2014年江差線名残乗車と初ソロキャンプ 4−江差・木古内間往復乗車記

IMG_20140510_0003.jpg
廃止になる江差線 木古内−江差間の時刻表。

上ノ国町の夷王山キャンプ場を6:04に出発して、江差駅には6:18に着いた。車は8台しか停められない駅前広場の駐車場は空いていたが、3時間ほどの駐車になるので駅裏の臨時駐車場に停めた。

DSCN2498.JPG
江差駅の裏側に設けられた臨時駐車場。

DSCN2493.JPG
臨時駐車場から。朝一の列車は1両のみだった。

江差6:44発の始発列車は1両のみで、発車20分前だがすでにドアが開いて10人程の乗客が乗っていた。
全員が名残乗車組と見える。
空ボックスもいくつかあって、終点木古内まで1ボックスを1人で占有することができた。

DSCN2506.JPG
この時間の窓口は閉まっている。

DSCN2515.JPG
エンジンのアイドリング音だけが響くホーム。

DSCN2525.JPG
江差駅発車前の車内。空きボックスもいくつか残る。

DSCN2529.JPG
数人に見送られて発車する。

江差を発車すると、線路が高台にあるので高架線のような所を進む。すぐに町は終わって右手に海が開ける。
江差−上ノ国間が江差線廃止区間で一番景色の良い区間だろう。そのほかは平凡な田園風景か山また山で、沿線の人には悪いが退屈な路線だ。

海と線路の間には国道228号線があって、並走する車に抜かれる。こちらは60km/hまでしか出さない。特急列車の半分のスピードだが、かえって安定感があって頼もしい走りっぷりのようにも思える。

DSCN2539.JPG
上ノ国までは海岸沿いを走る。

DSCN2547.JPG
鉄橋を渡る。

中須田を過ぎると進行左側に道道江差木古内線が平行する。右側には天ノ川が見えてくる。天ノ川は何回か渡るが、ほぼ進行右側(江差行の場合は左側)に見えるのでこちら側の席に座った方が良い。

DSCN2562.JPG
宮越駅に停車中。

途中泊まる駅はどこにもカメラを持った鉄道ファンが何人かいる。キャンピングカーもよく見かけたが、駅前で車中泊していたのだろうか。

DSCN2585.JPG
天ノ川駅駅を通過。

DSCN2592.JPG
車窓から見える天ノ川。

DSCN2600.JPG
湯ノ岱駅が近づく。

DSCN2602.JPG
朝早くからホームには鉄道ファンの姿が。

7:15に湯ノ岱に着いた。ここもホーム上にはファンが待ち構えていた。ここで下車する人が数人いて、途中駅で乗ってきた人ですべてふさがっていたボックス席も空きができた。

下り木古内始発江差行4170Dと交換のため4分ほど停車する。
しばらくして江差行が向こうも1両で入ってきた。乗車率はこちらと同じような感じだ。

DSCN2610.JPG
湯ノ岱駅で下り列車と交換のため4分停車する。

DSCN2614.JPG
反対側ホームに到着した下り列車。

DSCN2633.JPG
湯ノ岱駅を発車する。

DSCN2645.JPG
板張りホームの神明駅。道道から離れた小さい集落にあるため、一部からは秘境駅と言われている。

神明駅を発車すると松前半島を横切る峠越えになり、30〜40km/hくらいのスピードでゆっくり進む。
神明−吉堀間13.2kmを列車は21分もかけて走る。人家も並行する道路も無い山また山の車窓だが、この区間に残っている白い碍子をつけた古い電柱がローカル線らしい風情を醸し出している。

DSCN2656.JPG
神明−吉堀間は峠越え区間になり、列車のスピードもゆっくりになる。

DSCN2671.JPG
この区間は白い碍子をたくさんつけた電柱(通称ハエたたき)がまだ残っている。

稲穂トンネルを抜けるとスノーシェルターがいくつも現れ、今度は下り坂になる。急カーブが多いので列車のスピードは上がらない。

ここから寄り添う川は木古内川となる。湯ノ岱から離れていた道道もまた姿を現す。

DSCN2709.JPG
ワンマン列車なので運転席には運賃箱が置いてある。

DSCN2713.JPG
デジタル式運賃表示機。

DSCN2710.JPG
デッキのさようなら江差線のポスター。

DSCN2706.JPG
キハ40の全面展望は良くない。

DSCN2733.JPG
木古内−江差間の最高速度は65km/hに抑えられている。直線区間でもスピードメーターは60km/hを示したまま。

峠を下ってだんだん開けてくると吉堀駅。渡島鶴岡駅を発車してしばらくすると新幹線の高架橋の下をくぐって津軽海峡線と合流する。

DSCN2741.JPG
木古内駅が近くなる。これは列車後部から。

DSCN2748.JPG
木古内駅手前で一旦津軽海峡線の下り線と合流する。

DSCN2766.JPG
7:54木古内駅に到着。反対側の列車は8:09発江差行列車。

木古内駅の江差線普通列車のホームは4番と5番が充てられていて、この列車は5番ホームに着いた。向かいの4番ホームには函館始発の江差行列車が先に停車していた。

この列車で江差に折り返すのだが、切符を持っていないので改札口で料金を払って、また江差までの乗車券を買わなければならない。そのため階段を登って一旦改札口を出る。

DSCN2776.JPG
上から見た木古内駅ホーム。左の大きい建物は新幹線の木古内駅。

DSCN2775.JPG
木古内駅改札口の江差行表示。

改札口で整理券を渡し、江差からの運賃930円を払う。隣の1つしかない窓口は数人の列ができている。自分も江差までの乗車券を買うために並んだ。
ほとんどが記念きっぷを購入する客なのだが、中には面倒な注文をする人がいたりで列はさっぱり進まない。

江差までの乗車券ならば券売機でも買えるが、そこはこちらも木古内→江差の文字が書かれた乗車券がほしいファンの心情で・・・

何とか自分の番が回ってきたのは発車3分前だった。改札口でスタンプを押してもらい急いでホームへ下りる。

DSCN2773.JPG
待合室に掲示のパネル。

DSCN2769.JPG
キヨスクで販売の江差線グッズなど。

DSCN2771.JPG
自動券売機上の地図式運賃表。

江差行の列車は、さっき前の列車を降りたときに見たときは空席もあったが、函館からのスーパー白鳥14号から乗り継いだ人が増えて、デッキに立客が何人もいるほどの混みようだった。

それでも座席をもっと詰めれば全員着席できそうなくらいだったが、相席で車窓も見れないくらい窮屈な席で行くよりは立っているのも悪くない。

DSCN2781.JPG
1両目の車内。通学列車用に座席が1列撤去されて通路が広くなっている。

DSCN2794.JPG
2両目の車内。こちらはオリジナルの車内。

立ちっぱなしで外もよく見えないので車内の様子も眺める。
車内の客層は連休にちょっと郊外へといった感じの人が多い。いかにも鉄でございますという人もいなくはないがあまり目立たなかった。
小さい子供連れが多いのも意外だった。

網棚にバッグなどが並んだ車内を見ていると、昔の急行列車の雰囲気を思い出した。

DSCN2800.JPG
天井の扇風機はラインフロー式の送風機に付け替えられていた。

この2両の気動車はキハ40型という道内ではどこでも見られる車両で、国鉄時代から今のJRに引き継がれている。
製造初年は1977年で一番新しいものでも1982年製造だから軽く30年以上走り続けていることになる。
自動車ならば完全にクラシックカークラスだ。

それでも車内外ともにあまり古さを感じさせない。大事に使われていたというよりは国鉄時代のコンセプトとしてとにかく頑丈に作ったので劣化が少なかった。

今気づいたが、天井のJNRのマークを付けた扇風機は撤去されてかわりにラインフロー式の送風機が設置されていた。わざわざこんな機械を取り付けるということは、キハ40はまだまだ使い続けるんだろうな。

DSCN2790.JPG
湯ノ岱駅で上り127Dと交換。

DSCN2811.JPG
江差駅に到着。

木古内から立ちっぱなしでの1時間9分は長かった。他の乗客たちもやれやれといった感じだった。

DSCN2816.JPG
待合室のストーブには火が入っていた。

DSCN2818.JPG
列車に接続する無料の江差観光周遊バス。

DSCN2837.JPG
列車の発着に合わせてバスやタクシーが頻繁に出入りする駅前広場。

列車が着いてしばらくホームは撮影する人など、待合室は記念きっぷを求める人などで混雑していたが、駅前から無料の観光バスが発車し、そのあと天ノ川駅行きの臨時バスが出ていくと駅には折り返し10:27発木古内行きに乗る人だけが残った。

DSCN2839.JPG
もとコンビニだったところに出店した「おもてなしプラザ」。江差線廃止までの臨時売店とのこと。

駅前広場にあるおもてなしプラザで来駅証明書をもらい、「ありがとう江差線」のコースターと駅弁を買った。

DSCN2842.JPG
おもてなしプラザで売っている駅弁。

駅を後にして、臨時駐車場へ戻る。
このまま雲石峠を通って札幌に戻る予定でいたが、明日も休みだしせっかくだから江差線の各駅を回って木古内経由で帰ろうと思った。

5へつづく
posted by pupupukaya at 14/05/11 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

2014年江差線名残乗車と初ソロキャンプ 5−江差線各駅その1

江差駅から列車で木古内駅まで往復してきましたが、こんどは廃止になる江差線の各駅を回ってくることにしました。
ここからは車になります。

まずはさっき買った駅弁を車の中で食べる。朝にカステラケーキ1個しか食べていなかったので腹が空いていた。

DSCN2848.JPG
おもてなしプラザで買った「新・江差駅弁当」(896円)

DSCN2851.JPG
ご飯の上には江差産の黒のり(寒海苔)が敷き詰めてある。

ご飯の黒のりは二段に敷き詰めてあって、少し醤油をたらして食べると磯の風味が増してうまい。
江差−上ノ国の海を見ながらボックス席で食べると良さそうだ。日本酒なんかグビっと呑んで。
もう叶わないけど。

