2017年インド旅行記8 コルカタをあとに

興味があったのは仏像コーナーくらいのインド博物館。
ここにいつまでいてもつまらんし、もう出ることにする。

次はニューマーケットに賭けてみる。たのむぞ。

インド博物館の外に出てクロークでバッグを受け取って行こうとすると、また黄シャツの奴が現われた。
ずっと待ち伏せしていたのか。

黄「これからどこに行く?案内するよ」
私「メトロステーション」
黄「ここがどこだかわかるか?」
私「コルカタ」
黄「そうじゃなくて」
黄「色々案内するよ、僕の店にも寄ってくれ」

あーしつこい。だんだんこっちもキレそうになる。

私「ノーノ―、ミスター、ノーサンキュー!」
黄「フリーフリー友だちだから」

私、ついにブチ切れ、
「アイドント ニート フレンド!」
「アイライクアローン、バーイ!」
(友だちは必要ない、一人が好きなの、じゃあね!)

黄「それはひどいや、友だちじゃないか」

地下鉄の階段を下りるといなくなった。さすがに駅までは入ってこないらしい。

この手のヤツは大体あいさつ程度の日本語を発してくる。そして日本にいたとか、日本に友達がいるなどと言って友達になろうとする。
親日家で親切なのだから無下にもしたくない気持ちになるが、相手にすると痛い目を見ることになる。昨日のデリーでそれは良くわかっている。

インドの教え:
親しく話しかけられても心は鬼にすべし。

地下鉄に乗ってどこへ行くわけでもなく、次のエスプラネード駅で降りる。
上に上がるとここも屋台がびっしりと出ていた。

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 地下鉄エスプラネード駅の入口付近。

エスプラネードには路面電車のターミナルがあったはずで、まずそっちに行ってみる。
公園の中に線路が伸びて行って、中はループ線になっている。しかし、1台の電車もいなかった。
今日は日曜日。まさかの日曜運休か。

 *帰国してから調べたらコルカタの路面電車は日曜運休ということでした。

路面電車はあきらめてニューマーケットへ向かう。
歩いている通りはチョウロンギ通りといって、コルカタの中心部を南北に走る通りで、この下を地下鉄が通っている。
通りの歩道は商店街が続いていて、道路側には屋台がびっしりと並んでいる。

『地球の歩き方』にもある通り、本当に上野のアメ横の雰囲気に似ている。
日曜のせいかすごい人ごみ。車道側を歩くことにした。

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 屋台が並んで賑わうニューマーケット前の通り。

それらしい建物が見えたので、脇道に入る。

「ヘイジャパニ、ニューマーケットに行くのかい?」
もう向こうからの声掛けは一切無視することにした。

ニューマーケットの前に出た。市場のような感じ。中は暗いし、ここも日曜は休みなのか。

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 ニューマーケットはコルカタ最大のマーケット。

下りる階段があったので入ってみると地下街のようになっている。ドアの横にガードマンが立ち物々しい。
中に入ると涼しい。冷房が入っている。
店は洋服屋とかブランドものばかり。インドでは高級店になるのだろう。
一回りしてみたが面白そうなものは無かった。また外に出る。暑い。

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 色とりどりのぬいぐるみ。

ニューマーケットは閉まっているが、その周りは場外市場みたいな感じで色々な店が出ている。
キオスクを見つけたのでここでペットボトルの水を買う。20ルピー。

水を飲んだらまた汗が噴き出してきた。気温は40℃はありそうだ。

「ハロー、ベリーホッター?」
「ヘイジャパニ、どこに行くんだい?」
どこに行ってもこんな感じじゃもう嫌になってくる。

歩いていると日本でよく見かける看板が。
KFC、ケンタッキーではないか。思わず入る。涼しい。

カウンターで自分の番が来て「コンボメニュー?」(セットはある?)と聞いてみたがそういうのは無いようだった。
単品で注文する。レジ横に大きく出ていたスパイシーホットクリスピーとフライドポテト。
フライドポテトが伝わらない。「ポテト」と言うと「フレンチフライ?」と言われた。
そうだった『フライドポテト』は和製英語で、英語では『French fries』となる。
それにペプシのラージ(L)サイズ。

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 インド版ケンタッキーフライドチキン。

テーブルはすべてふさがっていて相席になったが、すぐにほかのテーブルが空いたのでそこに移る。
ここでしばらくおとなしくしておこう。

氷入りの冷たいペプシがうまい。もうどこにも行きたくなくなった。

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 モイダン駅近くのチョウロンギ通りは落ち着いた感じ。

ケンタッキーには40分くらいいた。スマホをいじっていたらバッテリー残りがもう1ケタ台。もうあかーん。

こんどはヴィクトリア記念堂へ行ってみよう。この近くか、地下鉄で行ける所となるとそこくらい。
エスプラネードから地下鉄に乗ってマイダン駅で降りる。

外に出るとこれが同じチョウロンギ通りかと思うくらい整った所だった。
このあたりはオフィス街なのか、人通りは少ない。気安く話しかけてくる人もいなかった。

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 ラビンドラサダン駅付近。

ヴィクトリア記念堂へ行こうとしたが、もう16時だし、記念堂は17時でお終いになる。
次のラビンドラサダン駅まで歩いて、また地下鉄で最初に乗ったマハトマガンジーロード駅へ戻った。

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 マハトマガンジーロード駅付近。

ハウラー駅までタクシーに乗ろうかとも思ったが、値段の交渉するのも面倒くさい。
また歩いて行くことにした。

夕方だからかガンジーロードの電車道は大渋滞している。
そんな車の脇をテクテクと歩く。

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 大渋滞のマハトマガンジーロード。

ハウラー橋までは路面電車の線路に沿って歩いて行けば良いのでわかりやすい。
電車のことはあきらめてすっかり忘れていた。

そいつはいきなり現れた。
向こうから電車が走ってくるではないか。
慌ててカメラを出す。

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 突然現れた2両編成の電車。

パシャパシャパシャ・・・
道端の人はへんな東洋人がカメラを持って何を写してるんだという風に見ていた。

突然だったのでロクな画像にはならなかった。せっかくなので2枚あげておきます。
走っている路面電車を見られただけで満足である。

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 ああーー、これに乗りたかった。

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 ハウラー橋を目指して歩く。

ハウラー橋は川風が通り抜けて涼しい。橋の上は涼みか夕日の見物か、橋から見下ろす人がいっぱい。

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 西日が照らすハウラー橋。

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 フェリーが行き交うフーグリー河。

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 西日に照らされるコルカタの街並み。

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 ハウラー駅前の商店街。

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 100年以上も歴史あるハウラー駅の駅舎。


 ◆ハウラー駅

ハウラー駅に戻ってきたのが17時過ぎだった。
乗る列車の発車時刻は20:00だから、まだ3時間以上も時間がある。しかし、もうどこにも行く気はしなかった。
どこへ行くにもまたハウラー橋を渡らなければならないが。

駅のコンコースは広い。ニューデリー駅よりも立派だ。
柵で囲って、ベンチが並んでいる待合所があるが、空いている椅子は無い。ホームで列車でも眺めていようか。

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 ハウラー駅のコンコース。昔の上野駅に似ている。

歩いていると柱にコンセントが並んでいるのを見つけた。ここでモバイルのコードをつないで使っている人がいる。
これはいいと私もスマホの充電をさせてもらう。

これがモバイル用のコンセントなのか電気泥棒になるのかは分からない。柱にコンセントが並ぶのも不自然だし、たぶん充電サービス用のコンセントだろう。さすがIT大国インド。日本も見習ってほしい。

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 駅構内の電源コーナー。モバイルが必需品になった現代では大変ありがたい。

30分くらい充電したらバッテリーも50%くらいまで復活した。
まずはインド鉄道のHPで今日乗る列車の座席番号を確認する。

これから乗るのはハウラー駅を20:00に発車するビブティエクスプレス(Vibhuti Express)という列車で、コルカタからバラナシまで761.6km、13時間30分の乗車になる。この列車はバラナシから120kmほど先にあるアラーハーバードまで行く。

日本で最初この列車のチケットを買ったときはエアコン2段寝台にしていた。その時の予約ステータスはWL2だった。

当初買ったエアコン2段寝台は動きが無く、ずっとWL2のままだった。これではいかんと4/2に同じ列車のエアコン3段寝台を買った。こちらのステータスはRAC13で最悪乗るには乗ることができる。
少しずつ番号は繰り上がって行ったが、ずっとRACのままで出発前にかなり気を揉んだ。
それがCNFになったとメールが来たのは出発の前日のことである。

CleartripでWLやRACのEチケットを買うと、予約確定になるとメールが来て、新たなチケットが添付されてくる。
しかし新たに発行されたEチケットの席番の記載はなく、欄には『Confirmed』とだけ記されていた。

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 席番の欄に『Confirmed』とだけ記されたEチケット。

チケット購入時にCNFだったものは最初から席番が記載されるが、WLやRACから繰り上がったものは、発車数時間前にならないと席番が決まらないようだ。

今は発車2時間10分くらい前。インド国鉄のHPにログインするとEチケットの最新ステータスを見ることができる。
見ると、ずっと空欄だった所に席番が表示されていた。よっしゃ。

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 WL/38は現在のWLの人数。CNFはコンファーム済、B1は号車、55は席番、SLはサイドローワー(寝台のタイプ)を表す。

ネット環境の無い人がコンファームされた自分の席番を知るにはどうすればいいかというと、客車のドアの横に乗客名簿が貼りだされるので、それを見て自分の席番を確認することになる。

スマホも充電できたし、一安心したところで腹ごしらえするか。
コンコースにセルフサービスのフードコートがあるので入ってみる。

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 ハウラー駅構内のフードコート。

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 賑わうフードコート。

レジで食券を買って、隣のカウンターに食券を出して受け取る。後ろから押せ押せと言わんばかりの行列だった。
注文したのはチキンオンリーカリー(62ルピー)。

スプーンが無いので頼むと小さいスプーンをくれた。周りをみるとみんな手で食べている。

チキンオンリーだけあって、アルマイトの皿に盛られたカレーの具はチキンだけ。
これが盛り付けもひどいが、味もひどかった。
普通はどう作ろうともカレーはカレーで、それなりの味になる。まずいカレーというのは初めて食べた。
チキンもスジと骨ばかり。三口くらい食べてあとは捨ててきた。

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 盛り付けも味もひどかったチキンカレー。

テーブルのほかの人の食べ方を見ていると、手でライスとカレーを器用にこねまわして口へと運ぶ。そのうちにやってみようかと思った。

次はクロークルームで預けた荷物を受け取りに行く。
ここの窓口も押せ押せの行列。そんなに前後の人とぴったりくっつかなくてもと思うが、間を開けると割り込みされるからという。

預かり証を渡すとまた中に入れられて、自分で置いたところまで取りに行く。預け料は20ルピーだった。

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 『ビブティ・エクスプレス』は8番ホームから。


 ◆コルカタ・ハウラー 20:00 → 9:30(翌)
   【12333】Vibhuti Express

バックパックを背負ってホームへ行く。
12333列車が出る8番ホームはホームに沿って1列に並ぶ長蛇の列がある。列の先頭には警官が何人かいて見張っている。
この列車には前2両、後ろ2両の自由席車(Unreserved)があるので、その乗客だろう。整列乗車の指導といったところか。
これ全員乗り切れるのか、と思うほどの長い行列である。

19:22、入替用のディーゼル機関車に牽かれて、列車が入ってきた。

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 列車が入線する。行列は自由席の乗客。

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 夜汽車の旅情どころか熱気ムンムンだった。

車内に入ると涼しい。コルカタに来るときに乗ったラージダーニー急行には劣るが、エアコン3段寝台も思っていたより快適そうだった。

まだ寝台はセットされていない。早々に自分の席を確保する。バックパックは座席の下に押し込んだ。

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 ボックス席は3段6人となる。中段の座席は畳むと背もたれになる。

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 サイド席は2段なのでお得感あり。

指定された寝台はサイド席の下段。ボックス席の方は3段になるが、こちらは2段寝台になる。日本ならばA寝台の下段だ。これはなかなかいい。
ただし3段寝台はカーテンがないので、プライバシーの面では難がある。女性にはあまりお勧めできない席かも。

コンセントがあるのはありがたい。

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 いかにも寝台急行列車という感じの車内。

発車まで乗客同士移動したり荷物の置き場所を探していたりゴタゴタしていたが、発車すると落ち着いた。

車掌が検札に来る。印刷したEチケットとパスポートを見せるとOK。車掌は印刷された乗客リストと照らし合わせている。入口に貼ってある乗客リストと同じものだ。

向かいの席に座っているのはおっさん。おっさんは連れが離れた席にいるらしく、行ったり来たりしている。話しかけられることは無かった。

ラージダーニー急行のようなサービスは無いが、そのかわり物売りが頻繁にやってくる。
チャイ(紅茶)売りの声が
「チャーイ、チャーイ、チャーイはいらねが〜」に聞こえて面白かった。

車内は昼間のことを思えば平和そのもの。

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 サイド席の下段は快適だった。

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 どこかの駅に停車中。

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 寝静まった夜の寝台車。

カーテンが無いので車内は暗くなる。窓から夜景が見えないかと目を凝らしたが、駅以外では暗闇ばかりだった。

→9へつづく

posted by pupupukaya at 17/07/09 | Comment(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記7 コルカタへ

◆4日目 4/30 コルカタ・ラージダーニー急行

6時ごろ目覚める。
トイレへ行き、デッキのドアの窓から外を見る。今日も晴れ、しかし暑そう。
まだ寝ている人ばかりなのか、カーテンはすべて閉まっている。車内はほぼ満席のようだ。

居場所もなく、上段のベッドに戻ってまた横になる。

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 朝6:16、どこを走っているのかわからないが、天気でよかった。

7:40頃、自動音声の車内放送。あと5分でダーンバード・ジャンクションに着きますとのこと。
時刻表を見ると定刻では6:40着となっている。ほぼ1時間遅れということだ。

8:20頃、「ニュースペーパー」と言いながらクルーが新聞を配る。どうせ読めないので貰わなかったが。
その後、ブレックファースト(朝食)。袋入りの食パンとアルミ容器入りのオムレツ。
食べ終わった頃に紅茶と茶菓子がやってきた。

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 朝食は昨日のオーダー通りオムレツだった。(8:33)

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 あとから来たお湯のポットと紙コップ。

スマホのバッテリーは20%台になっている。もう電源を切ることにした。バッテリーゼロになってしまえばただのガラクタでしかない。
車内ではスマホで動画でも見ていようと思っていたのに、コンセント無しは想定外だった。それどころかすっかり情弱になってしまう。

