2006年ロシア極東旅行記1 ユジノサハリンスクまで

何が面白くて何度も行くの?

よく聞かれるが、答えようがない。自分でもよく分からない。どこまで行っても無人の荒野、北の冷たい海の向こうに何かがある。その何かを見つけにロシアへと向かうのだろうか。

宗谷海峡に面した最果ての地に立つと、晴れていれば海の向こうに島影が見えることがある。サハリンである。ただ雲が立ったり消えたりするだけで、そこには北の海に浮かぶ孤島の冷たさしか感じないだろう。

しかし、北海道旅行中などにそんな島影を見ることがあれば想像してほしい。目にすることはできないが、島影のその先には港があり、にぎやかな町があり、人々の暮らしがあるということを。そしてさらに先には大陸があり、中国やヨーロッパまで続いている・・・

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 アムール川の夕日。

今回はサハリンから連絡船で大陸に渡り、寝台列車でハバロフスクまで行ってきました。今回の旅も一部で現地ガイドに同行していただいた以外はすべて一人です。今までサハリンにしか行ったことは無く、ロシア本土を旅行するのは今回が初めてです。

写真入り旅行記で、ロシアの町中や北方の風景、また一人旅ならでは情景を感じ取っていただければ幸いです。
それでは、下の本編からどうぞ。

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 旅行会社から送られてきたバウチャーとチケット。それにパスポート。

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 飛行機のチケット。上は新千歳〜ユジノサハリンスク、下はハバロフスク〜青森。


 ● 2006年ロシア極東旅行記の行程とルート

 7/9  札幌〜飛行機〜ユジノサハリンスク
7/10 ユジノサハリンスク滞在
7/11 ユジノサハリンスク〜ホルムスク〜連絡船
7/12 連絡船〜ワニノ〜鉄道
7/13 鉄道〜ハバロフスク
7/14 ハバロフスク滞在
7/15 ハバロフスク滞在
7/16 ハバロフスク〜飛行機〜青森〜札幌

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 (地理院地図より作成)






1日目 2006年7月9日

 ◆ 新千歳空港 11:30【HZ152便】15:30 ユジノサハリンスク空港

朝、新千歳空港へと向かう。新千歳〜ユジノサハリンスク間は定期便が就航している。本当は稚内からフェリーで行きたかったのだが、フェリーの運航スケジュールと休暇の日程がなかなか合わず、今回も飛行機でのサハリン入りとなる。

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 サハリン航空専用のチェックインカウンター。

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 ユジノサハリンスク行のボーディングパス(搭乗券)。

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 国際線なので免税店がある搭乗待合室。

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 免税店。あまり安くはないようだったが。

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 おそらくサハリン航空専用の搭乗口。


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 飛行機まではバスで移動。

搭乗ゲートからバスで飛行機まで行く。乗り込むのは旧ソ連製「アントノフ24型」という36人乗のプロペラ機。ついさっきまで居た近代的な大空港から一歩機内に入ると、たちまちに懐かしい思いに駆られる。

あの独特のロシアの匂い。薄暗い客室と薄汚れた壁、ボロボロのリクライニングシート。いきなりロシアンクオリティー丸出しの空間には、最初は相当なカルチャーショックを受ける。

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 旧ソ連製アントノフ24型機。

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 身をかがめて乗り込む。

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 古びた機内のようす。

今日もほぼ満席のようだ。ロシア人と日本人が半々といったところ。狭くて薄暗い機内は、ロシア人の体臭でムンムンしている。

11:30の定時刻を過ぎ、11:40過ぎに飛行機が動き出して離陸した。プロペラ機なので、フラフラと頼りなく上昇するので何となく恐怖感がある。天気はあまり良くなく、離陸からしばらくして雲の中に入ってしまった。サハリン時間に合わせて、腕時計を2時間進める。

30分位してから機内食のサービスがある。千歳市内のホテル製のサンドイッチ弁当で、中身は前回乗った時とほとんど一緒だった。
食後はチャーイ(紅茶)かコーフェ(コーヒー)が出される。

そのあと、ロシアの出入国カードが配られる。これは機内で書き込んでおかなければならない。必要事項をローマ字で書き込む。飛行時間わずか1時間半なので忙しい。

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 座席の様子。背ずりが前へ倒れるのも特徴。

いつの間にか雲が切れて、海の上を飛んでいる。オホーツク海である。日光を浴びた、静かな海面を見ながらしばらく行くと、陸地がみえてくる。右側の窓からコルサコフの町が見える。サハリンだ!

飛行機は高度を下げ、アニワ湾の上空を旋回する。日曜だからか、浜辺には海水浴の人がいっぱい見える。アニワ湾のススヤ川河口付近を、飛行機はかなりの低空でフラフラと飛ぶ。


 ◆ユジノサハリンスク

15:20、ユジノサハリンスク空港に無事着陸となる。飛行機を降りると、乗客全員はバスに乗らされ、100メートルほど移動してターミナルビルの前で降りる。入国審査と税関のX線検査をあっけなく通過すると、出口の所に、ローマ字で名前を書いた札を持った出迎えのガイドが何人も立ち、自分の客が出てくるのを待ちうけていた。

自分の名前を書いた札を持っているガイドはすぐに見つかった。若い男性で、Pと名乗り、今回はじめての仕事で、ガイドとして日本人と話すのも初めてだという。早速、ガイドとともに車に乗り込む。車と運転手は現地旅行会社でチャーターした個人タクシーである。

日本の中古のトヨタ車で、フロントガラスには大きなヒビが入っているが運転手は気にしていないようだ。
すぐに車は走り出し、ユジノサハリンスク市内のガタガタの舗装道路を快調に飛ばす。

空港から直接ホテルまで車を乗りつけて、4時少し前にホテルに着く。
今回の宿は、駅の横にあるユーラシアホテル。荷物を持ってフロントへ。チェックインはガイドP君がやってくれ、パスポートを出すとフロントの女性はキーをくれた。早いというかずいぶんとあっさりとしている。

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 ユジノサハリンスク駅とユーラシアホテル。

ところで、空港からホテルまでの道中で、肝心な行程が抜けている。それは、ロシア通貨ルーブルへの両替で、本来ならば真っ先にしなければ、買物も食事も出来ないので重要なのだが、真っ直ぐホテルまで来てしまった。
それでも私は黙っていた。なぜなら、前回(2004年)サハリンに来た時、かなりの額のルーブルを余して日本に持ち帰ったものを今回持ってきたからだ。当面の食費程度ならば今すぐ両替しなくても困ることはない。

ガイドP君は部屋まで案内してくれ、とりあえず部屋に入り、そこでバウチャーを下さいと言われた。
「今日の夕食はどうしますか」
と聞かれ、
「レストランかどこかで」というと時間はと聞かれる
適当に「6時に・・・」と答えると、案内してくれるらしく、「それでは6時にまた来ます」といって去っていった。

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 さっぱりとしたユーラシアホテルの部屋。

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 ユニットバスは日本製で清潔。

ユーラシアホテルに宿泊するのは今回が2回目となる。隣が駅なので、交通には大変便利。部屋の窓からは駅前広場が見える。部屋はベッド1つのシングル部屋で、内装も新しくすっきりしている。テレビとユニットバスは日本製だった。

1時間ほど経って1階のフロントでパスポートを返してもらい、ホテルの向かいにあるコンビニのような店で水とビールを買って部屋に戻る。テレビをつけると、NHKの衛星放送がうつった。

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 ユーラシアホテルの窓から見た駅前広場。

6時過ぎ、再びガイドのP君が部屋にやってきて、大変申し訳ないという顔をして言う。

「今日は日曜日なので、ルーブルへの両替は出来ません」
「1000ルーブルあれば、レストランで食事ができるので、私が1000ルーブルを貸してあげますので、明日両替したときに返してください」

しかし、P君の申し出は断わることにして、
「ルーブルは少し持っています、レストランに行くほどお腹は空いていないので、店で食料を買ってきて部屋で食べたい」
と説明した。P君は会話のほうは苦手でなかなか言うことが通じないが、なんとか分ってもらう。

7時までガイドの時間だというので、一緒に買物に出る。
ホテルから、駅前のコムニスチーチェスキー(コムニスト)通りを歩く。駅前の雰囲気が2年前とは変わっている。歩道は新しいブロックが敷かれて綺麗になっていて、歩道に並んだキオスクも新しくなっている。雑然とした雰囲気は無くなって、全体的に明るくなった反面、人通りは少ない。

