今年のお礼と2024年アクセスランキング

1年は早いもので、大晦日となりました。
皆様にとって今年はいかがでしたでしょうか。
私の1年を振り返れば、あまり旅行が出来なかった年でした。
このあたりは色々個人的な事情から仕方がないところではあります。

来年こそ海外旅行がしたいところですが、特にヨーロッパ方面は行くのが難しい状況が続いています。
なかなか終結しないウクライナ戦争による飛行機代の高止まり。
あとは、2年ほど前から続いている空前の円安ドル高ユーロ高。
2010年代にヨーロッパ方面へ行ってた頃は、1ユーロ=100円ちょっとといった感覚でしたが、今では160円以上の水準が続いています。
あの頃は国際線の飛行機代も安く、一番いい時に海外旅行をしていた気がしなくもありません。

国内に目を向ければ、有名観光地はインバウンドが押し寄せて混雑するようになりました。
オーバーツーリズムなんて言葉を再び聞くようになるとは、コロナの頃は思いもしませんでしたね。

一方で鉄道関連での話題はと言えば、こちらも景気の良い話はありませんね。
北海道新幹線の工事は遅れに遅れ、札幌開業は2038年度なんて話も出てきました。
そうなると、札幌に新幹線が来る頃には、私は何歳になっているのだろう・・・

なんだか愚痴ばかりになってしまうので、これくらいで・・・

  ★     ★     ★

2004年から始めた個人サイト時代から数えますと、このブログも20年目となりました。
ここまで書いた記事数は730記事あまり。
サブブログを含めると、もう少しで1000記事というところまで来ました。
個人運営のサイトとしては老舗クラスとも言えます。

最近は個人運営のテキストサイトというのがすっかり減った感があります。
個人運営の配信は、1つはX(エックス:旧ツイッター)を始めとしたSNS、もう1つはYouTubeを始めとした動画配信サイトがメインになったようです。
私はSNSはやりませんが、毎日気づけば動画配信サイトを巡回しているほど動画全盛になりました。
そのせいかはわかりませんが、当ブログのアクセス数も減少傾向となっているのは少々寂しいところ。
それでも毎日多くの皆様に読んでいただいているので、それを励みに今後も続けて行こうと思います。

では今年1年間の記事別アクセス数トップ10を見てみましょう。
トップページを除いた、各記事別のアクセス数(PV数)を多い順から並べたものです。

2024年記事別ページビュー・TOP10
(2024/1/1〜12/31、Googleアナリティクスで集計)
順位変動タイトル
1位不思議の駅だった張碓駅研究
2位地平時代の旧旭川駅1 駅舎・ステーションデパート
3位2023年夏フィンランド旅行記3 トラムに乗って
4位2019年冬フィンランド旅行記4 サンタクロースエクスプレス
5位平成時代、懐かしの旧函館駅
6位1999年 駅ビルが無かった頃の札幌駅
7位ちょっと昔の札幌を振り返る
8位人は遅い車になぜイラつくのか
9位急行利尻で稚内へ
10位平成時代の改札口を見る

順位の矢印は、前年と比較した順位の上下を表し、『初』はトップ10初登場です。
今年は記事別のアクセス数に変化が見られました。

1位はやはり“張碓駅”。
2016年の記事ですが、もう数年来アクセス数トップクラスの記事。
ほかに取り上げているところが無いせいでしょうが、この張碓駅人気はどこまで続くのでしょうか。

いきなり3位に初登場したのが2023年フィンランド。
続いて4位は2019年フィンランド。これは去年は9位だったものがランクアップしたものです。
お金のかかっている海外旅行記事が上位に来るのは嬉しいことですが、理由はわかりません。
最近はフィンランドがブームなのでしょうか。

意外なところでは9位の“遅い車”。
2022年の記事で、意味なくトロトロと走っている車が増えてきたことに頭にきて書いた記事だったと思います。
googleで『遅い車』で検索するとこの記事が上位に来るので、世の中には筆者と同じことを思っている人が多いのでしょう。

それ以外のアクセス傾向としてはこうなりました。
※アナリティクスで把握できた分なので必ずしも正確ではありません。

【年齢層】
25-34歳:29%
18-24歳:21%
35-44歳:20%
45-54歳:19%
55-64歳:8%
65歳〜  :3%

【性別】
男性:72%
女性:28%

【デバイス別】
モバイル:62%
PC:36%
タブレット:2%

当ブログ読者の中心層は、20代〜30代の男性といったところでしょうか。
スマホで閲覧している人が多いことになります。
若い人が多いのがちょっと意外でした。

もうちょっとスマホ向けのカスタマイズしたいところですが、そこまで時間が取れないことと、そちらの知識が疎いこともあって放置となっています。
そのうち見やすくしますので、どうかしばらくは現状をお許しください。

これで今年最後になります。
1年間ご覧くださいましてありがとうございました。
またコメントを寄せられた方々にもこの場を借りてお礼申し上げます。

2025年・令和7年が皆様と、そして日本にとって良い年でありますことをお祈りいたします。

posted by pupupukaya at 24/12/31 | Comment(0) | その他

ブログ20周年を迎えて

新年あけましておめでとうございます

2024年、令和6年、平成36年、昭和99年、皇紀2684年。
今年も当ブログ、PUPUPUKAYA WORLDをよろしくお願い申し上げます。

今年は元日から、能登半島や北陸地方で大地震が発生し、大変な年明けとなってしまいました。
能登半島地震の被災者の方々には心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲者の方々には哀悼の意を表します。

