール飲んでいる人も見ましたけど、こう日本酒ばかりじゃ飽きちゃったんでしょうかね。

つまみもなしでひたすら酒ばかり。
何杯飲んだんでしょうかね。

下の画像があったので、14:14発快速エアポート139号で札幌に戻ってきたようです。

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 北広島駅のコンコース。

きたようです・・・というのは、この先の記憶が無いから。
でも、目が覚めたら自室のベッドの中でしたから、ちゃんと帰っては来たようです。

酒飲みは本当に困ったものですね・・・
だけど今日はこれに免じて許してくださいませ。

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 北の酒まつりのTシャツ。

北の酒まつりに限らず、ずっとコロナ自粛で中止続きだったイベントも、今年あたりから再開するものが増えてきました。
旅行者の数も目に見えて増えてきましたね。

世界中を騒がせた新型コロナウイルスって一体何だったのでしょうかね。
私など新型コロナのおかげで高級ホテルに格安に泊まれたり、旅行代が安く上がったり観光地が空いていたりと恩恵の方が多かった気がします。
もうそんなことも終わりでしょうか。
安くなったホテル宿泊代も徐々に元に戻りつつありますしね。

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 第8回北の酒まつりのお猪口。

中国の武漢から始まって世界中を恐怖に陥れた新型コロナウイルスですが、もう収束というより共存することをもって収束とするしかなさそうです。

来年あたりは海外旅行もできるようになっているといいですね。
ていうか、うっかり風邪も引けないような風潮はもう終わりにしてほしい。

以上、最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 22/09/18 | Comment(0) | 道央の旅行記

一日散歩きっぷで呑み鉄

私は車社会の住人です。
毎日の通勤は徒歩ですが、仕事で会社から現場に向かうのも車、出張するのも車。
休日にどこかへ出かけるのも車。

そんな私ですが、たまに鉄の虫がうずいてくることがあって、今日はそんな日。
かといって、今は夏休み期間中。遠くへ行くのはお金もかかるし混んでいる所にわざわざ出かけても腹の立つことばかりなので、一日散歩きっぷで日帰りの乗り鉄をしてきました。

車の方が色々と便利ですが、車だとどうしてもできないことがあって、それはお酒を飲むこと。

一日散歩きっぷ呑み鉄の行程
乗車区間発時刻着時刻列車番号
札幌〜岩見沢7:588:42135M
岩見沢〜追分9:039:491466D
追分〜新夕張11:4012:102627D
新夕張〜追分12:3713:102628D
追分〜苫小牧13:3414:091468D
苫小牧〜鵡川14:3315:032229D
鵡川〜苫小牧15:1215:422230D
苫小牧〜札幌15:5217:132781M

車じゃどうあっても無理な呑み鉄をしてこようと出かけてきました。


 ◆ 札幌 7:58【135M】岩見沢 8:42

西コンコースの券売機で一日散歩きっぷを買って、改札内のキヨスクでカップ酒2本とつまみを買ってホームへ。
岩見沢行きは731+733混結の6両編成。
どちらもオールロングシート。

平日ならばちょうど朝ラッシュ真っただ中で、3ドアオールロングシートの本領発揮なのだろうけど、休日の日帰り旅行1発目でこれが当たるとやる気が削がれるなあ。

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 731系オールロングシート車でスタート。

土曜日だけど、札幌発は立ち客もいるほどの乗車率で発車した。
苗穂、白石とまた乗ってくる。
JRは『汽車』のイメージだったけど、もう都市圏の電車となって久しい。
札幌駅で一般型の気動車列車を日中に見ることも無くなった。
あと数年もすればオールクロスシートの721系電車も姿を消すんだろう。

厚別からは下車客が多くなり、江別を発車する頃には車内はがら空きになった。


 ◆ 岩見沢 9:03【1466D】追分 9:49

岩見沢では21分の乗継時間があり、改札を出て1階のセブンイレブンでビールを買ってきた。
苫小牧行きを待つ数人と1番ホームで待っていると8時50分にキハ40形1両で入線。

かつては道内の普通列車と言えばこの車両ばかりだったが、デクモことH100形気動車の大量導入で急速に姿を消しつつある。

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 今や少数派になったキハ40形。

車内に入ると、ああ懐かしや昭和の汽車。
ブルーのモケットにボックスシート。
旧型客車を彷彿させる一段上昇式の窓に小テーブルを兼ねた下枠。

天井には扇風機があったのだが、これは撤去されてクールファンに置き換えられている。
JNRマーク入りの扇風機を見たければ、宗谷線や花咲線などのキハ54形に乗るしかないようだ。

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 ブルーのボックスシート。

懐かしの車内でまずは一杯。
さっきセブンで買ってきたサッポロクラシックで呑み鉄します。

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 呑み鉄1回目はサッポロクラシックと鮭とばで。

プシュッ!と音がするけど、たまにはいいじゃあないか。今日は土曜日だし。
二日酔いの体に冷たいビールが心地よく喉を通る。
これは体に良さそう (^^;

入線時はがら空きだった車内は、停車中に乗客が増えて発車時にはボックスがすべて埋まりロングシートにも何人かというほどの乗車率になった。
特急ならばともかく、普通列車では呑み鉄の肩身は狭いな。
ビールは発車前には飲み終えて空き缶はデッキのごみ箱に捨ててきた。

