石勝線夕張支線の普通列車に乗ってみた 3

2往復の最後は新夕張9:05発2629Dに乗車となる。
こんどは乗車券を持っているので改札を出ずにそのまま乗り換えることにした。

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 新夕張で並んだ2626D(左)と2629D(右)。この時点でどちらも乗客ゼロ。


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 新夕張〜夕張のみを往復する区間列車。

2629Dは先に向かいの4番線に入線している。この列車はどこから来たのだろうか。先の列車はすべて1両だけで発車しており、併結されてきたものではない。
あとで調べたら、どうやら7:46千歳発追分行2625Dが回2627Dとして追分から回送されてきたらしい(鉄道ダイヤ情報2006年7月号より)。回送するくらいなら客扱いすれば良さそうなものだが。

この列車は2016年3月ダイヤ改正での「ご利用の少ない列車見直し」の対象となっている。
通勤通学時間帯の終わった新夕張始発とあっては、車内の乗客はゼロ。この列車に限っては、削減も仕方がないのかなと思った。

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 帯広行「スーパーとかち1号」が停車。すぐに発車して行く。

発車間際になって2人乗車があった。「スーパーとかち1号」からの乗継客のようだ。列車はすぐに発車する。1人は確実にファン、もう一人も旅行者のように見える。少なくともビジネスや用務ではないようだ。
新夕張発車時点で乗客は3人、全員日常的に利用する乗客ではないことは確かだ。

この列車は新夕張始発で夕張に行き、2628Dとして再び新夕張まで折り返す。通勤通学時間帯も過ぎ、利用対象は通院か買い物客といったところだがそのどちらの需要もなさそうだ。

沼ノ沢で乗車が1人あった。南清水沢で乗車した2人は結構若い人だ。沼ノ沢の人は清水沢で下車、南清水沢の人は夕張で下車して行った。終点夕張まで地元の利用者は3人だけであった。

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 閑散とした車内。

鹿ノ谷で1人下車するがこれはファンの乗客らしい。おそらく夕張折り返しの列車で新夕張へ戻るものと思われる。
終点夕張まで乗車したのは新夕張から乗った私と特急乗継の1人、南清水沢から乗った2人、計4人となった。

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 終点夕張着。これで2往復した夕張支線の乗車はおしまい。

着いた列車は9分後に9:41発新夕張行2628Dとなる。発車を見届けようとホームにいると、乗客が1人また1人とやって来て列車に乗車して行く。どの人もおなじみの手提げ袋を提げているので、ホテルからの通勤帰宅客ということなのだろう。発車までに3人が車内に納まった。

この2628Dもやはり3月での見直し対象となっている。乗客の数は少なくても、利用者にとっては大事な列車に違いない。
もし廃止になれば今日この列車に乗って帰宅する人たちはバス利用になるのだろうか。

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 僅か3人の乗客を乗せて夕張駅を発車して行く2628D。

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 発車前に運転士がホームのボタンを押す。

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 出発反応標識が点灯して発車。同時にこの先の踏切も作動する。

3人の乗客を乗せた2628Dを見送って今回の旅は終了となりました。



■おまけ_夕張支線の現状について考える

ここでは今回乗車してみた現状をふまえて、石勝線夕張支線について考えてみたいと思います。

新夕張〜夕張間時刻表(下り)
 2621D2623D2629D2635D2637D2639D2641D2643D2647D
始発 追分   千歳糸井千歳追分
新夕張 着 
7:41
   15:5317:2218:5221:26
新夕張 発6:307:489:0511:5612:5615:5317:2418:5421:27
沼ノ沢  〃6:357:539:0912:0013:0015:5817:2818:5821:31
南清水沢〃6:407:599:1512:0513:0516:0317:3419:0321:36
清水沢  〃6:438:029:1812:0813:0816:0617:3719:0621:39
鹿ノ谷  〃6:558:149:2912:2013:2016:1717:4919:1821:51
夕張   着6:588:179:3212:2313:2316:2017:5219:2021:54
(上り)
列車番号2624D2626D2628D2632D2634D2636D2640D2642D2644D
夕張   発7:088:309:4112:3113:3116:2818:1519:2822:02
鹿ノ谷  〃7:118:339:4412:3413:3416:3118:1819:3122:05
清水沢  〃7:198:429:5212:4213:4216:4018:2619:4022:13
南清水沢〃7:228:459:5512:4513:4516:4318:2919:4322:16
沼ノ沢  〃7:278:5010:0012:5013:5016:4718:3419:4722:21
新夕張  着7:318:5410:0512:5413:5416:5118:3919:5122:24
新夕張  発7:329:04 13:0613:5416:5718:4019:5222:25
終着千歳追分 千歳追分千歳追分追分追分
※赤色は2016/3で廃止対象の列車

夕張支線の列車は全て普通列車で、1両の気動車が1日9往復している。これは国鉄時代から30年来変わっていない。日中は3時間近く間隔の開く時間帯もあるが、特定の時間に偏るということはなく、一応一般客の利用も考慮したダイヤといえる。
かつては楓発着の列車もあったが、利用客の減少から2004年3月で楓駅とともに廃止されている。

今回乗車して利用者の大まかな傾向を見ると次のようであった。
メインは南清水沢への通学利用で、上下合わせて22人の利用があった。次いで多いのは夕張への通勤利用、あとは僅かながら通院や用務などといったところである。箇条書きにすると以下の通り。

1,沼ノ沢、南清水沢、清水沢から夕張への通勤。
2,鹿ノ谷から南清水沢への高校生。
3,滝ノ上および新夕張、沼ノ沢から南清水沢への高校生。

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 レースイリゾート前(夕張駅前)の夕鉄バス時刻表。

閉校する道路は新夕張〜清水沢間は国道453号線が、清水沢〜夕張間は道道夕張岩見沢線が並行している。全線にわたり夕鉄バスの路線がカバーしている。

夕鉄バス市内バスのメインは社光を出発して清水沢地区を1周してまた社光に戻る循環便で、ほぼ1時間に1本の運行となっている。そのほかは南部、登川、滝ノ上からの便があるが、かつて社光まで運行されていた路線も2010、2011年と市内の小中学校を1校に統合した際に、スクールバスとしての運行とするべく清水沢地区発着に短縮されている。

現在は市内バス路線は清水沢で南北に分断されている状況なので鉄道と完全に競合しているとはいえない。また、夕鉄バスの運賃が距離が延びるほど割高になることもあって、JRとバスの利用者はそれぞれの状況によって棲み分けられているようだ。
といっても、もっとも乗客の多かった2623Dの沼ノ沢〜南清水沢間でも23人とマイクロバス1台に収まってしまうほどの乗客数である。

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 2010年度の夕張支線の輸送状況
 夕張市地域公共交通協議会 資料6【ネットワーク計画の基本的な考え方(PDF:408KB)より抜粋

