昔の時刻表を引っ張り出してきて根室本線のページを見ますと、ずらりと優等列車が並んでいます。
特急『おおぞら』から急行『狩勝』まで。
普通列車の夜行『からまつ』なんてのもあります。
それは1980年8月発行 交通公社の時刻表の根室本線のページ。
国鉄監修交通公社の時刻表(1980年8月発行)より。
石勝線開通はこの翌年の10月。
札幌から帯広や釧路へ向かう特急・急行列車はすべて滝川から根室本線を通っていた頃。
下り列車だと特急『おおぞら』が定期3本臨時1本、昼の急行『狩勝』が定期3本臨時1本、それに夜行の『狩勝』1本。
8月の繁忙期だと臨時列車を含めて優等列車が1日9本も走っていたのだから、道央と道東を結ぶ大動脈ということが伺えます。
国鉄監修交通公社の時刻表(1980年8月発行)より抜粋。
夜行列車も全車指定の急行『狩勝』と、普通列車ながらB寝台車も連結した『からまつ』の2本が運行していました。
札幌〜釧路間だと特急でも6時間前後もかかっていたので、夜行列車の需要も多かったのでしょう。
しかし、1981(昭和56)年10月の石勝線開業によって、道央と道東を結ぶ運行系統はガラリと変わりました。
特急3往復と昼の急行1往復、それに夜行急行は石勝線ルートに変更されます。
急行2往復は従来通り根室本線経由として存続することになりましたが、滝川〜新得間は特急ルートから外されてしまいます。
この石勝線の効果はすばらしく、札幌〜帯広・釧路間の所要時間は1時間近く短縮します。
一方で根室本線経由で存続となった『狩勝』2往復は従来通りグリーン車と指定席車も連結し、特急『おおぞら』を補完する役割だったようですが、札幌〜帯広間の所要時間は特急が3時間台なのに対し、こちらは4時間台。
座席も当時の急行列車標準だった狭いボックスシートとあっては、よほどの繁忙期でもない限りは急行『狩勝』を乗り通す人は少なかったことでしょう。
特急『おおぞら』が増発されるごとに急行『狩勝』の編成は減らされ、1985年には自由席だけの3両編成に。
私はその頃の『狩勝』に乗ったことがあって、たしか1986(昭和61)年の秋の連休じゃなかったかな。
帯広から札幌まで『狩勝4号』の乗車でしたね。
帯広から乗った車内はガラガラ。車両は木製の床が特徴のキハ56。
それでも車内販売があって、弁当を買って食べた。
池田駅の駅弁『あきあじ弁当』だったなあ。
その駅弁は妙にタケノコばかりの弁当だったこと、帯広新得間は最高速度95km/hでやたら飛ばす急行だと思ったことえを覚えている。
富良野でたくさん乗ってきて、そこから札幌までは混んでいました。
連休なのでたぶん札幌からの日帰り旅行客だったのでしょう。
まだ道央自動車道も札幌〜岩見沢間だけだった頃。
1986(昭和61)年11月に行われた国鉄最後のダイヤ改正で多くのローカル急行が廃止されましたが、『狩勝』は1往復存続することになりました。
下は『狩勝』1往復時代の時刻表です。
弘済出版社道内時刻表(1988年7月発行)より抜粋。
最後の『狩勝』はキハ56の2両編成。
道東への優等列車の一員だった頃の面影はなく、どう見てもローカル急行という姿です。
しかしローカル急行に似合わず意外と俊足で、下り列車は札幌〜帯広間を4時間6分で結んでいます。
函館本線内も、気動車化されたキハ400形急行『宗谷』にも劣らない走りっぷりでした。
でも、札幌から乗り通す乗客はほとんどいなかったでしょう。運行時間帯からして、富良野や芦別への観光列車という位置づけで存続していたのかも知れません。
そんな『狩勝』も1990(平成2)年9月、札幌〜帯広間特急『とかち』新設と引き換えに快速列車に格下げとなります。
札幌〜富良野間は季節運行ですが『フラノエクスプレス』があるので、観光列車としての役割も終わったとのことなのでしょう。
富良野〜新得間は快速と普通列車だけの運行となり、旭川〜帯広間の都市間輸送が細々と残るほかは、富良野への地域輸送がメインというローカル線となってしまいます。
それでも、この頃は石勝線の輸送障害が起きた際の代替ルートと考えられ、それなりに重要路線となっていたのではないでしょうか。
実際石勝線の高速化工事のために夜行『おおぞら』が根室本線を迂回運転で通っていたことがあります。
また、1997年までは東鹿越駅から中斜里駅へ向けて、石灰石の貨物列車が運行していました。
どこか幹線時代の面影を残す山部駅の出発信号機(2013年8月撮影)
1994年から旭川〜帯広間を土休日運転の臨時快速が1往復運転されるようになり、帯広行が『ホリデーおびひろ』、旭川行が『ホリデーあさひかわ』を名乗っていましたが、これも2003年の運転が最後となっています。
あとは青春18きっぷ等所持者が道東方面へ向かう際のルートでしょうか。
石勝線の新夕張〜新得相互間に限り18きっぷ等での特急乗車を認められていますが、こちらは普通列車との接続の悪さもあって根室本線経由よりも有利ではなかったこともあります。
日本最長距離の普通列車、滝川発釧路行き2429Dなんてのもありましたから。
かつて特急列車が走り抜けていた幹線だった路線も、1両のローカル列車が細々と走る路線になってしまいました。
下はそんな頃の落合駅。
今から10年前の画像になります。
落合駅の木造駅舎(2013年8月撮影)
落合駅ホームと滝川行2436D(2013年8月撮影)
