JR北海道の駅名標は交換が始まったようです

JR北海道の駅名標のデザインは白地に黒文字、萌黄色の矢印上の帯に白抜きのローマ字というのが主流です。
国鉄時代は白地に黒一色のものが使用されていましたが、今のデザインになったのは青函トンネル開業の1988(昭和63)年3月からと記憶しています。

その中でも、ホームの屋根から吊り下げられた駅名標は中に照明が入っていて、光る駅名標は車内から見てもそこが主要駅であるような頼もしさがあり、また旅情を誘うアイテムでもあったりするものです。

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 札幌駅(2021年7月)

ところが、ここ2〜3年くらい前から、この光る電照式の駅名標がただの板のものに交換が進んでいるようです。

下は岩見沢駅の例。

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 岩見沢駅(2015年2月)

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 岩見沢駅(2021年7月)

上画像は電照式だった頃、下画像は現在の光らない板の駅名標。
厚さが1/4くらい、何だかホワイトボードみたいになってしまいましたね。

岩見沢駅のは、2018年4月にはすでに交換されていたようです。
電照式の駅名標は基本的に国鉄時代から使用されていたものをJR化後に表示板だけ交換したものが多く、掲示器自体の老朽置き換えという理由もあるのかも知れませんね。

次は滝川駅を見てみましょう。

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 滝川駅(2015年2月)

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 滝川駅(2021年7月)

上画像は最後の711系電車に乗りにいったときのもの。
行燈のようにボワ〜っと照らす駅名標に国鉄型の電車が旅情を誘いますね。
方向幕の『旭川』の表示もいい味。

下画像は現在のもの。
最近は電照式駅名標も日中は節電のためか消灯しているものが多く、昼間に関しては新型の光らないタイプの方が視認性が良いようです。

次は南千歳駅

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 南千歳駅(2013年11月)

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 南千歳駅(2021年7月)

上画像の駅名標は横長で隣駅表示部分が緑地となったタイプ。
最初は新千歳空港駅で採用(のちに従来のデザインに更新される)されたものです。

それから徐々に採用する駅が増えて、2000年代くらいまでに改装された駅はこのタイプの駅名標が多くなっています。
でも、それ以降は新規に設置される横長の駅名標でも従来のデザインに戻っています。

下画像は現在のもの。
昼間に限って言えば視認性はこちらの方が勝っていますね。
上画像の横長駅名標は、国鉄時代から使われているものと比べれば新しいもので、それでもわざわざ交換するということはやはり他の駅でも光らない駅名標へ交換を進めるということなんでしょうか。

次は長万部駅に行ってみましょう。

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 長万部駅(2005年9月)

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 長万部駅(2021年7月)

上画像はだいぶ古いものになりましたが、隣に『おしゃまんべ温泉郷』の広告があったとき。
駅名標と2つ並んでました。
着いたときは夕暮れになってしまいましたが、ホームで煌々と灯る駅名標は頼もしく感じられました。

下画像は現在のもの。
函館本線と室蘭本線が分岐し、特急停車駅なのにローカル線ぽい軽さは否めません。

バックの車両はどちらも国鉄型のキハ40形。
ただ1つ言えることは、上画像を撮った当時は、まさか16年後もこの車両が走っているとは思わなかった・・・

この長万部駅は北海道新幹線の駅が併設されることになっています。
新幹線開業後は室蘭・苫小牧方面へ向かう特急への接続駅となることでしょう。

最後は函館駅です。ここは2種類の駅名標がありました。

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 函館駅5・6番ホーム(2015年8月)

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 函館駅7・8番ホーム(2015年8月)

交換前の函館駅は1つは従来の萌黄色帯のもの。
7・8番ホームだけが南千歳駅同様の隣駅塗りつぶしタイプでした。これはホームが一番新しく増設されたためにこうなったのでしょう。

上画像に写っている車両は789系スーパー白鳥。下画像のは上野行の寝台特急カシオペア。
懐かしいですね・・・

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 函館駅3・4番ホーム(2021年7月)

う〜ん、旧来の電照式は北海道の始発駅としての貫禄を感じるのに対し、新しくなった駅名標はどこか軽いような・・・

10年後の北海道新幹線札幌開業後は、この風格と歴史ある函館駅も第三セクター鉄道に移管され特急列車の発着も無くなります。
はこだてライナーは引き続き新幹線アクセスとして存続するでしょうが、函館駅は単なる電車の始発駅になってしまいます。

何だかそれを予見するような・・・

ちなみに、この光らない駅名標は夜どうなっているのか見てみましょう。

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 函館駅5・6番ホーム(2021年7月)

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 函館駅3・4番ホーム(2021年8月)

上画像は733系はこだてライナーを背景に。
下画像は、あえて照明の影になった駅名標を撮影してみました。

光らない駅名標を採用したのは、ホームの上屋部分には照明があるので視認性の問題はないとの判断なのでしょう。
しかしどこか精彩がなく、終列車が終わったあとのホームに見えてしまうのは私だけでしょうか。

駅名標といえば駅を象徴する存在であり、到着して真っ先にその駅を認識するもの。
その駅名標が暗いというのは寂しい・・・

やはり10年後の電車駅化を暗に示しているようにも感じられます。

 ★  ★

これら電照式の駅名標の交換が進んでいる理由についてネットで調べてみたら以下の記事を見つけました。

 *乗りものニュース
  "JR東日本の駅名標 光らない「ただの板」へと変更中 いったいナゼ?"

記事によると、JR東日本の駅では光らない駅名標への更新をしているとのこと。
理由は『2050年までに二酸化炭素排出量を実質ゼロ』を目指す節電の取り組みのためなんだとか。

おそらくJR北海道でも同様の理由からの取り組みと思われます。

もう1つ考えられる理由は、吊り下げの駅名標の多くは国鉄時代に設置されたもの。
国鉄からJRになってすでに34年が経ちます。
駅名標はさらに古く、掲示器の老朽化を考えると今後は光らないタイプの駅名標への交換が進むでしょう。

北海道新幹線が札幌に来る頃には、光るタイプの駅名標はもうなくなっているかも知れませんね。

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 新札幌駅(2021年7月)露出補正-0.7で撮影。

ところで、これら光る駅名標はカメラ泣かせでもあります。
普通に撮影すると駅名標部分が白飛びしてしまうから。

カメラにもよるでしょうが、私は夜にコンデジで駅名標を撮るときは露出補正をマイナス0.7(暗く補正する)にしています。
上画像はそれで手持ちで撮影したもの。

どうです、きれいに撮れているでしょ。
ご参考に。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 21/08/29 | Comment(1) | 北海道の駅鉄

縦長の駅名標からサッポロビールが消える

北海道の駅でお馴染みといえば、黄色で縁取りした紺地に白抜きのひらがなで表示した縦長の駅名標。

ホーロー製で独特の字体のひらがなで駅名を記してあって、見るとどことなくノスタルジーな気分にもなってきます。
この字体はスミ丸ゴシック体といって、国鉄時代は標準的な字体に定められていました。

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 ホーロー製の駅名標。今はなき日高本線 浦河駅にて。

さらに特徴的なのが、駅名表示の下にある赤文字の『サッポロビール』の広告。
これを見て、ああ北海道に来たな〜と思う方も多いのではないでしょうか。

もっと昔は、単純に紺地に白抜きで毛筆体のもあったようですが、国鉄時代の昭和59年(1984年)に今の様式の駅名標に一斉に取り換えられたようです。

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 本場の味サッポロビールの広告。

ところが最近、駅名標の『サッポロビール』の部分が白く塗りつぶされた駅名標を多く目にするようになりました。

その理由は情報源の北海道リアルエコノミー(2021/06/09)の記事から引用します。

“サッポロビール(本社・東京都渋谷区)はJR北海道ソリューションズ(同・札幌市東区)と協議、定期的に実施している広告施策の見直しの一環として駅名標広告の掲出を終了することにした。”
 〜以上北海道リアルエコノミー(2021/06/09)より引用

同記事によると、2022年度からは新デザインの駅名標が掲出されることになっているようです。
新デザインのものに移行する駅は、小樽〜岩見沢間、旭川、札幌〜苫小牧間、札幌〜北海道医療大学間、帯広、釧路、上富良野それに北海道新幹線の3駅。

それ以外の駅は広告部分を塗りつぶすか撤去する作業を6月から進めているようです。

新デザインになる駅以外では今までの駅名標を引き続き見ることができるようですが、あちこちでサッポロビール部分を白く塗りつぶされた駅名標を見ると寂しく感じますね。

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 サッポロビール部分が塗りつぶされた駅名標。

とはいうものの、古いものが消えて新しいものになるのは変えようがありません。
そこで、道内で使用されているサッポロビール広告付き縦長駅名標をあれこれ集めてみました。

