2025年 イトーヨーカドーが閉店する琴似駅前を歩く

2025年のお正月は、旅行というわけではありませんが琴似へ行ってみました。
イトーヨーカドー琴似店が閉店になるということで、琴似に出かけてみました。

行ったのは地下鉄ではなくJRの方。
札幌駅から2駅目6分、琴似に着きます。

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ひらがなで『ことに』と書いた縦書きホーローの駅名標がどこか懐かしい感じがします。
この地名の由来はアイヌ語からですが、『琴似』とはいい字を当てたものだなと思います。

道内にはこの『似』で終わる駅名は意外とあって、ほかには様似(旧日高本線)、幌似(旧岩内線)、豊似(旧広尾線)などが見つかります。
さすがに琴似は2つないだろうと思いきや、意外な場所にJR北海道バスに同名のバス停があります。
それがこちら。

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場所は様似町、こちらはひらがなで『ことに』ですが、国道にある覆道は『琴似』の字を当てています。
それはともかく琴似へやって来ました。

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琴似駅が高架になったのが1988(昭和63)年11月ダイヤ改正のとき。
その後2000年のダイヤ改正で快速が停車するようになり、琴似駅の利便性も一気に向上しました。
利用者が増えて手狭になったことから、駅舎部分の増築も行われて現在の格好になっています。

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琴似駅前といえばイトーヨーカドー。
昔は琴似本通りに面した、今の5588の方がイトーヨーカドーでした。

私にとっては琴似駅といえばイトーヨーカドーでしたので、無くなるのはちょっと寂しくなります。
といっても、後継のシーナシーナの入店が決まっており、今度はそちらが琴似駅の新たな顔となるのでしょうか。

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鳩の看板が見られるのもあとわずか。

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琴似駅とイトーヨーカドーは空中歩廊で直結。
冬は大変ありがたい構造です。
入口の自動ドアは両開き折り戸なのが珍しいですね。

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入口には閉店を告げる張り紙がありました。
『31年間』とありますが、これは現在の場所に『エスパ』として開業してからの年数で、本通り側の旧店舗時代から数えると48年になります。

店内は閉店売り尽くしセールとなっていて、あちこちに30%OFFや50%OFFと書いた幟が目につきます。
そういや通勤用カバンが欲しかったな。いいのが安く手に入るでしょうか。

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2階の奥には、フォトスポットコーナーとイトーヨーカドー琴似店の変遷を展示したコーナーがありました。

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屋上の看板の変遷を見ると、オープン時の看板は『エスパ』でした。
そういやここが出来たときはエスパだったと思い出します。

エスパとは何ぞや?と思われるでしょうが、確かイトーヨーカドーよりもグレードアップ版を目指した店だったかな。
でもこの店名はあまり定着しなかった気がします。
2001年に再びイトーヨーカドーに戻っています。

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その隣には、これまた懐かしい写真が。
木造駅舎時代の琴似駅。

この駅舎は本通りに面した場所にあって、歩道から直接出入りできる便利な場所だったけど、駅前広場がなく私鉄の電車駅という風情でした。
その隣にそびえ立っていたのがイトーヨーカドーの旧店舗でした。

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展示の白黒写真にちょっとイタズラして、カラー写真にしてみました。
いつ頃写したものなのでしょうか。
左側に写る車はダットサン・サニー1200クーペGX(1972年発売)とすればイトーヨーカドー琴似店が開店した1976(昭和51)年頃といったところでしょうか。

それにしても懐かしい。
私が子供の頃は汽車に乗るといえばこの琴似駅でした。
海水浴に行くのも、親戚の家に行くのも、その他市外に出かけるのはいつも琴似駅でしたから。

しかしこうして見ると、ボロボロですね。
駅舎の真中へんなど軒が下がっていますから。

いつ頃建設の駅舎なのでしょうか。
造りが似ていると思った苗穂駅の旧駅舎が1935(昭和10)年建築ですから、おそらく同年代ではないか。

1936(昭和11)年に昭和天皇が陸軍特別演習のために行幸された際、札幌〜琴似間にお召列車が運行したとあり、その際に建築されたのではないか。
まあわかりませんけど。

この駅舎が建った当時は、白ペンキが塗られた札幌時計台にも似た、瀟洒な駅舎だったのでしょうね。
長い年月と風雪にさらされて老朽化著しい姿となっていました。
国鉄は何でこんな古い駅舎を放置していたのかと思いたくなりますが、70年代には高架化が決定していたので、だましだまし使っていたのでしょう。

あと小さいけど駅名看板の上にスピーカーがあるのは、あそこから表に向かって駅の放送を流していたから。
「ただいまから〇時〇分発札幌行きの改札をいたします」
なんてのを表に向かって流していたのね。

中島みゆき『ホームにて』の一節に、

♪ ふるさとへ向かう最終に乗れる人は急ぎなさいと
やさしいやさしい声の駅長が街中に叫ぶ

というのがあるけど、スピーカーから列車の改札や発着を街中に向かって叫んでいたわけで。
昭和の駅の風景です。

話をイトーヨーカドーに戻しますと、その汽車の乗り降りの際に親とイトーヨーカドーに寄っていたので、琴似駅とイトーヨーカドーは何だかセットのような感覚なわけです。

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これは現在の木造駅舎が建っていた場所。
今はコイン駐車場と駐輪場となっています。
歴史を示す看板がありますが、旧琴似駅を示すものではありません。

通りには踏切があって、道の向こう側には踏切小屋があり、いつも職員が詰めていて警報が鳴ると手動で遮断機を下ろしていました。
遮断すると白い旗を振って運転士に安全を伝えるわけです。

踏切の警報音にスピーカーからの改札案内放送、何だかいろいろ思い出しますねえ。

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上は1980(昭和55)年ごろの琴似駅前の地図。
どこかでコピーを入手していたもの。出典はわかりません。

この地図と、ネット上で拾った木造駅舎琴似駅の画像、それに筆者の記憶をもとに図面を起こしてみるとこうなりました。

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目をつぶれば、昭和時代の琴似駅前がありありと蘇って来そう。
こんな時代を生きてきたんだなあ・・
私にとって琴似の原点は、やはり木造駅舎時代の琴似駅だったのです。

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こちらは本通り側にある旧イトーヨーカドー琴似店。
今は5588というテナントビルになっています。

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5588の横は古い一角が残っています。
ビリー軒となっているところは、昔ミスタードーナツだったことがあることを知る人はいるかな。
汽車に乗る前にミスドでドーナツをよく買ったので、どうも汽車といえば琴似駅にイトーヨーカドーにミスドというイメージが付きまとう。
1980(昭和55)年頃の話だよ。

このミスドはのちにイトーヨーカドーの中に入った記憶が・・・いや逆だったかな。
その後ミスドが無い状態がずっと続いて、高架下にミスドが入った時は琴似にミスドが復活したと思ったものです。
でもまたミスドは無くなっちゃったな。

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これは5588の向かい側。
建物上の『写真5』の看板は1枚5円のプリント屋さん。
今はもう無いけど看板だけは残っています。
安いので、フィルムの一眼レフを持っていた頃はよくここにフィルムを持って行ってました。
デジカメの普及で、こうしたプリント屋さんは消滅へ。
スマホのカメラが高性能となり、デジカメすら今は少なくなりました。

時代は変わるものであります。
ななしのラーメンもよく行ったな。

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あとは琴似のラーメン屋で思い出すのが “ふくべ”。
もやしが大盛で有名なラーメンだった。

ふくべで思い出すのが、ここの兄ちゃんがラーメンをテーブルに置くのに、いっつもどんぶりに親指入れてたなんて変なことを覚えているます。
片手にお盆を持って、もう片方でどんぶりを持つとそうなるし、汁もなみなみだったから指が入るんだろうけど。

カウンターだけだったふくべでお盆なんて使うの?とお思いのあなた、昔のふくべは小上がりがあったのよ。
なぜか焼き肉用のコンロが付いているテーブルで。
その店は火事で焼けて、新しい店になった。
その新しい店も閉店して取り壊し、今は駐車場になっていますが。

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札幌市西区で生まれ育った私にとって琴似は懐かしい街です。
駅前商店街といえば衰退するばかりですが、琴似の街は昔と変わらず賑わっているのは嬉しい限り。

地下鉄琴似とJR琴似が700mほど離れているという位置関係、それに地下鉄のイオン(旧ダイエー)とJRのイトーヨーカドーという2大商業施設の存在がこの琴似商店街を支えているのでしょう。

こうして久しぶりに琴似の街を歩いていると、随分と変わったものだなあということも思います。
気づけば本通りに立ち並ぶ店舗は居酒屋チェーン店ばかり。
通りに面して駐車場があったり、テナントが入居しないマンションがあったり、今後はこうした形態が増えてくるのでしょうか。
昭和時代の琴似を知る者としては、今の琴似は寂しくなったなあと思いますが、昔ながらの市場が今でも営業していたり、琴似はどこか昭和の香りを残しています。

琴似の街は、今後どう変わってゆくのでしょうか。
私が愛してやまない、この古さと新しさが同居する街は。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 25/01/03 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

手稲駅前今昔〜1999年5月への旅

10月の連休は皆様いかがお過ごしでしょうか。
私はというと、どこへも行く予定もなく・・・

いや、朝に思い立って電車に乗りました。
行先は手稲。
過去の写真(画像ではありませんよ)を色々見返していたら見つけたのが昔撮影した手稲駅前の写真。

今から25年前、1999(平成11)年5月に撮影したもので、そういえば自転車に乗って写真を撮りに行ったなと思い出しました。
まだ3代目旧駅舎だった頃のものです。

調べたら手稲駅は、撮影年の1999年10月に新駅舎に建て替えのための仮駅舎の使用開始とありました。
当時の私は、手稲駅建て替えを知って、今の駅と駅前を写真に残そうと出かけていたのでしょう。

