ひっそりと消える地下鉄南北線の古い看板

この9月に消えるものがありまして、それが札幌駅前にあるヒューリック札幌ビル。
みずほ銀行札幌支店が入っていたビルと言った方が分かりやすいですかね。

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このビルは消えて建て替えとなりますが、それはわりとどうでも良くて、ここで取り上げる消えるものとは地下鉄南北線さっぽろ駅9番出入口のことであります。

出入口わきに貼ってあった張り紙を見ると、ビルの建て替え工事で今年(2022年/令和4年)の9月26日から2025(令和7)年7月1日まで閉鎖になるようです。

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あまり気付いている人も少ないと思いますが、さっぽろ駅9番出入口の上に掲げられた『さっぽろ駅』の駅名標。

他の出入り口に掲げられた地下鉄出入口の看板と比べて、ここのは小さく目立たないものしかありません。
みずほ銀行前に出るこの地下鉄出入口、利用者も少なくて、ここに地下鉄出入口があることに気づかない人も多そうですね。

しかし、大通駅と札幌駅を直結する地下歩行空間がまだなかったころ、ここの出入り口のお世話になった方も多いのではないでしょうか。

例えば、まだ地下歩行空間がなかった頃に大通駅から札幌駅まで歩いて行こうとすると、地上の駅前通りを歩くしかなかったわけです。

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 地下歩行空間がなかった頃の札幌駅前通(2005年5月撮影)

その頃は大通駅の拓銀(古いねえ、今の北洋銀行)横の階段を登って駅前通りに出て、北1条、北2条、北3条の交差点を渡り、北4条手前のこの出入り口から地下に潜るのが一番早かったわけです。

その頃から、この小っちゃな他の出入り口にあるデザインと異なった駅名標に気づいていました。
これが地下鉄南北線開業当初からの駅名標だと知ったのは後のことでした。

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1971(昭和46)年12月開業の札幌市営地下鉄南北線開業当初からの駅名標。
駅名標の枠といい、天井といい、妙にメタリックなのは当時の流行だったのか、近未来を先取りしたデザインということだったのか。

で、これが開業当初からの駅名標だと分かったのはこのストラップを見たからです。

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いつどこで買ったものかは忘れましたが、札幌市営地下鉄グッズの駅名標ストラップ。
現在のものと開業時のものが売られていて、これは開業時デザインのさっぽろ駅のもの。

白地の看板に、駅名の日本語は青色、ローマ字はオレンジ色という意匠はまさに9番出入口の看板と同じです。
また開業当時からのものが1つ消えるんだなあと思い記事にしました。

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上はさっぽろ駅9番出入口を内側から見たもの。
よくこの出入口を利用していたころはこの向かいに赤レンガ調の五番館がありましたね。
おっと、五番館じゃなくて西武デパートだったか。
ここにも高層ビルが建つことが決まっています。

この、南北線開業当初からの駅名標はここだけかと思っていましたが、探してみたら意外とまだ残っていました。
下はさっぽろ駅4番出入口。
さりげなく白地に青とオレンジ色文字の看板がありました。

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天井からチョコンとぶら下がる古びた駅名標。
私が女子ならば、カワイイ♡・・・なんて言っていたかも。

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さっぽろ駅だけでなく、大通駅に今でもあるのがこちら。

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大通駅13番出入口のもの。
さっぽろ駅のは屋外と仕切りのない場所にあるので劣化していますが、こちらのは屋内にあるので開業当初から変わらぬ姿という感じです。

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三越北館にある出入り口で、ここを下るとみずほ銀行の宝くじ売り場に出ます。
しかし利用者は少なく、ひっそりとした場所。
この看板が最後まで残るとしたら、ここかも知れませんね。

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この地下鉄南北線開業当初からの看板は駅名標だけではなく、すすきの駅には出入口の看板にも残っていました。
すすきのラフィラ横の、店内を通らずに直接駅前通りに出る5番出入口にあったものです。

ただ、ラフィラ閉店と解体に伴ってこの出入口は現在閉鎖されて看板も撤去されています。
下の画像は2012年に撮影したものです。

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『出 EXIT 口』と書かれた独特のデザイン。
この裏側には『地下鉄のりば』の青文字で書かれていました。

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階段途中にあった看板。
これもデザインが同じなので、開業当初からのものでしょう。

右の看板は松坂屋→ヨークマツザカヤ→ロビンソン→ラフィラと取り換えられてきたのでしょうか。

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これは、さっぽろ駅3番出口の地下にあったもの。
2013年撮影。

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さっぽろ駅のコンコースはアイヌ空間が設けられてすっかり新しくなりましたが、伊藤・加藤ビルに出る中地階のような通路は今でも開業当初のような通路になっています。

南北線開業当初からのものといえば、こんなものもありましたね。

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上画像は2006年3月撮影のさっぽろ駅北改札口付近。
タイル張りの床に銀色の柱、それに天井から下がる木目調の時計。

機能よりもデザイン重視なのか、分の目盛りが無い時計。
等間隔で運転される地下鉄なのだから、分目盛りまでは必要ないとの判断だったのでしょうか。

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南北線独特の木目調の時計はホームからは姿を消しましたが、なぜか大通駅西改札口の上に復活していました。

以上、さっぽろ駅、大通駅、すすきの駅にあった南北線開業当初からの看板の紹介でした。
探せば他の駅にもまだまだ残っているかも知れませんね。

こういったものは人知れず消えてゆくか置き換えられるもの。
駅に残る古い看板やデザインにご興味のある方がおられましたら、お早目の撮影をおすすめします。

posted by pupupukaya at 22/09/16 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

ノスタルジック空間、20年前の2002年篠路駅


2002年、20年前の私は篠路駅の撮影に出かけていました。
きっと少し前に高架化した新琴似駅の変貌ぶりに驚いて、篠路駅周辺も近代化するに違いないと思って記録するために出かけたのでしょう。

その写真をスキャンしたものをここで紹介します。

撮影日は一部を除いて2002(平成14)年7月20日です。
写真の保存状態が良くないのと、その写真をコンビニのコピー機でスキャンしたものなので画質が悪いのはご容赦願います。

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 2002年7月20日、篠路駅正面。

軒から下がった駅名の看板、コカ・コーラの自販機、郵便ポスト、ほんと20年経っても変わってないねえ。
厳密にいえば自販機の機械とポストは新しいものに交換されているけど、2022年現在の画像と比べると間違いを探せというレベルくらいに変わっていない。

唯一時代を感じるのは、柱のそばに置かれた灰皿。
このころすでに駅舎内やホームは禁煙になっていたが、所どころに灰皿が置いてあって喫煙所となっていた。
特に仕切りもなく、煙は流れっぱなし。なんちゃって分煙だった。
翌年の2003年には健康増進法が施行され、またたばこの価格も年々うなぎ登りに上昇、年々喫煙者は肩身が狭くなってゆくことに。

ちなみに私はこの画像の4年前に、既にたばこをやめています。

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 松の木と篠路駅舎。

これも間違いを探せレベルなので逆に驚く。
一番変わったのは松の木の大きさくらいだろうか。
20年前のこの頃もひと気が少なくひっそりとした駅だった。

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 冬の篠路駅(2000年冬撮影)

これは冬の篠路駅。
撮影日は2000年冬としましたが、2000年に撮影したと思われる写真と並んでいたのでそう判断したもので、違っていたらごめんなさい。
電話ボックスが旧式なので、2002年以前ということだけはわかる。

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 まだ日本通運の建物があった頃。

駅の正面に立つと右手の角には日通の建物があった。
この頃はすでに営業してはいなかった模様。
篠路駅に限らず、昔は全国どこの駅でも駅前には必ず日通があった。

国鉄時代に各駅で貨物扱いをしていた時代、貨車が発着する駅と荷主の間で、トラック等で貨物の集荷や配達する必要がでてくる。
これを行う事業を『通運』と呼んだ。

駅から貨車で貨物を送る場合の運送料は、荷主が直接駅に持ち込みや引き取りする場合を除いて、鉄道貨物運賃+通運料金のセットとなっていた。

この通運業を、全国一律国鉄専属で行っていたのが日本通運だった。
だから国鉄駅前には必ず日通があったわけである。

国鉄末期ごろから駅の貨物扱いがなくなってもそのまま営業所として残っていたものだが、鉄道貨物輸送が拠点間輸送のコンテナ貨物が主流になると必ずしも駅前にある必要はなく、また営業拠点の集約化などから旧日通の建物も次第に姿を消している。

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 古き良き時代を思わせる篠路農業協同組合の建物(2000年冬撮影)