画像は100%筆者撮影です。

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札幌駅(函館本線)。

北海道を一番代表する駅を最初に。
電光掲示板が最新のものに交換されたり、案内板が新しいデザインのものになっても、ホームのこの駅名標を見ると昭和時代に引き戻されたような感覚になる。
新デザインになったときは、ホームも少しは垢抜けするのだろうか。

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平岸駅(根室本線)、山部駅(根室本線)。

根室本線の東滝川〜東鹿越間の各駅のは、7月段階で白く塗りつぶされていた。
このほかに函館本線長万部〜塩谷間など、本社管轄の駅は早くから塗りつぶしが進んでいるようだ。
古いホーロー看板の、塗りつぶした部分が妙に明るく目立つ。

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長万部駅(函館本線)。

他の駅のは広告のホーロー板全部を塗りつぶしているのに対し、これは文字部分だけ塗りつぶした例。

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富良野駅(根室本線)、上富良野駅(富良野線)。

富良野線の上富良野駅のは新デザインになり、富良野駅のは旧来のまま据え置かれる。
でも何で富良野駅でも美瑛駅でもなく上富良野駅だけ置き換え対象なんだろう。

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新札幌駅(千歳線)、厚別駅(函館本線)。

これは駅名の下に□囲みの『札』のマークが付いた例。
『札』とは札幌市内のこと。

JRの運賃計算には特定都区市内という制度があって、札幌駅から201km以上の距離の乗車券は札幌市内発着とする制度がある。
その札幌市内発着の乗車券を持っていれば『札』マークの付いている駅で乗り降りしてもいいですよという印。

横長の大きい駅名標も良く見ると右上の隅に『札』マークがある。

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北海道医療大学駅(学園都市線)、あいの里教育大駅(学園都市線)。

今度は長い駅名のものを並べてみました。
JR北海道で1番長い駅名の『ほっかいどういりょうだいがく』は14文字、2番目の『あいのさときょういくだい』は12文字。

文字を横長に圧縮して幅も従来の半分くらいにしてようやく収まる長さ。
『札』が入るあいの里教育大のはもっと苦しい。

何としても規格のホーロー板に収めなきゃという執念すら感じる。

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森駅(函館本線)、目名駅(函館本線)。

こちらは短い駅の例。
文字をめい一杯上下に寄せて、他の駅より文字が縦長になっている。
道内でひらがなにすると1文字の駅名はなく、2文字が最短の駅名。

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稚内駅(宗谷本線)、東根室駅(花咲線)。

特にどうということもない普通の駅名標ですが、日本最北端と最東端の駅を並べてみました。
この2つを並べると、やっぱり北海道も果てまで来たねえという気分になる。

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函館駅(函館本線)、ようこそ函館へ(函館駅)。

函館駅は玄関口としての役割は新函館北斗駅に行ってしまったが、しかし北海道の始発駅といえばこの函館駅。
他の駅と同じデザインのホーロー板だが、はこだての文字は他とは違う風格を感じる。

そして赤いサッポロビールの文字。
この駅名標を見て北海道にやって来たと実感した人も多いはず。

右の看板は駅名標ではないが、これもホーローの看板で『ようこそ函館へ。』の文字が表示されている。
この看板は、元々は青函連絡船の桟橋通路に掲げてあったものだと記憶してるがどうだろう。
それが連絡船の廃止で跨線橋から改札口への通路に移されて、今の新しい駅になった時にホームから連絡通路に出入りする今の場所に掲示されるようになった。

函館駅の駅名標は新デザインのものに移行するが、ようこそ函館の看板はどうなるのだろう。

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南千歳駅(千歳線)、サッポロビール庭園駅(千歳線)。

どちらも平成になってから付けられた駅名。
南千歳は平成4年(1992年)千歳空港から改称、サッポロビール庭園は平成2年(1990年)の開業。

すでにJR北海道の駅となっていたが、ホーローの駅名標は同じものが設置された。

縦長駅名標は原則ひらがな表記だが、スポンサーだからなのかは知らないがサッポロビール部分はカタカナで書かれている。

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新函館北斗駅(函館本線)、野幌駅(函館本線)。

新函館北斗駅は平成28年(2016年)北海道新幹線開業時に渡島大野から改称された。
野幌駅は平成23年(2011年)に高架駅となった際に駅名標も新しいデザインのものとなったもの。

さすがにこの頃にはホーローのものは作成されなくなった。
サッポロビール広告の文句は『北海道はサッポロビール』に変更されている。

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木古内駅(北海道新幹線)。

これは北海道新幹線ホームにある駅名標。
地色はスピード感を表すためか萌黄色と深緑のグラデーションとなったが、文字が目立たなくなってしまった。。
広告の文句は『ONLY北海道CLASSIC』と企業イメージではなく商品の宣伝になっている。

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苗穂駅(函館本線)。

これは苗穂駅が平成30年(2018年)に移転となって設置された新しい駅名標。
元の駅で使用されていたものを移して来るのではなく新たに作られた。
デザインは従来と変わらないが、広告部分がサッポロビール園とサッポロビール博物館となっている。

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長都駅(千歳線)。

千歳線長都駅は『キリンビール北海道千歳工場前』の副駅名称がつき駅名標の下に掲示されている。
横長の駅名標の下にキリンビール、縦長の駅名標の下にサッポロビールではどっちの駅やねんとツッコミたくなりそう。

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小幌駅(室蘭本線)。

秘境駅の駅名標と言いたいが、縦型ホーロー駅名標の設置基準がどのようなものだったかを考えてみる。
この駅名標が設置されたのは国鉄時代の昭和59年(1984年)。

全線全駅に設置されたわけではなく、当時なりの設置基準があったようだ。
その設置基準も、当時の鉄道管理局ごとに定められていたらしい。

この駅名標のあるなしを見て行くと、設置条件の傾向がある程度見えてくる。

1つは、仮乗降場には設置しない
仮乗降場とは主に国鉄時代に時刻表で営業キロの表示がない駅を指す。
留萌本線の瀬越、石北本線の柏陽、あと函館本線の鷲ノ巣や仁山は信号場が客扱いするという営業上は仮乗降場と同じ扱いだった。これらの駅にはJRになっても設置されることはなかった。

2つ目は、特定地方交通線第1次廃止対象線には設置しない
これは、1984年の駅名標設置の翌年には全線廃止されているので当然といえば当然といえよう。
第2次廃止対象線区は、駅名標設置当時は存廃が確定していなかったので設置された。

ただし、釧路鉄道管理局管内だけは2次廃止対象線区は対象外とされている。
例えば、池北線に乗っていると釧路管内の池田から小利別までは設置されなかったが、旭川管内の置戸から北見までは設置されているなんてこともあった。

小幌駅

この駅も仮乗降場だったにも関わらず設置された。
同じく仮乗降場だが設置された駅があって、室蘭本線の北舟岡と旭浜、日高本線の東町駅。
どうやら北海道総局直轄管内は仮乗降場でも設置対象とした模様。
ところがなぜか札沼線の於札内だけは仲間はずれで設置されなかった。

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抜海駅(宗谷本線)、新十津川駅(札沼線)。

最後はサッポロビールの広告が無い縦長駅名標。

抜海駅のは手作り感満載の縦長駅名標がある。
正式なものが他に3枚あるのになんでまた?