手稲駅前といえば札幌市内ですし、私自身もまったく行かない場所でもないので現在どうなっているかはよく知っています。
しかし、25年前と今現在とどれだけ変わったのだろうと気になり、あの時と同じ手稲駅前へ出かけることにしました。

まずは25年前の手稲駅前の写真から ↓ ↓ ↓

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 船木旅館横から手稲駅方向(1999年5月撮影)。

画像中央が1982(昭和57)年建築の3代目旧駅舎です。
2階建てで、1階が店舗、2階がコンコースになっていました。
その右側にある三角屋根の古い建物が旧2代目駅舎で、3代目駅舎が使用開始後も保存されていました。

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 手稲駅2代目旧駅舎(1999年5月撮影)。

2代目旧駅舎は1934(昭和9)年に山小屋風のデザインで建てられた木造駅舎で、戦後の利用客急増からあちこち増築だらけだった駅舎を復元して、新たに喫茶店として営業していたもの。
この頃は駅の2階にあった旅行センターがこちらに引っ越してきていました。

この年の6月に現在の新駅舎建設のために無残にも取り壊されてしまいます。
保存の声もあったのでしょうが、老朽化と保存費用の捻出という問題があったのかも知れません。
さっぽろ・ふるさと文化百選に旧軽川駅舎として選定された名建築ですが、流れには逆らえなかったのでしょう。
でも残念至極。

と文句ばっかり言っているけど、私が撮影した2代目旧駅舎は上の1枚だけ。
何でもっとたくさん撮っておかなかったんだああああ!!
一番文句を言うべきなのは自分自身になのでした。

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 船木旅館(1999年5月撮影)。

最初の画像左側の建物が船木旅館。
創業は古く、1875(明治8)年と手稲駅(当時は軽川駅)よりも古い旅館です。

手稲・・というか軽川(がるがわ)は、札幌と小樽の間にある交通の要所で宿場町だったところ。
鉄道が開通して軽川駅ができると現在地に移転したのだとか。
以来駅前旅館として、商人宿として長らく手稲駅前を見守ってきた由緒ある旅館でした。

現在はというとこちら ↓ ↓ ↓

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 手稲駅前ビルの前から手稲駅方向(2024年10月撮影)。

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 手稲駅前ビルと手稲ステーションホテル(2024年10月撮影)。

高層のビルやマンションが林立して、2階建ての船木旅館だけが1軒あった時代の画像を見ると時代の流れを感じますね。
私も歳を取ったわけで。

由緒ある船木旅館は手稲ステーションホテルと名を変えて営業中。
札幌中心部のホテルが取れなかったり高すぎたりしたときは、手稲あたりも宿泊地に検討してはいかがでしょうか。
札幌市内だし小樽へも近い。新千歳空港は快速『エアポート』1本で行けます。

今度は南口広場から街を見てみましょう。

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 手稲駅南口広場、旧ミスドの前から(1999年5月撮影)。

旧南口広場は今よりも狭かったようですね。
ロータリーの島を客待ちタクシーがぐるりと囲むように待機しています。
駅前に出入りするバスは来た道を手稲駅前通りに直接戻ることができず、1本南側の中通りから二十四軒手稲通に出ていました。

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 手稲駅南口広場、南側の一角(1999年5月撮影)。

長らく手稲駅前の顔だったであろうラーメン十八番と喫茶ニイハマ。

南口広場の南側の一角はいかにも昭和といった佇まい。
昭和も30年代まで遡ってしまいそう。
どこからかSLの汽笛がボーッと聞こえてきたりして。

ここから石狩手稲線までの一角は古びた飲み屋街でした。
手稲はかつて鉱山で栄えた町。
昔は鉱山(ヤマ)の男たちで賑わっていたのでしょうか。
夜になると立ちんぼもいたという噂も。

現在はというとこちら ↓ ↓ ↓

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 手稲駅南口広場(2024年10月撮影)。

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 手稲駅南口広場、南側の一角(2024年10月撮影)。

すっきりしたというか、きれいになったというべきか。
古びたまま朽ちていくよりはこうして新しい建物に替わる方が望ましいのは言うまでもありません。

こうして見ると、線路側の並びは25年前とあまり変わりなく。
当時から続いている店もいくつか。
ここだけは昔ながらの手稲駅前って感じがします。

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 北側から見た手稲駅構内(1999年5月撮影)。

こちらは駅の北側、花畔人道橋の下から撮影したもの。
ホーム側は3面4線という変わった構造でした。
もともと駅舎に面した1番ホームと、跨線橋を渡った2・3番ホームだったのを、快速運転を始めたときに快速と普通の接続を行うために北側の側線に新たに4番ホームを増設したのでこうなりました。

これにより上りも下りも手稲駅で快速と普通が必ず接続するダイヤとなりましたが、快速と普通を乗り継ぐとなると必ず跨線橋の昇り降りが発生するという面倒な駅となりました。
新駅舎工事の為の仮設駅舎が使用開始になると同時に現在の2面4線に改められています。

1番ホームに面した2代目駅舎の三角屋根がいかにも手稲って感じがしますね!

現在はこちら ↓ ↓ ↓

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 北側から見た手稲駅構内(2024年10月撮影)。

現在花畔人道橋が工事中なので上と同じ場所というわけにはゆかず。
だけどほぼ同じ構図です。

これを東京郊外の駅ですと言ってもわからないだろうな。
手稲を感じさせるものが何もない。
駅の橋上化や高架化で、どこもかしこも同じような風景になってしまうのは寂しくも感じます。

それにしても山小屋風の2代目旧駅舎を撤去してしまったのが残念でなりません。

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 手稲駅コンコースと改札口(1999年5月撮影)。

手稲駅3代目駅舎は鉄筋コンクリート2階建て。
この駅は橋上駅ではなく、駅舎2階にコンコースと改札口がありました。

エスカレーター?
基本昭和の国鉄時代の設計ですから、当然そんなものはありません。
南口広場に出るには1か所の階段のみ。
自由通路は北側(小樽側)にあって、そちらから北口広場に出入りできました。

ホームへは、改札口を通ると直接跨線橋の通路につながっていました。
今の岩見沢駅とほぼ同じ構造です。

この当時でも乗降客数は1日当り2万6千人を超え、道内でも札幌駅に次いで2番目に利用者の多い駅となっていました。
ラッシュ時は4つ並んだ改札ボックスすべてに駅員が立ち、乗降客をさばいていました。
今ではちょっと信じられないですね。

ところで、札幌圏各駅に自動改札機が導入されたのは1998年11月ですが、手稲駅は翌年に仮駅舎への移転を控えているためか自動改札化は翌年(1999年)10月の仮駅舎使用開始まで持ち越されました。

現在のコンコースと改札口はこちら ↓ ↓ ↓

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 手稲駅コンコースと改札口(2024年10月撮影)。

2002(平成14)年に完成した現在の橋上駅は南北自由通路『あいくる』から入る格好となります。
コンコースも広く天井も高く明るい駅。
札幌市西側の玄関口として、ターミナル駅としての貫禄十分の駅です。

基本昭和の国鉄時代の設計だった旧3代目手稲駅。
狭くて混雑して、エスカレーターやエレベーターの増設もままならず、乗り換えも面倒だった手稲駅が建替えられるのは必然だったと言えますね。
現在の駅の方がはるかに便利で快適です。

  ★   ★   ★

25年前の手稲駅前はいかがだったでしょうか。
これだけ変わっていたのかと、私自身びっくりしています。

今日出かけたのは札幌駅から快速で僅か11分の手稲ですが、こうして25年前の写真と見比べながら手稲駅前を歩いていると、何となく時間旅行(タイムトラベル)のような感覚となります。
遠くへ行くばかりが旅ではなく、こうして時間の移動を想像するのも旅と言えるのではないでしょうか。

最後にですが、1999年当時撮影の画像は保存していたカラープリントをスキャンしたものです。
色落ちと画質が粗いのはご容赦願います。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 24/10/13 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

高架駅になる篠路駅と消えるノスタルジック空間

6月最後の日曜日、札幌市内最後の木造駅舎となった篠路駅にやってきました。
この駅も高架化されることが決定していて、この駅舎と駅前を見られるうちに見ておこうというものです。

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 木造駅舎と長閑な駅前の篠路駅東口。

篠路駅前といえば、平屋の木造駅舎に旧農協の赤レンガ倉庫群。
昔ながらの佇まいを残し、列車を降りて駅から外に出ると、ノスタルジーを感じたものでした。

その赤レンガ倉庫群も新しくできる駅前広場の一部となることが決定していて、東口の土地区画整理事業のために早くも解体工事が行われています。

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 解体工事中の旧農協と赤レンガ倉庫群。

また昔ながらの街並みが消えてゆくんだなあと、少々切ない気持ちになります。
しかし、線路で東西に分断されている不便さと、こうした駅前の老朽化した建築物が駅前の発展を阻んできた面もあり、これも時代の流れと受け止めるしかないのでしょう。

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 解体中の赤レンガ倉庫。

個人的にはこの赤レンガ倉庫群は篠路駅前のシンボルとして残してほしかったところです。
ここも、広くきれいな駅前広場に拡幅された駅前通り、再開発後に立ち並ぶマンション群と、どこにでもある駅前風景になってしまうのでしょうか。