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 レーニン広場。

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 逆光のレーニン像。奥がユジノサハリンスク駅。 

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 コムニスチーチェスキー通り。

まっすぐ歩いてきたが、店はない。この通りの先には前回宿泊したラーダホテルがあり、そのときに何回も歩いて往復した道だ。官庁街なので買物するような店はなかったと思う。
「右に行けばドム・タルゴーリ(デパート)がありますよ」と私が言うとP君は「イキマショウ」と歩き出す。しかしデパートは無残にも日曜のためか、すでに閉まっていた。

「レーニン通りに行けば店があるんじゃないですか?」「イキマショウ」と来た道を引き返す。
レーニン広場からレーニン通りを南側へしばらく歩いたところに「ピエールブイ」という24時間営業のスーパーマーケットがあった。中に入ると驚く。日本のスーパーやコンビニと同じセルフ方式の店だったからだ。日本その他ではこれが当たり前だが、これまではサハリンでは対面販売方式が当然だったので、これは画期的なものが出来た。聞くと今年に出来た店だという。

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 24時間営業スーパーのピエールブイ。

惣菜売り場もあって、種類もヘタなレストラン並みに色々な料理がそろっている。あまりロシア料理は詳しくないので、どれが何なのかはよく分からないが、何となく気に入ったものをいくつかP君に頼んで、店の人に包んでもらう。
惣菜売り場だけは、デパ地下のようにショーケース越しに、注文する。あと黒パンとビールを買い、レジでお金を払う。しめて260.78ルーブル。

スーパーの袋をさげて、ホテルに戻る。
P君が「明日は何か予定がありますか?」と尋ねた。「明日は予定ありません、フリーです」と言うと、「明日は私もフリーです、一緒に街を歩きませんか?」と言う。明日はガイドはつけていないので、個人的に付き合ってくれるらしい。一人であちこちブラブラとしようと思っていたのだが、とくに予定は決めていなかったのでOKした。

机に買ってきたおかずやパンを並べて、ビールを飲みながら、それなりに楽しい宴になる。
レストランに入り、メニューも分からず、一人で落着かない食事をするくらいなら、町でいろいろなものを買ってきて部屋で酒を飲みながら食べた方が良いと思う。その方が安上がりだし。

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 スーパーで買ってきた惣菜など。

ビールは「コルサコフスキー」といい、コルサコフの地ビールで、かなり苦味がある。持ってきたナイフで黒パンを切って、チーズをのせて食べるとウオッカが飲みたくなる。でも、今日は無い。
鮭の串揚げはおいしかった。でも、ピラフはライスが硬くてボロボロ。トリ肉は脂くどくって・・・

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 ロシアの黒パン。クセがあるが慣れるとやみつきに。

時計を見ると8時になるが、外はまだ明るい。部屋の窓から駅前広場を眺めていると、ノグリキ行の夜行急行列車に乗る人が続々と車でやってくる。部屋を出て廊下の窓から駅のホームを見ると、ちょうどノグリキ行の列車が停車していた。

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 ノグリキ夜行の乗客が駅前広場に集まってくる。

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 ホームでノグリキ行急行列車が発車を待つ。

20:45にノグリキ行が発車して行くと、駅前広場も閑散としてきた。それでもまだ明るい。
白夜のようだと言えば何となくかっこいいが、日本ではまだ午後7時前である。それでも夜9時を過ぎてもまだ明るいというのは妙な気分だった。

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 10時を過ぎ、やっと暗くなったユジノサハリンスクの街。

10時ごろやっと暗くなった。さすがにこの時間になると駅前広場も人通りがなくなる。遠くで歌う声がするのは、どこかでカラオケをやっているのだろうか。

夜中に酔っ払いらしい2人連れが、なにやらわめきながら外をフラフラと歩いていった。


2006年ロシア極東旅行記2 ユジノサハリンスクその1

 2日目 2006年7月10日

 ◆ まずは銀行でルーブルに両替

7時ごろ起きて窓の外を見ると、広い駅前広場はどこから集まったのか、ぎっしりと車で埋め尽くされていた。駅の正面にはタクシーが10台列を連ねて停まっている。

7:15になり、駅から大勢の人が出てきた。ノグリキからの急行列車が到着したのだろう。駅から出てきた人々は次々に出迎えの車やタクシーに乗り込んで、車も1台、また1台と去って行く。

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 ノグリキからの急行列車の出迎えで続々と集まってきた車。

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 タクシーも集まってくる。

8時を過ぎて、1階のレストランに朝食に行く。ガランとしたレストランは2組ほど先客がいる。
テーブルにつくと、サラダとパンが出てきた。メインは目玉焼きで最後にコーヒーか紅茶が出る。素気ないメニューだが、たくさん料理を出されて朝から満腹になってしまってはかえって困るので、このほうが良い。

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 ユーラシアホテル1階のレストランで朝食。

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 サラダとパン。

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 朝食メインは目玉焼き。

9時半に昨日のP君がやってきた。まず、両替しましょうとなる。P君が言う、
「両替はどこでしましょうか」
オイオイ、それは俺のセリフだ。

幸い、前回みちのく銀行で自分で両替したことがあるので、今回もみちのく銀行へ行くことにする。ホテルから歩いて銀行へ行き、一番奥の両替所で150ドルとパスポートを差し出す。150ドルが4,009ルーブル(ルーブルは以下Рと略します)になって出てきた。


 ◆ ガイドP君と歩いて歩いて歩いて・・・

銀行をでるとP君は「コムニスト通りに行きましょう」と昨日歩いた通りをまた歩く。

2人で歩きながら、P君は自分のことを色々説明する。漁業の専門学校をで2年間日本語の勉強をしたという。以前に八戸に行ったことがあり、そのときに「今日は」「ありがとう」の2語をおぼえ、それが日本語を勉強するきっかけになったそうだ。

彼は日本語は学校で勉強したほかは独学で習得したので、ナマの会話は今回が初めてだという。なかなか勉強熱心で、自分で作成したという日本人向け観光案内のレポートを見せてもらった。ガイドの素質はともかく、文章力はあると思う。

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 レーニン広場の公園。地震で崩壊したネフチェゴルスクの碑がある。

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 並木の美しいコムニスト通り。

駅前から延びるコムニスト通りは、サヒンセンターやチェーホフ劇場、サハリン州郷土博物館など一応観光っぽい所があり、並木が美しく、ユジノサハリンスク自慢の通りなのだろう。

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 チェーホフ劇場。

「今日は月曜日なので、博物館も美術館もどこも休みです」

P君は残念そうに言うが、観光名所らしいところは以前にも行ったことがあるので、いまさらそんなところに連れて行かれてもつまらない。内心では休みで良かったと喜ぶ。

かといってどこへ行こうかと聞かれても、どこへも行きようがない。本当は市場とか、駅とかを覗いて見たいのだが、あまりそういうところには連れて行きたくないようだ。

歩きながら、時々思いだしたように会話になるが、なかなか話が膨らまなくてすぐに終了する。

歩いていると突き当たりになり、スラーバ広場というところに出た。

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 スラーバ(栄光)広場。

「スラーバとは・・・」と説明しかけたところでP君は言葉を忘れたようで、私が辞書を出すと大変に感心して、
「これは日本の字引ですね」「日本語の字引は高くて買えません」

ロシアでは日本語の辞書はとても高価で、個人で買えるような物ではないのだという。

「日本語を勉強した大学出は外資や大陸の企業に就職してしまい、サハリンの通訳にはならない」
「もっと日本語を勉強して良い通訳になりたい」
「日本に留学したいのだが金がない。もっと日本語を話せる機会があれば・・・」ということをP君は語った。

そのあとも、旧樺太神社跡を探して林の中をウロウロし、本屋に入ったりポページ広場というところを見たり、午前中はずっと2人で歩きっぱなし。もう疲れてきたし、これと言って見るべき物も無く、P君には悪いが、やっぱり一人で色々まわりたい。

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 市内あちこちには市場(ルイノク)がたつ。

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 あちこち渋滞している市内の道路。

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 広告タクシーも走っている。


 ◆ 路線バスに乗ってみる

ミーラ大通を歩いていたら、バス停があったので、「ここからバスに乗ってホテルに戻りたい」と言った。

「バスは乗り心地が悪いです、歩きましょう」
「いいや、バスに乗ってみたいのです」

こんなことでも無いと市内のバスに乗る機会はないだろう。P君もわかったらしく、停留所でバスを待つ。

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 バス停でバスを待つ。

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 次から次へと発着するマイクロバスに乗客が乗り込む。

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 大型バスも走っている。

バス停にはバスのマークが入った標識がある。ベンチが置いてあってそれらしくなっているので、また乗客が何人か立っているのですぐに分かる。
バスは次から次へとやってくる。バスといっても、ほとんどが韓国製の12人乗りマイクロバス。たまに、大型バスもやってくる。

