定山渓鉄道跡を歩く2015年 9回目

前回から1週間、また続きを歩くためにやってきた。今度は定山渓の公共駐車場に車を置いてバスに乗り、簾舞で降りた。
先週は石山から簾舞駅跡まで歩いてきて終了となった。今日はここからリスタートする。

misu-toyo.png
定山渓鉄道の廃線跡地図 簾舞・豊滝間(地理院地図から作成)

DSCN7978.JPG
再びやってきた簾舞駅跡の敷地。(1から南西方向)

だだっ広い簾舞駅構内の跡地は立入禁止の表示こそないものの、私企業の所有地になっていて勝手に入るのをためらうような感じがする。
「防犯カメラ」の札もあったが、ここを通らないと廃線跡へは行けないのでちょっと通り抜けさせてもらう。敷地の一番奥まで行くと、林の中にそれらしくなっている空間が続いていたので、これが線路跡だとすぐにわかった。

DSCN7984.JPG
敷地の奥の方は新しい畑とか四阿(あずまや)がつくられていた。(2から北東方向)

DSCN7985.JPG
敷地の一番奥まで行くと、線路跡とわかる路盤が続いている。(2から南西方向)

人里はここでおしまい。ここから線路は豊平川に沿う山肌の中腹を通っていた。
国道はここから一段高いところを通っているが、深い谷がいくつもあって旧道はヘアピンカーブで谷を下って沢を渡り、また登ってという悪路で、「七曲り」と呼ばれていた。いまでこそ高い橋が架けられて直線に近くなっているが、定鉄建設当時はそんな技術も予算もあるはずもなく、豊平川沿いの中腹を通すしかなかったのだ。

DSCN7991.JPG
しばらく進むと四角い土台を見つけた。(3から北東方向)
レールが埋まっていないので架線柱ではないようだ。簾舞駅の場内信号機の土台か?

しばらく行くと石組みの土留めが現れた。河原の丸石を積んだだけで、おそらく大正7年の開業時から使われて今まで残っていたものだろう。
石山からずっと歩いていてきて思ったが、定鉄の線路は極力コンクリートを使わずに建設されたことがわかる。
定鉄の発足は大正2年に「軽便鉄道敷設免許申請」の提出に始まった。その後建設が始まるも、ただでさえ資金難なところに山岳地帯で地形が複雑なため工事費がかかり過ぎた。結局、急勾配や急曲線だらけの軽便鉄道並みの路線になってしまったようだ。

DSCN8005.JPG
雪は無くなったが、笹や倒木が多くて歩きにくい。(4から南西方向)

DSCN8011.JPG
河原の丸石を積んだだけの石垣。(4付近)
それにしても100年近く崩れもせずよくぞ持ちこたえてきたものだ。

豊滝付近ではいくつもの沢を渡ることになるが、このあたりの路線では橋を架けずに盛土で谷を埋めて線路を通していた。下に土管を通して川を流していた。
そのひとつ空沢川の沢にさしかかったところで、築堤が大きく崩れてえぐられたようになっていた。まだ3分の1ほどは残っていて渡るのには問題は無いが、崩れた土はむき出しになっていて、今でも少しずつ崩れているようだ。あと何年かしたら完全に崩れて無くなっているかもしれない。

DSCN8025.JPG
空沢川上の築堤は3分の2ほど崩れてえぐられていた。(5から南西方向)

沢を越えたら倒木のほかに笹ヤブも加わった。
覚悟はしていたが、倒木を避けたり跨いだりしながら進んでいくと何でこんなことしているんだろうという気持ちがわいてきた。

DSCN8035.JPG
ひたすら笹やぶと倒木との戦い。もう嫌になってきた。(6から南西方向)

それでも今さら引き返すわけにもいかず進んでいくと、架線柱の土台を見つけた。線路跡の遺物を見つけると嬉しい。ヤブをかき分けてきた甲斐があったというものだ。

DSCN8049.JPG
架線柱跡。このほかにもいくつか見つけた。(6と7の間)

DSCN8038.JPG
これはなぜか根元から20cmほど残したタイプ。(6と7の間)

谷側は断崖になっていて、まだ冬芽の木々の隙間から豊平川が眼下に見え隠れしている。定鉄が走っていた頃はこんなに木は生い茂っていなかっただろうから、眼下に豊平川を見てその向こうは八剣山がそびえるという景勝だったに違いない。

DSCN8059.JPG
林が途切れて豊平川と八剣山が見えた。(6と7の間)

DSCN8066.JPG
谷側にあった丸石とセメントで作った土留め。(6と7の間)

線路跡が右に大きくカーブして国道に近づく箇所があるが、新しくできた国道230号の擁壁が立ちはだかっていた。線路跡は道路の法面に取り込まれてしまっていた。壁伝いに行けないこともなさそうだが、ヤブ漕ぎもうんざりしていた。脇に上へ通じる作業用の通路があったのでそこから国道に出ることにした。

DSCN8072.JPG
国道230号線の擁壁に塞がれてしまった線路跡。(7から南西方向)

国道へ出るとなんと気持ちが良いことか。歩きやすいし、また高いところを通っているので橋の上からの眺めは何と良いことか。
橋の上からは線路跡の築堤がはっきりとわかる。国道の擁壁が終わったところにある沢の線路跡築堤は完全に崩れてしまっていた。もし国道に上がらずにあのまま進んでいても引き返さざるを得なかっただろう。

DSCN8081.JPG
国道の橋から見た板割沢。(8から北方向)
線路跡は完全に崩れて無くなってしまっている。

DSCN8098.JPG
これも国道の中の沢橋からの眺め。(9から北東方向)
断崖の中腹に沿って走る線路跡が一望できる。

DSCN8099.JPG
中の沢の暗渠はまだ残っていた。この上を定鉄の電車が通っていた。

豊滝除雪ステーションはトイレや自販機もあるので、ここで少し休憩する。

DSCN8100.JPG
立派な建物の豊滝除雪ステーション。以前は「道路情報館」として展示室もあったがいつの間にか無くなった。今はトイレと自販機だけ稼働している。

ちょうど豊滝除雪ステーションの下あたりに豊滝駅があったようだ。
豊滝の人家は昔から国道沿いの高台にあり、定鉄の線路は段丘の下で、ここよりだいぶ低いところを通っていた。昭和36年撮影の空中写真を見るとわかるが、国道から豊滝駅までは細い道が駅方向へ向かってあり、途中からは沢沿いに駅まで下っていたようだ。

royo.png
豊滝駅付近の重ね図(国土地理院昭和36年空中写真と現在地形図)
丸囲み箇所が豊滝駅ホーム。

除雪ステーションの斜面の下に小さな沢がある。この沢に沿って駅への道があったようなのだが。
ちょっと行ってみたくなった。ここまで来て豊滝駅だけ行かずに通り過ぎるのも勿体ない気がした。

DSCN8104.JPG
豊滝の集落と豊滝駅をつなぐ道があったと思われる沢。(10から北東方向)

道と行っても、けもの道のようなものだったと思われる。沢の右岸は道としては残っていないが歩けないこともない。
途中からだんだん歩き辛くなってきた。この先に堰堤もいくつかできていて道は無くなったのだろう。
しょうがないので沢の上へよじ登る。山の斜面はヤブもなく下まで歩いて行けそうだ。
しばらく歩いて行くと、どうも道路跡のような感じになってきた。途中でヘアピンカーブ状になっている所があって、木が生い茂っているが道路跡で間違いない。これが豊滝駅に通じていた道路なのだろうか?