私にできることといえば、上記の通りお見舞いの言葉を差し上げることと、金銭面でほんの僅かな寄付をすることしかできません。
一刻も早い復旧・復興をお祈りいたします。

さて、今年は当ブログが、個人サイト時代から含めて20周年となる節目の年になります。
20周年といっても何か特別なことがあるわけではありませんが、今までの20年間を振り返り反省し、また新たなブログ記事を送り出したいと考えております。

皆様今後ともお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします。


 ◆ 20年前の初心に帰って

いまから20年前、2004年はどんな年だったんだろう。
自分は一体何を考えて、感じて生きていたんだろう。

そんなことをちょっと振り返ってみようと思い、過去記事が記録に残っていないかと探してみました。

36485.jpg
 ↑ 現存している個人サイト時代のトップページ(スクショ)

で見つけたのが、2004年当時『雑記』として、メインコンテンツの旅行記や鉄道ネタとは別に書いていたコラムのような文章。
それをここにご紹介したいと思います。

文章など書き始めたのはこれが最初だったこともあり、文章力が稚拙なのはご容赦願います。

◆ はじめに:2004年2月29日
旅行の写真やらが何やらがだいぶたまってきて、どうせなら他人に見せてやろうという気持ちでホームページを作った。
最初は、ただアルバムのように画像を並べて、ちょこっと紹介文などを添えてやろうくらいに思っていたが、
段々に凝ってきて紀行文めいたものまでになってしまった。
素人の作品で、文章も構成もまるでなってないと思う。まあ、趣味でやっているんだし、気楽にやろう。

◆ 札幌立ち食いそば考:2004年4月11日
札幌にはあまり立ち食いそば屋が無い。いやあるにはあるのだが、数も少ないし店舗も減る一方だ。最近ファーストフード風のうどん屋が増えているがこれは違う。

立ち食いそばファンの私には寂しい限りである。立ち食いそばといっても実際は座って食べるところがほとんどであり、本当に立って食べるそば屋は何軒もないのではないか・・・。あれは立って食べるから良いのであって、座って食べるならもう少し良い店で(ラーメンとか)食べるからいいやという気になってしまう。

一方、札幌には無いが、立ち食いカレーというものもある。なかなか便利なのだが、立ち食いには皿は似合わない。やはり丼でなければだめだ。はた目にもどうもしっくりこないのである。

札幌で1番はやはり、地下鉄のホームまで匂いがプンプンしている大通駅のコンコースにある店だろうか。旨いし、いつも混んでいる有望な店なのだが、ひとつ難点がある。人通りの多い通路にあるため常に落ち着かないという点である。いくら立ち食いとは言っても食事中に背中で往来するのはやはり落ち着かない。せめてノレンでもかけて世間様と遮断してはくれないものか。立ち食いそばは、お嬢様方など立入れぬオヤジたちの聖域なのである。

この点が解決されれば、五ツ星の店となるであろう。

◆ マズい食べ物:2004年6月6日
先日、仕事先近くで昼に入った店には参った。鍋物とうどん専門と看板にあるが、何でもやっていそうな要するに田舎のドライブインなのだが、店に入ると今日は手打ちそばとラーメンしかやってないと言う。店のおばさんが言うには「もりそばは一切味のごまかしがきかないですから」と言うのでもりそばを注文した。

しばらくして出来上がってきた。手打ちと言うのは本当らしい。太さのまちまちな切れっ端ばかりの麺である。そばツユもかつお風味の薄いだしである。小鉢が付いていて、ウドの酢の物なのだが、甘い。酢の物と言うよりウドのジャムといった感じだ。トーストに合いそうだ(笑。

別にまずいもの食わされて怒っているわけではない。むしろ逆である。うまいものなど、たまに食べるからいいのだ。毎日うまいものを食べていれば飽きる。体にも良く無い。たまにはこういうまずい物をたべて戒めとするべきである。だから、もりそば代600円也は食事代ではなく授業料として納めてきた。

◆ 私の禁煙日記:2004年6月27日
私がタバコをやめたのは今から6年前の正月である。それまでは8年間毎日1〜2箱くらいの本数を吸っていた。なぜやめたかというと、最大の理由はお金である。年間のタバコ代を計算して愕然とした。

やめた当時のタバコ代はたしかセブンスターが1箱230円だった。それを1日平均1.5箱として365日毎日吸っていると年間で12万5000円にもなる。フリーターだった当時、年間12万という出費は大金である。それが文字通りケムリとなって消えているのだ。まったく馬鹿馬鹿しい。部屋中がヤニで真っ黄色。じゅうたんは焼け焦げだらけ。もう最悪だった。

しかし「今日からキッパリとやめます」とはならず、やめたいやめたいと思いつつ1年くらい過ぎた。元日からタバコを吸わないことにして、大晦日に好きだったセブンスターを数箱買ってきて、イヤってほど吸った。それこそケツからヤニが出るほど吸いまくり、年が明けると同時にタバコとライターをすべて処分した。禁煙初日はわりと楽に過ごせた。これならなんとかタバコなしでも生きていけそうだと思ったものだ。

だが、2日目・3日目がいけない。ニコチン切れの禁断症状なのか、もう正気ではいられない。七転八倒の苦しみである。10分おきくらいにタバコの衝動に駆られる。そのたびに「フンガー」とか「オリャー」とか叫び声をあげてしまう。龍拡散をストローで吸い、プハーと粉を吐くのは結構効果があった。これが体に悪いのかは知らないが、もうとにかく煙をはいてみなければどうにもならなかった。もう禁煙はやめよう、しかし今日のところはとにかく我慢しよう。毎日その繰り返しであった。

