花の街さっぽろを歩く

桜以来ずっと寒い日が続いていましたが、この日曜日はようやく暖かくなった札幌。
冷え切ったコンクリート箱の家の中よりも、外の方が暖かいくらい。

春の陽気に誘われるように、大通公園から中島公園まで歩いてきました。
今日は、札幌の街を画像を交えて旅行気分で紹介しようと思います。
しばらくお付き合い願います。

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大通公園はライラックが満開を迎えていました。
紫、白、ピンクと咲き乱れるライラックの花はまさしく札幌のシンボル。

もう冬とは完全におさらば、春から初夏へと移り変わってゆく、そんな季節です。

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ライラックは花そのものよりも香りだと思っている。
花が咲き始めるとあちこちにロマンチックな香りが漂う。
雪の谷間で暮らしていた冬も終わり、今年こそ何かいいことがあるんじゃないか、そんな気持ちが湧いてくるような香りです。

この香りをブログでお伝え出来ないのが残念ですな。

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ライラック並木と言えば大通公園や川下公園が有名ですが、住宅地へ行くと多くの家々の軒先から顔を出すようにして咲いているライラックが見られます。

どこの家でも、ライラックだけは塀から道路にせり出すようにして咲いているのはどうしてなんでしょう。
そして花が終わると、途端に存在感が無くなってしまうのもライラックの木ですね。

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大通公園はすっかり初夏の陽気。
上着を着て歩いていたら汗ばんでくるほど。

もうコロナも終わり。
いや、終わってはいないけど、もうこんなものに振り回され続けるのはやめましょうということだ。
WHO=世界保健機関だって緊急事態宣言を終了しています。

それにしても相変わらず歩く人はマスク姿が多いですな。
3月にマスクは個人判断とされてから2か月。
暖かくなればマスクを外す人も多くなるのではと思っていましたが、ノーマスクは一向に増えることもありませんね。

私ですか?
もちろん今日はノーマスクです。

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こちらは16日で閉館となるPIVOT(ピヴォ)。
隣の4プラはビルの解体が完了して新たなビル建設工事が始まっているが、こちらも新たな商業ビルに建て替えとなる。

でも駅前通りに面した入口はひっそりとしている。
同じ閉館でも、こちらは4プラ閉館ほどの話題性はないようです。

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ピヴォが入る中心街ビルは1969年完成で、駅前通りはかつて幅員20mから36mに拡幅された際に一斉に新築されたビルの1つ。
それが50年以上の歳月を経て再び建て替えとなるわけです。

同じ並びにある札幌ナナイロ、アルシュの方は今のところ建て替えの噂は聞きませんが、やはり築50年以上経つビルなので今後は建て替え工事が始まるのでしょうね。

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こちらは狸小路3丁目にお目見えしたモユクサッポロ。
オープンは7月ですが、地下街のポールタウンとの出入口部分だけ通れるようになりました。

この中にオープンする都市型水族館は話題となりましたが、ほかにはどんなテナントが入るのか。
かつてのサンデパートビルのキーテナントだったドン・キホーテは戻って来るのか。
いずれにしても、狸小路のイメージも大きく変わりそうですね。

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歩道に設けられた狸小路電停とモユクサッポロのエントランスが近未来的な街に見えます。
市電の旧型車は似合わないような気がしますね。

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2020年に閉館したススキノラフィラの跡地に建設中の、COCONO SUSUKINO(ココノ ススキノ)も姿が見えてきました。
こちらは今年秋にオープン予定。
ラフィラ時代からあったイトーヨーカドーは入居しないこととなったのは残念。かわりに帯広のスーパー『ダイイチ』が入る模様です。

地上部分だけでなく、地下鉄すすきの駅コンコースも、新たなビルに合わせるべく改修工事が行われております。

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こんどは、すすきのを抜けて中島公園へ。
こちらのライラックは大通公園よりも咲くのが遅いようで、まだつぼみが目立ちました。
それでもライラックの周りは良い香りが漂っています。

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おや、遅咲きの桜かなと思えば、こちらはハナカイドウの花。
リンゴ科の木で、花からは心なしかリンゴの香りがしました。

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花の蜜を集めに、ハチも飛び回っていました。

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シチズン製の日時計がありました。
腕時計で見る現在時刻は12時35分。
う〜ん、日時計の方が5分ほど遅れているかな。でもほぼ正確。

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こちらは重要文化財 豊平館。
1880年に札幌初の西洋ホテルとして、開拓使により建てられた施設。
元は大通1丁目の今のカナモトホールの場所にあったが、新たに市民会館を建設することになり、中島公園内のこの場所に移設されたものです。

