新千歳空港−旭川の直行列車は可能なのか

1月4日 月曜日の道新朝刊にど〜んと出た1面記事。

 * 新千歳―旭川に直行列車構想 JR・HAP 追分経由で時間短縮
  リンクは北海道新聞 どうしん電子版

JR新千歳空港駅と旭川駅を乗り換えなしで結ぶ新たな直行列車構想が浮上している。
  上記記事からの一部引用

記事の内容は、JR北海道と北海道エアポート(HAP)が協力して、新千歳空港〜旭川間の直行列車を新設しようという構想があるというものです。

かつて新千歳空港〜旭川間が快速『エアポート』〜特急『スーパーカムイ』として直通していましたが、2016年のダイヤ改正で直通運転は終了しています。
それを、こんどは札幌経由ではなく南千歳〜岩見沢間は室蘭本線と石勝線を経由するというもの。

この区間は電化されていないので、ディーゼル車による運行になるでしょう。
記事によると特急列車とした場合は1時間30分程度の所要時間になるようです。

ちょっとは鉄道に詳しい人ならば「本当かいな?」と思うような記事でありました。

しかし、筆者はヒマ こういう夢のある話は好きなので、実際走らせてみたらどのようになるのか考えてみることにしました。

実はこの記事を見たとき、かつて走っていた『フラノエクスプレス』を思い出したのは筆者だけでしょうか。
札幌〜富良野間を結んでいたリゾート列車。

スキーシーズンだけでなく夏の観光シーズンにも運転されていた特急で、最盛期は1日3往復運転、そのうちの2往復は千歳空港(現在の南千歳)まで直通していました。

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 ↑ 1998年まで走っていたフラノエクスプレス車両。
 (Wikipediaの画像より引用)

余談ですが、フラノエクスプレス車両は80系気動車からの改造で、登場は1986(昭和61)年12月というから地味に国鉄車両だったんですね。

それはともかく、なんで突然フラノエクスプレスかというと、千歳空港直通の2往復は札幌経由で運転されていましたが、1991年12月の運転から、下りの1本だけ札幌から千歳空港・追分経由の富良野行きとなっていたからです。

これは千歳空港〜富良野間の時間短縮をねらってのことでしょう。
実際同区間の所要時間は、札幌経由の最速2時間47分から2時間23分と24分短縮されています。

1992年7月、新千歳空港駅が開業し快速エアポートが運転開始すると、それまでの千歳空港駅は南千歳駅と改称され、空港から苫小牧・函館方面と石勝線方面へ行くには南千歳で乗り換えが発生するようになりました。

フラノエクスプレスも新千歳空港始発で札幌経由に戻すか、石勝・室蘭線経由ならば他の特急と同じく南千歳で乗り換えになるところです。

ところが、札幌発石勝・室蘭線経由は変わらず、なんと新千歳空港に乗り入れたのです。新千歳空港、南千歳と2回の方向変換をして。
所要時間は新千歳空港〜富良野間で2時間37分と14分延びましたが、空港から富良野に向かう便利な列車に変わりありませんでした。

手元に1994年10月の時刻表があったので、その時刻表を見てみます。

 7042D7043D
札幌12:06 
新千歳空港12:43 
新千歳空港12:50
南千歳 13:00
岩見沢 14:02
滝川 14:32
芦別 14:58
富良野 15:27
 ↑ 1994年10月の『フラノエクスプレス3号』の時刻。
 (弘済出版社道内時刻表94/10より筆者作成)

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 札幌〜新千歳空港間の時刻(弘済出版社道内時刻表94/10より引用)

これはスキーシーズンではなく夏の臨時列車として運転されていたもの。
富良野はスキーだけでなく夏も人気の観光地、空港へ着いた観光客やツアー客が直接富良野へ行ける便利な列車を利用していたのでしょう。

15分間隔のエアポートのほかに特急と普通列車があって千歳線は過密ダイヤ。快速エアポート120号の2〜3分後を追うようにして新千歳空港へ向かっています。

一応札幌発富良野行きということになっていますが、全区間通して乗る人は少なかったでしょうね。

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 新千歳空港〜南千歳の時刻(弘済出版社道内時刻表94/10より引用)

新千歳空港では7分の停車。観光客を乗せたフラノエクスプレスは列車番号を7043Dと変えて南千歳へ向かいます。
南千歳では6分停車。ここでまた進行方向を変えて石勝線へと乗り入れます。

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 追分〜岩見沢間の時刻(弘済出版社道内時刻表94/10より引用)

追分で石勝線から室蘭本線へと乗り入れます。
追分は通過しますが、臨時列車なのと室蘭本線の一部と石勝線が単線なので運転停車もいくつかあったでしょう。
南千歳から岩見沢までの所要時間は1時間1分となっています。

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 岩見沢〜滝川間の時刻(弘済出版社道内時刻表94/10より引用)

岩見沢〜滝川間は直線区間が多く支障する列車も無いので、全力で走ったことと思われます。
それとてキハ80系の改造車という悲しさ、最高100km/hでは『スーパーホワイトアロー』が23分で駆け抜ける区間を30分もかかっています。

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 滝川〜富良野間の時刻(弘済出版社道内時刻表94/10より引用)

滝川からは根室本線に入ります。

芦別にも停まるのは、このころは芦別も観光地として売り出していたからでしょう。
札幌から『北の京&カナディアンワールド号』なんて観光臨時列車も走っていましたっけ。
そのリゾートは今はありませんがね・・・

富良野着は15時27分。

午前中の飛行機で各地から新千歳空港に着いたらフラノエクスプレスのお迎え。
列車に揺られること2時間37分、夕刻には富良野市内のホテルへ。申し分ないスケジュールですね。

フラノエクスプレス車両による運転は1998年11月が最後で、12月からはクリスタルエクスプレスの車両が使用され、列車名も『フラノスキーエクスプレス』と改められました。

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 フラノエクスプレスと新特急のルート図(筆者作成)

新千歳空港から石勝線・室蘭本線経由で岩見沢へ直行するルートは下り1本とはいえ、フラノエクスプレスで実績のあるルートだったので不可能というわけではなさそうです。

さてこれを踏まえて、冒頭にある通りの直行列車の新設が可能なのか考えてみたいと思います。


 1,所要時間の問題

新千歳空港〜旭川間は記事にある通り1時間30分で結ぶことは可能なのか。
道新記事には“1時間30分程度”とありますが、これを1時間30分台と拡大解釈して、1時間39分としてみましょう。

仮にディーゼル車とすれば、キハ261系『はまなす編成』か同等の車両による運行とします。

岩見沢〜旭川間の所要時間は、現在特急『宗谷』が最高速度は120km/h、途中滝川・深川の2駅停車で60分要しています。
これを2014年以前同様の130km/h運転に戻すと、所要時間は54分となります。

となると、残り時間は45分。新千歳空港〜岩見沢間を45分で結ぶ必要があります。
南千歳〜追分〜岩見沢間の営業キロは石勝線、室蘭本線経由で57.8km。

この区間は線形も良く、仮に最高速度130km/hとすれば37分程度(表定速度94km/h)となりそうです。
残り8分で南千歳駅で折り返して新千歳空港へ。
これで1時間39分。1時間30分台は何とかクリアできました。

もちろんこれは机上の話で、南千歳〜追分間、岩見沢〜旭川間は設計上は130km/h運転は可能ですが、現在は120km/hに抑えられています。
また、室蘭本線の追分〜岩見沢間は従来からの95km/hのままとなっているので、この区間は高速化工事を行なう必要が出てきます。
その費用はというと十数億円は下らないでしょう。まず無理です。

現行の設備のまま直通列車を走らせるとなると、旭川〜岩見沢間60分、岩見沢〜追分間で32分(表定速度75km/h)、南千歳〜追分間は12分、合わせて44分。それに南千歳折り返しと新千歳空港までを最短の6分程度で見積もれば1時間50分となります。

これは運転停車を考慮していない最速時間なので、実際には単線区間のすれ違いのため、数分の運転停車が発生することになるでしょう。
そういうことも加味すれば、2時間を切れば御(おん)の字といったところではないでしょうか。

かつて直通していた当時の快速『エアポート』と特急『スーパーカムイ』での直通運転で、新千歳空港〜旭川間の所要時間が2時間7分だったことを考えれば、わざわざ面倒な特急を新設する意味がわからなくなってきますね。

必要ならば、現行の特急『カムイ』や『ライラック』を新千歳空港に延長運転すればいいんじゃないかという気がします。


 2,新千歳空港支線単線ダイヤの問題

南千歳〜新千歳空港間は単線となっており、途中ですれ違うことはできません。

新千歳空港駅は1面2線となっていて、常にどちらかのホームに快速エアポートが停車しているし、札幌方面からのエアポートが到着してから数分間は両側のホームが埋まっている状態となっています。

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 新千歳空港駅は常にどちらかのホームに列車が入線している。

これは新千歳空港駅開業時から基本的には変わらず、これは15分間隔から12分間隔になった現在でも同様のダイヤになっています。
こういう状態でエアポート以外の列車を入れるにはどうすればいいのでしょうか。

かつて新千歳空港駅にリゾート特急が乗り入れていたときはどうしていたのでしょう。
それを実際にダイヤを描いて見てみましょう。

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 1994年10月の南千歳〜新千歳間の通常ダイヤ。
 (弘済出版社道内時刻表94/10を基に筆者作成)

上は通常時のダイヤ。781系『ライラック』がエアポートとして乗り入れていた当時のダイヤです。
基本的には札幌方面からのエアポートが到着してから向かいのホームに先に停車していたエアポートが発車するというパターンですが、この当時は旭川直通の781系編成が入る時だけは変則的で、7分で折り返していました。

ここに臨時のリゾート特急が入るとするとどうなるのでしょうか。
時刻表と筆者所有の『鉄道ダイヤ情報116』(1993/12)を参考にダイヤを作成してみます。

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 1994年10月の南千歳〜新千歳間の臨時列車乗り入れダイヤ。
 (弘済出版社道内時刻表94/10を基に筆者作成)

上が『フラノエクスプレス』が入線したときのダイヤになります。
使用番線は実際のものではなく、1面2線のホームをどう使い分けているかという風に見てください。

まずホームを1線空ける必要がありますから、115号として発車するはずだった1番線のエアポートを南千歳駅に一旦引上げます。
代わりに106号が7分間の折り返しで115号として発車します。

南千歳駅の札幌方には、引上げた車両を留置するための引上線がありました。
昼間よくここに停車しているエアポート編成を見たものですが、臨時列車入線のため、ここに逃げていたんですね。

115号が発車すると一旦両方のホームから列車がいなくなります。そこへ旭川からの110号が到着。
その続行で3分後に『フラノエクスプレス』が到着。

その4分後に旭川行117号が発車。
さらにその続行で『フラノエクスプレス』が発車。

次いで南千歳駅に引上げていたエアポート編成が戻ってきて121号としてスタンバイ。
その次に8分繰り下げの時刻変更した112号が到着。ここからは通常のダイヤに戻ることになります。

こうしてダイヤにして見ると、1本の臨時列車を入線させるために随分と綱渡りのような運用をやっていたんだとわかります。

京急もびっくりのアクロバットダイヤですね。

新千歳空港駅といえば北海道の玄関口とも言えます。
まだ元気だった当時のJR北海道としては、そうまでしてでも自慢のリゾート列車を乗り入れたいという情熱もあったのでしょう。
この頃はフラノエクスプレスに限らず、リゾート列車を積極的に乗り入れていたのが当時の時刻表からわかります。

その後のリゾート列車は、スキー人口の減少や定期列車の高速化、車両の老朽化などを理由に本数を減らしてゆき、2000年代前半を最後にエアポート以外の列車が乗り入れることは無くなったようです。

2020年3月ダイヤ改正からエアポートも1時間当たり5本と増便され、新千歳空港支線も臨時列車が入線するのはかなり難しそうです。

下が現在の5本/毎時のダイヤ。

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 現在の新千歳空港支線のダイヤ(筆者作成)

エアポートが5分で折り返すか、南千歳に引上げるかすれば何とかなりそうな気もしますが、今のJR北海道ならば90年代当時のようなアクロバットなダイヤは嫌がるでしょうね。

南千歳駅の引上げ線もいつの間にか撤去されたので、それも復活する必要がありそうです。


 3,ディーゼル車の排煙の問題

新千歳空港駅は気動車の乗り入れを想定して各所に排煙口が設けられていますが、リゾート列車が乗り入れていた当時は発車時に残した排煙がホームにこもるということもあったようです。

当時は多くて1日数回ということと、札幌駅でも地下駅ほどではないにしろ同様のことがあったのでさほど問題視されてなかったのでしょうが、ディーゼル車の乗り入れは久しく行われていないので、地下駅に煙がこもるようでは問題視されるでしょう。