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 昭和の香りを乗せて走る汽車。

開けた窓から吹き込む風が心地よい。
これもまた心地よいリズムのレールのジョイントを刻む音。
最高速度は95km/h、これは国鉄末期から始まった高速化工事前の函館本線や室蘭本線と同じ規格で、他の路線は85km/hというのが多かった。

今はローカル線に落ちぶれてしまった室蘭本線の沼ノ端〜岩見沢間だが、昔は蒸気機関車のD51が牽引する重量石炭貨物列車が行き来していた路線。
このスピードが、かつて幹線だった名残りになる。

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 追分に到着。

追分では1時間51分の乗継時間。
時刻表の路線図だけで見ていると追分って主要駅のように感じるけど、町としては駅以外に何もないところ
(追分の人すんません)。

何もないのは昔からで、一日散歩や青春18などでこの駅で乗り継ぎ時間があると、時間をつぶすのに困ったのを思い出す。

待合室の一角に『追分駅開駅130周年記念写真展』の展示があったのでしばらくそれを眺める。

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 室蘭本線と石勝線が分かれる追分駅。

せっかく追分に来たのだから道の駅に行ってみようと歩く。
道の駅の名は『あびらD51ステーション』、蒸気機関車のD51と特急型気動車のキハ183の先頭車両が保存されている。
駅から急な坂道を登ること10分で道の駅へ。

こちらは夏休みとあって家族連れでにぎわっていた。

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 道の駅あびら D51ステーションの鉄道資料館。

ここへ来たら見なきゃいけないのがキハ183先頭車両。

この車両が登場したのは1980(昭和55)年。
それまで道内の特急といえばキハ80系だけで、多くは本州で使用された車両のお古が回されてきて、また道内の風雪の中を酷使されてボロボロの車両ばかりだった。
そんな中で颯爽と新車で登場したのがこの車両だった。

普通車でもシートピッチが新幹線と同じ(当時)940mmのリクライニングシート、デッキと客室の自動ドアというのが斬新で、初めて乗った時にこれグリーン車?と思ったのを思い出す。

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 特急『おおぞら』で使用されていたキハ183系気動車。

元の国鉄型の塗色に復元されて、JNRマークも復活して凛々しい姿になったキハ183。
だけど屋外での保存は厳しいようで、塗装が割れた部分に錆が浮き、窓ガラスはひび割れている箇所もあった。
屋外での静態保存の限界なのだろう。
ここも何度も再塗装を繰り返すうちに、原形とは遠い厚化粧の姿をさらすようになるのだろうか。

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 もくもくD51ソフト(400円)。

カフェでソフトクリームを頂く。
D51が吐き出す煙をイメージしたという灰色をしたもくもくD51ソフト。
意外とさっぱりとした味で旨いよ。

お酒のあとにさっぱりとしたものを、という人にもおすすめ。
ていうかここは道の駅なので、そんな人は私くらいか。

また歩いて追分駅に戻ります。


 ◆ 追分 11:40【2627D】新夕張 12:10

追分から乗る石勝線は特急『おおぞら』や『とかち』が頻繁に通る路線だが、普通列車に関しては下り2本、上り3本という超閑散路線ということになる。
2019年に新夕張〜夕張間の夕張支線が廃止となってからは、この区間の普通列車の存在意義がますます希薄になってしまった。

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 追分駅の無駄に広い構内はSLの基地だった名残り。

そんな貴重な石勝線の普通列車の客となる。
追分駅のホームで新夕張行きを待つ客は私1人だった。

千歳始発の列車の車内は13人。
鉄道ファンらしい客のほか、子供連れの人も目立つのは夏休みだからだろう。
本数は少ないものの、快速エアポートで千歳まで行けば乗れる気軽なローカル線の旅でもある。

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 千歳発新夕張行き普通列車はキハ150形。

車両はキハ150形。
かつては室蘭本線の苫小牧〜長万部間で使用されていた内開きになる窓がある車両。
函館山線や富良野線のと違って、胆振地方は夏でも涼しいということからか、冷房は省略されたために窓が開くのだ。

その室蘭本線もH100形が導入されたために玉突きのようにこちらに進出した格好になる。

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 夏休みの普通列車は盛況だった。

ボックス席が1つ空いていたので座ったが、隣に客がいるので落ち着かない。
ロングシートが丸々空いていたので、そちらに移って呑み鉄とする。

今度は千歳鶴を空ける。
窓が開くと言っても上半分だけなので、風に当たりながらというわけにはいかないのが残念。
車内はロングシートがメインの通勤通学様式なので、ワンカップは似合わないなあ。
ボックスシートのキハ40形は絶滅危惧種となりつつあるのか。

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 呑み鉄2回目は千歳鶴で。

1本飲み干して30分で新夕張到着。
特急が発着する2番ホーム着。

ここからさらに乗継となると、15時30分発『おおぞら7号』まで3時間以上待たねばならない。
その列車で新得まで行けば、新得〜東鹿越間の列車代行バスと名無しの快速列車を乗り継いで滝川経由で札幌に今日中に戻ることはできる。
でもそうなるとここ新夕張での待ち時間が3時間以上。
じゃあバスで夕張観光へと思うが、バスの接続が悪くて13時56分まで次の便がない。
ここで3時間も待つのは苦行だなあ・・・

