列車が来ないまま廃線となる根室本線2駅

昔の時刻表を引っ張り出してきて根室本線のページを見ますと、ずらりと優等列車が並んでいます。
特急『おおぞら』から急行『狩勝』まで。
普通列車の夜行『からまつ』なんてのもあります。

それは1980年8月発行 交通公社の時刻表の根室本線のページ。

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 国鉄監修交通公社の時刻表(1980年8月発行)より。

石勝線開通はこの翌年の10月。
札幌から帯広や釧路へ向かう特急・急行列車はすべて滝川から根室本線を通っていた頃。

下り列車だと特急『おおぞら』が定期3本臨時1本、昼の急行『狩勝』が定期3本臨時1本、それに夜行の『狩勝』1本。
8月の繁忙期だと臨時列車を含めて優等列車が1日9本も走っていたのだから、道央と道東を結ぶ大動脈ということが伺えます。

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 国鉄監修交通公社の時刻表(1980年8月発行)より抜粋。

夜行列車も全車指定の急行『狩勝』と、普通列車ながらB寝台車も連結した『からまつ』の2本が運行していました。
札幌〜釧路間だと特急でも6時間前後もかかっていたので、夜行列車の需要も多かったのでしょう。

しかし、1981(昭和56)年10月の石勝線開業によって、道央と道東を結ぶ運行系統はガラリと変わりました。
特急3往復と昼の急行1往復、それに夜行急行は石勝線ルートに変更されます。
急行2往復は従来通り根室本線経由として存続することになりましたが、滝川〜新得間は特急ルートから外されてしまいます。

この石勝線の効果はすばらしく、札幌〜帯広・釧路間の所要時間は1時間近く短縮します。

一方で根室本線経由で存続となった『狩勝』2往復は従来通りグリーン車と指定席車も連結し、特急『おおぞら』を補完する役割だったようですが、札幌〜帯広間の所要時間は特急が3時間台なのに対し、こちらは4時間台。

座席も当時の急行列車標準だった狭いボックスシートとあっては、よほどの繁忙期でもない限りは急行『狩勝』を乗り通す人は少なかったことでしょう。

特急『おおぞら』が増発されるごとに急行『狩勝』の編成は減らされ、1985年には自由席だけの3両編成に。
私はその頃の『狩勝』に乗ったことがあって、たしか1986(昭和61)年の秋の連休じゃなかったかな。
帯広から札幌まで『狩勝4号』の乗車でしたね。

帯広から乗った車内はガラガラ。車両は木製の床が特徴のキハ56。
それでも車内販売があって、弁当を買って食べた。
池田駅の駅弁『あきあじ弁当』だったなあ。
その駅弁は妙にタケノコばかりの弁当だったこと、帯広新得間は最高速度95km/hでやたら飛ばす急行だと思ったことえを覚えている。

富良野でたくさん乗ってきて、そこから札幌までは混んでいました。
連休なのでたぶん札幌からの日帰り旅行客だったのでしょう。
まだ道央自動車道も札幌〜岩見沢間だけだった頃。

1986(昭和61)年11月に行われた国鉄最後のダイヤ改正で多くのローカル急行が廃止されましたが、『狩勝』は1往復存続することになりました。

下は『狩勝』1往復時代の時刻表です。

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 弘済出版社道内時刻表(1988年7月発行)より抜粋。

最後の『狩勝』はキハ56の2両編成。
道東への優等列車の一員だった頃の面影はなく、どう見てもローカル急行という姿です。

しかしローカル急行に似合わず意外と俊足で、下り列車は札幌〜帯広間を4時間6分で結んでいます。
函館本線内も、気動車化されたキハ400形急行『宗谷』にも劣らない走りっぷりでした。

でも、札幌から乗り通す乗客はほとんどいなかったでしょう。運行時間帯からして、富良野や芦別への観光列車という位置づけで存続していたのかも知れません。

そんな『狩勝』も1990(平成2)年9月、札幌〜帯広間特急『とかち』新設と引き換えに快速列車に格下げとなります。
札幌〜富良野間は季節運行ですが『フラノエクスプレス』があるので、観光列車としての役割も終わったとのことなのでしょう。

富良野〜新得間は快速と普通列車だけの運行となり、旭川〜帯広間の都市間輸送が細々と残るほかは、富良野への地域輸送がメインというローカル線となってしまいます。

それでも、この頃は石勝線の輸送障害が起きた際の代替ルートと考えられ、それなりに重要路線となっていたのではないでしょうか。
実際石勝線の高速化工事のために夜行『おおぞら』が根室本線を迂回運転で通っていたことがあります。
また、1997年までは東鹿越駅から中斜里駅へ向けて、石灰石の貨物列車が運行していました。

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 どこか幹線時代の面影を残す山部駅の出発信号機(2013年8月撮影)

1994年から旭川〜帯広間を土休日運転の臨時快速が1往復運転されるようになり、帯広行が『ホリデーおびひろ』、旭川行が『ホリデーあさひかわ』を名乗っていましたが、これも2003年の運転が最後となっています。

あとは青春18きっぷ等所持者が道東方面へ向かう際のルートでしょうか。
石勝線の新夕張〜新得相互間に限り18きっぷ等での特急乗車を認められていますが、こちらは普通列車との接続の悪さもあって根室本線経由よりも有利ではなかったこともあります。
日本最長距離の普通列車、滝川発釧路行き2429Dなんてのもありましたから。

かつて特急列車が走り抜けていた幹線だった路線も、1両のローカル列車が細々と走る路線になってしまいました。

下はそんな頃の落合駅。
今から10年前の画像になります。

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 落合駅の木造駅舎(2013年8月撮影)

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 落合駅ホームと滝川行2436D(2013年8月撮影)

落合駅の3番ホームで発車を待つキハ40形の滝川行。
根室本線には、なぜか昔から狩勝峠を越さずに落合駅で折り返す普通列車が1本ありました。

この当時は、普通列車といえば滝川から釧路まで『釧クシ』の標記がついたキハ40オンリー。
現代の2023年になれば近いうちに絶滅危惧種にもなろうという勢いで数を減らしていますが、この頃はどこへ行ってもキハ40に当たるので少々うんざりしたことも。

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 わずか1人2人の乗客を乗せ発車を待つ(2013年8月撮影)

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 落合駅を発車するキハ40(2013年8月撮影)

根室本線は2016年8月、台風10号の大雨により甚大な被害を受けます。
特に被害が大きかったのが東鹿越〜新得〜芽室間。

そのうち特急が通る新得〜芽室間は復旧しましたが、東鹿越〜新得間は復旧に要する多額の費用と復旧して運行再開しても多額の赤字が見込まれることから復旧工事を行いませんでした。
被災後は、富良野〜東鹿越間は列車の運行を再開しましたが、東鹿越〜新得間は代行バスによる運行が続いています。

その後、何度かJR北海道への支援を含めた復旧への動きもあったようですが、結局費用負担がどこも難しいという結論に達し、沿線自治体は鉄道存続は断念せざるを得ないという結論となりました。

2023年3月31日、JR北海道から国土交通大臣宛に鉄道事業廃止届が提出され、1年後の2024年3月31日の営業を最後に廃止されることが決まりました。

 * 根室線(富良野・新得間)の鉄道事業廃止届の提出について
    2023.03.31 2022年度 | ニュースリリース | JR北海道より

富良野〜東鹿越間は今でも列車の運行がありますが、東鹿越〜新得間は日高本線鵡川〜様似間同様に列車の運行が休止したままの廃線となります。

続いてはまだ列車が来ていた頃の幾寅駅の画像。

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 映画撮影用に『幌舞駅』の看板が掲げられた幾寅駅(2013年8月撮影)

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 昭和レトロ風に復元された駅舎内(2013年8月撮影)

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 ホームの『札幌方面』の表示は急行停車駅時代の名残(2013年8月撮影)

こちらは上画像の翌日に撮影した朝の幾寅駅です。

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 朝の幾寅駅に上り一番列車(2424D)が到着(2013年8月撮影)

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 通勤客が乗り込む朝の風景(2013年8月撮影)

幾寅駅から朝の上り一番列車に乗り込んで行ったのは6人の通勤客。
この時は夏休み中とあって通学生の姿はありませんでした。

たった1両の列車ですが、南富良野町の人々からすれば、町に朝を運んでくる列車でもあったことでしょう。
こんな山間の町の風景も、突然の災害以来もう二度と見ることができない風景となってしまいました。

こんなことはJR北海道だけの話かと思っていましたが、2022年8月の豪雨以来不通となっているJR東日本の津軽線、蟹田〜三厩間も復旧をあきらめてバス転換するという話も出ています。

赤字ローカル線でも、当面廃止の話はないからいずれ乗りに行こうとか撮りに行こうと思っているうちに災害で不通になり、そのまま廃線になることも十分ありうる時代になりました。
これは道内だけでなく、全国どこでも例外なくということになるのでしょうか。

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 幾寅駅ホームから発車する列車を見送る(2013年8月撮影)

私が一昨年(2021年)の7月に乗りに行ったときは、夕方の下り列車でしたけど地元客以外の乗客は私1人だけ、東鹿越からの代行バスの乗客も全員幾寅で下車し、幾寅〜新得間の乗客は私1人だけになったものでした。
あまりの閑散ぷりに、この線の存続はやっぱり無理だろうなあと実感したものです。

ま、ここも廃止が決定したことで、名残り乗車客で混むようになるでしょうね。
札幌からでも旭川からでも一日散歩きっぷの区間内ですし、一大観光地富良野もあることから、休日などかなりの賑わいを見せるのではないでしょうか。