ディーゼル車の排煙対策工事も必要になるでしょうね。


結論
1,室蘭本線の追分〜岩見沢間の高速化工事と130km/h運転の再開をすれば最速1時間39分(1時間30分台)で可能

2,現行のまま『はまなす編成』と同等の車両を走らせれば最速1時間50分程度で可能

3,過去の『フラノエクスプレス』同様の運行とすれば最速2時間10分程度で可能

新特急が運行されたとしても1日2〜3往復といったところでしょうか。

そのための高速化工事など現実的ではないし費用的にも不可能。
かといって現行の地上設備のまま、所要2時間前後では意味がないような気がします。

新千歳空港から旭川へは札幌乗り換えがあるものの2時間07分。しかも毎時出ていますしね。

かつてのリゾート列車ならば、スキー団体観光ツアーといった明確なターゲットがあったわけですが、今回の新列車構想はどういった層をターゲットとするのでしょうか。

“関係者によると、新ルートは、HAPによる旭川空港の施設改修などが本格化する2025年以降に合わせて開設。JRとHAPの一部幹部が水面下で新ルート実現の可否を含めた検討に着手しているもようだ。”
(1/4どうしん電子版同記事より引用)

“検討に着手しているもよう”とあるあたり、随分と盛った記事でしたね道新さん。

それはともかく、こんな大々的な検討となるのだから、臨時列車ではなく定期列車として検討するつもりなのでしょうか。

いずれにしても話を進めたところで、

JR北:「諸々の設備新設工事で〇億円出してね、HAPさんよろしく〜

HAP:「無理ィィィィ〜〜〜

というオチになるような気がします。

posted by pupupukaya at 21/01/10 | Comment(0) | 鉄道評論

特急宗谷に乗って宗谷線の今後を考える

新型コロナウイルスの移動自粛も解けた2020年6月29日の週、1週間の休暇を取って礼文島に滞在してきました。
札幌から稚内までは鉄道利用、稚内から礼文島まではフェリーによる礼文島入りとなります。
その旅行初日、札幌から稚内まで特急宗谷を利用しました。今回はその乗車記と、宗谷本線の今後について思ったことを綴ってみました。


 ◆ 6月29日(月)礼文島へ向けて出発

出発日の朝、天気予報は全道的に雨。
宗谷地方の週間予報も、昨日までは概ね晴れマークだったのに今朝になって週半ばに雨マークが付いてしまった。
どうもこの時期の宗谷地方は天気が安定せず、天気には悩まされる。

札幌はというと、この日は朝から雨。7時半発の特急宗谷に乗るために7時過ぎに自宅を出たが、この頃が雨が一番激しく降っていた。
傘など持っていきたくないが仕方ない、百均のビニール傘を差して家を出る。

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 札幌駅から特急宗谷に乗車。

今日は特急宗谷で稚内まで行き、稚内からフェリーで礼文島に渡る予定である。。

所持しているきっぷは指定席往復割引きっぷ(Rきっぷ)で、札幌市内〜稚内間が特急指定席利用で往復13,310円となっている。この区間を通常の乗車券と特急券で乗ると、往復22,180円となるので、割引率は40%にもなるというお得なきっぷ。裏を返せば、それだけ高速バスや車との競争が激しいということである。

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 稚内往復に使用した指定席往復割引きっぷ(Rきっぷ)。

実はこの特急宗谷に乗るのは10年ぶりになる。前回は2010年の稚内から往復フェリーで行ったサハリン旅行の行き帰りだった。
たまに特急列車を利用することがあるが、それは本州への行き帰りで乗る北斗系統だったり、お酒を飲むためにやむなく利用するカムイ・ライラック系統くらいなもの。

車社会の住人になってからは、道内特急そのものがすっかり縁遠くなってしまっている。
その間に車内販売が無くなり、稚内と網走へ向かう特急列車は一部を残して旭川発着に短縮され、だんだん寂しいことになってしまった。

今回は稚内港の駐車場代プラス往復のガソリン代と、往復割引きっぷの値段を比較してもさほど差がないことがわかり、たまには鉄道の旅もいいかなと思って車を置いてJR利用としたのだった。


 ◆【特急宗谷】札幌 7:30発

今朝は朝食を抜いて出てきた。久しぶりの鉄道旅なので駅弁を食べながら優雅に行こうと思っていた。
改札を入ってキヨスクでビールを買った。月曜の朝だが、こちらは休暇中。車の運転があるわけでなし、とりあえず稚内までの5時間は車中の客となる。たまにはいいんじゃない・・・

続いて別の売店で駅弁を買おうとすると閉店中。別の売店は開いていたが店員がいない。
これは困ったな、弁当を買って乗らないと稚内までの5時間以上、車内販売もないので何も手に入らない。
キヨスクで売ってる弁当を買うしかないのかと思ったら店員が戻ってきた。

何だかんだでホームに上がったのが発車5分前。
特急宗谷はすでに入線している。所定の4両編成だが指定席の車内は案の定がら空きだった。1両だけの自由席は通勤客らしい人が結構乗っていた。
いくつか撮影してから車内に入る。

なぜか指定席のデッキには立ち客がいる。自由席からあぶれた人だろうか。
指定された2号車指定席の客はビジネス客と思しき人ばかり。コロナの移動禁止は解かれたが、まだ観光客は少数のようだ。
座席は半分の列も埋まっていないのだが、なぜか自分の周りだけゴソっと固まって座っている。
ソーシャルディスタンスで、もうちょっと分散して席を売ればいいのにと思うのだが。

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 朝の札幌は完全に雨だった。

窓ガラスは水滴だらけ。雨が降る暗い空の下列車は発車する。
さてスマホと充電コードを取り出して・・・
あれっ?あるはずだと思っていたものが無い。
コンセントがどこにもなかった。以前183系の『サロベツ』に乗ったときにあったのだから当然あると思い込んでいた。

この宗谷の261系車両は2000年(平成12年)の宗谷本線高速化時に登場した車両。車内外に古さは感じないが、乗車して車内に収まっているとやはり古さは隠せない。
車内販売が廃止されて久しいが、車内に自販機もないし、途中停車駅で買い物できる駅も無い。
スマホも満タンに充電し、食べ物や飲み物も事前に用意して乗らないと、稚内までの5時間は無い無いづくしの旅になってしまう。

高速バスでも標準となりつつあるフリーWi-Fiなんて、何それおいしいの?と言わんばかりに無いし、付けるような話も聞かない。
人的サービスが無理ならば、せめて世の中で標準となりつつあるサービスくらいはしてほしいのだが。
今のJR北海道に期待しても無理か。

発車すると車内アナウンス。
落ち着いた男声で車内や停車駅の案内。そのあと女声で英語のアナウンス。続いて中国語。
これが脳天にキンキンに響くような甲高い声。なぜそこだけボリュームを上げる?
終点稚内まで、車内放送の旅にこのキンキン声に悩まされることになる。

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 幕の内弁当いしかり(850円)とサッポロクラシック。

まあいいや。
車掌の車内改札が済んでから駅弁タイム。
売店で買ってきた『幕の内弁当いしかり』とビールをテーブルに出す。

じゃあ朝から1杯やらせていただきます。
プシュッと音をたてないように栓を開ける。周りはビジネス客ばかりなのでね。

まずは弁当の中身を一瞥。
この弁当を買ったのは、もう10年以上ぶりだと思う。
登場したのは青函トンネル開業の年だった気がする。当時は700円だった。もう30年以上変わらず続くベストセラー商品。
前に食べたときは経木折に紙のラベルだったが、いつの間にかスチロール容器にボール紙の上蓋になっていた。おかずは登場時からほとんど変わっていない。

デパートの催事を狙ったような目立つものは見当たらないが、鮭やホタテといった海鮮や、ご飯は道産米といったところにさりげなく北海道らしさを出しているところが大変に好感を持つ。
容器以外に変わったところといえば、おかずが全体的に薄味になっている。あとご飯が格段に美味しくなっているような気がした。
これで今どき850円なのだから大したものだ。

 ★★★★★

味、量、コスパ、これは文句なしに5つ星をつけさせていただきます。


 ◆ 【特急宗谷】岩見沢 7:56発

岩見沢では4号車自由席から20人ほどの下車客があった。札幌から岩見沢通勤する『かよえーる』の客だろう。
ホームの向かいに停車中は滝川行普通列車。こちらも意外と通勤客らしい人で座席が埋まっていた。
岩見沢ではなぜか指定席の2号車から2人降りて行った。たった1駅で指定席を買っていたのか。さっき車内改札があったので自由席の客ではなさそうだが。

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 岩見沢。自由席の4号車から通勤客が多く下車した。

停車中に、
「ただいま車掌がお客様対応を行っております、発車までもうしばらくお待ちください」とアナウンス。
2分ほど遅れて岩見沢を発車。

いつの間にか雨は上がっている。それでもまた降り出しそうな厚い雲の下を石狩平野の水田を見ながら走る。
かつては通過していた美唄、砂川にも律儀に停車する。その度に自由席から何人かの下車がある。

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 空席だらけの2号車指定席。

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 こちらは半室グリーン車と普通車指定席の1号車。

261系の加速は電車並みに早い。実現することはなかったが、当初は札幌〜旭川間を電車特急と併結して走ることを想定して設計された車両だからだ。
最高速度は130km/hだが、今は120km/hに抑えられている。そのせいか乗り心地も静寂さも電車に近いものがある。
かつてのスーパー北斗やスーパーおおぞらのような、振動や揺れの激しい走りっぷりに比べたら、多少遅くてもこっちの方が余程良い。

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 車内誌『THE JR Hokkaido』に載っていた稚内駅の駅弁。

これも滅多に目にすることがない車内誌『THE JR Hokkaido』。
めくると、稚内駅の駅弁が紹介されていた。
どっさりうに弁当(1,380円)というのが写真付きで載っている。帰りの列車に乗るときに買ってみようか。
でも残っているかな・・・

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 旭川市内は曇り空だが雨は降っていない様子。


 ◆【特急宗谷】旭川 9:00発

9:00、旭川着。定刻は8:58着なので、岩見沢での遅れを回復することはできなかった。
旭川で少し客が入れ替わるのかと思っていたが、2号車は1人増えたほかは動きなし。自由席はホームに並ぶ客も見えたが、指定席3両は相変わらずがら空きのまま旭川を発車する。

天気はずっと曇り空だが、空は少しずつ明るくなっては来ている。

旭川からはかつての急行礼文のスジを追う。

 1994年2020年
 急行礼文特急宗谷
旭川 発8:499:00
 
稚内 着12:4512:40

下り礼文は、旭川発8:49、稚内着が12:45だった。札幌7:05発の特急オホーツク1号が旭川で接続していた。
宗谷線急行のうち『(スーパー)宗谷』『サロベツ』『利尻』の愛称は特急に引き継がれたが、『礼文』だけは消えてしまった。
その後利尻は夜行列車の廃止で消滅、急行宗谷とサロベツだったスジは、旭川短縮となってしまった。現在残っている札幌直通の宗谷のスジは、実はかつての急行礼文のものである。
名前こそ消えてしまったが、今となっては礼文が一番出世した列車といえるのかもしれない。

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 日本最北端の貨物駅、北旭川貨物駅を通過。

急行時代は旭川を過ぎると途端にローカル線ぽくなったものだが、旭川運転所が今の場所に移転してから途中北旭川駅の手前までは複線電化区間となって見違えるようになった。
道北のコンテナ基地であり、日本最北端の貨物駅である北旭川を通過する。
しばらくして永山で運転停車。信号方式がここで変わるので、下り列車だけはここで必ず停車する。

急行時代の90年代の半ば頃までは通過していた。
ソースは?と聞かれても困るが、手元にある1994年と1999年の時刻表を見比べると、下り列車の旭川〜和寒間で急行サロベツが1分、急行宗谷が2分所要時間が伸びているので、この間に運転停車が始まったんだろう。

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 下りは永山駅で運転停車がある。

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 宗谷線に入っても最高速度120km/hを維持。

旭川からは宗谷本線に入る。名寄までは高速化されていて、旭川から蘭留までは直線区間も多いので最高速度の120km/hを維持して走る。
複線区間では感じなかったが、単線区間で、車体脇まで草が生い茂っている中での120km/hはスピード感が半端ない。

速度はスマホの速度計アプリからの測定。

蘭留からは塩狩峠越えと連続カーブのため速度が落ちる。
20‰(パーミル)の上り勾配は、普通列車のキハ40形ならば30キロ台のスピードにまで落ちてしまうが、この261系はグイグイと登る・・・といいたいところだが、速度計を見ていると50キロ台にまで落ちてしまった。
この区間は勾配だけでなく半径250mの急曲線も連続し、最小195mという最小曲線も現れる。(数値は小学館 日本鉄道名所 勾配・曲線の旅より)
いくら優れた足回りを以てしても泣き所の難所。
塩狩駅が頂点となり、ここからは和寒駅まで一気に下る。この辺りからまた雨模様になってきた。
和寒では乗客が1人あった。下車は無し。急行礼文時代は通過していた。