それではまず上ノ国から天ノ川まで行きます。

〜上ノ国駅〜

DSCN2854.JPG
上ノ国駅は町商工会議所の建物の脇にひっそりと入口がある。

DSCN2855.JPG
閉鎖されたきっぷ売り場に表示された「北海道最西端」の張り紙。

上ノ国駅廃止後の道内最西端駅は八雲駅になる。

DSCN2857.JPG
線路内立入禁止の札はあるが特にロープは張られていない。JR黙認だがけもの道がついて住人の通路となっている。ここに限らずローカル線ではよく見かける。


〜中須田駅〜

DSCN2870.JPG
畑の中にあるような長閑な中須田駅。

DSCN2868.JPG
ホームの高い柵は、冬に防雪の布が張られる。

DSCN2862.JPG
駅舎は車掌車を改造した貨車駅。80年代に一斉に老朽化した木造駅舎から置き換えられた。

DSCN2863.JPG
貨車駅の中。

DSCN2872.JPG
土台が小さいので横から見ると宙ぶらりんになったように見える。

DSCN2869.JPG
駅横の踏切に建てられたブルーシートに覆われた看板には「この踏切は使用停止のため列車は通りません」の文字がうっすらと見える。


〜桂岡駅〜

DSCN2873.JPG
桂岡駅はここも貨車駅。

DSCN2875.JPG
外見とは裏腹に内部は清潔。ベンチには座布団も敷かれている。

DSCN2879.JPG
ホームと駅名標。

DSCN2891.JPG
道道に立つ桂岡駅入口の看板。

DSCN2892.JPG
駅前の道道には5/12から運行する函館バスの真新しいバス停があった。

DSCN2893.JPG
バス停の表示。


〜天ノ川駅〜

天ノ川駅は本当は駅ではなく、駅の形をしたモニュメントである。当然ながら時刻表にも載っていないし列車も停まらない。

江差線の存続・振興を願って地元の有志たちが作ったもので、一時駅設置をJRに働きかけたこともあったようだが利用者がいないからと断られたようだ。

DSCN2955.JPG
天ノ川駅と天ノ川駅前のバス停。

DSCN2959.JPG
JRと同じ駅名標。

DSCN2968.JPG
線路には面していないがホーム。ホーム端のほうには五稜郭起点64kmのキロポストがある。

DSCN2964.JPG
縦型の駅名標。サッポロビールまでリアルに作られている。

DSCN2969.JPG
踏切の名称は「第2天ノ川踏切」でこちらはJRの正式名称。

DSCN2971.JPG
「とまれみよ」の標識がある警報も遮断機も無い第4種踏切。

天ノ川駅は列車も停まらず路線バスも無いので車か臨時バスで訪れるしかない。
駐車場は無いので道道に路駐する必要がある。



posted by pupupukaya at 14/05/11 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

2014年江差線名残乗車と初ソロキャンプ 6−江差線各駅その2

江差駅から列車で木古内駅まで往復してきましたが、こんどは廃止になる江差線の各駅を回ってくることにしました。
前記事で天ノ川駅まで来ましたので湯ノ岱駅からになります。


〜湯ノ岱駅〜

DSCN2908.JPG
湯ノ岱駅遠望。

湯ノ岱駅は単線の木古内江差間で唯一列車がすれ違い可能な駅となっている。
湯ノ岱−江差間はスタフ区間(リンクは説明のwikipediaです)のため駅員が常駐して、乗車券も販売している。

DSCN2946.JPG
湯ノ岱駅駅舎と5/12から運行される代替バスのバス停。

DSCN2912.JPG
真ん中にストーブが置かれた駅待合室。この時期でも朝晩は必需品だ。

DSCN2910.JPG
駅舎は平成元年に建て替えられた新しめの建物だが、昔ながらの風情がある。

DSCN2918.JPG
江差線代替バスの試運転車が駅前にやってきた。

DSCN2924.JPG
新車のバスを横目に10:58発木古内行き4175Dが入線する。江差線の新旧が並んだ格好になった。

DSCN2928.JPG
ホームではしばし撮影タイム。といっても交換列車が無いので1分ほどで発車していった。

DSCN2935.JPG
発車して行った列車。

DSCN2940.JPG
試運転の函館バス。33人乗りノンステップ小型バス。誇らしげな新車だが、もともと沿線人口も利用者も少なく前途多難だ。


〜神明駅〜

神明駅は山間部の小さな集落にある駅で、一部からは秘境駅とも呼ばれている。
上りでも下りでも列車で来れば無人の山間部を延々と抜けて到着するので秘境のように見えるが、車では道道から舗装道路が通じているし、駅周辺は畑もあって開けているので秘境のような感じはしない。

ホームや待合室はすべて木で作られて、ホームの柵は古レールを組んで作られている。

DSCN2974.JPG
神明駅はどこにでもあるような無人駅だが。

DSCN2979.JPG
ホームから待合室まで木でできているウッデイな駅。

DSCN2985.JPG
待合室の内部。

DSCN2981.JPG
待合室に掲示の時刻表と運賃表。

DSCN2995.JPG
神明駅から木古内方向の線路。

神明からは線路も道道も稲穂峠を越える。道道のほうは2車線ながら道幅も狭くなり、急カーブが連続する。交通量が少ないためか夜間は除雪しませんと書いた標識が立っている。

それでも途中では急カーブ急勾配解消のための新トンネルの工事が行われていた。

DSCN2999.jpg
神明・吉堀間の踏切では3両編成の江差行122Dが通過して行った。


〜吉堀駅〜

DSCN3001.JPG
道道沿いだが林の陰にひっそりとある吉堀駅。

DSCN3005.JPG
狭い駅舎内に似つかない大きいごみ箱が鎮座する。

DSCN3010.JPG
昔は両側に線路があり島式ホームだったようだ。


〜渡島鶴岡駅〜

ここの駅舎は変わっていて、ホームにはそっぽを向けて道路に向けて建っている。
駅というよりはバス停の待合所のようだ。

駅の横に立派な小学校の校舎があるが、旧鶴岡小学校で現在は廃校になっている。

DSCN3027.JPG
待合室はホームに背を向け道路に面して建つ渡島鶴岡駅。

DSCN3030.JPG
物置小屋程度の広さしかないが、中はちゃんとした待合室になっている。

DSCN3028.JPG
駅前は鶴岡農村公園になっていて公園の水路が伸びる。

DSCN3033.JPG
駅というよりは停留所といった感じのホーム。


DSCN3041.JPG
木古内駅西方の北海道新幹線新在分岐点。10月からは新幹線の試運転も始まる。


〜木古内駅〜

DSCN3046.JPG
江差線ラストランの垂れ幕が下がる木古内駅。

DSCN3048.JPG
駅前の商店街は再開発で取り壊され、殺風景になった。

DSCN3054.JPG
外見はすっかり出来上がった新幹線木古内駅。


これで最後ということで廃止になる江差から木古内まで全駅見てきました。

北海道新幹線開業は2015年度となっていて、それまでは函館・木古内間は江差線として存続するが、新幹線開業後は第三セクターの経営に移されるのが決まっている。

この次こっちのほうに行くのはいつになるかわからないが、そのときは今日見てきたことは確実に廃線跡としてしか存在しないわけで、そう考えるとすこしさびしい気がしてきた。


DSCN3066.JPG
上磯から見える函館山。

さて、今日中に札幌に戻るのでこれで終わります。
最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

おわり


1へもどる

posted by pupupukaya at 14/05/11 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

留萌本線に乗ってローカル線問題を考える1

2015年8月10日、留萌本線の留萌〜増毛間が廃止について、JR北海道からの正式な発表があった。
同区間の1日当たりの輸送密度は39人、年間1億6千万円以上の赤字、相次ぐ雪崩や土砂災害などで防災工事費が数十億円も見込まれるなど今後鉄道を維持していくことは困難というものであった。

JR北海道2015.8.10プレスリリース

ところで留萌本線とは函館本線の深川と増毛を結ぶ66.8kmの路線で、1両のワンマン普通列車が走るだけという典型的なローカル線である。
こんな留萌本線だが昔は景気の良い時代もあって、留萌〜幌延間の羽幌線という支線を従がえ、急行列車が札幌方面から2往復、旭川から2往復の計4往復が乗り入れ、空知の各炭鉱から留萌港に向けて石炭貨物列車も多数走っていた。まさに本線の名にふさわしい路線であった。貨物は昭和30年代、旅客は昭和40年代が黄金期であっただろう。

DSCN3706.JPG
 急行列車も多数運転され華やかりし頃の時刻表。「弘済会の道内時刻表」1982年4月号(弘済出版社発行)より。

1980年代以降は、高速道路の延伸により急行の乗客がバスに流れ、乗客減と国鉄の合理化政策から急行が次々と廃止されることになった。
1986年11月には最後まで残った急行「はぼろ」「るもい」が廃止になり、1987年3月には留萌から分岐していた羽幌線が廃止になる。
この頃はまだ貨物列車が残っていて、1986年11月改正の貨物時刻表を見ると、芦別と赤平からの石炭列車が1往復ずつ、計2往復運行されていた。これも炭鉱の閉山により1989年には廃止されたようである。

DSCN3707.JPG
 1986年11月ダイヤ改正「貨物時刻表」(社団法人鉄道貨物協会発行)より。

急行列車も貨物列車も走らなくなり、支線の羽幌線も失った留萌本線は、1両の普通列車が僅かな地元の乗客を乗せて走るだけというローカル線に成り下がってしまった。

そんな留萌本線の実態を見るべく、留萌本線の列車に乗ってみた。2015年9月のとある月曜日である。

●深川 5:44発 − 増毛7:20着 4921D

DSCN1507.JPG
 留萌本線の起点は深川駅。

朝5時半、深川駅にやってきた。5:44発増毛行4921Dに乗るためだ。

家人の車で送られてきた人が駅の中に1人、2人と入って行く。5:37発札幌行「スーパーカムイ2号」の乗客だ。駅の窓口や改札口はすでに営業している。深川駅の朝は早い。

DSCN1510.JPG
 始発列車から駅員が常駐する。

駅舎側の1番ホームには特急の乗客が数人立っている。札幌まで特急の所要時間は1時間6分、運転本数は1時間に1〜2本と太いパイプで結ばれている。鉄道の本領発揮といったところだろう。実際、深川駅の乗車人員は1日当たり1,000人程度、ここ10年間ほぼ横ばいで推移している。札幌圏以外のJRの各駅はどこも乗車人員が減少して中で、ここ深川駅は健闘している。特急定期券「かよエール」の効果もあるのだろう。