夕張市内から千歳、札幌方面への直通利用はあまりない。これは新夕張での特急接続が良くないこと、夕張から札幌へはバスの方が距離が短く、所要時間でも勝っていることが理由である。
2010年度の普通列車の区間輸送人員を見ると、新夕張から沼ノ沢へは1日当たり119人の利用客に対し、新夕張から十三里方向への利用客は26人と段違いに少ない。これは夕張支線の利用動向が夕張市内の移動がほとんどで、市外への利用客が非常に少ないということである。

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JR北海道が発表した ご利用の少ない列車見直しのご説明状況について【PDF/753KB】(2015.11.27)では夕張発着の現在9往復のうち4往復が廃止したい列車として挙げられている。
減便後も一応通学需要のある列車は存続されるので、通学利用客は通学定期の安い鉄道利用にとどまるだろうが、通勤その他利用客は今まで利用していた列車がなくなればバスへ移行するものと思われる。


■夕張支線の今後

鉄道が存続するとすればどのような形で運営されていくのであろうか。
他のローカル線より通勤輸送の割合が多いとはいえ、1日当たりわずか百十数人の輸送量であり、しかも今後ますます減少することは確実である。

夕張市地域公共交通協議会によると、夕張市やJRは当時開発途中であったDMV導入による活性化を検討していたこともあったようだ。

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 平成25年度第3回夕張市地域公共交通協議会 資料2【DMV導入計画(案)】(PDF:7367KB)より抜粋。

これによると、終点夕張から道路を走行し、本町や市立診療所や石炭の歴史村公園のある社光への乗り入れを想定していたようである。また、若菜地区への新駅設置も盛り込まれている。
しかしこれはJR北海道がDMVの実用化を断念したことにより棚上げとなったようだ。

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 釧網本線を試運転するDMV(参考)。

このような輸送の現状で活性化させるとすれば外部から乗客を呼び込むしかない。かつて夕張市が力を入れていたのが観光客の誘致であった。

しかし情勢は大きく変わり、2007年夕張市は深刻な財政難から財政再建団体となった。実質的な財政破綻である。また、同時期に夕張市の第三セクターであり観光の要であった石炭の歴史村観光が自己破産するなど、成功したかのように見えた観光開発は大きく揺らぐことになった。

夕張市の観光入込客数は1990年代は年間200万人で推移していたが、観光施設の閉鎖やスキー客の減少などが原因で大きく落ち込み、2012年度は半分以下の年間62万人となっている。
前述の夕張駅移転は、マウントレースイへの観光客利用を当て込んでのものである。スキーシーズンにはリゾート列車乗り入れも構想にあっただろう。

しかし当初当て込んでいた鉄道によるスキー客の入込みはほとんど無かったようだ。札幌から往復特急利用とリフト・ゴンドラ1日券がセットになった「スキップ」が発売されていたこともある。駅の真向いという立地の良さも札幌からでは新夕張での乗換を強いられること、また接続も良いとはいえずあまり売りにはならなかったようだ。札幌から夕張へはバスの方が早いし便利なこともある。

その「スキップ」も利用者減少から2014年度を最後に発売終了となった。また現在夕張市所有のマウントレースイは現在管理している加森観光グループとの契約満了を迎える2016年度をめどに売却(夕張市HPより)する方針を固めている。

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 ホテルマウントレースイは夕張観光の柱のひとつ。

売却先の経営方針いかんによっては駅に近い立地に目をつけ、札幌や新千歳空港からリゾート列車を乗り入れるという可能性は無くは無いが、根本的な問題がある。
石勝線(旧夕張線)利用は、もっとも人の流れが多い札幌へは遠回りのルートとなることだ。古くは夕張鉄道が栗山経由で野幌まで結んでいたし、現在も札幌へのバス路線はすべて栗山経由となっている。このことは所要時間や運賃において大きなハンデである。

これは現状のダイヤにも反映されていて、石勝線普通列車のダイヤが追分や新夕張で分断されているのは、利用者の流れが1つは追分から千歳方面へ、もう1つが夕張市内相互内であり、普通列車での夕張市内から千歳方面への直通客がほとんど無いということだ。

同時に施設の老朽化対策も考える必要がある深刻な問題である。JR北海道によると、経年97年になる「稚南部トンネル」と「第8志幌加別川橋梁」の老朽化による変状が顕著で、これらの対策工事のため7億円が必要との試算結果を出している。
そのほかにも100年近い経年を迎える橋梁が13か所あって、いずれ老朽更新が発生することが見込まれている。

同様の話は留萌本線留萌〜増毛間であり、この区間も運行継続のためには数十億円に及ぶ防災工事費が必要ということが廃止理由のひとつであった。

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 9/30をもって無人化された清水沢駅の定期券取次の張り紙。通勤定期客が少なからずいることが覗える。

留萌線と違うのは、僅かではあるが通勤・通学輸送があり、公共交通機関という「公共の福祉」の一端を担っているということだ。
しかし、人口1万人に満たない地域の交通の、しかも1日百十数人の利用客のために多額の費用を投資できるのか。これを一鉄道事業者の負担とするのは不可能であろう。
結局、沿線の自治体が投資に値すると判断するかどうかが存廃の分かれ目になると思われる。
夕張支線に限ったことではないが、今後ローカル線の存続を考えるうえで避けて通れない問題である。

現在9往復ある夕張支線の列車だが、2016年3月のダイヤ改正では4往復が削減され、1日5往復の運転になる。夕鉄バスの路線がほぼカバーしているので、削減された列車の利用客はバスへ移行すると思われる。

本数削減により、ただでさえ低い輸送密度が、さらに低くなるのは必至だ。これによる利用減が廃止の口実とならなければよいのだが。

それでは最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

〜おわり〜

posted by pupupukaya at 16/01/09 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

学園都市線の終点 新十津川へ乗車記

学園都市線の末端区間である浦臼〜新十津川間は現在3往復という超閑散路線となっている。2016年3月26日ダイヤ改正からはうち2往復が浦臼止まりに変更される。これにより終点の新十津川まで行く列車は午前中の1往復だけになり、札幌から気軽に乗りに行ける路線ではなくなってしまうだろう。
そんな学園都市線に終点の新十津川まで往復乗車してみました。

使用したきっぷは、札幌駅みどりの窓口で買った札幌〜新十津川間の往復乗車券。フリー券と違い乗車人員にカウントはされるだろう。『1日散歩きっぷ』が現在休止中なのでほかに適当なきっぷが無かったのもあるが。


●札幌16:20発 − 石狩当別17:06着 595M

学園都市線は札幌〜新十津川の路線だが、北海道医療大学までは電化されて札幌の通勤路線として電車が頻繁に運転されているが、そこから先は1両のワンマン気動車が下り8本、上り7本だけというローカル線になる。札幌からの列車はすべて北海道医療大学までしか行かないので、そこから先は石狩当別で乗換える必要がある。

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札幌16:20発595Mが入線。通勤路線らしくロングシート車が多い。