廃止と聞くと乗りに行きたくなるのは誰だって同じ。
まだ1年近くあることだし、私もあと1回くらいは乗り鉄としてお邪魔するかも。

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 かなやま湖の鉄橋を渡る滝川行2434D(2014年5月撮影)

留萌本線の石狩沼田〜留萌間が3月31日を最後に廃止となりましたが、残る深川〜石狩沼田間も2026年3月をもって廃止が決定しています。
これでJR北海道が廃止を提示していた輸送密度200人未満の線区についてはバス転換という形で片付くことになります。

また、函館本線の山線区間である長万部〜倶知安〜小樽間も、2030年度末予定の北海道新幹線札幌開業を待たずして廃止となることが決定しています。

新幹線の並行在来線となる函館本線の函館〜長万部間の去就はまだ決定していませんが、新幹線アクセス鉄道となる函館〜新函館北斗間を除いては、少なくとも旅客列車は廃止となりそうです。

それでも北海道には、花咲線、釧網線、宗谷線、石北線など、魅力のある路線がまだ残ります。

しかしこれらもある日突然災害によって最後となる日が来るかも知れません。
廃止予定はなくても、突然の災害によって不通になり、復旧することなく廃線となることも十分ありうることで。

廃止反対運動をしても、何千人もの鉄道存続を願う署名を集めても、費用負担の問題を解決できない以上そんなもの届くはずもありません。

普段は見向きもしないくせに、廃止となると反対運動を始めたって手遅れだよ。
今のうちにできることといえば、あるうちに乗っておくくらいしかないようで。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。   

posted by pupupukaya at 23/04/02 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

列車は来ない跨線橋と廃止日が決まった日高線について

日高本線の鵡川〜様似間が災害で不通になってから早や5年。
ご存じの通り、今年(2020年)の10月にJR北海道と沿線自治体の協議がまとまり、同区間の来年11月1日の廃止が決定しました。

さらに12月28日には廃止日を繰り上げることが国土交通大臣より認可され、これにより鉄道事業廃止は2021年4月1日(最終日3月31日)となることがほぼ確定のようです。

【ソース】
 * ●鉄道事業の一部廃止届に係る廃止の日の繰上げの是非の通知について
 (2020-12-28 北海道運輸局ホームページ プレス情報)

鵡川〜様似間が廃止になるのは残念なことですが、これによってJR北海道と沿線自治体の平行線状態が解消し、ひとまず区切りがついたことになります。
一方で、日高地方に相応しい交通体系を再構築する節目にはなるのではないでしょうか。

  ★  ★

それはそれとして、日高本線といえば今年の5月に仕事で静内へ行った際に見つけ、そのままにしていたものを思い出したのでご紹介します。

それは下を列車は通ることがないだろうという跨線橋

場所は静内駅から西側へ約300m、新たに開通した本町通りから静内駅裏側の海岸町を結ぶ道路として建設されたようです。
その道路にT字路で接続した、新たな跨線橋が出現していました。

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静内駅の西側に作りかけの道路があったのは知っていましたが、いつの間にか開通していた模様。
本町通りと言って、静内駅から木場町のショッピングモールやその先のイオンへの近道ができたことになります。

静内駅から、その新しい本町通りの坂道を登った先にその跨線橋はありました。

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橋の長さは複線分の空間を確保。なかなか立派なものですね。
奥側の引き込み線は跨線橋の手前までしか使われていなかったようですが。

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橋はできてもまだ通行止め。
地元の人は歩いて通っていたけど。

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反対側の道が整備されてから正式に開通するようですね。

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下を列車が通ることがない跨線橋。その名は『汐見跨線橋』。

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『JR日高線』のネームプレートも誇らしげ。

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橋の上からは静内駅構内を一望できる。
右側の引き込み線には、毎日昼頃に本線から退避したキハ40が留置されていたのを思い出しますな。

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昔は苫小牧機関区の支区が置かれ、コンテナ基地も併設されていたこともあって広い構内を持つ。

ここから列車の走る姿を撮影するには良いスポットですね。
わたしゃ撮り鉄ではないけど。

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こちらは静内駅とは反対の新冠駅方向。
画像中央に営林署踏切が見える。この跨線橋が正式に開通したらあの踏切は廃止(?)されるのでしょうか。

現地に行ったのは5月のことだったので、まだ廃止決定ではないものの、廃止間違いなしということは誰の目にも明らかでした。

無駄なものを作るなと思うところでしょうが、こういうのは都市計画の一環として何年も前から計画されていた事業で、たまたま日高線の被災と廃止という憂き目が重なったことになるわけで、まあ残念といったところでしょうね。

以上が列車の通らない新跨線橋、汐見跨線橋でした。

   ★ ★

静内駅まで来たので、ついでに駅の画像を少し。

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静内駅の駅舎は2001年に新築のもの。観光情報センターと道南バスターミナルも併設する。
手前のJRバスは様似から来た列車代行バス。

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駅舎の脇から見た汐見跨線橋。
残念ながら本来の跨線橋としての役目を果たすことは無いでしょうねえ(5月時点の感想)。

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使われていないのに不思議と草1つ生えないホーム。
2番ホームの上屋の屋根はいつの間にか撤去されていました。

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こちらは駅の入口。
中はバスターミナルと一緒になっているんですが外見は別っぽくなっている。

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駅なので改札口とみどりの窓口もありますよ。
ちなみに入場券を買うと改札口からホームに入れてもらえます。

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自動券売機もあるが、こちらは発売停止中。

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近距離きっぷ運賃表。
苫小牧まで鵡川乗り換えで2,100円。1日3往復の道南バスだと直通で1,500円。
鉄道廃止後は道南バス路線の強化となるんでしょうかね。現在の路線も勇払以外は日高線と並行しているし。

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木造駅舎時代から続いている立ち食いそば屋(駅そば)にしや。

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列車代行バスのバス停。
これが見られるのも来年3月いっぱいまで。

(上記画像は全て2020年5月某日筆者撮影)


 ◆ 日高本線 鵡川〜様似間の鎮魂歌

日高線鵡川〜様似間の廃止まであと3か月とちょっと。
とは言っても、5年も前から列車は来なくなって、線路は事実上廃線跡状態なので、廃止と言っても書類上だけのもの。

廃止日が近づいても、当然お別れ列車も無し。
変わることと言えば代替バス路線が再編成されることと、青春18や1日散歩などのフリーきっぷで来られなくなるくらい。

汐見跨線橋に話を戻しますが、廃止後に本来の跨線橋の役目を与えるたった1つの方法を思いついたんですが、静内と新冠の間の線路を観光用のトロッコ鉄道にするというもの。

海沿いなので景色も良いし、国道235号線が並行しているので管理もしやすいんじゃないかと思うんですがどうでしょうか。

自治体主体の運営とすると、線路が新ひだか町と新冠町に跨るとかという問題は出てきますが。
ま、あくまでひとつの例えではありますが。

  ★  ★

日高本線に限ったことではありませんが、鉄道の廃止となると決まって出てくるのが、交通弱者ガ〜とか、観光客が減るとか、路線図から町名が消えるとか、往生際の悪いネガティブキャンペーンの反対運動。

もうひとつは、役目を終えた過去の遺物とか、赤字垂れ流しで維持するのはけしからんといった論調で、ローカル線は積極的に廃止すべき、廃止は当然といった論理を展開するだけの人。

どっちにしてもネガティブな主張でしかなく、もういい加減にしてほしい。
誰も鉄道が廃止になることを望んではいませんよ!

どこも存続できるものならば存続させたいと模索してるんです。

その上で為す術もなく、廃止やむなしとなってしまうのは、もう仕方のないこと。

そんなことより、廃止後は駅などの資産を譲り受けて鉄道遺産として保存しようとか、跡地を整備して観光拠点にしようとか、新たな交通拠点として整備しようとか、前向きな意見を言う人の方がわたしゃ好きですね。

それで言うと増毛町の旧増毛駅なんて成功した例でしょうね。
廃止後にJRから駅舎の無償譲渡を受けて開業当時の姿に復元。
現在は増毛町観光の拠点として、現役当時より賑わってますものね。

ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の旧足寄駅や旧本別駅、旧陸別駅は道の駅として生まれ変わり、また陸別町は観光鉄道として残すなんてこともやって頑張ってますよね。

それとは反対に、江差町の旧江差駅は撤去後に町営団地として整備され、旧駅前広場とモニュメントだけが駅があったことを伝えるだけとなっていますが、新たな町づくりの結果とすれば、それはそれでありだとは思います。

鉄道廃止イコール終わったと考えるか、これを節目として新たな再スタートとするか、その結果は数年後に期待したいと思います。

以上日高線鵡川〜様似間廃止日決定を知って思うことでした。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 20/12/30 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

札沼線のラストランは自宅で見送ろう

2020年5月6日を最後に廃止となることが決まっている札沼線 北海道医療大学〜新十津川間
私が最後に乗車したのは去年(2019年)の10月12日、臨時列車運転の時だった。
あれから、もう1度くらい乗りに行こうかなとも思っていたが、なかなか重い腰が上がらず、そうこうしているうちにこんな情勢になってしまい、もう乗りに行く気はない。

その理由は新型コロナウイルスである。政府あたりは当初春くらいには終息するようなことを言っていたし、私も含め誰もがそう思っていただろう。ところが4月になり、これからが感染拡大の本番となってきている。
政府は4/7になり、ようやく4都府県に緊急事態宣言を行った。5/6までの効力になる。

