トワイライトエクスプレスの思い出


トワイライトエクスプレスは運行開始が1989年というから今年で26年目になりますが、ことし(2015年)の3月12日に札幌と大阪をそれぞれ発車する列車が最後になります。
トワイライトエクスプレスの名前は2017年に新型車両の「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」として復活する予定ですが、九州の「ななつ星」同様クルーズトレインなので私など乗る機会はないだろうし、多分北海道にも来ないと思います。

ラストランは仕事で行けませんが(もっとも行く気もないし)、その前の最後の土曜日にちょっと撮り鉄してきました。
入場券を買って4番ホームに上がると、トワイライトエクスプレスの乗客のほか、デカいカメラを持ったいかにもという人たちもウロウロ。ホームの端は入線してくる列車を撮る人だかりができていました。

DSCN5874.JPG
ホームのトワイライトエクスプレス大阪行の表示。

DSCN5880.JPG
ホームの人だかり。

DSCN5886.JPG
機関車はホーム端ぎりぎりで停車するため、ヘッドマークは撮れなかった。

DSCN5897.JPG
各車両に描かれたトワイライトエクスプレスのエンブレム。

DSCN5895.JPG
デッキにはトワイライトエクスプレスのエンブレムが乗客を迎える。

入場券なので車内には入れません。外から眺めるだけです。まどから車内をのぞき込むと空室が結構多くて、満席のはずなのにどうしてなんだろう。途中から乗ってくるんでしょうかね。