そんな毎日をなんとか乗り越え、1週間ほどして何とかタバコの無い生活にも慣れてきた。カレンダーを眺めて「今日で禁煙○日目か」などという余裕もでてきた。

体にも変化が現われ、まずヤニ臭いのが無くなった。前はちょっと走っただけでゼイゼイ息切れしていたのだが、息切れしなくなったのは驚いた。そのほかには、外出するときタバコの火の始末を心配することがなくなった、など良いことずくめである。

それでも時おりタバコの衝動に駆られる。1週間目や1ヶ月・1年目といった節目は「これだけ我慢したのだからここで1本くらい」という落とし穴があるので注意が必要だ。

しかし肝心なのは、1本くらい吸ったくらいで禁煙をあきらめないことだ。じつは私も6年前にやめたと書いたが、それ以降通算20本くらいはタバコを吸っている。要は常習性がなくなったことを以って良しとしたのだ。タバコは買わないと決めていたので、すべてもらいタバコである。たまに酒の席なんかでタバコを吸うと、口中いっぱいにヤニ臭さが広がるのでうんざりした。たまにタバコを吸うことで改めてタバコのマズさを思い知るのであった。

もう3年ほどタバコは1本たりとも口にしていない。むしろ今ではすっかり嫌煙家となってしまった。タバコの臭いが苦痛以外の何ものでもないように思うようになった。しかし過去に散々タバコを吸ってきて、禁煙に成功したとたん嫌煙家に転向するのはとてもイヤらしい気がする。表向きはタバコは迷惑ではないという顔をしてるが、本当はあの臭い自体もう我慢できないくらいイヤなのである。

◆ またオリンピックかよ:2004年8月11日
毎日北海道とは思えないような蒸し暑い日々が毎日続いている。さて、いよいよアテネオリンピックである。

実を言うと、私はスポーツ全般は、ほとんど興味がない人間で、スポーツとはするものであり、見るスポーツは単なるショー鑑賞だと思っている。サッカーも高校野球もワールドカップもオリンピックも全くと言っていいほど興味がない。疎い。ついて行けない。プロ野球も巨人が負ければ面白いと思うくらいであって、試合などはどうでもいい。

オリンピックに関するテレビ番組や新聞などはほとんど見ることはない。見たとしても、そもそも興味がないので、見た内容を覚えているはずもない。こんな具合なので、毎回オリンピックの時期になると憂鬱である。一人でテレビを見るときは好きな番組を見るが、そうでないときはオリンピック観戦に付き合わされる羽目になる。会社とかでオリンピックの話題になっても、話題に入って行けない。

そんなわけで、私のようなズレている人間は、毎回オリンピックが始まると1日も早く終わってほしいと祈る毎日がつづく。

・・・こうして改めて読むと文章がえらい文語体ですね。
これは紙の本である小説やエッセーからの流れでこうなったもの。

それと、立ち上げ当初は数行書くのがやっとだったのが、回数を重ねるにつれて長い文章を書けるようになったことがわかります。


 ◆ 20年選手から初心者へのアドバイス

よくブログを始めたいが文章が書けないという声を聞きますが、誰だって最初から上手な文章なんて書けないものです。
下手でもいいから、数行でもいいから、繰り返し文章を書くというのが上達の王道なのではないでしょうか。

あとこれもよく聞くことですが、ブログやサイトを立ち上げても、アクセスがほとんど無いために失望してやめてしまうというもの。
残念なことですが、星の数ほど生まれて星の数ほど消えてゆく(あるいは放置したままになる)のが現実です。

ここで20年続いた私から、個人ブログ・サイトを長く続けるコツというか秘訣を言わせてもらえば、それは見返りを求めないということでしょうか。

ブログなんか始めると、アクセス数広告料収入読者からのコメント、いろいろ気になることばかりです。
こういったものは、せっせと文章を書いて投稿した見返りというものです。

始めた当初は、これら見返りが思ったほどなくて、もうやめてしまいたくなるでしょう。
手っ取り早く反応が来るSNSなどとは違うところです。

だけど、書いたことへの見返り期待をちょっとやめて、自分は書きたいから書いているんだという風に気持ちを置き換えれば、それ自体がモチベーションになります。

読もうと読まれまいと関係ない、自分はこれが書きたい、これを訴えたい、そうしたことを続けているうちに賛同者や、あるいはあなたの発信する情報を必要とする人たちがやって来るのだと思います。

  ★   ★   ★

・・以上つらつらと、20周年にして思うことを偉そうに書き連ねてしまいました。
かく言うこのブログも、アクセス数や広告料収入も人様に言えるほどではないわけで・・

まあでも、商売としてやっているわけではないので、また収入は本業(会社勤め)のほうで賄えているので、このブログは趣味としてのんびりと、また末永くやっていこうと思っています。

それでは最後までお読みくださいましてありがとうございました。

2024年が皆様にとって良い年であることを、心からお祈り申し上げます。

posted by pupupukaya at 24/01/04 | Comment(0) | その他

来年20周年を迎えます&年末のご挨拶

このブログ『PUPUPUKAYA WORLD』は、当初の個人サイト時代から数えますと、来年(2024年)で20周年を迎えます。

前身である個人サイトは、2004年2月に今はなきYahoo!ジオシティーズで開始しました。
その後サーバーを2度移転し、2012年からはブログに移行し現在に至っております。

思えば立ち上げた当時は個人サイトが全盛でしたね。
数あるサイトを巡回しながら、自分も何か発信したいと思い立ってワードに画像を張り文章を付けて公開したのが始まりです。

