2018年1月 日高本線はいま 3

次に向かったのは清畠駅から約800m鵡川寄りにある慶能舞川(けのまいがわ)橋梁である。
ここは2016年8月に襲った台風10号の高波で橋桁が流された。

2015年の1月以来連続して発生した日高本線の被災箇所のうち、唯一国道からはっきり見える場所でもある。

国道を行きかう車からは、誰の目からも既に廃線跡のように見えるだろう。桁を失った橋脚がむなしく並ぶ。

国道から砂浜へ下る脇道があって、そこへ車を停める。
秋にここを通ったときは、釣り人の車が並んでいた。ここも釣りのスポットであるらしい。

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 落ちた橋桁が放置されたままの慶能舞川橋梁。

橋脚は低く、地面から1mも無いような高さである。
一番高さのある部分でも、下を通るには身をかがめなければならないほど低い。

この慶能舞川橋梁は、プレートガーダーと呼ばれる形式で、橋台の上に鋼板製の桁を乗せて線路を支える構造になっている。
このため、桁下の空間がほとんど無い状態で、これでは高波や鉄砲水に襲われたらひとたまりもない。

隣にある国道の橋は堤防の高さまで合わせて高い位置にある。

この箇所を復旧させるとしたら、橋梁の前後を盛土して、新たに高い位置に橋を作り直す必要があるだろう。

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 砂浜に橋脚だけが立っている状態。

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 鋼板を組み合わせたデッキ・プレートガーダー。腐食も進んでいる。

次に向かうのが、豊郷〜清畠間の路盤流出箇所

慶能舞川橋梁から約1500m鵡川寄りに駐車帯があって、大型の土のうがびっしりと並べられている。
ここも路盤流出があった箇所で、2015年9月に台風17号による高波によるものである。

被災前から海岸の浸食がひどい箇所で、波打ち際に埋められた鋼矢板で線路への浸食を防いでいた。
この鋼矢板が倒れたことで路盤が流出したということである。

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 豊郷〜清畠間の路盤流出箇所。

線路があった場所は、路盤も跡形もなく砂浜が広がっている。
かつて波打ち際で線路を守っていたであろう鋼矢板だけが残っていた。


  *2016.01.14 JR北海道2015年度のプレスリリース*
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 豊郷〜清畠間58k925付近の災害箇所。

当初のJR北海道のプレリリースでは、この箇所の路盤流出と道床流出の区間は181mということだったが、あれからさらに被害が拡大したようで、現在の路盤消失区間は500m以上(Google Earthで計測したら)にも及ぶようだ。

  *2015.09.14 JR北海道2015年度のプレスリリース*

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 砂地に砂利を敷いた路盤。線路は切断され撤去された。

鵡川方向に歩いて行くと、線路はまた元どおりのまま続いていた。
道床が崩れた箇所を見ると、上の方は砂利が敷き詰められているが、その下は砂である。このあたりは砂地に砂利を敷き詰めて路盤としていたことがわかる。
砂利と言っても、丸っこい玉石。川砂利をふるいにかけて粒をそろえたものだ。

線路は表面上は50kgレールが使われて道床も砕石が敷き詰められているが、軽便鉄道時代からの弱い路盤のままで根本的な改良はされていなかったようだ。

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 苫小牧寄りの線路から流出箇所を見る。

そもそもが脆弱な路盤のために、高波に対抗することはできなかった。
路盤が完全に洗い流された跡は、すっかり砂地に戻っている。

その向こうでは重機が動いていて、工事が行われている。
真新しい消波ブロックが並んでいるのが見えるので、海岸保全工事である。
あのあたりは人家もあるので、国による事業で行われているのだろう。

JR所有の護岸は基本的にJRが維持管理することになる。
破壊した護岸の復旧工事もJRの負担で行うことになる。
この工事自体が資金的に無理な為に復旧断念となったのである。

ところでこの破壊した護岸から、今でも土砂の流出が止まらないという。
海域が濁り、昆布漁やタコ漁への影響が出たために、日高町村会と日高総合開発期成会は、大狩部−厚賀間の復旧工事を求める要望書をJR北海道に提出した。

  *2017年8月6日JR日高線 - 毎日新聞*

それに対してJRは、これ以上の抜本的な工事は厳しいとのことであった。

海岸の保全という面からだけ見れば、日高本線は早々に廃止し、線路跡を国に買い上げてもらうのが最善策になる。
それから国(北海道開発局)の事業として保全工事を行えば良いのだ。

以下にこの区間の空中写真を時系列で並べてみる。
私には、国の海岸保全事業の無策から招いた災害と思えた。

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 1975年頃(地理院地図の空中写真より引用)
線路と海岸の間に採砂場らしきものが見える。右端の建物のあたりには消波ブロックが設置されている。

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 2004年頃(地理院地図の空中写真より引用)
消波ブロックが延長されている。延長の終端あたりの浸食が始まっている。

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 2010年(Google Earthより引用)
砂浜が著しく浸食しているが、消波ブロックの延長はされていない。


こんどは日高門別へ向かう。

現在日高本線の列車は、苫小牧〜鵡川間となっているが、これは苫小牧方向からの列車が折り返しのできるのが鵡川駅だったからだ。

日高町は鵡川〜日高門別間20.8kmの先行復旧の要望JR北海道に求めている。
一連の災害でも被害がなかったこの区間は、日高門別駅に折り返しに必要な信号などを整備すれば可能ということである。
費用は約1億円。地元負担になる。

  *2016年08月05日 どうしんウェブ*
日高線先行復旧、JRに要望 日高町 設備費捻出に慎重な声

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 道道正和門別停車場線の山門別踏切。踏切の遮断竿は撤去されている。

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 日高門別駅の駅舎。

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 日高門別駅の待合室。2010年までは画像右奥にキヨスクもあった。

日高門別駅の駅舎もホームもきれいだった。

去年の夏ごろの平日に、この駅に寄ってみたことがあった。
その時は車で巡回するJRの保線職員の姿を見かけた。

やはりここは廃線跡ではない。列車は運行休止中でも、JR北海道の手によって維持管理する必要があるのだ。
列車が走らなくとも経費はかかるのである。しかも復旧の見込みゼロの路線である。

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 日高門別駅のホーム。鵡川方を見る。

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 日高門別駅構内の鵡川方。信号の回路を変更すればここで折り返し運転ができそうだが。

さて、鵡川〜日高門別間の復旧について考えてみる。
この区間は災害がなかったとされているが、全くなかったのか。

いまは便利な時代になったもので、家にいながらにして衛星からの空中写真を見ることができる。

グーグルアースでこの区間の線路を追ってみると、汐見〜富川間の海岸沿い区間に路盤の流出箇所がいくつか見つかった。
まずこの復旧工事と護岸強化工事が必要になる。

日高門別駅の列車折り返し設備に1億円という記事があったが、これは同駅を棒線駅とすれば鵡川駅の信号回路の変更だけで済む気がする。
鵡川〜日高門別間の所要時間は23分。往復でも1時間である。将来的に全線復旧させる前提ならば、日高門別駅構内を複線とする必要があるが、無いのならば単線のままで十分だ。

仮に地元負担で復旧させたとしても、この区間にどれだけの需要があるのかは疑問だ。

現在のところ苫小牧〜鵡川間だと、1日当たり乗車人員は459人で、鵡川駅7:12発の2224Dの鵡川始発時の乗車人員が約150人となっている。
通勤通学列車であるこの列車の利用客のほとんどが定期客とすると、鵡川からの乗客は約100人ということになる。残りの50人は鵡川以遠からの入り込みであろう。

  *線区データ 当社単独では維持することが困難な線区*
日高線(苫小牧・鵡川間)PDFファイル

しかし、それ以外の需要は無いに等しい。
ピーク時の50人というのも、バス1台で事足りる人数である。

現在運行している苫小牧〜鵡川間でさえも、輸送密度200人未満の線区として『当社単独では維持することが困難な線区』となっている現状を考えると、かなり難しいといえる。

復旧に関する費用と、復旧後の赤字額を地元自治体で負担するというのならば復旧可能だが、そこまでして鉄道の維持にこだわる必要があるのかどうかは甚だ疑問だ。

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 富川駅のホーム。ここも線路が錆びていることだけが運休を思わせる。

続いては富川駅
富川は日高富川高校があり、また国道沿いには中型の商業施設が立ち並ぶ、日高地方北部の商業の中心となっていて、町役場のある日高門別よりも、こちらが日高町の実質中心である。

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 汐見駅と踏切。

汐見駅は国道から約2.8km離れた所にある。
無人の待合所だけが建つ駅だけを見ていると秘境駅のように見えるが、近くには鵡川漁港があってまとまった集落がある。

JRだけが唯一の交通機関のように見えるが、むかわ町営バスがカバーしているので、日高本線廃止後は町営バスが代替交通機関となるだろう。

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 汐見駅の待合所。ソファーが置かれ応接間のよう。

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 汐見駅踏切から鵡川方を見る。運行休止から2年以上経つとは思えないほど線路の状態は良い。

最後は鵡川駅

鵡川駅の約300m静内寄りにある鵡川大踏切まで来た。
この踏切も遮断竿が撤去されて、踏切としての役目は休止されている。

踏切の鵡川駅構内側には場内信号機が立ち、赤色を点灯している。
踏切の手前の線路には枕木が置かれ、仮設の車止めとなっている。

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 鵡川駅構内の終端。場内信号機が灯る。

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 レールの上に車止め代わりの枕木が設置されている。

鵡川からは胆振振興局となり、苫小牧との結びつきが強くなる。
高校の通学区域も胆振東学区となり、苫小牧への通学需要も多い。

一方、ひだか町門別地区は日高学区となり、通学生の需要は少ない。
このあたり、日高本線の列車が鵡川止まりになった事情がわかる。

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 鵡川駅の駅舎と列車代行バスの案内看板。

鵡川駅は旅客営業的には無人駅だが、室蘭保線所鵡川保線管理室が置かれ、日高本線の拠点駅になっている。

新しい駅舎は、この駅から分岐していた富内線の廃止による転換交付金によって建て替えられたものである。
1998年から2006年までは駅員の配置を復活し、有人駅であった。
その後は駅舎内にあったキヨスクで乗車券の販売をしていたが、これも2009年に閉店となったようである。