DSCN5922.JPG
乗車口案内の札。

DSCN5911.JPG
トワイライトエクスプレス大阪行の方向幕。

DSCN5918.JPG
まだ午後2時過ぎだがホームは夜汽車の佇まい。

DSCN5903.JPG
食堂車の窓はカーテンが下ろされていた。発車時はここにクルーが並んだものだったが。

DSCN5934.JPG
札幌発はスイートではなく電源車が最後部になる。

DSCN5949.JPG
14時05分に大阪へ向かって走り去って行った。

思えばこのトワイライトエクスプレスには5回乗ったことがあって、これだけの回数乗ればもう十分だろうという気もしますが、無くなるとなるとやっぱり淋しいです。

もう一度乗ってみたかったですが、廃止が決まった頃からプラチナチケットになってしまったし、何よりお金も無いので画像でも見ながら過去の旅行を思い出すことにします。



2004年5月
四国に行った帰りに乗車したもの。B個室シングルツインの利用でした。

PICT0334.JPG
大阪駅ホームの発車案内。

PICT0335.JPG
ホームの乗車口案内。このころは「日本海3号」や「銀河」の表示もあった。

23_20150312_0006.jpg
大阪駅発車前のトワイライトエクスプレス。

PICT0328.JPG
シングルツインの部屋。その名の通り1人でも2人でも利用できる。

PICT0437.JPG
上段ベッドが圧迫感があり狭苦しい印象だった。1人ならば座ってしまえば快適だったが。

PICT0331.JPG
自動販売機。この頃はペットボトルではなく缶ジュースが並ぶ。

PICT0347.JPG
食堂車で作って席まで届けられる「プレヤデス弁当」(1500円)。味付けは関西風だった。

PICT0371.JPG
サロンカー「サロンデュノール」から見た夕日。まさに「twilight Express」。

PICT0376.JPG
夜のサロンカー。



2011年4月
大阪まで往復した時に乗車しました。A個室ロイヤルの利用です。

P4280189.JPG
ロイヤルの部屋。シャワーとトイレも付いている豪華寝台。

P4280042.JPG
ウェルカムドリンクはA寝台のロイヤルとスイートだけの特典

P4290532.JPG

トワイライトエクスプレスの車内に置いてあるパンフレット。

P4280059.JPG
空いていたので撮らせてもらった2人部屋のスイート。これに乗ることは叶わなかった。

P4280252.JPG
ロイヤルの夜は更けて・・・

P4280336.JPG
夜の食堂車「ダイナープレヤデス」。ディナーは予約制だが、夜のパブタイム営業中は誰でも利用できる。

P4280340.JPG
ビーフピラフと白ワインで2800円だったような確か。

P4280293.JPG
ベッドをセットした状態。ボタンを押すと背ずりが倒れてセミダブルサイズになる。

P4290408.JPG
部屋に届けられるモーニングコーヒーとミネラルウォーター。

P4290440.JPG
朝の食堂車。朝食は乗車してからクルーが予約をとりにくる。

P4290437.JPG
この頃は和食と洋食から選べた。これは洋定食。

P4290486.JPG
敦賀で機関車交換が行われる。



2012年7月
所用で京都まで行ったときに乗車しました。Bコンパートの利用です。


DSCN4795.JPG
普通のB寝台に簡易の扉を取り付けたBコンパート。4人で利用の際には個室になる。

DSCN4801.JPG
Bコンパートの通路。通路の小さい腰掛が結構人気。

DSCN4816.JPG
大沼と駒ヶ岳を見ながらの宴会もまた楽しい。

DSCN4819.JPG
パブタイムの食堂車でワインを飲んだ。

DSCN4852.JPG
モーニングタイムの和定食。ご飯はお櫃に入れられて結構量があった。

トワイライトエクスプレスの思い出 その2へ
posted by pupupukaya at 15/03/08 | Comment(0) | 思い出の鉄道

トワイライトエクスプレスの思い出 その2

過去に乗車したトワイライトエクスプレスの切符やアイテムです。

23_20150312_0002.jpg
2000年に初めて乗車したときのシングルツイン。有珠山噴火による山線迂回運転だった。


23_20150312_0003.jpg
2004年、九州旅行帰りに乗ったときのシングルツイン。

23_20150312_0004.jpg
2004年、四国旅行の帰りに乗ったシングルツイン。

23_20150312_0005.jpg
2011年初めてロイヤルに乗った。

23_20150312_0013.jpg
シャワーカード。2004年のもの。

23_20150312_0012.jpg
カードキーは2011年ロイヤル乗車のもの。


23_20150312_0009.jpg
朝食予約券。2011年ロイヤル乗車時のもの。

23_20150312_0010.jpg
朝食券の裏。

23_20150312_0008.jpg
2011年、パブタイム利用時のレシート。

23_20150312_0014.jpg
旅のしおり。2011年乗車時に車内販売で買ったもの。



DSC04386.JPG
アメニティーグッズケース。2011年乗車時のもの。A個室客の特典だ。

P4280182.JPG
トワイライトエクスプレスのエンブレム入りのスリッパ。これもA個室限定。

P4290532.JPG
トワイライトエクスプレスの各寝台に置いてあるパンフレット。2011年。

P4290534.JPG
A個室に置いてある車内案内のファイル。

23_20150312_0019.jpg
トワイライトエクスプレスの封筒。

23_20150312_0017.jpg

トワイライトエクスプレスの絵はがき。

23_20150312_0020.jpg
A個室に置いてあるメモ帳。これもエンブレム入りのこだわり。

23_20150312_0021.jpg
車内アンケート用紙。

DSCN5971a.jpg
2015年3月12日、ラストランとなるトワイライトエクスプレス。
稲積公園−発寒間を一路札幌駅へ向けて走る回送列車。
posted by pupupukaya at 15/03/12 | Comment(0) | 思い出の鉄道

さようなら石勝線夕張支線1

ことし(2019年)の3月いっぱいで石勝線夕張支線が廃止になる。

私自身、夕張に縁があるわけではないが、夕張支線はよく乗ったことがある路線だ。
1日散歩きっぷを買っての日帰り旅行や、青春18きっぷの消化などでよく乗りに行った。
接続の悪い新夕張での普通列車と新得方面への特急列車の乗り継ぎに、夕張まで1往復できたりもした。

何だかんだで、思い入れのある路線のひとつである。

廃止前にもう一度乗りに行こうと思っていたが、行けぬまま今になってしまった。
今さら行っても、どの列車も混んでいるだろうし、いわゆる葬式鉄なるものに加わるのも気が引ける。

というわけで、過去の写真をアルバムから見つけ出し、夕張支線を思い出すことにした。

DSCN0682.JPG
 夕張線時代の路線図(交通公社の時刻表1980年8月号より)