 *在りし日の篠路駅赤レンガ倉庫群はこちら ↓

一方で駅を出て左側の札幌軟石造りの倉庫群は保存されるようです。
こちらは民間の倉庫会社の所有であり倉庫としても使用中となっています。
再開発完了後も倉庫として営業継続するのかはわかりませんが。

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 解体工事を東側から見る。

解体中の倉庫群の反対側へ回ってみると、崩されたレンガが散乱して遺跡発掘中のような眺めにも見えてきます。
このレンガのほんの少しだけが西口にあるようなモニュメントにされて残されるのでしょうか。

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 早くも土地区画整理と道路新設工事が始まっている。

駅前から南の方に歩いて行くと、新しい道路の建設工事が目につきます。
古い建物が並んでいた篠路駅前も、数年も経たないうちに様変わりしていそうです。

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 横新道の札幌篠路線踏切。

横新道へ出ると、この通りはいつも渋滞しています。
原因は学園都市線の踏切。
特に上り列車の場合は篠路駅に入線する前から踏切が作動するので、駅に停車中は遮断機が下りたままとなり、渋滞となりがちです。
ここが高架化されて立体交差になったら交通もスムーズとなることでしょう。

  ★    ★    ★

ところで学園都市線の高架化工事ですが、一体どのように行われるのでしょうか。
大抵の場合は、線路を片側に寄せて仮線とし、空いた方に高架橋の建設をするわけですが、学園都市線の場合は元々単線だったものを複線化しているので、用地的にはちょっと厳しそうです。

高架駅となる新・篠路駅の場所は西口側となるのでしょうか。
ここは昔貨物線が並んでいたのでその跡がJRの用地として残っています。
そうなると電化時にできた変電所もどこかに移転する必要がありますが。

篠路駅高架化の資料はネット上で探しても数少なく、本当に高架化する気があるのかという思いにもなります。
色々ググっていたら、札幌市のHPに次の資料を見つけました。

そこに高架工事の工程が載っていたので、引用させていただきます。

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 札沼線連続立体交差事業の施工行程
 (札幌市公共事業評価の北海道旅客鉄道株式会社札沼線(2)より引用)

現在線の東側に仮線を1本設けて仮上り線とし、それまでの上り線を仮下り線として使用。
空いた線路1本分の用地の横に高架橋を建設し、先に下り線だけ単線で高架化する。
空いた仮下り線の用地に追加の高架橋を建設して、最終的に上下線が高架化されるという工程です。

やはり高架化するには用地が足りないと見えて複雑な工程になるようです。
ではこの工事はいつ完成するのでしょうか。

国土交通省HP、PPP/PFI(官民連携)の中にある篠路駅周辺地区まちづくり推進事業の添付資料によると、鉄道高架のスケジュールは2029年度供用開始、2031年度事業完了とあります。
ということは、下り線が単線で高架化するのが2029年度、上り線も高架化されて複線の高架線が完成するのが2031年度となりますから、まだまだ先のことになりますね。

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 篠路駅整備後の予想図
 (札幌市公共事業評価の北海道旅客鉄道株式会社札沼線(2)より引用)

篠路駅の新駅舎が完成するのも、複線の高架線が完成してからということになりそうです。

それまでは現在の木造駅舎が使用されるのか、それともプレハブの仮駅舎に引っ越すのかはわかりませんが、昔ながらの長閑な駅前風景というのも今が最後になるのでしょう。
高架橋の工事が始まれば、工事の音が響く脇を電車がすり抜けるような、せわしない駅になりそうです。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 24/07/01 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

エスタ閉店と新幹線工事が始まった札幌駅

2031年春の開業を目指して工事が進む北海道新幹線。
札幌駅でも、新幹線駅や再開発ビルの工事が目に見えるようになってきました。

通勤通学等で毎日札幌駅を利用されている方々にとっては何のことはない光景なのでしょうが、私は札幌駅へ行く機会があまりないもので、日に日に変化する札幌駅を訪れる度に驚くことばかりです。

9月9日に行われた苗穂工場一般公開をちょっと覗きに行った際に、そんな工事が進む札幌駅の様子を見てきました。
8月31日にエスタが閉店となり、エスタ1階のバスターミナルも9月30日を最後に閉鎖となります。

そんな変わりゆく札幌駅の様子をお伝えしたく、また移り変わりの記録として記事としました。
またしばらくお付き合い願います。

まずは札幌駅ホームから。

新幹線工事の第一弾として去年(2022年)10月に11番ホームを新設し、1番ホームを廃止しています。
これは札幌駅南側に建設される複線の新幹線の線路が建設するために、その用地を確保するためのもの。

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2番ホームへの入り口。
ここもエスカレーターの取り換えや階段を狭める工事が始まるところです。

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右側にあった旧1番ホームは仮設囲いで覆われています。
この向こう側では線路の撤去作業が進行中。

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2番ホームの西側ホーム端から見ると、旧1番線の線路はきれいに撤去されていました。
高架橋は左側に拡幅され、ここに2本の新幹線軌道が並んで東京まで続くことになります。

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こちら側は同ホーム東側。
右側のJRタワーの向こうに新幹線の札幌駅が建設されます。
東側はホームからは見えませんが、列車内から見ると一部高架の撤去など工事が始まっていることがわかります。

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苗穂駅方向から進入する1・2番線は配線の変更も行われていて、2番線の線路は3番線へ向かう線路から分岐するようになっていました。
この部分の線路を撤去して、新幹線駅の建設をすることになっています。

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 新幹線工事のために撤去された線路(地理院地図を加工して筆者作成)

これによって、それまで2番線に函館本線から、3番線に千歳線から同時進入できていたのが不可能になります。
特に桑園方向へ直通する列車は2・3・4番の3本しか使わないわけですから、ダイヤ作成上大変そうです。

この代替としてか苗穂側に亘り線が2箇所新設され、一番南側の函館本線上り線からでも全ホームに入ることができるようになったようですが、通常ダイヤで使用されることはなさそうです。
雪害などの輸送障害時に活用されるのでしょうか。

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各ホーム東側では早くも乗換こ線橋の工事が始まっていました。
このこ線橋は通路幅9m、各ホームへはエスカレーターとエレベーターを配して新幹線駅までは動く歩道も設置するという大掛かりな構造物となります。
そのために既存の高架橋も強化工事をしなければならないので、高架下にあったパセオ閉館も致し方ないところではあります。

ちなみに閉店したパセオは現在どうなっているのかはこちら。

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札幌駅旧パセオ東側出入口横の工事車両出入口から東コンコース方向を撮影したもの。
店舗だったものがすっかり取り払われて完全なスケルトン状態。
ここまでしなければならないので、パセオを営業しながら工事は無理でした。

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こちらは北側に新設された11番ホーム。

床や案内看板に新しさを感じますが、北側の壁は仮設パネルのまま。
北口側の壁面と合わせて、現在はこのまま工事がストップした感があります。
現在は新幹線高架増築のための耐震工事が行われており、北口側もその工程に合わせての工事再開となるのでしょう。

基本学園都市線の発着ホームですが、午前中の2本だけ函館本線下り列車が使用します。

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11番ホームの柱に取り付けられた縦型駅名標。
こちらはサッポロクラシックの広告です。

そういえば、従来の『北海道はサッポロビール』広告入りの縦型駅名標が新しいデザインのものに交換されるという話がありましたが、広告がサッポロクラシックになるのでしょうか。

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こちらは11番線の下。
仮設パネルやコンクリートむき出しで、まだ工事中のようにも見えます。

これはおそらく、既存のコンコースも新幹線工事と並行して改装工事が行われると思われるので、それに合わせて内装工事を行うと思われます。

あと気になるのが、11番ホームだけエスカレーターの方向が他のホームと逆だということ。
このエスカレーターの向きは新幹線連絡こ線橋の方を向いています。

ここだけ動線が違うのと、ちょっとした広場のようになっているので、コンコース内でも独立した格好となってしまっています。

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こちらは既存のラッチ内コンコース。
ちょこちょこと改装工事は行われていましたが、基本的には高架開業時から変わっていません。

新幹線開業に合わせて、それに相応しいデザインの内装に一新されるのではないでしょうか。

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8月31日を以て閉店したエスタの地下入口。
北5条通りに出る地上出入口くらいは通すのかと思っていましたが、旧エスタの通路はすべて閉鎖されました。
今はシャッターですが、解体工事が始まれば仮設パネルで覆われることでしょう。
しばらくは寂しい光景となりますね。

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東豊線のさっぽろ駅へ続いていた通路も閉鎖。
平日はここに警備員が立ち、テナントの商品や什器を搬出するための通路として開けていました。

では南北線さっぽろ駅やアピアから東豊線へ行くにはどうするのかというとこちら。

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JRタワーの地下通路は従来通りとなっているのでこちらを通ることになります。
紙出力した案内があるだけなので、ちょっとわかりにくいですね。
こちらはちゃんとした案内看板を設置してほしいところです。

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エスタ閉館にともなう通路案内図も各所に掲げられていますが、紙出力したものをラミネート加工しただけの簡易なもの。
バスターミナルも10月1日から閉鎖となるために、しばらくはこのままとなりそうです。

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エスタは閉店しましたが、バスターミナルは9月30日までは稼働します。
こちらは1階のバスのりばへの出入り口。

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東西の通り抜けができなくなったエスタの通路ですが、東側の南北を結ぶ通路は現在も解放されて、地下鉄東豊線改札口から各方向を結ぶ通路として利用されています。