DSCN1519.JPG
 4番ホームには1両のキハ54が入っていた。

留萌本線の列車は全て普通列車だが、朝1番の増毛行4921Dは留萌まで途中石狩沼田、峠下、大和田の3駅のみ停車の快速運転になっている。同区間の所要時間は51分と全列車の中で最速になっている。
市販の時刻表にも駅の時刻表にも「快速」の文字は無く、各駅停車と同じ普通列車ということになっている。これは留萌までの時間帯を考えると途中駅の利用者がいないために通過扱いとしたためだろう。同様に増毛発最終留萌行の5922Dも舎熊、礼受2駅のみ停車となっている。

ほとんど回送列車のような存在なので車内は無人かと思っていたが、先客が5人がすでに乗っていた。乗客は自分含めて6人、うち地元客は1人だけであった。あとは鉄道ファンらしき旅行者(自分含め)だった。

5:37に札幌行スーパーカムイ2号が発着するが、こちらへ乗り継いだ乗客はゼロ。最初の6人のまま深川を発車した。

DSCN1517.JPG
 1番ホームに停まる札幌行「スーパーカムイ2号」。

DSCN1528.JPG
 発車するとすぐに函館本線と離れる。

DSCN1533.JPG
 深川発車時の車内。車端のロングシートが拡大された通学列車仕様。

深川を発車するとすぐに函館本線と分かれて水田地帯を進む。黄金色の稲穂がびっしりと、豊かに稔れる石狩の野といったところ。
線形も良く、80km/h前後で快走する。石狩沼田までは全駅通過するので、走りっぷりだけ見ていると往年の急行列車を彷彿させる。

DSCN1540.JPG
 車窓は石狩平野北部の水田地帯。

DSCN1548.JPG
 深川〜恵比島間は平野のため直線区間が多く、最高80km/hで走行する。

最初の停車駅、石狩沼田で女性が1人下車する。しかも定期券客だった。年齢からして当然通勤定期だろうか、意外な乗客だった。
それにしてもまだ6時前である。もしかしたら深川の病院あたりで夜勤明けの帰りかも知れない。

唯一の地元客が下車した車内は全員が鉄道ファンということになった。夏休みは終わったといえ、青春18きっぷも北海道&東日本パスもまだ利用期間中である。普段の平日ならばここからは乗客ゼロで毎日走っているのだろう。実質回送列車ともいえる。

DSCN1561.JPG
 最初の停車駅は石狩沼田。ここで定期券客が1人下車した。

恵比島を過ぎると峠越えになる。といっても勾配は最急で10パーミルほど。石炭輸送に適した設計になっている。そのかわりきついS字カーブが設けられていて地図上で見るとタコ頭のようになっている。

DSCN1566.JPG
 恵比島からの峠越えは線形も悪く60〜70km/hほど。

DSCN1567.JPG
 恵比寿、峠下と2つのトンネルをくぐる。

峠越えをして2つのトンネルを抜けると峠下に停まる。深川を出ていらい最初の列車行き違い設備のある駅だ。かつてはどの駅も駅構内が複線になっていて列車の行き違い(交換)ができたが、国鉄末期からの相次ぐ合理化が進められた結果、今では行き違い可能駅は峠下と留萌の2駅だけとなっている。

深川を出てから峠下までの28.3kmが1閉塞区間として1列車しか入れないわけで、ここがダイヤ作成の足かせとなっている。列車増発は無理でも、せめて深川での良いとは言えない特急との接続を改善したくとも難しい理由のひとつが、行き違い可能駅を最小限にまで減らしたことでもある。

DSCN1576.JPG
 峠下に到着。

DSCN1579.JPG
 峠下駅で交換する深川行4920D。

峠下駅の反対側の線路には深川行4920Dが先に停まっていた。こちらが到着すると向こうはすぐに発車して行った。深川には6:44に着く上り始発列車である。確認できた車内の乗客はたった2人だけだった。

仮にこの列車で留萌から札幌へ向かうとどういうスケジュールになるのだろうか。

 留萌 5:50 ― 6:44 深川 4920D
 深川 7:04 ― 8:26 札幌 スーパーカムイ6号
 運賃3,240円+特急料金1,800円=5,040円

ではバスでは、

 留萌ターミナル6:30 ― 8:49 札幌駅前ターミナル 高速るもい号
 運賃2,370円

鉄道は深川での乗り換え、しかも跨線橋を登り下りしなければならず、接続時間も20分と冬など待つのが大変だ。運賃もバスと比較すると倍以上の差がある。往復の「Sきっぷ」もあるが、通常ならば鉄道を選択する人がいるとは思えない。
冬はJRでという人もいそうだが、深川〜札幌間は冬期間の信頼性は高速バスより高いが、肝心の留萌〜深川間が頻繁に運休になるのが現状である。

物理的には通しの運賃形態で全国へ鉄道ネットワークにつながっているとはいえ、実際の利用形態は線内だけの僅かな地元客だけのようだ。

DSCN1587.JPG
 木造駅舎が残る藤山駅。この列車は通過。

峠下の次が大和田。留萌まではほとんど回送列車のようなダイヤだが、交換駅でもない大和田になぜか停車する。駅前は何もないが、駅周辺は留萌市郊外の住宅地として発展している。留萌への通勤通学列車としては早すぎる。
もともと留萌線の下り1番列車は各駅停車だったのだが、停車駅が整理された当時はここから増毛高校への通学生がいたのではないかと推測する。

大和田での乗降は当然ながらゼロ。深川方からの下り各駅停車は留萌に9:00に着く4923Dが最初になる。とっくに始業後となるので、藤山や幌糠から留萌への通学生は100%バス通学ということになる。

DSCN1595.JPG
 大和田駅に停車。

大和田を発車してしばらくすると左手に留萌の住宅地が見え始める。西側は日本海に面し、北側と南側は山に挟まれた留萌市は、国道233号線に沿って内陸へ広がりを続けている。
列車からは見えないが、大和田と留萌のほぼ中間に位置する南町付近の国道沿いにロードサイド店舗が建ち並び、ショッピングセンターになっている。スーパー、ホームセンター、家電量販店、大型書店などが建ち並び、ここへ来れば何でもそろうほどだ。

さらに左手に6階建ての巨大な建物が見える。2001年に新築移転した留萌市立病院である。
近くには北海道留萌高校もあって、留萌市内の大型集客施設はこのあたりに多い。

平野になり線形が良くなったので列車のスピードは再び80km/hになった。市内の一番発展している地区を見ながら列車は全力で駆け抜ける。

国道232号の陸橋をくぐり、留萌川の鉄橋を渡ると留萌に着く。旅客列車の営業上はただの途中駅だが、側線には保線車両も停まっていて、それなりの拠点にはなっているようだ。

DSCN1606.JPG
 留萌駅構内が見えてきた。

留萌駅は1番ホームに着くものと思っていたが、2番ホームに着いた。ということは留萌で交換する上り4924Dは1番ホーム発着ということになる。留萌駅の列車は右側通行なのだろうか。おもしろいなあ。

DSCN1618.JPG
 留萌駅2番ホームに到着。ホームの上屋もどこか主要駅という風格がある。

DSCN1648.JPG
 ホームの水飲み場。

留萌駅では15分の停車時間がある。その間に駅舎などを見てきた。

DSCN1640.JPG
 羽幌線があった頃は4・5番ホームまで約100mもの長さがあった跨線橋。今は短くなっている。

留萌駅は1967年にそれまでの木造駅舎から2階建て鉄筋コンクリート造りの駅舎に建て替えられた。時代は旅客輸送も石炭貨物輸送も華やかりし頃。コンコースや待合室は広く、同じく2階建ての深川駅よりも立派だ。
1番ホームに張り出した上屋といい、古き良き時代を思わせる堂々たる駅舎だ。

羽幌線や札幌・旭川へ直通列車のあった1983年の乗車人員は1,285人(小学館:国鉄全駅各駅停車)となっている。これは現在の深川駅よりも多い。急行列車や通学列車発着時は多くの乗客でごった返したのだろう。

留萌市の人口は2013年現在で23,548人となっている。最多だったのは1967年の42,469人(平成26年留萌市統計書)で、ほぼ半分近くまで減少してしまった。それでも留萌地方の中心都市であり、高校、病院、商業施設が集まる地域の主要都市であることには変わりない。

人口以上に減少したのは駅の利用者数であった。
現在の留萌駅の1日当たり乗車人員は65人(平成26年留萌市統計書:降車含まず)となっている。もっとも、これは留萌駅の乗車券発売の実績によるもので、フリーパス等の乗降客は含まないが、フリーパスの利用では留萌本線の収入には1円にもならない。

留萌振興局(旧支庁)の存在や、一応都市所在駅としての立場から駅員の常駐する直営駅ということになっているが、乗車人員だけ見ると無人の貨車駅で十分なレベルである。
増毛方の利用者数は39人(JR北海道HP)ということになっているが、深川方の利用者数は単純差し引きで91人ということになる。1列車あたり平均5.35人と、この数字だけ見てもすでに鉄道としての存在意義は無い。

一方、中央バスの札幌線の利用者数は1日当たり約400人(平成26年留萌市統計書)となっている。鉄道に比べると格段の乗客数だが、これも年々減少傾向にあり、仮に留萌本線の列車を増発して深川駅での接続を改善して鉄道のシェアを増加させたとしても、抜本的な経営改善とはならないだろう。

一方、札幌〜留萌間の車での所要時間は、高速道路経由ならば2時間半、国道経由でも3時間である。
バスもすでに車を持っていない層の乗客を細々と輸送しているに過ぎない。

DSCN1627.JPG
 留萌駅は鉄筋コンクリート2階建ての堂々たる駅舎。

DSCN1623.JPG
 きっぷ売場と改札口。この時間はまだ無人だ。

DSCN1628.JPG
 どこか昭和の国鉄の面影が・・・

DSCN1625.JPG
 キヨスクが無くなった待合室。立ち食いそば屋は健在だった。

DSCN1626.JPG
 待合室に掲示してある昔の写真。

留萌から増毛まではスタフ閉塞式といって、この区間は1つの閉塞区間となっていて1つの通票を持っている列車しか進入できない区間となっている。
自動信号ではないため、通票を扱う駅員が常駐している。留萌駅が無人駅にならない理由もこの1つだ。
留萌〜増毛間が廃止されると、この駅員も必要なくなり無人駅になるかもしれない。市の代表駅でも赤平・芦別の両駅は2016年3月には無人化予定となっている。

