留萌本線に乗ってローカル線問題を考える2

留萌からは増えた乗客は2人。いずれも地元客ではないようだ。他のホームにいた人は列車撮影をするだけだったようだ。
発車時刻が近づくと助役が大きな輪のついたスタフを抱えてやってきて運転士に渡す。

筆者含め7人となった1両の列車は留萌駅を後にする。
全員が18きっぷなどのフリーパス客か鉄道ファンの試乗客とすると、この列車の日常的な乗客はゼロということになる。

この4921Dは留萌から各駅停車になることと増毛着の時刻から、増毛への通学列車と時刻表からは読み取ることができる。しかし増毛町にあった北海道増毛高校は2011年に閉校になっており、現在留萌からの増毛への通学者はいない。
通学生の乗らなくなった列車は、普段は回送列車同様で増毛まで走っているのだろう。

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 助役が赤旗を持って立つ。道内ではすっかり珍しくなった光景。

列車は留萌駅を出ると副港に架かるトラス橋(第10留萌川橋梁)を渡る。隣にも線路は剥がされているが同じトラス橋が架かっている。これは石炭輸送があった頃まで使われていた貨物線で、港まで伸びていた。
黄金岬の付け根の高台を掘割で抜けると右手に日本海が開ける。

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 第10留萌川橋梁を渡る。

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 黄金岬の付け根の高台を掘割で抜ける。

ここから増毛までは海岸段丘に沿うように線路が敷かれている。留萌から増毛まで鉄道が開通したのは大正10年。浜にはニシンの大群が押し寄せて、どの漁村も活気に満ちていた時代である。新たな線路は、漁村と段丘の間の崖下を通すしかなかったのだろう。
このことが今になって土砂崩れや雪崩が幾度も発生する災害線区になる原因にもなってしまった。

瀬越の手前では最初の徐行箇所があって、25km/hの徐行信号機が見えた。線路脇の斜面には土のうが積んである。雪崩の危険個所で、留萌〜増毛間には同様の徐行箇所が3か所という厄介な区間になっている。これによってダイヤも修正されて、同区間の所要時間は26分から30分に増えている。

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 線路わきに積んである土のう。

瀬越は国鉄時代は臨時乗降場だったところ。大正15年設置とかなり古い。当初は海水浴客のための季節営業だったが、利用者が多くなったために通年営業となった。本社設定の乗降場のため、全国版時刻表にも掲載されていたが営業キロも持たず、実態は他の仮乗降場と変わらなかった。
駅周囲は侘しい海岸といった感じだが、坂を登って行けば留萌市の住宅街で、税務署や裁判所、かつては留萌支庁もあった官庁街でもあるが、利用者は少ないようだ。

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 瀬越は簡素な待合室の無人駅。

瀬越からは海の見える区間が多くなる。波打ち際を走ることは無いが、日本海の向こうに暑寒別の山々や増毛の町が見える風光明媚なところで、並行する国道には「オロロンライン」の名称がつけられている。留萌本線の車窓では一番の見どころであろう。
この区間が廃止されると、道内で日本海に沿って走る線路は函館本線の小樽築港〜銭函間だけになる。車窓だけ見ていると廃止されるのが惜しいとも思う。

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 留萌〜増毛間は風光明媚な海岸沿いを走る。

瀬越と礼受の間には海水浴シーズンだけ営業の浜中海水浴場駅が設けられていたことがあった。ホームは無く、列車が着くと係員が乗降扉に飛行機のタラップのような階段を取り付けて乗り降りしていたという。1995年を最後に営業はしていない。

礼受駅の駅舎はいわゆる「貨車駅」と呼ばれる不要になった車掌車を改造して待合室としたもので、国鉄末期に老朽化した木造駅舎から置き換えられた駅が多い。設置から30年近くが経ち、貨車駅自体も老朽化している。
この礼受駅の貨車駅も錆びや亀裂が浮き出てボロボロだ。瀬越駅のは潮風に当たりさらに酷い状態だったようで、かなり前に建て替えられている。
貨車駅を撤去して新たに待合室を建設した駅や、貨車駅自体に大修繕工事を施した駅も他線区では見られるようになった。

