小別沢トンネル

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札幌市中央区宮の森と西区小別沢を結ぶ「小別沢トンネル」は、いまは立派なトンネルになったが、まえは車一台がやっと通れるほどの狭いトンネルだった。
元は岩剥き出しの素掘りのトンネルだったが、のちにコンクリートを吹き付けて滑らかな凸凹をした陰湿な壁面になった。

トンネル上部から水がポタリポタリとたれていることから、別名「冷水トンネル」とも呼ばれていた。



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心霊スポットとして有名で、戦時中トンネル工事で亡くなった人柱が埋め込まれているなどの噂が立った。
妖しげな坑道のような凹凸を車のヘッドライトが照らして、人柱のような幻想に浮かんで見えたのか、幽霊の出る心霊スポットとなったようだ。

実は昭和初期に小別沢の人たちが掘ったもので、農作物を円山朝市へ運ぶのにたいそう楽になったそうだ。

タクシー運転手がこのルートを嫌ったことから、それが心霊噂話につながったという説もある。

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福井地区の住民が都心方面への抜け道として使っているルートになっているので、朝などは結構な交通量だ。


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posted by pupupukaya at 13/01/05 | 旧道を行く

国道230号 定山渓〜中山峠の旧道

旧道マニアという人がいて、私もその一人だったりする。
地図にこれは旧道だという道を見つけて、グーグルマップの衛星画像や旧空中写真を見て往時を想像したりするのが好きだ。

私がずっと前から気になっていた旧道があって、それは国道230号線の中山峠越えの道路。
これだけ旧道に関するブログや動画が公開されているにも関わらず、この旧道を取り上げているのは喜茂別側ばかりなのである。
喜茂別側は車も通れるし、通り抜けができるというのが理由だろう。
反対の定山渓側は車の進入が不可となっていて、しかも定山渓寄りが廃道となっていて通り抜けができないのも理由の1つと思われる。

そこで今回は、国道230号線の定山渓〜中山峠間の旧道についてのお話です。

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 晴れていれば羊蹄山がきれいに見える中山峠(2018年5月筆者撮影)

国道230号線の中山峠越えの道路は、明治4年に東本願寺が主導となってが札幌と伊達の間に幅9尺(約2.7m)の道路を開削したのが始まりで、『本願寺街道』と呼ばれるようになった。これが中山峠の前後にある国道230号の旧道である。

戦後になると自動車が増え始め、拡幅工事や一部道路の付け替えなどの改良工事が始まり、昭和24年には札幌〜中山峠〜洞爺湖間にバスの運行も始まるなど今度は自動車の時代となる

札幌側の薄別から中山峠までの区間は、道幅も狭いうえに九十九(つづら)折りの急カーブが続いて見通しも悪いことから転落事故が後を絶たないことから『魔の山道』とか『魔の断崖』と呼ばれ、ドライバーから恐れられたという。

そんな本願寺街道も昭和28年には国道230号線に昇格。
昭和32年から始まった改良工事は大掛かりなもので、中山峠への道路は札幌側も喜茂別側も完全に新ルートの道路に切り替えるというものだった。
このうち喜茂別側の新ルートは特に険しい地形ではなかったのか昭和38年に完成している。

地形が複雑で地質が悪い定山渓から中山峠までの区間は特に難関だった。
この改良工事についての概要はWikipediaからの文章を引用させてもらいます。

“ “ “
定山渓から中山峠にかけてのルート選定は、当初予定していた豊平峡経由の案は豊平峡ダムの建設により困難となった。また、旧道を改良する案では元々険しい道路を改良するには多数の橋梁とトンネルを作る必要があり、工事費用が高くなるので却下された。最終的に現在の薄別川から無意根大橋を経由する「薄別峡ルート」に決定した。
” ” ”

昭和38年から工事が始まり6年の工期を経て、昭和44年10月に完成する。定山渓から中山峠までの国道が現在のルートとなったわけである。
日本初のクロソイド緩和曲線が採用された無意根大橋、眺望を妨げることなく雪崩や落石を防ぐ片持ちの覆道など、当時最新の技術が採用された新しい道路に生まれ変わったのだった。
それまで『魔の山道』と恐れられた旧道は林道として使われることになった。