朝食のあとは何もすることが無い。ベッドで横になったり、デッキで外を眺めたりして過ごす。下段のおばちゃんはずっとカーテンを閉めたきり。

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 コルカタの方に来ると緑が多くなった。

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 踏切。遮断機が下りていても人が入ってくる。

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 どこかの駅を通過。

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 迷彩服の兵隊っぽい人がデッキに立っていた。

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 水田地帯を走る。

昨日は次から次へと車内サービスがやって来たが、朝食の後は何も無し。すっかり退屈である。

クルーがトレイを持ってやってきた。チップとのこと。ポケットにあった10ルピー札を渡すと不満そうな顔で行ってしまった。
次に来たのがシーツと毛布の回収。

10時近く、定刻ならば終点のコルカタ・ハウラーに着いている頃だが、まったく着く気配はなく、ずっと農村風景がつづく。
コルカタでは特にどこに行くあてがあるわけではなく、あまり滞在時間が多くてもしょうがないので、遅れる分にはむしろ歓迎。

10:50外はもう都会の風景になった。ここからはノロノロと止まったり動いたり。
コルカタ・ハウラー駅に着いたのは11:10、1時間20分遅れということになる。5〜6時間の遅れはザラというインド国鉄からすれば、1時間台の遅れなど、ほぼ定時運転になるのだろう。デリーから1450kmもの距離を走ってきた列車なのだ。

ホームに出ると、むわっとする熱気。今までエアコンの効いた車内にいたのを忘れていた。ドアの前にいたクルーに念のために「ハウラーステーション?」と聞いてみたら、そうだという答えが返ってきた。

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 コルカタ・ハウラー駅に到着。

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 ニューデリーから牽引してきた機関車。おっさんが被った・・・

ハウラー駅はヨーロッパに多い頭端式ホームになっている。歩いている人がインド人でなければ、ヨーロッパの駅のようだ。
薄暗い構内に大勢の人がいる。ニューデリー駅よりも人は多い。

この駅が開業したのは1854年、日本最初の鉄道が開業したのは1872(明治5)年なので、それより古い。
現在の駅舎は1905年に完成している。
当時はイギリス領インド帝国というイギリスの植民地支配の時代だった。各所にイギリスの繁栄を誇った往時を思わせるクラシカルな作りが見られた。

さて、まずはこの重たいバックパックをどこかに預けなければならない。
コインロッカーなどどこにもない。案内看板を見ると『Cloak Room』の文字がある。看板の示す所に行くとクロークルームがあった。窓口が1つだけで人だかりがしている。

ようやく自分の番が来た。まず書類にサインをして、IDを見せろと言うのでパスポートを出す。荷物1つ預けるにもずいぶん面倒くさい。
それから中に入れと言われて、入るとここに置けと言われた場所に置いた。自分で棚まで持って行って置くシステム。
窓口の人は冊子にカーボン紙を挟んで書き込んでいる。ずいぶんとアナログな感じ。最後に預かり証をくれた。
料金は引き出すときに払うのか、今は言われなかった。

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 ハウラー駅のクロークルーム(手荷物預かり所)。

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 クロークルームの荷物置き場。


◆コルカタを歩く

とにかく身軽になったので、街歩きに出る。
外に出るとさっそく運転手の呼び込みがきた。さすがにこんなのには乗る気がしない。

暑いのでタクシーにでも乗ろうと思ったが、プリペイドタクシーの乗り場には長蛇の列ができていた。やっぱり歩くことにする。

デリーやアグラで世話になったリクシャーはコルコタでは一般的でないのか見かけなかった。そのかわりにイエローに青線ツートンカラーのタクシーばかり目立つ。車種はどれもインドの国民車だった『アンバサダー』。

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 ハウラー駅遠景。

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 あちこちで見かけた公衆トイレ。男性用なのだろうが。

ハウラー駅はコルカタ市内ではなく、フーグリー河を挟んだ対岸にあって、両岸をハウラー橋が結んでいる。
歩きはじめると汗が噴き出てくるが、橋の上では川風が心地よかった。

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 ハウラー駅とコルカタ市内を結ぶハウラー橋。

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 コルカタ市内を南北に流れるフーグリー河。

橋を渡って、コルカタ市内へ。

『コルカタ(Kolkata)』は『カルカッタ(Calcutta)』の名称の方が馴染みがあるかもしれない。
これは2001年にそれまでの植民地時代の地名から、現地読みの『コルカタ』に改められたもの。

1609年にイギリスの東インド会社がここに商館を置いたときにカルカッタという地名になった。
その後、1911年にニューデリーに遷都されるまでイギリス領インド帝国の首都でもあった。

まずはインド唯一の路面電車に乗りたい。
橋から坂を下ったところに路面電車の線路があった。停留所らしきものはなく、電車もいなかった。
線路をまたいで車が駐車してある。ここにいても電車は来そうになかった。

電車道を歩いていればそのうち来るだろうと線路に沿って歩くことにした。

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 トラムの線路があるマハトマガンジーロード。

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 トラムの線路が分岐するラビンドラ・サラニ通りとの交差点。

ところが、行けども行けども1台の電車も来なかった。どうしたんだろう。
そのかわりにバスはこれでもかというほど頻繁に走っている。
歩いているうちに地下鉄の駅まで来てしまった。

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 コルカタのトラム路線図。

コルコタに来た目的の第一は路面電車に乗ることだった。それ以外はあまり考えていなかった。
街歩きが好きとはいえ、ずっと外を歩いていると死んでしまいそうだ。

まずはインド博物館に行ってみようか。
地球の歩き方によると、『見学には2時間程度はみておきたい』とある。ここに行けば時間は結構つぶせそうだ。

マハトマガンジーロード駅がハウラー橋からは最寄になる。ハウラー駅からここまで歩いて30分くらいかかった。

窓口で地下鉄のチケットを買う。デリーと同じ丸いトークンだった。料金は5ルピーだから日本円でわずか9円。いくらインドの物価が安いと言っても、破格である。
だから地下鉄は貧民層の乗り物で犯罪の巣窟になっていると思いきや、地下鉄の構内に入るとここはインドであることを忘れるほど清潔で秩序のある空間になっている。しかも地下は涼しい。

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 マハトマガンジーロード駅のホーム。

地下鉄で2駅、パークストリート駅で降りる。
外に出ると、通りの歩道には屋台が並んでいる。日本ならばお祭りのような光景だが、ここではいつものことのようだ。

さっき歩いていた時にだいぶ汗をかいたので水がほしかった。
なかなか水だけ売っている屋台も無い。
ライムを絞ってジュースにして売っている屋台があって、人々がおいしそうに飲んでいる。あれを1杯もらうか、いやお腹壊すかもなどと考える。

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 出店が並んで賑やかなチョウロンギー通り。

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 よく見かけたライムジュースの屋台。

いや、しかし暑い。汗を拭いているタオルハンカチも絞れるくらいにびしょびしょだ。

「ホッテスト?」
立ち止まると話しかけられる。
「どこから来た?チャイニーズ?コリア?」
「ジャパン」と答える。
無視するのがいいんだろうけど誘導尋問だな、これは。

黄色いシャツの兄さんが続ける。
「日本のどこから来た?トーキョー?オーサカ?」
「僕も日本にいたことある」
「ロッポンギ知ってるか?そこのインドレストランで働いていた」
こちらも適当に答えていたが、しつこくまとわりつく。

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 アジア最大級というインド博物館。

そばにインド博物館があるので中に入ってしまおう。水くらい中でも売っているだろう。
「インディアンミュージアムに行くのか?」

「ここでチケットを買うんだよ」
チケット売り場までついてきた。

「バッグは預けなきゃだめだよ、クロークはここ」
親切だけどとにかく怪しい。

中に入って、これで撒いたかと思ったら
「また会おう、マイフレンド!」と手を振っていた。
「バーイ」と言って中に入る。

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 いきなり首無し仏像が出迎え。

今は13時近く。ここに2時間いれば15時ごろ。そのあと路面電車に何回か乗って18時ごろに駅に戻ればちょうど良いだろう。
順路に従って上の階から見て行くことにする。

ところが展示物は石ばっかり。ここは化石博物館かよ。化石マニアでもなければこんなところで2時間もつぶせないぞ。

クーラーも一切無し。そのかわりに上の方で扇風機がブンブン回っている。風に当たるといくばかは涼しいが、汗は引かない。ここに2時間は無理だろう。

ひと通り回って見たつもりだが、すぐに1階まで下りてきてしまった。

看板にカフェテリアの文字を見つけた。やった、と思ってそちらの方へ行くとトイレがあった。さらに奥があるのでそこがカフェテリアかと思って行くと係員に呼び止められた。そっちはオフィスエリアとのこと。

トイレの前に大きなウォータークーラーがあって、これのことか。
水筒やペットボトルを持った人が水を汲みにきている。しかし、水は水道水だろうから、これを飲むのはためらった。

博物館だけあって、トイレはタダなのは良かった。

1階のエントランスホールにはベンチがあって、そこに座っていると風が通り抜けていくらか涼しい。洗面所で洗ってきたタオルハンカチも広げて乾かす。

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 エントランスのホール。

椅子に座ってエントランスを出入りする人たちを見ているとインド人ばかり。ここはインドなので当たり前だが。
たまに欧米系の外国人、それに中国人。日本人はいない。本当にいまはGWなのか。もっとも日本人を見かけたからべつにどうということはないけど。

次はどこへ行ったらいいのだろうか。観光するところはいろいろあるが、歩かなければならない所ばかり。
地図を見ると、近くにニューマーケットという所がある。地図では大きい建物のように描かれている。ショッピングセンターだろうか。

暑いからハンカチもすぐに乾いてきた。
もう一回り展示物を見てくるとするか。早く出るとさっきの奴がまだいるかも知れないし。

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 仏像の展示室。

さっき回ったときは見落としていた仏像の展示室があった。
じつは最近、仏像などに興味を持つようになった。別に宗教心からではなく、単純に美術品とか言う意味でだが。女性ならば仏女(ぶつじょ)といったところか。

それはともかく、インドの仏像ですよ。
すこしばかりテンションが上がった。

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 釈迦の仏像。日本でもお馴染み(?)のパーマ姿。

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 釈迦その2。ウェーブヘア(?)のはギリシャ文化の影響もあるという。

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 釈迦その3。それぞれに顔つきが違う。

釈迦は紀元前5世紀ごろにいたとされる仏教の開祖である。

日本にも仏像は数々あるが、日本の仏教はインドから中国〜朝鮮半島経由で伝わったもの。
仏像の多くは仏陀である釈迦の姿を模したものだが、日本で作られたものは間接的に伝わった姿でしかない。

私は仏教や仏像についての知識は無いが、日本よりはるかに原形に近いお釈迦様を拝めたのはうれしかった。
インド博物館に来て良かった。

南無〜。


posted by pupupukaya at 17/07/08 | Comment(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記6 コルカタ・ラージダーニー急行

 ↑ ニューデリー〜コルカタ間1450km コルカタラージダーニー急行のルート


 ◆ニューデリー駅

ホテルに荷物を取りに行って、ニューデリー駅に戻ってきたのが15時少し前。列車の時刻は16:55発だからまだ2時間もある。
ニューデリー始発の列車だが、駅へは早めに行った方がいい。
発車間際に乗ると、自分の寝台が他の乗客に占領されているかも知れない。

駅まで歩く途中で水を1本買っておいた。こういうものも買えるうちに買っておかねばならない。
昨日今日と買わされた土産物も入ったバックパックはかなり重くなっている。

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 また改めてニューデリー駅のエントランスから。

大きなバックパックを背負っているし、駅に着いたら面倒な人たちに囲まれるのかと覚悟していたが、意外とスンナリ駅に入れた。

ニューデリー駅の広いホールは相変わらず多くの人が座り込んだり横になっていたり。
昔の上野駅もこんな感じじゃなかったかな。

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 駅舎内のホールは列車待ちの人でごった返す。

ホールにある電光掲示板を見には、発車する列車の一覧が表示されている。かなり先の列車まで表示されているにも関わらずこれから乗る16:55発12302列車の表示は無い。

もしかして運休?
ここで心をしっかり持っていないと悪徳旅行会社に騙されることになる。

セキュリティーゲートを通ってホームに出ると、1番ホーム側にウェイティングルームがあった。
入ってみるが、ベンチはふさがっているし、暑い。天井の扇風機がブンブン回っているが、外にいて風に当たっていた方がマシだった。

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 1番ホームはどこか昔の日本の駅のような雰囲気も・・・

ウェイティングルームの並びにフードコートがあった。あまり混んでいない。これ幸いと腹ごしらえをする。
朝ホテルを出てから何も食べてない。暑いのと緊張の連続で空腹というのも忘れていた。

店はいろいろ並んでいて、そのうちの1つの店でメニューにあったチキンサンドイッチというのを頼んだら店員が何やら言う。
よく聞くと、入口のところで食券を買ってくれということだった。

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 駅舎1階のフードコート。

食券を買ってきて店員に渡す。しばらくして紙皿に乗ったチキンサンドイッチが出てきた。トーストしてあって温かい。これで70ルピー。
立ち食いだし、清潔とは言い難い場所だが、1人ならこういう所で食べた方が気が楽だ。
チキンはそぼろのようで、ぼろぼろこぼれて食べずらいがおいしい。

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 グリルしたチキンサンドイッチ。

ホームに出て、また電光掲示板を見ると、12302列車の表示が出ていた。16番線へと向かう。

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 ホームを結ぶ跨線橋。

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 ホームと反対側を見る。どことなくイギリス調な感じも(行ったことないけど)

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 ミニチュア風に加工してみる。

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 コルカタ・ラージダーニを牽引する機関車。

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 ニューデリー駅の駅名標。


 ◆ニューデリー 16:55 → コルカタ・ハウラー 7:57(翌)
      【12302】Kolkata Rjdhni

16時を過ぎたばかり、まだ発車まで50分もあるがホームはすごい人だった。荷物を持った人ばかりだから皆同じ列車を待つ人たちだろう。
全車指定の列車だから、待つ人も落ちついているが。

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 発車50分前だが、ホームは人、人、人。

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 ホームの列車案内表示。『12302 Howrah Rajdhani   16:55』

さて、いよいよコルカタ行の寝台列車に乗る。
『コルカタ・ラージダーニー・エクスプレス』(Kolkata Rjdhni Exp.)とは、ニューデリーからコルカタのハウラー駅までの1,451.1kmを結ぶ寝台急行列車である。

ラージダーニーと付く列車は、ニューデリーから大都市や州都を夜行で結ぶ寝台急行列車のうち、スピードが速く、停車駅も少なく、全車エアコン付という最優等列車という位置づけになっている。

私が乗る車両はエアコン付2段寝台車(AC2)という寝台車で、2段寝台にカーテン付きとなる寝台となっている。
ニューデリーからコルカタまでの値段は4,265ルピー(7,393円)で、1400kmもの距離と国際線の飛行機並みに食事付きということを考えれば安い。

だがこれが一般の急行列車を利用して、普通寝台車に当たるエアコン無しスリーパークラスだと625ルピーになる。ラージダーニーのAC2クラスとの差は6.8倍。普通のインド人からすれば羨ましいような豪華列車ということになる。

そのほかには、エアコン付3段寝台(AC3)があって、基本はAC2と同じだが3段式寝台でカーテンがない。
もう1つはエアコン付ファーストクラス(AC1)で、こちらはすべて個室だが2〜4人部屋なので1人利用の場合は相部屋となる。

