2004年ロシアサハリン旅行記 はじめに

果てしなく続く森林地帯や草原。
タイムスリップしたかのように見える街角。

日本では忘れ去られてしまった何かを探しにサハリンに行きました。

稚内から宗谷海峡を渡ればそこは異郷の地。
かつては日本領で、樺太と呼んでいた地でもあります。北から南まで縦断した旅行記です。

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 宗谷岬から見えるサハリン(樺太)。

この記事は、閉鎖したホームページでアップしていましたが、このたびブログにて復活したものです。
実際の旅行日は2004年9月
当時の記事に加筆、画像の追加を行ったリメイク版となります。


 ◆ 3度目のサハリン

2000年、2001年と立て続けに2回サハリン旅行をした。
いずれも購読していた鉄道雑誌RJ社の企画で、F社主催で行われた団体旅行である。
鉄道に乗車するのが主目的の企画で、参加者には同好者も多く、鉄道好きの私には楽しい旅行であった。

2回も行けばさすがに十分だと思ったが、「旅はひとり旅でなければならない」という私には、2回の団体旅行は少し物足りなく、今度はぜひ個人旅行がしたいと思っていた。

細々とロシア語の独学もしていたが、しかし3度目のサハリン行きは、時間と金銭の都合がつかなかったことと、いろいろあって、なかなか実現するには至らなかった。

今回のサハリン旅行のきっかけは会社での昼休み、何気ない雑談で冗談まじりに言ったひとことに始まる。

「今年はもう旅行はしないのー?」
「9月に飛び石連休があるから、休みとってロシアにでも行こうかねーハハハ・・・」

今まで、単身での海外旅行経験は1度もない。

それでも、サハリンは2度も行ったことがある所だし、ロシア語も少しなら分かる。
稚内からフェリーで渡り、3泊4日程度で、ユジノサハリンスクとその近郊の観光くらいなら1人でも軽く行けるのではないかと前から考えてはいた。

フェリーの運航予定を調べると、(2004年)9/21稚内発で25日に戻ってくる便がある。行き帰りの日は移動だけで丸1日かかるが、これならば中日は3日使える。
ユジノだけでなく列車でノグリキまで行って帰ってこれるのではないか。

いろいろ調べているうちに、だんだん欲がでてきた。

インターネットで検索したところ、サハリン旅行を扱っているところはいくつかあることが分かった。いくつかの旅行社に稚内発でノグリキまで列車往復した場合、行程や旅費はどのようになるのか質問をメールしてみた。7月末のことである。

早速回答が来たのはT社であった。
パンフレットを郵送していただいた。

旅費は予想していたより安かった。最初は、単純にノグリキ往復という事で考えていたが、あれこれ日程などを考えているうちにもっと欲が出てきて、フェリーの日程では足りなくなり、行きは飛行機を利用することにした。

「ノグリキに泊まりたい」とか「飛行機に乗りたい」とか、そのたびに何回もメールで見積もりしていただいた。

何度もメールでやり取りし、決まったのが今回のプランである。

日付行程宿泊
 9/19(日)


新千歳空港 12:50 → 16:20 ユジノサハリンスク空港
(サハリン航空)
ガイド付き車でホテルへ
ホテル泊


 9/20(月)

夕方までは市内見物
21:40発、急行1列車ノグリキ行に乗車
列車泊

 9/21(火)

ノグリキ 12:06着
ホテルにチェックイン
ホテル泊

 9/22(水)



夕方までノグリキ見物
ノグリキ 17:20 → 19:53 ティモフスク
(急行2列車)
ホテルにチェックイン
ホテル泊



 9/23(木)


ティモフスク 7:55 → 21:56 ユジノサハリンスク
(968列車)
ホテルにチェックイン
ホテル泊


 9/24(金)1日ユジノサハリンスク市内見物ホテル泊
 9/25(土)



ホテル→コルサコフ港(送迎)
コルサコフ10:00 → 13:30 稚内
(東日本海フェリー)
稚内 16:53 → 21:50 札幌(S宗谷4号)
帰着




いろいろ欲張ったせいか、最終的には6泊7日の大旅行になってしまった。

当初は9/20函館発の飛行機を予定していたが、満席のため9/19新千歳発の便に変更してもらった。
日程が1日増えたが、函館まで行く手間や旅費を考えれば、かえってこちらの方が良かったことになる。

 2004年ロシアサハリン旅行記のルート
 (地理院地図から筆者作成)
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 ◆ 出発まで

最終的に決定したのは8月上旬。とりあえず生年月日と旅券番号を教えてほしいとメールが来た。これで手配が開始できるのだそうだ。
数日後、すべて手配が取れたとメールがあり、T社から書類一式を郵送して来た。送付する書類は以下の通り。

1・ロシアビザ申請の為のお伺い書(旅行申込書) 必要事項を書き込む
2・旅券(パスポート)
3・写真1枚(4cm×3cm)
4・ロシアビザ申請書 自筆サインのみで可

写真だけはなかったので、証明写真を撮りに行った。書類に書き込んで書留で郵送すればあとは向こうですべてやってくれる。

今回の旅行は手配旅行(代理店にホテルや列車の手配をしてもらい、現地では1人で旅行する)となっているが、初日の空港からホテルまでと、最終日のホテルから港までは送迎ガイドがつくのだそうだ。



8月下旬請求書が来て旅行代金を振り込む。
ビザ取得代行料や諸々の手数料含め、しめて178,200円

9/3ビザが発給され、すべての手続きが終了したとメールが来て、数日後切符とバウチャーが郵送されてきた。
バウチャーとは代金支払い済みのクーポン券のようなもので、ホテルに宿泊する場合などこれを渡せば良いらしい。

送付されてきた案内によると、お金は米ドルを用意するように、とあったので銀行で300ドル分に両替する。
あとは9/19の出発日を待つばかりである。

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 バウチャー・飛行機とフェリーの切符・パスポート。書類一式。

旅行に何をもって行くか、服装はどうするかなどあれこれ悩んだ。前回の経験なども踏まえて、もって行く物を絞り込む。バッグを担いで歩かなければならないので、荷物は最小限にしなければならない。

簡単なロシア語会話くらいはできるし、食料や飲料はすべて現地で買うことにした。

そんなこんなで、いよいよ出発当日となる。2004年9月19日(日)の朝、ぱっとしない曇り空のなか札幌を出発した。


2004年ロシアサハリン旅行記1

 2004年9月19日

 ◆ サハリン航空アントノフ24型機

自宅最寄の駅から快速エアポートに乗り、新千歳空港に向かう。10時前に新千歳空港に着く。T社から送付された行程表には11時頃手続き開始とあったが、空港内をあちこち見たかったので早めに出てきた。

改札を出て、『国際線』と表示のある方向にあるいて行く。いくらなんでも少し早すぎたようだ。
ユジノサハリンスク行の搭乗手続き開始時刻は10:50からとなっていた。

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 早く着きすぎた。搭乗手続き開始まで1時間以上。 

さすが国際線はセキリュティが厳重で、国際線カウンターへ行くのにもゲートがあり手荷物のX線検査がある。搭乗手続き中の時間しか警備の係員がおらず、結構自由に出入りしていて、のんびりしている。

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 サハリン航空が間借りしたJALのカウンターで搭乗手続をする。

10:20頃からだんだん人が集まりだす。そのほとんどは、中国や韓国へ行く人たちで、サハリン行の人はどこにいるのだろうか。

10:50搭乗手続き開始となる。荷物を預け、座席は窓側か通路側かと聞かれ、窓側と答える。渡された搭乗券には座席番号“8А”とあった。荷物を預けて身軽になる。

11:20出国手続き開始。ゲートをくぐって、出国審査をパスすればすでに外国。エスカレーターを登り、広い出国ラウンジに出る。初めて免税店なるものをのぞいてみる。タバコや酒は確かに安い。酒はちょっと買おうかと惹かれたが、荷物になるのが困るので我慢する。ほかに軽食のコーナーなどもあった。ガムとお茶のボトルを買う。

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 出国手続きを済ませば外国。免税店もある。

12:30搭乗開始。どう見ても非常階段入口としか思えないドアが開かれ、搭乗券の半券をもぎ取られて、階段を下まで降りる。どこに飛行機があるのかと思ったが、外に出るとバスが停まっている。

立っていた案内係がこのバスに乗ってくださいという。そのバスがなんと中央バス。しかも街中で走っている普通のバスである。新千歳空港で飛行機までバスに乗るとは思わなかった。

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 なんと中央バスで飛行機まで向かう。

全員バスに乗り、最後に飛行機のパイロットや乗務員が乗ってきて発車する。
ぶら下がるつり革や運賃表を見てると外国に向かっているような気が全然しないが、ジャンボジェット機を見上げながらバスは空港の中を走っている。
見えてきた。わがサハリン航空の飛行機は空港のはずれに1機さびしくとまっていた。

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 バス車内から写したアントノフ24型機。

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 飛行機の第一印象はとにかく小さい。 

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 小さな階段を登って搭乗。

バスを降り、飛行機に乗る。入口は後部に1つあるだけ。背の高い人はかがめて入るほど狭い。この飛行機はアントノフ24型機と言うプロペラ機。

今どきプロペラ機なんて丘珠発着の道内便か離島便くらいだろうが、これはれっきとした国際線である。

定員はバス並みの36人

指定された座席が8Аなので、“8エー”かと思っていたが、表示されている座席番号はロシア語アルファベットの“АБВГ”(アー・ベー・ヴェー・ゲー)となっている。日本人には読めないな、これは。

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 機内は狭い。バス車内並み。

機内は天井が低いので余計に狭く感じる。客室内を2匹のハエが飛び回っていた。座席はボロボロ。リクライニングが壊れて、座ると背もたれが倒れてしまう席まであった。

満席のはずなのに、所々に空席もある。定員は36名のはずだが座席は40以上あるようだ。定員は故障している席を差し引いての人数なのか?よくわからない。

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 非常時の説明書き。

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 ロシア人のスチュワーデスさん。

全員が着席すると、ロシア人のスチュワーデスがお盆にコップを載せてやって来た。
一杯もらう。ウオッカかな・・・と期待してみたがやはりタダの水だった。

乗務員はこのスチュワーデス1人と男性のパーサー1人の2人で、いずれもロシア人だった。

窓の外ではプロペラがブンブン音をたてて回り、機体もプルプルと揺れている。まだ離陸しないようだ。次に新聞を持って現れる。これは日本とロシアの新聞を別々に分けて持ってきた。

サービスは一言も声を出さずゼスチャーのみで行われる。もっとも声を発されてもこちらには理解できないと思うが・・・。

12時50分いよいよ出発だ。ぶるるるるーーーん・・・と独特の音を発しながら離陸する。
南に向かって飛び、ウトナイ湖上空で方向を変える。

再び新千歳の滑走路が見える。ジェット機ならば離陸してから高度1万mまで一気に上昇するが、プロペラ機なのでゆっくり上昇する。時おり不用意に下降したり上昇したりするので、いかにも空の上に浮かんでいるという感覚になる。

