2023年ダイヤ改正で変わる石北特急

今年もJR北海道の3月ダイヤ改正が発表になりました。

 2022.12.16
 (ニュースリリース | JR北海道 - Hokkaido Railway Company)

こんどの改正で変わるのは、特急『オホーツク』『大雪』の283系化。
他は特急『ライラック』の一部と北海道ボールパークFビレッジの開業に合わせたダイヤの変更など。

駅の廃止は、前に発表されていた日高線の浜田浦が該当。
とかく議論を呼んだ北の最果て駅は、めでたく存続となったようですね。
私個人的にはどっちでも関係ない話ではありますが。

話がずれたので元に戻します。

毎年毎年、ダイヤ改正のたびに本数が削減とか編成が短くなったりとか、北海道の鉄道もすっかり寂しくなったものですが、今回の改正では特に列車本数の削減というのはなさそうです。
これも普通列車ダイヤの詳細が公表されていないので何とも言えませんが。

2023年3月ダイヤ改正で一番大きな動きは、なんと言っても石北線特急でしょう。

123509.jpg
 ※ 2022.12.16 JR北海道、2023年3月ダイヤ改正についてより引用

改正後はグリーン車がないモノクラス3両編成とはまた寂しくなったもの。
石北線で丸々1両をグリーン車に充てても過剰なのは明らかですが、一昔前ならば普通車の一部をグリーン席に改造して充てたことでしょう。
もうそんな改造をする体力も気力も残っていないということなのでしょうか。

ダイヤも283系車両導入と聞いて、石北特急も全列車札幌直通が復活を期待しましたが、『オホーツク』と『大雪』の分離状態は変わりませんでした。

今の分離状態は、もともと183系特急車両の不足からやむなく行われた措置で、必要な車両が揃ったらゆくゆくは札幌直通に戻すものとだと思っていましたが、どうやらこの体制は将来的に維持される模様です。

それでも若干ながら時間短縮が実現するのは明るい話。
2023年3月ダイヤ改正前後でどのあたりが変わるのか、今回の改正で石北線内では一番時間短縮の大きい大雪2号3号で比較してみましょう。

特急大雪2・3号新旧ダイヤ比較
 
改正前
改正後比較  
改正前
改正後
比較
駅名
大雪
3号
大雪
3号
駅間
増減
 駅名
大雪
2号
大雪
2号
駅間
増減
旭川 (発17:0517:07  網走 (発8:068:05 
上川 (発17:4517:470 女満別(発8:218:200
丸瀬布(発18:4118:40△3 美幌 (発8:328:310
遠軽 (着18:5718:57+1 北見 (発8:568:550
遠軽 (発19:0019:00- 留辺蘂(発9:159:140
生田原(発19:1719:16△1 生田原(発9:369:34△1
留辺蘂(発19:3819:36△1 遠軽 (着9:519:48△1
北見 (発19:5719:550 遠軽 (発9:559:52-
美幌 (発20:2220:17△3 丸瀬布(発10:1210:10+1
女満別(発20:3320:29+1 上川 (発11:1011:04△4
網走 (着20:4920:44△1 旭川 (着11:5011:43△1
所要時間3:443:37△7 所要時間3:443:38△6
 ※JR北海道HP掲載の時刻表から筆者作成。

こうして新旧ダイヤを比較してみると、上川〜丸瀬布(白滝)間の時間短縮が大きいことがわかります。

石北トンネルを挟むこの区間は25パーミルの連続勾配があって、今までの183系では50km/h前後で越えてきたものが、283系のハイパワーに物を言わせて駆け登るのが見て取れます。
もう一方の25パーミル区間である生田原〜留辺蘂間は僅か1分ですがこちらも短縮しています。

あとの細かいプラスマイナスは283系化による高加減速によるものと、元のダイヤは秒単位になっていて時刻表は秒を切り捨てて分単位にしていることによる端数、それに単線なので駅での列車交換のあるなしでしょう。

2.JPG
 183系特急は25パーミル上り勾配を50km/hで走行(白滝〜上川間大雪4号にて)。

峠区間では25パーミルの勾配とR300m台の曲線が連続し、直線区間でも最高95km/hに制限されている石北線。
それにもかかわらず、旭川〜網走間で最大7分の短縮を実現するのだから、さすが283系特急ですね。
1両当たり710馬力というハイパワーエンジン搭載は伊達じゃありません。

逆に言うと、石北線は抜本的な高速化工事を行わない限り、これ以上の時間短縮は無理ということになりますが。

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 1線スルー化された駅を通過する183系オホーツク(2021年7月東旭川で)

とまれ僅か数分の時間短縮ですが、石北線特急の所要時間は国鉄最後の1986(昭和61)年11月ダイヤ改正以来据え置き状態だったので、こんどのダイヤ改正は大きな進歩と言えるのではないでしょうか。

ですが、『大雪』は旭川止まりなのが泣き所。

例えば『大雪2号』は網走〜旭川間で6分も短縮していますが、接続する特急『ライラック』のダイヤが00分発、30分発の固定なので、『ライラック』に乗り継ぐ客からしてみれば旭川に早く着くだけ迷惑という代物。
網走〜札幌間のトータル時間で見れば、逆に所要時間が1分増えているというオチ。

もう少しなんとかならんものかと思いますが、『大雪2号』は丸瀬布で『オホーツク1号』と交換しており、簡単に時刻をずらすわけにはいかない事情でもあります。

一方で札幌直通の『オホーツク』はというと、旭川〜網走間では『大雪』同様に時間短縮していますが、札幌〜旭川間では改正後も所要時間はほとんど短縮できていません。

このあたありはハイパワーの283系に置き換わっても最高速度は従来通り110km/hなのと、エンジンをいたわって余裕をもった走行としたからでしょう。

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 2023年3月で見納めになる183系車両(2022年1月網走駅で)

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 2023年3月から石北線特急に投入される283系車両(2021年1月札幌駅で)

次に石北線特急に動きがあるとすれば、2030年度予定となっている北海道新幹線札幌開業時でしょうか。

現在『北斗』で使用されている261系気動車は、多くが余剰となるはずなので、その車両が283系と置き換わることでしょう。
そうなれば札幌〜旭川間で120km/h走行が可能となるので、さらに数分の時間短縮が見込まれます。

その肝心の北海道新幹線ですが、現在のところ工事が3〜4年程度の遅れが出ている模様。

 **工事着手の遅れや巨大な固い岩が出てきたことによるトンネル掘削の一時中止等により、一部の工区で3〜4年程度の遅れが生じています。**

 上記引用
  ◆ 2022年12月6日 斉藤大臣会見要旨 - 国土交通省
  北海道新幹線 完成・開業時期について

まだ事業期間が相当残っているということから公式に開業時期についての変更はなされないようですが、事業費の増額やトンネル残土受け入れ地の問題もあって、新幹線開業までは前途多難な課題が数々あるようです。

まさか工事中止とはならないでしょうけど、今のJR北海道はとにかく新幹線頼み。
とにかく2030年度予定となっている北海道新幹線札幌開業までは特急列車のダイヤには大きな動きは無いことでしょう。

それにしても改正後の3両モノクラス編成を見ると、もう特急やめて旭川〜網走間の快速にすべきである・・
・・・なんて思ってしまいますが、私は鉄道アナリストではないので、そういう話はやめときます。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 22/12/18 | Comment(0) | 鉄道評論

寝台特急列車は残せなかったのか

先日、偶然に木古内駅でTRAIN SUITE 四季島(トランスイートしきしま)を目撃しました。

道の駅の駐車場で車の中にいると、15時ごろ列車が入ってくる音がしました。
それでふと見ると、なんとなんと、というわけでした。

ダイヤは一般には公表しておらず、何日の何時にどこを走っているのか一般の人は知ることができない列車なわけですが、追っかけの撮り鉄さんなら当然ダイヤは入手しているんでしょう。
しかしこの日はそれらしい人は1人もいませんでした。

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 木古内停車中のTRAIN SUITE 四季島と道南いさりび鉄道キハ40形。

四季島が停車中の線路はホームがないので、ここに旅客列車が停車しているのは違和感も覚えます。
青函トンネル区間は新幹線と在来線の共用区間で、在来線の列車も直通は一応できるし貨物列車は実際毎日直通しているのですが、旅客列車が停車していると妙な違和感を覚えたわけでした。

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 6号車ダイニングしきしま。

四季島はJR東日本が運行する周遊型のクルーズトレイン。
観光やホテルがセットになった企画商品として発売するので、乗車だけというのはできないようです。

色々調べたら、この四季島は7月11日に上野駅を出発した3泊4日コースの3日目だったようですね。
2022年7月は3回、8月は2回、9月は3回運行とありました。

ちなみに3泊4日コースの四季島乗車ツアーの代金はおいくら万円かといえば、一番安いスイートが2名1室で80万円、1名1室ならば120万円だそうです。

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 15時07分、青森へ向けて発車する四季島。

また北海道と本州を直通する寝台特急列車に乗ってみたかったですが、もう叶うことはないのでしょうか。
こんなことならもっと乗っておけばと後悔するも、今さらどうしようもないわけで。

木古内駅を通っていた寝台特急列車は、うちにあった2004年の時刻表を見ると、『北斗星』2往復と『日本海』が1往復、毎日運転ではありませんでしたが『カシオペア』『トワイライトエクスプレス』もそれぞれ1往復ずつここを通っていました。
計5往復、そのほかに急行『はまなす』がありました。
多客期には臨時列車の『北斗星81・82号』『エルム』も運転されましたから、1日に何本の寝台列車が通っていたのでしょう。

それが2016年の北海道新幹線開業と引き換えに全て無くなってしまったわけです。
本州〜北海道間は観光需要もあるでしょうし、当時は1往復くらいは残るんじゃないかと思っていましたが甘かったですね。

この過去にあった寝台特急列車、残すわけにはいかなかったのでしょうか。
なぜ消滅してしまったのでしょうか。

今日はこの辺りを考えてみたいと思います。

 ★  ★  ★

最初にJR時刻表1991年2月号寝台特急列車のページを見てみましょう。

1987年の分割民営化で新制JRとなり、国鉄の車両や施設、ダイヤをそのまま引き継いで始まったJR各社ですが、民営化4年目。
JR各社も国鉄を脱して地域に根ざした会社としての独自色が出てきた頃です。

この当時は東京(上野)と京阪神を発着とする寝台特急列車が全国に向けて運行していました。
まだ東北新幹線が盛岡までで、東海道新幹線も『のぞみ』号がなかった時代。
今から30年前の時刻表を見ると、寝台特急列車がまだまだたくさんありました。

最盛期に比べたら本数は少なくなりましたが、それでも時刻表上では5ページ分が割かれていました。
国鉄時代末期から続いていた列車の整理もひと段落し、新たに個室寝台が登場したり食堂車をリニューアルしたりと、寝台特急も新時代を迎えた頃でした。

DSCN5038.JPG
 東京・大阪から山陽・九州方面(JR時刻表1991年2月号より引用)

この頃は九州ブルートレインがまだまだ健在だったころ。
国鉄からJRになって4年目、1列車の『さくら』から11列車の『あさかぜ3号』まで6本もの寝台特急列車が発車していました。
『あさかぜ』なんて完全に東海道・山陽新幹線と運行区間がかぶるわけですが、この当時新幹線の所要時間は東京〜広島間で最速4時間30分、東京〜博多間で5時間47分となっていましたから、寝台特急の需要もそれなりにあったのでしょうね。

東京発着の列車は新たにB個室を増やしたり、大阪発着の列車は夜行バスへの対抗として座席車を連結したり、この頃はまだ寝台特急列車の運行に意欲が見られた頃でした。
食堂車もまだ健在です。

それも長くは続かず、この2年後には食堂車が営業休止。その後は車内販売もなくなります。
2000年代中ごろからは利用者の減少を理由に次々と廃止や運転区間短縮が続き、『はやぶさ』と『富士』の併結で残っていた九州ブルートレイン最後の1往復も2009年3月のダイヤ改正で姿を消すことになります。

この時刻表には載っていませんが、東京〜大阪間には寝台急行『銀河』1往復がありました。
『ひかり』号でわずか3時間足らず(1991年当時)なのにわざわざ夜行寝台車で?と思われるでしょうが、当時はそれなりに愛用者がいたようです。

東京発着の九州行きブルトレの列車名は、ブルトレ廃止後に新幹線の愛称名として採用されることになります。
『さくら』と『みずほ』は九州新幹線に、『はやぶさ』は正反対の東北・北海道新幹線で採用されました。

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 上野から青森・北海道方面(JR時刻表1991年2月号より引用)

1988年に津軽海峡線が開業し、華々しく寝台特急『北斗星』が定期2往復、季節1往復でスタートしました。
車両はすべて国鉄の中古車両を改造したものでしたが、個室やロビーカーを連結したブルートレインは何もかも新しく、豪華個室のロイヤルや予約制フランス料理の食堂車など、鉄道ファンならずとも大いに話題になったものでした。

新制JRの象徴として、長らく斜陽だった寝台特急列車の起死回生として、明るい話題を振りまいた列車でもありました。
翌年には季節1往復も定期列車に格上げとなり『北斗星』は3往復体制が『カシオペア』登場まで続くことになります。

青森行きの『ゆうづる』『はくつる』は、元々青函連絡船を介して北海道内の特急へ連絡する列車でした。
北海道連絡の役割は『北斗星』に移ったわけですが、この頃は東北新幹線が盛岡止まり。
青森へも秋田へも、盛岡で乗り換えが必要だったことから、直通で行ける夜行寝台特急も重宝されていたのでしょう。

この時刻表には載ってませんが、夜行急行『八甲田』や『津軽』もまだ健在でした。

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 東京・上野・大阪から各方面(JR時刻表1991年2月号より引用)

『出雲』『瀬戸』『北陸』『出羽』『鳥海』『日本海』『つるぎ』『トワイライトエクスプレス』『あけぼの』。
こうして見ると、この当時は寝台特急列車だけで全国を旅行できたと言えますね。
逆に寝台特急が通っていない県を挙げると、高知県、徳島県、愛媛県、和歌山県、奈良県、三重県、長野県、山梨県、千葉県といったところ。
うち長野県と山梨県は夜行の急行がありましたし、和歌山県は普通列車の新宮夜行があったので、夜行列車もない県は6県となります。

北に目を転ずれば、東北方面が充実していますねえ。
上野から上越・羽越・奥羽線経由で青森行き『鳥海』、秋田行き『出羽』。
上野〜青森間奥羽線経由の『あけぼの』。この頃は山形新幹線工事のため山形は通らず陸羽東線経由となっていました。