新十津川のは、駅の中に観光案内所が設けられてから設置されたので、観光案内所が作成したものだろう。
広告部分には『ようこそ札沼線終着駅』の文字が入る。

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天ノ川駅

今度は番外編。
天ノ川駅といっても、駅ではなく旧江差線の線路わきにあったホームを模したモニュメントだった。
廃止の日が近くなってからホーム上に設置されたもの。

もちろんJRが設置したものではない。
字体も下の広告も本物そっくりに作られているが、ライセンス的なものはどうだったのか気になる。

 ★  ★  ★

来年には北海道でおなじみのホーローの駅名標とサッポロビールの赤い文字が見られなくなるようです。

先のリアルエコノミーの記事の最後の方に、やっぱりこの一文が・・・

『関係者は駅見回りを強化、駅名標の盗難を防止』

くれぐれも盗ろうなんて思っちゃいけませんよ。
その代わりにスマホやカメラで撮っておきましょう。

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画像両脇の『さっぽろ』『はこだて』は実物の1/10サイズの駅名標ミニチュアレプリカ(1枚1100円)。

駅の四季彩館で売っているし、ネット通販もあるのでこんなのもそろえてみてはいかがでしょうか。
 ・・・って宣伝みたくなっちゃいましたね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

posted by pupupukaya at 21/08/15 | Comment(2) | 北海道の駅鉄

北海道新幹線効果の可能性を倶知安駅に見る

久々に倶知安駅に立ち寄ってみたら、駅の裏側で何やら線路の敷設らしき工事が行われておりました。

もしかして、もう新幹線の軌道敷設工事が始まったのかと思ったものの、工事看板を見ると『北海道新幹線倶知安駅支障移転』とあったので、どうも違うようだった。

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 駅前通りから見た倶知安駅の駅舎。

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 駅の裏側では道床の新設らしき工事が。

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 駅南側の跨線橋から道床工事を見る。

2030年度開業を目指して目下工事中の北海道新幹線。その倶知安駅は現倶知安駅に併設されることになっている。

この工事は新幹線の倶知安駅ではなく、新幹線駅設置工事のために、現在線とホームを西側に移設させるための工事なのだった。
新幹線の線路と駅は、現在の線路とホームがある場所に建設される。
当初は地平駅で建設される計画だったが、高架線に変更されている。

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 ここに新幹線の高架橋が建設される(駅北側の踏切から)

北海道建設新聞によると、倶知安駅を中心とした約1.5kmが移転となる。
現駅舎は残して、新設するホームとは屋根付き廊下で結ばれるようだ。

 2019年08月26日 12時00分 北海道建設新聞

線路切り替えは2021年秋ごろで、現在のホームと線路は2022年に撤去し、そのあとに新幹線の高架橋の建設工事が始まることになる。
最終的には現在の2階建て駅舎も解体され、新駅の駅前広場の一部となるようだ。

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 駅周辺施設整備イメージ(北海道新幹線倶知安駅新駅周辺整備構想倶知安町より引用)

新幹線が開業すれば並行在来線はJRからは切り離されるが、廃止の話はまだ出ていないので、一応ホームと線路は仮設ではなく恒久的なものということになる。

新幹線札幌延伸の並行在来線は、函館〜長万部間は貨物列車の走行のために第三セクター鉄道が経営を引き継ぐことは確実だ。
しかし、山線と呼ばれる長万部〜小樽間はかなり厳しい。それでも余市〜小樽間は利用客もそれなりにあり、朝夕の列車はまとまった乗客もあるので三セクでの存続もありうるが、特に列車本数も利用者数も激減する長万部〜倶知安間はかなり厳しいものとなる。

鉄道の廃止となると沿線町村はまず絶対反対の立場を取るが、倶知安町だけは立場が別のようで、倶知安町のホームページにある『北海道新幹線倶知安駅新駅周辺整備構想』には、倶知安駅周辺の新幹線開業時以降(将来像)をイメージした図面が掲載されているが、在来線廃止の場合と存続の場合の2パターンが用意されているのは興味深い。
高架での新幹線建設が決定したのに、在来線は地平のままとされているので、せっかく新幹線ができても在来線で町が分断されるのを疎ましく思っているフシも見え隠れするのだが・・・

それはともかく、倶知安駅の裏で始まった工事を見ていると、ようやく新幹線が本当に来るんだなと思いが湧いてきた。

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 北海道新幹線概要図(鉄道・運輸機構のパンフレットより引用)

新幹線札幌延伸開業まで予定通りならばあと10年後ということになる。まだまだ先の気の長い話だが、これからぼちぼちと新幹線の形が見え始めるのだろう。

北海道新幹線の新函館北斗開業の結果は散々たるものだが、あれは余りに中途半端な恰好での開業を余儀なくされたからで、やはり札幌まで開通してからが本領発揮であろう。
新函館北斗駅がなぜあんな場所(失礼ながら)に出来たのかというと、北海道新幹線がとにかく札幌を目指したからということに他ならない。

とはいえ、札幌延伸開業が実現したら、東京〜札幌間の所要時間は5時間14分、本数は1日片道17本という計画になっている。
延伸区間の最高速度を260km/hから320km/hに引き上げられることが決定しているが、それによる時間短縮は5分とのこと。
青函トンネルの貨物列車共用走行区間での140km/h走行が260km/hに引き上げられれば4時間台ということも可能になるのだが、物流の要である貨物列車をなくすわけにはいかないし、第2の青函トンネルというのも難しいだろう。

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 北海道新幹線の所要時間。
(国土交通省鉄道局『収支採算性及び投資効果に関する詳細資料』より引用)

東京〜札幌間の最速所要時間は5時間14分。これは少し古い平成24年のデータなので、現在(2020年)の試算では同区間の所要時間は5時間1分とされている。
所要時間5時間超えでは航空機との競争では全く話にならない。
北海道新幹線が悲観的な見方が多いのは、東京〜札幌間の所要時間ばかりに気を取られているからだろう。

これは東京から見るからそうなるのであって、逆に札幌から見てみよう。
上の表から札幌から各地への所要時間を作成すると以下のようになる。

札幌からの所要時間
(最速列車を仮定) 
区間
所要時間
札幌〜新小樽0:11
札幌〜倶知安0:25
札幌〜長万部0:38
札幌〜新八雲0:54
札幌〜新函館北斗1:04
札幌〜新青森2:04
札幌〜盛岡2:52
札幌〜仙台3:32
札幌〜東京5:03
 (筆者作成)

札幌〜新函館北斗間は上記の表から算定、新函館北斗〜東京間は現在(2020年8月)での最速列車に札幌〜新函館間の所要時間をプラスしたもの。

札幌〜東京間ということで見れば不満だが、札幌発着で道南や東北へということで見れば満足のいく所要時間ではなかろうか。
特に札幌〜函館間では、これに快速『はこだてライナー』の所要時間と乗り継ぎ時間を合わせても1時間40分程度となる。
所要時間だけ見れば、札幌からの距離感は旭川や室蘭と同等ということになり、函館から札幌への通勤も可能となる。

現在は札幌〜函館間の航空路線は、千歳・丘珠便合わせて1日片道7〜8便があるが、新幹線開業後は同区間からの撤退は間違いないところだろう。
札幌〜青森・三沢・花巻あたりの航空路線も、休止や撤退とまではいかなくても大幅な減便が考えられる。

その航空機の乗客は間違いなく新幹線へ移行する。本州や九州の新幹線と違って、本州〜北海道間はほかに選択できる陸上交通機関が存在しないのだから。
仙台は微妙なところだが、スピードアップによって3時間台前半くらいになれば完全にシェア逆転にできるだろう。
ただ、上の表は最速列車での想定なので、実際は列車によって10〜20分程度の開きがある。

札幌〜新函館北斗間では320km/h引き上げ化により5分程度短縮されることになる。東北新幹線区間も宇都宮以北で360km/h化することが決定していて、また青函共用区間でも、貨物列車と競合しない列車限定で260km/h運転とすることも検討され、2030年の札幌開業時には東京〜札幌間で最速4時間半台というのも実現しているのかもしれない。

とにかく筆者が言いたいことは、東京からの視点で見れば役に立たない新幹線と判断されかねないが、逆に札幌からの視点で見ると正反対の形で見えてくるということだ。
とかく東京〜札幌間の所要時間だけに振り回されがちな北海道新幹線だが、東北〜北海道間とか道南(特に函館)〜札幌間の時間短縮効果も素晴らしいものがある。

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 途中駅の新幹線ホームのイメージ(新函館北斗駅で2016年撮影)

話を倶知安駅に戻します。

新幹線の倶知安駅は札幌から営業キロで70km、新幹線の所要時間25分は、日帰りの観光地としては最適ではないだろうか。
道の駅的な集客施設も併設すれば、車の観光客も必ず立ち寄る手軽な観光拠点となることは間違いない。
新幹線通勤も可能なので、札幌の新しいベッドタウンとなる期待もできる。

新幹線で倶知安入りが想定される観光客の筆頭はインバウンドだろう。ニセコのブランド名で一番発展している倶知安町山田地区は駅から結構離れているという欠点はあるが、新千歳空港からでも東京からでも便利にはなる。

しかし今回のコロナ禍で、インバウンド・バブルで栄えたところは、これからどうなるかわからなくなってしまったわけで、インバウンドビジネスは、ハイリスクも伴うということがわかってしまったし、あんなバブル的なものは当てにしてはいけない。
今回のコロナが収束しても、また新たな感染病の世界的流行や、あるいは外交問題や戦争といったこともリスクとして想定しなければならない時代になりつつある。

そんな物騒な話は想定しなくても、倶知安町周辺の羊蹄山麓は景色も素晴らしいし素敵な観光地も地味にたくさんある。
ニセコ周辺は温泉が多いし、天気が良い日は羊蹄山を見ながらドライブしていたら気持ちが良いしね。