和寒〜名寄間は再び直線区間が多くなり、列車も快調に走る。
士別着は9:42、若干遅れが目立ってきた。ここで4〜5人の下車客が見えた。

ここで上りサロベツと交換する。チラ見だが、あちらの車内は悲惨なほどに人がいなかった。
6/30まではコロナ対策のためサロベツ1往復が運休中。昼の上りと夜の下りが無くなってしまったので、稚内方面から道央への日帰りが難しくなったために、これらの利用客が激減しているものと思われる。


 ◆【特急宗谷】名寄 9:56発

名寄着は9:57、3分遅れ。
このくらいならば定時運転といえるのかもしれないが、秒単位を旨とする日本の鉄道なのだからもうちょっと頑張ってほしいところ。

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 札幌から2時間24分で名寄駅に到着。稚内へはここがほぼ中間点。

下車客は自由席からを中心に10数人といったところ。
駅前には自衛隊の車が待っていた。名寄は自衛隊の町でもある。JRにとっても安定した利用者だ。

この2号車も2人ほど降りて行ったが、意外なほど動きは少ない。みんな稚内まで行くのだろうか。

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 最北の水田が広がる名寄盆地。 

名寄を過ぎると名寄盆地も終わり。天塩川の谷ぞいを行く。
線形も悪くなり、半径400m台の曲線だらけではスピードも上がらない。
名寄までは高速化工事が行われて、また直線区間も多かったので快調に走っていたが、名寄から先は従来からの線路なので最高速度は85km/hとなる。

この先は幌延まで天塩川の蛇行に付き合うように曲線区間が続く。
まとまった直線区間は、美深〜初野間と豊富〜兜沼間くらいなもの。

仮に名寄〜稚内間で高速化工事をしても、連続した曲線区間ばかりでは速度制限が続いて、大幅な時間短縮が難しいだろう。
また路盤も脆弱で、気動車こそ最高速度85km/hだが、DD51の牽引する14系客車時代は音威子府〜稚内間で最高70km/hまでに抑えられていた(鉄道ジャーナル社 懐かしの国鉄列車PART3より)。

それでも、この列車は健気にも短い直線区間を見つけては最高速度の85km/hまで加速して、カーブが近づくと減速するを繰り返す。
さすが261系の威力と思いたくなるが、かつてキハ54形で運行していた急行礼文時代と名寄〜稚内間の所要時間を比較するとで2分しか違いがない。急行礼文時代も何度か乗ったことがあるが、こんなに飛ばしていた印象はなかったが、現実にはほとんど変わっていないことになる。


 ◆【特急宗谷】音威子府 10:41発

音威子府着10:44着。3分遅れ。もう3分遅れが固定になったようだ。
ここで下車は2〜3人てところ。

かつてはオホーツク海側の旧天北線や枝幸へのバスが接続し、特急発着時はそれなりに駅もホームも賑わったものだが、音威子府〜枝幸間を結ぶバスは無くなって、枝幸からは札幌や旭川へ、旧天北線の鬼志別からは浜頓別を経て旭川へ直通する都市間バスが運行しているので、かつての賑わいを見ることはなくなった。
また、朝の上り、夜の下りといったビジネス列車の時刻が大幅に変わってから、天北線のバスはこれらの列車との接続を取らなくなってしまった。

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 音威子府駅ではかわいい出迎えが。

乗り換え客で賑わったのも過去のこと。今は北海道で1番小さな村の駅である。
改札口の前では、新十津川駅の真似事なのかは知らないが園児たちのの見送りがあった。

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 音威子府からは青空も見え始めた。

音威子府からは青空も見えるようになった。ここからは天塩川に沿って行く。宗谷本線の見どころのひとつ。
景色はいいのだが、谷川沿いの崖っぷちに線路が敷かれているわけだから急曲線だらけで速度制限ばかり、また保線上も大変な区間だ。

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 音威子府からは天塩川が車窓の友。

対岸を並行するのは国道40号線。あちらも似たように谷にそって道路があるが、一部はトンネルになったりして改良されている。
以前に国道40号線を車で通った旅行記で、天塩川の眺めは国道からより鉄道の方が良いと書いた記憶があるが、この鉄道からの眺めも昔より悪くなった感じがする。
線路沿いの木々や草が茂って視界を遮っているからだ。
天塩川はチラチラ見え隠れするか、茂った葉っぱ越しに見えるだけで、写真に撮ってはっきりと川が写る区間は数えるほどしかなかった。
草刈りや剪定を行う余裕もないのだろうか。線路沿いの林や草は伸びるに任せてほったらかしというのが増えた。


 ◆【特急宗谷】天塩中川 11:13発

天塩中川では2号車から1人下車があった。私の前の席の人で稚内までの券を持っていたが、札幌から往復だと稚内までのRきっぷを買った方が安いからだろう。

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 開業時の駅舎に復元された天塩中川駅。

逆に天塩中川からの人が札幌や旭川へ行く場合は厄介だろうな。
無人駅のために往復割引きっぷを買うことができない。車内でも買えるが、この場合は正規の乗車券と特急券の扱いのみとなるので、かなり割高となる。

JR北海道が近年販売に力を入れている『えきねっと』は、予約はWeb上で出来るが、発券はみどりの窓口か指定券券売機でしかできない。
飛行機みたいに予約を入れて発券も自分で出来るのならば、無人駅からでも特急の利用がしやすくなるし、極端な話、主要駅以外は全部無人駅にできるので人件費はかなり抑えられると思うのだが、JR各社はそういうことにあまり興味はなさそうだ。

チケットの販売方法だけでなく、駅員による切符の販売や、車内販売のような人手のかかるサービスが無くなるのは今の時代は仕方がないが、コンセントやWi-Fiのようにあって然るべきサービスまでがおざなりになっているのはいかがなものか。
乗客を増やす(あるいは逃さない)ためには、沿線観光のアピールやイベント列車の運行もいいけれど、まずこういったところからだと思うのだが。

話がかなりずれてしまったので戻します。

天塩中川からは天塩川は一旦遠ざかるが、秘境駅で有名になった糠南駅の物置待合室を見て通過すると再び天塩川が現われる。
天塩川が一番近くで見られる区間でもある。ここへさしかかると列車は徐行を始めた。
車窓の見どころなので減速してくれたのかと思ったら、45km/hの速度制限標識が見えたので違ったようだ。

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 糠南〜雄信内間が天塩川に一番近づく。

ここは山肌が天塩川に落ち込んで激流が洗っている箇所で、川の上に陸橋を架けて線路を通している。問平陸橋といって設備も古く、融雪期や台風での増水時の洗堀の恐れがある橋梁とされ、その対策に2億円を投じたところである。(JR北海道 宗谷線アクションプランより)

地図で宗谷本線の線形を見ると、天塩川の対岸に渡ることもせずただ川の流れに沿って線路が敷かれているのがわかる。

日露戦争勝利後の1905年(明治38年)にポーツマス条約締結によって南樺太(サハリン)が日本領に復帰すると、それまで名寄止まりだった天塩線を宗谷線と改称して北へ向けての建設が始まった。
音威子府からは浜頓別経由の旧天北線ルートが先に建設されて、稚内(現:南稚内)まで開通したのが1922年(大正11年)となる。その翌年には稚内と大泊の鉄道連絡船が就航して、函館〜稚内間に直通急行の運転が始まっている。
現在の幌延経由ルートは、1917(大正6年)に着工され、1926年(大正15年)に稚内まで開通すると、函館直通の急行列車も幌延経由となった。

とにかく1日でも早く全通させたかったのだろう。
トンネルも鉄橋も嫌って、ただひたむきに北へ樺太へと目指して設計され工事が行われたのが手に取れるような線形だ。
こんな路線だから、国鉄時代から保守管理が大変だった。さらに施設の老朽化ということも深刻になってきている。

函館本線や根室本線ならば、こんな危険個所は山側へ迂回してトンネルにするか、一旦対岸に渡ってショートカットした箇所も見られるが、樺太を失ってローカル線に成り下がった宗谷本線は、そのような改良工事はなされずに今に至っている。

問平陸橋を過ぎると天塩川はまた離れて行き、こんどはトンネルに入る。
全長1256mの下平トンネルで、宗谷本線で唯一のトンネルでもある。
元々ここは川の崖っぷちを陸橋で通していた区間だが、1961年(昭和36年)に雪崩によって鉄橋が全て転落する大災害が起こった。その後も何度も災害が起きるので、山側にトンネルを掘って1965(昭和40年)に完成したものだ。

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 幌延町の負担で存続が決まった雄信内駅。

トンネルを抜けると左側に木造駅舎のある雄信内駅を通過する。
利用者が0に近いとして2020年度にはJR北海道から廃止の打診があった駅だが、幌延町の維持管理によって存続する方向になっている。
この駅は17年前の2003年に降りたことがある。その当時は、駅前は朽ちた廃屋が並ぶゴーストタウンのような駅前だった。
しかし、天塩川の対岸の国道40号線沿いには天塩町雄信内の集落があって、当時は中川商業高校に通学する高校生が乗り降りしているのを見た。同校が閉校になってから、日常の利用者はいなくなったのだろう。

雄信内を過ぎると天塩川ともお別れ、ここからは天塩平野が車窓の友となる。
このあたりからは空気が変わると言ったらいいのか、とにかく道央にはない日本離れしたものを感じる。
中川あたりで見かけた畑作地も姿を消し、どこまでも牧草地帯が続く。
行く手には雲の隙間から利尻富士が頭だけ姿を現していた。

青空が広がって道北は好天のようだが、雲を見ていると不安定な感じもする。


 ◆【特急宗谷】幌延 11:46発

幌延駅には1両のキハ54形が停車していた。幌延で交換する名寄行4326Dで、幌延〜音威子府間は3本しかない上り普通列車のうちの貴重な1本である。
こちらが発車したときに車内を見ると、3〜4人見えた乗客は鉄道ファンと思しき男性ばかりだった。

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 幌延着。名寄行4326Dと交換。

下沼を過ぎたあたりから左側はサロベツ原野が広がる。
雲がなければ、地平線の向こうに利尻富士が見えるのだが、さっきまで頭だけ見えていたが、北の方を覆う雲の中にすっぽりと隠れてしまった。

原野といっても車窓から見えるのは開拓の手が入った牧草地ばかりで、本物のサロベツ原野を見たければ豊富で下車して、バスかレンタサイクルでサロベツ原生花園まで行く必要がある。
今日あたりは黄色いエゾカンゾウが満開かなあ。

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 左手にサロベツ原野を見ながら行く。利尻富士は雲の中だった。

豊富から兜沼までは数少ないまとまった直線区間となり、列車も85km/hで快走。最高130km/hの261系では、それでも力を持て余している様子。


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 線路改良のされていない宗谷北線では、最高速度は85km/h止まり。

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 車窓からチラリと見える兜沼。

兜沼はサロベツ原野の北端で、ここからはゆるやかな宗谷丘陵越えにかかる。
木が少なく、低い笹ばかりのなだらかな起伏は、冬に初めて来たならば北極にでもやってきたかのような最果て感に陥るだろう。

やがて木造駅舎が残る抜海駅を通過する。
この駅も利用者が0に近いとして、JR北海道から廃止の打診を受け入れた駅。
まだ稚内市と地元住民が協議中ということになっている。

ここも先の雄信内駅と同様に17年前に降りたことがある。あの当時は稚内や豊富への通学生の利用が数人あった。
抜海の駅前は民家が1軒あるだけだが、駅から2kmほど離れた漁港が抜海の町になっている。
抜海地区は歩きや自転車でこの駅まで来て、そこから列車に乗るしか交通機関が無いので、駅の利用者が0ということは日常的に車以外の交通手段を使う人がいないということである※。
廃止後の代替交通はデマンドバスか乗り合いタクシーが町へ乗り入れることになるのだろうか。そうなれば町の人にとってはむしろ便利になるだろう。

※ 調べたら抜海・更喜苫内地区はスクールバスの運行があって、2013年度からは住民混乗も実施されている。このため町から2km以上離れた抜海駅の利用者は0人に近くなった模様。

個人的には車で稚内に行っても、抜海駅に大抵立ち寄ることにしているので多少の愛着はある。
しかし、廃止か存続かについては住民でも利用客でもないので筆者は意見する立場にはない。

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 今年度中で廃止の方向の抜海駅を通過。

余談だが、抜海駅の前後は数少ない直線区間となっているのだが、ここで85km/hまで加速してもすぐに抜海駅の分岐器による速度制限があって50km/hの徐行で通過しなければならない。
これが無くなればいくらかは時間短縮・・・・いや、何でもない。

抜海を過ぎて5分ほどすると、日本海越しに利尻島と礼文島を望む高台を通る。
今日はどちらも雲の中に隠れてしまって見えなかった。
宗谷本線で一番の見どころだ。ここを通る列車は大抵は徐行してくれる。
島は見えなくても、下に見える草原のような砂丘やその向こうに広がる稚内半島が一望できる絵になる風景だ。