ところで、採用されなかった豊平峡案と現道案がどこを通るはずだったのか気になったので色々調べてみたら、興味深い資料が見つかった。


上記の論文によりと、定山渓〜中山峠間の改良工事は、豊平峡案、現道案、薄別案の3つのルートが選定された。
論文内に『二級国道札幌虻田線(定山渓国道)定山渓―中山峠間工事計画図』というのが掲載されており、それを元にWebの地形図にそれぞれの計画ルートを引いてみた。

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 豊平峡案、現道案を地形図に描いてみると。(地理院地図より筆者作成)

Wikipediaにあった通り、一番有力だったのは豊平峡案だった。
豊平峡から駅逓の沢に入り、そこから2つのヘアピンカーブを経て北斜面沿いに中山峠に至るというもの。
工事費用が3案の中で一番低く、また観光路線という使命からもこれが最適ということになったが、時を同じくして豊平峡ダムの建設が決定により、工費や防災の面から不利とされた。

現道案とは現道(現在の旧道)と同じように薄別川の谷の山腹を登り、登った先からはほぼ平坦な現道をそのまま改修するというもの。
これは並行や交差箇所が多い現道の交通を確保しながらの工事が難しいということから却下となっている。

最終的に採用されたのが薄別峡案で、これが今の国道230号である。

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 豊平峡案だとここを国道230号が通っていた(2019年9月筆者撮影)

札幌から道南方面へ高速道路を使わずに行くには国道230号線中山峠経由が最短距離となるため、この山越えルートは大型車・小型車問わず交通量が結構多い。
私も、仕事でもプライベートでも車で道南方面へ行く際はここを通りことが多く、年に4〜5回は中山峠経由の国道230号の世話になっている。

そんな中山峠を通るたびに気になって仕方がない存在があった。
それは中山峠の旧道。
地形図や空中写真から旧道が現存しているのは知っていた。
中山峠側は林道として使われているらしく、国道から旧道の入口とゲートを見ることができる。反対に定山渓側は廃道となっているようで、国道からは旧道の存在を確認することができない。

『魔の山道』と恐れられていた旧道時代がどんなものだったのだろうか。
この国道230号の旧道時代の画像をネット上に探してみたが全然見つからなかった。

色々検索していたら、喜茂別町内の商店に嫁いでトラックドライバーとして中山峠の旧道をよく通っておられた方の聞き書きを見つけ、その中に旧道時代の記述があったのでここに箇条書きで抜粋させていただきます。
昭和30〜40年頃の話だが、読んでいるだけで『魔の山道』と呼ばれた理由がわかる気がする。

  • 未舗装で道幅も狭く峠の途中には待避所もあったが、バスなどが来るとそこまで行かないと交差できなかった。
  • 交差は普通の自動車でもぎりぎり、トラックどうしのときは大変だった。
  • 途中で車どうしが行き会ったら交差できないからどっちが譲るかでにらめっこになることも。
  • 一応登り優先ということで、下っているほうは待避場までさがって譲ることになっていた。
  • 譲ったときは、お互いクラクション鳴らしてあいさつしていく。
  • 馬車で通る人もいて、合図のためのクラクションでびっくりした馬が馬車ごと谷に落ちる事故もあった。
  • いろんな事故を見てきたが、下へ落ちて転がった車は助けたくてもどうしようもなかった。

 喜茂別町教育委員会発行 
  〜上記リンクより筆者抜粋〜

さて、この旧道はどのようなところを通っていたのだろうか。
一応地形図上に旧道のルートを確認することはできるが、これは平面上でしか見ることができず、等高線を見ながら想像するしかない。
ところが今は便利な時代となったもので、ネット上の地理院地図を3Dで見ることができる機能がいつの間にか加わっていた。
標準の地形図に陰影起伏図を重ね立体的に表示したのが下の画像。

