2017年インド旅行記16 帰国まで

◆インディラ・ガンディー空港まで

荷物を受け取るためにホテルに寄る。
預ける時に3時ごろ受け取りに来るとは言ってあった。

レセプションで自分の名前と荷物を取りに来たというようなことを言う。インドのホテルは預かり証をくれないのでいちいち面倒だ。
ところが、荷物を出してくれない。もしかして別の人が持って行ったのか?
レセプションの人は私の後ろを指差す。振り返ると別のスタッフが私のバックパックを持って座っていた。出して待っててくれてたのか。
「オーソーリー、サンキュー」と言って受け取った。

さて、空港へ行こう。

まずはニューデリー駅に行かなくてはならない。列車に用はないが、エアポートメトロの駅は国鉄の駅の反対側にあるためだ。駅構内の跨線橋を通るのが一番近道となる。

もう何回も往復した道なので慣れた道だ。

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 ニューデリー駅のパパールガンジ(メインバザール)側駅舎。

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 跨線橋を通り抜ける。

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 階段を下りてアジメリゲート(Ajmeri Gate)出口へ。

駅を出るとこれでもかというほど声がかかるが、すべて無視。
あと、ここから先へは行けないと行く手をさえぎって来る人もたまに現れる。これは隙を見て逃げ出そう。

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 アジメリゲート口の駅前広場。

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 メトロの入口。これは5番ゲート。

駅のメインバザール側からメトロ入口までゆっくり歩いて10分ほど。
メトロの入口はいくつかあるが、中でつながっているのでとにかく入ってしまえばよい。
メトロ駅に入ってしまえばあとは心配いらない。外でつきまとわれても、彼らは駅の中までは入ってこない。

ただ『Exit Only』と書かれた階段からは入れないし、警官が見張っていれば怒られるので注意を。
詐欺師との違いは、警官は制服を着ているし、彼らは座ったまま警棒を振りかざして怒鳴るだけなのですぐにわかる。

階段を下りるとまたセキュリティーゲート。滅多なことでは引っ掛かることはないが、私は1度だけ首から下げていたパスポートで引っ掛かった。パスポートだと言うとすぐに通してくれたが。

メトロのニューデリー駅はイエローラインとエアポートメトロの駅が別々にある。看板をよく見て間違わないように。

窓口で切符を買う。行き先は「エアポート」と言えば通じる。60ルピー。
円形のトークンを渡されるので、それは改札機の読み取り部にかざすと改札機のゲートが開く。

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 エアポートメトロのホーム。

ホームに来れば、あとは停車している電車に乗ればよい。平日の昼間は10分間隔、朝夜と土日は15分間隔で運行している。

乗ってしまえばもう心配はいらない。あとはエアポート駅で降りるだけ。
車内放送のほか、次駅を表示したモニターもあるので、それに注意して乗り過ごさないように。

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 エアポートメトロの車内。

エアポート駅で降りて、改札を出て階段を登ったところが国際線の第3ターミナルだった。

いまは16時を少し過ぎたところ。ニューデリー駅のメインバザール側からここまで50分で来れた。
あまりにもここまで簡単に来れたのでちょっとびっくりだ。もっと面倒があるのだと思っていた。

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 インディラ・ガンディー空港の第3ターミナルエントランス。

ターミナルの入口で飛行機のチケットとパスポートを見せる。あまり早いと空港内に入れないのはこのためか。見送りの人も入れないことになる。

まだ出発まで3時間以上も時間がある。しばらく空港の中を見物していよう。

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 空港の第3ターミナル。

余ったインドルピーで土産物でも買おうと思ったのだが、出発ターミナルには店がほとんどなかった。
カフェと外貨両替があったくらいで小さな売店すら見つからなかった。
もうさっさと中に入ってしまおう。

JALのカウンターは長蛇の列。ここもインド人ばかり。自分の番が来るまで40分くらいかかった。
搭乗券を持ってセキュリティゲートへ、次はイミグレーション。ここも行列だった。

ようやく免税店のあるエリアへ。JALのカウンターに並んでからここまで1時間以上かかった。

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 免税店のエリア。

免税店を見て回る。
財布にはインドルピーがまだ2600ルピーほど残っている。うち1枚は2000札。
さて何を買おうかな、と見て回るがこれといった物がない。

免税店もそんなにたくさんあるわけではなかった。

民芸品のコーナーがあって、リクシャーの運転手に連れられて買わされた置物なんかの値段を見る。

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 免税店に並ぶ民芸品の数々。

2日目のアグラで買った大理石製のゾウの小物があった。私が買った物と大きさといいデザインといい似たような品物。
値札を見たら995ルピーとあった。

アグラの店で買ったのはゾウ2個とマグネット2個で2600ルピーだった。
これとて空港価格だから、市中と比べれば高めなんだろうけど、アグラで連れて行かれた店は、まあ良心的だったといえる。

3日目にデリーで買わされたのと同じような置物は2150ルピーで売られている。
私が買ったのは3840ルピー。ほとんど倍違うじゃねーか、ちくしょー!

前にも書いたが、本当に授業料だな( TДT)

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 空港はさすがにインチキな品ではないと思うが。

免税店でお菓子の箱を買った。高級そうだが開けて食べてみるまでどんなものかはわからない。

まだ2000ルピー札が残っている。これも使い切ってしまいたいのだが、これといってほしい物も見つからない。
あまり嵩張るものは買いたくなかった。

あれこれ見て回って、見つけたのは2150ルピーのインドマラ。珠が香木で出来ていて芳香を放っている。

インドマラといえばこれ?

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似てるから、ただそれだけの理由で買ってしまった(^ω^)

お前はそんなくだらん理由でこんな小物に4000円近くも出したのか!(怒)
 ↑ by 未来の自分

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 2150ルピーのインドマラ。


◆デリーIGI空港 19:35 ーJAL JL740便 成田空港 6:50(翌)

搭乗ゲートの待合所に寝椅子があったのでそこに横になった。
足が痛い。もう歩けない。

ガラス張りの向こうから差し込む西日と飛行機を眺めながら過ごす。
インドに来て8日目だ。ようやく終わった。

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 もう体力も尽き果てた。

一体何しにインドに来たんだろう。
今回の旅行は苦労ばかりだったような気がする。
どこへ行っても汚いし、うるさいし、臭いし、暑いし・・・

駆け足のような行程だったが、良くも悪くも今までになく濃い旅行だったのは確かだ。
中学生以下の英語力で、ここまで1人で乗り切ってきた。

またインドに行きたいと思うだろうか、インド旅行は充実したものだったのだろうか。

いまはとにかく、足が痛い、早く日本に帰りたい、ただそれだけである。

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 成田行きの搭乗ゲート。

19:10、一般の搭乗が始まる。
また7時間45分ものエコノミーシート。それでも機内に入ると、あー帰って来たーと思った。
帰りの飛行機もインド人が多い。それでも行きよりは若干日本人の割合が増えたようだ。

飛行機に乗った時はまだ明るかったが、離陸する頃にはすっかり暗くなった。
上昇すると眼下にはデリーの夜景が見える。赤っぽい弱々しい光が広がっている。

グッバイデリー、グッバイインディア。

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 デリーの夜景。

水平飛行になると機内食が配られる。
和食と洋食があって、今回は和食にした。お酒は日本酒。

久しぶりの日本の味は良かった。
海外発の便はたいてい日本そばが付く。いっそのこと、そばをメインにしたらいいのに。
しかし、一番うまいと感じたのは味噌汁だった。

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 機内食のメインはチキン味噌カツ&茶飯。

食事のあとはひたすら眠っていた。たまに体が痛くなって目覚めるが、少し体勢を変えてまた眠った。


◆9日目 5/5 成田空港へ

ようやく目が覚めて、フライトマップを見るともう少しで九州上空という所だった。

2回目の機内食は鮭と赤シソのおにぎり。それにまた味噌汁。
これが一番うまかったかもしれない。

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 到着前の機内食はおにぎりだった。

ここから時計を3時間半進めて日本時間にします。

5:50頃富士山が見えた。飛行機の窓からこんなにはっきりと見るのは初めてだ。

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 機内から富士山が見えた。

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 デリーから成田までの飛行ルート。

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 成田空港に到着。

6:25、成田空港に着陸。6:35、降機。
入国イミグレーション、荷物受け取り、税関と難なく終わり。到着ロビーに出たのは7:02だった。

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 日本に帰ってきた。


◆成田空港 10:10 ー コードシェア JL6115便 ー 新千歳空港 12:00

で、ここで終わりではなく、今度は国内線に乗り継ぎになる。ここからが面倒だった。
JALの国内線カウンターは到着ロビーの一番端にある。そこまで歩いて行って国内線の搭乗手続きと荷物預けをしなくてはならない。
足は痛いし、バックパックは重い。それでも何とかJALのカウンターに着いた。

ところが、私の乗継便はジェットスターなのである。係りの人はここではなく第3ターミナルの方へ行ってくださいと言った。
連絡バスがあると言うので、その乗り場まで歩く。これがまた端から端までであった。
うう、足が痛え。昨日つぶした足裏のマメが腫れているようだ。

ようやくバスに乗って第3ターミナルへ。
ジェットスターのカウンターは長蛇の列だった。中国人に混じって並ぶ。早くこのバックパックを預けてしまいたい。

ようやく自分の番が来てeチケットを見せると係員は言った。

「出発時刻の2時間前にならないと搭乗手続きはできないんですよ」

また荷物持って歩けってのか!