『篠路農業協同組合』と〇に協をデザインした旧農協のマークが残っていた。
20年後の2022年でもこの建物自体は残っているが、古い看板とマークは既に撤去されている。

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 旧農協隣の理容室前から見た篠路駅。

どの画像を見ても20年前と今とでは変わっていないとしか言いようがない。
右側の白い建物は篠路高見倉庫の事務棟なのは同じ。

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 篠路神社向かいにあった古い建物。

これは篠路駅から少し歩いて道道花畔札幌線沿い篠路神社向かいにあった古い建物。
2002年当時にしても、まだこんな建物が使われているのかと撮影したんだと思う。
ちなみに理容室はこんなでも営業中だった。
2022年の現在は取り壊されて拡幅した道道の道路用地になっている。

明治21年に創生川沿いに今の石狩街道が開削されるまで、道道花畔札幌線のルートが石狩街道だった。
狭くて古びた建物が並んだ冴えない通りだったが、歴史を紐解くと由緒ある街道だった。
写真には撮っていないが、古そうな駅前旅館もこの並びにあった。

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 駅前から農業倉庫群を見る。

再び駅前に戻ってきて、駅前の倉庫群を見る。

これも角の日通がなくなったくらいで、基本的には変わっていない。
松の木の大きさが今より1周り小さいかなってくらい。

2002年の当時、まさか20年後の篠路駅前がほとんど変わっていないなどとは夢にも思わなかった。
20年前に暑い中自転車漕いで篠路まで行って損したなと思うくらい・・・

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 農業倉庫群から篠路駅方向を見る。

2022年の今でも駅南側にある赤レンガ倉庫群。
この頃は赤レンガに混じって札幌軟石造りの倉庫も残っていて、独特の景観となっていた。
駅から横新道に出るには、この通りが一番の近道なのだが、とても駅前とは思えない通りだ。

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 駅舎内の改札口ときっぷ売場。

再び駅へ戻ってきて駅舎の中を撮影する。
基本的な造りは変わっていない。
昔の国鉄駅は出札口と改札口は別々の場所に設けられていたが、国鉄末期ごろから出札と改札を統合して隣り合わせにする改築が行われて、斜めになった切符売場とカウンター型の改札口が出来上がった。

自動改札機が今のと違って小ぶりなのは簡易型改札機だから。
この改札機は集札機能がないので、駅員が手で集札していた。
この時代はICカードなんてあるはずもなく、定期券も乗車券もすべて磁気券だった。
市営交通はウィズユーカードが全盛でしたね。

なお、奥の事務室に掲げられた日めくりカレンダーに赤い『20』というのが見える。
よってこの写真の撮影日が2002年7月20日海の日と判明した。

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 出入口上の広告看板がローカルムードを醸し出す。

出入口上の行燈(あんどん)型の広告看板が時代を感じるなあ。
こんな看板なんて、今じゃほとんど見かけなくなった。

民営化となった新制JRも、この広告料収入の増収に精を出していたことがあって、90年代ごろになると本来は時刻表や運賃表が掲げられていたスペースにまでこの手の行燈型広告看板が進出していたこともあった。

この頃が全盛だったのかなあ。
スマホが普及すると、こうした通行人の視覚に訴える広告は急速に姿を消して行った。

なお、この広告枠は札幌恵北病院から札幌優翔館病院と名を変えた同じ医療法人が2022年現在も2枠に拡大して使用中。

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 駅舎の窓からホームを見る。

夏なので待合室の窓が開けられていた。
その窓からホームを撮影したもの。

停車中の車両はキハ141+142か?
ホームもまだ低いままだ。

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 1番ホームから見た駅西口方向。

これも待合室の窓から撮影したものじゃないかな。
2022年の今と決定的に違うのは、駅西側の赤レンガ倉庫群が健在だったこと。

今でこそ懐かしい眺めだが、この並んだ倉庫が篠路駅をより一層田舎臭く見せていた面もある。

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 篠路駅西側にあった赤レンガの倉庫群。

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 2番ホームから駅舎を見る。

駅舎とホームと跨線橋自体はほとんど変わっていない。2番ホームに上屋がこの当時はまだなかったようだ。
決定的に違うのは、この時代はまだ非電化路線。
架線がないスッキリとした空だった。

ホームに高い所があったり低い所があったりするのは、低いのは元からあるホーム、高いのは後から増築したホームだから。
今では電車に合わせて高さを統一されている。
ホーム1つ取って見ても、まだのんびりとした路線だったことを思わせる。

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 篠路駅西口から見た赤レンガ倉庫群。

これは20年前にわざわざ篠路駅まで行って撮影しておいて良かったと思った1枚。
今は西口駅前広場やマンションとなっている場所。

こちらの倉庫群も赤レンガで古そうに見えるが、建築年は1959〜1978(昭和34〜53)年と比較的新しいようだった。
篠路駅前は西口側の方が発展して、駅の利用者も西側の住人がメインなので西口が開設されてから便利になったことだろう。
しかし西口も長い間この倉庫の敷地内を通らなければ町へ行き来できなかった。
夜など真っ暗になって、若い女性などは怖かったろうな。

この倉庫群は2004(平成16)年頃から解体が始まり2007年には全部解体された。
翌2008年には西口駅前広場が完成して、西口のアクセスは抜群に良くなった。

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 側線に停車する除雪車両と赤レンガ倉庫群(2000年冬撮影) 

駅前の赤レンガ倉庫群とか、商店街とか駅前旅館とか、もっと写真撮っておけば良かったとも思いますが、当時はフィルムカメラ。
2002年はフィルムカメラとデジカメの出荷台数が逆転した年だったようですが、デジカメなど貧乏人にとっては高根の花でしたね。

デジカメやスマホならばメモリーの許す限り撮影し放題ですが、フィルムの現像代とカラープリント代がかかるこの当時ではこれが限界だったのでした。
また、データならば劣化することはありませんが、紙のプリントは年が経つにつれて劣化します。

それでも写真や画像に残っていれば、当時の記憶が鮮明によみがえってくるもので、西口の赤レンガ倉庫群など、ふらっと出かけて行けばまだそこにあるように思えてもきます。
しかしとっくに消え失せて、記憶の彼方にしか存在しない空間。
それにしても、この間のことのように思えるけどなあ・・・

今から20年前、あなたはおいくつでした?

それにしても20年の歳月。
東口駅舎と駅前があまりにも変わっていないのに驚き、西口駅前のあまりの変わりように驚き、表と裏でこうも違うものかと思いましたが、これも篠路駅の顔だったのでしょうね。

 ★  ★  ★

篠路駅もこれから高架化工事がスタートします。
完成は2029年頃になるようですが、工事が始まれば今のようなのんびりとした駅前風景は過去のものとなるでしょう。

また、2030年度開業を目指して工事が本格化した北海道新幹線札幌駅。
篠路駅が新しくなる頃には、北海道の鉄道も新たな節目を迎えることになります。

鉄道に限らず、世の中が変わってゆくことは誰にも止められません。
懐古趣味の気がある私などからすれば残念なことばかりですが、進化して近代化する流れに反対することはできないわけです。
自分自身も、別な形で進化や近代化を享受しているからです。

昔は良かった的な、年寄りの懐古趣味な発想で進化や近代化に反対するのは愚かなことです。
その時代は良かったかもしれないが、時代遅れになった過去の遺物にいつまでもしがみついていては発展が止まってしまうし、その延長線上は原始時代への回帰となってしまうでしょう。

それに短い人生、前を向いて生きてゆかなければ、人生は誰かへの恨みつらみだけで終わってしまいます。

20年経っても変わらない篠路駅前の街並み、それもこれから激変するであろう街並み、20年の歳月。
変わらない篠路駅前と変わりまくった自分自身の20年と重なって、何だか変な話になってしまいましたね。

それでは今日はこの辺で。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。  

posted by pupupukaya at 22/09/04 | Comment(1) | 北海道の駅鉄

ノスタルジック空間、2022年篠路駅

旧苗穂駅舎が解体された2022年現在、篠路駅は札幌市内に残る唯一の木造駅舎となりました。

この駅の開業は1929(昭和9)年なので、開業時からの駅舎だとすれば今年で93歳ということになります。

駅舎自体は横長の平屋にトタン屋根という特徴のないものですが、昭和戦前、戦中、戦後、高度成長、平成、令和と長く風雪に耐えてきた駅舎はそれなりの風格が出てくるようで、他の新しい駅舎にはないオーラのようなものを感じますね。

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 昔ながら佇まいを残す篠路駅。

この篠路駅も高架駅となることが既に決定しています。
当初高架化完成は2025年度となっていましたが、都市計画の変更などが行われたために完成は2029年度以降になる模様です。