DSCN1633.JPG
 深川行4922Dが到着。

DSCN1634.JPG
 駅員による通票の受け渡しが行われる。道内ではここと学園都市線石狩月形駅だけになった。

1番ホームに増毛から来た4922Dが到着した。車内の乗客は2人だけ。下車客は無し。留萌駅からの乗客も2人だけだった。
数少ない乗客が乗り通すと思われる深川まではバスもあり、鉄道が唯一の交通機関ではない。
それでも深川着は7:49着となる。石狩沼田や秩父別からは通学生を満載した通学列車となるものの、増毛から石狩沼田までは空気輸送というか回送列車同然ということになる。



DSCN1653.JPG
 乗客わずか4人で深川に向けて発車して行った4922D。

さてこちらの4921Dであるが、留萌から鉄道ファンを数名乗せての発車となった。地元客らしい乗客は相変わらずゼロである。

posted by pupupukaya at 15/10/31 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

留萌本線に乗ってローカル線問題を考える2

留萌からは増えた乗客は2人。いずれも地元客ではないようだ。他のホームにいた人は列車撮影をするだけだったようだ。
発車時刻が近づくと助役が大きな輪のついたスタフを抱えてやってきて運転士に渡す。

筆者含め7人となった1両の列車は留萌駅を後にする。
全員が18きっぷなどのフリーパス客か鉄道ファンの試乗客とすると、この列車の日常的な乗客はゼロということになる。

この4921Dは留萌から各駅停車になることと増毛着の時刻から、増毛への通学列車と時刻表からは読み取ることができる。しかし増毛町にあった北海道増毛高校は2011年に閉校になっており、現在留萌からの増毛への通学者はいない。
通学生の乗らなくなった列車は、普段は回送列車同様で増毛まで走っているのだろう。

DSCN1655.JPG
 助役が赤旗を持って立つ。道内ではすっかり珍しくなった光景。

列車は留萌駅を出ると副港に架かるトラス橋(第10留萌川橋梁)を渡る。隣にも線路は剥がされているが同じトラス橋が架かっている。これは石炭輸送があった頃まで使われていた貨物線で、港まで伸びていた。
黄金岬の付け根の高台を掘割で抜けると右手に日本海が開ける。

DSCN1659.JPG
 第10留萌川橋梁を渡る。

DSCN1794.JPG
 黄金岬の付け根の高台を掘割で抜ける。

ここから増毛までは海岸段丘に沿うように線路が敷かれている。留萌から増毛まで鉄道が開通したのは大正10年。浜にはニシンの大群が押し寄せて、どの漁村も活気に満ちていた時代である。新たな線路は、漁村と段丘の間の崖下を通すしかなかったのだろう。
このことが今になって土砂崩れや雪崩が幾度も発生する災害線区になる原因にもなってしまった。

瀬越の手前では最初の徐行箇所があって、25km/hの徐行信号機が見えた。線路脇の斜面には土のうが積んである。雪崩の危険個所で、留萌〜増毛間には同様の徐行箇所が3か所という厄介な区間になっている。これによってダイヤも修正されて、同区間の所要時間は26分から30分に増えている。

DSCN1660.JPG
 線路わきに積んである土のう。

瀬越は国鉄時代は臨時乗降場だったところ。大正15年設置とかなり古い。当初は海水浴客のための季節営業だったが、利用者が多くなったために通年営業となった。本社設定の乗降場のため、全国版時刻表にも掲載されていたが営業キロも持たず、実態は他の仮乗降場と変わらなかった。
駅周囲は侘しい海岸といった感じだが、坂を登って行けば留萌市の住宅街で、税務署や裁判所、かつては留萌支庁もあった官庁街でもあるが、利用者は少ないようだ。

DSCN1662.JPG
 瀬越は簡素な待合室の無人駅。

瀬越からは海の見える区間が多くなる。波打ち際を走ることは無いが、日本海の向こうに暑寒別の山々や増毛の町が見える風光明媚なところで、並行する国道には「オロロンライン」の名称がつけられている。留萌本線の車窓では一番の見どころであろう。
この区間が廃止されると、道内で日本海に沿って走る線路は函館本線の小樽築港〜銭函間だけになる。車窓だけ見ていると廃止されるのが惜しいとも思う。

DSCN1667.JPG
 留萌〜増毛間は風光明媚な海岸沿いを走る。

瀬越と礼受の間には海水浴シーズンだけ営業の浜中海水浴場駅が設けられていたことがあった。ホームは無く、列車が着くと係員が乗降扉に飛行機のタラップのような階段を取り付けて乗り降りしていたという。1995年を最後に営業はしていない。

礼受駅の駅舎はいわゆる「貨車駅」と呼ばれる不要になった車掌車を改造して待合室としたもので、国鉄末期に老朽化した木造駅舎から置き換えられた駅が多い。設置から30年近くが経ち、貨車駅自体も老朽化している。
この礼受駅の貨車駅も錆びや亀裂が浮き出てボロボロだ。瀬越駅のは潮風に当たりさらに酷い状態だったようで、かなり前に建て替えられている。
貨車駅を撤去して新たに待合室を建設した駅や、貨車駅自体に大修繕工事を施した駅も他線区では見られるようになった。

DSCN1680.JPG
 礼受駅は大正10年の開業と古い駅。

DSCN1679.JPG
 木造駅舎から置き換えられた貨車駅も最近は老朽化が目立ってきた。

次の阿分からは増毛町の駅になる。
阿分、信砂はもと仮乗降場だった。板張りの、1両分にも満たない短いホーム、それに物置小屋のような待合室とどこも同じような造りをしている。
仮乗降場とは国鉄時代の昭和30年代に設けられたものがほとんどで、本社を通さず管理局の判断で設置されたものである。本社による設置のものは臨時乗降場と呼ばれた。主に地元の要請等で設けられたもので、駅として設置するまでもないが、仮設のホームを設けて便宜的に列車を停めるというものであった。

人口が少なくて駅間が長い北海道に多く、特に旧旭川鉄道管理局管内が多かった。これは同局が当時営業施策として積極的に仮乗降場を設置していたためだ。
仮乗降場は営業キロは設定されなかったので、1つ先の駅までの営業キロで運賃を計算していたが、JRになってから正式に駅に昇格し、営業キロも設定されている。

それにしても留萌〜増毛間は特に多い。この区間は7駅あるが、もと乗降場だった駅がうち5駅もある。平均駅間距離は約2.1kmと短くスピードも上がらない。駅が多いのは地元住人の利用機会を増やすことにはなるが、同時に所要時間の増加というデメリットも伴い、競合交通機関との競争力が低下してしまう。

DSCN1690.JPG
 もと仮乗降場だった信砂駅。

DSCN1696.JPG
 舎熊駅は礼受と同じく大正10年開業。

舎熊駅は礼受駅と同じく貨車駅だが、リフォームされたらしくて壁が真新しい。
礼受、舎熊は留萌線増毛開通と同時に開業した駅で、貨車駅に置き換えられる前は木造駅舎があった。戦前は大量のニシンを駅から積み出したのだろうが、ニシンがさっぱりになってからは貨物扱いが激減したのかこれらの駅の合理化は早く、昭和30年代には貨物営業の廃止、棒線化が行われたようである。

DSCN1701.JPG
 朱文別駅も仮乗降場だった。前のドアしかホームにかからない。

DSCN1715.JPG
 箸別駅も仮乗降場からの格上げ。駅というより停留所という感じ。

箸別〜増毛間で斜面から流れ出した土砂が線路を覆い、列車が乗り上げて脱線するという事故が起こったのは記憶に新しい2012年のことだった。
おそらくその現場だろう、斜面の土がむき出しになっている箇所があった。とりあえず応急処置という感じで、大雨や融雪時期はまた崩れないとも限らない。前後は25km/hの徐行区間になっていて、列車は警戒するようにゆっくりと進む。

DSCN1720.JPG
 2012年の土砂崩壊箇所。25km/hの徐行で通過する。

DSCN1728.JPG
 増毛港が見えてくると終点は近い。

瀬越から箸別までの各駅は予想通り乗降ゼロだった。
終点増毛着7:20では増毛への用務客や観光客が利用するには朝早すぎる。。もと通学列車として考えてもかなり早いが、この列車はまだ増毛高校のあった2010年の時刻表を見ると7:31着だった。時刻が繰り上がったのは災害による徐行で所要時間が伸びたことによる措置だろう。

増毛駅は下車客はほとんど(全員?)フリーパスを見せていた。筆者も北東パスで乗っていた。
駅舎のまわりには折り返しの4924Dの乗客だろうか、数人の姿があった。明らかに鉄道ファンとわかる人や旅行鞄やキャリアバッグを持った旅行者ばかりで、あとは地元の用務客らしき人がちらほら。高校生の姿は無かった。

DSCN1758.JPG
 増毛に到着。

DSCN1730.JPG
 増毛は留萌本線の終着駅。線路も駅舎の手前で終わる。


さっき乗ってきた列車の折り返し停車中に、7:23発の沿岸バスが駅前のバス停に着いた。留萌駅には7:55に着く路線バスで、沿岸バスの留萌別苅線として運行している。
乗客は高校生が多いが、私服の一般客も乗っていた。外から見た目分量で座席が半分くらい埋まっている感じ。20人程だろうか。ここから留萌まで各停留所からの乗客があるので、留萌市内では立ち客も出るほどになるのだろう。

そう思っていたらまた留萌行のバスがやってきた。7:23発の便は2台続行で運転されていることになる。2代目のバスも1台目より少なめだったが、似たような乗車率だった。

増毛高校が閉校になった現在、増毛町に在住する中学生のほとんどは卒業後は留萌市内の高校へ通学することになったが、JR利用にはならず全員がバス通学になったことになる。