大阪からは日本海縦貫線経由で青森・函館へ『日本海』2往復。
大阪〜札幌間は週4回運転の『トワイライトエクスプレス』。

上野や大阪から各線経由で集まる奥羽線の秋田〜青森間の特急は、午前中の下りと午後の上りは寝台特急くずればかり。
『あけぼの』などの下り列車に乗っていると、各駅から青森へ向かう地元客が、立席特急券で自由席のように乗ってきたものでした。

1991年当時は定期列車だけでも24往復48本もの列車が毎日全国へ向けて運転されてたんですね。
これら寝台特急列車の多くは2000年代に入ると利用者の減少、新幹線の延伸といったことを理由に次々と姿を消すこととなります。

この中で2022年の現在でも残っている列車は、『出雲』と『瀬戸』のみ。
電車化され『サンライズ出雲』『サンライズ瀬戸』と形は変わっていますが、1往復が東京〜岡山間併結運転で残っています。

 ★  ★  ★

こうして30年前の時刻表を眺めていると、寝台特急列車も全部とは言わないが、各系統に1往復くらい残っていても良かったんじゃないかと思えてきます。

新幹線が開業してもスピードアップしても、日本は旺盛な観光需要があるので、移動手段の多様化、寝台車の旅を楽しむというコンセプトで人気列車となっていた可能性もあります。
実際、『サンライズ』も人気がありますしね。

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 在りし日の上野駅13番線ホームの光景。(2006年撮影)

しかし、実際寝台列車の運行を続けるとなると、いろいろ壁が立ちふさがることになります。

一番は車両の老朽化

寝台特急列車のほとんどは国鉄時代に製造された24系25形という客車。
製造年は1974年〜1980年なので、2010年以降は全ての車両が製造から30年以上経過となります。
『北斗星』なんて晩年は車体一面ボロボロになった客車が運行していたのを覚えています。
客車は機関車が牽引するわけですが、この機関車の老朽化も客車以上に深刻でした。

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 1975年製DD51形機関車はこの時点で製造から40年。(2015年撮影)

じゃあ車両を新製するといっても、莫大な資金が必要となります。
仮に夜行列車1往復を毎日走らせるとなると、予備を含めて3編成が必要となりましょう。

しかも、1編成が運行できるのは片道のみ。昼間は車両基地でずっと休んでいるだけですからね。
1編成が1日に何往復もできる新幹線や在来線特急に比べて恐ろしく効率が悪い運用です。

もう一つの問題が、JRの会社間またがりの問題。

基本的に他社またがりの列車の運賃収入は、その運転距離によって各社に分配されるという決まりがあります。
東京〜博多間を運行する寝台特急列車の場合、各社への収入配分はこうなります。

JR東日本・・・9%
JR東海・・・29%
JR西日本・・・56%
JR九州・・・6%

例えば、JR九州が寝台列車を保有して博多から東京へ直通する列車を走らせるとしましょう。
でも、自分の会社には収入の6%しか入って来ません。
いくら観光需要とか看板列車とか言ってもこれではビジネスにならないでしょう。
収入割合が多い東海と西日本に協力を呼び掛けたところで、夜中に通過するだけの列車に投資してくれるとは思えません。

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 JR旅客会社境界図(JR時刻表1991年2月号より引用)

九州ブルートレインの廃止が早かったのはこの辺の事情が一番大きかったのでしょう。

1998年に客車列車だった『出雲』『瀬戸』を電車に置き換える形で登場した『サンライズ』はそんな問題を解決するべくJR西日本とJR東海の共同開発で生まれた列車です。
しかし後が続くことはありませんでした。

今はJR会社またがりだけでなく、新幹線の並行在来線として第三セクターとなった路線が増えたので、ますます複雑になってしまいました。

さらに、寝台特急列車は新制JR各社にとって扱いづらい存在と化すことになります。

分割民営化後にJR各社が力を注いだのは、新幹線や特急列車による都市間輸送、それと都市圏の通勤通学輸送でした。
当初は国鉄から無償譲与となった車両や施設で運行していた列車も、3〜4年後には新型車両投入やスピードアップ、増発などで利用者も大幅に増えるようになりました。

一方の寝台特急列車はというと、利用者は減る一方。
またスピードが遅い客車列車のため、スピードアップや増発した特急の足を引っ張る、朝ラッシュ時に到着する列車が通勤電車の邪魔になるなどの問題が出始めました。
利用者から見れば、車内設備が旧態依然、料金が高い、着く時間が遅すぎる(早すぎる)といった理由から敬遠されるようになります。
こんな寝台特急列車を尻目に急成長したのが夜行高速バスでした。

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 ブルートレインの標準だった2段式B寝台車。(2013年撮影)

競争力向上のために寝台特急列車のサービス向上をしたいところですが、JR各社も特急列車のスピードアップや通勤通学列車の増発が優先課題で、どうしても後回しにならざるを得ません。
ましてや他社またがりのため、ダイヤや車両の変更もいちいち他社間で調整が必要という面倒な存在でもあり、悩ましい存在でもあったでしょう。

一方の東北ブルートレインはJR東日本の自社内で完結してますし、北海道へはJR北海道との調整で済んだので割と遅くまで残っていたのだと思われます。

『北斗星』『カシオペア』『トワイライトエクスプレス』といった北海道直通列車は観光客の利用が主だったこと、根強いファンがいたことなどから、九州ブルートレイン全廃後も残っていました。
食堂車も営業し、晩年の九州ブルトレのような見すぼらしい姿にもならず、今後も安泰かと思われました。

これも2016年の北海道新幹線開業を機に、車両の老朽化や青函トンネル区間専用の機関車を新製する必要があるといった理由から、すべて姿を消すこととなります。
JR北海道としても経営難の中、寝台特急よりも北海道新幹線にリソースを割かざるを得なかったこともあるでしょう。

 ★  ★  ★

国鉄から無償で引き継いだ寝台特急列車。
当初は車両の改造だけで済んだので初期投資も少なく、円満に運行継続したかのように見えましたが、地域密着を目指したJR各社独自の経営努力が実り始めると、全国一元時代から引き継いだ旧態依然の寝台特急列車は、予期もせずお荷物と化してゆくことになりました。

以上の理由から現状のJR各会社の経営による運行継続は無理だったと言えます。

そんな寝台特急列車ですが、ビジネスとして存続する方法は1つだけあったと思われます。
1987年に全国一元だった国鉄が分割民営化され、6つの旅客会社と1つの貨物会社に分かれたわけですが、この時にもう1つ寝台特急列車を運行する旅客鉄道を立ち上げれば良かったのかもしれません。

JR貨物と同じように自社の線路を持たず、各旅客会社に線路使用料を払って運行するというもの。
独自の運賃体系にして、飛行機みたいにシーズンや購入時期で料金を別にしたり。
別にこんなのは世界的に見れば珍しいことではありません。

例えば米国では鉄道は全て私鉄が保有していて、その私鉄は基本的に貨物鉄道会社となっている。
旅客列車は政府が出資した『アムトラック』が貨物鉄道会社に線路使用料を払って運行しています。

ヨーロッパでも寝台列車は旅客鉄道会社とは別の会社によって運行していることが多いですね。

DSCN5051.JPG
 シカゴ〜サンフランシスコ間の時刻表(AMTRAK Timetable2014より引用)

それと同じように、車両の保有と維持管理、列車の運行だけ行うというもの。
名前は『JR全日本』とでもなるのかな。

そんな風になっていれば、全国に走っていた寝台特急列車も残っていたのかも知れませんね。
JR貨物と同じように自社は車両と乗務員だけ自前で、JR各社にはアボイダブルコストのみ負担するだけなのだからコストも低く抑えられる。

初めからJR貨物が寝台特急も運行すれば良かったんじゃないか。
貨物だけに限らず、JR他社またがりの列車運行の会社とすれば良かったんじゃ・・・

今となっては、もし(if)の話なのでいくらでもできそうです。

今さらどうしようもないことは重々承知していますが・・・

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 22/07/17 | Comment(0) | 鉄道評論

鉄道連絡船復活は並行在来線問題の切り札となるのか

 ◆ 北海道新幹線の並行在来線問題

小樽〜余市間でもだめだったか、というのが正直な感想。

 *どうしん電子版 2022/3/27
  並行在来線 長万部―小樽廃線へ バス転換合意 27日決定*

2030年度末に予定されている北海道新幹線札幌開業と引き換えにJR北海道から経営分離される並行在来線のうち、長万部〜余市間についてはバス転換が決定していたが、残る余市〜小樽間もバス転換にほぼ決定した模様です。
これで北海道新幹線並行在来線対策協議会のうち、後志ブロックについては結論が出たことになります。

P8130060.JPG
 日中でも利用者が多かった余市駅。これもバス転換になる。

今後は渡島ブロックになる函館〜長万部間についての協議に移るのでしょう。
函館〜長万部間は貨物列車のルートとなっているために物流だけではなく北海道経済にとっても影響が大きいために、旅客輸送が赤字なので鉄道は廃止しますと簡単にはいかないでしょうね。
このあたりの事情は前記事に書いたのでそちらをご覧ください。


渡島ブロック構成員のうち、長万部町はすでにバス転換支持を表明しています。
残る沿線自治体は函館市、七飯町、森町、八雲町。

現在のところ直近で開催された第8回渡島ブロック会議(令和3年4月26日)を見ると、函館〜長万部間については次の3案が検討されているようです。

1,第三セクター鉄道(函館〜長万部間鉄道)
2,バス転換
3,三セク+バス転換(函館〜新函館北斗間鉄道、新函館北斗〜長万部バス)

山線唯一の希望だった余市〜小樽間までもがバス転換合意となってしまったので、どの自治体も鉄路存続には今まで以上に慎重にならざるを得ないでしょう。
このままの流れで沿線自治体だけの存廃議論だけで道や国が介入しないとなると、少なくとも新函館北斗〜長万部間もバス転換になり鉄道も廃止されてしまいそうな勢いです。

検討案にはありませんが、仮に貨物専用の三セクとしても、沿線で貨物取扱駅があるのは函館市だけで、残りは貨物列車が通過するだけでは何の恩恵も無しということでは沿線自治体からの投資も期待できません。

この区間の物流となると北海道経済の問題となるので、道と道内の経済団体の出資して三セクの鉄道保有会社を立ち上げ、運営はJR貨物ということになるのが一番現実的でしょう。

どういう形であれ、もし貨物専用鉄道として運営するとなると今までの協議はご破算にして、また別なスキームを立ち上げる必要があります。

DSCN6525.JPG
 新函館駅を発車するはやぶさ号。新幹線への期待は大きいが、代償もまた大きい。

今の流れでは、沿線自治体がバス転換という結論を出して鉄道を廃止するということもありうるわけで、じゃあ、この区間の鉄路存続を断念。在来線の線路が無くなった場合、鉄道貨物輸送ははどうなるのでしょうか。
この場合考えられるのは次の3点になりましょう。

1,新函館北斗〜長万部間を新幹線と貨物共用とする

2,貨物列車の北限は函館貨物駅とし、それ以外の貨物はフェリー+トラックで代替する

3,青森〜室蘭または苫小牧間に鉄道連絡船を就航して貨物列車を航送する

は札幌までの延伸区間はトンネルばかりなので、青函共用区間問題と同様に最高速度が160kmとなって新幹線の効果が薄くなってしまうという大きな問題が起こります。

はフェリーはともかくトラックとドライバーの確保が困難。またフェリーから積み下ろしたコンテナはトラックで各地に向かうことになり、それが再び列車で運ぶことは考えられないので、JR貨物の駅は函館貨物駅だけ残してあとはオフレールステーション(トラック代行のコンテナ基地)となることでしょう。

は突拍子のない発想ですが、過去には青函連絡船で貨車航送を行っていたし、意外と現実味はあるのかもしれません。
それに、青函トンネル区間から貨物列車が激減することで、現在海峡線内での新幹線の最高速度が160km/hに抑えられているという青函トンネル共用走行問題も解決することになります。

実際、鉄道連絡船経由での貨物列車運行となるとどのようなものになるのでしょうか。
『東洋経済』あたりでよく目にする鉄道連絡船復活論。
それが現実的なのか、また復活するとなるとどのようなダイヤになるのか。

前置きが長くなりましたが、この記事のタイトルである『鉄道連絡船復活は並行在来線問題の切り札となるのか』について検証してみたいと思います。


 ◆ 青函連絡船時代の貨車航送

その前に、津軽海峡線開業の1988年3月13日まで運航されていた青函連絡船の貨車航送についておさらいしてみることにします。

懐かしいですね、青函連絡船。
私は3回しか乗ったことはありませんが、それでも懐かしく当時の記憶が蘇ります。
こんな郷愁を誘うのは、もう40歳代も半ば以上の人でしょうけれど。

DSCN6016.JPG
 青函連絡船のイメージ(連絡船廃止記念の下敷きより)

残念ながら現役当時の写真は持っていないので、廃止前に記念に買った下敷きの画像を貼ってみました。

で、青函連絡船のおさらいです。
連絡船の本数は、国鉄最後の1986年11月のダイヤ改正の時刻表を見ると、臨時便を含めて下り10本、上り9本となっています。

青函連絡船時刻表 1986.11.1改正
下り 青森→函館 上り 函館→青森
便青森発函館着 便函館発青森着
◆1010:054:00 ◆1020:104:05
10:304:25 20:404:30
215:259:15 ◆1702:406:35
237:3011:20 47:2011:15
◆1539:5013:40 610:1014:05
2510:1014:05 812:1516:10
312:1016:05 2015:0018:55
515:0018:50 2217:0020:55
717:0520:55 2419:4523:35
919:5023:45    
 ◆=臨時便
(1986年11月の時刻表から筆者作成)

時刻表に掲載されている便は旅客扱いしている便だけで、意外と知られていませんが、それ以外にも貨物便が運航されていました。客貨船と貨物船合わせると、1日19往復もの便が運航していました。
別な見方をすれば、全運航本数のうち約半分しか旅客扱をしていなかったことになります。
だから青函連絡船の主な役目は貨物列車を航送することで、その中の一部の便で旅客輸送もしていたとも言えます。