この夕張支線はもともとは夕張線という独立した名称を持つ路線だった。

1981年、千歳空港〜追分間、新夕張〜新得間の石勝線が開業すると、間に挟まった夕張線は取り込まれる形で石勝線と名を改めた。同時に、新夕張〜夕張間も石勝線と改称し、同線の支線扱いとなった経緯がある。

で、このたび廃止になる夕張支線だが、JRになってから幹線系では廃止になる初の路線である。(新幹線並行路線を除く)

いや過去に廃止された、函館本線の支線である砂川〜上砂川間、通称上砂川支線も幹線だったが、あれは函館本線の支線扱いだったので、廃止対象線区には選定されなかったし、不当に幹線という扱いを受けていただけだった。

夕張支線だって同じじゃん。石勝線自体が幹線だったから上砂川支線と同じ扱いを受けていただけじゃん。
と言われそうだし、私もそう思っていました。

石勝線に取り込まれなかったら、他の廃止路線と同じく廃止されていただろうと思っていた。

ではなぜ幹線系で初の廃止かというと、実はこの路線、夕張線時代から幹線となっていたからだ。

DSCN0677.JPG
 国鉄時代最後のダイヤ(道内時刻表87年2月号より)

1981年に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)に基づいて幹線地方交通線に選別されることになった。

旅客輸送量の多い函館線や千歳線、室蘭線、根室線は幹線となったが、夕張線は『貨物輸送密度が4,000t以上である線』という条件をクリアして幹線という扱いを受けた。

他はすべて地方交通線ということになり、さらに基準以下の路線は特定地方交通線に指定され、第1次、第2次、第3次と段階的に廃止されることになる。

同様の運炭路線であった幌内線、歌志内線は2次の指定を受け、JR化後に廃止されている。

もし石勝線に組み入れられず、夕張線のままであっても、時刻表では幹線系の路線として掲載されていたはずである。
とにかく、夕張支線は石炭とともにあった路線だった。

国鉄からJRに移行した頃も、1日4往復の石炭貨物列車があったようだ。
1986年11月改正の貨物時刻表(神田の古本屋で買ったもの)には、清水沢から2往復、沼ノ沢から2往復の石炭列車が、苫小牧操車場へ向けて運転されている。

しかし翌年の1987年7月には清水沢からの三菱大夕張鉄道が廃止、同年10月には沼ノ沢からの北炭真谷地炭鉱専用鉄道が廃止になる。これで、石炭輸送は終わり、あとは細々と旅客輸送を行うだけのローカル線となってしまった。

1990年には夕張最後の炭鉱だった三菱石炭鉱業が閉山し、夕張から全ての炭鉱が姿を消した。
この時点で、鉄道としての役割は終えていたのだろう。

jrftime956.jpg
 石炭列車が4往復あった頃の貨物ダイヤ(貨物時刻表昭和61年11月ダイヤ改正より)


 ◆ 新夕張駅

夕張線時代は紅葉山(もみじやま)という駅だった。
駅前広場に夕張線時代の駅名標が立っている。

石勝線開業と同時に今の新夕張に改称した。新たな特急停車駅ということで意気込んで命名したのだろう。
しかし、町名は今も昔も紅葉山のまま。
国道沿いのコンビニの店名なんかも、すべて紅葉山。
鉄道利用でなければあまり馴染みのある名前ではない。

途中駅だが、青春18や1日散歩所持での普通列車と特急列車の接続が悪いのと、直通列車でもやたらと停車時間が長かったので、何かと縁がある駅でもあった。
この駅から楓まで1駅だけの普通列車があったが、2004年に楓駅とともに廃止されている。

DSCN0429.JPG
 新夕張駅正面(2015年12月撮影)

412.jpg
 新夕張駅改札口のあたり(2002年8月)

405.jpg
 のりかえ表示に『楓』の駅名があった頃(2002年3月)

356.jpg
 3・4番ホームの夕張側にあった0番ホーム(2002年8月)

DSCN0302.JPG
 新夕張→夕張の乗車券(2015年12月)