札幌時計台と同時期の建築で、どちらも重要文化財。
創設の地で、年々高層になるビルの谷間に埋もれたような恰好の時計台に対し、こちらは緑に囲まれて北海道らしい大らかさと開拓時代を偲ぶことができます。

2つは同時期に建てられたものの、まったく対称的な運命をたどった明治時代の建物。
どちらが良いのかはわかりませんけど。

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瀟洒な洋館で、有料だけど内部も見学できる観光地の1つとなっています。
しかし、ここまで来る観光客も少ないようで、いつも閑散としているのは残念なところ。
中島公園駅方向からだと結構歩くし、園内の通路を何度か曲がらなきゃならないので、道が分かりにくいのもあるのかも知れませんね。

私は自宅から中島公園駅へ行くには必ず豊平館の前を通るので、ここは馴染みの場所です。

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公園の奥の方には、まだ満開の八重桜が残っていました。
市電中島公園通から公園入口まで続く南11条通りの八重桜並木は葉も増えてきて散り始めていますが、こちらはまだ綺麗に咲いています。

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八重に重なった花びらと、枝先のぼんぼりのように花をつけるのが特徴。

もう何年か前、やはり中島公園を散歩していて八重桜を眺めていたら、外国人観光客の1人に「これは何という花ですか?」と聞かれたことがありました。
「ヤエザクラ」と教えてあげましたが、こんな桜があるのかと珍しがっていたのを思い出します。

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川と八重桜のコントラスト。

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ボートが遊ぶ菖蒲池。
都心近くの公園とは思えないほど静かでのんびりとした風景。

もし1人で札幌を旅していて、観光地に群がる人波に疲れたり、仲良しカップルたちに囲まれて孤独を感じたら、ここ中島公園で過ごしてみてはいかがでしょうか。

木陰のベンチで木々のざわめきを聞きながら、心地よく頬を伝う風を感じよう。
そう、これが札幌の風だ。

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公園内を流れる小川。

この小川は、幌平橋上流にある水門から引き込んだ豊平川の水。
鴨々川として引き込んだ水を分流し、菖蒲池に注いで再び鴨々川に合流。
その後は創成川となる流れ。
水門から2手にわかれた流れは、石狩川でまた一緒になる。

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護国神社の前を通って、電車通りに出ました。
行啓通電停は、はちわかの建物がランドマーク。

はちわかの弁当はガラスケースに並んだ弁当の対面販売。店売りのものは午前中で売り切れてしまうことが多い。
移転した苗穂駅南口にも同名の弁当屋があるが、本店はこちら行啓通。

ここでお弁当を買って、中島公園で花見しながら食べるのも楽しそう。
でも今日は残念ながら定休日の日曜日。

ところで市電山鼻線が通る西7丁目通りは、幅員20mから25mに拡幅する工事が進んでいます。
8年ほど前から、南4条の資生館小学校前から始まった拡幅工事は、現在南9条の山鼻9条電停の手前まで完成しつつあります。
来年あたりからは南9条から11条までの間に着手しそうで、数年前から拡幅のための立ち退きが始まっている。

交差点の道路縁ギリギリに建っている はちわかも当然立ち退き対象となるわけで、この古い弁当屋もどうなるのだろう。
電車通りだけでなく、行啓通も拡幅の対象となっていて、数年前から立ち退きが本格化してきました。
古い商店街だった行啓通も、空き地が目立ってきました。

市電ループ化で路線ブランドが地味に高まったのか、山鼻線沿線にもマンションが増えてきました。
中島公園も近く、すこし歩くけど南北線の幌平橋駅もあり立地は悪くないこのあたり。
行啓通も数年後には円山の裏参道のようにマンション街道となるのでしょうか。

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こちらは隣の中島公園通電停。
道路拡幅に向けた立ち退きが進んでおり、中島公園通のレトロなランドマークだった理容の公園軒は姿を消しています。
この理容店は同じ場所に新店舗を建築中。

2〜3年も経たないうちに、このあたりの風景も一新していることでしょう。

自宅を出てから中島公園、大通公園、狸小路、すすきの、中島公園と歩くこと2時間半。
また自宅近くまで戻ってきました。
今日の気温は22℃まで上がったそうですね。
日向を歩いていたら、すっかり汗ばんでしまった。

冷たいビールでもグイッといきたいところですが、今日は日曜日。
明日から仕事なので、夕方まで我慢するしかありませんね。

ライラックの香りが漂う札幌の街を歩いてきたわけですが、中心部や電車通りはあちこちで建て替えラッシュ。
数年後には札幌の街も様変わりしていることでしょう。
でも街並みがどれだけ変わろうとも、今時期に一斉に咲くライラックの花と街に漂うライラックの香りは変わらずにいてほしい。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 23/05/14 | Comment(0) | 気になる物件