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 2020/4/12夜現在の感染者数推移グラフ
 (データとグラフで見る「新型コロナウイルス」|日テレニュース24より引用)

そんな中、JR北海道のHPに4/3付のニュースリリースで、『札沼線 石狩当別〜新十津川間の運転計画について』という記事が掲載された。
新型コロナウイルス感染拡大の予防対策として、ゴールデンウィーク中の5/2(土)〜5/6(水)は石狩当別〜新十津川間の全列車を指定席にするというものだ。

空調もなく窓を開けない限り換気も悪い気動車に満員の乗客を乗せて1時間以上も走るというのは、まさに『換気が悪く』『人が密に集まって過ごすような空間』『不特定多数の人が接触するおそれが高い場所』という3つの条件を満たしてしまい、クラスター(集団)感染リスクが大変高くなる。

しかし、列車は指定席としても、直接駅へラストランを見送りに来る人たちもいるわけで、新十津川駅の狭い駅舎やホームが人であふれることもありうるわけで、どうするんだろう。
この時勢で、まさか駅頭で廃止イベントを行うなんてことはしないと思うが、それでも道内外から葬式鉄が駆けつけてくることは想像に難くない。

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 ホームや駅舎が狭く、密集・密接は避けられない(2019/10/12新十津川駅)

また指定席はみどりの窓口での発売となるのなら、例によってネットオークションに不当な価格で出品する、いわゆる転売ヤーというのがまた出てくるんだろうなとも思っていた。

昨日(4/11)から札沼線では浦臼止まりの列車が1往復新十津川まで延長され、土日祝は1日2往復体制となる。乗客も分散されて混雑も緩和されるのだろうが、1箇所に大勢の人が集まることには変わりがない。

以下のリンクはどうしん電子版の記事。UPされた画像を見るとマスクをしていない人も多いようだ。



今週末から臨時の延長運行も始まり、着々と運行最終日に向かっている一方でこんな記事も出てきた。


JR北海道は営業最終日を5/6から4/25(土)に前倒しする検討を始めたということである。

 〜以下同記事の一部引用〜

“大型連休中に道内外の鉄道ファンが沿線に押し寄せ、新型コロナウイルス感染拡大の危険性が高まることを避けるため。最終列車の乗客は沿線の4町民限定にする方向で調整する”

最終列車は沿線4町民限定とし、運転日は4/26とするか5/6とするかはこれから検討することになるということだ。

 〜以下同記事の一部引用〜

”連休中は鉄道ファンが沿線駅に車で駆け付け、列車を撮影したり、駅舎に集まったりすることも予想され、JRは全席指定にするだけでは、感染拡大を防ぐことは困難とみて、最終運行日前倒しの検討に入った。”

ラストランは静かに、せめて地元住民だけは最後のお別れ乗車をさせてあげたいということはよくわかる。
ところが『道内外の鉄道ファンが』というあたりが一番懸念されるところ。

列車の乗客は地元招待客だけとしても、ラストランを見送りに駅やホームに大勢の人が集まる。沿線には大勢の撮り鉄がやって来る。
緊急事態宣言の都府県からもやって来るのだろう。『不要不急の旅行は控えて』と政府は言っているが、強制力は全くないので来るのを拒むことはできない。(彼らは不要不急ではないと言い張るのかも知れない)

いや、そんなことより沿線4住民限定の最終列車も中止すべきではないだろうか。
現在は大から小まで、ありとあらゆるイベントや集まりが中止となっている。今年は札幌のYOSAKOIソーランも中止になった。個人でも、冠婚葬祭ですら中止したり少人数で済ましたりしなければならないほどだ。

乗客は4町民限定とはいえ、人が集まる以上簡単ながら催しがあるはずで、そのために乗客以外の人が大勢集まることになる。駅前に仮設テントを建てて関係者の挨拶くらいはするのかもしれない。
沿道には道内外から撮り鉄が大勢やってくることも考えられる。

4月25日をもってスパッと終わり。いや、もう1日前倒しして24日金曜日が最終でいいのではないか。
廃止に先立って、4/1からすでに代替バスの運行が始まっている。一般の利用客はそちらにシフトできるので、最終日が早まっても困ることはないと思われる。

新型コロナウイルスは東京都での感染者が急激に増加している。緊急事態宣言の出ている大阪や愛知などでも感染増加が始まっている。北海道でもしばらく収まっていたが、再び増加傾向が始まっている。
その上に、最終列車運行イベントでクラスター感染なんてことになったらどうするのか。
都会から持ち込んだウイルスで、農村地帯のじいちゃんばあちゃんを殺す気か。

もうやめよう。
もう終わったんだ。代替バスもすでに運行している。もういっぺんくらい名残に乗っておきたかった人もいるだろうけど、それを今やらなきゃならないことなのか。自分くらいはという小さな欲のために、自分だけではなく他人の命を落とすことだってありうるのだ。
新型コロナウイルスを甘く見てはいけない。

ゴールデンウィークに最後の札沼線に乗ろうと思っていた人も多いだろう。せめてお別れに行きたいと思う人も多いだろう。
私だってそうです。

でもやめよう。本当にやめよう。

せめて留萌本線増毛駅の最終日のようにニコ生あたりで中継をやってくれれば、自宅で最終列車を見送れるのだが。

札沼線の最終列車は、自宅で、心の中で見送ろう。

私ごときがこんなことを主張するのは身の程知らずとは重々承知の上ですが、一刻を争うようなコロナウイルス感染急増とあって、あえて主張させていただきました。

最後に過去に撮影した札沼線の画像をいくつか貼って札沼線とのお別れとさせていただきます。

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 新十津川駅で発車を待つ3往復時代の最終列車(2016/3/23)

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 片手で数えられる程が毎日の乗客。新十津川行5433D(2016/3/23)

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 南下徳富〜下徳富間。一面穂波の長閑な車窓(2016/10/2)

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 コスモスの花が揺れる新十津川駅ホーム(2016/10/2)

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 1日1往復の最終列車は園児たちに見送られ(2016/10/2)

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 またきてね(2016/10/2)

合掌。

posted by pupupukaya at 20/04/12 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

日高本線全線復旧が難しい裏事情

日高本線は2015(平成27)年1月に発生した高波による路盤流出のため鵡川〜様似間でずっと運休が続いている。


この間に、高波に洗われた海岸沿いの被災地では、路盤を失った線路が宙づりになったままで危険だし、破損した護岸がさらに波に洗われて土砂が流れ出し、漁業被害という事態にもなっている。
本来ならばそのような個所は線路を撤去したり、護岸工事を行うべきなのだが、JR北海道の資産となっている以上、費用はJR北海道の負担となる。
しかし同社の財政状況を考えると、とてもそんな費用は捻出できないだろう。
ましてや、運行再開する見込みの極めて低い路線である。

JR北海道はこの区間を廃止したがっているのだが、沿線自治体は全線復旧を主張を続け両者はずっと平行線のままの状態が続き、被災区間を含め線路は撤去もできず放置されているのが現状だ。すでに運休から4年以上も経過している。

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 列車が来なくなって4年も経ってしまった絵笛駅。

この日高本線にも、ようやく動きが出始めたようだ。

2019年9月24日に開かれた日高管内7町長による会議で、運行休止状態になっている日高線の鵡川〜様似間について、平取、新冠、新ひだか、様似、えりもの5町長は全線バス転換を容認した。
残り2町のうち日高町は日高門別まで復旧を主張、浦河町は全面復旧を主張したそうである。

被害が軽微な日高門別までの復旧は余程好条件がそろえばあるかもしれないが、全線の復旧は沿線の被災状況と復旧の費用を考えれば99%無理というのは誰にでもわかる。

JR北海道は全線復旧の条件として沿線自治体に復旧費として86億円、運行経費として年間13億4000万円の負担を提示していて、とてもそんな費用は沿線自治体だけの負担は無理だ。

結局その会議では多数決で全線バス転換に決まったそうだ。
10月に再度会議を行い、これで正式に決定をすることになる。
早ければ2020年度中には鵡川〜様似間が正式に廃止となりそうだ。

もっとも、現在でもすでに事実上廃止状態だし、お別れ列車やラストランがあるわけではない。
現在の列車代行バスが、廃止後に引き継ぐ事業者にバトンタッチするだけだ。

そんな日高本線だが、実際どのような利用状況なのだろうか。

特に浦河町は、多数決で決定後も全線復旧を強く主張しているので、さぞや鉄道への依存傾向が強い町なのだと各種報道からは思わせられる。

かつて北海道ちほく高原鉄道が廃止されるとき、最後まで反対したのが陸別町だった。
これは同町内に乗り入れている既存の路線バスを持たず、公共交通を鉄道に依存していたことによる。

JR北海道のホームページには『地域交通を持続的に維持するために』の中に線区別データというのを掲載するようになった。
各駅や列車ごとの乗客数の詳細が記された統計データだ。

浦河町が、よほど全線復旧にこだわる事情が何なのか、また難しいとすればどのような障害によるものか、このデータをもとに考察したいと思います

JR北海道のホームページに、『2019.10.18線区データの一部項目の更新について』とニュースリリース欄に掲載されていた。
こうした線区別の詳細データがJR北海道から公表されるようになったのは、ローカル線の動向を探るアマチュアにとってはありがたいことだ。

このデータを基に日高線の浦河町を中心とする利用実態を見てみることにする


 *地域交通を持続的に維持するために (JR北海道ホームページ)