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 駅員が配置され、窓口の上には道内各駅までの運賃表が掲げられている。2006年5月筆者撮影。

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 2018年1月、完全無人化された鵡川駅の掲示。

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 折り返し列車が入る2番線の線路だけが光る。


1980年10月、国鉄再建法が成立すると、輸送密度が4,000人/日未満である路線はバスによる輸送を行うことが適当であるとして特定地方交通線に指定し、廃止対象となる。

これでいけば、日高本線も富内線同様廃止線区となるはずであった。
しかし、これには条件を満たせば除外された。
その条件の一つに、平均乗車キロが30kmを超え、輸送密度が1,000人/日以上という項目があって、その条件を満たすということで廃止を免れたのである。

ただしこれは、1977〜79年度の数値である。当時は急行えりもが札幌から様似まで3往復あって、乗客も多かったことだろう。
しかし、1986年11月をもって急行は廃止される。

同時期から道南バスによる札幌〜浦河間で、特急ペガサス号の運行が始まる。
鉄道よりも廉価で、札幌まで直通とあっては、この頃から日高本線相互内の需要しか無くなってしまった。

この時に廃止を選択していれば、国から営業キロ1kmあたり3,000万円を上限とする転換交付金(補助金)を地元市町村に交付されていたし、転換後5年間は赤字額の全額を代替事業者に対して補填されていたのである。

いま鉄道を廃止しても国からは1円の交付金も無い。
日高本線に限ったことではないが、JR北海道の多くの線区が『当社単独では維持することが困難な線区』として挙げられている。
これらの線区がすべて廃止になるとは思えないが、バス転換を含めた総合的な交通体系を考えると、むしろこの当時に廃止していたほうが良かったのではないかと思えてしまう。

JR北海道は日高本線の復旧断念、『沿線自治体の皆様のご意見を充分に反映し』としてバス等への転換の協議開始を求めている。
それに対し、沿線自治体は鉄道としての完全復旧こそ断念したものの、頑なまでにJRによる存続を要望している。

今のところ、JR北海道としては沿線自治体の同意なくしては廃止したくない意向だが、いざとなるとそれを待たずに廃止する可能性もある。
路線の廃止に対して、地元自治体の合意を必要とする法的根拠は無い。

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JR北海道の経営状態を鑑みると、どういう形態であれ、日高本線の存続は無理と思われる。
いま必要なことは、鉄道廃止後の沿線の交通体系をどうするかということになるだろう。

国や道による、税金を投入した上下分離方式であるが、都市間輸送や貨物輸送のある線区では検討すべきところだが、バス輸送で十分なローカル輸送まで適応するのは難しいところだろう。

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 静内駅に停車する列車。2007年5月筆者撮影。

以上、沿線住民でもないし、全くのド素人による私見である。
私自身札幌に住んでいて、すでに車社会の住人である。
だから、交通弱者の側から見れば、正反対の意見も出るだろう。

しかし、日高本線の問題に関しては、沿線自治体が現実に直面せず、夢物語を語っているだけというようにしか見えない。
一番の当事者はJR北海道なのである。
運休中の路線を維持するのにもコストがかかっている。

沿線自治体は路線としての存続を主張しているが、復旧しても僅かな利用者だけ、しかも赤字必至である。

筆者の私見として言わせてもらえば、日高本線の鵡川〜様似間については、早々に鉄道以外の正式な代替交通機関に置き換えるのが妥当であると思われた。

最後までお読みくださいましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 18/01/28 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

2018年1月 日高本線はいま 2

次に向かうは大狩部駅

国道を車で走っていると、国道からの脇道が駅の入口に見えるが、本当の入口は国道に並行して下を通る町道側になる。
国道の下に歩行者用の小さなトンネルがあり、大狩部駅につながっている。

列車からだと人家も無く、海岸沿いの秘境駅のような印象であるが、トンネルの反対側は普通に人家が何軒もあって、秘境というわけではない。

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 町道にある大狩部駅の入口と代行バスのバス停。

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 トンネルを抜けると大狩部駅。

大狩部駅はホームとブロック積みの待合所があるだけの無人駅。
線路の向こうはすぐに海となっている。

妙に新しい駅名標が印象的だった。列車があったころに車窓から見たものは錆びだらけでボロボロだったのだが、いつの間にか新しく立てられたらしい。

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 大狩部駅の駅名標と待合所。

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 待合所の内部。一応代行バス関連の掲示物がある。

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 駅名標は新しく立て替えられたもの。前はボロボロだった。

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 線路から見た大狩部駅。

大狩部駅の前後の線路は路盤が流出して、線路が宙ぶらりになっているところがある。
いずれも高波により護岸の擁壁が崩れたため、土砂が流出したものである。

2015年1月の高波で厚賀〜大狩部で発生した土砂流出で運休になっていた日高本線だが、その追い打ちをかけるように2015年9月の台風17号で豊郷〜清畠間で大規模な路盤流出が発生している。

この頃までは、復旧に向けた準備工事を行っていたことは2015年度のJR北海道のプレリリースを見るとわかる。
ところが、2016年度以降になると、日高線被災関連のプレリリースは無くなってしまった。
この頃には日高本線復旧はもう諦めムードになっていたのか。

この被災箇所も、2016年以降に発生したものだろう。
応急手当もなく、荒れるがままという感じだった。

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 大狩部駅から約150m静内寄りの箇所。

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 路盤が流されて線路が宙ぶらりになっている。

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 宙ぶらりになった線路と剥き出しになった通信ケーブル。

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 大狩部駅から約100m苫小牧寄り。ここも路盤が流出。

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 崩壊している上記箇所の擁壁。

大狩部駅から見える場所だけでこれである。海岸沿いは波による路盤流出が思った以上に進行しているようだ。

復旧のためには、護岸擁壁を修復して路盤を築けば済む話ではない。老朽化した擁壁の対策や、今後も発生するだろう海岸浸食対策や、場合によっては線路の付け替えも検討しなくてはならない。

これらを海岸沿いの全区間で行わなければ、また同じような災害が起こりうる。
これ全部やったら100億円ですむのだろうか。

海岸の保全事業は本来は国(国土交通省)の事業のはずだが、そういう対応はできなかったのだろうか。

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 別な日に撮影した上記箇所の高波。現状回復だけではなく災害対策工事も必要となる。

大狩部は被災した線路と殺風景な景色が相まって、なんとも悲惨な光景だった。

実は、この駅は去年の秋にも訪れたことがあって、そのときは護岸には釣り人の姿が何人かあった。
釣り場としてはそれなりのスポットであるらしい。


次いで向かったのは厚賀駅

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 うっすらと雪が積もる厚賀駅のホーム。

大狩部と違って厚賀駅はいたって平和だった。
うっすらと雪が積もったホームに立つと、いつ列車を走らせてもおかしくないほど整っている。

しかし、この駅の前後の線路は徹底的に破壊されているために、この駅にDMVも含め再び列車が来ることは100%ないだろう。
待合室も解放されていて、時刻表や運賃表が掲示されている。

ただ、代行バスは狭い駅前広場には乗り入れず、50mほど離れた道道沿いに乗り場がある。

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 厚賀駅の駅舎内。奥のシャッターはかつてキヨスクだった。

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 厚賀駅に掲示の時刻表と運賃表。

次は清畠へ向けて出発する。

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 厚賀駅の340m苫小牧寄りにある運休後に新設されたコマチップ踏切。

日高本線の静内までの区間は、軌間762mmの軽便鉄道による開業であった。大正時代のことである。
昭和に入ると国有化され、軌間も現在の1067mmに改められる。

そもそもが軽便鉄道として建設され資本も最小限としたために、海岸段丘と海岸の間のわずかな浜辺に敷かれた線路である。
軽便鉄道当時から海岸の浸食もひどく、国有化後は護岸壁や消波ブロックで対処していた。

それでも、数々の高波被害に耐えきれず、1か所だけ線路を山側に付け替えた区間がある。
清畠〜厚賀間がそれで、もともとは海岸沿いにあった線路が山側へ移設されている。

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 清畠〜厚賀間の線路付け替え箇所。(地理院地図より作成)

付け替えは1960(昭和35)年のことで、よほど大きな線路被害だったのだろう。
当時は鉄道が重要な交通手段だった時代。そうまでしても鉄道を復旧させたのである。

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 第2賀張跨線橋から様似方を望む。

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 かつてはこの海岸沿いに線路があった。

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 ここから線路が山側に付け替えられた。第2賀張跨線橋から。

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 跨線橋下の線路。ここも路盤が流出し、線路が宙ぶらり。

線路は第2賀張跨線橋で国道の下を通り山側へ出る。
この跨線橋の下の線路も路盤が流出して線路が宙釣りになっていた。

その先では線路わきの山肌を削って治山工事の最中だった。
2016年8月の台風で、線路の山側の斜面に起こった土砂崩れの復興工事である。国か道かはわからないが、とにかく公共事業として行われている。