道なりに下って行くとどうもここが線路跡らしい。一面笹で覆われていて、駅跡と分かるものは何もなかった。

DSCN8113.JPG
なんとなく道跡らしき路盤が現れた。ずっと線路跡へ下っている。

DSCN8127.JPG
豊滝駅のホームだったと思われる場所。(11から東方向)
奥の一段低いところが線路だったと思われる。

さっき歩いたの沢があった。当時はこの沢を跨いでホームがあったようだ。ここの路盤も崩れてしまっていて、地中に埋まっていた土管があらわになっている。ここが駅跡で間違いないようだ。

DSCN8124.JPG
ホームはこの沢を跨ぐように設けられていたようだ。(11から北西方向)

豊滝駅は正式には豊滝停留所といって、ホームと待合所だけの無人駅だった。
開業は昭和23年。地元の人たちの要望で設けられた。当時は定鉄のほかには「七曲り」の国道230号しかなく交通が不便だったところだ。しかし国道が整備され定鉄バスが運行されると、集落からかなり離れた駅は利用者がほとんどいなくなったようで、晩年は朝2本、夜2本計4本しか電車が停まらなくなっていた。
今ならば「秘境駅」のひとつになっていたに違いない。

DSCN8126.JPG
ホームだったとおぼしき場所に立ってみる。正面には八剣山がそびえ立つ。カーブの向こうから電車が走ってくる姿を想像した。

ここから滝の沢駅跡まで線路跡を歩こうか、また山を登って国道に戻ろうか考えたが、前後は笹がびっしりと生えている。また、行く先は除雪ステーションから投げ捨てられた雪が山のようになっていた。あきらめて国道に戻ることにした。

10へつづく
posted by pupupukaya at 15/05/06 | Comment(0) | 廃線跡を行く

定山渓鉄道跡を歩く2015年 10回目


jowzan.jpg
昭和40年代になると230号線豊滝付近の新道や定山渓手前のトンネルも完成する。新しくなった国道に比べ定鉄の線形の悪さが目立つ(昭和43年発行国土地理院5万分の一地形図)

toyo-taki.png
定山渓鉄道の廃線跡地図 豊滝・一の沢間 その1(地理院地図から作成)

豊滝駅跡から再び豊滝除雪ステーションまで戻ってきた。ここから国道を定山渓に向かって出発する。
橋の上からは頭上に険しい岩肌を見せる八剣山がきれいに見えた。ヤブを漕いで一汗かいたが、国道に吹く涼しい風に当たって歩いていると汗が引いた。どういうわけかヤブの中は気温が周囲より高いようだ。

DSCN8133.JPG
国道の新盤の沢橋から見た八剣山。

国道の新盤の沢橋を渡ったところから左折して旧道に入る。豊滝神社や豊滝小学校もあって、集落の中心はこの辺りだったようだ。ここからは滝の沢駅の方が近かった。国道から沢伝いの小道を行っても(旧)国道で滝の沢に出ても大差ないような気がするのだが、豊滝駅はあの場所に必要だったのだろうか?

DSCN8150.JPG
国道230号線の旧道。(1から北西方向)
豊滝付近は急カーブが多く通称「七曲り」と呼ばれた。

旧国道の坂を下ると滝の沢駅のあった場所に出る。ここも駅構内だったところは小金湯と石山を結ぶ市道が貫通しているが何となく雰囲気は残っている。昭和6年に初代駅長が植えた2本の桜の木が今でも残っている。

DSCN8164.JPG
滝の沢駅があった場所。(2から北西方向)
駅舎は無くなったが、初代駅長が植えた桜の木が2本今も残っている。

DSCN8166.JPG
二美桜と名付けられて看板も立てられたが、看板は根元が腐って横倒しになっていた。

滝の沢駅は当初は停留所だったが、電化に伴い交換設備が設けられて駅に昇格した。上下列車の行き違いが主で貨物の扱いは無かった。駅周辺は農家が点在するだけで町は形成していない。当時は乗り降りする人も少なく、山間の静かな駅だったのだろう。
それでもこの辺りは山菜の宝庫で、春や秋には山菜取りの人の乗降が多かったという。また、八剣山の登山口はこの駅が最寄だった。
現在はバス停の名称に「滝の沢」は受け継がれていないが、「八剣山登山口」というバス停があり、八剣山最寄駅の役割はそちらが継いだようだ。

takinosawa.png
滝の沢駅付近の重ね図(国土地理院昭和36年空中写真と現在地形図)

ここから豊滝駅方向へ行けるところまで探索してみようかと線路跡を行ってみたが、すぐに濃い笹ヤブに覆われていて進めなかった。

DSCN8169.JPG
滝の沢駅から豊滝方向に歩いてみたがすぐに笹やぶに覆われていた。(3から南東方向)

DSCN8171.JPG
上画像の逆方向。空き地になっている場所が滝の沢駅構内だった。(3から北西方向)

滝の沢駅から先はまた新しい道路ができていて、ここも道路敷地に取り込まれたのかと思っていたが、道路わきに線路跡の路盤がそのまま残っていた。地下には豊羽鉱山の送水管が敷設されていて、等間隔で「送水管あり」と書かれた札が立てられている。このおかげで道路にならずに線路跡が残されていたようだ。

DSCN8176.JPG
滝の沢駅跡からの線路跡は豊羽鉱山の送水管の敷地として残っている。(4から北西方向)

線路跡を見ながら道路の方を歩いていたが、橋の下にレンガ積みの橋台が残っているのを発見。戻って線路跡の方に行ってみる。
おお、これは立派な橋台だ。送水管は定鉄の橋台は使わずにその脇に架けられていた。

東札幌からずっと歩いてきて、ここで初めて橋の跡を見つけた。市道の橋の直下なので、車からは見ることはできないだろう。歩いてきたからこその発見だ。まだまだ造りはしっかりとして、この場所では河川改修工事でも行われない限りは残るものと思われる。

DSCN8182.JPG
レンガ造りの橋台を発見。(5から北西方向)

