なつかしの列車名『大雪』が復活

12月16日にJR北海道のHPで2017年3月ダイヤ改正の概要が発表された。
こんかいのダイヤ改正で一番変わるのは道北方面の特急列車で、いままで全ての列車が札幌発着としていたのを、札幌直通は一部だけ残してあとは旭川発着になる。


JR北海道 プレスリリース
2016.12.16平成29年3月ダイヤ改正について

◆札幌〜稚内間および札幌〜網走間の一部特急列車を旭川でお乗換えいただく体系とします
【ダイヤ改正日】平成29年3月4日(土)

■特急体系の見直し
・札幌〜網走間2往復を「オホーツク」、旭川〜網走間2往復を「大雪」として運転します。
・旭川での特急同士のお乗換はすべて同一ホームとなります。


旭川〜網走間に短縮される2往復は『オホーツク』から『大雪』へと列車名が変更され、旭川〜稚内間に短縮される2往復は『サロベツ』となる。
旭川発着になる特急列車は札幌〜旭川間の特急『ライラック』が接続し、特急料金も旭川駅での乗換ならば通しになる特例も設けられる。

長時間乗っているよりも乗換があった方が気分転換になるかな。
それに、車内販売が廃止された今では、何も持たずに乗り込むと下手をすると5時間以上も飲まず食わずになりかねないので、ホームで買い物もできるようになるな、などと考えたりする。

そのためには旭川駅ではキヨスクのある3・4番線での乗換にする必要があるが。駅弁の立売ワゴンも復活したりして。

昔、稚内にいた頃、よく急行『宗谷』や『サロベツ』に乗って札幌へ行ったものだった。
あの当時は上り列車は旭川で10分以上も停車して、その間に札幌方面へのL特急が先に発車するというダイヤだった。
名寄や士別からのSきっぷ所持者は、そのまま特急にも乗れるので早く着く特急に乗り換える人が多く、混んでいるのは名寄〜旭川間で、旭川〜札幌間は空いているのが常だった。
稚内からのSきっぷ所持者は、特急に乗り換えると特急料金が必要になるので、我慢してそのまま乗っていた。

旭川の停車時間はちょうど食事の時間帯とも重なるので、駅弁売りのワゴンも繁盛していたね〜、懐かしいね〜。
稚内方面の特急分断は案外定着するかもしれない。旭川までの乗客も結構多いし。

一方石北本線の方は、対札幌の需要が高いのか、旭川で乗客が入れ替わっていた印象はあまりない。
北見・網走方面は高速バスの方が本数が多く、所要時間も早いくらいなので、どうなるんだろう。半分の列車が旭川で乗換えということになると、心理的には札幌行きでないと安心感は無くなる。本数の多いバスを選択する人が増えそうだ。

以上、2017年3月のダイヤ改正について無責任に考えてみました。





『大雪』と『ライラック』、またずいぶんと懐かしい列車名称が復活するものだ。

『大雪』と聞くと、札幌〜網走間に運転されていた夜行急行列車を真っ先に思い出す。こんなことを思い出すのはもう20代や30代の人では無いだろうな。歳がばれますな。

1992年のダイヤ改正で特急に格上げされ『オホーツク』の一員となるまでは、機関車牽引の客車列車として運転されていた。
札幌から旭川方面への実質最終列車でもあったので、最終の特急は『大雪』だったなどと思い出す人も多いだろう。

さらに古くは、石北本線系統の昼行急行はすべて『大雪』だった。札幌発着の昼行2往復、旭川発着2往復、それに夜行1往復と最盛期には5往復もあった。
国鉄末期頃から次第に特急に格上げされ、『大雪』の名称は夜行列車のものとなる。

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 札幌駅に停車中の急行大雪。1990年1月撮影(多分)。

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 大雪号の寝台指定券。北海道フリーきっぷを使用した0円券。夜行列車を駆使してよく道内旅行に出かけたものだった。

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 『利尻』、『大雪』、懐かしい列車名が並ぶ時刻表。この頃は旭川方面への最終列車としての性格が強かった。
 JR北海道編集・時刻表ダイヤ’92年1月号より引用。 

夜行急行の特急格上げまで長らく急行列車の名称だったローカル色の『大雪』だが、調べてみるとなかなか波乱に満ちた運命の持ち主であることがわかった。
『大雪』の命名から石北線の優等列車に収まるまで。そんな列車の歴史を、時刻表を見ながらひも解いてみたいと思います。
時刻表と言っても書店で買った復刻版ですが・・・


■大雪の歴史1:前史

昭和9年(1934)年、上野〜青森間に急行103・104列車が設定された。上野〜青森間はそれまで全て夜行列車になっていたが、このダイヤ改正では大幅なスピードアップにより日着が可能になった。上野を午前中に出発すれば青函連絡船の夜行便に接続できることになる。それに接続する形で函館〜札幌間に急行3・4列車が設定された。

連絡線夜行便を介して本州と北海道の急行列車が接続するダイヤはこの時から始まった。そしてこの急行3・4列車こそ、『大雪』の前身である。

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 昭和9年より運転を開始した急行3列車。
 鉄道省編纂汽車時間表昭和9年12月号より引用。


昭和14(1939)年、急行3・4列車の運転区間を函館〜網走間に延長(旭川〜網走間は普通列車)。

昭和17(1942)年、太平洋戦争の影響により、急行3・4列車は廃止。連絡線夜行便に接続するのは函館〜名寄間普通列車の13・14列車となる。戦前の急行『大雪』の前身は、この改正で姿を消す。

戦時中は昭和20年までに函館〜稚内桟橋間の3・4列車を最後に急行列車は全廃される。


■大雪の歴史2:本州連絡急行として

昭和22(1947)年、函館〜旭川間に急行列車が1往復が復活するが、夜行列車としてであった。

昭和24(1949)年9月、連絡船夜行便に接続する急行列車が復活し、急行1・2列車となる。運行区間は函館〜網走間(旭川〜網走間は普通列車)。同時に函館〜釧路間(札幌〜釧路間は夜行準急)も急行3・4列車として復活している。

のちに夜行『大雪』となる函館〜網走間の準急503・504列車(準急区間は夜行となる札幌〜北見間)もこのとき運転を開始した。

昭和26(1951)年4月、北海道の急行列車に初めて名前が付けられた。網走行き1・2列車(旭川〜網走間は普通列車)が『大雪』、根室行3・4列車は『まりも』と命名される。

ここから『大雪』としての歴史が始まる。しかし石北線急行として定着するまで、この『大雪』の名称は紆余曲折となるのだった。

昭和30(1955)年、運転区間が函館〜旭川間に短縮となったが、名称は『大雪』のままとなる。

昭和33(1958)年、上野〜青森間に特急『はつかり』が運転開始、連絡船夜行便を介して函館駅で接続するのが『大雪』だった。

本州側も北海道側も1・2列車だった。まさに北海道内急行のエースである。

これにより上野を昼過ぎに出発して、連絡船夜行便を介し、札幌に午前中に着くという画期的なダイヤが確立することになった。
このダイヤはよほど功を奏したのか、のちに登場する特急列車にも受け継がれることになる。
急行『大雪』としてはまさに栄光の時代であった。