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 礼受駅は大正10年の開業と古い駅。

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 木造駅舎から置き換えられた貨車駅も最近は老朽化が目立ってきた。

次の阿分からは増毛町の駅になる。
阿分、信砂はもと仮乗降場だった。板張りの、1両分にも満たない短いホーム、それに物置小屋のような待合室とどこも同じような造りをしている。
仮乗降場とは国鉄時代の昭和30年代に設けられたものがほとんどで、本社を通さず管理局の判断で設置されたものである。本社による設置のものは臨時乗降場と呼ばれた。主に地元の要請等で設けられたもので、駅として設置するまでもないが、仮設のホームを設けて便宜的に列車を停めるというものであった。

人口が少なくて駅間が長い北海道に多く、特に旧旭川鉄道管理局管内が多かった。これは同局が当時営業施策として積極的に仮乗降場を設置していたためだ。
仮乗降場は営業キロは設定されなかったので、1つ先の駅までの営業キロで運賃を計算していたが、JRになってから正式に駅に昇格し、営業キロも設定されている。

それにしても留萌〜増毛間は特に多い。この区間は7駅あるが、もと乗降場だった駅がうち5駅もある。平均駅間距離は約2.1kmと短くスピードも上がらない。駅が多いのは地元住人の利用機会を増やすことにはなるが、同時に所要時間の増加というデメリットも伴い、競合交通機関との競争力が低下してしまう。

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 もと仮乗降場だった信砂駅。

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 舎熊駅は礼受と同じく大正10年開業。

舎熊駅は礼受駅と同じく貨車駅だが、リフォームされたらしくて壁が真新しい。
礼受、舎熊は留萌線増毛開通と同時に開業した駅で、貨車駅に置き換えられる前は木造駅舎があった。戦前は大量のニシンを駅から積み出したのだろうが、ニシンがさっぱりになってからは貨物扱いが激減したのかこれらの駅の合理化は早く、昭和30年代には貨物営業の廃止、棒線化が行われたようである。

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 朱文別駅も仮乗降場だった。前のドアしかホームにかからない。

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 箸別駅も仮乗降場からの格上げ。駅というより停留所という感じ。

箸別〜増毛間で斜面から流れ出した土砂が線路を覆い、列車が乗り上げて脱線するという事故が起こったのは記憶に新しい2012年のことだった。
おそらくその現場だろう、斜面の土がむき出しになっている箇所があった。とりあえず応急処置という感じで、大雨や融雪時期はまた崩れないとも限らない。前後は25km/hの徐行区間になっていて、列車は警戒するようにゆっくりと進む。

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 2012年の土砂崩壊箇所。25km/hの徐行で通過する。

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 増毛港が見えてくると終点は近い。

瀬越から箸別までの各駅は予想通り乗降ゼロだった。
終点増毛着7:20では増毛への用務客や観光客が利用するには朝早すぎる。。もと通学列車として考えてもかなり早いが、この列車はまだ増毛高校のあった2010年の時刻表を見ると7:31着だった。時刻が繰り上がったのは災害による徐行で所要時間が伸びたことによる措置だろう。

増毛駅は下車客はほとんど(全員?)フリーパスを見せていた。筆者も北東パスで乗っていた。
駅舎のまわりには折り返しの4924Dの乗客だろうか、数人の姿があった。明らかに鉄道ファンとわかる人や旅行鞄やキャリアバッグを持った旅行者ばかりで、あとは地元の用務客らしき人がちらほら。高校生の姿は無かった。

