8日目 2006年7月16日
◆ ハバロフスク日曜の朝
一週間のロシア旅行も今日が最終日。飛行機の時刻は14時なので、昼近くまではゆっくりできる。
8時半ごろレストランに行って朝食。メニューは相変わらず4種類の中から選ぶ。めずらしく焼ニシンというのがあったので、それを指差して注文する。
朝食のテーブル。
出てきたものは、ナスとトマトの炒め物、スープ、そしてニシンである。
焼ニシンといってもソテーにしたもので、日本のような焼き魚ではなかった。
ロシアでは、魚を焼くと死体を焼く匂いがすると言って、大変嫌がるそうだ。
パン2種。バターとジャムが付く。
ナスとトマトの炒め物。
スープ。
ニシンのソテーとライス。醤油をかけたくなった。
一匹丸ごとのソテーをナイフとフォークで食べる。昔、家庭科の教科書に魚のナイフとフォークでの食べ方が載っていたっけ。
半身を食べ終わると、ペリペリと骨を剥がしてから反対側を食べる。
皿にはライスも添えてあって、これが今回旅行中で食べた中で一番まともなライスだった。
後ろのテーブルには、日本人の団体旅行のおっさん連中が座っていて、大声でしゃべりあっている。
団体旅行の添乗員が来て「今日は10時に出発しますのでそれまでは自由にお過ごしください」と説明していた。自由にしろと言われてもどこへも行きようがないので、食後もずっとテーブルでしゃべっているようだった。
部屋に戻って、帰る準備をする。荷物などは昨日のうちに整理して置いたので、今日はとくにすることもない。
11時ごろホテルを出ることにして、ホテル周辺を散策することにした。
ウチョース展望台とムラヴィヨフ・アムールの立像。
青空が広がって、日差しが照りつける。今日は暑くなりそうな感じだ。今までの中で一番良い天気である。
アムール川沿いの公園もこの時間はまだ人影は少なく、清掃員の姿をちらほらと見かけるだけ。
崖の上の展望台に立つと、海のように水をたたえたアムール川が眼下に広がり、その向こうには、建物ひとつない緑一色の平原が遥か彼方まで広がっている。
木材を積んだ貨物船が行く。
ウスペーニャ大聖堂。
トロリーバス。
広告車体のトロリーバスとレンガ積み建物が妙に似合う。
ムラヴィヨフアムールスキー通りもこの時間はまだ人通りが少ないので、明るく広々として見える。
通りの露店はどの店も開店の準備をしていた。
クワス売りが出ていたので、また1杯買い求める。冷たくて甘酸っぱくておいしい。
広々としたムラヴィヨフアムールスキー通り。
通りのキオスク。コーラの冷蔵庫は客が自由に取り出せる。
こんなキオスクがあちこちにある。
だんだん人通りが多くなってきた。日曜で天気なので、行楽でアムール川へ向かう人が多い。10時頃ホテルに戻る。
◆ ホテルチェックアウト、空港へ
10:45に8階のデジュールナヤにキーを渡してチェックアウトする。
係の女性は日本語で「さようなら」と言って笑った。一瞬おどろいたが「さようなら」と答えた。
3泊したホテル・インツーリスト。
バス停まで歩く。重たいバッグをかついで歩いていると日差しもきついので汗が吹き出てくる。バス停で待っていると、バスに乗る人が次々と集まってくる。
10分ほど待って、空港行き1番のトロリーバスが来た。
混んでいるので、一番後ろの所に立つ。立ちっぱなしだが、後方からの景色がよく見えるので特等席だ。
途中からも続々と乗り込んできて車内は大混雑してくる。
トロリーバスの後方から。
エヌケイシティの前を通る。
ハバロフスク空港。
トロリーバスは35分ほどで空港に着いた。バスが着いたところは国内線ターミナルの前なので、国際線ターミナルまで少し歩くことになる。
◆ ハバロフスク空港 14:10【H8307便】14:10 青森空港
国際線ターミナルに入ってすぐの所に手荷物検査があって、とりあえずそこを通る。
あまり広くないホールはたくさんの人がいて混雑している。チェックインやら、どこで行うのかさっぱり分からない。
出国ゲートの所に立っていた係の人に「アオモリ?」とチケットを見せながら言うと、腕時計を指差して何やら言う。まだと言うことらしい。インフォメーションの窓口に850Рと表示してあったので、空港税をここで払う。
なんだか不安なまま、時間だけが過ぎてゆく。
12:20頃放送があり、ハバロフスク・アオモリ…と聞き取れたので、青森行のチェックイン開始に間違いない。周りの人もゾロゾロと動き始めた。
入口のさっきの係の人にチケットとパスポートを見せると、「移民検査」と漢字で書かれた窓口へ行けと指差す。
そこで「税関申告書はありますか」と日本語で聞かれ、「ありません」と言うとそのまま通してくれる。
飛行機のチェックインをせずに中に入ってしまって良いのだろうか。そして荷物のX線検査、出国イミグレーションと流れ作業のように続く。
その次、ここでやっと飛行機のチェックインとなった。手荷物もここで預ける。日本とは逆だが、出国手続きが終わらないことには飛行機に乗れないわけで、理にはかなっている。
ダリアビア航空青森行のボーディングパス。
次が搭乗の手荷物検査。通ろうとすると「シューズ」と言われる。靴も脱いでX線に通す。金属探知のゲートをくぐって、ボディチェック。テロ対策なのか、厳重だ。
やっと終了で、広い待合室に放たれる。
