またも消えるキヨスク 2

本日(2018/6/21)を最後にキヨスク大通ホーム西店は閉店になりました。

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 2018/6/21で閉店の貼り紙。

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 東西線乗り換えコンコースで多くの人を見守ってきたキヨスク。

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 朝ラッシュ時は人波が押し寄せる場所。職人芸の本領発揮でもあっただろう。

残るは、大通駅西改札口西側奥にあるキヨスク大通B1西店の1店舗ということになるが、こちらも6/28で閉店のお知らせが下がっていた。

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 こちらも6/28で閉店になるキヨスク大通B1西店。

これで札幌市営地下鉄の、『キヨスク』としての売店はすべて姿を消すことになる。

行きかう人々は、閉店の貼り紙など気づかずに早足で歩き去って行く。
ニュースにも新聞記事にもならないが、役目を終えひっそりと消えゆくキヨスク。

だれも気付く人はいないが、長いこと札幌市民の地下鉄利用者に親しまれてきたキヨスクは完全に消滅する。
当たり前だと思っていたものが、いつの間にか消滅する瞬間である。

私自身、そう頻繁ではないがお世話になったキヨスク。
販売員の方たちも、長いことお疲れさまでした。それと、ありがとう。

posted by pupupukaya at 18/06/21 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

札幌駅のキロポストについて考える1

問題:札幌駅は函館本線の駅ですが、ではこの駅は起点の函館駅から何kmのところにあるでしょうか?

えっ?318.7km?
あんた若い人だね。

286.3km?、これがスッと出てきた人はおじさん(おばさん)以上だね。

最初の318.7km、これは特急のルートである室蘭本線・千歳線経由でのキロ数。
まあ実態数ではあるけれど正解ではない。

286.3kmというのが、函館本線である小樽まわりのキロ数ということになる。

この回答がなんでおじさんかって?
この小樽まわりの286.3kmという数字は、現在の時刻表ではもう載っていないからだ。

かつては長万部〜札幌間については、小樽経由でも室蘭経由でも、距離が短い小樽経由で計算した運賃・料金が適用される制度があったが、1994年に廃止されている。その後もしばらくは時刻表では小樽経由のままとなっていたが、長万部〜小樽間は別欄のローカル線扱いの掲載となり、この営業キロの記載も無くなった。

いわゆる山線と呼ばれる長万部〜小樽間は、当時普通列車しか直通しないローカル線になっていたし、実際小樽経由で乗車する人もほとんどいなかったので、実態に合わせた改定だった。
と言っても、それで32.4kmも距離が伸びたのでその分値段が上がるということになる。
要は体のいい値上げだったと言える。

最近は再び小樽経由の臨時列車の特急が『ニセコ』として復活したので、この列車に乗る場合は小樽経由の営業キロで計算した運賃・料金が適用されることになる。

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 まだ函館からの営業キロが記載された時刻表(道内時刻表99年3月号より引用)。

ちょっと話がずれたので、元に戻します。

で、函館から実際には何kmか、正解の前にこちらの画像。

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 札幌駅10番線ホームから。

上の画像左側にあるのは札幌駅にある287kmのキロポスト
10番線ホームの向かい側にひっそりと存在している。

ただ、この場所にキロポストが設けられたのは最近のようだ。
まあ、こんなもの気付く人も少ないだろうし、10番線と11番線に電車が停車していれば見ることはできないものだ。

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 新設された『287』のキロポスト(2018年8月14日)

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 キロポスト設置前(2017年8月14日)

キロポストの下に手書きだが『287k000 駅中心』とあるので、ここが札幌駅のキロ程ということになる。

前述のとおり、函館からの函館本線での営業キロ286.3kmとなっていて、キロポストとの差は0.7km営業キロの方が短い。
この差はどこで発生しているかを調べてみることにした。これが今回の記事の目的である。


その前にこのキロポストの数字は何かということを説明しておく。

線路には測量中心線というものがあり、これは路線の中央に1本だけ引かれている。あくまで設計上のもので、実際にあるわけではない。

起点駅の駅中心を0k000m00として、そこからこの測量中心線に沿った距離がキロポストの数字ということになる。
この距離の1kmごとに下り線の左側に立てているのがキロポストである。

また、この距離は通常は小数点3ケタ(1m単位)で表し、駅(停車場)だけでなく橋梁、踏切、トンネルなど線路上のあらゆる施設に付けられる。いわば線路上の住所として使用される。

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 函館本線、白石駅東側の踏切に表示のキロ数。293K062Mとある。

営業キロも基本的には同様に設定されるが、測量中心線 <ここでは便宜的に以下『施設キロ』と呼びます> とは別物で、営業キロは鉄道の営業や運転上で使用されるが、施設キロはあくまで設計や施工、保守に使われるもので、営業上や一般の利用者には全く関係ないものだ。

ただ、開業当時から路線変更や線形改良工事で新旧両線の距離に変更になければ、両者は基本的に同じ数字となる。
じゃあこれが変更になったときはどうするのか。

営業キロの場合、新線に合わせて訂正するのが決まりのようで、新線に切り替わると営業キロも訂正されることが多い。
ただし、駅間のみの切り替えや変更ではそのまま据え置きということもある。

一方、施設キロの場合は、新線切り替え区間の終点までは新しい施設キロが設けられるが、そこから先はそのまま据え置きとなる。
つまり、いったん分かれた新線には新たな施設キロによるキロポストが立てられるが、もとの線に合流する地点で、旧線経由のキロ数に戻されるということだ。
この場合、新旧の合流する地点に距離更正点(ブレーキングポイント)という地点が設けられ、新旧の差を打ち消すことになっている。

なぜこうするのかというと、切り替えで起点からのキロ数の変更が生じるたびに、その先のキロポストの移設をしていては大変だからだ。
施設キロはあくまで線路上の構造物の住所を示すものとなる。

