地下鉄さっぽろ駅も改修工事

あけましておめでとうございます。

今年は平成30年。元号が1年間続く年としては今年が最後。来年の5月からは新しい元号となるようです。

 降る雪や明治は遠くなりにけり

とは明治生まれの俳人、中村草田男が昭和6年に詠んだ句である。

もし今年が昭和30年だったならば、私など明治生まれというわけで、歳を取ったものであります。

西暦だけの国と違って、日本は『元号』という区切りがあるから、日本人は特に時代の移り変わりについて敏感になるのかもしれませんね。
昭和、平成、そして新しい元号。私も来年には3つの元号を生きることになります。


それはともかく、きのう(1月2日)地下鉄さっぽろ駅を通ったら、コンコースでは工事が行われていた。
床材と柱の化粧板がはがされてブルーシートがかけられている。

DSCN6755.JPG

何の工事かは大体察しがついた。
コンコースの内装をリニューアルして、地下歩行空間と一体化したデザインにするのだろう。
何年か前に、大通駅コンコースでも同じような工事をやっていた。

帰ってから調べたらやっぱりそうだった。


「札幌駅前通公共地下歩道及び地下鉄さっぽろ駅東豊線連絡通路改修事業について」(PDF:908KB)
うち、詳細整備内容の一部を引用
○歩行空間整備
 ・床、柱、壁を、チカホ整備に伴い拡張した部分と同様の整備内容により統一的に整備
○案内サイン整備(駅構内全体)
 ・外国語対応など
○(仮称)やすらぎ広場整備
 ・豊かな時間を過ごすことのできるような滞留空間を整備

JR札幌駅から大通やすすきのまで続く地下道の入り口部分だから、札幌の玄関口であり顔というわけで、それにふさわしい空間になることは良いことだ。
たしかに、コンコースの内装は地下鉄の開業時から基本そのままで、くたびれた感はあった。

新しくなるのはうれしいことだけど、また昭和が消えるな、などと思ってしまった。



DSCN6746.JPG

床の細かい目地付きのタイルと銀色の化粧板で巻いた柱。
大通駅も改修前はこんな感じだった。

意外と複雑な並びの目地付きタイルは、この当時は職人さんたちが1枚1枚手張りしたんだろうな。

地下鉄南北線が開業したのが昭和46年12月、先代の札幌駅も同じくしてリニューアルしている。
地平時代のJR札幌駅の内装もこんなだった。

ピカピカしたこのステンレス製(かどうかわからないが)の化粧板を何ていうのか知らないが、昭和40年代の流行だったのだろうか。

ステンレスの柱も目地付きタイルも、東西線では全く採用されていない。

DSCN6752.JPG

上は北改札口。この辺りは工事もまだ入っておらず、開業当時からのデザインが残る。
下は南改札口。こちらは東豊線開業時に床だけリニューアルされている。

DSCN6758.JPG

こういったデザインはむかしはもっとあちこちで見たような気がする。
国鉄時代の東海道新幹線の駅もこんな感じだったような(写真でしか見たことはないけど)。

駅でいえば内装のリニューアルだとか、駅自体の高架化や橋上駅化で新しくなり、もうすっかり消えてしまったようだ。

特にこのステンレスでピカピカの柱。こうして見るとインパクトあるなあ。
何だか昭和のオジサンという感じ。
タバコ、ポマード、仁丹。当時コンコースに漂っていただろう、昭和のオジサンたちの匂いが漂ってきそう。

DSCN6753.JPG

しかしこの化粧板、地下鉄南北線でも使われているのはここさっぽろと大通、すすきの、北24条だけ。
先代札幌駅の内装でも、吹き抜けの中央コンコースだけだった。

目に付くところにしか使われてないわけで、案外と高価な物だったのかも。

下は2006年だから12年前の地下鉄さっぽろ駅の画像。天井にある茶色の時計もいつの間にか見なくなった。

DSC03010.JPG


次の時代まであと1年半ちかく。
そのころにはすっかり新しくなった地下鉄さっぽろ駅コンコースを歩いていることだろう。

思えば昭和時代から30年近く。平成年間で世の中も変わったし、暮らしぶりも変わった。
良くなったこともあれば失ったものもある。
一つ言えることは、私たちは変化にただ身をゆだねることしかできない。

 降る雪や昭和は遠くなりにけり


 〜最後までお読みいただきありがとうございました。

P.S. どうでもいいけど、西武百貨店の跡地は早く何とかならないのかね。

posted by pupupukaya at 18/01/03 | Comment(0) | 北海道の駅

キヨスクは絶滅危惧種なのか

キヨスクの閉店が止まらない。

*2018/1/25 どうしん電子版(北海道新聞)*
”JR函館線の森、八雲、五稜郭の3駅の構内で営業する「キヨスク」が2〜3月で閉店することが24日分かった。3店舗のうち、五稜郭の店舗は道南いさりび鉄道(函館、いさ鉄)が営業を引き継ぐ。いずれも売り上げ減少による不採算が理由。”
 (2017/1/25どうしん電子版より引用)

そういえば、札幌市営地下鉄の駅の売店はキヨスクだったが、気付けば地下鉄駅でもキヨスクを見かけなくなった。
JR駅でも、ここ数年前からキヨスクの閉店が相次いでいる。

   logo.png

そんなわけで、今回は北海道内のキヨスクについて取り上げたいと思います。

ここ数年でキヨスクがどれだけ減ったのだろうか。
ネット上に年末年始の営業時間のご案内 - 北海道キヨスクというのを見つけたので店舗数を数えてみる。
この案内に年度の記載はないが、曜日からすると2013年度のものである。

その中から、キヨスクの名で営業している店舗を数えると、95店舗あった。うち地下鉄の店舗が33店舗。

2018年2月4日現在の同じくキヨスクの名で営業している店舗を北海道キヨスクの店舗情報で数えると24店舗。うち地下鉄の店舗が5店舗だった。

 ◆ 道内キヨスク店舗数
2014年1月 → 95店(うち地下鉄33店)
2018年2月 → 24店(うち地下鉄5店)

こうして比べると4年間で、4分の1近くまで減ったことがわかる。
とくに地下鉄の店舗の減少が著しい。
地下鉄の売店がローソンになっていたり、野菜を売っていたりするのを見かけるが、もとはキヨスクだった場所である。

中にはセブンイレブンに転換した店や、土産物が中心の北海道四季彩館になった店舗もあるが、ほとんどが営業自体がなくなってしまった。

sapporohome2.JPG
 2018年1月、キヨスク部分が撤去されたホームの店舗。

いつからだろう、札幌駅のホーム上からもキヨスクがすべてなくなっていた。
ここのキヨスクは、駅弁の売店と立ち食いそば店が一体化した小屋になっていて、1番から10番まであるホームのすべてに同じような格好であった。

キヨスクだった部分は取り壊されて、ホームの床面が黒くなっているのが跡である。

各ホームに計5店舗あった立ち食いそばも、いまは減って2店舗のみ。これもこれからどうなるんだろう。

かつては特急や夜行列車に乗る前に、キヨスクで飲み物やお菓子を買うのが汽車旅の儀式のようなものであった。

気が付けば車内販売も今ではスーパー北斗のうち日中の列車だけになってしまった。これも今の流れではいつ無くなってもおかしくはない。

そのうちに、駅に行く前にコンビニなどで買い物を済まさなければ、飲まず食わずの旅になる時代になるのだろう。

不便さもさることながら、寂しい。

DSC07988.JPG
 2007年6月の札幌駅ホーム。キヨスク、駅弁売店、立ち食いそば店が一体化した店舗だった。

キヨスクの相次ぐ閉店は、駅構内という限られたニーズの中での営業とあって採算が合わなくなってきたことと、新たな店員の確保が難しくなってきたことなどが理由のようである。