 ◆ 沼ノ沢駅

かつては北炭真谷地炭鉱専用鉄道が真谷地炭鉱まであって、石炭を搬出していた。
2000年代前半くらいまで、錆びた側線が何本か残っていたような気がする。

駅周辺はまとまった町になっていて、朝は夕張行の列車に数人の通勤通学客が乗ってくる。

DSCN0404.JPG
 レストランが入居する沼ノ沢駅の駅舎(2015年12月)

DSCN0408.JPG
 沼ノ沢駅の待合室(2015年12月)

414.jpg
 ホーム側からの駅舎(2003年9月)


 ◆ 南清水沢駅。

こじんまりとした駅舎で駅前広場も無いが、新夕張以外の夕張支線で一番利用者の多い駅。
夕張高校の最寄り駅だからだろう。

委託管理のおばさんが窓口できっぷを売っている。
駅と集会所を兼ねているような、そんな雰囲気があった。
駅員がいても、何となく役所的な感じの清水沢駅とは対照的な感じがした。

開業は1962年と、夕張支線では一番新しい駅。
当時は女性駅員の駅として話題になったようだ。

 〜駅員が全部女性という変わった駅(北海道駅名の起源より)

夕張市はそれぞれ炭鉱ごとに町があって、その市内の町を鉄道が結ぶといった、鉄道の経営的には望ましい都市形態といえる。
しかし、夕張市としては町がバラバラに存在するとあっては経費がかかりすぎるというので、清水沢地区に集約したがっているようである。

夕張高校への通学生のほか、団地や住宅が多く、ここから夕張までの通勤客も少なからずある。
駅前はスーパーとホームセンターがあり、川向うには生協と市内唯一の小中学校があるので、このあたりは夕張の実質中心といえる。

この駅の少し南側に、子育て・教育、交通結節点、公共施設の役割を持つ拠点複合施設がつくられ、市内交通の拠点にもなるようだ。

鉄道廃止後に中核施設がつくられ、町の中心として発展するというのも皮肉な話だ。

DSCN0402.JPG
 南清水沢駅の駅舎(2015年12月)

DSCN0400.JPG
 待合室ときっぷ売り場の窓口(2015年12月)

DSCN0398.JPG
 きっぷ売り場、たまに留守になるようだった(2015年12月)

DSCN0397.JPG
 本は列車待合用に利用者が持ち込んだのだろう(2015年12月)

DSCN0396.JPG
 まだ廃止が確定していなかった頃(2015年12月)

DSCN0604.JPG
 南清水沢駅発行の乗車券(2015年9月)

DSCN0392.JPG
 南清水沢駅のホームから(2015年12月)


 ◆ 清水沢駅

三菱大夕張鉄道がこの駅から発着していた。
南大夕張からの石炭列車はこの駅でスイッチバックし、石勝線へと乗り入れていた。
駅舎とホームが離れているのは、この間に何本もの側線があった名残り。

いまは棒線駅だが、2004年3月までは構内が複線になっていて、列車交換が可能だった。
当時は全国的にも珍しくなっていた、タブレット閉塞と腕木式信号機がそれまで使われていた。

しかし貨物廃止後は、定期列車ではこの駅で交換する列車は無かったようだ。
臨時のリゾート列車でも乗り入れることを想定していたのだろうか。

棒線化されてからも駅員は引き続き配置されたのは、定期券の販売などそれなりに営業の拠点と判断されたからなのか。
しかしその当時の営業成績は、乗車人員で1日当たり80人、10年後の2014年度には1日当たり12人と激減。

これでは合理化の対象になるのも無理はなく、2015年の10月には無人化されることになった。

夕張高校へは徒歩圏内なので、通学生は乗ってこない。
夕張へのわずかな通勤客だけが利用していたようだ。

駅前は商店街になっていて、炭鉱があった頃は賑わっていたのだろう。
有人駅だった頃は駅前にタクシーが常駐して駅前らしくなっていたが、無人駅になってからはタクシーもいなくなってしまった。

DSCN1930.JPG
 無人化される直前の清水沢駅(2015年9月)

404.jpg
 清水沢小学校への人道橋から見下ろす(2002年3月)