ただこの通路も来年(2024年)1月で閉鎖され、2月からは新たに設けられた接続口から直接ステラプレイスへ出入りすることになります。
これによって旧エスタ内は完全に閉鎖され、本格的に解体工事が始まるのでしょう。

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 JR北海道『北5西1・西2地区第一種市街地再開発事業に伴うエスタの閉店について』より引用。

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南口広場から2階デッキへの階段は閉鎖されて立入りができなくなっています。
2階コンコースも閉鎖され、そこにあった定期観光バスの案内所は札幌駅西口コンコースに移転、また乗り場は一足早くバスターミナルから北口へ移転しています。

バスターミナルは9月30日までは平常通り発着します。
ですがエスタの閉店により出入口が限られてしまったので、少々不便になりました。

10月からはバスターミナルが閉鎖され、新しいバスターミナルが完成する2028(令和10)年度までは路上のバス停から発着することになり、バス利用者は不便を強いられそうです。

移転する乗り場のうち一番遠いのは北3条の赤レンガ道庁正門前まで行ってしまうので、しばらくは混乱が続きそうですね。

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こちらは主にJRバスが使用する北レーン。
南口広場から平面で接しているレーンですが、狭いですね。

以前はこのレーンを通って南口広場から西2丁目通りへ行けましたが、現在は工事のために通り抜けはできなくなっています。

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各レーンへはかつては地下やエスタ2階から階段を使うしかなかったのですが、いつの頃からか遮断機付きの横断歩道が設置されました。
屋内のバスターミナルに横断歩道というのも他では見ない気がします。
全国的にもちょっと珍しいものでしょうね。

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中レーンから横断歩道を見る。
こちらは高速バスのほか、じょうてつバス、旧市営バス路線が発着します。

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南レーンは主に中央バスの高速バスが発車。
高速あさひかわ号の乗り場は、冬にJRが運休すると長蛇の列ができて階段を登って2階コンコースまで続いたこともありました。

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南レーンの中央バスが発着する乗り場には、バスの発車に合わせて行先の掛札が下がります。
これは中央バスの案内係が発車時刻に合わせてかけ替えているというアナログなもの。

本当は電光掲示にしたかったんでしょうが、不慣れな乗客の案内も兼ねてこうした古いものを残していたのでしょうか。
苫小牧と留萌じゃ行き先がまるで反対ですからね。

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こちらも時代がかった字体の案内板。
地下に下る階段なのに『札幌駅』とあるのは、開業当時は札幌駅は地下にも改札口があったからです。
昔の地平駅時代は地下鉄と直結した地下改札が圧倒的に利用者が多かったですね。

現在バスターミナルからJR札幌駅に行くには、地下に下りずに横断歩道を渡って北レーンから南口広場かJRタワー通路に出るのが正解。

どこからか昭和時代の香りも漂ってきそうなバスターミナル。
これもまた一つ消えてゆく風情ですかね。

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こちらは中央バス案内所の上にある高速バス発車案内。
道内各地に向かう高速バスは、ほぼこのバスターミナルから発車するので30分間に7本ものバスが並ぶのは壮観です。
しかも表示されているのは中央バスとその共同運行便だけで、これ以外に道南バスと沿岸バスも発着しているわけですから、北海道内の交通の中心と言えるでしょう。

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当然ながらエスタの閉鎖された区域への階段はシャッターが閉まっていました。

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こちらはバスターミナルから一斉に出てくるバスを西2丁目通りから見てみます。
特に毎正時と30分は発車するバスが多いので壮観です。

このバスが出てくる順番は一番右のレーンが最初で、そこから左側のレーンへ向かって順番に出る習わしになっています。

昔はこの順番が逆で、一番左の北レーンが先だったのを覚えています。
毎時00分と30分は、JRバスの快速小樽行きという便があって、そのバスに乗っていると信号が青になってターミナルから出るときに、右側のレーンのバスを差し置いて1番で出ていきましたから。

札幌駅発着のバスとしては国鉄バスから引き継ぐJRバスが一番古いわけで、そのさらに一番古い札樽線のバスが1番に出る伝統かと思っていましたけれど。

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上画像は牧歌の像とエスタを一緒に撮ってみました。

牧歌の像は、製作は本郷新氏で、札幌駅開駅80年を記念して1960(昭和35)年に完成したもの。
先代駅舎時代は南口正面に設置してあり、札幌駅の顔でもありました。
先代の南口駅舎が解体されてからこの像も一旦撤去されましたが、工事終了後は南口広場の一角に復元されています。

エスタの閉店、バスターミナルの閉鎖によって、新幹線工事に係る周辺施設の閉店や閉鎖はひとまず完結します。
ここからは新幹線駅と関連施設の建設工事に突き進んでゆくことになります。

一足先に閉店したパセオは、早ければ2025年には再開、エスタの跡に建設される再開発ビルは2028年度完成予定となっています。

この再開発ビルは、資材高騰や人手不足の影響から規模縮小という報道もなされておりますが、札幌の顔であり表玄関でもある南口広場の風景が大きく変わることには変わりありません。

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上の画像は、エスタ地下からの出入口吹き抜けに飾ってあった『1935年頃の札幌駅』。
これはまだエスタ営業中に撮影しておいたもの。

3代目駅舎のモザイク絵ですが、こんな絵があったことに気づいていた人は少なかったでしょうね。
作品の右下に『′78』とあるので、1978(昭和53)年のエスタ開業当初から飾られていたものでしょう。

この明治の時代に建てられたルネサンス様式の木造2階建て駅舎は、当時としてはハイカラな建造物として話題となったほどでした。
長らく札幌の顔となっていたわけですが、長年の風雪にさらされて、また戦中戦後を経て老朽化と乗客増に耐え切れなくなり、1952(昭和27)年に4代目駅舎に建て替えられます。
ボロボロになっていた木造駅舎から4階建て(後に5階建てに増築)の近代的駅舎に生まれ変わったときは、当時の市民はどのように感じたんでしょうか。

その後も地下鉄南北線の開業、札幌駅名店街の開業、エスタの開業と札幌駅は発展します。
この絵は、その発展の中で、昔の札幌駅も忘れまいと描かれて飾られた作品なのでしょう。

エスタ解体後はこの作品の行方が気になるところですが、新しい再開発ビルが完成した暁には、どこかにまた飾って欲しいものです。
今度は4代目駅舎の絵と一緒に。

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これはそごうがあった頃の札幌駅。
撮影時期は1995年夏。まだ20代だった頃の筆者撮影。

札幌駅自体は1988(昭和63)年11月に現在の高架駅になっていますが、それからも長い間5階建ての4代目駅舎とエスタが南口の顔でした。

すでに老朽化していた駅舎はいずれ取り壊されることは確実でしたが、奥のエスタが取り壊されて建て替えられるなど当時は思いもしないことでした。
これを撮影した当時から既に30年近くの時が流れ、この建物がいよいよ無くなるのだと思うと、時の流れを感じます。

話を戻しますが、この新幹線開業の一連の再開発について否定的な意見もあります。
曰く、税金の無駄遣いだとか、少子高齢化で日本は衰退するのだから無駄な投資だなどというもの。

だけどその否定的意見の根底にあるのは、変わりたくない、新しいものについてゆけない、凝り固まった老人の発想の延長のように私は思えます。

私は、昔は良かった今は駄目だ的なことは極力考えないことにしています。
昔は良かったけど、今も良い。将来はさらに良い。
意識してそう考えないと、あっという間に心は老人になってしまいますからね。

人は歳を取ると自然と老いるのではなく、自ら望んで老いてゆく。

また余計なことを言ってしまいましたね。
私自身は、この様変わりする札幌駅が完成するのを楽しみにして待っていようと思います。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 23/09/10 | Comment(1) | 北海道の駅鉄

閉店する札幌駅のキヨスク3店

あると思っていたものがいつの間にか無くなっていたものってありますよね。
駅にあるキヨスクもその1つ。

ホームや地下鉄駅にあったキヨスクが姿を消してから久しいですが、その後も閉店やコンビニ等への業態転換などが続き、札幌市内でも現在までキヨスクという形態で残っている店舗はJR札幌駅と新札幌駅だけとなっていました。
そのキヨスクがまた閉店となります。


以下上記リンク先からの引用です。

閉店店舗ならびに閉店日時は以下の通りとなります。

◆キヨスク札幌ラッチ西店(改札内店舗)
 閉店日時  2023年3月22日(水) 18:00

◆キヨスク札幌西コンコース北店(改札外店舗)
 閉店日時  2023年3月27日(月) 18:00

◆キヨスク札幌東コンコース中央店(改札外店舗)
 閉店日時  2023年3月28日(火) 18:00

3月29日からは、札幌駅に残るキヨスクは改札内にある2店舗だけになります。

札幌駅をご利用いただくお客様へのサービス向上を目的とした業態転換を行うため、閉店することとなりました。

おそらく他の駅と同様にコンビニとしての再開となるのでしょう。
そのほうが便利といえば便利ですが、駅のキヨスクが改札内のを残してすべて消滅すると思うと少し寂しいものを感じます。

改札内の2店舗(ラッチ中店、ラッチ東店)はそのまま残るようですが、今の流れだといずれは1店舗に統合してコンビニ化となると思われます。

そんな最後の姿のキヨスクを見に札幌駅へ行ってきました。

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 キヨスク閉店のお知らせの張り紙。

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 東改札口前のキヨスク。

東改札の真ん前にあるキヨスクが東コンコース中央店。
常に人の流れが絶えない場所にあって、お客が絶えることが少ない忙しい店です。

スタンド型の店舗は、キヨスクで何か買ってから“汽車”に乗る、旅立ち前の儀式のようなものを思い出します。
隣は駅弁の弁菜亭の売店。
いいですね、駅弁とお酒を買ってどこかへ旅に出たいと思う光景です。