海側はJRの負担ができずに放置状態なのに対し、山側の土砂崩れは公共事業として税金が使われるとは皮肉なことだ。

線路は国道の山側をしばらく並行する。
高台にある賀張橋からは、海岸沿いに残る旧線跡の橋台を望むことができる。

第1賀張跨線橋の下をくぐって、線路は再び海側へ移る。
ここの駐車帯に車を停めて線路を見に行くと、ここもひどい状態だった。

防波堤を超えて押し寄せた高波で流されたのか、線路がねじ曲げられてぐにゃぐにゃになっていた。
これは2016年8月30日の台風10号による被害であろう。

であろう”というのは、この頃にはJR北海道も詳細な被害をリリースしなくなったので、推測によるものである。
しかし、線路と並行する国道235号の同区間も同時期に越波のおそれとして通行止めになっているので、おそらく間違いない。

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 清畠駅から約500m静内寄りの線路流出箇所。

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 路盤こそ無事とはいえ、線路が流されるとはどれだけの高波だったのだろう。

2015年中の被災箇所についてはJR北海道が応急処置を行っていたと前述した。
ところが2016年以降の被災箇所については処置を行わずそのまま放置となっている。この頃にはすでに復旧断念という方針になっていたのかもしれない。


posted by pupupukaya at 18/01/21 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

2018年1月 日高本線はいま 1

日高本線は2015年1月から列車が運休し、バス代行が続いている。
たまに新聞やニュースで日高線の状況が報じられることもあるが、今どういう状況にあるのだろう。

私も鉄道に詳しい人として、「日高本線は廃止になったの?」とかたまに聞かれるが、今の状態はなんとも説明しがたい。
廃止ではないが、バスで何年間も列車の代行輸送している状態というのは、理解し難いところであろう。
私も実はそれほど詳しいわけではなかった。

この間に留萌本線の一部廃止や、夕張市のバス転換合意など、ローカル線について少しずつ動きがみられるようになってきた。
日高本線についてはどうなっているのだろう。

色々興味がわいてきたので、調べて、また現地を見てくることにした。


まずは日高本線をめぐる状況から追うことにする。


日高本線は2015(平成27)年1月8日に厚賀〜大狩部間で高波による土砂流出のため、鵡川〜様似間が不通になった。
同年1月27日には静内〜様似間の運転を再開する。車両は苫小牧から静内まで、仮復旧した被災区間を通って回送で毎日送り込まれていた。
ひと月後の2月28日には被災区間の状況悪化により列車の回送が取りやめになっている。

当初は不通区間も『当面の間』ということだったが、その後も日高本線各所で路盤や橋梁の流出が相次ぎ、復旧できないまま現在に至る。

2016年12月には、鵡川〜様似間の鉄道復旧を断念する表明をJR北海道から出されている。



上記は拙ブログの文章です。
被災関連の説明は面倒なのでコピペで済ませます。

以来ずっと運休状態で、バスによる列車代行が続いていたが、一昨年(2016年)にJR北海道から日高本線の鵡川〜様似間の事実上の復旧を断念したとの発表があった。


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 日高線沿線の概況(2016/12/21 JR北海道プレリリースより引用)

要は、鉄道を廃止しバス転換するにあたって、沿線自治体と協議を始めたいということである。

理由として、復旧費の総額が100億円を超える規模になるということ、鉄道の利用者数がJR発足時の1987年に比べて1/3にまで落ち込み、年間で約11億円もの赤字となっているということが挙げられている。
転換時期に関してまでは言及はなく、結局JR北海道から沿線自治体への一方的な通告という形で終わったようだ。

一方で、線路被害の無かった鵡川〜日高門別間を復旧させるという動きもあるが、これも復旧や維持費を自治体が負担する条件付きでのようである。

あれから1年と少しが経つが、あれから目立った動きはない。JRと沿線自治体との正式な協議もいまのところ行なわれてないようだ。

いまのところ、JRとしては鉄道を廃止したい、沿線自治体は廃止は受け入れがたいというまま、宙ぶらりんのような状態ということになる。

一方で、鉄路と道路を走れるデュアル・モード・ビークル(DMV)の導入を検討している動きもある。
被災区間の日高門別〜静内間を国道を走ることで、全線復旧を目指すというものだ。

  *2017/3/27 苫小牧民報*

DMVは、徳島県の阿佐海岸鉄道が2020年までに実用化し、営業運転を始める予定になっている。
もともとはJR北海道がローカル線対策として開発を進めていたもので、日高本線でも試運転が行われていた。
ただし、現在は経営危機により開発を断念し、DMVの事業からは撤退している。

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 【参考】2007年、釧網本線を走行するDMV。(筆者撮影)

JR抜きの沿線自治体の協議会では、DMVにするか、BRTにするか、バスにするかというところまでは話が進んでいて、今後JRとの協議を行いたいようだ。

ただ、DMVは温暖な四国だからこそ営業予定に至ったもので、北海道では試作車が走った段階でストップしている。
北国での走行に耐えうるような仕様車を開発する必要がある。

日高本線にDMVを導入した場合、運行開始までに少なくとも47億円の初期投資と14年の期間はかかるという試算もある。
いくら設備投資をしても赤字必至のローカル線である。少なくとも当のJR北海道には投資する体力はない。

  *2017/11/21 日本経済新聞 電子版*

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 JR日高線の代替手段の比較(2017/11/21 日本経済新聞電子版より引用)

仮にDMV導入についての具体的な協議が始まったとしても、どこが費用負担をするかということになると暗礁に乗り上げるような気がする。

DMV試運転の夢よ再びというわけではなかろうが、その道のりは果てしなく遠い



机上での調べ事は以上にして、2018年1月のとある土曜日、日高本線がどうなっているのか実際見て来ることにしました。

車で出発して、国道36号線経由で、苫小牧東ICから日高門別ICまでは日高自動車道の無料区間、そこから静内までは国道235号とひたすら下道経由。
札幌市の自宅から静内駅まで休みなしで、所要約2時間40分

昔あった急行『えりも』が、札幌〜静内間を最速2時間40分で結んでいた。
急行は国鉄最後のダイヤ改正で消えてしまったが、すでに鉄道の出る幕ではないようだ。
同じ区間を道南バスの高速ペガサス号がこれも2時間40分で結ぶ。

現在日高門別までの日高道も、今年度中には日高厚賀まで延伸されるし、その先も静内まで延伸する工事が行われている。
そうなると車での所要時間はもっと短くなるだろう。

途中で列車代行バスとすれ違ったが、ざっくりとだが車内の乗客は5本の指で数えられるほどの乗車率だった。

というわけで静内駅までやって来た。
日高本線巡りはここから鵡川までやっていこうと思います。

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 静内駅の駅舎正面。

列車の来なくなった静内駅。
列車代行バスは駅前に発着しているので、みどりの窓口も営業しているし普通に駅員もいる。

待合室には新ひだか町の観光案内所と特産品や土産物の売店、立ち食いそば店も営業している。
札幌への高速バスもここに発着しているので、駅というより交通ターミナルといったところ。

隣に広い駐車場もあるし、下手な道の駅よりも整っている。ていうか、国土交通省に登録すればこのまま道の駅にできるだろう。

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 新ひだか町観光案内所”ぽっぽ”の売店。

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 改札口とみどりの窓口。

改札口に『ホームに入るときは入場券をお買い求め下さい』との張り紙があったので、みどりの窓口で入場券を買う。
中に入りたいと言うと、窓口の人が改札口のドアを開けてくれた。

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 みどりの窓口で買った入場券。

ホームに出ると、現役時代から変わっていない。
線路が錆びて赤茶けているくらい。手入れしないとホコリやゴミが積もり、隙間から雑草が生えてくるものだが、きれいなものだ。

当然ながら誰かが手入れしているわけで、列車が走らなくとも、ただ線路施設として維持するだけでもコストはかかるのだと想像できる。

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 静内駅のホーム。苫小牧方を望む。

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 静内駅のホーム。様似方を望む。

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 構内踏切。

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 上と同じ静内駅の構内踏切。2011年10月、まだ列車があった頃の画像。

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 静内駅に掲示された列車代行バスの貼り紙。

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 2台並んだ列車代行バス。左が鵡川行、右が様似から到着したところ。静内駅前。

静内駅をあとにして次は新冠駅に向かう。

静内〜新冠間は鉄道と国道がほぼ並行して走る。鉄道が海側なので、鉄道の方が眺めは良かったことになる。

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 新冠駅のホーム。

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 自販機も設置された新冠駅の駅舎内。

新冠駅の駅舎もきれいだった。
無人駅だが、中に入ると暖房が入っていて暖かい。自販機も設置してある。
代行バスは駅前広場まで入るので、一応待合室としての役割はあるといえる。


posted by pupupukaya at 18/01/21 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

ついに道内ローカル線の動きが始まった

北海道新聞 2016年10月26日(水)

今朝の道新朝刊1面トップ記事である。

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JR北海道が抜本的な事業の見直しの対象とする「単独では維持困難な路線」に10路線13区間を選んでいることが25日、関係者への取材で分かった。
うち札沼線の北海道医療大学―新十津川間、根室線富良野―新得間、留萌線深川―留萌間の3路線3区間は廃止を伴うバス転換などで協議する。
(同記事より文と画像を引用)

「札幌まで新幹線が来るころには北海道の鉄道は旭川までになっているかもねえ」などと会話で冗談を言っていたものだが、どうやらその冗談が本当になるかもしれない。

記事の内容はJR北海道の正式な発表ではなく、関係者への取材で判明したものである。まだ廃止候補となったわけではない。現段階ではJR北海道単独では今後維持管理が難しいとして、今後の経営方針を自治体と協議したいということだ。

要は上図でオレンジ色になっている9区間については、うち(JR北)では維持しきれないので、『上下分離方式』という形態で線路を維持してもらえんべか、ということである。