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 新夕張に到着。普通列車はここが終点。

新夕張〜夕張間の石勝線夕張支線は2019年に廃止されている。
廃止後も仕事でちょくちょく夕張に行くことはあって、そのたびに廃線跡を見ていたが、バスターミナルが整備された南清水沢駅近く以外は線路も駅もそのまま残っていた。
今年はまだ行っていないが、おそらく草に埋もれてそのまま残っているんだろう。

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 夕張支線は廃止となったが、新夕張駅は健在。

新夕張駅も何もない駅だけど、駅前広場にある階段を下れば道の駅夕張メロードがある。
20数分の折り返し時間だが、道の駅を覗いたり買い物したりくらいは十分な時間だ。
ここも車の客で賑わっていた。
お盆になれば道東方面に帰省する車で大混雑しそう。

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 道の駅夕張メロードで飼われているメロン熊。

ここの名物の夕張メロンや夕張メロンパンを眺めてからまた新夕張駅に戻る。


 ◆ 新夕張 12:27【2628D】追分 13:10

折り返しの上り列車は、さっき着いた下り列車よりも人が少なくなっていた。
消えた人たちは夕張が目的だったのか、それとも3時間後の『おおぞら7号』の客になるのかは知らないが、さっきの列車よりはすいていた。
その代わり地元の人の利用も見られた。

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 地下道に直結する新夕張駅の改札口。

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 広い構内が古き良き時代を思わせる。新夕張駅。

ボックス席も空いていたが、またロングシートに陣取る。
ここに座れば前方の景色も見られるし、他に客もいないので開放的に過ごせる。

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 現代的なキハ150形の座席。

このキハ150形車両も1993年製の平成ひと桁生まれ。
製造からもうすぐ30年になるわけで、さらに老朽化したキハ40形の置き換えがせいぜいといったところ。

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 札トマ所属の100番台は冷房が無いかわりに窓が開く。

30分の乗車で再び追分着。
このまま千歳まで乗って行くのかと思ったが、ここ追分でほとんどの人が降りた。
フリーきっぷ所持の人たちはきっと苫小牧行きに乗り継ぐんだろう。
みんな考えることは一緒だなあ。

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 再び追分駅に到着。

追分では24分の乗継時間。
改札を出ても何もないので、1番ホームで待つことにした。

しばらくして札幌行特急『とかち6号』が入ってきて発車して行った。
さっき乗ってきた2628Dは2番ホームに停車中。
『とかち6号』に追い越された格好になる。


 ◆ 追分 13:34【1468D】苫小牧 14:09

13時32分、1番ホームに苫小牧行き普通列車が入線。
本来室蘭本線の列車は跨線橋を渡った2・3番ホームになるのだが、特急『とかち』退避で千歳行き普通列車が2番ホーム使用中。
だから、この1本だけが変則的に1番ホームに乗り入れるのだった。
鉄道のダイヤってのはなかなか面白うござんすね。

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 苫小牧行きはまたもキハ150形。

苫小牧行きは結構混んでいた。
混んでいたといっても、ボックスがすべてふさがり、ロングシートも何人かいるくらいの乗車率だが、コロナの感染者数も増えてるしねえ、あまり他人のそばには近づきたくない。
それに酒臭いオッサンが近くに来られても嫌だろうし、後ろのドアの前に立っていることにした。

追分から苫小牧までは後面展望ということで。

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 追分駅発車後はしばらく石勝線との3線区間を走る。

室蘭本線の線路というのも面白いもので、非電化の複線というのは全国的にも珍しいのだそうだが、追分を発車してから室蘭本線の複線と石勝線の単線がずっと並行して、追分駅から石勝線が分岐するまでの約2kmがまるで3線区間のようになっている。

昔は九州に非電化複々線というのがあったそうだが、今は複線に減らされて電化されている。
非電化で3本以上線路が並んでいるのは、全国でここくらいじゃないだろうか。

遠浅を過ぎてしばらくするとまた3線区間になる。
今度のは千歳線下り線。あちらは電化されてPC枕木に重軌条。
室蘭本線は複線ながらも貧弱に見える。
そのうちこちら室蘭本線の線路も廃止になるのかと思えてくる。

そのうちに千歳線上り線とも合流して沼ノ端へ。
沼ノ端を発車してから、右から日高本線も合流して再び3線区間へ。
苫小牧貨物駅へ行く線路が分岐して、また合流して苫小牧に到着。

苫小牧駅は1番ホームに到着。
次に乗る予定の鵡川行きも1番ホーム発だが、今着いた列車は車庫に引上げるようだ。
24分の乗継時間があるので、一旦改札の外に出る。


 ◆ 苫小牧 14:33【2229D】鵡川15:03

苫小牧駅前と言えば、昔は駅ビルはエスタとなってテナントが入っていたし、南口はコンコースから空中歩廊で向かいのダイエーに繋がっていた。
北口は長崎屋(今のメガドン・キホーテ)、その奥のパチンコ屋はイトーヨーカドーだった。
一時期は駅横に丸井今井もあったな。