思わずブチ切れた。
規則でそうなってるんだから、しょうがないってわかってるんだけど。
もういいよ、と見せたeチケットをひったくって戻って、空いているベンチに横になった。

最後の最後はLCCかよ。なんだか落ちぶれた気分になった。
普通は座席指定も荷物預けも有料だが、国際線乗継の場合はコードシェア便ということで無料になる。

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 成田から新千歳まで乗ったジェットスター。

ひと眠りして8時半ごろまたカウンターに行く。今度は手続してくれた。

LCCは安いからたまに乗ることはあるが、好んでまで乗りたいとは思わない。
JALの便にしたら夜まで待ってなくちゃならないので、仕方ないんだけどね。

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 新千歳空港着。

成田空港から1時間50分、新千歳空港に着いた。
空気が冷たい。北海道に帰ってきた。
インドでの数々の出来事はもう遠いことのような気がする。

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 インドで買ってきたもの。

インドへ行くと人生観が変わると人は言う。
今回の旅行で、自分の中の何かが変わったような気がした。それが何なのかはまだわからない。
時が経つにつれ明らかになるんだろう。

またインドに行きたいか?

  勘弁してくれ〜、今度はもっと易しい所がいい・・・

今はね。
でも、1年くらいしたら気が変わるかもしれないね。
あれだけエキサイティングでエネルギッシュにあふれた所なんだから。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

〜おわり〜

posted by pupupukaya at 17/08/14 | Comment(6) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記15 デリーのショッピングモール

◆8日目 5/4 デリー

今日が最終日。

いつもの旅行ならば、あー帰りたくないよう・・・となるところだが、今回の旅行だけは待ちに待った最終日だった。
帰りの飛行機の時刻は19:35なので、今日も1日デリーに滞在することになる。

どこか観光へとなるが、あまり面倒な所へは行きたくない。また、暑い中歩くのももういやだ。

1日じゅうメトロに乗っていようか。涼しいし。
ショッピングモールのような所はないんだろうか。スマホで探してみる。
いくつか見つかるが、どれも郊外で、車でないと行けないか駅から相当歩くところばかり。
もうオートリクシャ―に乗るのも面倒くさい。

探しているうちにパシフィック・モール(Pacific Mall)という所を見つけた。メトロのブルーライン沿い。サブハッシュ・ナガー(Subhash Nagar)駅から近い。
ここに行ってみよう。

今日の行先が決まった。

8時過ぎ、朝のメインバザールを歩いてみる。
商店街はどこもまだシャッターが下りているが、朝食屋の屋台があちこちに店を出している。

ホテルは朝食付きではないので、屋台で朝食を食べてみるのも面白そうだが、何だか面倒になってやめた。
もう帰国することばかりが頭にある。

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 朝のメインバザール通り。

ホテルの隣にラッシー屋があって、ここでラッシーを飲んでみることにした。
インドに来てまだ1回も経験していない。

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 ホテルの隣にあるラッシー屋。

店の兄さんにマンゴラッシーを頼む。朝食代わりだ。

店の中はハエがブンブン飛んでいる。ラッシーを作っている兄さんは氷をぶっかいて素手でつかんでカップに入れた。
また腹壊さなきゃいいけど。

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 金属のカップに入ったマンゴラッシー。

マンゴラッシーは50ルピー。ヨーグルトとマンゴーが混ざり合ってなかなかおいしい。

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 メインバザール通りの賑やかな屋台。

ホテルのチェックアウト時刻は11時までなのでそれまでゆっくりする。


◆メトロでパシフィックモールへ

11時少し前、チェックアウト。バックパックはレセプションで預かってもらう。
メトロブルーラインのラマクリシュナ・アシュラムマーグ駅へ歩く。ホテルからはニューデリー駅よりこちらの方が近い。

この駅はコンノートプレイスにあるラジブチョーックの次の駅だが、高架駅になっている。デリーのメトロは郊外は地上を走るのだが、このブルーラインはほとんどが地上の高架区間になっている。

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 サイクルリクシャーが並ぶラマクリシュナ・アシュラムマーグ駅。

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 駅のコンコース。

ニューデリーのメトロ駅と同じように、コンコースの入口はセキュリティーゲートがある。各入口に1口しかないので、よくもまああれだけたくさんの乗客をさばけるものだと感心する。しかし止められている人は見なかった。よほど物騒な物でも持ち込まない限り通れるのかもしれない。

窓口で乗車券のトークンを買う。サブハッシュ・ナガー駅まで16ルピー。
インドのメトロの運賃は本当に安い。オートリクシャ―と違ってぼられることもないし、電車もエアコン付でずっと快適だ。

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 デリーメトロのトークン。

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 高架駅のアシュラムマーグ駅。

電車はずっと高架区間を進む。高い場所を走るので眺めは良い。
デリーに来て、外を歩くのが怖いと言う人は、メトロに乗って車内から観光するのもアリかと思う。

乗ること25分、サブハッシュ・ナガー駅に着いた。

駅を出るとリクシャーの運転手から声がかかる。もう客引きにも慣れた。
駅からパシフィックモールの入口まではメトロの高架沿いに歩いてすぐだった。

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 パシフィックモールのエントランス。

どこから入るんだろうと思ったが、歩いて行く人の流れについて行くとセキュリティーゲートがあった。人の集まるような所には大抵あるようだ。

中に入るとインドにいることを忘れるほど近代的な空間だった。日本のイオンとかアリオのような。
エアコンも効いて涼しい。今日はもうここで過ごすことにしよう。

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 パシフィックモールの吹き抜けフロア。

おお、地下にはスーパーマーケットがあるではないか。ヨーロッパではよく見かけるスパー(SPAR)だ。
ああ〜スーパー。私は旅先でスーパーを覗くのが大好きなのだ。
ここは帰り際に寄って買い物することにしよう。

ひと通り回ってきてからフードコートに行く。
朝はラッシー1杯しか飲んでいないので、何か食べて行こうと一回りしてくる。

店を見ていると客はみんなカードを出して注文している。現金を出している人はいない。
ははあ、どこかでICカードを買ってきてそれで支払うらしい。

カード売り場を探すと『cashier』の表示があるカウンターを見つけた。そこでsaltカードというのを買い、300ルピーをチャージした。

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 saltカード売り場。

インド料理店があったのでそこにする。
デラックスターリーというのを頼む。店員にナンにするかクルチャにするか聞かれたので、クルチャというのにしてみた。
219ルピー。

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 カレーを注文したアムリツァリー・エクスプレス(Amritsari Express)。

しばらくすると番号で呼ばれる。
トレイに乗ったターリーはこれも結構な量だ。

クルチャというのは具が入ったナンで、インド版お好み焼のような感じがした。

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 デラックスターリー(219ルピー)。

たぶんこれが最後のインド料理になるだろう。
カレーに外れなし。
しかし、コルカタ・ハウラー駅の食堂のカレーはひどかったなあ。

クルチャは相当に脂っこい。最初はおいしいが、だんだんくどくなって半分残した。

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 saltカード。

フードコートはテーブルもたくさんあって落ちついて過ごせる。店もひと通りそろっているし、何よりエアコンが効いて心地よい。

デリーでほかに行くところが無くなったらここ、メトロで行けるパシフィックモールがおすすめです。

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 落ちつけるフードコート。

最後に地下のスパーで買い物する。
カゴを持って店内をウロウロ。ここは食品だけでなくホームセンターも兼ねていて、日用品や電化製品も置いてある。

スパイスが豊富なのはやはりインドらしい。
いくつかの食品のほか、スパイスもカゴに放り込んだ。

レジではカゴから自分で出してベルトコンベアの上に並べるという、ヨーロッパあたりと同じシステム。
ていうか、レジ係がカゴから清算済みカゴに移すというのは日本だけのシステムなんだろうか。

結構買ったような気がするけど、お会計は516ルピーだった。さすがインドの物価は安い。
それでもここはインドでも上流階級の人向けの店なんだろう。

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 地下にあるスーパーマーケット。

ショッピングモールの外に出たのは2時半ごろ。
うおー、暑い。モール入り口前の道路には屋台が並んで、オートリクシャ―が客待ちしている。

またインドに戻ってきた。

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 モールを出ると普通にインドになる。

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 サブハッシュナガー駅前もオートリクシャ―がいっぱい。

またメトロでラマクリシュナ・アシュラムマーグ駅まで戻る。
ホテルに着くのは3時過ぎくらいだろうか。預けていた荷物を受け取ったら、もう空港に向かうことにしよう。

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 サブハッシュナガー駅は道路上の高架駅。

しかし、デリーの地下鉄も不思議な空間だ。
駅構内も電車もきれいだし、静か。
クラクション鳴らし放題の割り込みし放題の道路上や、人びとが床に座り込んだり寝っ転がったりしているニューデリー駅とはえらい違いだ。

車内はエアコンの効いて快適。車内も静か。インド人じゃなければ日本の電車に乗っているようだ。
車内から、ごちゃごちゃしたデリーの街並みを眺めていたら外とのギャップを、本当に不思議だなあと思った。

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 きれいに保たれたメトロのホーム。

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 落ちついたメトロの車内。

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 メトロの車窓から。

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 途中の駅。

都心が近づくにつれて車内は混んできた。

ラマクリシュナ・アシュラムマーグ駅で降りる。
駅からのメインバザール通りは、相変わらずの喧噪。

でもこれで最後だなと思うと余裕が出てきたのか、もう少しこの喧噪のなかに身を置いていたい気がしないでもない。

posted by pupupukaya at 17/08/14 | Comment(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記14 鉄道博物館とデリー最後の夜

◆国立鉄道博物館

次は国立鉄道博物館(National Rail Museum)へ向かう。
私は鉄ちゃんなので、ここは外せない。
一般人の方は退屈でしょうが、しばらくお付き合いください(^^;;

鉄道博物館へは、地図で見るとインド鉄道が通っていて最寄りの駅もあるのだが、時刻を調べると本数は1日数本レベル、しかも朝夕だけの運転。時刻も正確なのかわからず、とても利用できるような路線ではない。
メトロだとエアポートラインのダウラクアン駅が最寄となるが、そこから歩くと40分以上かかる。