これの極端な例を挙げると、千歳線の苗穂〜北広島間は1973年に東札幌月寒経由の旧線から現在の新札幌経由の線に付け替えられている。これにより同区間の営業キロも21.9kmから19.6kmへと2.3km短縮されているが、一方、北広島から先の施設キロは変更されていない。

早い話が、北広島〜沼ノ端間のキロポストは現在でも苗穂起点東札幌経由旧線のままになっているのだ。 

北広島駅には22km南千歳駅には44kmのキロポストがホームから見えるが、実はこれは札幌駅からではなく、苗穂起点で今はサイクリングロードになっている旧線経由のキロ数である。

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 南千歳駅にある44kmのキロポスト。

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 南千歳駅にある石勝線の0キロポストと枕木にある44k130の表記。

南千歳駅の例を挙げると、この駅の苗穂からの営業キロは41.8km、同駅の施設キロは44.13kmとなっていて、歴然と旧線時代との約2.3kmの差が生じている。

あと余談だが、千歳線の起点駅は現在は苗穂駅ではない。
路線としての千歳線は白石〜沼ノ端間(※または沼ノ端〜白石)となっている。

 ※ Wikipedia や鉄道要覧では『沼ノ端〜白石』、JR北海道 や国土交通省のHPでは『白石〜沼ノ端』となっているがどっちが本当なのか?

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 苗穂駅に立つ千歳線の0キロポスト。

過去には国鉄時代に苗穂〜白石間が函館本線との二重戸籍になっていたが、JRになってから解消されている。
苗穂駅に立つ0キロポストはあくまで、千歳線の施設キロ上の起点というだけの意味になる。

これでおわかりいただけただろうか。

つまり営業キロは路線変更などがあれば新線に合わせて改定されるのに対し施設キロは基本的に開業当初から変わることはない
これが営業キロとキロポストの数字の差となって表れるのだ。

まあこれも例外があって、函館本線の納内〜近文間の旧線が複線の新線に切り替えられたときに、近文〜旭川間の施設キロも改定になっている。これは終点までたった1駅だけだったのでということだろう。

さて、本題の札幌駅のキロポストに話を戻します。


つづきを読む
posted by pupupukaya at 18/08/19 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

札幌駅のキロポストについて考える2

前回の続き。

札幌駅にある287kmのキロポストは実は函館駅起点のものではない。
正確には函館桟橋起点ということになる。

この函館桟橋とは何かというと、1924年(大正13)に青函連絡船の若松埠頭岸壁が完成したときに設けられた駅で、この桟橋駅が函館本線の起点とされることになった。

ただし、函館桟橋駅は運賃計算上の哩程(当時はマイル)は設定されず、当初から運賃計算上の起点は函館駅とされた。

1930年(昭和5)には桟橋駅のホームを延長し、函館駅構内に取り込まれる形で消滅している。

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 函館桟橋0K000M00の表記がある昭和58年4月函館駅構内配線図。
(函館驛写真で綴る100年の歩みより引用)

しかし、施設上の起点は旧函館桟橋駅のままとされ、函館駅の営業キロは0.0kmだが、施設キロ※では0.29kmとなり、函館駅の時点ですでに差となって生じている。

 ※ 前述ですが、キロポストのキロ程はここでは便宜的に施設キロとしています。

函館桟橋に当たる施設キロの起点があった場所は、現在では函館駅から青函連絡船記念館摩周丸に向かう途中にある大雪丸大錨のモニュメントが立つあたりのはずである。
旧駅時代はここまで駅構内だったが、現在の駅に移ってからはすべて鉄道施設は撤去されている。

えっ?
じゃあ函館駅の構内に0キロポストがあるけどあれは何なのって?

そう思ったあなたはスルドイですね。
そう、あれは紛れもなく函館本線起点の0キロポストです

しかし、これにはからくりがあって、0キロだが0k000m地点ではないという不思議なキロポストとなっている。

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 函館駅の線路終端にある0キロポスト。

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 0キロポストの説明。総延長458.4kmは藤城線や砂原線を含めた距離のようだ。

そのからくりとは下の画像にある標識。0キロポストの裏側になる。

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 0キロポストの裏面にある距離更正標。ここから0k219m000としてスタートする。

前回の記事で、起点からの距離が変わった場合は距離更正点という地点を設けて新旧の差を打ち消すという説明をしたが、キロポストの裏に表示された標識がまさにこれ。
0kmだが、同時に0.219kmの施設キロでもある地点ということだ。

別に大雪丸大錨付近からの測量中心線が残っているわけではなく、施設キロのスタート地点はあくまでこの地点だということ。
旧函館桟橋地点は、あくまで施設キロ程を現す際の概念上の存在ということになる。

ところで、なぜかコンコース側にあるモニュメントの0キロポストにも、ご丁寧に同じものが表示されている。
なにか訴えたいものがあったからなのか・・・。

これと逆パターンでは、起点から延長した場合はマイナスのキロ数が付けられることもある。

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 函館駅5番ホーム下にある『停車場中心標』。ここが旧函館桟橋起点0k290m00地点。函館本線の営業キロはここを0.0kmとしている。


〜 話が函館駅に行ってしまったのでまた札幌駅に戻ります。

で、この0.29kmを差し引くと函館〜札幌間の施設キロは286k710mとなる。
すこし差が縮まったが、まだ0.41kmの差がある。

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 距離をマイルで表記した時刻表(大正十四年汽車時間表復刻版より引用)

1924年に函館桟橋を起点とすると前述したが、この当時の距離数はマイルで表していた。
大正14年の時刻表では、函館駅起点で札幌駅までは179.1哩(マイル)となっている。

1930年(昭和5)にはメートル法が実施され、それまでマイルを使用していた鉄道の距離関係はすべてメートル表記に改められる。
1マイル=1.609344 kmとして置き換え、同時に全国にあったそれまでのマイルポストから、現在のキロポストに切り替わった。

あれ?
179.1 × 1.609 = 288.1719

これだと計算が合わないのはなんでだろ。

179.1 × 1.600 = 286.56

1マイルの数値を1.6にすると今の営業キロや施設キロに近くなる。
もしかして当時の担当者が計算が面倒だからと数値を丸めちゃった?