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 国道230号の新旧ルートを3Dで表示。定山渓側から見た図。
 (地理院地図から筆者作成)

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 国道230号の新旧ルートを3Dで表示。中山峠側から見た図。
 (地理院地図から筆者作成)

こうして見ると、なかなかシビレる山越えではないか。
特に薄別から定山渓トンネル上部までの道は山腹にピタリと寄せて九十九折で登る様子がよくわかる。
すれ違うのも困難な狭い道をバスやトラックも走っていたというのだから驚く。

旧道についていろいろ探したり、3D地図の作成に熱中しているうちに、旧道がどんなだったのかを実際に見てみたくなってきた。

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 今回中山峠から旧道を歩いたルート。(地理院地図より筆者作成)

9月4日、まずは比較的歩きやすいと思われる中山峠側の旧道を訪れてみた。
中山峠までは車で行き、道の駅の駐車場に車を置いて歩くことにする。

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 道の駅望羊中山の駐車場入口。奥に見える山は尻別岳。

道の駅からは旧道の入口まで国道を歩く。
車を運転していると気が付かないが、谷側の眺めは結構いい。豊平川の谷の向こうに連なる山々は空沼岳だろうか。
歩道はなく大型トラックが多いので歩いていると怖い。それでも5分ほどで旧道の入口に着いた。

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 中山峠から600mほど札幌寄りにある旧道入口。

いつもは車で通るたびに気になっていた旧道入口。
ここはよく車が駐車してあるのを見かけるが、山菜取りの人の車なのだろうか。今日は車はいなかった。

少し奥まったところにゲートがあって、一般車の進入はできない。
一般車両の通行禁止と監視カメラ作動中の文字がやたらとあるので、禁を犯して入ってくる車が後を絶たないのだろう。
ゲートのかんぬきにはカギが取り付けられておらず、開けようと思えば開けられるのでは・・・

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 旧道入口のゲート。

看板と張り紙に石狩森林管理署と林道の文字があるので、この旧道は今は林道という扱いになっているようだ。
熊鈴をしっかりと付けて、ゲートの奥へと進んで行く。

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 しばらくは藪に挟まれたような道が続く。

しばらくは登り坂となる。
車1台分の幅だけの道で、両脇は藪や小枝がせり出していた。
朝は雨が降っていたようで地面は濡れている。新しいタイヤの跡がいくつかあったので、しょっちゅう車は入って来るようだ。
入口から2kmほどは国道と並行していて、林の向こうから車の通る音が途切れなく聞こえてくる。

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 新しいタイヤの跡。

国道から入った辺りは葉っぱや枝が車体を擦るような道だったが、次第に道幅が広くなってきた。
藪の中に側溝があって、現役時代は側溝までが車道だったと考えると、この辺りは普通に車がすれ違えるほどの道路幅はあったとわかる。

道路は踏み固められた砂利道。この砂利は現役時代からのものかと思ったが、たぶん違う。
現在の道に付け替えられてから51年にもなる。その間に落ち葉に覆われれば土になるし、雨や雪解け水で流されもするし、これはきっと林道として手入れがされているためだろう。

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 緩やかな下りの直線が続く。

国道から離れるとしばらく直線が続くようになる。
緩やかな下り坂で、国道よりもこちらのほうがずっと穏やかな線形だ。
車の音もこの辺りまで来ると聞こえなくなった。
チリーンチリーンと熊鈴の音だけが響く。

地図で見るとわかるが、国道が豊平峡川の山腹にへばりつくようにして回り込んでいるのに対し、こちら旧道は連なる山の尾根にそって通っているのである。

この直線の途中辺りでスマホは圏外になってしまった。
スマホで国土地理院の地図を見ながら歩いていたので、ここからは地図なしとなる。

しかしクマが怖い。
歩いていると茂みの中からガサガサッと音がして心臓が止まりそうになる。
地面が濡れているので動物の足跡が残っている。シカが多いようだ、あとはキツネかな。クマのものはないようだ。見つけたら速攻で引き返す。