下は昭和61年11月発行貨物時刻表から作成した青函連絡船の時刻表です。

青函航路の貨物時刻表(下り)1986.11.1改正
継承列車(本州側)青函航路継送列車(北海道側)
列車番号始発駅時刻青森着便番号青森発函館着函館発終着駅時刻
4091梅田  1:26*22:121010:054:005:1310:43 札幌(タ
951東青森 22:5623:0910:304:25  
3051隅田川 15:151:251712:356:257:3112:35 札幌(タ
◆8553梅田 11:501:05◆80613:107:008:2314:38 札幌(タ
5161飯田町  5:013:091515:008:5010:2520:27 札幌(タ
4097沼垂 17:10*3:25215:259:1510:5116:24 札幌(タ
3067宮城野 23:486:19237:3011:2012:4018:06 札幌(タ
◆8153隅田川 17:337:02◆80638:1512:0513:0618:12 札幌(タ
3061東京(タ 11:058:361539:5013:4015:2621:56 札幌(タ
3053隅田川 20:438:142510:1014:0515:2020:34 札幌(タ
3063越谷(タ 21:3921:39312:1016:0517:1822:28 札幌(タ
151隅田川 21:1611:265112:4016:3518:130:40 札幌(タ
3065隅田川  0:2013:1015514:3018:2019:431:17 札幌(タ
3081小名木川 22:3213:37515:0018:5020:041:32 札幌(タ
4093大阪(タ 19:22*14:06717:0520:5522:104:03 札幌(タ
4087名古屋(タ 22:5118:0815719:2023:150:355:40 札幌(タ
551梅田 21:47*17:50919:5023:451:046:16 札幌(タ
4079西浜松 20:4419:4717321:551:453:058:18 札幌(タ
4095四日市 17:1420:555322:202:103:328:44 札幌(タ

青函航路の貨物時刻表(上り)1986.11.1改正
継承列車(北海道側)青函航路継送列車(本州側)
列車番号始発駅時刻函館着便番号函館発青森着青森発終着駅時刻
3060札幌(タ 17:5423:001020:104:055:5721:24 東京(タ
950  20:404:307:057:19 東青森
554札幌(タ 19:371:211702:406:35*9:0711:55 四日市
3068北旭川 18:091:28503:057:058:1521:14 隅田川
550札幌(タ 21:353:401504:558:50*11:0711:59 浪速
3052釧路(操 17:244:031605:209:1510:2420:35 隅田川 
3064札幌(タ  0:015:5847:2011:1512:380:16 隅田川
◆8152札幌(タ  0:556:28◆80627:5511:4513:1012:13 隅田川
4092札幌(タ  2:538:141529:4513:35*15:08
9:10 大阪(タ
3080札幌(タ  3:158:57610:1014:0515:284:53 小名木川
3062札幌(タ  4:5511:00812:1516:1017:324:56 越谷(タ
4096札幌(タ  6:5412:5515414:3518:25*20:275:49 沼垂
556札幌(タ  6:3013:362015:0018:55*20:3515:34 梅田
5160苫小牧(操 5:1014:542217:0020:5522:0814:24 飯田町
150苫小牧 10:5015:535217:3021:2022:3514:06 小名木川
3066札幌(タ 12:3618:0015619:1523:100:498:11 宮城野 
156札幌(タ 13:0918:232419:4523:350:2022:39 名古屋(タ
3050札幌(タ 15:3220:3917221:501:402:5912:54 隅田川
◆8552札幌(タ 15:0821:05◆806422:20
2:15
3:307:34 梅田
 ◆=臨時便、*=青森操車場発着時刻
(昭和61年11月ダイヤ改正貨物時刻表から筆者作成)

この頃の貨物列車は既にほとんどの列車が主にコンテナ列車による拠点間の輸送に切り替わっていて、本州と北海道を直通する列車は両側とも列車番号が同じで、1本の貨物列車が連絡船1隻を介して本州と北海道を結んでいました。

青函連絡船時代のダイヤで、試しに下り3051列車の場合の青森到着から函館発車までの時刻を見てみましょう。
この列車は隅田川〜札幌貨物ターミナル間を21時間20分で結ぶ、同区間の貨物列車としては当時最速だった列車です。

 1:25、青森に3051列車到着。
 1:40、1岸に172便が到着、搭載していた上り3050列車を車両甲板から降ろす。

続いて3051列車を4分割して車両甲板に積み込む。
貨車積みが終わると貨車に緊締具を付けて船体に貨車を固定する。
これら貨車の積み下ろし作業の所要時間は通常30〜40分程度だったようだ。

 2:35、171便として青森出港。
 6:25、函館の2岸に入港。

171便の車両甲板から4分割されていた列車を積み下ろして1本の列車にする。

 7:31、北海道側3051列車として札幌へ向けて発車。

3051列車が青森に着いてから連絡船で航送され、函館駅を発車するまでの所要時間は6時間6分となります。
これが現在の青函トンネル経由だと青森信号場〜五稜郭間で2時間49分にまで短縮されているわけですから、貨物列車にとっても青函トンネル効果は大きかったわけですね。

この流れで見ると、連絡船出港の1時間10分前に本州側の貨物列車が到着し、函館入港の1時間6分後に発車していることになります。
列車と連絡船の接続時間は1時間程度と考えられます。

これを踏まえて、貨物列車の新・連絡船ルートをシミュレーションしてみることにしましょう。


 ◆ 新・連絡船による貨物列車輸送をシミュレーションする

まずは本州側と北海道側の連絡船桟橋をどこに設けるか。
いろいろ検討案はあるようですが、とりあえず本州側は青森北海道側は苫小牧とします。
この両市のどこに設けるかというのは別の議題にするとして、とにかく青森〜苫小牧間に新・連絡船を就航するものとします。

161125.jpg
 現在の貨物列車のルートと新・連絡船ルートの比較(地理院地図より筆者作成)

連絡船の所要時間は、八戸〜苫小牧間のシルバーフェリーを参考にすると、北行きが7時間15分、南行きが7時間30分で結んでいいます。
地図上で測ってみると、青森〜苫小牧間もシルバーフェリーとほぼ同じ距離なので、所要時間も同じくらいと考えて良さそうです。

過去には東日本フェリーが青森〜室蘭間に就航していて、その所要時間は北行きが6時間30分、南行きが7時間となっていました。
北行きと南行きで所要時間が大きく異なるのは津軽海峡の潮流の影響でしょう。
これで考えれば、青森〜苫小牧間連絡船の所要時間は北行き(下り)7時間南行き(上り)7時間30分といったところでしょうか。

で、現在の鉄道ルートでの青森〜苫小牧間の所要時間を2021年発行の貨物時刻表で見てみましょう。
これは青森信号場の到着時刻と苫小牧貨物駅の発車時刻の差分としました。

これを下り列車の場合で同区間の所要時間を定期列車だけで見ると、最短が仙台(タ)発札幌(タ)行きの2051列車で6時間25分、最大は東京(タ)発札幌(タ)行き6095列車で9時間17分となっています。

定期列車19本の平均は7時間34分。
列車によってばらつきがあるのは、五稜郭駅での機回しや解放・連結作業、単線区間での交換待ち、新幹線の通過待ちなどから発生する時間と思われます。

ここで、貨物列車のうち一番本数が多い区間の隅田川〜札幌貨物ターミナル間を最速で結ぶ3057列車が、新・連絡船ルートになるとどれくらい時間が変わるのかを比較してみましょう。
先に述べた通り、列車と連絡船の接続時間は1時間、連絡船の所要時間は下り7時間とします。

現行の3057列車の場合16時間55分。
駅名隅田川青森着青森発苫小牧札幌タ
3057列車17:022:473:039:129:57

連絡船経由とした場合19時間58分。
 鉄道連絡船鉄道
駅名隅田川青森着青森発苫小牧着苫小牧発札幌タ
3057列車17:022:474:0011:0012:0013:00

隅田川駅を17:02に発車した3057列車を現行のダイヤでの時刻と、青森〜苫小牧間を連絡船経由としたシミュレーションを比較してみるとこうなりました。
最速列車3057列車の場合で、現行よりも約3時間所要時間が延びることになります。

ただ、これは最速列車で比較した場合で、隅田川〜札幌貨物ターミナル間の所要時間は現行の定期列車の最長が19時間23分、臨時列車に至っては20時間を超える列車もあり、必ずしもスピードを身上としない貨物列車であれば意外とアリなのかもしれませんね。
ダイヤだけ見れば新・連絡船案は頭ごなしに却下する案でもなさそうです。

次に新・連絡船は1日当たり何本運航することになるのでしょうか。
現在の本州〜北海道間の貨物列車の本数は臨時列車も含めると下りが26本、上りが25本となっています。
一応青函連絡船時代に倣って1列車1便とし、現在の運行本数を確保するとなると、これが新・連絡船の本数となります。

ざっくりとですが、連絡船1隻が青森〜苫小牧間を1日1.5往復することになるでしょう。仮に1日26往復設定すると考えると計算上必要な船は18隻ということになります。
また、青函連絡船時代は1隻でコキ17両を航送していましたが、現在の貨物列車は最長20両編成。
さらに1周り大型の船になりそうです。
1便で貨物列車2列車分運べば必要な船の数は半分になりますが、それとて巨大船が必要になります。

さらに、鉄道の車両航送という特殊な船体の大型船を18隻(あるいは9隻)新造しなければなりません。
貨車の積み下ろしのための専用岸壁を設ける必要もあるし、なにより大型船が発着する埠頭を作ってそこまでの貨物線も建設する必要が出てきます。

DSCN0574.JPG
 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の車両甲板と保存車両。

まあ、巨額の初期投資が必要になることは間違いないでしょう。

それに、貨物列車が新・連絡船ルートで青森〜苫小牧間をスルーするとなると、青森〜函館間の貨物列車は1日1〜2往復程度で十分ということになります。
そうなると道南いさりび鉄道に入るJR貨物からの線路使用料は激減するでしょうから、同社の経営自体も危うくなりかねないことになります。
(道南いさりび鉄道の収入のうち9割はJR貨物からの線路使用料といわれる)

また、線路使用料が期待できなくなると、新幹線アクセス鉄道となる函館〜新函館北斗間の鉄道存続も困難となってしまうでしょう。
下手をすると渡島半島から新幹線以外の鉄道が消滅することも考えられます。


 ◆ 函館〜長万部間並行在来線問題の結論

新・連絡船案は、青函共用走行問題が解決するのが一番のメリットですが、それ以外の代償が大きすぎます。

また、1988年に鉄道の車両航送が廃止されてからすでに34年もの年月が過ぎています。
当時の技術を伝えられる人も高齢化していることから、一から人員を養成する必要も出てきます。

そこまでするくらいならば、十分に使える既存の鉄道に貨物列車を走らせた方が早いし安い。
というわけで、新・連絡船案はまず無いものと考えてよさそうです

DSCN0518.JPG
 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸と青森桟橋可動橋跡。

ところで、鉄道連絡船復活と聞くと、ちょっと心がときめくのは筆者だけはないでしょうね。
オールドファンとしては、かつての青函連絡船の旅情やロマンの再来を期待したいところです。
しかし、仮に連絡船が復活したとしても、それは貨物専用としての航路となる可能性が高いです。

旅客輸送をするとなると、それはそれでまた追加投資や旅客のための人員が必要となるし、既存の民間航路との競合も発生するわけであり難しいところでしょう。

また、岸壁での航送車両の積み下ろし作業も、人手に頼った青函連絡船時代とは違って、多くの作業がオートメーション化され無人で行われることでしょう。
仮に新・連絡船が就航しても、青函連絡船とは似ても似つかぬ桟橋風景となりそうです。

結論として、函館〜長万部間の並行在来線問題については以下の2択が考えられます。

1,新函館北斗(あるいは五稜郭)〜長万部間は何らかの形で貨物専用鉄道として存続する。

2,新函館北斗(あるいは五稜郭)〜長万部間の鉄道は廃止して、フェリー+トラックによる貨物輸送を新たに構築する。

いずれにしても前例のないことだし、は資金調達の面から、はトラックドライバー不足の面から難航しそうです。

あっさりとバス転換が決まった山線の長万部〜小樽間と違って、函館〜長万部間の存廃協議は一筋縄ではいかないことはお分かり頂けたと思います。

新幹線札幌開業まであと9年を切ったいま、残された時間は多くありません。

新函館北斗〜長万部間の並行在来線問題は、少なくとも鉄道による旅客輸送と沿線自治体からの投資はあきらめて、貨物専用鉄道への転換とするスキームを早々に立ち上げた方が良いのではないかというのが筆者なりの結論となりました。

 最後までお読みいただきましてありがとうございました。

  【参考文献】
 昭和61年11月改正貨物時刻表(社団法人鉄道貨物協会)
 2021年3月ダイヤ改正貨物時刻表(公益財団法人鉄道貨物協会)
 青函連絡船物語 大神隆著(交通新聞社)
 東洋経済オンライン

posted by pupupukaya at 22/03/27 | Comment(0) | 鉄道評論

北海道新幹線並行在来線 函館〜長万部間は存続できるのか

前回のつづき

森〜長万部間あるいは新函館北斗〜長万部間、この鉄道が廃止されるとどうなるのか考えてみよう。

普通列車利用客と一部の特急利用客は代替バスに移行ということになる。
廃止となっても一部の区間を除いては函館バスによる既存の路線バスがカバーしているので、それらの増強で対処できるだろう。

しかし、ここで深刻な問題が発生する。
それは貨物列車の存在。

函館線の五稜郭〜長万部間の貨物列車は、臨時便を含めると1日当たり上下51本も運行されている(少し古いが2013年ダイヤから)。
2017年度の道内〜道外間の年間輸送量は鉄道が4,534千トンとなっている。

もしこの区間の鉄路が廃止され、本州の貨物列車は函館以北へ運行できなくなったらどうなるのだろうか。

それまで札幌・旭川・道東まで直通だったのが、函館で列車からトラックへコンテナを積みかえる必要が出てくる。
例えば道内の貨物列車最長の20両編成が積むコンテナの数は最大100個。
これをトラック輸送するとなると、4個積みのコンテナフルトレーラーでも25台必要な計算だ。
それを函館から札幌までだと、距離にして250km以上(道央道+国道230号の場合)も運転して運ぶのだ。

co2削減が叫ばれているこの時代に大量のトラックを増やすことになる。
いや、それよりも大量のトラックドライバーを確保できるのだろうか。
(その頃には自動運転が実用化されている可能性はあるが)

そんな輸送方法など現実的ではなく、それまで鉄道輸送だった貨物の多くは間違いなく船便+トラックにシフトするだろう。
陸送の大量輸送機関を失うわけだから、北海道経済も大きく影響を受ける。
特に道内産の農産物の道外への移出量のうち鉄道のシェアは高く30%を占めている。
中でも米は40%、玉ねぎは何と70%が鉄道で輸送されている(JR貨物HPより)。
鉄道よりも時間がかかる船便にシフトし、輸送コストも上がるとなると、道内産の農作物が海外産に対して不利ということも起こりうる。

だけど影響は物流だけに留まらない。
例えば『道南いさりび鉄道』は貨物列車の線路使用料に依存する収入の多くを失うことになる。
JR貨物も、北海道内発着分の貨物輸送の大部分を奪われることになり、それに係る資産の多くを放棄しなくてはならない。
レッドベアの愛称で呼ばれるDF200型機関車も、多くは不要となってしまう。

DSCN4446.JPG
 函館本線を走る貨物列車。今はなき鷲ノ巣駅にて。

物流にとってまさに生命線と言える函館〜長万部間は、とても採算性だけで鉄路の存廃を決められる区間ではないのだ。
北海道経済のみならず日本の食糧事情にも大きく関わってくると言っても過言ではない。
沿線自治体が鉄道存続を断念した場合でも、国策として何らかの形で貨物専用鉄道として存続させる必要がある。

しかしそんなことは可能なのだろうか?