メトロでダウラクアンまで行き、駅前でオートリクシャ―に乗ることにした。
コンノートプレイスからオートリクシャ―に乗ると悪徳な運転手に当たって変なところに連れて行かれるかもしれないが、郊外の駅からならば、まあ大丈夫だろう。

エアポートメトロはコンノートプレイスの地下を通っているが、ここに駅は無くて800mほど離れたシヴァジ・スタジアム駅から乗ることになる。
ずっと涼しいマックにいたので外を歩くと暑いこと。

駅の中に入ると、今までとは別世界のようにきらびやかで清潔な空間だった。エアコンが効いて涼しい。

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 エアポートメトロのシヴァジ・スタジアム駅。

デリーのメトロは街中とはまるで違って、近代的な造りになっているが、エアポートラインはさらに豪華になっている。
ホームドア完備、駅構内はエアコン完備、最新の技術を集めたという感じ。

そのかわり運賃は他の路線と比べて2倍以上高い。駅間も長くて、メトロというより空港アクセスに特化した独立路線のようである。
高いせいか駅が少ないからか、人は少ない。それでも日中は10分間隔で運行されている。

明日はこれでデリー空港まで行くことになる。

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 シヴァジ・スタジアム駅のホーム。

ダウラクアンへは快適なメトロに乗って1駅。
途中で建設中の高架鉄道が見えた。ピンクラインという路線で、2018年に完成するらしい。鉄道博物館の近くにも駅ができるようなので、これができたらアクセスはだいぶ楽になるだろう。

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 建設中のピンクライン。

ダウラクアン駅は高架駅だった。駅のコンコースから外を見ると、客待ちらしいオートリクシャ―が何台か停まっている。あれに乗ることにしよう。

私が階段を下りて行くと、さっそく寄って来た。
「ハロー!ハロー!」
「ホエアーユーゴーイング?」(どこに行くんだい)

こちらも「レールウェイ・ミュージアム、ハウマッチ?」(鉄道博物館まで、いくら)
と言い返す。

運「ワンハンドレット」(100ルピー)
私「オーケー、バット ワンハンドレットオンリー」(OK、でも100ルピーだけだよ)

ネットなんかで調べると、デリーでのオートリクシャ―の相場は近場で30ルピーということらしい。
外国人と見てふっかけてるんだろうけど、面倒だから言い値で乗る。たかだか百数十円のことで長々と交渉する気にはならない。チップ込みと思えば腹も立たない。

お前みたいのがリクシャーの料金を釣り上げているんだろうという声が聞こえてきそうだが・・・。

10分くらいで鉄道博物館の正面に着いた。運転手に100ルピー札を渡して降りる。

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 国立鉄道博物館(National Rail Museum)の入口。

入場料は50ルピー。入場券売り場で100ルピー札を出すと、「ワンハンドレット ヒフティーン」と言われる。なんだか良くわからないが言われるがままに150ルピー出す。

もらった入場券を見るとやっぱり50ルピーと書いてある。ぼられた?
まあいい。何度も言うが百数十円のことで揉め事はいやだ。チップだと思うことにする。

中に進むとミニSLが停まっていて発車を待っている。
乗りたいと思ったが、大人ならば身をかがめて乗り込まなければならないほど小さいサイズの客車の乗客は子供ばかり。
なんとなく気恥ずかしくなって乗るのをやめた。
あとでやっぱり乗っておけばよかったと後悔したが。

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 ミニSL運行中。

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 子供サイズの客車。

屋内展示場の建物があったので入ってみる。涼しい、エアコンが入っている。
しばらく中の展示物を見ながら涼んだ。

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 エアコンがあって涼しい屋内展示場。

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 屋内の展示物。

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 鉄道の施設だけは世界共通。

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 客車の銘板。日本製のも混じっていた。

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 未来の(?)インドの交通。

屋外の展示車両もたくさん置いてあった。
最初は大して期待はしていなかったが、この手の博物館にしては、なかなか本格的である。

展示車両の間を縫うようにしてミニSLや、さらにミニの電車の線路が敷かれている。
私はタモリと同じく線路マニアなので、これらの線路を見ているだけで楽しかった。

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 屋外展示の車両。SLが多かった。

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 ミニSLの線路のほか、ミニ電車の線路もあって鉄的には楽しい。

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 ミニ電車(左)とミニSL(右)の線路。

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 ミニ鉄道は踏切もある。

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 1907年製という蒸気モノレール。

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 屋外の鉄道模型コーナー。

いや〜、外を歩いていると暑い。汗だくになる。
もう一度屋内展示場に入って一回りしてきたら汗が引いた。

1時間くらいいて、もう見るものも無くなったので出ることにした。
出る前にトイレに行っておく。海外旅行では博物館や美術館でトイレを済ませておくのが鉄則だ。

ここのトイレは便座が無かった。便座のないトイレはロシア以来かも知れない。
男性の小用ならばこれで事足りるが、それ以外の場合どうするんだろ。未だに謎である。

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 便座のないトイレ。

屋内展示場の近くにはミュージアムショップがあったので覗いてみる。これといってほしいものはなく、すぐに出た。

もう3時過ぎだし、ホテルに戻ることにした。

エントランスの所にオートリクシャが2台停まっている。
運転手に「ダウラクアン・メトロステーション、ワンハンドレット」と言ってみた。
運転手は「ノー、ナンヤラカンヤラ、150」だと言った。

行きは100ルピーだったのに随分とふっかけるな。でも面倒だからOKを出した。

走り出すと運転手が「アーユーフロムカントリー?」と言った。「ジャパン」と答える。
とたんに運転手は愛想が良くなった。

なんだか色々聞かれる。
運「ホエア、ユアステイホテル?」(どこのホテルにとまってるんだい)
私「ニューデリーステーション ニア」(ニューデリー駅の近くさ)

駅はやけに遠いな。しかも明らかに来た道とは違う所を走っている。

突然道端で停まって、運転手は振り返って言った。
運「ショッピング?」(買い物は)
私「ノー」(いらねえ)
運「ゴー ユアステイホテル」(あんたのホテルに行こうか)
私「ノーノ―!」(行かなくていい)
運「ノープロブレム」(大丈夫だよ)

そうじゃねえ!
どうしてお前たちはすぐにカモろうとするんだ!

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 鉄道博物館から乗ったオートリクシャ―。

「アイワナ メトロステーション!」(メトロ駅に行きたいの)
と言うとまた走り出した。
いったいどこに行くんだろう。さっきニューデリー駅近くと言ったのでそこまで行く気か。

そんなうちに雨が降り出して風も出てきた。
両側は吹きっさらしなので、雨が吹き込んでくる。

オートリクシャ―はとあるメトロ駅の入口の前に着けた。
150ルピーを運転手に渡して、逃げ込むようにメトロの階段に向かった。

とにかく、ひと安心。つーかここはどこよ。

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 Lok Kalyan Marg駅のホーム。

コンコースにあった路線図を見るとLok Kalyan Margという駅とわかった。イエローラインの駅で、ニューデリー駅まで1本で行ける。

ニューデリー駅からホテルに戻る途中で、2日目に行った酒屋でビールを買った。

ホテルに戻り、汗だくになったのでまたシャワーを浴びてしばらく横になった。


◆デリーの夜

5時過ぎにホテルの屋上レストランに行ってみる。
時間が早いのか、客はほかに1組だけ。

メニューを見ると、ビールがあった。何種類かあって、キングフィッシャーを頼むと無いと言われる。
今はバドワイザーと何とかという2種類しか置いてないとのこと。
しょうがないのでバドワイザーにした。

フードは何にするかな。昼のチキンマハラジャがまだ腹に残っているので軽いものがいい。
メニューを見るが、くそー分からねえ。

ピザのマルゲリータにした。これが一番安かったし。

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 バドワイザー(235ルピー)を飲む。

しばらくして出てきたビールは小ビンだった。グラスに注いでまずは一人乾杯。
はー、何とか無事にここまでこれた。明日はいよいよ帰国だ。

落ちついて見渡すと、結構いい感じの店だね。清潔だし。値段といい、インド人からすれば超高級レストランなんだろうね。
どれも結構いい値段するしね。

小ビンではすぐに飲んでしまった。「ビア、ワンモア プリーズ」と言ってもう1本もらう。今度はチビチビと飲む。

出てきたマルゲリータはデカかった。2〜3人で分けて食べるサイズだろう。向こうの人はペロッと平らげるんだろうけど。

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 ピザ マルゲリータ(295ルピー)。結構デカかった。

味は良かった。チーズもとろりと焼き立て。オリーブオイルがたっぷりかかっている。ビールよりワインだね、これは。

30分くらいいるうちに、客は1組もう1組とやって来て、いつの間にか半分くらいのテーブルが埋まっていた。
隣は日本人夫婦。明日はアグラへ行くなどという会話が聞こえてくる。

1人レストランは居心地が悪い。手持ち無沙汰なのでビールばっかりガバガバ飲むことになる。もう1本ビールを追加しようと思ったがやめた。食事の時は連れがいないと寂しいね。

ピザは半分残して、ウエイターを呼んでお会計。
ウエイターは「チップ、インクルード」と言った。料金はチップ込みと言うことだ。
バド2本とマルゲリータで765ルピー。お釣りのうち5ルピー玉はウエイターに渡した。

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 メインバザールの雑踏。

また外に出てメインロードをぶらつく。
このあたりはホテル街、日本人とおぼしき人も何人か見かける。インド人につきまとわれている人も・・・

明日は帰国だし、ビールのほろ酔いで街を歩くと、今までとは違った風景に見えた。

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 とにかくひしめき合っている。

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 狭い小路のパパールガンジロード。

9時頃また外に出てみた。夜の1人歩きはするべきではないが、少しくらいなら大丈夫だろう。
この時間でもまだ昼間と同じくらい賑わっている。
昼間はいなかった屋台も多く出ている。危険な感じはしなかった。連れ歩きならば屋台を覗きながら歩くのも楽しそうだ。