これらのクラスとの値段差はかなりあるはずなのだが、ネットで購入するとどういうわけか値段差がそれほどなくなるようだ。
ファーストクラスのネット価格を調べたら4,855ルピーとなり、AC2と千円ちょっとしか違わない。

このあたりはAC2クラスの値段が季節によってかなり上下するからで、今はインドは夏休み期間中のため高い設定になっているのと、ネットで買うと手数料がかなり上乗せされるためと思われる。

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 ラージダーニーエクスプレスが入線。

16:26に電気機関車に牽かれた列車が入ってきた。荷物車もいれて20両という長い編成。
ホームに停車中に客車を見て回りたいが、寝台を留守にしているあいだに他の乗客に取られてしまうかもしれないのでそれはしない。

列車はゆっくり進入してくる。気の早い人はまだ止まらないうちに飛び乗る。ドアは自動ではないので手で開けられる。

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 客車の入口。

客車が止まったので乗車する。
3Aの方は騒ぎのようになっているが、こちらの方はまだ人も少なく落ち着いたものだ。

ドアの横に乗客名簿が貼りだされる。
これは、自分のチケットに座席番号が書いてあれば見る必要はない。チケットに座席番号の無い人はこの名簿で確認する必要がある。
一応見てみたが、たしかに自分の名前が載っていた。
ヒンドゥー語(名前)、座席番号、ローマ字(名前)の順に表示してある。

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 車内は一見、日本のA寝台車のような感じ。

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 ボックス席タイプの寝台。腕が写ってしまった・・・

指定された番号はA1号車の29番。
寝台は4人用のボックス席(上下2段向い合せ)と、通路に並行した2段の寝台とがある。
29番の席は通路席の下段ということになる。

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 Cleartripから送られてきたE-チケット。赤丸が座席番号。

ところがこの席には先客が2人いる。夫婦か兄弟か知らないがまた面倒だなと思って席に行くと、男の方は見送りにきた人だった。
通路席は背もたれを跳ね上げれば2人向い合せ席となる。
おばさんと相席という格好になる。

いつの間にか私は上段の客ということにされてしまった。しかも進行方向とは反対の向き。
このおばさんが上段寝台に上がるとなると一苦労だろうし、まあいいわ。

座席下はおばさんの荷物で占領されてしまったので、バックパックは上段の寝台に入れるしかない。かなり狭くなりそうだ。ほかに置く場所は無いので仕方がない。

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 通路席の寝台。背もたれを倒してベッドにした状態。

最初乗った時は車内はがら空きだったが、停車中に乗ってくる人の方が多かった。
この寝台車の客はインドではお金持ちの方に当たる人たちなんだろう。ゆったりした気持ちの人が多いようだ。
発車間際になっても3分の1くらいの座席がまだ空いている。途中から乗って来るのかもしれない。

16:55になったが列車は動かない。
ここはインド、定時運転なんて求めてはいけない。旅行の行程も、列車の遅れはある程度見越して余裕あるものにしてある。

どうしたのかと思いかけたころにゆっくり動き出した。

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 ニューデリー駅を発車する。

さあ、コルカタまで1450km、17時間の寝台列車の旅が始まる。
異国の地で、さらに新たな地への旅立ちの瞬間だ。

 ♪さあ行くんだ その顔をあげて新しい風に 心を洗おう

イヤホンと充電コードを取りだし、『銀河鉄道999』を聞きながら旅立ちを盛り上げようとしたが、あることに気が付いた。

この寝台車はコンセントが無い (TωT)

最高級の寝台急行だし、てっきりあるものとばかり思っていた。
てゆうか、昨日乗った最下級のスリーパー寝台だってコンセントあったぞ。

一応あるにはあるが、4人ボックス席の一番奥に1個あるだけ。当然そこの席の人が使用している。

スマホのバッテリーは今日1日使ったのであと半分ちょっとしかない。
明日も1日コルカタ市内を観光のあと寝台列車が宿となるので、充電できるかどうかわからない。
最悪、あさってホテルに入るまで充電できないということだ。

 あわてるな昔はみんな歩いてた

考えてみれば、外に出ればネット環境など全く無いに等しかった時代から一人で海外旅行していたわけで、その当時を思い出せばスマホのバッテリー切れくらいで慌てることはないのである。
ただ、あの頃は家で印刷して紙で持って行った物が、今はデータにしてスマホに入れてあるので不便ちゃあ不便。

デジカメのバッテリーはスペアを持っているので、そっちは心配いらない。

トイレにはコンセントがあるので行く度に充電していたが、気休めでしかなかった。

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 デッキのトイレドアと洗面台。

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 インド式の車内のトイレ。


◆サービス満点のラージダーニー急行

発車してしばらくしてから水の1L入りボトルが配られる。
次いでパントリー車のクルーが食事はベジかノンベジか注文取りに来る。私もおばさんもノンベジ(ベジタリアンではない)と答える。

スマホは電力節約中のため極力使わない、本も持ってきていないとなると、車窓くらいしか見るものがない。
窓は煤なのか水垢なのかこびり付いて汚れている。カメラ泣かせ。
だからといって、これといって印象に残るような景色ではない。ずっと農村地帯が続く。

車内サービスはつづく。
まずはライムジュース。甘酸っぱくて、食欲のない時は良いかもしれない。

続いてはサンドイッチと揚げパン、それにお菓子が2個。揚げパンは具が入っていておいしい。ビールが飲みたいな。車内で揚げたようで、温かかった。

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 カップ入りのライムウォーター。(17:28)

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 サンドイッチ、揚げパンなどの軽食。(17:51)

時間にして夕食ということになるのだろうが、さっきベジかノンベジかを聞いた意味があるのだろうか。メインがこれから来るのかもしれない。
あとからお湯のポットが配られた。これで自分で紅茶を入れる。昨日のシャダブディとは違って今度は紙コップ。

座席にはテーブルが無く、トレーの置き場所が膝の上しかないのが窮屈なところ。
食べ終わったら床に置いておけばクルーが回収に来る。

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 座席使用時は狭い感じがする。

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 紙コップとポット入りのお湯。(18:10)

向かいのおばさんが「荷物見ててね」みたいなことを言って席を立った。多分トイレだろうけど。
手提げバッグを置きっぱなしで行ってしまうとはあまりに物騒で、こちらが驚いてしまった。

見回すと、このエアコン2段寝台の乗客は身なりの良さそうな人ばかりに見える。置き引きなんてケチなことをする人はいないのだろう。

だからといって我々外国人旅行者がやっちゃいけませんよ。

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 車窓はずっと平野で畑が続く。景色は単調。

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 西日が差しこむ

19時、相変わらず単調な景色。日はすっかり傾いて外は薄暗くなってきた。
さすがにもうサービスも来ないだろうし、上の寝台に上がることにする。

寝台で足を伸ばせば楽かなと思って上がってみると結構狭かった。天井も頭がつかえるほどの高さ。そこにバックパックもおくわけだからさらに窮屈。
できるだけ壁側に押し付けて、足を置く場所は確保する。

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 通路席の上段は狭い。

上段は窓が無いのでつまらない。下段にいても窓の外は暗闇しか見えないだろうけど。
こういう退屈な時間に手帳に日記を書く。記録を残しておくと帰ってからブログを書くのが楽になるのでね。

もう何もこないと思っていたが、またクルーがトレーを配りに来た。
こんどはブレッドスティックとバター、紙コップにはスープが注がれる。飲んでみるとトマトスープのようだった。

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 ブレッドスティックとバター、それにトマトスープ。(19:30)

20時を過ぎた頃、暗くなった。
通路向かいのボックス席は電気を消してカーテンを閉めている。寝るの早すぎ。
通路の照明のスイッチもボックス席の壁に並んでいるようで、それも消してしまったようだ。

天井に読書灯はあるのだが、これも光が弱々しくて頼りない。接触が悪いのかついたり消えたり。どうせスマホは使えない、本も無いのだからもう寝ろと言わんばかりだが、こんな時間から眠れるかよ。

暗いが、幸い懐中電灯をもってきていた。まさかこんなところで役に立つとは。

しょうがねえ、一杯やるか。

初日に飲んだ焼酎の残りは、空きペットボトルに詰め替えて持ってきていた。
持ってきたマグカップで水割りにして飲む。まるで隠れ酒だな。

ほかの乗客の目があるところで飲むのはやりかねるが、幸いに通路側席は上下別にカーテンがあるので個室状態にできる。
向かいのボックス席は個別のカーテンは無いので、プライバシーの観点からは通路側の上段が最上席であろう。

向かいの真っ暗なカーテンの向こうからは携帯電話が鳴ったり話し声がしたり、暗くする必要があるのか?
つか、通路の明かりくらい点けてくれよ。

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 通路席の上段寝台は隠れ酒に最適なのだ。

またトレーを持ったクルーが来て何か配り始めた。
もらったトレーはアルミホイルで覆われた容器が載っている。まさかこんな時間にディナーが来るとは思わなかった。しかももうベッドもセットしてるのに。

列車に乗ってからさんざん飲み食いしたので食欲も無いし、もう寝てる人も多いようだが、せっかくなので出されたものは食べますよ。
しかし、こう暗くては・・・

ひらめいた。水のペットボトルを逆さにして、その上から懐中電灯の光を当てると・・・
おお、水に反射して照明になった。

さすがジャパニーズ・ニンジャ!
誰も見る人はいないが、一人で絶賛する。

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 懐中電灯とペットボトルの照明。

アルミの包装を解くと、カレー2種類、ライス、ナンとかなりのボリューム。

ベッドにアグラをかいて食べる。頭がつかえるので前かがみ。明かりは懐中電灯。なんだか可笑しくなってきた。

カレーはベジの方はイマイチだが、チキンのほうはおいしい。こんなところで、こんな姿勢で食べるにはもったいない。しかしチキンは骨付きなので食べづらい。
手は使いたくないが、手で持たないと食べれないな。これはウェットティッシュを持ってきてたので良かった。

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 骨付きチキンとベジ風のカレー。ライスとナン。(20:40)

またクルーがやって来て、こんどはアイスクリームを置いて行った。デザートらしい。

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 食後のアイスクリーム。(20:55)

カレーとは不思議なもので、食欲が無くてもペロッと全部食べてしまった。
『カレーは飲み物です』とは誰のセリフだったか。言い得て妙だと思った。

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 夜の寝台車通路。

また水割りをやり始める。焼酎がカラになったので横になった。


posted by pupupukaya at 17/06/25 | Comment(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記5 デリーを歩く

◆3日目 4/29 旅程
    デリー観光
 夕刻 ニューデリー〜(鉄道)〜コルカタ

昨夜行った1Fのレストランが朝食会場だった。
軍服の人たちと民族衣装の人たちがやたらと目立つ。

レーの鍋がいくつも並んでいるのはインドらしい。皿にカレースープとスクランブルエッグ、それにパンをいくつか取って席に着く。

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 ホテルの朝食。

今日は夕方発の夜行列車でデリーを発つ予定になっている。それまで何をするか。
このあとの日程では、翌日コルカタに着き、そこからまた夜行でバラナシへ。バラナシで1泊してからまた夜行列車でデリーに戻って1泊ということになっている。
終わりのほうでデリーでまた実質2日間過ごすことになるので、今日は特に観光地を回る必要はない。

まあ、デリーは何日いても見どころはたくさんあるのだろうけど、私は鉄道に乗るのが主目的だったのということもあって、観光地は正直あまり興味がなく、行きたいところも特に思い浮かばなかった。

食事のあと外へ出てしばらく歩いて見る。

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 朝のデリー。デッシュ・バンドゥ・グプタ・ロードという広い通り。

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 今日もカオスな町の1日が始まる。

道端で寝てる人の多いこと。暑い国なので雨と日光さえしのげればどこでも家になるのかもしれない。

ATMを見つけたのでお金を下ろそうとしたが、持っているカードは受け付けなかった。
昨日アグラで使いすぎたので、手持ちのルピーがだいぶ減ってしまった。これから先そんなに使わないと思うが、手持ちの現金が少なくなってくると不安になる。しかも今日は土曜日、銀行は今日も明日も休みだ。

ホテルに戻ると『MONEY CHANGER』と表示されたカウンターがある。ホテルでのレートは良くないらしいが仕方がない。ここで両替した。1万円が5,200ルピーに。初日の空港での両替よりは若干良かった。
2000ルピー札が2枚もあったので、1枚は細かい札にくずしてもらった。

チェックアウトタイムは10時となっているので、それまで部屋で過ごす。

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 左がデリーで2泊したホテル。


◆コンノートプレイスへ

10時近くになってチェックアウト。
昨日のルームサービスと冷蔵庫の水2本、それにオカシ1袋で300ルピーだった。安いものだ。

夕方までレセプションに荷物を預ける。預かり証をくれるのかと思ったが何もくれなかった。受け取りはここで言ってお願いしなければならないのか。面倒だな。

ホテルを出る。行くところは決まっていない。とりあえずはメトロ(地下鉄)に乗ってみよう。

とりあえず向かうはニューデリー駅。駅に用はないが、メトロの駅が駅構内を通り抜けた反対側にあるためだ。
あと、重たい荷物を背負って駅の中をウロウロしなくても良いように、夕方に乗る夜行列車の下見も兼ねる。

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 ニューデリー駅のパハールガンジ側駅舎。

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 駅前に展示してある車両。SL?