それはともかく、このときに函館〜札幌間の営業キロ数は179.1マイルから286.3kmとされ、これは現在まで変わっていない。

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 キロメートル表記に改まった時刻表(鉄道省編纂汽車時間表昭和5年10月号より引用)

戦後は森〜八雲間や、昆布〜倶知安間などでちょくちょく線形改良工事が行われており、実際には若干距離が縮まっていると思われるが、営業キロの改定は行われていない。
これも施設キロと同様に、工事の度にいちいちキロ数を改定していては大変という理由からである。

もう一つ、札幌駅の施設キロ数は287.000kmとなっているが、これは1988年の高架化開業時に改キロしたようで、地平駅時代の施設キロは286.970kmとなっていた。

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 286K970M00の表記がある札幌駅構内平面図(札幌駅116年の軌跡より引用)

施設キロは普通はそうそう変わるものではないので、筆者はずっとこのキロ数だと思っていた。
ところが、札幌駅ホームに設置されたキロポストと駅中心の表記を見て知ったのである。

JR北海道の お知らせ にあった資料にも札幌停車場287k000m00の表記があったので、間違いはない。

隣の桑園駅は高架後も285.330kmで変わっていないし、函館本線の終点である旭川駅の施設キロも423.754kmから変わってないので、札幌駅の中心キロ程は高架時に旭川方に30m移動したことになる


ということで、札幌駅の営業キロとの差は、こうなる。

(施設キロ)−(営業キロ)−(桟橋と函館駅の差)−(高架時の移動分)
  287.0 − 286.3 − 0.29 − 0.03 = 0.38

ということで0.38km差まで縮まった

ここまで来たら何が何でもこの差を見つけてやると意地になってきたぞ。

こうなればしらみつぶしに探してやろうと、営業キロと施設キロをエクセルの表に打ち込んでみた。

kmsabun.png
 Excelに打ち込んだ両者のキロ数の対照表。(施設キロは小学館『日本鉄道名所1』より)

駅間の営業キロと施設キロを比較したのが上の表。
0.1以下は四捨五入の端数として無視。
で、差分が見つかったのが昆布〜ニセコ間と、塩谷〜小樽間

線形改良工事が行われたのは戦後の、しかも昭和30年代以降に行われたものがほとんどなので、終戦数年後に米軍が撮影した空中写真を見ればすぐにわかると思われた。

それで見つけたのが以下の2か所。

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 昆布〜ニセコ(狩太)間の線形改良箇所(地理院地図より作成)

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 線形改良箇所の空中写真。1948年米軍撮影(地図・空中写真閲覧サービスより作成)

昆布〜ニセコ(当時は狩太)の線形改良箇所。空中写真を見るとアーチ状のカーブの上にさらに上に迂回する旧線跡が見える。
トンネルを含む新線に切り替わったのは大正末年ということだ。
現在の地形図では尻別川を2回も渡ってさらに直線化されているが、これは1975年(昭和50)に行われている。

もう一つが、塩谷〜小樽間の線形改良箇所
開業当初はオタモイ峠はトンネルではなく、南側を迂回する形でトンネル無しで峠越えをしていたようだ。

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 塩谷〜小樽間の線形改良箇所(地理院地図より作成)

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 線形改良箇所の空中写真。1948年米軍撮影(地図・空中写真閲覧サービスより作成)

空中写真で見ると、国道5号線の不自然に奇麗なカーブが線路跡とわかる。
こちらの切り替え時期はわからないが、大正5年測図の地形図には旧線で描かれ、昭和10年のものは新線になっている。

新旧の距離を地形図上でざっくりと測ってみると、旧線が930mに対して新線が750m約180mの差となった。
上記の対照表では0.17kmだったので、新線と旧線の差が営業キロと施設キロの差になったと見て間違いない。

というわけで、これで残り0.38kmの差はこの線形改良箇所での新旧差とわかった。

函館桟橋起点で設定されたマイル数は、大正末期か昭和初期頃に行われた新線切り替えで距離が短縮されたのだが、そのまま据え置かれて旧線のままになっていたが、昭和5年にメートル法が施行され一斉にキロメートルに改められたときに、営業キロは新線を含めた実際のキロ数を採用し、施設キロは旧線経由のマイルをそのままキロメートルに換算して使用したということだ。

というわけで、それぞれの起点からの札幌駅のキロ程はこのように設定されたようである。

営業キロ:函館起点 286.3km = 昭和5年当時の函館本線の実キロ
施設キロ:函館桟橋起点 286.970km ※ = 大正13年に設定された函館本線の実キロ

 ※1988年の高架化で287.000kmに改められる。

その後、線形改良工事等で実際の距離が変わっても、どちらのキロ程は変更されないまま現在に至るということになる。


で、冒頭の札幌駅は函館から何kmのところにあるかの答え。それは、

正確には誰にもわかりません (^^;

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駅や車内から何気なく目にするキロポスト。
その鉄道のキロポストの数字には、深い歴史と経緯が刻まれているのである。

あまりに暇だったお盆休みで、いろいろ調べてみました。
まあ、大人の自由研究といったところ。

最後までお読み下さいましてありがとうございました。

   【参考文献】
小学館日本鉄道名所1 函館線 根室線 宗谷線
札幌駅116年の軌跡
函館驛 写真で綴る100年の歩み
JTB 時刻表復刻版戦前・戦中編
Wikipedia
JR北海道HP
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス


posted by pupupukaya at 18/08/19 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

惜別、旧苗穂駅1(ホーム編)

2018年11月17日、苗穂駅が移転する。

移転場所は札幌駅方向へ約300m、東11丁目の苗穂跨線橋があった場所になる。
南北を結ぶ自由通路も新設された橋上駅になるので、アリオやファクトリーへ近くなるほか、今までJR苗穂工場の広大な敷地で分断されていた駅北側からのアクセスもぐんと良くなる。