道内唯一、4車線道路の踏切

気づけば都会から踏切って、すっかり数が少なくなりましたよね。
交通量の多い踏切ならば立体高架化され、また鉄道の高架化で街中から踏切がすべてなくなったところも多い。

踏切ってのは迷惑な存在で、渋滞が起こる、町が分断される、一たび事故が起こると大事故にもなるし輸送にも多大な影響が出る。
こんなものは立体交差化してなくしてしまうのが一番いいのですが、なかなか全部そうするわけにもゆかず、立体交差化が難しい踏切が今も残っているわけです。

そんな困った踏切ですが、私も含めていわゆる鉄道ファンと呼ばれる方々には、鉄道の原風景が踏切だったという人も多いのではないでしょうか。

カン・カン・カン・・・と警報機が鳴り、遮断機が下りてしばらくすると列車が通過する。
あなたも、そんな光景を飽きることなくいつまでも眺めていたのではありませんか。
私らの子供のころは踏切も手動で、小屋から係員が出てきて白い旗を振っていましたな。

高架化や立体交差化されて安全で便利になったのは大変良いことですが、町から線路が遠くなったなと少々寂しく思えたりもします。
都会に住んでいると線路って身近な存在ではなくなりましたね。
今の子供たちはどうやって鉄道ファンになってゆくのでしょう・・・

前置きが長くなりましたが、今回のテーマは北海道で唯一ここだけという珍しい踏切です。
それがこちら。

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苫小牧市の糸井駅西側にある踏切。
これのどこが珍しいのかって?

よく見てください。
なんとこの踏切、4車線の道路なんです。
4車線道路で現役の踏切は道内でもここだけ。

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どうですこの堂々とした踏切っぷり。
片側2車線で並走して踏切を通行することができます。
歩道のスペースもあるので、歩行者も安心して渡れます。
交通量が少ないのに無駄に車線数が多い道路が苫小牧らしい(苫小牧の人すんません)

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札幌市内だって4車線の踏切は、かつて高架前の札沼線にあった新琴似四番通りの踏切くらいしか思い当たらないですね。
全国レベルで見ても数少ないのではないでしょうか。
4車線となるほどの交通量がある道路ならば早い時期に立体交差化となっているでしょうから。

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踏切の遮断桿(かん)も折れ曲がる長大サイズ。

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踏切の名は『新通り踏切』。

130K150Mとは長万部起点からの距離をメートル単位で表したもの。
いわば線路の住所となるべきもので、鉄道施設はありとあらゆるものに起点からの距離を割り振られている。

大障検とは踏切作動時に中に車などが取り残されたらセンサーで検知して運転士に知らせる機械のこと。

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新通り踏切から錦岡駅方向を見る。
ここは沼ノ端駅東側から白老駅東側まで28.7kmもの鉄道直線日本一の区間。
複線の線路は真っすぐに地平線を目指す。

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基本地元の車しか通らない道路ですが、初めての人が通ったらまさかこの先に踏切があるとは思わないでしょうね。
でもれっきとした踏切なので、必ず一時停止をしなければならないので気を付けましょう。
ローカル線ではないので、特急『北斗』や『すずらん』それに重量級の貨物列車がバンバン通過します。

ところでこの4車線の踏切が北海道以外の全国にどれくらいあるか探してみました。
JR線に限ってであれば見つけたのは以下の3か所。

 ・岩手県盛岡市の山田線盛岡〜上盛岡間
 ・東京都八王子市の中央線八王子〜西八王子間
 ・山口県岩国市の岩徳線岩国〜西岩国間

もっと調べたらまだ見つかるかもしれませんし、私鉄ならばもっと多そうですね。
6車線の踏切なんて見つかるかも知れません。

いずれにしても苫小牧市内にあるこの踏切が、全国的にも数えるほどしかない存在であることはおわかりいただけたかと思います。
ただ漠然と見過ごしてしまうようなものが、実は珍しいものだったなんてことはよくある話。

この苫小牧市にある新通り踏切ですが、今のところ立体交差化の話もないようです。
2030年度予定の北海道新幹線開業後も、この線路はJR室蘭本線として営業を続けることになっているので、この珍しい4車線踏切も半永久的にこのままの形で存続するのではないでしょうか。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 22/10/10 | Comment(0) | 気になる物件