10分くらい待って、マイクロバスがやって来て、P君が「これに乗ります」と言い、我々のほか数人と乗り込む。
マイクロバスと言っても、14人乗りのワゴン車だ。

あっという間に車内は満席になる。満席になるとこれ以上乗れないので次の便を待つしかないようだ。

料金はどうするのかと思ったら、後ろから客がリレーで順送りに10p札を前の方へ手渡して運転手に直接渡す。

なるほど、これでバスの乗り方は分かった。

バスは停留所ごとに1人2人と乗り降りがある。私は運転手後ろの座席に座っているので、他の乗客から運転手へ料金の受け渡し役のようになってしまった。釣銭もやはり運転手から乗客同士のリレーで戻ってくる。

やがてレーニン広場前の停留所でバスを降りる。
レーニン広場の高さ9mのレーニン像はまだまだ健在で、しかもレーニン像の両側には電光表示の広告塔が建てられ、朝から晩までCMを流している。かつての共産主義の象徴が、やかましい広告塔に挟まれた格好になっていて、レーニンさんは草葉の影でどう思っているのだろうか。

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 レーニン像と広告塔。手前を走るのは広告をラッピングした路線バス。

ホテルに戻る前に、カフェで食事したいと「カラボーク」というカフェに入る。メニューは訳が分からないので、P君に教えてもらい、カレイの唐揚とボルシチ風スープとパンの昼食。カレイの唐揚げが肉厚で柔らかく、意外なほどおいしかった。

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 「カラボーク」のスープとカレイの唐揚(242р)。

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 カレイは肉厚で柔らかい。イクラとチーズも付いていた。


2006年ロシア極東旅行記3 ユジノサハリンスクその2

 ◆ リニューアルされたユジノサハリンスク駅

カフェカラボークで昼食後、ホテルに戻る途中で「駅の中を見たい」と言ってみた。ガイドのP君は「何もありませんよ」と少ししぶったが、少しだけということで、一緒に中に入る。

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 キオスクもきれいに整備された駅前。

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 保存SLのD-51とユジノサハリンスク駅。

いままでコンコースを囲むように占拠していたキオスクが全て無くなっている。ベンチも以前の木製の物から新しい鉄製の物に交換されている。大分すっきりしたようにも見えるが、寒々とした印象のほうが強い。
きっぷ売り場も、リニューアルされて様変わりしていた。

きっぷ売り場の上に掲示されている時刻表を見たが、とくに列車本数も変わりない。2004年11月からコルサコフへの旅客列車が再開したと聞いていたが、時刻表にはコルサコフ行の列車は見当たらなかった。
時刻表の下には、電光掲示の列車発着案内が新設されていて、今日発車する分の列車時刻が表示されている。

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 時刻表下のディスプレイには列車の発着が表示される。

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 きっぷ売り場も新しくなった。

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 売店が全て撤去され、ガランとしたコンコース。

前にたくさんあったキオスクが無くなったと言うと、鉄道構内であのような営業は禁止されたと答えた。
「ここには何もありません、ただの町の駅です」

ホテルのフロントでP君と別れる。明日は朝7時に迎えに来るという。ずい分早いが、予定ではフェリーのホルムスク出港は18時となっていたが、午前中に出ることもある、できるだけ早くにホルムスクについた方が良いと言われた。

部屋に戻ると、歩き疲れて1時間ほど寝る。


 ◆ 路線バスでユジノサハリンスク市内めぐり

2時過ぎ、1人でホテルを出る。このままホテルでじっとしているのはもったいない。やっと1人になれたとも思う。

レーニン通りを歩いて、踏切そばの自由市場へ。
月曜の昼間のせいか人は少なく、またこれといった物も無かった。街中の店の方が物は豊富になってきたので、市場の勢いも衰えてきたように見える。

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 きれいになったレーニン通り。

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 サハリンデパート前の交差点。

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 市場横の踏切。

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 列車の通らない日中は住民の通路となっている線路。

歩道を歩いていると、自転車に乗っている人をよく見るようになった。ほとんどがマウンテンバイクで、交通というよりは、まだまだ子供のオモチャ的な感覚のようだが、たまに大人も乗っている。自転車も歩道を走っているのは日本と同じ。

レーニン通りのバス停でバスを待つ。系統番号と経由地が、ドアの内側から貼紙で一応表示してあるが、どの番号がどこに行くのかは全く分からない。色々な系統番号を掲げた14人乗りのワゴンバスは次から次へとやってくる。どのバスも満車で発車する。満車の場合は次の便を待つしかない。

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 ワゴンバスの車内。

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 路線バスの車内から。

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 窓には系統番号や経由地が張り紙してある。

バスの路線図でもあれば便利なのだが。一応路線図は市販されており、「地球の歩き方」にも路線番号が載っているのだが、実際は一部の番号のほかは違っている。

席の空いているバスがあったので、それに乗り込む。乗ってから前の人に10Рを渡すと、運転手までリレーで渡してくれる。いったいどこへ連れて行かれるのだろうか。車はレーニン通りからコムニスト通りへ入り、ミーラ大通へ。ドームタルゴーヴリデパートの前で降りる。

こんな感じで面白いので、ポケットに10Р札を数枚入れて、夕方までずっとバスに乗っていた。

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 どこだかわからない場所に着いた。同じ番号の反対方向に乗れば戻れる。

ユジノサハリンスクの町は基本的に道路は南北に直角に交わり、方角さえ把握していれば大体の位置はわかる。変なところへ来てしまっても、反対方向のバスに乗れば中心部まで戻ってこれるようになっているので心配することは無い。

バス停の上の方に系統番号と運転間隔が表示してあるが、過去の物のようであまりアテにはならない。バスも路線に沿って流しているという感じで、たまに同じ番号が続けて来たり、途中で追い抜いたりする。

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 クワスのタンク売りを発見。

とあるバス停で降りると、クワス売りのタンクを見つけた。使い捨てコップ一杯10Р。一杯もらう。
クワスとはライ麦と黒パンを発酵させたロシアの飲み物で、味は酸味があって炭酸が少し効いたやさしい味。

クワスを飲んでいると、次から次へと売れている。空きペットボトル持参で買いに来る人も多い。

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 夏場はあちこちで目にするクワス売り。結構人気。

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 クワスは使い捨てコップで販売してくれる(10р)。甘酸っぱいロシアの味。

6時ごろ、バスで駅前まで戻る。
また駅の中をぶらぶらしたりするが、鉄道駅を不用意に歩きまわったりしない方がいいと後日思い知ることになる。
このときはまだ何もなかったが。

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 ユジノサハリンスク駅の地下道。

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 ユジノサハリンスク駅のホームと列車。

昨日のスーパー「ピエールブイ」でウオッカ(110.4р)と鰊の酢漬け(49.6р)などを買う。
店内には日本製のインスタントラーメン、コーヒー、醤油なども売っている。当然、日本国内で売っているよりも高い。
買物袋を提げてホテルまで歩いて戻った。

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 今日の夕食。メインはスモークニシンの酢漬け。

部屋に戻ると、シャワーを浴びてビールを飲む。鰊の酢漬け「マチュー(матье)」をひと口食べ、これはウオッカだとビールはやめてウオッカを飲む。

窓辺で外を見ながら、昨日の残りの黒パンと鰊をつまみながらウオッカを飲んだ。
しかしロシアの食べ物って、すべて黒パンとウオッカに合うようになっている気がすると、あらためて思った。

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 窓辺に並べてみる。異国の風景を見ながらの一杯。

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 黒パンとウオッカが進む。


2006年ロシア極東旅行記4 連絡船サハリン7号

3日目 2006年7月11日

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 ユジノサハリンスク〜ホルムスク〜ワニノのルート。(地理院地図より作成)


 ◆ ユジノサハリンスク 〜車〜 ホルムスク港

昨日に昼寝したせいか、あまりよく眠れなかった。

旅行会社から当初もらっていた予定では、10時頃ホテルを出発、連絡船のホルムスク出港が18時頃、ワニノ着が翌15時頃となっていた。
ところが、フェリーの出港時刻が定かではないということで、朝7時に出発と伝えられていた。

6:40にガイドのP君が部屋にやってきた。朝食だという。レストランは8時からなので、今日は朝食抜きだと思っていたが、ホテルに話をつけておいてくれたのか、レストランに行くと朝食の準備がしてあった。