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 夜のメインバザール。ホテル前から。

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 夜9時過ぎでも大賑わい。

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 ホテル隣のラッシー屋。

さっきも見たが、ホテルの入り口横に物乞いが受け皿を前に静かに座り込んでいる。
ホテルに戻る時にイタズラしてみようと思って、受け皿に100ルピー札を放り込んできた。
中から振り返ると、何を思ったか物乞いはお札を持ってシゲシゲと眺めていた。
おいおい、盗られるから早くしまえよ。

部屋に戻って昼に酒屋で買ったビールを飲む。冷蔵庫に入れておいたのでよく冷えている。

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 駅前の酒屋で買ったカールスバーグ。

明日は帰国だが、飛行機は19:35発なので15時過ぎまでは時間をつぶす必要がある。
地球の歩き方を見ながら、まだラールキラーに行ってなかったな、買い物はどうしようとか考えていたら面倒くさくなってきた。
明日のことは明日考えよう。


posted by pupupukaya at 17/08/05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記13 デリーとマハラジャマック

◆7日目 5/3
 マハマナ・エクスプレスでニューデリーまで

8:10頃、ガーズィヤーバード駅に停車。定時では7:39発なので、約30分遅れ。
次が終点ニューデリーになる。

この駅から大勢の乗客が乗ってきた。この寝台車にも乗りこんできて、下段の寝台は満席状態に。驚いたことに、上段寝台だろうとスペースがあれば座られてしまう。
私の寝台は足を伸ばしていたので上がられることはなかったが、足元にカバンをドンと置かれた。

どの乗客もいかにもビジネスマンという格好。時間帯からして通勤客だろうか。
それにしても1等の寝台車に乗ってもいいんだろうか。全席指定席のはずなんだけど。

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 上段寝台まで相席になる。

各方面からの列車はだんだん停まったり、ノロノロと動き出したりを繰り返す。
遅れは増すばかりだが、だれも気にする様子もなくのんびりとしたものだ。
私も、ホテルに入るのにあんまり早く着いても困るので、もっと遅れてくれという心境だった。

ニューデリー着8:55、定時は8:25なので、ほぼ30分遅れ。
今回の旅行で一番遅れたのはコルカタ・ラージダーニー急行の1時間20分遅れで、あとの列車は1時間以内の遅れだった。
インドの鉄道は5〜6時間の遅れはざらだと聞いていたが、それからすると概ね正確に動いていたということになる。

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 ニューデリー駅に到着。

ホームから跨線橋へ。
旅行前半で何度も通った場所。ああ、やっとデリーに戻ってきたと思った。
なんだかタイムトンネルを抜けてきたような気分になった。

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 ニューデリー駅の跨線橋。

今日のホテルは、ニューデリー駅前から延びるメインバザール通りを10分程歩いたところにある。
チェックインするには早すぎるが、荷物だけ預けてしまおう。

駅を出ると早速リクシャーの運転手たちが寄ってくる。
客引きのあしらい方だけはバラナシでマスターしたので難なく通り抜ける。

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 ニューデリー駅前の雑踏。

メインバザール通りはニューデリー駅南側から西に向かう通りで、ずっと商店街になっている。道端には屋台もたくさんある。
このあたりはホテルやレストランが多いためか旅行者の姿も多く見かけた。

旅行者が多いということは当然客引きも多いわけで、歩いているとやたらめったらと声がかかる。

「ハロー、ハロー!」
「コンニチワ、ドコニイキマスカ」

もう完璧に慣れた。絶対に客引きにはつかまらない自信がついた。

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 ニューデリー駅から延びるメインバザール通り。

足が痛い。
重たいバックパックを背負ってえっちらおっちらと歩き続けると予約していたホテルが見えてきた。
地球の歩き方にも載っていて、

”屋上にレストランがあり、旅行者に人気”

とある。レストランにはビールもあるようなので、夕方になったら行ってみよう。

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 ニューデリーで1泊するホテルメトロポリス・ツーリストホーム。

ホテルの正面は何だかお化け屋敷のような佇まいで、大丈夫なんか?と言う印象だった。

レセプションで名前を告げバウチャーを渡すと、この時間からチェックインOKのようだった。
またお馴染みの大きくてぶ厚い宿帳にサインする。

レセプションの人は近くにいたスタッフを呼んだ。そのスタッフが部屋まで案内してくれる。
ここだけではなく、今回のインド旅行で泊まったホテルはどこも部屋まで案内してくれた。荷物は持ってくれなかったが。

部屋に入ると建物の見た目とは反対に、すごく豪華な部屋だった。
1泊3,748円(2,057ルピー)。インドでは高級宿の部類になるのかもしれない。

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 ホテルの部屋。ダブルベッド。

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 バスルーム。

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 クローク部屋?冷蔵庫もあった。

まずはシャワーを浴びてさっぱりとする。そして明日着る下着の分だけ洗濯。

足の裏には大きなマメができていた。やたらと足が痛かったのはこいつのせいだ。穴をあけて水を出した。ばい菌が入ると余計に痛くなるが仕方ない。


◆再びデリー

しばらく休んでから、外に出る。

今日の予定は特になかった。
明日は夜発の飛行機で帰国する予定で、今日は予備日みたいなものだ。
ずっとホテルにいてもつまらないし、観光でもしてくるかということで外に出たのである。

とはいっても全く当てが無いわけではなく、インド門と鉄道博物館へ行くつもりで部屋で行き方を調べていた。

ホテルを出てパパールガンジ通りをニューデリー駅と反対方向に歩くと、メトロ(地下鉄)ブルーラインのアシュラムマーグ駅が近い。
そこからメトロに乗って、イエローラインのセントラル・セキュリタリアート駅で降りる。

駅を出て、公園のような所をしばらく歩くと広い場所に出た。
人も車もまばらでひっそりとしている。広場の向こう見える建物は連邦政府庁舎。このあたりは官庁街になっていて、大統領官邸や国会議事堂など政府関係機関が多い。

イギリス領インド帝国時代の1911年に首都がコルカタからデリーに移され、イギリスの設計と建築によって新都市がつくられた。これが今のニューデリーになる。
一方ムガル帝国時代から続く古くからのデリーは今はオールドデリーと称されている。

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 連邦政府庁舎と広場。

ここからインド門までは、ラージパト通りという広い通りが一直線に延びていて、ここからインド門まで歩く。
車道の両側には幅広の芝生があって、水路が並行している。
どこでもかしこも見かける屋台もここには無い。まるでインドらしくない。

まるでどこかヨーロッパの町を歩いている気分だ。
しかしここはインド。水路の水は淀んで藻が浮いている。そんな中を子供たちが素っ裸で水遊びをしていた。
またひどいスモッグで、2キロほど先にあるはずのインド門は霞んで全く見えない。歩いているとノドがいがらっぽくなってきた。

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 ひっそりとしたラージパト通り。インド門が霞んで見える。

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 ラージパト通りに並行する水路。

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 わんこ。暑いからか昼間は大人しい。

インド門は第1次世界大戦で戦死したインド兵士を弔うために1929年に建立された。
この辺りはさすがに観光客が多い。

30分ほど歩いてきただけだが暑い、ノドが渇く。
屋台でマウンテンデューを買った。毒々しいまでに蛍光色のペットボトルである。
一気飲み、また腹壊すぞー。

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 インド門は観光客が多かった。

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 高さ42mのインド門を下から。

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 懐かしのマウンテンデュー。

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 ライフルを持った兵士。

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 壁面のレンガには戦死者1万3500人の名前が刻まれている。

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 キャノピーと記念撮影する人々。

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 インド門と屋台。

インド門からは北に向かってメトロブルーラインのマンディハウス駅まで歩く。インド門からの距離は、来たときのセントラル・セキュリタリアート駅ともどちらも同じくらい。

ニューデリーのこの辺りはオフィス街なのだろうか。緑が多くハイソな感じ。インドらしくない。

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 ハイソなココパーニカス通り。

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 道路を渡るのは一苦労。一応横断歩道はあるのだが・・・

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 メトロブルーラインのマンディハウス駅。

こんどは鉄道博物館へ行くことにする。最寄駅はエアポートメトロのダウラ・クアン駅だが、駅からは3km以上もある。駅からオートリクシャで行こうか。

駅の窓口でラジブチョーックまでの切符を買う。切符と言っても丸いコイン状のトークンだが。
料金は10ルピー、日本円にしてわずか18円。

旅行者が一番安心して利用できる乗り物がこのメトロだろう。ぼられることもないし、本数も多くて確実だ。
しかし、どこの観光地もメトロの駅からは離れているので、あまり観光には利用できないのが残念。

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 マンディハウス駅のホーム。

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 コンノートプレイスの中心にあるラジブチョーック駅。

ラジブチョーック駅で降りる。この駅はコンノートプレイスのちょうど中心にある。メトロのブルーラインとイエローラインが交差する駅で、大勢の人が乗り降りする。

地図上ではエアポートメトロも交わっているが、ここには駅が無く、800m離れたシヴァジ・スタジアム駅がコンノートプレイス最寄りとなる。1回地上に出て歩かなければならない。

コンノートプレイスに来たので、初日に見かけたマクドナルドに行ってみることにした。
円形の道路が何重にも並行するし、同じような建物ばかりなので歩いていると混乱しそうになるが、何とか見つけた。

店に入るとエアコンが効いて涼しい。は〜天国だ。

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 コンノートプレイスにあったマクドナルド。

カウンターでメニューを見ると、おお、噂の『マハラジャマック』が。
注文すると店員が「ミート?」と聞くので「イエス」と答える。あとでメニューをよく見るとチキンマハラジャとベジマハラジャがあった。ベジにすればよかったかな。一度ベジを食べてみたかったが、聞かれるとついノンベジとか答えてしまうので未だにその機会が無い。

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 マハラジャマックのセット。コーラとポテト付きで282ルピー。

