2005年 特急利尻で稚内へ 1

2005年7月1〜2日。当時まだ定期列車だった夜行の特急利尻で稚内まで行った記録です。

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 稚内までの指定席往復割引きっぷと、特急利尻の指定券。


 ◆ 札幌 23:02 【利尻】 翌 6:00 稚内

2005年7月1日金曜日。夜行の特急利尻で稚内まで行った。べつに稚内に用事は無いのだが、どこかに行きたくなったので仕事の後に夜行列車に乗って行ける所ということで今回は稚内とした。

初夏の道北はようやく暖かくなりはじめた頃で、花がいっぱい咲いて一番気持ちよい季節だ。観光シーズンにもまだ早いので人が少ないのも良い。

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 夜の札幌駅南口広場。

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 駅前の角にはラーメンの屋台が出現していた。

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 22時から23時までは夜行列車が青森、網走、釧路、稚内へと向けて発車する。

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 改札口上にある発車案内表示器に特急利尻の表示が出た。

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 金曜の夜とあって、先発の滝川行普通は大混雑。

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 利尻のトレインマーク。

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 夜行列車なのでB寝台車も連結している。

金曜の夜ということもあって、自由席の乗車口は長蛇の列ができあがっている。利尻は旭川方面の最終列車の役割も持っているのだ。

自分の乗る指定席も相席にはならなかったが、そこそこ乗っている。しかし、指定席の客も旭川までにほとんど下車してしまうのだった。

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 朝4時、既に明るくなり、車窓は天塩川が続く。

朝目覚めるとすでに明るくなっていが、まだ3時半。列車は天塩川沿いを延々と走っている。
車内はすっかり冷え切っていて、寒い。もう眠れなくなってしまった。

最初の停車駅は幌延。もう完全に明るくなっている。幌延を発車してしばらく行くと、地平線の向こうに利尻山がはっきりと見えた。

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 4:54幌延着。もうすっかり明るくなった。

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 幌延を過ぎるとしばらく利尻山が追いかけてくる。

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 兜沼。向こうのサロベツ原野は低い霧がたちこめている。

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 宗谷本線で唯一日本海が見える場所。一番の見どころ。

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 独特な形の海岸沿いの砂丘。

6:00終点稚内に到着。
ホームや改札口は利尻・礼文観光らしい大勢の人で大盛況。わりかし年配の人が多いようだ。

ホーム端には「日本最北端」の看板があって記念写真を撮っている人もいてにぎやかである。

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 終点稚内に到着。

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 この日は利尻礼文への観光客で大盛況だった。

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 この日の利尻は寝台車2両、お座敷車1両を含めた7両編成。

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 早朝から営業している稚内駅改札口。

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 特急利尻に接続する1日1本のフェリーターミナル行バス。

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 稚内の朝は早い。特急利尻到着時には店を開けている食堂とお土産屋。

2へつづく

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2005年 特急利尻で稚内へ 2

稚内駅の北側にある日本最北端の線路を写真に撮る。
ここもすっかり観光名所になったようだ。

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 最北端のホーム端には「日本最北端の駅」の看板が立つ。

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 最北端の線路の看板と車止め。昔は先にある港まで線路が伸びていた。

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 最北端の線路と特急利尻。

列車から降りた人たちはすぐに駅前からバスや徒歩でフェリーターミナルへ行ってしまったので、すぐに静かな駅になる。

待合室にある「そば処宗谷」は日本最北端の駅そば。ここも夜行利尻早朝から営業して、特急利尻の客を待っている。
明るくてきれいな駅内はいつも美味しそうなツユの匂いが漂っている。

まずはこの名物の立ち食いそば屋で月見そばといなりを食べる。

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 待合室の立ち食いそばも、利尻を待ち受けて営業している。

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 立ち食いそばのカウンター。

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 月見そば(320円)といなり(50円)。ナルトが2枚載るのが昔からここの特徴。

ここの立ち食いそばは古くからやっているように見えるが比較的新しく、この店ができたのは1990年頃と記憶している。
いまはどうなのか知らないが、当時はJR直営店舗だった。