昨日と同じサラダと目玉焼きの朝食。P君がやたらと時間を気にしている。タクシーがもう来たと言うので、急いで紅茶を飲んで部屋に戻り、荷物を持って1階へ降りる。フロントで鍵を返し、車に乗る。

6:55に車はホテルの前を出発し、サハリンスカヤ通りの踏切をわたる。踏切のあたりは、昼間はいつも渋滞しているが、この時間はまだほとんど車は走っていない。

車は100キロ以上のスピードで飛ばす。道路はツギハギだらけのデコボコ道だが、そこはさすがに日本車で、サスが効いて揺れは少ない。運転手の兄ちゃんは、道路の穴ぼこやマンホールを器用によけながら運転する。

8時、1時間少々でホルムスク市内へ、そのまま港に直行する。ホルムスクは雨。これからの行程を考えると少し気が重くなる。

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 ホルムスクのソベツカヤ通り。

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 ホルムスクの連絡船ターミナル『モルスコイ・バクザール』。

フェリーターミナルビルの前に車を停め、P君のあとについて窓口へ。窓口に今日は9:20出港(7:50入港便)と表示してある。

先客の後ろに並び、P君は「早く出てちょうど良かった」と言った。
本来ならば、ホルムスクは夕方に出てワニノには翌日の昼に着くはずだったのだが、あまり早く着きすぎても列車待ちの時間が長くなりすぎて困る。最悪の場合、今日中に着いてしまうと、ワニノで泊まるところも探さなければならないのだ。
もう1便遅い便に出来ないかと頼むが、台風が来ているので、天気の良いうちにワニノに渡った方が良いと言われた。

この便はワニノ到着は朝5時なので、ワニノに泊まる心配はないようだ。

前の客が終わって、順番が来る。
予約してあったのかP君が名前を言う。窓口の女性はなにやら書類をめくって名前を探す。手続きが面倒そうだ。

コンコースはあまり広くはないが、フェリーターミナルだけあって、ベンチがたくさん並べられ大勢の人が座っている。売店やカフェも一応ある。めずらしく、缶ジュースとカップのコーヒーの自動販売機が置いてある。

椅子に座っている人たちは、フェリーを待っているのだと思っていたら、表にバスが着くと皆ゾロゾロと出て行った。
きっぷはなんとか買え、渡されたのは、乗船券とワニノ港から駅までのバスの切符。指定された部屋は302号室の1番。

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 あまり広くない連絡船ターミナルのコンコース。

出港まで時間があるので車の中で待つ。P君からワニノからハバロフスクまでの鉄道の切符を渡される。

9時過ぎ、いつ船に乗るのかと聞くと10時だという。船が遅れているらしい。



◆ ホルムスク港 【サハリン7号】ワニノ港(翌日)

ホルムスクと大陸側のワニノとの間は連絡船が結んでいる。

この航路は、昔の青函連絡船のように貨物列車の車両航送を行っていて、大陸側とサハリン島内の貨物列車はこの連絡船を介して直通している。ただし、レール幅の違う大陸の貨車はそのままではサハリンの線路は走れないので、ホルムスクには広軌〜狭軌の台車交換工場がある。

大陸側の貨車も直接乗り入れできるように、サハリン島内の線路も大陸側に合わせて広軌化されることが決定していて、一部区間では広軌化工事を着工しているという。

就航船は「サハリン」号が4隻、5000tクラスの大型船だが、貨物主体のため旅客定員は70数名しかない。貨物に合わせての不定期運行で、出港時刻も船が入港してから決まるので、一般客には利用しずらい。

鉄道連絡船だが、経営しているのは「SASCO」(サハリンシッピングカンパニー)という海運会社である。

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 跨線橋を渡って連絡船の桟橋へ。

10時、ターミナルビルから何やらアナウンスがある。乗船開始らしい。車のトランクから荷物を出し、ターミナルビルの隅にある裏口のようなところから外に出る。ここでパスポートを見せ、P君とはここでお別れとなった。

潮風にさらされたボロボロの跨線橋の階段を登る。正面に連絡船が見えた。船体には「САХАЛИН-7」と表示してある。「サハリン7号」だ。

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 船体の「サハリン7号」の表記。

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 船に貨車を積み込む可動橋。

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 連絡船の桟橋。船の前で待たされる。

船の前でタラップ取り付けまで待たされる。乗船客を数えてみると全部でたったの22人。

10分ほどして、乗船開始。タラップの入口で乗船券とパスポートを見せ、つづいて船内の食事券を受け取る。

船内に入るといきなり階段の踊り場のようなところで、前の人のあとについて階段を降りる。狭くて長い階段で、降りたところがロビーになっていた。案内係の制服を着た女性にチケットを見せて部屋を教えてもらう。

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 船底客室のロビー。

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 なぜか日本語で書かれた案内所。

ドアを開けると2人部屋で、ニス塗りの木製二段ベッドと2人分のクロゼットがあった。個室に洗面台もあるのはさすがに船だ。

車両甲板のさらに下、船倉部屋なので窓もなく、壁は船体に沿って斜めになっている。それらが天井の白熱灯と洗面台の裸電球に赤く照らされている。どの部屋もこんな感じのようだ。ここは2人部屋だが他は4人部屋になっている。

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 自室の一般客室と2段ベッド。

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 船らしく個室内に洗面台もある。

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 ホルムスク〜ワニノ間の乗船券。

案内係の女性がやってきてこの部屋はあなた1人だけというようなことを言い、部屋の鍵を渡してくれる。1人部屋なのはうれしい。
またさっきの案内係がきて、ビレット(チケット)をもって来てくれという。ついて行くとビレットと交換でシーツと枕カバーをもらう。明日またシーツと引き換えにビレットを返してくれるそうだ。

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 船のデッキからホルムスクの町を見る。

部屋に鍵を掛けて、階段を登ってデッキに出る。10:40、ちょうど出港するところだった。ゆっくりと岸壁を離れる。スピーカーから音楽が流されるが、何の歌かは知らないが、「サハリーン、サハリーン」と歌っているので、サハリンの歌らしい。

船上から離れゆくサハリンの町を眺めるのは日本に帰るときだけだったが、今日は大陸に向かっている。ゆっくりと離れるホルムスクの町を眺める。

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 ホルムスク出港。ばいばーい。

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 ホルムスクの町がゆっくり遠ざかる。

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 プロムナードデッキ(遊歩甲板)。

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 サハリン7号の浮輪。

船内をあちこち見て回るが、ほとんど貨物専用船なので船内は広くない。食堂兼売店もある。あちこちに日本語で書かれた案内板があって、なんでこんなところに日本語の表示があるのかと不思議に思う。

「サハリン7号」は稚内〜コルサコフ航路でかつて使われていた船ではなかったのか。そういえば、サハリン航路の初期はロシアの連絡船が使われていた。

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 一般客室の通路。

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 船内あちこちにある日本語の案内表示。

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 談話室?ここでは煙草も吸える。

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 便座の無いトイレ。


 ◆ 長い船旅

11時半頃、放送があって食堂に人が集まり始める。どうやら食事時間のようで、船室に食事券をとりに戻る。

カウンターで券と引き換えにトレーに乗った食事を受け取る。
パン2切れ、ハンバーグにサラミ、ライスにガーリック風味のソースをかけたものが使い捨て皿に載る。ライスはべチャッとしているが、そういうものなのだろう。粉末のカフェオレがついていて、これも使い捨てカップに入れてポットからお湯を注ぐ。ポットのお湯は自由に使っても良いらしい。

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 船内の食堂兼売店の様子。

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 船内の食事。味はともかく温かい食事はうれしい。

売店ではビールやスナック類を売っているようだ。食べ終わって、船底の部屋へ戻る。

天井のスピーカーからはラジオが流れている。個室なので音量調節のツマミもあり、消すこともできる。このゴツゴツしたツマミが、いかにもソ連製らしい感じがする。

船底部屋にいても、窓も無いし基本退屈だ。
アッパーデッキ(上部甲板)にも船室があるのだが、こちらは船員の部屋ということになっている。
このあたりが、いかにも社会主義時代らしい船である。

14時ごろまたデッキへ行く。サハリンの島影がうっすらと見えている。船のスピードは遅くて、チャプチャプとゆっくり進む感じである。ホルムスクとワニノの距離は約260km。20時間もかけて運航してる。

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 船の速度は遅く、チャプチャプ進む感じ。

6時半、デッキへ。船は霧の中。寒い。デッキのサロンではロシア人の客が魚の干物をしゃぶりながらビールを飲んでいる。

食堂の売店が開いていて、クレープのようなものを積み上げて置いてあるので、「エータ・プリヌイ?」と聞くと「チェブリキ」だと言った。1枚買う。
カップ麺でもないかと思い、お湯を注いでラーメンをすするしぐさをしてみる。店のおばさんがメニューを指差す。ボルシチと書いてあった。「パンは?」と聞かれたのでそれも1つもらう。あと魚の干物も1本買った。