コンビニ全盛の今とあっては、対面販売でのやり取りは、客の側からしてみても少々面倒というのも、客離れに拍車をかけている。

かつてキヨスクでの売れる3大商品と言えば、新聞、雑誌、たばこであった。
この3つともが2000年代に入ってからは売れなくなってしまった。

車内で新聞読んでる人いなくなったなあ。みんなスマホだもんなあ。たばこ吸う人も気づけば今では少数派になった。

DSCN7210.JPG
 地下鉄でもすっかり少数派になったキヨスク。2018年1月大谷地駅。

かつてはちょっとした駅であれば、大抵の駅の待合室にはキヨスクがあった。
それが当たり前だと思っていた。

90年代の初頭、宗谷本線ならば私の記憶ではキヨスクがあった駅は次の通り。
士別、名寄、美深、音威子府、天塩中川、幌延、豊富、南稚内、稚内。
ほぼ急行停車駅にはキヨスクがあったことになる。

『汽車』に乗る前にちょっとしたお菓子や飲み物を買ったり、通勤途中に新聞やたばこを買うのがキヨスクだった。

地方の駅では、キヨスクが今で言うコンビニ代わりとなっていて、列車が来ない時間でも、町の人がやってきて買い物をする光景が見られた。

コンビニが無かった時代は、田舎の町で新聞や雑誌を買えるのは駅のキヨスクだったのである。
それに昔は駅前の商店街は日曜日はどこも休みになった。そんな中でも年中無休のキヨスクは町の人々にとっても便利な存在だっただろう。

国鉄末期には地方の駅が軒並み無人化されたが、無人駅化されて駅員が引き揚げてもキヨスクはそのまま営業している駅もあった。そんな駅では、キヨスクで切符を売っていた。
列車の利用者よりも、町の人たちに支えられていたといえよう。

90年代も後半になると、コンビニが地方へも進出しはじめる。
コンビニができるとキヨスクの役割は終わってしまったようで、とても列車の利用者だけが相手では営業を続けるのが難しくなったことだろう。

attoko1989-3.jpg
 標津線があった時代の厚床駅。この駅にもキヨスクがあった。

キヨスクのうち、採算を見込める店舗については、コンビニへの転換を進めているようで、セブンイレブンとなって駅ナカのコンビニとしてオープンしている所もある。

それでも、コンビニ化されるのはごく少数で、キヨスクが閉店したあとの待合室やコンコースはがらんとした空間になり、火が消えたような寂しさがただよう。

naebo2.JPG
 キヨスクが閉店した苗穂駅。2018年1月。

冒頭にあるように、今年度中に道南の3店舗が姿を消す。
キヨスク閉店の流れは止まらない。

特急の始発駅である網走駅からもキヨスクが閉店。名寄駅のキヨスクは稚内駅のが閉店してからは最北端のキヨスクということになっていたが、こちらも閉店し、現在の最北端キヨスクは旭川駅になる。道東方面はすでに全滅している。

札幌市内のJR駅でも、キヨスクの名で営業しているのは札幌駅、手稲駅、新札幌駅の3駅のみ。
ホームで営業しているキヨスクは、旭川駅と新幹線の新函館北斗駅だけになる。

北海道内に限らず、あと数年もすればキヨスクという名前自体が無くなっているかもしれない。
不採算店舗の閉店のほかは、コンビニへの転換である。

実際コンビニ化したところ、売り上げは増えているようだし、利用者からも歓迎されるところだろう。
昔ながらの光景が消えるのは寂しいが、致し方ないところではある。

DSCN6813.JPG
 壁面に商品を陳列した形態の店。セブン-イレブン北海道ST大通B2店。

ところでキヨスクキオスクは違うのか?
看板の表記は『Kiosk』である。これは英語で「キオスク」で、駅や公園などの売店の意味である。

1973(昭和48)年に、それまで弘済会売店という名前だった鉄道弘済会の売店の名称を『キヨスク』と改める。
本来は「キオスク」と読むべきところを「キヨスク」としたのは、「清い」や「気安い」という意味も込めてということである。


次では、道内の閉店した懐かしのキヨスクを紹介します。


posted by pupupukaya at 18/02/04 | Comment(0) | 北海道の駅

昔ここにはキヨスクがあった

北海道内のキヨスク(KIOSK)がここのところ急速に消滅しています。
そこのところの事情は拙ブログ


に書きましたが、ここからはかつてあった北海道内のキヨスクを見てみましょう。

北の方から順番にいきます。


稚内駅(2010年9月撮影) 2012年4月2日閉店

wakkanai.JPG

日本最北端のキヨスクだった。90年代くらいまでは朝6時の急行利尻到着時から、22時近くの同列車発車までずっと開いていた。

まだ市内にセイコーマートがなかったころ、町の人が結構買い物に来ていたのを思い出す。
道の駅と一緒になった新しい駅舎には土産物屋やセイコーマートが入居しているので、買い物の点は以前より便利になった。


南稚内駅(2005年7月撮影) 2012年3月31日閉店

minamiwakkanai.JPG

ここも90年代初頭は急行利尻発車時までやっていたなあ。
地元の人の利用は、稚内よりもこちらの南稚内の方が多い。

雑誌や文庫本が目立つのは、特急の長時間乗車のためか。
旭川までは3時間半、札幌までは5時間の長旅だ。


名寄駅(2004年11月撮影) 2016年12月20日閉店

nayoro.JPG

稚内駅のキヨスク閉店後はここが最北端のキヨスクになった。
待合室とホームの両側に面したところに、角館商会のそばと駅弁の売店があった。

急行時代は名寄で車両連結のため、3〜5分の停車時間があり、ホーム側の売店に人が群がったものだった。
その売店は2009年に一足先に閉店。名寄駅も寂しくなった。


網走駅(2014年2月撮影) 2016年3月16日閉店

DSCN0972.JPG

特急オホーツクと大雪の始発駅の網走駅。
ここのキヨスクは閉店の10年以上前からワンオペで切り盛りしていた。休みは日曜だけで、祝日も年末年始も店に立っていたという。

画像の日は吹雪のため全列車運休だった。そんな日でも営業していた。
キヨスクなき後、待合室では駅弁のモリヤ商店ががんばっている。
駅横にあったローソンは閉店してしまった。駅弁も閉店になれば、特急の利用者は買い物難民になってしまう。

がんばれモリヤ。


遠軽駅(2007年8月撮影) 2015年11月30日閉店

engaru.JPG

名寄駅と同じく大型の木造駅舎が健在。
名寄駅の方は、JR化後にかなり改造されているが、遠軽駅はほぼ国鉄時代のまま。
真ん中のストーブとキヨスクが温もりのある待合室という感じ。
おかむら駅弁屋による駅弁の立売りもあったが、こちらは2015年に廃業となった。

engaru3.JPG
1番ホーム側の窓からも買い物ができた。上記遠軽駅
特急の車内販売が無くなってから、3〜4分の停車時間で買い物ができる唯一の場所だった。


旭川駅、地平時代の2・3番ホーム(2008年6月撮影) 現在も高架駅で営業中

asahikawahome.JPG

ここは厳寒の地。冬はガラス戸が閉まっていて、客は自分で戸を開けて買い物をしていた。
1番ホームにも同様にあった。
高架駅になった現在でも3・4番ホームで営業が継続している。