ニセコや羊蹄山といえばイメージは良いけど、改めてスキー場以外で有名な観光地は何かあったかと考えたが思い浮かばなかった。しかし、新幹線が来ればイメージの良さで観光客が増えそうな気がする。

イメージって大事ですよ

富良野は、平凡な農業町だったのがTVドラマのイメージで、年間100万人以上もの観光客が訪れる道内屈指の観光地にまで成長した例だ。
美瑛は、ただの畑だったところが美瑛の丘というイメージで全国区で有名になった例もある。
イメージだけではなく、関係者の努力でそうなったことは言うまでもないが。

で、倶知安駅である。ニセコや羊蹄山麓周辺だけでなく、少し足を延ばせば南に洞爺湖、北に積丹といった観光地にも事欠かない。
富良野や美瑛と同じように農産物も豊富だし、羊蹄山を源とする名水の産地でもある。

東京からは微妙だが仙台以北から倶知安へは十分日帰り圏となるわけで、倶知安駅まで新幹線で来てレンタカーで観光なんてスタイルも定着するかも。
今まではスキーばかりが有名だったが、冬以外も全国的な観光地となる可能性は秘めていると思う。


もう1つ、観光だけではなく倶知安駅付近は新幹線からの車窓が楽しめる数少ない区間となる。
建設中の北海道新幹線は、新函館北斗〜札幌間212kmのうち、8割がトンネル区間というモグラ路線。
そのうち、倶知安駅の前後約9kmほどが数少ないまとまった明かり区間となる。

9kmの距離は320km/hで通過すると僅か1分41秒で通り過ぎてしまうが、天気が良ければ高架橋から羊蹄山が良く見えそうだ。
羊蹄山をバックに走る新幹線てのは、北海道新幹線のシンボルにもなりそうなほど良いアングルだろう。

とにかく、北海道新幹線倶知安駅開業による経済効果は計り知れないものがあると筆者は見ている。

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 倶知安駅から見える羊蹄山(2007年5月撮影)

さて、この倶知安駅まで札幌から新幹線で行くとするといくらになるんだろうか。

これを現在の運賃体系に当てはめてみると、特急料金は距離が近い奥津軽いまべつ〜木古内間と同様とすると2,030円(立席)、運賃は1,490円で合計3520円(2020年現在)とチト高め。
トクだ値の40%割引ならば2,430円。これはもう少し割引してほしいところ。

もう1つ気にかかるのは、倶知安駅の駅名。
最近の新幹線の駅名はやたらと2つ以上のものを合体させたがる傾向にある。
新函館北斗とか七戸十和田などがその例。中には有名観光地をくっつけたり町の特産品をくっつけて駅名としたところもある。
駅名はシンボルとなるものなので、駅名にいろいろ盛り込みたいのはわかるが、長くなるし逆に覚えづらくなって逆効果なのだが。

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 この駅名もすったもんだの果てに決まった(2016年新函館北斗駅で撮影)

いまや世界中から倶知安へ観光客が来るようになったが(コロナ前の話)、彼らが目指して来るのは倶知安ではなくニセコ。
いまやニセコは世界のブランド名となった。
こうなると駅名に『ニセコ』を入れてほしいという勢力が出てくるだろう。

インバウンド目当てであれば新ニセコ(New Niseko)駅というのはあり得るが、これは最悪
倶知安ニセコ駅なんてありえそうだが、個人的には観光バブルに迎合した感があって嫌だなあ。
周辺町村からは羊蹄も入れろと言ってきたりして、倶知安ニセコ羊蹄駅って、観光ガイドの題名ならばともかく、だめだこんな名前覚えられない。

往年のイメージが残る鉄道ファンの筆者としては、函館本線の鉄道の要衝でもあり機関区もあった倶知安の駅名は守ってほしいところだ。

しかし懸念がひとつあって、並行在来線廃止の引き換え条件としてニセコ町あたりが駅名にニセコを入れることを提示してくることは考えられる。

その場合の折衷案としてひとつ筆者の妙案があって、駅名は倶知安として、ニセコの名前は列車名にしたらいい
札幌〜新函館北斗間に区間運転の列車が設定されるだろうから、
その列車名を『ニセコ』とすればイメージもピッタリな気がするのだがいかがだろう。

北海道新幹線ルートを先取りするためか、臨時特急『ニセコ』号も運転されるようになったし。
あのヘッドマークは廃止になった急行『ニセコ』からの流用だが、デザインは倶知安付近から見える羊蹄山をあしらったものだ。

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 『ニセコ』のヘッドマーク(JR北海道のHPより引用)


新幹線初のカタカナ名列車ということになるが、ニセコ駅だって改称した当時は国鉄初のカタカナ駅だったので別にいいんじゃないかね。

以上、倶知安駅で見た新幹線関連工事のついでに、北海道新幹線について思うことを綴ってみました。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。

PS、キーボードに『新函館北斗』と打つのが結構めんどい・・・

posted by pupupukaya at 20/08/15 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

JR北海道2020年3月14日ダイヤ改正の明暗

2020年3月14日、JR北海道ではダイヤ改正が行われる。
特急北斗の白老停車以外は特急列車系統には大きな動きはなく、主に札幌圏の快速・普通列車の運行体系の見直しがメインとなっている。

今回のダイヤ改正の概要をJR北海道のHPから引用すると次の通り。

快速「エアポート」を毎時4本から5本に増発します。
区間快速「いしかりライナー」をすべて各駅停車とし、ご利用が増えている快速通過駅の利便性を向上します。
民族共生象徴空間「ウポポイ」開設に向けて、特急「北斗」24本中19本を白老駅に停車拡大します。
(2020.3.14 ダイヤ改正|JR北海道より引用)

混雑が常態化している快速エアポートの増発はありがたいことだ。もう何年も前から、始発の新千歳空港駅発時点で座れないということを何度も経験している。これで混雑も緩和されることだろう。
一方で区間快速いしかりライナーが各駅停車化されるとのこと。この影響を受けるのが函館本線の小樽〜江別間ということになる。

このダイヤ改正で、札幌圏の快速・普通列車のダイヤや運行本数がどのように変わるのか、各駅の時刻表で改正前と改正後の比較をしてみようと思います。

各画像の時刻表はJR北海道HPの各駅時刻表からの引用となります。
左が改正前右が改正後で、それぞれの駅から札幌方面の時刻表を並べて比較しました。


 ◆ 新千歳空港駅

3/14ダイヤ改正の目玉、快速エアポートが毎時4本→5本に増便。
また、札幌発朝の2本、新千歳空港発夜の2本が特別快速として運転される。
新千歳空港発はきれいに12分間隔となったが、札幌発はバラバラになってしまったのは残念。
これは並走する特急とのダイヤの兼ね合いや、単線の新千歳空港側の事情によるのだろう。
10分間隔とすれば、普通列車はきれいな20分間隔とできるのだが、千歳線の線路容量ではこれが限界なのかもしれない。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用


 ◆ 北広島駅

快速エアポート停車駅が一番恩恵を受けるダイヤ改正。普通列車は若干減便となるも、全体では常時1時間当たり6〜7本から7〜8本に増便となった。これは新札幌駅をはじめ快速停車駅は同様。
北広島で快速が普通を追い抜く緩急結合ダイヤは変わらず。とりあえず2027年度末のボールパーク駅開業まではこの体制となることだろう。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用


 ◆ 平和駅

快速エアポートが平均12分間隔になった結果、こちらは平均24分間隔に。
今まで1時間当たり3本が標準だったのが2.5本に。これは千歳線の快速が停車しない駅はすべて同様である。
快速停車駅と通過駅との明暗が分かれることとなってしまった。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用


 ◆ 小樽駅

快速はエアポートといしかりライナー合わせて改正前は1時間当たり4本だったのが改正後は2本へと半減。しかも毎時00分、35分発ときれいな30分間隔とはならなくなった。
普通列車は1本増便となるが、1本は手稲で快速に抜かれるため、実質1時間に3本ということになる。
札幌方面の利用者は、ますます快速エアポートに集中することとなり、混雑に拍車がかかることと思われる。
あとこの時刻表に無いが、上り1本だけの快速ニセコライナーは改正後も存続する。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用


 ◆ 琴似駅

琴似〜札幌間は、快速4本+普通4〜5本で1時間当たり8〜9本と地下鉄に負けず劣らずの本数を誇っていた。
快速の半減で1時間当たり7本へ。それでも平均約8分30秒間隔とまずまずの本数は確保。
都心へは地下鉄東西線と競合しているが、長らく運賃と所要時間ではJRが優位に立っていたが、去年の運賃改定で運賃の差が無くなってしまい、今回の減便で少々分が悪い恰好となるか。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用