 ◆ 貨物専用鉄道の可能性を考える

新幹線が開業してJRから経営分離されて第三セクター鉄道となった路線は全国に8路線ある。
その8路線に共通することは、JR貨物の貨物列車が運行されていること。
また、貨物列車が通ることによって、受け取る線路使用料が結構大きいために経営が成り立っている面もある。

例えば道南いさりび鉄道のホームページにある事業報告書からその数字を見てみよう。
第5期(平成30年4月1日〜平成31年3月31日)事業報告書(貸借対照表・損益計算書)から鉄道事業の営業収入と営業費を抜き出してみる。

鉄道事業(2018年度)
 営業収益 1,615,462千円
 営業費  1,779,251千円

このうち、営業収益の内訳を知りたいのだが、事業報告書やホームページ内に営業収益の内訳までの記載はなかった。
代わりに国土交通省の鉄道統計年報[平成30年度]から数字を拾ってみる。
営業収益と営業費の額が一致するので同年度のもので間違いない。
それをExcelで円グラフにしたのがこちら。

151741.jpg
 道南いさりび鉄道 2018年度の営業収益の内訳(鉄道統計年報より作成)

線路使用料とは文字通りJR貨物からの線路使用料で、これには『貨物調整金』も含まれている。

線路使用料に含まれる貨物調整金とは何かというと、並行在来線として第三セクターとなった鉄道が、今まで通りのJR貨物からの使用料だけでは経営が成り立たないために、鉄道・運輸機構が補助金として交付しているもの。
(詳しくはググってください)

この線路使用料収入が、鉄道事業収益の89%を占めている。
対して旅客収入の割合はたったの8%
運輸雑収とは広告掲載料やグッズの売上、函館〜五稜郭間におけるJR北海道からの車両使用料も含まれていると思われる。
しかし、それを合計しても11%でしかない。

道南いさりび鉄道が自社の営業努力で稼いでいる収入は、全体の約1割でしかない。
9割はJR貨物の営業によって入って来る線路使用料だ。
収益の内訳だけ見れば、ある意味サブスクで成り立っている企業ともいえる。


今度は道南いさりび鉄道の営業費の内訳を見てみる。
下の表は鉄道統計年報から作成した同社の営業費の内訳。

 道南いさりび鉄道
営業費内訳(2018年度)
費用内訳千円
線路保存費646,028
電路保存費487,455
車両保存費99,370
運転費102,695
運輸費27,485
保守管理費7,955
輸送管理費133,086
その他営業費110,133
減価償却費141,018
諸税24,027
合計1,779,252

道南いさりび鉄道の旅客列車は上下合わせて36本運転されているが、そのほとんどが1両のワンマン列車で、駅も全駅無人駅となっている。
それに対して貨物列車は定期列車だけでも1日50本近くが走る貨物の大動脈だ。
全列車が電気機関車けん引、電化設備は100%貨物列車が使用。軌道への影響も1両ワンマン列車の比ではない。
線路の維持管理費用のうち、多くは貨物列車のためにかかっている費用といえよう。

試しに多くは貨物列車運行のためにかかっていると思われる、線路保存費電路保存費保守管理費輸送管理費減価償却費の合計を出すと1,415,542千円となる。
収入のうち線路使用料が1,434,562千円なので、貨物列車のためにかかっている費用は線路使用料でカバーされていることになる。

車両保存費運転費運輸費は旅客列車の車両の維持管理や運転に係る人件費、動力費だ。
この3つを合計すると229,550千円。旅客収入が137,096千円なので、単純計算で92,454千円の赤字。

要は 旅客営業をするだけ損 ということになる。

単純に数字を見た限りの結論は、

旅客列車を走らせずに貨物調整金を含んだ線路使用料だけ受けとって、鉄道保有会社としていた方が会社としては健全
と言わざるを得ない。

ここでは道南いさりび鉄道の例を挙げたが、並行在来線の三セク鉄道はどこも似たり寄ったりだ。
下の表は鉄道統計年報から作成した2018年度の並行在来線8社の鉄道事業収益の内訳になる。

2018年度並行在来線三セク8社の鉄道事業収益内訳 (千円)
路線名旅客収入線路使用料運輸雑収
道南いさりび鉄道137,0968%1,434,56289%43,8043%
青い森鉄道(青森県)1,422,73222%*4,022,12063%905,89314%
IGRいわて銀河鉄道1,246,84228%2,602,50159%585,47813%
しなの鉄道3,133,73870%488,07311%872,90719%
えちごトキめき鉄道706,94619%2,394,51565%567,09415%
あいの風とやま鉄道2,951,87953%1,922,03734%719,54813%
IRいしかわ鉄道1,252,16052%498,92021%678,16528%
肥薩おれんじ鉄道352,15220%989,52957%382,70122%
 * 青い森鉄道は上下分離方式のため使用料は所有者の青森県に行く。

どの鉄道も線路使用料のウエイトが高いのがわかる。逆に低いところは旅客収入が多いというより、旅客列車の方が多く運転されており、貨物列車のための費用のウエイトが低いということだろう。
どの会社も線路使用料が収入の柱となっていることがわかる。

仮に函館〜長万部間の線路が無くなったら北海道直通の貨物列車が激減することになり、これら三セク鉄道も大きく影響を受けることになるだろう。
『青い森鉄道』や『IGRいわて銀河鉄道』も、線路使用料に大きく依存しているため、もしかしたら会社存続の危機ということになりかねない。

一方で、貨物は新幹線と共用すればいいとする説もあるようだ。
しかし青函共用問題がまだ解決していないように、貨物列車と新幹線が同一の線路を走るとなると、新幹線が大幅にスピードダウンしてしまう。
新函館北斗〜札幌間の新幹線区間のほとんどがトンネル区間だ。

いっそのこと貨物新幹線にするか・・・
これだと余裕がある仙台以北は貨物新幹線が走る余裕がありそうだが、仙台以南はちょっとダイヤ的に無理そうだ。
それに在来線直通ができないので、途中でコンテナを積み替える作業が必要となる。
新在直通の貨物新幹線車両を今から開発する・・・?

DSCN2904.JPG
 上磯駅と『ながまれ号』。奥は通過する貨物列車。

道南いさりび鉄道の例を見るように、貨物調整金を合わせたJR貨物からの線路使用料は、貨物列車が存在するが故の費用を、ほぼ全額カバーしてくれる制度なのである。
ヘタに旅客輸送など行わない方が企業経営としては健全という結論になる。

そんなわけで、新函館北斗〜長万部間、あるいは森〜長万部間は、全国初の貨物専用線の並行在来線となる可能性が高い

DSCN9378.JPG
 オーストラリアのとある駅跡。人口希薄地帯のため現在は貨物専用鉄道となっている。

貨物専用線自体が日本では珍しいが、海外では普通にある。
沿線人口が希薄で旅客列車を仕立てるほどの需要は無い路線。こんな鉄道は貨物専用となって、旅客輸送はバスが担当している。

とはいえ、貨物専用の並行在来線三セクなど日本では前例がなく、旅客輸送に傾倒している日本の鉄道からすると異例の鉄道となることは間違いない。

  ★  ★  ★

北海道新幹線の並行在来線のうち、今の流れでは長万部〜余市間は早いうちにバス転換が決定しそうだ。
今のところ表立った動きの見られない函館〜長万部間をどうするかはこれから議論が活発になるだろう。

旅客輸送も含めた経営にするのか、貨物専用とするのか。

僅かな利用客のために旅客列車車両を保有したり、駅その他の施設に多大な経費を計上するのは現実的ではない。
かといって貨物専用鉄道を選択しても、どこが経営(あるいは出資)するかという問題も出てくる。

道南いさりび鉄道の路線に加わるのか、あるいは貨物専用鉄道として北海道とJR貨物が出資した三セク会社を立ち上げるのか。国がどういう形で関わってくるのか。

その動向は来年(2022年)以降大きく注目したいところだ。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 21/12/30 | Comment(0) | 鉄道評論

北海道新幹線の並行在来線問題を考える

2030年度の札幌延伸開業を目指して工事中の北海道新幹線。
山の中ではあちこちでトンネル工事が行われているほか、倶知安駅では新幹線駅建設のためホームの移転工事が行われた。
新幹線延伸開業に向けた札幌駅周辺の再開発工事も、来年には本格化することになっている。

その一方で、並行在来線となる函館本線の函館〜小樽間は新幹線開業と同時にJR北海道から経営分離されることも決まっている。

函館〜長万部〜小樽の区間は並行在来線としてJR北海道から経営が分離されることになっている。
道や沿線自治体が出資する第三セクター方式による鉄道存続か、バス転換のいずれかを選択しなければならない。

新幹線開業まで10年を切った今、その選択についての動きが出てきたようだ。
今回は北海道新幹線の並行在来線問題をいろいろ考えてみたいと思います。

まずは『どうしん電子版』の記事から。

  北海道新聞,どうしん電子版 12/28 05:00

記事の内容は、12月27日に行われた北海道と沿線9市町で構成する北海道新幹線並行在来線対策協議会 後志ブロック会議で、4町がバス転換支持を表明したというもの。

61746.jpg
 北海道新聞,どうしん電子版、上記記事より画像引用。

これによると沿線9市町村のうち、仁木町、共和町、倶知安町、長万部町の4町がバス転換支持している。
余市町だけが余市〜小樽間の存続、残りの4市町が判断を保留としている。

“態度を保留した各自治体にも、鉄路を維持した場合の巨額の赤字問題がのしかかり、最終判断を迫られつつある。”
 〜同記事より引用

これを見て、時代も変わったなあ・・・と思った。

一昔前であれば、沿線自治体は鉄道存続ありきを主張し、廃止反対運動くらいは起こったことだろう。
判断を保留としている市町もあるが、この流れではあっさりとバス転換に決まりそうだ。

駅を廃止するにしても以前ならば物議を醸したものだが、来年ダイヤ改正(2022年3月12日)で7駅の廃止が決まっているが、特に反対運動のようなものは無かったようだ。
そりゃそうで、以前ならば公共の福祉を盾に反対していればよかったものが、今は存続希望ならそれ相応の費用を負担しなければならなくなったからだ。

これは並行在来線問題にしても同じで、僅かな利用者のために多額の赤字を負担しなければならない鉄道よりも、赤字が少なくてきめ細やかな輸送ができるバスに転換した方がはるかに合理的だ。

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 草生したホームと線路、やって来るのは上下9本の気動車だけ。黒松内駅で。

一方であまり動きが伝えられてこないのが函館本線の函館〜長万部間
並行在来線対策協議会のうち、こちらは沿線7市町で渡島ブロックとして構成されている。

この区間は現在特急『北斗』のほか、本州と道内を結ぶ貨物列車が多数走っている路線だ。
普通列車では、函館市内と新函館北斗を結ぶ新幹線アクセス列車『はこだてライナー』のほか、函館への通勤通学輸送がそれなりに多い路線でもある。

函館〜長万部間については第三セクター化による鉄道存続は確実とも取れるが、果たしてそうなのだろうか。
それを実際に数字とグラフで見てみよう。

以降のグラフや表は、『第7回渡島ブロック会議(令和2年8月25日)資料1』のデータから筆者が作成したものです。

まずは函館線 函館〜森間の駅間別乗車人員のうち普通列車(快速も含む)のみ抜き出したものをExcelでグラフにしてみた。

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 函館線 函館〜森間 主な駅間別普通列車の乗車人員
 ※大沼〜森間は駒ヶ岳〜森、東森〜森の2区間合計。

駅間の乗車人員で一番多い区間が五稜郭〜桔梗間で、上下合わせて2,940人の利用がある。
七飯〜新函館北斗間1,904人
ここまでが函館の通勤通学客と『はこだてライナーの』の利用者が大半を占める。
函館〜新函館北斗に限れば、輸送密度は4,261人/日(2018年度)となっている。
特急利用者が新幹線にシフトする2030年度の輸送密度は5,592人/日と試算されている。

 ※駅間別乗車人員に比べて多が、函館〜五稜郭間の道南いさりび鉄道からの入込みも含まれていると思われる。

国鉄時代に制定された廃止対象となる特定地方交通線が輸送密度4,000人/日未満だから、それで行けば時刻表の路線図で青線表示される地方交通線として存続していたほどのレベルだ。

これをバス転換するとなると逆に大変だろう。
1列車の乗客をバス数台で運ぶことになる。
また、新幹線のシャトル列車が無くなることによって、ただでさえ函館市内から遠い新幹線へのアクセスが悪くなり、新幹線の優位性が大きく損なわれることになる。

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 新函館北斗〜函館間を15分で結ぶはこだてライナー。

新函館北斗からは利用者は1/3以下にまで大きく減る。大沼でさらに半分以下になる。
森までは209人。鉄道として存続するにはちょっと厳しい数字だ。
ただ、函館から大沼公園と森までは、新幹線開業後は特急からの転移があるので若干の増加は望める。
大沼や駒ヶ岳といった観光地や景勝地でもあるので、観光列車を走らせれば営業次第では集客できる路線になるかも知れない。