高架化工事の工法やスケジュールはまだ公開されていないようですが、Web上で公開されている資料をいくつか見ていると大まかな工程はわかってきました。

篠路駅部分に関してはホームと線路は仮線に移し、現在線の場所に高架線と駅舎が建設されるようです。
仮線は現在線の東西どちら側に設けられるかというと、西側は支障となる建物があるので、おそらく現駅舎を解体して東側に設けられるものと思われます。

だから札幌市内最後の木造駅舎である篠路駅舎を見ることができるのはあとわずかでしょう。
そんな私にできることといえば、撮影して記録に残しておくことくらい。
そんなわけで、2022年9月の土曜日に篠路駅に行ってきました。

今日はノスタルジック空間が残る篠路駅前の旅行記となります。
また長くなりますが、しばらくお付き合い願います。


 ◆ 札幌市内最後の木造駅舎

札幌駅から北海道医療大学行きの電車に乗って篠路で降りる。
この駅で降りるのは電化以来初ではなかろうか。だからもう10年以上ぶりということになるのかな。

木造駅舎はまだ健在。ホームから見る限りでは、変わったところといえば、線路上に架線が張られたくらいのものだ。

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 大木になった松の木と篠路駅舎。

西口はかつてあった赤レンガの農業倉庫がなくなって広々とした駅前広場となったが、駅舎のある東口は昭和時代から時が止まっているような佇まいを残している。

猫の額ほどの駅前広場に植えられている松の木の成長だけが時の流れを伝えているような、そんな空間がまだ残っていた。

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 自転車置場から見ると都会的に見える。

昭和時代で止まっているような駅舎と駅前だが、駅前広場の半分近くを占拠した自転車と、駅舎の屋根越しに見えるマンションがやはりここは札幌市内の電車駅なのだと思わせる。

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 篠路駅舎とコスモス。

駅舎の横の空き地はコスモスの花が満開だった。
コスモスは廃止になった新十津川駅の駅舎周りにもいっぱい咲いていたっけ。
この後駅周辺を歩いたときも、線路脇にもコスモスの花が咲いていた。

石狩月形、浦臼、新十津川・・・
もうこれらの駅は無くなったけれど、いまだにレールが繋がっているような気がしてくる。
コスモスに彩られた駅舎を見ていたら、さらに古くに過去のものとなった雨竜や石狩沼田まで行けそうな気がした。

昔は札幌と石狩沼田を結ぶ路線ということで札沼線と名付けられた。
札沼線の横の繋がりは薄れてしまったけど、目に見えない何かでいまでも繋がっているような何かがあるように見えた。

札沼線の駅にはコスモスが似合う。

おっと・・・この路線は札沼線ではなく、学園都市線でしたね。

こんどは駅舎の中を見てみましょう。

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 駅舎の改札口と待合室。

正面から入ると自動改札機がデンと鎮座している。
改札口に対して斜めに設置されているのは、真っすぐ置くと乗降客の動線が壁に当たってしまうからだろう。
それくらいに駅舎内は狭い。

一番奥はトイレになっているが、昔はあの場所にキヨスクがあったのを覚えている。
といってもまだ90年代初め頃で、早いうちに閉店していたようだ。

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 トイレ側から改札口ときっぷ売場を見る。

券売機、みどりの窓口、自動改札機、Kitacaのチャージ機と必要なものはひと通り揃っている。
天井にある円盤状の照明らしきものは駅開業時からのものだろうか。

昔はこんな狭い待合室でもベンチが並べられて、冬になるとストーブが真ん中に据え付けられたものだが、利用客は西口の方が多くて電車の本数も1時間に3本とあっては待合室に滞留する人も少なく、ただ通過するだけのコンコースといった様相。

昔の列車別改札だった頃は、朝ラッシュ時など駅舎から人があふれていたことだろう。
私は篠路駅のラッシュは知らないが、同じように狭かった新琴似駅の地平駅時代、夕方のラッシュ時は駅舎に入れない乗客たちが外でたむろしていた光景を思い出す。

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 駅舎の窓から見たホーム。

窓からホームを見ると古びたホームと対照的に近代的なマンションがそびえる。
かつてはあの場所に赤レンガの倉庫が立ち並んでいたのだが、もうだいぶ前に倉庫は取り壊されて駅前ロータリーが出現した。

昭和時代から変わらない東口とは対照的に、西口は近代化が進んでいる。


 ◆ ホーム側から見た篠路駅

今度はホームに入ってみましょう。
みどりの窓口で入場券を買う。1枚200円。
Kitacaで入場して、そのまま帰りの電車に乗ればいいのだろうけど、律義に入場券を買った。
それにこの入場券は使用後は記念に貰うことにしている。

木造駅舎とはいえ、外装や内装は何度もリフォームされて近代的な装いになっているが、ホームに張り出した屋根と柱の軒下にやはりこれは木造駅舎というものを見ることができる。

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 木組みの柱がいかにも木造駅舎。

ホームの改札口前は風よけなのか壁が設けられている。
篠路は風の強いところなのか、この壁は昔からあって、ホーム側から見た篠路駅の特徴になっている。

改札口からホームに向かってスロープのようになっているが、これはホームが電車に合わせてかさ上げされたからこうなった。

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 軟石を斜めに積み重ねたホームの土留め。

2番ホームには軟石を斜めに積み重ねた土留めが今でも使われている。
昔はホームといえばどこもこんな作りだったが、電車に合わせてかさ上げされたり、ホーム下は退避できる空間を設ける必要があったりと、もうローカル線でしか見ることはなくなった。

煙となんとかは高い所が好き、というわけではありませんが跨線橋へ。

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 跨線橋から駅舎を見る。

跨線橋から駅舎を撮影しようと思ったけれど、架線のトラスビームが邪魔してあまりいいアングルでは撮れなかった。
駅舎と反対側はこちら。

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 跨線橋から拓北駅方向を見る。

いま見ている現在線に高架橋が建設されるはずで、こんな風景も過去のものとなる。

広めに取られた駅構内の敷地は、貨物輸送が盛んだったころの遺物だ。
古くは左側にアーチ形の赤レンガ倉庫が並んでいて、側線に停車する貨車への農作物の積み込みが行われていた。
さらに古くは出発信号機後方の空間は日石専用線があって、茨戸や生振の油田から輸送管で運ばれた原油がタンク車に積まれて本輪西の製油所まで輸送されていたこともあったという。

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 狭い跨線橋。

跨線橋の階段や通路は狭くて、対面通行ならば1列に並んで歩かなければならない。
篠路駅のホームは元々構内踏切で連絡していたもので、跨線橋の設置は比較的新しめ。
いつ建設されたかものかは不明だが、国土地理院の空中写真を見た限りでは1980年代初め頃ということになる。

建設当時は1日当たり乗降客数は1,500人程度、本数も1時間に1本あるかないかというローカル線並みの駅だったのでこれで十分ということだったのだろう。
電車駅となった今ではこれではあまりに手狭。
やはり早期の高架化が待たれるところではある。

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 2番ホームから1番ホームを見る。

2番ホームにいると向かいの1番ホームに電車が入ってきた。
721系3両編成。

篠路駅でこの車両を見るとどういうわけか違和感を覚える。
札沼線・・・いや、学園都市線が電化されて早や10年が経つのだが、私の頭の中では非電化で止まっているようだ。

思えばこの電車が全盛だった頃に学園都市線を走ることはなかったようで、電化されるとお古しか寄こさないと言いたげに721系電車が投入された。

思えば、札沼線から学園都市線と名を変えた当時、この線を走る車両は道内各地から寄せ集めた中古気動車の見本市のようになっていた。
27、40、46、56・・・、この頃はさすがに22は見なくなった。
51形客車から改造された141、142はまだ試作的な存在だった。
たまに石狩当別以北で使われる53もぶら下がっていたな。

私の鉄道車両に関する知識はこの当時で止まっている。
だから今走っている〇〇系などと言われてもすぐにはわからない。
他の記事で『〇〇系は・・・』などと知ったかぶりで書いているが、それらの多くはググって調べたものだ。

話がずれたけど、篠路駅が高架になる頃には、この721系電車も姿を消していることだろう。

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 篠路駅の入場券。出るときに無効印を押してもらった。

入場券を買った窓口の女性駅員に無効印を押してほしいと頼んだら、親切に対応してくれた。
ほかに客もぜんぜんいないし、暇だったからということもあるのかも。
そういうことを言っちゃいけないね・・・