あの頃は壁新聞のような感覚で、飽きたらやめるくらいのつもりでいました。
それが20年続いたのだから、まったく何が続くのかわからないものです。

個人サイト時代から現在のブログまで、当初から旅行記と鉄道に関するニッチネタを取り上げてきましたが、これは今でも変わっていませんし、これからも変わらず続けるつもりです。
いつまで続くかはわかりませんが、今後ともひとつお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。

  ★   ★   ★

次に年末にあたり、当ブログ今年1年間の記事別アクセス数トップ10を見てみましょう。
これはトップページを除いた、各記事別のアクセス数(PV数)を多い順から並べたものです。


オリコン風に、前年比較の順位の変動を入れてみました。
去年と比較してみますと、1位と2位が不動、3位から8位までも順番が変わるも連続ランクインというのがちょっと驚きです。

9位に初ランクインしたのは、当ブログでは意外とアクセス数が稼げないと思われていた海外旅行記事。
しかも2019年のフィンランドとは・・
今年のフィンランド旅行記はどこへ行ったんやら。

しかし見事に過去記事ばかりですね。

今年1年間に公開した記事は本記事を含めて38ありますが、その中で最高順位はどの記事になるのかちょっと探してみます。
ずう〜っと下の方へ行って・・・ありました。


今年書いた記事が過去記事に埋もれてしまうのは少々寂しい気がしますが、仕方がありませんね。
これが当ブログ1年間の成績表です。

最後に、今年1年ご覧くださいましてありがとうございました。
またコメントを寄せられた方々にもこの場を借りてお礼申し上げます。

2024年・令和6年が皆様と、そして日本にとって良い年でありますことをお祈りいたします。

posted by pupupukaya at 23/12/31 | Comment(0) | その他

今年のお礼と2022年アクセスランキング

早いもので2022(令和4)年も今日で終わります。
私個人的な話では、今年は出張が多かったのでホテル・旅館暮らしが多く、あっという間に過ぎ去ったという1年でした。
何だか春や初夏に、知床や稚内を旅行していたのがついこの間のことのような感覚です。

コロナウイルス禍も今年で3年目。
マスクや手の消毒も習慣になってしまいましたね。
私自身は幸いなことにまだですが、コロナにかかる人も周りに普通に出てきました。
もう収束することはないのでしょうか。

一方では今年春頃まで続いていた移動制限もなくなり、海外からの渡航制限も緩和されたようです。
最近は街中で、久しく見なかった外国人旅行者をよく見かけるようにもなりました。なんだかんだ言って日本が一番人気なのでしょう。
私も2019年のフィンランド行き以来、海外旅行はずっとおあずけでしたが、来年こそはと思っています。

このブログも今年でちょうど開設から10年になりました。
当初は鉄道旅行や海外旅行がメインのつもりでやっていましたが、いろいろ書いているうちに国内旅行記や鉄道ネタなど色んなカテゴリが増えてきて何がメインだかわからなくなってきた感もあります。
でも、今後も旅行記だけでなく、いろいろ思いついたネタを記事にしていこうと思っています。

ここで年末のご挨拶を兼ねて、当ブログの1年間アクセスランキングを発表しましょう。

 ◆ 2022年記事別ページビュー・ベストテン
(2022/1/1〜12/30、Googleアナリティクスで集計)

1位 ...1999年 駅ビルが無かった頃の札幌(2014/5/25)
2位 ...不思議の駅だった張碓駅研究(2016/2/28)
3位 ...ちょっと昔の札幌を振り返る(2020/5/4)
4位 ...平成時代、懐かしの旧函館駅(2019/3/30)
6位 ...国道230号 定山渓〜中山峠の旧道(2020/9/6)
7位 ...最盛期の札幌市電ダイヤ(2013/6/5)
8位 ...平成時代の改札口を見る(2019/4/27)

こうして見ると、見事にお金のかかっていない記事ばかりですね。
このブログは特に時事ネタを扱っているわけではないせいか、過去記事へのアクセスが多いのが特徴です。

どの記事も記事にかかわるキーワードをGoogle検索すれば上位にヒットするので、検索サイトからのアクセスが多いことがわかります。

一番お金がかかって、かつ精魂込めていた海外旅行記はどこにあるのでしょうか。
ずっと下の方へたどってゆくと、見つけました。

39位 ...2004年ロシアサハリン旅行記(2019/7/1)

上は2019年の記事ですが、中身は閉鎖した旧HP時代にアップした2004年の旅行記のリメイク版です。
他の海外旅行記事はというと、41位 2017年インド旅行記66位 2019年冬フィンランド旅行記とランクではずっと下の方になっています。

これは海外旅行記が不人気というよりは、他にも競合があってその中に埋もれてしまうというのが大きいのではないでしょうか。
誰でも海外旅行クラスとなれば、何かしら旅行記を書いてみようと思うでしょうし、旅行記の投稿サイトもありますから。

逆に言えば、ググっても検索結果が少ない、他に取り上げているところが少ないネタが、ページビューの稼ぎ頭となるようです。
実際当ブログも、過去に書いた記事が長くドル箱記事となっていますから。

もしこの記事をご覧の方で、ブログを始めたい、あるいはブログやっているがPVが増えないなどという方がいましたら、ググってもなかなか出てこないネタを記事にしてみることをおすすめします。

あと端末別のアクセス数はこちら。

PC ....40%
モバイル ..60%

圧倒的にスマホ等からのアクセスが多いようです。
このブログはPCで作成していますのでPCでのデザインや見栄えばかり気にしていますが、今後はスマホからのアクセスも意識して作成しなければなりませんね。