次は森〜長万部間について見てみよう。
以下は森〜長万部間の駅間別乗車人員。これもExcelで作成した。

122159.jpg
 函館線 森〜長万部間 普通列車の駅間別乗車人員

森駅からは乗車人員が大きく減る。
これは普通列車のダイヤにも現れていて、函館〜森間は駒ヶ岳経由と砂原経由を合わせて上り13本、下り11本の列車があるが、森〜長万部間は上下それぞれ6本と、ほぼ半減する。

グラフを見ると落部・野田生から八雲への利用が目立つくらい。あとは森〜八雲、八雲〜長万部の利用だろう。

そしてさらに列車別で見ると以下の数字になる。
平成30年度特定日調査(平日)に基づく列車別乗車人員から抜き出した数字です。

森〜長万部間下り
列車別乗車人員(人)
  森〜八雲間 八雲〜長万部間
891D29 
821D
893D
 2841D10 
823D
895D

下り列車の乗客で一番多いのが891Dの森〜八雲間で29人。大半は八雲への通学客と思われる。
その次が2841Dの10人。八雲発が17:18の列車なのでこれも八雲から帰宅の通学客だろう。
あとの列車はどれも10人に満たない乗客を乗せてガラガラで走っていることになる。

891Dは時間帯からして長万部への通学列車も兼ねていることになるのだが、八雲から先の乗客数はわずか4人。
途中にある国縫など駅周辺は市街地を形成しているほどだが、広報おしゃまんべ令和3年7月号によると、国縫駅の利用者のうち通学利用は0となっている。
これは長万部町が無料のスクールバスを運行しており、町内の通学生は鉄道を利用しないからだろう。
学生が使わなければ、あとは通勤と通院での利用者が僅かにいるだけ。

この広報おしゃまんべ7月号では『町の考え』として、

“駅利用者が少なく、並行在来線を存続とした場合の負担が大きいことから、並行在来線の旅客は廃止する方向で検討すべきと考えております。”  
 〜広報おしゃまんべ 令和3年8月号より引用

と結論付けている。

そう、長万部町はすでにバス転換支持を表明している。
長万部町内にある国縫、中ノ沢、二股の3駅の利用客を合わせても1日に10人に満たない(同広報より)。
そんな僅かな利用者のために多額な費用を投じるのは現実的ではないし、町民の支持も得られないだろう。
町のシンボルだからとか、路線図から町が消えるからといった理由で鉄道が存続できるほど甘くはない。

このあたりの考えを同じくバス転換支持となった仁木町の『広報仁木』にも次の一文が記載されている。 

“巨額の初期投資や累積赤字が見込まれる第三セクターによる鉄道運行ではなく、民間バス事業者によるバス運行が現実的なものと考えている” 
 〜広報仁木 令和4年1月号より引用

バス転換にしても初期投資や毎年発生する赤字から逃れることはできないが、鉄道存続に比べればはるかに少ない額となる。
三セクによる鉄道存続と民間のバス会社によるバス転換の費用を表にして並べると、その違いが一目瞭然だ。

函館長万部間の交通モード別初期投資及び収支(単位:億円)
 初期投資2030年度2040年度30年累計
全線第三セクター鉄道▲317.26▲18.79▲20.31▲944.17
全線バス運行※▲36.58▲2.46▲1.96▲130.38
函館〜新函館 鉄道
新函館〜長万部 バス
▲160.09▲11.46▲12.76▲565.45
 ※国・道のバス補助は考慮しない。

森町と八雲町の動向は今のところ不明だが、八雲町については、上記の利用者数を考えると長万部町と同様の意向となる可能性が高い。

森町は新幹線の駅が設けられず、新幹線開業からは蚊帳の外となるため、鉄道存続を打ち出す可能性が高いといえる。
実際、函館方面の乗客数は、大沼回り、砂原回り合わせても200人以上の乗客がある。
沿線に大沼公園駅といった観光地もあるので、函館〜森間は三セクとして存続ということはありうる。

では、八雲町と長万部町がバス転換支持となり、第三セクター鉄道設立から手を引いてしまうと森〜長万部間の鉄道は無くなってしまうのだろうか。

ところがそう簡単にはいかない事情があるのだった。

〜長くなったので次回へつづく

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posted by pupupukaya at 21/12/30 | Comment(0) | 鉄道評論

JR北海道2022年3月ダイヤ改正に思うこと

JR北海道のホームページに2022年3月ダイヤ改正が発表されました。

 JR北海道ニュースリリース 2021.12.17

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 JR北海道ホームページ “2022年3⽉ダイヤ改正について”より引用。

私は鉄道アナリストではないので、ここでダイヤ改正内容の是非を論ずることはしませんが、今回のダイヤ改正で注目したところを2つ取り上げてみたいと思います。
そしてそれは、北海道の鉄道の今後を予見するもの。また、JR北海道の叫びにも感じました。


 1,駅の廃止7駅について

2022年3月ダイヤ改正で廃止となる駅。

函館線5駅:池田園、流山温泉、銚子口、石谷、本石倉
花咲線1駅:糸魚沢
宗谷線1駅:歌内

これまでは廃止になる駅と言えば、元々集落などなかった場所に設けられた仮乗降場などを出自とする駅や、過疎化で駅前が限界集落と化したために『極端にご利用の少ない駅』のうち、乗車人員が1日1名以下となった駅が対象となっていた。

駅前に町も集落もない、あるいは農家が数戸点在するだけといった駅が廃止されるのは、誰の目から見ても仕方がないと思うところだ。

しかし、今回のが違うのは、駅前にまとまった町や集落があるにも関わらず廃止となる点である。
上記の廃止駅の中で駅前に集落の無い駅は歌内駅流山温泉駅くらいで、あとは駅前にそれなりの集落がある場所となっている。

特に函館線の石谷駅本石倉駅の場所は、国道5号線は車でよく通るのでよく知っているが、道沿いに家がずっと続いていて、市街地と呼べるほどではないにしろ、それなりに人が住んでいる場所である。

それでも廃止になるとは、地元住民からの見捨てられようにも程があるんじゃないかと思えるが・・・
函館線と並行する国道は函館バスの路線バスが通っているので、駅を廃止しても問題ないという判断だったのだろうか。

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 2023年3月改正で廃止になる石谷駅(2021年7月撮影)

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 2023年3月改正で廃止になる本石倉駅(2021年7月撮影)

もう1つ注目したいのが宗谷線の歌内駅

この駅は、JR北海道が2017年3月のダイヤ改正での廃止を地元の中川町に要請したが、中川町の拒否により廃止できないでいた。

駅の維持管理にはお金がかかる。北海道の場合は、冬季の除雪費用もかかるのでなおさらだ。
その後JR北海道の経営悪化により、駅の廃止か、自治体による維持管理での存続かを迫られるようになった。

歌内駅は、2021年4月より駅の維持管理を中川町が行うという条件で存続する自治体管理駅となったもの。
しかし町による維持管理は難しいという声が上がり、住民の理解も得られたとして、今ダイヤ改正をもって廃止ということが決まった。

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 雪に埋もれた歌内駅(2020年12月撮影)

2021年から自治体管理駅となった駅は歌内駅を含めて、宗谷線に17駅、石北線に1駅あるが、歌内駅はその中で廃止になる駅の第1号となる。

今回ダイヤ改正の廃止駅が今までと違うのは、1つが駅前にまとまった集落があっても、利用者が少なくて地元の同意が得られれば廃止の対象となるということ。
2つ目が、自治体管理駅に移行した駅でも、負担が重くて維持が困難と判断すれば、自治体の方から廃止に向けて動くということだ。

今後は駅の廃止の動きがますます加速するんだろうなと思える動きではある。


 2,特急おおぞら編成

特急『おおぞら』と言えば札幌と道東を結ぶ特急であり、北海道で最初に運行を開始した特急列車でもある。

1997年のダイヤ改正からキハ283系車両を導入して『スーパーおおぞら』として運行開始していた。
札幌と道東の時間短縮は素晴らしく、例えば2004年の時刻表から『スーパーおおぞら』最速列車の所要時間を見てみる。

 札幌〜帯広間:2時間09分
 札幌〜釧路間:3時間34分

この当時どれだけ人気だったかを、当時の拙ブログの旅行記から引用してみる。

“札幌行スーパーおおぞら2号の自由席に乗る。基本の編成は6両だが、今日は9両。スーパーおおぞらは人気があり、常に2〜3両増結して走っている。”

この当時は道東自動車道は夕張IC〜十勝清水ICが未開通。車ならば霧や事故で悪名高かった国道274号日勝峠越えで行くしかなかった頃だ。
多客期には増結して、最大11両編成というのも見られたようだ。
基本編成は2007年に1両増えて7両編成になっている。この頃がピークだったのだろう。

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 西早来信号場ですれ違う7両編成のスーパーおおぞら。(2010年11月撮影)

その後は道東道の延伸が進み、2011年に道東道の札幌と帯広圏の間が全通、延伸はさらに続いて2016年には阿寒ICまで開通している。

『おおぞら』はというと、2011年の石勝線で起こった脱線・火災事故をはじめ車両のトラブルが相次ぐようになる。
車両の不具合やメンテナンスで車両不足となり、それまでのような長大編成は見られなくなった。

インバウンド客の増加で、それらの輸送が盛んになりかけたものの、2020年明けから始まった新型コロナウイルス。
この影響により、基本編成6両から減車して5両編成となった。乗客減の一番ひどい時には4両編成になったこともあったが、あくまで一時的な措置ということだった。

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 再び基本の6両編成に戻ったおおぞら(2021年1月撮影)

それが2021年3月改正で正式に基本編成5両となった。

今回発表の2022年3月ダイヤ改正は5両編成は変わらないが、ご利用の少ない時期には4両編成になるのだという。

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 JR北海道ホームページ “2022年3⽉ダイヤ改正について”より引用。

去年の4両編成化はコロナウイルスの影響による一時的なものだったが、今改正後の減車は計画的なものとなる。
この流れでは2022年の次の2023年のダイヤ改正ではついに『おおぞら』も4両が基本編成になってしまうのだろうか。

『おおぞら』は長らく北海道の特急のエースだった。
国鉄時代は、新型特急車両が導入されると、真っ先に『おおぞら』に投入されたものだった。

ローカル線廃止が相次いだ国鉄末期〜JR発足当初にかけて、札幌を初めとした都市圏輸送と都市間輸送を担う特急列車は、JR北海道にとって期待の星だった。

しかしあれから30年。
高速道路網が整備された今は、道央と道東の都市間を結ぶ特急も例外ではなく、ここまで利用者減が深刻なのだと思い知らされた。

4両編成のおおぞらなんて見たくない・・・

さらに深刻なのが宗谷線と石北線の特急だろう。
今回の改正で特に動きはないが、大雪とサロベツの計画運休は継続のようだ。

 ★  ★

2021年はもうすぐ終わるが、依然として終わりの見えないコロナウイルス禍。
北海道だけでなく、2022年3月ダイヤ改正はJR各社も大幅な減便としている。
仮に収束しても、乗客が戻ってくるまでには長い時間がかかると見越してのダイヤ改正の内容だ。

前向きな話題もあって、学園都市線にロイズタウン駅の新設、東風連駅を名寄高校駅として移転・改称がある。
ロイズタウン駅については『?』と思うところもあるが、話が長くなるのでそれについてはまたどこかで。

コロナ禍が無いと仮定しても、この減便・減車トレンドはそう簡単には止まることは無いだろう。
今ダイヤ改正での駅の廃止とおおぞらの減車が、JR北海道の叫びのように思えたのは私だけだろうか。

北海道の鉄道に関しては、少なくとも2030年度とされている北海道新幹線の札幌延伸開業までは、前向きな話題はなさそうだ。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 21/12/18 | Comment(0) | 鉄道評論

新千歳空港−旭川の直行列車は可能なのか

1月4日 月曜日の道新朝刊にど〜んと出た1面記事。

  リンクは北海道新聞 どうしん電子版

JR新千歳空港駅と旭川駅を乗り換えなしで結ぶ新たな直行列車構想が浮上している。
  上記記事からの一部引用

記事の内容は、JR北海道と北海道エアポート(HAP)が協力して、新千歳空港〜旭川間の直行列車を新設しようという構想があるというものです。

かつて新千歳空港〜旭川間が快速『エアポート』〜特急『スーパーカムイ』として直通していましたが、2016年のダイヤ改正で直通運転は終了しています。
それを、こんどは札幌経由ではなく南千歳〜岩見沢間は室蘭本線と石勝線を経由するというもの。

この区間は電化されていないので、ディーゼル車による運行になるでしょう。
記事によると特急列車とした場合は1時間30分程度の所要時間になるようです。

ちょっとは鉄道に詳しい人ならば「本当かいな?」と思うような記事でありました。

しかし、筆者はヒマ こういう夢のある話は好きなので、実際走らせてみたらどのようになるのか考えてみることにしました。

実はこの記事を見たとき、かつて走っていた『フラノエクスプレス』を思い出したのは筆者だけでしょうか。
札幌〜富良野間を結んでいたリゾート列車。

スキーシーズンだけでなく夏の観光シーズンにも運転されていた特急で、最盛期は1日3往復運転、そのうちの2往復は千歳空港(現在の南千歳)まで直通していました。

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 ↑ 1998年まで走っていたフラノエクスプレス車両。
 (Wikipediaの画像より引用)

余談ですが、フラノエクスプレス車両は80系気動車からの改造で、登場は1986(昭和61)年12月というから地味に国鉄車両だったんですね。

それはともかく、なんで突然フラノエクスプレスかというと、千歳空港直通の2往復は札幌経由で運転されていましたが、1991年12月の運転から、下りの1本だけ札幌から千歳空港・追分経由の富良野行きとなっていたからです。

これは千歳空港〜富良野間の時間短縮をねらってのことでしょう。
実際同区間の所要時間は、札幌経由の最速2時間47分から2時間23分と24分短縮されています。

1992年7月、新千歳空港駅が開業し快速エアポートが運転開始すると、それまでの千歳空港駅は南千歳駅と改称され、空港から苫小牧・函館方面と石勝線方面へ行くには南千歳で乗り換えが発生するようになりました。

フラノエクスプレスも新千歳空港始発で札幌経由に戻すか、石勝・室蘭線経由ならば他の特急と同じく南千歳で乗り換えになるところです。

ところが、札幌発石勝・室蘭線経由は変わらず、なんと新千歳空港に乗り入れたのです。新千歳空港、南千歳と2回の方向変換をして。
所要時間は新千歳空港〜富良野間で2時間37分と14分延びましたが、空港から富良野に向かう便利な列車に変わりありませんでした。