 ◆ 篠路駅前の倉庫群

今度は駅を出て、駅前を見てくることにします。
篠路駅に降り立ってまず目に入るものといえば倉庫。

正面に立って右側には赤レンガの農業倉庫、左側には札幌軟石造りの篠路高見倉庫の建物が立ち並んでいる。
篠路駅高架化工事と並行して篠路駅前も再開発事業が行われ、駅東口側にも広い駅前広場ができることになっている。

当初の計画では、現在の篠路高見倉庫の敷地が駅前広場となるはずだったのだが、計画変更で赤レンガの農業倉庫側の方が駅前広場になることとなった。
札幌軟石造りの篠路高見倉庫は保存されることになったようだ。

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 高架開業後も保存が決まった軟石造りの篠路高見倉庫。

今日は土曜日で休みのようだが、篠路高見倉庫の方は私有地となっていて倉庫も現役で使用中のため外側から見るに留めておく。
篠路駅前の見どころは反対側にある農業倉庫の赤レンガ倉庫群だろう。

これらは札沼線の開通によって篠路駅は農作物の出荷基地として発展した時代を今に伝える遺産と言っても良い。
駅周辺には倉庫が立ち並び、農家で収穫された玉ねぎなどがここに出荷され、篠路駅から貨物列車で全国に発送されていった。
そんな農業の出荷基地として賑わった時代を今に伝える貴重な文化遺産でもある。

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 篠路駅南側にある赤レンガ倉庫群。

昔はもっとびっしりと倉庫が立ち並んでいたと思うが、取り壊されて草むらの空き地となっている所も目立つ。
この倉庫もいつもならば玉ねぎの収穫シーズンを迎え、トラックやフォークリフトが忙しく出入りしている頃だと思うのだが、倉庫はもう使われていないのか、土曜日はお休みなのかはわからないが、無人でひっそり静まり返っていた。

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 篠路駅に集まった農作物はここから貨車で全国に向けて発送されていた。

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 昭和10年頃に建築されたという赤レンガ倉庫。

誰もいない赤レンガ倉庫に囲まれた一角にいると、昔に海外の古い街を歩いていたら、どこかの小路に迷い込んだことを思い出す。

ここは札幌駅から電車で20分、その駅から徒歩1分の場所である。
そんなことを忘れてしまうようなほど静かな異国情緒あふれる赤レンガに囲まれた空間だった。

もうずっとコロナ禍で海外旅行に行けない状態が続いている。
もしお嘆きの方々がおられたら、篠路駅前の赤レンガ倉庫群の中に身を置いてみたらいかがでしょうか。

遠くへ行くばかりが旅ではない。
近くにあっても日常とは違う空間、異質な景色に接することが旅なのだとすれば、ここはまさしく旅に相応しい場所だ。

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 異世界に迷い込んだような錯覚も覚える一角。

こんな静かな赤レンガ倉庫群が見られるのもあとわあずかとなることだろう。
この場所は新しく高架駅となる篠路駅の駅前広場の一部となることが決定している。

計画図を見る限りでは、倉庫群のうち一部は広場にはかからないようだが、その建物についてはモニュメント的なものとして保存するのか、あるいは全部解体して再開発となるのか。

いずれにしても、今のような赤レンガ倉庫群や囲まれた空間が残ることはないだろう。

次は駅周辺を歩いてみます。


 ◆ 篠路駅界隈、踏切、西口など

駅正面から伸びる道は篠路駅東通という都市計画道路で、高架化に合わせて駅前一帯が土地区画整理事業に指定されているので
この通りも一新することだろう。

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 駅舎から駅前を見る。

駅を出て右手に目立つアーチ状の屋根にギザギザの軒を持つ変わった建物。
ある意味篠路駅前のランドマーク的な存在でもある。
今は一般の会社が入居しているが、元々は篠路農協ストアーだった。

その隣の石造り風の建物は旧篠路農協。
農協はJAさっぽろ篠路支店となって横新道と道道花畔札幌線の角に移転して、こちらはもう長いこと空き家状態となっていたようだ。

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 かつて篠路農業協同組合だった建物が並ぶ駅前。

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 ギザギザの軒が特徴の旧篠路農協ストアー。

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 石造りの旧農協が農業で栄えた頃の篠路を偲ばせる。

農協スーパーがあって、小さいなりに商店街があって、それなりに人が集まるところではあったようだが、篠路駅西口側に発展とは反比例するように今ではすっかり寂れてしまっている。

かつては駅の西側が住宅地として発展していたが、平成になってから東側の住宅地化も進んで、隣の拓北駅の駅勢圏である拓北とも一つの町のようにつながってしまった。
この篠路駅東側の住宅地としての発展は駅の乗降客数にも表われていて、例えば2000年の1日当たり乗降客数は3,176人となっているが、2019年では6,156人とほぼ倍増となっている。

周囲が発展しても、電車の本数が増えようと篠路駅前が発展することはなかった。
古い町にありがちな、発展を阻む何かがここにも存在していたのだろう。

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 古びた篠路交番。

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 駅前ビルと篠路駅東通。奥が篠路駅。

所どころに昭和時代の名残を残す建物が残っているが、ここも数年もすれば様変わりしていることだろう。

今度は横新道の踏切を渡って西口へ行ってみます。

土地区画整理事業が進行して、やたらと空き地ばかりが目立つ。
老朽化した住宅やアパートも所どころに残っているが、近いうちにこれらも撤去され新しい街並みが作られることだろう。

横新道へ出ると、片側1車線の道路は踏切の前も後も渋滞中。
近年発展した篠路駅東口側のみならず、上篠路や丘珠方面から石狩街道まで真っすぐ通り抜けられる道路といえばこの横新道くらいなので、どうしても車が集中するのだろう。
このあたり、早期の高架化完成が待たれるところだ。

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 渋滞している横新道の札幌篠路線踏切。

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 横新道から篠路駅方向を見る。

踏切から線路を見ると、篠路駅方向は駅舎を解体して旧貨物ホーム跡あたりに仮線を通すことが出来そうだが、反対側の百合が原方向は仮線を設けるほどの余裕はなさそう。
元々単線だったのを複線にした路線だから、線路の両側に余裕は少ない。

営業中の線路の真上に高架橋を建設するか、上下線を分けて先に1線だけを高架にして、それからもう片方線の高架橋工事を始めるか、それしかなさそうだ。

それにしても高架化工事とまでは言わないが、もう土を掘る重機くらいは動いているのかと思っていたが、工事着工どころか用地を示す杭すら見かけなかった。

今のうちに撮影して残しておかないと・・・
そんな思いに駆られてやってきたのだが、こんな篠路駅と篠路駅前の見納めはまだちょっと先のようだった。

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 側線に停車中の保線車両。

篠路駅西側の側線は保線用の車両がよく停まっているのを見かける。
今日は4両のバラストを積んだ貨車と保線用の機関車が停車していた。
バラストは新しく、近く交換工事が行われるのだろう。
学園都市線は地盤の悪いところを通っており、そこを電車がバンバン通過するのだから道床の傷みも早そうだ。

駅舎のある東口と違って西口は駅前広場も整備され広々と気持ちが良い。
しかし駅舎はというと小屋のような建物なのがちぐはぐに見える。

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 小じんまりとした篠路駅西口の駅舎。

ウイキペディアによると西口が開設されたのは1988(昭和63)年とある。
そう言われれば、私が高校生くらいの頃にはこちら側に出入口が作られて、列車を降りた多くの乗客たちがそこから出て行っていたのを思い出す。
駅員もいなければ券売機も無し。切符を買うには跨線橋を渡って東口へ回る必要があった。

いつの頃から今の駅舎が建てられ、券売機と自動改札機が置かれるようになった。

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 篠路駅西口駅舎。簡易型自動改札機が置かれている。

狭い小屋のような西口駅舎だが、券売機があってKitaca対応の自動改札機がある。
集札はしていないので、乗車券所持の降客はセルフで集札箱に入れることになる。

一応駅員が詰めるような部屋と窓口があるのだが、ここに駅員がいるのは見たことがない。
西口に関してはフリーでホームに出入り自由ということになる。

篠路駅だけでなく、学園都市線はこのような作りになっている駅が多い。
良く言えばおおらか、悪く言えば不正乗車防止に要するコストを省いているということになる。

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 西口駅前ロータリーの赤レンガが倉庫の遺物。

篠路駅西口・・・いや西側・・裏側といえば、並んだ赤レンガの倉庫だった。
駅の正面にも倉庫、裏手にも倉庫、どれだけ倉庫が並んでるんだと思うほど倉庫が多かった。
それだけここから出荷される農作物が多かったということなのだろう。

こちらの倉庫群は一足早く、2007(平成19)年に取り壊されたようだ。
西口駅前ロータリーにある植え込みにひっそりと建てられた説明書きを読むと、円形に積んだ赤レンガがその倉庫の一部なのだという。