苫小牧市の玄関口であり名実ともに中心だったのだが、2000年代後半あたりから丸井が閉店、イトーヨーカドーが閉店、ダイエーから名を変えたegaoが閉店、苫小牧エスタが閉店、気が付けば残っている商業施設は北口のメガドン・キホーテだけとなってしまった。

駅コンコースとダイエー(egao)を結んでいた空中歩廊は撤去されて、駅の真向かいに巨大な廃墟ビルがそびえている。
苫小牧市は道内でも人口が増えて発展している数少ない市だが、市の発展は郊外ばかりが進んで、元の中心部にあったものは全部郊外に持っていかれてしまったような格好だ。

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 コンコースにある苫小牧いぶりカレー。

この苫小牧駅には今でも駅弁がある。
前は改札を出た所に立ち売り箱を置いて売り子さんが立っていたが、今はコンコースのカレー屋に置いてある。
ケースにサーモン寿司が2個だけあったので1個買うことにした。

再び1番ホームで鵡川行きを待つ。
また150形だったらいやだなと思って待っていると、やってきたのはキハ40形道央花の恵み号だった。
イベント列車用に改造した車両なのだろうが、今は一般形車両に混じって運用に就いているようだ。

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 日高本線鵡川行きは道央花の恵み号だった。

車内のボックス席に陣取って駅弁とワンカップを並べる。
いいね、旅らしくなってきたよ。
お酒は純米酒金滴です。

苫小牧駅の名物駅弁と言えば今も昔もこのサーモン寿司。
近頃はサーモンといえばトラウトサーモンのことを指すようになって、回転ずしなんかでもお馴染みのネタになっているが、こちらのはスモークサーモン。

スモークサーモンはマリネにするくらいしか思いつかないが、こちらは寿司ネタにしたもの。
ってわかったようなことを言っているが、これ食べるのは高校生のとき以来のような気がする。

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 呑み鉄3回目はサーモン寿司と金滴。

ではいただきまーす。

口に含むとスモークの香ばしさと鮭の脂がじわ〜っと口にひろがって、ともするとくどいかなと思うところを酢飯が引き締めるというもの。
なかなかの傑作だと思う駅弁だけど、他所で見たことはないな。
そこへ日本酒をキュッといくと最高。

サーモン寿司は高校以来と言ったけど、あの当時は苫小牧駅に駅弁業者が2社あって、ホームに立ち売り箱で売っていた。
まるいと近藤商事があって、まるいはサーモン寿司、近藤商事はシシャモチップマス寿司が名物だった。
ホームに別々の会社の立売が2人いて、それぞれ競っていたなんて今じゃ考えられないね。

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 秘境感漂う浜田浦駅。

日高本線は苫小牧の市街地を過ぎると勇払原野の中を走る。
昔は釧路湿原、サロベツ原野と並んで北海道の三大原野と呼ばれたこともあるそうだが、今は工業地帯となってどこへ行っても工場の煙突と送電線の鉄塔が目に入るところになった。

日本製紙のある勇払は町らしいところだが、あとは鵡川までずっと寂しい原野の中を行く。
乗客のほとんどは鵡川まで乗り通す。

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 日高へ行かない日高本線は鵡川が終点。

終点の鵡川はまだここは胆振振興局の管内で、この路線は日高へ行かない日高本線となってしまった。
ここから先の日高本線は2015年の災害以来不通となり、以降バスの代行運転となっていたが2021年4月に正式に廃止となっている。

とりあえず鵡川までは存続することになったが、この先どうなるかは厳しいところだろう。
僅か30.5kmの盲腸線。
朝夕の列車は2両編成になるほどの通勤通学利用があるが、日中は閑散としている。
少子高齢化で乗客は減るばかり、観光需要もほとんど無し。

今は留萌本線や根室本線の一部区間の廃止に向けて動いているが、それらが片付いたら次に順番が回って来る路線の1つになることは間違いない。

特急が走る宗谷本線や石北本線、観光路線の富良野線や釧網本線と違って、ここ日高本線はそうまでして鉄道でなければならない理由に乏しい。


 ◆ 鵡川 15:12【2230D】苫小牧15:42

戻りの苫小牧行きは地元の乗客が目立った。
苫小牧で開催中のとまこまい港まつりへ行く客だろう。
さっき室蘭本線でも、浴衣を着た女子高生が乗っていたので何だろうと思っていたが、駅に貼ってあったポスターで祭りの開催中を知った。

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 折り返し苫小牧行きになる道央花の恵み号。

学生らしい若い乗客が多いのは通学定期券で乗れるからかな。
裏を返せば、それ以外の人はみんな車で行くということになる。

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 勇払で4人乗車。

ローカル線にお客を呼ぶ一番良い方法って何だろう。
沿線でイベントやったくらいじゃ鉄道では来ないよ。みんな車で来るんじゃ意味がない。

一番は廃止することだろうね。
普段は見向きもしない人たちが、廃止が決まると押し寄せるように名残り乗車客としてやって来るようになる。
江差駅、増毛駅、夕張駅、新十津川駅、廃止決定後はどこもお祭り騒ぎのように人が集まっていた。
それじゃあまりにひどいじゃないかって?