実際に数字を拾ってみると、留萌千望高校のHPに載っていた「生徒の概要」(2015.5.1現在)によると、生徒のうち増毛町出身が21名、通学方法のうちJR利用は0となっていた。

DSCN1745.JPG
 増毛駅バス停の沿岸バス時刻表。1日12本が留萌へ行く。

DSCN1753.JPG
 JR増毛駅の時刻表。午前中の空白時間帯が目立つ。

DSCN1738.JPG
 増毛駅7:23発留萌市立病院前行沿岸バス。

DSCN1741.JPG
 上と同じ便の続行便。


ここで、通学客がすべてバスに流れた理由を考えてみる。

JR線と並行して走るバス路線はほかにいくらでもあるが、そういう場合通学輸送に関しては圧倒的にJR利用が多い。
その一番の理由は、JRの通学定期の運賃が圧倒的に安いからである。

たとえば増毛〜留萌間を例にとって比較したのが以下の表である。

区間片道運賃通学1か月
JR 増毛〜留萌350円7,670円
沿岸バス 増毛駅〜留萌高校500円21,000円

普通運賃でもJRとバスでは150円の開きがあるが、これが通学1か月定期になると約2.7倍もの開きがある。
ではなぜわざわざ高いバスを選択するのだろうか。

最大の理由はJRのダイヤと学校の始業時刻とのアンマッチということだろう。
留萌市内には高校が留萌高校、留萌千望高校の2つあるが、いずれも留萌駅から歩くとなると20〜30分はかかる距離で、留萌着8:05の4924Dではとても始業時間に間に合わないか間に合ってもギリギリというところである。バスならば2つの高校付近のバス停を経由して、終点の留萌市立病院には8:10着となる。
1本前の4922Dならば留萌着6:41となり余裕で間に合うが、いくらなんでもこれでは早すぎるだろう。

駅からバス利用でということも考えられるが、高校までバス1本で、しかも通し運賃で利用できていることを考えるとかえって高いものになる。また、JRのダイヤと留萌市内のバスも接続を考慮したダイヤではない。
本数はJRが上下合わせて13本に対しバスは22本と運転頻度が高く、学年や部活動の有無で帰宅時間が分かれる下校時には本数の少ないJRは余計敬遠されるだろう。
ここ数年は冬期間の運休も多くなった。2015年では2/23から4/28まで2か月以上もの間雪崩や土砂崩壊の危険から長期運休となっていた。この区間に限ると鉄道は既に信頼できる交通機関ではなくなってしまった。

もう一つ、増毛町では「高等学校生徒通学費等補助事業」という制度がある。これは留萌市内の高校へ通学している高校生は通学定期の50%を町が補助するというもので、これを利用すると1か月の定期代が10,500円となり家計への負担もかなり軽くなる。

JRの留萌着時刻があと20〜30分早めれば少しはJRにも通学利用が回ってくるのかもしれないが、全線単線で交換駅を最小限まで減らした留萌本線では深川口の通学列車の時刻も変わってしまうし、特急の接続などにも影響してくるので非常に難しいのが現状である。第一、割引率の高い通学定期券客が少しくらい増えたところで、経営改善の足しにはならないだろう。


DSCN1749.JPG
 木造駅舎が残る増毛駅。中にテナントが入居するなどかなり改造されている。

増毛駅は映画「駅STATION」をはじめ、数々の映画の舞台となったところである。ニシンで栄えた頃の面影を残す木造駅舎や、行止りの線路といった終着駅の風情がスクリーンを通じて旅情をかき立てたのだろう。

駅前から国道231号線にかけての通りも、昔の繁栄の面影を残す古い建物が残り、歴史的な街並みを形成している。ここ数年前からは車でやって来て駅に立ち寄る観光客も多くなったようだ。

廃止報道があってからは列車で増毛駅まで来る乗客が増えているようで、以下の記事も見つけた。
”駅に隣接する町観光協会の観光案内所の7〜8月の来所者数は、1日約200〜300人と、例年の2倍以上という。”

廃止が決定してから利用客が増えるのはここに限った話ではない。江差線のときもそうだったし、古くは「青函連絡船フィーバー」なんてのもあった。

DSCN1740.JPG
 いかにも終点らしい増毛駅。

DSCN1755.JPG
 駅内に入居のテナント。

DSCN1751.JPG
 パイプ椅子が置かれるなどあまり駅らしくない待合室。

DSCN1735.JPG
 観光案内所となった駅前の旧多田商店。映画「駅STATION」のロケでも使用された。

DSCN1398.JPG
 上は前日の日曜日の画像。列車は4932D。廃止報道以来、休日ともなると名残乗車客が増加している。この列車は座席は満席、立ち客も乗せて増毛駅を発車して行った。客層も女性や家族連れが目立った。以前ならば見られなかった光景だ。

posted by pupupukaya at 15/11/03 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

留萌本線に乗ってローカル線問題を考える3

●増毛 7:35発 − 深川9:09着 4924D

さて増毛駅へ戻る。
増毛発車時の乗客は13人くらい。明らかに地元客とわかるのは5人だけだった。
旅行客や鉄道ファンはクロスシート、地元客はロングシートに座る傾向のようだ。学生は1人もいない。数少ないクロスシートに人気が集まるせいか、実際の人数よりも乗車率は高く見える。

DSCN1764.JPG
 増毛駅で発車前の4924D車内。

駅間が短いので停まっては走りを繰り返す。相変わらずどの駅も乗降ゼロ。
留萌までの所要時間は30分、バスは同じ区間を35分となっていてどちらも所用時間はほとんど変わらない。駅数が少なければ所要時間の面でバスより優位に立てたのかもしれないが、乗客の利便のために多く設けられた駅も、余計にこの路線の中途半端なものにさせている。

もと仮乗降場の阿分で乗客が1人あり、つぎの礼受でももう1人乗ってきた。地元客だろう。いずれも高齢の女性で軽装、遠出するようには見えなかった。通院だろうか。
本数も多く、こまめにバス停のあるバスではなく、なぜわざわざ列車を利用するのだろうか。バス路線である国道も全線でJRと至近距離で並行している。おそらく、何十円か安いので節約のためか、通学生で混雑するバスを敬遠してのことと思われる。いずれにしてもJRが廃止になってもほとんど影響を受けない客層ということは確かである。

DSCN1776.JPG
 阿分で地元客が1人乗車した。

DSCN1778.JPG
 礼受駅でももう1人乗車。

目見当でしかないが、地元客は増毛からの5人と途中駅からの2人の7人だけだった。午前中に留萌に着く列車はこの4924Dと1本前の4922Dの2本しかない。2列車を合わせても10人程度の地元客が日常の乗客ということになる。
唯一増毛に午前中に着く下り4921Dの地元客は前述の通りゼロに近い。増毛への日常的な用務客もほぼゼロと考えてよいだろう。

留萌〜増毛間時刻表(2015/9現在)
下り4921D4925D4927D4929D4931D4935D     
留萌 発6:5012:1414:2117:0819:1021:10 
増毛 着7:2012:4414:5117:3919:4021:41 

上り4922D4924D4930D4932D4934D4936D5922D
増毛 発6:117:3512:5415:4117:4719:4821:49
留萌 着6:418:0513:2416:1118:1720:1822:12
 ※4935Dと5922Dは休日運休。

留萌〜増毛間の運行本数は下りが6本、上りが7本の計13本(うち2本は休日運休)となっている。多いとは言えないが、道内の他のローカル線と比べて特に少ない本数ではない。午前中の列車が早朝に偏りすぎ、午後の列車までの空白が長すぎるという典型的な通学生向けのダイヤで、これが本数の割に不便にさせている。

通学以外の輸送となると通院や買い物などが挙げられるが、これははっきり言ってバスの方が便利だ。通学時間帯の列車を逃すと次は午後の便しかないのでは、仮に利用したい人がいても利用できないということになる。
留萌市の中心部は駅前ではなく1kmほど離れた錦町や本町近辺で、市役所、留萌郵便局、銀行支店など主だった集客施設もこの辺りに存在している。
2001年には瀬越駅近くにあった留萌市立病院が現在の場所(留萌市東雲町)に移転している。

買い物客の利用はどうだろうか。留萌市内に相次いで進出した商業施設は広い土地を求め、かつては市街地の外だった国道233号線沿道の郊外に出店し、郊外型ショッピングセンターを形成した。逆に中心部は衰退を始め、2010年には中心部の核テナントであった「ラルズプラザ」が閉店した。

もともと留萌駅が中心部から外れた場所にあって、昔から沿線住人の足はバスが主流だった。高校が駅から遠いこと、市立病院や商業施設が郊外に移ったことなど、沿線住人の鉄道利用を遠ざけている大きな理由のひとつだ。

もっとも留萌線に限ったことではないが、中心部の空洞化や集客施設の郊外移転などは鉄道事業者ではどうにもならない問題で、地元自治体が本気で鉄道を存続する意思があるのならば鉄道路線や駅の位置を考慮した町づくりを考える必要がある。


一方バスの状況はどうなのだろうか。
留萌〜増毛間は沿岸バスが留萌別苅線として路線バスを運行している。
同線の1日当たりの乗車人員は342人(2013年度:平成26年留萌市統計書より日割)となっている。増毛町内からの通学生は約70人ということになっており(毎日新聞2015/8/30より)、乗車人員のうち140人が通学客ということになる。

本数は2015年9月現在で増毛方向行き10本、留萌方向行き12本の計22本となっている。鉄道よりも多い便数だが、1〜2時間に1本では決して便利とはいえない。
全ての便を留萌市内2校の高校を経由して市立病院発着とするなど、需要にあった路線の再編を行えるのはバスならではで、利便性は向上している。

それでも赤字路線で、国や道から「地域公共交通確保維持改善事業費補助金」という名の補助金をを受けて維持している状態である。
乗客数は年々減少傾向で、ダイヤも減便が続いている。2000年代前半には36本もあったバスだが、現在の本数と比べるといかに利用客が減少しているかがわかる。


地元客の利用はほとんど期待できないというのが現状だ。では観光等で入込客の期待はできるのだろうか。

たとえば旭川や深川から鉄道で増毛へ観光に行こうとしても、常識的な時間に出発して増毛に午前中に着く列車が無く、これではお客は他の交通機関を選択するか、増毛へ行くこと自体取りやめることになる。
潜在的な需要を逃していたということも考えられる。もっと一般客や旅行客が利用しやすいダイヤにしていればもう少し違った展望があったかもしれない。