横の水管橋の上はちょっと歩けそうもないのでまた道路の方に戻って橋を渡る。この先も線路跡は続いていたが、道路の擁壁が続いているので線路跡の方に移ることはできない。

DSCN8190.JPG
鱒の沢川に架けられていた鉄橋の跡前後。(6から北東方向)
豊羽鉱山の送水管のおかげで道路には取り込まれなかったようだ。

taki-ichi.png
定山渓鉄道の廃線跡地図 豊滝・一の沢間 その2(地理院地図から作成)

DSCN8191.JPG
線路跡は道路右手に並行して見える。(7から北西方向)
向こうには烏帽子岳が姿を現した。おそらく電車の車窓からも見えていただろう。

国道230号線へ出る交差点を過ぎると道路は線路跡と合流する。

DSCN8200.JPG
小金湯温泉へ向かう市道と交差するあたり。(8から南東方向)

小金湯駅は正式には小金湯停留場で、湯治場だった黄金湯温泉(のちに小金湯温泉と改称)への客が多く、当初無人駅だったが後に売店兼乗車券取扱いの駅舎が建てられた。
7月の土用の丑の日には、丑湯の日帰り入浴客で混雑して、応援の駅員も来たという。

koga.png
小金湯付近の空中写真(国土地理院昭和36年)画像中央が駅舎とホーム。

ホームがあったところも、温泉へ向かう市道が整備されて路盤ごと消えてしまっていた。国道のバス停と温泉をつなぐ近道の屋根付き階段が駅っぽい感じがしたが、実際はもう少し先のコンクリートブロックの擁壁あたりにあったようだ。

DSCN8201.JPG
上の画像の反対方向。(8から北西方向)
正面に見える被覆のあたりに駅があったようだが、新しい市道に削り取られて見る影もない。

DSCN8203.JPG
小金湯駅があったあたりは平らに整地されていた。(9から北西方向)

小金湯駅跡から道路から離れて線路跡の路盤が続いている。ここも夏には草が生い茂るのだろうが、豊羽鉱山が送水管敷地として使用しているせいか倒木がないぶん歩きやすい。それでも進むにつれて笹ヤブになってきた。

DSCN8204.JPG
整地された小金湯駅跡からも線路跡の路盤は続いている。(9と10の間)

またヤブ漕ぎかと思いながら歩き進んでいると、脇に何か立っている。近づいてみるとなんと「22」と書かれたキロポストではないか。
キロポストとは線路わきに立てられる起点からの距離を記した標識で、線路であればどこでも必ず存在する。
ここは東札幌起点から22kmの地点になる。3回に分けたとはいえよくここまで歩いてきたものだ。

DSCN8208.JPG
キロポストを発見!(10から北西方向)

ああ、キロポスト。今まで住宅街だったり、ただの道路だったり、あるいはヤブとかそんなところばかり歩いてきたが、このキロポストを見たとたんに何か報われたような気がした。
元々は白く塗られていて、数字の彫ってある箇所は数字が黒く刻まれていたのだろうが、長年風雪にさらされて塗料は剥げてしまっていた。
お前も長いこと苦労したんだなあと思わせる風貌であった。

DSCN8213.JPG
「22」と刻まれたキロポストを発見。

ところでキロポストは木製のものが多いが、定鉄のはコンクリート製になっている。軌道の構造物はあれだけコンクリートを使わずに建設した定鉄だが、なぜかキロポストだけはコンクリート製の立派なものが置かれていた。

ちなみにJR北海道のものは雪で埋まらないようにポールを立ててその先にキロ数を表示している。

DSCN8212.JPG
表面は塗料がすっかり剥げてしまっているが裏は白いまま残っている。

ここまで笹ヤブをかき分けて歩いてきた甲斐があったというもの。キロポストを後にまた歩き出す。
途中からけもの道ができていて、歩きやすくなった。送水管関連の工事が最近行われた箇所があって、そのために刈り取られたようだ。

DSCN8227.JPG
途中から笹が刈り取られてけもの道のようになって歩きやすくなった。(11から北西方向)

DSCN8228.JPG
線路跡の両脇を雪解け水が流れる。(12から北西方向)

DSCN8232.JPG
湿地になってしまった線路跡。(13から東方向)

途中から線路跡は雪解け水が溜まった湿地のようになっていたが、その脇に道があってそっちを歩ける。水芭蕉がいくつか咲き始めていた。
しばらく進むと線路跡の路盤は車のわだちのある道になった。市道ではなくあぜ道のようなものだが。

DSCN8233.JPG
ここからは道になっている。上画像の反対方向(13から西方向)

道の両脇は家庭菜園の用地になっていて、もう畑仕事をしている人を見かけた。持ち主は農作業のときはここで寝泊まりするのかバラック小屋も建っていた。こんなところに土地を持って、週末はここへ寝泊まりしに来るのもいいなあなんて思った。

DSCN8234.JPG
家庭菜園の中を進む。(14から西方向)

DSCN8236.JPG
この先に一の沢駅跡があるはずなのだが・・・(15から西方向)

家庭菜園の畑を過ぎると建設会社の資材置き場のようなところに出た(地図15の位置)。ここから先は私有地のようで、ニワトリが歩いていた。放し飼いらしい犬の姿もあるし、ここからは国道を迂回した方が良さそうだ。

国道の方にむかって歩き出すと犬に見つかった。放し飼いの犬たちが吠えながらこちらに走ってきた。

やばいよ、さてどうなる。

posted by pupupukaya at 15/05/06 | Comment(0) | 廃線跡を行く

定山渓鉄道跡を歩く2015年 11回目


icci-7.png
定山渓鉄道の廃線跡地図 一の沢・錦橋間 その1(地理院地図から作成)

さて犬だが、幸いすぐ家の奥さんが気づいて出てきてくれたので事なきを得た。
地図を片手に持っている私の姿を見ていきなり「定山渓鉄道ですか?」と聞かれ、いきなりだったので逆に驚いた。

聞くと、私のように定鉄跡探訪の人が時々現れるらしい。
あそこに一の沢停留所があったんですが行ってみますかと聞かれたので喜んでお願いした。
停留所近くにあったという石垣や、地中に埋まっていたレールなどいろいろ見せてくれた。

DSCN8240.JPG
一の沢駅があったと思われる場所。(1から北東方向)
この石垣の上を電車が走っていたという。

ichi.png
一の沢駅付近の空中写真(国土地理院昭和36年空中写真
画像中央が一の沢駅、やや左下に廃止された一の沢発電所も見える。

一の沢駅は一の沢停留所といって、ホームと待合所だけの無人駅だった。
他の停留所は殆どが戦後にできたが、ここの開業は大正15年と古い。一の沢発電所の建設工事のために設置された。

DSCN8241.JPG
この辺りを整地するときに「出土」したという軟石。これはおそらく架線柱の土台。

地中に埋まっていた架線柱だったというレールも見せてくれた。
レールには「H.G.R」「CAMMELLS STEEL W 1897」らしき文字が刻まれていた。数字は製造年なので、1897(明治30)年製のレールということになる。