入口から約40分、距離にして3.5kmの地点で分岐点がある。
旧道は直進、左はどこかへ行く林道となる。

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 入口から3.5km、左へ分岐する道。

分岐するほうがメインのようで、砂利もむき出しになったまま続いている。
直進の旧道のほうへ行く車は少ないのか、草が生えて二条のタイヤの轍のところだけ土が出ている道になる。

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 左は国道時代からの側溝。普通乗用車同士ならば普通にすれ違えるほどの幅だったようだ。

草に覆われているとはいえ、元国道らしく道床はしっかりと2車線分あるのがわかる。
と言っても、旧国道とわかるのはそれくらいなもの。道路わきの石垣とか錆びた標識なんかあればグッとくるのだが、そういうものは見当たらなかった。

分岐点から少し行くとブルーシートが見えた。朽ちた木材が積んであって、その上にブルーシートがかけられてある。
その脇から、けもの道が下のほうに伸びて行ってる。
グーグルマップでは中山小屋と載っており、そこへ続いているのだろう。
そっちも見てみたかったが、脇道に入って迷ったら嫌なのと、クマが怖いのでこのまま進むことにする。

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 朽ちた木材にブルーシートがかけられていた。

中山小屋の入口からはさらに草むした道となった。
たまに木の枝に目印をつけたものを見るので、森林管理署の車はたまに入ってくるようだ。

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 草が生えているが歩きやすい。

さっきのブルーシートから300mほど進んだところにゲートがあった。
国道側入り口にあるのと同じ型のものだが、こちらのは壊れている。
これもまた国道側と同じ一般車乗り入れお断りの看板があった。

何のためにこんなところにゲートがあるんだろう。
もしかしたら過去には中山小屋までは車が入れたのかもしれないね。

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 国道入口から3.9km、使われていないゲート。

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 国道側のゲートと同じ看板があった。

ゲートの辺りからまた緩やかな登り坂へ。そしてまた緩やかな下り坂。旧道とは思えないほどの緩やかな道が続く。
しばらく行くと圏外から脱した。進むにつれ電波はバリ4へ。国道と交差するからだ。

国道と交差する辺りに来ると再び車の通る音が聞こえてくる。
国道はトンネルの中を、旧道はその尾根を通って交差する。

中山峠からここまで旧道が穏やかに最短経路で来たのに対し、国道は山腹をへばりつくようにしてまで南側をぐるっと迂回してきたのはなぜか。
その答えがここにあって、この場所の標高は810mに対し、国道のトンネル中山峠側の標高は650m。国道と旧道の高低差は約160mとなる。
旧道の国道入口の標高が835mとすれば、現国道は山腹を迂回しつつ185mも高度を下げていたのだ。
こっち旧道は800mあたりの尾根伝いにダラダラと25mしか下がっていない。どうりで道が穏やかなわけだ。

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 国道230号の新旧ルートを3Dで表示。新道は南側の山腹を迂回しながら高度を下げている。(地理院地図から筆者作成)

穏やかな地形はここで終わり。この先の山肌は豊平峡の谷か薄別川の谷へ一気に落ち込んでいる。まさに崖っぷちまで来た状態。
旧道はここまでほとんど下っていない分、この先『魔の山道』と恐れられた九十九折と急勾配の狭い道で一気に下ることになる。

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 国道入口から5.2km、定山渓トンネルの真上。

定山渓トンネルの上からは下から登ってきた電線と電柱がしばらく続く。電柱は比較的新しく、古くからあったものではなさそう。

道の両側は背丈よりも高い藪がびっしりで、下を通っているはずの国道を見ることはできなかった。

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 しばらく旧道に沿って電柱が並ぶ。

旧道時代はこのあたりは安江峠と呼ばれていたようだ。
寒地土木研究所の『定山溪トンネルの施行について』という論文にその記載がある。

ここからまた緩やかな下り坂となって、400mほど進むと定山渓トンネル横から登ってきた道と合流する。電柱はこちらの道から運んできたようだ。

最初はこの辺りで引き返すつもりでいたが、もうちょっと進んでみることにした。

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 入口から5.6km、右の道へ行くと定山渓トンネル横に出る。