誰もいない薄暗い食堂でビールを飲みながら1人で食べる。

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 売店に並ぶ品物。酒類は豊富。

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 売店で買った、ボルシチとチェブリキとパン。

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 売店で買った魚の干物。

8時になっても、9時になっても、ずーっとぼんやりと明るい霧の中。腕時計の針だけが唯一、時を刻みを知らせる。

物置小屋のような船室に戻り、さっき買った魚の干物をしゃぶりながらウオッカを飲む。何の魚かは分からないが何となくキュウリの匂いがしたのでキュウリウオの干物かもしれない。

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 夜9時半、ようやく薄暗くなって、灯かりがともるデッキ。

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 夜何時になってもぼんやりと明るい霧の中。

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 上段ベッドの壁は旅行者の落書きだらけ。

ウオッカを飲んでもなかなか寝付けない。ベッドに横になって本を読んでいるといつの間にか眠っていた。翌朝は何時に起きればよいのか分からず、気になってとても熟睡はできなかった。


2006年ロシア極東旅行記5 ワニノ

 4日目 2006年7月12日

 ◆ワニノに到着、初めての大陸上陸

朝5時、案内係が起こしにあらわれた。船は何時にワニノへ着くのだろう。遅れてホルムスクを出港したので、到着も少し遅くなるのだろうが、まだ着かないのならもう少し眠っていたいし、着くのならば準備をしなくてはならない。

5時半ごろデッキに上がると、相変わらず霧の中。船はずっと停まっているようである。どのあたりなのだろう。遠くのほうからかすかに霧笛が聞こえるので、陸地は近いようだ。なぜこんなところで停船しているのかもわからない。他の乗船客はまだ寝ているみたいだ。

どうしていいのか分からず船室にもどって、ベッドに腰かけてウトウトとする。

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 ワニノ港は霧の中。

8時ごろ、またデッキに出る。まだ状況は変わらない。寒い、気温は10度くらいか。
部屋にもどると、ラジオ放送が再開している。内容は分からないが、いかにも朝の番組という雰囲気は分かる。

9時過ぎ、係が部屋をノックしてシーツの回収に現れた。交換でビレット(チケット)を返してもらう。

9:20、どこからかジリリリリーンとベルの音がしてエンジンが唸りはじめる。ベルの音はテレグラフ(船橋から機関室に指示を出す機械)の音かもしれない。デッキに上がると霧の中にワニノの港が見える。港の沖でずっと停泊していたようだ。船は後進で動き出す。

船室に戻ると、清掃のため荷物とともに部屋を出される。案内所で部屋の鍵を返す。他の乗客も疲れ切った表情でロビーに座り到着を待っている。

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 ワニノ港の桟橋。

桟橋に着岸し、船首に近いタラップから外に出たのは10:15であった。ホルムスクから延々と船に乗ること24時間!初めて大陸の地を踏む。他の人のあとに続いて、桟橋を船尾の方に歩いて行く。車両甲板からトラックが何台も出て行く。鉄道の貨車だけでなく、自動車の航送もしている。
歩いた先には、バスが1台停まっていて、全員乗車すると発車する。港の道路を10分ほど走ってワニノ駅に着く。

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 桟橋の入口に連絡バスが待っていた。


 ◆港町ワニノを歩く

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 ワニノの駅舎と幅広のホーム。停まっているのは保線用車両。

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 1面1線だけのワニノ駅。

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 連絡船の運航予定が表示された看板。

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 出港時刻が決定すると窓口に表示される。

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 ワニノ駅きっぷ売り場。

ワニノ駅の広い待合室は混んでいて、なんとか席を見つけて座る。駅の中は新しくきれいで、カフェや売店、それに有料トイレがあって滞在するには困らないのだが、ここで1日中じっと座っているのはつらいなあ。

しばらくすると待合室にいた人たちが荷物を持って一斉にホームへ出ていく。何かと思って一緒に出てみると、コムソモリスクナアムーレ行の列車が入ってくるところだった。

駅の出口の所に手荷物預かり所を見つける。68p払って荷物を預かってもらう。預かり料にしては高いが、重たい荷物を引きずって町を歩くよりはマシだ。

全部預けて、すっかり手ぶらになったので、ワニノの町を見物してくることに。

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 ワニノ駅荷物預り所。

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 駅前の交差点の真ん中に灯台が建つ。

ワニノ駅の駅舎は西欧風の建物で、堂々とした大きい建物なのだが、ホームがやたらと広いので逆に小じんまりとした印象がある。ホームも日本と同じく高床式で、ホームと線路だけ見ていると日本のローカル線の駅と変わりない。
旅客専用駅らしく線路は1本のみ。駅裏の港側には貨物線が何本もある。

ワニノ駅は線路を隔てて街とは反対側にあり、またホームは町よりも低い所にあって、跨線橋が町と駅とを結んでいる。駅前には灯台が建っているのが港町らしい。

駅前の灯台から登っていく広い坂道の通りが、メインストリートらしい。通りにはタクシーがたくさん停まっている。道の両側に建ち並ぶアパートの1階がテナントになっていて、どの店も目立つ看板を掲げている。人通りもあって、町の繁華街となっているようだった。坂を上りきったところに広いロータリーがあって、その向こうには4階建てのワニノの市庁舎が建っている。

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 駅からの坂道がメインストリート。

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 駅近くのホテル。

ロータリーで写真を撮ると間違ってフラッシュをたいてしまい、近くにいたオヤジが近づいてきてカメラを見せてくれと言う。デジカメを見せると「ハラショー」と言って去っていった。

どこへも行きようがないので、ロータリーの公園のベンチに座っている。あちこちに花壇があって市民が手入れをしている。
車の通りも少なく、ノンビリとしている。

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 ワニノ町庁舎。

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 町中の空き地には牛が放たれていた。

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 ちょっと町中をそれるとこんな感じ。

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 貨物列車が通過する。

通りの道端の露店でパンを売っていた。朝から何も口にしていないので、刻んだハムの入ったのと、揚げパンのようなのを2つ買う。

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 露店で買ったパン。

さっきのロータリーのベンチに座ってパンを食べていると鳩が寄ってくる。揚げパンの中にはひき肉が入っていた。パンをちぎって鳩に投げたりして時を過ごす。それにしても何もない町だ。

本屋があったので入ってみる。以前は本屋もすべて対面販売だったのだが、現在は直接手に持って立ち読みもできるようになった。ハバロフスク市内の詳細な地図を見つけ、これはあとで買いに来ることにする。

駅近くにはホテルやレストランもある。
一応町らしいのは、通り沿いのアパートの密集しているあたりだけで、そのほかは大陸らしい広々とした光景が広がる。

自由市場を見つけ、歩いて見る。赤い野いちごのほかは特に印象に残るものはない。食料よりも洋服など衣料品を売っている店の方が多かった。

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 ワニノ駅近くの自由市場。

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 ワニノ駅近くの自由市場。

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 ワニノの市場。これは靴屋。

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 市場の洋服屋。

市場のそばにあるアケアンという店に入ってみると、ここもセルフ方式のスーパーだった。セルフ方式もロシアでは標準になりつつあるようだ。マロージナエ(アイス)と水のペットボトルをレジでお金を払って買う。

アイスを食べようと棒をもって袋から出したとたん、棒から崩れ落ちそうになり慌てて袋に戻す。アイスキャンデーを食べるときも袋から出さないでかじったほうが良さそうだ。

もう行くところもないので、また駅に戻り、待合室で過ごすことにする。


2006年ロシア極東旅行記6 ワニノから351列車へ

 ◆ワニノ駅

5時ごろ、また町に出る。今度は買物をしてきて、預かり所で荷物を引出したあとはずっと駅にいるつもりだ。外に出ると雨が降り出してきた。

まず本屋でハバロフスクの地図を買う。次はアケアンで水とビール、それに食料を色々買いこむ。店を出ると雨はさらに激しくなっていて、道路の坂道は川のように水が流れている。急いで駅に戻るが、すっかり濡れてしまった。
手荷物預かり所で荷物を引き出して、待合室のベンチに座る。

駅のホームには18:00発のハバロフスク行の列車が停まっている。この列車は途中のコムソモリスクで、21:05に出る351列車に追い抜かれる。

激しい雨の中を列車は発車していった。待合室には21:05発の列車を待つ人が残る。
朝にホルムスクからの連絡船で着いた人も何人か見かけた。彼らはずっと駅の待合室にいたのだろうか。