待合室には、カフェや免税店もある。乗客はほとんどロシア人で、日本人の姿は見えない。
念願の日本旅行の出発ではしゃいでいる様子だった。カフェでは、さっそくビールを飲んでいる人たちもいる。広い待合室は大変な喧騒である。
免税店があったので、余ったルーブルとドルでウオッカを買った。
搭乗待合室はロシア人旅行者で賑わう。
国際線なので免税店もある。
13:30になって、バスが待合室の出口に横付けになると、待合室の人がバスに乗る。バスはすぐに満員になり発車する。
しばらくしてまた戻ってきた。空港では撮影禁止なので、カメラはもう出さない。
飛行機へ向かうバス。
飛行機の前でバスを降りる。係の人がチケットをもぎり、タラップの階段を登って機内へ。
座席はうれしいことに窓側、隣は日本人の男性だった。
機内の席は8割方が埋まった状態である。
ロシア人の乗客は、飛行機に乗ってもまだ賑やかだ。
乗る飛行機はTu-214というロシア製のジェット機である。
シートのモケットが破けたままになっていたり、やはりロシアである。
機内の放送はロシア語と日本語の2本立て。棒読みのような日本語がなんとなく可笑しい。
飛行機は定刻の14:10にハバロフスク空港を離陸した。
眼下には広大な緑色のツンドラ地帯やいっぱいに広がって網の目のようなアムール川が見える。
離陸してしばらくすると、雲がおおってしまって陸地は見えなくなった。
青森までの飛行時間は2時間。時差が2時間あるので、出発時刻と到着時刻が同じということになる。
水平飛行になると、ドリンクサービスになる。ジュースのほかにビールやワインもある。缶ビールを1つもらう。
ロシアのバルチカあたりが出るのかと思ったら、エフェスという缶ビールだった。あとで調べたらトルコのビールだった。
この便に乗っている日本人は、どうやらここの2人だけらしい。隣の人は山梨県から来たという。彼もやはり1人でロシアへ。ハバロフスクからさらに飛行機でヤクーツクという所まで行ってきたそうだ。
「何もない所でしたよ」と言っていたが、彼は彼なりに楽しんできたようだった。
出てきた機内食。
しばらくして機内食が配られる。「チキン?フィッシュ?」と聞かれ、「チキン」と答える。
渡されたのは、パンやサラダの入ったパックと、チキンとライスの入ったアルミ容器。ライスと骨付きローストチキンは熱かった。
隣の彼によると、機内食は前に乗った新潟便よりも青森便の方が良いとのこと。
ロシア製の機内食の中身。
ライス付きローストチキンのほかは、ミニトマトとスライスしたサラミだけ。
パン2個にケーキまであるので食べ応えはある。食べ終わると紅茶が出された。
外はずっと雲ばかりだった。
雲が途切れ、日本海の向こうに陸地が見える。
飛行機は高度を下げ、雲の中に突っ込む。
無線で誘導されているので視界ゼロでも安全だと分かっているが、ロシア機なので何となく恐怖感を感じる。
14:10、無事定刻に着陸する。機内は拍車の渦が巻き起こった。外は薄暗く、雨が降っている。
空港の入国審査はロシア人で大混雑。列はさっぱり進まない。
バスの発車時刻がせまってきて少し焦るが、14:30には到着ゲートを出ることが出来た。
出口の所に観光キャンペーンなのかミス青森が立っていて、りんごジュースを配っている。
青森空港ではミス青森が出迎え。
雨の青森空港。
青森駅行きのバスにはなんとか間に合う。バスの乗客は自分の他は、地元の見送りに来たらしい人が2人だけだった。
15:22発の函館行「白鳥15号」になんとか乗れそうだ。
青森駅でバスを降りると、大急ぎで駅に向かった。
< ロシア極東旅行記 完 >
◆ リメイク版あとがき
この旅行記は、元は閉鎖したホームページ版でアップしていましたが、このたびブログにて復活したものです。
画像は大型化し、文章は若干修正・加筆していますが、文章中に出て来るものは、すべて当時の名称や状況のままです。
この旅行記を参考にされる方は、最新ではないことにご注意ください。
このリメイク版を作成しながら当時の画像や文章を読むと、12年も前になる旅行の記憶が、つい先月のことのようによみがえってきました。
2010年にサハリンに行って以来、ずっと遠ざかっていたロシア語も、普通に覚えていたのも意外でした。
PCの中の当時のオリジナル画像を探し、文章をコピペしているうちに、また旅行の道中にいる気分になってしまいました。
この時の旅行で一番印象的だったのは、以前にサハリンに行ったときと比較して、市内が見違えるほどきれいになっていたこと。
この頃のロシアは、民主化前後の混乱期も終わって経済も安定しつつあった時期で、ようやく暮らしに余裕もできて社会主義からの脱却を図ろうとする風潮も出てきた頃だったのだと思います。
今はさらにきれいになって、モノも溢れるようになったことでしょう。
私は海外へは、今は基本ネットで全部自分で手配して行くようになりましたが、この当時はまだ、旅行会社のパックを利用していました。
ロシアに入国するには、個人で取得するにはあまりにも面倒なビザが要るというのが一番の理由でしたが、この状況は当時も今も大きく変わっていません。
ロシアもまた行きたいし、シベリア鉄道も乗ってみたいけれど、この面倒なビザさえなければねえ。
あと警官 (^^;
最後までお読みいただきましてありがとうございました。