『上下分離方式』とは何かというと、道路とバスの関係に例えると話がわかりやすい。
バス会社は道路上で営業しているが、道路に関する費用を直接負担する必要が無い。道路は国や自治体の所有なので、社会インフラとして税金で維持管理されているからだ。
バスが「上」、道路が「下」、それぞれの会計が別ということ。

一方で鉄道は、列車を走らせるのも自前だが、線路も自前で所有して、維持管理の費用も全て自前で出しているのが現状である。

線路については道路のように自治体で所有・維持管理してもらって、列車の運行に関する費用だけ負担して営業する形態にすれば、JR北海道の負担もかなり軽くなる。

記事では『自治体に所有してもらう』とあるが、自治体とは間違いなく『北海道』になると思われる。沿線市町村にそんな体力があるとは思えない。
国の所有にするとしたら、それは協議では収まらず、確実に政治の話になる。
もっとも個人的には、また国鉄に戻してしまえとも思っているが・・。

道が線路の所有に対してどれだけ乗り気になるのだろうか。
道の回答いかんによって、これらローカル線の運命が左右される。


話はまた上図に戻るが、1区間だけあれっ?と思った箇所があった。

それは函館本線 長万部〜小樽(あるいは長万部〜倶知安)間である。
いわゆる『山線』と呼ばれる区間で、この区間の輸送量も今回対象になった根室本線 滝川〜新得間と似たようなはずである。
なぜ今回の検討対象路線から外されたのか。

それは、新幹線が札幌開業となれば、この区間は自動的に三セク化か廃止になるからだ。
こういう所は抜かりないというかセコい。
posted by pupupukaya at 16/10/26 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

石勝線夕張支線の普通列車に乗ってみた 3

2往復の最後は新夕張9:05発2629Dに乗車となる。
こんどは乗車券を持っているので改札を出ずにそのまま乗り換えることにした。

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 新夕張で並んだ2626D(左)と2629D(右)。この時点でどちらも乗客ゼロ。


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 新夕張〜夕張のみを往復する区間列車。

2629Dは先に向かいの4番線に入線している。この列車はどこから来たのだろうか。先の列車はすべて1両だけで発車しており、併結されてきたものではない。
あとで調べたら、どうやら7:46千歳発追分行2625Dが回2627Dとして追分から回送されてきたらしい(鉄道ダイヤ情報2006年7月号より)。回送するくらいなら客扱いすれば良さそうなものだが。

この列車は2016年3月ダイヤ改正での「ご利用の少ない列車見直し」の対象となっている。
通勤通学時間帯の終わった新夕張始発とあっては、車内の乗客はゼロ。この列車に限っては、削減も仕方がないのかなと思った。

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 帯広行「スーパーとかち1号」が停車。すぐに発車して行く。

発車間際になって2人乗車があった。「スーパーとかち1号」からの乗継客のようだ。列車はすぐに発車する。1人は確実にファン、もう一人も旅行者のように見える。少なくともビジネスや用務ではないようだ。
新夕張発車時点で乗客は3人、全員日常的に利用する乗客ではないことは確かだ。

この列車は新夕張始発で夕張に行き、2628Dとして再び新夕張まで折り返す。通勤通学時間帯も過ぎ、利用対象は通院か買い物客といったところだがそのどちらの需要もなさそうだ。

沼ノ沢で乗車が1人あった。南清水沢で乗車した2人は結構若い人だ。沼ノ沢の人は清水沢で下車、南清水沢の人は夕張で下車して行った。終点夕張まで地元の利用者は3人だけであった。

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 閑散とした車内。

鹿ノ谷で1人下車するがこれはファンの乗客らしい。おそらく夕張折り返しの列車で新夕張へ戻るものと思われる。
終点夕張まで乗車したのは新夕張から乗った私と特急乗継の1人、南清水沢から乗った2人、計4人となった。

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 終点夕張着。これで2往復した夕張支線の乗車はおしまい。

着いた列車は9分後に9:41発新夕張行2628Dとなる。発車を見届けようとホームにいると、乗客が1人また1人とやって来て列車に乗車して行く。どの人もおなじみの手提げ袋を提げているので、ホテルからの通勤帰宅客ということなのだろう。発車までに3人が車内に納まった。

この2628Dもやはり3月での見直し対象となっている。乗客の数は少なくても、利用者にとっては大事な列車に違いない。
もし廃止になれば今日この列車に乗って帰宅する人たちはバス利用になるのだろうか。

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 僅か3人の乗客を乗せて夕張駅を発車して行く2628D。

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 発車前に運転士がホームのボタンを押す。

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 出発反応標識が点灯して発車。同時にこの先の踏切も作動する。

3人の乗客を乗せた2628Dを見送って今回の旅は終了となりました。



■おまけ_夕張支線の現状について考える

ここでは今回乗車してみた現状をふまえて、石勝線夕張支線について考えてみたいと思います。

新夕張〜夕張間時刻表(下り)
 2621D2623D2629D2635D2637D2639D2641D2643D2647D
始発 追分   千歳糸井千歳追分
新夕張 着 
7:41
   15:5317:2218:5221:26
新夕張 発6:307:489:0511:5612:5615:5317:2418:5421:27
沼ノ沢  〃6:357:539:0912:0013:0015:5817:2818:5821:31
南清水沢〃6:407:599:1512:0513:0516:0317:3419:0321:36
清水沢  〃6:438:029:1812:0813:0816:0617:3719:0621:39
鹿ノ谷  〃6:558:149:2912:2013:2016:1717:4919:1821:51
夕張   着6:588:179:3212:2313:2316:2017:5219:2021:54
(上り)
列車番号2624D2626D2628D2632D2634D2636D2640D2642D2644D
夕張   発7:088:309:4112:3113:3116:2818:1519:2822:02
鹿ノ谷  〃7:118:339:4412:3413:3416:3118:1819:3122:05
清水沢  〃7:198:429:5212:4213:4216:4018:2619:4022:13
南清水沢〃7:228:459:5512:4513:4516:4318:2919:4322:16
沼ノ沢  〃7:278:5010:0012:5013:5016:4718:3419:4722:21
新夕張  着7:318:5410:0512:5413:5416:5118:3919:5122:24
新夕張  発7:329:04 13:0613:5416:5718:4019:5222:25
終着千歳追分 千歳追分千歳追分追分追分
※赤色は2016/3で廃止対象の列車

夕張支線の列車は全て普通列車で、1両の気動車が1日9往復している。これは国鉄時代から30年来変わっていない。日中は3時間近く間隔の開く時間帯もあるが、特定の時間に偏るということはなく、一応一般客の利用も考慮したダイヤといえる。
かつては楓発着の列車もあったが、利用客の減少から2004年3月で楓駅とともに廃止されている。

今回乗車して利用者の大まかな傾向を見ると次のようであった。
メインは南清水沢への通学利用で、上下合わせて22人の利用があった。次いで多いのは夕張への通勤利用、あとは僅かながら通院や用務などといったところである。箇条書きにすると以下の通り。

1,沼ノ沢、南清水沢、清水沢から夕張への通勤。
2,鹿ノ谷から南清水沢への高校生。
3,滝ノ上および新夕張、沼ノ沢から南清水沢への高校生。

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 レースイリゾート前(夕張駅前)の夕鉄バス時刻表。

閉校する道路は新夕張〜清水沢間は国道453号線が、清水沢〜夕張間は道道夕張岩見沢線が並行している。全線にわたり夕鉄バスの路線がカバーしている。

夕鉄バス市内バスのメインは社光を出発して清水沢地区を1周してまた社光に戻る循環便で、ほぼ1時間に1本の運行となっている。そのほかは南部、登川、滝ノ上からの便があるが、かつて社光まで運行されていた路線も2010、2011年と市内の小中学校を1校に統合した際に、スクールバスとしての運行とするべく清水沢地区発着に短縮されている。

現在は市内バス路線は清水沢で南北に分断されている状況なので鉄道と完全に競合しているとはいえない。また、夕鉄バスの運賃が距離が延びるほど割高になることもあって、JRとバスの利用者はそれぞれの状況によって棲み分けられているようだ。
といっても、もっとも乗客の多かった2623Dの沼ノ沢〜南清水沢間でも23人とマイクロバス1台に収まってしまうほどの乗客数である。

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 2010年度の夕張支線の輸送状況
 夕張市地域公共交通協議会 資料6【ネットワーク計画の基本的な考え方(PDF:408KB)より抜粋

夕張市内から千歳、札幌方面への直通利用はあまりない。これは新夕張での特急接続が良くないこと、夕張から札幌へはバスの方が距離が短く、所要時間でも勝っていることが理由である。
2010年度の普通列車の区間輸送人員を見ると、新夕張から沼ノ沢へは1日当たり119人の利用客に対し、新夕張から十三里方向への利用客は26人と段違いに少ない。これは夕張支線の利用動向が夕張市内の移動がほとんどで、市外への利用客が非常に少ないということである。

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JR北海道が発表した ご利用の少ない列車見直しのご説明状況について【PDF/753KB】(2015.11.27)では夕張発着の現在9往復のうち4往復が廃止したい列車として挙げられている。
減便後も一応通学需要のある列車は存続されるので、通学利用客は通学定期の安い鉄道利用にとどまるだろうが、通勤その他利用客は今まで利用していた列車がなくなればバスへ移行するものと思われる。


■夕張支線の今後

鉄道が存続するとすればどのような形で運営されていくのであろうか。
他のローカル線より通勤輸送の割合が多いとはいえ、1日当たりわずか百十数人の輸送量であり、しかも今後ますます減少することは確実である。

夕張市地域公共交通協議会によると、夕張市やJRは当時開発途中であったDMV導入による活性化を検討していたこともあったようだ。

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 平成25年度第3回夕張市地域公共交通協議会 資料2【DMV導入計画(案)】(PDF:7367KB)より抜粋。