2007年5月、懐かしの江別駅前

私はデジカメを所有してから、とにかく何でもかんでもバカスカ撮影するようになったものです。
その画像は外付けHDDに保存しているのですが、画像だけでどのくらいの容量になっているのかというと、821GBとなっていました。
画像1枚当たり4MBとすると、その枚数は20万枚以上になるでしょうか。

年月日ごとのフォルダに分けて保存しているので収拾がつかないというほどでもありませんが、これだけ数が多くなると過去のあの画像はどこだったかなと探すのも一苦労となるわけで。

この画像を見返していたら、2007年5月に撮影した江別駅前の画像が出てきました。
今から15年と1か月前の私は江別に行っていたようです。
もう消えてしまった町並みや建物もあって懐かしく、せっかくなので記事にしてみました。

まずは2007年5月の江別駅前公園から。

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奥に見える鉄骨は建設中のえべつみらいビル。
江別駅前再開発工事が始まった頃で、変わってゆく江別駅前の撮影をしようと、当時の私は江別まで出かけたのだろう。

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江別駅前で一番印象に残っていたものといえば、中央銀座通りのアーケード商店街。
発展した野幌駅前の商店街とは対照的にこちらは90年代頃にはシャッター通りと化していたようだ。
この頃には老朽化したアーケードの撤去が始まっており、画像に写っているのは残っていた一部のもの。

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コンクリートブロックの舗装と行燈の店名看板に賑わった時代を思う。

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江別は札幌から快速で20分(当時)、駅を中心に住宅地がどんどん広がっていったが、住宅地の広がりと反比例するようにこの商店街は寂れた。
江別駅前は、昔は石狩川の水運と、王子製紙(現・王子エフテックス)の城下町として発展した古い街でもある。
古い街にありがちな住人の頑固さと、土地や建物の所有権の複雑さ、工場、神社、川、線路と四方を取り囲まれた立地が周囲の発展から取り残された原因なのだろう。

駅前という好立地にありながら、2022年の今でもコンビニすらできないあたりに、この立地の難しさが窺える。

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レンガの煙突がいい味を出す寿司屋。
ここもアーケードがあったが、撤去されて歴史がありそうな建物があらわになっていた。
この頃には空き家となっていた模様。
2階は今でいう宴会場のようになっていたのかな。芸者さんなども出入りしていたのかも。
そんな遠い時代のことを想像させる。

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この中央銀座通りをまっすぐ行くと国道337号線(現在は道道江別長沼線)となる。
札幌から岩見沢方面に抜ける短絡路として交通量が多いが、両側は王子の構内で人が歩くような道ではない。
中央銀座通りは、歩行者からすると実質行き止まりの道だった。
逆に車からすると商店街は実質行き止まり。
このあたりも中央銀座が寂れた大きな要因だったのだろう。

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中央銀座通りから外れても古い建物が残っている。
まだ鉄道がなく、石狩川の海運が唯一の交通手段だった時代を思わせる。

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レンガ造りの建物。
江別はレンガの町でもあった。
札幌市内に残る赤レンガの建物の多くは、江別で生産したレンガでできている。

上の2つの画像の建物は、2022年でも現存している模様。
理解ある人が引き取って、カフェや工房として使われている建物は運が良かったのだろう。

ヨーロッパなんかでは中世からの古い町並みが普通に残っているので、日本はなぜ古い建物を大事にしないのかと思いたくなるところ。
向こうの場合は、建物は多くが石やレンガでできていて地震もほとんどなく火事にも強い。
対して日本はというと木造建築が多く、昔は一旦火事が広まると大火になってしまった。
それと地震その他の自然災害が多いことから、建物自体が100年も200年も使うことを想定していないからだろう。

実際古い建物って現在の生活様式には合わないだろうし(風呂が無いとか)、耐震や耐火でも劣る。
北海道ならば断熱材もないような家じゃ冬は寒くてしょうがないし。

駅前再開発という名の土地収用事業は、古い建物の所有者にとっては渡りに船だったのだろうか。
しかし、様変わりした野幌駅前に対してこっち江別駅前の再開発は中途半端に終わった感は否めない。

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これは別の日に撮影した中央バス江別ターミナル。
JR駅がリニューアルして近代化しても、中央バスターミナルの多くは昭和時代のままだった。

中央バスは駅よりも繁華街に近い場所に独立したバスターミナルを持っていて、鉄道駅にはそっぽを向けていた感があった。
鉄道VSバスと対決していた昭和時代ならともかく、車が普及して利用者が減ると、こうしたバスターミナルは廃止されて駅前発着とされるようになった。

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15年と1か月前のこの日は、レストランアップルにも立ち寄っている。
さっきの中央銀座とは反対側の北洋銀行近くの仲通りにあった。
寂れた町にある古くからの洋食屋といった感じの店だった。