手元に1994年10月の時刻表があったので、その時刻表を見てみます。

 7042D7043D
札幌12:06 
新千歳空港12:43 
新千歳空港12:50
南千歳 13:00
岩見沢 14:02
滝川 14:32
芦別 14:58
富良野 15:27
 ↑ 1994年10月の『フラノエクスプレス3号』の時刻。
 (弘済出版社道内時刻表94/10より筆者作成)

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 札幌〜新千歳空港間の時刻(弘済出版社道内時刻表94/10より引用)

これはスキーシーズンではなく夏の臨時列車として運転されていたもの。
富良野はスキーだけでなく夏も人気の観光地、空港へ着いた観光客やツアー客が直接富良野へ行ける便利な列車を利用していたのでしょう。

15分間隔のエアポートのほかに特急と普通列車があって千歳線は過密ダイヤ。快速エアポート120号の2〜3分後を追うようにして新千歳空港へ向かっています。

一応札幌発富良野行きということになっていますが、全区間通して乗る人は少なかったでしょうね。

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 新千歳空港〜南千歳の時刻(弘済出版社道内時刻表94/10より引用)

新千歳空港では7分の停車。観光客を乗せたフラノエクスプレスは列車番号を7043Dと変えて南千歳へ向かいます。
南千歳では6分停車。ここでまた進行方向を変えて石勝線へと乗り入れます。

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 追分〜岩見沢間の時刻(弘済出版社道内時刻表94/10より引用)

追分で石勝線から室蘭本線へと乗り入れます。
追分は通過しますが、臨時列車なのと室蘭本線の一部と石勝線が単線なので運転停車もいくつかあったでしょう。
南千歳から岩見沢までの所要時間は1時間1分となっています。

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 岩見沢〜滝川間の時刻(弘済出版社道内時刻表94/10より引用)

岩見沢〜滝川間は直線区間が多く支障する列車も無いので、全力で走ったことと思われます。
それとてキハ80系の改造車という悲しさ、最高100km/hでは『スーパーホワイトアロー』が23分で駆け抜ける区間を30分もかかっています。

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 滝川〜富良野間の時刻(弘済出版社道内時刻表94/10より引用)

滝川からは根室本線に入ります。

芦別にも停まるのは、このころは芦別も観光地として売り出していたからでしょう。
札幌から『北の京&カナディアンワールド号』なんて観光臨時列車も走っていましたっけ。
そのリゾートは今はありませんがね・・・

富良野着は15時27分。

午前中の飛行機で各地から新千歳空港に着いたらフラノエクスプレスのお迎え。
列車に揺られること2時間37分、夕刻には富良野市内のホテルへ。申し分ないスケジュールですね。

フラノエクスプレス車両による運転は1998年11月が最後で、12月からはクリスタルエクスプレスの車両が使用され、列車名も『フラノスキーエクスプレス』と改められました。

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 フラノエクスプレスと新特急のルート図(筆者作成)

新千歳空港から石勝線・室蘭本線経由で岩見沢へ直行するルートは下り1本とはいえ、フラノエクスプレスで実績のあるルートだったので不可能というわけではなさそうです。

さてこれを踏まえて、冒頭にある通りの直行列車の新設が可能なのか考えてみたいと思います。


 1,所要時間の問題

新千歳空港〜旭川間は記事にある通り1時間30分で結ぶことは可能なのか。
道新記事には“1時間30分程度”とありますが、これを1時間30分台と拡大解釈して、1時間39分としてみましょう。

仮にディーゼル車とすれば、キハ261系『はまなす編成』か同等の車両による運行とします。

岩見沢〜旭川間の所要時間は、現在特急『宗谷』が最高速度は120km/h、途中滝川・深川の2駅停車で60分要しています。
これを2014年以前同様の130km/h運転に戻すと、所要時間は54分となります。

となると、残り時間は45分。新千歳空港〜岩見沢間を45分で結ぶ必要があります。
南千歳〜追分〜岩見沢間の営業キロは石勝線、室蘭本線経由で57.8km。

この区間は線形も良く、仮に最高速度130km/hとすれば37分程度(表定速度94km/h)となりそうです。
残り8分で南千歳駅で折り返して新千歳空港へ。
これで1時間39分。1時間30分台は何とかクリアできました。

もちろんこれは机上の話で、南千歳〜追分間、岩見沢〜旭川間は設計上は130km/h運転は可能ですが、現在は120km/hに抑えられています。
また、室蘭本線の追分〜岩見沢間は従来からの95km/hのままとなっているので、この区間は高速化工事を行なう必要が出てきます。
その費用はというと十数億円は下らないでしょう。まず無理です。

現行の設備のまま直通列車を走らせるとなると、旭川〜岩見沢間60分、岩見沢〜追分間で32分(表定速度75km/h)、南千歳〜追分間は12分、合わせて44分。それに南千歳折り返しと新千歳空港までを最短の6分程度で見積もれば1時間50分となります。

これは運転停車を考慮していない最速時間なので、実際には単線区間のすれ違いのため、数分の運転停車が発生することになるでしょう。
そういうことも加味すれば、2時間を切れば御(おん)の字といったところではないでしょうか。

かつて直通していた当時の快速『エアポート』と特急『スーパーカムイ』での直通運転で、新千歳空港〜旭川間の所要時間が2時間7分だったことを考えれば、わざわざ面倒な特急を新設する意味がわからなくなってきますね。

必要ならば、現行の特急『カムイ』や『ライラック』を新千歳空港に延長運転すればいいんじゃないかという気がします。


 2,新千歳空港支線単線ダイヤの問題

南千歳〜新千歳空港間は単線となっており、途中ですれ違うことはできません。

新千歳空港駅は1面2線となっていて、常にどちらかのホームに快速エアポートが停車しているし、札幌方面からのエアポートが到着してから数分間は両側のホームが埋まっている状態となっています。

DSCN3030.JPG
 新千歳空港駅は常にどちらかのホームに列車が入線している。

これは新千歳空港駅開業時から基本的には変わらず、これは15分間隔から12分間隔になった現在でも同様のダイヤになっています。
こういう状態でエアポート以外の列車を入れるにはどうすればいいのでしょうか。

かつて新千歳空港駅にリゾート特急が乗り入れていたときはどうしていたのでしょう。
それを実際にダイヤを描いて見てみましょう。

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 1994年10月の南千歳〜新千歳間の通常ダイヤ。
 (弘済出版社道内時刻表94/10を基に筆者作成)

上は通常時のダイヤ。781系『ライラック』がエアポートとして乗り入れていた当時のダイヤです。
基本的には札幌方面からのエアポートが到着してから向かいのホームに先に停車していたエアポートが発車するというパターンですが、この当時は旭川直通の781系編成が入る時だけは変則的で、7分で折り返していました。

ここに臨時のリゾート特急が入るとするとどうなるのでしょうか。
時刻表と筆者所有の『鉄道ダイヤ情報116』(1993/12)を参考にダイヤを作成してみます。

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 1994年10月の南千歳〜新千歳間の臨時列車乗り入れダイヤ。
 (弘済出版社道内時刻表94/10を基に筆者作成)

上が『フラノエクスプレス』が入線したときのダイヤになります。
使用番線は実際のものではなく、1面2線のホームをどう使い分けているかという風に見てください。

まずホームを1線空ける必要がありますから、115号として発車するはずだった1番線のエアポートを南千歳駅に一旦引上げます。
代わりに106号が7分間の折り返しで115号として発車します。

南千歳駅の札幌方には、引上げた車両を留置するための引上線がありました。
昼間よくここに停車しているエアポート編成を見たものですが、臨時列車入線のため、ここに逃げていたんですね。

115号が発車すると一旦両方のホームから列車がいなくなります。そこへ旭川からの110号が到着。
その続行で3分後に『フラノエクスプレス』が到着。

その4分後に旭川行117号が発車。
さらにその続行で『フラノエクスプレス』が発車。

次いで南千歳駅に引上げていたエアポート編成が戻ってきて121号としてスタンバイ。
その次に8分繰り下げの時刻変更した112号が到着。ここからは通常のダイヤに戻ることになります。

こうしてダイヤにして見ると、1本の臨時列車を入線させるために随分と綱渡りのような運用をやっていたんだとわかります。

京急もびっくりのアクロバットダイヤですね。

新千歳空港駅といえば北海道の玄関口とも言えます。
まだ元気だった当時のJR北海道としては、そうまでしてでも自慢のリゾート列車を乗り入れたいという情熱もあったのでしょう。
この頃はフラノエクスプレスに限らず、リゾート列車を積極的に乗り入れていたのが当時の時刻表からわかります。

その後のリゾート列車は、スキー人口の減少や定期列車の高速化、車両の老朽化などを理由に本数を減らしてゆき、2000年代前半を最後にエアポート以外の列車が乗り入れることは無くなったようです。

2020年3月ダイヤ改正からエアポートも1時間当たり5本と増便され、新千歳空港支線も臨時列車が入線するのはかなり難しそうです。

下が現在の5本/毎時のダイヤ。

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 現在の新千歳空港支線のダイヤ(筆者作成)

エアポートが5分で折り返すか、南千歳に引上げるかすれば何とかなりそうな気もしますが、今のJR北海道ならば90年代当時のようなアクロバットなダイヤは嫌がるでしょうね。

南千歳駅の引上げ線もいつの間にか撤去されたので、それも復活する必要がありそうです。


 3,ディーゼル車の排煙の問題

新千歳空港駅は気動車の乗り入れを想定して各所に排煙口が設けられていますが、リゾート列車が乗り入れていた当時は発車時に残した排煙がホームにこもるということもあったようです。

当時は多くて1日数回ということと、札幌駅でも地下駅ほどではないにしろ同様のことがあったのでさほど問題視されてなかったのでしょうが、ディーゼル車の乗り入れは久しく行われていないので、地下駅に煙がこもるようでは問題視されるでしょう。

ディーゼル車の排煙対策工事も必要になるでしょうね。


結論
1,室蘭本線の追分〜岩見沢間の高速化工事と130km/h運転の再開をすれば最速1時間39分(1時間30分台)で可能

2,現行のまま『はまなす編成』と同等の車両を走らせれば最速1時間50分程度で可能

3,過去の『フラノエクスプレス』同様の運行とすれば最速2時間10分程度で可能

新特急が運行されたとしても1日2〜3往復といったところでしょうか。

そのための高速化工事など現実的ではないし費用的にも不可能。
かといって現行の地上設備のまま、所要2時間前後では意味がないような気がします。

新千歳空港から旭川へは札幌乗り換えがあるものの2時間07分。しかも毎時出ていますしね。

かつてのリゾート列車ならば、スキー団体観光ツアーといった明確なターゲットがあったわけですが、今回の新列車構想はどういった層をターゲットとするのでしょうか。

“関係者によると、新ルートは、HAPによる旭川空港の施設改修などが本格化する2025年以降に合わせて開設。JRとHAPの一部幹部が水面下で新ルート実現の可否を含めた検討に着手しているもようだ。”
(1/4どうしん電子版同記事より引用)

“検討に着手しているもよう”とあるあたり、随分と盛った記事でしたね道新さん。

それはともかく、こんな大々的な検討となるのだから、臨時列車ではなく定期列車として検討するつもりなのでしょうか。

いずれにしても話を進めたところで、

JR北:「諸々の設備新設工事で〇億円出してね、HAPさんよろしく〜

HAP:「無理ィィィィ〜〜〜

というオチになるような気がします。

posted by pupupukaya at 21/01/10 | Comment(0) | 鉄道評論

特急宗谷に乗って宗谷線の今後を考える

新型コロナウイルスの移動自粛も解けた2020年6月29日の週、1週間の休暇を取って礼文島に滞在してきました。
札幌から稚内までは鉄道利用、稚内から礼文島まではフェリーによる礼文島入りとなります。
その旅行初日、札幌から稚内まで特急宗谷を利用しました。今回はその乗車記と、宗谷本線の今後について思ったことを綴ってみました。


 ◆ 6月29日(月)礼文島へ向けて出発

出発日の朝、天気予報は全道的に雨。
宗谷地方の週間予報も、昨日までは概ね晴れマークだったのに今朝になって週半ばに雨マークが付いてしまった。
どうもこの時期の宗谷地方は天気が安定せず、天気には悩まされる。

札幌はというと、この日は朝から雨。7時半発の特急宗谷に乗るために7時過ぎに自宅を出たが、この頃が雨が一番激しく降っていた。
傘など持っていきたくないが仕方ない、百均のビニール傘を差して家を出る。

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 札幌駅から特急宗谷に乗車。

今日は特急宗谷で稚内まで行き、稚内からフェリーで礼文島に渡る予定である。。

所持しているきっぷは指定席往復割引きっぷ(Rきっぷ)で、札幌市内〜稚内間が特急指定席利用で往復13,310円となっている。この区間を通常の乗車券と特急券で乗ると、往復22,180円となるので、割引率は40%にもなるというお得なきっぷ。裏を返せば、それだけ高速バスや車との競争が激しいということである。

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 稚内往復に使用した指定席往復割引きっぷ(Rきっぷ)。

実はこの特急宗谷に乗るのは10年ぶりになる。前回は2010年の稚内から往復フェリーで行ったサハリン旅行の行き帰りだった。
たまに特急列車を利用することがあるが、それは本州への行き帰りで乗る北斗系統だったり、お酒を飲むためにやむなく利用するカムイ・ライラック系統くらいなもの。

車社会の住人になってからは、道内特急そのものがすっかり縁遠くなってしまっている。
その間に車内販売が無くなり、稚内と網走へ向かう特急列車は一部を残して旭川発着に短縮され、だんだん寂しいことになってしまった。

今回は稚内港の駐車場代プラス往復のガソリン代と、往復割引きっぷの値段を比較してもさほど差がないことがわかり、たまには鉄道の旅もいいかなと思って車を置いてJR利用としたのだった。


 ◆【特急宗谷】札幌 7:30発

今朝は朝食を抜いて出てきた。久しぶりの鉄道旅なので駅弁を食べながら優雅に行こうと思っていた。
改札を入ってキヨスクでビールを買った。月曜の朝だが、こちらは休暇中。車の運転があるわけでなし、とりあえず稚内までの5時間は車中の客となる。たまにはいいんじゃない・・・

続いて別の売店で駅弁を買おうとすると閉店中。別の売店は開いていたが店員がいない。
これは困ったな、弁当を買って乗らないと稚内までの5時間以上、車内販売もないので何も手に入らない。
キヨスクで売ってる弁当を買うしかないのかと思ったら店員が戻ってきた。