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 抜海〜南稚内間の唯一日本海を望む区間。利尻富士はやっぱり見えず・・・

ここを過ぎるとまた笹ばかりの丘陵地帯に分け入って、しばらくすると稚内の家々が見え始める。
南稚内で降りる人たちが降り支度を始めるころ。

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 荒涼とした宗谷丘陵の先に人家が見え始めると南稚内が近い。

南稚内では車内の半数が降りて行った。南駅(みなみえき)と呼ぶこちらの方が、地元の人の利用は圧倒的に多い。稚内市内の高校も大型商業施設もすべてこちらにある。がら空きの車内がさらにガランとなってしまった。
かつては稚内運転所として車両基地だった脇を通過する。いまは夜間滞泊用の車庫があるだけだが、運転の拠点はこちらで、折り返し車内整備もここで行っている。

それを過ぎると高架橋で国道40号線を跨ぐ。右側に一瞬だけ港が見えるとまもなく終点稚内に着く。



 ◆【特急宗谷】稚内 12:40着

かつては古びた島式ホームで、終着駅の貫禄たっぷりで出迎えてくれた稚内駅も2011年に建て替えられて新しくなった。
翌年には道の駅わっかないもオープンし、バスターミナルや映画館などが入る複合施設としてオープンした。

車では何度も訪れていたが、新しい駅になってから列車で着くのは今回が初めてである。
新しい上屋が設けられたホームは、やたらと最北端や終着駅を示す看板がある。逆にそうしないと札幌市内の近郊駅と変わらないのだった。

1面1線だけの簡素なホームだが、出口に立つ『日本最北端の駅』と書かれた標柱と、その奥の車止めに最北端と終着駅を感じた。

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 北と南の始発・終着駅と書かれた終点稚内駅に到着。

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 『日本最北端の駅』看板と最北端の車止め。

終着駅の風情こそ失われてしまったが、バスターミナルと一体化されて交通結節点となり、道の駅や複合商業施設が併設されて新たな集客施設として生まれ変わった稚内駅でもある。

一方で風情こそ残ってはいるが、駅の売店も撤退し、駅前にコンビニすらなく乗車前の買い物さえままならない始発駅もあったりする。
駅が列車に乗る用がない限り地元の人は寄り付かないような場所に成り下がってしまうよりも、こちらの方が余程良いに決まっている。

駅が新しくなっても、利用者の増加には結びつかないのは残念なところ。
ちほく高原鉄道ふるさと銀河線にあったいくつかの駅も複合施設となるピカピカの駅に建て替えられたが結局廃止され、駅舎は道の駅として鉄道なんかなかったかのようになって繁盛しているのは皮肉な話。

とてもローカル線の終着駅とは思えないほどのガラス張りで明るいコンコースや隣接する商業施設だが、ここは紛れもなく存続で揺れている宗谷線の終着駅である。


 ◆ 宗谷本線の今後を考える

今年に入ってからJR北海道は宗谷線の無人駅29駅を廃止を沿線自治体に申し入れ、宗谷本線活性化推進協議会はそのうち13駅の廃止を受け入れた。これらの駅は2021年3月のダイヤ改正を持って廃止されることになる。

存続された駅の維持管理費用は1駅あたり年間100〜200万円、これは地元自治体の負担とするのが存続の条件だ。
そうまでして存続させるのはごく少数でも利用者がいるからという理由だが、中には秘境駅として観光資源になるという理由から存続決定としてしまった駅もあるようだ。

とりあえず存続する駅も、遅かれ早かれのような気もするが。
あと数年後には宗谷本線の路線図も以下のようになるんだろうか。

rosenzu458.png
 JR北海道が廃止したがっている駅を消してみると・・・ 
 (JR北海道HPの路線図より加工して転載)

一番の希望の星は、やはり特急列車だろう。
宗谷本線は『国土形成や北海道の骨格をなす幹線交通ネットワーク』ということにされているが、これは札幌直通の特急が運行されているからこそで、これが無くなれば長大なローカル線に成り下がってしまう。

じゃあ特急の利用客を増やすにはということになるが、これがまた難しい。
沿線人口は減る一方、旭川を除くと最大の都市稚内市でも3万3千人まで減ってしまった。名寄は2万人台、士別は1万人台にまで減っている。
特急3往復のうち2往復は旭川までに短縮され、261系2編成で3往復体制を維持できるようになったのはいいのだが、朝と夜の列車が早朝と深夜に偏りすぎてしまい、逆に不便そうなダイヤになってしまっている。
これは利用者の動向よりも、車両運用の都合からこうなってしまったのだった。

観光客輸送にしても、さいはてや最北端を売りにしたツアーもあるが、逆に言うとそれ以外の売りが無い。
花が咲き乱れるサロベツ原野は大変素晴らしいが、時期を間違えればただの草原だし、冬は流氷観光で賑わう網走方面と違って稚内に流氷は来ない。利尻礼文も素晴らしい観光地だが、新千歳空港に着いてもそこから稚内までの往復がネックとなる。
旅行会社としても、回遊できる道東方面と違って、行き止まりの道北地方はどうしても単純往復になってしまうのも行程が組み辛いところだ。
古くから修学旅行や大型ツアーのルートに組み込まれていた道東方面と違い、大人数を収容できる宿泊施設が少ないという事情もある。

だからといって、これから大型リゾートの開発をやる?
自治体の投資で行った大型リゾート開発がどうなったかはここで論じるまでもない。
中国系あたりの資本は乗り気でやって来るかもしれないが。

そうこうしている宗谷本線に並行して、国道40号線のバイパスとなる高規格道路の延伸工事が行われている。
現在は音威子府村〜中川町間を結ぶ音威子府バイパスの工事が進んでいる。工事の遅れから開通が延期になっているようだが、これができると急カーブが続く国道40号線のボトルネックである区間が解消される。
そう、さっき通ってきた天塩川に沿った区間である。鉄道は相変わらず蛇行する谷川にへばりつくように走り続けるが、車は新しいバイパスをほぼ直線でショートカットすることになる。

そう遠くない将来には、道央自動車道の士別剣淵ICから稚内までの高規格道路が全通するだろう。
ますます鉄道の存在意義が薄れてくる。
それでも存続する大義名分は、僅かでも利用者がいるから。

JR北海道も慈善事業で鉄道の営業をしているわけではないので、民間企業であるうちは宗谷本線の特に名寄〜稚内間の存続は逆立ちしても不可能だ。
北海道も沿線自治体も、そんな鉄道を維持するために必要な億単位の投資をする余裕などあるはずもない。

誤解のないように申し上げておくが、筆者は別に鉄道の廃止推進論者ではない。
どういう形であれ、存続できるのならば存続してほしいと考えている。
しかし現状を見ると、あくまで一般論で考えても、宗谷本線の特に名寄〜稚内間については将来的に存続するのはかなり難しいと言わざるを得ない。ていうか、残念ながら積極的に存続させる理由がほとんど見つからない。

ただ1つだけ一発逆転の可能性があるとすれば、日本国政府が鉄道の維持管理にかかる費用は国が負担するという決定を下すこと。
要は国として、鉄道は維持すべしという政策に方向転換したならばという話。

宗谷本線に限って、国策としての鉄道存続理由としてあるとすれば、対ロシアの国防上の理由か。
だめだろうね。貨物列車も走らなくなって、軸重14トンのDD51が70km/h以下で走るのがやっとこさの路線にDF200が戦車積んだ貨車牽引して走れるのかね。
大陸側の規格に合わせるべく広軌化と重軌条化工事が進んでいるロシアのサハリン側の鉄道とはえらい違いだ。

沿線自治体が、秘境駅だ観光だと言っている今が花なのかもしれない。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 20/07/11 | Comment(2) | 鉄道評論

ツインクルプラザが閉店するんだとか→オワコンの営業モデル

 ◆ 役割を終えた旅行代理店

ツインクルプラザ』のブランド名で営業していたJR旅行センターが、法人向けの1店舗だけ残して営業を終了するという。
1987年のJR北海道発足以来33年間にわたって運営し、最大で27店舗を数えるまでになったが、最後まで残った6店舗も2021年度中までに全店舗が閉店することになる。

そのあたりの事情をJR北海道のHPから引用させてもらうと以下の通り。

「ツインクルプラザ(JR 旅行センター)」の閉店について

当社は、各種旅行商品や航空券・宿泊券等の販売拠点として、「ツインクルプラザ(JR旅行センター)」を JR 北海道発足後の 1987 年から 33 年間にわたり運営し、最大で道内外に 27 店舗を運営するまで旅行事業を拡大してまいりました。
しかしながら、インターネット販売への急速な移行や旅行代理店を介さない直販化の進展など、急激な事業環境の変化により、旅行店舗での販売額は年々減少しており、ネット化が更に進む状況を鑑みると、今後の収支改善を見込むことは難しいのが実情です。
 囲み内赤字は筆者

早い話、インターネットの普及で交通機関のチケット発売やホテルのクーポン券の発行によって手数料を取るというビジネスモデルが成立しなくなったということだ。

インターネットが一般に普及する前ならば、例えば飛行機に乗るならばチケットは空港のカウンターか航空会社の営業所まで出向く必要があった。そんなのは身近な場所にあるわけではないので、発券できる市内の旅行代理店の出番となる。
ホテルの予約にしても、直接宿泊施設に電話をかけるしかなかった。直接電話ならば向こうの言い値になってしまうが、旅行代理店を通せば各種プランから選べることができる。

そんなことも、平成時代も20年代になる頃にはインターネットで自分で選択も予約もできるようになった。
例えば飛行機ならば、自宅のパソコンで直接航空会社のHPからチケットを購入し、チェックインも自宅のパソコンで、チケットをプリントすればそのまま保安検査場へ直行というのが一般的になった。
いや、スマホでQRコードを表示できれば、紙出力の必要すらない。

ホテルの予約にしても、今はインターネット上に予約サイトがいくらでもあるし、ちょっとしたホテルならば自前の予約フォームで各種プランを選択できるところも多くなった。
温泉ホテルなども、昔は旅行代理店を通した客の方が優遇されるのが常識だったが、いまは逆になったようで、手数料を引かれるだけ敬遠されがちという話もある。

ツインクルプラザの営業終了を機会に、今回はJRの営業方法について考えてみたいと思います。
筆者は北海道民なので道内からの視点となるのはご容赦願います。


 ◆ 時代はチケットレス

今の時代、ネット上で何でもできるので、わざわざ店に出向いて予約したりチケットを買ったりする必要は無くなった。
JR旅行センターに限らず、店舗型の旅行代理店というビジネスモデルの終焉である。
令和も2ケタになるころには町から消滅している業種の1つだろう。

こんな話をすれば決まって「お年寄りガー」と言う人がいるが、お年寄りがわざわざ都心まで出向いてチケットを買うか、家でパソコンかスマホで予約〜決済まで出来るのがどっちが楽かと問えば答えは言うまでもない。
いまの70代以上のお年寄りならば難しいだろうが、令和も2ケタになる頃には、お年寄りでもスマホを普通に使う時代が来る。

自宅に居ながらネット上で予約、キャッシュレス決済というのは旅行業界に限らず、通販や各種サービスなど社会ではすでに一般的なことになっている。

しかし、どういうわけか大きな例外が1つあって、それはJR各社のチケット(きっぷ)購入。

えっ、ネット予約?チケットレス?
そんなの新幹線でもうやってるよって?