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インディアンライスというのが珍しく、注文してみた。
何かというと、目玉焼きがのったドライカレー。軽くカレーソースがかかっていた。
サラダとスープ付きで700円。

今『インディアンライス』でググってみても、これとは別物のようだ。
この店のオリジナルなのか、実は江別の隠れたB級グルメだったのかは今となってはわからない。

最後にレストランアップルの入口にあったサンプルの画像を上げて終わります。

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こんな昭和の洋食屋も少なくなったよなあ・・・

では今日はこのへんで。

posted by pupupukaya at 22/06/18 | Comment(1) | 気になる物件

ちょっと昔の札幌を振り返る

只今新型コロナウイルス自粛引きこもり中につき、家にいて昔撮影した写真のスキャン画像を見つけたのでアップしたいと思います。
画像の下は撮影場所と撮影年月、その下は筆者が思うことを書いてみました。
撮影年月は記録に残っているものではないので必ずしも正確ではありません。『?』が付いているのは、前後の写真からの推定となります。

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 中央区南10条西6丁目(1995年8月)

8500形と同じ旧塗装の札幌市電が走る。その向こうには『新通市場』のアーチが立っている。 
電車通りから西8丁目までの1丁が商店街となっていた。今は所々に店が残るのみ。角の八百屋は今でも昔ながらの対面販売を続けている。
このあたりの風景はこの当時とあまり変わっていない気がするが、西7丁目通りの拡幅工事が南9条まできており、近くない将来この辺りの風景も一変するだろう。


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 中央区南7条西7丁目(2001年12月)

電車通りは古い建物が立ち並んでいたが、毎年少しずつ行われた道路拡幅計画の立ち退きにより新しい建物ばかりになった。
用地買収が完了しても舗装されるだけで、ずっと幅広の歩道ということになっていた。
ここ数年前から拡幅工事が進展して、工事が完了したところは電線も地中化され見通しも良くなり、見違えるようになった。


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 中央区南14条西6丁目(1995年8月)

米里行啓通に面した民家。
『アイデアル酢』『アイデアルソース』の珍しい看板についカメラを向けてしまった。『真田ソース株式会社』の文字も見える。
この当時はもう営業していなかったようである。筆者の母親に聞いたら「そういえばそんなソースあったねえ」とのこと。
ググってみたらソースの方は情報なし。『アイデアル酢』は苫小牧の某社で販売しているようだ。何か関係あるのだろうか。
現在この場所はマンションがドンと建つ。


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 中央区南1条西24丁目(1995年8月)

長屋スタイルの商店。並んでる店の中に貸本店があった。
この当時でも、今どき貸本屋なんて客がくるのかと思ったが、地元テレビの情報番組に取り上げられたことがあって、それによると結構ファンも多かったとか。
ここも現在はマンションになった。


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 中央区北1条西24丁目(1995年12月)

北1条第一鳥居前といえばそびえ立つ大鳥居とスクランブル交差点、それにこの金物屋の看板だった。
この当時、時代がかった派手な看板が、JRバスでここを通るたびに気になっていたものだった。バス停も他は条丁目だが、ここは昔から円山第一鳥居前だった。
スクランブル交差点もこの当時札幌にはここと三越前交差点くらいだったような気がする。何だかいろいろランドマークだらけでインパクトある町だった。
この場所は北1条通りの拡幅と再開発で立ち退きとなり、この店が最後まで残っていた店だと思う。近くに新築移転して営業していたが、今は閉店したようである。
この跡地は丸井今井が始めたスーパーマーケット事業のマルイストアとなり、同社が同事業から撤退すると東急ストアとなった。今は東光ストアと名を変えている。
スクランブル交差点も今では珍しくもなくなり、大鳥居は林立する高層マンションで目立たなくなってしまい、平凡な町になってしまった。

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 中央区北1条西18丁目(2001年10月?)

北1条は、今でこそ片側2車線の立派な道路になっているが、拡幅工事が完了したのは2000年代中頃ではなかっただろうか。それまでは車道の幅員12m、真ん中に白い中央線だけが1本引かれていた。
道交法によると、黄色の線との違いは、追い越し禁止かはみ出し禁止。片側2車線にするには幅員が足りないが交通量の多い道路はよくこうなっていた。この場合2列で並走するのが慣わしである。
北海道独特のような気がするが、こういった道は拡幅により解消されている。
現在でも千歳市内や恵庭市内では残っている。
画像左に写っている『自動車進入禁止』の標識は、北1条西25丁目から同8丁目までの都心方向はバス専用レーンとなるため平日の7:30から9:00まで普通自動車は通行禁止となっていた。今ではちょっと信じられないが。

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 中央区南1条西24丁目(2002年5月?)