DSCN8244.JPG
これも地中に埋まっていたレール製の架線柱を掘り起こしたもの。左側のレールは「H.G.R」の文字が見える。

帰ってからインターネットでレールの製造元を調べてみた。
「H.G.R」は北海道官設鉄道発注、「CAMMELLS STEEL」はイギリスのチャーリーズキャンメル社製ということらしい。
前にも述べたが、これは電化の際にレールを取り換えた際に古いレールを再利用したもので、大正7年の定鉄開業時に使用されていたレールだ。1mあたりの重さが22.5kgさらにさかのぼれば、元々は国鉄(北海道官設鉄道)の中古品である。
国鉄から定鉄に払い下げられ、さらに架線柱として再利用され、廃止後に根元を残して切断され、近年地主によって掘り起こされたという数奇な運命のレールだ。いずれにせよ大変貴重なものに違いない。

DSCN8247.JPG
右側のレールには「CAMMELLS STEEL」と刻まれている。

DSCN8245.JPG
かすれているが「W 1897」?

家の人はさらにこの先にある鉄橋跡まで案内してくれた。レンガ積みの橋台があった。けっこう深い谷で、ここは築堤で越えるのは無理そうで、鉄橋が架けられていた。横には豊羽鉱山の送水管橋がある。
前に来た人はこの上を歩いて渡って行ったらしいが私は怖くて渡れそうになかった。すぐそばに国道の橋があるので、そちらを迂回することにした。

いろいろ貴重な品を見せていただきありがとうございました。この場を借りてお礼します。

DSCN8252.JPG
一の沢川に架けられた豊羽鉱山の送水管。左にレンガ積みの橋台が残る。(2から南西方向)

さて、再び国道230号を歩く。この付近は線路と国道がほぼ並行していた。百松橋付近は拡幅された国道に取り込まれてしまったところもある。わざわざヤブを漕いでまで歩く必要もない。もっとも、歩道は山側にしかなく、線路跡を辿ると車道を歩くことになる。車は結構飛ばしてくるので怖い。なるべくガードレールの外側を歩くようにした。

DSCN8256.JPG
百松橋のバス停あたりで線路跡の路盤は拡幅された国道に取り込まれてしまう。(3から西方向)

DSCN8258.JPG
歩道のあたりが線路跡だろうか。(4から西方向)右は百松橋。

DSCN8262.JPG
電車からは豊平川の谷川は見えただろうか?(5から西方向)

DSCN8269.JPG
線路跡は国道から離れるが、この辺りは一面笹に覆われていた。(6から西方向)

7-nisiki.png
定山渓鉄道の廃線跡地図 一の沢・錦橋間 その2(地理院地図から作成)

定山渓の手前に山が谷際までせり出した個所があって、ここは国道の錦トンネルで抜けているが、昔は山側の崖が迫る狭いところを線路と道路が通っていた。
国道の拡幅工事はここまで進んでいて、ほぼ完成した新錦トンネルも口を開けていた。線路跡も一部道路に飲み込まれたが、以前ここに大量に放置してあった廃車はきれいに片づけられて逆に歩きやすくなっていた。

DSCN8283.JPG
新たに拡幅される国道に一部飲みこまれる線路跡。(7から東方向)

DSCN8286.JPG
国道4車線化で今の錦トンネルの隣に新しく掘られた新錦トンネル。

DSCN8285.JPG
今は国道は左にカーブして錦トンネルに入るが、旧道はまっすぐ行って定鉄の線路と交差していた。(7から西方向)

nishiki2.png
現在の錦トンネル付近の空中写真(国土地理院昭和36年空中写真)

DSCN8291.JPG
豊羽鉱山送水管の施設らしい構築物がある。(8から西方向)

DSCN8297.JPG
構築物の上から線路跡を見る。(8から東方向)
右方向から国道が通ってきてこの辺りで線路と交差していたはずだ。

DSCN8302.JPG
ここに踏切があったようだ。(9から北東方向)
ここから右(山側)が線路跡、左(谷側)が旧道跡になる。

DSCN8311.JPG
ここに線路と道路が2本並んで通っていた。(9と10の間)

錦トンネル横の崖下を通り過ぎると線路は錦橋駅に向かっていたのだが、このあたりも国道拡幅工事や交差点の付け替え工事ですっかり整地されてしまっていた。それでも等間隔で立っている豊羽鉱山の看板があるので、線路跡位置はおおよそわかる。
ずっと辿って行くと、定鉄お馴染みの丸石をセメントで固めた土留めと川水を流す2本の土管があった。

DSCN8320.JPG
旧小樽定山渓線との交差点付近も工事で大きく変わった。(10から北東方向)

DSCN8324.JPG
眼鏡型の暗渠と石積みの土留めが残っていた。(11から北西方向)

DSCN8326-001.JPG
土留めのコンクリートには「高島土建」の文字が掘ってあった。施工会社が遺したものだろうか?

交差点の工事現場を過ぎ「眼鏡橋」からしばらくは線路跡とわかる路盤が続いている。しかしその先は定山渓温泉病院が建ち、その向こうも住宅が立ち並んでいた。

DSCN8328.JPG
錦橋駅跡へ続く路盤。(11から西方向)

DSCN8332.JPG
定山渓温泉病院から先は民家の敷地になっていた。(12から北西方向)

住宅地はすぐに途切れ、じょうてつの管理地が現れる。ここがかつての錦橋駅構内であった場所だ。
札幌市雪堆雪場の大きな看板があって、雪山を崩す重機が動いていた。

DSCN8333.JPG
錦橋駅の構内だった場所は今でもじょうてつの管理地になっている。(Lから西方向)

DSCN8338.JPG
バス停に「錦橋」の名称が引き継がれている。

nishiki.png
錦橋駅付近の空中写真(国土地理院昭和36年空中写真)

錦橋の駅名は西方にある豊平川に架かる橋名から採られた。初めは小樽内川流域からの木材輸送のために設けられたが、昭和14年に豊羽鉱山の専用線が敷かれてから鉱石輸送も行われるようになった。
豊羽鉱山の専用線が昭和38年に廃止されると側線も全て撤去され停留場に格下げになったようだ。

DSCN8340.JPG
錦橋駅の駅舎は今でも土台だけ残っている。(14から西方向)


posted by pupupukaya at 15/05/10 | Comment(0) | 廃線跡を行く

定山渓鉄道跡を歩く2015年 12回目


nisi-jou.png
定山渓鉄道の廃線跡地図 錦橋・定山渓間(地理院地図から作成)

jouzankei.png
上図とほぼ同じ錦橋・定山渓間の空中写真(国土地理院昭和22年空中写真)