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 パーサーが機内食を配りに来た。

水平飛行になり、パーサーがワゴンに弁当箱とポットを積んで現れた。機内食が配られる。ホテル王子製のサンドイッチ弁当で、機内食はわりとしっかりしたものが出ると聞いていたのでちょっとがっかりする。

ティー?コーフィー?と聞かれ、ティーと答える。

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 ホテル王子謹製のサンドイッチ弁当。

江別・月形・深川の上空を飛ぶ。プロペラ機なので空から地上の景色がよく見える。旭川の上空あたりで雲がおおってしまい、下は見えなくなってしまった。

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 低空飛行なので下界がはっきり見える。新篠津の上空。

雲海の上をしばらく飛ぶと再び雲が切れ、雄武の上空あたりでオホーツク海に出る。遠くにはうっすらと利尻山も見えている。

時々ジリジリジリとベルが鳴る。最初は何事かと思ったが、客室乗務員呼び出しの音らしい。窓の上にあるボタンを押すとベルが鳴り客室乗務員がやってくる。

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 雲海の向こうにうっすらと利尻山が見える。

宗谷海峡に出るとすっかり晴れ渡り、美しい海面を見ながら飛行する。サハリンが見えてきた。

眼下にコルサコフの町が見える。いよいよサハリンにやってきた。飛行機はアニワ湾に注ぐススヤ川の河口付近を旋回しながら高度を下げてゆく。
低空をフラフラと頼りなく飛行するのはなんとなく恐怖も覚えるが、ユジノサハリンスク空港の滑走路に無事着地する。

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 コルサコフの市街を見下ろして飛ぶ。 

さて、3年ぶりのサハリンに降り立つ。飛行機を降りるとき、スチュワーデスに「ダズヴィダーニャ(さようなら)」と言ってみた。「ダズヴィダーニャ」と笑顔で答えてくれた。

飛行機を降りてからバスに載せられる。
国境警備隊だろうか。なかなかものものしい警備である。写真を撮ろうとしていた人が、ここで撮影はいけないと言うふうに止められていた。

バス全員乗ったところで発車するが、100mほど移動しただけで空港の建物に着いた。飛行機はすぐ後ろに見えている。歩いた方が早かったのでは?

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 ユジノサハリンスク空港のバス車内からこっそり撮影。

ベンチが転がるだけの殺風景な建物に入る。まず早速入国審査で、パスポートを見せるが、これに書き込めと紙切れを渡される。前回に来た時はこの書類は無かったのですっかり忘れていた。
出入国記録カードというものを書かされる。たしか書き方の見本を送ってきてあったと思い出したが、日本に忘れてきたようだ。

何を書いてるのかさっぱりわからない書類だが、壁に張ってある書き方の見本を見ながら何とか見当をつけてボールペンで書き込む。日付の欄を間違えて2重線で直す。あまり自信はないが何とか書いてパスポートと一緒に渡す。また突っ返されると思ったが、何とかクリアしたようだ。

次の窓口でまたパスポートを出す。おみやげは?と聞かれ「No」と答える。マリファナ?ピストル?と聞かれる。「Yes」と答える人はいないと思うのだが。

続いて、ターンテーブルから出てくる荷物を受け取り、手荷物のX線検査を通る。次は・・・。あれ?これでおしまい。今のが税関だったのか?
日本でセッセと書いてきた税関申告書は出さなかったし、見せろとも言われなかった。


 ◆ 3年ぶりのサハリンへ

出口のところに自分の名前を書いた紙を持った女性と運転手らしい男性が立っていた。

近づくと「○○(私)さんですか?」と聞かれ、「そうです」と答えると、「お待ちしていました、私が案内します」「よろしくお願いします」と握手して、早速車に案内される。

車は日本車だ。彼女はSさんといい、日本人のおばさんという感じの人だ。韓国系の人なのだろうか。日本語はとても上手で気さくな人だ。車内でバウチャーを渡し、列車の切符を受け取る。

市内に入るとまずお金をルーブルに両替しましょうと言うことになった。実はサハリンでは、着いた初日ルーブルへの両替ができず、食事もできなかった、というトラブルが一番多いと聞いていたのだが、これは以外だった。日曜なのに銀行は開いているのだろうか。

アエロフロートの前に車を止め、中に入る。ヤミ両替らしい人が近づいてくるが、Sさんが『あんたたちには関係ない』と言った風に追っ払う。一番奥の窓口が両替所となっていた。

「いくら両替をしますか」ときかれ、ちょっと迷う。
列車の切符代とホテル代はすでに支払ってあるので、必要なのは食事代くらいである。

最初は前回の経験などから1日1000ルーブル(Рубль(ルーブリ)―以下Рと略します)くらい使うのではないかと想定していたのだが、とりあえず150ドル分をルーブルに変えることにした。足りなければ、またここで両替すればいいという。

150ドルとパスポートを窓口の下の引き出しに入れると、向こう側で引き出しをスライドさせて受け渡しする仕組みになっている。スベトーラマさんがお金を受け取りしっかりと数えて渡してくれた。

約4300Рを受け取る。中には1000Р札も混じっていて、これが後に扱いにくい存在になる。

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 ロシアのお金はルーブル。1ルーブルは100カペイカ。

ホテルに向かう車の中で列車の切符を渡され、色々説明される。

ここで日本の代理店のT社から渡されていた日程表とに食い違いがあった。日本に帰る日のコルサコフ港までの送迎はないのでタクシーをチャーターして港まで行ってくださいと言われた。

これは話が違う。ユジノからコルサコフ港までは送迎付きと言うことになっており、バウチャーもしっかり港まで送迎と書いてある。「それではあとで会社に確認してみます。あとで私の家へ電話をください」と言われ、電話番号を教えてくれた。


 ◆ ホテル ラーダ

車は駅前のレーニン広場からコムニスチーチェスキー(共産党)通りを東に進む。スベトラーマさんは日本時代の名称である「神社通り」と言って説明する。

「きれいな通りでしょう。私の好きな通りです」
「ラーダから駅へはこの通りをまっすぐ歩いて行けば着きます」

「食事はレーニン通りの『カラボーク』と言うカフェがいいです。私もよく行きます」
「レストランは高いです」

「ビールは店で買ったほうが良いです」
「レストランやホテルで買うと高いです」。

・・・やけにこちらの懐具合を心配してくれる。

カフェ『カラボーク』はスベトラーマさんイチオシのようで、あとで行ってみようと思う。

そんな話をしているうちに、車はラーダホテルに着いた。7階建ての立派な建物だが、あちこち塗装が剥がれ落ちてコンクリートがむき出しになっているのが痛々しい。とりあえず車を降り、扉を開けて中に入る。

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 ユジノサハリンスクで泊まったホテルラーダ。

建物の外見とは裏腹に、フロントやロビーもきれいになっていて、感じ良く見える。フロントの係りも制服を着ていて、対応も良いようだ。

ボーイはいないが、ロビーやエントランスには常にスーツを着て無線機を持った男性が立っている。ホテルのスタッフというか警備員のようだ。ホテル内の至る所には監視カメラも設置され、セキュリティは万全のようだ。

しかしロビーに立っている男は、警備と言うより用心棒という言葉が似合う。スーツをビシッと着こなした身なりは、まるでマフィアのお兄さんといったふうにも見える。

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 フロントでチェックインをしてもらう。 

パスポートを渡し、スベトラーマさんがフロントでチェックイン手続きをする。さっきの飛行機で着いたのか、日本からのツアーらしい人たちもいた。部屋のキーをもらう、415号室。ロビーで礼を言って別れるとき、彼女は言った。

「ここはロシア正教会の前なので、あなたは無事に旅行できるでしょう」

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 外見とは逆に中は小ぎれい。

鍵に記された部屋は4階なのでエレベーターに乗る。ウィ〜ンと動き出しガクンと物凄い衝撃で停まる。

部屋の鍵の調子が悪いのかガチャガチャやってやっとドアを開ける。
バストイレ付きシングルルームで、テレビと冷蔵庫も備わっている。備品は日本製品が使用され、日本のビジネスホテルと変わらない。ドアは内側からもまた鍵を入れて回さなければならないので面倒だ。

内側のベッドルームの仕切りのドアは机につっかえて閉まらないので開けっぱなしになっている。新しい家具を揃えたはいいが、サイズが大きすぎてドアが閉まらなくなったようで、なんかマヌケに思える。とりあえずソファーに座り一息つく。

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 客室内の様子。

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 客室の窓から見えるロシア正教会。

時刻は18時近く。日本ではまだ夕方の4時前だ。天気も良くまだ昼間のように明るい。
じっと座っていても始まらないので、外に出て食事でもしてこようと思う。

フロントで鍵を預け、「パスポルト(パスポート)?」と聞いてみたが、まだ手続きが終わっていないらしく、パスポートを持たずに外出する(本当はダメで、もし警官に職質されたらパスポート不携帯で大変なことになる)。

ホテルはコムソモリスカヤ通りにあり、すぐ前はガガーリン公園とロシア正教会がある。環境は悪くはない。向かいには新しいビルが建設中で、完成後はオフィスでも入るのだろうか。

200mほど歩いて、“コムニスチーチェスキー通り”(名前が長いので以下『神社通り』と呼びます)との交差点に出る、スーパーマーケットが数軒あり、ちょっとした商店街のようになっている。

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 コムニスチーチェスキー通り(旧神社通り)

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 いかにも『ソ連』という感じの街路灯。

20分ばかり歩いて、レーニン通りに出る。3年前に来た時にくらべてだいぶ賑やかになっている。日曜の夕方だが人通りが多い。ちょっと街まで遊びや買い物に出てきたといった人たちに見える。
バス停では、はちきれんばかりの人だかりが歩道でバスを待っている。

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 夕方の街角。何となく怖い。

さっき聞いた『カラボーク』というカフェを見つけるが、すでに閉店まぎわだった。今からレストランを探すのも面倒くさく、再び神社通りを戻る。

ホテル近くで、さっき見つけたスーパーに入ってみる。サハリンの店はすべて対面販売となっていて、買いたいものがあれば、店の人に商品名を言って出してもらう。言葉がわからないと買い物するのも一苦労となる。
ほしい品物を紙に書いて店員に渡すのもひとつの手だろう。

日本人からすると、対面販売と言えば昔ながらの人情味あふれる商売というイメージだが、こちらのは基本的に客を信用していないシステムという風にとれた。

惣菜のようなものはないかと見回したが、そういうものはないようだ。
なんとか店の人にビール2本を取ってもらい、電卓で44Рと表示してもらった。

1000Р札を差し出す。とたんに店の人は渋い顔をして「もっと細かいのはないのか」と言った(気がした)。
「わからない」というと、ブツブツ言いながら釣銭の100Р札を1枚ずつ数えはじめた。

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 ホテル近くのスーパー。(神社通り)

ホテルにも一応レストランがあり、そこに入ろうと思ったが、6時から8時までは休憩と書いてあった。ロビーに売店があったので、ここで何か買って部屋で食べようと中に入る。