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 増毛に到着。

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 増毛は留萌本線の終着駅。線路も駅舎の手前で終わる。


さっき乗ってきた列車の折り返し停車中に、7:23発の沿岸バスが駅前のバス停に着いた。留萌駅には7:55に着く路線バスで、沿岸バスの留萌別苅線として運行している。
乗客は高校生が多いが、私服の一般客も乗っていた。外から見た目分量で座席が半分くらい埋まっている感じ。20人程だろうか。ここから留萌まで各停留所からの乗客があるので、留萌市内では立ち客も出るほどになるのだろう。

そう思っていたらまた留萌行のバスがやってきた。7:23発の便は2台続行で運転されていることになる。2代目のバスも1台目より少なめだったが、似たような乗車率だった。

増毛高校が閉校になった現在、増毛町に在住する中学生のほとんどは卒業後は留萌市内の高校へ通学することになったが、JR利用にはならず全員がバス通学になったことになる。

実際に数字を拾ってみると、留萌千望高校のHPに載っていた「生徒の概要」(2015.5.1現在)によると、生徒のうち増毛町出身が21名、通学方法のうちJR利用は0となっていた。

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 増毛駅バス停の沿岸バス時刻表。1日12本が留萌へ行く。

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 JR増毛駅の時刻表。午前中の空白時間帯が目立つ。

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 増毛駅7:23発留萌市立病院前行沿岸バス。

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 上と同じ便の続行便。


ここで、通学客がすべてバスに流れた理由を考えてみる。

JR線と並行して走るバス路線はほかにいくらでもあるが、そういう場合通学輸送に関しては圧倒的にJR利用が多い。
その一番の理由は、JRの通学定期の運賃が圧倒的に安いからである。

たとえば増毛〜留萌間を例にとって比較したのが以下の表である。

区間片道運賃通学1か月
JR 増毛〜留萌350円7,670円
沿岸バス 増毛駅〜留萌高校500円21,000円

普通運賃でもJRとバスでは150円の開きがあるが、これが通学1か月定期になると約2.7倍もの開きがある。
ではなぜわざわざ高いバスを選択するのだろうか。

最大の理由はJRのダイヤと学校の始業時刻とのアンマッチということだろう。
留萌市内には高校が留萌高校、留萌千望高校の2つあるが、いずれも留萌駅から歩くとなると20〜30分はかかる距離で、留萌着8:05の4924Dではとても始業時間に間に合わないか間に合ってもギリギリというところである。バスならば2つの高校付近のバス停を経由して、終点の留萌市立病院には8:10着となる。
1本前の4922Dならば留萌着6:41となり余裕で間に合うが、いくらなんでもこれでは早すぎるだろう。

駅からバス利用でということも考えられるが、高校までバス1本で、しかも通し運賃で利用できていることを考えるとかえって高いものになる。また、JRのダイヤと留萌市内のバスも接続を考慮したダイヤではない。
本数はJRが上下合わせて13本に対しバスは22本と運転頻度が高く、学年や部活動の有無で帰宅時間が分かれる下校時には本数の少ないJRは余計敬遠されるだろう。
ここ数年は冬期間の運休も多くなった。2015年では2/23から4/28まで2か月以上もの間雪崩や土砂崩壊の危険から長期運休となっていた。この区間に限ると鉄道は既に信頼できる交通機関ではなくなってしまった。

もう一つ、増毛町では「高等学校生徒通学費等補助事業」という制度がある。これは留萌市内の高校へ通学している高校生は通学定期の50%を町が補助するというもので、これを利用すると1か月の定期代が10,500円となり家計への負担もかなり軽くなる。

JRの留萌着時刻があと20〜30分早めれば少しはJRにも通学利用が回ってくるのかもしれないが、全線単線で交換駅を最小限まで減らした留萌本線では深川口の通学列車の時刻も変わってしまうし、特急の接続などにも影響してくるので非常に難しいのが現状である。第一、割引率の高い通学定期券客が少しくらい増えたところで、経営改善の足しにはならないだろう。


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 木造駅舎が残る増毛駅。中にテナントが入居するなどかなり改造されている。