しばらく電線と電柱が続いていたが、途中でいきなり終わってしまった。
よく見ると電線は地下へ下りて行ってる。
地形図では近くに電波塔の記号があるので、そこへ伸びて行ってるのだろう。

もう少し進むと木の枝や葉っぱの隙間からだが、豊平峡ダムが見えた。
旧道は少しだけ豊平峡川の谷へ回り込んでいるのである。
現役時代は今ほど草木も生い茂っていなかっただろうし、ここは豊平峡を見下ろす景勝地だったことだろう。

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 生い茂った枝の隙間から豊平峡ダムが見えた。

豊平峡ダムをうまく写真に撮ろうとウロウロしていたら小さな石碑を見つけた。
『故二等陸曹内田民雄殉職之地/昭和三八年十月二十日』の文字が見える。
ググってみたが何の碑かはわからなかった。

もしかしたら転落した車を引き上げるのに自衛隊が出動していたのかも知れない。
木が茂って隠れているが、道路脇のすぐ下に豊平峡ダムの水面が見えるほどのそそり立つ場所。
ここで転落事故なんか起こされたら引き上げるのは難儀だっただろうなあ。

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 内田民雄殉職の碑と打ち捨てられたガードレール。

ここから先はいよいよ九十九折で薄別への下り道となるのだが、ここからは坂も急になっていた。
中山峠に車を置いてきているので、また中山峠に戻らなくてはならない。
体力的にも時間的にも薄別まで行けそうだが、そうすると歩いて戻ることは難しいからタクシーを呼ぶことになるのだろうか。

今日はここで引き返すことにした。

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 国道入口から5.9km、この先は勾配も急になっていった。

来た道をまた引き返す。
クマの恐怖さえなければ静かで歩きやすい道だ。

折り返し点から歩くこと1時間15分、また国道入口ゲートへ戻ってきた。
クマに遭遇することもなく戻ってこられてやれやれだ。

またトラックの通る国道を歩くが、クマの心配はないので安心感はある。
もうすぐ中山峠というところで突然喜茂別側からモウモウとガス(霧)が昇ってきた。
一瞬火事かと思うほどだった。
中山峠はあっという間に真っ白になってしまった。やっぱり山の天気ってのはわからんなあ。

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 中山峠まで戻ると完全にガスっていた。

中山峠越えの国道230号旧道の訪問はこれで終わり。
残る定山渓側の旧道も歩いてみたいところだ。そちらが『魔の山道』と恐れられた旧道なのだ。

でも実際行くとなると車がなあ。どこかへ車を置いてもまたそこまで戻らなければならないし。
何とかうまい方法を考えて、近いうちに再訪することにします。


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posted by pupupukaya at 20/09/06 | Comment(4) | 旧道を行く

国道230号 定山渓〜中山峠の旧道 続編

前回の続きです。

9月20日、再び中山峠旧道の探索にやってきた。
実は前日に来るはずだったのだが9月の4連休、国道230号の渋滞にはまって、こりゃあダメだと引き返し、こんどは朝早く出てきたわけである。

国道230号線、中山峠旧道の概要については既に説明済みなので省略させていただく。

前回は中山峠側のゲートから入り、豊平峡ダムが見えるポイントまで行って引き返してきた。
今回は国道230号線の定山渓トンネルの中山峠出口側に駐車スペースがあるのでそこへ車を駐車させてもらうことにした。

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 国道230号の新旧ルートを3Dで表示。安江峠から見た図。
 (地理院地図Globeから筆者作成)

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 続編の旧道を歩いたルート。(地理院地図より筆者作成)

地理院の地形図では、定山渓トンネルの中山峠側出口横から林道が旧道へ繋がっているのが確認できる。
今日はここから旧道へ向かうこととした。

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 スタートの定山渓トンネル中山峠側入口。

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 定山渓トンネル入口脇にある大曲林道とゲート。

林道入口には中山峠側と同様のゲートがあり、自動車・オートバイ・バギーカー等の通行を禁止する旨の看板がある。
歩いて入る分には構わないようなのでゲート脇から入らせてもらう。