ハンバーガーの箱を開けると、まあデカい。
高さはビッグマックの倍くらいありそう。

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 これがインドのチキンマハラジャマック。

意外なのは、野菜がたっぷり挟まっている。レタス、タマネギ、トマト、ピクルスそれにパティ、目玉焼き。
持ち上げると野菜がポロポロとこぼれ落ちる。チキンのパティはビーフのより厚い。食べずらいな、これは。

ソースの味はインドらしくスパイシー。暑い中食欲をそそる。辛いのが苦手な人はだめかも。

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 マックのカウンター。

涼しいしトイレもある。デリー街歩きのオアシスだねここは。
しばらく涼んでから、次は鉄道博物館へ行く。


posted by pupupukaya at 17/07/29 | Comment(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記12 マハマナ・エクスプレス

◆バラナシ・ジャンクション駅へ

もう腹具合も大丈夫そうで、昨日レセプションに伝えていた通り16時に出ることにする。
さんざん窓から眺めてすっかり見飽きた聖なるガンガーもこれで見納めになる。

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 1カ月も暮らしていたら悟りでも得られそうな窓。

スマホで今日乗る列車の席番を確認する。こちらもしっかりとアップされていた。

16時少し前チェックアウトのためにレセプションに行く。
宿代の請求は1900ルピーで2泊分となっていた。
昨日は4時までいて600ルピーと聞いていたのだが、まあいい。素直に2泊分払うことにする。
この点は安宿でよかった。これならもう少しゆっくりしていても良かったかも。 

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 さらば聖なるガンガー。

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 また入り組んだ小路を歩く。

ホテルを出て、まずはゴーダウリヤー交差点を目指して歩く。昨日サイクルリクシャーを降ろされた場所だ。
そこからオートリクシャ―を拾って駅に行く。

サイクルリクシャーはさすがに腹具合を考えるとちょっと・・・。

相変わらずカオス状態の交差点では、リクシャーが何台も客待ちしていた。さっそく呼び込み合戦。
駅まで行くだけだからどれでも良かった。

「レールウェイステーション、ワンハンドレット」と言って運転手を当たる。
「ワンハンドレットOK」と言った運転手の車に乗った。

オートリクシャーかと思ったら、荷台に椅子を付けたような車だった。まあ何でも駅に着きさえすれば良い。

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 乗り合いリクシャーだった。

走り出したかと思うと運ちゃんは歩いている人にやたらと声をかける。オイオイ真っ直ぐ行けよ。
何人かに声をかけているうちに1人乗り込んできた。
また声をかけながら走りだし、2人3人と同乗者が増えてくる。

結局乗客は私を入れて5人に。
どうやら拾った車は乗り合いリクシャーと呼ばれるもので、運ちゃんは駅まで行くから乗ってきなよみたいな感じで人を乗せたようだ。

まあ、急いでるわけじゃないし、駅に着きさえすれば文句はないが。

途中で降りて行く人もいる。
昨日のサイクルリクシャーとは通る道が違うような気がしたが、20分くらいで駅に着いた。

運ちゃんに100ルピー渡して降りる。ほかの客も全員降りた。誰もお金を払わないで行ってしまった。全員分の料金を私1人が払ったようなものだ。
まあこれも最初に100ルピーと言う話だったから別にいいけど。

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 バラナシ・ジャンクション駅はバラナシの玄関口。

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 座り込んで列車を待つ人。

まだ16時半。列車の発車時刻は18:55なのでまだ2時間は待たなければならない。
コンコースもウェイティングルームも人でいっぱい。重たいバックパックを背負ってウロウロするのもいやだし、ホームにいることにした。

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 コンコースの雑踏。

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 2階から見たコンコース。

ホームへ行ける跨線橋へは、コンコース横のエスカレーターから行くことができる。意外と都会的な構造だ。

ホームも人がいっぱいだった。居場所がない。
インド人に混じって、床に座り込んでしまおうかとも思ったが、ホームを牛が歩き回っているのでやめた。

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 ホームにもいる牛。

跨線橋の階段に座って過ごすことにした。ここは風が通り抜けて涼しい。

喉が渇くが、またコーラとかがぶ飲みして下したら大変なので、すっかり温まった水をちびちびと飲む。
お腹の方はもう大丈夫そうだった。

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 涼しい跨線橋で過ごす。

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 跨線橋から見たホーム。

牛は線路でもウロウロして、人間様が捨てた果物の皮なんかを食べている。列車が入ってきたらどうするんだろ。

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 ドリンキング・ウォーターに並ぶ人たち。

18時頃、4番ホームへ行くと列車が入っている。もう入線してたのかと思ったら反対側の5番ホームだった。
行き先を見ると『Surat』とあった。ローカル列車かと思っていたが、後で調べたら西インドのスラトまで行く長距離列車だった。

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 5番ホームはスラト行エクスプレス。 
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 発車を待つスリーパーの客車。


 ◆バラナシ・ジャンクション 18:55 → ニューデリー 8:25(翌)
   【22417】Mahamana Exp(マハマナ・エクスプレス)

 【22417列車】バラナシ〜ニューデリー 774kmのルート

18:28にディーゼル機関車に牽かれてマハマナ・エクスプレスが入線する。紫色のずいぶんおしゃれなデザインの客車だ。
私が乗るA1と書かれた客車は通り過ぎてずっと先の方まで行ってしまった。

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 入線するマハマナ・エクスプレス。Mahamana Exp (22417)

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 ホームの端に駅名標があった。

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 客車の列車名と行先表示。

客車のドアの横には係員が乗客名簿を張り出している。
自分の席番が分かっていれば見る必要はないが、チケットに席番が書かれていない場合はこの表で自分の席を確認してから乗る。
RACの人はCNFに繰り上がっていれば、この表に席番が載っている。

表を見たら自分の名前も表示されていた。

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 客車の入口に乗客名簿を張り出す。

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 座席番号が1番から順に表示されている乗客名簿。

寝台車のタイプは4日前にニューデリーからコルカタまで乗ったラージダーニ・エクスプレスと同じエアコン付2段寝台。
だが、この車両はずいぶん新しくて、ラージダーニよりも立派だし、清潔感もある。
全席コンセント付きなのはありがたい。

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 新しめの寝台車。定員4人のボックス席。

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 個別にカーテンが付くサイド席。

車内はまだ空席だらけだった。バックパックは下段寝台の下に押し込んだ。
やれやれこれで一安心。指定された席はボックス席の上段。

上段寝台にアグラをかいて発車を待つ。もう暗くて外も見えないだろうし、ここを一夜の城にする。
下段に座ったのはインド人夫婦だった。

エアコン2段寝台は上等クラスなんだろうな。乗客たちの身なりもいいし、3段寝台のような雑踏もない。
整いすぎて、インドらしくない。楽といえば楽だが、つまらない気もする。

インドらしさを体験したかったらエアコン3段寝台、何より安心感というならばエアコン2段寝台がおすすめ。
エアコン無し3段寝台のスリーパーはインド旅行上級者向けだろう。昼間だけの乗車ならばアリだが。

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 インドらしからぬ新しい客車。

18:55に発車したようだ。車内はまだ空席が目立つ。途中からのってくるのだろう。入線から発車まで落ちついたものだった。

一昨日乗った3段寝台のような慌ただしさは無い。
この列車は明日の朝デリーに着く。もう心配事はほとんど無い。あと少しでインドから解放されると思うと、すっかり安心だった。
お祝いに一杯やりたいところだが、別に酒を飲みたいとは思わない。
ホームの売店で買ったスプライトで祝杯とする。

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 ホームの売店で買ったスプライト。

日本では滅多に飲まない炭酸飲料。これが妙にうまく感じる。考えたら朝からほとんど水分しか取っていなかった。

この列車は食事つきではないので通路を頻繁に車内販売が通る。
下段の人が呼び止めて揚げパンのような物を買っていた。私もつられて1皿買った。40ルピー。

パントリーカーで揚げたらしく温かい。中身はジャガイモと野菜のようだ。ケチャップの小袋が付く。かなりスパイシーな味付け。また下さなきゃいいけど。

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 名前は忘れたが車内販売で買った揚げパン。(40ルピー)

コンセントがあるので、心置きなくスマホが使える。動画を見たりして過ごす。
夕食の事などすっかり忘れていた20:20頃、パントリーカーのクルーがディナーの注文を取りに回ってきた。
せっかくだからお願いした。ベジとノンベジと聞かれ、ノンベジと答える。後で思うと、1食くらい『ベジ』を食べてみたかった。

このボックスでディナーを注文したのは私だけ。夕食を済ませてから乗ってくる人が多いようだ。

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 パントリーカーから運ばれてきたディナー。(150ルピー)

ディナーがやって来たのはそれから1時間後。これも忘れていた頃だった。もう寝てる人も多い。

トレーに載っているのは骨付きのチキンカレー、野菜のカレー、ナン、ライス。それに紙コップには揚げパンのシロップ漬けが入っている。これはすごく甘かった。

おいしくて全部平らげる。もう腹具合も元に戻ったようだ。

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 カーテンを閉めた状態。

食べ終わって、通路の床にトレーを置いてトイレに行く。
戻ってくると下の人が「オフライト?」と聞くので「イエス」と答える。
明かりが消されて暗くなる。もう横になった。

列車の走行する振動も心地よく、すぐに眠りに落ちた。




posted by pupupukaya at 17/07/22 | Comment(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記11 ガンガーで過ごす

◆6日目 5/2 バラナシにて

”ガートへ行く朝は、思いきり早起きして日の出前に着くようにしたい”

とは地球の歩き方に書いてある文言。

朝5時、目覚ましで起きる。
バラナシまで来たからには、ガンガーの日の出は何としても見たかった。
何としても見逃すまいと前の晩から気合を入れていた。

ホテルの場所はガンガーのほとりにある。
さっそく外に出ようとすると、エントランスにはがっちりと門扉が閉まっていて南京錠がかけられている。
セキュリティーは万全だが、外に出られない。レセプションにでも頼めば開けてくれるのだろうが、そこまでするのも面倒だ。
仕方がないので、ホテルのテラスからガンガーを眺める。