陳列棚になんとキャビアを見つける。一ビン75Рだったので本物かどうかは判らないが、初日からツイてるぞ。キャビアとパイを買って部屋へ戻る。

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 近くのスーパーとホテルの売店で買った食料とビール。 

ビールを冷蔵庫に入れ、シャワーを浴びる。バスタブはかなりゆったりとしており、足を伸ばしては入ることができる。お湯もたっぷりと出た。夏はホテルでもお湯が出ないとか、赤錆の水が出ると言う話は、すでに過去の話となったようだ。

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 ホテル売店に売っていたキャビア(もどき)。

さっぱりして、ビールを開ける。

パイの上にスプーンですくったキャビアをたっぷりとのせて食べてみる。味はイクラなどと比べかなりしつこい感じがしたが、まあまあ。
空港の免税店に売っていた日本酒でも買ってくれば良かったと後悔する。残しても仕方がないので1ビン平らげる。2本目のビールを飲むと猛烈に眠くなった。

そういえばガイドのSさんに電話をするのを忘れていた。

かけ方もわからないし、まあいいや(楽天的だなあ)。


2004年ロシアサハリン旅行記2

 2004年9月20日

 ◆ とりあえずユジノを歩く

7時ごろ起きる。天気が良くて気持ちが良い。

今日は夜行列車でノグリキへ行く予定になっているが、ホテルをチェックアウトした後は夜の21時過ぎまでどこかで過ごさなければならない。

今日からはガイドもいない。
心細いが、なんとかやってゆくしかない。

ユジノサハリンスク市内もあちこち見物したい。それとも路線バスで隣町のコルサコフかホルムスクにでも行ってみようか。

8時過ぎ、朝食のため1階に降りる。フロントの前に立っていた“用心棒”の兄さんに、「グジェ(どこ)?」と言って、朝食券を見せると、あそこだと指差して教えてくれた。

2階のレストランに入ると昨日飛行機で着いたらしい日本の人が数人いた。席に着いてウエイトレスに券を渡す。
コーヒーと紅茶はセルフサービスで自由に飲めるのだと先にいた日本の人に教えてもらった。

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 朝食のサラダとパン、チーズとバター。

パン1個と魚の油漬けがのったサラダ、それにバターとチーズがたっぷりと出る。サラダはマヨネーズがたっぷり。バターは作りたてなのかナイフでサクッと切れるようにやわらかい。
乳製品だけは日本のよりずっとおいしい。

案外と質素だな、と思いつつ食べていると、つぎにミートローフとお粥が出てきた。お粥の上にはたっぷりとバターが浮いており、食べてみると砂糖で少し甘みがついている。まずくはないが、慣れないと少々気持ち悪く見える。

それでも全部平らげる。朝からボリュームのある食事で腹いっぱいになってしまった。

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 ロシア風のお粥とミートローフ。

部屋に戻り、身支度をする。重い荷物をもってあちこち歩くわけにもいかないので、荷物はどうしたものか。日本ならばコインロッカーに預けるのだが。事前に、荷物はホテルで預かってもらえると聞いていたのだが、大丈夫だろうか。

9時少し前、荷物をもって1階に降りる。
フロントにキーを返し、パスポートを受け取る。「バカージ(荷物)を夕方まで預かって貰えないだろうか?」と言ってみた。

言ってみた、と書いたが、文法もヘッタクレもない、知っているロシア語の単語を総動員して並べただけの無茶苦茶な言葉だが、それでも何とか通じたようで、フロントの人が入口に立っている“用心棒”のお兄さんを呼ぶ。

お兄さんに「パイジョーチェ(ついて来い)」と言われ、奥の部屋に連れて行かれる。
ドアの前でトランシーバーでやり取りすると中からドアが開いた。警備室のようだ。

鍵を開け、倉庫のようなところに「ここに荷物を置け」といわれ、預り証をくれた。客の荷物を預かるというのはよくあることのようで、何も心配することはなかった。

「ここに置いておけば安心だ」と言うようなことを言われ、礼を言ってホテルを出る。

   

とりあえずどこへ行こうか。今日は月曜日。街では普段の朝が始まっている。今日は昨日とは逆のサハリンスカヤ通りの方へ出てみる。

ユジノサハリンスクは昔は『豊原』と言って、札幌と同じく碁盤の目の道路で町を作られた。
今は当時の道路は結構つぶされてしまったようで、市内を貫通する道路は少ない。

道路はすべて直角で交わるので、方角さえ把握してれば地図がなくても道はわかる。ただ、どこもアパートが立ち並ぶ似たような光景なので、ときどきどこを歩いているのかわからなくなってしまう。建物に表示してある住所表示が唯一の手がかりになる。

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 ユジノサハリンスクの街角。

歩いていくと、レーニン通りとの交差点に出る。まだ開店前だがサハリンデパートもあり、信号が変わるたびに大勢の人の波ができる。

ここから踏切の前後にあるバザールまでの通りがいつも賑わっている。踏切にさしかかる。線路はユジノを中心に更新が進んでいるようで、枕木はコンクリートになり、バラストも入れ替えられて見違えるようになっていた。

線路を渡ると高層の建物も少なくなり、いかにも駅裏というたたずまいになってくる。10分ほど行くと橋があり、これがユジノ市内を流れるススヤ川であるが、よどんだ水は汚くてドブ川のようだった。ここで駅の方に引き返す。

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 ゆっくりと流れるススヤ川。 

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 ススヤ川の橋から埃っぽい道路を見る。

街中は埃っぽいし、どこへ行っても排気ガスの臭いが鼻をつく。
日本も昔はこんなふうだったのかも知れない、などと思いながら道端をトボトボ歩いていた。

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 駅横のレンガ積み倉庫は日本時代の建物。 


 ◆ ドリンスクへ行ってみる

しばらく散歩してから駅前に行く。駅前のSLを展示してある広場では、ビルでも建てるのか工事をしていた。駅の入口の所にはビール片手のような人が常にたむろしているのは相変わらずである。

ユジノサハリンスクは、帰国日の前日も丸1日滞在することになっている。
だから今日は別に市内観光することもない。
かといってどこか行くところがあるわけでもない。

あてがないと、何となく足が駅へと向かう。

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 ユジノサハリンスク駅前広場。

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 ユジノサハリンスク駅の入口。

駅に入るとすぐ上に時刻表が掲示してある。切符売り場は時刻表の下のところにあり、1人2人とやってきては、切符を買っていく。
JRのみどりの窓口のような窓口もあって、1週間分の夜行列車の予約状況がはってあった。柱にはタッチパネル式の列車案内が設置してあったので少しいじってみる。列車の時刻表や空席状況が画面に現れる。

日本のように列車の時刻表というものは無いが、柱のインフォメーションに全列車の列車ごとの時刻表が貼り出してある。

時刻表を眺めていると、ちょうど10:45発ティモフスク行きの列車がある。駅にいるうちになんだか列車に乗りたくなってきた。ドリンスクまで乗車することは出来ないだろうか。ドリンスクまでならば、バスが頻繁に出ているので、ユジノに戻ってくることができる。

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 ユジノサハリンスク駅のきっぷ売り場。

思い切って、開いてる窓口に『No.967 10‐45 Долинск(ドリンスク)』と書いたメモとパスポートを差し出してみた。

ダメだと言われるかな、と思ったが窓口の女性はパスポートをパラパラとめくって、コンピューターになにやら入力し、紙に11Р60Кと書いて差し出してきた。60Кとは60カペイカ(ルーブルの下の単位)のことで、112Р渡して40Кの釣銭と切符を受け取る。
サハリンでも列車の切符の発券はコンピューター発券となったようである。

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 きっぷ売り場で買った967列車の乗車券。

ベンチに座って待つ。
ユジノサハリンスク駅はサハリンの鉄道では最大の駅である。

列車の本数は多くない。
ほとんどが中長距離列車となっている。

ソ連時代は近郊列車もあったようだが、民主化以降に自動車の普及と道路事情が良くなったことから、一部を除いてなくなった。

駅舎は2階建て、町側の半分は吹き抜けになっている。
1つのコンコースに待合所、きっぷ売り場があって、それを取り囲むようにずらりと並んだキオスクは、さながらステーションデパートと言ったところ。
日本のUFOキャッチャーのゲームが1台置いてあり、子供が遊んでいた。

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 キオスクとベンチが並ぶコンコース。

待合室のベンチに座って待っていると、10:30頃なにやら放送が流れる。スピーカーが悪いのか、音が割れて聞き取りにくい放送で、「今から列車の改札をするからホームに来てください」と言っているようだ。コンコースにいた数人がホームに向かったので後について行く。

駅とホームの間は改札口はなく、自由に行き来できる。
ホームに出ると、なぜかホームのはるか先端のほうに列車は停まっていた。先頭は機関車で1両目1号車が寝台車、2両目2号車が座席車、3両目が荷物車となっている。客車はたった2両のみ。客車の入口の前には人だかりができている。

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 ティモフスクまで行く長距離列車だが、客車は2両のみ。 

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 客車に乗り込む乗客。

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 ホームの光景。いかにもローカル列車といった雰囲気。

車掌に切符とパスポートを見せる。
パスポートの身分証明の部分と切符を怖い顔をして見ている。なんとなく緊張するなあ。切符の2枚あるうちの1枚をもぎ取って、切符を返してくれる。低いホームからステップを昇って乗車する。

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 デッキからホームを見る。

車内は中央で仕切られて2室となっている。2人掛けの座席が並ぶが、座席の向きは変えられず、前向と後ろ向きの座席が半分ずつ中央に向かって並ぶ。
一番奥はトイレでその奥もデッキとなっているが、こちらの出入り口は使用されないようだ。

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 座席車の車内。

指定された34番の通路側の席に座る。車内は薄汚れた感じで座席も硬く、あまり良い感じはしない。

10:45列車は定時に音もなく発車した。

車内はほぼ半分くらいの席が埋まっている。乗客は旅行者と言うよりも、ちょっとユジノサハリンスクに出てきたか、近郊の山に山菜を取りにといった人たちが多い。隣の窓側の席は空いたままなのでそちらに移る。

列車はバザール横の踏切を通り、すぐに次の駅『ユジノサハリンスク貨物駅』に着く。ここで14分停車する。停車中に右側の線路をノグリキから来た列車がすれ違っていった。15両は連結していただろうか。乗り降りする人もいないまま、発車する。

沿線は、しばらくユジノ郊外のダーチャ(別荘)地域を走る。

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 小屋が立ちならぶロシアの別荘(ダーチャ)。

ノボアレクサンドフカに着は、日本時代の名残か、高床式のホームが残っている。ここからシネゴルスク支線が分岐していたが休止路線になってしまった。

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 高床式ホームの残るノボアレクサンドフカ駅。 

ここで数人乗ってきて、そのうちの1人のオヤジが隣の座席を指差して何か言った。
窓側の席の客が乗ってきたのだと思い、席を移ろうとすると、「いいから座ってろよ」と言うように制止される。

どうやら「隣は空いてるか?」とたずねたようだ。なんだかよく分からないが「ダー(はい)」というとオヤジは隣の席に座った。全席指定のはずだが、途中から乗る人は空いている席に自由に座っているようだ。

ノボアレクサンドフカからはシネゴルスク支線が分岐しているが旅客列車は数年前から運休となっているのは知っていた。分岐するレールもすっかり錆びてしまっており、このまま廃線になってしまうのだろう。このあたりから人家がなくなり、林の中を列車は進む。