わりとここを通る人は多いらしく、ゲート脇は踏み分け道のようになっていた。
山菜取りのほか、私のような旧道探索の人が結構いるのだろう。

ゲート脇にある木製の看板には『大曲林道/1001m』とあった。

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 大曲林道入口のゲート。

ゲートから先は2条のタイヤの轍の道が続く。
ヘアピンカーブのきつい登り道。
林の向こうからは車の通過する音がこれでもかというほど響いてくる。

約1.5km、20分ほど歩いた先に、先日中山峠から歩いてきた旧道に出た。

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 大曲林道が旧国道230号と合流するT字路。

この定山渓トンネル脇から旧道へ通じている道は現在は林道ということになっているが、元々は現在の国道となっている道路を建設するための仮道として設けられたもの。
前回は新国道のルート案として現在の薄別峡案のほか豊平峡案と現道(現在の旧道)案を紹介したが、薄別峡案に決定した理由の一つに豊平峡案だと工事の着手が定山渓側と中山峠側の2か所からしか手が付けられず、工期が余計にかかるという事情もあった。
現在の国道である薄別峡案だと、現道から仮道を通せばそこからも工事着手ができるというもの。

定山渓トンネル脇から旧道へ登ってきた道はその当時の仮道のひとつ。

によると、当時は『4号仮道』の名がついていた。

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 “定山溪国道の仮設備について-論文・刊行物検索−寒地土木研究所”より引用。

中山峠の600mほど札幌よりから続く旧道は、ほとんど高度を下げることなく安江峠を通って定山渓トンネル脇から登る林道と合流する。
この付近までは前回歩いたので、旧道歩きはここからリスタート。

先週の長雨のせいか足元はぬかるみというほどではないが、ぐちゃぐちゃしている。スニーカーでなく皮の登山靴を履いてきて正解だった。
道は2条の轍だけが土が出ていて、あとは草生している。
それでも定期的に草を刈っているのか、芝生のような状態。緑色でなければ往時の旧道の面影が良く残っている。

前回は豊平峡ダムが見える石碑があるところで引き返したが、今回はさらに先へ進む。
中山峠から安江峠までの道は下ったり登ったりだったが、もうここからは基本下り坂。
山肌にへばり付くようにして九十九折で高度を下げることになる。
旧道時代は『魔の山道』と呼ばれていた場所だ。

前回引き返した場所から少し進むと、豊平峡ダムがさらにはっきり見える場所があった。
それでも木が茂って写真に収めるのは一苦労。
豊平峡ダムを裏から眺める格好で、木さえ茂っていなければ中々の絶景。

定山渓トンネル脇からここまでの道を開放してここに展望台でも設ければそれなりの観光スポットになりそう。

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 ワイヤーロープ式防護柵の遺構が現れた。

旧道時代も、ここから豊平峡を一望できる展望スポットだったろうなあ、などと想像する。
しかし道路の脇はすぐに急な断崖。草木が茂っていて画像ではわかりにくいが、ハンドル操作を間違えれば豊平峡の谷底まで落ちてしまいそうな場所に道路は通っている。

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 眼下に見える豊平峡ダム。

この辺りから旧道の遺構が目に付くようになった。
傾いたり埋まりかけたりしているワイヤーロープ式防護柵が道端に目に付く。
おそらく旧道時代に設けられたものだろう。

もう少し進むと土留めの石垣が現れた。
長方形に切った石を斜めに組んだもの。
昭和初期あたりのものかなあ。同様の石垣は小樽市張碓町の国道5号線旧道脇に残っている。

苔むしているが立派なものだ。林道ではなくまさしく国道を思わせる。

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 石垣がまさしく旧国道を思わせる。

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 苔むしているが立派な石垣。

このあたりからやたらと動物の足跡が増えてきた。雨で土が緩んでいるのではっきりとその跡を残している。
多いのはエゾシカ。2つ並んだ蹄の足跡が点々と並んでいる。夜はエゾシカの道となっているのだろう。

けものの足跡はキツネだろうか。キツネよりはるかに大きい足跡も。まさかクマ?
熊鈴を付けてチリーンチリーンと甲高い音を立てて歩いているが、出くわしたらと思うと鳥肌が立ってくる。

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 轍の真ん中には動物の足跡。まさかクマ?