新しい駅も早く見たいけど、古い駅のほうも無くなるとあれば今のうちに見ておきたい。
そんなわけで、移転1週間前の日曜日、苗穂駅に行ってきました。

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車ではなく、札幌駅から千歳行普通電車に乗り、ひと駅で到着。

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苗穂駅ホームから直接苗穂工場に通じてる跨線橋。
『JR社員専用階段』とあって、一般客の利用はできない。

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今まで苗穂工場へ通勤していた人は不便になると思いきや、新駅のホームからちゃんと専用通路が設けられていた。
新しいホームからの跨線橋とコンクリート製の通路が新設されている。

出た所からまた既設の跨線橋を渡るようだ。
階段の昇り降りだけでも大変だ。

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 2006年10月、苗穂駅一般公開時の跨線橋。

年1回の苗穂工場一般公開のときは、ホームから直接この跨線橋を渡って工場へ行くことができた。
いつの頃からか、使用することができなくなり、苗穂駅からぐるっと回って行かなくてはならなくなった。

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 2006年10月、ホームでは乗車券の臨時発売所が置かれていた。

ことし(2018年)の一般公開は北海道胆振東部地震の影響で中止になってしまった。
来年からは、新しい駅からのアクセスはだいぶ良くなるだろう。

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旧駅のホームから新しい駅を見る。

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5・6番ホームの屋根から下がる丸時計。シチズン製。
これも最近少なくなったな。文字盤のアナログさが素敵。

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こちらは駅舎へ向かう跨線橋の階段。
段鼻は木製。年季が入っている。

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古レールを組んだ跨線橋。
真ん中の橋脚は、かつてあった1・2番ホームの跡。
上下線の間に留置線が2本新設された際に駅舎寄りに新しいホームができて、そっちに移された。

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駅舎とホームを結ぶ跨線橋。

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跨線橋の上からの眺め。
苗穂駅の複々線はひっきりなしに列車がやってくる。

この風景も見納め。

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3・4番ホームから見た駅舎。
外壁は張り替えられているが、元は下見板張り。
昭和の木造駅舎の面影を残す。

今は撤去されたが、駅舎との間に貨物線が2本あり、これも今はなくなった北ガスの工場への引き込み線へ続いていた。

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苗穂駅ホームと奥の苗穂工場。
いかにも工場地帯といった佇まい。

苗穂駅周辺は昔から大小の工場が多く、札幌の工場地帯だった。

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3番ホームから見える萩原朔太郎の詩『旅上』の一節を謳った看板。
昔からあって、苗穂駅の線路側のシンボルでもある。

この看板、たまに架け替えられているようで、前は白地に黒い字で書かれていた。

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 2005年12月の看板。

さらに古くは『夢紀行 ロマンを求めて 苗穂から』の部分が、

『旅のご相談は 電話221-○○○○ 苗穂駅へ』

だったような気がする。

元は広告看板だった。

この看板が掲げられたのは、国鉄末期だったかな。
『きままなる旅に出てみん』の後にこの文句でつなげるのは、当時中学か高校だった私は、なかなか洒落た文句だと感心していた覚えがある。

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苗穂駅の駅名標。
これはホーム上屋から下がる行燈タイプのもの。

青函トンネルが開業した1988年3月前後にこのデザインの駅名標に一斉に替えられたんじゃなかったか。
しかし、ここ10年以上前から、新規でこのデザインの行燈型駅名標が採用されることはなくなったようだ。

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跨線橋から見た駅舎とホーム。
間が空いているのは、ここに貨物線があったから。

北ガスやサッポロビール工場などへの引き込み線が多数あった当時、ここにも線路が並んでいた。

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跨線橋から駅舎へ直接つながっている通路。


posted by pupupukaya at 18/11/11 | Comment(5) | 北海道の駅鉄

惜別、旧苗穂駅2(駅舎編)

惜別、旧苗穂駅1 のつづき。

こんどは駅舎側を見ていきます。

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駅舎正面。
駅前広場左のローソンのあるビルから駅出入口〜タクシー乗り場までアーケードが設けられている。

駅前広場のオンコの木も開業当時からあるのだろうか、大木(たいぼく)になっている。

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正面入口に掲げられた駅名看板。(別の日に撮影したものです)

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ラッチ内通路に場所を取られ、あまり広くはない待合室。
基本的に通勤通学駅なので、日中は閑散としている。

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みどりの窓口。
駅員さんは いつも暇そう 親切なので、面倒なきっぷを買うときはよく苗穂駅まで行っていた。

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券売機コーナー。
駅移転で営業キロ数が変わると、各駅までの運賃も変わるがどうなるんだろう。

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自動改札機は斜めに配置されている。
自動化前は、改札ボックスが同じように斜めに置かれていたと記憶している。

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改札口と列車発車案内。
快速は通過するが、普通列車は函館本線・千歳線合わせて1時間当たり6本ある。

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2017年3月10日をもって閉店したキヨスクの跡。
移転する駅なので、撤去せずそのままになっている。
シャッターは大型の広告ポスターで覆われていた。

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ありし日の苗穂駅キヨスク。2013年10月19日撮影。
キヨスクとしては閉店したが、移転した新装苗穂駅にセブンイレブンST苗穂店として復活する。

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駅舎内外はリニューアルされて現代的になっているが、よく見ると壁なんかに昭和戦前を感じる。

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待合室からホーム側の窓を見る。
橋上駅から、上から見下ろすのも楽しいが、こういう眺めも悪くはない。

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駅前広場側の窓から。
昔ながらの駅の風情。

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現代風にリニューアルされた駅舎だが、軒先は木の柱が残っていて、古さを感じさせる部分。

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軒先の屋根部分。ここは80年以上変わらない。
この屋根の下で待ち合わせをしたり、雨宿りをしたり、昭和の時代が蘇るような空間。

