定山渓鉄道跡を歩く2015年 1回目

定山渓鉄道があった時代を知ってますか?

DSCN7965.JPG
定山渓鉄道のパンフレットより。

昔、札幌と定山渓を結ぶ電車があって、定鉄(じょうてつ)の名で親しまれていました。
定山渓鉄道こと定鉄が開通したのは大正7(1918)年、廃止が昭和44(1969)年とわずか51年と短命の鉄道でした。

廃止からことしで46年が経ち、人々の記憶からも消え去って久しくなります。かく言う私も定鉄廃止後の生まれで、直接走っている電車を見たことはありません。
廃線後は膨張する札幌の市街地に取り込まれて消滅していった線路跡。在りし日の定山渓鉄道を偲ぶべく線路跡だったところを歩いてきました。

1toyo.jpg
定鉄が描かれた昭和43年発行国土地理院2.5万分の一地形図

定山渓鉄道の起点は国鉄千歳線の東札幌駅だった。さらに古くは白石駅が起点になっていて、白石−東札幌−真駒内−定山渓の路線であった。白石起点だったのは当時の国鉄と連絡運輸を行うためだった。

当初計画では苗穂駅起点で豊平川左岸沿いを南下し、石山付近で豊平川を渡るというものだった。ところが大正2年の豊平川大洪水とその後の護岸工事のため白石起点で平岸街道沿いのルートに変更されたという。
もし当初のルートで開業していたら、都心と石山、藤野、定山渓とを結ぶ都市路線として発展していたに違いなく、定鉄の歴史だけでなく札幌市内の交通網が大きく変わっていたことだろう。

昭和になると豊平駅まで市電が開通し、市電から定鉄に乗り換えるのがメインルートになった。また千歳線の前身である北海道鉄道を電化して苗穂駅まで乗り入れるようになると白石−東札幌間は存在意義を失ったようで、戦時中に不要不急路線として廃止された。
北海道鉄道もまた戦時中に国有化され、千歳線となった。戦後は小樽まわりの函館本線に代わる幹線として発展すると、東札幌、月寒、大谷地、上野幌と結んでいた旧ルートは廃線となり、現在の新札幌経由の新線になった。

千歳線が新線に移行された後も東札幌駅は貨物駅として残っていたがこちらも民営化直前の昭和61年に廃止されている。駅跡は廃止後も国鉄清算事業団の土地として長らく空き地のままだったが、後に札幌コンベンションセンターや大型商業施設などが建ち、付近は一新された。
歴史はここまでにして、旧東札幌駅跡から定山渓鉄道の線路跡にむけて出発しよう。

higa-toyo.png
定山渓鉄道の廃線跡地図 東札幌・豊平間(地理院地図から作成)

DSCN7111.JPG
かつて東札幌駅の駅舎が建っていた場所。現在は道路が貫通し、イーアス札幌AタウンとBタウンの連絡通路が空中で結んでいる。(1から北方向)

DSCN7112.JPG
旧駅前から南郷通の菊水円形歩道橋方向。この道は今でも道道東札幌停車場線という名称がついている。(1から北西方向)

DSCN7115.JPG
旧千歳線時代は「あかずの踏切」と呼ばれていた伊原街道踏切があった場所。旧千歳線跡はここからサイクリングロードになっている。(2から南西方向)

DSCN7126.JPG
大型商業施設ができてこの辺りも高層マンションが増えてきた。(3から北東方向)

DSCN7116.JPG
左への緩いカーブは千歳線跡。定鉄は直進していた。(3から南西方向)


DSCN7127.JPG
電車庫が並んでいた場所は、じょうてつが分譲したマンションが立ち並ぶ。50年前の人が現代にタイムスリップしてきたら卒倒するような未来の光景だ(3と4の間)

DSCN7130.JPG
旧豊平駅跡から移転してきた株式会社じょうてつ本社。(4から南東方向)

higasappo.png
東札幌電車庫付近の重ね図(国土地理院昭和36年空中写真と現在地形図)

南郷通から東北通までの間は電車庫があった。比較的広い土地だったせいか土地の転用は早く、自社系の倉庫が並んでいた。
建物の敷地になってしまったので線路跡を歩くことはできないが、東光ストア本社、北海道リネンサプライ、札幌第一交通など元々は定鉄由来の会社が並び、ここが定鉄の線路であったことをうかがわせる。

DSCN7132.JPG
電車庫跡は比較的広い敷地のため建物の用地になった。(5から北東方向)

DSCN7131.JPG
東北通から国道36号線までの間は長らく駐車場だったが宅地になって新しい家が並ぶ。(5から南西方向)

DSCN7139.JPG
豊平2条線と36号線の間は今でも月極駐車場になっている。細長い敷地はいかにも廃線跡。(6から南西方向)

東札幌の次は豊平駅。昭和4年に市電豊平線が延伸されると、これを機に定鉄豊平駅も国道36号線に面した位置に新築移転した。以後市電と定鉄のターミナルとなって賑わっていた。

DSCN7149.JPG
定鉄廃止後は駅舎がじょうてつ本社として使用されていたが、2005年に解体されて跡地はマンションが建った。
国道上は市電の豊平駅前停留所があって、歩道橋から停留所に向かって下りる階段があった。(8から南方向)

DSCN7145.JPG
歩道橋に残る市電の停留所に下りる階段があった跡。

1001.jpg
ありし日の旧豊平駅(2001年頃)。左側の平屋部分が旧駅舎で右側の2階建て部分はじょうてつ本社だった。

1002.jpg
裏側は当時のホームがそのまま残されていた。(2001年頃)

DSCN7151.JPG
中央分離帯があって幅広になっている部分はかつて豊平駅の駅前広場だった場所。昭和41年に国道上に移設されるまでは市電は駅前広場へ乗り入れていた。(8から南西方向)

DSCN7168.JPG
「市電終点豊平駅跡」の看板。ここに昔豊平駅があったことを唯一伝える存在。

定鉄が全盛の頃、定山渓からの電車が到着すると1台に収容できない市電は混雑で積み残しも発生し、このため豊平駅前の停留所は複線として定鉄電車の到着に合わせて臨時便も運転していた。
駅前広場に乗り入れていた市電も、国道36号線の自動車交通量の増加により踏切付近を電車が右折左折するのは大変ということもあって駅前広場に乗り入れていた線路を廃止し、国道上に停留所を移設することになった。

DSCN7175.JPG
このあたりは市電終点だった頃とあまり変わらないようだ。

駅前広場だった路上をみるとびっくり。市電の軌道敷とおぼしき敷石が顔をのぞかせていた。曲線を描いているが、かつて豊平駅前停留所の線路はY字線だったはずで、これは市電の軌道敷に間違いない。
旧豊平駅舎が撤去されて、定鉄の面影がすっかり無くなったと思っていたが、こんなところに遺構が残っていたとは。

DSCN7165.JPG
もと駅前広場だった路上には市電の敷石が顔をのぞかせていた。(8から南西方向)

DSCN7161.JPG
市電停留所移設後も敷石は撤去せずにアスファルト舗装を施していたのが再び姿を現したようだ。

posted by pupupukaya at 15:03 | Comment(0) | 廃線跡を行く