DSC01940.JPG
旭川立売の売店。こちらは同じく地平時代の2・3番ホームにあった(2008年6月撮影)

ホーム上にキヨスクとは別に駅弁業者が売店を構えている駅もあった。
旭川のほかは、地平時代の札幌駅、岩見沢駅もそうだった。
国鉄時代は駅構内の営業はキヨスクの専売だったの新聞・雑誌などは置いていない。扱う商品は限られていたようだった。


富良野駅(2006年10月撮影) 2016年10月31日閉店

furano.JPG

いまや大観光地の富良野だが、観光客の鉄道利用は少ない。
旭川立売製の駅弁を置いていたこともあった。
待合室の立ち食いそばは今でもまだあるようだ。


留萌駅(2007年8月撮影) 2008年10月1日閉店

rumoi2.JPG

この画像の数年前、NHK朝の連ドラにあやかってSLすずらん号が運転された時は一時的に賑わったのだが、長くは続かなかった。
待合室には立ち食いそば屋がある。


根室駅(2013年9月撮影) 2015年9月30日閉店

nemuro.JPG

日本最東端のキヨスクだった。釧路や札幌までの長距離客が多かったのだが。
駅舎隣の食堂はまだあるようだ。向かいの観光インフォメーションセンターで土産物の調達はできそうだが。


厚岸駅(2013年9月撮影) 2015年8月31日閉店。

akkeshi.JPG

いまや全国区になった駅弁『かきめし』を置いていたこともあった。
駅弁屋は駅前にあって、90年代初頭くらいまではホームでの立売りをしていたのを思い出す。


岩見沢駅(2006年10月撮影) 現在も駅舎1階にて営業中。

iwamizawa.JPG

もとは大型の木造駅舎だったが2001年に焼失した。上はプレハブの仮駅舎時代のもの。
JR化後しばらくまではホームにもキヨスクがあって、ホームには岩見沢構内立売商会による売店と立ち食いそば屋の3店舗もあったことになる。それ以外に、駅弁の立売りがあって、列車が着くと「え〜べんと〜」と声を張り上げてホームを往復していた。
岩見沢は鉄道の要衝であり、鉄道の町だった。


追分駅(2009年5月撮影) 2010年頃閉店?

oiwake.JPG

町の規模の割には大きな駅舎が鉄道の町だった証。
普通列車の旅では、ここ追分で長時間待ち合わせとなることもしばしば。
駅近くには店がなく、ここのキヨスクは重宝ものだった。


札幌駅ホーム 番線不詳(2012年9月撮影) 2015年閉店?

sapporohome.JPG

かつては全部のホームにあったが、端のほうのホームから順次閉店し、いまはホーム上からキヨスクがなくなった。

2000年代は、1つのホームに3店舗もあったなあ。西側のエスカレーターを上ったところ、中央のそば店と同じ小屋、東側の階段を上ったところ。それが次々と閉店・撤去されてしまった。

こうして見ると、売店は店の中も吹きっさらし。しかもずっと立ち仕事。最低気温-10度以下になることがある札幌。冬は寒かったろうな。暖は足元のヒーターだけだったろう。
しかも、ディーゼル特急の容赦なく響く轟音の中で客の注文を聞かなきゃならない。

その苦労話をどこかで聞かせてほしい。


苗穂駅(2013年10月撮影) 2017年3月10日閉店

naebo.JPG

昔は工場地帯の通勤駅。いまは駅周辺にマンションも増えた。
木造駅舎だが2018年度中には新築移転し、橋上駅になる予定。新駅舎の計画図にはキヨスクらしきスペースがあるのだが、どうなるのか。


稲積公園駅(2007年5月撮影) 2012年頃閉店?

inadumikouen.JPG

もとは駅舎内の待合室にあったが、いつの頃からか駅を出て『コンビニキヨスク』の名でコンビニ形態の営業となった。

キヨスクも対面販売からコンビニ形式にリニューアルされた店をコンビニキヨスクと称していたが、いまはどちらもキヨスクの名に統一されたようである。


銭函駅(2004年11月撮影) 2015年9月27日閉店

zenibako.JPG

数少なった木造駅舎が現役。
道内の最初の駅立売りだったといわれる『酒まんぢう』を芦別市の菓子店が復元。ここのキヨスクに置いていた。
夏休み中は海水浴客でにぎわうが、普段は札幌近郊の通勤通学駅である。


長万部駅(2013年7月撮影) 2017年8月23日閉店

oshamanbe.JPG

長万部といえばかにめし。少し前まではホームでの立売りもあったような気がするが、いつの間にか無くなっていた。
特急ならば車内販売での積み込みがあるが、駅で買うときはキヨスクで取り寄せ販売となっていた。
普通列車はすべて長万部で乗換となる。接続も悪く、この駅で長時間待ち合わせになることも多かった。


八雲駅(2013年10月撮影) 2018年2月14日閉店予定

yakumo.JPG

意外と知られてないが、JR北海道の最西駅はここ八雲。道内で一番西にあるキヨスクでもある。
瓶入りの元山牧場牛乳が人気。駅で飲んで瓶を返せば40円引きになる。


森駅(2005年9月撮影) 2018年3月7日閉店予定

mori.JPG

森駅名物のいかめしを置いていた。
いかめし自体は真空パックや冷凍なども含めると色んなところから出ているが、駅弁のいかめし阿部商店のが元祖である。
すっかりデパートなどの催事ではおなじみになって久しいが、キヨスクに置いていて、一応駅でも買うことができた。


五稜郭駅(2017年4月撮影) 2018年3月18日閉店予定(道南いさりび鉄道が引継ぐ)

goryokaku.JPG

いまは特急北斗が全部停車するようになり、ダイヤ上は函館市内第2の駅となったが、ここも不採算店舗として閉店することになった。

キヨスクとしては閉店するが、道南いさりび鉄道が店名を変更して営業は継続する。
待合室内には『駅そば みかど』があったが、こちらは2016年に閉店している。


函館駅5・6番ホーム(2015年8月撮影) 2015年9月27日閉店

hakodatehome.JPG

函館駅は特急北斗のほか、青函トンネルを通って本州へ向かう特急白鳥の始発駅だった。そのため結構繁盛していた。
ホームの売店だが、函館のはコンビニ形式になっていた。

キヨスクがあったのはおもに特急が発着する5・6番線と7・8番線の2店舗だった。
特急の始発駅だし、ホームは無理でも、せめてホーム入口の通路あたりに1店舗あれば・・・。


函館駅旧駅(2000年頃撮影) 現在セブン-イレブン北海道ST函館店として営業

hakoeki.jpg

函館駅が今の新しい駅舎になったのは2003年のこと。以来キヨスクはコンビニ形式の新店舗として営業していたが、2015年にセブンイレブンとなった。

旧駅舎時代は、改札口と待合所の間に対面式の店があった。
函館駅は深夜・早朝でも夜行列車が発着するため、24時間開放していた。これは旭川駅も同様だった。
その利用者のためにキヨスクもなんと24時間営業だった。90年代前半ころまでの話である。
いつしか治安や管理上の問題から、深夜の1時間ほど駅を閉めるようになり、キヨスクの24時間営業も無くなったようだ。


木古内駅(2013年10月撮影) 2015年3月14日閉店

kikonai.JPG

JR北海道の木古内駅は新幹線の駅ということになる。それまでの木古内駅は道南いさりび鉄道の駅となり、同時に無人駅となった。

新幹線の新函館北斗駅にはキヨスクが数店オープンしたが、木古内駅の方は売店の類は一切置かれていない。
想定の利用者数では商売にならないとの判断からだろう。

新幹線開業を待たずして閉店した木古内駅のキヨスクだが、しばらくして木古内公益振興社がキーコショップをオープンした。
これも2016年3月末で閉店している。不採算ではなく、当初から期限付きの営業だったようだ。