ニューデリー駅といえばとにかくトラブルが多いという知識を出発前にさんざん仕入れていたが、駅の中に入ればそういう人は見かけなかった。声すらかけられない。そのかわりやたらと警官(警備員?)の姿を見る。

警官が多いのは結構なことだが、そのかわり禁止されている列車の写真を撮りづらいのは痛し痒しであろう。

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 近郊電車が着いたところ。跨線橋から。

駅構内の反対側にメトロの入口が見えた。
駅を出るとリクシャーの運転手が寄ってくる。ノーノ―といって逃げるようにメトロの入口へ。彼らは駅の中までは追ってこない。

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 ニューデリー駅の地下鉄の入口。

階段を降りたところにセキュリティーゲートがあって、全員ここを通らなければならない。

メトロのニューデリー駅は、イエローラインとエアポート線の2本が乗り入れている。
地下に降りると2つの線の駅は地下道でつながっているが、改札もきっぷ売り場も別々になっている。

イエローラインの駅へ行くと、きっぷ売り場の窓口は長蛇の列。しかも押し合いへし合いで、とてもこんなところに並ぶ気にはならない。

メトロに乗るのはやめて歩くことにした。
地図を見るとニューデリー駅からコンノートプレイスまでは1kmほど。そこへいけば何かあるだろう。

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 ニューデリー駅からコンノートプレイスへの道。(チェルムスフォード・ロード)

歩き出すと暑い、汗が噴き出す。駅周辺はカオス状態だが、こっちは整った道路になっている。
しかし歩いていると、よほど東洋人が珍しいのか、道行く人がやたら声をかけてくるのには参った。

「ナマステ」
「アーユーフロム?」

「ジャパン」と答えると日本人に会えて大感激という態度。悪い気はしないが、親日家なのか、カモを見つけたからうれしいのか分からないが多分後者だろう。

でも中には
「デリーメトロ イズ メイドインジャパン、ドウモアリガトウ」
と言って去って行った人もいて、どういうのがサギに豹変するのか見分け方がわからん。

だんだん街並みも綺麗になってくるとコンノートプレイスまで来たようだ。

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 どこかインド帝国時代を思わせる街並みが。

コンノートプレイスは1929年に建設が始まったデリーの経済、商業、ビジネス、ショッピングの中心的なエリアとされている。(wikiより)
円形の公園を中心にして周回する道路がある。ひっそりした感があるのは、今日が土曜日でオフィス街が休みだからだろう。

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 コンノートプレイス(Connaught Place)はデリーの中心部エリア。

ブランド専門店が多い。日本でいえば銀座みたいな所なのだろう。あまり見物するような所ではない。

それにしても辻ごとに「ハロー」とか「ナマステ」と声をかけられ「どこから来たの?」と聞かれるのでうんざりしてきた。

ナンパかよ(^^)

無視を決め込むと、今度はだんだん声を荒げる人もいて、あれは怖かった。

立ち止まってスマホで地図を見ていると、こんどはじいさんが近づいてきて話しかけてきた。
自分は耳かき屋だという。
ボロボロの写真を出して、いままで耳かきしたらしい人を見せてきた。
爺「ほら、ジャパニもいるぜ」

その自称耳かき屋というじいさんは、耳を見せろとしつこいので見せると、棒の先に綿をつけて耳に入れようとする。
ちょ、ちょっとやめてくれ。

爺「ノープロブレム、フリー、フリー(タダだから)」
そういう問題じゃないんだって。
逃げるように、じいさんを後にした。

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 ラジブ・チョーック通り(Rajiv Chowk)は、どこかヨーロッパ調な感じも。

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 緑が多く落ち着いた街並み。

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 ガネーシュ・マンディラGanesh Mandir ヒンドゥー教の寺院。

入りたいような店も無く、歩く。あつい、水がほしい。道端の屋台に売っているが、あんな日なたに置いてある水なんてお湯になっているよ。

日本に帰ったらまずは生ビールだな。
まだ旅は前半だが、日本に帰ったら何がしたいかということばかり考えるようになった。

コンビニらしき店を発見。入ってみる。
クーラーが効いて涼しい。陳列棚に商品が並び、いかにもコンビニである。
ビールも売っている。インドにもこういう店ができたんだな。
コーラを1本買う。レジではちゃんとお釣りもくれた。

コーラはよく冷えている。店を出ると一気飲み。うめ〜!
なんとか生き返る。

店の名前はセブンショップ(だったかな・・)だが、日本のセブン某とは関係ないようだ。

デパートかショッピングセンターでもあればそこに入って時間をつぶすのだが、そういう店は見つからなかった。
円形道路の中心にある公園に行ってみる。セントラルパークというちょっとした公園だが、木陰のベンチくらいあるだろう。

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 コンノートプレイスの中心にあるセントラルパーク。

セントラルパークの入口はここにもセキュリティゲートがあった。やはりテロ対策なのだろうか。

公園の中はきちんと整備されているしゴミも落ちていないので気分がいい。
しかしどういうわけかやたらとカップルが多い。1人ではあまり居心地の良い所ではないな。

さっき飲んだコーラが汗となって噴き出してきた。暑い。
汗を拭き拭き歩いていると、「ベリーホット?」とおじさんがニコニコしながら声をかけてきた。
「ヤー、ベリーホット」と答える。

「フロムカントリー?(どこから来た)」とか「パーポーズ、カムトゥーインディア?(何しにインドに)」とか聞かれる。
まあ、ほかに行くところがあるわけじゃないので、しばらくおじさんの話し相手になった。

いつ来た?いつ帰る?1人で来たのか?家族はいるか?などあれこれ聞かれる。
こちらも結構適当に答えたが。

なんせ慣れない英会話なもんで、相当に疲れる。

お「ホワット、ドゥーユーライク、ジャパニーズフード?」(日本の食べ物は何がある)
私「アイライク、スシ」(スシかな)
お「ホワットイズイット?」(どういうもの)
私「イッツ、フィッシュ」(魚だな)
お「オー!フィッシュイズ、マイホビー」

おじさんはどうやら釣りが趣味らしい。毎週釣りに行っているという話を聞かされる。
相手が妙齢の女性ならばテンションも上がるのだろうが、おじさんの身の上話なんかもうどうでもいいんだけど。

お「これからどこに行くんだい?」
私「どこへ行ったらいいのかな」
お「ゴールマーケットがいいぞ」
ゴールマーケットにはショッピングセンターがあるらしい。

お「コンノートプレイスは高いし良いものは無い」
たしかに、ここは専門店やブランド店ばかりだ。

お「地図は持っているか?」
ガイドブックは持ってこなかったので、スマホでグーグルマップを見せる。

お「ほら、コンノートはここで、ゴールマーケットはここ」
おじさんの指差す所を見ると、ゴールマーケットはそれほど遠くない。歩いても行けそうだ。

お「ゴールマーケットに行ったらNHBというショッピングセンターがある」
私「ありがとう、そこへ行ってみるよ」

別れようとすると、おじさんはリクシャーで行くと良いと言い出して、
お「リクシャーなら20ルピーだ、タクシーは高いからやめとけ」
お「俺が運転手に話をつけてやるよ」

なんとなく断りずらくてついて行く。リクシャが便利なのは、昨日何回か乗ってわかっているし、値段も交渉してくれるのならありがたい話だ。

おじさんが止まっていた1台のリクシャーにこれに乗れと言う。
運転手と何やら話をして、
「紅茶屋、NHBとまわって50ルピーだ」

おいおい、紅茶屋はいらないよ。

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 乗ってしまったリクシャ。

リクシャが走り出てから、ヤラれたと気が付いた。

教訓:知らない人について行っちゃいけません。

ゴールマーケットは歩いて15分くらいの所。リクシャならすぐに着くはずである。どこへ向かっているのかずいぶんと走る。
着いたところは緑が多く、ずいぶんと郊外のような感じ。

運ちゃんは紅茶屋に着いたというようなことを言った。
仕方なく降りて店の中へ。運ちゃんは店の入口までついてくる。店に入ったことを見届けるためか。

なるほど紅茶屋だなあ。高級そうだ。客は欧米系の外国人が数人。少なくとも怪しい店ではなさそうだ。
店内をひと回りして外に出る。さっきの運ちゃんが待っていた。
運「何を買った?」
私「はい、次行って次」

ショッピングセンターで降ろしてもらって、あとはそこで過ごしていよう。というのは甘かった。
着いたのは街中の土産屋だった。
どうもここがさっき聞いたNHBらしい。
看板には『NIRULA HANDICRAFTS BAZAR』とある。
またしてもヤラレタ ヽ(#`Д´)ノと思いつつ中に入ることになった。

店員がやって来て「インド土産かい、シルク?カーペット?ティー?」
ここもすぐに出れば良かったんだけど、つい品物に見入ってしまった。

店員がじゅうたんを出して広げて見せてくる。
いやいや、こんなん買っても持って歩けないから。

「アーユーフロム?」と聞かれ「ジャパン」と答えた。すると日本語を話す店員が出てきた。日本からのツアーなんかがよく立ち寄る店なのかもしれない。
英語ならノーノーで突っぱねるけど、日本語で話されたら弱くなる。

手ぶらで出るのも悪いし、置物でも1つ買うかという気になった。
「コレハドウデスカ、ガネーシャ、インドノカミサマデス」
象の顔をした木彫りの置物。見たことあるよ。

部屋に飾っても悪くないな。こいつでも買って行くか。
「ハウマッチ?」と聞いてみる。
「4800」
「ディスカウント、3000プリーズ」

昨日のアグラで経験しているので、もう値切るのがクセになった。
値札もないし、相場も分からないから相当ふっかけているんだろうし。

何回か掛け合って結局言い値の20%引きということで3,840ルピーになった。クレジットカードで払う。

「ガネーシャは商売繁盛の神様ね、まだほかにも神様あるよ」
いやもう「エネオス、エネオス(十分)」。もう何も買いません。

店を出るとまたさっきの運転手が待っていた。

今度はちゃんと買ったぜ、大将。

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 3840ルピー(約6800円)のガネーシャ様。

昨日今日とずいぶんと高い買い物をしてしまった。
インド人は商才があるのかもしれないね。
とにかく相場がわからないので暴利かどうかは何とも言えない。

運ちゃんが「次はどこへ行く?」と聞いてきたので「コンノートプレイスに戻ってくれ」と言った。
もっと店に連れて行きたい様子だったが、もう戻ってもらう。

この運ちゃんはしょっちゅう携帯でどこかと話している。さっきのおじさんとグルだったのかとも勘ぐってしまう。
だが、金額が妥当かどうかは別として、物はちゃんと得てるし、サギというほどのことではないだろう。

ま、授業料てとこか(T_T)

もうそれ以上は考えないことにする。
私がもっと英語が堪能だったら、きっと運ちゃんにこう言っただろう。

よう、あんたいくらもらったんだ( ^ω^)ノ

コンノートプレイスに戻ってきた。ここでいいと車を停めさせる。
運ちゃんに「ハウマッチ?(いくら)」と聞くと、
「アズユーライク(いくらでもいいよ)」
何だそりゃ。

「ワンハンドレット」と言って、運ちゃんに100ルピー札を渡して速攻で車を後にした。


◆ニューデリー駅へ

時刻は2時少し前、駅に行くにはまだ早い。しかしどこにも行くところが無いし、もう疲れた。
また歩くのもしんどいので、メトロのラジブチョーック駅へ行ってみた。

窓口は数人並んでいるだけだった。
ニューデリーまでの切符を買う。切符というかコイン状のトークンだ。これを自動改札機にかざして通る。

自動改札なのにきっぷ売り場が手売りというのがチグハグな感じがするが、IT化と人海戦術と相反するものを両立させるところにインド的な哲学があるのかもしれない。

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 コンノートプレイス中心にあるラジブ・チョーツク(Rajiv Chowk)駅。

ラジブチョーック駅はコンノートプレイスにあって、イエローラインとブルーラインが十字に交差している、デリーメトロの中心になる駅である。
それにしてもすごい人。土曜の昼間とは思えない、まるでラッシュ並みの混雑ぶり。

それ以上に驚くのは、きちんと整列乗車が守られていること。駅員がやたらと笛を吹いて整理している。
デリーメトロは日本の政府開発援助によって建設されたが、整列乗車も日本の指導によるものなのだろうか。

それでも電車が着いてドアが開くと、降り切らないうちから無理やり乗り込むので喧嘩のようになり始める。子供は泣いてるよ。
とても乗り切れずに積み残しとなる。
次の電車はすぐに来た。今度のは余裕で乗れた。

次のニューデリーで降りる。
メトロは冷房が効いていて快適だ。郊外には地上を走るところもあるし、またデリーに戻ってきたらメトロに乗って観光しよう。

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 またカオスなニューデリー駅前に戻ってきた。

整ったコンノートプレイスからニューデリー駅前に戻ってくると、改めてごちゃごちゃした所だなと思う。
しかし、よそよそしい都会よりもこっちの方が不思議と心は落ち着く。もうすっかりインドの感覚に慣れてしまった。

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 とにかくひしめき合っている。

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 駅前は屋台も並ぶ。

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 駅からホテルへ向かう道。

預けていた荷物を引き取りにチェックアウトしたホテルに戻ることにする。

歩いている途中で、今まで見なかった日本人らしき人たちをチラホラ見かける。
そういえば日本では今日からGWがスタートだったな。

見るたびに思うが、地球の歩き方を書店のブックカバーで持ち歩くのはどうかと思う。


posted by pupupukaya at 17/06/24 | Comment(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記4 アグラへその3

◆アグラ・ランチ編

リクシャーは約束通りレストランに着いた。ダディが店内に招き入れる。
入口は植込みがあってごちゃごちゃしている所だったが、中に入ると綺麗な店だ。エアコンも聞いているし感じも良い。

メニューは英語だが、見ても良くわからない。『Thali(ターリー)』の文字を見つけたのでこれにする。ターリーとはいわゆる定食のこと。間違いはないだろう。

店員が「ベジ?ノンベジ?」と言うので「ノンベジ」と答える。「ドリンク?」と聞かれたので何にするかとまたメニューを見ると「ビール?」と言われ、思わず「イエス」と答えた。
まさかここでビールが飲めるとは思っていなかった。

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 ダディおすすめのレストラン。雰囲気は悪くない。

程なくしてビールが運ばれてくる。『キングフィッシャー』のロング缶。
んぐんぐ・・冷たいビールが喉を通って行く。

ビールうめ〜、ずっと暑くて埃っぽい外にいたので、一層うまく感じる。
あ〜幸せ。

店内に入ったときは客は1組いたが、しばらくして出て行ったので店内は貸切状態。まだ11時を過ぎたばかりで、ランチには少し早かったのだろう。

出てきたターリーはアルマイトの大皿。
チキンカレー、野菜カレー、豆(?)のカレー、ヨーグルトスープそれにカレーピラフのようなもの。
量はたっぷり、2人で分けて食べても十分なほどだ。それに別皿にはナンがこれもたっぷりある。

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 チキンのターリー。

チキンカレーからいってみるか。

うまい、うまいよよく煮込んである肉も柔かい。
ピラフの米は細長いインディカ米でボロボロしているが、これもうまい。
ナンはお馴染みのもっちりしたやつとか、パリパリしたのとか色んな種類があるのね。これも焼き立てで熱いがうまい。

考えてみればインドに来てからこれが初めてのまともな食事だった。

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 ナンは食べきれないほどたくさん。

ナンは食べきれずに残したが、皿のカレーは平らげる。ビールも飲んだので腹いっぱいになった。
店員は「ビールもう1杯どうだ」と言うがさすがに断った。ていうかもう何も入らない。

ここは涼しいし、もうどこへも行きたくなくなった。少しゆっくりと過ごす。
12時には駅へ戻ることになっているので、さすがにもう土産物屋には寄らないだろう。

お会計はビール込みで700ルピー。日本ならば標準的なランチの値段だが、インド人からすればものすごい高級店なんだろうな。
店員は「チップ」と言う。言われるままに100ルピー札を追加で渡した。
チップって客に催促してもらう物か?普通。

外に出るとダディがいない。リクシャーには見知らぬオッサンが乗っている。オッサンはこの車だと招く。
ここから運転手が変わったのかと思ったら、ダディはすぐ戻ってくるとのこと。

オッサンは「ダディはどうだ?」と言うので「ヒーイズナイスドライバー」と答えた。
「そうだろう、彼はとても良いドライバーだ。だからよろしく頼むよ」みたいなことを言った。

しばらくしてダディが戻る。このまま乗って行くのかと思ったら、降りてどこかへ行った。ダディの知り合いか。

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 レストランの看板。(写っている人は全く関係ありません)

ダディ「今度は駅へ行くぞ。OKか?」
私「OK」

リクシャーは走り出す。真っ直ぐ駅に行ってくれることだろう。これで最後になる。
土産屋の事以外は何事もなく、やれやれと思う反面、もう少しあちこち見て回りたかったとも思った。
アグラはまだまだ見る所が多く、観光に丸1日時間をかけて、戻りは夜のシャタブディー急行にしても良かったかもしれない。