錦橋駅を出ると線路は左に大きくカーブして定山渓温泉街へと向かう。豊羽鉱山の専用線は直進して、錦橋と並行して豊平川を渡っていた。その橋台は今でも残っている。

途中に山を崩したような切通しがあって、ここも線路と国道が並んで通っていた。

DSCN8359.JPG
錦橋と国道を結ぶ道路にある切通し。(1から南西方向)

国道の旧道は、今はまっすぐ行って現国道へ合流しているが、右へ別れる脇道の方が旧国道で、道沿いに並ぶ民家の裏手を線路が通っていた。そのすぐ山側を現在の国道が通っている。

DSCN8362.JPG
国道の旧道が右に分かれる。(2から南西方向)

DSCN8368.JPG
国道下の線路跡。(3から北東方向)

短い区間だが、この辺りも線路跡らしい雰囲気が残っている。国道は錦トンネル開通時に現在の道路に移ったようだ。
昭和43年発行の旧版地形図を見ると、新道に切り替えられた国道と一緒に定鉄の線路も描かれている。定鉄と新道が短い間だけど共存していたことがあったようだ。
国道の土留めが線路跡にかからないようにずいぶんと垂直になっているのもこのためか。
民家と国道に挟まれた狭いところを電車がすり抜けるようにして走っていた姿を想像した。

旧道は公園に突き当たるが、アスファルトの舗装はそのまま国道まで続いていて歩道につながっている。新道に合流する手前のところに踏切があってここで線路と国道が再びクロスしていた。石山陸橋と合わせて国道230号線は3回定鉄の線路を渡ったことになる。

DSCN8372.JPG
旧道は230号線に合流する。(4から南西方向)
ここに踏切があった。

DSCN8375.JPG
定山渓発電所の水管。ここに鉄橋があった。(5の東側)

DSCN8376.JPG
バスの白糸の滝停留所。

白糸の滝駅は白糸の滝停留場といって、ホームと木造駅舎があった。線路1本だけの棒線駅だったが、駅員がいて乗車券も売っていたようだ。
ここは定山渓温泉街の入口で商店街が近く、寮や保養所へのお客も多かった。また、終点の定山渓駅で降りては目立つので、お忍びの温泉客からは重宝がられたりしたとか。
駅名は裏手の崖にある滝名からつけられた。今でもバス停名に受け継がれている。

DSCN8377.JPG
白糸の滝駅の跡。(5から西方向)
ここに北海道秘宝館があったが、廃業してからは廃墟と化していた。最近取り壊されたようで新しい更地になっていた。平らに整地されていたが何か建つんだろうか?

DSCN8380.JPG
定山渓発電所の余水川を跨ぐ土手は線路跡とわかる。(5の西側)
この右手が白糸の滝になっている。

DSCN8392.JPG
駅名の由来となった白糸の滝。目立たない場所とあって訪れる人も少ない。

白糸の滝から定山渓までの区間も大型ホテルの敷地などに変わっていて、廃線跡も断片的にしか残っていなかった。地図上でも現地でも廃線跡を辿るのは難かしい。
もう線路跡を歩くことはできず、既存の道路を迂回して線路跡を探すことになった。

DSCN8395.JPG
アパートの石垣の横が線路跡。(6から東方向)

DSCN8396.JPG
線路跡はホテルの駐車場になっていた。(6から西方向)

DSCN8402.JPG
定山渓ビューホテルと定山渓大橋、どちらも定鉄廃止後にできた。(7から北東方向)
ここが線路跡だと分かるものは消えてしまった。

DSCN8403.JPG
線路は石垣の上を通っていたと思われる。(定山渓大橋から南方向)

平岸や真駒内付近は地主の反対により線路は迂回させられ、豊滝付近では地形の複雑さから断崖の中腹を縫って走り、ここまでくれば定山渓まで一直線に行ってもいいような気がするが、線路はここも町の端っこと豊平川の崖っぷちの間を縫うように通っていた。
逆に国道は温泉街をほぼ一直線に通り抜けている。

DSCN8407.JPG
上画像の石垣の上から。(8から南西方向)
電車の車窓からも豊平川と温泉街が良く見えただろう。

DSCN8417.JPG
土産物屋のすぐ裏手を線路は通っていた。(9から北東方向)

DSCN8424.JPG
章月グランドホテル前の交差点。(9から北東方向)
正面の土産物屋は定鉄があった当時からあって、その横を線路が通っていた。その手前の道路には踏切があった。

章月グランドホテル前の交差点を過ぎるとほんの少しだけ線路跡の路盤が残っていた。ここに線路が通っていたと知っているからわかったので、そうでなかったら国道脇のただの芝生だ。

DSCN8426.JPG
交差点から万世閣ホテルミリオーネまで僅かに残る線路跡。(10から南西方向)

線路跡はすぐに途切れ、大型ホテルの前を通り過ぎるとやっと定山渓のバス停があった。じょうてつバス案内所があって、ここに定山渓駅があった。
案内所の裏は駐車場になっていて、この場所に駅舎とホームがあった。

DSCN8429.JPG
国道にあるじょうてつバス案内所。この裏手が定山渓駅だった。

ここが定山渓駅前で、道内屈指の温泉観光地である定山渓の玄関口であったが、定鉄が廃止されてからは玄関口としての機能は失って久しく、今では温泉街はずれの一角に過ぎない。路線バスも現在は全便湯の町経由になったので、このバス停を利用する温泉客もあまりいなくなったようだ。

バス停に立つと、今でも残っている国道に面して並んだ店や、黄色い日本通運の建物があって、ここに駅があって栄えていた頃を偲ぶことができる。

DSCN8431.JPG
じょうてつバス案内所の向かいには日本通運の建物が今でも残っている。

駅があったあたりの裏手はスポーツ公園と公共駐車場になっている。その一角にポツンと「定山渓鉄道」と書かれたモニュメントがあった。その横には駅舎の礎石だったという軟石の角石が3個置いてあった。

DSCN8437.JPG
定山渓駅だったところ。(11から北方向)
今は定山渓スポーツ公園の一角。

DSCN8440.JPG
ここに駅があったことを示す「さっぽろ・ふるさと文化百選」のモニュメント。

DSCN8474.JPG
駅舎の礎石だったという3個の角石だけが駅の遺品。(11から南西方向)

駅構内奥の電車庫や転車台があったと思われる場所はテニスコートになっている。駅構内の終端は今のじょうてつバス定山渓車庫のあたりで、そこから定山渓小学校の北側を通って定山渓営林署(現在は石狩森林事務所)まで引込線が伸びていた。さらにそこから森林鉄道が豊平峡の奥まであった。