最後になりますが、今年1年ご覧くださいましてありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。
2023年・令和5年が皆様と、そして日本にとって良い年でありますことをお祈りいたします。

posted by pupupukaya at 22/12/31 | Comment(0) | その他

人は遅い車になぜイラつくのか

最近の傾向なのか昔からあるのかは知りませんが、長距離運転をしているとよく遅い車に出くわします。
出くわすというか、追いついてしまうのですが、こんな車はさっさと追い越してしまいたいところです。

ところが、カーブの多い場所や追い越し禁止区間だったりするとそうもいかず、遅い車の後ろについて走り続けることになります。
得てしてこういう遅い車の後ろは後続車が次々と追いつて、いわゆる大名行列と呼ばれる車列が出来上がるものです。

DSCN4669.JPG
 大名行列となった国道。

遅い車のすぐ後ろについたのならば、機会を見つけて追い越せば良いのですが、大名行列に並んでしまった場合はどうにもならなりません。
先頭を走る車も脇によけて後続車を先に行かせればと思います。
しかし、後方は我関せずなのかミラーなど一生見ることがないのか、堂々とマイペース運転を貫くのがこの手の車でもありまして。

一応道路交通法によれば、速度標識のない一般道の法定速度は60km/hとされていますが、国道クラスの道路になると、70〜80km/hで走行するのがストレスもないし流れもスムーズと言えます。
そこを法定速度の60km/hで走っている車は、どうしても遅い車ということになりましょう。

DSCN1100.JPG
 一応これが一般道の法定速度(画像は自動車のではありませんが)。

法定速度を守って走っているのだから、遅いと文句を言われる筋合いはないでしょうし、こちらも文句をつけることはできません。

別に60km/hでも、それはそれでいいんですよ。
ずっと一定速で走ってくれればね。

例えばトラックも遅い車のひとつですけど、あれは会社の決まりで法定速度遵守なのと、どこで何キロ出したかも全部記録に取られているので仕方がないことです。
それに、トラックは一定速で走っているので、後ろについたら車間を広めに取ってまったりと走行し、どこか追い越せる場所に来たら追い越せば良いわけです。
譲って先に行かせてくれるドライバーも多いですしね。

で、ここで取り上げるイラつく車とはどういう車でしょうか。
それは、一定速で走れない車。

遅いのでどこかで追い越そうかと思っていたら、だんだん人並みにスピードを上げたり、かと思うと意味のない減速をしたり。
カーブや上り坂で速度が落ちるのかというとそうでもない。
よくいますよね、何でもない場所で、本当に意味のない減速を繰り返す。

だからって車間を詰めて煽ったりするのはもってのほかです。
危ないし、パトカーに見つかったら煽り運転で捕まります。
危険運転です。

それに、ミラーを一生見ることがない相手に後ろから煽ったって意味ないと思いますよ。
せいぜい追い越すときに中指立てるとか?
(それもやっちゃいけません)

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 煽り運転のイメージ。

私は仕事でもプライベートでも長距離を運転することが多いので、長く運転をしているうちに遅くてイラつく車の法則というか傾向というものがある程度わかって来ました。

イラつく車の法則。
それは、加速と減速を繰り返す車。
アクセルを踏んで加速し、一定の速度になったら緩めて減速するという運転。

例えば、70km/hくらいまで加速したらアクセルを緩めて60km/h以下まで減速し、またアクセルを踏んで加速する繰り返しというものです。

この運転速度をグラフにすると以下のようになります。

73923.jpg
 遅い車にありがちな走行パターンをグラフにしたもの(筆者作成)。

グラフの通り、時間の経過とともに速度が上がったり下がったり。

余談ですが、これを鉄道用語では『ノコギリ運転』と呼びます。
電車はモーターのスイッチを入れて加速し、一定の速度になったらスイッチを切っての繰り返しなので、速度をグラフにするとノコギリの歯のような形となるわけですね。

しかし、電車のようにON・OFFするわけではなく、常にエンジン直結の車でこれをやられるとたまりません。
お分かりのように、イラつく車というのは意味なく減速するわけではなく、一定速に達したらアクセルを緩め、また一定速まで減速したらアクセルを踏んで加速の繰り返しと言うことがわかります。

別に見通しが悪いからとかいう理由で減速しているわけではありません。
これが後続車からすれば、意味のない減速と見えるわけです。

実際走行中にスピードメーターを見ていると、70km/h近くまで加速したと思えば60km/h以下まで戻してみたりの繰り返し。
酷いのになると40km/h〜60km/hの間を行ったり来たり。
こういう車の正体は大抵がジジイの運転なんですけどね・・・

運転している本人は安全運転のつもりなのかも知れませんが、こんな車が前を走っていたら迷惑以外の何物でもありません。
ボーっと運転していたら追突しそうになったり、逆に離されたりして。
また中途半端にスピードを上げるものだから、追い越すに追い越せないことにもなります。

この間、遅い車の2台目に付いた時のこと、前の車は先頭の遅い車が減速する度にブレーキランプを点灯させて、相当イラついている様子でした。
こちらはそんな遅い車のパターンはわかっているので、70km/hくらいまでになったら「そろそろ来るぞ」とばかりにアクセルから足を上げると、案の定前の車のブレーキランプが点いて。
動きがドンピシャだったので、思わず笑ってしまいました。

DSCN3396.JPG
 ブレーキランプのイメージ(遅い車というわけではありません)