ダディ「ランチはどうだった」
私「ナイス、ベリーデリシャス(とてもうまかったよ)」

だいぶ気温が上がったようで、車内は熱風が吹き込んでくる。
しかもさっきのランチはカレーとビールの組み合わせ。汗が容赦なく噴き出す。インドでアルコールが御法度なのは宗教的な理由だけではなさそうだ。

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 駅へ向かう。熱風が容赦なく体に当たる。

アグラ・カント駅の、乗った時と同じ駐車場に着いたのは11:50。ほぼ約束通りの時間だ。

これも最初の約束通り600ルピーをダディに渡した。ダディはすかさず「チップ」と言う。

負けたよダディ、財布からもう100ルピー出して渡した。
言われなくても渡そうとは思っていたが。

ダディ「駅のホームにウェィティングルームがあるからそこで待ってればいい」
「悪い人がいっぱいいるから付いて行くなよ」
私「サンキュー、アイハドエンジョイ、グッタイム」

最後に握手をして抱き合って別れた。

「バーイ、サヨナラ ダディ」

土産屋に連れて行きさえしなけりゃアンタは本当に良い運転手だったよ。
それでもリクシャーに乗ってアグラの街をいろいろ見て回れたので満足はしている。

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 半日世話になったダディ。

とりあえず駅舎へ向かうが、帰りの列車は13:44発。まだ1時間40分も時間がある。
駅近くをブラブラしていればあっという間に過ぎてしまう時間だが、ここはインド。
駅前にはリクシャーの運転手がこれでもかというほど待ち構えている。また40度近い炎天下、客引きを振り払いながら歩く気はしなかった。

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 再び戻ってきたアグラ観光の玄関、アグラカント駅。


◆アグラからデリーへ

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 アグラカント駅のコンコース。

アグラ・カント駅の駅舎はアグラのセントラルステーションとしてはずいぶんと小さい。あまり広くないホールと、隣にチケット売り場があるだけ。
ホーム側にウェィティングルームはあるが、人でいっぱいだしエアコンもない。
あまり早く着いても居場所がない。ホームでは床面に座り込んでいる人がたくさんいる。ほかに居場所もないし、屋根のあるホームが一番涼しいからだ。

1番ホームは人がいっぱいだが、こんど乗る12807列車が発着する2番ホームはまだ人がまばら。ホームで過ごすことにする。

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 アグラカント駅の1番ホーム。

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 跨線橋の上から。

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 金網の跨線橋。ここが一番涼しい。

ホームの椅子に座っていると風が通り抜けて涼しい。やたらとハエがいるのと、線路から悪臭が漂うのは我慢するしかない。

線路を挟んだ向かい側に客車が停車している。行き先の表示板には『HOWRAH−NEWDELHI−SRIGANGANAGAR』とある。スリ・ガンガーナガルからデリーを経由してコルカタまで行く長距離列車。
寝台列車だが座席車もあって、そっちは客室もデッキも満員だ。
この列車、一応12:15発となっているのだが、発車時刻になっても一向に発車する気配がない。それどころかどこへ行ったのか機関車も付いていない。

アグラからニューデリーに戻る列車を予約するときに分かったのだが、インドの列車はほとんどが長距離の夜行列車ばかりで、中距離を昼行で結ぶ列車がほとんどない。
シャタブディー急行は便利だが、朝晩しか走っていないので、明るいうちに着きたいとなると長距離の寝台列車ということになる。
それでも、時間通りに来てくれればいいのだが、概ね遅れを引きずってやって来る。

今待っている列車はヘーズラット・ニザマディン行き12807列車『Samta Express』。ヴィシャーカパトナムという所を前日の朝6:25に出発し、1700kmもの距離を1昼夜かけてやって来る列車だ。アグラカント駅は13:39発、13:44発となっているが、はたしてどれだけ遅れるのか。
なお、ヘーズラット・ニザマディンはニューデリーの1つ手前の駅で、なぜかこの駅が終点となる。

アグラ〜ニューデリー間の区間列車もあるにはあるが、こちらは鈍行列車で全車自由席、所用時間が6〜7時間となるのでちょっと無理だ。

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 ホームとキオスク。

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 向かいのホームに停車中の客車。デッキが人気のようだ。

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 貨物列車が入線する。

時どき物乞いがやってくる。無視していればしばらくしていなくなる。
施しをしてもいいんだけれど、ほかの物乞いが集まってきたら困るし、ほかにしょうがない。

この後も彼らには何度も遭遇することになる。心痛むところだが、ここは『地球の歩き方』にある通りに割り切ることにする。

 “与え尽くしても際限はないし、それで事態は解決しない”
 〜地球の歩き方インド「物乞いと、どう向き合うか」


アグラ・カント 13:44
    【12807】Samta Express 
ヘーズラット・ニザマディン 16:45  

だんだんとホームの人が増えてきた。しかし思ったほどではない。
定刻の13:39になっても列車は来ない。
ホームにアナウンスがあって、聞き取れないが「トゥー」と聞こえたので2時間遅れ?
2時間で済めばギリギリ明るいうちにホテルに着けるか。

と思っていたら2番線に列車が入ってきた。どうやら2番線に変更というアナウンスだったようだ。
車体に『Samta Express』と表示があったので間違いなくこの列車だ。

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 サムタ・エクスプレスが到着。

買ってあったチケットは『スリーパー』と呼ばれる3等寝台車。エアコン無しの3段寝台である。昼間は座席の指定席車となる。
インドの長距離列車では最もスタンダードなクラスの車両となっているが、日本人が利用するには治安の面など問題も多いようだ。
別にケチったわけでなく、本当はエアコン付き寝台車にしたかったのだが、予約時にほぼ満席状態だった。それだと「WL(キャンセル待ち)」となるので、確実に予約できたこちらにしたわけだ。

だが、運賃は安い。アグラからデリーまで193ルピー(333円)。別に格安チケットというわけではない。インドの国鉄運賃は国策なのか分からないが、諸物価と比べてもかなり安くなっている。
調べたら、同じ区間を自由席の座席車であるジェネラルクラスだと48ルピー(約82円)である。
インド人にもみくちゃにされることを厭わなければ、ほとんどタダみたいな値段でインドじゅう旅行できることになる。

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 窓に鉄格子がはめられたエアコン無し3等寝台車。

指定された席はS5号車の13番。『S-5』と書かれた車両を見つけて乗り込む。
13番の座席は3人掛けの真ん中。すでに3人座っている。

「エクスキューズミー、ディスイズ マイシート」
というと詰めてここに座れといわれる。

3人掛け席に4人で座るので窮屈。
このボックスは7人いるうち5人は同じ連れのようで、この中で3時間を過ごすのはどうしたものか。

幸い上段寝台が誰もいなかったので、そこに移った。
狭いし、高い場所なので怖いが、肩を寄せ合って座っているよりは快適だ。

目の前に扇風機があって勢いよく回っているが、風は熱風。気温は40℃くらいあるのだろうか。もう暑さの感覚もマヒしてきた。
よく北海道の寒さはいわゆる寒いという感覚とは別だと言われるが、ここインドの暑さはいわゆる暑いという感覚ではない。暑いのではなく熱いと書いたほうが合っている。

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 3等寝台の車内。

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 ブンブンと熱風を送る天井の扇風機。

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 トランプに興じる乗客たち。

車掌らしき人は回って来たが検札は無し。一応座席指定のはずなのだが、席は決まっているような無いような・・・。
空いている席があれば勝手に座っているような印象だった。

物売りが頻繁にやって来る。カレーや揚げパン、チャイ、ペットボトル飲料など。
ユニフォームを着た職員のは車内販売という感じだが、私服の物売りもいて、カゴに果物などを積んで売り歩く。こちらは勝手に車内で商売している感じに見えた。

 動画『インド スリーパーの車内』2分35秒

上段寝台からは車窓は全く見えないが、車内の様子を眺めているとインド人の生活が見えて楽しい。
シャタブディー急行はエアコン付で快適だが、こうした面白さはなかった。

昼間だけの乗車なら3等スリーパーも悪くはない。しかし、ここを一夜の宿とするのはいかがなものか。

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 スリーパーの座席。夜は3段寝台になる。(終点で撮影)

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 通路と平行になるサイド席。こちらは夜も2段で使用されるお得席。(同上)

途中でカミナリが鳴り、ものすごく強い雨が降り出した。夕立なのかスコールなのか。
皆一せいに窓を閉める。車内がムシムシする。しかしこれで少しは気温が下がるか。
定時では16:44着ということになっているが、まだ着きそうな感じはない。

この列車、やたらと運転停車が多く、遅れはだんだん増しているようである。
17時近く、またどこかで停車する。今度は長い。5分経っても10分経っても動かない。
車内放送も一切なし。車内の乗客たちは気にしていない様子。

20分くらいしてからようやく動き出した。

終点のヘーズラット・ニザマディンに着いたのは17:25。約40分の遅れだった。
この列車は前日の朝6時台に出発した列車であることを考えれば、ほぼ定時運転だったということになるのだろう。

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 ヘーズラット・ニザマディン駅。デリー南側のターミナル駅といった位置づけ。


◆再びデリーにて

デリーへは戻ってきたものの、ここからホテルのあるニューデリー駅まで行かなくてはならない。
線路は繋がっているのだから、別な列車に乗り換えればいいと思ってしまうが、発着する列車はどれも長距離ばかり。そう都合よくニューデリー行きなんてあるはずもない。
EMUと呼ばれる近郊電車もあるが、こちらは日に数本しか走っていない。

ということで便利なオートリクシャに乗ることにした。

駅を出ると待ってましたとばかりに客引きの運転手が集まってくる。
「ヘイ、どこに行くんだ」「俺のに乗って行けよ」

私「ニューデリーステーションへ行きたい」
デリーでのリクシャの相場などわからないが、とりあえず「ヒフティー(50)」というと誰もが渋い顔をする。

「50、OK」という運ちゃんがいた。赤いターバンを巻いたその運ちゃんについて行く。リクシャでなく普通のタクシーだった。
車に乗ると350だという。話がちがうじゃないか。「ノー、50オンリー」と言って車を降りた。
別に350でも良かったんだけどね。

ただ、アグラでお金を使いすぎて、財布には500ルピー札2枚と10ルピー札が8枚しか残ってなかった。
着いてから500札出して、お釣り無い500もらうよなんて言われたら困る。

止まっていたリクシャに「ニューデリー駅まで行きたいが幾ら?」と聞くと「200」と返ってきた。
もう面倒だし、言い値の200でいいや。
「OK、そのかわりお釣りある?」というと、別な運転手を呼んできて100札5枚に両替してもらった。
その中から200ルピーを運転手に渡して出発。

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 200ルピーでニューデリー駅へ向かうオートリクシャ。

行き先をホテルではなくニューデリー駅としたのは、ホテルの場所を説明するのが面倒だからということもあるが、ちょっと寄りたい場所があったからだ。

リクシャーは便利だ。運転手は外国人と見ると料金をふっかけてくるが、それでも金額は知れている。値段交渉しだいでは安くなるのかもしれないが、交渉するのは面倒だし時間も勿体ない。チップ込だと割り切って、言い値で乗るのも一つの手だろう。

ニューデリー駅へは30分ほどで着いた。
駅には用はないが、リクシャは駅前広場に入ろうとする。

突然数人の男が車をさえぎって「ここからは入れない」と叫んだ。
運ちゃんは「ここから先は行けないから降りてくれ」言った。

車から降りようとすると男の1人が自分の身分証らしきものを見せて、
「ここから先はチケットがないと入れない、チケットを見せろ」と言う。

男「リクシャに料金払ったのか」
運「いや、もうもらってるよ・・・」
男「ほら、チケットを出せ」
私「チケットなんか持ってないよ、列車に乗るわけじゃない」

これが噂に聞いていた駅のチケット詐欺か。
なんだかワーワーやっている隙に逃げ出した。

ここからホテルまでは歩いて戻る。
途中で寄ったのが『WINE&BEER SHOP』と看板のある店。地球の歩き方の地図にも『酒屋』の名前で載っている。
すっかり汗だくで、ホテルに戻ってシャワーを浴びてから冷たいビールを飲もうというわけだ。

狭い入口はインドの飲兵衛が出たり入ったり。
飲酒に厳しいインドでは酒が手に入る場所はこういった酒屋に限られている。

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 ワイン&ビールショップ。飲兵衛にとっては貴重な店。

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 インドの飲んべたちが押し寄せ大繁盛。

店内のカウンターで商品名を言うと取り出してくる対面販売。2か所あるカウンターは押し合いへし合いで大繁盛。ていうか、俺が先だ、俺が先だというほど殺気ムンムン。
こいつら全員アル中か(人のことは言えんけど)

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 押せ押せとばかりにアル中 客が詰め寄るカウンター。

自分の番が来たので見えていた『カールスバーグ』を3本取ってもらう。「ハウマッチ」と聞くと300ルピー。ロング缶でよく冷えている。1本100ルピーとは意外と安かった。

ホテルの部屋に戻ってビールは冷蔵庫へ。
もう下着はベショベショ。体もベタベタする。着ていた服を脱ぎ捨ててシャワーへ。

さっぱりして飲んだビールがうまかったこと。ようやく生き返った思いだった。

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 カールスバーグはデンマークのメーカー。象のイラストがインドらしい。

ビールを2本飲んだら腹が減ってきた。
ちょっと外に出てみる。
8時ごろだが、ホテル前の道はまだ賑やか。屋台も出ている。

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 ホテル前の夜景。

コンビニやスーパーがあればいいのだが、そういう店は無い。1軒だけ商店があったので入ってみたが、食べ物はスナック菓子のようなものしかなかった。店を出てまたホテルに戻る。

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 夜のホテル街。怖い感じはなかった。

ホテルの1階にレストランがあるのでそこに入った。
メニューはここも英語。何となくはわかる。カレーは昼に腹一杯食べたので、別のものがいい。
パスタがあったのでパスタ欄の適当なのを指差して「テイクディス(これをください)」と言った。
ウェイターに「ドリンク?」と聞かれたので試しに「ビア」と言って見ると、「ここではだめです、お部屋ならOK」と言われた。部屋まで持ってきてくれるという。部屋ナンバーを告げて、部屋に戻った。ルームサービスになってしまった。

しばらくするとさっきのウェイターがビールを持って部屋に現われた。150ルピーと言うので払う。
ウェイターは「フロントにはナイショよ」と言った。どうやら酒屋で買ってきてくれたらしい。もうすでにビールは飲んでいたし、何だか悪いことしたな。

それからまたしばらくしてパスタが来た。さっきとは別の人。支払は明日フロントでいいとのこと。

パスタはクリームパスタだった。味は特にどうと言うことはないが、まずくはない。まあまあ。

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 クリームパスタとビール。ビールはキングフィッシャー。

冷蔵庫にはビールがもう1本。これも飲んでしまおう。

ビール計4本。さすがに酔っぱらった。猛烈に眠くなってきたので、今日はもう終了します。
明日は夕方にニューデリーを出発する寝台列車でコルカタへ向かいます。

それにしても、今朝ホテルのこの部屋を出たのがもう1週間も前のような気がする。
長い1日だった。



posted by pupupukaya at 17/06/10 | Comment(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記3 アグラへその2