DSCN8475.JPG
実際の駅舎は定山渓まちづくりセンターと駐車場のあたりにあったようだが。

ホテルミリオーネ横の道路の突き当りに「北海道三景之碑」が立っていて、月見橋へ下る坂道がある。定山渓駅を降りた温泉客は当時あった踏切を渡ってここを通って温泉街へと向かっていた。
急坂で階段もあり登り下りは大変そうだが、電車を降りて坂道から豊平川や温泉街を見下ろした景色はどのようなものであったろうか。

DSCN8446.JPG
駅横の踏切を渡った坂道が定山渓温泉の入口だった。

DSCN8451.JPG
駅から温泉街に下っていた「見返り坂」と呼ばれた坂道。
電車があった頃は大勢の人が行き交っただろうが、今は公共駐車場と温泉街を行き来する人が利用するのみ。

DSCN8453.JPG
月見橋から見た豊平川。この時期は空にたくさんの鯉のぼりが泳いでいた。

訪問日:2015/4/25

旧東札幌駅跡地から定山渓まで3日間に分割してですが歩いてきました。当時定鉄の営業キロでは27.2kmですが、途中迂回したところもあるので30km近くは歩いたと思います。
想像はしていましたが、線路跡の消滅は思った以上に進んでいて、現在の地図に旧版地図を重ねたものでも持って行かないと正確な線路跡は分からないところばかりです。その点、地理院地図(電子国土Web)の地形図と空中写真を重ねる機能は大変役に立ちました。

最後に定鉄復活の可能性について。
まあ、無理ですね。真駒内〜藤ノ沢ならば一部を除いて市の管理地のままになっていますが、それ以外は線路跡とはわからないほど変わって、線路跡にも住宅が建ち並んでいます。もし復活するとなると鉄道用地などもう残っていないので、道路地下を通すしかないでしょう。
また、豊滝付近は路盤が崩壊している箇所もいくつかあり、余程しっかりした路盤を作り直すか別ルートで新たに作る必要があります。

せめて藤ノ沢まで地下鉄をというのはあり得なくはありませんが、市の財政や乗客数を考えると難しいのではないでしょうか。地下鉄用地とはいえ、あの辺りは静かな住宅街の中を通っており、実際あんなところにシェルター付き地下鉄の高架が建設されるとなると沿線からは大反対されるような気がします。

それでは最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

おわり

参考文献
さっぽろ文庫11 札幌の駅
HTBまめほん定山渓鉄道
郷土史澄川ものがたり
鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション11



posted by pupupukaya at 15/05/13 | Comment(0) | 廃線跡を行く

廃止1年後の江差線1

JR江差線の木古内〜江差間が2014年5月12日に廃止されて1年が過ぎました。
一方で北海道新幹線開業まであと1年を切りJRや沿線自治体は期待を寄せているようですが、その陰で消えた江差線の1年後がどのようになったのか見てきました。

5月30日土曜日まずは車で江差まで行きました。

DSCN0554.JPG
看板類はすべて撤去されたが駅舎はそのままになっている江差駅。

札幌から中山峠、長万部、八雲、熊石を走ること5時間、江差町までやってきた。まずは江差駅跡へ向かう。
駅舎も駅前広場も廃止前とそっくりそのままだった。変わったことといえば駅名や旅行商品の看板が全て無くなったくらい。駅前広場の駐車場もバス停も以前のまま。あまりの変わらなさに逆におどろいた。

駅舎に近づいて窓を覗いてみると、内側から板が張り付けてられていた。

DSCN0557.JPG
JRのものではなかったのか「ありがとう江差駅」の標柱は残されていた。

駅前広場には「一般駐車場」の看板があり、車が4台駐車してあった。もう駅は無いのだからまわりは誰もいない。
もともと駅であったこの場所は町の中心部から1kmほど離れていて、駅がなくなった今ではただの住宅地の一角でしかない。
江差町の集客施設である江差高校と道立江差病院は駅から9km北の厚沢部町に近い場所に移転して、またその近くにショッピングセンターができるなど人の流れも昔とはすっかり変わってしまった。駅がすっかり中途半端な場所になってしまってから久しい。

沿線各町 跡地活用探る…江差線廃線1年【江差】 函館新聞』によると江差駅周辺は2017年から江差町が公営住宅の整備をするとのこと。そうなると駅舎も取り壊され、駅があったこともわからなくなるほど様変わりしてしまうのだろうか。

DSCN0607.JPG
駅前広場も基本的にそのまま。

DSCN0613.JPG
駅前広場の駐車場もそのまま。

DSCN0609.JPG
電話ボックスと観光案内。

DSCN0602.JPG
熊石や大成方面のバスは今でも駅前広場に乗り入れている。
しかし、江差線代替バスは駅裏の団地を経由するので旧駅前には乗り入れしない。

DSCN0558.JPG
改札口もそのままになっている。一応柵で入れないようにはしてある。

ホームへは柵があって入れないようにしてあるが、立入禁止等の表示はないので中に入ってみる。
去年来たときは廃止フィーバー客がごった返したホームだが、外された看板や窓に張り付けられた板を見るとやっぱり廃止になったんだなあと思った。ホームの屋根が撤去されているので妙に明るく感じる。