今までは進行右側が谷だったが、今度は左側が谷となる。
旧道は安江峠から豊平峡側の谷へ回り込んでいたが、今度は薄別川の谷沿いの山肌を伝って下る道となる。

草木が茂って画像ではわかりずらいが、道路脇からは急な斜面で落ち込んでいる。
場所は現国道の溪明大橋の上あたり。
草木に遮られて国道を見ることはできないが、谷底を通る車の音はひっきりなしに聞こえる。

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 険しい山肌にへばりつく山道。現国道230号溪明大橋の崖上を行く。

道幅も狭くなって、幅は目視で3〜4mくらい。普通乗用車でもすれ違うのは大変で、ましてや大型車と鉢合わせたらどうするんだろう。
どちらかが待避所までバックで下がるしかないのだが、ひとたび間違えれば崖下へ真っ逆さま。
そりゃあ鉢合わせたらにらめっこになるわな・・・

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 国道230号の新旧ルートを3Dで表示。無意根大橋上空から見た図。
 (地理院地図Globeから筆者作成)

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 九十九折りのカーブと急勾配が続く。

カーブでは道幅が広めに取ってあるのがわかる。
こういう道の走行の仕方は、以前に四国の道を運転したことがあるのでわかる。

カーブの箇所で次のカーブまで車がいないのを確認してから次のカーブまでピャーッと行って、そこでまた確認して次のカーブまでピャーッと。対向車が見えたらその車が着くまで待機する。
しかしこちらは砂利道で急勾配。しかも見通しも悪い。どうしていたかは当時を知らない若い私では想像するしかない

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 倒木もあるがチェーンソーで切って通れるようにしてあった。

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 転落したら崖下まで真っ逆さまだろう。

こんな道をバスやトラックも走っていたのだから驚く。当時の運転手はまるで軽業師のようだっただろう。
私などこんな道を運転していたら、カーブの向こうから突然対向車が現れて・・・

あ〜っ!!・・・

なんてなりかねない。

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 こんなところで急に対向車に出くわしたらと思うと恐ろしい。

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 木々の隙間から無意根山が見えた。

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 待避所なのか若干広めになっている箇所もある。

定山渓トンネル脇のゲートから歩くこと1時間10分、薄別川の谷底から登ってくる道と合流する地点まできた。
地形図では1条の実線の道となっているが、草が覆っていて歩くのは難儀そうだ。
脇にある看板には錆びた表示板に赤ペンキで『大曲4』と書いてある。
この下る道も林道なのだろうか。歩きやすい旧道と違って、そちらは荒れるがままという風に見えた。

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 地形図で現国道から登ってくる1条の実線の道と合流。

旧道はこの先も同じような感じで続いている。
この道はどこまで行くかというと、谷まで下りた薄別川の手前で終わり。
橋はかなり昔に落ちてしまったらしく、国道へ出るともなれば今は歩いて渡るしかない。
そうでなければ、下ってきた道をまた延々と戻ることになる。
最後は行き止まりになるのはわかっているのでどうしたものか。