 『えきねっと 新幹線eチケットサービス』

残念ながらこれはチケットレスとは言い難い。
予約・決済までは自宅PCで行うことができるが、Kitacaなど交通系カードが必要となる。
Kitacaは残念ながら郵送による販売はしておらず、購入するには札幌圏のKitaca発売駅まで出向く必要がある。
札幌の人ならば一家に1枚くらいあるのだろうが、それ以外の人が持っている人は少ないだろう。

例えば函館の人がeチケットサービスを使って新幹線に乗るとする。
新函館北斗駅も函館駅もKitacaを購入することはできない。
何ともブラックなサービスではないか。

JR各社もインターネット予約サイトというのを設けているが、たとえばJR東日本の『えきねっと』で特急列車の予約をするとしよう。すると以下の流れになる。

乗車する列車名を選択
   ↓
乗車する列車と日時・区間を選択
   ↓
座席を選択
   ↓
クレジットカード等で決済
   ↓
==見えない壁==
   ↓
みどりの窓口または指定席券売機できっぷを受け取る
   ↓
改札口を通る
   ↓
列車に乗車

みどりの窓口または指定席券売機できっぷを受け取るという時点で、インターネット予約の利便性は半減している。
そもそもこれでは無人駅からの乗車はできないし、みどりの窓口があっても営業時間外だったら利用不可である。
もうだいぶ前から日曜日は休業とするみどりの窓口も増えた。

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 特急オホーツク停車駅だが、朝と夕方以降は無人駅になる。(上川駅)

日本人がえきねっと等で予約するのにもこれだけ面倒なのに、海外から外国人が日本のJRの予約をすることなどかなり難解と思われる。

在来線特急のE-チケット化によるメリットは新幹線などとは比較にならないほど大きいと思う。
特にJR北海道は特急停車駅でも無人駅が多いし、みどりの窓口の営業時間が短い駅も多い。

駅の人員も大幅に削減できるだろう。きっぷの発券のためだけに営業要員を配置しているのであれば無駄なことだ。
定期券ならば廃止になった石勝線の清水沢駅で行っていたような委託販売とすればよい。

これが利用者にとっても鉄道事業者にとってもWin-Win、というか、それがもう世の中の標準である。


 ◆ 海外の鉄道では

ここで海外の例として、一番直近で行ったことがあるフィンランド鉄道を挙げてみる。
インターネットでのチケット購入から列車の乗車までの流れ。

フィンランド鉄道(VR)の公式サイトにて乗る日時と列車を選択
   ↓
座席を選択
   ↓
価格が表示され、支払い方法を選択
   ↓
クレジットカード等で決済
   ↓
表示されたチケットを印刷
   ↓
列車に乗車

世界中どこだろうと、ネット環境さえあればその場でチケットを手にすることができ、無人駅だろうと直接列車に乗車して車掌が専用の端末でE-チケットのQRコードをスキャンすれば完了。飛行機と同じくQRコードさえあれば良く、スマホに取り込めばチケットレスということになる。

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 決済まで終わるとE-チケットがDLできる。(フィンランド鉄道のHPの画面)

フィンランド鉄道では、インターネットでのE-チケット発券が一般的になったので、有人の出札窓口というものは存在しない。
大抵の駅には、日本でいう指定券券売機だけが置いてあるというもので、こういった駅には窓口は無いし、営業要員もいないようだ。
PCでもスマホでも簡単に買えるのに、わざわざ駅まで出向いてチケットを購入する人も少ないようである。

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 駅で営業しているのは券売機1台のみ。(フィンランド、ロヴァニエミ駅)

筆者が今まで乗ったことのある国を挙げると、ドイツ、ノルウェー、スウェーデン、インド、米国(アムトラック)、オーストラリア(NSW)など。どこも利用方法は概ね同様だ。
直接列車に乗ることができるのは、駅に改札口がないという事情もあるのかもしれない。

いずれにしても、ネット上でE-チケットだけ入手すれば駅に行って列車に直接乗ることができるという点は同じだ。


 ◆ 進化の方向が違うのでは

素人の意見として言わせてもらえば、このようなJR独自のシステムで進化してしまった以上、今さら改築も困難なのかもしれない。
その理由の1つがマルスという巨大な列車座席予約システム。
全国のみどりの窓口、旅行センター、旅行代理店に設置された専用端末からホストコンピューターを介して予約・発券する方式。
このため、予約システムを変えたくても、JR各社の足並みが揃わないと不可能という事情もあると思われる。

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 かつては主要駅で誇らしげに掲げていた看板だが。(長万部駅)

全国のすべての列車の座席を一元管理し、これも全国にある端末からどこでも予約・発券できるシステムも、全国に直通列車があった国鉄時代ならばともかく、これだけインターネットを始めとした通信網が発達した現在では、専用端末でしか発券できないシステムなど時代遅れでお粗末な代物でしかない。

要は利用者の利便などまったく無視して、JRだけがどんどん変な方向へ進化しているということ。
きっぷの販売システムも非効率な前時代的のまま変わらない。
うっかり無人駅から乗車すると、車掌から馬鹿高い正規運賃のきっぷを買うしかない。

近年日本が力を入れているインバウンド対策とは全く反対の方向でもある。
個人の外国人旅行客が新幹線や特急列車のチケットをネットで買うことができないのだ。
これではネットでチケットが買える便利な飛行機に乗ってくださいと言っているようなもの。

それでも少しずつではあるがチケットレスサービスも始まっている。
JR東日本の一部の在来線特急では『えきねっとチケットレスサービス』というのがあって、こちらはスマホ限定で、指定席特急券だけの効力という中途半端なものだが、例えば無人駅から乗車する場合は乗車券を車掌から買うこともできる。

これをもう一歩進めれば本当のチケットレス化となるのだが、無人駅から乗車ならばこれでいいが、自動改札機の問題をどうするか。
QRコード等が表示できるのなら空港の搭乗口にあるようなバーコード読み取り機を改札機に設置するのが手っ取り早いが、それなりに設備投資も必要になる。
考えれば考えるほど問題が出てくる。もうどうにもならないのだろうか。

新幹線は放っておいても利用客が圧倒的に多いので独自の世界に封じ込めてもやっていけるのだろうが、経営も乗客数も脆弱なJR北海道など、世界標準に合わせなければ生き残れないだろう。

いや、車だって自動運転、ビジネスでもAI化も目前である。もはや人海戦術に頼る営業を続けていては生き残れないという時代に突入しつつある。

ツインクルプラザ閉店の話でありましたが、旅行代理店に限らず、インターネット対応のできない業種はこの令和時代に淘汰されてゆくでしょうね。
これで行けば、利用者の減少が止まらない道内特急は消えてゆく運命なのでしょうか。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 20/03/14 | Comment(0) | 鉄道評論

札幌〜函館間の夜行臨時列車について考える

2016年3月に北海道新幹線が開業してから早や3年以上が経つ。

北海道初の新幹線として開業当時は話題になったのだが、札幌あたりから見ると今ではすっかり影の薄い存在になってしまったようだ。

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 華々しくデビューした北海道新幹線だが・・・(2016年3月撮影)

それもそのはずで、札幌から北海道新幹線に乗るとすれば新函館北斗駅まで行かなければならず、札幌からだと最速の『スーパー北斗2号』でも3時間14分を要する。

札幌から北海道・東北新幹線利用でどれくらい時間がかかるのか、札幌発の始発列車、札幌着の最終列車の時刻を表にしてみた。

 2019/3改正
はやぶさ〜S北斗接続時刻表
 
はや
ぶさ27
S北斗
  23
  
S北斗
  2
はや
ぶさ16
東 京 発15:20  札 幌 発  6:00 
大 宮 〃15:46  新函館 着  9:14 
仙 台 〃16:54  新函館 発   9:35
盛 岡 〃17:37  新青森 着 10:37
新青森 〃18:45  盛 岡 〃 11:43
新函館 着19:47  仙 台 〃 12:29
新函館 発 20:13 大 宮 〃 13:38
札 幌 着 23:40 東 京 〃 14:04
  ※表中新函館は新函館北斗

札幌を朝6時に出発して午前中に着くのは盛岡まで。仙台は昼過ぎ、東京着は完全に午後になる。
ダイヤ上は札幌〜東京間が日帰り可能だが、常識的に見て日帰りは盛岡が限界だろう。

『スーパー白鳥』乗り継ぎ時代と比較しても所要時間が格段に短縮されたわけでもなく、札幌や函館から東北や東京行の割引企画乗車券もすべて無くなってしまった。

札幌あたりから見ると、新幹線も東北もすっかり後退してしまったのである。
これが解消されるには、2030年度末予定とされて目下建設中の北海道新幹線札幌延伸開業を待つしかないのだろうか。

  ★  ★

北海道新幹線開業前は北海道と本州を結ぶ主力列車は夜行列車だった。
寝台特急『北斗星』を筆頭に、豪華列車の『カシオペア』『トワイライトエクスプレス』といった列車が午後から夕方にかけて次々と札幌駅を出発して行ったものだった。

夜行列車が多かったのは、北海道対本州では所要時間がかかりすぎ、必然的に夜行となってしまうということもあった。

例えば上野〜札幌間の『北斗星』の所要時間は約16時間だったが、昼間走るとなると朝6時に出発しても到着は夜の22時だ。夜行とすれば夕方17時に出発すると、到着は翌朝9時となる。どちらが便利なのかは言うまでもない。

寝台特急の陰に隠れて存在していたのが、札幌〜青森間を結んでいた急行『はまなす』。
急行ということと、行先が青森ということに地味な印象はぬぐえないが、この列車は新幹線と組むことでその真価を発揮したのだった。

 2015/3改正
東北新幹線〜はまなす 接続時刻表
 
はや
ぶさ31
つがる
  9
はま
 なす
  
はま
 なす
つがる
  2
はや
ぶさ4
 東 京 発  18:20    札 幌 発22:00  
 大 宮 〃18:46    函 館 〃  3:22  
 仙 台 〃19:54    青 森 着  5:39  
 盛 岡 〃20:37    青 森 発   5:43 
 新青森 着21:37    新青森 着   5:48 
 新青森 発 22:02   新青森 発    6:17
 青 森 着 22:08   盛 岡 着    7:10
 青 森 発
  22:18 仙 台 〃    7:50
 函 館 着    0:44 大 宮 〃    8:59
 札 幌 〃  
  6:07
 
東 京 〃
  
  9:23

札幌からだといかに便利だったかは、上の時刻表をご覧いただければおわかりいただけるだろう。

青森と新青森での2回の乗り換えが煩わしいが、上りならば札幌を夜22時に出発すると9:23には東京に着けるのだった。
こうして見るとその韋駄天ぶりに改めて驚く。

新宿や渋谷でも10時前に着くことができたことになる。
飛行機ならば新千歳空港7:30発の便が始発便だが、羽田空港着が9:05で、そこから電車で各所へとなると軽く10時を過ぎてしまうわけで、飛行機より30分は早く東京に到着できることになる。

青森で乗り継いだ特急『つがる2号』の秋田着は8:22となっていて、こちらも十分使える乗り継ぎだ。

下りは東京発19:20の『はやぶさ33号』からの接続ができないのは物足りないが、各駅からは就業後に乗ることができるので夜行としては合格点だろう。

もう1つが、札幌や函館から東北・東京まで往復の企画乗車券が発売されていたのも新幹線が利用しやすかった。
例えば、札幌から東京フリーエリアまで『東京往復割引切符』というのがあって、値段は14,910円だった。
これは乗車券としての効力で、特急券等は別に買う必要があった。
これで『はまなす』(自由席)〜『はやぶさ』(指定席)の組み合わせで往復だと30,610円となる。

P93000171.JPG
 東京往復割引切符(2011年10月に使用したもの)

格安の航空券ならばもっと安いのがあるので割安感は薄いのだが、0泊3日はホテル代もかからず、金曜の夜に『はまなす』で発てば東京で1日たっぷり時間を使って、日曜の朝に戻って来るということも可能だった。

その代わり身体はきつかったが・・・

残念ながら、当時からこの乗り継ぎはJRも特に宣伝しているわけでなく、急行『はまなす』もシーズンオフはがら空きだった。
豪華寝台特急の陰にあって、一般的に夜行列車というものが冴えないイメージというのもあったのかもしれない。

PA010023.JPG
 青森に着いた急行はまなす(2011年10月撮影)

PA010038.JPG
 新青森6:10発はやぶさ4号に乗り継ぐ(2011年10月撮影)

PA010057.JPG
 東京着は9:24だった(2011年10月撮影)

急行『はまなす』はもう1つ別の実力があって、北海道&東日本パス(略称:北東パス)ならば自由席に限り乗車できるという特典があった。のちに急行料金を別に払えば指定席や寝台車も利用できるようになった。
青森に朝5時台に着く効力は大きく、青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道、東北本線の普通電車を乗り継いで、仙台には12時台には着いたものだった。

古くは快速『ミッドナイト』が札幌と函館の間を結んでいた。その列車があったときは青春18きっぷで快速『海峡』に乗り継いで東北旅行をしていたなあ。
自由席はニスの匂いがする木の床で青いボックスシート。
翌朝函館で乗り継いだ『海峡』の自由席カーペットカーで横になってぐっすり眠っていた。懐かしいなあ。

それはともかく、私事(わたくしごと)ではありますが新幹線も東北も身近な存在だったのだが、北海道新幹線によって完全に分断されてしまった格好になる。

せめて札幌〜函館間でいいから臨時列車でいいから夜行列車があればねえ。
臨時『北斗』は観光シーズンを中心に増発されることが多いが、夜行というのは一度もない。噂にも聞かない。

新函館北斗を6:39に発車する『はやぶさ10号』に乗り継ぐことができれば、東北もだいぶ近くなると思う。
夜行バスも新函館北斗駅に立ち寄るようだが、そうまでして利用したいとは思わない。

北海道だけでなく、JR各社も夜行列車というのを嫌うようで、定期列車ではすでに東京と出雲市・高松を結ぶ『サンライズ出雲』と『サンライズ瀬戸』だけになってしまった。
臨時列車でも青春18きっぷが発売される春・夏・冬に運転される『ムーンライトながら』だけ。
これも年々運転日が減らされ続けている。

  ★  ★

話は変わるが、2020年東京オリンピックの、マラソンと競歩の開催地が札幌に決定したそうだ。
ここまで色々とすったもんだがあったようだが、とりあえず決定おめでとうございます(札幌限定)。