今日のバラナシの日の出は5時21分。ところが、その時刻を過ぎても一向に太陽が昇ってこない。

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 日の出のガンガー。

5時半くらいになってようやく弱々しい朝日がスモッグの向こうに姿を現した。暑いスモッグが地平近くを覆っているので、地平線から姿を現したばかりの弱い光はさえぎられてしまっていたようだ。

次第に日の光は強くなって、空もガンガーも赤く染まる。
これもスモッグのせいだろうが、環境には悪いスモッグも、夜明けには粋なことをする。

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 スモッグ越しの弱々しい朝日が姿を現した。

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 空もガンガーも赤く染まる。

聖なるガンガーの向こうから昇る朝日に照らされて川風に当たっていると、悩みも罪もすべて流されて行くような気がした。

沈んだ太陽もまた朝には昇ってくる。肉体は無くなっても意識は永遠に無くならない。また別の宿主に入り込んで活動するのである。これが輪廻転生(りんねてんしょう)の考えである。

意識とは何か。

人工知能がいくら進化しても意識を持つまでには至らない。
なぜなら、それは人間が作為的に作った物に過ぎないからだ。
意識はどこから来るのか、人はどこからきてどこへ行くのか。この朝焼けのガンガーに答えがあるような気がした。

バラナシで1泊して良かったと思った。

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 ガンガーを照らし、街を照らし、人々を照らし始めた太陽。永遠に続く光景。

下では沐浴をする人たちの姿が見える。
男性はパンツ一丁になって川に入るが、女性はサリーを着たまま入る。子供は泳いでいる。

そんなのを見ているととても気持ちよさそう。自分もやってみたくなる。

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 夜明けとともに沐浴する人々。

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 昨夜プージャ―が行われていたダシャーシュワメード・ガート。

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 沐浴する人びと。

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 聖なるガンガーで洗濯する女性たちと、ゴミをあさる牛。

ガンガーや沐浴風景を眺めていたら、下を歩いていたおっちゃんがテラスにいた私を見つけて「スミマセン!スミマセン!」と叫ぶ。ボート漕ぎの客引きらしい。

せっかくガンガーの夜明けを見て清らかな気分に浸っていたのに台無しだ。

たまに観光客が通るとそっちに客引きを始めるが、また戻ってきてこっちを見て「スミマセン!」と始まる。
つーか、ボートに乗りたくても門扉が閉まっていて下りられないし。

中国人(多分)の兄さんが通りかかったとき、おっちゃんはまたその人に客引きをするのだが、その兄さんの断り方が良かった。
足も止めず顔も動かさず、手をサッと挙げて通り過ぎる。
「わかってるよー、だけどいらないよー」みたいな感じがこもっている。
おっちゃんも、そう来られたら相手にならないという感じだった。

すっかり感心して、今度からはあの手で行こうと思った。
相手が誰だろうと良いものは学ばせてもらいますよ。

おっちゃんはまたこっちを見てまた「スミマセン!」と連呼。
「一生やっとれ!」と叫び返して部屋に戻る。

ずっと川風に当たっていたら冷えてきた。またトイレへ行く。
昨夜から腹具合が悪いが、一晩経っても下痢は止まらなかった。

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 下りて来いとしつこかったボート漕ぎのおっちゃん。

部屋でもうひと眠り。
腹具合は良くなったのかどうなのか。差し込みが来てから下痢が止まっていないことがわかるくらいなので。
熱も吐き気も無いので大事ではないようだが。

8時ごろ水と食料を買いに外に出る。

ガンガーのガートに下りると、結構な人出になっていた。
さっきのおっちゃんはいなくなっていた。
川に入り沐浴する人も多い。インド人以外の観光客も入っている人も見かける。

歩いているとインド人の声掛けは相変わらず。

今朝見かけた兄さんの通り、顔を動かさずに手だけ軽く上げる動作をすると、これが効果抜群だった。
どの声掛けも諦めてそれ以上声を掛けてこない。

ヘタに問答をしたり無視したりすると、もしかしてこいつは脈ありかもと思われるんだろう。
「ハイハイ、アンタに用はないよー」感を右手に込めて、一瞬でさりげなくやるのがコツかな。

そんなわけで今度はガンガー沿いのガートを落ち着いて見ることができた。

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 ガンガーの中心に位置するダシャーシュワメード・ガート。

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 夜にプージャ―が行われていた場所。

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 ガンガーに向かってお祈りをする人々。

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 沐浴の風景。

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 段々になっているガート。

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 水面が下がって川底が姿を現したガート。

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 塔があるラリタ・ガート。

ガートの段に腰かけてガンガーを眺める。もちろんスマホ片手に(w

川面は穏やかで、流れているようには見えない。
ゴミは浮かんでいなく、意外ときれいに見える。しかし水は緑色をしている。
川岸には水葬の死体が流れ着くこともあるようだが、幸いなことに見なかった。

下水や工場排水が流れ込んでいるので、大腸菌は基準の100倍ものレベルなのだとか。
川に浸かったり泳いだりする人を見ていると気持ちよさそうだが、やっぱり自分は入る気はしない。
腹も壊している最中だし。

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 ガンガーの水は緑色だった。

手漕ぎのボートがゆらゆらと通り過ぎる。
のんびりとしたものだ。
海外旅行はとにかくあれも見てこれも見てと忙しくなりがちだけど、今日は夕方まで何も予定は無い。

予定も何も、今日の場合は腹具合次第だが。

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 1887年に架けられたマルヴィーヤ橋とガンガーに浮かぶボート。

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 路上の野菜市場。

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 色とりどりのフルーツ。(ブレてしまった)

1時間ほど歩いてきて汗をかいたら喉が渇く。ホテル近くの商店でまたリムカを買ってきた。
部屋に戻って飲むと、甘酸っぱくて冷たくておいしいー。
あまりがぶがぶ飲むと腹によろしくないから気を付けながら。

そういえば、日本から乾燥納豆を持ってきていたな。納豆の整腸作用を期待して一袋食べる。

インドの下痢 VS ジャパニーズ納豆、勝負はいかに。

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 日本から持ってきた乾燥納豆。

また差し込みが来た。
今日はずっと部屋で横になって、胃腸と体力の回復に努めることにする。

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 濡れティッシュでリムカを包む。

リムカはぬるくなっちゃうな。冷蔵庫などあるわけもなし。

思いついた。ティッシュを濡らしてペットボトルを包んで風が当たる窓際に置く。気化熱で冷やすというわけだ。
これが意外と冷えるので、冷蔵庫の無い部屋に泊まったときは試してみるといいですよ。

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 部屋の窓から見るガンガー。

 ガンジス河とヒンドゥー教のお経(0:02:45)

レセプションには昨日レイトチェックアウトすると伝えてある。
今日は休息日と思うことにした。

ベッドに横になり、たまに起きあがって窓からガンガーを眺める。
後になって、とても贅沢な時間を過ごしていたとも思えてきた。

ずっと安静にしていたら、2時頃を最後に下痢は治まった。
納豆の勝利なのか、元から大したことなかったのかは分からないが、ひとまずは何とかなりそう。


posted by pupupukaya at 17/07/17 | Comment(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記10 バラナシを歩く

地球の歩き方に載っていた『メグ・カフェ』へ行って見ることにした。
日本人の奥さんとインド人の旦那さんがやっている日本食の店。別に日本食が恋しくなったわけではないが、じゃあほかにどこで食べるかというあても無く。

旧市街のこのあたりは狭い小路が迷路のように入り組んでいる。スマホの地図はあまり役に立たない。

とにかく暑い!汗が滝のように流れる。

小路にあった商店でコーラを買う。思わず一気飲み。あー冷たくてシュワシュワしてうまい。
ビールならば最高なんだろうけど、この暑さの中ビール飲んで歩いたら死ぬな。

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 入り組む小路を歩いて行く。

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 小路の両脇にはヒンドゥー教の道具屋が並ぶ。

地図を頼りにそれらしき場所まで来たが、それらしき店は見当たらない。

相変わらずインド人案内人祭り。
「コニチワ!」
「スミマセン!スミマセン!ドコニイキマスカ!」

んもー!

ぐるぐる回って2回目に同じ場所に来たら、道の上の方に『MEGU CAFE』の表示を見つけた。小路からさらに小路の階段を登って行ったところに店はあった。

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 やっと見つけた『メグ・カフェ』。

店に入るとインド人店員に怒られる。おっと、主人か。入り口わきの棚に履物が並んでいる。土足禁止ということか。
店内は日本語の会話が聞こえる。日本人を見たのはデリー以来だ。

これも日本語のメニューを見て、チキンかつ丼とアイスコーヒーを頼んだ。
店内はエアコンが効いて居心地は良い。

途中で相席になった。メニューを見て日本語で注文してる。
「日本の人?」と聞いてみたら、韓国からと言った。

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 メグ・カフェで食べたチキンかつ丼。

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 アイスコーヒーは冷たくて生き返るようだった。

チキンかつ丼の米はインディア米で、ハシでは食べずらいがおいしい。たまには海外で食べる日本食もいいね。
あとから来たアイスコーヒーは氷がたくさん入っていて、冷たくておいしい。

あーもうどこへも行きたくない。

ホテルの部屋に戻っても、扇風機の風があるだけの暑い部屋である。

食べ終わってからアイスティーをもう1杯頼んだ。相席の人は先に出て行った。
繁盛しているようで、客は次から次と来ていた。日本人ばかり。

お前たち一体どこへ行ってたんだ・・・
( ´∀`)< オマエモナー

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 店の外は地獄。

1時間くらい居て、もう出ることにする。
外は暑いぞー、しかもインド人の案内人祭り。

さて、また戦いに出るか。

お勘定の時に「2000札でお釣りある?」と聞いてみた。
「うーん、細かい方がいいんですが」
引出しの釣銭を見て、
「大丈夫、ありますよ」
助かった。2000ルピー札なんて他では使いようがない高額紙幣だ。