406.jpg
 清水沢駅と商店街(2002年3月)

359.jpg
 駅員常駐だったころの清水沢駅の待合室(2002年8月)

407.jpg
 冬にはストーブが燃えていた待合室(2002年3月)

DSCN1923-001.JPG
 きっぷうりば(2015年9月)

DSCN0354.JPG
 無人化され、窓口には板が張られ、外された時計の跡も寒々しく(2015年12月)

DSCN0365.JPG
 昔の住宅地図と付箋の思い出書き(2015年12月)

DSCN0381.JPG
 『清水沢駅の思い出展』として貼り出された過去の写真(2015年12月)

DSCN0605.JPG
 清水沢駅からの乗車券(2015年9月)


posted by pupupukaya at 19/03/23 | Comment(0) | 思い出の鉄道

さようなら石勝線夕張支線2


 ◆ 清水沢駅その2

2004年までは列車交換施設があって、タブレット交換を行っていた。
また道内で最後まで腕木式信号機が使用されていた駅でもあった。

ホームは駅舎から離れた所にあるのは、何本も貨物線が並んでいたからだ。
三菱大夕張鉄道があったころは、この貨物線で石炭貨物列車の入れ替えをやっていた。

駅舎からは長い跨線橋で結んでいたが、棒線駅になってからは不要になり撤去された。

401.jpg
 ホームから見た清水沢駅の駅舎(2002年3月)

354.jpg
 三菱大夕張鉄道が使用していた0番ホーム跡(2002年8月)

402.jpg
 改札口を出たところ、奥が信号小屋(2002年3月)

413.jpg
 駅員がタブレットを持って出てくる(2002年8月)

DSCN0379.JPG
 無人駅になった清水沢駅と骨組みだけになった0番ホーム(2015年12月) 

DSCN0373.JPG
 交換設備廃止後に跨線橋とホーム上屋が撤去されている(2015年12月)

357-001.jpg
 清水沢駅の腕木式場内信号機(2002年8月)

411.jpg
 腕木式信号機は駅舎からワイヤで操作していた(2002年8月)

358.jpg
 清水沢駅の腕木式信号機ウラ側、夜はカンテラで灯す(2002年8月)


 ◆ 鹿ノ谷駅

古くは夕張鉄道の接続駅で、ここから栗山・野幌への路線があった。
駅裏の広大な空き地は貨物線がたくさん並んでいた。
駅北側にある、やけに長い跨線橋が広い構内の名残り。

夕張緑ヶ丘実業高校があった頃は通学生で賑わったが、2003年に閉校している。
清水沢に夕張高校と市内に2校だった頃は、朝夕は学生の大移動だったのだろう。
1990年代までは夕張工業高校と夕張北高と2校の通学生で賑わった。

現在は南清水沢への通学生が数人利用するだけの駅である。

駅前は商店街はなく、突き当りの道道沿いが商店街だったようだが、今では空き地ばかりが目立つ。
2000年代は駅正面に日通があったのを覚えている。

DSCN0036.JPG
 鹿ノ谷駅の木造駅舎(2013年10月)

DSCN0352.JPG
 広い待合室が夕張鉄道との接続駅だったことを思わせる(2015年12月)

DSCN0038.JPG
 鹿ノ谷駅のホーム(2013年10月)

DSCN0039.JPG
 広大な構内だったが今は草っ原。


 ◆ 夕張駅

夕張駅は2度移転している。
最初の駅は現在より2.1kmほど奥、現在の石炭の歴史村公園入口のあたりにあった。

それが移転したのが1985年。今の市役所の裏、かつて夕張鉄道の終点だった夕張本町駅だった付近に設けられた。
貨車駅だったが、3両連結の貨車が軌道上に置かれた変わった駅だった。

2度目の移転が1990年。
マウントレースイの客の便のために開設された。
本当は終点を市役所裏としたまま途中駅を設けたかったのだが、勾配の関係でそれが難しいためにやむなく路線短縮、現在の場所が終点となった。