上のリンク先にある線区別データ日高線(鵡川・様似間)から抜き出して作成したデータがこちら。
平成29〜30年の2年平均における代行バスの乗車実績と、比較として被災前の平成26年列車乗車実績からの数字になる。

静内〜様似間の駅別乗車人員
  H29-30 H26
静内145.5 219
東静内9.519
春立3.58
日高東別33
日高三石35.538
蓬栄10.514
本桐32.538
荻伏15.537
絵笛11
浦河87
東町44.564
日高幌別02
鵜苫1.52
西様似11
様似5.58
単位(人)

被災前でまだ列車が乗り入れていた年のデータと、代行バスで営業している現在の数字を比較しても、静内駅の利用者が格段減っているが、それ以外の駅は特に目立った減少はないように見受けられる。

荻伏と東町が20人ほど減っているが、これは代行バスとなったのを機に同区間の利用客が既存のバス路線のほうにシフトしたせいではないかと察する。

ある程度まとまった乗客がある駅は、日高地方の実質中心である静内、かつては三石町の役場があった日高三石、それに浦河高校や日赤病院が近い東町といったところ。
あとは駅前に市街地を形成している東静内、本桐、荻伏となる。

このうち、浦河方面に向かう乗客の動向を探ってみることにする。

浦河町内の駅のうち、定期券発売枚数内訳で発着の実績がある駅は東町と荻伏のみである。
東町は浦河高校の最寄り駅。各駅からの定期券利用客は東町駅が目的地の乗客ということになる。

この東町発着の定期券月平均発売枚数の表を見ると、41.5枚となっているので、1日当たりの同駅の乗車人員44.5人と比較すると、この駅の利用者は3人を除いて、あとは全員下の表にある駅から浦河高校への通学生ということになる。

東町駅発着の月平均定期券発売枚数内訳
 駅 枚数
静内1
日高東別0.8
日高三石13.7
蓬栄3.6
本桐11.3
荻伏11.2
合計41.5
単位(枚)

詳しくはJR北海道の表をご覧いただくとして、他の駅の乗車人員も定期券発売枚数は同じくらいとなっている。
通勤定期客は静内〜東静内間に1人だけ。
この数字からわかることは、静内〜様似間の利用者は通学定期利用者以外の利用はほとんどないということだ。

あとはこの数字には表れないフリー切符等での入り込みということになる。
フリー切符所持者はほとんどは浦河を素通りして終点の様似まで乗り通す客だろう。当然ながら日高線の収入にもならない。

東町〜様似間の利用客があまりに少ないことがもう1つ気になった。。
東町から先の乗客数は合計でもわずか8人のみ。列車が走っていた平成26年度でも13人となっている。

浦河町は人口約1万2000人、様似町の人口は約4200人となっていて、それなりに人の行き来もありそうなものだが、この数字は鉄道としては末期状態といえる。

実は浦河と様似の間はジェイ・アール北海道バスの路線が並行しており、平日ダイヤでは上り11本、下り14本が運行している。
日中は1~2時間に1本の間隔となっており、上り6本、下り7本の鉄道よりは若干便利だ。

様似高校は2012(平成24)年度から募集停止2014年3月をもって閉校しているので、様似町に住む中学生の多くは浦河高校へ進学することになるのだが、その学生は鉄道ではなくバスで通学していることになる。

通学に鉄道を使わない一番の理由は、登校時刻とダイヤが合わないということだろう。
唯一通学に利用できる上り列車(代行バス)の東町着が6時台では早すぎる。

様似から浦河高校のある東町までの運賃は、鉄道ならば340円、バスは同じく様似〜浦河高校間で510円。1か月通学定期ならば鉄道が高校生用通学定期運賃で9040円(2019年10月の値上げ前は6900円)、バスは1万8360円と倍以上もの差がある。

毎月の出費だし通勤費と違って通学費は家庭の負担となるので、生徒は大変だが少々早くても鉄道で通学をという人がいてもいいような気がするが、東町〜様似間の通学定期券販売実績は0(ゼロ)となっている。

これは様似町が行っている『高等学校生徒遠距離通学費補助』という制度があって、生徒最寄りの駅やバス停から浦河高校までの通学費(通学定期券)から1万円を引いた額を補助するというものがあるためだ。

だから、負担する月額の通学定期代は実質1万円が上限となり、保護者にとってはまことにありがたい制度だし、生徒も無駄な早起きをせずにすむことになる。

ただし、1か月あたりの通学費が1万円以下の場合は対象外となる。
鉄道利用だと様似〜東町の1か月の定期運賃9040円であり補助の対象外となる。
鉄道は登校時間と全く合わないダイヤ、少ない差額ならば誰だってバスを利用するだろう。

同様の補助制度は浦河町も行っていて、これも様似町同様に1か月の通学費が1万円を超える人のみが対象となる。

この制度、特にバスに限るとは謳っていないが、鉄道では両町内から浦河高校最寄の東町駅まで高校生定期が1か月1万円を超える区間がないので、実質バスにしか使えない制度となっている。


【まとめ】

浦河町を発着するJR北海道の利用者の大まかな利用実態は以下のようになる。

1,新ひだか町域および荻伏の各駅から東町への浦河高校の通学生が40数人。
2,各駅から1日当たり浦河駅へ8人、様似駅へ5.5人、あとは希少という僅かな定期外客。
3,通学費補助制度があるため、通学生は並行バス路線がある区間はバスの方を選択する。

町の代表駅である浦河駅に降りても、役場はあるもののそれ以外はどこへも行きようがない場所である。
郊外ショッピングセンター近くに線路は通るが、ここへ新駅を設置するということもなかった。
浦河町の利用の中心である東町は、浦河高校と日赤病院利用に特化した駅である。

要するに、それ以外の目的(買い物等)で浦河町へ出向く人がいても、鉄道は利用しようがなかったということになる。

わずか数人の定期券外客は、苫小牧や札幌までの直通客ということも考えられるが、それでも10人に満たない数である。
道南バスの『高速ペガサス号』が数往復あるので、少なくとも札幌までの乗客があるとは考えにくい。

全線復旧にもっとも熱心な浦河町は、被災前から鉄道利用を促進するわけでもない、利用しやすいような制度や町づくりをしてきたわけでもない、その結果がJR北海道の線区別データ、それに背景からも読み取れる。

このような状況を浦河町の関係者が把握していないはずはなく、その上で町長が日高本線の全線復旧を強く主張しているのは滑稽だ。
もし正気で全線復旧を主張しているのならば、裏に別の思惑でもあるのではと思いたくなるほどだ。

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 新ひだか町観光情報センターに併設の静内駅。

隣の新ひだか町を見てみると、こちらも『新ひだか町高等学校通学定期券給付事業』というのがあり、こちらは通学のため北海道旅客鉄道株式会社を利用している方が対象で、通学定期代は全額町が給付するというもの。

同じ通学補助事業でも新ひだか町のほうが、鉄道を存続させたいという意思は感じられる。
しかし、新ひだか町は全線復旧断念、バス転換をすでに容認している。

駅前を見ても、新ひだか町の中心になる静内駅と、浦河町の浦河駅もひどく対照的だ。

静内駅は広い駅前広場があり、駅舎内は『新ひだか町観光情報センター』が併設され、特産品展示販売コーナーやそば店が入居し、ヘタな特急停車駅よりも立派だ。
駅前広場横には駐車場もあるし、トイレを24時間開放とすればそのまま道の駅にもできるような施設だ。

札幌行の高速バスもここに発着しており、日高本線廃止後も交通結点として機能しそうだ。

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 浦河駅と駅前広場。

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 駅と反対側の国道に設けられた代行バスの浦河駅。

一方の浦河駅。

この駅で降りた人は一体どこへ行くのだろう。
駅裏の国道を隔てた場所に役場はあるが、それ以外には何もない場所だ。
駅自体が国道から踏切を渡ってわざわざ行かなければならない場所にあり、列車があった当時でも乗車客は1日僅か7人。

浦河も他の多くの町と同様、商業施設が郊外に移転してしまった町だ。
隣の東町駅には高校と日赤病院があるが、逆に言うと浦河駅から遠いために設けられた駅である。

浦河駅は、現在では列車代行バスですらも立ち寄らず、駅裏にある国道の既存バス停に間借りする格好だ。
駅施設は列車も代行バスも発着することが無くなっても、週2回静内駅から派遣されてくる駅員によって手入れがされているが、普段はひと気もなく町民からも見捨てられたような場所になってしまった。

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 国道側から見た浦河駅。

もし残念ながら日高本線廃止ということになってしまったら、旧増毛駅のように昔の姿に復元してレトロ駅舎として活用すれば、それなりの観光拠点として賑わうんじゃないだろうか。

線路を撤去すれば国道から出入りできる駐車場も整備できる。売店や屋台も出せば、国道を行く車が結構立ち寄るだろう。

仮に廃止後に賑わうということになれば、それは皮肉もいいところだが

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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posted by pupupukaya at 19/10/22 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

さようなら石勝線夕張支線2


 ◆ 清水沢駅その2

2004年までは列車交換施設があって、タブレット交換を行っていた。
また道内で最後まで腕木式信号機が使用されていた駅でもあった。

ホームは駅舎から離れた所にあるのは、何本も貨物線が並んでいたからだ。
三菱大夕張鉄道があったころは、この貨物線で石炭貨物列車の入れ替えをやっていた。

駅舎からは長い跨線橋で結んでいたが、棒線駅になってからは不要になり撤去された。

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 ホームから見た清水沢駅の駅舎(2002年3月)

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 三菱大夕張鉄道が使用していた0番ホーム跡(2002年8月)