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石狩太美駅手前から。電化されてすっかり幹線らしい線路になった。

●石狩当別17:27発 − 新十津川18:56着 5433D

石狩当別に着くとほとんどの乗客は下車する。向かいの3番ホームには既に新十津川行が入線していてドアが開いていた。車内には誰もいない。乗り継いだのは私一人だった。
次の札幌16:40発597Mでも乗り継げるのだが、接続時間が4分しかないので1本前の列車で来たのだった。

ホームで写真を撮っていると、女性客が1人階段を降りてきて列車に乗り込んだ。

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石狩当別駅3番ホームには既に新十津川行5433Dが入線していた。

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車両はキハ40 401の1両ワンマン。400番台は学園都市線専用車両になる。

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車両前面の表示。もともとここは「普通」「快速」など列車種別を表示する場所だったが今は行先表示に使用されている。

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札幌16:40発の597Mが到着した。

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結構な人数が下車するが、こちら5433Dに乗り継いだ人は1名だけだった。

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札幌駅で買った新十津川までの往復乗車券。窓口の手違いで片道券2枚になってしまったが。

車内の乗客は石狩当別からの1人、乗り継ぎの1人でいずれも女性客、それに私と3人だけ。既に学校は春休みなのかも知れないが、平日の夕方でこの程度の乗車率とは、なんだか悲しくなってきた。

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私含めて乗客3名で石狩当別を発車する。

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17:32発 北海道医療大学駅、乗降ゼロ。

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石狩当別を発車すると石狩平野の水田地帯になるが、この時期はまだ一面の雪原。

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列車後方から。北海道医療大学−石狩金沢間。

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17:36発 石狩金沢駅、乗降ゼロ。

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駅を発車すると60km/hくらいまで加速、あとは惰行で次の駅までという走り方だった。

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17:42発 本中小屋、1名乗車、1名下車。

石狩当別からのおばさんは本中小屋で降りて行った。かわりに私服の高校生らしい1人が乗ってきた。ホームには2人いたがもう1人は見送りだった。

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17:47発 中小屋、2名乗車。
わりと年配の女性なのだが通勤客?

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17:52発 月ヶ岡駅、乗降ゼロ。

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日も沈み、この辺りからだんだん暗くなってきた。

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17:56発 知来乙、乗降ゼロ。

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17:59着 石狩月形、3人下車。ここで車内の乗客が、私以外全員入れ替わった。

石狩月形では向かいのホームに石狩当別行5432Dが停まっていた。ここでは9分停車するのでホームに降りてみる。
私以外の乗客3人は全員ここで下車、車内はしばらく無人になる。
となりの5432Dの車内は高校生が1人だけだった。

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石狩月形駅の駅舎。古い駅舎が使われている。

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停車中に高校生が乗り込んで行く。

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ホームの方面案内板。ローカル線らしい旅情のある駅だ。

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再び車内に戻る。石狩月形からは新たに4名の乗車があった。うち地元客は高校生2人と年配の女性客1人。あとの1人は鉄道ファンのよう。

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18:08石狩月形発車。駅員がカンテラを振って発車合図を出す。ここからはスタフ閉塞といって、手動の信号方式となるため。

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18:15発 豊ヶ岡、乗降ゼロ。

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18:19発 札比内、1名下車。月形からの高校生。

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18:25発 晩生内、乗降ゼロ。

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18:30発 札的、乗降ゼロ。

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18:34発 浦臼、2名下車。これで地元客はゼロになった。

3月26日ダイヤ改正からは浦臼から先に行く列車は1日1往復のみになる。しかし、夕方の下り列車で実質的な乗客ゼロでは仕方ないのかもしれない。

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外は完全に暗くなった。窓ガラスに車内が映る。

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18:39発 鶴沼、乗降ゼロ。

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18:42 於札内、乗降ゼロ。

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18:45発 南下徳富、乗降ゼロ。

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遠くに石狩川対岸の街灯りがポツポツと見える。

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18:49発 下徳富、乗降ゼロ。

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石狩当別からの運賃表示機。

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18:56着 新十津川、2名下車、ただし私を含めファン客のみ。

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終点新十津川駅は無人の駅舎があるのみ。蛍光灯が寂しく照らす。

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新十津川駅の正面。駅前は街灯も無く真っ暗闇。

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真っ暗な駅前広場。数台の車は、廃止になる夜の列車を撮影しにきた人たちのらしい。

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新十津川駅発車時刻表。3月26日から1往復のみとなる。

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待合室はきれいに管理も行き届いている。ただ、ストーブは無いので寒い。


●新十津川19:22発 − 石狩当別20:53着 5434D

待合室はきれいに管理も行き届いている。ただ、ストーブは無いので寒い。
新十津川での折り返し時間は26分となっている。この間に国道275号線沿いのコンビニまで往復して買い物してくる。コンビニまでは歩いて3~4分の距離、折り返し停車時間でも十分余裕がある。着いたときは小降りの雪だったが歩いているうちに降り方が激しくなってきた。

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さっき着いた列車は折り返し石狩当別行5434Dとなる。

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新十津川駅の発着列車は、3月26日からは午前中の1往復のみとなり、夜間の発着列車は無くなる。こんな光景もあとわずか。

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降り出した雪はうっすらとホームに積もりはじめた。

折返しの5434Dは着いたときの私ともう1人のファン客のみ。ダイヤ上で判断すると実質石狩当別へ戻る回送列車とも見て取れるので、このまま発車すると思っていたが、発車間際に女性客が息を切らせて乗ってきた。年齢や恰好からすると地元客のようだが。

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19:22新十津川発車。数人の撮り鉄たちに送られて。

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駅から歩いて3~4分のコンビニで買ってきたおにぎりと酒。がら空きの列車内で夜汽車気分ということで。

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ほろ酔いで月明かりに照らされた雪景色を見ていると夜汽車気分。

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19:44発 浦臼、新十津川からの女性客が下車。

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20:10着 石狩月形、1名下車。
交換する列車は浦臼行5435D、車内に乗客の姿は見えなかった。この列車も3月改正後は石狩月形止まりになる。

石狩月形では10分停車になるのでまたホームへ降りて写真を撮る。
駅舎は基本昔のままの姿で使われている。古い駅舎でも駅員のいる駅は大抵今風にリフォームされているが、ここは国鉄時代からほぼ変わらない姿で営業している。
待合室のストーブやガラスで仕切られた出札窓口、改札口の案内板など、昭和の時代の雰囲気に戻ることができる貴重な駅だ。

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改札口上の駅名表示。

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待合室にはストーブも灯って暖かい。

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昔ながらのきっぷ売り場。駅員1人でやっているので列車発着時は不在になる。

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改札案内の札が掛かる。

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5435Dは20:11、先に発車するが、こちらは20:20発車、しばらく無人のホームに停まり続ける。