 ◆ 発寒駅

快速が半減した札樽間だが、その分普通列車が増やされたので1時間当たり4〜5本から常時5本以上へ。
移転した木工団地の工場跡地にイオン発寒が開業したり新築マンションが建ったりと発展している地区。
乗降客数も年々右肩上がりとなっている(札幌市統計書より)。
“ご利用の増えている快速通過駅の利便性向上を図ります”(JR北海道HPより)
で利便性が向上する駅のひとつ。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用


 ◆ 星置駅

1時間当たり4本は変わらず。ただ、いしかりライナーが無くなり、改正後は快速に接続するのは1時間に1本だけになる。
改正前は日中は4本とも手稲から快速になるか快速に接続するかしていたので、札幌までの所要時間は実質伸びることになる。
郊外のニュータウンはどこも高齢化という問題を抱えている。ここも御多分に漏れず、ここ数年は利用者数が減少傾向の駅。数年後に減便の可能性は否めない。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用


 ◆ 銭函駅

日中の1時間当たり3本→2本と大幅減。
北海道薬科大学の統廃合移転など年々利用者の減少が続いている駅。
それとは逆に駅勢圏の人口は増加傾向の模様(小樽市統計書より)。増加した住民の足は車なのだろう。
ほしみ止まりの列車はすべて銭函駅の中線まで回送されており、銭函駅を改築すれば毎時4本にできるのだが、JRも小樽市側もそうするつもりは無い模様。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用


 ◆ 野幌駅

区間快速いしかりライナーの廃止をモロに受けて、1時間当たり5本→4本と減便、また札幌までの所要時間も伸びてしまった。
江別市は野幌地区の再開発を進めており、野幌駅が高架化されたのもその計画の1つ。
しかし、駅前にあった商店街は再開発による道路の拡幅で見事に消滅。駅前に集客施設があるわけでもなく、今後どうなるんだか。
野幌に特急停車を求める声もあるようだが、新千歳空港まで直通していた頃ならともかく、今更する意味は無いと思われる。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用


 ◆ 森林公園駅

大麻・野幌・江別の3駅とは対照的に、いしかりライナー普通列車化の恩恵を受けることとなったのが厚別、森林公園、高砂の3駅。
1時間当たり普通列車3本→4本と増便。
ちなみに森林公園駅の乗降客数は学園都市線のどの駅よりも上回っている。地味に利用客の多い駅。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用


 ◆ 新琴似駅

こちらは1時間当たり3本は変わらず、安定の学園都市線。
uシート付き快速エアポート編成の6両があてがわれることが多い。なぜそこまでこの路線にサービスする?と思うのだが。
昔から他線の中古車両の運用が多かった路線。電化されてもそれは変わらないようだ。721系電車が最後に見られるのはこの路線かも知れない。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用


 ◆ 旭川駅宗谷本線

3/14ダイヤ改正の概要には記載されてないが、地味に普通列車が増発されている路線もある。
旭川17:36発永山行がさりげなく新設されていた。
宗谷本線は、2017年3月のダイヤ改正で特急の運行体系が大きく変わり、そのあおりで旭川発17時台の普通列車が無くなってしまった。
旭川〜永山間は通勤客の利用も多く、この時間帯の普通列車の復活を求める声が多かったのと察する。

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 ※画像はJR北海道HP各駅時刻表より引用

北海道では2016年頃からローカル線での運行本数の減便が始まっているが、札幌圏でも例外ではなくなったようで、2020年3月14日の『輸送体系見直し』という名の減便ダイヤとなってしまった。
思えば、国鉄時代末期から始まった札幌圏の列車増発。JRになってからも、ダイヤ改正ごとに列車が増発され、快速列車も新設された。
2000年3月のダイヤ改正で、快速エアポートと区間快速いしかりライナーを中心とした札幌圏の快速・普通列車の運行体系が整ったことになる。
あれから20年、エアポートを除く快速列車はその役目を終えることとなった。

今回のダイヤ改正を別の見方をすれば、これからは札幌圏の輸送は、空港アクセスと朝夕ラッシュ輸送に特化するという見方ができる。
車両も721系の淘汰が始まっていて、数年後にはすべてオールロングシートの電車ばかりになりそうだ。
札幌圏の鉄道も首都圏と同じように、特急列車と通勤電車の二極分化となるのだろう。
郊外に行くのにJRに乗ればちょっとした旅行気分にというのも、過去のものになりそうだ。

少々感傷的になってしまいましたが、最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 20/03/08 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

平成時代の改札口を見る

30年間の平成時代、駅の光景というのも様変わりしたもので、何より変わったのは改札口ではなかろうか。

時代が平成に変わってしばらくは、改札口と言えば駅員がボックスの中にいて切符にハサミを入れていたものだった。
当時、自動改札機を導入している鉄道もあったが、一部の私鉄や地下鉄に限られていた。

大都市圏から始まった自動改札機は、次第に地方へも普及して、ある程度の規模の駅はほとんどが自動改札となった。
一方、自動化されない駅の改札は、ボックスを撤去して窓口化である。

平成の間にすっかり変わってしまったもののひとつである。

残り数日となった平成を、駅の改札口で振り返ってみましょうか。
西から順番にいきます。


門司港駅:2000(平成12)年5月撮影

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 木製のボックスが並ぶ門司港駅改札口。

1914(大正3)年完成の木造駅舎が現役。
2002(平成14)年頃に自動改札になったようだ。
木製の改札ボックスは一部残されて、現在も臨時の改札口として使用されているそうだ。


広島駅:2004(平成16)年12月撮影

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 広島駅南口改札口。

JR西日本は他のJRに後れを取って自動改札化が進んだが、関西地区以外の地区はさらに導入が遅かった。
広島駅が自動改札化されたのは2007(平成19)年。
政令指定都市クラスの大都市では、最後まで昔ながらの改札口風景が見られた。

1番ホームに直接出る南口の改札口は入口と出口がきっちり分けられていて、うっかり出口から入ろうとすると駅員に怒られたのは懐かしい思い出。

2017(平成29)年に新しい橋上駅舎が完成し、駅関係の施設は1階にあった改札口ともども、そちらに引っ越したようである。

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 広島駅地下道南改札口。

地下改札は、新幹線口と結ぶ地下自由通路と駅ビルのASSE地下1階への出入りへは便利だが、利用者は少なかった。
自動改札化された改札口は現在も稼働しているが、橋上駅舎化された現在はさらに利用者が減っていると思われる。

現在の駅舎も取り壊される予定で、そうなったらこの改札口も無くなるのだろう。


高知駅:2004(平成16)年5月撮影

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 高知駅改札口。

旧駅舎の1番ホームに面してあった改札口。
ステンレス製の改札ボックスが並ぶ様は、平成時代でもどこか昭和の香りも漂っていた。

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 高知駅改札口入口。

2008年に高架化されると同時に自動改札化された。


岡山駅:2005(平成17)年9月撮影

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 岡山駅の東口側の在来線改札は地下にある。

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 地下道に直接通じる地下改札口。

ここも自動改札化は遅く、在来線改札が自動化されたのは2007(平成19)年。
在来線のコンコースは橋上駅舎になったが、この地下改札口は残っている。


旧松江温泉駅(現、松江しんじ湖温泉駅):2000(平成17)年5月撮影

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 旧駅舎時代の松江温泉駅の改札口。

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 出口はホームから直接出る構造になっていた。

2002(平成14)年に現在の新駅舎になる。翌年には駅名が現在の松江しんじ湖温泉駅へ改名された。

『ばたでん』こと一畑電車は自動改札化されていないので現在でも昔ながらの改札口風景が見られる。
しかし上のような旧駅の風情は、もうどこにもなくなってしまった。


富山駅/電鉄富山駅:2010(平成22)年5月撮影

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 JR富山駅。高架化工事のため、プレハブの仮駅舎だったころ。

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 電鉄富山駅の夜の改札口。

新幹線を迎えて一新した富山駅。
在来線の高架駅ホームも完成し、来年には富山ライトレールと市内線の路面電車が直通するんだとか。

富山地鉄も一部で自動改札機が導入され、近い将来高架化されたときは完全に自動改札仕様となるのだろう。


新潟駅:2001(平成13)年4月撮影

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 新潟駅万代口の地下改札口。

新潟駅の万代口は1958(昭和33)年建築の民衆駅。
民衆駅とは国鉄と民間が出資し合って建設された駅舎である。
民間が出資する代わりに、駅舎の一部は商業施設として営業することができた。