◆マターブバーグ(タージマハル)編

ダディ「次はマターブに行くぞ、いいか?」
私「オーケー」
と言ってリクシャーはイティマド・ウッダウラー廟を後にして走り出す。
このあともダディは出発するごとに次の行先を確認するのだった。

いかにも下町といった、町工場や商店が並ぶ道を行く。
ゴミだらけの道端は、軒先に座り込んで駄弁っている男たち、しゃがんで洗い物をする主婦、子供達がチョロチョロ。あと、色んなものが混じりあった鼻を突くような匂い。
吹きさらしの車窓(窓はないけど)からは普段着の暮らしぶりが見える。

エアコン付きチャーター車でも通る道は同じだろうけど、同じ風景に見えただろうか。リクシャーに乗って良かったと思った。

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 生活感のあるストリート。

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 野良犬をやたらと見かけた。

街中を抜け、道の両側に畑が広がるようになる。郊外まできたようだ。
道の突き当りがお土産を並べた売店が並んで観光地らしくなっていた。

せっかくアグラまで来たのだが、タージマハルは今日は金曜日のため休み。
せめて裏側から見ようとこのマターブバーグまで来たわけである。

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 マターブバーグの駐車場から。

タージマハルは、17世紀、ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが皇妃ムムターズ・マハルのために建てた白大理石の巨大な墓である。
自身の墓は、ヤムナー河を隔てた対岸にタージと対照となるように黒大理石で建てる計画だったが、息子である第3皇子のアウラングゼーブによってアグラ城に幽閉され、叶わぬ夢となる。

白大理石を使用した広大な建物はユネスコの世界遺産に登録され、今では年間700万人の観光客が訪れるというインド観光のシンボル的存在になっている。

今着いたのはタージマハルのちょうど対岸。世が世なら『黒タージ』が建てられるはずだった場所。
現在は『マターブバーグ』と呼ばれ、英国式の庭園となっている。

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 広々としたマターブバーグ。

車を降りてダディと入口へ。
お土産の小物を持った子供が何人も寄ってくる。ダディはガン無視。自分もそれに倣って無視を決め込む。
入場料は200ルピー、チケット売り場で買う。
中は庭園というか普通の公園のような感じ。

おおー、あれがタージマハルか。

来る途中で何回か見かけた姿だが、遠くからなのでスモッグで霞んでいた。ここからははっきり見える。
ダディは木陰のベンチに腰かけて、「ここで待っているから」と言った。

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 ヤムナー河対岸から見るタージマハル。

今は広い河原だが、雨季ならば川幅も広がって、川面に映るタージが見られたのかもしれない。
もっと時間があれば、腰かけて夕日に染まって暮れゆくタージを眺めてみたいものだ。

あちこちに朱色の花をつけている木があって、白い大理石のタージマハルと好対照に見える。
あとでダディに聞くとグルモールと教えてくれた。

調べたらグルモールはインドでは真夏の花。日本では『鳳凰(ほうおう)木』といい、なるほど燃えるような朱色の火の鳥が飛び立つようにも見える。

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 朱色のグルモールの花とタージマハル。

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 朱色の火の鳥が羽ばたくグルモール。

金曜でなければ中に入って美しい壁面も見られたのだろうが、タージマハルの実物を見られただけでも満足だ。
一部に改修中の足場が組まれていたのは少々残念だった。2017年の5月から2か月間本格的な改修工事に入るようなので、行かれる方はご注意を。

庭園には石積みの土台や瓦礫が転がっている場所があって気になったが、これは『黒タージ』ではなく、ムガル帝国時代にあったレクリェーション施設の跡で、当時はプールや噴水があったがヤムナー河の頻繁な洪水で破壊されたあとはすっかり忘れ去られたものの、1990年代に発掘されて日の目を見ることとなった。

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 ここに黒タージが建つはずだった。ムガル時代の遺跡が夢の後。

ここマターブバーグは人も少なく静かで、のどかな公園といったムードだった。
タージマハルは見たいが、人混みと高い入場料(1000ルピー)は嫌だと言う人はこちらをおすすめします。

長いこと居たような気がするが、20分くらいしか経っていない。
見るものと言えば対岸のタージマハルくらい、いくら美しくても20分もすれば飽きる。

ベンチで待っていたダディとリクシャーに戻る。
「次はアグラジョウへ行くがいいか?」
アグラジョウってどこだ?
英語で「アグラフォート?」と聞くと、そうだと言った。

ダディはアグラ城を『アグラジョウ』と言う。英語なら『Agra Fort』、ヒンディー語では『アグラキラー』である。
やっぱり日本人慣れしている。普段は日本からのツアー客を相手にしているのか、毎朝駅前で日本人客を待ち構えているのか知らないが、まあ悪いようにはされないと思うが。

基本は英会話でのやり取りだが、時どき日本語を混ぜるのでこちらを混乱させる。

そのアグラ城はインサイドとアウトサイドがあって、インサイドは入場料500ルピー、アウトサイドはフリー(無料)だと言う。どっちにするか聞かれて、フリーの方にしようと思いかけたが、せっかく来たんだからお金払ってもちゃんとしたのを見ておこうとインサイドの方をお願いした。

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 再びリクシャで出発。

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 道路を歩く牛の群れ。

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 また街中のストリートを通る。

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 南国らしいのんびりとしたムードも。

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 鼻を突く匂いも。画像でお伝えできないのが残念。


◆アグラ城塞編

リクシャーはアグラ城入口に行くのかと思ったら、少し離れた駐車場に入った。
ダディは「マイパーキング」と言った。
「30分で戻ってきてくれ、ここで待っているから」

駐車場からアグラ城の入口であるアマルスィン門へは広い道路を渡る必要があるのだが、車がビュンビュン通る道路は信号など無く、一応横断歩道はあるのだが、止まる車などあるはずも無い。

車の切れ目をねらって走って向こう側へ渡った。怖いなあ。

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 アグラ城入口。右がチケット売り場。

500ルピーのチケットを買って行こうとすると、ガイドと称する男たちが寄ってきた。
ノーノ―と言ってもしつこくついてくる。
英語でガイドされてもこっちは分からんのよ。それに30分で戻らねばならないし。

あんまりうるさいので、振り向いて
「オー、ミスター ノーサンキュー」
と言ったがそれでもついてきた。あとはひたすら無視。もぎりの所でいなくなった。

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 赤砂岩で築かれた要塞壁。

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 そそり立つ城壁。高さは21.4mある。

アグラ城は正式には『アグラ城塞(Agra Fort)』という。城壁の色から、別名『ラールキラー(赤い城)』とも呼ばれている。
完成は1573年。ムガル帝国第3代のアクバル大帝がデリーからアグラに遷都する際に築かれた、ムガル帝国最盛期の象徴でもある。
第4代、第5代の時代にさらに増築されている。
その後、タージマハルを造った5代皇帝シャー・ジャーハンがアグラ城に幽閉され、第3皇子のアウラングセーブが6代皇帝に就くと再びデリーに遷都となった。

以上はネットで仕入れた知識だが、ムガル帝国の歴史は複雑で、私の頭が痛くなってきたのでこのくらいにしたい。

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 内側から見たアマル・スィン門。

坂道を登っていくつかの門をくぐると広い中庭に出た。
ここも綺麗に整っていて、街中の喧噪とは正反対に静かで落ち着いている。

中庭の一番奥まで行くと、門があって鉄扉が閉まっている。この先はまだ続いているが、この先は行けないようだ。
高い入場料を取る割には見るものはこれだけか。

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 アグラ城の広い中庭。

しかし暑い。今は10時を少し過ぎたところ。だんだん気温が上がってきた。
日なたを歩いていると倒れてしまいそうだ。

中庭にある大きな建物に人が集まっている。
行って見るとここは日陰で、風が通り抜けて涼しい。しばらくここで休憩する。

ずっとバッグの中に入れていた車内サービスのペットボトルの水はすっかりお湯になっていた。それでも喉が渇いているので、飲むとうまい。

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 一般謁見の間(Diwan-i-Am)。

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 奥が玉座。ここでお祈りする人もいた。

中庭はぐるりと壁に囲まれているが、入ってきたのとは別の出入り口へ行ってみるとまだ続きがあった。
入るとまた中庭があって、今度は白い大理石で囲まれていて、アングリー庭園という名がついている。

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 ムガル第5代シャー・ジャハーン帝によって建築されたアングリー庭園。

3代帝アクバルと4台帝ギール時代の建築は赤砂岩だが、大理石の建築はタージマハルの5代帝ジャハーン時代のもの。
正面に見えるこれも大理石の建物はシャー・ジャハーン帝の神殿と呼ばれ、帝はそこから沐浴する女性たちを眺めていたという。

愛妃の墓であるタージマハルを建てたり、晩年は幽閉されたりとセンチメンタルな面ばかり伝わるジャハーンだが、若いころは結構な遊び人だったんでしょうかね。

アクバルとギール時代の建造物は現地産の赤砂岩だが、ジャハン時代のものは大理石である。ムガール帝国の皇帝の心など察することはできないが、だんだん贅沢になって国が傾くというパターンではあるようだ。
 〜宮脇俊三著 インド鉄道紀行より

庭園や宮殿など贅を尽くした造りになっていて見ていたら結構面白い。
アグラに来るまでは正直、タージマハルが見えるマターブバーグまでの行き方しか頭になかった。ここアグラ城は来てみるとなかなか見ごたえがある。
30分で戻るという約束なので、どこも歩いて通り過ぎるだけだったが、もっと時間を取ってもよい所だった。

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 ジャハンギール宮殿の屋上。

宮殿の屋上に出ると、窓のところに人だかりがしている。
覗いてみると、ヤムナー川の河原が眼下に広がり、遠くにタージマハルが見えた。

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 アグラ城から見えるタージマハル。

失脚し、息子のアウラングゼーブによってアグラ城に幽閉された5代帝シャー・ジャハーン。74歳で亡くなるまでの8年間、自らが建てた、また愛妃が眠るタージマハルを眺めて暮らすことになる。

ここから眺めるヤムナー河とタージの風景はジャハーンが生きた17世紀から変わっていないんだろうな。
失意の中、毎日タージを眺めて過ごしたのだろうか。対岸には自らの墓になる黒タージが建つはずだった。

 ”露と落ち露と消えにし我が身かなタージのことは夢のまた夢”
 〜それは豊臣秀吉公の辞世でっせ。

結局黒タージは幻と消え、ジャハーンの棺はタージに眠る愛妃の横に安置されることになる。

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 雨季ならばタージが河の水面に浮かぶように見えるという。

約束の30分は10分ほどオーバーしたが、門を出てリクシャーが待っている駐車場へ向かう。
待ってましたと客引きの運転手が声をかけてきたが、
「マイドライバーイズ ウェイティング」と言うと去って行った。このフレーズは使えそうだな。

続いてやって来たのがガイド本売り。
「コリア?チャイニーズ?ジャパニーズ?」
無視するのがいいんだろうけど、一緒くたに呼ばれるとつい「ジャパニーズ」と答えてしまう。

ノーノ―と言ってもしつこくついてくる。最初は30ドルだったが、20ドル、15ドルとどんどん値を下げる。が、いらん物はいらん。そもそもドルなんて持ってきてないし。

駐車場までついてきた。助けてくれダディ。
ほかの運転手と駄弁っていたダディが追っ払ってくれた。やれやれ。

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 アマル・スィン門の交差点。渡るのが一苦労。


◆土産物屋編

リクシャーに乗り込む。これで最初に約束していた観光地は全部回った。
次の約束はショッピングとランチである。
ショッピングとは土産物屋のこと。連れて行って買わせるとコミッションが入るので、観光客相手では一番の腕の見せ所であろう。

ダディ「ビフォー ショッピング アフター ランチ OK?」
私「ヤー」

はっきり肯定は「Yes」、生返事は「Yeah」と使い分けていたが、そんなことインド人に通じるはずもない。

まだ旅行は序盤なので荷物が増えるのは困るが、小物くらいなら買ってもいいかなとも思っていた。
リクシャーはどこへ向かっているのかわからない。このときのダディーが一番得意顔だったような気がする。

着いたのは衣料品店のような店。

ダディ「さあ、日本人のお客さんを連れて来たよ。品物を出してやってくれ」
なんて言ってたのかわからないが、多分言っていたんだろう。

しかも品物を選んで自分でレジへ持って行くような店ではなく、対面販売。
また面倒な店へ連れてきやがったな。

店員はスカーフ出して何枚か並べる。シルクだという。触ってみると肌触りは悪くない。
店「彼女にでもどうだい」
うーん・・・
こういう物の良し悪しなどさっぱりわからない。

店「サリーもあるよ」
いやいやいや、そんなん日本に持って帰っても誰も着ないから。

だまっていると、次から次へと品物を出して並べる。
あーわかった分かった、スカーフ1枚買うよ。
私「ハウマッチ?」
店「1500」
値札もないし、相場も分からないので高いのか安いのか。多分相当ふっかけているんだろうけど。

もうヤケになってきた。
私「ドゥーユーディスカウント?」
店「いくらならいいの?」

台の上に電卓があったので、借りて『1000』と打ち込んだ。

店「それは無いわ、1300」
私「1100」

結局1200ルピーで交渉成立。

店「お客さん、もう1枚お母さんにどうね」
店「紅茶もあるよ」
私「ノーサンキュー、エネオスエネオス(もう十分)」

ダディは終始ニヤニヤしながらこっちを見ていた。
スカーフ1枚買って店を出る。

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 シルクのスカーフ1,200ルピー也。

ダディ「ダイリセキに興味ないか、ダイリセキ、いい店があるよ」
ダイリセキって何だ?
ショッピングも1店だけじゃ済まさないつもりなんだろう。いいよいいよ、行ってくれ。

また街中をしばらく走って、小さな工場のような所に入って行った。リキシャーが壊れて修理工場にでも寄ったのかと思ったが、着いたという。

ダディに招き入れられるまま中に入ると、石の加工場だった。狭い部屋だが職人たちが石を削ったりしている。
ここでダイリセキの意味が分かった。大理石ね。
ダディは時々日本語を混ぜるから訳が分からなくなる。

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 さいしょは車の修理工場かと思った大理石屋。

中で座らされると、ダディが「彼がティーチャーね」という人物が現われた。
店員風ではないし、社長かな。どちらでもなさそう。
横に座り、どこから来たかとか、どこに行って来たかなどあれこれ聞かれる。

それから大理石の工芸についての説明。
「これはアグラの伝統工芸で、タージマハルから受け継がれた技法・・・」
正直興味ないので聞き流す。

「どうだい、商品を見て行かないか?」
もう早く出たいので「ヤー」と答えると、
「よしっ、店内へカムイン」

外見は修理工場に見えたが、店の中は上等な工芸品店という感じだった。でも高そうだな。

ティーチャーは皿を出してきて並べた。
テ「どうだいいいデザインだろう、特別に50ドルだよ」
私「ドル持ってないよ。ルピーで言ってくれ」
3220ルピー?上等な物かも知れないけど皿1枚に6000円近くも出せるか。それにこんな物バックパックに入れて持ち歩けないよ。