これによると、終点夕張から道路を走行し、本町や市立診療所や石炭の歴史村公園のある社光への乗り入れを想定していたようである。また、若菜地区への新駅設置も盛り込まれている。
しかしこれはJR北海道がDMVの実用化を断念したことにより棚上げとなったようだ。

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 釧網本線を試運転するDMV(参考)。

このような輸送の現状で活性化させるとすれば外部から乗客を呼び込むしかない。かつて夕張市が力を入れていたのが観光客の誘致であった。

しかし情勢は大きく変わり、2007年夕張市は深刻な財政難から財政再建団体となった。実質的な財政破綻である。また、同時期に夕張市の第三セクターであり観光の要であった石炭の歴史村観光が自己破産するなど、成功したかのように見えた観光開発は大きく揺らぐことになった。

夕張市の観光入込客数は1990年代は年間200万人で推移していたが、観光施設の閉鎖やスキー客の減少などが原因で大きく落ち込み、2012年度は半分以下の年間62万人となっている。
前述の夕張駅移転は、マウントレースイへの観光客利用を当て込んでのものである。スキーシーズンにはリゾート列車乗り入れも構想にあっただろう。

しかし当初当て込んでいた鉄道によるスキー客の入込みはほとんど無かったようだ。札幌から往復特急利用とリフト・ゴンドラ1日券がセットになった「スキップ」が発売されていたこともある。駅の真向いという立地の良さも札幌からでは新夕張での乗換を強いられること、また接続も良いとはいえずあまり売りにはならなかったようだ。札幌から夕張へはバスの方が早いし便利なこともある。

その「スキップ」も利用者減少から2014年度を最後に発売終了となった。また現在夕張市所有のマウントレースイは現在管理している加森観光グループとの契約満了を迎える2016年度をめどに売却(夕張市HPより)する方針を固めている。

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 ホテルマウントレースイは夕張観光の柱のひとつ。

売却先の経営方針いかんによっては駅に近い立地に目をつけ、札幌や新千歳空港からリゾート列車を乗り入れるという可能性は無くは無いが、根本的な問題がある。
石勝線(旧夕張線)利用は、もっとも人の流れが多い札幌へは遠回りのルートとなることだ。古くは夕張鉄道が栗山経由で野幌まで結んでいたし、現在も札幌へのバス路線はすべて栗山経由となっている。このことは所要時間や運賃において大きなハンデである。

これは現状のダイヤにも反映されていて、石勝線普通列車のダイヤが追分や新夕張で分断されているのは、利用者の流れが1つは追分から千歳方面へ、もう1つが夕張市内相互内であり、普通列車での夕張市内から千歳方面への直通客がほとんど無いということだ。

同時に施設の老朽化対策も考える必要がある深刻な問題である。JR北海道によると、経年97年になる「稚南部トンネル」と「第8志幌加別川橋梁」の老朽化による変状が顕著で、これらの対策工事のため7億円が必要との試算結果を出している。
そのほかにも100年近い経年を迎える橋梁が13か所あって、いずれ老朽更新が発生することが見込まれている。

同様の話は留萌本線留萌〜増毛間であり、この区間も運行継続のためには数十億円に及ぶ防災工事費が必要ということが廃止理由のひとつであった。

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 9/30をもって無人化された清水沢駅の定期券取次の張り紙。通勤定期客が少なからずいることが覗える。

留萌線と違うのは、僅かではあるが通勤・通学輸送があり、公共交通機関という「公共の福祉」の一端を担っているということだ。
しかし、人口1万人に満たない地域の交通の、しかも1日百十数人の利用客のために多額の費用を投資できるのか。これを一鉄道事業者の負担とするのは不可能であろう。
結局、沿線の自治体が投資に値すると判断するかどうかが存廃の分かれ目になると思われる。
夕張支線に限ったことではないが、今後ローカル線の存続を考えるうえで避けて通れない問題である。

現在9往復ある夕張支線の列車だが、2016年3月のダイヤ改正では4往復が削減され、1日5往復の運転になる。夕鉄バスの路線がほぼカバーしているので、削減された列車の利用客はバスへ移行すると思われる。

本数削減により、ただでさえ低い輸送密度が、さらに低くなるのは必至だ。これによる利用減が廃止の口実とならなければよいのだが。

それでは最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

〜おわり〜

posted by pupupukaya at 16/01/09 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

石勝線夕張支線の普通列車に乗ってみた 2

こんどは改札口で切符に改札印をもらってホームへ行くが、まだ誰もいない。
しばらくすると1両の列車が入ってきた。下車客はゼロ。

到着時の車内の乗客は5人。うち3人は高校生であった。滝ノ上からの通学生だろう。あとの2人(私含めると3人)は終点夕張から折り返し乗車していたのでおそらく試乗目的と思われる。

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 追分発夕張行2623D。主に滝ノ上からの通学列車。

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 車番と行先標。

新夕張では7分の停車となる。この駅で交換や接続する列車は無いのですぐに発車しても良さそうなものだが、時間調整も兼ねているのだろう。先に発車した上り2624Dとは十三里で交換している。
2624Dの時刻をもう少し繰り下げて新夕張で双方交換すれば良さそうなものだが、石勝線が特急優先のダイヤのためそうもいかないのだろう。

停車中に1人2人と乗ってきて、新夕張からの乗客は10人、全員が高校生のようだ。僅か15人の乗客数だが、すべてのボックスに1人ずつ座っているので見た目にはまずまずの乗車率だ。

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 新夕張発車時の車内。

夕張支線の沿線には夕張高校が1校あり、南清水沢駅が最寄りとなっている。同校の生徒のうちJR利用は35人(道新2015.6.27より)ということだ。
夕張市内の高校は、鹿ノ谷に夕張北高校と夕張工業高校、南清水沢に夕張南高校と3校あったのだが、1994年に夕張北高が閉校、夕張工業から改称した夕張緑ヶ丘実業の2校となる。2003年には夕張緑ヶ丘実業が閉校、夕張南は夕張高校となり現在に至っている。

次の沼ノ沢では8人の乗車があった。うち高校生は5人、一般客は3人である。デッキに立つ人も現れたが、これは次の清水沢で降りるために相席を嫌ってのこと。次の清水沢までは距離にして4km、夏ならば自転車通学も可能だ。

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 沼ノ沢駅に到着。夕張への通勤客と南清水沢への通学客が乗り込む。

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 新しいスクールバスも走っていた。南清水沢付近。


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 南清水沢で乗客が入れ替わる。1面1線のホームはしばし賑わう。

夕張高校の最寄駅である南清水沢では高校生が一斉に席を立った。18人が下車する。入れ替わりで乗車したのが6人、全員が地元の一般客である。
車内では「おはようございます」の声がいくつか聞こえた。数少ない列車に乗り合わせるいつもの顔ぶれなのだろう。

次の清水沢では3人が乗車、ここでの車内の乗客は15人となった。
通勤列車ながら車内はあちこちで話し声がする。
今日は月曜日だが「明日から3連休で」など。今日は月曜日だが、勤務先のシフトの話らしい。

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 清水沢〜鹿ノ谷間の車内。いつもの通勤客といった顔ぶれ。

鹿ノ谷では乗降ゼロ。終点の夕張までは1.3kmではわざわざ列車通勤の人はいないだろう。
通勤客は沼ノ沢〜清水沢から終点夕張までの利用だった。

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 終点夕張駅が近づく。

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 終点夕張に到着。どの人も足早に出口へと向かう。

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 人数は少ないながらも朝のラッシュを迎える夕張駅。

8:17着、夕張駅はちょっとした通勤ラッシュとなる。といっても1両の乗客十数人が出てくるだけなのだが。

列車を降りた人が向かう先は大きく3つに分かれていた。1つは道道を北方向へ歩いて行く人。2つ目は駅向かいのバス停で待つ人。これらの人はいずれも本町まで行く人たちだろう。それにしてもバスに乗換える人がいるのも意外だった。これは夕鉄バスの運賃の高さから、安いJRで夕張駅まで来てということなのだろう。

3つ目はホテルマウントレースイの通用口へ向かう人たち。これは確実にホテルへの通勤客である。ホテルに向かう女性通勤者はみんな大きな手提げ袋を持っている。ユニフォームでも入っているのだろうか。

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 下車客はそれぞれの方向に歩いて行った。

さて、夕張での滞在時間は13分。こんどは折返しの8:30発追分行に乗車する。
夕張始発時の乗客は私含め4人でうち地元客は1人だけ。通勤通学時間も終わり、追分へ戻るだけの回送列車のようなものだ。すっかり日が高くなって明るくなった。こんどは車内観察よりも車窓を楽しむことにしよう。

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 夕張駅車内の小ぶりな待合室。夕張市観光案内センターも入っている。

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 夕張駅の時刻表。1日9往復だが追分止まりの列車が多い。

炭鉱のあった1980年代までは夕張市内はどこも炭住と呼ばれる木造の長屋が並んでいたが、閉山後は炭鉱会社から市に移管されて市営住宅となった。近代的な改良住宅への建て替えが進み、昔ながらの木造の長屋は今ではほとんど姿を消した。
少なくとも車窓からでは炭鉱のイメージを感じるものは見つからない。

鹿ノ谷手前で志幌加別川の鉄橋を渡る。清水沢で夕張川に合流するが、夕張支線は途中で4回もこの川を渡る。
明治・大正期に建設された鉄道はといえば、とにかくお金のかかる鉄橋やトンネルを避けるのが常で、それがために崖っぷちに敷設されてしまった路線も多く、のちに災害線区として対策に悩まされることになる。
それに比べると同時期に建設された夕張線は非常に贅沢な設計であったといえる。その当時から石炭の大量輸送を想定していたのかもしれない。