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 固定式リクライニングシートの車内。

停車駅ごとに数人ずつ乗車してきて、だんだん座席が埋まってきた。
隣のオヤジは2駅だけ乗って、ソコルで席を立った。

並行する国道をバスが頻繁に走っているので、どうしてわざわざ列車に乗ってきたのだろう。
バス路線が必ずしも駅近くにあるわけではないので、鉄道駅のほうが家が近い人たちなのだろうか。

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 ソコル駅の貨物列車。

ソコルはブイコフ支線が出ている。乗ってみたいが、ユジノからブイコフへは朝夕2往復が走るのみとなっている。ソコルは5階建てアパートが建ち並び、割と大きな町のようである。

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 ドリンスク近くは湿原が多い。

列車はまもなくドリンスクに着く。放送案内も何もないので途中で降りる場合は自己責任で乗り越しのないよう気をつけなければならない。
駅近くまで来たので、デッキに向かう。ドリンスクで降りる人は自分のほかに3人いた。

12:07列車が到着すると、車掌がドアを開け、ステップを降ろす。切符はどうするのかと思ったが、集札はしないようで、これは手元に記念品として残った。
列車を降りると、10人ほどの乗客が列車に乗車していった。

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 ドリンスクに到着。だだっ広いホーム。

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 ドリンスクから乗る人は10人ほど。 

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 安全確認は車掌の役目。 


 ◆ ドリンスクからの路線バス

広いホームに降り立つ。列車が出てしまうと駅には誰もいなくなった。
ドリンスクは日本時代は落合と呼ばれたところで、パルプ・製紙工業が盛んであったと言う。

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 ドリンスク(落合)の街並み。

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 小さな町でも、日本時代の建物はソ連時代に一掃されたようだ。

少し街中を散歩しようと思ったが、道がさっぱり分からない。とりあえず国道らしい通りまで出てみる。商店らしいのが何軒か並ぶが、同じようなソ連型アパートが立ち並び、これといって何もない。
駅から数百mを歩いただけで引き返す。

駅前には『ラーダ』という昨夜宿泊したホテルと同じ名前のカフェがある。ここで食事しようかと考えていると、ちょうどユジノサハリンスク行のバスがやってきた。

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 露店のカフェ。

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 バスターミナルになっている駅前。左の黄色いバスがユジノ行のバス。

駅前はバスターミナルとなっているが、バス停も時刻表も何もない。バスが停まっていて、乗り場らしいところに人だかりができているので、バス乗り場だと分かるだけだ。

次のバスはどのくらい待つか分からないので、とりあえずこのバスでユジノに戻ることにする。『112・ユジノサハリンスク』と表示してあるのを確認して、バスに乗る。

日本では30年以上前に走っていたような古い車両だ。ソ連製のバスだろうか。運転室と客室は電車のようにきっちり壁で仕切られている。お金はどこで払うのだろうか。一番前の運転手横の席が空いていたのでそこに座る。

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 バスの運転台は電車のように仕切られている。

車内には、日本ではすでに見られなくなった女性の車掌が乗っていた。乗客に切符を売って回っている。車掌に「ユジノサハリンスク」と言って、紙に値段を書いてもらう。55Рを払い切符を受け取る。学校帰りと思われる小学生もいて、バス通学だろうか。発車直前まで1人2人と乗ってきて、立ち客も出てきた。

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 ドリンスク〜コルサコフ間のバス切符。

12:25、船のエンジンかと思うような音を震わせて、バスは発車する。

ドリンスクの市内を抜けると草原の中を舗装道路が真っ直ぐと続く。町と町の間は時おり畑や牧草地が現れるだけで、無人の荒地が広がる。
停留所ごとに乗客は降りていき、ソコルで半分くらい降りると車内はだいぶすいてきた。晴れていたのに突然曇ってきてにわか雨が降り出す。

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 バスの車内。

バスはまっすぐな直線道路を走るが、スピードはさっぱり出ない。何度も日本車の乗用車に追い抜かれる。途中の停留所からは快速運転となるようで、いくつかの停留所は通過するようになった。

突然、バス停でもないところでバスは停止し、運転手が空のペットボトルを持って飛び出して行った。何かトラブルか?と見ていると、道端に水が湧き出しているところがあり、ボトルに水を汲んで戻って来てゴクゴク飲みはじめた。なんかノンキだなあ。

ユジノサハリンスク市内に入ると急に車が多くなりだす。あちこち渋滞だらけだ。

レーニン通りのサハリンデパート近くのバス停に停まるとほとんどの乗客たちが一せいに席を立つ。
このバスは駅まで行くが、ほかの人たちに倣ってここで降りることにする。

時刻は13:20、ドリンスクからちょうど1時間かかったことになる。
ユジノの雑踏の中に降りたった。


2004年ロシアサハリン旅行記3

 ◆ カフェ・カラボーク

レーニン通りでバスを降り、昼食はどうしようかと思っていると、昨日ガイドのSさんに聞いたカフェ『カラボーク』があった。中に入ってみると、昼時は過ぎているが、結構混んでいる。

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 レーニン通りにあるカフェ・カラボーク。

どうするのかとほかの人を見ていると、セルフサービスでカウンターで注文した料理を受け取り、レジでお金を払う仕組みのようだ。カウンターの上にメニューと値段が書いてあるのだが、何がなんだかさっぱり分からない。

メニューの中に何とか理解できる料理を見つけ出し『ボルシチ』『ジャガイモのピロシキ』『サラダУТЕС』『チャーイ(紅茶)』と紙に書き、カウンターのお姉さんに渡す。
トレーの上に次々と料理が置かれ、レジでお金を払う。しめて112Р。

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 カラボークの店内。ロシア版ファーストフード店というところ。 

空いているテーブルを見つけ、席に着く。まずボルシチをひと口。

ボルシチとはロシアを代表する料理の一つだが、日本で食べられるところは少ない。赤い色は赤ビート(砂糖のビートの一種)の色で、食べてみるとあっさりとした塩味の野菜スープである。真ん中の白いのはスメタナといってサワークリームのこと。これを混ぜながらいただく。

『サラダУТЕС』とは、よく分からなかったが、サラダには違いないだろうと頼んだのだが、サラミとチーズを細切りしたものにマヨネーズがたっぷりとかかっている、かなりジャンクな品だった。

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 唯一理解できた、ピロシキ・ボルシチ・サラダ。

ほかのテーブルを見ると、フライドチキンやプリヌイ(ロシア風クレープ)なんかもあるようだ。

授業が終わった時刻なのだろうか、学生らしい客で混んできた。まあまあのロシア料理を堪能して店を出る。


 ◆ バスでコルサコフへ

時刻は2時過ぎ。今度はどこへ行こうかと考えながら再び駅前に戻る。

バス乗り場にはちょうどコルサコフ行のバスが停まっていたので、コルサコフに行ってみようとバスに飛び乗ると、これが超満員だった。

何とか車掌からコルサコフまでの切符を買う。50Рであった。学校帰りの高校生らしい若者は定期券を見せている。他の乗客も回数券を持っている人が多い。
運転手も車掌も私服なので、乗客と区別がつかないが、車掌はそれらしいカバンを提げているので分かる。

これもやはり女性の車掌は切符の販売と車内の整理に大わらわ。
「切符をお持ちですか〜」
「もっと中に詰めてくださーい」
(とロシア語で言ってたようだ・・・)

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 ユジノサハリンスク〜コルサコフ間のバス切符。

 14:20、満員のバスは駅前を発車し、レーニン通りを南へ進む。天井のつかみ棒につかまって窓から街を眺めていると、ユジノサハリンスクの市民になったような気がしてくる。
ドリンスクからのバスと同様に、市内は快速バスとなる。

高速道路のような立派な舗装道路が真っ直ぐに通っているがアップダウンが激しい。バスは坂を登ったり下ったりを繰り返す。エンジンのパワーが無いのか、坂を上るときはドン亀のようにスローペースになり、エンジンをめい一杯ふかして、喘ぎ喘ぎ進む。

バス停のあるところには横断歩道もあるが信号は無い。交通量も多く道路を渡るのも大変そうだ。道端に十字架をかたどった花が飾ってあるのを目にする。子供が交通事故にでも遭ったのだろうか。見ていて痛々しい。

途中の停留所で降りる人もいるが、乗ってくる人も多く、車内は混雑したままだ。コルサコフからユジノへ向かうバスとすれ違うが、あちらも混雑している。

コルサコフ〜ユジノ間の鉄道は現在は貨物専用となっている。旅客輸送は時々思い出したように再開するが、すぐに休止になってしまうようだ。
バスが満員になるほど行き来があるのだから、気動車列車をピストン運転すればユジノ市内の渋滞にも巻き込まれず、結構利用者があると思うのだが。

バスは坂をおりてコルサコフ市内に入る。
山側の市街地のほうへ行く道と、まっすぐ港のほうへ向かう道が分かれる。

日本時代は楠渓町といい駅もあったが、現在はただの交差点だ。ここのバス停で半分くらいの人が降りた。
まっすぐ行って鉄道の駅に向かうと思い込んでいたが、バスは山側の道へ入って行く。何の変哲も無い坂の上の住宅街でバスは停まり、全員席を立つ。
どうやらここが終点のようだ。

車掌に「ダズビダーニャ(さようなら)」と言ってバスを降りる。東日本海フェリー作成の地図を見ると、ここがバスターミナルだと記してあった。なんでこんな所がバスターミナルなのかと不思議に思う。バスを降りた乗客たちが中心部に向かってゾロゾロ歩き出す。


 ◆ コルサコフを歩く

コルサコフは、日本時代は大泊(おおとまり)という町だった。
戦前は稚内からの鉄道航路であった稚泊連絡船が結んでいた、樺太の玄関口だった地である。

戦後長らく途絶えていたが、1998年から東日本海フェリーがアインス宗谷を就航させ、稚内〜コルサコフ間の定期航路として復活している。

戦前は港に近い一帯が中心部だったようだが、現在の中心部は高台のほうに移っている。

バス通りをしばらく歩くとレーニン広場の前に出た。かなりスモールサイズだが、銀色に輝くレーニンさんが立っている。

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 コルサコフのレーニン像。

広場はたくさんの人で賑やかになっている。どこに行こうかと地図を見ると、展望台が記されていたので、行ってみることにした。

アパートが立ち並ぶ坂道を歩いていく。港街コルサコフは平地がほとんど無いようで、山の斜面に建物が並ぶ様は、小樽の街を連想させる。

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 ソ連型アパートが並ぶコルサコフ市内。

途中から細い砂利道となり、どう見ても展望台に続く道路とは思えないのだが、地図を何度見てもこちらの方角で間違いない。ひと気の無い山道そのもので、だんだん不安になってくるが、途中で向こうから犬を連れた人が山を降りてきた。

犬の散歩をしているくらいだから、この道は展望台に続いているのではないかと思い、ずっと歩き続けると高台のそれらしいところに出た。道は間違いなかったようだ。

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 展望台への坂道を振り返る。

展望台といっても崖っぷちのところを柵で囲ってあるだけで何もない。ここからコルサコフの街と港が一望できる。

日本時代は神楽ヶ丘公園と呼ばれ、亜庭神社もあったところ。

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 柵があるのみの展望台。

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 展望台からの眺め。かつてコルサコフは軍港として外国人立入禁止だった。