これで遅いイラつく車の後続となった場合の対処法がわかりましたね。
頭打ちの速度を見極めたら、その速度でアクセルを緩め、ちょっと車間が空いたらまた加速して。

面倒ですけど、アクセルワーク。これしかありませんね。
ブレーキランプをパカパカ点灯させたらこっちが恥ずかしいですからね。

ちょっと脇に寄って譲ってくれればこちらもサンキューハザードでも点灯して先に行くところですが、この手の車にそれを期待してはいけません。
コンビニや道の駅があれば、こちらが逆にそちらに寄って休憩するか、ゆずり車線や登坂車線があればそこで追い抜くかしかありませんね。

こういった『ノコギリ運転』も後続車からすれば迷惑運転のひとつだと思うんですけど、メディアなどで取り上げられることはありませんね。
別に違反でも違法でもないですしね。

自動運転が普及するまでの辛抱なんでしょうかね。

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

タグ: 道路
posted by pupupukaya at 22/05/28 | Comment(0) | その他

2022年2月 記録的大雪となった札幌

2月6日に札幌は短時間で大量の雪が降って記録的な大雪となった札幌。
しかも今年から市の除雪体制が変わったとかで、幹線道路でも雪山が積まれたままとなっています。

今週は札幌の街中は雪山に埋もれてしまったかのうような光景が。
ちょっと近年見ないような雪国となってしまいました。

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 あっという間に雪に埋もれ、かわいいシマエナガそっくり?。

6日日曜日夕方の駐車場。
買い物に行こうと駐車場に行ったらびっくりした。
こんもりと積もった雪。掘り起こそうにも、どこから手を付けたらいいのかという状態だった。
この日昼間に積もった雪の量は、24時間降雪量としては観測史上最大の60cmということだった。

6日は午後から札幌圏のJRは全線運休。
翌日7日月曜も全線運休、8日の夜から一部が運転再開となった。
それでも、学園都市線と特急列車は10日まで全面運休。
全方面が再開したのは金曜日の朝からということになったが、これも間引き運転となり、平常運行に戻るのは月曜からということだ。

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 2022年2月6日のJR運行状況(JR北海道 列車運行情報より引用)

一方でダイヤは乱れたものの、運休することなく動き続けたのが札幌市電。
3台のササラ電車がフル稼働して軌道の除雪に当たったからだ。

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 雪山で狭くなった通りを走る市電。

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 雪山も高くなり、車の方が大変そう。

同じ鉄軌道でも平常運行を守った市電と全面運休になったJRは何が違うのか?

市電が運休にならなかったのは、営業運転中に除雪車の運転ができることに尽きる。
雪の日に電車通りを歩いていれば、昼間でも営業電車に混じって除雪するササラ電車を見ることができる。

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 雪煙を上げて軌道上を除雪するササラ電車(2016年撮影)。

ではJRはどうか?

このブログの読者ならばとっくにご存じだろうが、JRは1閉塞1列車しか入れないことがあって、営業運転中に除雪車を運行するのが難しい。
例えば、昼間の千歳線で、快速エアポートや各方面の特急の中に混じって除雪車が走れるかというと無理だろう。
そのためにはあらかじめ計画運休を行って、除雪車のダイヤを決めてからでなければ走れない。

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 厚別駅で立ち往生した列車(JR北海道-【社長会見】2022年2月6日より画像引用)

今回の運休は、駅で列車が止まってしまい、その間に短時間の大雪が積もり列車自体が埋まって自走困難となってしまったことが原因だ。
線路上でいくつもの列車が立ち往生すれば、それが障害となって除雪車が走れないからだ。

こうなると、まず埋もれた列車を人手で掘り出さなければならない。そのあとは線路上の雪をかき分けながら自走するしかない。
線路上で立ち往生している列車全てを人力で掘り起こして、一旦車両基地まで引き上げなければならない。
本格的な除雪作業は、立ち往生した列車が全て引き上げてからの作業となる。

運休から運転再開まで多大な時間がかかったのはこうした事情からだ。
だからもう仕方がないの一言なのである。
ここまで復旧作業にに当たった方々には、ただただ感謝しなければならない。

とはいえ、私は関係なかったから勝手なことを言っているのであって、JRで通勤している人は大変だったようだ。
大麻から1時間以上かけて新札幌まで歩いて地下鉄で来てる人もいて、大変だとこぼしていた。
普段はJRの人たちも地下鉄に集中するから、地下鉄もいつもより混んで大変だったそうだ。

市電沿線の私は特段交通機関で困ることはなかったが、1つだけ困ったことといえば歩道が歩きづらいこと。

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 雪山で家が半分隠れてしまった。

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 どこを歩いているのかわからなくなるほど高くなった雪山。

それでも、幹線道路の歩道は一応除雪車が通って普通に歩けるようにされている。
雪山はすごいけど。

今シーズンから札幌市の除雪方針が変更となったとかで、毎年ならばこまめに排雪が行われる幹線道路でも雪山が高く積まさったままとなっている。
大体2月の雪まつり前にはきれいにされる道路も、雪まつりが今年も中止になったからかは知らないけど、もうずっと放ったらかし状態。

車線が減って、郊外の方は渋滞が酷いらしい。
らしいというのは、私は今週は中央区から出ることがなかったので実際に見たわけでないので。
郊外で詰まっているからなのかはわからないが、月曜なんて都心周辺はいつもより車の量が少ないと思ったものだ。