DSCN0045.JPG
木古内駅キヨスクの跡にオープンしたキーコショップ。2016年3月31をもって閉店した。



いかがだったでしょうか。

駅に行けばキヨスクがあり、旅立ちの汽車に乗る前、あるいは通勤通学途中に何げなく立ち寄って買い物をしたキヨスク。
こんなキヨスクも気が付けば過去の遺物になりつつあります。

あと何年かすれば対面販売のキヨスクは・・・

私からは言いません。

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

posted by pupupukaya at 18/02/11 | Comment(2) | 北海道の駅

札幌駅の新幹線ホームについて考える

2016年3月に北海道新幹線が新青森から新函館北斗まで延伸開業してからまもなく2年。

函館や道南地方ではどうか知らないが、札幌あたりまで来ると、新幹線なんてまだまだ遠いところの乗り物というのが、札幌で暮らしている人の正直なところだ。

DSCN0249.JPG
 新函館北斗駅に停車中のE5系新幹線はやぶさ。筆者はまだ乗ったことがない。

たまにテレビのニュースや新聞記事で、工事中の北海道新幹線のことを取り上げている。
多くは、新幹線札幌駅の位置についてで、これも複数案あって、JR北、鉄道運輸機構、札幌市の思惑が一致せずなかなか決まらないようである。

なんでこんなにもめているのかというと、札幌駅高架開業後の、南口再開発の先見のなさということに尽きる。

今回はそんな札幌駅に新設される新幹線ホームについて考えてみたいと思います。

札幌駅が高架化されたのは1988年のことだ。
地平線の0番から9番まであったホームの北側に、新しい高架の駅が完成し、駅施設は全部そちらに移された。
最初は今の1・2番線が無く、代わりに11番線に鉄骨を組んだ仮設のホームが設けられていた。

sapporosta1989.jpg
 1989年撮影の空中写真(国土地理院の空中写真から切り出し)

地平駅ホームだったところに新たに1・2番線ホームが増設されたのが1990年。
これによって、札幌高架駅のホームは5面10線の現在形で完成することとなる。

しかし、高架駅が完成しても、南口の旧駅は約10年間そのまま残っていた。
上階にはJR北海道の本社が残ったし、地下はステーションデパートが引き続き営業していた。
まだ、南口関連の再開発構想が未定だったこともある。

旧駅と新しい高架駅の間は2本の連絡通路で結ばれて、西側の通路には動く歩道も設置された。
ホームも順次撤去されて、間にできた空き地には市場ができたり、仮設ながらJRシアターが建てられたこともあった。

この頃、新幹線が札幌に来るなんてことは、ほぼ無しということになっていたと思う。
しかし、もし新幹線ができたらここにホームができるんだろうなと思わせていた。

実際、発寒中央〜札幌間の地平線路跡はそのまま新幹線用地として残されていたし。

sapporosta1993.jpg
 1993年撮影の空中写真(国土地理院の空中写真から切り出し)

1995年にはJR北海道の本社が桑園の新社屋へ移転。
この頃から旧駅ビルの解体工事が始まっている。

1999年には撤去工事が終わり、地下にあった名店街とステーションデパートも全面改装して、アピアとしてオープンする。
この頃、とりあえず整備が終わった南口には、広大な空き地が発生することになった。

sapposta2_20140525_0001.jpg
 1999年12月の札幌駅南口広場。まだ駅ビルが建つ前。

sapposta4.jpg
 1999年12月、南口の駅前通りから北口のビル群を望む。

そんなことも長くはなく、今度は新しい駅ビルの工事が始まった。

2003年にステラプレイスやJRタワーがオープンする。
これによって、再開発が進められていた札幌駅南口は、ひとまず完成することとなった。

それはいいのだが、この新しい駅ビルは、高架駅にぴったりと寄せて建てられたのだった。
新幹線のことはまったく考慮されていなかったのだ。

関係者からしてみれば駅前の1等地を、出来るのかどうかわからない新幹線用地に空けておくのはもったいないということだったのだろう。

当時でも一応は、現在の1・2番線を新幹線用に転用することで、札幌駅に新幹線を乗り入れさせるということだったようだが。

sapporosta2008.jpg
 2008年撮影の空中写真(国土地理院の空中写真から切り出し)

しかしそんなことは可能なのだろうか。
問題なのは、この1・2番線が、新幹線が乗り入れることを全く想定していない設計だということ。

これは時系列で考えればわかる話。

1988年:札幌駅高架化。4面ホームと1面の仮設ホームで完成。
1990年:1・2番線の増設で札幌高架駅整備は完了。

  ・・この時点で南口地区の再開発は未確定・・

1998年:北海道新幹線のルートが正式に決定
1999年:南口旧駅舎の撤去が完了
2003年:新駅ビルが開業し一連の再開発事業が完了。
2012年:新幹線新函館〜札幌間認可

DSCN4004.JPG
 ※国鉄の工事史だか(本の名前忘れました)から

上の図面は、札幌駅の断面図である。これを見れば、1・2番線のホーム幅は9m、ホーム同士の間は6.97mとわかる。

両端のホーム幅が狭くなっているのは、これは優等列車は中央側のホームを使用し、端の方のホームは普通列車用としたことだろう。
実際そう運用されている。

さて、ここでさらなる大問題が出てくる。
それは新幹線の車体が在来線車両よりも大きいということである。

在来線車両の車幅は最大で3m。新幹線のは3.4mとなっている。
このことから、複線の軌道中心間隔(並んだ線路中心の間隔)は在来線が3.8m以上、新幹線が4.3m以上が必要になる。

上図を見ると、2番線と3番線との間は6.97mで、これはホームの縁と縁との間隔なので、ここから在来線車両の建築限界を引くと、並んだ線路の軌道中心間隔は3.82mとわかる。

では新幹線に必要な4.3mの間隔を確保するにはどうするか。
それはホーム幅を削るしかない。

幅9mしかないホームの両側を、単純計算だが25cmくらいずつ削らなければならない。

DSCN6857.JPG

上画像は現在使用されている2番ホーム。
3番ホームとの間は新幹線車両が入るには狭すぎる。

このホームの両側を削って、その上ホームドアを付ければ歩くところがなくなるので、階段を狭くするしかない。
新幹線ホームとしてはあまりにも情けないではないか。

新幹線ホームの1・2番線転用案をJRが頑なに拒否しているのは、在来線ホームが不足するからと訴えているが、本当はこのあたりからの事情かも知れない。

DSCN6858.JPG

上は1・2番ホームを下りた場所。
ここを新幹線のコンコースとするには狭すぎる。

左側の通路と、壁も撤去してステラプレイスの壁側まで広げるか。



そんなわけで2/21の道新朝刊の一面記事。


”北海道新幹線札幌駅のホーム位置問題について、札幌市が現札幌駅から200〜300メートル東に離れた「大東(おおひがし)案」を軸に検討する見通しとなった。
 〜中略〜
市は都心の再開発構想の見直しも視野に入れており、ホーム位置は大東案で最終決着する流れが強まっている。”
 (2018/2/21 北海道新聞,どうしん電子版 より引用)