当時はスキーリゾート列車の乗り入れも構想にあったようだが、実現することはなく、本来の目的であったスキー客の利用も少なかった。

主な利用客は本町方面やマウントレースイホテルへの通勤客。
朝の列車は10数人の通勤客がこの駅から各方面に散って行く光景が見られた。

無人駅だが、1998年までは駅舎内にキヨスクがあって乗車券も販売していた。
その後は完全無人となり、市の財政悪化からトイレが閉鎖されるなどを経て、2009年に駅舎を改装してカフェがオープンした。
同じころ駅の横に、ゆうばり屋台村がオープンしている。

P5040107.JPG
 教会風の駅舎だった3代目夕張駅舎(2009年5月)

P5040108.JPG
 ホテルマウントレースイと夕張駅舎(2009年5月)

P5040123.JPG
 駅名標(2009年5月)

P5040109.JPG
 左のシャッターは元キヨスクで、乗車券も売っていた(2009年5月)

DSCN0606.JPG
 キヨスクで売っていた乗車券(1994年1月)

P5040052.JPG
 ホームに停まる1両の気動車(2009年5月)

PB230146.JPG
 カフェに改装され、観光案内所も入居した夕張駅(2010年11月)

DSCN0167.JPG
 黄色いハンカチ風の紙に応援メッセージ(2015年12月)

DSCN0149.JPG
 10数人が通勤ラッシュの朝の夕張駅(2015年12月)


 ◆ 旧夕張駅への廃線跡

現在の夕張駅から先は、廃線跡がサイクリングロードとなっていた。
今のセイコーマートの左横あたりから2代目夕張駅のあった市役所裏まで続いていた。
いかにも廃線跡で、鉄道時代の電線もそのまま残っていた。
しかし、2010年に並行する道道夕張岩見沢線の拡幅工事のため消滅している。

P5040059.JPG
 2代目夕張駅跡まで続いていた廃線跡のサイクリングロード(2009年5月)

P5040066.JPG
 2代目夕張駅跡、取り壊したホームの建材が無造作に積んであった(2009年5月)

P5040070.JPG
 市役所に併設の市民会館は元は夕鉄の夕張本町駅だった建物(2009年5月)

408.jpg
 道路拡幅前の夕張本町商店街(2003年9月)


 ◆楓駅

夕張支線の駅ではないが、番外編。

石勝線開業により廃線になった登川支線の代替として設けられた駅。
当初はそれなりに利用者があったようで、6往復の列車があったが、4往復→2往復と減らされ、2000年のダイヤ改正では朝の1往復のみ、しかも日曜運休という運行になってしまった。
末期の利用者は1日当たり1人という状況で、2004年3月に信号場に格下げ、楓行の旅客列車も廃止となった。

現在、駅舎とホームは撤去されているが、線路だけは保線用車両の留置線として残っている。

416.jpg
 本線と分かれて独立したホームだった楓駅(2003年9月)

415.jpg
 朝の1往復だけ発着だった晩年の時刻表(2003年9月)

こうして過去の画像を見ていると、何だか切なくなってきた。
北海道から鉄道がどんどん無くなってゆく。

江差線の木古内〜江差間、留萌本線の留萌〜増毛間は既に廃止されている。
JRから受け継いだ第三セクター鉄道のふるさと銀河線も廃止という選択を取った。

札沼線の医療大学〜新十津川間も廃止が決定している。
災害で運休中の日高本線の鵡川〜様似間も決定事項ではないが廃止は確実だ。
根室本線の富良野〜新得間も同様である。

留萌本線の残り区間も長くはないだろうし、北海道新幹線札幌延伸とともに函館本線の長万部〜倶知安間は確実に廃止になるだろう。

宗谷線、石北線、花咲線あたりは国の政策次第といったところ。

私自身、仕事上もプライベートも車社会の住人である。
鉄道の廃止について、とやかく意見できる立場にはない。

悲しいが、ただ見守ることしかできない。

  ★  ★  ★

夕張支線の廃止まであと1週間。
もう一度最後に乗っておきたかったが、たぶん行かない。

賑やかに見送られる最終列車は、テレビのニュースあたりで見ることだろう。

DSCN0027.JPG
 朝焼けの中、汽笛とともにやって来た始発列車(2015年12月)