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石狩月形からはついに乗客は自分だけの貸切になった。

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20:53 石狩当別着、1名下車。1名とはつまり私。


石狩当別21:13発 − 札幌21:53着 642M

石狩当別では乗継時間が20分あったので、一旦改札を出て待合室に入らせてもらう。オープンカウンターのみどりの窓口があり、自動改札機もあって、ここからは札幌都市圏なのだということを感じる。
ただ、待合室にあったキヨスクはシャッターが閉じて閉店の旨の張り紙があった。対面販売のキヨスクはコンビニ化するか閉店かと二極化が進んでいる。

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石狩当別21:13発642Mに乗り継ぐ。前3両は721系、後ろ3両は731系の6両編成。

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転換クロスシートの721系電車。まだ非電化だった頃、まさか学園都市線に721系電車が走るなど思いもしなかった。
石狩当別からはさすがに札幌都市圏内で、停車駅ごとに乗客があった。

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札幌に着くと冬に逆戻りしたような天気だった。

あと数日後に控える3月26日ダイヤ改正では、北海道新幹線が華々しく開業する。その一方で、ローカル輸送の列車は大幅に減便となる
きびしいダイヤ改正となる。同時に、利用の少ない8駅が廃止になるなど、ローカル線やローカル列車の大幅な見直しが行われる厳しいダイヤ改正でもある。

今後も路線の廃止や減便は続くと思われる。今回は小さな旅でしたが、これもあるうちに乗っておこうと思い、今回新十津川まで往復してきました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

〜おわり〜
乗車日:2016,3,23
posted by pupupukaya at 16/03/25 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

留萌本線の最終列車

駅STATIONは1981年に製作された映画で、銭函、札幌、雄冬そして増毛などを舞台として人間模様を描いた作品である。
その劇中に登場する留萌から増毛まで、増毛発の深川行最終列車、今でも残っている列車に乗ってみた。

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 留萌本線最終列車の時刻(『JR時刻表』平成28年4月号より切抜き引用)

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 夜9時近く、駅前広場は列車到着に合わせてタクシーが集まる。

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 窓口も改札もすでに今日の営業は終了している。
 最終列車は休日運休。日祝は一足早く仕舞いとなる。

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 夜は無人の改札口。

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 深川発増毛行最終列車を迎えるホーム。

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 【駅 STATION】
 留萌駅ですず子の尾行をする刑事の三上英二(高倉健)

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【駅 STATION】
 跨線橋の階段をすず子(烏丸せつこ)が登るシーン。
 『のりば案内』に表示された列車は、19:54急行はぼろ幌延行、20:01普通増毛行、19:57急行るもい4号旭川行といったところ。

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 跨線橋の階段。『のりば案内』が下がるがこの時間は消灯している。

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 増毛行4395Dが到着。下車した乗客はたった1人だった。

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 助役が運転士にタブレットを手渡す。

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 助役に見送られ留萌駅を発車。

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 留萌〜増毛間の往復乗車券。これは昼間のうちに買っておいたもの。

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 車内の乗客は自分含めて5人。うち1組は増毛へ帰るらしい母子連れ3人。

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 瀬越駅ホーム。留萌市内の住宅地だが乗り降りゼロ。

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 礼受駅。人はいなくとも明かりが灯されている。

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 阿分駅。列車の後ろ半分はホームにかからない。

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 舎熊駅。乗降客がいなくても一つ一つの駅に停まって行く。

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 小さな待合所でも明かりが灯る。箸別駅。

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 終点増毛駅に到着。

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 最終列車を迎えた夜の増毛駅。

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 すっかり静まり返った夜の町。

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 待合所では宴会になっていた。駅というより居酒屋のような感じになっていた。

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 【駅 STATION】
 深川行最終列車で1人札幌に戻る三上。あとからすず子が駆け込んできた。札幌で働くことになったという。

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 【駅 STATION】
 夢を失い、また元の暮らしに戻る三上。町を出て新たな暮らしを始めるすず子。

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 赤いテールランプが灯された最終列車。

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 終着駅でも、列車はまた始発駅として出発する。

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 留萌行最終の乗客は自分含め3人。2人は大学生のような感じだった。

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 停車駅は舎熊、礼受の2駅だけ。箸別駅を通過する。

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 終点留萌駅に到着。(この画像は1本前の4936Dのものですが)

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 乗客を降ろすとすぐに発車、そのあと構内の端で停止したままだった。

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 1本前の4933Dとして留萌に到着していた車両。このまま夜を明かすのだろう。

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 多くの人を迎えてきた改札口。

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 列車が終わった夜の駅前。タクシーもすでにいなかった。

留萌本線、留萌〜増毛間は廃止が決定している。2016年12月4日が本当の最終列車になる。かつて健さんが演じた舞台が過去のものになる。

“暗闇の彼方に光る一点を今駅舎(えき)の灯と信じつつ行く”
 辞世 吉松五郎

訪問日:2016年10月1日
posted by pupupukaya at 16/10/22 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

学園都市線浦臼〜新十津川間の最終列車

2016年のダイヤ改正でそれまでの1日3往復から1往復に減便された学園都市線こと札沼線の末端区間。
ここ浦臼から新十津川までは午前中の1往復しか列車が走らない。始発列車でもあり最終列車でもある、そんな列車に乗ってみました。

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 浦臼駅の駅舎。浦臼町歯科診療所が併設となっている。

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 待合室は『ふれあいステーション』という名前が付けられている。
 かつては駅前からJRバスが滝川駅や奈井江駅まで発着していた。

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 浦臼駅に掲示の時刻表。新十津川方面は9:06発1本のみ。

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 浦臼駅のホーム。

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 意外と長いホーム。昔は向かい側にもホームがあったが面影は全くない。

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 5425Dが到着。浦臼発下り始発列車でもあり最終列車でもある。

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 がら空きかと思っていたら、車内は大盛況。デッキに立っていることにした。

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 運転士時刻表。

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 あまり良くない前面展望。於札内駅のあたり。

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 こまめに駅に停まるがどの駅も乗降は無い。南下徳富駅。

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 下徳富で乗客があった。

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 利用者にとっては1日1往復だけの貴重な列車。

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 ワンマン運転なのでバスと同じような運賃表示機がある。

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 浦臼〜新十津川間13.8kmの運賃は260円。JRの運賃が安すぎるのも経営悪化の一因かも。
 同じ距離をじょうてつバスなら470円(笑)

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 終点新十津川駅に到着。

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 新十津川駅はすごい人出だった。

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 新十津川駅でこんなに大勢の人出を見るのは初めてだった。

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 新十津川駅に掲示された1日1往復だけの時刻表。

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 林の中にポツンとあるような駅舎。

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 ホームの脇はコスモスの花で埋め尽くされていた。

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 駅名標と名所案内。

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 駅前の病院にある院内保育所の園児たちに見送られて発車。

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 折返し5426Dの車内はさっきの半分ほどの乗車率。あとの人たちは滝川方面へ抜けてしまったのか。