あとは、お酒のイベント。
コロナ以来ずっと中止になっているけど、毎年4月に開催しているくりやま老舗祭りの開催中は列車も駅も大賑わいだったね。
これだけは車じゃ行けないからね。

ちょっとは栗山町を見習ったらどうだい。
お酒のイベントはコロナ続きじゃ難しいだろうけど。

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 どこか旧型客車を思わせる花の恵み号。

そんなこと考えながら終点苫小牧に到着。


 ◆ 苫小牧 15:52【2781M】南千歳 15:42

苫小牧からは手稲行き普通列車で札幌に戻る。
ここからはKitaca区間。もう札幌圏だ。
こんどはステップなしオールロングシートの733系電車。

苫小牧始発ながら、結構席が埋まっている。
こんな電車で出かけたいとは思わないが、鉄道が生き残っていくにはこうした都市型電車のスタイルしかないんだろうな。

たまに旅気分で出かける人からは疎まれても、毎日の利用客からすればこれで十分だし、クロスシートと違って他人と相席にならずとも済む。

通勤通学客ならばデッキなしステップなしが詰め込みが効くし、混雑の緩和にもなって好評だろう。
2ドアデッキつき時代の朝のラッシュなんて、そりゃ酷いものだった。

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 苫小牧からは札幌近郊電車区間に。

今後は特急による都市間輸送と、電車による都市型電車への集約がますます進むことだろう。
あとはワンマン気動車で通勤通学輸送を細々と行うのみ。
2030年度末に予定されている北海道新幹線開業の頃には、今日乗ってきたローカル気動車は淘汰されているだろう。

昔は良かったなんて言い出せばきりがないね。
SLからディーゼルや電気機関車へ、旧型客車から新型客車へ、客車列車から電車や気動車へ・・・
ずっと進化を辿ってきたわけで。

あと数年もすれば国鉄型車両の汽車旅など過去のものになるだろう。
せいぜい今のうちに“汽車”の旅を味わっておくことにしよう。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。  

posted by pupupukaya at 22/08/07 | Comment(0) | 道央の旅行記

星置緑地のメムと水芭蕉

土曜日、今日は天気が良かったので札幌駅まで歩いて行ってきました。
ちょっと駅に用があったもんで。
日が出ているからあったかいかと思っていたが、まだ風が冷たいねえ。

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キタコブシの花が咲き始めた札幌駅前。
春ですねえ。
そういえばそろそろ水芭蕉の花が咲く頃だなと思い出し、ちょっとプチ旅行に出てみることにしました。

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改札口に行くと、千歳線は人身事故の影響でダイヤが乱れ、そのあおりで各方面の列車も運休が目立つ。
幸い11:05発ほしみ行き列車は定時に出るようなのでこれに乗ります。

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1番線に入線する列車。
いや、電車かな。
何系と呼ばれるのか知らんけど。

これで星置に向かいます。

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ほしみ行き列車は手稲で4分停車。
本来ならばここで快速エアポートに抜かれるのだが、千歳線ダイヤの乱れでエアポートは20分遅れ。
結局カラ退避で手稲を発車する。

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星置駅に到着。
ホーム山側には、まだ雪が残っていた。

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七色の虹と星をかたどったマークが出迎える星置駅。

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星置緑地は星置駅から徒歩5分。
札幌市内でも数少ない水芭蕉の群生地となっている。

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水芭蕉は湿地を好んで生える。
星置緑地は市街地に残った数少ない湿原。
都会に残った貴重な自然だ。

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水芭蕉の咲く地は水がきれいなところ。
北海道の湿原といえば茶色く濁った谷地水なのだが、ここのは透き通った水。
この水はどこから来るのだろう。

それはこちら

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井戸からは清水(せいすい)がこんこんと湧き出ている。
手稲山の雪解け水が地面に染み込み、山肌を伝わってここに染み出ているのだった。

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こうした自然に湧水がある所をアイヌ語で『メム』と呼んだ。
昔は札幌の都心にもこうしたメムがあったが、都市化で枯れてしまった。
道庁の庭や知事公館にある池がメムの名残り。

このメムの名が地名になったのが、芽室=メム・オロ・ベッ(わきつぼの所の川)、女満別=メム・アン・ペッ(わきつぼのある川)。※

 ※ 北海道 駅名の起源より

井戸からこんこんと湧き出る水と湿地に湛えた清水を見ていると、開拓時代の札幌に思いを馳せることができる。
札幌駅北口近くにメムとその流れ出る川の跡を見ることができるが、メムの向こうに市街地が見えるあたり往時を想像させる。

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緑地内の各所にある井戸。

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こんな都会の近くで健気に咲く水芭蕉の花。

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ヤチブキ(エゾノリュウキンカ)の花も咲く。

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木の根元で白い花を咲かせるキクザキイチゲ。

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林の向こうに家々が見える星置緑地はまぎれもなく都会の中の湿地帯。
明治大正の頃の札幌にあったメムを彷彿させる眺め。

星置緑地を一回りして星置駅に戻ります。

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千歳線の影響でまだ運休列車がある。
駅に着いたらすぐにあった岩見沢行き普通列車で札幌に戻ります。

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札幌駅に到着。

札幌市内の移動でしたが、普段は車社会の住人でJRを利用することも少ない私としては、プチ旅行に出た気分になりました。
星置緑地で見たメムを忘れないうちに、札幌駅北口近くに残るメム跡を、往時を偲んで歩いてみることにしましょうか。

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました

posted by pupupukaya at 22/04/16 | Comment(0) | 道央の旅行記

2021年 富良野・美瑛ノロッコ号と根室本線代行バス2

 ◆ 富良野 16:48 → 東鹿越 17:32【2479D】

札幌から1日散歩きっぷで富良野に10:48分に着いた人たちは、おそらく富良野発15:52分発か17:57分発の滝川行で戻るはず。そのあとは20:38発の快速滝川行が最後となる。

私は逆に16:48発東鹿越行に乗る。
この列車に乗って新得まで行くと、一日散歩きっぷ所持者は今日中に札幌へ戻れるのか?