ようやくホーム位置の決着がつきそうである。
現札幌駅を通り越して、東側の創成川をまたぐ位置に高架駅を設けるということだ。

新幹線に相応しい広さのコンコースと、十分な幅のホームが確保できそうなので、文句のないところだろう。

DSCN7617.JPG
 ※2018/2/21 北海道新聞朝刊より

これなら現在の1番線側に複線の新幹線を通しても、ホーム幅は半分になるが2番線はそのまま使用できそうだ。

問題点は、在来線や地下鉄南北線からの乗り換えが遠くなること。
また、現在の改札口から新幹線ホームに行くには、一旦ホームに上がって、更に高架ホームの上に設けられた跨線橋を渡ることになるので、距離もさることながら、面倒な昇り降りが何度も発生することになる。

何だか昔の青森駅の青函連絡船を思い出すね。

反面、西2丁目を通る東豊線のお株が一気に上がるだろうな。
札幌市電も、創成川通りのルートで札幌駅延伸が実現したりして。

以上、ド素人による考察でした。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。

posted by pupupukaya at 18/02/24 | Comment(0) | 北海道の駅

またも消えるキヨスク

またもキヨスクが閉店になる。
こんどは地下鉄のキヨスクで、今月中(2018年3月)に閉店になるのは以下の3駅。

 すすきの駅:3月5日閉店
 北24条駅:3月8日閉店
 大谷地駅 :3月14日閉店

札幌市内の地下鉄駅の売店は一部を除いて北海道キヨスク(株)による『キヨスク』として営業をしていた。
駅構内だけではなく、駅のバスターミナルにも進出していた。
そのためか、普段JRを利用しない札幌市民にとってもキヨスクは身近な存在だったのである。

そんなキヨスクも、閉店が見られるようになったのは2000年代に入った頃からだったろうか。
利用者の少ない駅から順次、キヨスクが姿を消していった。

同じくしてコンビニが駅前の商店街にも進出し始める。コンビ二といえば今はどこにでも目にするようになったが、それまでは郊外の住宅地に出店するのが主で、駅前商店街や都心には少なかった。
年中無休のキヨスクは、いまのコンビニの役割もあったのである。

ここ数年でキヨスクの閉店が相次いでいる。
地方の駅だけではなく、利用者がJR駅に比べて圧倒的に多いはずの札幌市営地下鉄の駅でも、閉店ラッシュは止まらない。

 * キヨスク閉店に関しては、以下の記事もご覧ください。
   * キヨスクは絶滅危惧種なのか
   * 昔ここにはキヨスクがあった

コンビニに押されて、売り上げが激減するようになったキヨスクは次々と閉店し、今では地下鉄駅のキヨスクは大通、すすきの、北24条、大谷地の4駅に残るのみとなってしまった。

今回の3店舗閉店により、これで地下鉄駅最後のキヨスクは大通駅だけになる。

せめていまあるうちにキヨスクを記録しておこうと地下鉄に乗ってキヨスク巡りをしてきた。
買ったきっぷはドニチカ。土日祝日用の地下鉄1日乗車券である。

私は地下鉄に乗ることはほとんど無いので、ちょっとした旅行気分だった。

DSCN7797.JPG
 券売機で買ったドニチカ。

まず降りたのはすすきの駅。

DSCN7798.JPG
 すすきの駅ホーム。

DSCN7800.JPG
 すすきの駅コンコースとキヨスク。

ここは改札口前で人通りも多く、またここで待ち合わせする人も多いので、それなりに繁盛していたような気がするのだが。
ウィンズが近いせいかスポーツ新聞や競馬新聞が多いのが特徴だった。

3月5日閉店のチラシが下がる店舗は、カラの棚が目立つ。
補充がないので売り切れたか、商品を引き上げてしまったのかわからないが、閉店売り尽くしみたいになっている。

カラの陳列棚を目にしては、素通りする人ばかりで、売り子さんも手持ち無沙汰という感じだった。

DSCN7799.JPG
 キヨスクすすきの店。

DSCN7803.JPG
 キヨスクすすきの店閉店のお知らせ。

次は大通駅で降ります。

DSCN7815.JPG
 大通駅南北線ホーム。

DSCN7813.JPG
 大通駅南北線麻生方面ホーム連絡用コンコースとキヨスク。

南北線2番ホームから西側に行く東西線乗換えのコンコース。
地下鉄で唯一改札内にあるキヨスクでもある。

シャッターが下りていたので、もう閉店したかに見えたが、定休日の貼り紙があった。
営業時間のお知らせのところに、土・日 定休日と表示してあった。

朝ラッシュ時は電車が着くたびに怒涛のように人の流れが押し寄せる場所で、キヨスクの職人技の見せ所であろう。

昔からあるようだが意外と新しく、ここに開店したのはたしか1990年代頃だったような気がする。

東側のコンコースにも同じような場所にキヨスクがあったが、そちらは移転してセブンイレブンとして開店している。

DSCN7805.JPG
 キヨスク大通ホーム西店。

DSCN7806.JPG
 大通駅西改札口前のコンコース奥にあるキヨスク。

大通駅のもう1つのキヨスクは西改札口から2番出口に向かう途中にある。

この出口の辺りはビジネス街。土曜の今日は閑散としている。
ここは普段もあまり人通りが多くなく、この場所のが最後まで残ったのが不思議。

ほかの集客の見込める場所にあるキヨスクはコンビニとなる中、ここがキヨスクのまま残っているのは、いずれ閉店するということなのか。

DSCN7808.JPG
 キヨスク大通B1西店。

キヨスクもただ閉店するだけではなく、他業種へ進出して生き残りを図っている。駅ナカのセブンイレブンへの転換もその1つである。

もともと売り上げが多かった場所にあったものを、セブンイレブン化したのだろう。結構繁盛している。
看板の隅に北海道のマークとKioskとあるのが、キヨスクの名残り。

DSCN7846.JPG
 東豊線連絡用コンコースにできたセブンイレブン。

DSCN7867.JPG
 看板のマークがキヨスクだった証。

DSCN7868.JPG
 セブンイレブンになっても、さりげなくKioskの文字は残る。

次は北24条に向かいます。
ここはコンコースではなく、バスターミナルの待合所にある。

DSCN7818.JPG
 北24条駅ホーム。

DSCN7825.JPG
 北24条駅バスターミナル内にあるキヨスク。

3月8日をもって閉店のチラシが下がる売店は、みるも無残な姿だった。
商品はおろか、奥側の陳列棚までもが撤去されている。
僅かに残ったカゴに少ない品物が並ぶだけ。

すすきの駅のキヨスクもだけど、大勢の利用者に惜しまれつつ閉店とはいかないでも、せめて最終日までは普段のキヨスクのままでいさせてほしかった。

DSCN7820.JPG
 キヨスク北24条バスターミナル店。

DSCN7821.JPG
 キヨスク北24条バスターミナル店閉店のお知らせ。

次は大通駅で東西線に乗換て大谷地へ向かいます。

DSCN7847.JPG
 大谷地駅ホーム。

DSCN7852.JPG
 大谷地駅コンコースとキヨスク。

ここも3月14日をもって閉店のチラシが下がる。
閉店日までまだ日数があるためか、ここはまだ通常通り営業していた。

かつては1Fのバスターミナル待合所にもキヨスクがあって、高速バスも発着するそちらの方が成績が良さそうだが、バスターミナルのは先に閉店になり、地下鉄コンコースのが残されてきた。

大通駅以外ではここが地下鉄駅最後のキヨスクとなる。

DSCN7850.JPG
 キヨスク大谷地店。

DSCN7848.JPG
 キヨスク大谷地店閉店のお知らせ。

対面販売方式のキヨスクで残るのは、大通駅と札幌駅の数店舗、それに南千歳駅、苫小牧駅だけになる。
あとはコンビニと同じように、自分で商品をレジに持って行くセルフサービス方式になっている。