車が1台停まっていて、車内の若者4人連れがこっちをずっと見ているような気がする。なんとなく気味が悪く、写真だけ撮って退散する。

さっき登ってきた道とは別の道を降りて見る。下る道なので、町へ下りる道に違いなさそうだ。右側にバス通りが見え、斜面を下る近道があったのでそこを下りる。

港のほうへ行って見る。交差点のところに旧拓銀大泊支店の建物があった。現在は空家のようで、手入れもされずかなり朽ち果てているようだ。

日本時代はこのあたりが繁華街だったのだろうが、現在は倉庫や工場などが立ち並ぶ港の一画となっているように見えた。

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 旧拓銀大泊支店の建物。かなり老朽化している。

旧拓銀横からソベツカヤ通りを中心部に向かって歩く。
途中から歩行者天国になっていて、道の両側には、ななかまどの並木が続く。

通りには商店やカフェが軒を並べているて、人通りも多くなかなか賑わっている。並木の下には自由市場となっているのか、露店で野菜なんかも売っていた。
道行く人々ものんびりと歩いていて、まるで日曜日のようだ。

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 ななかまどの街路樹が美しいソビエツカヤ通り。

通りを歩いていたら、マンホールの蓋に『話・〒』と書いてあるのを発見。電話の電の字はつぶれてしまっているが、かつて日本時代の遺物に間違いないだろう。
歩いていればこその発見をしてちょっとうれしくなる。

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 市内で見つけたマンホール。マークと文字はまさしく日本時代の遺物。

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  歩行者天国のソベツカヤ通り。両側には店やカフェが建ち並んで賑やか。

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 道端で自作の野菜を売る露店。

市内を一周して再びレーニン広場に戻ってきた。そろそろユジノサハリンスクへ戻ることにする。ここからバス通りを10分ほど歩いてバスターミナルに戻る。

ターミナルは意外と立派で、屋根がありその下にはキオスクがある。大勢の人が屋根の下でバスを待っているが、この人たちはどうやらトンナイチャ方面へ行くようだ。

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 コルサコフのバスターミナル。

ユジノサハリンスク行は何時に出発するのか、バスは20〜30分毎に出ていると分かっているが、何も掲示がないのでとにかく待つしかない。しばらく待ってバスが到着した。

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 115番ユジノサハリンスク行バス。

バスに乗り、車掌から切符を買う。
行きとは違い、帰りは空いてると思っていたら次々と乗ってきて混み始めた。

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 ユジノサハリンスク行バスの車内。

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 車内で切符を売る車掌。

17:00にバスターミナルを発車した。
次のバス停(楠渓町)でもたくさん乗ってきて立ち客も出る。

相変わらずバスはノロノロと坂を登って一気に下るを繰り返す。

『2Я‐パーヂ』『3Я‐パーヂ』という地名の表示が現れる。それぞれ『フタラーヤ・パーヂ』『トレチーヤ・パーヂ』と読むのだが、日本時代は『二ノ沢』『三ノ沢』という駅があったところで、日本時代の地名をそのまま訳したような地名だ。

バス停ごとに乗客は減って行った。トレチーヤ・パーヂには軍の建物らしい施設があり、軍人が乗ってくる。

18:05、バスはユジノサハリンスクの駅前に着いた。

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 ユジノサハリンスク駅に着いたバス。

夕食はどうしようか。あまり腹も空いていない。
それよりも、ラーダホテルに預けていた荷物をとりに行かなければならない。

レーニン通りのバス停に立っていると、次から次へとバスがやってくる。系統は何十とあるようで、どのバスに乗ればいいのやらさっぱり分からない。
しかもほとんどは、バスではなく普通のワゴン車に系統番号の板を表示しただけの車なのだ。乗っていいのか悪いのか・・・

やっぱり神社通りを歩く。勤め帰りの人だろうか、道端でビールを飲んでいる人が多く、道端にもあちこちビールの空き瓶が転がっている。再びラーダホテルに戻ってきた。


2004年ロシアサハリン旅行記4

 ◆ 夜のユジノサハリンスク駅

ラーダホテルで入口に立っていた兄さんに預り証を見せると、また何やらトランシーバーでやり取りを始める。
トラブル発生か?
トランシーバーで言い合いをしながらあちこち走り回る。

しかしこれ、どうやら鍵をもっている人を探していたようで、無事荷物室を開けて荷物を受け取る。

セキリュティーが厳重なのは結構だが、重たいばっかりでたいしたものが入っているわけでなし、フロントの隅にでも置いといて貰えればとも思うが、そういうわけにもいかないのだろう。
礼を言って、ホテルを出る。

再びホテルから20分以上、荷物をかついで駅へ歩く。駅に着いたのは7時半ごろ。
まだ明るいが、もうじき日が暮れる。ノグリキ行急行列車の発車時刻まで2時間以上もあるが、駅で待つしかないようだ。

この先の行程は、車中で1泊、ノグリキで1泊、ティモフスクで1泊し、ユジノサハリンスクへ戻ってくるのは4日後の夜10時近くということになっている。

宿泊先はまた同じラーダホテル。
バスやタクシーの乗り方など知らないし、駅からホテルまで夜道を歩いても大丈夫なんだろうか。
また心配事が1つ増える。

駅に隣接して建つユーラシアホテルは2000年にツアーで来た時に宿泊したホテル。ここなら良かったんだけどな。
懐かしくもあるが、今日だけは何だか苛立たしい。

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 夕暮れのユジノサハリンスク駅。

駅コンコースの一番奥にカフェがあったので、ハムをはさんだサンドイッチを2つ買った。
コンコースにはノグリキ夜行を待つ人たちが既にたくさんいて、座るところはなかった。大きな荷物をいくつも持った人が多い。

店じまいした新聞の売店の机があったので、そこに荷物を載せて寄りかかる。立ったままビールを飲みながらサンドイッチをかじった。

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 薄暗いコンコース。

日が暮れるとコンコースも薄暗くなる。
天井には照明はあるが点灯しておらず、切符売り場前の照明とキオスクから漏れる明かりが、ぼんやりとコンコース全体を薄明るく照らす。

駅というより劇場か映画館の雰囲気で、シックなムードと言えないこともないが、1人旅ではなんとも心細い。

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 キオスクから漏れる灯かりが照明代わり。

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 ノグリキ行の夜行列車を待つ人々。

ところで、ビールを飲んでトイレに行きたくなった。
トイレと表示のあるので、階段を下りて地下のトイレに行くが、鍵がかかっていて入れない。

トイレの向かいはゲームセンターになっているようで、スロットマシーンがたくさん並んでいるのが見えた。

サハリンの町中には公衆トイレというものがほとんど無く、デパートなどにも一般客が使用できるトイレは無いので、見つけたらとにかく済ませておくように習慣付けるしかない。

じっとしているとつらいので、歩いてホームに出てみる。
列車は既にホームに横付けとなっているが、車内は真っ暗だ。編成は長く10両以上あるが、食堂車はついていないようだ。

我慢できないのでホームの隅でしようかと思うが、もう一度地下に行くとトイレが開いていた。有料トイレのようで、入口の机にちり紙を並べて係りの女性が座っている。

お金を払って紙を受けとり、使用するシステムのようだが、そのまま通り抜けても何も言われなかった。ただ、ちり紙を売っているだけなのだろうか。トイレは新しくきれいだった。

駅前のコンビニで水を買う。「ビス・ガーサ(ガスなし)」と言うと、奥からポリタンクのような巨大なボトルを出してきた。そんな大きいのはいらないと言うと、ガスなしの水はこれしか無いと言う。仕方なしに炭酸水を買う。

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 柱に取り付けられたタッチパネル式インフォメーション。 

また駅に戻って、タッチパネルの案内板をいじったりして過ごす。


 ◆ ノグリキ行 急行1列車

ノグリキは、サハリン鉄道の北の終点である。ユジノサハリンスクからの距離は約613km。
定期旅客列車は毎日1往復運転され、サハリン鉄道の看板列車ともなっている。

寝台車は4人相部屋のコンパートメントで、ロシア人ばかりの中に1人放り込まれるのは、出発前は何だか不安でしょうがなかった。
今では、自分で選択したことなので、もうどうにでもなれという心境でもある。

何やら天井から放送が始まった。質の悪いスピーカーから聞こえる放送は何を言っているのか分からない。
コンコースの人たちが席を立ち、ホームへ向かったので、「今から1列車の改札を始めます。乗車の方はホームにおいで下さい」とでも言ったのだろう。

コンコースからホームへ出る。ホームには照明はなく、構内の照明塔の明かりがぼんやりと照らすだけで、まるで貨物駅か操車場のように暗い。

ほとんど真っ暗なホームの客車の入口には人だかりができている。客車のデッキから漏れる明かりで車掌は切符とパスポートを次々と確認してゆく。

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 ノグリキ行 急行1列車の乗車風景。

自分の番が来て、パスポートを開いて、切符と一緒に見せる。2枚ある切符の一枚をもぎ取られて返される。ステップを登り車内へ入る。明るいのはデッキだけだ。客室内は非常灯が点るだけで、暗い。

切符に記された席番のコンパートメントに入ると、真っ暗な部屋の中、先客が2人窓側に向かい合って座っていた。この部屋であっているのだろうか。

ホームに立っている車掌にもう一度聞きにいく。車掌はため息をついて「ついといで」と言って案内してくれた。「あんたの席はここ」と言って指差すと部屋を出ていった。とりあえず言われたところに座る。

発車まぎわになってもう1人乗ってきて、向かいの席に座る。家族が送りに来てるらしく窓からしきりに手を振った。

21:40になり、列車は何の合図もなく静かに動き出した。列車が走り出してから通路の照明がいっせいに点灯する。乗客のひとりが電気のスイッチを入れると、部屋の蛍光灯が点灯して明るくなった。
サービスなのか天井のスピーカーからは音楽が流れ続ける。

2人連れともう1人はなにやら会話を始める。私は、進行方向に向かった通路側に座り、その隣は20代らしい兄さん。窓側の向かいは兄さんの連れらしい40代の男性。その隣、私の向かいは30代の男性だ。

「どちらまで」とか「どういった用事で」という内容だと思うが、何か自分だけ疎外感を感じる。そこへ向かいの30代男性の連れらしい男性が別の部屋から現れる。4人は意気投合してきたようで、ますます居づらくなってくる。

そのうち1人が英語で私に言ってきた。

「ジャパニーズ?」
「ダー・・・(はあ、そうです)」
「オー!イポーニェツ(日本人か)!」と一同驚く。
「ガバリーチ・パアングリースキー(英語は話せるか)?」

ロシア語で英語を話せるかときかれるのも妙な話だが、これは「ニェート(話せない)」と答える。

改めて全員自己紹介となった。3人ともサハリン油田プロジェクト関係のビジネスでノグリキまで行くという。向かいの男性とその連れの人は技師か何かだろうか。窓側の兄さんと向かいの男はビジネスというより出稼ぎというように見えるが・・・。