最初ワニノに着いたときは、こんなところで丸1日どうすればいいのだろうかと思っていたが、それなりに時間はつぶせた。

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 激しい雨で道路はたちまち川のように。

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 駅には列車が停まっていた。

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 激しい雨の中発車を待つ先行のハバロフスク行。

さっき買ったイカ味チップスを食べながらビールを飲む。
ガランとした広い待合室に人々の話し声がこだまする。雨は時おり強くなったりして止む気配はない。

警官が時折見回りに現れる。もうあまりウロウロしないほうがいいだろう。
とにかく警官とは関わりたくない。

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 広いホールの待合室。

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 イカ味チップスと缶ビール。


 ◆ ワニノ 21:05【351列車】20:36 ハバロフスク

20時を過ぎたあたりから列車に乗る人が駅に少しずつ集まってくる。
20:40、放送があり、待合室にいた人が動き出したので、一緒にホームに出る。いつしか雨は上がっているが、霧に包まれている。

ホームから、ワニノの町と灯台が霞んで見える。こんな小さい港町のどこからやってきたのか、広いホームは人がいっぱい溢れる。

切符に指定された車両は11号車。何号車がどの辺から乗るのかは全く分からないので、大体この辺かなと見当をつけた場所で列車を待つ。ホームは高床式になっているので、どこか北海道のローカル線の駅の雰囲気そっくり。

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 列車に乗る人や見送りの人がホームに出る。

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 霧でホームから灯台が霞んでみえる。

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 351列車が入線する。

やがてディーゼル機関車に引かれた列車が入線して来た。なんと16両編成!食堂車も連結されている。
機関車の後ろが16号車で、11号車は目の前を通り過ぎてはるか前の方に行ってしまった。人ごみの中11号車の方へ急いで歩く。

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 351列車に乗る人でホームは賑わう。

351列車はバイカル・アムール鉄道、通称バム鉄道の東側終点であるソビエツカヤ・ガバニからハバロフスク経由でウラジオストクまで行く列車で、ハバロフスク着は翌日、ウラジオストクは翌々日の15:09着と2晩かけて走る。
私が乗車するのはそのうちのワニノ〜ハバロフスク間、距離にして807kmとなる。

編成はざっくりとだが、1〜8号車が寝台車、9号車は食堂車、11〜15号車が寝台車、16号車が座席車のようだった。

351列車の時刻表
駅名着時刻発時刻
ソビエツカヤ・ガバニ 20:35
ワニノ20:5421:05
コムソモリスク・ナ・アムーレ9:3510:35
ヴォロチャーエフカ219:0819:40
ハバロフスク120:3621:20
ウラジオストク15:09 

客車の入口で車掌に切符とパスポートを見せて車内に入る。指定された寝台は8番。車内はすべて4人部屋の個室になっている。室内には先客がいて、夫婦と学生らしい女性である。

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 351列車、ワニノ〜ハバロフスクの切符。モスクワ時間で表示されている。

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 入口の乗車風景。車掌にパスポートと切符を見せる。

何やら怪訝そうな目つきで見られる。夕方雨に濡れた身体がまだ乾いていなくて、みすぼらしいな外国人旅行者と思われたかもしれない。とりあえず寝台の隅に腰かけていると、車掌がシーツ代の集金に来る。50р払ってシーツをもらう。

21:05定刻にワニノを発車する。スルスルといつの間にか動いていたと言うような静かな発車である。すぐに次の駅に着いて、ここからも結構乗ってくる。列車は間宮海峡の海岸沿いを走る。

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 車窓に間宮海峡を望む。

個室にいると窮屈なので、通路の窓辺に立ってずっと外を眺めている。
ソビエツカヤ・ガバニからコムソモリスク・ナ・アムーレまでは、バム鉄道の一部として1945年に開通した区間となる。

この321列車は寝台列車だが、各駅停車。駅周辺に人家の無い小駅にも停車して行く。
ワニノからハバロフスクまでの路線距離は807km。23時間31分もの時間をかけて走る。
ずいぶんと時間がかかるのだと思っていたら、各駅停車だったというわけだ。

海が見えなくなると山の風景になる。トゥムニン川に沿ってシホテ・アリニ山脈の山ふところにだんだんと入って行く。天気もだんだん回復してくる。10時を過ぎてようやく暗くなり始める。列車の進行方向には夕焼けも見えた。

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 カーブでは長大な客車が姿を見せる。

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 10時頃、川の向こうに日が沈む。

すっかり暗くなってどこかの駅に停車すると、開けた窓から蚊の大群が入ってきた。また寝ている間に蚊に食われるのかとウンザリする。

寝台の個室では、夫婦がパンとベーコンとサラミをナイフで刻んで広げて夕食を食べていた。
主人が、中に入ってすわれとジャスチャーする。パンとソーセージをお前も食べろと言う。
「スパシーバ」と言ってありがたくいただく。
ビールも飲むか?と言われ、ビールももらった。主人がもっと食べろとすすめてくれる。

女学生がクスクス笑いながら「フクースナ(おいしい)?」と言うので「フクースナ」と答えた。何か情けない気持ちになった。

11時ごろ上段の寝台に登って寝る。
連絡船での寝不足と、ワニノでの歩き疲れで、横になったらすぐに眠ってしまった。


2006年ロシア極東旅行記7 各駅停車351列車

 5日目 2006年7月13日

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 351列車 ワニノ〜ハバロフスクのルート。(地理院地図より作成)


 ◆ コムソモリスク・ナ・アムーレ駅

途中で目覚めることなく、ぐっすりと眠った。揺れる車内と窮屈な上段寝台で、体中がイタイ。時計を見ると7時。隣の上段寝台では主人が上半身ハダカで寝ていた。もう少し寝ることにする。

起きて通路に出ると、どこかの駅に停まっている。随分とたくさんの人が降りて行く。女学生も途中で降りていったらしく、すでに居なかった。

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  目覚めると小さい駅に停まっていた。

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 コンパートメントのドアが並ぶ寝台車内の通路。1つおきに窓が開く。

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 コンパートメントに備え付けの大きなテーブル。

アムール川を鉄橋で渡ると、ハバロフスクからの支線と合流する。ここからは複線になる。
9:30、コムソモリスク・ナ・アムーレに到着する。一晩一緒だった夫婦もここで降りてしまい、この部屋は自分一人となった。

コムソモリスクナアムーレは、人口29万人、アムール河とバム鉄道が交わる交通の要所である。
またここから、バム鉄道とシベリア鉄道のハバロフスクとを結ぶ支線が分岐している。
ソ連時代は、外国人は立ち入り禁止の都市だった。

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 コムソモリスク・ナ・アムーレに到着。

列車はここで1時間停車するのでホームに出てみる。

幅広のホームにはキオスクが数店あるだけで、露店もなく寂しい。降りる人は多いが、乗ってくる人はほとんどない。

ホームの端の方には、市電乗り場があって、カラフルな車体広告電車が次々と発着している。
市電乗り場と言っても、草地の中に線路だけ敷いてあるような所なのだが。

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 コムソモリスク・ナ・アムーレの駅舎。

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 351列車、停車中の風景。

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 行先票。ウラジオストク〜ソフガバニと表示してある。

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 編成の途中には『РЕСТОРАН』と表示された食堂車も連結されていた。

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 コムソモリスクの路面電車。駅前のループ線。

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 色とりどりの広告電車。

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 駅前付近は専用軌道になっている。

買物もとくに無く、ホームを歩いていると警官に呼びとめられる。
パスポルト(パスポート)を見せろという。パスポートを見せると「ジャパン」と言う。あとは何を言っているのかさっぱりわからない。

こっちにこいと、駅舎の警察の中まで連れて行かれる。座らされて、あれこれ聞かれるが、ロシア語なので分からん。分かったとしても、こういうときは分からないフリをするに限る。

出入国カードのスタンプを見て、サハリンから来たやつが何でこんな所にいるのか納得いかない様だ。ホルムスクから船でワニノに渡ったと紙に図を書いて説明したが、そんなはずは無いと言いたい様子だ。

ビザを見てどこかへ電話で問い合わせてやっと分かってくれたようだ。無事釈放となる。

まだ発車時刻まで30分近くあるが、駅は警官がやたらとチョロチョロしているので車内に戻る。

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 私を拘束した警官たち。

発車時刻近くなると、乗客が1人2人とホームにきて、後ろのほうの車両に乗ってゆく。旅行者というより、近郊のダーチャ(別荘)へ行くような感じの人ばかりである。

コムソモリスクからハバロフスクまではバスならば6時間半で、列車ならば各駅停車で11時間。
バスの方が早く着くし本数も多いので、ハバロフスク方面へ行く人はバスを利用するのだろう。