何だかんだでホームに上がったのが発車5分前。
特急宗谷はすでに入線している。所定の4両編成だが指定席の車内は案の定がら空きだった。1両だけの自由席は通勤客らしい人が結構乗っていた。
いくつか撮影してから車内に入る。

なぜか指定席のデッキには立ち客がいる。自由席からあぶれた人だろうか。
指定された2号車指定席の客はビジネス客と思しき人ばかり。コロナの移動禁止は解かれたが、まだ観光客は少数のようだ。
座席は半分の列も埋まっていないのだが、なぜか自分の周りだけゴソっと固まって座っている。
ソーシャルディスタンスで、もうちょっと分散して席を売ればいいのにと思うのだが。

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 朝の札幌は完全に雨だった。

窓ガラスは水滴だらけ。雨が降る暗い空の下列車は発車する。
さてスマホと充電コードを取り出して・・・
あれっ?あるはずだと思っていたものが無い。
コンセントがどこにもなかった。以前183系の『サロベツ』に乗ったときにあったのだから当然あると思い込んでいた。

この宗谷の261系車両は2000年(平成12年)の宗谷本線高速化時に登場した車両。車内外に古さは感じないが、乗車して車内に収まっているとやはり古さは隠せない。
車内販売が廃止されて久しいが、車内に自販機もないし、途中停車駅で買い物できる駅も無い。
スマホも満タンに充電し、食べ物や飲み物も事前に用意して乗らないと、稚内までの5時間は無い無いづくしの旅になってしまう。

高速バスでも標準となりつつあるフリーWi-Fiなんて、何それおいしいの?と言わんばかりに無いし、付けるような話も聞かない。
人的サービスが無理ならば、せめて世の中で標準となりつつあるサービスくらいはしてほしいのだが。
今のJR北海道に期待しても無理か。

発車すると車内アナウンス。
落ち着いた男声で車内や停車駅の案内。そのあと女声で英語のアナウンス。続いて中国語。
これが脳天にキンキンに響くような甲高い声。なぜそこだけボリュームを上げる?
終点稚内まで、車内放送の旅にこのキンキン声に悩まされることになる。

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 幕の内弁当いしかり(850円)とサッポロクラシック。

まあいいや。
車掌の車内改札が済んでから駅弁タイム。
売店で買ってきた『幕の内弁当いしかり』とビールをテーブルに出す。

じゃあ朝から1杯やらせていただきます。
プシュッと音をたてないように栓を開ける。周りはビジネス客ばかりなのでね。

まずは弁当の中身を一瞥。
この弁当を買ったのは、もう10年以上ぶりだと思う。
登場したのは青函トンネル開業の年だった気がする。当時は700円だった。もう30年以上変わらず続くベストセラー商品。
前に食べたときは経木折に紙のラベルだったが、いつの間にかスチロール容器にボール紙の上蓋になっていた。おかずは登場時からほとんど変わっていない。

デパートの催事を狙ったような目立つものは見当たらないが、鮭やホタテといった海鮮や、ご飯は道産米といったところにさりげなく北海道らしさを出しているところが大変に好感を持つ。
容器以外に変わったところといえば、おかずが全体的に薄味になっている。あとご飯が格段に美味しくなっているような気がした。
これで今どき850円なのだから大したものだ。

 ★★★★★

味、量、コスパ、これは文句なしに5つ星をつけさせていただきます。


 ◆ 【特急宗谷】岩見沢 7:56発

岩見沢では4号車自由席から20人ほどの下車客があった。札幌から岩見沢通勤する『かよえーる』の客だろう。
ホームの向かいに停車中は滝川行普通列車。こちらも意外と通勤客らしい人で座席が埋まっていた。
岩見沢ではなぜか指定席の2号車から2人降りて行った。たった1駅で指定席を買っていたのか。さっき車内改札があったので自由席の客ではなさそうだが。

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 岩見沢。自由席の4号車から通勤客が多く下車した。

停車中に、
「ただいま車掌がお客様対応を行っております、発車までもうしばらくお待ちください」とアナウンス。
2分ほど遅れて岩見沢を発車。

いつの間にか雨は上がっている。それでもまた降り出しそうな厚い雲の下を石狩平野の水田を見ながら走る。
かつては通過していた美唄、砂川にも律儀に停車する。その度に自由席から何人かの下車がある。

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 空席だらけの2号車指定席。

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 こちらは半室グリーン車と普通車指定席の1号車。

261系の加速は電車並みに早い。実現することはなかったが、当初は札幌〜旭川間を電車特急と併結して走ることを想定して設計された車両だからだ。
最高速度は130km/hだが、今は120km/hに抑えられている。そのせいか乗り心地も静寂さも電車に近いものがある。
かつてのスーパー北斗やスーパーおおぞらのような、振動や揺れの激しい走りっぷりに比べたら、多少遅くてもこっちの方が余程良い。

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 車内誌『THE JR Hokkaido』に載っていた稚内駅の駅弁。

これも滅多に目にすることがない車内誌『THE JR Hokkaido』。
めくると、稚内駅の駅弁が紹介されていた。
どっさりうに弁当(1,380円)というのが写真付きで載っている。帰りの列車に乗るときに買ってみようか。
でも残っているかな・・・

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 旭川市内は曇り空だが雨は降っていない様子。


 ◆【特急宗谷】旭川 9:00発

9:00、旭川着。定刻は8:58着なので、岩見沢での遅れを回復することはできなかった。
旭川で少し客が入れ替わるのかと思っていたが、2号車は1人増えたほかは動きなし。自由席はホームに並ぶ客も見えたが、指定席3両は相変わらずがら空きのまま旭川を発車する。

天気はずっと曇り空だが、空は少しずつ明るくなっては来ている。

旭川からはかつての急行礼文のスジを追う。

 1994年2020年
 急行礼文特急宗谷
旭川 発8:499:00
 
稚内 着12:4512:40

下り礼文は、旭川発8:49、稚内着が12:45だった。札幌7:05発の特急オホーツク1号が旭川で接続していた。
宗谷線急行のうち『(スーパー)宗谷』『サロベツ』『利尻』の愛称は特急に引き継がれたが、『礼文』だけは消えてしまった。
その後利尻は夜行列車の廃止で消滅、急行宗谷とサロベツだったスジは、旭川短縮となってしまった。現在残っている札幌直通の宗谷のスジは、実はかつての急行礼文のものである。
名前こそ消えてしまったが、今となっては礼文が一番出世した列車といえるのかもしれない。

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 日本最北端の貨物駅、北旭川貨物駅を通過。

急行時代は旭川を過ぎると途端にローカル線ぽくなったものだが、旭川運転所が今の場所に移転してから途中北旭川駅の手前までは複線電化区間となって見違えるようになった。
道北のコンテナ基地であり、日本最北端の貨物駅である北旭川を通過する。
しばらくして永山で運転停車。信号方式がここで変わるので、下り列車だけはここで必ず停車する。

急行時代の90年代の半ば頃までは通過していた。
ソースは?と聞かれても困るが、手元にある1994年と1999年の時刻表を見比べると、下り列車の旭川〜和寒間で急行サロベツが1分、急行宗谷が2分所要時間が伸びているので、この間に運転停車が始まったんだろう。

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 下りは永山駅で運転停車がある。

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 宗谷線に入っても最高速度120km/hを維持。

旭川からは宗谷本線に入る。名寄までは高速化されていて、旭川から蘭留までは直線区間も多いので最高速度の120km/hを維持して走る。
複線区間では感じなかったが、単線区間で、車体脇まで草が生い茂っている中での120km/hはスピード感が半端ない。

速度はスマホの速度計アプリからの測定。

蘭留からは塩狩峠越えと連続カーブのため速度が落ちる。
20‰(パーミル)の上り勾配は、普通列車のキハ40形ならば30キロ台のスピードにまで落ちてしまうが、この261系はグイグイと登る・・・といいたいところだが、速度計を見ていると50キロ台にまで落ちてしまった。
この区間は勾配だけでなく半径250mの急曲線も連続し、最小195mという最小曲線も現れる。(数値は小学館 日本鉄道名所 勾配・曲線の旅より)
いくら優れた足回りを以てしても泣き所の難所。
塩狩駅が頂点となり、ここからは和寒駅まで一気に下る。この辺りからまた雨模様になってきた。
和寒では乗客が1人あった。下車は無し。急行礼文時代は通過していた。

和寒〜名寄間は再び直線区間が多くなり、列車も快調に走る。
士別着は9:42、若干遅れが目立ってきた。ここで4〜5人の下車客が見えた。

ここで上りサロベツと交換する。チラ見だが、あちらの車内は悲惨なほどに人がいなかった。
6/30まではコロナ対策のためサロベツ1往復が運休中。昼の上りと夜の下りが無くなってしまったので、稚内方面から道央への日帰りが難しくなったために、これらの利用客が激減しているものと思われる。


 ◆【特急宗谷】名寄 9:56発

名寄着は9:57、3分遅れ。
このくらいならば定時運転といえるのかもしれないが、秒単位を旨とする日本の鉄道なのだからもうちょっと頑張ってほしいところ。

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 札幌から2時間24分で名寄駅に到着。稚内へはここがほぼ中間点。

下車客は自由席からを中心に10数人といったところ。
駅前には自衛隊の車が待っていた。名寄は自衛隊の町でもある。JRにとっても安定した利用者だ。

この2号車も2人ほど降りて行ったが、意外なほど動きは少ない。みんな稚内まで行くのだろうか。

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 最北の水田が広がる名寄盆地。 

名寄を過ぎると名寄盆地も終わり。天塩川の谷ぞいを行く。
線形も悪くなり、半径400m台の曲線だらけではスピードも上がらない。
名寄までは高速化工事が行われて、また直線区間も多かったので快調に走っていたが、名寄から先は従来からの線路なので最高速度は85km/hとなる。

この先は幌延まで天塩川の蛇行に付き合うように曲線区間が続く。
まとまった直線区間は、美深〜初野間と豊富〜兜沼間くらいなもの。

仮に名寄〜稚内間で高速化工事をしても、連続した曲線区間ばかりでは速度制限が続いて、大幅な時間短縮が難しいだろう。
また路盤も脆弱で、気動車こそ最高速度85km/hだが、DD51の牽引する14系客車時代は音威子府〜稚内間で最高70km/hまでに抑えられていた(鉄道ジャーナル社 懐かしの国鉄列車PART3より)。

それでも、この列車は健気にも短い直線区間を見つけては最高速度の85km/hまで加速して、カーブが近づくと減速するを繰り返す。
さすが261系の威力と思いたくなるが、かつてキハ54形で運行していた急行礼文時代と名寄〜稚内間の所要時間を比較するとで2分しか違いがない。急行礼文時代も何度か乗ったことがあるが、こんなに飛ばしていた印象はなかったが、現実にはほとんど変わっていないことになる。


 ◆【特急宗谷】音威子府 10:41発

音威子府着10:44着。3分遅れ。もう3分遅れが固定になったようだ。
ここで下車は2〜3人てところ。

かつてはオホーツク海側の旧天北線や枝幸へのバスが接続し、特急発着時はそれなりに駅もホームも賑わったものだが、音威子府〜枝幸間を結ぶバスは無くなって、枝幸からは札幌や旭川へ、旧天北線の鬼志別からは浜頓別を経て旭川へ直通する都市間バスが運行しているので、かつての賑わいを見ることはなくなった。
また、朝の上り、夜の下りといったビジネス列車の時刻が大幅に変わってから、天北線のバスはこれらの列車との接続を取らなくなってしまった。

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 音威子府駅ではかわいい出迎えが。

乗り換え客で賑わったのも過去のこと。今は北海道で1番小さな村の駅である。
改札口の前では、新十津川駅の真似事なのかは知らないが園児たちのの見送りがあった。

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 音威子府からは青空も見え始めた。

音威子府からは青空も見えるようになった。ここからは天塩川に沿って行く。宗谷本線の見どころのひとつ。
景色はいいのだが、谷川沿いの崖っぷちに線路が敷かれているわけだから急曲線だらけで速度制限ばかり、また保線上も大変な区間だ。

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 音威子府からは天塩川が車窓の友。

対岸を並行するのは国道40号線。あちらも似たように谷にそって道路があるが、一部はトンネルになったりして改良されている。
以前に国道40号線を車で通った旅行記で、天塩川の眺めは国道からより鉄道の方が良いと書いた記憶があるが、この鉄道からの眺めも昔より悪くなった感じがする。
線路沿いの木々や草が茂って視界を遮っているからだ。
天塩川はチラチラ見え隠れするか、茂った葉っぱ越しに見えるだけで、写真に撮ってはっきりと川が写る区間は数えるほどしかなかった。
草刈りや剪定を行う余裕もないのだろうか。線路沿いの林や草は伸びるに任せてほったらかしというのが増えた。


 ◆【特急宗谷】天塩中川 11:13発

天塩中川では2号車から1人下車があった。私の前の席の人で稚内までの券を持っていたが、札幌から往復だと稚内までのRきっぷを買った方が安いからだろう。

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 開業時の駅舎に復元された天塩中川駅。

逆に天塩中川からの人が札幌や旭川へ行く場合は厄介だろうな。
無人駅のために往復割引きっぷを買うことができない。車内でも買えるが、この場合は正規の乗車券と特急券の扱いのみとなるので、かなり割高となる。

JR北海道が近年販売に力を入れている『えきねっと』は、予約はWeb上で出来るが、発券はみどりの窓口か指定券券売機でしかできない。
飛行機みたいに予約を入れて発券も自分で出来るのならば、無人駅からでも特急の利用がしやすくなるし、極端な話、主要駅以外は全部無人駅にできるので人件費はかなり抑えられると思うのだが、JR各社はそういうことにあまり興味はなさそうだ。

チケットの販売方法だけでなく、駅員による切符の販売や、車内販売のような人手のかかるサービスが無くなるのは今の時代は仕方がないが、コンセントやWi-Fiのようにあって然るべきサービスまでがおざなりになっているのはいかがなものか。
乗客を増やす(あるいは逃さない)ためには、沿線観光のアピールやイベント列車の運行もいいけれど、まずこういったところからだと思うのだが。

話がかなりずれてしまったので戻します。

天塩中川からは天塩川は一旦遠ざかるが、秘境駅で有名になった糠南駅の物置待合室を見て通過すると再び天塩川が現われる。
天塩川が一番近くで見られる区間でもある。ここへさしかかると列車は徐行を始めた。
車窓の見どころなので減速してくれたのかと思ったら、45km/hの速度制限標識が見えたので違ったようだ。