サッカーの1次予選も札幌ドームで行われることになっており、札幌在住の私からすると今から楽しみな話題でもあります。

とはいっても、マラソンのコースはまだ未定だし、選手や関係者の宿泊施設をどう確保するかというのも大きな課題となっている。
それだけではなく、日本各地や世界中から観客が札幌に来るわけで、今からホテルの建設を始めても間に合うはずもなく、ただでさえ繁忙期の中、ホテル不足がこれから大問題になるだろう。

そこで臨時夜行『北斗』の出番ですよ。

札幌〜函館間に夜行列車を運転するとどのような乗り継ぎ時刻になるのかを想定したのが下の表。
臨時夜行のダイヤは、かつてあった快速『ミッドナイト』のを踏襲しています。

【仮想】2020/7・8東京五輪臨時列車
はやぶさ〜臨時夜行 接続時刻表
 
はや
ぶさ37
臨時
 夜行
  
臨時
 夜行
はや
ぶさ10
東 京 発19:20  札 幌 発23:30 
大 宮 〃19:46  新函館 着  6:25 
仙 台 〃20:55  新函館 発   6:39
盛 岡 〃21:38  新青森 〃   7:41
新青森 〃22:32  盛 岡 着   8:44
新函館 着23:29  仙 台 〃   9:29
新函館 発 23:45 大 宮 〃 10:38
札 幌 着   6:00 東 京 〃 11:04
  ※表中新函館は新函館北斗

夜行は夜中に移動できるのが最大の売り。

0泊3日で札幌にオリンピック競技見物に出かけるとする。
東京発19:20発『はやぶさ37号』だと終業後でも余裕で乗ることができそう。

上りの東京着が11時を過ぎるのは物足りないが、札幌市内のホテルに泊まれば仮に取れたとしても1泊ウン万円はするだろうし、午前中の飛行機で戻ることを考えれば十分アリじゃないかな。
それ札幌発はマラソン競技が終わって、ススキノで一杯やってからでも十分に間に合う。

DSCN0715.JPG
 駅前通りを走る北海道マラソンの画像(2017年8月撮影)

オリンピックが終わっても、このダイヤならば観光でもビジネスでも申し分ないだろう。
何といっても、札幌からでも東京からでも午前中に各地に着けるのが魅力。
仙台あたりならば0泊3日でも行けるだろう。

同じ区間は貨物列車が24時間走っているわけだし、車両と乗務員を都合つければすぐにできそう。
車両は昼間の『スーパー北斗』の間合いでいいわけだし。

なかなかいいアイデアだなあと思ったわけですけど、ダメ?

ね、JR北海道さん。


〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 19/11/03 | Comment(0) | 鉄道評論

今どきの時刻表はつまらない

最近、昔の時刻表を眺めては、ため息をつくことが多くなった。

うちにある時刻表で、復刻版を除くと一番古いのは交通公社の時刻表1972年5月号になる。
その次が同じく1976年9月号1980年8月号1983年3月号と続く。

いずれも東京に行ったときに、神田神保町の古本屋で手に入れたもの。

DSCN2748.JPG
 手持ちの時刻表。

実際に当時手に入れたもので一番古いのは青函トンネルと津軽海峡線が開業した1988年3月号

さすがに毎月は買わないが、主要なダイヤ改正があったり、旅行計画を立てるたびに購入していた。

時刻表は基本捨てないで取っておいたのだが、溜まる一方で、段ボール箱3個くらいになったものだった。
使い込んでボロボロのものが多く、またカビが生えたりして、10年ほど前に泣く泣く処分してしまった。

一番新しいのは、JR時刻表2017年3月号
これはたしか北海道新幹線に初めて乗るから買ったんじゃなかったかな。

同じ年の秋に山陰方面へ旅行しているが、その時のプランニングでもこの時刻表を使った。
大まかなプランを考えるのだったら、少しくらい古い時刻表でも構わない。

正確な時刻や運転日は、ネットで調べればいいのである。
そんなわけで、もう10年以上前から時刻表を買うことは、ほとんど無くなった。

時刻表の用途は列車の時刻を調べるだけではない。

そう、読み物としての時刻表である。
これは一般の方々には理解しがたいところだろうが、好き者にはこの数字の羅列が物語になるのである。

大きなダイヤ改正があると、時刻表の発売日が待ち遠しかった。
発売になり入手すると、ダイヤ改正号の時刻表を食い入るように読んだものだった。

  

私が記憶として持っている中で一番印象に残っているダイヤ改正は、国鉄最後の白紙大改正となった1986年11月1日改正である。

この改正で多くのローカル急行や特急北海などが廃止となったが、特急『おおぞら』や『北斗』それにL特急『ライラック』や『ホワイトアロー』の増発やスピードアップ、札幌のほか都市近郊の普通列車の大増発が行われた。

もう確定事項となっていた分割民営化を先取りし、従来の国鉄型ダイヤからの脱却ともいえる画期的な改正だった。
その大筋はJRになっても長きにわたり引き継がれることになる。

その次に印象深いのは1988年3月13日改正

青函トンネル開通により、津軽海峡線が開業したダイヤ改正だ。

上野〜札幌間に寝台特急『北斗星』、青森〜札幌間に急行『はまなす』、青森〜函館間に快速『海峡』が運行を開始した。
特急『はつかり』は2往復を函館まで延長、大阪からは寝台特急『日本海』が1往復函館まで延長された。

国鉄から引き継いだ余剰車両の有効活用とはいえ、急行列車や昼行の客車列車の新設はこの当時でもかなりユニークなものだった。

一方で、永らく津軽海峡の主役だった青函連絡船は、この日が定期便としては最後の運航となった。

今まで本州と分断されていた北海道の鉄道にとっては、一大エポックの出来事だった。
そんなダイヤ改正号の時刻表読みながら、子供だった私は、まだ行ったことのない東京より先や、さらに遠い九州や四国に思いをはせていた。

この時刻表は表紙も無いくらいボロボロになっているが、これだけは捨てないで取ってある。

  

今の時刻表はつまらなくなった。
つまらないといっても、別に時刻表や出版社が悪いわけではない。

時刻表を読んでも、ダイヤに面白いと思える要素がすっかり減ってしまったことだ。

2000年代初頭までは、細々とながらも運行していたブルートレインをはじめとした夜行列車が走っていたし、JR各社の在来線の特急列車は新車投入やスピードアップなどを競っていた。

夜行の普通列車や快速列車も健在だったし、青春18きっぷのシーズンとなると、時刻表を基にその夜行列車を軸にして普通列車の乗り継ぎプランを立てるのに熱中したものだった。

そのつまらなくなった原因は、1番は新幹線であり、2番はL特急によるパターンダイヤだろう。

新幹線が開業したりスピードアップしたり便利になることはとても喜ばしいことだ。

新幹線やL特急のはパターンダイヤは利用者にとっては便利だ。
毎時何分発のは〇〇号で、どこ行きで、停車駅はどこでとほぼ決まっている。

時刻表が無くても決まった時間に決まった列車が発車するのでわかりやすい。
利用者サイドからすれば大歓迎である。

しかし、時刻表好きからすれば、それでは物足りない。
1つの線路上を、多種多様な種別や行先の列車が抜きつ抜かれつして行き交う様を読み取るのが、時刻表を読む醍醐味である。

パターンダイヤは利用者にはわかりやすいが、複雑なダイヤを読み解く楽しさは無い。

それでも、ギチギチに詰め込んでいる感がある東北・上越新幹線の東京口のダイヤなんかは読み解くと面白いのかもしれない。
しかし、スジ屋さんの職人技に感心こそすれ、読んでいて旅情めいた感情が沸き起こることはないだろう。

  ★

例えば、交通公社の時刻表1980年8月号を本棚から出して開いてみる。
国鉄時代のもので、東北・上越新幹線はまだ開業前の時刻表だ。

東北本線上野発のページを開くと、特急あり急行あり普通あり夜行あり。

まだ東北新幹線などなかった時代、上野発の特急列車がそこのけそこのけと言わんばかりに幅を利かせ、そしてその脇を急行列車が並行して走る。
このページだけでは見えないが、上野〜大宮間は高崎線の列車も同じ線路を走っていた。

普通電車などはその間を遠慮がちに入れさせてもらっているような存在で、中には上野駅へ乗り入れさせてもらえず、大宮発着の列車もある。

DSCN2745.JPG
 交通公社の時刻表1980年8月号、東北本線下りのページ。

様々な列車が抜きつ抜かれつ走る様を時刻表で読んでいると、私はこの時代は子供だったので実際の列車に乗ることはなかったが、何やら往時の列車や光景が目に浮かぶようだ。

昼間は電車の特急や急行が主役だが、19:00発仙台行L特急『ひばり29号』が出ると、19:08発青森行急行『八甲田』から始まって夜行列車の発車時間帯となる。

最終が23:55発の会津若松行急行『ばんだい11号』と仙台行『あづま3号』の併結列車。
その間に夜行急行列車は7本、寝台特急列車が4本、臨時列車を含めると全部で21本もの列車が19時過ぎから23:55までに上野駅を発車して行くのである。

この頃が、上野駅に発着する在来線列車の最盛期であった。
この2年後には東北・上越新幹線が大宮発着ながらも開業し、在来線の特急・急行は大幅に縮小されることになる。

これが現在の東北本線(宇都宮線)のページを見ると通勤電車ばかり。
高崎線はまだ在来線の特急が残っているが、これとて特急が通勤電車に遠慮して走っている感がある。

  

ダイヤ改正の度に時刻表がつまらなくなるのは新幹線開業である。
新幹線が開業すると、並行する在来線の特急列車や夜行列車が廃止になる。
また最近は並行する在来線を第三セクターへ移行することも増えた。

第三セクターは基本的に通勤通学のための鉄道で、ダイヤとして見るとつまらない。
快速電車を走らせて新幹線と競争すれば面白いと思うが、そういうことをしたがる鉄道会社はあまりないようだ。

もう1つは、これは北海道に限った話だが、ダイヤ改正の度に列車本数が削減され、スピードもダウンする傾向がここ10年ほど続いている。

JRになってからスピードアップや増発をしてきたが、車両や線路のメンテナンスが追い付かないために事故が頻発するようになってから、このようなことになっている。

2013年11月1日のダイヤ変更”は、JR北海道の運命を象徴するようなものだった。
主な内容は、特急列車の減速による所要時間の増加というものである。

もはや”ダイヤ改正”と呼べるものではなく、JR北海道自ら”ダイヤ変更”と呼ぶほどだった。
183系気動車のエンジントラブルから、特急『北斗』と『サロベツ』が長期運休中のなかでのことであった。

この後も、ダイヤ改正ごとに特急の減速や運転区間の短縮、不採算のローカル列車の削減、駅の廃止が相次ぐことになる。

ローカル線の廃止は、JR化後に上砂川支線や深名線が対象になったが、それ以降は落ち着いていた。
しかし、JR北海道の経営悪化が叫ばれるようになり、不採算路線の廃止が始まった。

ダイヤ改正の度に時刻表が寂しくなってゆく。
昔のように、ダイヤ改正の度にワクワクする感はとうに忘れてしまった。

  

道内で、最近の大きなダイヤ改正といえば2016年3月26日ダイヤ改正だろう。

北海道新幹線新青森〜新函館北斗間の開業である。
暗い話題ばかりつきまとうJR北海道にとっては、久々の輝かしいダイヤ改正であった。

同時に函館〜新函館北斗間は電化され、快速『はこだてライナー』が運行を開始し、特急『北斗』系統はキハ261系の新車が投入され、過去最高の12往復体制となった。

新幹線に並行となる木古内〜五稜郭間は、第三セクターに移行となり、道南いさりび鉄道と名を変えた。
地域密着ダイヤとなり、若干増発されている。

しかし肝心の新幹線のダイヤでは、目を引き付けるようなものはなかった。

要は、新青森止まりの『はやぶさ』をただ新函館北斗まで延長しただけで、これといって目新しい要素は見当たらなかった。
開業前は期待していた所要時間や本数も、新しいダイヤでは落胆するものでしかなかった。

その華々しく開業した北海道初の新幹線も、蓋を開けてみれば低い乗車率や年間100億円近い赤字など、散々たる営業成績となってしまった。

IMG_1445.JPG
 道民の期待を背負って開業した北海道新幹線。新函館北斗駅に入線する『はやぶさ』。

その後のダイヤ改正では、東京〜新函館北斗間の所要時間が若干短縮されたものの、基本的には変わらない。
東京口の過密ダイヤを優先せざるを得ないという事情もあるのだろう。

そのほかにも、東北新幹線は単線区間を持つ在来線にミニ新幹線として乗り入れていたり、福島駅でのホームの制約、北陸新幹線も乗り入れるようになった東京〜大宮間の線路容量など、他社区間の北海道新幹線まで手が回りませんというのが見て取れる。