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 昭和時代から変わらずに。

いかがでしたでしょうか。

札幌市内にあって、JRの駅前にもかかわらず昭和時代から時が止まったような空間が残る篠路駅。
列車の発着時以外はひと気も少なく、松の木の下に佇んで古い駅舎を眺めていたら、子供の頃に見た風景と重なるような気持ちになりそうです。

篠路駅は札幌市内に残る最後の木造駅舎。
残念ですがこうした風景も近いうちに見納めとなります。

木造駅舎に代わる仮設のプレハブ駅舎が建てられ、今のホームの場所には高架橋の柱が立ち並ぶようになるでしょう。
高架化完成までは工事現場の風景となりますね。

高架化工事が完成すればこの篠路駅前も整った駅前広場が整備され、駅前の道路も建物も一新して綺麗な町並みとなることでしょう。
便利で利用しやすい駅になるのでしょうけど、反面ほかの駅と同じような駅前風景がまた出来上がるわけで、昔ながらの篠路らしい風景が消えてゆくのは寂しい気もします。

もったいないとか風情がないとか言うのは簡単ですが、今の駅が老朽化して狭くて東西が分断されて、バリアフリーにも対応できない状態では高架化するか橋上駅化するしかありません。

私にできることといえば今あるものを記録に残すくらいなものです。

そういえば、今から20年前の2002年の夏、何を思ったのか当時使っていたフィルムカメラを持って篠路駅に撮影に出かけていました。
ちょうど新琴似駅が高架化されて新しくなった頃で、木造駅舎と古びた街並みが残る篠路駅も近いうちに様変わりすると思ったのでしょうか。

つぎの記事では20年前に撮影した篠路駅と篠路駅前の写真を紹介します。


posted by pupupukaya at 22/09/04 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

2007年札沼線終点の新十津川駅

2020年に廃止された新十津川駅。

2022年8月現在では、既に駅舎は取り壊されているとのこと。
あれだけ廃止反対をして、廃止が決まると駅前はにわかに売店が進出し、各種イベントを行って賑やかになったものだが、廃止後は黒歴史にでもしようかという勢いで整地が進んでしまう。

これは新十津川に限ったことじゃない。
老朽化した駅舎を保存するとなると経費がかかるし、町を分断していた線路と駅を取っ払って交通をスムーズにしたいことはよくわかる。

私は札幌市民なので、他所の町の都市計画についてとやかく意見する権利はない。
でも残念だね。
無くなったものを惜しんでもしょうがないので、せめて在りし日の新十津川駅の画像でもアップしてみようか。

以下、2007年8月26日に撮影した新十津川駅になります。

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青字に白抜きの駅名看板が正面に出迎える。
新十津川町にあるので新十津川駅なのだが、1931年の開業当初は中徳富という駅名だった。

1943年、戦時中に不要不急路線として一旦休止となる。
戦後の再開は1953年。
同時に町名に合わせて駅名も新十津川(しんとつがわ)駅となった。
この看板は、1953年の営業再開当時のものだろう。

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『歓迎 ようこそ新十津川へ』の看板が出迎える旧改札口。
こんな看板とは裏腹に、札沼線でやってくる観光客などどれほどいたのだろう。
意気込んで看板を掲げたのだろうが、長らく誰の目にもつかず放置されていた。

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1日3本だけの時刻表。
それでもこの当時は朝の1本だけ札幌直通列車があった。

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バケット型のプラスチックベンチが並ぶ待合室。
1日1往復の終着駅として脚光を浴びるのはこの10年後の話。
この頃は町はずれにひっそりとある、人も寄り付かなくなった寂しい駅だった。

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ホームから線路に降りて、レールレベルで撮影してみる。

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線路は草ぼうぼう、レールの踏面が銀色になっていなければ廃駅のような佇まいだ。

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1日3往復の線路は雑草が生え放題。
よくこんな線路を列車が走っていたものだ。

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おそらく開業当初から変わらないであろう、玉石を敷きつめた道床。
ささくれた枕木に30kgレール。
国鉄から民営化してJRになる直前に、最後の国鉄の赤字計上とすべく地方ローカル線のリニューアル工事があちこちで行われた。
それはレールの重軌条化と道床のバラスト化。

しかし、札沼線北部では工事が行われることがなかった。
札沼線は国鉄再建法の第2次廃止対象路線から免れた路線だが、この当時でもいずれ廃止になると読んでいたのか。

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以上、1日3往復だけが発着する新十津川駅の、列車の来ない午後の時間にいろいろ撮影したものです。

なに?
勝手に営業中の線路に立ち入って、鉄道営業法違反ではないかって?

いまは厳しくなって線路立入りは刑事罰にも問われるようになったが、2007年の頃はまだ柵もロープも張られておらずのんびりとしたものだった。

コンプライアンス(法令遵守)がうるさく問われるようになった現在、さすがに線路敷地に立ち入っての撮影はするべきではないだろう。
鉄道営業法違反のみならず侵入罪にもなるだろうし、これでもし列車を止めたとなると威力業務妨害罪にも問われかねない。

まだのんびりとした時代に撮影した画像ということでご容赦願います。

余談ですが、侵入罪と威力業務妨害罪はとっくに公訴時効となってますので念のため。

〜最後までお読みいただきありがとうございました。   

posted by pupupukaya at 22/08/28 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

2015年8月12日函館駅の北斗星号

寝台特急北斗星。
上野と札幌を約16時間かけて結んでいた夜行列車で、定期列車としては2015年3月ダイヤ改正をもって、臨時列車としても同年の8月22日の上り列車で運行を終了しています。

私が最初に乗ったのが1989年、最後に乗ったのが2006年でした。
こいつには何回乗ったかなあ・・・
過去の記憶を辿ったら、北斗星は合計で6回乗っていました。

もう1回か2回は乗っておきたかったと思いましたが、国内旅行は早くて安い飛行機を利用することが多くなったこと、2010年の東北新幹線新青森開業後は企画乗車券も三セク区間の運賃も上乗せされるようになって割高となったことから北斗星に乗る機会はありませんでした。
そうこうしているうちに北斗星の寝台券もプラチナチケットになってしまい、ますます縁遠い列車になってしまったわけです。

今回の画像は2015年8月12日に函館駅で撮影した下り北斗星の画像です。
これ、実は出張で函館駅前のホテルに宿泊していたので撮影できたもの。
さすがに仕事中や出張中のことは記事に出来ないので秘蔵にしていたものですが、さすがにもういいだろうということで記事にさせていただきます。

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廃止10日前とあって上野駅や札幌駅ではお別れファンでホームが埋め尽くされるほどだったようだが、さすがに函館駅のホームはファンの姿もまばらだった。
この日の下り北斗星は107分遅れで運転中。
長いホームの一番先端からED79に牽かれて入線する北斗星を撮影できた。

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1時間47分遅れは、札幌に着いてから乗り継ぎや特に急ぎの予定が無い乗客にはちょっとしたサプライズだったかも。
でも2時間以内とあっては特急料金は払い戻しにならないね。

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B寝台車は、けだるい朝の様相。
4人グループならばいいが、そうでなければ他人と相席となる。

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北斗星は函館駅でスイッチバックする。
今までは最後部だったが、今度はこちら側が先頭となるので、ここに2台の機関車を連結する。
今着いたばかりなのでホームにいた数人のファンがカメラを向ける。

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ドアが開くやいなや乗客がドドドドと集まってきてこの通り。
青森でも同じように機関車の交換があるのだが、ドアが開いて機関車交換が見られるのは函館駅だけだからしょうがない。

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もう見納めだから撮影しておかなきゃね。

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先頭の人だかりをよそに、編成中ごろは長閑な停車中風景。

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撮影組の人たちも車内に戻ってホームはまた静かになる。

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食堂車グランシャリオでは朝食タイム。
いいなあ。もう1度あの頃に戻って食堂車を楽しみたい。

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札幌へ向けて発車。
まだまだ先は長いよ。

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北斗星は札幌へ向けて発車して行った。

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ホームの駅舎側に残された電気機関車ED79 7号機。

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北斗星発車後、ED79も五稜郭へ向けて回送していった。

画像を見ているとついこの間のような気がするけど、もう7年経つんですね。
北斗星も夜行列車も、既に記憶の中でしか存在しない・・・

ところがこの4月から再び北斗星に乗れるようになったとか。

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 修復された北斗星の車両(2022年3月筆者撮影)

北斗市茂辺地の茂辺地中学校跡地に保存されている2両の寝台車。
北斗星広場と名付けられたのはいいが、潮風にさらされてボロボロの車体となっていましたが、この度修復されて新たに宿泊施設として営業することになりました。