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 駅弁の弁菜亭と並ぶ。

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 東改札口とキヨスク。

キヨスクと言えば対面販売で、並んだ商品越しに店員とやり取りしていましたが、そのような営業形態の店舗は既になくなっています。

今は並んでいる商品を直接取ってレジで精算するコンビニやスーパーと同じ方式。
この東コンコース中央店も例外ではなく、店舗をぐるり取り囲むように並んだ商品を直接取ってレジで精算する仕組みです。

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 キヨスク東コンコース中央店。

キヨスクを見ていると、売れ筋はペットボトル飲料とお菓子それにパンやおにぎり。
缶コーヒーや栄養ドリンクなんてものが昭和〜平成時代のオヤジ御用達でしたが、今や片隅に。

キヨスクに並んだ商品を見ていると、今の時代の売れ筋商品というものがわかるところが面白いですね。

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 積み重ねられた新聞。

キヨスクと言えば新聞ですね。
とは言ってもそれはひと昔前のことで、通勤途中にキヨスクに寄って新聞を買い求めたのは昔の話。
ニュースなんてスマホで最新のものが無料で読むことができるようになった時代ですからね。

今でも新聞は一応置いていますが、たま〜にスポーツ新聞や競馬新聞を求める客がいるくらい。
10年も経てば紙の新聞というものも消滅しているのかもしれませんね。

あと、雑誌は全く置いていません。
過去には新聞とたばこに並ぶキヨスクの売れ筋商品だったのですが、雑誌が消えたあたりに時の流れを感じます。

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 東コンコースにある北海道四季彩館札幌東店。

東コンコース北側にある四季彩館は道内キヨスクの業態転換のひとつ。
土産物を主体とした店舗で、主要駅ではよく見かけます。

西改札口横にもありましたがあちらは新幹線工事に伴って閉店しましたが、こちらは営業を継続しています。
目立たない場所のためか閑散としていますが、鉄道グッズが地味に充実している店でもあります。

キヨスク東コンコース中央店閉店後は、元の場所に壁とドアで仕切った店舗を建ててコンビニとして再開するのでしょうか。
地下鉄大通駅南北線コンコースのコンビニはそのような店舗になってますね。

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 北口のわきにひっそりとある札幌西コンコース北店。

こちらは西コンコース唯一の売店ともなっています。
とは言っても場所が場所だけに閑散としているのが残念ですね。
こちらは3月27日閉店予定。

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 きっぷ売り場、ミスタードーナツと並んでいるが・・・。

こうして画像だけ見ると悪くない立地のようですが、駅利用者の動線からは少し外れた場所。
向かいの北海道どさんこプラザが再開してからはさらに影が薄くなったようです。

ここをコンビニとするにはちょっと狭いですね。
利用者が圧倒的に多い西コンコースからテナントが無くなるのも勿体ないので、場所を移してコンビニとして再開することでしょう。

ここは別カテゴリの売店となるのでしょうか。
東コンコースの同じような場所にもキヨスクがありましたが、そちらは洋菓子の売店になっています。
まさか凹んだデッドスペースと化すことは無いと思いますが。

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 5・6番線階段横の札幌ラッチ西店(別の日に撮影)。

こちらは一足先に閉店となったラッチ西店。
今はシャッターが下りたままとなっています。

画像はまだ営業中だった頃のもの。
一見すると対面販売のようにも見えますが、ここも商品を持ってレジで精算する仕組みです。

柱で分断されている場所なので使い勝手は悪そうな場所ですが、西改札口から各ホームへ向かう動線上なので悪くない場所です。ここはどのようなテナントとして再開するのでしょうか。

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 5・6番線エスカレーター下の札幌ラッチ中店(別の日に撮影)。

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 東改札精算所横にある札幌ラッチ東店(別の日に撮影)。

札幌駅でキヨスクとして存続するのがラッチ中店とラッチ東店。
今後もキヨスクとして存続するのかというと、ちょっと厳しいのではないでしょうか。
改札口側から見るとキヨスクが3店舗直線状に並んだ格好になっていて、こんなにキヨスクがいるのかと正直思ってしまいます。
これもラッチ中店に集約してコンビニ化となるのかもしれません。

札幌駅のキヨスク3店舗が閉店後は、改札内の2店舗、あとは新札幌駅1店舗と新函館北斗駅3店舗(うち1店は休業中)だけになります。
しかも改札外にあるキヨスクは新札幌駅だけに。
他の駅と同様に、新札幌駅のキヨスクも早いうちにコンビニ化されるのではないでしょうか。
駅に行けばキヨスクがあったなんてことも昔話となる日は近いようです。

  ★  ★

さて、ここからは昔を振り返り、JR札幌駅構内にあった過去のキヨスクを見てみましょう。

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 7・8番線ホームにあったキヨスク(2006年5月撮影)。

2000年代前半頃までは札幌駅の全ホームにキヨスクがあったものですが、普通列車しか発着しないホームから順次撤退し、2015年の夏ごろにはホーム上の全店舗が閉店となった模様です。

上画像は7・8番ホーム東側にあったキヨスク。
このほかにも西側のエスカレーター前、ホーム中央にはそば店と一体となった店がありました。
同じホーム上にキヨスクが3店舗もあったなんて、今じゃ考えられませんね。

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 ありとあらゆる商品を取り揃えたホームのキヨスク(2012年9月撮影)。

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 キヨスク、駅弁、そば店が一体となったホームの店舗(2007年6月撮影)。

ほぼ普通列車専用だった9・10番線のホームにもキヨスクと立食いそばがありました。
特急の発着する5・6番ホーム、7・8番ホームはこのほかにも駅弁のワゴン販売があって、この時代のホームは賑やかでしたね。
上画像はそんな時代の一コマ。

こんど新しくできる新幹線札幌駅のホームには何らかの形での売店はできるのでしょうか、気になるところ。

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 西改札口の横、東西通路の角にあったコンビニキヨスク(2006年3月撮影)。

こちらは西コンコースの改札口横にあったキヨスク。
キヨスクと言えば対面販売でしたが、客がセルフで商品取る方式の店舗をコンビニキヨスクとしていたようです。
南口から西改札口に向かう場所なので常に混雑していました。

この場所は北海道四季彩館札幌西店があったのが記憶に新しいですね。
確か2011年に改装して四季彩館となったと記憶してます。
四季彩館も新幹線工事に伴い2022年10月に閉店となりましたが、少し離れた場所で北海道四季マルシェ札幌ステラプレイス店と名を変えて営業中です。

立地としては最高の場所なので、新幹線工事がひと段落したらまたキヨスク系の営業によるテナントが再開するのではないでしょうか。

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 対面販売だった頃のラッチ中店(2004年8月撮影)。

こちらは今のセルフ形式になる前のラッチ中店。
積み上げられた新聞と雑誌がひと昔前を感じます。
おっと、2004年の画像ですから、もうふた昔近く前ということになりますね。

パソコンが家庭に普及してインターネットが身近になった時代ですが、スマホはまだなく、2つ折りのガラケーが主流だった時代ですね。
団塊の世代もバリバリ現役。
新聞や雑誌といった紙の媒体が最後の輝きを放っていた時代とも言えましょう。

2005年の画像に今の形態となった店舗が写っていたので、改装されたのはその間と言うことになります。

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 ラッチ東店(2004年8月撮影)。

こちらはラッチ東店。
新聞の高さがすごい。あと横積みになった雑誌の数も。

対面販売とは言え、この頃にはセルフで商品を取る方式になっていました。

レジ?
この頃のキヨスクはそんな無粋な機械は置いていません。

店員さんの所へ持っていくと暗算で、すこし複雑になると電卓をたたいてお客に金額を伝えるわけです。
さらにもうひと昔前はソロバンをパチパチやっていましたな。

で、千円札などを出すとお釣りを渡される。
そのお釣りの出し方がキヨスク独特で、ボタンをガチャンガチャンガチャンと叩くと叩いた回数の枚数が出てくる機械があって、そこから出していましたね。

コインカウンター釣銭機と言うらしいですが、見るたびに、きっとあれ叩きながら暗算していたんだろうなと思っていました。
駅の窓口でも同じものを使っていましたね。

キヨスクの店員というのはそんな熟練というか職人技が要求されること、狭い場所で基本立ちっぱなしというハードな仕事、早朝・深夜の営業と年中無休という不規則な勤務形態から人手不足ということになってくるわけです。

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 7・8番線エスカレーター下にあったスーベニアキヨスク(2004年8月撮影)。

スーベニアキヨスクという売店もありました。
こちらは土産専門店という形態で北海道四季彩館の全身ともいえる店舗でした。

北海道四季彩館札幌北店と名を変えて営業していましたが、この場所はいつの間にかメガネスーパーコンタクトに変わっています(現在は空き店舗)。

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 東改札前の東コンコース中央店(2005年7月撮影)。

こちらは18年前の東コンコース中央店。
上部の看板部分デザインが異なる以外は現在の店舗と同じ。
今の店舗は2台のレジ前がカウンターのようになっているが、この当時はレジがないので3方向から客とやり取りができるようになっていました。
今よりも開放的な感じがしますね。