ただ何度も言うが、鉄道のダイヤというものは難しいもので、そう簡単に変えられるものではないし、前述の通り交換設備を極端に減らした今ではダイヤを変えるのはさらに難しいのが現実である。

DSCN1788.JPG
 瀬越で若い女性が2人とクールビズ姿の男性1人の3人が下車して行った。通勤客だろうか。

次は留萌に着く。幅広の1番ホームや駅舎から張り出した上屋が都会の駅ということを感じさせる。留萌駅の営業は7:50から行われていて、列車のドアは2箇所とも開く。改札口には駅員が立って運賃を受け取っている。

留萌で交換列車は無いが6分停車する。
留萌からの乗客は7人、同じくらいの人数が下車したので留萌でだいぶ客が入れ替わった。

DSCN1802.JPG
 留萌駅1番ホーム。地元客はほぼ全員下車したようだ。

4921D〜4924Dの状況を見てきたが、留萌〜増毛間の午前中の利用客は10人に満たないということだった。午前中でということは、これが地元の利用客の全てと言ってもよいだろう。
通学輸送が無くなった何年も前から、この路線を鉄道として存続される必要は無くなっていたのである。

地元客からも観光客からも不便なダイヤ、留萌駅の立地の悪さなどからごく少数の利用客を拾うに留まり、札幌や旭川への移動手段もバスが一般的になって久しい。もうだいぶ以前から、沿線住人にとって鉄道は影の薄い存在となっていたようである。

DSCN1805.JPG
 跨線橋手前にあるのりば案内も点灯していた。

今回のJR北海道による鉄道事業廃止の発表は、現段階ではまだ留萌市長及び増毛町長への説明というもので正式に決定したものではない。まだ、廃止撤回の余地はありそうだが、地元住人のとらえ方は冷静なようだ。

「JR留萌―増毛間、廃止容認79% 留萌市議会が市民調査」

数字を見てもほとんどがバス利用であり、鉄道の利用実績が無いのは明らかでは廃止に反対する根拠は薄いといえる。


JR側の廃止したい根拠はやはり経営状況であろう。下表は留萌〜増毛間の2014年度の営業収支である。

(JR北海道プレスリリース 2015.11.6平成27年度第2四半期決算についてから作成)
輸送密度営業収益営業費用営業損益営業係数
39人/キロ500万円2億1200万円△2億700万円4,161円

費用のほとんどは固定費と思われる。これは利用者が0人だろうが10倍になろうがほぼ変わらないということで、今の線路とダイヤを維持するだけで年間2億円以上の経費を投入していかなければならないということである。対して収入は1日39人分である500万円だけになる。単純計算で1日当たり1,600人以上の利用があれば(しかも全員普通乗車券という前提で)単純計算だがペイできることになるが、バスと合わせても400人に満たない同区間の輸送量を考えると、ほとんどありえない数字だ。
留萌本線自体、運行するために必要な最小限の設備しか残しておらず、これ以上の経費削減は難しいのが現状と思われる。

しかも近年になって土砂崩れや雪崩による事故が2度も発生しているなど、災害が多発するようになってきた。安全に運行するためには数10億円にも及ぶ防災工事が必要となることとなった。

仮に防災工事費用をどこかが負担したとしても、過疎化や少子化はますます進行するのは確実で乗客数も増える見込みは全く無しでは、今後も存続していくと考える方が不自然である。
この度、JR北海道が「鉄道を維持していくことが困難であるという結論に至り」となったのも当然ともいえる。

DSCN1809.JPG
 留萌発車時の4924D。

留萌で乗客が入れ替わり、地元客の割合が多くなってようやくいつもの平日の列車という雰囲気になった。
石狩沼田の1つ前の真布駅までの各駅から乗ってくる乗客はゼロ。藤山、恵比島、真布でそれぞれ下車があったが、いずれも鉄道ファンか旅行客のようであった。峠下までの各駅は国道233号線の路線バスが並行しているので、そちらに乗客が流れているのだろう。

乗車客があったのは石狩沼田、秩父別の2駅だけだった。それでも合わせて8人だけ。沼田町から深川市までも空知中央バスの路線バスが並行しており本数も鉄道より若干多い。留萌本線は全線にわたって一部の駅を除きバス路線がカバーしていることになる。

深川到着時で乗客は20人だった。

DSCN1816.JPG
 留萌市立病院の横を通る。ここに駅があれば・・・

DSCN1832.JPG
 峠下で4923Dと交換。

DSCN1842.JPG
 恵比島駅。朝の連ドラ「すずらん」のロケに使われた木造駅が今も残る。
 1999年から「SLすずらん号」が運転され多くの観光客でにぎわったこともあるが長くは続かなかった。

DSCN1863.JPG
 石狩沼田駅。今は棒線駅だが、駅舎は本線らしく堂々としたもの。地元客4人が乗車。

DSCN1869.JPG
 留萌自動車道が並行する。

DSCN1872.JPG
 秩父別は木造駅舎が今でも使われている。ただし無人駅。ここからも地元客4人が乗車。

DSCN1881.JPG
 木造駅の北一已は”きたいちやん”と読む難読駅。

JR北海道はいま様々な報道にあるように、相次いだ事故の対策や設備の老朽化対策など大変厳しい状況にある。
2015年6月にJR北海道再生会議がJR北海道に提出した『JR北海道再生のための提言書』によると、
「鉄道特性を発揮できない線区の廃止を含めた見直し、など経営全体について、聖域のない検討を行うことが必要」
という記載があり、今回の留萌〜増毛間についてはこの提言を受けた第一弾という格好になる。

JR北海道では最近輸送密度500人以下の路線を「ご利用が少ない線区」として収支状況を公表するようになった。それによると今回廃止区間を含め10区間が公表対象となっている。
また同提言書には、
「地元自治体や利用者の理解を得るべく〜中略〜日頃から、路線別の利用状況等の情報提供について積極的に行うべきである」
との記載があり、これを受けているとすれば、収支を公表する以上何らかの検討対象としているということであろう。

jr20151106.jpg
 JR北海道プレスリリース 2015.11.6平成27年度第2四半期決算についてにて公表された「ご利用が少ない線区」10区間。

毎年計上する多額の赤字も深刻になってきており、車両の老朽化置換えもそろそろ検討しなければならない時期に来ている。2016年3月のダイヤ改正では、普通列車約80本を減便する方針で、同時に利用の少ない9駅の廃止も進めるという。

 2015.09.30 JR北海道プレスリリース

「ご利用が少ない線区」には今回廃止を免れた深川〜留萌間も入っていて、数字だけ見ても留萌本線全線が残念ながら廃止への流れにあることは想像がつく。
残りの8区間についても、今のところ廃止の噂にとどまっているに過ぎないが、今後何らかの動きがあると見てまず間違いない。

報道によると、JR北海道は2018年度末には経営破綻状態になるとの試算もあるという。そうであれば経営改善まで一刻の猶予もなく、近い将来道内のローカル線は正念場を迎えることになるだろう。

DSCN1888.JPG
 終点深川に到着。同列車は深川駅で1時間停車し、929Dとなって旭川へ向かう。

DSCN1902.JPG
 札幌行「スーパーカムイ10号」が到着。4924Dからの接続も良いが、乗り継いだ乗客はほとんどいないようだった。

道内のローカル線の存廃については、今後はJRや地元の動きが活発化してくると思われる。
私は地元住人でもないし、頻繁に乗車する利用客というわけでもないので、とやかく意見をする資格は無い。ただ1鉄道ファンとして見届けるだけである。もっとも、そんな大層な意見も持っていないけれど。

今のうちに何ができることはあるのだろうか。せいぜいあるうちに乗りに行って(できれば乗車券を買って)、記念に入場券を買ったり、地元でお金を使うくらいのことだ。そして、今ある姿を記録すること。

われわれ鉄道ファンは考えなければならない。いま自分にできることは何なのだろうか、と。
「さよなら運転」に駆けつけて、ホームで大声を上げるだけでは芸がないではないか。

それでは最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

〜おわり〜
posted by pupupukaya at 15/11/08 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

石勝線夕張支線の普通列車に乗ってみた 1

石勝線といえば道央の札幌や新千歳空港と道東の帯広・釧路を結ぶJRの路線である。いわばJR北海道を代表する路線で、特急「スーパーおおぞら」や「スーパーとかち」が高速で駆け抜ける。

そんな石勝線にも細々とながら小さな輸送を行っている普通列車が走っている。今回乗車するのは、特急のルートである新夕張から夕張川とその支流である志幌加別川に沿って北上し、夕張に至る16.1kmの支線である。行止りタイプの短い盲腸線だが、名称は石勝線となっている。


石勝線夕張支線の位置。

この路線はもともと追分起点で終点の夕張までが「夕張線」と呼ばれていた。夕張線の歴史は古く、1892(明治25)年8月に北海道炭礦鉄道が岩見沢〜室蘭間の路線を開通させ、その同じ年の11月には追分から夕張までが開通している。
鉄道開通後は沿線に次々と炭鉱が開発され、駅から炭鉱までの支線や私鉄が伸びて行った。

夕張線は炭鉱の歴史でもあり、それは炭鉱とともに歩んだ栄光と衰退の歴史でもあった。
石炭は黒いダイヤとも呼ばれ、日本の主要産業として隆盛を誇った。それは石炭を基幹産業としていた夕張市を飛躍的に発展させることになる。最盛期には人口11万6千人、炭鉱も20鉱以上を数えた。鉄道は日夜産出される石炭を運ぶため、運炭列車が休みなく走り続けた。

そんな夕張も、1960年代後半からは石炭産業の衰退とともに炭鉱の閉山が相次ぐ。1980年代に入ると最後まで残った炭鉱も次々と閉山する。1990年に夕張最後の炭鉱、三菱大夕張炭鉱が閉山すると、夕張の石炭は終わりを告げた。主役であった運炭列車も1987年を最後に廃止されている。