戦後の駅舎新築の際に、全国でこの方式による駅舎新築が行われた。

しかし平成なってから、駅舎の高架化や橋上化など再開発計画で既存駅舎の取り壊しや移転ということになると、商業施設側とモメるところが多かった。

それはともかく、駅舎の商業施設は地下か2階に設けられるのが多かった。
2階に設けられたものは跨線橋から、地下のものは地下道から直接商業施設へ出入りできる改札口を設けた駅が多い。

この新潟駅の地下改札もそのうちの1つ。
きらびやかな店内から地下道に直接つながる改札口を見ると、何か異世界にでも通じている気がするのは私だけか。

この地下改札口は2004(平成16)年に自動改札化され、2018(平成30)年に高架駅が使用開始になると閉鎖された。


仙台駅:2001(平成13)年1月撮影

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 仙台駅中央改札口。

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 仙台駅中央改札口の入口(ピンボケ失礼)。

仙台駅の2階コンコースにあった改札口。
銀色の改札ボックスがずらりと並ぶ風景は大都市の駅といったところ。

自動改札化されたのは2002年。

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 仙台駅地下南改札口。

2階の中央口に比べてこちらは目立たない場所にある改札口。
エスパルの地下街の中にあるので、2階コンコースから行こうとするとわかりにくい。
地下鉄や、あおば通駅への通路へ直接つながっているが、あまり利用も多くないようだ。

仙台駅の利用者は、駅前のベストリアンデッキに直接つながっている2階コンコースの方が便利なのだろう。
案内図を見ると、JRから地下鉄への乗り換えは、地下南口からより2階中央口からの動線になっている。


女川駅:2007(平成19)年1月撮影

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 パイプ製の改札ボックスだった女川駅。

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 ローカル線の旅情漂う女川駅の改札口ときっぷ売り場。

2011(平成23)年、東北地方太平洋沖地震で発生した大津波によって駅と線路は流出することになる。

その後は石巻駅から代行バスが運転されていたが、2015(平成27)年に鉄道が復旧し、女川駅も再び鉄道駅として再開することになった。

新しい駅は旧駅より200mほど内陸に移転して新築された。
温泉施設が併設となり、きっぷ売り場や券売機もある駅となったが、改札口は設けられなかった。


盛岡駅:2001(平成13)年1月撮影

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 盛岡駅にあった地下改札口。

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 ボックスが並ぶ改札口と改札係が掛け替えていた改札案内。

駅地下のパルモ(現:盛岡駅ビル フェザン)から直接地下道へ出入りできた。

2005(平成17)年に行われた大規模改造工事で在来線改札口は2階コンコースに集約されることになり、この改札口はなくなった。同時に自動改札機の導入となった。
地下の改札口は撤去され、ホームへの階段も閉鎖して、現在は東西自由通路となっている。

IGRいわて銀河鉄道の改札口は現在も有人改札のみとなっている。


青森駅:2005(平成17)年9月撮影

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 ステンレス製の改札ボックスが並ぶ。

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 国鉄型の標準改札ボックスを横から見る。

青森駅が自動改札化されたのは2006(平成18)年と遅い方だった。
ここも標準的というか、ステンレス製のボックスが並んでいた。

まだ東北新幹線が八戸までだった頃。
東北本線、奥羽本線、津軽海峡線と3方面への特急列車のターミナル駅としての貫禄があった。

新幹線が新函館北斗まで延伸開業すると、特急列車は秋田までの特急つがるが3往復のみとなってしまい、ほぼ電車駅のような恰好である。

青函連絡船時代からの2階建て駅舎が使われているが、近いうちに橋上駅に建て替える計画だという。


手稲駅:1999(平成11)年5月撮影

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 3代目駅舎時代の手稲駅改札口。

現在の橋上駅の手稲駅は4代目駅舎。
その前の3代目駅舎は1981(昭和56)年完成の駅舎だった。
駅舎の2階にコンコースがあり、改札を入ると跨線橋の通路に直接出る構造になっていた。
現在の岩見沢駅が同じ方式だ。

札幌圏のJR駅が一斉に自動改札化されたのは1999(平成11)年12月。
しかし手稲駅だけは自動改札機が置かれなかった。
近く駅舎の建て替え工事が始まるので、それまで据え置かれたのだろう。

翌2000(平成12)年に、駅舎建て替えのために仮駅舎へ移転することになり、同時に自動改札化された。
現在の駅が完成したのは2002(平成14)年5月である。


釧路駅:2002(平成14)年1月撮影

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 末期は閑散としていた釧路駅地下改札口。

釧路駅が自動改札化されたのは1999(平成11)年と地方都市としては早かった。
同時に道内主要駅も自動改札化されている。

しかし地下改札口は有人改札のまま残された。
これは旭川駅も同様であった。

釧路ステーションデパートの店内にある改札口で、デパートを抜けると北口へ通ずる地下通路へ平面で出入りできた。

この改札口が活躍するのは、夕方の列車の改札時。
基本的に列車別改札だった頃、席取りのために改札口前に長い行列ができるのだが、地下改札口に並ぶと地下道へ直接出られるため、地上の改札口に並ぶよりも有利ということになる。

もっとも、駅員も地上組と公平にするために、地上組が階段を下りてきたのを見計らって改札口を開けていたので、勝負差は少なかったようだが。

そんな光景も、地上改札口が自動改札になり、列車別ではなく常時改札になると見られなくなった。

この地下改札口も2004(平成16)年のステーションデパート閉店とともに閉鎖となった。


札幌駅:1988(昭和63)年8月撮影

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 札幌駅地下改札口。

この画像だけは昭和時代のもの。
この頃は改札はスタンプではなく、改札鋏をカチカチ鳴らしていた。

まだ地平駅だった頃、地下改札口は地上1階のコンコースの真下にあった。
地下鉄や地下街と直結していたし、ホームへの地下道へ直接出られたので、利用者のほとんどがこの改札口を利用していた。

夕方ラッシュ時など、次から次へと押し寄せてくる乗客を、たった2口の入口専用の改札口で、渋滞も起こさずに通してゆく職人技を感心して見ていた記憶がある。

地上1階の改札口は逆にラッシュ時でも閑散としていた。

画像の年の11月には現在の高架駅に移転となった。



この平成年間で大きく変わった駅改札口。
次の令和時代にはどう変わるんだろうか。

最後までご覧くださいましてありがとうございました。


タグ:鉄道 駅鉄
posted by pupupukaya at 19/04/27 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

平成時代、懐かしの旧函館駅

長い間親しまれてきた三角屋根の函館駅。

かつて青函連絡船のあった頃は『れんらく船のりば』のネオンが輝き、北海道の本州側からの玄関口であった。
青函トンネル開業後は、本州から札幌直通の列車ができたとはいえ、昼間の特急はすべてここで乗り換えになる。北海道の玄関口であることには変わりなかった。

昭和時代に完成し、平成時代に役目を終えた旧函館駅舎を画像で綴ります。

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 函館駅5代目、現駅舎(2019年3月撮影)

青函連絡船を模して設計されたという駅舎。
壁面はチタン製で、海風による腐食も受けにくいとか。

2016年3月、北海道新幹線開業によって函館駅は玄関口としての役割を新函館北斗駅にゆずることになった。
本州からの連絡を受け持つことはなくなったが、現在は特急北斗の始発駅として、函館市のターミナルとしての玄関口であることには変わりない。

年号が改められて時が経てば、近代的な平成時代の駅ということになるのだろうか。
しかし駅前に立つと、あの三角屋根の旅情あふれる駅舎を思い出す人も多いのではないだろうか。

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 函館駅4代目旧駅舎(2002年3月撮影)

この旧駅舎は1942(昭和17)年建築のもので、戦時中にも関わらず鉄筋コンクリート造で建てられたくらいだから、当時の函館駅の重要度がうかがえる。 

設計的には切妻の三角屋根を中央に据えただけという特に凝った造りではないが、妙に旅情を感じる不思議があった。
北海道の玄関口として、あるいは背後に港を控えたことや連絡船があったことなどが、この駅舎を引き立てていたのだろう。

長らく風雪に耐えてきた駅舎だが、老朽化のため2003年に現駅舎に建て替えられた。

三角屋根の旧駅舎を惜しむ声も多かったが、長年風雪や海風にさらされた駅舎は老朽化が深刻だったようだ。
鉄筋コンクリート建てだが一部は木造で、しかも戦時中の物資不足の中で建設された駅舎は耐震工事もままならず、建て替えるほかなかったようだ。