南1条の西20丁目から先は裏参道と呼ばれ、道路も狭くなり昔ながらの商店街となっていた。80年代初め頃まではファッション系の店が進出して若者が訪れてくるような所だったようだが、バブル期の地上げによる土地買収で貸し駐車場だらけになってしまった。
駐車場の中に点々と残った店がある商店街というのが90年代の裏参道の印象だった。その後2000年代にもなると雨後の筍のように新築マンションが林立することになる。円山や裏参道といったネーミングの良さもブランドとなってマンション建設が進んだようだ。
マンションラッシュもひと段落したころから、道路の拡幅工事が始まった。老朽化した建物を取り壊し幅員18mまで広げられた道路は歩道も広くなり電柱もなくなり見違えるように明るくきれいになった。
そのせいか、人通りも戻ってきたようである。

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 中央区南1条西19丁目(1995年8月)

南1条通りの小路。この少し斜めになった道は両側が商店街になっていた。
『ショッピングメイト19』の看板のマンションはファッション系ではなく1階が市場になっていた。
画像のマンションは建替えられたが、1階にテナントが設けられることはなかった。
手前のゆりや食堂は場所を移転して営業中。

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北1条西5丁目(1996年3月)

画像は解体される前の中央警察署の旧庁舎。1934(昭和9)年の建築だった。現在の庁舎もこの旧庁舎をイメージして建てられたためあまり変わってない。
北1条通りは西4丁目から8丁目までは駅前通りと同じ幅36mにアカシア並木が続き隣の旧道立図書館の建物と合わせて北国の街らしい雰囲気があった。北原白秋作詞の『この道』のイメージが残っていた。
この頃から地下駐車場の工事が始まり、並木は撤去。完成後は車道も歩道も広くなり綺麗になったし車道も幹線道路らしく整備され車も走りやすくなったのだが、札幌らしい風景が消えたなとも思う。

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 中央区南1条西2丁目(2002年2月)

丸井今井1条館の横から撮影したもの。
正面のビルはビッグオフ札幌店。札幌市内の大型ディスカウント店の走りであろう。
長崎屋の経営危機により2002年2月に閉店している。画像は閉店セール中のもの。
現在はMARUZEN&ジュンク堂書店がキーテナントとなっている。この書店に行くと地下2階のこの辺に焼きそばやがあったなとか、地下1階のこの辺に珍味屋があったななどと思い出すのは私だけではあるまい。
そのセール中に1階のカメラ屋を覗いていたら、店主らしい親父が「これ望遠レンズとセットで3万円でいいよ」とまけてくれたのが展示品らしいキャノンの一眼レフだった。世の中はすでにデジカメが主流になりつつあったのだが、3万円の言葉に負けて即買いしてしまった。遅いフィルムの一眼レフデビューだった。上の写真はそのカメラで撮った1枚目であろう。
ちなみに筆者がデジカメデビューしたのは2004年である。

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 中央区南3条西4丁目(2002年2月)

駅前通りに並ぶサンデパートビル、狸小路入口、札幌千秋庵本店ビル。『YES』『そうご電器』は2002年の経営破綻で閉店、その後はドン・キホーテ札幌店となった。
YES時代は5階がゲーム売り場になっていて、中古ソフトコーナーでよく中古のファミコンソフトを物色していたのが思い出。
知る人ぞ知る名作『ジャストブリード』(号泣)もここで買ったっけ。
真ん中の時計塔が目立つ瀟洒な建物は千秋庵の店舗だった。
現在はYESの1区画は再開発ビルの工事中、千秋庵もホテルとテナントが入ったビルに建て替わった。
あの頃はここに市電が通るなんて夢にも思わなかった。路駐や客待ちタクシーが一掃され、駅前通りもずいぶんとすっきりしたものだ。


まだまだ紙の写真はたくさんありますが、スキャンしてあった画像のうち札幌市中央区のものをアップしました。
こうして改めて見ると変わったな〜と改めて思うものです。
現在はどうなっているんだろうと気になる場所もあるかと思われますが、確認はグーグルストリートビューなどでどうぞ。

〜以上


posted by pupupukaya at 20/05/04 | Comment(8) | 気になる物件

列車の走らない日高本線と珍踏切

日高本線は2015(平成27)年1月8日に厚賀〜大狩部間で高波による土砂流出のため、鵡川〜様似間が不通になった。
同年1月27日には静内〜様似間の運転を再開する。車両は苫小牧から静内まで、仮復旧した被災区間を通って回送で毎日送り込まれていた。
ひと月後の2月28日には被災区間の状況悪化により列車の回送が取りやめになっている。
当初は不通区間も『当面の間』ということだったが、その後も日高本線各所で路盤や橋梁の流出が相次ぎ、復旧できないまま現在に至る。