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昭和10年10月の表記がある建物財産標。戦前の木造駅舎としては新しい部類。
大正や昭和初期のようなモダンさは無く、実用一点張りといった設計。

1980年代始めまであった旧琴似駅の木造駅舎も、苗穂駅とよく似た部分があった。
さらに苗穂駅移転後は札幌市内唯一の木造駅舎となる篠路駅も同時期の駅舎。

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トイレ前の空間は、出口専用の改札口があった場所。
昔の駅は、入口の改札口は待合室の中に置かれ、出口は待合室を通らずに直接出られるように分けられていた。

今の改札口は、きっぷ売り場と兼用するような構造になっているが、昔は改札が始まると駅員が出てきて改札口に立っていた。

改札口があったところは壁でふさがれて、デッドスペースとなっている。
画像に見える土台のような跡は喫煙所のパーテーションが立てられていた。
その喫煙所すら撤去されたあたりに時代を感じる。

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駅横の苗穂駅前交番。
この建物も年季が入っている。

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木の看板が掲げられた駅長事務室入口。

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鉄道少年団と理容店が入居していた。

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苗穂駅舎と駅前広場。
あまり広くはないが、タクシーが常駐している。

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苗穂駅前にあるD51動輪軸のモニュメントと苗穂駅。

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苗穂駅前のバス停と、かつて市電苗穂線の終点だった苗穂駅前停留場があった場所。

市電ループ化に成功してからは、新たな市電ルートの候補として苗穂地区が検討されているようだが、どうなるのか。

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開業を1週間前に控えた新しい苗穂駅。
駅を軸とした再開発計画があって、この駐車場跡にもビルが建つ。

あと数年もすれば、このあたりは様変わりしているのだろう。
あと市電も乗り入れているのだろうか。

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私の関心ごとは新しい苗穂駅ではなく、この旧駅舎のこと。

札幌市内にあった木造駅舎はこの苗穂駅と篠路駅に残るのみとなった。
貴重な歴史遺産として保存してほしいとは誰もが思うところだろう。
できれば、開業当時の姿に復刻して、鉄道記念館的な施設として。

この旧駅舎はJR北海道の資産ということになるが、いまのJR北海道にそんな余裕など無いのはわかっている。
札幌市あたりが買い上げて、市の施設として保存・有効活用となればいいのだが、今のところそんな話は上がっていないようだ。

このまま行くと解体されて駐車場かマンションへといったところだろう。

誰か旧苗穂駅舎を買い上げてぇ〜

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 画像と本文とは関係ありません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

posted by pupupukaya at 18/11/17 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

平成時代、懐かしの旧函館駅

長い間親しまれてきた三角屋根の函館駅。

かつて青函連絡船のあった頃は『れんらく船のりば』のネオンが輝き、北海道の本州側からの玄関口であった。
青函トンネル開業後は、本州から札幌直通の列車ができたとはいえ、昼間の特急はすべてここで乗り換えになる。北海道の玄関口であることには変わりなかった。

昭和時代に完成し、平成時代に役目を終えた旧函館駅舎を画像で綴ります。

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 函館駅5代目、現駅舎(2019年3月撮影)

青函連絡船を模して設計されたという駅舎。
壁面はチタン製で、海風による腐食も受けにくいとか。

2016年3月、北海道新幹線開業によって函館駅は玄関口としての役割を新函館北斗駅にゆずることになった。
本州からの連絡を受け持つことはなくなったが、現在は特急北斗の始発駅として、函館市のターミナルとしての玄関口であることには変わりない。

年号が改められて時が経てば、近代的な平成時代の駅ということになるのだろうか。
しかし駅前に立つと、あの三角屋根の旅情あふれる駅舎を思い出す人も多いのではないだろうか。

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 函館駅4代目旧駅舎(2002年3月撮影)

この旧駅舎は1942(昭和17)年建築のもので、戦時中にも関わらず鉄筋コンクリート造で建てられたくらいだから、当時の函館駅の重要度がうかがえる。 

設計的には切妻の三角屋根を中央に据えただけという特に凝った造りではないが、妙に旅情を感じる不思議があった。
北海道の玄関口として、あるいは背後に港を控えたことや連絡船があったことなどが、この駅舎を引き立てていたのだろう。

長らく風雪に耐えてきた駅舎だが、老朽化のため2003年に現駅舎に建て替えられた。

三角屋根の旧駅舎を惜しむ声も多かったが、長年風雪や海風にさらされた駅舎は老朽化が深刻だったようだ。
鉄筋コンクリート建てだが一部は木造で、しかも戦時中の物資不足の中で建設された駅舎は耐震工事もままならず、建て替えるほかなかったようだ。

旧駅舎跡地は広大な駅前広場の一部になっている。 

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 三角屋根と青い大時計がシンボルだった(2002年3月撮影)

国鉄末期頃から主要駅は格好の広告媒体とばかりに、大看板が掲げられたものだ。
広告の大看板が掲げられるようになってから、駅舎本体が余計に古くさく見えるようになったのだろうか。

正面楼上にある水色の時計は1953(昭和28)年に設置されたもの。
直径2.2mの大時計で、夜には時計盤の目盛と針が光るネオン時計だった。

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 現駅舎と大時計(2019年3月)

新しい駅舎と調和して開業当初からあるように見えるが、当初時計は設置されていなかった。
乗客の要望が強くあって、2004年に設置されたもの。

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 市電の走る街に溶け込んでいた三角屋根の駅舎(1999年5月撮影)

右はワコー、左は棒二森屋、それに松風町まで続いていた駅前通りのアーケードも今は無い。
駅の南側には大型商業施設が建設中、棒二跡も商業施設になるらしい。函館駅前もどう変わるのだろうか。

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 函館駅前を走る市電。上とほぼ同じ場所から(2019年3月)


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 函館駅前電停と函館駅舎(1999年5月撮影)

駅を出て正面へ進むと市電の函館駅前電停だった。
函館駅舎と並んで、もう一つの函館の顔でもあった。

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 1999年画像と同位置から(2019年3月撮影)