列車の利用者よりも町からのお客の方が多く、列車のない時間でも繁盛している。
珍しくコーヒーも置いていて、地元の人たちのサロンと化していることもある。

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 利尻の乗客が去って静かになったコンコース。

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 待合室の窓から。

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 改札口からホームを見る。


 ◆ 稚内 6:38 【4326D】 6:55 抜海

稚内から6:38発の始発列車で抜海まで行くことにする。車内の私以外の乗客は旅行者らしい2人だけで発車した。
次の南稚内で高校生が2人乗ってきた。

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 6:38発名寄行。稚内駅の始発列車。

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 転換クロスシートが並ぶ車内。

南稚内を出て市街地を抜けると丘陵地帯を行く。笹と疎林だけの丘を縫うようにして1両だけの列車は走る。 

稜線が丸みを帯びた特徴ある宗谷丘陵は周氷河地形といわれ、大昔このあたりが氷河に覆われていた時代の名残なのである。
かつては大密林に覆われていた宗谷丘陵は明治以降の相次ぐ山火事で今のような笹原となったという。 

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 日本海と利尻富士を望む。

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 一面笹の宗谷丘陵を行く。人家は全く無い。

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 防風柵と利尻富士。

無人の笹原を過ぎて人家や牧場が見えてくると6:55、抜海に着く。ここで列車を降りる。
列車が発車していくと、「ホーホキョ」とウグイスの鳴き声が聞こえるだけの静かな駅になった。

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 抜海で列車を降りる。降りたのは自分1人だけ。

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 1両の列車は抜海を発車して行った。


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 抜海駅の駅名標。

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 抜海駅のホームと木造駅舎。

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 木造駅舎は長いこと風雪に耐えてきた風格がある。

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 抜海駅のホーム側出入り口。

抜海駅は古い木造駅舎が残っている。無人駅だが、待合室のベンチには座布団がかけられ、駅ノートには遠くから訪れた旅人のメッセージがびっしりと書き込まれていた。 

いつまでも残ってほしいものだが、厳しい気象条件の土地なので古い建物はいつ潰れてもおかしくない。
もっとも昔の建物なので、現代の建築物よりは丈夫に建てられているかもしれない。

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 旧改札口上には似合わないキティちゃんの時計が掛かっていた。

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 駅ノート。

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 駅舎の正面側はリフォームされていた。


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2005年 特急利尻で稚内へ 3

抜海の駅前は家が2軒あるだけで、ほかには何もない。

駅から抜海の町までは結構離れていて歩いて20分くらいかかる。ここから町まで歩いて、そこから海岸沿いを歩いて南稚内まで戻ることにした。

帰りの列車は夕方発なので、時間はたっぷりとある。


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 抜海駅をあとにして歩く。

歩道が整備されている道路は、通る車も人も無くてもったいないほど立派に見える。 

利尻山が見えている方向にずっと歩いて行くと、やがて町に着いた。
抜海港は冬にはアザラシが来ることで有名だが、この季節は何も無く、静まり返った漁村といった感じ。

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 抜海駅から抜海の町まで徒歩で20分くらいかかる。

上に大石を乗っけたような奇妙な小山を見つける。これが抜海の地名の由来になった。

「北海道駅名の起源」(日本国有鉄道北海道総局)によると抜海の起源はこう載っている。 

“アイヌ語の「パッカイ・シュマ」(子負い石)の上部からとったもので、付近の丘の上に大石があり、その形が児を負って立っているのに似ているため、こう名づけたものである” 

近くの小山に登る道路があって、歩いて登ってみると、日本海と利尻岳それにずっと遠くまで続く海岸線が見渡せる。

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 抜海の地名由来となった抜海岩。抜海岩陰遺跡という史跡になっている。左は抜海神社。

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 抜海神社裏の小山から抜海岩と利尻山を見る。

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 南側に広がる無人の原野。

抜海の町から海岸沿いを北に歩く。ところどころに色とりどりの花が群生している。このあたりは抜海原生花園といわれる。ハマナスやエゾカンゾウ、花の名前がわかるのはこれだけ。そのほかにもいろいろな花が咲いていた。

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 海岸沿いは所どころに花の群落があった。

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 短い初夏を謳歌する花たち。

歩いてる途中で、地元のおばさん2人連れに出会った。

「どこに行くの?」
「抜海から海沿いに稚内まで歩いてみようと思って」
「どっから来たの」
「札幌からです」 

この先に川があって、道道まで出ないと渡れない。この先に道道に出る道がある。
と教えてくれた。

礼を言ってまた歩き出す。

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 海岸を歩いていると行く手を阻んだ川。

抜海の町から海岸沿いを北に歩く。ところどころに色とりどりの花が群生している。このあたりは抜海原生花園といわれる。ハマナスやエゾカンゾウ、花の名前がわかるのはこれだけ。そのほかにもいろいろな花が咲いていた。

しばらく行くと、その川が現れた。道道に出る道は見あたらなかったが、見落としたかもしれない。

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 道道の橋は見えるのだが。

来た道を戻るのも馬鹿らしいし困ったなと思っていると川幅は3mくらい。歩いて渡れそうだ。スニーカーと靴下を脱いで裾をまくって川に入る。すねまで浸かるくらいの水深。ジャブジャブと渡る。冷たくて気持ちが良い。

後方にはそんな光景を見つめるように利尻の山が立っていた。周りに誰もいないが、一部始終を山に見られていたようで何か気恥ずかしくなる。

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 海岸と秀麗な利尻富士。

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 起伏が激しい海岸砂丘。

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 砂丘に咲くハマナス。

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 さっき列車で通った利尻俯瞰区間の線路に登る階段。保線用?