2016年12月には、鵡川〜様似間の鉄道復旧を断念する表明をJR北海道から出されている。

ところで、この日高本線の不通区間に新しい踏切ができていた。場所は厚賀駅から数百メートル苫小牧寄り。

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 清畠〜厚賀間に新設された踏切。


未成線という路線がある。これは予定はあったが建設されなかった鉄道路線、あるいは建設されたが途中で建設が中止されて実現しなかった鉄道を指す。
それで言うと、ここは未成踏切とでも呼んだらいいのだろうか。

もともとここは町営住宅と海側の町を結ぶ第4種踏切(遮断機も警報機も無い踏切)があったところ。現在の法律では、踏切の新設は原則としてできない。
前の踏切の改良工事として行われたのだろう。

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 2車線の立派な道路は、国道235号線と道道208号比宇厚賀停車場線沿いの厚賀市街を結ぶために新設された町道。

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 道道の厚賀市街側から見た踏切。

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 工事名と完成日を記した柱。
 着工は2015(平成27)年10月14日。日高本線の運休は同年の2月から。
 完成は2016(平成28)年3月22日。JR北海道が鵡川〜様似間の廃止を表明したのは同年の12月だった。
 なんという行き違いと言うべきか。

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 錆びた線路と真新しい踏切。新たに鉄道が開業するような感じにも見える。

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 錆びついた線路と色あせた枕木は廃線跡そのもの。

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 警報灯と遮断機には黄色いカバーがかけられている。遮断棹の取り付けは無し。

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 立派な踏切名称も付けられた。その名も『コマチップ踏切』。
 列車が来るのを小待ちっぷ・・・
 つまらないシャレであったな。

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 除雪車用に立てられた新しい雪かき車警標(フランジャ禁止解除)

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 踏切から厚賀駅方向。草も生えずに意外ときれいな線路。

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 踏切注意の新しい標識がむなしい。

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 さらにむなしい『踏切注意』と『JR北海道』の表記。

日本各地にある『珍踏切』。ここは設置されてから一度も列車が通ることなく消えてしまう踏切である。
まだ100%確定したわけではないが、たぶんそうなる。

唯一の小さな望みとして、デュアル・モード・ビークル (DMV)の導入による復旧という提案も沿線の自治体から出ているようだが、厚賀駅の両方向が路盤流出、橋梁流出という状態では、どう考えてもコマチップ踏切にDMVが通ることはありえない。

それにしても何もない所にずいぶんと立派な道路を作ったものだ。列車は通らないが、この道路を通る車すら見なかった。


厚賀駅と日高門別駅にも寄ってみた。

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 厚賀駅の駅舎。代行バスのバス停は駅前の道道にある。

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 厚賀駅の待合室。

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 バス停は少し離れているが、代行バスの時刻表が掲げられていた。

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 厚賀駅のホーム側。列車が来なくなって2年以上になるが、それほど荒れていない。

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 日高門別駅と日高線代行バス。
 駅前広場はもともと大型バスの乗り入れは考慮されていないためか、大型バスの転回は大変そうだった。


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 余裕のあるダイヤなのか数分間停まっていた。車内の乗客はたった2人。

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 代行バス待合所として使われている日高門別駅舎。

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 島式ホームと駅名標。

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 草が侵入してきた駅構内。信号は消灯している。


日高門別駅のある日高町はJR北海道に対し、大きな被害のなかった鵡川〜日高門別間の再開を主張している。

鉄道や時刻表しか見ていないと鵡川駅が拠点のように思えるが、このあたりの中心は富川駅のある日高町富川である。商業施設の多くは富川に存在し、駅からも近い。
旧日高町や平取町からの国道237号線は富川で国道235号に合流するという地の利だからだろう。

一方、門別には日高町役場と大病院の門別国民健康保険病院がある。
被災当初の日高本線の運行区間を鵡川でなく日高門別までとしていればと悔やまれる。

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 北海道のローカル線を維持するためには、これがひとつの答えかも知れない。

posted by pupupukaya at 17/07/12 | Comment(1) | 気になる物件

函館名物ハセガワストアについて

ハセガワストアといえば『やきとり弁当』で、すっかり函館名物にもなった。
私も大好きで、函館の方に行くと必ずといっていいほど立ち寄るのだった。

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表から見たハセガワストア。

一歩店内に入ると、焼き鳥の匂いが充満している。
やきとりを焼いているカウンターがあるので、そこに置いてある注文用紙に書き込んで中の店員さんに渡す。注文を受けてから焼き始めるシステムだ。ほかに客がいなくても予約の分を先にやっていたりするのでかなり待たされることも多い。