増毛駅は映画「駅STATION」をはじめ、数々の映画の舞台となったところである。ニシンで栄えた頃の面影を残す木造駅舎や、行止りの線路といった終着駅の風情がスクリーンを通じて旅情をかき立てたのだろう。

駅前から国道231号線にかけての通りも、昔の繁栄の面影を残す古い建物が残り、歴史的な街並みを形成している。ここ数年前からは車でやって来て駅に立ち寄る観光客も多くなったようだ。

廃止報道があってからは列車で増毛駅まで来る乗客が増えているようで、以下の記事も見つけた。
”駅に隣接する町観光協会の観光案内所の7〜8月の来所者数は、1日約200〜300人と、例年の2倍以上という。”

廃止が決定してから利用客が増えるのはここに限った話ではない。江差線のときもそうだったし、古くは「青函連絡船フィーバー」なんてのもあった。

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 いかにも終点らしい増毛駅。

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 駅内に入居のテナント。

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 パイプ椅子が置かれるなどあまり駅らしくない待合室。

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 観光案内所となった駅前の旧多田商店。映画「駅STATION」のロケでも使用された。

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 上は前日の日曜日の画像。列車は4932D。

廃止報道以来、休日ともなると名残乗車客が増加している。この列車は座席は満席、立ち客も乗せて増毛駅を発車して行った。客層も女性や家族連れが目立った。以前ならば見られなかった光景だ。

3へつづく
posted by pupupukaya at 15/11/03 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

留萌本線に乗ってローカル線問題を考える1

2015年8月10日、留萌本線の留萌〜増毛間が廃止について、JR北海道からの正式な発表があった。
同区間の1日当たりの輸送密度は39人、年間1億6千万円以上の赤字、相次ぐ雪崩や土砂災害などで防災工事費が数十億円も見込まれるなど今後鉄道を維持していくことは困難というものであった。

JR北海道2015.8.10プレスリリース

ところで留萌本線とは函館本線の深川と増毛を結ぶ66.8kmの路線で、1両のワンマン普通列車が走るだけという典型的なローカル線である。
こんな留萌本線だが昔は景気の良い時代もあって、留萌〜幌延間の羽幌線という支線を従がえ、急行列車が札幌方面から2往復、旭川から2往復の計4往復が乗り入れ、空知の各炭鉱から留萌港に向けて石炭貨物列車も多数走っていた。まさに本線の名にふさわしい路線であった。貨物は昭和30年代、旅客は昭和40年代が黄金期であっただろう。

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 急行列車も多数運転され華やかりし頃の時刻表。「弘済会の道内時刻表」1982年4月号(弘済出版社発行)より。

1980年代以降は、高速道路の延伸により急行の乗客がバスに流れ、乗客減と国鉄の合理化政策から急行が次々と廃止されることになった。
1986年11月には最後まで残った急行「はぼろ」「るもい」が廃止になり、1987年3月には留萌から分岐していた羽幌線が廃止になる。
この頃はまだ貨物列車が残っていて、1986年11月改正の貨物時刻表を見ると、芦別と赤平からの石炭列車が1往復ずつ、計2往復運行されていた。これも炭鉱の閉山により1989年には廃止されたようである。

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 1986年11月ダイヤ改正「貨物時刻表」(社団法人鉄道貨物協会発行)より。

急行列車も貨物列車も走らなくなり、支線の羽幌線も失った留萌本線は、1両の普通列車が僅かな地元の乗客を乗せて走るだけというローカル線に成り下がってしまった。

そんな留萌本線の実態を見るべく、留萌本線の列車に乗ってみた。2015年9月のとある月曜日である。

●深川 5:44発 − 増毛7:20着 4921D

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 留萌本線の起点は深川駅。

朝5時半、深川駅にやってきた。5:44発増毛行4921Dに乗るためだ。

家人の車で送られてきた人が駅の中に1人、2人と入って行く。5:37発札幌行「スーパーカムイ2号」の乗客だ。駅の窓口や改札口はすでに営業している。深川駅の朝は早い。