また同じくして、函館〜網走間準急503・504列車に『石北』の名称が付けられている。

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 本州連絡急行時代の急行『大雪』。特急『はつかり』も気動車化されスピードアップしている。
 時刻表復刻版1961年9月号より引用(上野−青森−北海道連絡)

昭和36(1961)年、函館〜旭川間に待望の特急列車が走るようになった。名称は『おおぞら』と名付けられた。
(この『おおぞら』は滝川で分割し釧路まで延長されるようになり、のちに釧路特急となる)
『はつかり』〜『大雪』から受け継いだ連絡船夜行便を介したこのダイヤは、青函トンネル開業後も『北斗星』や『はまなす』に受け継がれることとなる。

一方、栄光の座を特急に奪われた『大雪』であるが。列車番号を11・12列車、運転区間を函館〜札幌間と変えて存続していた。特急は千歳線経由でこちらは小樽経由だが、特急『おおぞら』の補完列車という役割になった。

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 『おおぞら』の補完列車として列車番号を11列車と変えた『大雪』。
 時刻表復刻版1961年10月号より引用。


■大雪の歴史3:石北線の急行列車として

昭和38(1963)年、名前の由来となった大雪山近くを走らなくなった『大雪』は、名称を『ライラック』(のちに『ニセコ』の一員に)と改称され、気動車急行となる。

同時に『大雪』の名称は2年前から走り始めていた旭川発着の石北線の急行『はまなす』のうち、札幌発着に改めた1往復に充てられることになった。
函館発着時代から客車列車だったが、ここで気動車急行として生まれ変わることになった。

ここに石北線急行として再登場することになる。

昭和39(1964)年、函館〜網走間(函館〜釧路間も併結)に特急『おおとり』が登場。石北線初の特急列車となる。

昭和43(1968)年10月、ダイヤ改正時にそれまで列車ごとに付けられていた名称を方面別に統合されることになった。
それまで石北線の優等列車は特急『おおとり』を筆頭に急行は『大雪』、『あばしり』、『はまなす』、『オホーツク』それに夜行の『石北』とバラバラだったものを急行は全て『大雪』に統合されることになった。
これによって急行『大雪』は夜行も含め1〜6号と6往復(1往復は季節列車)もの大所帯となる。旭川発着の『旭川』はのちに『オホーツク』と改称される。

ちなみに、大雪と同時に命名された『まりも』の名称は、『狩勝』の一員に組み込まれたために一旦消滅する。(のちに石勝線経由の急行列車として復活する)

昭和47年、急行『大雪1・4号』を格上げした形で特急『オホーツク』が運転開始。このスジは昭和38年に気動車急行『大雪』として走っていたものである。『おおぞら』の登場以来、またも特急に座を明け渡すことになった。

旭川発着の急行だった『オホーツク』は特急の名称になった為に『大雪』の一員として組み込まれた。よって『大雪』の本数は変わっていない。

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 1号から5号まで、夜行含め5往復もの大所帯時代の石北本線時刻表。
 交通公社の北海道時刻表1973年12月号より引用。

昭和55年(1980)年、夜行『大雪』の急行区間を網走まで延長。それまでは北見〜網走間は普通列車だった。
上り『大雪』に網走駅で乗り遅れても、後から出る湧網線最終列車に乗れば遠軽で追いつくのは一部で知られていた。それも過去のものになった。

昭和57(1982)年、夜行の座席車を14系客車に置換え。
昭和58(1983)年、夜行の寝台車を14系客車に置換え。長らく旧型客車を連ねていた夜行『大雪』だが14系客車に置き換えられて面目を一新する。この頃にイラストデザインのテールマークが登場した。
なお、特急『おおとり』と一部の『オホーツク』は80系気動車のままで、特急の方がアコモデーションが下ということになってしまった。

昭和60(1985)年、札幌直通の昼行1往復を特急『オホーツク』に格上げ。昼行のもう1往復は旭川〜遠軽間(名寄線直通)のみとなる。

昭和61(1986)年11月、国鉄最後のダイヤ改正で、それまで旭川〜遠軽間に1往復あった昼行列車が旭川〜北見間の臨時急行となる。多客期のみ運転になった『大雪81・82号』はキハ54単行でヘッドマークも付いていたらしい。
定期の昼行『大雪』が無くなったことにより『大雪3・4号』だった夜行列車は再び『大雪』と堂々たる名称になる。

昭和63(1988)年3月、それまで函館〜網走間の特急だった『おおとり』が札幌〜網走間に短縮されたために『オホーツク』の一員になっている。多客期に運転されていた旭川〜北見間の急行『大雪81・82号』が特別快速『きたみ』として運転開始。

『大雪』を牽く機関車の先頭に円形のヘッドマークが取り付けられたのはこの年の11月からではなかっただろうか。
テールマークから引き継いだデザインのヘッドマークを掲げて貫録十分と言いたいが、この頃の基本編成はB寝台車2両と座席車2両の4両編成。大型の機関車が泣くような寂しい姿だった。

平成4(1992)年、ながらく客車編成だった夜行列車を特急気動車に寝台車を組み込んだ編成に変更することになり、特急に格上げされる。これにより夜行列車も『オホーツク』の一員となり、『大雪』の名称は消えることになった。

その夜行『オホーツク』も平成18(2006)年から季節列車化、平成20(2008)年3月16日の網走発の運転を以て最後となった。


■大雪の歴史4:石北線内の特急列車として

平成29(2017)年3月、再び『大雪』の名称が旭川〜網走間の特急として復活する。1992年以来だから25年ぶりということになる。
車両は『オホーツク』から引き続き183系が使用される。いずれ近いうちには261系に置き換わり、一新することだろう。

ところでこの大雪の読み方、『たいせつ』と『だいせつ』が混在している。地理系は『たいせつ(TAISETSU)』、学術系は『だいせつ(DAISETSU)』との読み方が多い。大雪山国立公園の読み方は『だいせつ』となっている。

列車名称は一貫して『たいせつ』だった。こんど復活する特急『大雪』の読みもやっぱり『たいせつ』なんだろうか。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
posted by pupupukaya at 16/12/18 | Comment(0) | 鉄道評論

ネットに負けたツインクルプラザ

昔は飛行機のチケットを買うのに旅行代理店へ行ったものだった。ホテルと飛行機やJR券が一緒になったパックなども重宝したものだった。

しかし、ここ10年ほど旅行代理店の世話になったことは無い。

私自身が旅慣れて全部自分で手配できるようになったということもあるが、一番の理由はインターネットですべてできるようになったからだ。

日本国内だけでなく、世界中のホテル、飛行機、鉄道がインターネットで予約と決済ができる。
とにかく便利になった。

ところが、便利になった陰でひっそりと消えゆくものがある。

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 JR北海道、旅行センター閉店のお知らせ。


JR北海道のHPからであるが、1つはJR北海道プラザ大阪支店の閉店、もう1つは苫小牧駅と東室蘭駅のツインクルプラザである。
これで駅のツインクルプラザは、札幌、札幌南口、釧路、帯広、旭川、函館それに法人旅行の7店舗を残すのみとなった。