旧駅舎跡地は広大な駅前広場の一部になっている。 

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 三角屋根と青い大時計がシンボルだった(2002年3月撮影)

国鉄末期頃から主要駅は格好の広告媒体とばかりに、大看板が掲げられたものだ。
広告の大看板が掲げられるようになってから、駅舎本体が余計に古くさく見えるようになったのだろうか。

正面楼上にある水色の時計は1953(昭和28)年に設置されたもの。
直径2.2mの大時計で、夜には時計盤の目盛と針が光るネオン時計だった。

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 現駅舎と大時計(2019年3月)

新しい駅舎と調和して開業当初からあるように見えるが、当初時計は設置されていなかった。
乗客の要望が強くあって、2004年に設置されたもの。

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 市電の走る街に溶け込んでいた三角屋根の駅舎(1999年5月撮影)

右はワコー、左は棒二森屋、それに松風町まで続いていた駅前通りのアーケードも今は無い。
駅の南側には大型商業施設が建設中、棒二跡も商業施設になるらしい。函館駅前もどう変わるのだろうか。

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 函館駅前を走る市電。上とほぼ同じ場所から(2019年3月)


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 函館駅前電停と函館駅舎(1999年5月撮影)

駅を出て正面へ進むと市電の函館駅前電停だった。
函館駅舎と並んで、もう一つの函館の顔でもあった。

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 1999年画像と同位置から(2019年3月撮影)

市電は函館の顔であることに変わりはない。
旧駅より奥に引っ込んだ形になった新駅の駅前広場に乗り入れるという話もあったらしいが実現しなかった。
駅は街から遠くに行ってしまった格好だ。

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 2002年頃の函館駅略図(メモより筆者作成)

テナントの入れ替わりこそあるが、国鉄末期〜JR化頃には上図のレイアウトになっていたのではなかろうか。
コンコースを取り囲むようにテナントが並ぶようになった。そのほとんどがJR北海道系が運営やフランチャイズの店であった。

これよりもっと前、国鉄時代の函館駅は私はうろ覚えでしかない。昔はもっと待合室が広かった気がする。

『函館驛写真で綴る100年の歩み』に掲載の、1982(昭和57)年の函館駅本屋平面図では、みどりの窓口の場所が待合室、にっしょくとオアシスの場所が一般出札窓口、待合所部分が乗船コンコースとなっている。

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 吹き抜けのコンコース(2002年3月)

天井の高さはあまり活かされては無かったようだ。
出入口を1箇所閉鎖して設けられたキヨスク。右側には駅弁みかどの売店があった。
今ではすっかり姿を消した行灯型の広告も並ぶ。

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 吹き抜けの改札口側(2002年3月)

当初はこちら側にも明かり取り窓があったが、いく度もの改築工事で埋められたようだ。
吹き抜けと言っても柱2本分だけ。あまり広い空間ではなかった。

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 現在の駅の吹き抜け(2019年3月撮影)

正面駅舎の煙突部分の内側。
北海道への玄関口としての機能は失ったとはいえ、特急北斗や新幹線連絡のはこだてライナーの始発駅としての貫禄は健在。

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 改札口前のコンコース(2002年3月撮影)

この頃にはすでに自動改札化されていた。前は銀色のボックスがいくつか並んでいた。

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 上画像の同じ場所(1999年9月撮影)

131.jpg
 改札口前の時刻表(2002年3月)

道内の駅では今は見られなくなった白地の行灯(あんどん)式が最後まであった。

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 行灯方式の函館本線発車時刻表(2002年3月)

列車時刻が羅列された無機質な表示板だが、こうして見ると味わいというか旅情が感じる。
今のものは、紙にプリントして掲示板に張り出されたもので味気ない。

時刻変更があるたびに手作業で書き換えなければならず、手間のかかるものだった。
そのため、他の駅でも標準的なポスター形式のものに改められている。

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 駅コンコース改札口側から(2002年3月)

受験シーズンは大型合格祈願絵馬が置かれ、自由に書き込み出来た。

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 北側はみどりの窓口や旅行センターへの通路(2002年3月)

市松模様の床が時代を感じさせる。
この頃は改札口は1か所にまとめられていたが、昔はこの奥が出口専用の改札口で、コンコースの改札口は入口専用だった。

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 オープンカウンターのみどりの窓口(2002年3月)

国鉄末期、80年代にすでにこの場所に移転し、オープンカウンタースタイルになっていたようだ。

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 待合所入口とキヨスク(1999年5月撮影)

キヨスクも深夜まで営業していた。90年代前半までは待合室ともども、24時間営業だった記憶がある。

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 待合所の風景 西口側から(2002年3月撮影)

いつも多くの人が利用していた待合所。夜行ミッドナイトの待ち合わせで時間をつぶしていたのが懐かしい。

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 待合所の風景 改札側から(2002年3月撮影)

待合室の奥には『みかど』や『にっしょく』の食堂がある。いかにも駅の食堂という感じだった。

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 ベンチが撤去されていた頃(1999年5月)

90年代の一時期、待合室のベンチが撤去されていたことがあった。
当時コンコースは24時間開放され、ベンチはホームレスなどが横になり占領していたためと思われる。

しかし利用者には不評だったのか、青いバケット型ベンチが並ぶことになった。
その代わりに24時間開放を取りやめ、防犯上の理由として深夜は一時閉鎖ということになった。

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 待合室奥にあった『レストランみかど』(2002年3月)

画像で見ると階段があるので2階にあったようだ。そうだったかな。
レストランの窓からホームと列車が見えた記憶は残っている。

あと、ここで食べたとんかつ定食は、ソースではなく、なぜかケチャップが添えられていた。

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 現在の函館駅待合所(2019年3月)

旧駅舎時代から変わらず大勢の列車待ち客で盛況だ。
客層は外国人客が多いのは、時代の移り変わりを思わせた。

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 待合所の奥にあった立食いそば(2002年3月撮影)

『みかど』の立ち食いそば、いわゆる駅そば。夜行で早朝に到着するとよく利用した。
イカ天そば、みがきそばが名物だった。
みがきそばは、駅弁の鰊みがき弁当の甘露煮をそばにのせたもの。しょっぱかったなあ。

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 立ち食いそばが2店舗あった頃(2002年3月)

函館駅に夜行列車で到着すると、待ち受けていたかのようにコンコースの飲食店は既に営業していた。
函館駅の朝は早かった。

駅そばは『みかど』と『にっしょく』の2店舗が通路を挟んで向かい合って営業していた。

新駅舎には駅そばは受け継がれなかった。
ホームの店舗はみかどの運営で、新駅舎になってからも営業していたが、これもキヨスクともども閉店している。

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 正面口の裏側にあった西口(1999年5月撮影)

待合所後ろ側あった出入口。裏口のような雰囲気だった。
正面には函館朝市があり、函館市青函連絡船記念館摩周丸へもこちらが近い。
連絡船があった頃はここから桟橋口までアーケードが続いていた。

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 ラッチ内コンコースから見た改札口と精算所(2002年3月)

自動改札化後は左側の窓を改造した精算窓口は使われなくなり、改札口と統合した精算所が使われるようになった。

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 跨線橋から0番ホームを見る(1999年5月)

0番ホームは新駅舎建設のため、旧駅舎よりもひと足先に解体された。

跨線橋を渡らずに行き来できたホーム。
元々は戦後進駐軍車両専用のホームだったもの。のちに気動車列車専用のホームとなった。

湾曲したホームと駅本屋との間は、中庭のような雰囲気だった。

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 0番ホームから見た駅舎(1999年5月)

駅舎正面は何度もリニューアルされて古さはさほど感じられなかったが、ホーム側から見るとやはり老朽化が進行していたと窺わせる。

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 ドラえもんの機関車と快速海峡(2002年3月)

連絡船桟橋があったために大きくカーブしたホーム。

快速ミッドナイト、快速海峡、それに旧函館駅舎。
この3つが私にとって一番記憶に残っている函館駅。

青春18きっぷで旅していると、必ず接続の悪い函館駅で時間をつぶすことになったからだ。

平成はもうすぐ終わり、新しい時代がやってくる。

北海道新幹線の札幌延伸開業は2030年度の予定。
そのころには函館駅は特急列車の発着もなくなり、第三セクター鉄道に移管となる予定。
どうなるかわからない前途多難な北海道の鉄道。

それでもこの駅は北海道の玄関口としてのイメージは変わらないだろう。

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 19/03/30 | Comment(5) | 北海道の駅鉄

惜別、旧苗穂駅2(駅舎編)