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 改札口を出たところ、奥が信号小屋(2002年3月)

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 駅員がタブレットを持って出てくる(2002年8月)

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 無人駅になった清水沢駅と骨組みだけになった0番ホーム(2015年12月) 

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 交換設備廃止後に跨線橋とホーム上屋が撤去されている(2015年12月)

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 清水沢駅の腕木式場内信号機(2002年8月)

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 腕木式信号機は駅舎からワイヤで操作していた(2002年8月)

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 清水沢駅の腕木式信号機ウラ側、夜はカンテラで灯す(2002年8月)


 ◆ 鹿ノ谷駅

古くは夕張鉄道の接続駅で、ここから栗山・野幌への路線があった。
駅裏の広大な空き地は貨物線がたくさん並んでいた。
駅北側にある、やけに長い跨線橋が広い構内の名残り。

夕張緑ヶ丘実業高校があった頃は通学生で賑わったが、2003年に閉校している。
清水沢に夕張高校と市内に2校だった頃は、朝夕は学生の大移動だったのだろう。
1990年代までは夕張工業高校と夕張北高と2校の通学生で賑わった。

現在は南清水沢への通学生が数人利用するだけの駅である。

駅前は商店街はなく、突き当りの道道沿いが商店街だったようだが、今では空き地ばかりが目立つ。
2000年代は駅正面に日通があったのを覚えている。

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 鹿ノ谷駅の木造駅舎(2013年10月)

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 広い待合室が夕張鉄道との接続駅だったことを思わせる(2015年12月)

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 鹿ノ谷駅のホーム(2013年10月)

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 広大な構内だったが今は草っ原。


 ◆ 夕張駅

夕張駅は2度移転している。
最初の駅は現在より2.1kmほど奥、現在の石炭の歴史村公園入口のあたりにあった。

それが移転したのが1985年。今の市役所の裏、かつて夕張鉄道の終点だった夕張本町駅だった付近に設けられた。
貨車駅だったが、3両連結の貨車が軌道上に置かれた変わった駅だった。

2度目の移転が1990年。
マウントレースイの客の便のために開設された。
本当は終点を市役所裏としたまま途中駅を設けたかったのだが、勾配の関係でそれが難しいためにやむなく路線短縮、現在の場所が終点となった。

当時はスキーリゾート列車の乗り入れも構想にあったようだが、実現することはなく、本来の目的であったスキー客の利用も少なかった。

主な利用客は本町方面やマウントレースイホテルへの通勤客。
朝の列車は10数人の通勤客がこの駅から各方面に散って行く光景が見られた。

無人駅だが、1998年までは駅舎内にキヨスクがあって乗車券も販売していた。
その後は完全無人となり、市の財政悪化からトイレが閉鎖されるなどを経て、2009年に駅舎を改装してカフェがオープンした。
同じころ駅の横に、ゆうばり屋台村がオープンしている。

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 教会風の駅舎だった3代目夕張駅舎(2009年5月)

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 ホテルマウントレースイと夕張駅舎(2009年5月)

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 駅名標(2009年5月)

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 左のシャッターは元キヨスクで、乗車券も売っていた(2009年5月)

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 キヨスクで売っていた乗車券(1994年1月)

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 ホームに停まる1両の気動車(2009年5月)

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 カフェに改装され、観光案内所も入居した夕張駅(2010年11月)

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 黄色いハンカチ風の紙に応援メッセージ(2015年12月)

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 10数人が通勤ラッシュの朝の夕張駅(2015年12月)


 ◆ 旧夕張駅への廃線跡

現在の夕張駅から先は、廃線跡がサイクリングロードとなっていた。
今のセイコーマートの左横あたりから2代目夕張駅のあった市役所裏まで続いていた。
いかにも廃線跡で、鉄道時代の電線もそのまま残っていた。
しかし、2010年に並行する道道夕張岩見沢線の拡幅工事のため消滅している。

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 2代目夕張駅跡まで続いていた廃線跡のサイクリングロード(2009年5月)

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 2代目夕張駅跡、取り壊したホームの建材が無造作に積んであった(2009年5月)

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 市役所に併設の市民会館は元は夕鉄の夕張本町駅だった建物(2009年5月)

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 道路拡幅前の夕張本町商店街(2003年9月)


 ◆楓駅

夕張支線の駅ではないが、番外編。

石勝線開業により廃線になった登川支線の代替として設けられた駅。
当初はそれなりに利用者があったようで、6往復の列車があったが、4往復→2往復と減らされ、2000年のダイヤ改正では朝の1往復のみ、しかも日曜運休という運行になってしまった。
末期の利用者は1日当たり1人という状況で、2004年3月に信号場に格下げ、楓行の旅客列車も廃止となった。

現在、駅舎とホームは撤去されているが、線路だけは保線用車両の留置線として残っている。

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 本線と分かれて独立したホームだった楓駅(2003年9月)

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 朝の1往復だけ発着だった晩年の時刻表(2003年9月)

こうして過去の画像を見ていると、何だか切なくなってきた。
北海道から鉄道がどんどん無くなってゆく。

江差線の木古内〜江差間、留萌本線の留萌〜増毛間は既に廃止されている。
JRから受け継いだ第三セクター鉄道のふるさと銀河線も廃止という選択を取った。

札沼線の医療大学〜新十津川間も廃止が決定している。
災害で運休中の日高本線の鵡川〜様似間も決定事項ではないが廃止は確実だ。
根室本線の富良野〜新得間も同様である。

留萌本線の残り区間も長くはないだろうし、北海道新幹線札幌延伸とともに函館本線の長万部〜倶知安間は確実に廃止になるだろう。

宗谷線、石北線、花咲線あたりは国の政策次第といったところ。

私自身、仕事上もプライベートも車社会の住人である。
鉄道の廃止について、とやかく意見できる立場にはない。

悲しいが、ただ見守ることしかできない。

  ★  ★  ★

夕張支線の廃止まであと1週間。
もう一度最後に乗っておきたかったが、たぶん行かない。

賑やかに見送られる最終列車は、テレビのニュースあたりで見ることだろう。

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 朝焼けの中、汽笛とともにやって来た始発列車(2015年12月)

廃止後、雪が無くなったらもう一度訪れてみることにしよう。
今度は廃線跡として、ということになるが。

 〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 19/03/24 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

さようなら石勝線夕張支線1

ことし(2019年)の3月いっぱいで石勝線夕張支線が廃止になる。

私自身、夕張に縁があるわけではないが、夕張支線はよく乗ったことがある路線だ。
1日散歩きっぷを買っての日帰り旅行や、青春18きっぷの消化などでよく乗りに行った。
接続の悪い新夕張での普通列車と新得方面への特急列車の乗り継ぎに、夕張まで1往復できたりもした。

何だかんだで、思い入れのある路線のひとつである。

廃止前にもう一度乗りに行こうと思っていたが、行けぬまま今になってしまった。
今さら行っても、どの列車も混んでいるだろうし、いわゆる葬式鉄なるものに加わるのも気が引ける。

というわけで、過去の写真をアルバムから見つけ出し、夕張支線を思い出すことにした。

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 夕張線時代の路線図(交通公社の時刻表1980年8月号より)

この夕張支線はもともとは夕張線という独立した名称を持つ路線だった。

1981年、千歳空港〜追分間、新夕張〜新得間の石勝線が開業すると、間に挟まった夕張線は取り込まれる形で石勝線と名を改めた。同時に、新夕張〜夕張間も石勝線と改称し、同線の支線扱いとなった経緯がある。

で、このたび廃止になる夕張支線だが、JRになってから幹線系では廃止になる初の路線である。(新幹線並行路線を除く)

いや過去に廃止された、函館本線の支線である砂川〜上砂川間、通称上砂川支線も幹線だったが、あれは函館本線の支線扱いだったので、廃止対象線区には選定されなかったし、不当に幹線という扱いを受けていただけだった。

夕張支線だって同じじゃん。石勝線自体が幹線だったから上砂川支線と同じ扱いを受けていただけじゃん。
と言われそうだし、私もそう思っていました。

石勝線に取り込まれなかったら、他の廃止路線と同じく廃止されていただろうと思っていた。

ではなぜ幹線系で初の廃止かというと、実はこの路線、夕張線時代から幹線となっていたからだ。

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 国鉄時代最後のダイヤ(道内時刻表87年2月号より)

1981年に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)に基づいて幹線地方交通線に選別されることになった。

旅客輸送量の多い函館線や千歳線、室蘭線、根室線は幹線となったが、夕張線は『貨物輸送密度が4,000t以上である線』という条件をクリアして幹線という扱いを受けた。

他はすべて地方交通線ということになり、さらに基準以下の路線は特定地方交通線に指定され、第1次、第2次、第3次と段階的に廃止されることになる。

同様の運炭路線であった幌内線、歌志内線は2次の指定を受け、JR化後に廃止されている。

もし石勝線に組み入れられず、夕張線のままであっても、時刻表では幹線系の路線として掲載されていたはずである。
とにかく、夕張支線は石炭とともにあった路線だった。

国鉄からJRに移行した頃も、1日4往復の石炭貨物列車があったようだ。
1986年11月改正の貨物時刻表(神田の古本屋で買ったもの)には、清水沢から2往復、沼ノ沢から2往復の石炭列車が、苫小牧操車場へ向けて運転されている。

しかし翌年の1987年7月には清水沢からの三菱大夕張鉄道が廃止、同年10月には沼ノ沢からの北炭真谷地炭鉱専用鉄道が廃止になる。これで、石炭輸送は終わり、あとは細々と旅客輸送を行うだけのローカル線となってしまった。