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 始発列車から駅員が常駐する。

駅舎側の1番ホームには特急の乗客が数人立っている。札幌まで特急の所要時間は1時間6分、運転本数は1時間に1〜2本と太いパイプで結ばれている。鉄道の本領発揮といったところだろう。実際、深川駅の乗車人員は1日当たり1,000人程度、ここ10年間ほぼ横ばいで推移している。札幌圏以外のJRの各駅はどこも乗車人員が減少して中で、ここ深川駅は健闘している。特急定期券「かよエール」の効果もあるのだろう。

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 4番ホームには1両のキハ54が入っていた。

留萌本線の列車は全て普通列車だが、朝1番の増毛行4921Dは留萌まで途中石狩沼田、峠下、大和田の3駅のみ停車の快速運転になっている。同区間の所要時間は51分と全列車の中で最速になっている。

市販の時刻表にも駅の時刻表にも「快速」の文字は無く、各駅停車と同じ普通列車ということになっている。これは留萌までの時間帯を考えると途中駅の利用者がいないために通過扱いとしたためだろう。同様に増毛発最終留萌行の5922Dも舎熊、礼受2駅のみ停車となっている。

ほとんど回送列車のような存在なので車内は無人かと思っていたが、先客が5人がすでに乗っていた。乗客は自分含めて6人、うち地元客は1人だけであった。あとは鉄道ファンらしき旅行者(自分含め)だった。

5:37に札幌行スーパーカムイ2号が発着するが、こちらへ乗り継いだ乗客はゼロ。最初の6人のまま深川を発車した。

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 1番ホームに停まる札幌行「スーパーカムイ2号」。

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 発車するとすぐに函館本線と離れる。

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 深川発車時の車内。車端のロングシートが拡大された通学列車仕様。

深川を発車するとすぐに函館本線と分かれて水田地帯を進む。黄金色の稲穂がびっしりと、豊かに稔れる石狩の野といったところ。
線形も良く、80km/h前後で快走する。石狩沼田までは全駅通過するので、走りっぷりだけ見ていると往年の急行列車を彷彿させる。

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 車窓は石狩平野北部の水田地帯。

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 深川〜恵比島間は平野のため直線区間が多く、最高80km/hで走行する。

最初の停車駅、石狩沼田で女性が1人下車する。しかも定期券客だった。年齢からして当然通勤定期だろうか、意外な乗客だった。
それにしてもまだ6時前である。もしかしたら深川の病院あたりで夜勤明けの帰りかも知れない。

唯一の地元客が下車した車内は全員が鉄道ファンということになった。夏休みは終わったといえ、青春18きっぷも北海道&東日本パスもまだ利用期間中である。普段の平日ならばここからは乗客ゼロで毎日走っているのだろう。実質回送列車ともいえる。

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 最初の停車駅は石狩沼田。ここで定期券客が1人下車した。

恵比島を過ぎると峠越えになる。といっても勾配は最急で10パーミルほど。石炭輸送に適した設計になっている。そのかわりきついS字カーブが設けられていて地図上で見るとタコ頭のようになっている。

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 恵比島からの峠越えは線形も悪く60〜70km/hほど。

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 恵比寿、峠下と2つのトンネルをくぐる。

峠越えをして2つのトンネルを抜けると峠下に停まる。深川を出ていらい最初の列車行き違い設備のある駅だ。かつてはどの駅も駅構内が複線になっていて列車の行き違い(交換)ができたが、国鉄末期からの相次ぐ合理化が進められた結果、今では行き違い可能駅は峠下と留萌の2駅だけとなっている。

深川を出てから峠下までの28.3kmが1閉塞区間として1列車しか入れないわけで、ここがダイヤ作成の足かせとなっている。列車増発は無理でも、せめて深川での良いとは言えない特急との接続を改善したくとも難しい理由のひとつが、行き違い可能駅を最小限にまで減らしたことでもある。