まだまだ先の話だが、2031年春を予定している札幌延伸開業が待たれるところだ。

その時は、北海道の鉄道にとっては青函トンネルの津軽海峡線開業以来の一大エポックとなるはずだ。
華々しいダイヤ改正となるのだろうが、そこに新ダイヤ改正号の時刻表を読みふけるような魅力は期待していない。

引き換えに、並行する函館〜小樽間の在来線は第三セクターに移行することになっている。
特急『北斗』系統は、長万部〜札幌間に短縮され、本数も大幅に減ることだろう。
三セクは普通列車しか運行しないだろう。そんな時刻表はつまらない。

そもそも、その頃に北海道の鉄道が、鉄道網として存在しているのかも怪しい状況だ。

  

在来線の特急列車はダイヤ改正の度に縮小する一方だ。

これは全国的な傾向で、都市間列車の主力は新幹線へ、在来線は通勤通学輸送をメインにするという流れは止まらないようだ。

年々拡充する高速道路網。それに新幹線のライバルともなる存在になったLCC(格安航空)の台頭。
また、ひところは凍結状態だった整備新幹線の建設も現実のものとなった。

まとまった需要のある都市間輸送は新幹線へ、投資をしても発展の見込みがない在来線特急は合理化へというのが今の流れであろう。

大都市周辺の電車だけはダイヤ改正の度に充実するし、経営的にもそれが正しいのだろうけど、時刻表はそれではつまらない。

  

私は、今の時刻表に面白さや将来を求めるのはやめることにした。
過去の時刻表を入手し、そこに物語や旅情を求めることにしたのである。

DSCN2746.JPG
 交通公社の時刻表1980年8月号、連絡早見表 東京から北海道方面へより。

私は北海道の人なので、どうしても東北や北海道のページに目が行く。

上野を特急で発つと青森駅では青函連絡船に乗り換える。
函館駅からそれに接続して、道内各地への特急が接続するのだった。

上野から青森までの所要時間は、一番早いのが特急『はつかり11号』の8時間43分。他の『はつかり』は9時間前後となっている。
このはつかり11号は青森で青函連絡船の夜行便に接続する。函館には、ほとんどの時期ならば夜明け前の4:25着。

函館駅では海線経由で札幌へ、さらに滝川経由で釧路まで行く特急『おおぞら1号』。それに山線経由で札幌・旭川まで行く特急『北海』が待ち受けている。そのあとは山線経由の札幌行になる急行『ニセコ1号』。

このダイヤはのちに寝台特急『北斗星』や新幹線から急行『はまなす』の乗り継ぎダイヤに受け継がれる。

DSCN2744.JPG
 交通公社の時刻表1980年8月号、千歳線・室蘭本線・函館本線・青函航路(上り)より。

上は札幌〜函館間の千歳線・室蘭本線・函館本線のページ。
千歳線はまだ電化前、千歳空港駅開業前のもの。

特急は基本的に函館駅で青函連絡船に接続し、青森からまた各方面への特急に接続するダイヤだった。
連絡船を介して、東京や大阪へと連絡するダイヤだった。
反面、道内だけ利用となると不便なダイヤだったと想像する。

もう1つは普通列車の少なさ。
札幌発でも基本的に1時間に1本。

この頃は、国鉄の列車のことをみんな汽車と呼んでいたものだった。
時刻表を見て、列車の時刻に合わせて家を出るのが、この時代の汽車の乗り方であった。

とりあえず駅に行けばすぐに乗れるようなものではなかった。

DSCN2743.JPG
 交通公社の時刻表1980年8月号、池北線・釧網本線・名寄本線より。

北海道へ渡れば、ローカル線が普通にあった。
またちょっとした路線であれば急行列車も運行されていた。

札幌へ直通する列車ならばそれなりに利用価値はあったのだろうが、普通列車と車両も所要時間も大差ない急行も多数あった。このあたりは沿線の人たちのシンボル的な列車だったんだろうな。

自分の町に急行が止まるというのは、それなりに自慢になることだったろう。

DSCN2747.JPG
 交通公社の時刻表1980年8月号、索引地図より。

石勝線開業前で、一番路線網があったころの路線図。

この当時私が大人だったら、毎週のようにどこかのローカル線へ乗りに行ったのかもしれない。
もちろん金曜日発の夜行列車で。

しかし改めて見るとすごいね。
よくここまでの路線網が出来上がったものだ。

人口希薄地帯にこれだけ鉄道を敷けばそりゃ国鉄も赤字になるわ。

過去の時刻表ながら、いい大人になってもワクワク感は止まらない。

しかし鉄道ファン、とりわけ乗り鉄(列車に乗ることを趣味とする鉄道ファン)にとって、列車は実際に乗ってこそナンボである。
時刻表を読んで、空想しているだけでは欲求不満になってしまう。

  

夜行列車や長距離列車に乗りたくても、現在の日本ではもう叶わない。

私はそれを海外に求めることにした。
いわゆる海外鉄というやつだ。

毎年私が海外に出ていくのは、日本ではもう絶滅危惧種になった夜行列車や長距離列車に乗るためである。

乗り鉄の欲求を満たすだけならばそれでも良い。
残念なことに、海外の鉄道には日本のような緻密な時刻表は存在しない。

鉄道時刻表が出版物として販売されているのは日本くらいじゃないだろうか。
トーマスクックの時刻表もあるが、海外の本屋で並んでいるのは見たことがない。

それはそうで、時刻表というものは自分が目的地に着くにはどの列車に乗って、どこで乗り換えればいいのかわかればそれで良いのであって、路線ごとにすべての列車が俯瞰できる時刻表など無くても何も困らないのである。

また日本と違い、海外の鉄道は1つの路線に列車が1日数往復だけというのがほとんどだ。
それどころか、定期列車が1日1往復も走っていればマシな方で、1週間に1日とか、貨物専用で旅客鉄道など運行していない路線も多い。

ヨーロッパは比較的緻密な旅客列車網が充実しているが、これも日本以上にパターンダイヤ化されていて、抜きつ抜かれつといった時刻表の面白さとは程遠い。

そんなわけで時刻表の面白さは、もう過去のものに求めるしかないのである。

  

過去の時刻表を読んでいると本当に面白い。
数字の羅列の中に、抜きつ抜かれつの物語を見ることができる。

これを小説化したのが松本清張や西村京太郎であり、エッセイとしたのが宮脇俊三である。

しかし、いくら物語といえども所詮は過去のもの。
存在しないし、実際に乗ることは叶わないのだ。

そんな物語を読んで空想にふけりながら、私は今夜もため息をつく。

タグ:鉄道 時刻表
posted by pupupukaya at 19/06/09 | Comment(0) | 鉄道評論

ネットに負けたツインクルプラザ

昔は飛行機のチケットを買うのに旅行代理店へ行ったものだった。ホテルと飛行機やJR券が一緒になったパックなども重宝したものだった。

しかし、ここ10年ほど旅行代理店の世話になったことは無い。

私自身が旅慣れて全部自分で手配できるようになったということもあるが、一番の理由はインターネットですべてできるようになったからだ。

日本国内だけでなく、世界中のホテル、飛行機、鉄道がインターネットで予約と決済ができる。
とにかく便利になった。

ところが、便利になった陰でひっそりと消えゆくものがある。

close12.jpg
 JR北海道、旅行センター閉店のお知らせ。


JR北海道のHPからであるが、1つはJR北海道プラザ大阪支店の閉店、もう1つは苫小牧駅と東室蘭駅のツインクルプラザである。
これで駅のツインクルプラザは、札幌、札幌南口、釧路、帯広、旭川、函館それに法人旅行の7店舗を残すのみとなった。

国鉄から民営化されてJRになってから力を注いだ事業の1つが、自社の旅行代理店だった。
国鉄時代から旅行センターの名で主要駅にだけあった店舗も、JRになってから急に増えだした。
最盛期は1990年代だろうか。手元にある1999年の時刻表で、JR北海道の旅行センターの店舗数を数えると、37店舗もあった。
『ツインクルプラザ』『JR北海道プラザ』『JRトラベルセンター』など名称は様々だが、それだけ需要があったということなのだろう。

札幌市内の街中でも、あちこちでJR北海道のカウンターを見かけたものだった。

それから11年後の2010年時刻表では若干減って25店舗。
この時代はすでにネット時代となっていて、私自身の旅行の手配はもうすべてネットで行っていた。

さらに時は進み、2015年。
JR北海道プラザ東京支店の閉店は、それなりに話題になったようだった。


北海道新幹線の開業を待たずに、不採算店舗として東京から撤退することになる。
JR北海道自体の業績悪化ということもあって、その後は堰を切ったように閉店が続くことになる。

旅行業とは客と交通機関あるいは宿泊業者との間を取り持って、手数料を取るというビジネスモデルである。
ところが今はインターネット時代。インターネットで集客し、客が自前で交通機関なり宿泊先なりを探して決済までできるようになればもう旅行代理店など必要ないのである。

飛行機のチケットも、航空会社のHPから直接インターネットで購入するのが一番安い。ホテルは今は『楽天トラベル』や『じゃらんnet』などインターネットの宿泊予約サイトが全盛だがこれからどうなるんだろ。
ホテルのHPに自前の予約フォームをつけたところも多くなってきた。

一昔前ならば、ホテルに泊まるときは直接予約するよりも旅行代理店を通したほうがサービスが良いというのが常識だったが、最近ではそんなこともなくなってきているようだ。

というわけで、JR北海道が旅行代理店から撤退するのは正解といえなくもない。

ところで、このたびツインクルプラザの苫小牧・東室蘭支店の閉店に当たって、初めて閉店理由を明らかにした。
それは以下の通りである。

“航空券や宿泊などはインターネットによる直販が一般的になり、店舗カウンターでの販売が構造的に減少しており、収支改善の目途が立たないため”

”インターネットによる直販が一般的になり”

JR(北海道に限らず全部)よ、わかっているならなぜそれをしない。

ネット予約?それならJR各社でやってるよって?

ticket20.jpg
 えきねっとの予約画面。

たしかにやっている。ただ、決定的に違うのは、JRのネット予約は乗車前に指定券券売機かみどりの窓口できっぷを受け取る必要があるということだ。

発車間際に駆け込んでとか、窓口に行列がという場合に全く対応していない。
これでは窓口に出向いてそこで買うのと何ら変わりない。

それに、予約して決済もしてあっても、みどりの窓口の無い駅や無人駅から乗ることは不可能であるということだ。

不便なんだよね。いちいちみどりの窓口のある駅へ行って切符を買うのが。

DSC06022.JPG
 わざわざみどりの窓口に出向く必要があるJR券。10時打ちなんて馬鹿げたことも未だに健在。

例えば飛行機ならば、JALならばJALのHPから便の検索、予約、決済まですべて自宅のパソコンやスマホでできる。
チケットはこれも自宅でプリントすればOK。

jal4-001.jpg
 オンラインですべてが済む飛行機の予約とチケット購入。

いや、プリントすらする必要がなく、スマホでバーコードを表示できればチケットすら要らないのである。当日直接保安検査場へ行き、そこのバーコードリーダーにかざすだけで飛行機に乗れるのだ。

海外の鉄道も飛行機と同じようになっていて、自宅のパソコンで予約・決済。
あとはチケットをプリンターで印刷し直接列車にのればOKという仕組みだ。

DSCN1971.jpg
 インドの鉄道チケット。プリントして持参すれば直接列車に乗れる。

nsb56.jpg
 ノルウェーの鉄道チケット。これもプリントするだけ。

今北海道では駅の無人化が進んで、自治体が代わって駅の委託業務をするなどしている。

ますます駅の無人化は進むだろうし、きっぷを買えないとなると潜在的な利用者も逃(のが)してしまうことになる。
どうすればいいんだろうか。

DSCN0020.JPG
 無人駅化の張り紙。

答えはJR北海道のツインクルプラザ閉店のお知らせのなかにあるじゃないか。

”インターネットによる直販が一般的になり” なんですよ。

インターネットによる直販を一般的にすれば、みどりの窓口も旅行センターも必要なくなるんですよ。

極端な話、駅は無人駅で十分になる。きっぷを売る必要がないので、駅の管理だけどこかへ委託すればいいのだから。
ネットで購入済みの客は、改札口や車内改札でチケットを見せて、列車に乗るだけでいいのだ。

不採算な旅行センターや駅の営業をする必要がなくなるのである。

自宅でプリントじゃきっぷの偽造もできるんじゃないかって?