すでにセルフになっているキヨスクは、早晩コンビニに転換することだろう。

DSCN7865.JPG
 セルフ方式のJR新札幌駅のキヨスク。

いままで身近にあったと思っていたものが、気づけば遠い存在となってしまっていたというものはたくさんある。
キヨスクもそんな存在になってしまった。

時代の流れといえばそれまでだが、やはり寂しくなる。

でもコンビニの方が便利なんだよね (^^;)

残り少なくなったキヨスク。私もせめて通りかかったときには、意識して買い物してみることにしよう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

posted by pupupukaya at 18/03/04 | Comment(0) | 北海道の駅

奥津軽いまべつ駅の謎 1

2016年3月に開業した北海道新幹線。ことしで開業2周年を迎えた。

同時に開業した新函館北斗、木古内、奥津軽いまべつの3駅のうち、特に異彩を放つのが奥津軽いまべつ駅である。

利用者数は1日当たり約60人(乗車人員)とワースト1位。
停車する列車本数は、上下各7本合計14本とこれもワースト1位。
駅のある自治体の人口は、今別町の約2700人とこれもワースト1位。

ワースト三冠王の新幹線駅である。

駅の立地や利用者の少なさから、新幹線の秘境駅 などと揶揄されもする駅。

今回は、なんでこんなところに駅を作っちゃったんだろうということを含めて、この 奥津軽いまべつ駅 についての考察です。

timetable1.JPG
 JR時刻表(交通新聞社発行)の路線図より。縦向きにしてます。

時刻表の路線図で見る限りは、奥津軽いまべつ駅は津軽半島北部の中心にあるように見えるが、これは時刻表の索引図が鉄道路線に合わせてデフォルメしているからで、実際は次のようになる。

seikanmap.jpg
 実際の奥津軽いまべつ駅の位置。(地理院地図より作成)

上の地図を見るとわかるが、奥津軽いまべつ駅の場所は、津軽半島の北端である。
駅勢圏はというと、駅のある今別町のほかは外ヶ浜町の旧三厩村くらいか。
蟹田や小泊は微妙。

無料駐車場を設けて、上北や下北地方の広域から乗客を集めることで成功した七戸十和田駅とは対照的だ。



この駅は在来線時代は津軽今別駅という駅だった。
当時から駅前は道の駅以外には何もないところで、田んぼの向こうの離れた所に集落が見えるという駅だった。

そもそもなんでこんな場所に駅ができたのかというと、ここは青函トンネルの工事中は新津軽二股信号場として計画されていたからである。

これは、海峡線は当初から新幹線と在来線の併用という前提で設計されたので、本州側と北海道側の出口付近に列車追い越しのための待避線を設ける必要があったからだ。

地元の請願もあったことからホームが設置されて、海峡線開通と同時に津軽今別駅として開業したのだった。

同じように北海道側は新湯の里信号場が設置された。こちらはのちに知内駅となる。

当初は在来線だけの開業ということで、退避設備として使用されることは無かったが、海峡線の本州側の保線基地や列車火災時の消火設備などが置かれていた。

駅ができたとはいえ、停車する列車は快速海峡が3往復のみ。
利用者は少なかったと見え、全列車が特急白鳥化された際には、停車列車は2往復に減らされている。

営業的にはあまり設置したくない駅なのだろうが、ここに駅がないと新青森の次は木古内まで113kmも駅が無いということになるわけで、仕方なく設置した感が半端ない。
北海道側の知内駅は、木古内に近すぎるということなのか駅が設置されることは無かった。

新幹線の駅であるが、在来線も併用している区間なので待避線があり、ここで新幹線が貨物列車を追い抜くことになる。



そんな奥津軽いまべつ駅を実際に見に行ったのが2018年4月の日曜日であった。
『北海道150年日帰り周遊パス』を使っての北海道新幹線初乗車でもあった。

札幌を朝6:00に発車する『スーパー北斗2号』に乗り、新函館北斗駅で『はやぶさ16号』に乗り継いで、奥津軽いまべつ着は10:22。
所要時間は4時間22分で、乗り換えがあるものの、時間距離的には札幌〜釧路間といったところか。

DSCN0307.JPG
 奥津軽いまべつ駅のホーム。

ホーム全体は屋根で覆われて、階上の駅舎へはエスカレーターもある。
思いのほか立派な駅だ。

ホーム中ほどには助役帽の駅員が立って、新幹線に発車合図を送る。

駅は橋上駅になっているのは、ホームと駅前の間には貨物列車の待避線と津軽線の線路があるためだ。

DSCN0315.JPG
 改札口とみどりの窓口。

駅舎内には自動改札機とみどりの窓口、それにコンコースとはガラス張りの壁で隔たれた待合室がある。
みどりの窓口には指定券の券売機が2台もあるが、使う人がいるのかな。1台は販売中止と表示されていた。

改札口上の発車案内に表示の列車は上下とも13時台である。
もう3時間以上も列車は来ない駅。
1日に停車する列車が上下それぞれ7本ずつではそうなる。

駅の中をウロウロしているのは私だけで、ほかには誰もいなくなった。
もうここは新幹線ではなく、ローカル線の雰囲気が漂う。

DSCN0316.JPG
 奥津軽いまべつ駅に掲示の時刻表。

連絡通路からは新幹線と津軽線の位置関係がよくわかる。
津軽二股駅のホームは従来の場所にあり、新幹線駅の近くに移設とはならなかったようだ。

こちらはJR北海道の駅、あちらはJR東日本ということで、あくまで別ということか。
もっとも乗り換えが便利になったところで、ダイヤは新幹線接続はまったく考慮されていないので、乗り換え客はいないだろう。

DSCN0325.JPG
 連絡通路から見た『道の駅いまべつ』と津軽線の津軽二股駅。

DSCN0388.JPG
 駅前広場にある奥津軽いまべつ駅案内図。

DSCN0332.JPG
 奥津軽いまべつ駅正面。駅ビルに見えるのはエレベーターと階段室。

115段ある長い階段を下りると駅前広場に出た。

駅前はロータリーやバス乗り場が整備されているが、それ以外は津軽今別駅時代とほとんど変わっていない。
変わったのは三厩や平舘方面へ行く巡回バスや津軽中里駅とを結ぶ路線バスが新設されたくらい。