廃止後、雪が無くなったらもう一度訪れてみることにしよう。
今度は廃線跡として、ということになるが。

 〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 19/03/24 | Comment(0) | 思い出の鉄道

札沼線のラストランは自宅で見送ろう

2020年5月6日を最後に廃止となることが決まっている札沼線 北海道医療大学〜新十津川間
私が最後に乗車したのは去年(2019年)の10月12日、臨時列車運転の時だった。
あれから、もう1度くらい乗りに行こうかなとも思っていたが、なかなか重い腰が上がらず、そうこうしているうちにこんな情勢になってしまい、もう乗りに行く気はない。

その理由は新型コロナウイルスである。政府あたりは当初春くらいには終息するようなことを言っていたし、私も含め誰もがそう思っていただろう。ところが4月になり、これからが感染拡大の本番となってきている。
政府は4/7になり、ようやく4都府県に緊急事態宣言を行った。5/6までの効力になる。

NNNcorona_map0412.jpg
 2020/4/12夜現在の感染者数推移グラフ
 (データとグラフで見る「新型コロナウイルス」|日テレニュース24より引用)

そんな中、JR北海道のHPに4/3付のニュースリリースで、『札沼線 石狩当別〜新十津川間の運転計画について』という記事が掲載された。
新型コロナウイルス感染拡大の予防対策として、ゴールデンウィーク中の5/2(土)〜5/6(水)は石狩当別〜新十津川間の全列車を指定席にするというものだ。

空調もなく窓を開けない限り換気も悪い気動車に満員の乗客を乗せて1時間以上も走るというのは、まさに『換気が悪く』『人が密に集まって過ごすような空間』『不特定多数の人が接触するおそれが高い場所』という3つの条件を満たしてしまい、クラスター(集団)感染リスクが大変高くなる。

しかし、列車は指定席としても、直接駅へラストランを見送りに来る人たちもいるわけで、新十津川駅の狭い駅舎やホームが人であふれることもありうるわけで、どうするんだろう。
この時勢で、まさか駅頭で廃止イベントを行うなんてことはしないと思うが、それでも道内外から葬式鉄が駆けつけてくることは想像に難くない。

DSCN2168.jpg
 ホームや駅舎が狭く、密集・密接は避けられない(2019/10/12新十津川駅)

また指定席はみどりの窓口での発売となるのなら、例によってネットオークションに不当な価格で出品する、いわゆる転売ヤーというのがまた出てくるんだろうなとも思っていた。

昨日(4/11)から札沼線では浦臼止まりの列車が1往復新十津川まで延長され、土日祝は1日2往復体制となる。乗客も分散されて混雑も緩和されるのだろうが、1箇所に大勢の人が集まることには変わりがない。

以下のリンクはどうしん電子版の記事。UPされた画像を見るとマスクをしていない人も多いようだ。



今週末から臨時の延長運行も始まり、着々と運行最終日に向かっている一方でこんな記事も出てきた。


JR北海道は営業最終日を5/6から4/25(土)に前倒しする検討を始めたということである。

 〜以下同記事の一部引用〜

“大型連休中に道内外の鉄道ファンが沿線に押し寄せ、新型コロナウイルス感染拡大の危険性が高まることを避けるため。最終列車の乗客は沿線の4町民限定にする方向で調整する”

最終列車は沿線4町民限定とし、運転日は4/26とするか5/6とするかはこれから検討することになるということだ。

 〜以下同記事の一部引用〜

”連休中は鉄道ファンが沿線駅に車で駆け付け、列車を撮影したり、駅舎に集まったりすることも予想され、JRは全席指定にするだけでは、感染拡大を防ぐことは困難とみて、最終運行日前倒しの検討に入った。”

ラストランは静かに、せめて地元住民だけは最後のお別れ乗車をさせてあげたいということはよくわかる。
ところが『道内外の鉄道ファンが』というあたりが一番懸念されるところ。

列車の乗客は地元招待客だけとしても、ラストランを見送りに駅やホームに大勢の人が集まる。沿線には大勢の撮り鉄がやって来る。
緊急事態宣言の都府県からもやって来るのだろう。『不要不急の旅行は控えて』と政府は言っているが、強制力は全くないので来るのを拒むことはできない。(彼らは不要不急ではないと言い張るのかも知れない)