「仕事で来たのか」とか「いつ帰るのか」などとあれこれきかれる。

兄さんは鞄からビールの1.5Lのペットボトルを取り出した。
車掌からカップを借りてきて全員に振舞い全員で乾杯をする。
別の部屋から来た男性は日本語を勉強したことがあり、日本に行ったことがあるという。

「ワタシハ、日本に行きました。トーキョー、キョート、シンカンセン、ハッカター」
「博多?」「ソウデス、ハッカター」

ハッカターとはどうやら北海道のことらしい。たしかにロシア語で北海道と書くと“ハッカター”とも読める。

私の片言のロシア語よりは日本語がわかるようなので、彼がにわか通訳となってくれた。誰かが何かを言うと、彼が知っている日本語で一番近い言葉を私に伝え、何を言わんとしているのか想像し、私が片言のロシア語で返答する。なかなか相手のわかる単語が思いつかず2人して「ウーン・・・・」と頭を抱えることもしばしあったが。

ビールのペットボトルはまたたく間にカラになり、2本目をあける。ほど良くアルコールが回り、言葉はわからないが、気持ちはほぐれてくる。

「サハリンにはおいしい物がいっぱいある」
「クラーブ(カニ)」「クラスナヤイクラー(イクラ)」・・・・

「私の飲んでいるビールはワールチィカ」。
「バルティカ?」 「チッチッチ、ワールチィカ」。

サンクトペテルブルグで作られ、ワールチィカとはバルト海のことだと教えてくれた。・・・正しい発音を教えてくれたおかげで、後日にビールを買うとき店の人が一発でビールを出してくれるようになった。

車掌が「チャーイ?コーフィ?(紅茶かコーヒーはいかが?)」と現れるが、ビールを飲んでいるので「ニェート(いらない)」と答える。車掌はあきれたような顔をして行ってしまった。

兄さんは私に「フレンド!」と言って3本目のビールを開けた。「この日本人はなかなか酒が強いぞ」と少し気に入られたようだ。
兄さんは私の髪型を見て、「君は長髪だね、ミュージシャンみたいだ」と言った。別に伸ばしているつもりはないのだが、私の髪は襟足が長いので、長髪と思われたかも知れない。そういえばロシアの男性はヘアスタイルは、角刈りか坊主くらいまで短くした人が多い。兄さんはわりと長い方だが、裾はキチッと刈り上げている。

   

夜も更けて12時を回った。そろそろ寝支度をはじめる。兄さんたち二人は梯子も使わず上段寝台に這い上がった。向かいの男性は「彼らはニンジャだ」と冗談を言った。みんな器用にベッドメーキングを始める。私も教えてもらったがあまりうまくできない。教えてもらいながらベッドが完成する。

ベルトにつけたウエストポーチを見て、「その中には金が入っているのだろう。車内には悪いやつがたくさんいるから見えないようにして寝ろ」と言った。ベッドに横になり毛布をかぶると彼は扉の鍵を掛けて照明を消した。

暗闇の中にレールの音だけが響き、列車は順調に北上を続ける。

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 ノグリキ行急行1列車のルート
 (地理院地図より作成)


 ◆ 寝台車の朝

ぐっすりと眠り、翌朝目覚めると8時になっていた。窓からは眩しい朝日が差し込んでくる。今日も快晴のようだ。同室の人たちはまだ眠っている。上段の男性が降りてきたので起き上がると、いいからまだ寝てろと言う。言われるままにまた眠ってしまった。

9時近くようやく起き上がると列車は駅に停車した。ティモフスクに着いたようだ。

時刻表では9:00着、9:30発となっている。
30分停車なので、外に出てみる。

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 ティモフスクに到着。 

後ろの方の車両からは大勢の人が荷物を抱えて下車してきた。列車の乗客たちもホームに降りてタバコを吸ったり、駅のキオスクで買い物したりと思い思いに過ごしている。

下車する人と買い物などに出る乗客たちでホームはしばし雑踏になる。駅舎内にあるキオスクをのぞいてみるが、朝食になるようなものは置いていなかった。

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 乗客たちも外の空気を吸いに出てくる。

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 30分停車のホーム。

駅前には出迎えの車がたくさんいて賑やかだ。1台のバスが停まっていて人だかりができている。
日本海側の町、アレクサンドロフスク=サハリンスキーとを結ぶ連絡バスだ。
戦前は略して亜港(あこう)と呼んでいたこともあり、北サハリンの中心地でもあった町だ。

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 アレクサンドロフスク行のバスが連絡する。

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 列車から大勢バスに乗り継いだ。

大勢の立ち客を乗せてバスはアレクサンドロフスクへ発車していった。

ホームで客車の数を数えたら10両だった。
編成の後ろの方では4両の客車を切り離す作業が行われている。

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 ティモフスクでは後ろの4両を切り離す。

ホームをぶらぶらしているうちに発車時刻が近くなったので車内に戻る。

車内の空気はどんよりとしている。車窓には北サハリンの荒涼とした風景が広がっていた。通路に立ち、流れ行く風景を眺める。

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 寝台車の通路。デッキには湯沸かし器も見える。

部屋に戻ると兄さんがチョコレートと紅茶をすすめてくれた。
あまりに良い天気なので外を指差し「パコーダ・ハラショー(天気・良い)」と言ってみた。「ハロゥーシィ・パコーダ(良い天気)」と言うのだと教えてくれた。

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 寝台車のテーブルは大きい。

ノグリキに着くのは正午過ぎ。まだまだ先は長い。

行けども行けども同じような北の果ての風景が続く。車内は次第に退屈でけだるい空気が重たく包みはじめる。兄さんたちは上段の寝台でゴロゴロと横になり本を読みはじめる。

下段の私と向かいの男性は時の過ぎ行くのをただ待っているかのようにボーっと窓の景色を眺める。どこまでも続く林や湿原を眺めていると1時間や2時間はものの数ではなく、あっという間に過ぎてゆく。

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 針葉樹の森がどこまでも続く。

車掌がシーツの回収に現れる。やがてまもなく終点ノグリキだ。部屋の人たちも降りる身支度を始める。

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 車掌がくれたシーツ代の領収書。図柄がなぜか100系新幹線。

ユジノサハリンスクを発車してから14時間もの寝台車の旅はそろそろ終り。定時の12:06に列車はノグリキ駅のホームにすべり込む。

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 北の終着駅ノグリキに到着。

同室の人たちと握手をして別れを告げると、彼らはあっという間にそれぞれに散って行った。


2004年ロシアサハリン旅行記5

 2004年9月21日

 ◆ ノグリキ クバンホテル

駅には出迎えの人が大勢待ちうけていた。駅前の駐車場には、車がびっしり駐車してある。
あちこちで、列車を降りた人と、出迎えの人たちで、ホームはごったがえす。あちこちで挨拶や握手する光景が展開される。

日本人は私1人だけのようだった。

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 列車を降りた人と出迎えの人でホームはごった返す。 

とりあえず駅の中に入り、荷物を置く。列車を降りた人たちは、車に乗り込んで次々に去っていった。
それにしても皆どこまでいく人たちなのだろうか。

しばらくすると、駅にはまだ迎えの来ない人や、夕方の列車を待つ人が残るのみとなった。

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 車が次々と去って行くノグリキの駅前広場。

どこへ行くにも、まずこの荷物を置かなければ始まらないので、T社から送ってきた地図を見ながらホテルの方角に歩き出す。

駅は町外れにあり、中心部へは少々離れているという若干の地理は、前に来たことがあるので分かっていた。送ってきた地図によると、ホテルはオハまでの幹線道路沿いにあり、町までは歩いて20分だろうと想像していた。

地図にある通り、駅前の舗装道路を左側へ向かって歩く。

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 クバンホテルに続く道。本当に道は合っているのか? 

200mほど歩くと、砂利道ですらない、ただの泥んこ道に変わった。
家も途切れ、だんだんひと気も無くなり、道の先はスクラップ置場になっているようで、どう考えてもこの先にホテルがあるとは思えず、何度も地図を見るが、やっぱりこの方角で間違いないようだ。
やたらとダンプカーが通る。

踏切を渡ると、山のように積み上げたスクラップ置場の向こうに、カラフルな家が見えた。あれだろうか。
この環境の中でカラフルな塗装の瀟洒(しょうしゃ)な2階建ての家はひときわ異彩を放っている。

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 スクラップ置場の向こうで異彩を放つ家。

家の前まで歩いていくと、あった。看板に『クバニ(КУБАНЬ)』と書いてあり、そのうえに『マガジン(商店)』とあった。

МАГАЗИН(店)??

店の入口があってそっちはまだ開店していないようだ。
もう一方は門があり庭の中を入っていく。

どう見ても個人宅の玄関のようで、おばさんがノンキにペンキ塗りをしていた。

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 どう見ても個人宅にしか見えないのだが・・・

とりあえず門をくぐり、おばさんに「ズドラストビーチェ(こんにちは)」と声をかける。

「えーと、ガシチニーツァ・クバン(クバンホテル)?」

そうだと言う。バウチャーを見せてみると、ここの客だと分かったらしく。中へ入れと案内してくれた。玄関で靴を脱ぐように言われる。

靴を脱いで、家の中に上がる。
ロビーと言うか、居間のようなところに通されて、ここで座って待っててくれと言う。
置いてあったテレビの電源を入れて、おばさんは奥へ消えていった。しばらく待たされる。

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 ド派手な内装。北方民族調? 

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 ここは食堂のようだ。 

何と言うか、あちこち派手な内装だ。この奥の部屋が食堂になっているが、そちらの内装はもっとド派手。ロシア調なのか、北方少数民族調なのか。

トラのぬいぐるみがいい味を出している。

片側の壁は金網がはってあって、中には2頭の猿が飼われている。猿をからかったりしていると、おばさんが中から出てきた。

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 壁面にサルの檻が。からかうと楽しい。

「パイジョーム(ついといで)」といわれ、おばさんについて階段を昇る。客室は2Fにあるようだ。これもまた奇妙な廊下を歩き、1番奥の部屋に案内される。「ここがあんたの部屋だ」というようなことを言って、おばさんは下に下りていった。

鍵はないのかと見たら、ドアにささっていた。この鍵がまた年代物というか、時代がかったもので、開け閉めするのにかなりコツがいる。

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 部屋はこんな感じ。慣れるまで落ち着かない 

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 年代物の部屋の鍵。

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 ペンキを塗るおばさん。 

部屋には、ベッドとテレビと冷蔵庫があるのみで、洗面所・トイレは共同となる。

明かりは天井から裸電球が1個ぶら下がっているほか、枕元の壁に小さい照明が取り付けてあった。窓の下には暖房管があり、部屋の中が暑いと思ったら、もう暖房が入っているではないか。

窓ガラスは寒さ対策か2重ガラスで、はめ殺しになっている。一番上の小窓が少し開くので、暑いから開けて置く。窓ガラスも妙にゆがんでいる板ガラスで、何十年もタイムスリップしたような感覚に陥る。