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 懐かしさ漂う青いボックスシートの車内。

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 新十津川駅で園児たちに貰ったポストカード。

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 木造駅舎が残る下徳富駅。こんどは乗客はいなかった。

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 稲穂が揺れる田園風景。豊葦原の瑞穂の国を行く。

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 浦臼駅が近づく。

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 浦臼駅で新たな乗客1人を乗せて発車して行った。

この列車に乗って1週間後、この路線が道新朝刊の一面トップ記事に出た。


“JR北海道が札沼線(北海道医療大学―新十津川)沿線の空知管内新十津川、浦臼両町に、路線廃止を前提にバス転換を打診していたことが分かった。”

というもの。
今さらながらという気もしなくはないが、今後は廃止の方向で動き出すのだろう。
せめて残っているうちに乗っておくしかない。

訪問日:2016/10/2
posted by pupupukaya at 16/10/23 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

ついに道内ローカル線の動きが始まった

北海道新聞 2016年10月26日(水)

今朝の道新朝刊1面トップ記事である。

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JR北海道が抜本的な事業の見直しの対象とする「単独では維持困難な路線」に10路線13区間を選んでいることが25日、関係者への取材で分かった。
うち札沼線の北海道医療大学―新十津川間、根室線富良野―新得間、留萌線深川―留萌間の3路線3区間は廃止を伴うバス転換などで協議する。
(同記事より文と画像を引用)

「札幌まで新幹線が来るころには北海道の鉄道は旭川までになっているかもねえ」などと会話で冗談を言っていたものだが、どうやらその冗談が本当になるかもしれない。

記事の内容はJR北海道の正式な発表ではなく、関係者への取材で判明したものである。まだ廃止候補となったわけではない。現段階ではJR北海道単独では今後維持管理が難しいとして、今後の経営方針を自治体と協議したいということだ。

要は上図でオレンジ色になっている9区間については、うち(JR北)では維持しきれないので、『上下分離方式』という形態で線路を維持してもらえんべか、ということである。

『上下分離方式』とは何かというと、道路とバスの関係に例えると話がわかりやすい。
バス会社は道路上で営業しているが、道路に関する費用を直接負担する必要が無い。道路は国や自治体の所有なので、社会インフラとして税金で維持管理されているからだ。
バスが「上」、道路が「下」、それぞれの会計が別ということ。

一方で鉄道は、列車を走らせるのも自前だが、線路も自前で所有して、維持管理の費用も全て自前で出しているのが現状である。

線路については道路のように自治体で所有・維持管理してもらって、列車の運行に関する費用だけ負担して営業する形態にすれば、JR北海道の負担もかなり軽くなる。

記事では『自治体に所有してもらう』とあるが、自治体とは間違いなく『北海道』になると思われる。沿線市町村にそんな体力があるとは思えない。
国の所有にするとしたら、それは協議では収まらず、確実に政治の話になる。
もっとも個人的には、また国鉄に戻してしまえとも思っているが・・。

道が線路の所有に対してどれだけ乗り気になるのだろうか。
道の回答いかんによって、これらローカル線の運命が左右される。


話はまた上図に戻るが、1区間だけあれっ?と思った箇所があった。

それは函館本線 長万部〜小樽(あるいは長万部〜倶知安)間である。
いわゆる『山線』と呼ばれる区間で、この区間の輸送量も今回対象になった根室本線 滝川〜新得間と似たようなはずである。
なぜ今回の検討対象路線から外されたのか。

それは、新幹線が札幌開業となれば、この区間は自動的に三セク化か廃止になるからだ。
こういう所は抜かりないというかセコい。
posted by pupupukaya at 16/10/26 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

なつかしの列車名『大雪』が復活

12月16日にJR北海道のHPで2017年3月ダイヤ改正の概要が発表された。
こんかいのダイヤ改正で一番変わるのは道北方面の特急列車で、いままで全ての列車が札幌発着としていたのを、札幌直通は一部だけ残してあとは旭川発着になる。


JR北海道 プレスリリース

◆札幌〜稚内間および札幌〜網走間の一部特急列車を旭川でお乗換えいただく体系とします
【ダイヤ改正日】平成29年3月4日(土)

■特急体系の見直し
・札幌〜網走間2往復を「オホーツク」、旭川〜網走間2往復を「大雪」として運転します。
・旭川での特急同士のお乗換はすべて同一ホームとなります。


旭川〜網走間に短縮される2往復は『オホーツク』から『大雪』へと列車名が変更され、旭川〜稚内間に短縮される2往復は『サロベツ』となる。
旭川発着になる特急列車は札幌〜旭川間の特急『ライラック』が接続し、特急料金も旭川駅での乗換ならば通しになる特例も設けられる。

長時間乗っているよりも乗換があった方が気分転換になるかな。
それに、車内販売が廃止された今では、何も持たずに乗り込むと下手をすると5時間以上も飲まず食わずになりかねないので、ホームで買い物もできるようになるな、などと考えたりする。

そのためには旭川駅ではキヨスクのある3・4番線での乗換にする必要があるが。駅弁の立売ワゴンも復活したりして。

昔、稚内にいた頃、よく急行『宗谷』や『サロベツ』に乗って札幌へ行ったものだった。
あの当時は上り列車は旭川で10分以上も停車して、その間に札幌方面へのL特急が先に発車するというダイヤだった。
名寄や士別からのSきっぷ所持者は、そのまま特急にも乗れるので早く着く特急に乗り換える人が多く、混んでいるのは名寄〜旭川間で、旭川〜札幌間は空いているのが常だった。
稚内からのSきっぷ所持者は、特急に乗り換えると特急料金が必要になるので、我慢してそのまま乗っていた。

旭川の停車時間はちょうど食事の時間帯とも重なるので、駅弁売りのワゴンも繁盛していたね〜、懐かしいね〜。
稚内方面の特急分断は案外定着するかもしれない。旭川までの乗客も結構多いし。

一方石北本線の方は、対札幌の需要が高いのか、旭川で乗客が入れ替わっていた印象はあまりない。
北見・網走方面は高速バスの方が本数が多く、所要時間も早いくらいなので、どうなるんだろう。半分の列車が旭川で乗換えということになると、心理的には札幌行きでないと安心感は無くなる。本数の多いバスを選択する人が増えそうだ。

以上、2017年3月のダイヤ改正について無責任に考えてみました。





『大雪』と『ライラック』、またずいぶんと懐かしい列車名称が復活するものだ。

『大雪』と聞くと、札幌〜網走間に運転されていた夜行急行列車を真っ先に思い出す。こんなことを思い出すのはもう20代や30代の人では無いだろうな。歳がばれますな。

1992年のダイヤ改正で特急に格上げされ『オホーツク』の一員となるまでは、機関車牽引の客車列車として運転されていた。
札幌から旭川方面への実質最終列車でもあったので、最終の特急は『大雪』だったなどと思い出す人も多いだろう。