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 階段を登ると線路があらわれる。鉄道写真の名所でもある。

なんとか昼ごろ南稚内駅まで戻ってきた。まだ帰りの列車までは時間がある。稚内に来たついでの野暮用があったので、済ませてくることにした。

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 南駅近くの繁華街。通称オレンジ通り。


 ◆ 南稚内 16:53 【スーパー宗谷4号】 21:50 札幌

再び南稚内に戻ってくる。 

南稚内駅の開業は稚内駅よりも古い大正11年で、当時はこちらが稚内駅となっていたとされている。

開業当初の南稚内駅は車両基地のある旧稚内運転所の近くにあって、稚内港(現稚内駅)まで開業してからは列車はスイッチバックで出入りしなければならず不便なので、戦後の昭和27年に新築・移転してきた。
実は大正11年開業の駅とは違う新しい駅なのである。 

稚内の新しい市街は南に向かって広がっているため、稚内駅のある北側中心部はすっかり寂れてしまった。地元の人は南稚内駅の利用が圧倒的に多い。
そんな南稚内駅を地元の人は「南(みなみ)駅」と略す。駅前のバス停も「南駅前」となっている。

駅前にビジネスホテルや歓楽街があって一時期は南駅周辺が栄えたこともあるようだが、郊外型大型店舗ができてからこっちも寂れ気味のようだ。

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 地元の利用者が多い南稚内駅。

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 みどりの窓口やキヨスクもあり、ストーブも設置されたままの昔ながらの駅。

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 南稚内駅改札口。

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 改札口の時計と改札案内。

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 札幌行スーパー宗谷4号が到着。

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 2両増結の6両編成。

札幌行スーパー宗谷4号の改札が始まる。ホームで待っていると遠くで踏切の音が聞こえ、列車が入ってきた。
南稚内を16:57にあわただしく発車する。

稚内始発の車内は回送列車みたいな状態だったが、南稚内からはなんとか特急列車らしくなった。それでも名寄まではがら空きだった。

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 天塩川に沿って。

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 18:55、音威子府駅。初夏の長い1日ももうすぐ終わり。

音威子府を過ぎたあたりで暗くなり始める。
名寄のあたりで日が暮れて、ここからは暗闇と窓ガラスに映った車内が車窓の友になる。

旭川で結構乗ってくると、車内は都会っぽくなった。
初夏の小旅行もそろそろ終わりである。

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 札幌到着。

〜おわり


 ◆ リメイク版あとがき

2005年、まだ定期列車だった特急利尻に乗って稚内まで往復したときの旅行記を、ブログにて復活したものです。

この頃は、道内夜行の廃止の噂こそあったものの、まさか廃止になるとは思いもしませんでした。

この頃に札幌駅を出発していた夜行列車は、1日8本(うち定期列車は6本)もあり、特急系統のほぼすべての方面に夜行列車がありました。

北海道新幹線こそ、この当時はまだ夢物語でしたが、石北線系統以外の特急スピードアップも完了し、JR北海道が最後の輝きを放っていた時代かもしれません。

リメイク版を作成していて感じたのは、画像の画質の悪さ。

当時使用していたコンパクトデジカメのスペックは、画素数でいえば2M(200万画素)を少し超えたくらい。
今は携帯やスマホですら普通に10M以上ということを考えると、隔世の感があります。

またこうしてあらためて見ると、音威子府〜稚内間、中でも抜海〜稚内間の車窓は素晴らしいですね。
ここに観光列車を走らせたら楽しいと思うのですが。

もっとも、富良野線や釧網線と違って周遊できる観光地が無いし、既存の観光ルートからは遠すぎるし、なかなか難しいんでしょうかね。
過去に『サロベツトロッコ号』という列車が走ったこともありましたが、長続きしませんでしたね。

これだけのいいもんを持っていながら、ああもったいない、もったいない・・・

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 18/04/01 | Comment(0) | 2005年の旅行記(リメイク版)
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