国鉄から民営化されてJRになってから力を注いだ事業の1つが、自社の旅行代理店だった。
国鉄時代から旅行センターの名で主要駅にだけあった店舗も、JRになってから急に増えだした。
最盛期は1990年代だろうか。手元にある1999年の時刻表で、JR北海道の旅行センターの店舗数を数えると、37店舗もあった。
『ツインクルプラザ』『JR北海道プラザ』『JRトラベルセンター』など名称は様々だが、それだけ需要があったということなのだろう。

札幌市内の街中でも、あちこちでJR北海道のカウンターを見かけたものだった。

それから11年後の2010年時刻表では若干減って25店舗。
この時代はすでにネット時代となっていて、私自身の旅行の手配はもうすべてネットで行っていた。

さらに時は進み、2015年。
JR北海道プラザ東京支店の閉店は、それなりに話題になったようだった。


北海道新幹線の開業を待たずに、不採算店舗として東京から撤退することになる。
JR北海道自体の業績悪化ということもあって、その後は堰を切ったように閉店が続くことになる。

旅行業とは客と交通機関あるいは宿泊業者との間を取り持って、手数料を取るというビジネスモデルである。
ところが今はインターネット時代。インターネットで集客し、客が自前で交通機関なり宿泊先なりを探して決済までできるようになればもう旅行代理店など必要ないのである。

飛行機のチケットも、航空会社のHPから直接インターネットで購入するのが一番安い。ホテルは今は『楽天トラベル』や『じゃらんnet』などインターネットの宿泊予約サイトが全盛だがこれからどうなるんだろ。
ホテルのHPに自前の予約フォームをつけたところも多くなってきた。

一昔前ならば、ホテルに泊まるときは直接予約するよりも旅行代理店を通したほうがサービスが良いというのが常識だったが、最近ではそんなこともなくなってきているようだ。

というわけで、JR北海道が旅行代理店から撤退するのは正解といえなくもない。

ところで、このたびツインクルプラザの苫小牧・東室蘭支店の閉店に当たって、初めて閉店理由を明らかにした。
それは以下の通りである。

“航空券や宿泊などはインターネットによる直販が一般的になり、店舗カウンターでの販売が構造的に減少しており、収支改善の目途が立たないため”

”インターネットによる直販が一般的になり”

JR(北海道に限らず全部)よ、わかっているならなぜそれをしない。

ネット予約?それならJR各社でやってるよって?

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 えきねっとの予約画面。

たしかにやっている。ただ、決定的に違うのは、JRのネット予約は乗車前に指定券券売機かみどりの窓口できっぷを受け取る必要があるということだ。

発車間際に駆け込んでとか、窓口に行列がという場合に全く対応していない。
これでは窓口に出向いてそこで買うのと何ら変わりない。

それに、予約して決済もしてあっても、みどりの窓口の無い駅や無人駅から乗ることは不可能であるということだ。

不便なんだよね。いちいちみどりの窓口のある駅へ行って切符を買うのが。

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 わざわざみどりの窓口に出向く必要があるJR券。10時打ちなんて馬鹿げたことも未だに健在。

例えば飛行機ならば、JALならばJALのHPから便の検索、予約、決済まですべて自宅のパソコンやスマホでできる。
チケットはこれも自宅でプリントすればOK。

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 オンラインですべてが済む飛行機の予約とチケット購入。

いや、プリントすらする必要がなく、スマホでバーコードを表示できればチケットすら要らないのである。当日直接保安検査場へ行き、そこのバーコードリーダーにかざすだけで飛行機に乗れるのだ。

海外の鉄道も飛行機と同じようになっていて、自宅のパソコンで予約・決済。
あとはチケットをプリンターで印刷し直接列車にのればOKという仕組みだ。

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 インドの鉄道チケット。プリントして持参すれば直接列車に乗れる。

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 ノルウェーの鉄道チケット。これもプリントするだけ。

今北海道では駅の無人化が進んで、自治体が代わって駅の委託業務をするなどしている。

ますます駅の無人化は進むだろうし、きっぷを買えないとなると潜在的な利用者も逃(のが)してしまうことになる。
どうすればいいんだろうか。

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 無人駅化の張り紙。

答えはJR北海道のツインクルプラザ閉店のお知らせのなかにあるじゃないか。

”インターネットによる直販が一般的になり” なんですよ。

インターネットによる直販を一般的にすれば、みどりの窓口も旅行センターも必要なくなるんですよ。

極端な話、駅は無人駅で十分になる。きっぷを売る必要がないので、駅の管理だけどこかへ委託すればいいのだから。
ネットで購入済みの客は、改札口や車内改札でチケットを見せて、列車に乗るだけでいいのだ。

不採算な旅行センターや駅の営業をする必要がなくなるのである。

自宅でプリントじゃきっぷの偽造もできるんじゃないかって?

だから、航空券ではもうすでに実用化してるんですよ。海外の鉄道も実用化してるんですよ。

なぜに日本のJRだけが頑なに窓口発券にこだわるのか、私には理解できませぬ。
ここを早急に改善しない限り、JR北海道に未来はありません。

何度も言いますが、

潜在的な利用者も逃してしまっているのです。


今回は何だか主張してしまいましたが、お読みくださいましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 17/12/30 | Comment(1) | 鉄道評論

今どきの時刻表はつまらない

最近、昔の時刻表を眺めては、ため息をつくことが多くなった。

うちにある時刻表で、復刻版を除くと一番古いのは交通公社の時刻表1972年5月号になる。
その次が同じく1976年9月号1980年8月号1983年3月号と続く。

いずれも東京に行ったときに、神田神保町の古本屋で手に入れたもの。

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 手持ちの時刻表。

実際に当時手に入れたもので一番古いのは青函トンネルと津軽海峡線が開業した1988年3月号

さすがに毎月は買わないが、主要なダイヤ改正があったり、旅行計画を立てるたびに購入していた。

時刻表は基本捨てないで取っておいたのだが、溜まる一方で、段ボール箱3個くらいになったものだった。
使い込んでボロボロのものが多く、またカビが生えたりして、10年ほど前に泣く泣く処分してしまった。

一番新しいのは、JR時刻表2017年3月号
これはたしか北海道新幹線に初めて乗るから買ったんじゃなかったかな。

同じ年の秋に山陰方面へ旅行しているが、その時のプランニングでもこの時刻表を使った。
大まかなプランを考えるのだったら、少しくらい古い時刻表でも構わない。

正確な時刻や運転日は、ネットで調べればいいのである。
そんなわけで、もう10年以上前から時刻表を買うことは、ほとんど無くなった。

時刻表の用途は列車の時刻を調べるだけではない。

そう、読み物としての時刻表である。
これは一般の方々には理解しがたいところだろうが、好き者にはこの数字の羅列が物語になるのである。

大きなダイヤ改正があると、時刻表の発売日が待ち遠しかった。
発売になり入手すると、ダイヤ改正号の時刻表を食い入るように読んだものだった。

  

私が記憶として持っている中で一番印象に残っているダイヤ改正は、国鉄最後の白紙大改正となった1986年11月1日改正である。

この改正で多くのローカル急行や特急北海などが廃止となったが、特急『おおぞら』や『北斗』それにL特急『ライラック』や『ホワイトアロー』の増発やスピードアップ、札幌のほか都市近郊の普通列車の大増発が行われた。