注文を受けると番号の紙が渡される。待っている間にほかに買いたいものを探したり、雑誌でも立ち読みしていればよい。惣菜コーナーの品数も豊富で、見ているだけでも楽しい。

程なく、レジから自分の番号で呼ばれる。そのときにほかの商品も一緒にレジへ持って行き、やきとり弁当と合わせて代金を支払う。
紅生姜はいるか?と尋ねられるが無料なので嫌いでなければもらっておけばよい。

店内にイートインコーナーがあったりもするが、私は車の中に持ち帰って車内で食べる。

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やきとり弁当中 565円。

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フタのデザイン。ブタさんがウチワをもってやきとりを焼いているイラスト。公式HPによると『豚ちゃん』というようだ。

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こちらは根室のタイエーのもの。どこが違うでしょうか。

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中は串3本と野菜串が1本入っている。味付はたれ、塩だれ、塩があってこれはたれ。

このやきとり弁当、実は食べ方があって、きちんと作法に乗っ取って食べなければならない。

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弁当箱の縁にくぼみがあるので、そこへ串を乗せる。

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フタをかぶせて押さえながら串を引き抜く。串を回転させながら引き抜くのがコツ。

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バラバラにほぐれて食べやすくなった。

やきとり弁当を食べていると何か物足りない。そう、ビールが飲みたくなるのだ。
いつも車で行って、車の中で食べることばかりなのでビールが飲めない。

函館市内のホテルに宿泊するときも、ハセガワストアはわりと郊外にあって、残念ながら手に入らない。ホテルに着いてから車でわざわざ買い出しに行く気にもならないし。

こんど新幹線の新函館北斗駅が開業するが、新しい駅の中にハセガワストアが出店すればいいのにと思う。
新幹線開業後の時刻表を見たが、『はこだてライナー』や特急『北斗』との接続は良いとは言えず、乗り継ぎ時間でやきとり弁当を作ってもらう時間はありそうだ。

新しい新幹線でやきとり弁当を食べながらビールを飲むなんて、しゃれてるね。
もっともそうなると皆がやきとり弁当を新幹線に持ち込んで、車内が焼き鳥屋みたいな匂いが充満したりして。

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2016年3月26日に開業する新函館北斗駅。
posted by pupupukaya at 16/03/05 | Comment(2) | 気になる物件

2013年10月千歳インディアン水車と謎の線路

千歳のインディアン水車は千歳駅からも近いところにあって、道の駅も併設されている。
水車自体はサケの増殖用の捕獲施設ということになっていて観光施設ではないが、毎年秋になると大勢の見物人が訪れる。

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インディアン水車では毎年恒例サケの捕獲作業が行われていた。

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水車のカゴが遡上するサケを捕獲して生け簀へ落とされる仕組みになっている。

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生け簀から網でサケが水揚げされる。よくまあ次から次と大量に揚がるものだと感心する。
見物人の中には、見世物だからどうせ中で循環してるんじゃね。と悪口を言う人もいたが。

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水揚げされたサケは職員の手で素早くオスメスに仕分けられる。

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仕分けたサケはまた網ですくわれてトラックの生け簀に積まれる。

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トラックに乗ったサケはどこかへ運ばれていった。


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一方水車とは反対側に線路があって何に使うのか不思議に思っていた。

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路面電車の線路のように舗装面に埋め込まれている。

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ポイントもあってちゃんと動くようだ。

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ポイント分岐の一方はすぐに途切れている。

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線路は坂を登ったところの小屋に入って行って終わる。
タグ:鉄道 千歳
posted by pupupukaya at 13/10/30 | Comment(0) | 気になる物件

なんぽくせん(南北線)を探しに

たまに利用する地下鉄南北線。
何て読むのかは当然「なんぼくせん」。

しかし開業からしばらくは「なんぽくせん」と呼ぶのが正式だったそうな。

それを知ってからは地下鉄に乗るたび、駅の案内表示をみて「Nan-Poku」の文字を探したが、ことごとく看板はかけ替えられて「Nanboku」の文字しか見当たらない。

ガセネタだったのかなと思いかけると思わぬところに「Nan-Poku」の文字が・・・

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札幌市交通資料館の地下鉄1000系展示車両の説明看板に「Nan-Poku」の表示があった。
タグ:札幌 鉄道
posted by pupupukaya at 13/01/25 | Comment(1) | 気になる物件
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