ああ、憧れの北斗星今ここに蘇る。
動くことはないが、いっぺん泊まってみたい。
往時の寝台車を思い出したいものですねえ。

posted by pupupukaya at 22/04/24 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

改称した当別駅と新設のロイズタウン駅を見る

昨日(3月12日)はJR北海道ダイヤ改正の日。
今回の改正は札幌圏ではこれといった動きはなかったものの、ダイヤ以外で大いに話題となったのが学園都市線に開業したロイズタウン駅

本当は開業日に行きたかったのだが、別の用事があったので開業翌日の日曜日に行くことにしました。
在来線の新駅としては20年ぶりというロイズタウン駅と、駅名改称になった当別駅を見に行こうと学園都市線の電車に乗ったわけです。

まずは札幌駅改札口上に掲げられた発車標。
一番上の方面の表記を見ると、何事もなかったように『あいの里教育大・当別方面』となっていた。
上からシールでも貼ったのかとよく見たら、石狩当別方面を消した跡があった。
これを消して、当別方面と書き直したようだった。

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 『あいの里教育大・当別方面』に修正された札幌駅改札口の発車標。

待合所横にある時刻表を見ると『ロイズタウン通過』の青い文字が目立つ。
下り列車のうち、朝1本、夕方2本、夜1本の計4本だけはロイズタウンを通過する。
利用者とか乗務員から見てもややこしいし、全列車停車としても大差ないような気がするけどそうなっている。

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 青字の『ロイズタウン通過』の表示がある札幌駅時刻表。

前回記事と同様に13:40発当別行き普通列車に乗る。
列車番号は改正前と変わらず577M。車両も同じ721系エアポート編成。
だけど札幌〜当別間の所要時間は3分増えている。

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 当別行の発車標表示と721系エアポート編成。

あいの里公園駅を発車して石狩川を渡るとロイズタウン駅に停車。
ここは戻りに下車するのでその時にゆっくりと見る。
次が石狩太美から改称された太美駅。
駅名標が『ふとみ』と新しいものに差し替えられていたのは当然だが、サッポロビールの広告入りの縦長駅名標まで新しくなっていたのは驚いた。

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 差し替えられた太美駅の駅名標。

終点当別着。
ここもサッポロビールの広告入りの縦長駅名標があった。
一昨日までは国鉄時代からお馴染みだったホーロー製の看板だったのだが、道内の主要駅と札幌近郊駅のものは2022年度中に新しいデザインのものに交換されることになっている。
だから、縦長駅名標は撤去されるだけで新たに設置されることはないと読んでいたのだが、これは意外だった。

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 新しくなった縦型駅名標。

交換は大工事だろうと思っていた駅舎上の駅名表示はきちんと新しくなっていた。
そりゃそうだろうなあ、何と言っても駅の顔だし、大工事だからと言ってそのままというわけにもいくまい。

しかし駅前にある札沼線代替バスのバス停は『JR石狩当別駅南口』のままとなっていた。

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 旧のままの札沼線代替バスのバス停と当別駅。

当別からは14:26発札幌行きで折り返す。
改正前は577Mが石狩当別で574Mとしてそのまま折り返していたが、改正後はこのあたりの車両運用が変更になっている。
ロイズタウン駅停車のために札幌〜石狩当別間の所要時間が2〜3分延びたからだろう。
札幌口ではあまり変わっていない時刻も、当別〜北海道医療大学間では地味に結構変わっていたりする。

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 ホーム上屋から下がる光らないタイプの新駅名標。

こんどの列車は733系3両編成。
1番線は当別で折り返す721系が停車中なので、北海道医療大学始発の2574Mは3番線から発車する。
2駅乗ってロイズタウン駅で下車する。

入れ替わりに大勢の乗客が乗って発車して行った。
20年ぶりの新駅ということでテレビをはじめとして大いに話題となり、札幌市内からの試乗客が多いのだろう。
まずは順調な出だしといったところ。

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 ロイズタウンを発車する733系3両編成。

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 ロイズタウン駅のホーム。

ロイズタウン駅は無人駅ながら立派なつくり。
ホームは全部上屋が覆って、中央にはガラス張りの駅舎。
一見すると無人駅とは思えない出来栄えだ。

昔、1986年11月国鉄最後のダイヤ改正で札幌市内にも多くの駅が開業した。
その多くが無人駅で、鉄骨製のホームと地上と出入りする階段だけが設けられた簡素な駅だった。
ホームには上屋もなく吹きっさらし、待合室すらなかった。
その時開業した新川駅や太平駅などホームが4両分の長さしかなく、6両編成が来ると2両分はみ出していたっけ。

その後JRになってから開業した八軒駅やサッポロビール庭園駅も基本的には同じような駅だった。
それに比べれば何と立派な駅と感心するばかり。

外に出て駅舎を眺めると、ロイズチョコの箱と同じブルーが配されたガラス張り。
一見すると近くに空港でもあり、空港アクセス駅かと見まがうような駅舎だ。

駅前広場はまだ工事中で、ようやく土盛りが終わったという感じだった。

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 ロイズ工場と一体化したような駅舎。

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 駅前広場はまだ工事中。

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 駅前の道路から駅舎までは仮設通路で結んでいる。

ロータリー、歩道、駐車場がある駅前広場は2023年3月完成予定。
宅地開発なんかも見込んでいるようだが、この辺りは泥炭地。根本的な地盤改良工事を施さなければ宅地には不向きな土地。
家が建ち始めるのはまだまだ先のことになりそうだ。

近くを国道337号当別バイパスが通るが、だからと言って駅に用はないだろう。
当面はロイズふと美工場関係者だけが利用する駅となりそうだ。

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 駅前に建っていたロイズタウン駅駅前広場完成予想図の幟。

ロイズの工場があるほかはただの田んぼの中の駅。
平日の昼間は乗り降りする人もなく寂しい駅になりそう。
この新しいロイズタウン駅を活用するにはどうすればいいのだろう。

無料駐車場を設けて、当別町内の人がロイズタウン駅からJRを利用するようになれば、パークアンドライドとしてこの駅も利用価値が上がるのではなかろうか。
例えば木古内駅北側の無料駐車場は北海道新幹線の利用者の車がびっしりと停めてあるしね。

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 駅舎内に階段とスロープがある。

ロイズタウン駅は列車の発着がない時でも常に人が出入りしている。
その多くは車で来た人たち。
町道側に仮設の駐車場があるので、そこに停めて駅見物にやってくる。
特に鉄道好きというわけでなくとも、新しい駅ができたとあれば人々の関心ごとなのだろう。

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 こじんまりとした待合室。内装は白樺が使われている。

駅舎内には札幌近郊無人駅に共通の券売機と簡易自動改札機が設置してある。
簡易自動改札機とは、乗車券を入れると入場記録だけするというもので、集札機能は無い。
ICカード乗車券の場合は読み取り機にかざすと出入場記録が行われるのは有人駅と同じ。

無人駅というと通常は車掌が集札するが、学園都市線では基本的に車掌は集札を行わない。
要は欧米でよく見られるような信用乗車制度が行われている。

薩摩守*(さつまのかみ)をしようと思えばできる。
そのあたり詮索したくなるが、学園都市線の利用客にはそのような不届き者はいないということなのだろう。

 * 薩摩守忠度(さつまのかみただのり)は平家の武将、その『ただのり』を文字って無賃乗車の隠語となった。

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 ロイズタウン駅の駅名標。

改札機にKitacaをタッチしてホームへ。
無人駅なので改札口はフリーパスだし入場券も売っていないが、次の列車で札幌に戻るのでタッチしておいた。

さっき当別駅と太美駅の縦長駅名標が付け替えられていたのを見たが、ここロイズタウン駅もサッポロビールの広告入り縦長駅名標が設置されていた。

国鉄時代に設置された紺地に白抜き文字、それに黄色で縁取った駅名標。
それと同じデザインのものが柱に貼られている。
この駅名標はサッポロビールとの広告契約終了ということで、広告部分を白く塗りつぶす作業が各駅で行われ、ほぼ完了しているようだ。
道南いさりび鉄道の駅名標も、広告部分は塗りつぶされた。

主要駅や札幌近郊駅はそのまま残されているが、これは2022年度中に新しいデザインのものに交換されることになっているからだ。


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 ロイズタウン駅の縦長駅名標。ここのは不思議な字体。

当別駅や太美駅のは元のを架け替えたものだが、新設駅のロイズタウンまで同様の駅名標が設置されるとは思わなかった。

しかも広告は★マークに『北海道はサッポロビール』のフレーズ。
その上には小さな文字で『ふるさとのために、何ができるだろう?』の文字。

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 新しいバージョンのサッポロビールの広告。

ホームの端から当別方向を見ると、かすかに太美駅で交換する列車が見えた。
ロイズタウン駅から太美駅までは1.4km。
太美駅で北海道医療大学行き2581Mと当別始発札幌行き576Mが交換し、近づいてくる。