もう確定事項となっていた分割民営化を先取りし、従来の国鉄型ダイヤからの脱却ともいえる画期的な改正だった。
その大筋はJRになっても長きにわたり引き継がれることになる。

その次に印象深いのは1988年3月13日改正

青函トンネル開通により、津軽海峡線が開業したダイヤ改正だ。

上野〜札幌間に寝台特急『北斗星』、青森〜札幌間に急行『はまなす』、青森〜函館間に快速『海峡』が運行を開始した。
特急『はつかり』は2往復を函館まで延長、大阪からは寝台特急『日本海』が1往復函館まで延長された。

国鉄から引き継いだ余剰車両の有効活用とはいえ、急行列車や昼行の客車列車の新設はこの当時でもかなりユニークなものだった。

一方で、永らく津軽海峡の主役だった青函連絡船は、この日が定期便としては最後の運航となった。

今まで本州と分断されていた北海道の鉄道にとっては、一大エポックの出来事だった。
そんなダイヤ改正号の時刻表読みながら、子供だった私は、まだ行ったことのない東京より先や、さらに遠い九州や四国に思いをはせていた。

この時刻表は表紙も無いくらいボロボロになっているが、これだけは捨てないで取ってある。

  

今の時刻表はつまらなくなった。
つまらないといっても、別に時刻表や出版社が悪いわけではない。

時刻表を読んでも、ダイヤに面白いと思える要素がすっかり減ってしまったことだ。

2000年代初頭までは、細々とながらも運行していたブルートレインをはじめとした夜行列車が走っていたし、JR各社の在来線の特急列車は新車投入やスピードアップなどを競っていた。

夜行の普通列車や快速列車も健在だったし、青春18きっぷのシーズンとなると、時刻表を基にその夜行列車を軸にして普通列車の乗り継ぎプランを立てるのに熱中したものだった。

そのつまらなくなった原因は、1番は新幹線であり、2番はL特急によるパターンダイヤだろう。

新幹線が開業したりスピードアップしたり便利になることはとても喜ばしいことだ。

新幹線やL特急のはパターンダイヤは利用者にとっては便利だ。
毎時何分発のは〇〇号で、どこ行きで、停車駅はどこでとほぼ決まっている。

時刻表が無くても決まった時間に決まった列車が発車するのでわかりやすい。
利用者サイドからすれば大歓迎である。

しかし、時刻表好きからすれば、それでは物足りない。
1つの線路上を、多種多様な種別や行先の列車が抜きつ抜かれつして行き交う様を読み取るのが、時刻表を読む醍醐味である。

パターンダイヤは利用者にはわかりやすいが、複雑なダイヤを読み解く楽しさは無い。

それでも、ギチギチに詰め込んでいる感がある東北・上越新幹線の東京口のダイヤなんかは読み解くと面白いのかもしれない。
しかし、スジ屋さんの職人技に感心こそすれ、読んでいて旅情めいた感情が沸き起こることはないだろう。

  ★

例えば、交通公社の時刻表1980年8月号を本棚から出して開いてみる。
国鉄時代のもので、東北・上越新幹線はまだ開業前の時刻表だ。

東北本線上野発のページを開くと、特急あり急行あり普通あり夜行あり。

まだ東北新幹線などなかった時代、上野発の特急列車がそこのけそこのけと言わんばかりに幅を利かせ、そしてその脇を急行列車が並行して走る。
このページだけでは見えないが、上野〜大宮間は高崎線の列車も同じ線路を走っていた。

普通電車などはその間を遠慮がちに入れさせてもらっているような存在で、中には上野駅へ乗り入れさせてもらえず、大宮発着の列車もある。

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 交通公社の時刻表1980年8月号、東北本線下りのページ。

様々な列車が抜きつ抜かれつ走る様を時刻表で読んでいると、私はこの時代は子供だったので実際の列車に乗ることはなかったが、何やら往時の列車や光景が目に浮かぶようだ。

昼間は電車の特急や急行が主役だが、19:00発仙台行L特急『ひばり29号』が出ると、19:08発青森行急行『八甲田』から始まって夜行列車の発車時間帯となる。

最終が23:55発の会津若松行急行『ばんだい11号』と仙台行『あづま3号』の併結列車。
その間に夜行急行列車は7本、寝台特急列車が4本、臨時列車を含めると全部で21本もの列車が19時過ぎから23:55までに上野駅を発車して行くのである。

この頃が、上野駅に発着する在来線列車の最盛期であった。
この2年後には東北・上越新幹線が大宮発着ながらも開業し、在来線の特急・急行は大幅に縮小されることになる。

これが現在の東北本線(宇都宮線)のページを見ると通勤電車ばかり。
高崎線はまだ在来線の特急が残っているが、これとて特急が通勤電車に遠慮して走っている感がある。

  

ダイヤ改正の度に時刻表がつまらなくなるのは新幹線開業である。
新幹線が開業すると、並行する在来線の特急列車や夜行列車が廃止になる。
また最近は並行する在来線を第三セクターへ移行することも増えた。

第三セクターは基本的に通勤通学のための鉄道で、ダイヤとして見るとつまらない。
快速電車を走らせて新幹線と競争すれば面白いと思うが、そういうことをしたがる鉄道会社はあまりないようだ。

もう1つは、これは北海道に限った話だが、ダイヤ改正の度に列車本数が削減され、スピードもダウンする傾向がここ10年ほど続いている。

JRになってからスピードアップや増発をしてきたが、車両や線路のメンテナンスが追い付かないために事故が頻発するようになってから、このようなことになっている。

2013年11月1日のダイヤ変更”は、JR北海道の運命を象徴するようなものだった。
主な内容は、特急列車の減速による所要時間の増加というものである。

もはや”ダイヤ改正”と呼べるものではなく、JR北海道自ら”ダイヤ変更”と呼ぶほどだった。
183系気動車のエンジントラブルから、特急『北斗』と『サロベツ』が長期運休中のなかでのことであった。

この後も、ダイヤ改正ごとに特急の減速や運転区間の短縮、不採算のローカル列車の削減、駅の廃止が相次ぐことになる。

ローカル線の廃止は、JR化後に上砂川支線や深名線が対象になったが、それ以降は落ち着いていた。
しかし、JR北海道の経営悪化が叫ばれるようになり、不採算路線の廃止が始まった。

ダイヤ改正の度に時刻表が寂しくなってゆく。
昔のように、ダイヤ改正の度にワクワクする感はとうに忘れてしまった。

  

道内で、最近の大きなダイヤ改正といえば2016年3月26日ダイヤ改正だろう。

北海道新幹線新青森〜新函館北斗間の開業である。
暗い話題ばかりつきまとうJR北海道にとっては、久々の輝かしいダイヤ改正であった。

同時に函館〜新函館北斗間は電化され、快速『はこだてライナー』が運行を開始し、特急『北斗』系統はキハ261系の新車が投入され、過去最高の12往復体制となった。

新幹線に並行となる木古内〜五稜郭間は、第三セクターに移行となり、道南いさりび鉄道と名を変えた。
地域密着ダイヤとなり、若干増発されている。

しかし肝心の新幹線のダイヤでは、目を引き付けるようなものはなかった。

要は、新青森止まりの『はやぶさ』をただ新函館北斗まで延長しただけで、これといって目新しい要素は見当たらなかった。
開業前は期待していた所要時間や本数も、新しいダイヤでは落胆するものでしかなかった。