 ◆ 再び351列車

10:45になって列車は動き出した。この部屋に乗ってくる人もいなく、一人で貸切になる。しばらくはコムソモリスクの市街地を走り、さっき通ってきたワニノからの線路が左に別れて行くと単線になる。車窓はだんだんと白樺林や湿原が多くなる。

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 コムソモリスク駅を発車。

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 くすんだ町のコムソモリスク。

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 座席下の荷物入れ。

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 通路側のドア。鏡がある。両脇には折りたたみのハシゴ。

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 黒ずんだ木製の窓。下に半分くらい開く。

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 デッキにあるサモワール。お湯は自由に使える。

普通列車なので、駅を発車すると10分くらい走って町が現れたら次の駅に停まるという感じ。

2駅くらいごとに貨物列車とすれ違う。タンク車が多い。どす黒く油で汚れた巨大タンク車が何十両も連なる姿は、大迫力。

ロシアの鉄道のレール幅は1524ミリで、新幹線よりも広い。貨車も機関車も線路幅に合わせて大型なので、線路幅がとくに広いという感じはしない。日本のJRの列車をここに置いたら、間違いなくオモチャのように見えるだろう。

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 汚れた車窓からの風景。湿地帯が多い。

個室側の窓ガラスは汚れがこびり付いて茶色くなっているので、外の風景も茶色く見える。通路側の窓はきれいだし窓も開くので、通路に立って外を眺める。

気持ち良く窓から入ってくる風に吹かれながら流れゆくシベリアの風景を眺めていたら、警官が通りかかって、パスポートを見せろと言う。

また職質だ。パスポートを見せると警官は「サハリーン」と言う。またサハリンへ来たやつが何でこの列車に乗っているのかというようなことになった。

部屋に置いてあるバッグから、ホルムスク・ワニノ間の乗船券を見せると分かったらしく、パスポートを返して立ち去っていった。疲れてまた部屋に引っ込む。

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 小さな駅に停車する。

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 信号場のような駅にも停車する。

コムソモリスクを出てから2時間。ズリバーンという駅から夫婦と小さい子供2人の家族連れが乗って同室となる。
夫婦は車掌からシーツをもらうとベッドメーキングを始めた。この家族はウラジオストクまで行くらしい。

奥さんに「ハバロフスク?」と聞かれ「ダー(はい)」と答える。
寝台の個室に大人3人と子供2人入ると少々窮屈で、部屋も暑くなった。


 ◆ 351列車の食堂車

そういえばこの列車には食堂車がついていたのを思い出し、行ってみることにする。自分の乗っている車両から2両目が食堂車になっている。

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 351列車は普通列車ながら食堂車がつく。

食堂車に入ると、昼過ぎで昼食時を過ぎているためか、客は誰もいない。
席に着くと、係の女性がメニューを持ってきた。
メニューは当然すべてロシア語なのでどれがどんなものなのかは分からない。

メニューの表示を指差して「スープ?」とか言ってみる。ウエイトレスが肉料理やスープなどが載ったところを開いて見せてくれる。
何がなんだか分からないので、それぞれの一番上に書いてあるものを指差して注文した。最後に紅茶をつける。いったい何が出てくるのだろうか。

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 食堂車の様子。中央のおばちゃんが配膳係。

紫色のテーブルクロスが張られ、その上にグラスや皿やナプキンが並べられているので、高級レストランのように見える。窓のカーテンも紫なので、車内は紫一色。ローカル線の普通列車にしては豪華に飾られている。

料理はなかなか出てこないが、別に急ぐわけではないし、日本ではほぼ絶滅となった昼間の食堂車の雰囲気を満喫するのも悪くはない。

制服を着た車掌が2人入ってきてテーブルに着いた。
見ていると、肉料理の皿とスープとパンが載ったトレーが運ばれてきて、それを食べている。列車の乗務員用の賄い料理のようで、このあとも車掌が交代で食事に来るのか、次々と入れ替わりで席に着いて同じ物を食べていた。


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 紫一色でまとめられていい感じ。

一般客より賄い料理優先なのはいかにもロシアらしい。もっともロシアでこんなことで怒っていたらキリがないので、あれもおいしそうだなあなどと思っていると、最初のサラダが出てきた。

サラダ:キュウリとハムを刻んだものにマヨネーズをかけ、その上に刻んだゴーダチーズがのっている。
スープ:壷に入った鶏肉と野菜のスープ。
メイン:鶏肉にチーズをのせて焼いたもの。それにバターライス。
パン:ボロボロとこぼれるロシアの黒パン。塩をふって食べるのがロシア流。

どの料理にもディルの葉がのっている。ロシア人はディルが好きだなあ。

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 キュウリとハムのサラダ。

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 壷に入ったスープ。壷が深くて食べにくかった。

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 メインの鶏肉料理。

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 最後は紅茶(チャーイ)。

どの料理も車内で調理している割りには手がこんでいる。メインの鶏肉のグリルとバターライスは大変コッテリした一皿だった。

最後に紅茶を飲んでいると、ロシア人の2人連れが席に着いて、ビールを飲みはじめた。食堂は売店も兼ねていて、客がポツポツとやってきて何か買ってゆく。

テーブルでお勘定をすると、410Р。日本円ならば1640円だが、ロシア人から見れば目の玉が飛び出るような値段だ。列車に乗る人はほとんどの人が乗る前に食べ物を用意しているか、停車駅で売っているピロシキなんかを買う。

こんなローカル列車になんで食堂車がついているのか不思議に思う。1車両に車掌は2人乗っているから16両編成ならば30人以上になる。彼らの食事のためにあるのだろうか。
船でも船員の食事のためにコックが乗っているし。


2006年ロシア極東旅行記8 351列車ハバロフスクまで

 ◆ シベリアの車窓

寝台車にもどってくると、部屋は家族全員お休みのようなので、通路の折りたたみ椅子に腰かける。

列車はラズイェースト21という駅に停まっている。なかなか動き出さない。どうやら列車交換のためしばらく停車するようだ。

青色の駅舎と駅前には数軒のダーチャ(別荘)があるだけ。
駅名は訳すと「21番目の待避線」となり、日本で言う信号場のような所である。風が入らないので暑い。

車内の温度計を見ると30℃を差していた。

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 ラズイェースト21駅に停車中。暑い!

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 のんびりとした駅。

外からは虫の声が聞こえてくるほかは静か。30分位して通路と反対側の線路に貨物列車が入ってきてこちらも発車する。やっと風が入ってくる。

このあたりから、駅間距離も長くなってきた。すでに平行する道路は無い。ずっと林が続き、林が途切れば果てしなく続く大草原という大陸の風景。

草原といっても、木もまともに育たないような不毛なツンドラ地。
沼地に差しかかると、これも地平線の先まで見渡す広大な沼地が続く。線路に平行する電柱以外は人工物は何一つ見えない。シベリアの大地に線路のみが孤独に存在している。

たまに思い出したように駅に停車する。駅といっても無人の信号場で、まわりにはダーチャが数軒ある。夏休みをダーチャで過ごすらしい人が2〜3人降りて行く。

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 カーブでは機関車や客車編成が姿を現す。

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 広大な沼地が続く。

通路に立っていると時々車内販売がやってくる。カップ麺やパン・菓子・ビールなどを積んだワゴンを押して「ラプシャー(ラーメン)、ピーヴァ(ビール)・・・」などと繰り返しながら、車内販売係のおばさんが車内を往復している。

途中駅から乗ってきたらしい、モグリの車内販売もあって、こちらは、ばあさんが沿線で採った山菜なんかを売っていて、よく売れているみたいだ。

行けども行けども地平線の果てまでツンドラ地が続くシベリアの風景。ずっと通路に立って飽きずに外を眺めていた。

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 ずっと続く湿原地帯。

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 湿原が終わると草原地帯になる。

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 地平線の向こうまで広がる草原。

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 駅に停車中。

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 山越えもある。

立ちっぱなしで疲れてきたので、上の寝台で少し横にならせてもらう。
お母さんはノースリーブにハーフパンツ姿で寝ていた。お父さんは2人の子供相手でいっぱいという感じ。