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 夕張〜鹿ノ谷間で志幌加別川を渡る。横に鉄橋跡が残るのは複線時代の遺物だろうか。

鹿ノ谷はかつてここから函館本線の野幌まで夕張鉄道があり、その接続駅だった。
今は線路1本、ホーム1面だけの無人駅。その割には堂々とした大きい駅舎がその名残でもある。駅の反対側の広い空地は、たくさんの側線が並んで、夕張鉄道のホームがあり跨線橋で結んでいた。

鹿ノ谷から1人乗ってきた。

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 列車後部の窓から。鹿ノ谷〜清水沢間。

鹿ノ谷から清水沢までは6.6kmあって、夕張支線では一番駅間距離が長い区間となる。
しばらく右側に街並みが続く。
夕鉄バスターミナル、平和運動公園といった施設が見える。車窓からは見えないが、「幸福の黄色いハンカチ想い出広場」もこの付近にある。鹿ノ谷から約2kmあり、この付近に新駅設置を望む意見もあるようだ。

市街地が終わるとだんだん谷が狭くなってくる。
突然駅でもない場所で列車のスピードが大きく落ちる。この先の稚南部(わかなべ)トンネルが25km/hの徐行箇所となっているためだ。徐行は2013年2月から行われ、トンネル老朽化と路盤劣化による措置となっている。

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 メガネトンネルの稚南部トンネル。片側は複線時代に使用されていた。

トンネルを抜け、清水沢までは志幌加別川の狭い谷間を道道夕張岩見沢線と並行して走る。
谷間が広がったところに清水沢駅がある。

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 清水沢駅も運炭列車の始発駅だった。交換設備は撤去され、今は無人駅となった。

清水沢は南部方面へ運炭鉄道の三菱石炭鉱業大夕張線が分岐していた。1日3往復ながら旅客列車も運転されていて、冬は車内でダルマストーブを焚いて走っていたなど話題にもなったが、1987年に廃止になっている。
ホームと駅舎が離れているのは、かつてはこの間に側線があって石炭を積んだ貨物列車が行き来していた。
古い駅舎や駅前商店街が残っていて、夕張支線では唯一、元炭鉱町であった頃の面影を車窓から見ることが出来る。

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 2002年頃の清水沢駅。腕木式信号機が最後まで使われていた。

清水沢駅は石炭輸送終了後も、2004年3月までは交換設備が残り、タブレット交換や腕木式信号機が遺されていた。1線のみの棒線駅になっても、2015年9月30日までは駅員が常駐していて乗車券を売っていたが、今は無人駅になっている。

清水沢からの乗車は2人、降車はゼロ。

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 2人の乗車があった清水沢駅。簡易委託駅で2人とも南清水沢発の乗車券を持っていた。

清水沢を出るといったん町は途切れるがすぐに南清水沢に着く。清水沢から1.5km、この程度ならば徒歩圏内だし実質一つの町と考えても良い。
夕張市の人口のうち3分の1強がこの清水沢地区住民となっている。駅向かいはスーパーマーケットがあり、少し離れた所にはホームセンターが新たにできた。市内の学校のうち小中高すべてがこの地区にあり、夕張市の実質中心ともいえる。

清水沢からの乗車は2人、降車はゼロ。
ここまでの乗客は9人(私含む)、うち地元客は6人ということになる。

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 清水沢を出ると、夕張唯一のホームセンターも見える。

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 沼ノ沢〜新夕張間の車内。

南清水沢を過ぎると夕張市の市街地は終わり、夕張川の鉄橋を渡ると、車窓は農地の風景になる。今は一面雪が覆っているが、夏場は今や一大ブランドとなった夕張メロンの主産地となるところで、これは夕張市一番の稼ぎ頭であろう。
線形も良くなり、列車も線内MAXの85km/hで軽快に走る。

次の沼ノ沢では乗降ゼロ。

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 夏はメロン畑となりビニールハウスが並ぶ。

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 夕張川を跨ぐ石勝線が見えてくる。

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 数々のポイントを渡って新夕張駅に到着する。

新夕張着8:54、この列車は追分まで行くが、9人の乗客は全員下車した。新夕張から乗ってくる客は無い。
9:01発帯広行「スーパーとかち1号」はすぐの接続になる。試乗目的と思われる人たちはそちらに乗り継いだようだ。

私は9:05発の2629Dで夕張へ戻ることにする。


posted by pupupukaya at 16/01/09 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

石勝線夕張支線の普通列車に乗ってみた 1

石勝線といえば道央の札幌や新千歳空港と道東の帯広・釧路を結ぶJRの路線である。いわばJR北海道を代表する路線で、特急「スーパーおおぞら」や「スーパーとかち」が高速で駆け抜ける。

そんな石勝線にも細々とながら小さな輸送を行っている普通列車が走っている。今回乗車するのは、特急のルートである新夕張から夕張川とその支流である志幌加別川に沿って北上し、夕張に至る16.1kmの支線である。行止りタイプの短い盲腸線だが、名称は石勝線となっている。


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石勝線夕張支線の位置(地理院地図より作成)。

この路線はもともと追分起点で終点の夕張までが「夕張線」と呼ばれていた。夕張線の歴史は古く、1892(明治25)年8月に北海道炭礦鉄道が岩見沢〜室蘭間の路線を開通させ、その同じ年の11月には追分から夕張までが開通している。
鉄道開通後は沿線に次々と炭鉱が開発され、駅から炭鉱までの支線や私鉄が伸びて行った。

夕張線は炭鉱の歴史でもあり、それは炭鉱とともに歩んだ栄光と衰退の歴史でもあった。
石炭は黒いダイヤとも呼ばれ、日本の主要産業として隆盛を誇った。それは石炭を基幹産業としていた夕張市を飛躍的に発展させることになる。最盛期には人口11万6千人、炭鉱も20鉱以上を数えた。鉄道は日夜産出される石炭を運ぶため、運炭列車が休みなく走り続けた。

そんな夕張も、1960年代後半からは石炭産業の衰退とともに炭鉱の閉山が相次ぐ。1980年代に入ると最後まで残った炭鉱も次々と閉山する。1990年に夕張最後の炭鉱、三菱大夕張炭鉱が閉山すると、夕張の石炭は終わりを告げた。主役であった運炭列車も1987年を最後に廃止されている。

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夕張の衰退とともに沈みかけた夕張線だが、1981年に石勝線が開通すると道央〜道東の新ルートとして生まれ変わることとなった。追分〜新夕張間は夕張線のルートが利用されたため、全線が「石勝線」に編入されることになり、新夕張〜夕張間も石勝線の一部となった。のちに特定地方交通線として多くの路線が廃止されても、ここは石勝線の一部として存続することになった。

現在の石勝線夕張支線は1両の気動車だけが細々と走るローカル線である。1日当たりの輸送密度は2014年度で117人(平成27年度第2四半期決算について【PDF/237KB】)。これは留萌線留萌〜増毛間、札沼線医療大学〜新十津川間に次いで3番目に少ない区間とされている。

そんな夕張支線の支援と輸送実態を見るべく列車に乗ってみることにした。12月中旬の月曜日のことである。

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 駅舎は教会風の夕張駅。

夕張駅は石勝線夕張支線の終点であり、夕張市の代表駅でもある。それにしては駅前はあっけない所だ。

隣はホテルマウントレースイがそびえ建つが、人影は見当たらない。ホテル以外で駅前で目につくものといえば、駅横にある『ゆうばり屋台村』それにガソリンスタンド、少し離れたところにセイコーマートの灯りが煌々としているのが見える。

夕張駅の駅舎は時計塔が目立つ北欧の教会風で、駅だけ見れば瀟洒な佇まいだが、駅だと知らない人が見たらホテルの施設だと思うだろう。
以前駅舎内にイタリアンカフェが入居していたが、諸事情から閉店となったものの、その場所は別なカフェに変わっていた。待合室には「夕張市観光案内センター」が入っているが、まだシャッターが閉まっている。
駅としては無人駅で、乗車券は売っていない。

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 駅から北側を見る。

夕張駅は昔からこの場所にあったわけではない。かつては今の位置から2.1kmほど奥にあった。そこから2度にわたり移転してきて今の場所は3代目ということになる。
初代の夕張駅は現在の石炭の歴史村公園入口のあたりにあった。この公園自体、かつてあった北炭夕張炭鉱であり、夕張駅はその出炭ヤードでもあった。市役所や商店街のある本町をかなり通り過ぎた場所であり、旅客にとっては不便だっただろう。

石炭列車が無くなると当然そこが終点である必要性が無くなる。もっと中心部に近い場所に駅を移設すべきとの意見が出るのは当然のことで、1985年に1.2km南側の市役所・市民会館裏に新駅を設置し、そこを終点の夕張駅とした。これが2代目夕張駅である。
新たな夕張駅はホームと貨車を改造して待合室とした簡素なものだったが、中心部や市役所に近くなり、利用者からも好評だったようだ。

そんな夕張駅だが、その5年後の1990年にさらに0.8km南側の現在地へ再移動することになる。

松下興産が既存のレースイスキー場を買収し、100億円以上投じてホテルの建設とスキー場の整備を行いリゾート施設として開業することになった。当時はバブル景気と呼ばれ、各地でリゾート開発が行われていた時代であった。
同社は千歳空港からスキー客を呼び込むためにホテルの前に新駅の設置を要望する。ここに途中駅を設置できればよかったのだが、急勾配の関係で無理とわかり、新駅を設置するには路線をカットし、レースイ前を夕張駅とするしかなかった。

この移転に際しては議会が紛糾するほどの議論になり、市民からもかなり反対があったようだ。
炭鉱から観光へ生まれ変わろうとしていた夕張市としても絶対に駅が必要であるとの考えが勝り、現在の3代目夕張駅が誕生した。