階段の向こう側は札幌弘栄堂書店の札幌駅東店。
今は書店が急速に姿を消していますが、この時代はデパートでも大型スーパーでも必ず書店が入居していた時代でした。
新たにできる新幹線駅や商業ビルに書店が入居することはあるのでしょうか。
こんな画像1枚でも時代の流れを感じますね。

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 ステラプレイスとJRタワー、それに8月に閉店が決定している札幌エスタ。

札幌駅前も北海道新幹線の2030年度末を開業を目指して様変わりします。
長らく札幌駅南口広場の顔だったエスタは8月31日の閉店が決まっており、その後は解体工事となります。
跡地は高層ビルの建設となります。
駅正面の旧西武跡地も高層ビルの建設が決まっています。

あと数年もすると札幌駅南口の眺めも様変わりしていることでしょう。
駅前通りも札幌駅からすすきのまで多くのビルが解体や建設工事を行っています。

この通りも新幹線が開業するころには、昭和時代からのビルは総入れ替えして、今とはまるで違う通りのようになっているかもしれません。
時代の流れが早くなりすぎて、うっかりしているとついて行けなくなりそうですね。

安易に「昔は良かった」などと口から出そうですが、昔は良かったけど今もまた良いと思うようにしなければ、あっという間に年寄りになってしまいそうです。

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 東コンコース中央店のお酒コーナー。

今日は改札外にあるキヨスクの最後の姿を見てきたわけですが、写真だけ撮って何も買わないのも何なので、お酒を買ってきました。
純米酒金滴のカップ2本。
このお酒は札幌駅のキヨスクでしか見かけないのですが、札幌駅キヨスク限定のお酒なんでしょうか。はてさて。

結構おいしいお酒で、札幌駅の駅弁との相性も抜群。
駅弁のお供にどうぞ。
って宣伝みたいになってしまいましたね。
新たな店舗として再開しても、置いてくれると嬉しいのですが。

私は支払いに極力現金を使わない主義なので、この買い物の支払いも電子マネーで。
Kitacaなど交通系だけでなく、流通系の各種電子マネーも使えるので、なかなか便利です。
私はWAONで支払います。

ところでこのキヨスクがコンビニとして再開したらWAONは使える店になるのでしょうか。
もし使えなくなったら、私としては少し不便になります。

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 純米酒 金滴(280円)。

隣の駅弁屋で駅弁も買って、列車に乗り込んでどこかへ行きたくなりますが、それはまたこの次に。
2本の金滴は持って帰って一杯やることにしましょう。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。  

posted by pupupukaya at 23/03/26 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

廃止される東9丁目踏切とアリオと直結した苗穂駅

私は踏切をこよなく愛するフミキリストの1人で、車でも歩いてでも踏切を渡るとなんとなくワクワクしてしまいます。
特に踏切手前で警報機が鳴りだして先頭で停止した時など、何が来るのか、特急かな普通かな快速かなと一人心が躍って列車が来るのを待つわけです。

だけど踏切ってのは世の中からすると迷惑な存在です。
町は分断されるし事故も起こる。
渋滞も発生するし、通過待ち時間のストレスも半端ない。
できればこんなものは無い方がよろしいということになります。

特に列車本数が多く、遮断回数の多い踏切などは『開かずの踏切』などと呼ばれて問題視され、立体交差化などによって解消されてきました。
それでもまだ多くの開かずの踏切が全国に残っています。

苗穂駅の西側にある東9丁目踏切もその1つ。
列車回数が多くて遮断時間が長いことから交通渋滞が多く発生することや、年に複数回の踏切支障が起こることなどから、国土交通省から『開かずの踏切』の指定を受けている踏切です。

北海道開発局が公開している踏切道安全通行カルテから主なデータを拾うとこうなります。

 踏切長・・・27m
 線路横断本数・・・5本
 自動車交通量・・・2,518台/日
 歩行者等交通量・・・2,001人/日
 鉄道交通量・・・562本/日
 ピーク時遮断時間・・・42分
(令和4年12月)

これを平面交差でやっていたのだから、さあ大変。

通常はこのような踏切は、道路の立体交差化や鉄道の連続高架化によって解消しますが、この東9丁目踏切は前後に立体交差化できるだけのスペースも距離も不足していることから、車は新たに作られる苗穂駅連絡通を迂回することにし、歩行者は苗穂駅移転で開通した苗穂駅自由通路を利用するということで、踏切自体を廃止することになりました。

このたび廃止日が正式に決定し、令和5(2023)年3月23日15時をもって踏切は通行できなくなります。

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 東9丁目踏切廃止のお知らせ。

この3月に苗穂駅自由通路とアリオを結ぶ空中歩廊が開通し、次いでJR線の北側を並行する苗穂駅連絡通が開通したことにより、東9丁目踏切の廃止が決定しました。

不便で危険な踏切が解消されるのは、世間一般的には喜ばしいことです。
ですが、踏切好きとして札幌から魅力的な踏切がまた一つ姿を消すのは寂しいところであります。

東9丁目踏切をなくなる前にもう一度見ておきたい。
もうひとつ、アリオが空中歩廊で苗穂駅と直結したと聞いていたので、駅周辺再開発工事がひと段落した苗穂駅の様子も見に行くことにしました。

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 奥にサッポロビールの煙突が立つ。

この東9丁目踏切の通りは、JR苗穂工場の北側あたりの人が都心と行き来するのに便利な道です。
私もアリオに行くときはもちろんですが、わざわざこの踏切を経由することもしばしば。
地元の利用者からすれば、混雑を助長する迷惑な奴と思われかねませんが、まあ勘弁してください。

で、この通りに差し掛かり、踏切の奥にそびえ立つサッポロビールの煙突を見ると「ああ苗穂だなあ」なんて思ったものですが、この風景も過去のものとなるわけですね。

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 SL型の踏切標識と東9丁目踏切。

ここの菱形の踏切標識がまたいいですね。
SL型の標識がまだ残っています。
近年は非電化路線の踏切でも電車型標識が幅を利かすようになりましたが、ここのはまだまだSLが健在。

踏切の手前に差し掛かると警報機が鳴りだしました。
この踏切の警報機の音がいいですね。

カンカンカンカン・・・

私は踏切のそばに住むってのが密かに憧れていましたね。
夏の日の夜に一杯やっていると、窓の外から「カンカンカンカン・・・」なんて踏切の音が聞こえてくる。
じつに風情があると思うんですが。

え、お前だけ?

それはともかく、踏切のそばに住みたけりゃ、札幌も郊外の方まで行かなきゃならなくなってしまいましたね。

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 千歳線普通列車が通過。

ほどなく左側から733系電車が通過。
こうして待っている間に反対方向の列車を表す矢印が点灯したりするのですが、残念ながら(?)遮断機は上がってしまいました。

なんで私は踏切好きなのかというと、幼いころの鉄道の原風景が踏切だったからでしょう。
私の記憶にある最古の鉄道風景と言えば、琴似駅横の踏切。

今の琴似駅と駅前広場は昔のイトーヨーカドーこと今の5588の裏手にありますが、当時の琴似駅舎は琴似本通りに面した場所にありました。
まだ3歳くらいの幼い私は、両親のもう行こうという言葉を制止していつまでも食い入るように踏切を見ていた記憶があります。

踏切と木造駅舎、猫の額ほどの狭い駅前広場。
長い編成の列車が停車すると、踏切にはみ出して停車していました。
客車のドアは開けっ放しで走行していたし、大らかだった時代。
今では考えられない光景ですね。

その後は発寒中央駅横の踏切ですかね。
中学生にもなって、あちこち行きたいけどまだ自由に行けない頃、自転車に乗ってその踏切からよく眺めていました。
手稲の運転所からの回送列車が多いので、特急や急行列車も多く通りました。
方向幕の『釧路』『網走』『稚内』など、まだ行ったことのない見知らぬ町を思い、自由な旅路を夢見ていたのはこの頃。

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 5本の線路を跨ぐ踏切。

遮断機が上がったので踏切を渡ります。

横断する線路は函館本線と千歳線の複々線4本と苗穂工場・運転所への引き込み線が1本の計5本。
なかなか立派な踏切っぷり。

これだけの線路を跨ぐ踏切は、ここがなくなるとあとは白石駅横の川下街道踏切だけになってしまいました。
函館駅の北側にも5本跨ぐ踏切がありますけど、あっちは複線が2本で残り3本は側線ですから、格がぜんぜん違います。

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 東9丁目踏切から札幌駅方向を見る。

踏切の良いところは、線路を間近に見ることができること。
幹線の函館本線だけあって、こちらも立派な線路っぷりですな。
こんな眺めも踏切ならでは。

上には交流2万ボルトの電気が流れる架線が張られています。
この架線がプラス線で、電車はこの電気でモーターを動かし、下のレールにマイナス線として電気を流しているわけです。
だからレールは第2の架線というわけですね。

だけどレールに足を乗せても感電しないよ、何で?
なんて話もできなくなりますね。

踏切から見る線路もこれが最後ですね。
今後はJRの保線職員くらいしか見ることができなくなる風景です。

ああ、町から線路が遠くなる・・・

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 東9丁目踏切から苗穂駅方向を見る。

今度は反対側の苗穂駅方向。
あと10年もしたら、令和時代の前半までこんな場所に踏切があったなんて話をすれば、信じられないと思われそうです。

昭和〜平成の頃、札幌駅の高架化前の地平線時代にもこんな踏切がたくさんあって、西側から順番に挙げると、西9丁目、西8丁目、西7丁目、西6丁目、西2丁目、東2丁目、東3丁目、東4丁目とこれだけ並んでいたのだから、今からすると信じられませんね。