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 峠下に到着。

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 峠下駅で交換する深川行4920D。

峠下駅の反対側の線路には深川行4920Dが先に停まっていた。こちらが到着すると向こうはすぐに発車して行った。深川には6:44に着く上り始発列車である。確認できた車内の乗客はたった2人だけだった。

仮にこの列車で留萌から札幌へ向かうとどういうスケジュールになるのだろうか。

 留萌 5:50 ― 6:44 深川 4920D
 深川 7:04 ― 8:26 札幌 スーパーカムイ6号
 運賃3,240円+特急料金1,800円=5,040円

ではバスでは、

 留萌ターミナル6:30 ― 8:49 札幌駅前ターミナル 高速るもい号
 運賃2,370円

鉄道は深川での乗り換え、しかも跨線橋を登り下りしなければならず、接続時間も20分と冬など待つのが大変だ。運賃もバスと比較すると倍以上の差がある。往復の「Sきっぷ」もあるが、通常ならば鉄道を選択する人がいるとは思えない。
冬はJRでという人もいそうだが、深川〜札幌間は冬期間の信頼性は高速バスより高いが、肝心の留萌〜深川間が頻繁に運休になるのが現状である。

物理的には通しの運賃形態で全国へ鉄道ネットワークにつながっているとはいえ、実際の利用形態は線内だけの僅かな地元客だけのようだ。

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 木造駅舎が残る藤山駅。この列車は通過。

峠下の次が大和田。留萌まではほとんど回送列車のようなダイヤだが、交換駅でもない大和田になぜか停車する。駅前は何もないが、駅周辺は留萌市郊外の住宅地として発展している。留萌への通勤通学列車としては早すぎる。
もともと留萌線の下り1番列車は各駅停車だったのだが、停車駅が整理された当時はここから増毛高校への通学生がいたのではないかと推測する。

大和田での乗降は当然ながらゼロ。深川方からの下り各駅停車は留萌に9:00に着く4923Dが最初になる。とっくに始業後となるので、藤山や幌糠から留萌への通学生は100%バス通学ということになる。

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 大和田駅に停車。

大和田を発車してしばらくすると左手に留萌の住宅地が見え始める。西側は日本海に面し、北側と南側は山に挟まれた留萌市は、国道233号線に沿って内陸へ広がりを続けている。
列車からは見えないが、大和田と留萌のほぼ中間に位置する南町付近の国道沿いにロードサイド店舗が建ち並び、ショッピングセンターになっている。スーパー、ホームセンター、家電量販店、大型書店などが建ち並び、ここへ来れば何でもそろうほどだ。

さらに左手に6階建ての巨大な建物が見える。2001年に新築移転した留萌市立病院である。
近くには北海道留萌高校もあって、留萌市内の大型集客施設はこのあたりに多い。

平野になり線形が良くなったので列車のスピードは再び80km/hになった。市内の一番発展している地区を見ながら列車は全力で駆け抜ける。

国道232号の陸橋をくぐり、留萌川の鉄橋を渡ると留萌に着く。旅客列車の営業上はただの途中駅だが、側線には保線車両も停まっていて、それなりの拠点にはなっているようだ。

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 留萌駅構内が見えてきた。

留萌駅は1番ホームに着くものと思っていたが、2番ホームに着いた。ということは留萌で交換する上り4924Dは1番ホーム発着ということになる。留萌駅の列車は右側通行なのだろうか。おもしろいなあ。

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 留萌駅2番ホームに到着。ホームの上屋もどこか主要駅という風格がある。

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 ホームの水飲み場。

留萌駅では15分の停車時間がある。その間に駅舎などを見てきた。

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 羽幌線があった頃は4・5番ホームまで約100mもの長さがあった跨線橋。今は短くなっている。