さらに古くは、石北本線系統の昼行急行はすべて『大雪』だった。札幌発着の昼行2往復、旭川発着2往復、それに夜行1往復と最盛期には5往復もあった。
国鉄末期頃から次第に特急に格上げされ、『大雪』の名称は夜行列車のものとなる。

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 札幌駅に停車中の急行大雪。1990年1月撮影(多分)。

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 大雪号の寝台指定券。北海道フリーきっぷを使用した0円券。夜行列車を駆使してよく道内旅行に出かけたものだった。

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 『利尻』、『大雪』、懐かしい列車名が並ぶ時刻表。この頃は旭川方面への最終列車としての性格が強かった。
 JR北海道編集・時刻表ダイヤ’92年1月号より引用。 

夜行急行の特急格上げまで長らく急行列車の名称だったローカル色の『大雪』だが、調べてみるとなかなか波乱に満ちた運命の持ち主であることがわかった。
『大雪』の命名から石北線の優等列車に収まるまで。そんな列車の歴史を、時刻表を見ながらひも解いてみたいと思います。
時刻表と言っても書店で買った復刻版ですが・・・


■大雪の歴史1:前史

昭和9年(1934)年、上野〜青森間に急行103・104列車が設定された。上野〜青森間はそれまで全て夜行列車になっていたが、このダイヤ改正では大幅なスピードアップにより日着が可能になった。上野を午前中に出発すれば青函連絡船の夜行便に接続できることになる。それに接続する形で函館〜札幌間に急行3・4列車が設定された。

連絡線夜行便を介して本州と北海道の急行列車が接続するダイヤはこの時から始まった。そしてこの急行3・4列車こそ、『大雪』の前身である。

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 昭和9年より運転を開始した急行3列車。
 鉄道省編纂汽車時間表昭和9年12月号より引用。


昭和14(1939)年、急行3・4列車の運転区間を函館〜網走間に延長(旭川〜網走間は普通列車)。

昭和17(1942)年、太平洋戦争の影響により、急行3・4列車は廃止。連絡線夜行便に接続するのは函館〜名寄間普通列車の13・14列車となる。戦前の急行『大雪』の前身は、この改正で姿を消す。

戦時中は昭和20年までに函館〜稚内桟橋間の3・4列車を最後に急行列車は全廃される。


■大雪の歴史2:本州連絡急行として

昭和22(1947)年、函館〜旭川間に急行列車が1往復が復活するが、夜行列車としてであった。

昭和24(1949)年9月、連絡船夜行便に接続する急行列車が復活し、急行1・2列車となる。運行区間は函館〜網走間(旭川〜網走間は普通列車)。同時に函館〜釧路間(札幌〜釧路間は夜行準急)も急行3・4列車として復活している。

のちに夜行『大雪』となる函館〜網走間の準急503・504列車(準急区間は夜行となる札幌〜北見間)もこのとき運転を開始した。

昭和26(1951)年4月、北海道の急行列車に初めて名前が付けられた。網走行き1・2列車(旭川〜網走間は普通列車)が『大雪』、根室行3・4列車は『まりも』と命名される。

ここから『大雪』としての歴史が始まる。しかし石北線急行として定着するまで、この『大雪』の名称は紆余曲折となるのだった。

昭和30(1955)年、運転区間が函館〜旭川間に短縮となったが、名称は『大雪』のままとなる。

昭和33(1958)年、上野〜青森間に特急『はつかり』が運転開始、連絡船夜行便を介して函館駅で接続するのが『大雪』だった。

本州側も北海道側も1・2列車だった。まさに北海道内急行のエースである。

これにより上野を昼過ぎに出発して、連絡船夜行便を介し、札幌に午前中に着くという画期的なダイヤが確立することになった。
このダイヤはよほど功を奏したのか、のちに登場する特急列車にも受け継がれることになる。
急行『大雪』としてはまさに栄光の時代であった。

また同じくして、函館〜網走間準急503・504列車に『石北』の名称が付けられている。

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 本州連絡急行時代の急行『大雪』。特急『はつかり』も気動車化されスピードアップしている。
 時刻表復刻版1961年9月号より引用(上野−青森−北海道連絡)

昭和36(1961)年、函館〜旭川間に待望の特急列車が走るようになった。名称は『おおぞら』と名付けられた。
(この『おおぞら』は滝川で分割し釧路まで延長されるようになり、のちに釧路特急となる)
『はつかり』〜『大雪』から受け継いだ連絡船夜行便を介したこのダイヤは、青函トンネル開業後も『北斗星』や『はまなす』に受け継がれることとなる。

一方、栄光の座を特急に奪われた『大雪』であるが。列車番号を11・12列車、運転区間を函館〜札幌間と変えて存続していた。特急は千歳線経由でこちらは小樽経由だが、特急『おおぞら』の補完列車という役割になった。

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 『おおぞら』の補完列車として列車番号を11列車と変えた『大雪』。
 時刻表復刻版1961年10月号より引用。


■大雪の歴史3:石北線の急行列車として

昭和38(1963)年、名前の由来となった大雪山近くを走らなくなった『大雪』は、名称を『ライラック』(のちに『ニセコ』の一員に)と改称され、気動車急行となる。

同時に『大雪』の名称は2年前から走り始めていた旭川発着の石北線の急行『はまなす』のうち、札幌発着に改めた1往復に充てられることになった。
函館発着時代から客車列車だったが、ここで気動車急行として生まれ変わることになった。

ここに石北線急行として再登場することになる。

昭和39(1964)年、函館〜網走間(函館〜釧路間も併結)に特急『おおとり』が登場。石北線初の特急列車となる。

昭和43(1968)年10月、ダイヤ改正時にそれまで列車ごとに付けられていた名称を方面別に統合されることになった。
それまで石北線の優等列車は特急『おおとり』を筆頭に急行は『大雪』、『あばしり』、『はまなす』、『オホーツク』それに夜行の『石北』とバラバラだったものを急行は全て『大雪』に統合されることになった。
これによって急行『大雪』は夜行も含め1〜6号と6往復(1往復は季節列車)もの大所帯となる。旭川発着の『旭川』はのちに『オホーツク』と改称される。

ちなみに、大雪と同時に命名された『まりも』の名称は、『狩勝』の一員に組み込まれたために一旦消滅する。(のちに石勝線経由の急行列車として復活する)

昭和47年、急行『大雪1・4号』を格上げした形で特急『オホーツク』が運転開始。このスジは昭和38年に気動車急行『大雪』として走っていたものである。『おおぞら』の登場以来、またも特急に座を明け渡すことになった。

旭川発着の急行だった『オホーツク』は特急の名称になった為に『大雪』の一員として組み込まれた。よって『大雪』の本数は変わっていない。

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 1号から5号まで、夜行含め5往復もの大所帯時代の石北本線時刻表。
 交通公社の北海道時刻表1973年12月号より引用。