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 夕張駅位置の移り変わり。(地理院地図より作成)

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 朝焼けの向こうから1番列車の2621Dがやってきた。

6:50ごろ、ようやく明るくなってきた。駅舎の待合室はすでに灯がつき、人影が見える。始発列車の乗客だろうか。
無人駅なので駅員はいないし切符も売っていない。昔はキヨスクがあってそこで切符を売っていたが、そのキヨスクももうだいぶ前に無くなったようだった。

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 かつてキヨスクで売っていた乗車券。

ホームで列車を待つ。気温はマイナス5度。ホームの屋根が無い部分は霜が被っている。今年の12月は異例の暖かさで、雪もまだうっすらとしか積もっていない。雪がない分、一層冷え込みがきつく感じる。

しんとしたホームに踏切の警音が聞こえてきた。やがて新夕張始発の2621Dが到着した。6:58着で、折り返し7:08発千歳行2624Dとなる列車である。

ドアが開くと女性客が2人降りてきた。まだ7時前とあっては回送列車同然で乗客ゼロと思い込んでいたので意外だった。
通院には早すぎ、札幌へ行くなら夕張駅には来ない。恰好から判断して通勤客だろう。

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 到着した2621D。折返し千歳行2624Dとなる。

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 車番と行先標(サボ)。

一旦ドアが閉じられて、7:03頃再び前部のドアが開く。2人の乗客とともに乗り込む。私は乗車券を持っていないので整理券を取る。これが夕張から乗った証明になり、無人駅で下車するときは運賃と一緒に運賃箱に入れ、有人駅の場合は改札口で支払うシステムになっている。

発車間際にもう1人乗ってきて、私以外の乗客は3人になった。恰好は先ほど夕張駅で下車して行った人たちと似たり寄ったり。やはり通勤客なのか、それとも札幌など遠方まで行くのかわかりかねた。通学生の姿は無い。
1番列車の夕張始発のいつもの顔ぶれという感じでもあった。

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 夕張発車時の車内。わずか3人の乗客で発車。

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 乗車時に取った整理券。

夕張を発車して次の鹿ノ谷では早速高校生が乗ってきた。わずか5人だけだったが、まぎれもなく夕張支線の常連だ。
南清水沢まで2駅、わずか11分の乗車だがほとんどがボックスシートに納まる。車内は話し声も無く静かなままで、彼らにとっては毎日毎日変わり映えしない通学列車というところだ。

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 鹿ノ谷ではさっそく通学生が乗ってきた。

鹿ノ谷を発車してしばらくは市街地が続いていたが、次第に人家が無くなって志幌加別川の峡谷へと入って行く。
トンネルや鉄橋の脇には、廃線跡のようなトンネルや橋台が見えるが、これはかつて複線だったころの名残で、昔はいかに石炭輸送が盛況だったかを物語る。

夕張支線唯一のトンネル(稚南部トンネル)では25km/hの速度制限があって、列車はゆっくりと通過する。

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 志幌加別川の谷あいを行く。山影から遅い朝日が出てきた。

狭まった谷間も開けてきたところが清水沢である。鹿ノ谷から乗車した1人が下車した。高校生っぽい感じだが、ここから歩くのだろうか。乗客はゼロ。


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 清水沢駅に停車。

車窓は再び市街地が続く。次の南清水沢が近づくと車内の乗客は一斉に席を立ち、出口へと向かう。
南清水沢には夕張市内唯一の夕張高校があり、高校生は上り下りともこの駅の利用となる。
夕張駅から乗車の3人のうち2人はここで下車して行った。定期券を出していたので通勤客ということになる。

南清水沢からの乗客は2人あり、私を除いては3人となった。乗客はここでほぼ入れ替わったことになる。

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 南清水沢で一斉に下車があった。

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 南清水沢駅横の踏切。下車客はそれぞれ散って行く。

南清水沢の発車時刻は7:22。下り列車の同駅時刻は7:59、バスの同駅付近のダイヤも8時前後に設定されており、あまりにも早い登校だ。バスより不便な鉄道を使うのは、通学定期運賃がバスと比べ格段に安いからだ。

高校生下車した車内は閑散としている。乗客の内訳は夕張からの1人、南清水沢からの2人、そして私となる。
この先、追分までは一応通学列車ダイヤということになるが、新夕張には学校は無く、追分駅のある安平町は胆振総合振興局ということになり高校の学区が違うため、夕張市内からの通学生はいないと思われる。

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 南清水沢からは車窓に農地も現れる。

沼ノ沢の乗降はゼロ。ただ、下り列車に乗る乗客だろうか、待合室のベンチには人影が見えた。

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 沼ノ沢駅に停車。乗降ゼロ。

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 2度目の夕張川を渡る。木々が霧氷でうっすらと白い。

沼ノ沢を発車して夕張川の鉄橋を渡ると左側から石勝線の線路が近づいてくる。まもなく新夕張に着く。駅手前ではポイントをいくつも通り過ぎ、広い駅構内に入線する様を見るとそれなりに主要駅に見える。

新夕張到着は7:31、南清水沢からの1人を残して全員下車、入れ替わりに3人が乗車するとすぐに発車して行った。

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 新夕張に到着。

すでにこの時間から新夕張駅の営業は始まっていて窓口も開いている。
改札口で夕張からの運賃360円を整理券と一緒に渡す。

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 電光掲示の発車案内もある新夕張駅。

新夕張駅は夕張市の実質的な代表駅だろう。特急「スーパーとかち」、「スーパーおおぞら」が上り7本、下り8本が停車する。札幌へは最速59分で結んでいる。

みどりの窓口でこれから乗る夕張までの往復乗車券と、夕張までの片道乗車券を買う。これで夕張へ戻り、また夕張から新夕張までもう1往復しようというものだ。

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 新夕張駅で買った乗車券。フリーパスと違い乗客数としてカウントされるはず。

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 新夕張駅の改札とホームを結ぶ地下道。

こんどは新夕張7:48発の2623Dで夕張へと向かう。


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留萌本線に乗ってローカル線問題を考える3

●増毛 7:35発 − 深川9:09着 4924D

さて増毛駅へ戻る。
増毛発車時の乗客は13人くらい。明らかに地元客とわかるのは5人だけだった。
旅行客や鉄道ファンはクロスシート、地元客はロングシートに座る傾向のようだ。学生は1人もいない。数少ないクロスシートに人気が集まるせいか、実際の人数よりも乗車率は高く見える。

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 増毛駅で発車前の4924D車内。

駅間が短いので停まっては走りを繰り返す。相変わらずどの駅も乗降ゼロ。
留萌までの所要時間は30分、バスは同じ区間を35分となっていてどちらも所用時間はほとんど変わらない。駅数が少なければ所要時間の面でバスより優位に立てたのかもしれないが、乗客の利便のために多く設けられた駅も、余計にこの路線の中途半端なものにさせている。

もと仮乗降場の阿分で乗客が1人あり、つぎの礼受でももう1人乗ってきた。地元客だろう。いずれも高齢の女性で軽装、遠出するようには見えなかった。通院だろうか。
本数も多く、こまめにバス停のあるバスではなく、なぜわざわざ列車を利用するのだろうか。バス路線である国道も全線でJRと至近距離で並行している。おそらく、何十円か安いので節約のためか、通学生で混雑するバスを敬遠してのことと思われる。いずれにしてもJRが廃止になってもほとんど影響を受けない客層ということは確かである。

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 阿分で地元客が1人乗車した。

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 礼受駅でももう1人乗車。

目見当でしかないが、地元客は増毛からの5人と途中駅からの2人の7人だけだった。午前中に留萌に着く列車はこの4924Dと1本前の4922Dの2本しかない。2列車を合わせても10人程度の地元客が日常の乗客ということになる。
唯一増毛に午前中に着く下り4921Dの地元客は前述の通りゼロに近い。増毛への日常的な用務客もほぼゼロと考えてよいだろう。

留萌〜増毛間時刻表(2015/9現在)
下り4921D4925D4927D4929D4931D4935D     
留萌 発6:5012:1414:2117:0819:1021:10 
増毛 着7:2012:4414:5117:3919:4021:41 

上り4922D4924D4930D4932D4934D4936D5922D
増毛 発6:117:3512:5415:4117:4719:4821:49
留萌 着6:418:0513:2416:1118:1720:1822:12
 ※4935Dと5922Dは休日運休。

留萌〜増毛間の運行本数は下りが6本、上りが7本の計13本(うち2本は休日運休)となっている。多いとは言えないが、道内の他のローカル線と比べて特に少ない本数ではない。午前中の列車が早朝に偏りすぎ、午後の列車までの空白が長すぎるという典型的な通学生向けのダイヤで、これが本数の割に不便にさせている。

通学以外の輸送となると通院や買い物などが挙げられるが、これははっきり言ってバスの方が便利だ。通学時間帯の列車を逃すと次は午後の便しかないのでは、仮に利用したい人がいても利用できないということになる。
留萌市の中心部は駅前ではなく1kmほど離れた錦町や本町近辺で、市役所、留萌郵便局、銀行支店など主だった集客施設もこの辺りに存在している。
2001年には瀬越駅近くにあった留萌市立病院が現在の場所(留萌市東雲町)に移転している。

買い物客の利用はどうだろうか。留萌市内に相次いで進出した商業施設は広い土地を求め、かつては市街地の外だった国道233号線沿道の郊外に出店し、郊外型ショッピングセンターを形成した。逆に中心部は衰退を始め、2010年には中心部の核テナントであった「ラルズプラザ」が閉店した。