シカの足跡も増えてきて、新しいフンも見かけるようになった。クマも怖いしなあ。

ん?
少し先に何か立っている。
道路標識じゃないか。

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 道路標識を発見。

行ってみるとまぎれもなく道路標識だった。黄色い菱形の警戒標識。
林道に、しかもここだけ取り付けるのも不自然なので、旧道時代からのもので間違いないだろう。

もっと進めば何か発見があるのかもしれないが、もうこれで満足だ。
ここで引き返すことにしよう。

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 警戒標識  左方屈曲あり。

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 コの字型の鉄柱に標識が打ち付けられている。

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 道路標識が残る風景はまさしく旧道。

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 往時を想像してセピア色に合成してみた。

旧道当時の画像はいくらググっても見つからなかったので、拾った画像を組み合わせてみたのが上画像。
ちぐはぐだが往時を想像していただければと思う。

標識の先も道は同じような状態で続いている。
クマさえいなけりゃまだまだ行けるが、戻ることにする。

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 標識の先へ続く道。

前回中山峠から安江峠まで歩いたときは途中で圏外になったが、今回は国道が並行しているためか圏外になることはなかった。
そのためにスマホで地理院地図を表示して場所を確認しながら歩いてきた。
今は便利になって、GPS機能で自分の位置を地形図上に表示することができる。

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 地理院地図にて現在位置を確認。

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 斜面を切り取ってつけられた道。

行きとは逆に戻りは上り坂。歩く分にはさほどには感じないが、旧道当時の性能の車だと大変だったろうなあ。特にトラックとかバスなど。
ずっとローで走っていたら夏ならオーバーヒート起こしちゃうよ。

途中で対向車どうしが対面したら登りが優先で下る車が待避所まで下がる決まりだった。
これは、登る方の車が止まったら再発進するのが大変という理由からで、教習所でもそう習う。
しかしこの山道は下る車の左側が崖。大型車同士がすれ違うには狭い道の崖っぷちギリギリまで車体を寄せて停まらなくてはならない。
一歩間違えると崖下へ落下。

転落事故が後を絶たず、『魔の山道』と恐れられていたのが実際歩いてみたらよくわかる。
昔は峠を越えるのも命がけだったんだなあ。

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 君はここを大型バスが通っていたと信じられるか。

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 旧道当時は上り8本下り9本の定期バスがあった。
 (交通公社の時刻表1967年9月号復刻版より引用)

国道とは1kmほど離れているが、歩いていると車の通る音がかすかに聞こえてくる。
そのうちの1つがだんだん近づいてくる気がする。
とつぜん1台のバイクが現れてすれ違って行った。

森林管理署の人には見えないので、ゲートから入ってきたのだろう。
一応バイクの乗り入れは禁止になっているが、私のような旧道マニアがしょっちゅうやってくるのだろう。
バイクが吹かすエンジンの音に驚いてクマも逃げ出したに違いない。
ずっとクマにおびえて歩いていたので、バイクの兄ちゃんようこそ入ってきてくれましたという気分だった。

豊平峡ダムが見える所まで戻ってきたら雨が降ってきた。さっきまで青空だったのに山の天気はわからんね。
標識のところで引き返してきて正解だったようだ。

標識から歩くこと1時間で定山渓トンネル脇のゲートに戻ってきた。
車に戻って、中山峠であげいもでも食べて帰ろうと思ったら、靴はベチャベチャ、裾は泥だらけになっていた。
これで店に入るわけにはいかんなあ。
今日はこのまま帰ることにしよう。

DSCN8600.JPG
 林道入口ゲートに戻ってきた。

峠道の旧道というものはどこにでもあるが、大抵は使われなくなると自然に帰ってしまい、地形図からもその姿を消してしまうものだ。
ところが中山峠の札幌側の旧道だけはずっと2条の道として描かれていた。
林道として管理されていたためだろう。

こうして実際に歩いてみると、林道として管理され、国道だった当時の遺構が残っているのが意外だった。
本願寺道路から始まり『魔の山道』と呼ばれていた命がけで崖っぷちの峠越えをしていた当時の思いをはせることができた。

現在は何気なく車で通り過ぎている中山峠までの国道230号だが、興味を持ったおかげでその歴史や現国道への切り替えの経緯を知った今、今後は通るたびに襟を正す気持ちになった。

〜最後までお読みいただきありがとうございました。

タグ:北海道 道路
posted by pupupukaya at 20/09/21 | Comment(0) | 旧道を行く
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