市電は函館の顔であることに変わりはない。
旧駅より奥に引っ込んだ形になった新駅の駅前広場に乗り入れるという話もあったらしいが実現しなかった。
駅は街から遠くに行ってしまった格好だ。

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 2002年頃の函館駅略図(メモより筆者作成)

テナントの入れ替わりこそあるが、国鉄末期〜JR化頃には上図のレイアウトになっていたのではなかろうか。
コンコースを取り囲むようにテナントが並ぶようになった。そのほとんどがJR北海道系が運営やフランチャイズの店であった。

これよりもっと前、国鉄時代の函館駅は私はうろ覚えでしかない。昔はもっと待合室が広かった気がする。

『函館驛写真で綴る100年の歩み』に掲載の、1982(昭和57)年の函館駅本屋平面図では、みどりの窓口の場所が待合室、にっしょくとオアシスの場所が一般出札窓口、待合所部分が乗船コンコースとなっている。

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 吹き抜けのコンコース(2002年3月)

天井の高さはあまり活かされては無かったようだ。
出入口を1箇所閉鎖して設けられたキヨスク。右側には駅弁みかどの売店があった。
今ではすっかり姿を消した行灯型の広告も並ぶ。

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 吹き抜けの改札口側(2002年3月)

当初はこちら側にも明かり取り窓があったが、いく度もの改築工事で埋められたようだ。
吹き抜けと言っても柱2本分だけ。あまり広い空間ではなかった。

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 現在の駅の吹き抜け(2019年3月撮影)

正面駅舎の煙突部分の内側。
北海道への玄関口としての機能は失ったとはいえ、特急北斗や新幹線連絡のはこだてライナーの始発駅としての貫禄は健在。

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 改札口前のコンコース(2002年3月撮影)

この頃にはすでに自動改札化されていた。前は銀色のボックスがいくつか並んでいた。

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 上画像の同じ場所(1999年9月撮影)

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 改札口前の時刻表(2002年3月)

道内の駅では今は見られなくなった白地の行灯(あんどん)式が最後まであった。

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 行灯方式の函館本線発車時刻表(2002年3月)

列車時刻が羅列された無機質な表示板だが、こうして見ると味わいというか旅情が感じる。
今のものは、紙にプリントして掲示板に張り出されたもので味気ない。

時刻変更があるたびに手作業で書き換えなければならず、手間のかかるものだった。
そのため、他の駅でも標準的なポスター形式のものに改められている。

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 駅コンコース改札口側から(2002年3月)

受験シーズンは大型合格祈願絵馬が置かれ、自由に書き込み出来た。

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 北側はみどりの窓口や旅行センターへの通路(2002年3月)

市松模様の床が時代を感じさせる。
この頃は改札口は1か所にまとめられていたが、昔はこの奥が出口専用の改札口で、コンコースの改札口は入口専用だった。

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 オープンカウンターのみどりの窓口(2002年3月)

国鉄末期、80年代にすでにこの場所に移転し、オープンカウンタースタイルになっていたようだ。

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 待合所入口とキヨスク(1999年5月撮影)

キヨスクも深夜まで営業していた。90年代前半までは待合室ともども、24時間営業だった記憶がある。

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 待合所の風景 西口側から(2002年3月撮影)

いつも多くの人が利用していた待合所。夜行ミッドナイトの待ち合わせで時間をつぶしていたのが懐かしい。

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 待合所の風景 改札側から(2002年3月撮影)

待合室の奥には『みかど』や『にっしょく』の食堂がある。いかにも駅の食堂という感じだった。

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 ベンチが撤去されていた頃(1999年5月)

90年代の一時期、待合室のベンチが撤去されていたことがあった。
当時コンコースは24時間開放され、ベンチはホームレスなどが横になり占領していたためと思われる。

しかし利用者には不評だったのか、青いバケット型ベンチが並ぶことになった。
その代わりに24時間開放を取りやめ、防犯上の理由として深夜は一時閉鎖ということになった。

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 待合室奥にあった『レストランみかど』(2002年3月)

画像で見ると階段があるので2階にあったようだ。そうだったかな。
レストランの窓からホームと列車が見えた記憶は残っている。

あと、ここで食べたとんかつ定食は、ソースではなく、なぜかケチャップが添えられていた。

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 現在の函館駅待合所(2019年3月)

旧駅舎時代から変わらず大勢の列車待ち客で盛況だ。
客層は外国人客が多いのは、時代の移り変わりを思わせた。

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 待合所の奥にあった立食いそば(2002年3月撮影)

『みかど』の立ち食いそば、いわゆる駅そば。夜行で早朝に到着するとよく利用した。
イカ天そば、みがきそばが名物だった。
みがきそばは、駅弁の鰊みがき弁当の甘露煮をそばにのせたもの。しょっぱかったなあ。

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 立ち食いそばが2店舗あった頃(2002年3月)

函館駅に夜行列車で到着すると、待ち受けていたかのようにコンコースの飲食店は既に営業していた。
函館駅の朝は早かった。

駅そばは『みかど』と『にっしょく』の2店舗が通路を挟んで向かい合って営業していた。

新駅舎には駅そばは受け継がれなかった。
ホームの店舗はみかどの運営で、新駅舎になってからも営業していたが、これもキヨスクともども閉店している。

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 正面口の裏側にあった西口(1999年5月撮影)

待合所後ろ側あった出入口。裏口のような雰囲気だった。
正面には函館朝市があり、函館市青函連絡船記念館摩周丸へもこちらが近い。
連絡船があった頃はここから桟橋口までアーケードが続いていた。

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 ラッチ内コンコースから見た改札口と精算所(2002年3月)

自動改札化後は左側の窓を改造した精算窓口は使われなくなり、改札口と統合した精算所が使われるようになった。

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 跨線橋から0番ホームを見る(1999年5月)