その華々しく開業した北海道初の新幹線も、蓋を開けてみれば低い乗車率や年間100億円近い赤字など、散々たる営業成績となってしまった。

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 道民の期待を背負って開業した北海道新幹線。新函館北斗駅に入線する『はやぶさ』。

その後のダイヤ改正では、東京〜新函館北斗間の所要時間が若干短縮されたものの、基本的には変わらない。
東京口の過密ダイヤを優先せざるを得ないという事情もあるのだろう。

そのほかにも、東北新幹線は単線区間を持つ在来線にミニ新幹線として乗り入れていたり、福島駅でのホームの制約、北陸新幹線も乗り入れるようになった東京〜大宮間の線路容量など、他社区間の北海道新幹線まで手が回りませんというのが見て取れる。

まだまだ先の話だが、2031年春を予定している札幌延伸開業が待たれるところだ。

その時は、北海道の鉄道にとっては青函トンネルの津軽海峡線開業以来の一大エポックとなるはずだ。
華々しいダイヤ改正となるのだろうが、そこに新ダイヤ改正号の時刻表を読みふけるような魅力は期待していない。

引き換えに、並行する函館〜小樽間の在来線は第三セクターに移行することになっている。
特急『北斗』系統は、長万部〜札幌間に短縮され、本数も大幅に減ることだろう。
三セクは普通列車しか運行しないだろう。そんな時刻表はつまらない。

そもそも、その頃に北海道の鉄道が、鉄道網として存在しているのかも怪しい状況だ。

  

在来線の特急列車はダイヤ改正の度に縮小する一方だ。

これは全国的な傾向で、都市間列車の主力は新幹線へ、在来線は通勤通学輸送をメインにするという流れは止まらないようだ。

年々拡充する高速道路網。それに新幹線のライバルともなる存在になったLCC(格安航空)の台頭。
また、ひところは凍結状態だった整備新幹線の建設も現実のものとなった。

まとまった需要のある都市間輸送は新幹線へ、投資をしても発展の見込みがない在来線特急は合理化へというのが今の流れであろう。

大都市周辺の電車だけはダイヤ改正の度に充実するし、経営的にもそれが正しいのだろうけど、時刻表はそれではつまらない。

  

私は、今の時刻表に面白さや将来を求めるのはやめることにした。
過去の時刻表を入手し、そこに物語や旅情を求めることにしたのである。

DSCN2746.JPG
 交通公社の時刻表1980年8月号、連絡早見表 東京から北海道方面へより。

私は北海道の人なので、どうしても東北や北海道のページに目が行く。

上野を特急で発つと青森駅では青函連絡船に乗り換える。
函館駅からそれに接続して、道内各地への特急が接続するのだった。

上野から青森までの所要時間は、一番早いのが特急『はつかり11号』の8時間43分。他の『はつかり』は9時間前後となっている。
このはつかり11号は青森で青函連絡船の夜行便に接続する。函館には、ほとんどの時期ならば夜明け前の4:25着。

函館駅では海線経由で札幌へ、さらに滝川経由で釧路まで行く特急『おおぞら1号』。それに山線経由で札幌・旭川まで行く特急『北海』が待ち受けている。そのあとは山線経由の札幌行になる急行『ニセコ1号』。

このダイヤはのちに寝台特急『北斗星』や新幹線から急行『はまなす』の乗り継ぎダイヤに受け継がれる。

DSCN2744.JPG
 交通公社の時刻表1980年8月号、千歳線・室蘭本線・函館本線・青函航路(上り)より。

上は札幌〜函館間の千歳線・室蘭本線・函館本線のページ。
千歳線はまだ電化前、千歳空港駅開業前のもの。

特急は基本的に函館駅で青函連絡船に接続し、青森からまた各方面への特急に接続するダイヤだった。
連絡船を介して、東京や大阪へと連絡するダイヤだった。
反面、道内だけ利用となると不便なダイヤだったと想像する。

もう1つは普通列車の少なさ。
札幌発でも基本的に1時間に1本。

この頃は、国鉄の列車のことをみんな汽車と呼んでいたものだった。
時刻表を見て、列車の時刻に合わせて家を出るのが、この時代の汽車の乗り方であった。

とりあえず駅に行けばすぐに乗れるようなものではなかった。

DSCN2743.JPG
 交通公社の時刻表1980年8月号、池北線・釧網本線・名寄本線より。

北海道へ渡れば、ローカル線が普通にあった。
またちょっとした路線であれば急行列車も運行されていた。

札幌へ直通する列車ならばそれなりに利用価値はあったのだろうが、普通列車と車両も所要時間も大差ない急行も多数あった。このあたりは沿線の人たちのシンボル的な列車だったんだろうな。

自分の町に急行が止まるというのは、それなりに自慢になることだったろう。

DSCN2747.JPG
 交通公社の時刻表1980年8月号、索引地図より。

石勝線開業前で、一番路線網があったころの路線図。

この当時私が大人だったら、毎週のようにどこかのローカル線へ乗りに行ったのかもしれない。
もちろん金曜日発の夜行列車で。

しかし改めて見るとすごいね。
よくここまでの路線網が出来上がったものだ。

人口希薄地帯にこれだけ鉄道を敷けばそりゃ国鉄も赤字になるわ。

過去の時刻表ながら、いい大人になってもワクワク感は止まらない。

しかし鉄道ファン、とりわけ乗り鉄(列車に乗ることを趣味とする鉄道ファン)にとって、列車は実際に乗ってこそナンボである。
時刻表を読んで、空想しているだけでは欲求不満になってしまう。

  

夜行列車や長距離列車に乗りたくても、現在の日本ではもう叶わない。

私はそれを海外に求めることにした。
いわゆる海外鉄というやつだ。

毎年私が海外に出ていくのは、日本ではもう絶滅危惧種になった夜行列車や長距離列車に乗るためである。

乗り鉄の欲求を満たすだけならばそれでも良い。
残念なことに、海外の鉄道には日本のような緻密な時刻表は存在しない。

鉄道時刻表が出版物として販売されているのは日本くらいじゃないだろうか。
トーマスクックの時刻表もあるが、海外の本屋で並んでいるのは見たことがない。

それはそうで、時刻表というものは自分が目的地に着くにはどの列車に乗って、どこで乗り換えればいいのかわかればそれで良いのであって、路線ごとにすべての列車が俯瞰できる時刻表など無くても何も困らないのである。

また日本と違い、海外の鉄道は1つの路線に列車が1日数往復だけというのがほとんどだ。
それどころか、定期列車が1日1往復も走っていればマシな方で、1週間に1日とか、貨物専用で旅客鉄道など運行していない路線も多い。

ヨーロッパは比較的緻密な旅客列車網が充実しているが、これも日本以上にパターンダイヤ化されていて、抜きつ抜かれつといった時刻表の面白さとは程遠い。

そんなわけで時刻表の面白さは、もう過去のものに求めるしかないのである。

  