それにしても意外ときれいだ。ゴミも落ちていないし、落書きも無い。それだけ人も寄りつかず忘れられた存在になってしまったということか。

DSCN0562.JPG
駅舎のホーム側。窓や出入り口は板で塞がれ、ホーム上屋の屋根だけが撤去されていた。

DSCN0597.JPG
荒れた感じもなく意外ときれい。廃止からもう1年経ったと見るか、まだ1年しか経っていないと見るか。

DSCN0564.JPG
板で塞がれていない窓から駅舎の中を覗いてみる。やっぱり何もない。

ホームの下には1本の線路が赤さびたまま伸びている。ホームの端から下に降りてしばらく線路を歩いてみた。

DSCN0577.JPG
こうしてみるとまた列車が復活しそうな気がしなくもない。

DSCN0578.JPG
レールはすっかり赤錆びてるが、まだ普通に列車が走れそうな線路。

DSCN0583.JPG
駅接近標識と勾配標。

DSCN0581.JPG
線路跡を歩いていたネコ。

DSCN0584.JPG
しばらく歩くと草に覆われるようになった。たった1年でこんなにも草が生えるものなのか。

車に戻り、次は上ノ国駅に行く。
上ノ国の駅舎は商工会館を併設していた。というより、商工会館に駅の待合所を併設していたとみるべきか。

上ノ国駅はスーパーや商店街からすぐの場所にあって、利便性は江差駅よりも良かった。

DSCN0614.JPG
上ノ国駅は上ノ国町商工会館がメインなので当然そのまま残っている。

DSCN0615.JPG
商工会館横に併設された駅待合室はこれもそのまま残っていた。「上ノ国駅」の表示も消されていなかった。ただし施錠されていて入れない。

DSCN0619.JPG
上ノ国駅ホーム跡。駅名標や名所案内、ミラーなどすべて撤去されていた。線路はそのまま。

DSCN0629.JPG
ホーム脇の花壇からタネが飛んできたのか、線路には花が咲いていた。

DSCN0632.JPG
構内は抜かれた標識が無造作に散らばっていた。

DSCN0635.JPG
駅横に作られた道。

DSCN0636.JPG
軽トラックが通る。もともとここは踏切ではなく、駅裏の人が勝手に線路を横断していた場所だった。

posted by pupupukaya at 15/06/07 | Comment(0) | 廃線跡を行く

廃止1年後の江差線2

さて、上ノ国駅を後にしてこんど道道江差木古内線を中須田駅へ向かう。道道沿いはずっと人家が続いていて、代替バスは新しい停留所も設けられている。

代替バスは鉄道時代より乗客が増えていて、毎日新聞の記事によると平均利用者数が1日当たり30人だったのが100人に増えたとのこと。こまめに停留所を設けたり利用者の多い江差病院や江差高校まで延長できるのはバスならではで、終点の江差駅の場所など考えると鉄道輸送には向いていなかったということなのだろう。

DSCN0647.JPG
道道に立っている中須田駅の看板。

中須田駅は貨車を改造した待合所が使われていた。ここも内側から板が張り付けてある。駅名が書かれた部分は白く塗りつぶしてあった。

DSCN0641.JPG
貨車駅の中須田駅。駅とホームはそのままだが、横の踏切は撤去されていた。

DSCN0646.JPG
この辺りは水田地帯。青森県の私鉄駅という感じがしないでもない。

続いて同じような貨車駅だった桂岡。ここも駅名は塗りつぶされ、看板類はすべて外されているがそれ以外は変わっていない。ここの窓ガラスもやはり内側から塞がれている。外側から塞がないとガラスの破損を防ぐ役割は果たさないと思うのだが、おかげで廃墟然としたむごたらしい姿にはならずにいられるのだが。

DSCN0648.JPG
中須田駅と同じく貨車駅の桂岡駅。出入り口部分は塞がれておらずホームへ自由に出入りできる。

DSCN0651.JPG
桂岡駅のホーム。

DSCN0656.JPG
道道に立つ桂岡駅入口の看板。踏切以外は何もかも江差線があった頃のままになっている。

天ノ川の谷がだんだん狭まってきて、このあたりから山間部になる。途中で脇道に入った橋の手前に宮越駅はあった。
駅横の踏切は道路部分こそレールが剥されて舗装されているが警報機はそのまま残っていた。踏切の手前にある道路標識も残ったままだ。

宮越駅には木造の待合所があるが、ここはなぜか板で塞がれることも無く、施錠もされておらず中に入ることができた。時刻表やポスターはすべて撤去されているので納屋のような感じになっているが、ベンチはそのまま残っていた。バス停は道道にあるのでバス待合所として残っているのではなさそうだ。

DSCN0661.JPG
宮越駅は天ノ川の川岸にあって、木造の待合室がポツンとあるそんな駅だった。

DSCN0665.JPG
他の駅と違い、宮越駅は施錠も窓も塞がれておらず自由に出入りできた。

DSCN0669.JPG
ホームと待合室。

DSCN0677.JPG
踏切の部品が無造作に積まれている。

DSCN0676.JPG
使われなくなった線路は自然へ還ってしまう。

宮越駅跡から次は湯ノ岱へと向かう。ここからは山間部になり人家はほとんど無くなる。
途中の道道沿いに『天ノ川』駅を見つける。駅ではなくモニュメントなのだが、一応寄ってみた。

DSCN0680.JPG
天の川駅。といってもこちらは駅を模したモニュメントだが。踏切は撤去されたが、カーブミラーの「踏切」の文字はそのまま。

DSCN0682.JPG
JRの所有ではないので、駅名票も残されている。

DSCN0686.JPG
五稜郭から64kmのキロポスト新旧。ポールの方は雪に埋もれても見えるように後から立てられた。

DSCN0690.JPG
江差線代替バスがやってきた。

4時半を過ぎたばかりなのに薄暗くなってきた。日の長い季節なのに曇り空と山間部のせいだろうか。廃線跡と並行する道道も車はほとんど通らない。静かなのはいいが、熊が出そうでなんだか怖くなってきた。

再び車を走らせ、天ノ川きららトンネルを抜けると谷が開けてきて湯ノ岱に着く。
ここも道道沿いには「湯ノ岱駅入口」の看板がそのまま残っていた。

湯ノ岱駅の広場にはさっき天ノ川駅で見た木古内行きの代替バスが停車していた。バスはここで5分間停車するダイヤになっている。トイレ休憩のためだろう。
湯ノ岱の駅舎はバス待合所になっていた。やはり看板やポスターはすべて撤去され、きっぷうりばだった所は板で塞がれていた。壁のポスターの跡が痛々しい。
それでもベンチの座布団には少し温もりを感じた。

DSCN0692.JPG
湯ノ岱駅の駅舎はバス待合所として使われている。

DSCN0693.JPG
ベンチと座布団は残されたが、きっぷ売り場は板で塞がれ寒々とした印象。

DSCN0695.JPG
去年のGWは大勢の名残客で賑わったホームだがすっかり寂しくなった。

DSCN0747.JPG
うっすらと湯ノ岱駅の文字が浮き出ている。

DSCN0696.JPG
駅舎と代替バス。バスの乗客はゼロ。

DSCN0713.JPG
舗装の隙間から生えた草の生命力はさすが。

DSCN0716.JPG
冬期間使われていた乗務員の宿泊所。

DSCN0700.JPG
出発信号機とポイント。湯ノ岱は線内で唯一の列車交換駅だった。

DSCN0703.JPG
ポイントはローカル線でよく使用されるスプリングポイント。トングレールを足で押してみたがびくともしなかった。

今日はここ湯ノ岱でおしまい、次の神明からはまた明日スタートします。

DSCN0756.JPG
せっかくなので湯ノ岱の国民温泉保養センターで一風呂浴びてきました。
お湯は茶褐色の炭酸泉でタオルが茶色くなります。入浴料は350円と安いですが、銭湯と同じく石鹸やシャンプーの備え付けが無いので持参する必要があります。あと、ドライヤーは備え付けがありました。