0番ホームは新駅舎建設のため、旧駅舎よりもひと足先に解体された。

跨線橋を渡らずに行き来できたホーム。
元々は戦後進駐軍車両専用のホームだったもの。のちに気動車列車専用のホームとなった。

湾曲したホームと駅本屋との間は、中庭のような雰囲気だった。

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 0番ホームから見た駅舎(1999年5月)

駅舎正面は何度もリニューアルされて古さはさほど感じられなかったが、ホーム側から見るとやはり老朽化が進行していたと窺わせる。

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 ドラえもんの機関車と快速海峡(2002年3月)

連絡船桟橋があったために大きくカーブしたホーム。

快速ミッドナイト、快速海峡、それに旧函館駅舎。
この3つが私にとって一番記憶に残っている函館駅。

青春18きっぷで旅していると、必ず接続の悪い函館駅で時間をつぶすことになったからだ。

平成はもうすぐ終わり、新しい時代がやってくる。

北海道新幹線の札幌延伸開業は2030年度の予定。
そのころには函館駅は特急列車の発着もなくなり、第三セクター鉄道に移管となる予定。
どうなるかわからない前途多難な北海道の鉄道。

それでもこの駅は北海道の玄関口としてのイメージは変わらないだろう。

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 19/03/30 | Comment(2) | 北海道の駅鉄

平成時代の改札口を見る

30年間の平成時代、駅の光景というのも様変わりしたもので、何より変わったのは改札口ではなかろうか。

時代が平成に変わってしばらくは、改札口と言えば駅員がボックスの中にいて切符にハサミを入れていたものだった。
当時、自動改札機を導入している鉄道もあったが、一部の私鉄や地下鉄に限られていた。

大都市圏から始まった自動改札機は、次第に地方へも普及して、ある程度の規模の駅はほとんどが自動改札となった。
一方、自動化されない駅の改札は、ボックスを撤去して窓口化である。

平成の間にすっかり変わってしまったもののひとつである。

残り数日となった平成を、駅の改札口で振り返ってみましょうか。
西から順番にいきます。


門司港駅:2000(平成12)年5月撮影

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 木製のボックスが並ぶ門司港駅改札口。

1914(大正3)年完成の木造駅舎が現役。
2002(平成14)年頃に自動改札になったようだ。
木製の改札ボックスは一部残されて、現在も臨時の改札口として使用されているそうだ。


広島駅:2004(平成16)年12月撮影

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 広島駅南口改札口。

JR西日本は他のJRに後れを取って自動改札化が進んだが、関西地区以外の地区はさらに導入が遅かった。
広島駅が自動改札化されたのは2007(平成19)年。
政令指定都市クラスの大都市では、最後まで昔ながらの改札口風景が見られた。

1番ホームに直接出る南口の改札口は入口と出口がきっちり分けられていて、うっかり出口から入ろうとすると駅員に怒られたのは懐かしい思い出。

2017(平成29)年に新しい橋上駅舎が完成し、駅関係の施設は1階にあった改札口ともども、そちらに引っ越したようである。

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 広島駅地下道南改札口。

地下改札は、新幹線口と結ぶ地下自由通路と駅ビルのASSE地下1階への出入りへは便利だが、利用者は少なかった。
自動改札化された改札口は現在も稼働しているが、橋上駅舎化された現在はさらに利用者が減っていると思われる。

現在の駅舎も取り壊される予定で、そうなったらこの改札口も無くなるのだろう。


高知駅:2004(平成16)年5月撮影

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 高知駅改札口。

旧駅舎の1番ホームに面してあった改札口。
ステンレス製の改札ボックスが並ぶ様は、平成時代でもどこか昭和の香りも漂っていた。

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 高知駅改札口入口。

2008年に高架化されると同時に自動改札化された。


岡山駅:2005(平成17)年9月撮影

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 岡山駅の東口側の在来線改札は地下にある。

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 地下道に直接通じる地下改札口。

ここも自動改札化は遅く、在来線改札が自動化されたのは2007(平成19)年。
在来線のコンコースは橋上駅舎になったが、この地下改札口は残っている。


旧松江温泉駅(現、松江しんじ湖温泉駅):2000(平成17)年5月撮影

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 旧駅舎時代の松江温泉駅の改札口。

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 出口はホームから直接出る構造になっていた。

2002(平成14)年に現在の新駅舎になる。翌年には駅名が現在の松江しんじ湖温泉駅へ改名された。

『ばたでん』こと一畑電車は自動改札化されていないので現在でも昔ながらの改札口風景が見られる。
しかし上のような旧駅の風情は、もうどこにもなくなってしまった。


富山駅/電鉄富山駅:2010(平成22)年5月撮影

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 JR富山駅。高架化工事のため、プレハブの仮駅舎だったころ。

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 電鉄富山駅の夜の改札口。

新幹線を迎えて一新した富山駅。
在来線の高架駅ホームも完成し、来年には富山ライトレールと市内線の路面電車が直通するんだとか。

富山地鉄も一部で自動改札機が導入され、近い将来高架化されたときは完全に自動改札仕様となるのだろう。


新潟駅:2001(平成13)年4月撮影

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 新潟駅万代口の地下改札口。

新潟駅の万代口は1958(昭和33)年建築の民衆駅。
民衆駅とは国鉄と民間が出資し合って建設された駅舎である。
民間が出資する代わりに、駅舎の一部は商業施設として営業することができた。

戦後の駅舎新築の際に、全国でこの方式による駅舎新築が行われた。

しかし平成なってから、駅舎の高架化や橋上化など再開発計画で既存駅舎の取り壊しや移転ということになると、商業施設側とモメるところが多かった。

それはともかく、駅舎の商業施設は地下か2階に設けられるのが多かった。
2階に設けられたものは跨線橋から、地下のものは地下道から直接商業施設へ出入りできる改札口を設けた駅が多い。