昭和55年(1980)年、夜行『大雪』の急行区間を網走まで延長。それまでは北見〜網走間は普通列車だった。
上り『大雪』に網走駅で乗り遅れても、後から出る湧網線最終列車に乗れば遠軽で追いつくのは一部で知られていた。それも過去のものになった。

昭和57(1982)年、夜行の座席車を14系客車に置換え。
昭和58(1983)年、夜行の寝台車を14系客車に置換え。長らく旧型客車を連ねていた夜行『大雪』だが14系客車に置き換えられて面目を一新する。この頃にイラストデザインのテールマークが登場した。
なお、特急『おおとり』と一部の『オホーツク』は80系気動車のままで、特急の方がアコモデーションが下ということになってしまった。

昭和60(1985)年、札幌直通の昼行1往復を特急『オホーツク』に格上げ。昼行のもう1往復は旭川〜遠軽間(名寄線直通)のみとなる。

昭和61(1986)年11月、国鉄最後のダイヤ改正で、それまで旭川〜遠軽間に1往復あった昼行列車が旭川〜北見間の臨時急行となる。多客期のみ運転になった『大雪81・82号』はキハ54単行でヘッドマークも付いていたらしい。
定期の昼行『大雪』が無くなったことにより『大雪3・4号』だった夜行列車は再び『大雪』と堂々たる名称になる。

昭和63(1988)年3月、それまで函館〜網走間の特急だった『おおとり』が札幌〜網走間に短縮されたために『オホーツク』の一員になっている。多客期に運転されていた旭川〜北見間の急行『大雪81・82号』が特別快速『きたみ』として運転開始。

『大雪』を牽く機関車の先頭に円形のヘッドマークが取り付けられたのはこの年の11月からではなかっただろうか。
テールマークから引き継いだデザインのヘッドマークを掲げて貫録十分と言いたいが、この頃の基本編成はB寝台車2両と座席車2両の4両編成。大型の機関車が泣くような寂しい姿だった。

平成4(1992)年、ながらく客車編成だった夜行列車を特急気動車に寝台車を組み込んだ編成に変更することになり、特急に格上げされる。これにより夜行列車も『オホーツク』の一員となり、『大雪』の名称は消えることになった。

その夜行『オホーツク』も平成18(2006)年から季節列車化、平成20(2008)年3月16日の網走発の運転を以て最後となった。


■大雪の歴史4:石北線内の特急列車として

平成29(2017)年3月、再び『大雪』の名称が旭川〜網走間の特急として復活する。1992年以来だから25年ぶりということになる。
車両は『オホーツク』から引き続き183系が使用される。いずれ近いうちには261系に置き換わり、一新することだろう。

ところでこの大雪の読み方、『たいせつ』と『だいせつ』が混在している。地理系は『たいせつ(TAISETSU)』、学術系は『だいせつ(DAISETSU)』との読み方が多い。大雪山国立公園の読み方は『だいせつ』となっている。

列車名称は一貫して『たいせつ』だった。こんど復活する特急『大雪』の読みもやっぱり『たいせつ』なんだろうか。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
posted by pupupukaya at 16/12/18 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

列車の走らない日高本線と珍踏切

日高本線は2015(平成27)年1月8日に厚賀〜大狩部間で高波による土砂流出のため、鵡川〜様似間が不通になった。
同年1月27日には静内〜様似間の運転を再開する。車両は苫小牧から静内まで、仮復旧した被災区間を通って回送で毎日送り込まれていた。
ひと月後の2月28日には被災区間の状況悪化により列車の回送が取りやめになっている。
当初は不通区間も『当面の間』ということだったが、その後も日高本線各所で路盤や橋梁の流出が相次ぎ、復旧できないまま現在に至る。

2016年12月には、鵡川〜様似間の鉄道復旧を断念する表明をJR北海道から出されている。

ところで、この日高本線の不通区間に新しい踏切ができていた。場所は厚賀駅から数百メートル苫小牧寄り。

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 清畠〜厚賀間に新設された踏切。


未成線という路線がある。これは予定はあったが建設されなかった鉄道路線、あるいは建設されたが途中で建設が中止されて実現しなかった鉄道を指す。
それで言うと、ここは未成踏切とでも呼んだらいいのだろうか。

もともとここは町営住宅と海側の町を結ぶ第4種踏切(遮断機も警報機も無い踏切)があったところ。現在の法律では、踏切の新設は原則としてできない。
前の踏切の改良工事として行われたのだろう。

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 2車線の立派な道路は、国道235号線と道道208号比宇厚賀停車場線沿いの厚賀市街を結ぶために新設された町道。

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 道道の厚賀市街側から見た踏切。

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 工事名と完成日を記した柱。
 着工は2015(平成27)年10月14日。日高本線の運休は同年の2月から。
 完成は2016(平成28)年3月22日。JR北海道が鵡川〜様似間の廃止を表明したのは同年の12月だった。
 なんという行き違いと言うべきか。

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 錆びた線路と真新しい踏切。新たに鉄道が開業するような感じにも見える。

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 錆びついた線路と色あせた枕木は廃線跡そのもの。

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 警報灯と遮断機には黄色いカバーがかけられている。遮断棹の取り付けは無し。

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 立派な踏切名称も付けられた。その名も『コマチップ踏切』。
 列車が来るのを小待ちっぷ・・・
 つまらないシャレであったな。

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 除雪車用に立てられた新しい雪かき車警標(フランジャ禁止解除)

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 踏切から厚賀駅方向。草も生えずに意外ときれいな線路。

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 踏切注意の新しい標識がむなしい。

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 さらにむなしい『踏切注意』と『JR北海道』の表記。

日本各地にある『珍踏切』。ここは設置されてから一度も列車が通ることなく消えてしまう踏切である。
まだ100%確定したわけではないが、たぶんそうなる。

唯一の小さな望みとして、デュアル・モード・ビークル (DMV)の導入による復旧という提案も沿線の自治体から出ているようだが、厚賀駅の両方向が路盤流出、橋梁流出という状態では、どう考えてもコマチップ踏切にDMVが通ることはありえない。

それにしても何もない所にずいぶんと立派な道路を作ったものだ。列車は通らないが、この道路を通る車すら見なかった。


厚賀駅と日高門別駅にも寄ってみた。

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 厚賀駅の駅舎。代行バスのバス停は駅前の道道にある。

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 厚賀駅の待合室。

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 バス停は少し離れているが、代行バスの時刻表が掲げられていた。

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 厚賀駅のホーム側。列車が来なくなって2年以上になるが、それほど荒れていない。

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 日高門別駅と日高線代行バス。
 駅前広場はもともと大型バスの乗り入れは考慮されていないためか、大型バスの転回は大変そうだった。


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 余裕のあるダイヤなのか数分間停まっていた。車内の乗客はたった2人。