1990年には夕張最後の炭鉱だった三菱石炭鉱業が閉山し、夕張から全ての炭鉱が姿を消した。
この時点で、鉄道としての役割は終えていたのだろう。

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 石炭列車が4往復あった頃の貨物ダイヤ(貨物時刻表昭和61年11月ダイヤ改正より)


 ◆ 新夕張駅

夕張線時代は紅葉山(もみじやま)という駅だった。
駅前広場に夕張線時代の駅名標が立っている。

石勝線開業と同時に今の新夕張に改称した。新たな特急停車駅ということで意気込んで命名したのだろう。
しかし、町名は今も昔も紅葉山のまま。
国道沿いのコンビニの店名なんかも、すべて紅葉山。
鉄道利用でなければあまり馴染みのある名前ではない。

途中駅だが、青春18や1日散歩所持での普通列車と特急列車の接続が悪いのと、直通列車でもやたらと停車時間が長かったので、何かと縁がある駅でもあった。
この駅から楓まで1駅だけの普通列車があったが、2004年に楓駅とともに廃止されている。

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 新夕張駅正面(2015年12月撮影)

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 新夕張駅改札口のあたり(2002年8月)

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 のりかえ表示に『楓』の駅名があった頃(2002年3月)

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 3・4番ホームの夕張側にあった0番ホーム(2002年8月)

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 新夕張→夕張の乗車券(2015年12月)


 ◆ 沼ノ沢駅

かつては北炭真谷地炭鉱専用鉄道が真谷地炭鉱まであって、石炭を搬出していた。
2000年代前半くらいまで、錆びた側線が何本か残っていたような気がする。

駅周辺はまとまった町になっていて、朝は夕張行の列車に数人の通勤通学客が乗ってくる。

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 レストランが入居する沼ノ沢駅の駅舎(2015年12月)

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 沼ノ沢駅の待合室(2015年12月)

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 ホーム側からの駅舎(2003年9月)


 ◆ 南清水沢駅。

こじんまりとした駅舎で駅前広場も無いが、新夕張以外の夕張支線で一番利用者の多い駅。
夕張高校の最寄り駅だからだろう。

委託管理のおばさんが窓口できっぷを売っている。
駅と集会所を兼ねているような、そんな雰囲気があった。
駅員がいても、何となく役所的な感じの清水沢駅とは対照的な感じがした。

開業は1962年と、夕張支線では一番新しい駅。
当時は女性駅員の駅として話題になったようだ。

 〜駅員が全部女性という変わった駅(北海道駅名の起源より)

夕張市はそれぞれ炭鉱ごとに町があって、その市内の町を鉄道が結ぶといった、鉄道の経営的には望ましい都市形態といえる。
しかし、夕張市としては町がバラバラに存在するとあっては経費がかかりすぎるというので、清水沢地区に集約したがっているようである。

夕張高校への通学生のほか、団地や住宅が多く、ここから夕張までの通勤客も少なからずある。
駅前はスーパーとホームセンターがあり、川向うには生協と市内唯一の小中学校があるので、このあたりは夕張の実質中心といえる。

この駅の少し南側に、子育て・教育、交通結節点、公共施設の役割を持つ拠点複合施設がつくられ、市内交通の拠点にもなるようだ。

鉄道廃止後に中核施設がつくられ、町の中心として発展するというのも皮肉な話だ。

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 南清水沢駅の駅舎(2015年12月)

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 待合室ときっぷ売り場の窓口(2015年12月)

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 きっぷ売り場、たまに留守になるようだった(2015年12月)

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 本は列車待合用に利用者が持ち込んだのだろう(2015年12月)

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 まだ廃止が確定していなかった頃(2015年12月)

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 南清水沢駅発行の乗車券(2015年9月)

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 南清水沢駅のホームから(2015年12月)


 ◆ 清水沢駅

三菱大夕張鉄道がこの駅から発着していた。
南大夕張からの石炭列車はこの駅でスイッチバックし、石勝線へと乗り入れていた。
駅舎とホームが離れているのは、この間に何本もの側線があった名残り。

いまは棒線駅だが、2004年3月までは構内が複線になっていて、列車交換が可能だった。
当時は全国的にも珍しくなっていた、タブレット閉塞と腕木式信号機がそれまで使われていた。

しかし貨物廃止後は、定期列車ではこの駅で交換する列車は無かったようだ。
臨時のリゾート列車でも乗り入れることを想定していたのだろうか。

棒線化されてからも駅員は引き続き配置されたのは、定期券の販売などそれなりに営業の拠点と判断されたからなのか。
しかしその当時の営業成績は、乗車人員で1日当たり80人、10年後の2014年度には1日当たり12人と激減。

これでは合理化の対象になるのも無理はなく、2015年の10月には無人化されることになった。

夕張高校へは徒歩圏内なので、通学生は乗ってこない。
夕張へのわずかな通勤客だけが利用していたようだ。

駅前は商店街になっていて、炭鉱があった頃は賑わっていたのだろう。
有人駅だった頃は駅前にタクシーが常駐して駅前らしくなっていたが、無人駅になってからはタクシーもいなくなってしまった。

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 無人化される直前の清水沢駅(2015年9月)

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 清水沢小学校への人道橋から見下ろす(2002年3月)

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 清水沢駅と商店街(2002年3月)

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 駅員常駐だったころの清水沢駅の待合室(2002年8月)

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 冬にはストーブが燃えていた待合室(2002年3月)

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 きっぷうりば(2015年9月)

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 無人化され、窓口には板が張られ、外された時計の跡も寒々しく(2015年12月)

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 昔の住宅地図と付箋の思い出書き(2015年12月)

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 『清水沢駅の思い出展』として貼り出された過去の写真(2015年12月)

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 清水沢駅からの乗車券(2015年9月)


posted by pupupukaya at 19/03/23 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

呑み鉄 イン・ザ・札沼線2

 ◆ 石狩月形 20:19 【5434D】 20:48 北海道医療大学

再び石狩月形駅から。

こんどの折り返す列車は浦臼始発の列車で、上りの最終列車となる。

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 改札口にある石狩月形の駅名板。

改札口のところには『次の改札 石狩当別行』の札が下がっていた。
改札業務はしていないが、ホームに入る際は入場券が必要の旨の表記もあった。

助役帽の駅員が出てきて、「列車に乗りますか?」と訊かれたので「はい」と答えると、『次の改札』の札を『改札中』のほうに裏返した。

何だか、妙なところで律儀な駅だな、という印象だった。

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 ホームにはさっき乗ってきた車両が停車している。

さっきの駅員がカンテラを持って立つ。
ここでタブレット交換があるからだ。もう道内でもここだけになる。

これで車両がタラコ色だったら国鉄時代の風景だろうな。

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 上り列車が接近。

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 ホームに並んだ列車。右が回送、左が石狩当別行。

浦臼始発の上り最終は、石狩月形で8分停車する。
さっき乗ってきた車両をここで連結して2両になって戻るんだなと思っていたが、一向に連結作業をする気配は無い。

ホームへ行くと、さっき着いた車両には『回送』と表示されていた。
別々に戻るんだな。

まあ、ここで連結すると石狩当別でまた切り離さなければならないので、却って手間になるのだろう。

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 石狩月形の駅名標。

こんどの列車は乗客ゼロで到着した。
乗るのは私とさっき石狩金沢で乗ってきた人だけ。
実質乗客ゼロの列車ということになる。

これも予想通りということではあったけど。

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 明かりが照らすホームで、しばし発車を待つ。

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 上りはキハ40 819が務めます。

札沼線の気動車は、サボ受けに『学園都市線』のシールを貼った専用車両が使われているが、今日のは一般型の車両だった。
しかも原型エンジンの車両だった。

エンジンをめい一杯ふかしてからノソ〜っと動き出すのがこのキハ40形の特徴だった。
今は強力型のエンジンに換装されてそんなこともなくなったが、まだこんな車両が残っていたのか。

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 青いボックスシート。

札幌駅のキヨスクで買った金滴をまた飲む。
こんどは夜行列車の雰囲気で行こうか。

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 こんどはチータラで飲む。

ボックスシートの夜行といえば思い出すのが、ひとつは急行利尻の自由席。普段はリクライニングシートのキハ400形だが、多客期の増結車にはボックスシートのキハ56形が連結された。
青いボックスシートで、しかもニス塗りの板張りの床。冷房無し。
お世辞にも綺麗には見えず、一般の乗客からは敬遠されていたようで、いつもがら空きだった。

もう一つは快速ミッドナイト。札幌〜函館間を夜行で結んでいた快速列車で、普段は全車指定だったが青春18きっぷシーズンだけ2両のキハ56が連結された。
夏休みシーズンなどは満席ということもあったが、それ以外はがら空きだった記憶しかない。

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  ありし日のキハ56のボックスシート。

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 木の床だったキハ56。1995年、快速ミッドナイトの自由席にて。

さらに古くは旧型客車ということになるのだろうが、それは私よりさらに上の世代ということになる。

そんなボックスシートに陣取って、ウイスキーの小瓶とチェイサーの水かお茶を置いてチビチビ。
当時吸っていた煙草の煙をプハ〜と吐き出せば、至福のひとときだった。まだ20代のころ。