この新潟駅の地下改札もそのうちの1つ。
きらびやかな店内から地下道に直接つながる改札口を見ると、何か異世界にでも通じている気がするのは私だけか。

この地下改札口は2004(平成16)年に自動改札化され、2018(平成30)年に高架駅が使用開始になると閉鎖された。


仙台駅:2001(平成13)年1月撮影

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 仙台駅中央改札口。

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 仙台駅中央改札口の入口(ピンボケ失礼)。

仙台駅の2階コンコースにあった改札口。
銀色の改札ボックスがずらりと並ぶ風景は大都市の駅といったところ。

自動改札化されたのは2002年。

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 仙台駅地下南改札口。

2階の中央口に比べてこちらは目立たない場所にある改札口。
エスパルの地下街の中にあるので、2階コンコースから行こうとするとわかりにくい。
地下鉄や、あおば通駅への通路へ直接つながっているが、あまり利用も多くないようだ。

仙台駅の利用者は、駅前のベストリアンデッキに直接つながっている2階コンコースの方が便利なのだろう。
案内図を見ると、JRから地下鉄への乗り換えは、地下南口からより2階中央口からの動線になっている。


女川駅:2007(平成19)年1月撮影

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 パイプ製の改札ボックスだった女川駅。

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 ローカル線の旅情漂う女川駅の改札口ときっぷ売り場。

2011(平成23)年、東北地方太平洋沖地震で発生した大津波によって駅と線路は流出することになる。

その後は石巻駅から代行バスが運転されていたが、2015(平成27)年に鉄道が復旧し、女川駅も再び鉄道駅として再開することになった。

新しい駅は旧駅より200mほど内陸に移転して新築された。
温泉施設が併設となり、きっぷ売り場や券売機もある駅となったが、改札口は設けられなかった。


盛岡駅:2001(平成13)年1月撮影

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 盛岡駅にあった地下改札口。

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 ボックスが並ぶ改札口と改札係が掛け替えていた改札案内。

駅地下のパルモ(現:盛岡駅ビル フェザン)から直接地下道へ出入りできた。

2005(平成17)年に行われた大規模改造工事で在来線改札口は2階コンコースに集約されることになり、この改札口はなくなった。同時に自動改札機の導入となった。
地下の改札口は撤去され、ホームへの階段も閉鎖して、現在は東西自由通路となっている。

IGRいわて銀河鉄道の改札口は現在も有人改札のみとなっている。


青森駅:2005(平成17)年9月撮影

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 ステンレス製の改札ボックスが並ぶ。

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 国鉄型の標準改札ボックスを横から見る。

青森駅が自動改札化されたのは2006(平成18)年と遅い方だった。
ここも標準的というか、ステンレス製のボックスが並んでいた。

まだ東北新幹線が八戸までだった頃。
東北本線、奥羽本線、津軽海峡線と3方面への特急列車のターミナル駅としての貫禄があった。

新幹線が新函館北斗まで延伸開業すると、特急列車は秋田までの特急つがるが3往復のみとなってしまい、ほぼ電車駅のような恰好である。

青函連絡船時代からの2階建て駅舎が使われているが、近いうちに橋上駅に建て替える計画だという。


手稲駅:1999(平成11)年5月撮影

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 3代目駅舎時代の手稲駅改札口。

現在の橋上駅の手稲駅は4代目駅舎。
その前の3代目駅舎は1981(昭和56)年完成の駅舎だった。
駅舎の2階にコンコースがあり、改札を入ると跨線橋の通路に直接出る構造になっていた。
現在の岩見沢駅が同じ方式だ。

札幌圏のJR駅が一斉に自動改札化されたのは1999(平成11)年12月。
しかし手稲駅だけは自動改札機が置かれなかった。
近く駅舎の建て替え工事が始まるので、それまで据え置かれたのだろう。

翌2000(平成12)年に、駅舎建て替えのために仮駅舎へ移転することになり、同時に自動改札化された。
現在の駅が完成したのは2002(平成14)年5月である。


釧路駅:2002(平成14)年1月撮影

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 末期は閑散としていた釧路駅地下改札口。

釧路駅が自動改札化されたのは1999(平成11)年と地方都市としては早かった。
同時に道内主要駅も自動改札化されている。

しかし地下改札口は有人改札のまま残された。
これは旭川駅も同様であった。

釧路ステーションデパートの店内にある改札口で、デパートを抜けると北口へ通ずる地下通路へ平面で出入りできた。

この改札口が活躍するのは、夕方の列車の改札時。
基本的に列車別改札だった頃、席取りのために改札口前に長い行列ができるのだが、地下改札口に並ぶと地下道へ直接出られるため、地上の改札口に並ぶよりも有利ということになる。

もっとも、駅員も地上組と公平にするために、地上組が階段を下りてきたのを見計らって改札口を開けていたので、勝負差は少なかったようだが。

そんな光景も、地上改札口が自動改札になり、列車別ではなく常時改札になると見られなくなった。

この地下改札口も2004(平成16)年のステーションデパート閉店とともに閉鎖となった。


札幌駅:1988(昭和63)年8月撮影

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 札幌駅地下改札口。

この画像だけは昭和時代のもの。
この頃は改札はスタンプではなく、改札鋏をカチカチ鳴らしていた。

まだ地平駅だった頃、地下改札口は地上1階のコンコースの真下にあった。
地下鉄や地下街と直結していたし、ホームへの地下道へ直接出られたので、利用者のほとんどがこの改札口を利用していた。

夕方ラッシュ時など、次から次へと押し寄せてくる乗客を、たった2口の入口専用の改札口で、渋滞も起こさずに通してゆく職人技を感心して見ていた記憶がある。

地上1階の改札口は逆にラッシュ時でも閑散としていた。

画像の年の11月には現在の高架駅に移転となった。



この平成年間で大きく変わった駅改札口。
次の令和時代にはどう変わるんだろうか。

最後までご覧くださいましてありがとうございました。


タグ:鉄道 駅鉄
posted by pupupukaya at 19/04/27 | Comment(0) | 北海道の駅鉄
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