過去の時刻表を読んでいると本当に面白い。
数字の羅列の中に、抜きつ抜かれつの物語を見ることができる。

これを小説化したのが松本清張や西村京太郎であり、エッセイとしたのが宮脇俊三である。

しかし、いくら物語といえども所詮は過去のもの。
存在しないし、実際に乗ることは叶わないのだ。

そんな物語を読んで空想にふけりながら、私は今夜もため息をつく。

タグ:鉄道 時刻表
posted by pupupukaya at 19/06/09 | Comment(0) | 鉄道評論

札幌〜函館間の夜行臨時列車について考える

2016年3月に北海道新幹線が開業してから早や3年以上が経つ。

北海道初の新幹線として開業当時は話題になったのだが、札幌あたりから見ると今ではすっかり影の薄い存在になってしまったようだ。

IMG_1445.JPG
 華々しくデビューした北海道新幹線だが・・・(2016年3月撮影)

それもそのはずで、札幌から北海道新幹線に乗るとすれば新函館北斗駅まで行かなければならず、札幌からだと最速の『スーパー北斗2号』でも3時間14分を要する。

札幌から北海道・東北新幹線利用でどれくらい時間がかかるのか、札幌発の始発列車、札幌着の最終列車の時刻を表にしてみた。

 2019/3改正
はやぶさ〜S北斗接続時刻表
 
はや
ぶさ27
S北斗
  23
  
S北斗
  2
はや
ぶさ16
東 京 発15:20  札 幌 発  6:00 
大 宮 〃15:46  新函館 着  9:14 
仙 台 〃16:54  新函館 発   9:35
盛 岡 〃17:37  新青森 着 10:37
新青森 〃18:45  盛 岡 〃 11:43
新函館 着19:47  仙 台 〃 12:29
新函館 発 20:13 大 宮 〃 13:38
札 幌 着 23:40 東 京 〃 14:04
  ※表中新函館は新函館北斗

札幌を朝6時に出発して午前中に着くのは盛岡まで。仙台は昼過ぎ、東京着は完全に午後になる。
ダイヤ上は札幌〜東京間が日帰り可能だが、常識的に見て日帰りは盛岡が限界だろう。

『スーパー白鳥』乗り継ぎ時代と比較しても所要時間が格段に短縮されたわけでもなく、札幌や函館から東北や東京行の割引企画乗車券もすべて無くなってしまった。

札幌あたりから見ると、新幹線も東北もすっかり後退してしまったのである。
これが解消されるには、2030年度末予定とされて目下建設中の北海道新幹線札幌延伸開業を待つしかないのだろうか。

  ★  ★

北海道新幹線開業前は北海道と本州を結ぶ主力列車は夜行列車だった。
寝台特急『北斗星』を筆頭に、豪華列車の『カシオペア』『トワイライトエクスプレス』といった列車が午後から夕方にかけて次々と札幌駅を出発して行ったものだった。

夜行列車が多かったのは、北海道対本州では所要時間がかかりすぎ、必然的に夜行となってしまうということもあった。

例えば上野〜札幌間の『北斗星』の所要時間は約16時間だったが、昼間走るとなると朝6時に出発しても到着は夜の22時だ。夜行とすれば夕方17時に出発すると、到着は翌朝9時となる。どちらが便利なのかは言うまでもない。

寝台特急の陰に隠れて存在していたのが、札幌〜青森間を結んでいた急行『はまなす』。
急行ということと、行先が青森ということに地味な印象はぬぐえないが、この列車は新幹線と組むことでその真価を発揮したのだった。

 2015/3改正
東北新幹線〜はまなす 接続時刻表
 
はや
ぶさ31
つがる
  9
はま
 なす
  
はま
 なす
つがる
  2
はや
ぶさ4
 東 京 発  18:20    札 幌 発22:00  
 大 宮 〃18:46    函 館 〃  3:22  
 仙 台 〃19:54    青 森 着  5:39  
 盛 岡 〃20:37    青 森 発   5:43 
 新青森 着21:37    新青森 着   5:48 
 新青森 発 22:02   新青森 発    6:17
 青 森 着 22:08   盛 岡 着    7:10
 青 森 発
  22:18 仙 台 〃    7:50
 函 館 着    0:44 大 宮 〃    8:59
 札 幌 〃  
  6:07
 
東 京 〃
  
  9:23

札幌からだといかに便利だったかは、上の時刻表をご覧いただければおわかりいただけるだろう。

青森と新青森での2回の乗り換えが煩わしいが、上りならば札幌を夜22時に出発すると9:23には東京に着けるのだった。
こうして見るとその韋駄天ぶりに改めて驚く。

新宿や渋谷でも10時前に着くことができたことになる。
飛行機ならば新千歳空港7:30発の便が始発便だが、羽田空港着が9:05で、そこから電車で各所へとなると軽く10時を過ぎてしまうわけで、飛行機より30分は早く東京に到着できることになる。

青森で乗り継いだ特急『つがる2号』の秋田着は8:22となっていて、こちらも十分使える乗り継ぎだ。

下りは東京発19:20の『はやぶさ33号』からの接続ができないのは物足りないが、各駅からは就業後に乗ることができるので夜行としては合格点だろう。

もう1つが、札幌や函館から東北・東京まで往復の企画乗車券が発売されていたのも新幹線が利用しやすかった。
例えば、札幌から東京フリーエリアまで『東京往復割引切符』というのがあって、値段は14,910円だった。
これは乗車券としての効力で、特急券等は別に買う必要があった。
これで『はまなす』(自由席)〜『はやぶさ』(指定席)の組み合わせで往復だと30,610円となる。

P93000171.JPG
 東京往復割引切符(2011年10月に使用したもの)

格安の航空券ならばもっと安いのがあるので割安感は薄いのだが、0泊3日はホテル代もかからず、金曜の夜に『はまなす』で発てば東京で1日たっぷり時間を使って、日曜の朝に戻って来るということも可能だった。

その代わり身体はきつかったが・・・

残念ながら、当時からこの乗り継ぎはJRも特に宣伝しているわけでなく、急行『はまなす』もシーズンオフはがら空きだった。
豪華寝台特急の陰にあって、一般的に夜行列車というものが冴えないイメージというのもあったのかもしれない。

PA010023.JPG
 青森に着いた急行はまなす(2011年10月撮影)

PA010038.JPG
 新青森6:10発はやぶさ4号に乗り継ぐ(2011年10月撮影)

PA010057.JPG
 東京着は9:24だった(2011年10月撮影)

急行『はまなす』はもう1つ別の実力があって、北海道&東日本パス(略称:北東パス)ならば自由席に限り乗車できるという特典があった。のちに急行料金を別に払えば指定席や寝台車も利用できるようになった。
青森に朝5時台に着く効力は大きく、青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道、東北本線の普通電車を乗り継いで、仙台には12時台には着いたものだった。

古くは快速『ミッドナイト』が札幌と函館の間を結んでいた。その列車があったときは青春18きっぷで快速『海峡』に乗り継いで東北旅行をしていたなあ。
自由席はニスの匂いがする木の床で青いボックスシート。
翌朝函館で乗り継いだ『海峡』の自由席カーペットカーで横になってぐっすり眠っていた。懐かしいなあ。