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 古びた窓。

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 厳寒地らしく窓は2重ガラス。

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 窓下の温水ヒーター。

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 傘がどこかへ行って裸電球になった灯かり。

顔を洗おうと洗面所に行き、蛇口をひねると、赤錆まじりの水がちょろちょろ出るだけ。さすがにこれはひどいと思っていたら、夕方に配管屋さんが修理に現れて、夜にはちゃんと水が使えるようになった。

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 ひどい状態の洗面所。

荷物も置いたし、表は良い天気なので町の見物に行きたい。このまま出掛けちゃっても大丈夫だろうか。

1階に降りてみるが、シーンとして誰もいないようだ。

さっきのおばさんがいたので、バウチャーを見せて・・・・えー、何て言えばいいのだろうか。チェックインはロシア語で分かるはずもない。
パスポートに滞在証明をもしてもらわねばならない。

とりあえず色々言って見る。おばさんも色々言ってくるが、何を言っているのか分からない。
20分くらいやり取りしただろうか。おばさんの言わんとすることは、要するにこういうことだった。

「私に言われても分からない」

おばさんの言った「パカー(あとで)」の言葉でやっと分かった。とりあえず私は「ツェントル(町)」のほうに出かけてくる、と言うことを伝えた。ツェントルは、バクザール(駅)からタクシーに乗れば良いと親切に教えてくれた。


2004年ロシアサハリン旅行記6

 ◆ ノグリキの町

何だかすっかり疲れきって、ホテルを出る。

ホテルの前には軽便鉄道の線路が通っていて、ノグリキ駅のほうへ伸びている。
なるほど、駅から道ではなく線路を歩いてホテルまで行けば良かったのか。

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 軌間750mmの軽便鉄道の線路。

ノグリキに限らないが、列車の少ないサハリンでは、町中に敷かれた線路は住民の通路となっているのをよく見かける。
さっきの泥んこ道と違って車も通らないし、快適な歩道だ。

とりあえず駅に来て見た。バス停の標識があって、路線バスがあるらしい。しかし、どのくらい待てばいいのか。

駅の向かいは市場になっていて数軒の食料品店が並んでいる。レストランがなくても、ここに来れば何か食べ物は買えそうだ。

地図を見ながらバス通りを歩き出す。急ぐ用があるわけではないし、ノグリキの町を歩いて見たかったというのもあった。

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 鉄道駅とノグリキ中心部を結ぶ道路。

ホテルとは反対の、駅を出て右手のほうへ歩いていく。こちらはずっと舗装道路が続く。しばらく行くとサハリンでは珍しい一戸建ての住宅街がある。ダーチャかもしれないが。

軽便鉄道の駅が見えた。3年前はここから途中まで機関車に乗せてもらったことがある。
南のカタングリまであったはずの線路は、道路との交差部分は線路撤去され、その先は草に埋もれてしまっていた。

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 軽便鉄道の廃線跡。

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 方向標識。ティモフスク136km、町1km、空港2km。

10分ほど行くと空港の前に出る。ヘリコプターがたくさんとまっている。空港前の交差点を左へ曲がる。これがユジノサハリンスクへの国道のようだ。
油田開発の建設資材を積んだダンプやトラックが多い。太いパイプを積んだトレーラーも走っている。

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 市街地を二分するノグリキ川。

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 泥炭地特有の茶色い水。

駅から歩くこと40分、ようやく町らしいところに出た。
前回来て、見覚えのある場所だ。

前回来たときに宿泊したノグリキホテルを見つける。その向かいには文化会館があり、前に来た時はここで民族舞踊を見物したっけ。
文化会館の前は小さい公園になっている。旧ソ連の戦勝記念のモニュメントがあった。

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 3年前に宿泊したノグリキホテル。

中心の通りには店やキオスクが並び、結構人通りがある。道行く人々は地元の人ばかりのようで、旅行者やビジネスらしい人は見なかった。昼に列車で着いた大勢の人たちはどこへ行ってしまったのだろうか。

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 町中のキオスク。店員に商品を取ってもらう対面販売が標準。

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 メインストリートのソビエツカヤ通り。 

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 砂地にできた町なのか、町中は砂だらけ。

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 ソ連型住宅と木造家屋。

木造やブロック積みの古い建物ばかりの町並みを歩いていると、中世ヨーロッパの小都市にでも迷い込んだような錯覚になる。

表通りは明るい感じだが、横の道に入ると木造の古いアパートが建ち並んでいて、仕事にあぶれたような人たちが昼からビールを飲んでいたりして、なんとなく暗い雰囲気だった。

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 戦前の匂いもしてきそうな古めかしい木造住宅。

歩いていると若者のグループから「ハイ」と声を掛けられる。
こちらも思わず「ハイ」という。

鉄道の終点のノグリキは、たまに私のような日本人がやってくるのだろう。

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 ブロック積みの高層アパート。

ガイドブックによると北方民族博物館があるとのことだが、地図も住所も記載はなく、全く役に立たない。
列車の長旅で疲れていたしホテルに戻ることにする。

停留所らしいところにバスが停まっていたので、乗客のひとりに「バクザール(駅)?」とたずねたが「ニェート(違う)」と言われ、あれだと前に停まっていたワゴン車を指差したが、ワゴン車は出て行ってしまった。

バスの表示をみればワール(ВАЛ)行きとあった。ワールとはノグリキからオハに向かって約70km北にある村である。
16:00になり、ワール行きのバスは満席の乗客をのせ発車していった。

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 ノグリキと北部の集落を結ぶ路線バス。

しばらくするとまたワゴン車が来て停まる。
車には何の表示もないが、停留所に立っていた数人が乗り込み発車していった。

どうやら乗り合いタクシーのようで、市内をピストン輸送しているのだ。料金は乗客全員で割り勘なのだろう。あまり乗る気はしなく、またバス通りを駅まで歩いて戻る。

途中で系統番号を出したバスとすれ違ったので路線バス自体は走っているようだが、本数も少なくいつ来るか分からないので、がら空きのようだった。

   

再び歩いて駅前に戻ってくると、ちょうどユジノサハリンスク行列車に乗る人が駅に集まっていた。

駅前の市場も列車に乗る人たちが買い物をしてにぎわっている。
おかず売り場があったので、シャシリク(串焼き)とパンを買う。別に店で魚の缶詰とウオッカも買った。

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 駅前にあるスーパーも対面販売。

魚の煮付けも売っていて食べてみたかったが、一匹まるごとは食べきれないのであきらめる。先客のオヤジはこの魚の煮つけとウオッカを買っていった。魚で一杯やるのだろうか。とりあえず今日の夕食は揃った。

買い物していると突然にわか雨が降り始める。さっきまであんなに晴れていたのに。
雨は10分ほどでやんだ。17:20にユジノ行きの列車は発車していった。明日乗る予定の列車だ。

駅で雨宿りして外に出ると、駅前は大きな水たまりと虹が出現していた。

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 駅前広場から見た虹。

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 廃車体とノグリキ駅前に現れた虹。

駅の横に、多分軽便鉄道で使われていた客車の廃車体が物置代わりに置かれていて、虹と客車がメルヘンの国へ連れて行ってくれるように見えた。

ノグリキ駅から軽便鉄道の線路を歩いてホテルに戻る途中、後ろから貨物列車がやってきた。

この線路は、ノグリキから230km北にあるオハまで続いている軽便鉄道である。
昔は旅客輸送もあったようだが、現在は貨物専用の産業鉄道となっている。

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 後ろから現れた貨物列車。

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 汽笛を鳴らして線路の主は行く。

ディーゼル機関車に牽かれた貨車が何両も何両もノロノロと通過する。
線路を歩いていた人たちも列車に気づいて脇に避ける。

10年くらい前ならば、サハリン各地に軽便鉄道があったようだ。
それが自動車の急速な普及から、そのほとんどが姿を消し、残っているのはここノグリキからオハまでの鉄道くらい。

旅客輸送はバスに譲り、道路事情の悪いサハリン北部で、細々と貨物輸送を行っているのだった。

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 ゆっくり、ゆっくりと通過してゆく。

無蓋貨車にコンテナを積んだ6両編成の貨物列車は、汽笛を鳴らしながら通過して行った。
1日中のどかな郊外の、ほんのひとときの出来事だった。


 ◆ クバンホテルの一夜

クバンホテルの前に戻ってくると、昼に着いたときはやっていなかった店が開いていた。こんなところで商売になるのだろうか。

部屋にカバンを置き、1階の店に行ってみる。店内に入ると先客が2人いた。ビールと水を買う。1階で店が営業しているのは便利で、この点だけは『ノグリキホテル』よりも快適だと思った。
  
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 窓辺でビールを飲んで日が暮れる。 

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 部屋の窓から見える風景。

さて買ってきた惣菜は冷たくなっている。窓の下の暖房管の上にのせておいたら温かくなった。

ビニール袋を開けてシャシリクをかじる。肉と玉ねぎを調味料に漬けて木の串に刺して焼いたもので、肉は結構固い。豚肉のようだが、羊肉のような気もする。

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 スーパーで買ってきたシャシリク。

窓辺のベッドに腰かけて、ビールを飲む。まわりは廃材置場。
瀟洒なクバンホテルの向こう側は、持ち主が自作で建てたのだろう、魑魅魍魎(ちみもうりょう)な小屋が立ち並んでいる。

クバンホテルの隣に見えるバラックのような建物には夫婦が住んで居るようだ。

こんな所だが、1階の店への買い物客が1人、また1人と現れる。近くの作業場から仕事帰りの人が立ち寄るのか。

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 廃材置き場の向こうに見えた入れ替えの機関車。

トラックがやってきて建物の前に駐車し、数人の運転手がホテル玄関から中に入っていった。しばらくしてからまた車が着いて、運転手がホテル玄関に入っていく。

宿泊客はロシア人ばかりで、外国からの旅行客なんてのは自分1人。ここはホテルというより、長距離トラックのドライバーなんかが宿泊する“商人宿”のようなホテルなのだろう。

ゆがんだ窓ガラス越しに、夕暮れの景色をぼんやりと眺めていると、はるばる国境を越えてロシアの地にいるのだと言う実感が湧いてきた。

部屋の電気をつけようと壁のスイッチをひねるが、つかない。天井から1本ぶら下がった裸電球をよく見ると球切れしていた。

1Fに降りていってホテルの人に頼めば電球を交換してくれるのだろうが、言葉も分からないし面倒なのでそのままにする。幸いベッドの枕元のスタンドは明るくなる。

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 ウオッカと炭酸水。

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 意外と美味しかったイワシの油漬け缶詰。

薄暗い部屋の中で他にすることもなく、黄昏れる荒れた風景を見ながら、イワシの燻製の缶詰をつまんで、ひとりでウォッカを飲んでいた。


2004年ロシアサハリン旅行記7

 2004年9月22日

 ◆ クバンをチェックアウト

朝方、夢を見る。日本で生活をして、普通に言葉を話してという、ごくつまらない夢を見る。普段ならば、目覚めて数分も経たないうちに忘れてしまうような内容だ。
夢から目覚めるとそこは、遥か遠いロシアの地だった。