時刻表で調べると、石勝線経由ならば新夕張までしか行けません。

でも警部、奴はその日のうちに札幌に戻っているアリバイがあるんです。
亀さん、時刻表をどう調べても今から新得に出て札幌に戻るのは不可能なんだ。
 (西村京太郎風)

・・・・何のことは無い。
新得〜南千歳間の特急とかち10号のきっぷを既に買ってあるのだよ。

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 滝川発東鹿越行き2479Dが富良野駅に到着。

16:42に滝川から来た東鹿越行普通列車が到着。
数人の乗客が降りてきた。この列車の乗客は富良野で入れ替わるようだ。

サボ受には『滝川−富良野−東鹿越』の表示があったが、列車が到着するや否やホームで待っていた係員がサボをひっくり返して『富良野−東鹿越』にしてしまった。

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 到着後すぐに『富良野−東鹿越』のサボに差し替えられた。

この列車は東鹿越に着くと富良野行きとして折り返すためだろう。
終点が無人駅のため、ここでサボの表示を変えておくのだ。
富良野から先でこの表示で困る人はいないわけで・・・

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 富良野発車時の車内。

車内は富良野発車時で地元の人9人。
内訳は高校生4人、一般の人5人。

土曜日のこの時間としては意外と乗っている。

あとはファンらしき人が私含め2人。
計11人で発車する。

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 北の国から第1回目に登場した布部駅。

次の布部で1人下車があったのは意外だった。
駅周辺は小規模ながら市街地があるし、バスの本数も多いとは言えないので列車とバスを使い分けているのだろう。

ここは北の国から第1回目に登場した駅で、壁や出入り口はリフォームされているが、木造駅舎が残っている。
北の国からのロケ地なので残しているのかは知らないが、車で訪れる人が結構いるようだ。

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 瀟洒な山小屋風の山部駅。

山部はちょっとした町くらいの市街地があるので降りる人が多いのかと思っていたが、これも逆な意外で降りる人はいなかった。
その代わり地元らしい人が1人乗ってきた。

山部駅は急行狩勝の停車駅だった。
そのためか、ホーム側は幹線時代の名残を各所に残している。

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 駅舎はホームから離れた所にポツンとある下金山駅。

下金山で地元の人2人と私一眼レフを下げたファン(?)が下車した。
駅舎はホームから離れた場所にあって、その間には昔は側線が何本も並んでいたんだろう。
それが一層わびしく見える駅。

それにしても、一眼レフの人はここで降りて何を狙ってるんだろう。

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 金山駅は堂々とした木造駅舎が残る。

金山は乗降ゼロ。
ここも堂々とした木造駅舎が残る。

駅前に人家は見当たらず、秘境駅のようにも見えるが、金山の市街地は駅前から坂を登った国道沿いにある。

被災前は側線や保線車両の車庫があって保線基地となっていたようだが、今は使われているようには見えない。

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 かなやま湖を渡る。

金山からは金山ダム建設のために付け替えられた線路になる。
長い空知トンネルを抜けるとすぐにかなやま湖の鉄橋を渡る。

湖畔にキャンプ場があって、色とりどりのテントがたくさん見えた。
キャンプ場も混んでいるようだ。

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 終点の東鹿越駅。

17:32、東鹿越着。
運転士に切符を見せて下車する。

駅舎の横には、ふらのバスの列車代行バスが待っていた。

乗り換え時間が5分しかないことと、バスの運転手が早く乗れとばかりにこちらを見ているのでホームくらいしか撮影できなかった。

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 東鹿越駅の駅名標。

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 駅舎の横に代行バスが待つ。

東鹿越で降りた乗客は8人(私含まず)。
うち2人はこれも駅舎の脇に停まっていた車に乗り込んで去って行った。

この人たちは東鹿越駅の乗客ということになる。
幾寅駅から遠い人などは、車で東鹿越駅まで送ってもらうのだろう。


 ◆ 東鹿越 17:37 → 新得 18:46【代行バス107便】

駅横のバスには、団体名を記すステッカーに『列車代行様』と表示してあった。
列車代行バスはあくまで列車代行としてJR北海道がチャーターした貸し切りバスという扱いとなる。