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 目を凝らすと隣の太美駅で交換する列車が見える。

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 721系エアポート編成が到着。

新駅開業ということで話題になり、多くの人が駆け付けたロイズタウン駅だが、ロイズ工場以外は基本的に何もない場所。
開業フィーバーが終われば日中は乗り降りする人もない、ひっそりとした駅になるのだろう。
この駅周辺が発展するにしても、まだまだ時間がかかりそうだ。
この駅の一番の活用法は、無料駐車場を設けたパークアンドライドということになりそうだ。

最後に、実質信用乗車制度の学園都市線を乗り降りしてきたわけですが、薩摩守疑惑を持たれないようにKitacaの利用履歴を貼っておきます。

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 Kitacaの利用履歴。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 22/03/13 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

3月12日に駅名改称する石狩当別駅と石狩太美駅

2022年3月12日JR北海道ダイヤ改正まで2週間を切りました。
この改正で、当別町内2駅の駅名が改称されます。

石狩当別 → 当別
石狩太美 → 太美

これらの駅が旧国名を冠されていたのは、同様の駅名があったから。
国鉄時代は、貨物が間違って行ってしまうことを理由に、同じ駅名を付けることをしなかったためだ。

例外もあって、例えば白石駅は函館本線、東北本線、肥薩線に3駅存在する。
3駅とも明治時代に開業した駅なので、当時はそれぞれ官営幌内鉄道、日本鉄道、鉄道院と別々の法人が設置し、後に国有化されてもそのままになっている。

全国一律の国有化後は同じ駅名を冠することはなくなった。
この場合多くは旧国名を冠することで、別駅名としていたのである。
これは同音異字の駅名にも徹底していた。

太美は千葉県の外房線にある太海(ふとみ)という同音異字の駅があったために石狩の国名を冠することになった。
当別は江差線(現:道南いさりび鉄道)の渡島当別駅、廃止となった日高本線の日高東別駅。

全国一律の国鉄時代ならばともかく、貨物列車の発着もなくなり、JRとなって別会社となった太美、他に同じ駅名の無い当別は、当別町から駅名から『石狩』を取ってくれとの要望が以前からあった。
その理由の1つに、石狩市所在の駅と間違われるのが気に入らないということもあったようである。

そんな中、2022年3月12日にロイズと当別町が出資してロイズタウン駅が開業する。
それに合わせて、当別町の念願だった町内2駅から『石狩』の冠名を取り去ることが実現することになった。

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 JR北海道ニュースリリース、2021.04.14より引用。

『石狩』付き駅名は国鉄時代の事情で付いていたもので、これで実態に合った駅名になる。
しかし、石狩当別や石狩太美といった国名を冠した駅名も長らく使われていて愛着がある駅名でもあった。
今回は、その駅名を記録すべく学園都市線の列車に乗って、いまの駅名を撮影してくることにした。

乗る列車は、札幌13時40分発石狩当別行577M。
あいの里公園から先に行く昼間の列車のほとんどが北海道医療大学行きとなっている中で、数少ない石狩当別行きの列車。

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 『あいの里教育大・石狩当別方面』札幌駅西改札口の発車標。

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 北海道医療大学から来た元エアポート編成6連が到着。

13時33分、北海道医療大学から来た列車が札幌駅に到着。
この列車は折り返し石狩当別行きとなる。
『石狩当別』の方向幕を撮影しようと車体側面を見ると、こちらは早くも『当別』の表示になっていた。
LED表示の方向幕ならば改称前日まで石狩当別の表示が見られるのだろう。

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 721系電車の方向幕。こちらは早くも『当別』となっていた。

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 札幌駅改札口横に表示の混在のお知らせ。

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 石狩当別の表示がある10番線の発車標。

2月21、22日と続いた大雪で運休となっていた学園都市線。
今日は通常運行だが、除雪した雪山が壁のようになっていた。

学園都市線は元々単線だった線路を複線にしたために、線路と人家や道路との間に余裕がない箇所が多い。
ロータリー除雪車で雪を跳ね飛ばす空間が少なく、これが学園都市線雪害からの復旧が遅かった事情ではなかろうか。

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 雪の山。どれだけ降ったんだか。

石狩当別駅に到着。
駅名標は、以前あった電照式のものから光らないタイプのものに既に交換されていた。
その上から現在の石狩当別駅を表示した紙が貼られていた。

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 石狩当別駅の駅名標は既に新しいものに付け替えられて、上から紙が貼られていた。

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 これは元々あった石狩当別駅の駅名標。2016年撮影。

縦型ホーロー駅名標はそのままとなっている。
これは2022年度中に、札幌圏のものは新しいデザインのものに交換されることが決まっており、駅名改称と同時に撤去されると思われる。

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 ホーロー製の縦書き駅名標はまだ残っていた。

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 『JR石狩当別駅』の表示がある南北自由通路。

着いた列車は14時25分発札幌行きとなって折り返すが、いろいろ撮影したかったので次の列車に乗ることにする。
駅南口は雪の山。
駅舎屋上近くにある『石狩当別駅』の表示はまだ残っている。
この駅名表示は新たに付け替えられるのか、石狩部分だけ撤去されるのか。
いずれにしても、クレーンを据え付けての大工事になるのだろう。

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 札沼線代替バスの月形当別線『JR石狩当別駅南口』のバス停と石狩当別駅。

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 駅舎の屋上近くに掲げられた『JR石狩当別駅』の表示。

石狩当別駅からは2576Mで石狩太美に向かう。
こちらは735系電車。
学園都市線は電化後は721系エアポート編成が多く見られたが、721系も淘汰が進んでいるのかロングシート車両が主流になってきた。

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 北海道医療大学始発の札幌行き735系電車。

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 1駅乗って石狩太美駅で降ります。

石狩太美着。
ここの駅名標はまだ元のまま残されていた。
これも近いうちに新しいものに交換され、駅名改称前日までは上から紙を貼った状態になるのだろう。

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 石狩太美駅に到着。

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 縦長の駅名標と横長のJR北海道標準の駅名標。

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 無人駅とは思えない堂々としたホーム。

駅舎のホーム側にある平仮名で書かれた『いしかりふとみ』の銘板。
昭和55(1980)年に新森清治氏が寄贈したもの。
今の駅舎に改築される前の木造駅舎時代からのもの。
駅名が太美駅になっても、この銘板は残されるのだろうか?

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 縦書きホーロー駅名標と昭和五十五年寄贈の『いしかりふとみ』の銘板。

石狩太美駅は雪に埋もれていた。
駅前の歩道も雪の壁状態。迷路の中を歩いているようだった。
どこにも行きようがなく、また駅に戻る。

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 雪に埋もれた石狩太美駅の駅舎。

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 正面に掲げられた石狩太美駅の駅名標。

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 石狩太美駅の券売機と旧簡易委託駅時代の窓口跡。

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 学園都市線バージョンの自立型駅名標。

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1番ホームにある乗車駅証明書発行機。

駅舎は2番ホーム側にあるが、反対側の1番ホームにも古くから出入口が設けられていて、南側住人の便が図られていた。
前は階段しかなかったが、いつの間にか待合室とスロープが新設されていた。
こちら側は簡易自動改札機のみ設置。
券売機が設置されていないこちら側から乗車する人は乗車駅証明書を持って下車駅で精算することになる。

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 スウェーデンハウス風の待合室とスロープが新設された石狩太美駅1番線側の出入口。

当別町内2駅の撮影を終えたので札幌に戻ります。
北海道医療大学始発の2578Mは733系編成。

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 733系札幌行きが到着。

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 3月12日開業になるロイズタウン駅。

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 石狩当別駅で買ったきっぷ。

線名が札沼線から学園都市線となり、石狩当別と石狩太美駅から石狩の名が消えます。
新たに開業するロイズタウン駅。当面は田んぼの中の駅となりますが、この駅周辺もニュータウンとして生まれ変わる日が来るのでしょうか。
篠路駅の高架化も決定しています。
複線化されても電化されても、どこか垢抜けしなかった学園都市線。
その路線が、完全都市型路線に生まれ変わる日も近いようです。

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 22/02/27 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

2021年新幹線工事が始まる前の札幌駅を見る

2030年度の札幌延伸開業を目指して工事中の北海道新幹線。
山の中でのトンネル工事はあちこちで目にしますが、札幌駅はまだ動きがないようです。
しかし、札幌駅でも新幹線駅を設置するための準備工事が着々と始まっています。