1人きりで不安ばかりの現実に戻る。

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 部屋の窓から見たホテルの玄関。

窓をみるとすでに明るくなっており、相変わらず殺風景な風景が広がっている。天気は良いが、特に予定も行くところも決まってないので、またひと眠りする。

すっかり寝坊して9時頃目がさめる。
顔を洗いに洗面所へ向かう。他の客たちはとっくにホテルを出て行ったようだ。

今日はどこへ行こうかと地図を開く。
今日の列車の時刻は17:20発なので、それまでどこかへ行かなければならないのだ。

ガイドブックは役に立たないので、市内の地図だけが頼りだ。昨日は中心部まで行くのにいったん駅へ行き、そこからバス通りを歩いて1時間近くかかったが、駅とは反対方向の軽便鉄道の線路を歩いていけば、半分くらいの距離で行けるようだ。

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 ノグリキ市内略図(2004年筆者作成)

それより、チェックアウトもせねばならず、バウチャーもまだ渡していなかった。パスポートに宿泊の証明も記入してもらわねばならない。ある程度の会話を想定して、会話集と辞書で“予習”する。

10時近く、荷物をまとめて1階に降りる。やはり誰もいない。何といって呼べば良いのか。

「すいませ〜ん」

日本語で呼んでみる。やはり誰も出てこない。困ったなと思っていると、奥のほうから主人らしい人が現れた。
バウチャーを見せ、「チェックアウト」と言うと通じたらしく、こっちへ来いと言われてついて行く。鍵を開けてドアを開けると机と電話が置いてあった。事務室のようだ。

主人はバウチャーを見ながら何やら書類をめくり始める。パスポートに証明がほしいと言ってみる。主人はウーンとうなり何か言い始めた。何か不備があったのか。不安になるが、言われてもこちらも理解できない。しばらくやりあった後、主人は頭に来たのかバウチャーを指差し「ノーマネー!」と叫んだ。

どうやらまだ宿泊代を受け取っていないと言いたいらしい。そんなバカな。またしばらくやりあった後、バウチャーに何やら書き込んで、「これをもって行ってユジノサハリンスクで証明をもらえ」とバウチャーを返した。

これで良かったのか悪かったのか、私の会話能力ではこれ以上はどうすることもできない。部屋の鍵を主人に返して、チェックアウトとなった。

たった今トラブルがありながら、「5時の列車に乗るので、それまで荷物を預かってくれませんか」と頼んでみる。我ながら図太いというか、図々しいと思ったが、意外にも快く承諾してくれた。

「5時の列車ならば4時に荷物を取りに来い」と言われ、「スパシーバ(ありがとう)」と言ってホテルを出た。

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 ひと晩世話になったクバンホテル。


◆ ノグリキの郊外を歩く

今日も晴れで良かった。こんな町で雨に当たったらどう過ごせばいいのだろう。
軽便鉄道の土手に登り、線路を駅とは反対の方向に歩いてみた。

クバンホテルの裏手はダーチャ(別荘)が建ち並んでいる。駅から来れば廃材置場の中にあるようなホテルだったが、反対側からはダーチャ村の中だったわけだ。

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 クバンホテルの裏手はダーチャ(別荘)が建ち並ぶ。 

線路脇に信号機が建っていたが使われていないらしくソッポを向いたままだった。そのまま歩いていくと踏切があり、右の方へ行くとオハまで延びる州道に出る。線路を歩けるのはここまでのようだ。

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 軽便鉄道の線路とソッポを向いた信号機。

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 オハへと続いている軽便鉄道の線路。

線路は230km北のオハへと延びている。草の間から踏面をのぞかせているだけの線路は、原野の中に消えてしまいそうに、頼りなく見えた。

少し町外れまで歩くと、立ち枯れ木が目立つツンドラ地。
ここが過酷な地であることを思わせる。

ノグリキは北緯51度、ここまで来れば北極圏からの寒々とした空気を感じる。
サハリン南部の北海道に近い空気とは別物だ。

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 川に架かる危なっかしい木橋。これでも車が通るようだ。

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 町の郊外は過酷なツンドラ地が広がる。

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 オハへ続く州道の『ノグリキ』の標識。

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 トゥイミ川に架かる新しい鉄橋。鉄道と道路の共用となっている。


 ◆ 急行1列車ノグリキ駅到着

12時近くになり、駅に行ってみる。
ちょうどユジノサハリンスクからの急行列車が12:06に到着したところだった。

昨日はこの列車で降り立ったわけだが、今日は出迎えるほうの立場となる。ホームにも出迎えの人がたくさんいて、昨日と全く同じ光景が繰り返される。
日本人の乗客はいないかと探して見たが、いないようだった。

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 ユジノサハリンスクからの急行1列車が到着。

駅前広場にはオハ行のバスが停まっていた。オハ行きは週3回のみユジノからの列車に接続して運行される。
オハへはユジノから飛行機が飛んでいるので列車からバスに乗り継ぐ人は少ないようだ。

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 オハ行の切符を売るのは珍しく男性の車掌だった。 

バスの車内では、珍しく男性の車掌が切符を売っている。3年前にチャーターバスで悪路をオハまで走りぬけた記憶がよみがえる。

次のサハリン旅行は、あれに乗ってオハまで行ってみるか・・・

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 オハ行きのバスが出発。

12:20になるとバスは15人程の乗客を乗せて、オハへと発車していった。次第に駅前も閑散としてくる。


 ◆ 中心部への近道と壊れかけた橋

こんどは町の方へ行ってみることにした。
時間だけはたっぷりとある。

駅から線路を歩いてクバンホテルとダーチャ村を通り過る。今朝地図で調べた近道で中心部まで歩いて行くためだ。

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 橋の近くには廃船が棄ててあった。 

トゥイミ川の鉄橋まで来れば中心部は目と鼻の先だと思っていた。しかし橋と中心部とを結ぶ道は池のような水溜りがあちこちで道をふさぎ、ほとんど廃道に近い状態になっている。

そんな道でも人が通るようで、水溜りの脇には迂回路ができていたり、木が渡されていたりする。

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 水溜りの脇は一応通れるように工夫してある。 

橋の手前まで来てびっくり。今にも崩れ落ちそうな木造の橋が目の前に現れる。

さすがにこれを渡るのはちょっと・・・
と思っていると向こうから人が現れて、ひょいひょいと橋を渡りはじめた。

よく見ると、亀裂が入っている箇所には板が渡してあって、手直しで補修しているようではある。

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 町とダーチャ村を結ぶ朽ちた橋。

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 橋を渡る人。

どうやら渡っても大丈夫なようだ。恐る恐る歩き出す。橋が抜けてしまっているところは板が並べてあるが、隙間からは水面が丸見えだ。

足元に見える川面(かわも)を見ると、日本で掛けてきた海外旅行保険が頭をよぎった。

何とか無事渡り終え、坂道を登って行くと見覚えのあるところに出た。

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 今にも崩れ落ちそうな橋。

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 町から見たトゥイミ川と鉄橋。


 ◆ ノグリキ中心部

ソビエツカヤ通り。どこへも行くあてがないと、いつの間にかここに来てしまう。昨日と同じく人通りは多い。道を歩く人々はどこへ行くのだろう。

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 唯一きれいなロシア正教会。

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 パルク・ポページ(勝利公園)あたりは白樺の並木が並んで整っている。

あてもなく通りを歩く。一応商店街のようになってはいるが、通りに面した入口に店名だけ記した素気ない看板があるのみなので、どれが何屋さんなのかドアを開けて中に入ってみるまで分からない。

食料品店兼雑貨屋となっている店が多い。どの店も全て対面販売で、品数はさすがに豊富だが、なんかどの店も同じ物ばかり売っているような気もする。24時間営業の店もあった。

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 ノグリキのメインストリート、ソベツスカヤ通り昼下がりの光景。

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 ソベツスカヤ通りその2.

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 現役のボンネットバス。

以前にツアーで来た時に昼食をとったレストランを見つける。
ガイドブックにも載っていて、『オリムピック』という名前らしいが、入口にただ『バール(バー)』と表示してあるだけ。

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 表は食料品店。裏口のようなレストラン『オリムピック』入口。

中に入ると2組の客が食事をしていた。テーブルに着くとウエイトレスがメニューを持ってやってきた。また例によってわかる単語のものだけ書き出してて渡せばいいと考えていた。

メニューを開くと、親切にロシア語の下に英語も表記してある。これはありがたいと英語のほうを読むが、しかし英語もさっぱしわからなかった。これはもうお手上げだと思っていると、ウエイトレスが注文とりにやってきて何か言う。

ホットメニューとあるところをウエイトレスのほうに向け「ショームガ(鮭)?」と言ってみた。秋だから鮭くらい獲れているだろうと思ったからである。すると一番上の品を指差して「カルーガ」と言う。「エータ・ルィーバ(それは魚か)?」と尋ねると、そうだと言う。
それに「サラート(サラダ)」これは適当なのを指差した。それにパンにコーヒーを付けて注文した。

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 夜は賑やかになりそうなオリムピック店内。

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 店内で食事をする人。画像は中世の絵画にも思える。

店内は結構広く、入口に近い所はカウンターというかバーになっている。夜は酒場になるのだろう、薄暗い内装でカラオケ装置もある。

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 トマト、ジャガイモ、ゆで卵のサラダはマヨネーズがたっぷり。

サラダの後に出てきたのは、カルーガと言う魚に小麦粉をつけて揚げたもので、これが大当たり!

魚の身は柔らかくて脂がのっていて、わからないで食べたらウナギの唐揚げだと思うほどおいしい。この唐揚げが二切れも皿にのっている。それに玉ねぎとジャガイモのフライがつけ合わせになっていて、これだけでお腹一杯になってしまう。

・・・これは後で聞いた話だが、『カルーガ』とはチョウザメの一種で、このあたりで獲れるのだそうだ。

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 カルーガの唐揚げ。 

食後に砂糖のたっぷり入ったコーヒーを飲んで204Р(約800円)。考えてみればサハリンに渡って初めてレストランでまともな食事にありついたわけだ。

外に出ると、この建物の通りに面したほうは食料品店となっていて、『マガジン(店)・オリンピック』と看板があった。カフェの入口はまるで裏口のように見える。昨夜宿泊したクバンもそうだが、ホテルやカフェは商店の副業でやっているのかもしれない。

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 食料品店オリムピック。ここも対面販売の店。

とある店にキャビアを見つけて一瓶買う。たった65Рなので本物かはわからないが、さっきのカルーガの卵かもしれない。店にいた客のおばさんが「あらこんなのあったのね」というように珍しそうに見ていた。

もう行くところもないので、ホテルで荷物を返してもらい、あとは駅で待つことにした。

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 板で補修されているものの、無茶苦茶怖い。

再び崩れた橋を渡り、巨大な水溜りの道を抜けて軽便鉄道の線路を歩く。この近道を行けば、町からクバンホテルまで歩いて20分くらいで着く。

荷物を預けておいたので、クバンホテルに寄る。中に入るが相変わらず誰もいない。
声を出すと隣の店の姉さんが奥から出てきた。

店員の姉さんが話は聞いてるよというふうに、事務室の鍵を開けてくれた。荷物を持って礼を言ってホテルをあとにする。何度往復したろうこの線路を歩くのもこれで最後になる。


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