石山通は国道で除雪の管理は国ということになるんだけど、市の方針に倣ってなのか、この通りも雪山の排雪が行われない。

でも、歩道は除雪されているので歩きやすい。
通勤は石山通経由だと少し遠回りになるので普段は歩かないが、今だけはこっちを経由している。

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 除雪された国道230号石山通の歩道。

JRも大変だったけど、バスの人も大変だった。
積み上げられた雪山で車線が減って大渋滞の道路。

7日月曜日は渋滞や道路狭隘のためバスも多くの路線が運休となった。
多くの路線は8日に再開したが、これも渋滞でダイヤが乱れて大変なようだった。

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 石山通にあるバス停。

それでも除雪車の入る道路はまだマシで、中央区に多い除雪車の入らない狭い道路は大変。
雪を置いていかないからそっちの方がいいなと思いがちだが、基本踏み固まるだけの雪道は、建物との出入口との段差がひどい。
またこれが昼間表面が溶けて夜は固まるものだから、デコボコのスケートリンクのようになる。
昼間はザクザクになって、車輪が埋まって立ち往生してる車をよく見かける。

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 除雪されない裏通りは雪山は大きくならないがザクザクに。

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 踏み固まった雪が土手のようになった道。

じゃあ除雪が入らない道路の歩道はどうかというと、これがひどい状態。
雪山との間に自然とできた獣道。

道路や車の出入り口は削られて低くなり、それ以外は高くなって山あり谷あり状態。
それが日が経つにつれて表面がツルツルになるものだから、歩き辛いことこの上ない。
一筋の道だから向かいから人が来るとすれ違うのも一苦労となる。

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 除雪されない歩道は山あり谷ありの獣道状態。

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 除雪された通りから除雪されない通りへの段差。

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 昼間溶けた雪が夜は凍ってツルツルに。だんだん真ん中が盛り上がってくる。

ツルツルの歩道はだんだん真ん中が盛り上がって来る。
斜めになった部分は滑って歩けないので、脇の低い部分を選ぶか、馬の背を綱渡りのように歩くしかない。

あまり段差の酷いところには階段ができていたりする。
自然とできるわけはないので、親切な人がスコップでこしらえてくれたのだろう。

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 ロードヒーティングされた歩道との段差には階段が作られた。

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 手作りの階段。だれかが作ってくれたのだろう。

しかし街が雪山に埋もれても、山あり谷ありツルツルデコボコ道を人々は颯爽と歩いているのだった。

歩幅を小さくすり足で・・・違います。
靴底にスパイク・・・違います。

氷の上を、まるでアスファルトの道を行くかのように歩けるのが札幌人なのです。

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posted by pupupukaya at 22/02/11 | Comment(0) | その他

2021年 皆様へ1年のお礼

2021年も終わりですね。
明日からは2022年、元号でいえば令和4年になります。令和おじさんがついこの間だと思っていましたが早いものですね。

今年1年を振り返れば、去年の明けから始まったコロナウイルス禍は今年に入っても収束することがなく、海外旅行はおろか、国内旅行も緊急事態宣言が明けたらソレっ今のうちにというように行くしかありませんでした。
もっとも、それはそれで楽しんではおりましたが。

ところで、来年2022年は当ブログ開設10周年となります。
その開設第1回目の記事はこちら 


2012年3月13日にアップした記事です。

何の前触れも挨拶もなく突然旅行記(しかも前の年の)かよと思われる方もおられるでしょうが、実はこれ以前は個人ホームページで運営しており、ブログはホームページと併設、翌年あたりからブログに完全に移行したものと覚えています。

今は閉鎖しましたが、ホームページの開設は2004年。
そこから通算すると来年は18周年ということになります。
PUPUPUKAYAなどという変てこりんな名前もホームページ時代から引き継ぎました。
何度か変えようとも思いましたが、一度決めた名前は簡単に変えちゃいかんとも思い今に至っています。

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  ホームページ時代のトップページ

この10年の間に少しずつ世の中も変わっています。個人的にも色々ありました。
何度か引っ越しもしたし、車を持つようになったし、海外旅行に精を出すようになったのもこの頃からでしょうね。
10年間に行った国は、ドイツ、チェコ、オーストリア、アメリカ、スウェーデン、ノルウェー、インド、オーストラリア、フィンランド。
まだまだ行きたい国や場所は山ほどあります。

ブログですが、これからの10年も、旅行記や鉄道ネタ、あるいはニッチなネタを深く掘り下げた記事を書いていこうと思っています。

最後になりますが、本年も当ブログをご覧いただきましてありがとうございました。
またコメントをくださった方々、お返事は差し上げられませんでしたが、ブログ作成の励みになったこと、深く感謝を申し上げます。

皆様どうぞ良いお年をお迎えください。
そして来年もご愛読を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

来年こそ良い年でありますように・・・

posted by pupupukaya at 21/12/31 | Comment(0) | その他

2021年 緊急事態宣言下の札幌を散歩する

2021(令和3年)6月13日。
今日は朝からいい陽気の日曜日だ。

どこかへ出かけたい気分だが、あいにく札幌は2021年6月20日まで新型コロナの緊急事態宣言発令中。
不要不急の外出自粛を呼び掛けている。

ところで、不要不急でない外出とは何を指すのだろうか。

インターネットで調べると、
通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、職場への出勤、屋外での運動や散歩など
は不要不急の外出に当たらない旨の説明分があった。

なので散歩してくることにしよう。

うちは市電中島公園通電停すぐそばにある。
散歩は中島公園から始めよう。

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南11条の公園橋を渡って中島公園へ。

豊平館の前はアカシアの花が満開だった。

もうそんな季節になっていたんだね。
桜やライラックの頃は春になったんだなあ〜という気分だったが、アカシアの花が咲くころは札幌は初夏の入口。

そういや例年ならば、あのやかましいYOSAKOIソーランの時期だし、中島公園では明日から札幌祭りの露店やサーカスが始まる時期だ。

そのどれもが去年も無かったし今年も無い。
自身も仕事で一杯いっぱいだったり、季節を感じる余裕さえ失われていた。

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ライラックのロマンチックな香りは、今年こそ何かいいことがあるんじゃないかと期待させてくれる気分になるが、アカシアの甘い香りは別にこのままでもいいんじゃない・・・なんて気分になってくる。