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 代行バス待合所として使われている日高門別駅舎。

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 島式ホームと駅名標。

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 草が侵入してきた駅構内。信号は消灯している。


日高門別駅のある日高町はJR北海道に対し、大きな被害のなかった鵡川〜日高門別間の再開を主張している。

鉄道や時刻表しか見ていないと鵡川駅が拠点のように思えるが、このあたりの中心は富川駅のある日高町富川である。商業施設の多くは富川に存在し、駅からも近い。
旧日高町や平取町からの国道237号線は富川で国道235号に合流するという地の利だからだろう。

一方、門別には日高町役場と大病院の門別国民健康保険病院がある。
被災当初の日高本線の運行区間を鵡川でなく日高門別までとしていればと悔やまれる。

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 北海道のローカル線を維持するためには、これがひとつの答えかも知れない。

posted by pupupukaya at 17/07/12 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

ネットに負けたツインクルプラザ

昔は飛行機のチケットを買うのに旅行代理店へ行ったものだった。ホテルと飛行機やJR券が一緒になったパックなども重宝したものだった。

しかし、ここ10年ほど旅行代理店の世話になったことは無い。

私自身が旅慣れて全部自分で手配できるようになったということもあるが、一番の理由はインターネットですべてできるようになったからだ。

日本国内だけでなく、世界中のホテル、飛行機、鉄道がインターネットで予約と決済ができる。
とにかく便利になった。

ところが、便利になった陰でひっそりと消えゆくものがある。

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 JR北海道、旅行センター閉店のお知らせ。


JR北海道のHPからであるが、1つはJR北海道プラザ大阪支店の閉店、もう1つは苫小牧駅と東室蘭駅のツインクルプラザである。
これで駅のツインクルプラザは、札幌、札幌南口、釧路、帯広、旭川、函館それに法人旅行の7店舗を残すのみとなった。

国鉄から民営化されてJRになってから力を注いだ事業の1つが、自社の旅行代理店だった。
国鉄時代から旅行センターの名で主要駅にだけあった店舗も、JRになってから急に増えだした。
最盛期は1990年代だろうか。手元にある1999年の時刻表で、JR北海道の旅行センターの店舗数を数えると、37店舗もあった。
『ツインクルプラザ』『JR北海道プラザ』『JRトラベルセンター』など名称は様々だが、それだけ需要があったということなのだろう。

札幌市内の街中でも、あちこちでJR北海道のカウンターを見かけたものだった。

それから11年後の2010年時刻表では若干減って25店舗。
この時代はすでにネット時代となっていて、私自身の旅行の手配はもうすべてネットで行っていた。

さらに時は進み、2015年。
JR北海道プラザ東京支店の閉店は、それなりに話題になったようだった。


北海道新幹線の開業を待たずに、不採算店舗として東京から撤退することになる。
JR北海道自体の業績悪化ということもあって、その後は堰を切ったように閉店が続くことになる。

旅行業とは客と交通機関あるいは宿泊業者との間を取り持って、手数料を取るというビジネスモデルである。
ところが今はインターネット時代。インターネットで集客し、客が自前で交通機関なり宿泊先なりを探して決済までできるようになればもう旅行代理店など必要ないのである。

飛行機のチケットも、航空会社のHPから直接インターネットで購入するのが一番安い。ホテルは今は『楽天トラベル』や『じゃらんnet』などインターネットの宿泊予約サイトが全盛だがこれからどうなるんだろ。
ホテルのHPに自前の予約フォームをつけたところも多くなってきた。

一昔前ならば、ホテルに泊まるときは直接予約するよりも旅行代理店を通したほうがサービスが良いというのが常識だったが、最近ではそんなこともなくなってきているようだ。

というわけで、JR北海道が旅行代理店から撤退するのは正解といえなくもない。

ところで、このたびツインクルプラザの苫小牧・東室蘭支店の閉店に当たって、初めて閉店理由を明らかにした。
それは以下の通りである。

“航空券や宿泊などはインターネットによる直販が一般的になり、店舗カウンターでの販売が構造的に減少しており、収支改善の目途が立たないため”

”インターネットによる直販が一般的になり”

JR(北海道に限らず全部)よ、わかっているならなぜそれをしない。

ネット予約?それならJR各社でやってるよって?

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 えきねっとの予約画面。

たしかにやっている。ただ、決定的に違うのは、JRのネット予約は乗車前に指定券券売機かみどりの窓口できっぷを受け取る必要があるということだ。

発車間際に駆け込んでとか、窓口に行列がという場合に全く対応していない。
これでは窓口に出向いてそこで買うのと何ら変わりない。

それに、予約して決済もしてあっても、みどりの窓口の無い駅や無人駅から乗ることは不可能であるということだ。

不便なんだよね。いちいちみどりの窓口のある駅へ行って切符を買うのが。

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 わざわざみどりの窓口に出向く必要があるJR券。10時打ちなんて馬鹿げたことも未だに健在。

例えば飛行機ならば、JALならばJALのHPから便の検索、予約、決済まですべて自宅のパソコンやスマホでできる。
チケットはこれも自宅でプリントすればOK。

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 オンラインですべてが済む飛行機の予約とチケット購入。

いや、プリントすらする必要がなく、スマホでバーコードを表示できればチケットすら要らないのである。当日直接保安検査場へ行き、そこのバーコードリーダーにかざすだけで飛行機に乗れるのだ。

海外の鉄道も飛行機と同じようになっていて、自宅のパソコンで予約・決済。
あとはチケットをプリンターで印刷し直接列車にのればOKという仕組みだ。

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 インドの鉄道チケット。プリントして持参すれば直接列車に乗れる。

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 ノルウェーの鉄道チケット。これもプリントするだけ。

今北海道では駅の無人化が進んで、自治体が代わって駅の委託業務をするなどしている。

ますます駅の無人化は進むだろうし、きっぷを買えないとなると潜在的な利用者も逃(のが)してしまうことになる。
どうすればいいんだろうか。

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 無人駅化の張り紙。

答えはJR北海道のツインクルプラザ閉店のお知らせのなかにあるじゃないか。

”インターネットによる直販が一般的になり” なんですよ。

インターネットによる直販を一般的にすれば、みどりの窓口も旅行センターも必要なくなるんですよ。

極端な話、駅は無人駅で十分になる。きっぷを売る必要がないので、駅の管理だけどこかへ委託すればいいのだから。
ネットで購入済みの客は、改札口や車内改札でチケットを見せて、列車に乗るだけでいいのだ。

不採算な旅行センターや駅の営業をする必要がなくなるのである。

自宅でプリントじゃきっぷの偽造もできるんじゃないかって?

だから、航空券ではもうすでに実用化してるんですよ。海外の鉄道も実用化してるんですよ。

なぜに日本のJRだけが頑なに窓口発券にこだわるのか、私には理解できませぬ。
ここを早急に改善しない限り、JR北海道に未来はありません。

何度も言いますが、

潜在的な利用者も逃してしまっているのです。


今回は何だか主張してしまいましたが、お読みくださいましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 17/12/30 | Comment(0) | 北海道ローカル線考
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