だから、航空券ではもうすでに実用化してるんですよ。海外の鉄道も実用化してるんですよ。

なぜに日本のJRだけが頑なに窓口発券にこだわるのか、私には理解できませぬ。
ここを早急に改善しない限り、JR北海道に未来はありません。

何度も言いますが、

潜在的な利用者も逃してしまっているのです。


今回は何だか主張してしまいましたが、お読みくださいましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 17/12/30 | Comment(1) | 鉄道評論

なつかしの列車名『大雪』が復活

12月16日にJR北海道のHPで2017年3月ダイヤ改正の概要が発表された。
こんかいのダイヤ改正で一番変わるのは道北方面の特急列車で、いままで全ての列車が札幌発着としていたのを、札幌直通は一部だけ残してあとは旭川発着になる。


JR北海道 プレスリリース

◆札幌〜稚内間および札幌〜網走間の一部特急列車を旭川でお乗換えいただく体系とします
【ダイヤ改正日】平成29年3月4日(土)

■特急体系の見直し
・札幌〜網走間2往復を「オホーツク」、旭川〜網走間2往復を「大雪」として運転します。
・旭川での特急同士のお乗換はすべて同一ホームとなります。


旭川〜網走間に短縮される2往復は『オホーツク』から『大雪』へと列車名が変更され、旭川〜稚内間に短縮される2往復は『サロベツ』となる。
旭川発着になる特急列車は札幌〜旭川間の特急『ライラック』が接続し、特急料金も旭川駅での乗換ならば通しになる特例も設けられる。

長時間乗っているよりも乗換があった方が気分転換になるかな。
それに、車内販売が廃止された今では、何も持たずに乗り込むと下手をすると5時間以上も飲まず食わずになりかねないので、ホームで買い物もできるようになるな、などと考えたりする。

そのためには旭川駅ではキヨスクのある3・4番線での乗換にする必要があるが。駅弁の立売ワゴンも復活したりして。

昔、稚内にいた頃、よく急行『宗谷』や『サロベツ』に乗って札幌へ行ったものだった。
あの当時は上り列車は旭川で10分以上も停車して、その間に札幌方面へのL特急が先に発車するというダイヤだった。
名寄や士別からのSきっぷ所持者は、そのまま特急にも乗れるので早く着く特急に乗り換える人が多く、混んでいるのは名寄〜旭川間で、旭川〜札幌間は空いているのが常だった。
稚内からのSきっぷ所持者は、特急に乗り換えると特急料金が必要になるので、我慢してそのまま乗っていた。

旭川の停車時間はちょうど食事の時間帯とも重なるので、駅弁売りのワゴンも繁盛していたね〜、懐かしいね〜。
稚内方面の特急分断は案外定着するかもしれない。旭川までの乗客も結構多いし。

一方石北本線の方は、対札幌の需要が高いのか、旭川で乗客が入れ替わっていた印象はあまりない。
北見・網走方面は高速バスの方が本数が多く、所要時間も早いくらいなので、どうなるんだろう。半分の列車が旭川で乗換えということになると、心理的には札幌行きでないと安心感は無くなる。本数の多いバスを選択する人が増えそうだ。

以上、2017年3月のダイヤ改正について無責任に考えてみました。





『大雪』と『ライラック』、またずいぶんと懐かしい列車名称が復活するものだ。

『大雪』と聞くと、札幌〜網走間に運転されていた夜行急行列車を真っ先に思い出す。こんなことを思い出すのはもう20代や30代の人では無いだろうな。歳がばれますな。

1992年のダイヤ改正で特急に格上げされ『オホーツク』の一員となるまでは、機関車牽引の客車列車として運転されていた。
札幌から旭川方面への実質最終列車でもあったので、最終の特急は『大雪』だったなどと思い出す人も多いだろう。

さらに古くは、石北本線系統の昼行急行はすべて『大雪』だった。札幌発着の昼行2往復、旭川発着2往復、それに夜行1往復と最盛期には5往復もあった。
国鉄末期頃から次第に特急に格上げされ、『大雪』の名称は夜行列車のものとなる。

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 札幌駅に停車中の急行大雪。1990年1月撮影(多分)。

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 大雪号の寝台指定券。北海道フリーきっぷを使用した0円券。夜行列車を駆使してよく道内旅行に出かけたものだった。

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 『利尻』、『大雪』、懐かしい列車名が並ぶ時刻表。この頃は旭川方面への最終列車としての性格が強かった。
 JR北海道編集・時刻表ダイヤ’92年1月号より引用。 

夜行急行の特急格上げまで長らく急行列車の名称だったローカル色の『大雪』だが、調べてみるとなかなか波乱に満ちた運命の持ち主であることがわかった。
『大雪』の命名から石北線の優等列車に収まるまで。そんな列車の歴史を、時刻表を見ながらひも解いてみたいと思います。
時刻表と言っても書店で買った復刻版ですが・・・


■大雪の歴史1:前史

昭和9年(1934)年、上野〜青森間に急行103・104列車が設定された。上野〜青森間はそれまで全て夜行列車になっていたが、このダイヤ改正では大幅なスピードアップにより日着が可能になった。上野を午前中に出発すれば青函連絡船の夜行便に接続できることになる。それに接続する形で函館〜札幌間に急行3・4列車が設定された。

連絡線夜行便を介して本州と北海道の急行列車が接続するダイヤはこの時から始まった。そしてこの急行3・4列車こそ、『大雪』の前身である。

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 昭和9年より運転を開始した急行3列車。
 鉄道省編纂汽車時間表昭和9年12月号より引用。


昭和14(1939)年、急行3・4列車の運転区間を函館〜網走間に延長(旭川〜網走間は普通列車)。

昭和17(1942)年、太平洋戦争の影響により、急行3・4列車は廃止。連絡線夜行便に接続するのは函館〜名寄間普通列車の13・14列車となる。戦前の急行『大雪』の前身は、この改正で姿を消す。

戦時中は昭和20年までに函館〜稚内桟橋間の3・4列車を最後に急行列車は全廃される。


■大雪の歴史2:本州連絡急行として

昭和22(1947)年、函館〜旭川間に急行列車が1往復が復活するが、夜行列車としてであった。

昭和24(1949)年9月、連絡船夜行便に接続する急行列車が復活し、急行1・2列車となる。運行区間は函館〜網走間(旭川〜網走間は普通列車)。同時に函館〜釧路間(札幌〜釧路間は夜行準急)も急行3・4列車として復活している。

のちに夜行『大雪』となる函館〜網走間の準急503・504列車(準急区間は夜行となる札幌〜北見間)もこのとき運転を開始した。

昭和26(1951)年4月、北海道の急行列車に初めて名前が付けられた。網走行き1・2列車(旭川〜網走間は普通列車)が『大雪』、根室行3・4列車は『まりも』と命名される。

ここから『大雪』としての歴史が始まる。しかし石北線急行として定着するまで、この『大雪』の名称は紆余曲折となるのだった。

昭和30(1955)年、運転区間が函館〜旭川間に短縮となったが、名称は『大雪』のままとなる。

昭和33(1958)年、上野〜青森間に特急『はつかり』が運転開始、連絡船夜行便を介して函館駅で接続するのが『大雪』だった。

本州側も北海道側も1・2列車だった。まさに北海道内急行のエースである。

これにより上野を昼過ぎに出発して、連絡船夜行便を介し、札幌に午前中に着くという画期的なダイヤが確立することになった。
このダイヤはよほど功を奏したのか、のちに登場する特急列車にも受け継がれることになる。
急行『大雪』としてはまさに栄光の時代であった。

また同じくして、函館〜網走間準急503・504列車に『石北』の名称が付けられている。

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 本州連絡急行時代の急行『大雪』。特急『はつかり』も気動車化されスピードアップしている。
 時刻表復刻版1961年9月号より引用(上野−青森−北海道連絡)

昭和36(1961)年、函館〜旭川間に待望の特急列車が走るようになった。名称は『おおぞら』と名付けられた。
(この『おおぞら』は滝川で分割し釧路まで延長されるようになり、のちに釧路特急となる)
『はつかり』〜『大雪』から受け継いだ連絡船夜行便を介したこのダイヤは、青函トンネル開業後も『北斗星』や『はまなす』に受け継がれることとなる。

一方、栄光の座を特急に奪われた『大雪』であるが。列車番号を11・12列車、運転区間を函館〜札幌間と変えて存続していた。特急は千歳線経由でこちらは小樽経由だが、特急『おおぞら』の補完列車という役割になった。

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 『おおぞら』の補完列車として列車番号を11列車と変えた『大雪』。
 時刻表復刻版1961年10月号より引用。


■大雪の歴史3:石北線の急行列車として

昭和38(1963)年、名前の由来となった大雪山近くを走らなくなった『大雪』は、名称を『ライラック』(のちに『ニセコ』の一員に)と改称され、気動車急行となる。

同時に『大雪』の名称は2年前から走り始めていた旭川発着の石北線の急行『はまなす』のうち、札幌発着に改めた1往復に充てられることになった。
函館発着時代から客車列車だったが、ここで気動車急行として生まれ変わることになった。

ここに石北線急行として再登場することになる。

昭和39(1964)年、函館〜網走間(函館〜釧路間も併結)に特急『おおとり』が登場。石北線初の特急列車となる。

昭和43(1968)年10月、ダイヤ改正時にそれまで列車ごとに付けられていた名称を方面別に統合されることになった。
それまで石北線の優等列車は特急『おおとり』を筆頭に急行は『大雪』、『あばしり』、『はまなす』、『オホーツク』それに夜行の『石北』とバラバラだったものを急行は全て『大雪』に統合されることになった。
これによって急行『大雪』は夜行も含め1〜6号と6往復(1往復は季節列車)もの大所帯となる。旭川発着の『旭川』はのちに『オホーツク』と改称される。

ちなみに、大雪と同時に命名された『まりも』の名称は、『狩勝』の一員に組み込まれたために一旦消滅する。(のちに石勝線経由の急行列車として復活する)

昭和47年、急行『大雪1・4号』を格上げした形で特急『オホーツク』が運転開始。このスジは昭和38年に気動車急行『大雪』として走っていたものである。『おおぞら』の登場以来、またも特急に座を明け渡すことになった。

旭川発着の急行だった『オホーツク』は特急の名称になった為に『大雪』の一員として組み込まれた。よって『大雪』の本数は変わっていない。

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 1号から5号まで、夜行含め5往復もの大所帯時代の石北本線時刻表。
 交通公社の北海道時刻表1973年12月号より引用。

昭和55年(1980)年、夜行『大雪』の急行区間を網走まで延長。それまでは北見〜網走間は普通列車だった。
上り『大雪』に網走駅で乗り遅れても、後から出る湧網線最終列車に乗れば遠軽で追いつくのは一部で知られていた。それも過去のものになった。

昭和57(1982)年、夜行の座席車を14系客車に置換え。
昭和58(1983)年、夜行の寝台車を14系客車に置換え。長らく旧型客車を連ねていた夜行『大雪』だが14系客車に置き換えられて面目を一新する。この頃にイラストデザインのテールマークが登場した。
なお、特急『おおとり』と一部の『オホーツク』は80系気動車のままで、特急の方がアコモデーションが下ということになってしまった。

昭和60(1985)年、札幌直通の昼行1往復を特急『オホーツク』に格上げ。昼行のもう1往復は旭川〜遠軽間(名寄線直通)のみとなる。

昭和61(1986)年11月、国鉄最後のダイヤ改正で、それまで旭川〜遠軽間に1往復あった昼行列車が旭川〜北見間の臨時急行となる。多客期のみ運転になった『大雪81・82号』はキハ54単行でヘッドマークも付いていたらしい。
定期の昼行『大雪』が無くなったことにより『大雪3・4号』だった夜行列車は再び『大雪』と堂々たる名称になる。

昭和63(1988)年3月、それまで函館〜網走間の特急だった『おおとり』が札幌〜網走間に短縮されたために『オホーツク』の一員になっている。多客期に運転されていた旭川〜北見間の急行『大雪81・82号』が特別快速『きたみ』として運転開始。

『大雪』を牽く機関車の先頭に円形のヘッドマークが取り付けられたのはこの年の11月からではなかっただろうか。
テールマークから引き継いだデザインのヘッドマークを掲げて貫録十分と言いたいが、この頃の基本編成はB寝台車2両と座席車2両の4両編成。大型の機関車が泣くような寂しい姿だった。

平成4(1992)年、ながらく客車編成だった夜行列車を特急気動車に寝台車を組み込んだ編成に変更することになり、特急に格上げされる。これにより夜行列車も『オホーツク』の一員となり、『大雪』の名称は消えることになった。

その夜行『オホーツク』も平成18(2006)年から季節列車化、平成20(2008)年3月16日の網走発の運転を以て最後となった。


■大雪の歴史4:石北線内の特急列車として

平成29(2017)年3月、再び『大雪』の名称が旭川〜網走間の特急として復活する。1992年以来だから25年ぶりということになる。
車両は『オホーツク』から引き続き183系が使用される。いずれ近いうちには261系に置き換わり、一新することだろう。

ところでこの大雪の読み方、『たいせつ』と『だいせつ』が混在している。地理系は『たいせつ(TAISETSU)』、学術系は『だいせつ(DAISETSU)』との読み方が多い。大雪山国立公園の読み方は『だいせつ』となっている。

列車名称は一貫して『たいせつ』だった。こんど復活する特急『大雪』の読みもやっぱり『たいせつ』なんだろうか。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
posted by pupupukaya at 16/12/18 | Comment(0) | 鉄道評論
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