遮断機が上がっても、またすぐに次の列車が来るので踏切内でのんびり撮影している時間はありません。
さっさと渡り切ってしまいます。

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 先詰まり注意の看板。

今度は踏切の北側から。
長い踏切なので色々な注意を即す看板が設置されています。
先詰まり注意とは、踏切の向こう側で渋滞となっているときに進入してしまうと、踏切内で立ち往生してしまうことがあるため。

実際立往生もよく発生するようで、事故にまで至らないものの踏切支障となることも多いようです。

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 東9丁目踏切の表示。

これは線路側に表示してある『東9丁目踏切』の標識。
下の288K543Mは函館本線の函館起点からのキロ数を表したもので、踏切だけでなく鉄道施設のありとあらゆるものに付与されている、いわば鉄道施設の住所といったものです。

あと、意外と知られていませんが、このキロ数は函館駅からではなく旧函館桟橋起点のものなんですね。
青函連絡船廃止後は旧函館桟橋というものは概念上の存在になりましたが、こうして今でも使われているわけです。
一方で営業キロは函館駅起点のものを使用しており、このキロ数とは別建てになっています。

このあたりの話はこちらでどうぞ。


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 踏切北側に残る踏切小屋。

北側にある小さな小屋は踏切小屋だった建物です。
もうだいぶ前から内側からカーテンが引かれていて使われていないようです。

昔は駅の前後にある踏切はこのような踏切小屋があって職員が詰めていて、踏切の動作を手動で行っていました。
列車が近づくと、警報機を鳴らしてハンドルを回し、滑車で吊り下げられたワイヤー製の遮断機がスルスルと下りてくる仕組みになっていました。
車の切れ目を見て遮断機を下ろすあたりは職人技があったのかも知れませんね。
道路を遮断したら、駅員と同じ制服制帽姿で白い旗を振って列車の運転士に安全を伝えていました。

駅間の踏切は自動化されていましたが、駅の前後は手動式の踏切が残されていたのは、昔は貨物列車の入れ替えなどがありどうしても手動で操作しなければならなかったこと。
貨物が無くなってからも、道路の遮断時間を短くするために、列車の停車中は踏切を開けるなどする必要があるからでしょう。

この職員の正式名は踏切警手と呼び、駅構内の踏切は駅の職員、駅間のものは保線区が担当していたようです。
国鉄からJRとなってもしばらくは残っていました。

踏切小屋と白い旗は、踏切の一種の風物詩でもあった光景ですが、札幌市内の高架化が完成してからはそんな光景もなくなりました。
この踏切小屋は高架化後もしばらくは職員が詰めていたような気がします。
おそらく、苗穂運転所へ出入りする列車があるから手動式が残されていたのかも知れませんね。
とは言っても少なくとも30年以上は昔の話。とっくに無人化されて今は遠隔操作となっていることでしょう。

小屋が残されているのは、臨時に手動で踏切を操作することがあるのかも知れません。

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 線路南側に残る地平線時代の線路跡。

今は5本の線路を跨いでいますが、昔は南側にもう1本線路があって、北ガス専用線としてタンク車が出入りしていました。
いつごろまであったのか調べてみたら2001年の3月までは使用していたようです。
今の北ガスアリーナがあるあたりが北ガスの工場となっていて、昼間タンク車が数両停まっているのをよく見かけたものです。
あの当時は専用線側にも遮断機がもう1本あったような気がしますが、うろ覚えです。

その後は駐車場や空き地となっていましたが、ここに北海道新幹線の車両基地ができることが決定しています。
こんな眺めも最後になりますね。

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 東9丁目踏切とサッポロビールの煙突(2004年6月撮影)。

これは19年前の2004年6月に撮影した画像。
まだアリオの建設が始まる前。
マンションもこの頃は少なく、遮るものが少ない風景でした。

正面に見える煙突はサッポロビール札幌工場のもの。
この工場は2003年に閉鎖して恵庭にある北海道工場に集約することになり、跡地に大型商業施設を建設することが決定していました。

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 東9丁目踏切の北側(2004年6月撮影)

こちらは踏切を渡った北側からサッポロビール方向を撮影したもの。
レンガ造りの煙突とポプラ並木が印象的です。
アリオはまだ姿かたちもなく、古い家屋や畑が残るのんびりとした光景でした。
サッポロビールの工場と線路に挟まれた、発展から取り残されたような一角でしたね。

この翌年にはアリオ札幌が開業、それども長らくは交通の便が良くない所でしたが、2018年に苗穂駅が移転してきて北口ができると利便性が急上昇しました。

この辺も桑園のようにマンションだらけになる日も近いのでしょうか。
駅近でアリオも目の前とあっては、きっとそうなるでしょう。

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 苗穂駅南口駅前広場。

さて今度は発展の中心となる苗穂駅。
2018年に移転新築と新しくなった苗穂駅ですが、駅前の再開発工事はその後も行われていました。
その工事もほぼ完了し、計画図通りの苗穂駅が姿を現しました。

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 線路南側には新幹線車両基地が建設される。

南口の3階窓から札幌駅方向を見ます。
線路の南側に空き地が続いていますが、これは高架化される以前の地平線時代の線路跡。
桑園側は緑地や遊歩道として整備されましたが、苗穂側は長らく空き地や駐車場として放置状態でした。

桑園側は整備されたことが仇となって、こんど建設中の新幹線は地下区間となることを余儀なくされたわけですが、特に使用されなかった苗穂側の遊休地は新幹線用地として遺憾なく活用されることになりました。

創成川を跨ぐ新幹線札幌駅から先も高架橋が建設され、ここ苗穂駅の手前までは新幹線の車両基地が建設されます。
あと2〜3年もすれば姿を現すでしょうか。

そういえばここを札幌市電の延伸用地とすべしと書いていた、怪しげなブロガーがおりましたな (^^;

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 150mもある長い苗穂駅自由通路。

南口から入ってエスカレーターで登ると自由通路に出ます。
南北を結ぶ自由通路は長さ150m。
これは2面4線の苗穂駅と折り返し線、それに苗穂工場への引き込み線と数々の線路を跨ぐため。

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 自由通路から札幌駅方向を見る。正面は手稲山。

自由通路の窓からは行き交う列車が見えますが、架線のトラストビームが邪魔をしているのが少々残念ですね。
正面奥の白い山は手稲山。
札幌市民ならば見れば誰でもわかる山の一つです。

ちなみに、私は家を出るときに、手稲山が雲に隠れていれば雨か雪が降ってくる可能性が高く、綺麗に見えていれば降らないと判断しています。
統計を取っているわけではありませんが、おおむね当たっていると思います。

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 自由通路から苗穂工場を見る。

こちらは苗穂工場側。
車両のオーバーホールをしたり、改造したり、また廃車となった車両を解体する場所でもあります。
今日は珍しい車両はいないようで。
右側に木の陰になっていますが、新幹線用のトレインオントレインもまだあります。

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 苗穂駅入口。

自由通路中央にある苗穂駅入り口は、レンガや縦書きの駅名看板などレトロ調になっています。
旧サッポロビール工場の赤レンガをモチーフとしたものなのでしょう。

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 広い苗穂駅コンコース。

こうして改めて苗穂駅に来てみると、意外と広いコンコースですね。
明るく天井も高くて広々と気持ちよい。
一角にセブンイレブンができたのが良かったです。これがないと広々とした空間を持て余す殺風景なコンコースとなっていたことでしょうね。
21世紀からの駅はこうした将来を想定した思い切った建築が多くなったのは良いことです。

反対に80年代に新築された駅は狭い駅が多いですね。
1988(昭和63)年11月に高架化された桑園駅と琴似駅は、国鉄時代の乗降者数を想定した設計なのか、初めて見たときにホームもコンコースも随分狭いと感じたものでした。
その後の利用客の増加に対応するために、桑園駅は新たな改札口を設け、琴似駅はコンコース部分を増築することで対応しています。

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 券売機コーナー上にある『旅』看板のレプリカ。

『ふらんすへ行きたしと思えども』で始まる額入りの詩は、萩原朔太郎の『旅上』の一節。
元は移転前の木造駅舎のホーム側に掲げられていた看板で、これはその縮小版。

2004年当時、旧駅に設置の画像はこちら

設置当時の画像がよほど貴重なのか、リンク先にある画像は某テレビ局で放映の番組で使用されたようです。
(このブログで使用の画像は出典明記による使用ならばご自由にどうぞ)

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 苗穂跨線橋から現在の南口広場方向を見る(2013年10月撮影)。

これは10年前、まだ新・苗穂駅の建設が始まる前の苗穂跨線橋から見た風景。
だだっ広い駐車場となっているのが今の南口広場ですね。
この頃の苗穂といえば交通の便が良くない古びた町という印象でした。

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 中央区と東区を結んでいた苗穂跨線橋(2013年10月撮影)。

吹きさらしの長い通路の跨線橋が南北を結んでいました。
現在ほどではないにせよ、苗穂駅から東区方面を結ぶ数少ない連絡路でしたので歩行者はそれなりにいました。
だけど、ラッカースプレーの落書きがあったり、飲み干しの空き缶が放置してあったり、夜に通ると怖いところだったでしょうね。

古くはレールを組んだトラス橋でした。
いつ頃開通した橋なんでしょうかね。
地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を見ると、1948(昭和23)年撮影のものには存在せず、1961(昭和36)年のものには存在しているので、この間に建設されたことは間違いないようです。