私「エクスペンシブ。もっと安い物はないの?」
テ「これなら1000ルピー」
と出したのは大理石で出来た象の置物。手のひらに乗るサイズで、これなら悪くない。
テ「2個なら1800ルピーにするよ」
テ「小物がいいの?ほらマグネットも2個付けるよ、3200だけど全部で3000でどうだい

私「まだ高いよ。ディスカウントプリーズ」
テ「いくらならいいんだい」

ティーチャーの持っていた電卓を借りて、少し考えて2000と打ち込んだ。
テ「おいおいおい、このゾウ1個で1000だぜ、そりゃないだろう」
さすがにちょっと引き過ぎたかな。2300と打ち込む。
テ「じゃあ10%引きで2700でどうだ?」

別にどうしても欲しいわけじゃないし、売ってくれないのならそれはそれで結構なことだ。
私「ノーサンキュー、バーイ」
背を向けて外に向かいかけると、
テ「ヘイ サー、わかった、トゥーサーザンシックス、2600、これでカンベンしてくれ」

もう面倒になってきてOKを出した。

お金を払おうと財布を見たが、2600ルピーを払うとほとんど無くなってしまう。このあとランチもあるし、現金がなくなると困る。
仕方がない、少々心配だがクレジットカードで払った。
小物4個で約4600円。ずいぶんふっかけられたという感じは否めない。

テ「ところでこの小物入れは彼女にでもどうだい?2000でいいよ」
さすがにそれは何とか断った。

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 大理石のマグネットと象の置物。2,600ルピー也。

ダディの姿が見えない。車で待っているのだろうか。

ティーチャーはまあゆっくりしていけよとソファーをすすめる。
テ「こちらのお客さんに飲み物を持ってきてくれ。ヒーイズ マイゲスト」
しばらくしてビンにストローが差されたペプシコーラが運ばれた。
テ「ノープロブレム、ディスイズフリー」
金は取らないようなのでペプシをいただく。ずっと炎天下の中リクシャーで来たので冷たいペプシがうまい。

ティーチャーと色々話をする。と言っても片言の英会話なので大した内容ではないが。

テ「トリップアドバイザーを知っているか?この店は5つ星なんだ」
壁にはトリップアドバイザーの張り紙がある。
彼は嘘は言っておらず、後でネットを見たらトリップアドバイザーに店が載っていた。

テ「俺の奥さんは日本人なんだ」
ちょっと奥さんに会ってみたくなったが、話が長くなるといけないのでそれは言わなかった。

テ「君のヘアスタイルはとてもナイスだ」
最近は短く刈り上げている髪の毛だが、お世辞にもオシャレとは言えないと思っていた。ただ剛毛なので、触るとブラシのようではある。
ティーチャーは私の髪の毛が気に入ったのか、何度もナデナデした。

ペプシを1本空けたところで、ではそろそろと退散することにする。
テ「サンキュー、マイフレンド、バーイ」
「バーイ」

ダディは車にいた。
ダディ「いいものはあったかい?」
私「ああ、象の置物を買った」
ダディ「次はリング(指輪)はどうだい」
もういい、カンベンしてくれ。

私「アイムハングリー、アイワナランチ」
ダディ「何が食べたい?」
私「インド料理がいいな」
ダディ「インディアンフード?OK」

時刻は11時過ぎ。ランチには早いが12時までに駅に戻る約束なのでちょうどいい時間だろう。
今度はどこへ向かうのか。リクシャーは街中を走る。

いや〜、それにしても疲れた。


posted by pupupukaya at 17/06/04 | Comment(2) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記2 アグラへ

◆2日目 4/28 旅程
 ニューデリー〜(鉄道)〜アグラ
 アグラ〜(鉄道)〜ニューデリー

今日から一人歩き。

デリーでは最初の方で2泊、最後に1泊することになる。
デリー滞在の中日にあたるこの日は、列車でどこかへ行こうと考えていた。

インドと言えばタージマハルだよなあ。タージマハルがあるのはアグラ。
私は有名観光地というものにあまり興味を持たない人なので、誰もが行くからって、わざわざ行く気にはならなかった。
街の中を歩いたり、スーパーや市場を覗いたりする方がよっぽど楽しい。

ニューデリー駅からどこか日帰りで行けるところを、列車の時刻を調べたりしていたが、案外と難しかった。
ジャイプルまでは片道4時間半。日帰りで行けるが、戻りがどうしても暗くなる時間になってしまう。駅から歩いて数分のホテルとはいえ、夜道を歩くのは避けたかった。
アグラならば片道2〜3時間で、アグラ観光をしても明るい時間にはデリーに戻ってこれる。

失敗だったのは金曜日になってしまったこと。タージマハルは金曜日は休みになる。
中には入れないが、川の対岸のマターブバーグという所からも見ることができるようだ。

ということでアグラ行に決定した。往復の列車チケットも出発前に購入してある。

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 ニューデリーからアグラまでの略図。


 ニューデリー 6:00
    【12002】Bhopal Shtbdi 
 アグラ・カント 7:57  

今日乗る列車は『シャタブディー・エクスプレス』と呼ばれる高速列車で、デリーから各都市に向けて運転されている、全席食事つきという飛行機並みの豪勢な列車である。

朝5時半にホテルを出る。もう明るくなっていた。
歩き出した途端、道端に停まっているリクシャーの運転手からやたらと声がかかる。
「ヘイ、ジャパニ?」
「where do you go?」
ノーノ―と言って歩く。どこへ行ってもこんな感じなのだろうか。今から気が重くなる。

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 早朝のニューデリー駅。

駅に近づくとこんな時間から車で溢れかえっている。道端は座り込んだり横たわったりする人がいっぱい。
やっぱり夜は歩きたくないな。

ニューデリー駅は大きな駅を想像していたが、意外と小さい駅だった。入ったところが吹き抜けのホールになっていて、電光掲示板に発車する列車とホームが表示されている。

駅で夜明かしした人なのだろうか、床に横になっている人が多数。それも、もっと隅の方で横になればいいものを、真ん中で堂々と横になって寝ている。何となく昔の上野駅の雰囲気を思い出した。

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 ニューデリー駅のコンコース。

改札口はないが、ホームに入るところにセキュリティーゲートがあって、空港のX線装置のような機械に持っている荷物を通す。
並んでいるが、脇からすり抜けて通る人もいる。何のためにあるのかいまいちわからないゲートだった。

乗る列車は『ボーパール・シャタブディー(Bhopal Shtbdi)』という名前がついている。その名の通りボーパールまで行く列車で、デリーから約700kmを6時間25分で結んでいる。

途中停車駅のアグラまでは195km、1時間57分となっていて、最高速度は150km/h、インド国鉄ご自慢の特急列車といったところ。
優等列車にふさわしく、ゲートを出てすぐの1番ホームに入線していた。

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 シャタブディーエクスプレスが停車するニューデリー駅1番ホーム。

列車のチケットは、E-チケットを印刷して持ってきた。指定された席番もチケットに表示されている。
自分の乗る車両はE1号車。奮発してエアコン付1等車にした。それでもアグラまで1,068ルピー(1,879円)は安い。2等だと680ルピーになる。日本円にして600〜700円の差額なら1等にした方がお得だろう。

E1号車を探して歩くが、ずっと2等車が続く。一番後ろまで来てしまった。1等車は逆方向だった。
荷物車2両を含めて18両編成。またホームの端から端へと歩く。早めに来て良かった。

先頭に機関車が付く客車編成。次位に荷物車、1等車2両、その後ろはすべて2等車となる。
機関車の写真を撮ったが、手前の荷物にピントが合ってピンボケに・・・

インドの鉄道は基本的に撮影禁止。ホームには警官も多いので見つからないようにしたい。

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 先頭の機関車。これ1台で18両の客車を牽引する。



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  荷物車では積み込みが行われている。

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 客車の出入り口。

指定された席は通路側だった。窓側にはビジネスマンらしいインド人がいた。
超特急列車の、しかも1等ということもあって乗客の身なりは良い。外国人の乗客も目立つ。

余程車体が大きいのか、ゆったりした幅の座席が4列あっても通路は広い。2等だと日本の新幹線と同じく2列+3列の並びとなる。
インドのレール幅は1676mmで、普通の鉄道としては世界一広い(日本は1067mm、新幹線で1435mm)。そのためか車体も大型になっている。

ニューデリー駅は定時に発車。朝早いが席は大体ふさがっていて、人気の高い列車とうかがえる。
これは、ほかに都市間を結ぶ適当な昼行列車が無いこともあるのかもしれない。
これも出発前に調べてわかったことだが、朝早くに出発するシャタブディー以外では、急行列車は長距離の寝台列車ばかりになってしまうのだ。

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 エアコン1等車の車内。クルーがサービスに回る。

発車するとサービスが開始される。全員に新聞が配られる。続いて水と紙コップが配られる。水はたっぷり1Lのボトル。

それから車掌が検札に回ってきた。印刷したE-チケットを見せる。隣の客はスマホの画面を見せていた。必ずしも印刷する必要は無いようだった。

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 出発前に印刷して持って行ったCleartripE-チケット

ネットで情報収集していると、駅でこのチケットではそのまま乗れないだとか、コンファームが必要とか言う人が現れて、怪しげな旅行会社に連れて行かれたなんて話をよく目にした。
実際は印刷しただけのチケットで全く問題ナシ。

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 新聞が配られる。読めないけど。

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 水のサービス。紙コップ付き。

客車は揺れこそ少ないが、ずいぶんとスピード感がある走りっぷり。この列車のMAXは150km/h、外を見た感じででは120〜130km/hだろうか。日本の旧型客車を100km/h以上で走らせたらこんな乗り心地かなと思うような堂々とした走りっぷり。

そんな中、次から次へとクルーが現れる。ジュースが配られ、今度はコーヒーか紅茶。インドなのでここは紅茶にした。カップと皿は陶器製。紙コップでいいんじゃないか、運んでくるだけで大変だ。

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 最初に出された紅茶とジュース。カップと皿は陶器で本格的。

紅茶のカップは一旦下げられる。
次に配られるのは袋入りの食パンとコーンフレーク、それにバナナの乗ったトレイ。器にはホットミルクが注がれた。これにコーンフレークを入れて食べる。さっきの紅茶の後だからどんなものが出されるのかと思ったら意外と軽食だ。朝だからこんなものか。

インドでは食べ物を持つのに左手を使うのはタブーとされている。しかし、車内の人を見ていると左手を使っている人も結構いたり・・・

隣のインド人客はサービスなぞ要らんとばかりに、ずっと眠っている。

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 コーンフレークと食パン。朝食だからこんなものかと思っていたら・・・

そうこうしているうちに最初の駅マトゥラーに到着。アグラまではあと30分少々。
これで終わりかと思っていたら、また。ベジかノンベジか聞かれたのでノンベジと答える。
隣の人はいつの間にか起きていて、ベジと答えていた。

アルミの容器に入っていたのはオムレツだった。車内で調理しているのか熱い。
一方ベジの方はと見ると、コロッケのようなものが2個。ベジにすれば良かったかな。

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 最後にオムレツがやってきた。これだけは使い捨てアルミ容器。

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 アグラまでの車窓はずっとこんな感じ。

アグラまでの2時間は次から次へとサービスがやってくるのであっという間だった。

8時過ぎ、5分ばかり遅れてアグラ・カント駅に到着。観光都市なのだが一緒に降りる人は意外と少なかった。金曜でタージマハルが休みだからか。

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 アグラ・カント駅に到着。

エアコンの効いた車内から出ると暑いかと思ったらそうでもなかった。今日のアグラの最低気温は26℃で最高は38℃。涼しい朝のうちに観光をするのが吉だろう。


◆アグラ半日観光

アグラは人口約157万人。世界遺産に登録されているタージマハルやアグラ城がある観光都市でもある。インドを旅行した人ならば必ずや訪れる都市だろう。
それにもかかわらず、駅はこじんまりとした印象だった。

さてこれからどうするか。

駅舎から外に出たら、タクシーやリクシャーの運転手たちが待ってましたとばかりに寄ってきた。
人が多いとはいえインド人ばかり。今のシャタブディー急行で降り立った人たちの中に、自分以外で外国人らしい人はいないようだった。肌の白い東洋人は目立ってしょうがない。

アグラへ来たからにはタージマハルが見たい。が、今日は休みなので、対岸にあるマターブバーグへ行こうと思っていた。
ちょっと駅から歩いて行ける距離ではないし、交通機関もあるのかないのかわからなかった。

タクシーに乗る必要があるし、乗る前に値段の交渉もしなくてはならないのだが、こう俺が俺がと寄ってこられると、どうしたら良いのかわからなくなる。

客引きの運転手はとにかくインチキや暴利が多いと聞いていたので、少し離れたところにいる車をつかまえたほうが良いだろう。

歩き出すと群がる客引きのおっさんの一人が、
「Are you from Japan?」「タージマハル?」
思わずイエスと答えてしまった。
カモ確定?