今回は、新幹線工事が本格化する前の札幌駅を見てきました。

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ステラプレイスやJRタワーがそびえ立つ札幌駅南口正面。
そもそも新幹線札幌駅の設置場所の物議の一番の原因はコイツラだったわけですが。

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現在の駅の東側にできる新幹線の駅舎や高架橋の工事が始まるのは2022年夏から。
今は駐車場や駐輪場になっている広い一角も、新幹線の新しい駅や高層ビルの建設が始まります。

上画像は新幹線駅と地上46階建ての高層ビルが建つ場所。
北口のビル群が見通せるこんな長閑な風景もこれが見納めでしょうね。
高層ビルは新幹線より一足先の2029年秋開業予定。

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まさにこの上に新幹線のホームができるわけです。
どう見ても場末の一角の画像だが、10年後にムチャクチャ貴重な画像になったりして・・・・

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エスタのバスターミナルから一斉に出てくるバス。
エスタも建て替えになるようですが、その間はバスターミナルもどこかへ移転するのでしょうか。

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こちらは現在空き地の旧西武百貨店跡。
私などつい五番館と言ってしまいますが、それはさておき。

新幹線とは直接関係ありませんが、この区画も再開発プロジェクトが動き出しました。
こちらは土地を取得しているヨドバシカメラが主体で高層ビルが建つようです。
この交差点からJRタワーが見えるのも最後かもしれませんね。

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札幌駅やその周辺で新幹線工事が始まるのは2022年度からとなりますが、北口側では新幹線工事の準備といえる工事がすでに始まっています。

北口側の自由通路と北口広場の一部が閉鎖されていますが、それは在来線ホーム増設工事のため。
これは新幹線のホームではなく、在来線の11番線ホームの増設工事となります。

新幹線は在来線の南側を通ることになっていますが、そうすると現在の1番線ホームが新幹線の線路となってしまうため、その代わりに北側に11番線ホームを建設するわけです。

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新たな11番ホームは鉄骨造り。まだ骨組みだけですが、階段も見えます。やぐら状に組んだ鉄骨はエレベーターでしょうね。

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こちらは10番ホームから見た11番線ホーム。
まだホームはできてませんが、線路は先にお目見え。
元々あったバラストと枕木の線路は一旦撤去されて、新たに設けられたもの。

1988年の札幌駅高架開業時もここに11番線ホームがありましたが、当時のは鉄骨と鋼板を組んだだけの仮設ホームでした。
2年後に1・2番線ホームが完成するとホームは撤去され、以降は留置線として使われていました。

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一旦閉鎖されてソッポを向いた出発信号機も復活するようです。

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9・10番線の階段奥の壁がなくなって、その奥に11番ホームの階段とエスカレーターが現われるはずです。

今工事中の11番線が使用開始になるのは2022年10月ごろ、同時に1番線が廃止に。
また同じくして、新幹線高架橋工事に合わせた耐震補強工事のため、パセオが全館休館が決まっています。

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こちらは11番線と反対側の1・2番線ホーム。
11番線が使用開始になると1番線は閉鎖され、このホームも半分になって南側に2本の新幹線の線路が並ぶことになっています。

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3番線ホームから見た東側。
この先に新幹線ホームが設けられ、在来線ホームとは跨線橋で結ばれることになっています。

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『北斗星』も『はまなす』もなくなった今、長いホームは無用の長物と言ったところでしょうか、ホームの先は柵が設けられて立入禁止になってしまいました。
もちろんそれだけではなく、ここは新幹線ホームへ連絡する跨線橋ができる場所。
柵の先に跨線橋の階段が設けられるのでしょう。

新幹線と在来線の連絡通路が跨線橋となってしまうのは苦しい構造ですが、逆に下ると道路と交差するし苦肉の策といったところ。

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柵の手前にある停止位置目標。<9><10>の数字は編成の両数。
『おおぞら』で見られた11両編成はもうやらないということですね。
基本5両編成になってしまいましたしね。

石勝越えが鉄道の独断場だった時代は過去のものになったんだなあ。
あと馬鹿でかいスーツケースを引いて押し寄せたインバウンドも・・・

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これは1988年の高架化開業時からある乗り換え案内。
当たり前だろってツッコミたくなるようなやる気のない看板。

これに新幹線が加わるんでしょうか。
市電は・・・・残念ながら今回はなさそうです。

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 ↑ 新幹線ホームのイメージ(画像は新青森駅)

まだ目立った動きがない札幌駅ですが、来年度からは新幹線の高架橋や駅舎、それに再開発の高層ビル建設が本格的に始まります。

その北海道新幹線ですが、開業したら肝心の所要時間はどのようになるのでしょうか。
『JR北海道グループ長期経営ビジョン未来2031』によると、東京〜札幌間最速4時間半としています。

これは東北新幹線区間360km/h、北海道新幹線区間320km/hで走行し、青函共用問題もクリアした場合の想定となります。
もしこれが実現したとしても1日2〜3往復が最速列車として設定されるだけで、ほとんどの列車は既存『はやぶさ』の延長で、所要時間は5時間程度となるでしょう。

仮に札幌直通の速達列車を新設・増発しようとしても、上越・北陸新幹線も乗り入れる東京駅ホームでは、とてもそんな余裕はありません。

もうひとつの疑問。
この北海道新幹線が札幌まで開業したら片道の運賃・料金は一体いくらになるんでしょうか。
これを現在(2021年)の運賃・料金表から算定してみます。

運賃は東京〜札幌間の営業キロ1074.0kmと分かっているのですぐに計算できます。

本州3社内幹線運賃+JR北海道の加算額(261km以上)
13,200円+770円=13,970円

特急料金は東京〜新青森間『はやぶさ』の普通車指定席が7,330円
東北新幹線と北海道新幹線の特急料金は通算しないので、上記の料金に新青森〜札幌間の特急料金が上乗せになります。
北海道新幹線の料金がどのように算定しているのかわからないので、試しに新青森〜新函館北斗間の4,530円に100kmごとに1,100円ずつ上乗せしてみますと7,830円となりました。
これで東京〜札幌間の『はやぶさ』の普通車指定席特急料金は15,160円と仮定します。

運賃13,970円+特急料金15,160円29,130円

う〜ん、何とかギリギリ2万円台
特急料金は筆者の想定ですが、現在の東京〜新函館北斗間の運賃・料金23,430円と比較してみると、それより5,700円高くなるということになります。
とまあ、勝手に想定したみた値段ですが、そう大きくは外してないと思います。

この値段をベースとして、JR北海道が宣伝している『期間限定お先にトクだ値スペシャル』を適用すれば50%OFFとなり14,560円
これならば金額だけなら飛行機と互角に勝負できそうです。

ちなみに飛行機はJALの例だと羽田〜新千歳間の普通運賃が4万円ちょっと、一番安い先得割引で1万3千〜7千円程度となっています。
LCCだと片道5千円を切ることもあるようですが、成田発着だし客層も違うと思われるので、考慮外でもいいでしょう・・・

でも実際は、新幹線が開業しても東京〜札幌間のシェアが圧倒的に飛行機なのは変わらないでしょうね。
所要時間4時間半〜5時間で、基本1時間に1本程度の本数ではビジネス客や観光客が積極的に流れてくるとは思えません。
飛行機嫌いな人とか、空港から遠い人とか、あと私のような鉄道好きなど、ニッチなニーズを掘り起こすしかなさそうです。

新幹線というと、とかく東京ばかりに目が行きがちですが、それよりも他の交通機関に比べて圧倒的に新幹線の強みが発揮できる札幌〜東北間の乗客をいかに増やすかが北海道新幹線の営業のポイントでしょう。

この区間は絶対数は多くないものの、昔からビジネスや観光の旅客需要は少なからずあるが航空路線は貧弱というのが現状です。
新幹線札幌延伸開業では飛行機からの転移だけでなく、新たな需要が生まれることは間違いないでしょう。

それに何といっても実質陸続きの本州〜九州と違って、津軽海峡を挟んで他の陸路が参入できないこちらは新幹線が圧倒的にシェアを独占できる区間でもありますから

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あと2〜3年もしたら以上の画像の場所も様変わりしていることでしょうね。
新幹線が札幌でも目に見えるものとなるわけですが、一方では並行在来線問題や貨物列車の青函共用問題なども解決しなくてはならないことがたくさんあります。

一番の心配事は、肝心のJR北海道が新幹線開業時まで持ちこたえているのかということになりますが・・・

〜以上、最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 21/11/07 | Comment(0) | 北海道の駅鉄
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