煙草は20代のときにやめたが、酒は相変わらず飲んだくれている。

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 北海道特有の二重窓。

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 冬バージョンにした状態。

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 小物は置けるが、揺れがあると落ちそう。

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 金滴はうまい酒だなあ。

暗闇で景色は見えないが、ガタンゴトンと響くジョイントの音も楽しい。
ときどき音の間隔が短くなるが、30kgレールという軽量の短尺レールを使用しているためだ。
通常のレール長は25mとなっているが、この30kgレールの長さは10mで、それで音が短くなるのだ。

もともと札沼線は簡易線という規格で建設された路線だった。
簡易線とは、軸重11トン、最高速度は45kmという線路幅こそ他の国鉄線と同じだが、それ以外はほとんど軽便鉄道並みの規格の路線である。
のちに気動車に限り最高速度は65kmまでとなった。

軸重11トンとはどういう規格かというと、機関車はDD51形はもとより支線用のDE10すら入線できないのである。
蒸気機関車のころはC12などが入っていたが、ディーゼル化されると簡易線用のDD16がわざわざ製作された。

大正や昭和時代の、幹線の輸送力アップよりもとにかく路線を拡充することを優先した時代の産物だった。
その旧簡易線はローカル線に多く、ほとんどは廃止になっているが、現在残っているのはこの札沼線と日高本線の富川〜様似間となる。

中でも30kgの短尺レールが残っているのはこの札沼線北部だけだろう。
国鉄末期の民営化を直前にした設備投資で、多くの線路は50kgレールに交換された。

このときレールが交換されなかった路線があって、それは特定地方交通線として廃止予定路線となっていた線はさすがに対象外だった。廃止予定ではないが、深名線、札沼線北部も対象外とされた。

深名線は当時から廃線が噂されていたし、他の路線がワンマン化されてもずっとワンマン化されなかったので、どうせ廃止するのでワンマン化の設備投資をしても無駄になるからだと思っていた。

札沼線北部も深名線と同じような扱いで、これも廃止にするんだろうなと思っていたが、深名線廃止後にワンマン化された。

よくぞ今まで残っていたなというのが正直思うところだ。

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 本中小屋に停車。学園都市線の表記が似合わない。

列車は各駅停車で律儀に停車するが、どの駅も乗降ゼロ。

石狩金沢で件の人が下車した。
これからどうするんだろう。
ホームと待合室こそ照明があるが、それ以外は真っ暗闇である。

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 石狩金沢に停車。乗り鉄らしき人が降りていった。

駅前の暗闇のなかに1台の車が見えた。
どうやら車で来て、石狩月形まで往復したようだ。

私も駅に車を駐車して、ローカル線にチョイ乗りというのはよくやる。

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 ワンマン列車なので現金払い。

本当は石狩月形駅できっぷを買って、札幌駅の改札口で無効印を押してもらって持ち帰るつもりでいたが、きっぷを買えなかったので北海道医療大学駅で現金を払って降りる。

次に乗り換える札幌行の始発は北海道医療大学というのと、もう一つ魂胆があってのこと。

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 デッキにある運賃表示器。

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 運転台と運賃箱。

北海道医療大学駅のホームはこんな時間でも学生が10人くらいホームに立っていた。
当別までの客ならばこの列車で帰るのだろう。

運賃箱のフタが閉じられていて、降りる人がいると気付いたようで運転士が出てきた。

「ここで降りるんですか?」

と言われ、向こうに停車している電車を指さして、

「あれに乗ります」
「それでしたら、着いた駅で・・・」
「あ、いや、札幌までだから、ここで払った方が安くなるので」
「あ、そうでしたか、ありがとうございます」

と石狩月形からの整理券と360円也を渡した。

そうなのだ。
実は、札幌〜石狩月形間の運賃は通しで買うよりも、札幌〜北海道医療大学北海道医療大学〜石狩月形と2区間に分けた方が安くなるのだ。

・札幌〜石狩月形 1070円

・札幌〜北海道医療大学 640円
・北海道医療大学〜石狩月形 360円
 ・・合計 1000円

このように北海道医療大学で一旦降りると、通しより70円安くなる。

こういう区間はほかにもあって、例えば札幌〜余市間の運賃は1070円だが、これを小樽で降りて買い直したほうが70円安くなる。
直通列車が無いか少ないために、必然的に乗り換えが発生する場合は実用的な買い方だ。

これが、札幌〜新千歳空港間は1070円、これも恵庭で一旦降りて買いなおすと1040円となり30円安くなるが、僅か30円のために恵庭で一旦下車する人はまずいないだろう。

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 医療大の学生が乗り込む。

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 赤いランプの列車は去って行った。


 ◆ 北海道医療大学 21:04 【2642M】 21:54 札幌

石狩当別行の1両の列車を見送って、ホームにある券売機で札幌までの乗車券を買う。
この駅は無人駅だが、待合室内にセイコーマートがある。
場所柄、駅利用の学生が対象である。

営業時間は20時まで、すでに閉店していた。

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 駅ナカにセイコーマートがある北海道医療大学駅。

ほかに行くところも無く、今度は札幌行の電車に乗る。
元エアポートの6両編成。uシートもそのままで、快速エアポート運用以外は普通車として開放している。

さすがに人気で、他は無人の車両ばかりなのに、この車両だけ乗客が集まっていた。

もう1本ワンカップを持っていたので、この電車内で飲んでいくつもりだ。
人の多いuシートだと居心地が悪い。

前のほうの普通車に乗る。

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 人気の無料uシート。

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 転換クロスシートの普通車。

無人の車内。とりあえずは貸し切りである。

座席を向かい合わせにしてボックスシートにする。
青いボックスシートはノスタルジックで良かったが、純粋な座り心地ではこちらが上だ。

こんどは青いラベルのワンカップを出す。
さっきと違って、今度は通勤電車。

クロスシートとはいえ、いささか罪悪感のようなものが・・・

まあ、そこが呑み鉄の楽しいところでもあるが (^^;

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 こんどはワンカップで飲む。

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 前の座席と向かい合わせにすればuシートよりも快適。

発車すれば次は石狩当別。ここで5分停車となる。
ここからこの車両に乗ってくる人もなく、しばらくは貸し切りで過ごせそうだ。

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 札幌からの電車が到着した石狩当別駅。

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 ワンカップのフタは滑り止めのコースターになる(裏ワザ)

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 紳士シャツの胸ポケットは、おつまみを入れるためにあるのです(嘘)

あいの里教育大でこの車両にも乗客が乗ってきた。
仕事帰りという人ばかり。

私の格好はどこからどう見ても酔っ払いだが、金曜の夜だし、勘弁してもらおう。
札幌市内に入ると、どの駅でも乗り降りする人があって、すっかり通勤電車だ。

夜汽車の気分もこのあたりでおしまいになる。

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 札幌に戻ってきた。

札幌を18:45に出発して、戻ってきたのは21:54。3時間ちょっとのミニ旅行だった。

ここまでかかったお金は3千円と少し。
たまにはこんな飲み方もいいなと思った。

とはいえ、乗客の少ないローカル列車と目星をつけてのことで、私みたいな人がたくさん現れたらそれはまた困ったことになるだろうな。

廃止がほぼ確定した札沼線。
これからは名残乗車客が増えるだろう。

静かに乗車できるのも、今のうちかもしれない。

 最後までお読みくださいましてありがとうございました。

【かかったお金】
JR 札幌〜石狩月形 1070円
JR 石狩月形〜医療大 360円
JR 医療大〜札幌 640円
金滴2本+ワンカップ 753円
おつまみ2つ+おにぎり 474円
 合計・・・・・・3297円

おわり

posted by pupupukaya at 18/06/30 | Comment(0) | 北海道ローカル線考

呑み鉄 イン・ザ・札沼線1

6月最後の金曜の夜、たまには飲みにいこうか。

といっても、居酒屋ではなく、今日は呑(の)み鉄。
ローカル線の古びたボックスシートで、ワンカップを傾けようというものだ。

札幌から近くて、空(す)いていて、ボックスシートのある列車・・・

石狩当別まで行けば、札沼線北部のワンマン列車が走っている。

というわけで退勤後、札幌駅へと向かう。
ピークは過ぎたとはいえ、札幌駅は帰宅ラッシュ。ものすごい人だ。

こんなの、ものの数ではないと言われそうだが、私は普段徒歩通勤なので、たまにラッシュの電車に乗ることがあるとこの人の多さに参ってしまうのである。

まずはみどりの窓口で石狩月形までの乗車券を買う。1070円。
休日ならば1日散歩きっぷがあるが、平日は普通乗車券で乗るしかない。
といっても、石狩月形までの単純往復ならば乗車券のほうが安いが。

改札を通って、コンコースのキヨスクでお酒とおつまみを買ってカバンに入れてホームへ。

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 帰宅ラッシュの札幌駅ホーム。

呑み鉄の極意は質素さにある。
金額じゃない。持ち込むアイテムの少なさである。

駅構内で購入したお酒とおつまみ。
せいぜい駅弁まで。

デパ地下で購入した惣菜を並べ、ワインの瓶を抜いて・・・

そういうのはよそでやれ。

あとはボックスシートだな。
転換クロスシートもいいけど、昔ながらのボックスシートが一番味わいがある。


 ◆ 札幌 18:45 【633M】 19:26 石狩当別

まず、札幌駅から学園都市線の電車で石狩当別へと向かう。
石狩当別から、石狩月形行の普通列車に乗るためだ。

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 石狩当別行733系電車。

車両は733系電車の3両編成。
日中は元エアポートの6両編成が行き交う学園都市線だが、夕方ラッシュ時は3両編成が運転される。
その代わりに、日中は20分間隔だが、ラッシュ時は15分間隔になる。