DSCN0328.JPG
 駅前広場こそ整備されたが、あとは何もない駅前。

DSCN0347.JPG
 今別町巡回バス。

駅前には無料の屋内駐車場が新たに建てられて、道の駅の向こうには『いまべつ総合体育館』の新しい建物が見える。
ただ、新たにできたものといえばそれだけ。

駅前広場の先は田んぼがあるだけになっている。
これ以上整備するつもりも何かを建てる気も無いようだ。

屋内駐車場の中を通り抜けると道の駅いまべつ(半島ぷらざアスクル)があって、土産物屋とレストランが入っている。
道の駅の方は車での客がちょくちょくやって来る。

道の駅の裏が津軽線の津軽二股駅になっている。
無人駅だが、乗車券は新幹線駅のみどりの窓口で買える。

DSCN0336.JPG
 道の駅いまべつ。この建物の裏に津軽二股駅のホームがある。

DSCN0341.JPG
 津軽二股駅から奥津軽いまべつ駅を見る。

DSCN0349.JPG
 奥津軽いまべつ駅の遠景。

駅前通りを200mほど歩くと県道にぶつかる。県道に沿って小さな集落があるが、それだけ。コンビニも無い。

田んぼと残雪、それに川の流れ。
静かな田舎の日曜日である。

それだけに奥津軽いまべつ駅だけが異様にそびえ立っている。
えらいところに駅を作ったものだと思った。

ところがこの奥津軽いまべつ駅で、ひとつだけ異様なことに気づいた。
これがこの駅最大の謎ともいえる。ミステリーと言っても良い。


posted by pupupukaya at 18/04/14 | Comment(0) | 北海道の駅

奥津軽いまべつ駅の謎 2

さて、奥津軽いまべつ駅最大の謎とは何か。

それは、駅横に新しく出来た今別町の無料駐車場である。
屋内と屋外の駐車場があって、両方合わせて82台収容できるのだが、結構な台数が駐車してある。

ざっと見で3/2くらいはふさがっている。50台くらいといったところだろうか。

DSCN0390.JPG
 屋内外合わせて82台収容の今別町営無料駐車場。

ここに車を停めても駅以外にはどこへも行きようがないので、この駐車場の利用者のほぼ100%が新幹線利用者ということになる。

で、その異様な光景とは何か。

ここの車がやたらと函館ナンバーと札幌ナンバーが多いのだ。

気のせいか? いや、実際多いのだ。両ナンバーの車を数えたら15台もあった。
駐車場の車のうち、これもざっと見だが、約1/3がこれらの車が占めている。

ここは本当に青森県か?

DSCN0335.JPG
 なぜか函館や札幌のナンバーが多い。

これはどうしたことか。

北海道の空知振興局の北部では旭川ナンバーになっているので、津軽半島の北部では函館ナンバーが使用されているのかとも思ったが、陸続きならともかく、津軽海峡で完全に隔たれているのであり得ない。

うーむ。
これが1台や2台ならば、青森〜函館間にフェリーがあるので何てことはないが、ちょっと多すぎないかこれは。

どういうことなのか。
確実に言えることは次の2点だ。

1,何らかの事情で北海道から青森県に渡ってきた車である。
2,その車で奥津軽いまべつ駅まで来て新幹線でどこかへ行っている。

これが大間あたりならば函館とフェリー航路があるので、道内ナンバーを多く見かけても不思議ではないが、ここは津軽半島の北端である。
過去には三厩〜福島間にフェリー航路があったが、20年も昔に廃止されている。

函館から青森まで車ごとフェリーで渡って、そこから奥津軽いまべつ駅まで行って新幹線に乗る?

まるでミステリーのような話だ。

気になってしょうがないので、道の駅の事務所へ行って聞いてみることにした。
駐車場の入口に、”宿泊で利用される際は道の駅に申し出てください”との旨の掲示があったから何か知っているだろう。

道の駅の管理人さんに聞いてみると、

「ええ〜、たしかにここの利用者は他県ナンバーが多いんですよ」

函館ナンバーの持ち主がどういう人なのか尋ねたら、

「いや〜、それがわかんないんですよ」
「ここへ停めて、(新幹線で)どっかへは行ってるようなんですがねぇ〜」

と、要領を得ない。

話してるうちに、

「JRの人たちは向こう(北海道)から車を持ってきて乗ってるねえ」

ああ、わかった。

ここは本州とはいえ、北海道新幹線も青函トンネルもJR北海道の管理となる。

新幹線工事こそ終わったが、青函トンネルや新幹線の保守や保線のための人がいるわけで、その職員や関連会社を含めるとそれなりの人数になるはずだ。

札幌や函館から単身赴任や出向という形で来ている人も多いだろう。
そういう人たちが道内から車をもってきて、こっちで使用しているのだ。

DSCN0322.JPG
 奥津軽いまべつ駅の南側は保線基地となっている。

休日は奥津軽いまべつ駅まで車で来て、新幹線で函館や札幌へ帰るのだろう。

以上は私の推測でしかないが、ほかに考えられることは無い。
それほど大きく外してはいないと思う。

道の駅の管理人曰く、

「七戸十和田のほうは成功したけどねぇ〜、こっちはさっぱりだね」
「私も新幹線さ乗るときは青森まで行きますよ、高いしねぇ〜」

そうなんだよね、
例えば東京までだと新青森からは特急料金込みで1万6840円なのに対し、奥津軽いまべつからだと1万8550円1710円も跳ね上がる。往復ならば3420円差額×人数だ。

新青森駅の有料駐車場ならば1泊1000円
今別や三厩あたりの人ならば便利だろうが、いくら駐車場が無料とはいえ、蟹田や中里あたりの人は新青森駅へ行ってしまうだろう。

道の駅の管理人さんすら利用しないという奥津軽いまべつ駅。

それにしては駐車場には随分と多くの車が停まっている。
先に50台くらいと書いたが、多すぎじゃないか?

道の駅は別に駐車場があるので、こちらの車はほぼ100%新幹線利用者である。

あんまり駐車場をウロウロしていては不審者になってしまうので数えたわけではないが、駐車場区画のうち2/3は確実に埋まっている。

駅勢圏と思われる今別町と旧三厩村の人口を合わせても5千人を超えるくらい。
こんなに新幹線の利用者がいるとは思えない。

青森や弘前に行くのにここに停めて新幹線で?
まさかね、車なら直接行くよ。

これはまた謎だなと思ったが、これはすぐに分かった。

先に七戸十和田駅が成功したと書いたが、ここはその逆バージョンなのだ。

つまり津軽半島各地から北海道へ行く人たちがこの駅を利用するのである。
何といっても無料駐車場の存在が大きい。

しかも、新青森から乗るよりも1駅分安くなるというおまけつき。
例えば、新青森〜新函館北斗間は特急料金込みで7260円だが、奥津軽いまべつ〜新函館北斗間だと5480円1780円安くなる。

seikanmap4.jpg
 津軽半島と奥津軽今別駅との関係。(地理院地図より筆者作成)

こうして地図を見ると、対北海道となれば津軽半島だけではなく、五所川原あたりまでも軽く駅勢圏に入ってきそうだ。

map1.jpg
 グーグルマップで五所川原から奥津軽いまべつ駅までのルートを見ると。

五所川原から奥津軽いまべつ駅までの距離は53km。
この辺りまで来れば車で50kmの距離なんてどうということもないだろう。

札幌から新千歳空港までだって40km以上あるし、札幌の西部や北部からだと軽く50kmを超える。
それでも空港の駐車場は人気だ。

フェリー以外では新幹線しか北海道へ渡る手段がないので、もっと広域の弘前や、さらに秋田県からの利用者もいそうだ。
件の函館や札幌ナンバーの車も、青森県内に単身赴任している人たちが帰宅する際に奥津軽いまべつ駅を利用しているのかも知れない。

これらは北海道新幹線開業による新たな需要のように見えるが、じつは在来線時代も蟹田駅の駐車場に車を置いて北海道に行く人が多かったようだ。

多かったようだというのは、外ヶ浜町公式ブログに北海道新幹線開業前の蟹田駅駐車場の利用状況についての記事を見つけたからだ。


JR蟹田駅西口の土・日曜日の駐車状況は、ほぼ「満車状態」。
平日でも10台ぐらいは駐車している。
休日には、ほぼ満車状態になる。
車両ナンバーは、「青森」のほか「八戸」「秋田」など、
休日には、遠方の車両も駐車している。JR蟹田駅から北海道に行く電車に
乗るための拠点にしているのでしょう。さすが交通の要所です。
利用者が多くて嬉しいことです。