DSCN0434.JPG

夕張の衰退とともに沈みかけた夕張線だが、1981年に石勝線が開通すると道央〜道東の新ルートとして生まれ変わることとなった。追分〜新夕張間は夕張線のルートが利用されたため、全線が「石勝線」に編入されることになり、新夕張〜夕張間も石勝線の一部となった。のちに特定地方交通線として多くの路線が廃止されても、ここは石勝線の一部として存続することになった。

現在の石勝線夕張支線は1両の気動車だけが細々と走るローカル線である。1日当たりの輸送密度は2014年度で117人(平成27年度第2四半期決算について【PDF/237KB】)。これは留萌線留萌〜増毛間、札沼線医療大学〜新十津川間に次いで3番目に少ない区間とされている。

そんな夕張支線の支援と輸送実態を見るべく列車に乗ってみることにした。12月中旬の月曜日のことである。

DSCN0011.JPG
 駅舎は教会風の夕張駅。

夕張駅は石勝線夕張支線の終点であり、夕張市の代表駅でもある。それにしては駅前はあっけない所だ。

隣はホテルマウントレースイがそびえ建つが、人影は見当たらない。ホテル以外で駅前で目につくものといえば、駅横にある『ゆうばり屋台村』それにガソリンスタンド、少し離れたところにセイコーマートの灯りが煌々としているのが見える。

夕張駅の駅舎は時計塔が目立つ北欧の教会風で、駅だけ見れば瀟洒な佇まいだが、駅だと知らない人が見たらホテルの施設だと思うだろう。
以前駅舎内にイタリアンカフェが入居していたが、諸事情から閉店となったものの、その場所は別なカフェに変わっていた。待合室には「夕張市観光案内センター」が入っているが、まだシャッターが閉まっている。
駅としては無人駅で、乗車券は売っていない。

DSCN0015.JPG
 駅から北側を見る。

夕張駅は昔からこの場所にあったわけではない。かつては今の位置から2.1kmほど奥にあった。そこから2度にわたり移転してきて今の場所は3代目ということになる。
初代の夕張駅は現在の石炭の歴史村公園入口のあたりにあった。この公園自体、かつてあった北炭夕張炭鉱であり、夕張駅はその出炭ヤードでもあった。市役所や商店街のある本町をかなり通り過ぎた場所であり、旅客にとっては不便だっただろう。

石炭列車が無くなると当然そこが終点である必要性が無くなる。もっと中心部に近い場所に駅を移設すべきとの意見が出るのは当然のことで、1985年に1.2km南側の市役所・市民会館裏に新駅を設置し、そこを終点の夕張駅とした。これが2代目夕張駅である。
新たな夕張駅はホームと貨車を改造して待合室とした簡素なものだったが、中心部や市役所に近くなり、利用者からも好評だったようだ。

そんな夕張駅だが、その5年後の1990年にさらに0.8km南側の現在地へ再移動することになる。

松下興産が既存のレースイスキー場を買収し、100億円以上投じてホテルの建設とスキー場の整備を行いリゾート施設として開業することになった。当時はバブル景気と呼ばれ、各地でリゾート開発が行われていた時代であった。
同社は千歳空港からスキー客を呼び込むためにホテルの前に新駅の設置を要望する。ここに途中駅を設置できればよかったのだが、急勾配の関係で無理とわかり、新駅を設置するには路線をカットし、レースイ前を夕張駅とするしかなかった。

この移転に際しては議会が紛糾するほどの議論になり、市民からもかなり反対があったようだ。
炭鉱から観光へ生まれ変わろうとしていた夕張市としても絶対に駅が必要であるとの考えが勝り、現在の3代目夕張駅が誕生した。

yubaristamap.png
 夕張駅位置の移り変わり。(地理院地図より作成)

DSCN0028.JPG
 朝焼けの向こうから1番列車の2621Dがやってきた。

6:50ごろ、ようやく明るくなってきた。駅舎の待合室はすでに灯がつき、人影が見える。始発列車の乗客だろうか。
無人駅なので駅員はいないし切符も売っていない。昔はキヨスクがあってそこで切符を売っていたが、そのキヨスクももうだいぶ前に無くなったようだった。

yuuticket.jpg
 かつてキヨスクで売っていた乗車券。

ホームで列車を待つ。気温はマイナス5度。ホームの屋根が無い部分は霜が被っている。今年の12月は異例の暖かさで、雪もまだうっすらとしか積もっていない。雪がない分、一層冷え込みがきつく感じる。

しんとしたホームに踏切の警音が聞こえてきた。やがて新夕張始発の2621Dが到着した。6:58着で、折り返し7:08発千歳行2624Dとなる列車である。

ドアが開くと女性客が2人降りてきた。まだ7時前とあっては回送列車同然で乗客ゼロと思い込んでいたので意外だった。
通院には早すぎ、札幌へ行くなら夕張駅には来ない。恰好から判断して通勤客だろう。

DSCN0034.JPG
 到着した2621D。折返し千歳行2624Dとなる。

DSCN0043.JPG
 車番と行先標。

一旦ドアが閉じられて、7:03頃再び前部のドアが開く。2人の乗客とともに乗り込む。私は乗車券を持っていないので整理券を取る。これが夕張から乗った証明になり、無人駅で下車するときは運賃と一緒に運賃箱に入れ、有人駅の場合は改札口で支払うシステムになっている。

発車間際にもう1人乗ってきて、私以外の乗客は3人になった。恰好は先ほど夕張駅で下車して行った人たちと似たり寄ったり。やはり通勤客なのか、それとも札幌など遠方まで行くのかわかりかねた。通学生の姿は無い。
1番列車の夕張始発のいつもの顔ぶれという感じでもあった。

DSCN0046.JPG
 夕張発車時の車内。わずか3人の乗客で発車。

DSCN0061-001.JPG
 乗車時に取った整理券。

夕張を発車して次の鹿ノ谷では早速高校生が乗ってきた。わずか5人だけだったが、まぎれもなく夕張支線の常連だ。
南清水沢まで2駅、わずか11分の乗車だがほとんどがボックスシートに納まる。車内は話し声も無く静かなままで、彼らにとっては毎日毎日変わり映えしない通学列車というところだ。

DSCN0056.JPG
 鹿ノ谷ではさっそく通学生が乗ってきた。

鹿ノ谷を発車してしばらくは市街地が続いていたが、次第に人家が無くなって志幌加別川の峡谷へと入って行く。
トンネルや鉄橋の脇には、廃線跡のようなトンネルや橋台が見えるが、これはかつて複線だったころの名残で、昔はいかに石炭輸送が盛況だったかを物語る。

夕張支線唯一のトンネル(稚南部トンネル)では25km/hの速度制限があって、列車はゆっくりと通過する。

DSCN0057.JPG
 志幌加別川の谷あいを行く。山影から遅い朝日が出てきた。

狭まった谷間も開けてきたところが清水沢である。鹿ノ谷から乗車した1人が下車した。高校生っぽい感じだが、ここから歩くのだろうか。乗客はゼロ。


DSCN0063.JPG
 清水沢駅に停車。

車窓は再び市街地が続く。次の南清水沢が近づくと車内の乗客は一斉に席を立ち、出口へと向かう。
南清水沢には夕張市内唯一の夕張高校があり、高校生は上り下りともこの駅の利用となる。
夕張駅から乗車の3人のうち2人はここで下車して行った。定期券を出していたので通勤客ということになる。

南清水沢からの乗客は2人あり、私を除いては3人となった。乗客はここでほぼ入れ替わったことになる。

kako-fJHsoCytBsW8blxK.jpg
 南清水沢で一斉に下車があった。

DSCN0068.JPG
 南清水沢駅横の踏切。下車客はそれぞれ散って行く。

南清水沢の発車時刻は7:22。下り列車の同駅時刻は7:59、バスの同駅付近のダイヤも8時前後に設定されており、あまりにも早い登校だ。バスより不便な鉄道を使うのは、通学定期運賃がバスと比べ格段に安いからだ。

高校生下車した車内は閑散としている。乗客の内訳は夕張からの1人、南清水沢からの2人、そして私となる。
この先、追分までは一応通学列車ダイヤということになるが、新夕張には学校は無く、追分駅のある安平町は胆振総合振興局ということになり高校の学区が違うため、夕張市内からの通学生はいないと思われる。

DSCN0075.JPG
 南清水沢からは車窓に農地も現れる。

沼ノ沢の乗降はゼロ。ただ、下り列車に乗る乗客だろうか、待合室のベンチには人影が見えた。

DSCN0078.JPG
 沼ノ沢駅に停車。乗降ゼロ。

DSCN0088.JPG
 2度目の夕張川を渡る。木々が霧氷でうっすらと白い。

沼ノ沢を発車して夕張川の鉄橋を渡ると左側から石勝線の線路が近づいてくる。まもなく新夕張に着く。駅手前ではポイントをいくつも通り過ぎ、広い駅構内に入線する様を見るとそれなりに主要駅に見える。

新夕張到着は7:31、南清水沢からの1人を残して全員下車、入れ替わりに3人が乗車するとすぐに発車して行った。

DSCN0092.JPG
 新夕張に到着。

すでにこの時間から新夕張駅の営業は始まっていて窓口も開いている。
改札口で夕張からの運賃360円を整理券と一緒に渡す。

DSCN0095.JPG
 電光掲示の発車案内もある新夕張駅。

新夕張駅は夕張市の実質的な代表駅だろう。特急「スーパーとかち」、「スーパーおおぞら」が上り7本、下り8本が停車する。札幌へは最速59分で結んでいる。

みどりの窓口でこれから乗る夕張までの往復乗車券と、夕張までの片道乗車券を買う。これで夕張へ戻り、また夕張から新夕張までもう1往復しようというものだ。

DSCN0141.JPG
 新夕張駅で買った乗車券。フリーパスと違い乗客数としてカウントされるはず。

DSCN0100.JPG
 新夕張駅の改札とホームを結ぶ地下道。

こんどは新夕張7:48発の2623Dで夕張へと向かう。


posted by pupupukaya at 15/12/27 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

石勝線夕張支線の普通列車に乗ってみた 2

こんどは改札口で切符に改札印をもらってホームへ行くが、まだ誰もいない。
しばらくすると1両の列車が入ってきた。下車客はゼロ。

到着時の車内の乗客は5人。うち3人は高校生であった。滝ノ上からの通学生だろう。あとの2人(私含めると3人)は終点夕張から折り返し乗車していたのでおそらく試乗目的と思われる。