つり革につかまって大きな窓から景色を眺める。
昼間は小雨もぱらつく曇り空だったが、晴れ間がのぞいた西の空からは夕日が顔を出していた。

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 新川駅付近の高架橋から夕日が差し込む。

桑園〜新琴似の高架橋からは夕日に照らされた街並みと、手稲山の山並みが見える。
あらためて、なかなか良い景色だと思った。
車内の乗客は、そんなもん見飽きたとばかりに、スマホに熱中している。

途中駅では次々に下車していくが、意外と乗ってくる人もあって、空いた席もすぐに埋まってしまう。
そんなわけで、あいの里教育大駅でようやく座れた。

あいの里公園を発車するとさすがに空席が多くなった。

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 札幌市内を抜けると車内は落ち着いてきた。

防風柵で覆われた残念な石狩川鉄橋を渡ると当別町。
ここからは今までとがらりと変わって田園風景になる。

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 19:20、夕暮れの風景。

石狩太美でさらに降りて、空席だらけになった電車は石狩当別に着いた。


 ◆ 石狩当別 19:32 【5435D】 20:04 石狩月形

乗り継ぐ石狩月形行は向かいの3番ホームに入線している。
札幌からの電車から降りた人のうち何人かは石狩月形行に乗り込んだ。

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 石狩当別に到着。左が石狩月形行。

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 石狩月形行は1両のワンマン気動車。

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 呑み鉄列車は、キハ40 401が務めます。

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 『石狩月形ー石狩当別』の表示。

ホームで列車の撮影などをして車内に入る。
乗客はたったの5名。

石狩当別からの人が1名、今の電車から乗り継いだ乗客が4名となる。
私を入れていないが、私自身は普通乗車券で乗っているので人数にカウントしてもいいかもしれない。

それにしても、札幌を18時台に発車した乗り継ぎの列車がこの有り様とは。

一番稼ぎ時の乗客数が、たったこれだけとはあまりにも情けない。

これで廃止反対などと言うやつは 出てこーい (# ゚Д゚)

と、叫んでみてもしょうがない。
〜叫んでないけど (^^;

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 想像していた通り閑散とした車内。

ここからは札沼線の車内となる。
JRの名称は学園都市線だが、ここからはあえて札沼線と呼ばせていただく。
時刻表の表記も『札沼線』だし、間違いではない。

周りにだれもいないし、さっそく一杯やるとしよう。
窓側の窓框(かまち)にお酒とおつまみを並べる。

框といっても若干広めになっていて、小テーブルのようにはなる。

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 お酒とおつまみを並べる。

お酒は純米酒 金滴。新十津川のお酒だ。
新十津川は札沼線の終点。今は1日1往復しか列車が行かなくなってしまった所だ。

この金滴のカップ酒は、札幌駅のキヨスクでしか見たことがない。

札沼線の呑み鉄になかなかふさわしい酒ではないか。

しぱーん、とフタを空ける。
カップ酒のフタは、固いところに置いて瓶を動かないように固定して開けないと中身がこぼれるから注意してね。

ぐびっと。
う〜ん、純米酒だけあってうまい酒だ。
1本258円もしたが、居酒屋あたりで飲めば700円くらいにはするだろうか。
安いものだ。

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 お酒は純米酒 金滴。

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 札幌駅で買った札幌ー石狩月形の乗車券。

石狩当別を発車する。
つぎの北海道医療大学で1人乗ってきた。学生のようだ。
後ろのロングシートの2人連れとは友人なのか、一緒になっていた。

ずっとおしゃべりをしている。元気がいいね。
ローカル線車内では話し声も酒の肴になるのだ。

つぎの石狩金沢でも1人乗ってくる。
しかしこちらは地元の人ではなく、乗り鉄のように見受けられた。
それにしてもどこからやってきたんだろう。

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 発車してしばらくはまだ辛うじて景色が見える。

日はとうに沈んだが空はまだ明るく、黄昏(たそがれ)の景色を見ることができる。
杯を重ねるごとに気分が良くなってきた。

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 19:45、6月下旬はまだ空が明るい。

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 今まさに呑み鉄してます。

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 ごま塩鮭おにぎり。

この札沼線、ついに廃止になる。

まだ正式な発表はないが、5月に北海道医療大学〜新十津川間について月形町が廃止・バス転換を容認したことで、廃止の方向で固まった。
次いで新十津川町も廃止受け入れとなり、浦臼町、当別町も廃止容認の姿勢であり、これで廃止が確定したことになる。

ことし(2018年)の夏には正式決定される見込みであるという。

廃止に向けた具体的なスケジュールはそれから決定するのだろうが、以前にも2020年度を目途に廃止したいというJR北海道の表明がなされていたので、そうなると残り2年はまだ存続するようだ。

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 中小屋駅。

廃止が決定すれば、札幌に近いこの札沼線も名残乗車客で混雑しそうである。
すでに朝1往復だけの新十津川行の列車は、休日ともなると相当混雑しているようである。

普段からあれだけ乗っていればねえ、と言いたくなるが、それ以外の列車の乗客数を考えれば焼け石に水というもの。

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 青い色のボックスシート。

札沼線だけでなく、いよいよ道内ローカル線の廃止が本格化しそうだ。

石勝線の夕張支線は来年(2019年)の4月1日の廃止が決定している。
運休区間のある日高線、同じく根室本線の富良野〜新得間もたぶん廃止になる。

釧網線は微妙、あとの路線は貨物列車の運行があったり、国土形成や北海道の骨格をなす路線という位置づけとして、道や政府が関与するらしいが、どうなるんだか。

一方で、函館本線の長万部〜小樽間は、北海道新幹線の札幌開業と同時にJRの経営から自動的に離れることになっている。
一部は三セクで残るのか、そういう話はまだ無いようだ。
いずれにせよJR北海道としては、オラ知らね〜といったところ。

ただ確実なのは、これから数年間は道内は廃線が相次ぐということだろう。

今から30年以上昔の1980年代、やはり道内は廃線ラッシュだった。
国鉄再建法による、『地方交通線のうち旅客輸送密度4,000人未満の路線』をバスか第三セクターの鉄道に転換するというものである。
これによって、人口の少ない北海道内のローカル線は軒並み姿を消した。

あのころ『廃線フィーバー』などという言葉もあって、ローカル線や夜行列車は本州からの旅行者でにぎわっていたものだった。

その廃線フィーバーも繰り返す。
江差線、留萌本線も廃止が決まってから廃止日までは結構な混みようだった。

廃止決定の夕張支線も、廃止決定とあって休日は結構な乗客数のようである。

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 窓ガラスに映る車内。

普段は見向きもしないが、廃止と聞くと乗っておかなきゃとなる。

人間なんてそんなものだ。

廃線フィーバーも結構なものじゃないか。
JRも記念きっぷやグッズを大いに売るが良い。
沿線の人たちも、土産物や沿線グッズ、飲食の露店など出して大いに盛り上げて稼ぐと良い。

こういう廃線フィーバーや便乗商法に異を唱える人も多いが、勘弁してやってくれよ。

オレが代わって謝るからさ (^^;

鉄道の廃止でしか人を集めることができなかった所なんだから。

な、せいぜいこの時だけいい思いさせてやんなよ。

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 『JNR』マークの扇風機。

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 扇風機のスイッチ。

まだ1本しか飲んでないが、だいぶ酔ってきたね。

全員が終点まで行くのかと思っていたら、知来乙で後ろの学生が1人降りていった。
夜は秘境駅のようだが、実はここから月形市街の南端が近い。

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 知来乙駅では、当別からの学生が1人下車。

石狩当別からわずか32分、終着の石狩月形に着いた。
酒を飲んでいたらあっという間だった。

運転士に乗車券を渡して下車する。もう真っ暗になっていた。

地元の乗客たちは駅舎の脇から町へと消えていった。

DSCN4441.JPG
 終着、石狩月形に到着。

DSCN4444.JPG
 夜の石狩月形駅。

石狩月形駅で降りるのは初めてだ。
いや、降りたことはあるが、それは列車交換の停車中に降りただけで、正式に降りるのは今回が初めてだ。

駅舎内のこのレトロ感はどうだ。
国鉄時代からまったく変わっていない待合室やきっぷうりば。

私が初めてこの駅に降りたのはまだ国鉄時代のころ。
あのころは待合室の奥にキヨスクがあったのを覚えている。

変わったのはキヨスクがなくなったくらい。
ここまで原型で残っている駅舎も、ここくらいではなかろうか。

ストーブがデンと鎮座しているのは、この間まで寒かったからまだ使っていたのかも。
このストーブも今じゃファンヒーターに置き換えられて、見ることも少なくなった。

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 待合室は昭和時代から取り残されたようだ。

こんどは札幌に戻る。

帰りのきっぷは石狩月形駅で買おうと思っていたが、きっぷうりばの窓口には『只今、運転作業中です』の札が掲げられてあって、『恐れ入りますが、車内で整理券をお取りのうえ、下車時または着駅にてご精算下さいませ』と書いてあった。

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 これも昭和調のきっぷうりば。『運転作業中』の札があるときは買えない。

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 石狩月形駅の駅舎。

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 すでに眠ってしまった石狩月形駅前。

駅前は虫の音だけが響き、あとは静まり返っていた。

駅舎といい待合室といい、ここまで昭和な駅もないんじゃないか。
夜に1人この駅に降り立てば、昭和映画の端役にでもなった気分になれる。

いかにも終着駅の最終列車という感じだが、このあと22:03着の列車が最終となる。


posted by pupupukaya at 18/06/30 | Comment(0) | 北海道ローカル線考
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