さて、列車から乗り換えたのは6人(私含まず)となった。
全員女性。年配の人が多いのかと思えば意外とそうでもない。

今日が土曜日ということを考えると、役所や病院というのは考えにくい。
通勤なんだろうか。

地元の利用者からすれば貴重な足であることに変わりはない。

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 代行バスの車内。私以外は全員地元の乗客。

全員乗り込んだら発車ということにはならず、発車時刻になってから発車する。
東鹿越駅から根室本線に沿った町道を走る。

跨線橋で線路を渡る箇所があり、そこから線路を見ると草だらけになっていた。

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 幾寅の町の手前で踏切を渡る。

幾寅の市街地の手前で今度は踏切を渡る。

休止中とはいえ一応営業している路線なので踏切では一時停止。
これは日高本線の鵡川〜様似間も同様だった。

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 踏切から見た線路。草が侵入して廃線跡のようだ。

ここから見る線路も、レールは赤錆びてバラストには草が侵入している。

東鹿越〜新得間(正確には上落合信号場)は2016年の台風による土砂流出などの被害で運休。
特に被害が大きかったのは落合〜新狩勝トンネル間だったのだが、その他の区間も被災しており、復旧には多額の費用がかかるとして復旧を断念するという結果になった。

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 『幌舞駅』の看板が掲げられた幾寅駅。

代行バスの次の停車駅は幾寅駅。
あまり広くはない駅前広場で大型バスは苦しそうに転回する。

東鹿越で乗り継いだ地元客6人は全員ここ幾寅で下車した。
乗ってくる人もなく、車内は運転手と私だけになった。

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 落合駅はひっそりとした山間の駅という佇まい。

幾寅の次は落合。
列車の発着があった頃は1面3線で跨線橋もある立派な駅だった。

国道にバス停を設けた方が便利なように思えるが、代行バスは律儀に駅の正面に乗り入れる。

駅の正面にバスは乗り入れるが、乗降ゼロ。
バスの窓からホームを見ると、ホームは廃駅のように草生していた。

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 落合の国道沿いは国道38号線がメインルートだったころの名残がある。

落合からは根室本線とは別れ、国道38号線狩勝峠越えルートを行く。
ここから新得まで駅もないし、ほかに通れる道路もないので当然なのだが。

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 車が次々と追い越して行く。

列車代行バスは法定速度順守。
追いついた車が次々と追い越して行く。

ここから狩勝峠手前までの直線区間を60km/hで走るのは隔靴掻痒の感があるが、ダイヤ遵守の代行バスとあっては致し方ない。

落合〜新得間は、列車があった頃のダイヤでは最速30分で結んでいたが、代行バスは49分で結んでいる。

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 深い霧の狩勝峠。

札幌を出てからずっと曇り空だったが、狩勝峠が近づくとだんだん霧が深くなってきた。
狩勝峠からの眺望を期待していたがこの日は叶わず。

18:13、バスは狩勝峠を通過する。

狩勝峠の霧は、十勝側のほうが濃いようだった。

このまま真っすぐ新得へ向かうのだと思っていたら、途中で脇道に入った。
運転手は「十勝サホロリゾートです」とアナウンス。

18:23、十勝サホロリゾートのエントランスの前にバスを停めると、運転手はバスを降りて中に入って行った。

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 サホロリゾート前で小休止。

ここは『サホロリゾート前』といって、列車代行バスがJR駅以外に停車する唯一の停留所。
運転手が降りて行ったのは、ここからの乗客があるかどうか確認するためなのだろうか。

窓ガラスには『新得方面行き』の表示のほか、『十勝サホロリゾート無料送迎バス』の札が掲げられていた。

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 鉄道代行バスは十勝サホロリゾートの無料送迎バスも兼ねているのだった。

新たな乗客もなく、18:27にサホロリゾート前を発車。
またひたすら法定速度順守でのんびりと走る。

新得の町に入ったところで、同じ列車代行の表示を掲げたふらのバスとすれ違った。
新得駅を18:37に出発した東鹿越行きの112便。

車内は数人の乗客の姿が見えた。
こんな時間に新得から富良野方面への乗客がこんなにいるとは思えない。
おそらくファンの試乗客だろう。

一日散歩きっぷ所持だと、札幌を出発して石勝線、新得、根室本線富良野経由で札幌へ戻る唯一のルートでもある。
同じルートで富良野先回りでやろうとしても不可能だ。

今のところ棚上げ状態となっているようだが根室本線富良野〜新得間廃止が決定すれば、この代行バスも満席となるのかも知れない。

ずっと法定速度順守で、しかもサホロリゾートで4分停車があったが、定刻18:46のところ3分早着の18:43分に新得駅に着いた。
貸し切りバスなので、運賃の徴収もしないし切符のチェックもない。