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豊平館とアカシアの木。

札幌とアカシアは昔はよく歌謡曲の歌詞となったが、最近は札幌=アカシアとは聞かないなあ。
私が知るアカシア並木は南4条通りの資生館小学校前から石山通までの間くらい。

アカシアの花は札幌の初夏を彩る花。
もうちょっとアピールしてほしいなあ。

もっとも、アカシアと呼んでいる木は実は正式名称は『ニセアカシア』。
正式にはハリエンジュという。

元は外来種で繁殖力が強いため、今では侵略的外来種とされている。
そんなわけで、街路樹にはあまり採用されなくなったんだとか。

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中島公園内の池は菖蒲池と呼ばれている。
この時期はその名の通り黄ショウブが満開だった。

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休日はオープンテラスのテーブルにビールジョッキが並ぶ食堂も、緊急事態宣言中は休業中。

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中島公園の菖蒲池。
豊平川から引いた水を湛える。

奥は貸しボート乗り場だが、去年に続き今年も営業休止だとか。

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池には多数のウグイが泳ぐ。

そういえば10年以上前かな、この池に亀が住んでいた。
今日みたいな天気の日には陸に上がって甲羅干ししている姿を見たものだ。

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大通公園2・3・4丁目は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会準備工事中のため閉鎖されている。
札幌のマラソンと競歩会場となるため、ここが競技の拠点とするための工事が行われている。

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競技大会準備工事の看板。

新型コロナウイルスに打ち勝って、日本が世界に先んじてオリンピックを成功させることを祈ります。
ま、私は競技自体は興味ないけど。

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さらに進んで、駅前通り北3条交差点。
昔はここに市電『道庁前』電停があったところ。

地下歩行空間ができてから地上を歩くことが滅多になくなってしまった。
たまに地上を歩くたびに、あまりの変化に驚く。

平成10年代に札幌を去った人が、今再び札幌に戻ってきてここに立ったら浦島太郎の気分だろうな。

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2003年3月に開業したステラプレイスとJRタワー。
ここからの眺めはそれいらい変わらない。

札幌駅周辺が様変わりするのは10年後の北海道新幹線札幌延伸開業の時だろう。
隣のエスタは高層ビルに建て替わる計画になっている。

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また大通駅に戻ってきた。
今年の3月に設置された『ザブーン』の彫刻作品。

ゴシック体をイメージしたのだろうか。
あまり目にとめる人も少ないようだが。

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ザブーンの向かいにある新千歳空港出発便案内。
国際線は全便欠航。国内線も欠航が目立つ。

海外旅行はともかく、国内旅行は早く自由になってほしい。
あと、GoToトラベル復活も。

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地下鉄大通駅の三越前。
ここはポールタウンの一部で『HIROSHI前』と言うらしいが、その名で呼ぶ人は聞いたことがない。

もしかしたら女子高生などはそう呼んでいるのかも知れないが、私は女子高生2人の年齢を足しても年上になる世代。
今どきの高校生の流行り言葉など知る由もない。

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一部の店を除き土日は休業のポールタウン。
デパートも地下食品街を除いて休業中なのだが、どういうわけか道行く人は多い。

え?
お前は何しに来たのかって?

私は健康の維持増進のため散歩中なのでございます。

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狸小路4丁目。

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狸小路も人が多かった。
それにしても皆さんどこへ行くんだろ。

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狸小路のマスコットキャラクター『だっこポン』もちゃんとマスクしているよ。

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一昨年ならばインバウンド(特に某国人)だらけだった狸小路も札幌市民が戻ってきて賑やか。
緊急事態宣言中とは思えないほど平和な光景。

あれアテにしてオープンした店は大変だろうけどね。

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市電狸小路電停に内回り電車が到着。

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ラフィラの消えたすすきの交差点。
何だか空が広く見える。

跡地にはシネコンとホテルが入るビルが建設されるんだとか。

松坂屋→ヨーク松坂屋→ロビンソン→ラフィラ

多くの名称の変遷を経てきたこの場所。
新しいビルが建ったらどうなるんだか。

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すすきのと言えば、市電山鼻線が終点だったころは会社帰りにここまで歩いてきて、ラフィラのイトーヨーカドーで買い物して市電で帰ることも多かった。

市電が駅前通りを延伸してループ化になると、会社最寄り電停から直行で自宅最寄り電停まで1本で行けるようになったので、すすきのに立ち寄ることはなくなった。

私的には市電延伸となってからは、すすきのは縁遠いところになってしまった。

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すすきの交差点を右折するポラリス。
ポラリスのツートンカラーはカメラ泣かせ。
オートフォーカスで撮ったら白と黒だけになってしまう。

交差点の真ん中にはデザインを変えて今も立つ時計塔。

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すすきのから中島公園を歩いて戻ってきた。
アカシアの大木と豊平館をまた撮影する。

ああ、暑い。
初夏とはいえ、もう盛夏のような暑さだ。

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もう疲れたし喉が渇いたよ。
電停前のスーパーでビールを買ってきた。

公園のベンチで花を眺めながら飲みたいところだが、それは自粛せねばならない。

明日は仕事だけれど、アカシアの甘い香りに誘われて、どうでも良くなった。
部屋に帰って飲むとしよう。

posted by pupupukaya at 21/06/13 | Comment(0) | その他
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