落合駅の3番ホームで発車を待つキハ40形の滝川行。
根室本線には、なぜか昔から狩勝峠を越さずに落合駅で折り返す普通列車が1本ありました。
この当時は、普通列車といえば滝川から釧路まで『釧クシ』の標記がついたキハ40オンリー。
現代の2023年になれば近いうちに絶滅危惧種にもなろうという勢いで数を減らしていますが、この頃はどこへ行ってもキハ40に当たるので少々うんざりしたことも。
わずか1人2人の乗客を乗せ発車を待つ(2013年8月撮影)
落合駅を発車するキハ40(2013年8月撮影)
根室本線は2016年8月、台風10号の大雨により甚大な被害を受けます。
特に被害が大きかったのが東鹿越〜新得〜芽室間。
そのうち特急が通る新得〜芽室間は復旧しましたが、東鹿越〜新得間は復旧に要する多額の費用と復旧して運行再開しても多額の赤字が見込まれることから復旧工事を行いませんでした。
被災後は、富良野〜東鹿越間は列車の運行を再開しましたが、東鹿越〜新得間は代行バスによる運行が続いています。
その後、何度かJR北海道への支援を含めた復旧への動きもあったようですが、結局費用負担がどこも難しいという結論に達し、沿線自治体は鉄道存続は断念せざるを得ないという結論となりました。
2023年3月31日、JR北海道から国土交通大臣宛に鉄道事業廃止届が提出され、1年後の2024年3月31日の営業を最後に廃止されることが決まりました。
2023.03.31 2022年度 | ニュースリリース | JR北海道より
富良野〜東鹿越間は今でも列車の運行がありますが、東鹿越〜新得間は日高本線鵡川〜様似間同様に列車の運行が休止したままの廃線となります。
続いてはまだ列車が来ていた頃の幾寅駅の画像。
映画撮影用に『幌舞駅』の看板が掲げられた幾寅駅(2013年8月撮影)
昭和レトロ風に復元された駅舎内(2013年8月撮影)
ホームの『札幌方面』の表示は急行停車駅時代の名残(2013年8月撮影)
こちらは上画像の翌日に撮影した朝の幾寅駅です。
朝の幾寅駅に上り一番列車(2424D)が到着(2013年8月撮影)
通勤客が乗り込む朝の風景(2013年8月撮影)
幾寅駅から朝の上り一番列車に乗り込んで行ったのは6人の通勤客。
この時は夏休み中とあって通学生の姿はありませんでした。
たった1両の列車ですが、南富良野町の人々からすれば、町に朝を運んでくる列車でもあったことでしょう。
こんな山間の町の風景も、突然の災害以来もう二度と見ることができない風景となってしまいました。
こんなことはJR北海道だけの話かと思っていましたが、2022年8月の豪雨以来不通となっているJR東日本の津軽線、蟹田〜三厩間も復旧をあきらめてバス転換するという話も出ています。
赤字ローカル線でも、当面廃止の話はないからいずれ乗りに行こうとか撮りに行こうと思っているうちに災害で不通になり、そのまま廃線になることも十分ありうる時代になりました。
これは道内だけでなく、全国どこでも例外なくということになるのでしょうか。
幾寅駅ホームから発車する列車を見送る(2013年8月撮影)
私が一昨年(2021年)の7月に乗りに行ったときは、夕方の下り列車でしたけど地元客以外の乗客は私1人だけ、東鹿越からの代行バスの乗客も全員幾寅で下車し、幾寅〜新得間の乗客は私1人だけになったものでした。
あまりの閑散ぷりに、この線の存続はやっぱり無理だろうなあと実感したものです。
ま、ここも廃止が決定したことで、名残り乗車客で混むようになるでしょうね。
札幌からでも旭川からでも一日散歩きっぷの区間内ですし、一大観光地富良野もあることから、休日などかなりの賑わいを見せるのではないでしょうか。
廃止と聞くと乗りに行きたくなるのは誰だって同じ。
まだ1年近くあることだし、私もあと1回くらいは乗り鉄としてお邪魔するかも。
かなやま湖の鉄橋を渡る滝川行2434D(2014年5月撮影)
留萌本線の石狩沼田〜留萌間が3月31日を最後に廃止となりましたが、残る深川〜石狩沼田間も2026年3月をもって廃止が決定しています。
これでJR北海道が廃止を提示していた輸送密度200人未満の線区についてはバス転換という形で片付くことになります。
また、函館本線の山線区間である長万部〜倶知安〜小樽間も、2030年度末予定の北海道新幹線札幌開業を待たずして廃止となることが決定しています。
新幹線の並行在来線となる函館本線の函館〜長万部間の去就はまだ決定していませんが、新幹線アクセス鉄道となる函館〜新函館北斗間を除いては、少なくとも旅客列車は廃止となりそうです。
それでも北海道には、花咲線、釧網線、宗谷線、石北線など、魅力のある路線がまだ残ります。
しかしこれらもある日突然災害によって最後となる日が来るかも知れません。
廃止予定はなくても、突然の災害によって不通になり、復旧することなく廃線となることも十分ありうることで。
廃止反対運動をしても、何千人もの鉄道存続を願う署名を集めても、費用負担の問題を解決できない以上そんなもの届くはずもありません。
普段は見向きもしないくせに、廃止となると反対運動を始めたって手遅れだよ。
今のうちにできることといえば、あるうちに乗っておくくらいしかないようで。
〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。