途中の幾寅や落合から乗った人は、新得駅の窓口で自己申告ということになる。

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 新得駅に到着。

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 JR代行バスのバス停。

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 新得駅舎と代行バス。

もう午後7時近くになるが、この時期はまだまだ明るい。
新得町は町の規模は隣の清水町の方が大きいが、鉄道は新得の方が大きい。

特急は全列車停車、駅舎も堂々としている。
この時間は既に無人駅となっていると思っていたが、まだ駅員が詰めていた。

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 待合室は誰もいなくなった。

広い待合室は数人がベンチに腰かけていたが、18:54発池田行き普通列車の改札が始まると全員ホームへ行ってしまい誰もいなくなった。

待合室には、すでに営業時間外だが新得町観光協会が運営する新得ステラステーションという売店がある。
その横にはこれも営業時間外だが、駅そば屋があった。

このあたり新得町が鉄道を大事にしているんだと感じた。
飲料の自販機以外に何もない富良野駅とは妙に対照的だった。

何も買えないということでは富良野駅と変わりないが、新得駅は駅の向かいにフクハラというスーパーがあって20時まで営業している。

何か夕食をとフクハラへ行って、半額値引きの弁当をゲットしてきた。


 ◆ 新得 19:58 → 南千歳 21:40【とかち10号】

このあとは待合室のベンチでスマホをいじって、たまにぶらぶら歩いて過ごす。

「19時42分発釧路行き特急おおぞら9号は15分ほど遅れて運転しています」
との放送があった。

駅員が近づきてきて、
「列車に乗られるんですか?」
と聞いた。

何の人に見られたんだろう。
「札幌行きとかちに乗ります」
と答えた。

15分遅れとなった釧路行おおぞら9号と札幌行とかち10号の交換駅は新得になったようで、とかち10号のホームは2番線に変更となっていた。

19:50に改札が始まり、改札口で切符を出すと券面を見て慌てて改札スタンプを取り出した。
どうやらフリー切符の客と思われていたようだ。

切符はえきねっとで事前に買っておいたトクだ値55という割引乗車券。

駅員は失礼しましたと言いたげに「ありがとうございます」と言って切符にスタンプを入れた。

DSCN0848.JPG
 ホーム跨線橋の『のりば案内』。

新得から特急とかち10号に乗る人は私1人だけ。

隣の3番線には20:00発帯広行普通列車が発車を待つが車内は無人。
こちらも乗客ゼロのまま新得駅を発車しそうである。

DSCN0865.JPG
 新得駅2番線に入る特急とかち10号。

帯広から来たとかち10号は案の定がら空きだった。

席に着くと、スーパーで買ってきた弁当とフラノマルシェで買ったお酒をテーブルに並べる。
すっかり遅くなった夕食となる。

DSCN0872.JPG
 新得駅前のフクハラで買った半額弁当と男山富良野ラベンダーカップ。

お酒は『男山富良野ラベンダーカップ』。
ラベルに富良野地域限定とある。

シオシオのプラスチック容器に油っこいおかず。
駅弁には程遠い。

美味しい日本酒が浮いてしまうような残念な夕食となったが、弁当が手に入っただけマシとすべきだろう。

弁当を食べ終えてお酒も1本飲んでしまった。
車窓はすでに真っ暗闇となってしまった。

途中の信号場で対向列車遅れのために臨時停車。
このため5分遅れとのアナウンスがあった。
もう札幌まで戻れれば何でもいい。

暗闇とトンネルばかりで退屈なのでもう1本のお酒の蓋を開けた。
これが後に失敗をもたらす。

DSCN0875.JPG
 今回使用したきっぷは、一日散歩きっぷ(上)とトクだ値55(下)。

特急とかち10号は新得から南千歳まで乗る。
券面は『帯広→南千歳』となっているが、帯広〜新得間は掛け捨てにした格好になる。

それでもとかち号限定トクだ値55は安い。
面倒な乗り継ぎをするくらいならば2850円追加は安いものだ。

南千歳までにしたのは札幌までの差額640円をケチったため。
南千歳〜札幌間は再び一日散歩きっぷが使えるし、快速エアポートに乗り継げば札幌着はほとんど変わらない。

おおぞら・とかち系統は早めに購入すれば驚くほど安くなった。
安いのはいいことだが、それだけ他の交通機関との競争が熾烈だということでもある。

石勝線が開業してから2000年代初めくらいまでは札幌〜道東はJRが圧倒的に有利だった。
基本は7両編成だが、基本編成の方が珍しくて2〜3両の増結が常態化していた。

それが、道東自動車道が年々延伸し、また相次いだ事故が原因で独断場だったJRもシェアを大きく奪われることになった

zzz........


 ◆ 南千歳 21:47 → 札幌 22:23【エアポート217号】

「お客さん、南千歳までですよね」

車掌の声で目覚めた。

しまった、南千歳を乗り過ごしてしまった

「あ〜、しまった」
と言うと車掌は、

「次の新札幌で降りて戻ってください、改札を通る必要はありませんから」
との優しい言葉。

お言葉に甘えて次の新札幌で降りることにした。

JRには無賃送還という制度があり、寝過ごしなどで乗り越した場合は誤乗扱いとして無料で本来下車する駅へ戻れる制度がある。
これで言うと、私は新札幌で降りてまた南千歳まで戻る必要がある。

しかし、南千歳から札幌までは有効な一日散歩切符を持っているのだし、この場合でも南千歳に戻る必要があるのだろうか。

規則通りならば南千歳に戻るべきなのだろう。
しかし今からそれをするのはどう考えてもナンセンス。

新札幌駅の駅員にその事情を話したところで、こんな時間になって面倒な客が来たなと思われるのがオチだろう。
そんなわけで後続の手稲行エアポート217号に乗ることにした。

「まもなく新札幌に到着します、新札幌は遅れを回復しまして定刻の到着です」
という誇らしげなアナウンス。

DSCN0898.JPG
 新札幌で下車。

新札幌から、本来南千歳から乗っているはずだった快速エアポートに乗る。

途中徐行区間があったりして、札幌着は5分遅れの22:28だった。

〜おわり

posted by pupupukaya at 21/07/11 | Comment(0) | 道央の旅行記
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