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 糠南〜雄信内間が天塩川に一番近づく。

ここは山肌が天塩川に落ち込んで激流が洗っている箇所で、川の上に陸橋を架けて線路を通している。問平陸橋といって設備も古く、融雪期や台風での増水時の洗堀の恐れがある橋梁とされ、その対策に2億円を投じたところである。(JR北海道 宗谷線アクションプランより)

地図で宗谷本線の線形を見ると、天塩川の対岸に渡ることもせずただ川の流れに沿って線路が敷かれているのがわかる。

日露戦争勝利後の1905年(明治38年)にポーツマス条約締結によって南樺太(サハリン)が日本領に復帰すると、それまで名寄止まりだった天塩線を宗谷線と改称して北へ向けての建設が始まった。
音威子府からは浜頓別経由の旧天北線ルートが先に建設されて、稚内(現:南稚内)まで開通したのが1922年(大正11年)となる。その翌年には稚内と大泊の鉄道連絡船が就航して、函館〜稚内間に直通急行の運転が始まっている。
現在の幌延経由ルートは、1917(大正6年)に着工され、1926年(大正15年)に稚内まで開通すると、函館直通の急行列車も幌延経由となった。

とにかく1日でも早く全通させたかったのだろう。
トンネルも鉄橋も嫌って、ただひたむきに北へ樺太へと目指して設計され工事が行われたのが手に取れるような線形だ。
こんな路線だから、国鉄時代から保守管理が大変だった。さらに施設の老朽化ということも深刻になってきている。

函館本線や根室本線ならば、こんな危険個所は山側へ迂回してトンネルにするか、一旦対岸に渡ってショートカットした箇所も見られるが、樺太を失ってローカル線に成り下がった宗谷本線は、そのような改良工事はなされずに今に至っている。

問平陸橋を過ぎると天塩川はまた離れて行き、こんどはトンネルに入る。
全長1256mの下平トンネルで、宗谷本線で唯一のトンネルでもある。
元々ここは川の崖っぷちを陸橋で通していた区間だが、1961年(昭和36年)に雪崩によって鉄橋が全て転落する大災害が起こった。その後も何度も災害が起きるので、山側にトンネルを掘って1965(昭和40年)に完成したものだ。

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 幌延町の負担で存続が決まった雄信内駅。

トンネルを抜けると左側に木造駅舎のある雄信内駅を通過する。
利用者が0に近いとして2020年度にはJR北海道から廃止の打診があった駅だが、幌延町の維持管理によって存続する方向になっている。
この駅は17年前の2003年に降りたことがある。その当時は、駅前は朽ちた廃屋が並ぶゴーストタウンのような駅前だった。
しかし、天塩川の対岸の国道40号線沿いには天塩町雄信内の集落があって、当時は中川商業高校に通学する高校生が乗り降りしているのを見た。同校が閉校になってから、日常の利用者はいなくなったのだろう。

雄信内を過ぎると天塩川ともお別れ、ここからは天塩平野が車窓の友となる。
このあたりからは空気が変わると言ったらいいのか、とにかく道央にはない日本離れしたものを感じる。
中川あたりで見かけた畑作地も姿を消し、どこまでも牧草地帯が続く。
行く手には雲の隙間から利尻富士が頭だけ姿を現していた。

青空が広がって道北は好天のようだが、雲を見ていると不安定な感じもする。


 ◆【特急宗谷】幌延 11:46発

幌延駅には1両のキハ54形が停車していた。幌延で交換する名寄行4326Dで、幌延〜音威子府間は3本しかない上り普通列車のうちの貴重な1本である。
こちらが発車したときに車内を見ると、3〜4人見えた乗客は鉄道ファンと思しき男性ばかりだった。

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 幌延着。名寄行4326Dと交換。

下沼を過ぎたあたりから左側はサロベツ原野が広がる。
雲がなければ、地平線の向こうに利尻富士が見えるのだが、さっきまで頭だけ見えていたが、北の方を覆う雲の中にすっぽりと隠れてしまった。

原野といっても車窓から見えるのは開拓の手が入った牧草地ばかりで、本物のサロベツ原野を見たければ豊富で下車して、バスかレンタサイクルでサロベツ原生花園まで行く必要がある。
今日あたりは黄色いエゾカンゾウが満開かなあ。

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 左手にサロベツ原野を見ながら行く。利尻富士は雲の中だった。

豊富から兜沼までは数少ないまとまった直線区間となり、列車も85km/hで快走。最高130km/hの261系では、それでも力を持て余している様子。


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 線路改良のされていない宗谷北線では、最高速度は85km/h止まり。

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 車窓からチラリと見える兜沼。

兜沼はサロベツ原野の北端で、ここからはゆるやかな宗谷丘陵越えにかかる。
木が少なく、低い笹ばかりのなだらかな起伏は、冬に初めて来たならば北極にでもやってきたかのような最果て感に陥るだろう。

やがて木造駅舎が残る抜海駅を通過する。
この駅も利用者が0に近いとして、JR北海道から廃止の打診を受け入れた駅。
まだ稚内市と地元住民が協議中ということになっている。

ここも先の雄信内駅と同様に17年前に降りたことがある。あの当時は稚内や豊富への通学生の利用が数人あった。
抜海の駅前は民家が1軒あるだけだが、駅から2kmほど離れた漁港が抜海の町になっている。
抜海地区は歩きや自転車でこの駅まで来て、そこから列車に乗るしか交通機関が無いので、駅の利用者が0ということは日常的に車以外の交通手段を使う人がいないということである※。
廃止後の代替交通はデマンドバスか乗り合いタクシーが町へ乗り入れることになるのだろうか。そうなれば町の人にとってはむしろ便利になるだろう。

※ 調べたら抜海・更喜苫内地区はスクールバスの運行があって、2013年度からは住民混乗も実施されている。このため町から2km以上離れた抜海駅の利用者は0人に近くなった模様。

個人的には車で稚内に行っても、抜海駅に大抵立ち寄ることにしているので多少の愛着はある。
しかし、廃止か存続かについては住民でも利用客でもないので筆者は意見する立場にはない。

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 今年度中で廃止の方向の抜海駅を通過。

余談だが、抜海駅の前後は数少ない直線区間となっているのだが、ここで85km/hまで加速してもすぐに抜海駅の分岐器による速度制限があって50km/hの徐行で通過しなければならない。
これが無くなればいくらかは時間短縮・・・・いや、何でもない。

抜海を過ぎて5分ほどすると、日本海越しに利尻島と礼文島を望む高台を通る。
今日はどちらも雲の中に隠れてしまって見えなかった。
宗谷本線で一番の見どころだ。ここを通る列車は大抵は徐行してくれる。
島は見えなくても、下に見える草原のような砂丘やその向こうに広がる稚内半島が一望できる絵になる風景だ。

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 抜海〜南稚内間の唯一日本海を望む区間。利尻富士はやっぱり見えず・・・

ここを過ぎるとまた笹ばかりの丘陵地帯に分け入って、しばらくすると稚内の家々が見え始める。
南稚内で降りる人たちが降り支度を始めるころ。

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 荒涼とした宗谷丘陵の先に人家が見え始めると南稚内が近い。

南稚内では車内の半数が降りて行った。南駅(みなみえき)と呼ぶこちらの方が、地元の人の利用は圧倒的に多い。稚内市内の高校も大型商業施設もすべてこちらにある。がら空きの車内がさらにガランとなってしまった。
かつては稚内運転所として車両基地だった脇を通過する。いまは夜間滞泊用の車庫があるだけだが、運転の拠点はこちらで、折り返し車内整備もここで行っている。

それを過ぎると高架橋で国道40号線を跨ぐ。右側に一瞬だけ港が見えるとまもなく終点稚内に着く。



 ◆【特急宗谷】稚内 12:40着

かつては古びた島式ホームで、終着駅の貫禄たっぷりで出迎えてくれた稚内駅も2011年に建て替えられて新しくなった。
翌年には道の駅わっかないもオープンし、バスターミナルや映画館などが入る複合施設としてオープンした。

車では何度も訪れていたが、新しい駅になってから列車で着くのは今回が初めてである。
新しい上屋が設けられたホームは、やたらと最北端や終着駅を示す看板がある。逆にそうしないと札幌市内の近郊駅と変わらないのだった。

1面1線だけの簡素なホームだが、出口に立つ『日本最北端の駅』と書かれた標柱と、その奥の車止めに最北端と終着駅を感じた。

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 北と南の始発・終着駅と書かれた終点稚内駅に到着。

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 『日本最北端の駅』看板と最北端の車止め。

終着駅の風情こそ失われてしまったが、バスターミナルと一体化されて交通結節点となり、道の駅や複合商業施設が併設されて新たな集客施設として生まれ変わった稚内駅でもある。

一方で風情こそ残ってはいるが、駅の売店も撤退し、駅前にコンビニすらなく乗車前の買い物さえままならない始発駅もあったりする。
駅が列車に乗る用がない限り地元の人は寄り付かないような場所に成り下がってしまうよりも、こちらの方が余程良いに決まっている。

駅が新しくなっても、利用者の増加には結びつかないのは残念なところ。
ちほく高原鉄道ふるさと銀河線にあったいくつかの駅も複合施設となるピカピカの駅に建て替えられたが結局廃止され、駅舎は道の駅として鉄道なんかなかったかのようになって繁盛しているのは皮肉な話。

とてもローカル線の終着駅とは思えないほどのガラス張りで明るいコンコースや隣接する商業施設だが、ここは紛れもなく存続で揺れている宗谷線の終着駅である。


 ◆ 宗谷本線の今後を考える

今年に入ってからJR北海道は宗谷線の無人駅29駅を廃止を沿線自治体に申し入れ、宗谷本線活性化推進協議会はそのうち13駅の廃止を受け入れた。これらの駅は2021年3月のダイヤ改正を持って廃止されることになる。

存続された駅の維持管理費用は1駅あたり年間100〜200万円、これは地元自治体の負担とするのが存続の条件だ。
そうまでして存続させるのはごく少数でも利用者がいるからという理由だが、中には秘境駅として観光資源になるという理由から存続決定としてしまった駅もあるようだ。

とりあえず存続する駅も、遅かれ早かれのような気もするが。
あと数年後には宗谷本線の路線図も以下のようになるんだろうか。

rosenzu458.png
 JR北海道が廃止したがっている駅を消してみると・・・ 
 (JR北海道HPの路線図より加工して転載)

一番の希望の星は、やはり特急列車だろう。
宗谷本線は『国土形成や北海道の骨格をなす幹線交通ネットワーク』ということにされているが、これは札幌直通の特急が運行されているからこそで、これが無くなれば長大なローカル線に成り下がってしまう。

じゃあ特急の利用客を増やすにはということになるが、これがまた難しい。
沿線人口は減る一方、旭川を除くと最大の都市稚内市でも3万3千人まで減ってしまった。名寄は2万人台、士別は1万人台にまで減っている。
特急3往復のうち2往復は旭川までに短縮され、261系2編成で3往復体制を維持できるようになったのはいいのだが、朝と夜の列車が早朝と深夜に偏りすぎてしまい、逆に不便そうなダイヤになってしまっている。
これは利用者の動向よりも、車両運用の都合からこうなってしまったのだった。

観光客輸送にしても、さいはてや最北端を売りにしたツアーもあるが、逆に言うとそれ以外の売りが無い。
花が咲き乱れるサロベツ原野は大変素晴らしいが、時期を間違えればただの草原だし、冬は流氷観光で賑わう網走方面と違って稚内に流氷は来ない。利尻礼文も素晴らしい観光地だが、新千歳空港に着いてもそこから稚内までの往復がネックとなる。
旅行会社としても、回遊できる道東方面と違って、行き止まりの道北地方はどうしても単純往復になってしまうのも行程が組み辛いところだ。
古くから修学旅行や大型ツアーのルートに組み込まれていた道東方面と違い、大人数を収容できる宿泊施設が少ないという事情もある。

だからといって、これから大型リゾートの開発をやる?
自治体の投資で行った大型リゾート開発がどうなったかはここで論じるまでもない。
中国系あたりの資本は乗り気でやって来るかもしれないが。

そうこうしている宗谷本線に並行して、国道40号線のバイパスとなる高規格道路の延伸工事が行われている。
現在は音威子府村〜中川町間を結ぶ音威子府バイパスの工事が進んでいる。工事の遅れから開通が延期になっているようだが、これができると急カーブが続く国道40号線のボトルネックである区間が解消される。
そう、さっき通ってきた天塩川に沿った区間である。鉄道は相変わらず蛇行する谷川にへばりつくように走り続けるが、車は新しいバイパスをほぼ直線でショートカットすることになる。

そう遠くない将来には、道央自動車道の士別剣淵ICから稚内までの高規格道路が全通するだろう。
ますます鉄道の存在意義が薄れてくる。
それでも存続する大義名分は、僅かでも利用者がいるから。

JR北海道も慈善事業で鉄道の営業をしているわけではないので、民間企業であるうちは宗谷本線の特に名寄〜稚内間の存続は逆立ちしても不可能だ。
北海道も沿線自治体も、そんな鉄道を維持するために必要な億単位の投資をする余裕などあるはずもない。

誤解のないように申し上げておくが、筆者は別に鉄道の廃止推進論者ではない。
どういう形であれ、存続できるのならば存続してほしいと考えている。
しかし現状を見ると、あくまで一般論で考えても、宗谷本線の特に名寄〜稚内間については将来的に存続するのはかなり難しいと言わざるを得ない。ていうか、残念ながら積極的に存続させる理由がほとんど見つからない。

ただ1つだけ一発逆転の可能性があるとすれば、日本国政府が鉄道の維持管理にかかる費用は国が負担するという決定を下すこと。
要は国として、鉄道は維持すべしという政策に方向転換したならばという話。

宗谷本線に限って、国策としての鉄道存続理由としてあるとすれば、対ロシアの国防上の理由か。
だめだろうね。貨物列車も走らなくなって、軸重14トンのDD51が70km/h以下で走るのがやっとこさの路線にDF200が戦車積んだ貨車牽引して走れるのかね。
大陸側の規格に合わせるべく広軌化と重軌条化工事が進んでいるロシアのサハリン側の鉄道とはえらい違いだ。

沿線自治体が、秘境駅だ観光だと言っている今が花なのかもしれない。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 20/07/11 | Comment(2) | 鉄道評論
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