チキンかつ丼とアイスコーヒー、アイスティーで365ルピー。

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 複雑に入り組む小路。

店にいたときにスマホの地図を見ていたが、来たときと反対方向へいけばガンガーを回ってホテルに戻れるようだ。途中にATMもあるようなのでお金を引き出しておこう。

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 小路は奥に進むにつれて生活感が出てきた。

スマホのGPSをONにして歩く。
しかしこの入り組んだ小路にはスマホ地図もお手上げのようだ。
大体ここをこう曲がればという目ぼし位の役にしか立たない。
行けば行くほどガンガーからは離れて行った。

当たり前だが、道を行くのはインド人ばかり。
ホテル近くの小路は、礼拝の道具や土産物の店が並んでいたが、この辺りまで来ると一般の雑貨店のような店が並ぶ、生活感のある商店街になっていた。
迷いでもしなければ、普通の観光客がこんなところまで入り込むことはないのかも。
インド人ばかりの中、東洋人は目立つはずなのに気安く話しかけてくる人は無し。ああいう連中は観光客の多い所をウロウロしているようだ。

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 小路をさまよい歩く。

狭い小路をスクーターがクラクションをビービー鳴らしながら走り回る。その中を牛がノシノシと歩く。
ヒンドゥーでは牛は神聖な動物とされ、殺すことも食べることも許されない。
しかもここはヒンドゥー最大の聖地、バラナシである。お牛様は人間様を横目にわがもの顔で居座るのだった。

小路を進んで行くと牛が座り込んで通せんぼしていた。
そこへスクーターがやって来る。

さて、その聖なるお牛様にスクーターの運転手はどうしたでしょうか?

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 お牛様が通せんぼ。コブウシはヒンドゥーでは最も神聖とされている。






正解は、棒で思いっきりひっぱたく。

「パン!パン!パン!」

聖なるお牛様はのそっと起き上がり脇に避けた。
さすがに人間様の営みを邪魔することは許されないようだ。

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 バンスファタック・ロード。このあたりでATMを見つけた。

小路を抜けると少し広い通りに出た。地図を見るとバンスファタック・ロードとある。
地図では細い小路も広い道路も皆同じ太さで表示されているのでわけが分からなくなる。

ATMを見つけたので入ってみる。『PLUS』の表示があるのでダメモトでやってみる。
3000ルピー引き出すことに成功。とりあえずお金の心配はなくなった。
また2000ルピー札が来てしまったが。

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 狭い道にあふれる人、牛、スクーター。

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 牛の多くは野良ではなく飼い主がいるそうだ。首に輪がつけられている。

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 ゴーダウリアー交差点。

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 ホテル前の道路。

また来た道をホテルへ戻る。
途中、ホテル近くの商店で水2本とリムカを買った。リムカとはライムとレモン味の炭酸飲料。
コカコーラのブランドだが、インドでしかお目にかかることができないようだ。
ライムの香りと、甘酸っぱいスッキリとした飲み口ですっかり気に入った。

暑い中歩き回っていたので着ていたシャツはまた汗でびしょ濡れになっていた。
ホテルの部屋でリムカと水をがぶ飲み。

こんなものばかり飲んでいたら腹壊すぞ。

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 ホテル近くの店で買ってきた水と『リムカ』。

洗濯物はすっかり乾いていた。暑いけど扇風機の風に当てていれば乾くのは早い。
外からは何やら子供たちの騒ぐ声がする。
窓の下の広場では子供がクリケットをやって遊んでいた。日常の風景。

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 部屋の窓から見えるガンガー。

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 インドの緑色の石けん。

部屋で一休みして、18時頃また外に出る。眺めは良いが、あまり居心地の良い部屋ではない。
ガンガーは川風が心地よい。気温も少し下がったようだ。

しっかし話しかけてくるインド人がうざい。また「コンニチワ!」「スミマセン!」祭り。

頼むからもう放っといて( ^ω^)ノ

何だかドラクエのはぐれメタルになった気分だ。
見つかった途端に襲いかかってくるのは勇者一行。
お金持ちの日本人、彼らからしてみれば、はぐれメタルのように見えるのだろう。

「コンニチワ!ドコニイキマスカ!」
はぐれメタルは、にげだした!

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 広いガンジス河。

だんだん薄暗くなってきたガンガー。
川岸の向こうにいくつもの炎が見える。
あそこはマニカルニカー・ガートといって火葬場があるガート。
火葬は24時間行われて、煙が途絶えることはないという。

近づくと、持っていたカメラをしまえと注意された。ここは撮影禁止である。

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 マニカルニカー・ガートにある火葬場の炎。

ガンガーの段に腰かけてスマホを見ているふりをすると不思議とインド人は話しかけてこない。
スマホにはそんな力があるのか。今度からはこの手で行くか。まだわからんけど。

ガンガーを見ながら、明日の事を考える。

明日は11時にホテルをチェックアウト、その後は18:55発の列車に乗ることになっている。
荷物はホテルに預ければいいだろうが、体の方はどうしようか。
ガッツリ時間をつぶせるところがあればいいが、そんな場所はなさそう。

ガンガーでのんびり過ごせればいいが、この時期は一番暑い季節。炎天下の中にいたんじゃ死んでしまう。もう暑い中歩くのは懲りごりだ。
それにどこに行ってもインド人案内人にまとわりつかれる。

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 夕暮れのガンガー。

思いついたのは、レイトチェックアウト。
チェックアウトを明日の夕方まで延長してもらうのだ。ホテルを拠点にすれば、休み休み観光ができる。

ホテルに戻って、レセプションに明日4時までレイトチェックアウトしたいと言うと、600ルピーでOKとなった。
これで明日の心配はなくなった。

ホテルにレストランがあり、ガンガーの見えるテラス席に座る。

メニューを見てターリーを注文する。それしか分からないのだが。
「ドリンク?」と聞かれたので
「ドゥーユーハブ ア ビア?」(ビールある?)
「イエス」
1本もらう。ビールはキングフィッシャー。

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 キングフィッシャー。

明日の心配事も解決したし、お祝いしよう。

ビールはよく冷えていて、シュワシュワと喉を通って、五臓六腑に染みわたる。
聖なるガンガーを見下ろしながら飲むビール。なんと罰当たりなことをしているんだろうか。
お神酒上がらぬ神はなし、シヴァの神様も今日だけは勘弁してくれよう。

ビールを飲みながらガンガーはだんだんと暗くなってくる。
風に乗って遠くから太鼓やドラの音、それに合わせて歌声が聞こえてきた。

客は私一人。話し相手も無く、寂しい。
一人旅は気楽だが、こういう時に限っては連れがいた方がいいな。

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 テラスで聖なるガンガーを眺めながら飲むビール。

ターリーはナンのほかにカレーピラフのようなライスまであってボリューミー。味もなかなか良かった。

「ビア ワンモア?」(ビールもう1杯どう?)と聞かれたので思わず
「イエス プリーズ」と答える。

これはやめとけばよかった。ビールとカレーの相性の悪さをあとで思い知る。

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 ボリュームのあるターリー。

ビール2本飲んですっかりいい気分になった。
「ヘーイ、チェックプリーズ」と言ってお会計をする。

ターリー200ルピー、ビール2本で400ルピー、計600ルピー。
最後に「チップ」と言って100ルピー札を渡すと
「サンキュー・サー!」
軍隊のように気合の入ったサンキュー・サーだった。

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 すっかり日が暮れたガンガー。

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 街灯が水面に映るガンガー。

腹いっぱい。ビールのせいで体が火照る。暑い。

部屋に戻って裸になって扇風機の風に当たっていると、便意を催す。
差し込みが来て何度も何度もやってきた。

冷たい物を飲み過ぎて腹を壊したか。

車内で歯を磨いたときに、洗面所の水で口をゆすいだとか、ほかに思い当たることもあるが、吐き気は無いし熱も無いようなので、食中毒とかではなさそう。

ところで、このホテルにはトイレットペーパーがついていない。
かわりに尻洗い用の桶が置いてある。何回もトイレに通ううちに使い方も板についた。

この桶は2つあって、一つは青色で注ぎ口が△になっていて、もう一つはピンク色で注ぎ口がコの字形になっている。
あそこの形状によって桶の注ぎ口が違うのか?