それにしても部屋の中は暑い。汗が噴き出してくる。ロシア人の乗客はみんな汗もかかず涼しい顔をしている。

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 雨が降って暗い車窓。


 ◆ 小駅のお祭りさわぎ

16時過ぎ外を見ると、どんよりと暗い雲が空をおおっている。しだいに雨が降ってきて、外も車内も薄暗くなる。

18時半ごろ再び起きる。窓の外を見ると、相変わらずの湿地帯だが、遠くの方に送電線の鉄塔が見え、ようやく人里に近づいてきた。
雨もいつしか晴れている。

19時ごろ、アムール川の支流、ツングスカ川の鉄橋を徐行して渡る。石狩川くらいの川幅で、茶色く濁った水が満々と流れている。
鉄橋を渡り終わったところに監視小屋が見え、兵士が立っていた。そのあとも氾濫原の湿地帯が延々と続く。

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 また湿地帯。

19:14、ヴォロチャーエフカ・フタラーヤ(ヴォロチャーエフカ2)駅に到着するのだが、ホームには列車に向かって露店がぎっしりと並んでいた。
ピロシキなど手作りの惣菜を並べて、列車を待ちうけているのだ。この列車のために村中の人が商売しに来たのではないかと思うほどだ。

停車時間は30分もあり、ちょうど夕食時でもあるので、ホームは買物に降りた人でごった返す。惣菜のほか、手作りのピクルス、山菜、ハーブ、野いちご、ビールも氷水で冷やして売っている。


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 ヴォロチャーエフカ駅では30分停車。ホームは大賑わい。

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 ホームに惣菜を並べて列車の客を待っている。

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 大勢の乗客がホームにあふれて、お祭り騒ぎのようだ。

露店の1つでピロシキ2個を買う。
1個7Рだが、こまかい札がなかったので、おばさんに50Р札を出すと「オツリ無い」と30Рしか釣銭をくれなかった。別の店で、空きペットボトルに詰めてクワスを売っているのでそれも買う。1本10Р。

列車にもどって食べる。まだ温かいピロシキの中身はつぶしたジャガイモで、塩味がちょうどよく、おいしい。
クワスは、氷が入れてあるので冷たい。炭酸が入った甘酸っぱい味。
このクワスがこの旅行中に飲んだクワスのなかで一番おいしかったと記憶している。

惣菜にしても、クワスにしても、この列車のためにダーチャで作ってきたのだろう。レストランなんかよりこうした家庭料理こそが本当のロシア料理だと思う。

お祭り騒ぎのような光景がこんな小さな駅で毎日繰り返されているんだね。何だか可笑しくなってきた。

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 ホームの露店で買ってきたピロシキとクワス。

30分の停車時間もあっという間に過ぎ、発車時刻が近づくとホームを歩いていた乗客も次々と列車に乗りこむ。

客がいなくなると、どの店商品を片付けて、車や自転車で駅を去って行く。折畳みテーブルを手押しワゴンに手早く片付けてゆく様は見ていて面白い。
売れ残ったものはどうするのだろうか。


 ◆ ハバロフスク着

ヴォロチャーエフカ2駅を出てしばらくすると、右手に複線電化のシベリア鉄道が現れ、操車場のような所まで貨物列車としばし並走する。

シベリア鉄道に入るとスピードがぐんぐん上がる。小さい駅は通過し、ハバロフスクまでのラストスパートという感じで流れるように走る。乗り心地も良くなった。

シベリア鉄道はウラジオストクからモスクワまでを結ぶロシア鉄道の大幹線で、全線乗り通すと7日間かかる。いずれ乗って見たいと思う。

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 シベリア鉄道の線路と合流。

ハバロフスク近くになると、近郊の通勤駅のような駅を通過する。どの駅も高床式のホームがあり、ホームには上屋もあって駅舎と跨線橋で結ばれている。まるでJRの都市近郊駅と変わらない立派な作りになってる。

20:20、いよいよアムール川の鉄橋を渡る。鉄橋の長さは約2600mで上が道路橋、下が鉄道橋になっている。

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 アムール川を渡る。

橋を渡り終えるとすぐにハバロフスクの市内に入る。突然ピカッと光ったので何事かと思うと、何度も稲光が走るのが車内から見える。同時に夕暮れのように暗くなり、猛烈な夕立になった。

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 ハバロフスクの近郊駅を通過する。

主人と子供たちは通路で外を見ている。奥さんと2人で部屋に座り、ハバロフスクに着くのを待っていると、彼女が話しかけてきた。何しにハバロフスクに行くのかと尋ねたようだが、それに答えようとするが言葉が出てこない。知っているはずの簡単な単語さえ出てこなかった。それでも、ワニノから乗ってきた、ビジネスではない、日本に帰る、ということは分かってもらえたようだ。

20:36、列車は定時刻にハバロフスク駅のホームにゆっくりと進入した。同室でもほとんど言葉を交わすことはなかった家族と「ダスビダーニャ(さようなら)」と言って別れる。

ホームに降り立つと、まるで滝のような猛烈な雨が降っている。そんな吹きさらしのホームは列車から降りた人、乗る人、出迎えの人などでごった返している。どっちに進めばいいのかも分からない。

ホームの向こうに屋根が見えたのでそっちの方に大急ぎで歩く。屋根のところには階段があって、列車を降りた人が殺到している。狭い地下道の通路で出口に向かって押し合ってると、いつの間にか駅舎の外に押し出されていた。

滝のような激しい雨。出口のところには客待ちのタクシーがたくさん並んでいる。

適当なタクシーのドアを開け「ガスチーニツッア イントゥーリスト」と言うと、運ちゃんはコクっとうなずいた。値段を聞くと「トゥリースタ(300Р)」だという、随分と高い。
ロシアのタクシーはメーターがなく交渉制で、旅行者と見ると高くふっかけられるとガイドブックには書いてあった。ユジノサハリンスクでタクシーを呼ぶと120Рだと聞いたので随分と高い。ためしに「ドゥベースチ(200)」と値切ってみたが、運ちゃんは「300!」と怒鳴る。
雨は止む気配もないし、早くホテルに着きたい。

いい、もうなんでもいいから早くやってくれ!「300ハラショー!」と言うと車は走り出した。市内の道路は川のように雨水が流れている。市電の線路に沿ってしばらく走ったところで運ちゃんが言った。

「ダローガ、ズナーイェシ(道を知ってるか)」

オイオイ、タクシーのくせにインツーリストまでの道も知らないのか。幸いワニノで買ったハバロフスク市内の詳細な地図があったのでここだと指差すと、分かったのか知らないが、うなずいた。

しばらく走ってキオスクの前で車を停める。店の前に群がっていた一人に道を聞きに行き、また車を出す。あちこち走り回って、また通行人に何度も道を聞いたりしてしばらく行くと、ようやくインツーリストの建物が見えてきた。しかし、この運ちゃんはよっぽどの方向オンチなのか、ホテルの裏に出たり、また変な方向に走り出したりとウロウロする。

ようやくまっすぐ行くとホテルに着くという道を走っていたところで、突然行き止まりの道に入って停まる。運ちゃんも面倒になったのか、
「イントゥーリスト、ズジェーシ(ここがインツーリストだ)」と言い出した。
そんなハズあるかい!
「ニェーット!イントゥーリスト、トゥダー!(違う、インツーリストはあっちだ)」と指を差して怒鳴る。

渋々とまた車を走らせてしばらく行くとインツーリストホテルの正面に出た。300P払ってホテルへと向かう。やさしく話しかけられたときは言葉が詰まって、簡単な単語すら忘れてしまって、さっぱり会話にならなかったが。こういうときは火事場の馬鹿力というか、ロシア語能力全開となる。

ホテルに一歩入ると、きらびやかな、何か別の世界に来たような感じになった。フロントはどこだろう。フロントらしいところで「フロント?」と聞くと、制服を来た女性の係はいきなり日本語で「○○さんですねおまちしてました」と言った。なんか涙が出そうになった。

パスポートとバウチャーを出し、805号室の部屋カードと3日分の朝食券をもらう。エレベーターで8階へ上がり、部屋カードと引き換えにルームキーを受け取る。自分の格好が場違いに思えるほど重厚なつくりの廊下を歩いて、部屋に入る。

21時過ぎ、ようやくホテルの自室に入ってホッとした。
窓のカーテンを開けるとまだ外は明るい。いつの間にか雨も上がって青空も出ていた。

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 9:15、ホテルの窓から。まだ明るい。

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 バスは清潔でお湯もちゃんと出た。

バスタブにお湯を張ってつかると、今までの緊張感も解けて、日本に帰ってきたような気分であった。明日あさってはハバロフスクで2日間フリーだが、とりあえず明日はハバロフスク市内を見物する予定でいる。


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