それはともかく、私事(わたくしごと)ではありますが新幹線も東北も身近な存在だったのだが、北海道新幹線によって完全に分断されてしまった格好になる。

せめて札幌〜函館間でいいから臨時列車でいいから夜行列車があればねえ。
臨時『北斗』は観光シーズンを中心に増発されることが多いが、夜行というのは一度もない。噂にも聞かない。

新函館北斗を6:39に発車する『はやぶさ10号』に乗り継ぐことができれば、東北もだいぶ近くなると思う。
夜行バスも新函館北斗駅に立ち寄るようだが、そうまでして利用したいとは思わない。

北海道だけでなく、JR各社も夜行列車というのを嫌うようで、定期列車ではすでに東京と出雲市・高松を結ぶ『サンライズ出雲』と『サンライズ瀬戸』だけになってしまった。
臨時列車でも青春18きっぷが発売される春・夏・冬に運転される『ムーンライトながら』だけ。
これも年々運転日が減らされ続けている。

  ★  ★

話は変わるが、2020年東京オリンピックの、マラソンと競歩の開催地が札幌に決定したそうだ。
ここまで色々とすったもんだがあったようだが、とりあえず決定おめでとうございます(札幌限定)。

サッカーの1次予選も札幌ドームで行われることになっており、札幌在住の私からすると今から楽しみな話題でもあります。

とはいっても、マラソンのコースはまだ未定だし、選手や関係者の宿泊施設をどう確保するかというのも大きな課題となっている。
それだけではなく、日本各地や世界中から観客が札幌に来るわけで、今からホテルの建設を始めても間に合うはずもなく、ただでさえ繁忙期の中、ホテル不足がこれから大問題になるだろう。

そこで臨時夜行『北斗』の出番ですよ。

札幌〜函館間に夜行列車を運転するとどのような乗り継ぎ時刻になるのかを想定したのが下の表。
臨時夜行のダイヤは、かつてあった快速『ミッドナイト』のを踏襲しています。

【仮想】2020/7・8東京五輪臨時列車
はやぶさ〜臨時夜行 接続時刻表
 
はや
ぶさ37
臨時
 夜行
  
臨時
 夜行
はや
ぶさ10
東 京 発19:20  札 幌 発23:30 
大 宮 〃19:46  新函館 着  6:25 
仙 台 〃20:55  新函館 発   6:39
盛 岡 〃21:38  新青森 〃   7:41
新青森 〃22:32  盛 岡 着   8:44
新函館 着23:29  仙 台 〃   9:29
新函館 発 23:45 大 宮 〃 10:38
札 幌 着   6:00 東 京 〃 11:04
  ※表中新函館は新函館北斗

夜行は夜中に移動できるのが最大の売り。

0泊3日で札幌にオリンピック競技見物に出かけるとする。
東京発19:20発『はやぶさ37号』だと終業後でも余裕で乗ることができそう。

上りの東京着が11時を過ぎるのは物足りないが、札幌市内のホテルに泊まれば仮に取れたとしても1泊ウン万円はするだろうし、午前中の飛行機で戻ることを考えれば十分アリじゃないかな。
それ札幌発はマラソン競技が終わって、ススキノで一杯やってからでも十分に間に合う。

DSCN0715.JPG
 駅前通りを走る北海道マラソンの画像(2017年8月撮影)

オリンピックが終わっても、このダイヤならば観光でもビジネスでも申し分ないだろう。
何といっても、札幌からでも東京からでも午前中に各地に着けるのが魅力。
仙台あたりならば0泊3日でも行けるだろう。

同じ区間は貨物列車が24時間走っているわけだし、車両と乗務員を都合つければすぐにできそう。
車両は昼間の『スーパー北斗』の間合いでいいわけだし。

なかなかいいアイデアだなあと思ったわけですけど、ダメ?

ね、JR北海道さん。


〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 19/11/03 | Comment(0) | 鉄道評論

ツインクルプラザが閉店するんだとか→オワコンの営業モデル

 ◆ 役割を終えた旅行代理店

ツインクルプラザ』のブランド名で営業していたJR旅行センターが、法人向けの1店舗だけ残して営業を終了するという。
1987年のJR北海道発足以来33年間にわたって運営し、最大で27店舗を数えるまでになったが、最後まで残った6店舗も2021年度中までに全店舗が閉店することになる。

そのあたりの事情をJR北海道のHPから引用させてもらうと以下の通り。

「ツインクルプラザ(JR 旅行センター)」の閉店について

当社は、各種旅行商品や航空券・宿泊券等の販売拠点として、「ツインクルプラザ(JR旅行センター)」を JR 北海道発足後の 1987 年から 33 年間にわたり運営し、最大で道内外に 27 店舗を運営するまで旅行事業を拡大してまいりました。
しかしながら、インターネット販売への急速な移行や旅行代理店を介さない直販化の進展など、急激な事業環境の変化により、旅行店舗での販売額は年々減少しており、ネット化が更に進む状況を鑑みると、今後の収支改善を見込むことは難しいのが実情です。
 囲み内赤字は筆者

早い話、インターネットの普及で交通機関のチケット発売やホテルのクーポン券の発行によって手数料を取るというビジネスモデルが成立しなくなったということだ。

インターネットが一般に普及する前ならば、例えば飛行機に乗るならばチケットは空港のカウンターか航空会社の営業所まで出向く必要があった。そんなのは身近な場所にあるわけではないので、発券できる市内の旅行代理店の出番となる。
ホテルの予約にしても、直接宿泊施設に電話をかけるしかなかった。直接電話ならば向こうの言い値になってしまうが、旅行代理店を通せば各種プランから選べることができる。

そんなことも、平成時代も20年代になる頃にはインターネットで自分で選択も予約もできるようになった。
例えば飛行機ならば、自宅のパソコンで直接航空会社のHPからチケットを購入し、チェックインも自宅のパソコンで、チケットをプリントすればそのまま保安検査場へ直行というのが一般的になった。
いや、スマホでQRコードを表示できれば、紙出力の必要すらない。

ホテルの予約にしても、今はインターネット上に予約サイトがいくらでもあるし、ちょっとしたホテルならば自前の予約フォームで各種プランを選択できるところも多くなった。
温泉ホテルなども、昔は旅行代理店を通した客の方が優遇されるのが常識だったが、いまは逆になったようで、手数料を引かれるだけ敬遠されがちという話もある。

ツインクルプラザの営業終了を機会に、今回はJRの営業方法について考えてみたいと思います。
筆者は北海道民なので道内からの視点となるのはご容赦願います。


 ◆ 時代はチケットレス

今の時代、ネット上で何でもできるので、わざわざ店に出向いて予約したりチケットを買ったりする必要は無くなった。
JR旅行センターに限らず、店舗型の旅行代理店というビジネスモデルの終焉である。
令和も2ケタになるころには町から消滅している業種の1つだろう。

こんな話をすれば決まって「お年寄りガー」と言う人がいるが、お年寄りがわざわざ都心まで出向いてチケットを買うか、家でパソコンかスマホで予約〜決済まで出来るのがどっちが楽かと問えば答えは言うまでもない。
いまの70代以上のお年寄りならば難しいだろうが、令和も2ケタになる頃には、お年寄りでもスマホを普通に使う時代が来る。

自宅に居ながらネット上で予約、キャッシュレス決済というのは旅行業界に限らず、通販や各種サービスなど社会ではすでに一般的なことになっている。

しかし、どういうわけか大きな例外が1つあって、それはJR各社のチケット(きっぷ)購入。

えっ、ネット予約?チケットレス?
そんなの新幹線でもうやってるよって?