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 部屋の窓から見えたプージャーと呼ばれる儀式。

手持ちの温度計を見ると30℃を指している。真夏の札幌、エアコンの無い我が家と変わらんよ。
外からはプージャ―と呼ばれる儀式の、ドラや太鼓を叩く音が遅くまで賑やかだった。


posted by pupupukaya at 17/07/16 | Comment(0) | 2017年インド旅行記

2017年インド旅行記9 インドの聖地バラナシへ

◆5日目 5/1 ビブティ・エクスプレスでバラナシまで

 コルカタ〜バラナシ 【ビブティ エクスプレス】のルート。

5時、外が明るいのに気づいて目が覚める。
どこかの駅に停車中。結構大きい駅のようだ。パトナーとあった。
時刻表では4:35発なので30分程度の遅れということになる。

ホームの向かい側に停車中の列車は座席車で、けだるそうな乗客が見える。

夜行列車同士、夜中の駅に停車中に抜きつ抜かれつという光景は日本でも昔はよく見られた。北海道では早朝の旭川駅での急行『利尻』と『大雪』がこんなふうに同時に停まっていたっけ。

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 パトナー・ジャンクション駅に停車中。

この駅でこの寝台車にも何人か乗ってきた。なんでこんな時間に寝台車に乗ってくるのだろう。
また横になる。

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 朝焼けの風景。

だんだん明るくなってくる。今日も快晴だ。
ずっと農村風景が続く。コルカタあたりで見かけた水田はなく、また乾燥した畑ばかり広がる。

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 農村地帯を走り続ける。

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 どこかの駅その1。

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 どこかの駅その2。

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 寝台車の朝。

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 隣に停車中の列車。

朝になると停車駅が多くなった。15〜20分くらいの間隔で駅に停まる。その度に何人かこの寝台車にも乗ってきた。
考えてみたら、エアコン車両は寝台車しかない。また、座席車主体の急行列車がほとんど無く、長距離を走る寝台列車ばかりなので、上級クラスに乗る階層の人たちは寝台車に乗ってくるのだろう。

また車内販売が回りはじめる。チャイ売り、あとジュース売り、スナック売りなど。呼び止めて1L入り水のボトルを買った。20ルピー。

ベッドに胡坐をかいて壁にもたれかかって外を見ていると、途中の駅で乗ってきた女性2人がベッドにいきなり揃って腰かけた。毛布やシーツは寝ていた時のままになっているが、そんなことはお構いなし。

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 勝手に座られてしまった。

2人は母娘といった感じで身なりは良い。娘さんは二十歳くらいだろうか、真新しいサリーに身を包み、じっと遠くを見つめるような目つきで押し黙っている。

嫁入りだろうか。
じっと一点をみたまま微動だにしない、きれいなサリーの娘さんの横顔を見ているとそんな気がした。

インドの結婚は結婚式の時に初めて相方と会うなんてことを聞いたことがある。
都会ではもうそんなことも無くなっただろうが、田舎ではまだ古い風習が残っているのかもしれない。

まあこちらの勝手な想像ですが。

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 ムガル・サライ駅。

8:56、ムガル・サライ駅に停車。いつまでたっても動かない。定刻ならば20分停車の駅で、電気機関車からディーゼル機関車に付け替えることになっている。

動き出したのは9:22だった。時刻表では8:42発なので40分遅れ。
まあ早く着いてもホテルに入れるかどうかも分からず、むしろ2時間くらい遅れてほしいくらいだったが。

しかし、ここからバラナシまでは18.1km。もうこれ以上遅れることはないだろう。

このあとにガンジス河の鉄橋を渡る。今回の車窓では一番の見どころだ。
カメラを構えて待っていると、鉄橋に差し掛かった。
柱がチラチラとするので写真写りは悪いが、眼下にはあのガンジス河がはっきりと見えた。

まあこの先2日間、イヤってほど見ることにはなるのだが。

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 ガンジス河の鉄橋を渡る。


◆聖地バラナシへ

10:08、バラナシ・ジャンクション駅に到着。ほとんどの人がここで降りる。途中から乗ってきた母娘はまだ先まで行くようだ。
時刻表では9:30着なので38分遅れ。もうそんなこと、どうでもいいが。

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 バラナシ・ジャンクション駅に到着。

ホームに出るとホームは人人人。駅舎内も人人人。
こりゃあ真っ直ぐホテルに向かうしかない。
チェックインがだめでも、荷物だけ預かってくれれば良い。

Varanasiの読み方は『ワーラーナシー』とも『ヴァラナスィー』とも。日本人は昔は『ベナレス』と呼んでいた。
色々呼び方はあるが、ここではネット上で一般的な『バラナシ』とさせていただく。

人口は約120万人。インドのウッタル・プラデーシュ州、バラナシ県の県都でもある。
ガンジス河沿いにあるヒンドゥー教の聖地として知られる。ここのガート(沐浴場)はアグラにあるタージマハルに並ぶインドでは有名なところ。
インドを旅行する際は外せない観光地のひとつだろう。

ホテルはガンジス沿いの旧市街にある。駅から旧市街までは歩いて行けないことは無いが、地図上では40分以上かかる。
面倒だが、リクシャーをつかまえることにする。
つかまえなくても駅を一歩出ればこれでもかってほど寄ってだろうけど。

駅を出ると案の定、客引きの運転手が寄ってきた。
「ガンガー、ハウマッチ」というと「ワンハンドレット」(100ルピー)という。

即決でそのおっさんについていくと自転車置き場だった。サイクルリクシャーか。どうりで安いわけだ。
デリーやコルカタでは見ることが無くなったサイクルリクシャーがここバラナシでは現役なのだ。

乗り込むとリクシャーワーラーのおっさんがキコキコとこぎ出す。おっさんというか、じいさんと言った風貌。
ほかのリクシャーの自転車漕ぎもわりと年配の人ばかり。ま、きつそうだし、若い人はやりたがらないだろうな。
あと10年もしたら無くなっている商売かもしれない。

おっさんはペダルをキコキコとこぎながらのったらのったらと進む。
道路はデコボコだらけなので、その度に振動を食らう、熱風と埃と排気ガスがモロに直撃する。
ビービ―とクラクションがやかましい
お世辞にも良いとはいえない乗り心地だが、たまにはこういうのも面白い。

DSCN1063.JPG
 サイクルリクシャ―で出発。

 バラナシのサイクルリクシャ風景:動画(0:06:08)

リクシャーは裏道のような道路ばかり通る。
ちゃんと旧市街に向かっているのか心配になってくるが、おっさんに任せるしかない。

旧市街まで来て、あと少しでガンジス河という所の交差点は大渋滞であった。駅からここまで約30分。
渋滞というより、4方向からとにかく突っ込めるだけ突っ込んでくるので二進も三進もいかない感じ。サイクルリクシャーもすっかり巻き込まれてしまった。

DSCN1082.JPG
 ゴーダウリアー交差点からは進めなくなってしまった。

すると前の方から待ってましたとばかりに男が近づいてきて片言の日本語で言った。
「コンニチワ、ガンジスデスカーアンナイシマスヨー」

リクシャーは車に囲まれてもう動けない。おっさんはもうここで降りろという。
「コンニチワー」とか「ハロー」とか言って男が3人も寄ってきて取り囲んだ。

おっさんに100ルピー札を1枚渡してリクシャーを降りる。おっさんは「アンカー」と言った。
あとはこいつらに付いて行けということか。冗談じゃないぞ。

「ガンガーハアッチ、イッショニイキマショウ」
困ったな。しかし私はこういう時の身のこなしは早い。隙を見て動き出した車の脇をすり抜けて逃げ出した。

誰もついてこないので撒くことはできたようだ。

それにしてもここはどこだ?
スマホの地図で見ると旧市街のゴードウリヤー交差点という場所だった。
ここからホテルまでは600mばかり。もうすぐだ。

さっきの交差点から先は車止めがあって、車は進入禁止となっていた。だからリクシャーのおっさんは降りろと言ったのかもしれない。

歩いていると片言の日本語を話す奴がやたらと寄ってくる。

「ハロー、ドコニイキマスカ」
「アンナイシマスヨ」

あーうっとうしい!
立ち止まるとすぐに寄ってくるからオチオチと地図も見れない。

「ホテルデスカ?アンナイシマスヨ」
「アルカホテルデスカ?」
何で知ってるんだ?

途中でこれはと思う路地に入って行く。
「ソッチハナニモナイヨ、アルカハコッチ」

とにかく無視して歩いて行く。路地は狭くて入り組んでいて、もう地図など役に立ちそうになかった。
こっちで合っているんだろうか。と思いかけたら、壁に泊まるホテルの名前と矢印が書いてあった。

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 小路の壁面にあった「ALKA HOTEL」の表記。

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 まるで迷路のような小路が続く。

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 何とかホテルの前に着いた。

何とかホテルの前まで来ることができた。レセプションに行くと早いがチェックインOKという。
デリーのホテルで見たのと同じ大きくてぶ厚い宿帳に色々書き込んで、最後にサインさせられる。

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 ホテルはガンジス河沿いにある。 

Booking.comで予約したのだが、『地球の歩き方』にも載っていて、『ガンガーに面した絶好の立地』とある。

案内された部屋は狭かった。1泊950ルピー(約1700円)だし、こんなものか。
エアコンも無く、天井の大きい扇風機がブンブン回っている。
それでもテレビが置いてあって、専用のトイレ・シャワーが付いているので上等なものだ。

そのかわり、窓からはガンジス河が見渡せる最高の眺めだった。

DSCN1089.JPG
 殺風景だが、一晩の宿なら十分。

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 エアコンは無いが、代わりに天井の扇風機が回る。

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 部屋の窓はガンガービュー。

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 トイレ、シャワー、洗面台付き。

さっそく洗面台で洗濯をする。シャツは乾いた汗で塩が吹いている。靴下は激クサ。
すいません、車内でクサかったのは私です。この靴下は捨てることにした。

部屋に洗濯ロープを張って洗濯物を干してから出かける。

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 洗濯物を干す。

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 ホテルのテラスから見たガンガー。

まずはガンガーへ。ガンガーとはガンジス河の現地読み。
宿を出て階段を下るとすぐにガンガーだ。

岸からはガートと呼ばれる石の階段が川面まで下りていて、沐浴なのか水につかる人々がいた。
ここはヒンドゥー教の聖地であり、ガンガーは聖水である。川の水に頭まで浸かれば全ての罪は清められるとされている。

DSCN1098.JPG
 ガンガー側から見たホテル。

ガートに沿って歩き出せば、

第1村人「コニチワ、ドコニイキマスカ?アンナイシマスヨ」
私「オーノーサンキュー」

第2村人「スミマセン、ドコニイキマスカ?ワタシノショップキマセンカ?」
私「No!No!No!」

第3村人「コンニチワ、ニホンカラデスカ」

あーうるせー!

まあこんなのにホイホイついて行くアホな日本人が多いから、彼らが商売になっているんだろうけど。

もうガンガーはあとでいい、暑いし。

メシにしよう。今日はまだ朝から何も食べていないので何か食べたい。
部屋に戻り、どこに行くか調べてからまた出直すことにする。


posted by pupupukaya at 17/07/09 | Comment(0) | 2017年インド旅行記
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