いや、そんなことより沿線4住民限定の最終列車も中止すべきではないだろうか。
現在は大から小まで、ありとあらゆるイベントや集まりが中止となっている。今年は札幌のYOSAKOIソーランも中止になった。個人でも、冠婚葬祭ですら中止したり少人数で済ましたりしなければならないほどだ。

乗客は4町民限定とはいえ、人が集まる以上簡単ながら催しがあるはずで、そのために乗客以外の人が大勢集まることになる。駅前に仮設テントを建てて関係者の挨拶くらいはするのかもしれない。
沿道には道内外から撮り鉄が大勢やってくることも考えられる。

4月25日をもってスパッと終わり。いや、もう1日前倒しして24日金曜日が最終でいいのではないか。
廃止に先立って、4/1からすでに代替バスの運行が始まっている。一般の利用客はそちらにシフトできるので、最終日が早まっても困ることはないと思われる。

新型コロナウイルスは東京都での感染者が急激に増加している。緊急事態宣言の出ている大阪や愛知などでも感染増加が始まっている。北海道でもしばらく収まっていたが、再び増加傾向が始まっている。
その上に、最終列車運行イベントでクラスター感染なんてことになったらどうするのか。
都会から持ち込んだウイルスで、農村地帯のじいちゃんばあちゃんを殺す気か。

もうやめよう。
もう終わったんだ。代替バスもすでに運行している。もういっぺんくらい名残に乗っておきたかった人もいるだろうけど、それを今やらなきゃならないことなのか。自分くらいはという小さな欲のために、自分だけではなく他人の命を落とすことだってありうるのだ。
新型コロナウイルスを甘く見てはいけない。

ゴールデンウィークに最後の札沼線に乗ろうと思っていた人も多いだろう。せめてお別れに行きたいと思う人も多いだろう。
私だってそうです。

でもやめよう。本当にやめよう。

せめて留萌本線増毛駅の最終日のようにニコ生あたりで中継をやってくれれば、自宅で最終列車を見送れるのだが。

札沼線の最終列車は、自宅で、心の中で見送ろう。

私ごときがこんなことを主張するのは身の程知らずとは重々承知の上ですが、一刻を争うようなコロナウイルス感染急増とあって、あえて主張させていただきました。

最後に過去に撮影した札沼線の画像をいくつか貼って札沼線とのお別れとさせていただきます。

DSCN1985.JPG
 新十津川駅で発車を待つ3往復時代の最終列車(2016/3/23)

DSCN1814.JPG
 片手で数えられる程が毎日の乗客。新十津川行5433D(2016/3/23)

DSCN5631.JPG
 南下徳富〜下徳富間。一面穂波の長閑な車窓(2016/10/2)

DSCN5570.JPG
 コスモスの花が揺れる新十津川駅ホーム(2016/10/2)

DSCN5599.JPG
 1日1往復の最終列車は園児たちに見送られ(2016/10/2)

DSCN5651.JPG
 またきてね(2016/10/2)

合掌。

posted by pupupukaya at 20/04/12 | Comment(0) | 思い出の鉄道
Powered by さくらのブログ
最近のコメント(ありがとう)
不思議の駅だった張碓駅研究
 ⇒ うりぼう (04/15)
 ⇒ pupupukaya (01/12)
 ⇒ ふじた (01/12)
 ⇒ pupupukaya (07/09)
 ⇒ ちこ (07/09)
ちょっと昔の札幌を振り返る
 ⇒ bobuandcoco (03/13)
 ⇒ pupupukaya (02/07)
 ⇒ TAK (02/06)
なんぽくせん(南北線)を探しに
 ⇒ 藤田秀樹 (02/27)
はまなす編成の特急宗谷で稚内へ2
 ⇒ 元・宗谷線常連 (02/05)
特急宗谷に乗って宗谷線の今後を考える
 ⇒ pupupukaya (01/12)
 ⇒ 元・宗谷線常連 (01/12)