もともと留萌駅が中心部から外れた場所にあって、昔から沿線住人の足はバスが主流だった。高校が駅から遠いこと、市立病院や商業施設が郊外に移ったことなど、沿線住人の鉄道利用を遠ざけている大きな理由のひとつだ。

もっとも留萌線に限ったことではないが、中心部の空洞化や集客施設の郊外移転などは鉄道事業者ではどうにもならない問題で、地元自治体が本気で鉄道を存続する意思があるのならば鉄道路線や駅の位置を考慮した町づくりを考える必要がある。


一方バスの状況はどうなのだろうか。
留萌〜増毛間は沿岸バスが留萌別苅線として路線バスを運行している。
同線の1日当たりの乗車人員は342人(2013年度:平成26年留萌市統計書より日割)となっている。増毛町内からの通学生は約70人ということになっており(毎日新聞2015/8/30より)、乗車人員のうち140人が通学客ということになる。

本数は2015年9月現在で増毛方向行き10本、留萌方向行き12本の計22本となっている。鉄道よりも多い便数だが、1〜2時間に1本では決して便利とはいえない。
全ての便を留萌市内2校の高校を経由して市立病院発着とするなど、需要にあった路線の再編を行えるのはバスならではで、利便性は向上している。

それでも赤字路線で、国や道から「地域公共交通確保維持改善事業費補助金」という名の補助金をを受けて維持している状態である。
乗客数は年々減少傾向で、ダイヤも減便が続いている。2000年代前半には36本もあったバスだが、現在の本数と比べるといかに利用客が減少しているかがわかる。


地元客の利用はほとんど期待できないというのが現状だ。では観光等で入込客の期待はできるのだろうか。

たとえば旭川や深川から鉄道で増毛へ観光に行こうとしても、常識的な時間に出発して増毛に午前中に着く列車が無く、これではお客は他の交通機関を選択するか、増毛へ行くこと自体取りやめることになる。
潜在的な需要を逃していたということも考えられる。もっと一般客や旅行客が利用しやすいダイヤにしていればもう少し違った展望があったかもしれない。

ただ何度も言うが、鉄道のダイヤというものは難しいもので、そう簡単に変えられるものではないし、前述の通り交換設備を極端に減らした今ではダイヤを変えるのはさらに難しいのが現実である。

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 瀬越で若い女性が2人とクールビズ姿の男性1人の3人が下車して行った。通勤客だろうか。

次は留萌に着く。幅広の1番ホームや駅舎から張り出した上屋が都会の駅ということを感じさせる。留萌駅の営業は7:50から行われていて、列車のドアは2箇所とも開く。改札口には駅員が立って運賃を受け取っている。

留萌で交換列車は無いが6分停車する。
留萌からの乗客は7人、同じくらいの人数が下車したので留萌でだいぶ客が入れ替わった。

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 留萌駅1番ホーム。地元客はほぼ全員下車したようだ。

4921D〜4924Dの状況を見てきたが、留萌〜増毛間の午前中の利用客は10人に満たないということだった。午前中でということは、これが地元の利用客の全てと言ってもよいだろう。
通学輸送が無くなった何年も前から、この路線を鉄道として存続される必要は無くなっていたのである。

地元客からも観光客からも不便なダイヤ、留萌駅の立地の悪さなどからごく少数の利用客を拾うに留まり、札幌や旭川への移動手段もバスが一般的になって久しい。もうだいぶ以前から、沿線住人にとって鉄道は影の薄い存在となっていたようである。

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 跨線橋手前にあるのりば案内も点灯していた。

今回のJR北海道による鉄道事業廃止の発表は、現段階ではまだ留萌市長及び増毛町長への説明というもので正式に決定したものではない。まだ、廃止撤回の余地はありそうだが、地元住人のとらえ方は冷静なようだ。

「JR留萌―増毛間、廃止容認79% 留萌市議会が市民調査」

数字を見てもほとんどがバス利用であり、鉄道の利用実績が無いのは明らかでは廃止に反対する根拠は薄いといえる。


JR側の廃止したい根拠はやはり経営状況であろう。下表は留萌〜増毛間の2014年度の営業収支である。

(JR北海道プレスリリース 2015.11.6平成27年度第2四半期決算についてから作成)
輸送密度営業収益営業費用営業損益営業係数
39人/キロ500万円2億1200万円△2億700万円4,161円

費用のほとんどは固定費と思われる。これは利用者が0人だろうが10倍になろうがほぼ変わらないということで、今の線路とダイヤを維持するだけで年間2億円以上の経費を投入していかなければならないということである。対して収入は1日39人分である500万円だけになる。単純計算で1日当たり1,600人以上の利用があれば(しかも全員普通乗車券という前提で)単純計算だがペイできることになるが、バスと合わせても400人に満たない同区間の輸送量を考えると、ほとんどありえない数字だ。
留萌本線自体、運行するために必要な最小限の設備しか残しておらず、これ以上の経費削減は難しいのが現状と思われる。

しかも近年になって土砂崩れや雪崩による事故が2度も発生しているなど、災害が多発するようになってきた。安全に運行するためには数10億円にも及ぶ防災工事が必要となることとなった。

仮に防災工事費用をどこかが負担したとしても、過疎化や少子化はますます進行するのは確実で乗客数も増える見込みは全く無しでは、今後も存続していくと考える方が不自然である。
この度、JR北海道が「鉄道を維持していくことが困難であるという結論に至り」となったのも当然ともいえる。

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 留萌発車時の4924D。

留萌で乗客が入れ替わり、地元客の割合が多くなってようやくいつもの平日の列車という雰囲気になった。
石狩沼田の1つ前の真布駅までの各駅から乗ってくる乗客はゼロ。藤山、恵比島、真布でそれぞれ下車があったが、いずれも鉄道ファンか旅行客のようであった。峠下までの各駅は国道233号線の路線バスが並行しているので、そちらに乗客が流れているのだろう。

乗車客があったのは石狩沼田、秩父別の2駅だけだった。それでも合わせて8人だけ。沼田町から深川市までも空知中央バスの路線バスが並行しており本数も鉄道より若干多い。留萌本線は全線にわたって一部の駅を除きバス路線がカバーしていることになる。

深川到着時で乗客は20人だった。

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 留萌市立病院の横を通る。ここに駅があれば・・・

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 峠下で4923Dと交換。

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 恵比島駅。朝の連ドラ「すずらん」のロケに使われた木造駅が今も残る。
 1999年から「SLすずらん号」が運転され多くの観光客でにぎわったこともあるが長くは続かなかった。

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 石狩沼田駅。今は棒線駅だが、駅舎は本線らしく堂々としたもの。地元客4人が乗車。

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 留萌自動車道が並行する。

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 秩父別は木造駅舎が今でも使われている。ただし無人駅。ここからも地元客4人が乗車。

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 木造駅の北一已は”きたいちやん”と読む難読駅。

JR北海道はいま様々な報道にあるように、相次いだ事故の対策や設備の老朽化対策など大変厳しい状況にある。
2015年6月にJR北海道再生会議がJR北海道に提出した『JR北海道再生のための提言書』によると、
「鉄道特性を発揮できない線区の廃止を含めた見直し、など経営全体について、聖域のない検討を行うことが必要」
という記載があり、今回の留萌〜増毛間についてはこの提言を受けた第一弾という格好になる。

JR北海道では最近輸送密度500人以下の路線を「ご利用が少ない線区」として収支状況を公表するようになった。それによると今回廃止区間を含め10区間が公表対象となっている。
また同提言書には、
「地元自治体や利用者の理解を得るべく〜中略〜日頃から、路線別の利用状況等の情報提供について積極的に行うべきである」
との記載があり、これを受けているとすれば、収支を公表する以上何らかの検討対象としているということであろう。

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 JR北海道プレスリリース 2015.11.6平成27年度第2四半期決算についてにて公表された「ご利用が少ない線区」10区間。

毎年計上する多額の赤字も深刻になってきており、車両の老朽化置換えもそろそろ検討しなければならない時期に来ている。2016年3月のダイヤ改正では、普通列車約80本を減便する方針で、同時に利用の少ない9駅の廃止も進めるという。

 2015.09.30 JR北海道プレスリリース

「ご利用が少ない線区」には今回廃止を免れた深川〜留萌間も入っていて、数字だけ見ても留萌本線全線が残念ながら廃止への流れにあることは想像がつく。
残りの8区間についても、今のところ廃止の噂にとどまっているに過ぎないが、今後何らかの動きがあると見てまず間違いない。

報道によると、JR北海道は2018年度末には経営破綻状態になるとの試算もあるという。そうであれば経営改善まで一刻の猶予もなく、近い将来道内のローカル線は正念場を迎えることになるだろう。

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 終点深川に到着。同列車は深川駅で1時間停車し、929Dとなって旭川へ向かう。

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 札幌行「スーパーカムイ10号」が到着。4924Dからの接続も良いが、乗り継いだ乗客はほとんどいないようだった。

道内のローカル線の存廃については、今後はJRや地元の動きが活発化してくると思われる。
私は地元住人でもないし、頻繁に乗車する利用客というわけでもないので、とやかく意見をする資格は無い。ただ1鉄道ファンとして見届けるだけである。もっとも、そんな大層な意見も持っていないけれど。

今のうちに何ができることはあるのだろうか。せいぜいあるうちに乗りに行って(できれば乗車券を買って)、記念に入場券を買ったり、地元でお金を使うくらいのことだ。そして、今ある姿を記録すること。

われわれ鉄道ファンは考えなければならない。いま自分にできることは何なのだろうか、と。
「さよなら運転」に駆けつけて、ホームで大声を上げるだけでは芸がないではないか。

それでは最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

〜おわり〜
posted by pupupukaya at 15/11/08 | Comment(0) | 北海道ローカル線考
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