DSCN0758.JPG
上ノ国の「トライマート」で買ったからあげ。ここのからあげは一風変わっていて、衣がサクサクしている。

この日は道の駅「上ノ国もんじゅ」で車中泊しました。





posted by pupupukaya at 15/06/07 | Comment(2) | 廃線跡を行く

廃止1年後の江差線3

今朝目覚めると雨が降っていた。天気予報を見ると雨は夜のうちだけで昼間は晴れるようだ。
雨が上がるのを待って道の駅「上ノ国もんじゅ」を7時に出発した。

まずは湯ノ岱へと向かう。

DSCN0760.JPG
道道から見える天ノ川に架かる鉄橋。

DSCN0767.JPG
湯ノ岱駅遠景。夏になると線路は草に覆われてしまうのだろうか。

湯ノ岱駅は昨日行ったのでまずは神明駅跡へ行った。

DSCN0780.JPG
今にも列車が来そうな神明駅跡。木造の待合室は板で塞がれていた。

さっきまで雨が降っていたのか神明駅のホームは濡れていた。
踏切部分は撤去されているが、それ以外の線路はきれいに残っている。草があまり生えないのは山岳地帯のためだろうか。

ホームに立ってみると今にも列車が現れそうだ。でも、二度と列車は来ないとわかっているので寂しい。

DSCN0777.JPG
神明駅は道道から400m離れていて、代替バスが神明に立ち寄るためにバス回転場が設けられた。

DSCN0810.JPG
踏切の部品が無造作に置かれている。ただ撤去されるのを待つだけの線路。

道道江差木古内線は何回か江差線跡と交差するがそのうち1箇所は立体交差になっている。
廃線跡の陸橋のそばに線路に登って行く階段があった。階段といっても古枕木を組んで作った保線用の作業道だったのだろうが、登ってみると線路があった。
レールは錆びているが、現役の頃とそう変わらないほど線路はきれいだ。江差方向へ少し歩いてみる。稲穂トンネルまで行けるだろうか。

DSCN0911.JPG
道道と江差線の立体交差。ここも早々に撤去されるものと思われる。

DSCN0910.JPG
下から見上げる。

DSCN0818.JPG
線路から道路を見下ろす。

DSCN0827.JPG
なだれ覆いが見えてきた。この先いくつかのなだれ覆いがあって、その先に稲穂トンネルがあるはずだ。

DSCN0832.JPG
レールを組んで作られたなだれ覆い。

DSCN0834.JPG
天井は蒸気機関車が吐き出した煤がこびりついている。この辺りは稲穂峠にむかって25/1000という急勾配。蒸気機関車は喘ぎながら登ったことだろう。

DSCN0852.JPG
なだれ覆いを抜けた所は・・・

DSCN0854.JPG
線路が撤去されて、新しく作られる道道江差木古内線の工事現場になっていた。

3つ目のなだれ覆いをぬけた所で線路はぶった切られ、新しく付け替えられる道道の工事現場だった。
急カーブや急勾配の多い現道道を改良するために新たに掘られた「新吉堀トンネル」で、2016年に開通する。

線路は撤去されて、その場所には新しくできる道路の橋台が建てられていた。江差線廃止から1年ちょっとしか経っていないが、ここだけはえらい変わりようだ。道路の設計は江差線廃止を前提として進められていたのだろうか。

平日ならば重機がうごめいている工事現場なのだろうが、今日は日曜日なので誰もいない。ウロウロしている所を見つかるとあらぬ疑いをもたれそうな感じだった。稲穂トンネルはあきらめて引き返す。

DSCN0856.JPG
工事現場の側から見ると、なだれ覆いが妖しげな坑口のようにも見える。

DSCN0876.JPG
雨に濡れた廃線の線路。

DSCN0915.JPG
道道に数か所あった踏切。線路は撤去されて舗装されたが、警報機はそのままになっている。

DSCN0930.JPG
木古内川に架かる鉄橋。

DSCN0920.JPG
まくら木の間から下が丸見えの鉄橋。



posted by pupupukaya at 15/06/14 | Comment(0) | 廃線跡を行く

廃止1年後の江差線4

木古内町側の最初の駅が吉堀駅。
現役時代から草むらの中の駅という感じだったが、あまり変わっていない。

DSCN0937.JPG
草に覆われた吉堀駅。ここも貨車駅だった。

DSCN0972.JPG
雑草が生えていかにも廃線跡らしい。綺麗に線路が残っていた神明駅とは対照的。

DSCN0967.JPG
無人駅だが、吉堀から湯ノ岱まで13kmにわたる峠越えに備えて保線基地であったようだ。

DSCN0987.JPG
お寺の境内を列車が走るとして有名だった禅燈寺踏切。

DSCN0990.JPG
唯一完全な形で残っていた踏切だった。

最後の駅が渡島鶴岡駅。札幌から車できたので江差駅側からの訪問になったが、起点側から辿れば木古内を出て最初の駅。

DSCN0975.JPG
渡島鶴岡駅の待合所。

今までは上ノ国と宮越を除いてどの駅もオレンジ色の板で塞がれていたが、渡島鶴岡駅の待合所はずいぶんと中途半端な塞がれかたをしている。一応ドアの部分に板が打ち付けられて中に入れないようになっているのだが、窓は塞がれていないので中が丸見えだ。見られて困るものがあるわけではないが。
ここで板が足りなくなったけどまあいいやという感じがしなくもない。

DSCN1000.JPG
建物の中も丸見えである。

DSCN0979.JPG
立派なコンクリート製のホーム。

渡島鶴岡駅は木古内から2.3km。遠くには北海道新幹線の高架橋も見える。
木古内駅へ向かう途中で脇道に入り、新幹線と在来線が分岐する部分が見える丘へ寄ってみた。

DSCN1004.JPG
江差線廃線跡と北海道新幹線の高架橋。

DSCN1006.JPG
完成している新幹線と在来線の分岐部分。新幹線は直進し、貨物列車は分岐して道南いさりび鉄道経由となる。

新幹線は既に試運転も行っているので線路は完成している。去年来たときは新幹線の線路は分断されていたが、着実に開業へ向かって進んでいるようだ。

DSCN1017.JPG
海峡線と江差線の分岐部分にある踏切。

DSCN1015.JPG
江差線の廃線跡が右に分岐して行く。まっすぐ行くのは海峡線で、新幹線と合流する。

DSCN1020.JPG
レールは一部切断されているがポイントはまだ残っていた。動かないように鎖錠されているんだろうけど。

最後は木古内駅へ行った。駅舎は後方の新幹線駅に合わせたデザインに改築されて、去年とは様変わりしていた。

DSCN1055.JPG
新幹線に合わせたデザインに改築された木古内駅。駅前の工事はまだ続いていて、開業に間に合うんだろうか。

DSCN1040.JPG
木古内駅の4・5番ホームは函館方面への気動車発着専用になり、江差方の出発信号機は×印が取り付けられた。

DSCN1046.JPG
函館行「白鳥93号」が入ってきた。8両編成だが、がら空きだった。

DSCN1024.JPG
新幹線開業後は道南いさりび鉄道の駅となる木古内駅。

DSCN1054.JPG
江差方面の文字が消えた案内表示。

〜廃止1年後の江差線 おわり〜
posted by pupupukaya at 15/06/14 | Comment(0) | 廃線跡を行く
Powered by さくらのブログ