惜別、旧苗穂駅1 のつづき。

こんどは駅舎側を見ていきます。

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駅舎正面。
駅前広場左のローソンのあるビルから駅出入口〜タクシー乗り場までアーケードが設けられている。

駅前広場のオンコの木も開業当時からあるのだろうか、大木(たいぼく)になっている。

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正面入口に掲げられた駅名看板。(別の日に撮影したものです)

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ラッチ内通路に場所を取られ、あまり広くはない待合室。
基本的に通勤通学駅なので、日中は閑散としている。

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みどりの窓口。
駅員さんは いつも暇そう 親切なので、面倒なきっぷを買うときはよく苗穂駅まで行っていた。

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券売機コーナー。
駅移転で営業キロ数が変わると、各駅までの運賃も変わるがどうなるんだろう。

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自動改札機は斜めに配置されている。
自動化前は、改札ボックスが同じように斜めに置かれていたと記憶している。

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改札口と列車発車案内。
快速は通過するが、普通列車は函館本線・千歳線合わせて1時間当たり6本ある。

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2017年3月10日をもって閉店したキヨスクの跡。
移転する駅なので、撤去せずそのままになっている。
シャッターは大型の広告ポスターで覆われていた。

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ありし日の苗穂駅キヨスク。2013年10月19日撮影。
キヨスクとしては閉店したが、移転した新装苗穂駅にセブンイレブンST苗穂店として復活する。

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駅舎内外はリニューアルされて現代的になっているが、よく見ると壁なんかに昭和戦前を感じる。

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待合室からホーム側の窓を見る。
橋上駅から、上から見下ろすのも楽しいが、こういう眺めも悪くはない。

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駅前広場側の窓から。
昔ながらの駅の風情。

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現代風にリニューアルされた駅舎だが、軒先は木の柱が残っていて、古さを感じさせる部分。

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軒先の屋根部分。ここは80年以上変わらない。
この屋根の下で待ち合わせをしたり、雨宿りをしたり、昭和の時代が蘇るような空間。

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昭和10年10月の表記がある建物財産標。戦前の木造駅舎としては新しい部類。
大正や昭和初期のようなモダンさは無く、実用一点張りといった設計。

1980年代始めまであった旧琴似駅の木造駅舎も、苗穂駅とよく似た部分があった。
さらに苗穂駅移転後は札幌市内唯一の木造駅舎となる篠路駅も同時期の駅舎。

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トイレ前の空間は、出口専用の改札口があった場所。
昔の駅は、入口の改札口は待合室の中に置かれ、出口は待合室を通らずに直接出られるように分けられていた。

今の改札口は、きっぷ売り場と兼用するような構造になっているが、昔は改札が始まると駅員が出てきて改札口に立っていた。

改札口があったところは壁でふさがれて、デッドスペースとなっている。
画像に見える土台のような跡は喫煙所のパーテーションが立てられていた。
その喫煙所すら撤去されたあたりに時代を感じる。

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駅横の苗穂駅前交番。
この建物も年季が入っている。

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木の看板が掲げられた駅長事務室入口。

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鉄道少年団と理容店が入居していた。

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苗穂駅舎と駅前広場。
あまり広くはないが、タクシーが常駐している。

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苗穂駅前にあるD51動輪軸のモニュメントと苗穂駅。

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苗穂駅前のバス停と、かつて市電苗穂線の終点だった苗穂駅前停留場があった場所。

市電ループ化に成功してからは、新たな市電ルートの候補として苗穂地区が検討されているようだが、どうなるのか。

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開業を1週間前に控えた新しい苗穂駅。
駅を軸とした再開発計画があって、この駐車場跡にもビルが建つ。

あと数年もすれば、このあたりは様変わりしているのだろう。
あと市電も乗り入れているのだろうか。

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私の関心ごとは新しい苗穂駅ではなく、この旧駅舎のこと。

札幌市内にあった木造駅舎はこの苗穂駅と篠路駅に残るのみとなった。
貴重な歴史遺産として保存してほしいとは誰もが思うところだろう。
できれば、開業当時の姿に復刻して、鉄道記念館的な施設として。

この旧駅舎はJR北海道の資産ということになるが、いまのJR北海道にそんな余裕など無いのはわかっている。
札幌市あたりが買い上げて、市の施設として保存・有効活用となればいいのだが、今のところそんな話は上がっていないようだ。

このまま行くと解体されて駐車場かマンションへといったところだろう。

誰か旧苗穂駅舎を買い上げてぇ〜

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 画像と本文とは関係ありません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

posted by pupupukaya at 18/11/17 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

惜別、旧苗穂駅1(ホーム編)

2018年11月17日、苗穂駅が移転する。

移転場所は札幌駅方向へ約300m、東11丁目の苗穂跨線橋があった場所になる。
南北を結ぶ自由通路も新設された橋上駅になるので、アリオやファクトリーへ近くなるほか、今までJR苗穂工場の広大な敷地で分断されていた駅北側からのアクセスもぐんと良くなる。

新しい駅も早く見たいけど、古い駅のほうも無くなるとあれば今のうちに見ておきたい。
そんなわけで、移転1週間前の日曜日、苗穂駅に行ってきました。

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車ではなく、札幌駅から千歳行普通電車に乗り、ひと駅で到着。

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苗穂駅ホームから直接苗穂工場に通じてる跨線橋。
『JR社員専用階段』とあって、一般客の利用はできない。

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今まで苗穂工場へ通勤していた人は不便になると思いきや、新駅のホームからちゃんと専用通路が設けられていた。
新しいホームからの跨線橋とコンクリート製の通路が新設されている。

出た所からまた既設の跨線橋を渡るようだ。
階段の昇り降りだけでも大変だ。

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 2006年10月、苗穂駅一般公開時の跨線橋。

年1回の苗穂工場一般公開のときは、ホームから直接この跨線橋を渡って工場へ行くことができた。
いつの頃からか、使用することができなくなり、苗穂駅からぐるっと回って行かなくてはならなくなった。

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 2006年10月、ホームでは乗車券の臨時発売所が置かれていた。

ことし(2018年)の一般公開は北海道胆振東部地震の影響で中止になってしまった。
来年からは、新しい駅からのアクセスはだいぶ良くなるだろう。

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旧駅のホームから新しい駅を見る。

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5・6番ホームの屋根から下がる丸時計。シチズン製。
これも最近少なくなったな。文字盤のアナログさが素敵。

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こちらは駅舎へ向かう跨線橋の階段。
段鼻は木製。年季が入っている。

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古レールを組んだ跨線橋。
真ん中の橋脚は、かつてあった1・2番ホームの跡。
上下線の間に留置線が2本新設された際に駅舎寄りに新しいホームができて、そっちに移された。

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駅舎とホームを結ぶ跨線橋。

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跨線橋の上からの眺め。
苗穂駅の複々線はひっきりなしに列車がやってくる。

この風景も見納め。

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3・4番ホームから見た駅舎。
外壁は張り替えられているが、元は下見板張り。
昭和の木造駅舎の面影を残す。

今は撤去されたが、駅舎との間に貨物線が2本あり、これも今はなくなった北ガスの工場への引き込み線へ続いていた。

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苗穂駅ホームと奥の苗穂工場。
いかにも工場地帯といった佇まい。

苗穂駅周辺は昔から大小の工場が多く、札幌の工場地帯だった。

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3番ホームから見える萩原朔太郎の詩『旅上』の一節を謳った看板。
昔からあって、苗穂駅の線路側のシンボルでもある。

この看板、たまに架け替えられているようで、前は白地に黒い字で書かれていた。

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 2005年12月の看板。

さらに古くは『夢紀行 ロマンを求めて 苗穂から』の部分が、

『旅のご相談は 電話221-○○○○ 苗穂駅へ』

だったような気がする。

元は広告看板だった。

この看板が掲げられたのは、国鉄末期だったかな。
『きままなる旅に出てみん』の後にこの文句でつなげるのは、当時中学か高校だった私は、なかなか洒落た文句だと感心していた覚えがある。

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苗穂駅の駅名標。
これはホーム上屋から下がる行燈タイプのもの。

青函トンネルが開業した1988年3月前後にこのデザインの駅名標に一斉に替えられたんじゃなかったか。
しかし、ここ10年以上前から、新規でこのデザインの行燈型駅名標が採用されることはなくなったようだ。

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跨線橋から見た駅舎とホーム。
間が空いているのは、ここに貨物線があったから。

北ガスやサッポロビール工場などへの引き込み線が多数あった当時、ここにも線路が並んでいた。

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跨線橋から駅舎へ直接つながっている通路。


posted by pupupukaya at 18/11/11 | Comment(5) | 北海道の駅鉄
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