要は今まで蟹田駅に行ってた人たちが奥津軽いまべつ駅に移って来たということだ。

しかし全体からすれば、北海道へ行く人よりも仙台や東京へ向かう人の方が圧倒的に多い。
奥津軽いまべつ駅の駐車場の利用率が高いとはいえ、現状はニッチな需要にマッチした結果でしかない。

今後この駅の発展はあるのだろうか。

それは北海道新幹線が札幌まで延伸開業したときだろう。

もしかしたら、いままで仙台へ行っていた青森の人のうち、相当数が札幌へシフトするのではないか。
その根拠は青森から仙台、札幌までの距離である。

新青森から仙台までの営業キロは369.1kmとなっている。もう一方で現在工事中の北海道新幹線が札幌まで開業したら、新青森から札幌までの営業キロは360.3kmとなる。

つまり新青森は仙台〜札幌間のほぼ中間点になるのだ。

map2.jpg
 北海道新幹線が札幌まで開業した図。

料金は北海道新幹線が高め設定のため仙台へ行くよりは若干高くなりそうだ。
しかし、仙台の人には申し訳ないが、都市としては札幌の方が色々揃っていると思う。

そうなれば南の七戸十和田駅、北の奥津軽いまべつ駅である。

駅前にもイオンとまではいかないが、コンビニの1軒くらいはできるかも知れない。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 18/04/14 | Comment(0) | 北海道の駅

新千歳空港新線のルートを予想する

現在、快速エアポートは札幌〜新千歳空港間を15分間隔で運行しているが、ここ数年、混雑がひどくなってきている。

全区間満席、新千歳空港駅は列車が着くたびにホームや階段、改札口に大勢の降車客があふれるという昼間でもラッシュのような光景が見られる。

実際、新千歳空港駅の乗客数もここ数年前からうなぎ上りに増えていて、2016年度にはJR北海道の駅としては札幌駅に次いで2位の乗客数の駅となった。

DSCN2988.JPG
 混雑する新千歳空港駅コンコース。

DSCN3028.JPG
 狭いホーム。ここにスーツケースを引いた降車客が殺到する。

これだけ混雑しているのだから、列車の増発か車両の増結で対応すべきところなのだが、新千歳空港駅の制約があって、そのどちらもできないのである。

まず、南千歳〜新千歳空港間は単線ということ。これが増発を難しくさせている。
もう一つは新千歳空港駅のホームの問題。6両編成対応の1面2線(幅8m長さ130m)のホームでは、6両以上の列車が発着することは不可能だ。

駅を改修すればいいのだが、地上駅ならともかく地下駅とあっては大工事になってしまう。
快速エアポートの増発や車両増結はもう何年も前から言われていたことだが、このような事情から難しいのが現状だった。

そんな中、新千歳空港アクセス鉄道の抜本的な改良案というものが報じられた。
JR北海道は近い将来には路線も大幅に短縮され、もうこの先はないのかと思っていた矢先に明るいニュースでもある。

どうしん電子版(北海道新聞)からの引用

”国土交通省がJR北海道の新千歳空港駅と周辺について、大規模改修の検討に着手したことが1日、同省関係者らへの取材で分かった。駅を千歳線の本線に組み込む形で苫小牧側に貫通させるほか、石勝線を接続する構想。実現すれば道東や苫小牧方面への接続の利便性が大幅に向上するほか、経営難にあえぐJRの増収効果も期待される。”

  〜中略〜

構想では南千歳―新千歳空港間(単線、2・6キロメートル)について、苫小牧側への貫通のほか、複線化を行う。帯広・釧路方面に通じる石勝線の起点も南千歳駅から新千歳空港駅に変更する。


要約すると、新千歳空港とその支線について、

 ・現在の行き止まりから、苫小牧・室蘭方面および石勝線への直通化。
 ・現在の単線から複線化する。
 ・ホームを増設する。

ということになる。

道新に掲載の略図では苫小牧・室蘭方向は直通だが、石勝線へはスイッチバックのようにも見えた。

南千歳から分岐する石勝線の位置関係を考えるとそれもやむを得ないのかと思っていたら、2018年5月3日付の北海道建設新聞1面に『新千歳空港駅アクセス鉄道改良計画』として、新線の配線図が掲載されていた。

chitosenewroute.jpg
 2018年5月3日北海道建設新聞掲載の『新千歳空港駅アクセス鉄道改良計画』より筆者作成。

こうして見るとなかなか大掛かりな新線計画となる。
南千歳からの分岐は、現在の地下への入口の隣に並行してとすぐにわかるが、他の2か所の接続箇所やルートはどうなるのか。

いやいや、それ以上に鉄道ファンとして何だか熱くなってきた。
それで、地理院の電子地図に実際に線を引いてみたのが下の図。

chitosenerroutemap.jpg
 新千歳空港アクセス新線予想図(国土地理院の電子地形図25000より筆者作成)

千歳線南側への合流は当初美々信号場と予測したが、実際に線を引くと美々信号場の1.5km南側にある美々川の橋梁付近になった。

南千歳駅から現・千歳線と分岐する。
新千歳空港駅の手前で現在の線路と分かれ、新・新千歳空港駅へ。
この駅は現在駅の西側に作られる。場所で言えば、一般車乗降レーンの直下となる。

ホームは3面4線。特急列車10両対応とすれば、長さ220mとなる。ホーム幅を10mとすれば、地下駅の幅も45mとなり、地下駅としては大規模な駅になりそうだ。

新千歳空港駅を過ぎると現・千歳線に向かってカーブ。
R400m(R=曲線半径)の急曲線ならば美々信号場に接続できそうだが、接続手前でまた急曲線が入る。
特急列車も通る路線ではあまり望ましくない。

現・千歳線、美々信号場の南側にR1000mのカーブがあり、それに沿うように同じくR1000のカーブで分岐させ、新千歳空港駅南側にR600mのカーブを入れるとうまく収まった。

現・千歳線は、美々信号場南側から美々川の橋梁までの約1kmが10‰の下り勾配となっていて、高低差が10mほどとなっている。
美々川の橋梁付近に新・美々信号場を設けて新線を分岐、そのままレベル(水平)で新線を敷設すれば自然と地下へ入って行くことになる。

一方で石勝線は、駒里信号場の西端からR800m(石勝線はR800mが標準)で南側に分岐させると、国道36号線を過ぎたあたりで新・千歳線に取り付けることができた。
この場所にR600mのカーブが入るのは苦しいが、滑走路の下に大型の構造物や立体交差を設けるのは良くない気がして、こうなった。

新・千歳線の上下線の真ん中から始まる石勝線は20‰の上り勾配であれば400mくらい並行すれば南行の線と交差できるはずだ。

新・千歳線のほうは殆ど地下区間になりそうだが、石勝線のほうは36号線手前あたりで地上に出られそうだ。
高架橋で36号線と現・千歳線と交差し、駒里信号場で現・石勝線と合流する。

滑走路下を通らず、滑走路と並行して南下し、植苗駅付近で合流というのも考えてみたが、相当大掛かりになるし、何よりも石勝線が遠回りになりすぎるので却下。

空港新線から外れた現在線は、貨物列車が使うのでそのまま残るだろう。

以上、こんな感じでルートを想像してみました。

DSCN3033.JPG
 現在行き止まりの新千歳空港駅終端。

事業費は1000億円規模、早ければ2022年の完成となる。
国が主体の事業となれば、動き出せば早いだろう。

快速エアポートも改善され、各地からの空港アクセスも良くなるので、一刻も早い完成が望まれる。
それよりもなによりも、鉄道ファンとして久々の心が躍る出来事でもある。

posted by pupupukaya at 18/05/12 | Comment(0) | 北海道の駅
Powered by さくらのブログ