留萌駅は1967年にそれまでの木造駅舎から2階建て鉄筋コンクリート造りの駅舎に建て替えられた。時代は旅客輸送も石炭貨物輸送も華やかりし頃。コンコースや待合室は広く、同じく2階建ての深川駅よりも立派だ。
1番ホームに張り出した上屋といい、古き良き時代を思わせる堂々たる駅舎だ。

羽幌線や札幌・旭川へ直通列車のあった1983年の乗車人員は1,285人(小学館:国鉄全駅各駅停車)となっている。これは現在の深川駅よりも多い。急行列車や通学列車発着時は多くの乗客でごった返したのだろう。

留萌市の人口は2013年現在で23,548人となっている。最多だったのは1967年の42,469人(平成26年留萌市統計書)で、ほぼ半分近くまで減少してしまった。それでも留萌地方の中心都市であり、高校、病院、商業施設が集まる地域の主要都市であることには変わりない。

人口以上に減少したのは駅の利用者数であった。
現在の留萌駅の1日当たり乗車人員は65人(平成26年留萌市統計書:降車含まず)となっている。もっとも、これは留萌駅の乗車券発売の実績によるもので、フリーパス等の乗降客は含まないが、フリーパスの利用では留萌本線の収入には1円にもならない。

留萌振興局(旧支庁)の存在や、一応都市所在駅としての立場から駅員の常駐する直営駅ということになっているが、乗車人員だけ見ると無人の貨車駅で十分なレベルである。
増毛方の利用者数は39人(JR北海道HP)ということになっているが、深川方の利用者数は単純差し引きで91人ということになる。1列車あたり平均5.35人と、この数字だけ見てもすでに鉄道としての存在意義は無い。

一方、中央バスの札幌線の利用者数は1日当たり約400人(平成26年留萌市統計書)となっている。鉄道に比べると格段の乗客数だが、これも年々減少傾向にあり、仮に留萌本線の列車を増発して深川駅での接続を改善して鉄道のシェアを増加させたとしても、抜本的な経営改善とはならないだろう。

一方、札幌〜留萌間の車での所要時間は、高速道路経由ならば2時間半、国道経由でも3時間である。
バスもすでに車を持っていない層の乗客を細々と輸送しているに過ぎない。

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 留萌駅は鉄筋コンクリート2階建ての堂々たる駅舎。

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 きっぷ売場と改札口。この時間はまだ無人だ。

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 どこか昭和の国鉄の面影が・・・

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 キヨスクが無くなった待合室。立ち食いそば屋は健在だった。

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 待合室に掲示してある昔の写真。

留萌から増毛まではスタフ閉塞式といって、この区間は1つの閉塞区間となっていて1つの通票を持っている列車しか進入できない区間となっている。
自動信号ではないため、通票を扱う駅員が常駐している。留萌駅が無人駅にならない理由もこの1つだ。
留萌〜増毛間が廃止されると、この駅員も必要なくなり無人駅になるかもしれない。市の代表駅でも赤平・芦別の両駅は2016年3月には無人化予定となっている。

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 深川行4922Dが到着。

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 駅員による通票の受け渡しが行われる。道内ではここと学園都市線石狩月形駅だけになった。

1番ホームに増毛から来た4922Dが到着した。車内の乗客は2人だけ。下車客は無し。留萌駅からの乗客も2人だけだった。
数少ない乗客が乗り通すと思われる深川まではバスもあり、鉄道が唯一の交通機関ではない。
それでも深川着は7:49着となる。石狩沼田や秩父別からは通学生を満載した通学列車となるものの、増毛から石狩沼田までは空気輸送というか回送列車同然ということになる。



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 乗客わずか4人で深川に向けて発車して行った4922D。

さてこちらの4921Dであるが、留萌から鉄道ファンを数名乗せての発車となった。地元客らしい乗客は相変わらずゼロである。

posted by pupupukaya at 15/10/31 | Comment(0) | 北海道ローカル線考
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