DSCN0110.JPG
 追分発夕張行2623D。主に滝ノ上からの通学列車。

DSCN0112.JPG
 車番と行先標。

新夕張では7分の停車となる。この駅で交換や接続する列車は無いのですぐに発車しても良さそうなものだが、時間調整も兼ねているのだろう。先に発車した上り2624Dとは十三里で交換している。
2624Dの時刻をもう少し繰り下げて新夕張で双方交換すれば良さそうなものだが、石勝線が特急優先のダイヤのためそうもいかないのだろう。

停車中に1人2人と乗ってきて、新夕張からの乗客は10人、全員が高校生のようだ。僅か15人の乗客数だが、すべてのボックスに1人ずつ座っているので見た目にはまずまずの乗車率だ。

kako-BkLYpIdMQG6O4Te4.jpg
 新夕張発車時の車内。

夕張支線の沿線には夕張高校が1校あり、南清水沢駅が最寄りとなっている。同校の生徒のうちJR利用は35人(道新2015.6.27より)ということだ。
夕張市内の高校は、鹿ノ谷に夕張北高校と夕張工業高校、南清水沢に夕張南高校と3校あったのだが、1994年に夕張北高が閉校、夕張工業から改称した夕張緑ヶ丘実業の2校となる。2003年には夕張緑ヶ丘実業が閉校、夕張南は夕張高校となり現在に至っている。

次の沼ノ沢では8人の乗車があった。うち高校生は5人、一般客は3人である。デッキに立つ人も現れたが、これは次の清水沢で降りるために相席を嫌ってのこと。次の清水沢までは距離にして4km、夏ならば自転車通学も可能だ。

DSCN0122.JPG
 沼ノ沢駅に到着。夕張への通勤客と南清水沢への通学客が乗り込む。

DSCN0124.JPG
 新しいスクールバスも走っていた。南清水沢付近。


DSCN0130.JPG
 南清水沢で乗客が入れ替わる。1面1線のホームはしばし賑わう。

夕張高校の最寄駅である南清水沢では高校生が一斉に席を立った。18人が下車する。入れ替わりで乗車したのが6人、全員が地元の一般客である。
車内では「おはようございます」の声がいくつか聞こえた。数少ない列車に乗り合わせるいつもの顔ぶれなのだろう。

次の清水沢では3人が乗車、ここでの車内の乗客は15人となった。
通勤列車ながら車内はあちこちで話し声がする。
今日は月曜日だが「明日から3連休で」など。今日は月曜日だが、勤務先のシフトの話らしい。

kako-NIghnW25julKjz6j.jpg
 清水沢〜鹿ノ谷間の車内。いつもの通勤客といった顔ぶれ。

鹿ノ谷では乗降ゼロ。終点の夕張までは1.3kmではわざわざ列車通勤の人はいないだろう。
通勤客は沼ノ沢〜清水沢から終点夕張までの利用だった。

DSCN0144.JPG
 終点夕張駅が近づく。

DSCN0147.JPG
 終点夕張に到着。どの人も足早に出口へと向かう。

DSCN0150.JPG
 人数は少ないながらも朝のラッシュを迎える夕張駅。

8:17着、夕張駅はちょっとした通勤ラッシュとなる。といっても1両の乗客十数人が出てくるだけなのだが。

列車を降りた人が向かう先は大きく3つに分かれていた。1つは道道を北方向へ歩いて行く人。2つ目は駅向かいのバス停で待つ人。これらの人はいずれも本町まで行く人たちだろう。それにしてもバスに乗換える人がいるのも意外だった。これは夕鉄バスの運賃の高さから、安いJRで夕張駅まで来てということなのだろう。

3つ目はホテルマウントレースイの通用口へ向かう人たち。これは確実にホテルへの通勤客である。ホテルに向かう女性通勤者はみんな大きな手提げ袋を持っている。ユニフォームでも入っているのだろうか。

DSCN0154.JPG
 下車客はそれぞれの方向に歩いて行った。

さて、夕張での滞在時間は13分。こんどは折返しの8:30発追分行に乗車する。
夕張始発時の乗客は私含め4人でうち地元客は1人だけ。通勤通学時間も終わり、追分へ戻るだけの回送列車のようなものだ。すっかり日が高くなって明るくなった。こんどは車内観察よりも車窓を楽しむことにしよう。

DSCN0166.JPG
 夕張駅車内の小ぶりな待合室。夕張市観光案内センターも入っている。

DSCN0169.JPG
 夕張駅の時刻表。1日9往復だが追分止まりの列車が多い。

炭鉱のあった1980年代までは夕張市内はどこも炭住と呼ばれる木造の長屋が並んでいたが、閉山後は炭鉱会社から市に移管されて市営住宅となった。近代的な改良住宅への建て替えが進み、昔ながらの木造の長屋は今ではほとんど姿を消した。
少なくとも車窓からでは炭鉱のイメージを感じるものは見つからない。

鹿ノ谷手前で志幌加別川の鉄橋を渡る。清水沢で夕張川に合流するが、夕張支線は途中で4回もこの川を渡る。
明治・大正期に建設された鉄道はといえば、とにかくお金のかかる鉄橋やトンネルを避けるのが常で、それがために崖っぷちに敷設されてしまった路線も多く、のちに災害線区として対策に悩まされることになる。
それに比べると同時期に建設された夕張線は非常に贅沢な設計であったといえる。その当時から石炭の大量輸送を想定していたのかもしれない。

DSCN0183.JPG
 夕張〜鹿ノ谷間で志幌加別川を渡る。横に鉄橋跡が残るのは複線時代の遺物だろうか。

鹿ノ谷はかつてここから函館本線の野幌まで夕張鉄道があり、その接続駅だった。
今は線路1本、ホーム1面だけの無人駅。その割には堂々とした大きい駅舎がその名残でもある。駅の反対側の広い空地は、たくさんの側線が並んで、夕張鉄道のホームがあり跨線橋で結んでいた。

鹿ノ谷から1人乗ってきた。

DSCN0194.JPG
 列車後部の窓から。鹿ノ谷〜清水沢間。

鹿ノ谷から清水沢までは6.6kmあって、夕張支線では一番駅間距離が長い区間となる。
しばらく右側に街並みが続く。
夕鉄バスターミナル、平和運動公園といった施設が見える。車窓からは見えないが、「幸福の黄色いハンカチ想い出広場」もこの付近にある。鹿ノ谷から約2kmあり、この付近に新駅設置を望む意見もあるようだ。

市街地が終わるとだんだん谷が狭くなってくる。
突然駅でもない場所で列車のスピードが大きく落ちる。この先の稚南部(わかなべ)トンネルが25km/hの徐行箇所となっているためだ。徐行は2013年2月から行われ、トンネル老朽化と路盤劣化による措置となっている。

DSCN0207.JPG
 メガネトンネルの稚南部トンネル。片側は複線時代に使用されていた。

トンネルを抜け、清水沢までは志幌加別川の狭い谷間を道道夕張岩見沢線と並行して走る。
谷間が広がったところに清水沢駅がある。

DSCN0373.JPG
 清水沢駅も運炭列車の始発駅だった。交換設備は撤去され、今は無人駅となった。

清水沢は南部方面へ運炭鉄道の三菱石炭鉱業大夕張線が分岐していた。1日3往復ながら旅客列車も運転されていて、冬は車内でダルマストーブを焚いて走っていたなど話題にもなったが、1987年に廃止になっている。
ホームと駅舎が離れているのは、かつてはこの間に側線があって石炭を積んだ貨物列車が行き来していた。
古い駅舎や駅前商店街が残っていて、夕張支線では唯一、元炭鉱町であった頃の面影を車窓から見ることが出来る。

shimizusawa.jpg
 2002年頃の清水沢駅。腕木式信号機が最後まで使われていた。

清水沢駅は石炭輸送終了後も、2004年3月までは交換設備が残り、タブレット交換や腕木式信号機が遺されていた。1線のみの棒線駅になっても、2015年9月30日までは駅員が常駐していて乗車券を売っていたが、今は無人駅になっている。

清水沢からの乗車は2人、降車はゼロ。

DSCN0225.JPG
 2人の乗車があった清水沢駅。簡易委託駅で2人とも南清水沢発の乗車券を持っていた。

清水沢を出るといったん町は途切れるがすぐに南清水沢に着く。清水沢から1.5km、この程度ならば徒歩圏内だし実質一つの町と考えても良い。
夕張市の人口のうち3分の1強がこの清水沢地区住民となっている。駅向かいはスーパーマーケットがあり、少し離れた所にはホームセンターが新たにできた。市内の学校のうち小中高すべてがこの地区にあり、夕張市の実質中心ともいえる。

清水沢からの乗車は2人、降車はゼロ。
ここまでの乗客は9人(私含む)、うち地元客は6人ということになる。

DSCN0227.JPG
 清水沢を出ると、夕張唯一のホームセンターも見える。

DSCN0243.JPG
 沼ノ沢〜新夕張間の車内。

南清水沢を過ぎると夕張市の市街地は終わり、夕張川の鉄橋を渡ると、車窓は農地の風景になる。今は一面雪が覆っているが、夏場は今や一大ブランドとなった夕張メロンの主産地となるところで、これは夕張市一番の稼ぎ頭であろう。
線形も良くなり、列車も線内MAXの85km/hで軽快に走る。

次の沼ノ沢では乗降ゼロ。

DSCN0234.JPG
 夏はメロン畑となりビニールハウスが並ぶ。

DSCN0241-001.JPG
 夕張川を跨ぐ石勝線が見えてくる。

DSCN0244.JPG
 数々のポイントを渡って新夕張駅に到着する。

新夕張着8:54、この列車は追分まで行くが、9人の乗客は全員下車した。新夕張から乗ってくる客は無い。
9:01発帯広行「スーパーとかち1号」はすぐの接続になる。試乗目的と思われる人たちはそちらに乗り継いだようだ。

私は9:05発の2629Dで夕張へ戻ることにする。


posted by pupupukaya at 16/01/09 | Comment(0) | 北海道ローカル線考
Powered by さくらのブログ