 『えきねっと 新幹線eチケットサービス』

残念ながらこれはチケットレスとは言い難い。
予約・決済までは自宅PCで行うことができるが、Kitacaなど交通系カードが必要となる。
Kitacaは残念ながら郵送による販売はしておらず、購入するには札幌圏のKitaca発売駅まで出向く必要がある。
札幌の人ならば一家に1枚くらいあるのだろうが、それ以外の人が持っている人は少ないだろう。

例えば函館の人がeチケットサービスを使って新幹線に乗るとする。
新函館北斗駅も函館駅もKitacaを購入することはできない。
何ともブラックなサービスではないか。

JR各社もインターネット予約サイトというのを設けているが、たとえばJR東日本の『えきねっと』で特急列車の予約をするとしよう。すると以下の流れになる。

乗車する列車名を選択
   ↓
乗車する列車と日時・区間を選択
   ↓
座席を選択
   ↓
クレジットカード等で決済
   ↓
==見えない壁==
   ↓
みどりの窓口または指定席券売機できっぷを受け取る
   ↓
改札口を通る
   ↓
列車に乗車

みどりの窓口または指定席券売機できっぷを受け取るという時点で、インターネット予約の利便性は半減している。
そもそもこれでは無人駅からの乗車はできないし、みどりの窓口があっても営業時間外だったら利用不可である。
もうだいぶ前から日曜日は休業とするみどりの窓口も増えた。

DSCN0232.JPG
 特急オホーツク停車駅だが、朝と夕方以降は無人駅になる。(上川駅)

日本人がえきねっと等で予約するのにもこれだけ面倒なのに、海外から外国人が日本のJRの予約をすることなどかなり難解と思われる。

在来線特急のE-チケット化によるメリットは新幹線などとは比較にならないほど大きいと思う。
特にJR北海道は特急停車駅でも無人駅が多いし、みどりの窓口の営業時間が短い駅も多い。

駅の人員も大幅に削減できるだろう。きっぷの発券のためだけに営業要員を配置しているのであれば無駄なことだ。
定期券ならば廃止になった石勝線の清水沢駅で行っていたような委託販売とすればよい。

これが利用者にとっても鉄道事業者にとってもWin-Win、というか、それがもう世の中の標準である。


 ◆ 海外の鉄道では

ここで海外の例として、一番直近で行ったことがあるフィンランド鉄道を挙げてみる。
インターネットでのチケット購入から列車の乗車までの流れ。

フィンランド鉄道(VR)の公式サイトにて乗る日時と列車を選択
   ↓
座席を選択
   ↓
価格が表示され、支払い方法を選択
   ↓
クレジットカード等で決済
   ↓
表示されたチケットを印刷
   ↓
列車に乗車

世界中どこだろうと、ネット環境さえあればその場でチケットを手にすることができ、無人駅だろうと直接列車に乗車して車掌が専用の端末でE-チケットのQRコードをスキャンすれば完了。飛行機と同じくQRコードさえあれば良く、スマホに取り込めばチケットレスということになる。

6.jpg
 決済まで終わるとE-チケットがDLできる。(フィンランド鉄道のHPの画面)

フィンランド鉄道では、インターネットでのE-チケット発券が一般的になったので、有人の出札窓口というものは存在しない。
大抵の駅には、日本でいう指定券券売機だけが置いてあるというもので、こういった駅には窓口は無いし、営業要員もいないようだ。
PCでもスマホでも簡単に買えるのに、わざわざ駅まで出向いてチケットを購入する人も少ないようである。

DSCN1421.JPG
 駅で営業しているのは券売機1台のみ。(フィンランド、ロヴァニエミ駅)

筆者が今まで乗ったことのある国を挙げると、ドイツ、ノルウェー、スウェーデン、インド、米国(アムトラック)、オーストラリア(NSW)など。どこも利用方法は概ね同様だ。
直接列車に乗ることができるのは、駅に改札口がないという事情もあるのかもしれない。

いずれにしても、ネット上でE-チケットだけ入手すれば駅に行って列車に直接乗ることができるという点は同じだ。


 ◆ 進化の方向が違うのでは

素人の意見として言わせてもらえば、このようなJR独自のシステムで進化してしまった以上、今さら改築も困難なのかもしれない。
その理由の1つがマルスという巨大な列車座席予約システム。
全国のみどりの窓口、旅行センター、旅行代理店に設置された専用端末からホストコンピューターを介して予約・発券する方式。
このため、予約システムを変えたくても、JR各社の足並みが揃わないと不可能という事情もあると思われる。

DSCN0990.JPG
 かつては主要駅で誇らしげに掲げていた看板だが。(長万部駅)

全国のすべての列車の座席を一元管理し、これも全国にある端末からどこでも予約・発券できるシステムも、全国に直通列車があった国鉄時代ならばともかく、これだけインターネットを始めとした通信網が発達した現在では、専用端末でしか発券できないシステムなど時代遅れでお粗末な代物でしかない。

要は利用者の利便などまったく無視して、JRだけがどんどん変な方向へ進化しているということ。
きっぷの販売システムも非効率な前時代的のまま変わらない。
うっかり無人駅から乗車すると、車掌から馬鹿高い正規運賃のきっぷを買うしかない。

近年日本が力を入れているインバウンド対策とは全く反対の方向でもある。
個人の外国人旅行客が新幹線や特急列車のチケットをネットで買うことができないのだ。
これではネットでチケットが買える便利な飛行機に乗ってくださいと言っているようなもの。

それでも少しずつではあるがチケットレスサービスも始まっている。
JR東日本の一部の在来線特急では『えきねっとチケットレスサービス』というのがあって、こちらはスマホ限定で、指定席特急券だけの効力という中途半端なものだが、例えば無人駅から乗車する場合は乗車券を車掌から買うこともできる。

これをもう一歩進めれば本当のチケットレス化となるのだが、無人駅から乗車ならばこれでいいが、自動改札機の問題をどうするか。
QRコード等が表示できるのなら空港の搭乗口にあるようなバーコード読み取り機を改札機に設置するのが手っ取り早いが、それなりに設備投資も必要になる。
考えれば考えるほど問題が出てくる。もうどうにもならないのだろうか。

新幹線は放っておいても利用客が圧倒的に多いので独自の世界に封じ込めてもやっていけるのだろうが、経営も乗客数も脆弱なJR北海道など、世界標準に合わせなければ生き残れないだろう。

いや、車だって自動運転、ビジネスでもAI化も目前である。もはや人海戦術に頼る営業を続けていては生き残れないという時代に突入しつつある。

ツインクルプラザ閉店の話でありましたが、旅行代理店に限らず、インターネット対応のできない業種はこの令和時代に淘汰されてゆくでしょうね。
これで行けば、利用者の減少が止まらない道内特急は消えてゆく運命なのでしょうか。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 20/03/14 | Comment(0) | 鉄道評論
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