そのおっさんは身分証を見せてきた。ちゃんとした運転手だということか。それでも胡散臭いのでノーと言って歩き出す。
ずっとついてくる。何度も身分証を見せ、とにかく正式な運転手だ、心配いらないというようなことを何度もアピールしてくる。
試しに「How much?」と言ってみると800ルピーだと言う。それでまたノーと言う。とにかく断る口実を考えていた。
ほかの運転手も寄ってくるが、そのおっさんが追っ払う形になっていた。

どこまでもついてくる。断ったところで別の運転手を見つけなくてはならないし、根負けした。

 ※やりとりは以下日本語にします、基本中学生程度の英会話ですが・・

運「いくらならいいんだ?」
私「マターブバーグへ行って、12時までに駅に戻ってきたい。500では」
運「マターブだけかい?ほかにいくつか回って600ならどうだ」
私「OK、そのかわり600オンリーだ」

交渉成立。600オンリーと何度も念を押したのでまあ大丈夫だろう。ずっと歩いていたので駅からは離れてしまった。
運転手のあとをついて歩く。どこまで行くんだろうと思ったら、駅前の駐車場だった。
これに乗れという車は黄色と緑のツートンカラーが目立つオートリクシャ―。デリーでも多く見かけた。

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 オートリクシャ―の運転手について行く。

運「行くのはマターブバーグ、アグラ城、ベビータージ、バザール、ランチ、OK?」
バザールと言うのが気になったが、とりあえずOK。

運転手の名前を聞いたが忘れてしまった。ここではとりあえず『ダディ』としておく。

ダディ「ワッチュアネーム?」
ファーストネームで答えると、ダディはその名で呼ぶようになった。

ここも昨日のデリーで乗った車のようにクラクションをビービ―鳴らしながら交差点に突っ込んで行く。

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 ドアがないので風を切って走る。

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 とにかく入り乱れる道路。一応4車線道路なのだが。

オートリクシャ―はドアがないので風が容赦なく入る。もちろん埃も排気ガスも。

ダディ「まずベビータージに行く、それからマターブバーグねOK?」
私「Yeah,OK」

タージマハルは今日はオフか?と聞いてみると「イエス、フライデーイズオフ、エブリウィーク」。
やっぱりか、残念。

「インドにはどのくらい居るんだ」「日本はどこから?東京?大阪?」「日本ではゴールデンウィークなのかね」
いろいろ聞かれる。

アグラにはデリーから日帰りだと言うと、「オー、ベリーショート」。

ダディ「仕事は何してるんだい?」
会社員?どう答えるんだろう。
「ジャパニーズ カンパニー エンプロイー(従業員)」
まあ通じたようだった。

「Girl friend?」「Married?」
なんて答えたかなあ。

ダディ「俺は日本語をいくつか知っている」
「コンニチワ」「オハヨウゴザイマス」「サヨウナラ」

そのうちバラが咲いたの歌を日本語で歌い出した。ダディと一緒になって歌う
日本人の扱いに慣れているような印象だった。

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 画像ではお伝えできないが、とにかくビービ―とやかましい道路。

どこをどう走っているのかわからないので、ちゃんとまっすぐ向かっているのだろうか。乗ってしまった以上は運転手に任せるほかはない。
まだ、変なところへ連れていかれたらどうしようという不安は消えてなかった。

ダディはあそこにサル(monkey)がいると言って車を停めた。写真を撮れと言う。オッケー、サンキュー。また走り出す。

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 こちらは野良牛(?)とサルの群れ。

最初にまず着いたのが庭園のような場所。ダディいわく『ベビータージ』とのこと。
道路わきに車を停めて、ダディは「ここで待ってるから」と言った。

中に入るとチケット売り場があった。200ルピー。500札を出すとお釣り無いと言われる。あらためて100札を2枚出す。

ここは正式名称は『イティマド・ウッダウラー廟』という。あとで地球の歩き方を見たら載っていた。
タージマハルと同時期の17世紀に建てられたムガル時代の墓所。

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 イティマド・ウッダウラー廟(通称:ベビータージ)の門。

チケット売り場から進むとまた門があって、そこでチケットを見せる。
芝生や庭木はきちんと手入れがされ、きれいな庭園といった感じ。
真ん中に白い大理石の宮殿(霊廟)が建ち、反対側はヤムナー河が流れる。あのタージマハルと同じようなロケーションで、たしかに『ベビータージ』だね。

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 白い大理石の霊廟。

宮殿に入ろうとしたら、大声で「ハロー!ハロー!」と呼び止められる。何かと思ったら、中は土足禁止らしい。ここで靴を預けるか靴カバーをつけることになる。
履いてきたのはボロスニーカーだが、預けて無くなったら困る。靴カバーをつけてもらった。サービスなわけは無く、100ルピー札を差し出す。お釣りは当然無し。

お札は昨日空港で両替してからまだそのままだ。なんとかして小銭を作りたいのだが。

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 霊廟は裸足になるか、靴カバーをつけることになる。

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 霊廟の内部。この造りは後にタージマハルに受け継がれた。

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 これは墓石だろうか。

入口と反対側からはヤムナー河とその河原見える。ずっとゴミゴミした街中を来たので、開放感もひとしお。
人もいないので落ち着く。

リクシャーのダディは悪い人ではなさそうだが、あれこれ話しかけられて、すべてが英会話なので疲れるといえば疲れる。
しばし休憩時間といったところ。

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 ヤムナー河側の門から。

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 広いヤムナー河。心落ち着く風景。

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 整った芝生の中庭。外とは別世界。

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 イティマド・ウッダウラー廟の説明板。

雰囲気は良いがほかに見るものも無く、20分くらいで外に出る。

リクシャーに戻ると、ダディが「20ルピー、ペイナウ」と言う。何のことかと思ったら「パーキング」と言う。
駐車場代がいるのか。しかし、今は100ルピー札しか持っていない。お釣りをくれと言ったら、駐車場のおっさんからお釣りをもらって渡してくれた。10ルピー札8枚。小銭ができたのがとりあえず有難い。

次はタージマハルを見にマターブバーグへと向かう。


posted by pupupukaya at 17/05/28 | Comment(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記1 ニューデリーまで

◆1日目 4/27 旅程
新千歳空港 7:55−JAL JL3040便−9:30 成田空港
成田空港  11:30−JAL JL749便−17:35 デリー空港 

毎回海外旅行の出発は朝早い。始発の地下鉄か、さもなくばタクシーを使うことになる。

荷物は前日の夜に終えている。
主な持ち物はというと、何は無くともまずカメラ。街歩き用のメッセンジャーバッグ。衣類が替えズボン1、替え半袖シャツ1、替え下着各3。あとは洗面道具、充電器、B3の電源プラグ、マグカップ、紙皿、洗濯洗剤とロープ、以下は細々した物。それに『地球の歩き方』と百均で買った英会話本。

えっ、たったそれだけ?と思われるだろうが、いつもこのくらいのものだ。
ツアー旅行と違って荷物を持って歩かねばならないので、無駄になると思われるものは一切持って行かない。衣類はホテル滞在中に洗濯するし、必要になれば現地で買えばいいと割り切っている。

これから行くのは灼熱のインドだが、GW前の札幌はまだまだ寒い。インドに着くまではウインドブレーカーを羽織る。薄手なので丸めれば小さくなる。

今回インド行の相棒はバックパックである。セカンドストリートで買った中古。さすがにキャスター付きのキャリーケースをガラガラ引いてインドの町を歩くのはどうかと思って買ったもの。

これからは海外旅行はバックパックで行こうかと思ったのだが、どうやらこれ登山用らしい。
カギは付けられず防犯面もイマイチなので、今回は直行便だからいいけど乗継便の場合は使えないな。
つーか旅行用のバックパックってどこに売ってるんだろう。

今回はこれで行くしかない。バックパックを背負ってまずは新千歳空港へ向かう。
しかし、重てーな。

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 新千歳空港からデリーまでの搭乗券。

新千歳空港のカウンターで荷物を預ける時に、ビニール袋にお入れしますか?と聞かれたのでお願いする。
やはりこのバックパックでの海外旅行は難ありということか。こいつの仕事も今回限りだな。

まだGWとは呼べない木曜日では、国際線乗継カウンターも成田行き搭乗口周りも閑散としていた。

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 空港職員に見送られ。

機内は後ろの方は空席ばかり目立つ。空いていた方が快適とはいえ、いささかさびしいスタートだった。
成田空港までは若干遅れて1時間40分のフライトだった。

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 第2ターミナルの出発ゲート。

成田空港での乗り継ぎ時間は2時間ほど。到着ゲートから一旦外に出てみる。
第2ターミナルに来たのは初めてだ。と言って何か変わったものがあるわけではないが。

セキュリティーゲートに向かう途中に外貨両替屋があったので、米ドルに替えようか立ち止まって考える。

これから行く先であるインドの通貨はインドルピーになるが、日本国内ではインドルピーに両替することができない。
インドに入国してから両替することになるのだが、米ドルで持って行って両替した方が良いという説と、日本円から直接ルピーの両替でも良いとする説がある。

米ドルに替えても余したらもったいないし、2回も両替すると換算するのも大変だ。成田空港での両替はやめて、インドについてから直接円からルピーに替えることにした。

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 行ってきまーす。

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 インド人が目立つ搭乗口。

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 ボーイング787機。飛行機を見るとワクワクしてくる。

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 デリーまで9時間半の宿となるエコノミークラス。

JAL便なので日本人ばかりかと思っていたら意外とインド人乗客が多い。
半分近くがインド人じゃあなかろうか。
自分の隣席もインド人だった。

席は窓側。ヨーロッパ便だとロシア上空を飛ぶが、インド行は朝鮮半島〜中国上空を飛ぶ。
景色を楽しみにしていたが、水平飛行になるとほとんど雲が下を覆っていた。これは残念。

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 機内食のメインはパエリアとサーモンのグリル。

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 シェードが下ろされて暗くなった機内。

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 窓の汚れが星空のようにも見える。

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 2回目の機内食はサンドイッチ。

ここからインド時間にします。
日本とインドの時差は3時間半。時計を3時間半戻すのだが、自分の電波時計ではこの『半』が自動合わせできないので、手動で時刻を直す。結構面倒くさい。

機内で配られたインドの入国票を書く。これは『地球の歩き方』にある通り書く。税関申告書もあるが、これは申告するものが無ければ必要ないそうだ。

機長のアナウンスあり。デリーは気温38℃とのこと。

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 インド国内あたりから晴れてきた。ラクナウ上空。

17時少し前、デリー空港大変混雑のため管制塔の着陸許可を待っていますとアナウンス。
何度もぐるぐると旋回を繰り返す。
空港では迎えが来ているはずなので遅くなっても大丈夫だが、それでも暗くなって着くのはいやだな。

高度が下がると外の光がどんよりと鉄さび色のスモッグに覆われる。インドのPM2.5は中国以上に深刻なのだそうだ。

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 降下するとスモッグで視界が悪くなる。

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 何度も旋回を繰り返す軌跡。

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 眼下にデリーの街が見えた。

デリー空港到着は20分ほど遅れて17:55となった。
飛行機を降りるとムワッとする。ここで1週間過ごすのか。やっぱり旅行する時期を間違えたか。

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 空港トイレの美男美女。

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 ムドラと呼ばれる手の形(印)が出迎えるアライバルホール。

一緒に飛行機を降りた人たちに付いてひたすら歩くとイミグレーションのあるアライバルホールに出た。エスカレーターを下りると金色の皿とムドラと呼ばれる手のオブジェがあった。おおーインドに来たとテンションが上がる。

とりあえずほかの人に倣ってイミグレーションに並ぶ。
自分の番が来て、パスポートとe-ビザを出すと、e-ビザはあっちというようなことを言われた。

言われた方に行くとe-visaと書かれたカウンターがあった。
日本人はすでに通り過ぎたのか、ここで並んでいるのは中国人ばかり。何だか一人ひとりやたらと時間がかかっている。
こちらは迎えがいるので気をもむ。

ようやく自分の番。英語であれこれ訊かれるのかと構えるが、何も言われなかった。最後に両手の指紋をスキャンして終わり。

荷物受け取りのターンテーブルへ。一緒に到着した人たちはすでに去った後だった。
ターンテーブルはカラで回っている。自分の荷物はと一瞬あせるが、1つだけポツンと回ってきた。

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 すでに誰もいなくなっていたターンテーブル。

税関は荷物をX線に通すのみで通過。
18:40ようやく到着ロビーへ。名前を持った出迎えの人が並んでいる。

自分の名前を探すが見つからない。待ちくたびれて行ってしまったかと思ったが、出発前に申し込んだ出迎え場所はここじゃなかった。

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 到着ロビー。名前の紙を持った出迎えの人たち。

出たところにトーマスクックの両替所があった。
遅れたついでにここでインドルピーに両替する。空港の両替はレートが悪いと聞いていたが、もう銀行も閉まっているだろうし、当座のお金を持たなければ何も買えない。
1万円が4,900ルピーに。1ルピー約@2.04円。後日クレジットカードの精算では@1.77円だったので2千円以上違うことになる。馬鹿らしいが、まあ仕方ない。

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 ちょうど出たところにあった両替所。

申し込んだときにメールで来ていたNo.6ゲートから出ると、あーいたいた。すぐにわかった。

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 ターミナルの外に自分の出迎えがいた。黄色い紙の人。

さっそく運転手について行く。
うおー、暑いなあ。
どこまで歩くんだろうと思いながらついて行くと、立体駐車場の中へ。

停めてある車に乗り込む。運転手はウェイトプリーズと言ってどこかへ行った。駐車場料金を払いに行ったらしい。
戻ってきて出発。

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 運転手の後について行く。

外はだんだん薄暗くなってきた。やっぱり送迎を頼んで正解だった。
しかし、運転が荒い。クラクションをビービ―鳴らしながら走っている車の列に割り込んで行く。

こっちも早く着いてほしいので、内心は運ちゃん頑張ってくれよと思っていたが。

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 空港を過ぎると高速道路を順調に走る。

デリー市内に入ると大渋滞になる。すっかり暗くなった。
運ちゃんはクラクションをビービ―鳴らして、とにかくわずかな隙間があれば割り込んで行く。
この車だけでなく、道路上はクラクションの合唱だ。

走っている車はやっぱり日本車が多い。特にスズキのスイフトが目立つ。インドではスズキが人気のようだ。

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 市内に入ると大渋滞。

中心部に入るとオートリクシャ、自転車入り混じってカオス状態。
ひたすら割り込み割り込み。走っている車を見ると車体はボコボコの車ばかり。こんな状態だから、こすったくらいでは事故にしないのだろう。

渋滞で停まっている車相手に物売りが歩き回っている。
車の窓ガラスをボンボンと叩く。すぐに物乞いだとわかった。怖くて思わずドアをロックする。無視していると行ってしまった。運ちゃんもひたすら無視だった。

道端はゴミだらけ。たむろしたり寝そべっている人。
いきなりインドの洗礼を受けた思いだ。

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 車から見た街の様子。

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 道路は渋滞する車に通行人が入り乱れる。

ホテルに着いたら8時を過ぎていた。
旅行会社から事前に知らされていた通り、降りるときに運転手に日本円で1,500円を渡す。

レセプションで「ハロー、マイネームイズ〜」とチェックイン。
大きくてぶ厚いハードカバーの宿帳を取り出して記入する。なんだかドラクエの宿屋みたいだ。

支払はクレジットカードで。
係の人は操作を間違えたのか、PIN番号を入力すると番号が思い切り表示された。オイオイ大丈夫なのか。
あーでもない、こーでもないという感じ。

それでもようやく無事部屋に入れた。

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 ようやく着いたホテルの部屋。

部屋は1階だが、半地下のようなところだった。上の方に窓があって、覗いてみると目の前が路地になっていて、向かいに商店があった。生活感がよく見える。

ベッドにはなぜか掛布団が無かった。ロッカーに毛布が入っているのでそれを使えということか。それとも暑いので必要ないということなのだろうか。

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 遅く着いたときは冷蔵庫(ミニバー)はありがたい。

一息ついたので、まずは食事にしたい。
ホテルにレストランもあるが、もう面倒くさくなった。

部屋には冷蔵庫があって、飲み物が入っている。カゴにはスナック菓子が並んでいた。
机に置いてある値段表を見るとさほど高くはない。

冷蔵庫の水とスナック菓子で一杯やることにした。酒は成田空港の免税店で買ってきた焼酎。
インドではお酒の入手も難しいということで買っておいた。

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 成田空港の免税店で買ってきた焼酎と部屋に置いてあったスナック菓子。

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 インド版ベビースターラーメンと言ったところ。インドらしく結構スパイシーだった。

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 部屋の窓からの眺め。

明日はタージマハルのあるアグラへ行く予定である。
列車のチケットは手にしてあるが、それ以外は何も入れてはいない。

何とか自力でやってみせますとも( •̀ω•́)


posted by pupupukaya at 17/05/20 | Comment(0) | 2017年インド旅行記
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