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 苗穂駅北口広場とアリオへ続く空中歩廊。

北口も駅前広場が整備され、再開発の建物も一通り完成したようです。
南口は中央区ですが、北口は東区になります。

中央区側は線路と豊平川に挟まれた古い住宅地で商業施設もちょっと遠い。
それに比べてこちら側はアリオが空中歩廊で直結し、少し離れれば東豊線の環状通東駅や東区役所もあるといった立地。
苗穂駅の利用客も圧倒的に北口の方が多い感じで、苗穂駅の住所は中央区ですが、ほぼ東区の駅と言っても過言ではないですね。
この苗穂駅北口も、東区の新たな玄関口とも言えそうです。

しかしそれにしては駅前広場が寂しい。
タクシー乗り場はあるものの、タクシーは1台もなく。人影もほとんど見かけません。
東豊線の駅へ連絡するバス路線があれば便利でしょうが、一昔前ならばともかく、運転手の確保も難しくなってきた今ではあまり期待できそうにありませんね。

人が少ないのは空中歩廊を使うからということもあるでしょう。
東区側の玄関口として、これからまだ発展株ということなのでしょうか。

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 空中歩廊の終点はアリオ札幌店内入口。

苗穂駅からアリオまで繋がったと聞いてやってきました。
空中歩廊の終点は風船で飾り付けがされ、『祝 空中歩廊開通』の文字も見えます。

苗穂駅直結はアリオ札幌2005年の開業以来の悲願だったとも言えましょう。
それにしては小さい出入口。
そこからアリオに入ると、すぐにどこかの売り場のようでした。
裏口感が半端ないんですけど。

祝日とあってか子供連れの家族客が多い売り場の中。
いくつか折れ曲がって進むと広い場所に出ました。

振り返ると、どうやらトイザらスの店内に空中歩廊の出入り口ができたようです。
通路が分かりにくいので迷ってしまいそう。

テナントの権利関係があるのかわかりませんが、何とも中途半端な感じのするアリオの苗穂駅連絡口でした。
このあたりも改善されてゆくことでしょう。

南口と北口の再開発工事がひと段落した苗穂駅。
これからは民間業者による周辺の発展ということになります。
少々延期が危ぶまれていますが、2030年度を予定している北海道新幹線札幌開業。
その頃には苗穂駅周辺もさらに大きく変わっていることでしょう。

あと20年もすれば今の人たちは、

「今の若い奴は知らないだろうけど、ここに踏切があってな」
「苗穂駅は今の駅よりも東側にあって木造駅舎で」

なんて話をしているんでしょうねえ。

いつまでも変わらない街というのも魅力的ですが、20年経っても30年経っても変わらないまま、道行く人々だけが年老いてゆく街なんてつまらないよ。
年月とともに風景も変わって、道行く人も代替わりして若い人がやってくる。
その方がやはり街としては魅力的だなあ。

そんなことを苗穂駅とその周辺を見ていて思いました。

〜最後までお読みいただきありがとうございました。   

posted by pupupukaya at 23/03/21 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

気づけば切符が結構たまってしまった件

別に集めているわけではないんだけど、気が付いたら結構たまってしまったなんて物がありますよね。
私の場合は切符。

中学生時代に硬券の切符を集めだしたのが最初で、高校生頃までは集めてたかなあ。
それ以降は成り行き任せ。

駅で乗り降りしたり通りかかったタイミングに買っていたら、気づけば結構な数になっていました。
国鉄〜JRだけでなく、私鉄や公営、三セクの切符も数多くあります。

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 スタンプアルバムやカードホルダーに保存した切符類。

窓口で買った入場券や乗車券のほか、乗車した列車の指定券など。
乗車に使用した切符は、通常は改札口で渡してしまうので、使用後に手元に残ることはほとんどありません。
改札口で無効印を押してもらえば持ち帰ることができたのですが、そこまでして手元に残す気もしなかったので、今思うと惜しいことをしたと思う切符もあります。

それでも結構たまってくると、過去に実際に窓口で買ったり、乗車した列車のものだったりなので、切符1枚で当時の思い出がよみがえってくるものです。

中には古切符として購入したものや、人から譲り受けたものもありますが、ほとんどは自分の足を運んで手に入れたものです。
特に廃止となった線区や駅、改名した駅、無人駅となった駅などの切符は、貴重なものになりますね。

硬券の収集から始まったコレクションですが、その後は硬券だけでなく常備軟券からマルス券まで様々。
JR北海道の駅では比較的遅くまで硬券の入場券が置いてありましたが、通常で購入した入場券の中では平成28(2016)年4月22日に購入したニセコ駅入場券が最後となっています。

一部の簡易委託駅では軟券と呼ばれる常備券や出札補充券を出している駅もありますが、今ではすっかりマルス券ばかりになってしまいました。
硬券収集から始まった私からすれば味気ないものです。

そんな嫌われ者のマルス券ですが、それなりの年月が流れると思い出がよみがえる1枚の切符となるものです。
今日はそんな過去のマルス券に、過去の思い出を振り返ってみることにしましょうか。

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 北海道新幹線開業前の入場券と乗車券。

北海道新幹線が新函館北斗駅まで開業したのが2016(平成28)年3月のこと。
同時に並行在来線となる江差線、木古内〜五稜郭駅は三セクの道南いさりび鉄道となり、五稜郭駅以外はすべて無人駅となりました。
またそれまで渡島大野だった駅は、新たに新函館北斗と改められました。

上の切符は北海道新幹線開業の前年、平成27(2015)年に、無人駅になったり駅名が変わったりすることを見越して集めたもの。
当時は硬券入場券が道内の駅から急速に姿を消していた頃。
「マルス券じゃつまらんなあ・・」なんて思って買っていましたけど、こうして7年も経って見ると、ああやっぱり買っておいて良かったなと思います。

・・偉いぞオレ。

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 無人駅となった駅の入場券。

これらも平成27(2015)年に買った入場券。
上幌向駅は買った年の秋から、芦別駅と奈井江駅は翌2016年春に無人駅となっています。
うち芦別駅は簡易委託駅になっていて、今でも常備券による切符販売が続けられている模様です。

右下の大沼駅は、今年3月18日ダイヤ改正から無人駅となることが決定しているために、このあいだ近くを通った時に買ったもの。
隣の大沼公園駅が特急停車駅で大沼観光の玄関口となっていますが、こちら大沼駅は普通列車しか停まらず地元客の利用しかない駅。
今まで駅員がいて、みどりの窓口まで営業していたのが不思議な気もします。

過去には砂原経由となる上り優等列車がこちら大沼駅に停車しており、定期列車では上り急行『ニセコ』が1986年に廃止されるまで停車していました。
その後も砂原経由となる臨時上り『北斗』が停車していましたが、90年代前半を最後に普通列車だけの駅となった模様です。

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 2023年3月18日から無人駅となる大沼駅。

大沼駅の駅舎は昭和9年建築の木造駅舎。
JR北海道の有人駅としては珍しく国鉄時代からの原型を留めている駅舎です。
なんだか今から思い出話のようになってきましたけど、3月17日まではみどりの窓口として営業中です。

函館本線と砂原支線、それに藤城線が交差する8の字の真ん中に位置する運転上は重要な駅ですが、ポイントや信号はCTCによる遠隔操作でしょうから、運転扱いの駅員だけ駐在ということもなさそうです。
簡易委託化も、隣の大沼公園駅ならばともかく、こちらは地元客の利用が細々という駅なので無いでしょう。
このままどこにでもある木造駅舎の無人駅となるのでしょうか。

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 留萌駅入場券各種。

これもまだ一応現役の留萌駅入場券。
4枚出てきたので並べてみました。

左上から昭和62(1987)年、平成19(2007)年、平成28(2016)年に買ったもの。ここまでが硬券。
右のは令和4(2022)年に買ったマルス券。
料金は140円→160円→170円→200円と、国鉄末期からJRとなって現在までの入場料金の変遷となっています。

一番上のは茶色く変色してしまっていますが、これは保存状態が悪かったため。
昭和62年は廃止直前の羽幌線に乗りに行ったときに買ったものだから、36年前かあ。この頃はまだ萌の字が草冠に朋(萠ではない)となっていました。

2番目のは、青春18きっぷの余りで留萌線に乗りに行ったときのもの。
3番目のは、留萌駅で買った『留萌本線留萌駅−増毛駅硬券入場券セット』の中の1枚。
右のマルス券は去年暮に乗りに行ったときに買ったもの。

この入場券4枚だけでなく、それ以外にも4〜5回は留萌線に乗ったことがあります。
ずいぶんと留萌線に乗ったことがあるものだなあと思いました。

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 マルス券と総販券、江差駅入場券2種類。

こんどは今はなき江差線江差駅の入場券。
上が平成26(2014)年に最後の江差線、木古内〜江差間に乗りに行ったときのもの。
同区間はこの年の5月12日廃止となっています。
で下はその前年の平成25(2013)年に、やはり廃止が決定していた同区間に乗りに行ったときのもの。

9年前と10年前。ああ、齢をとるはずだなあ・・・
つい最近のような気がするんだけど、江差駅は既になく、記念碑と短い線路だけ残して町営団地へと変貌しています。

それはともかく、同じ駅の入場券ですが、よく見るとデザインが異なっています。
これは入場券のデザインが変更になったのではなく、マルスシステムによる発券と総販システムによる発券との違い。
総販てのはJR北海道独自のシステムで、指定券発行を伴わない自社完結の商品の場合にのみ使用されることがあります。
システムの違いは私ではようわからんので、詳しく知りたい方はググるなどしてください。

で、上はマルス券なので全国共通の印字です。
下の総販券は『総販』の印字が入るほか、デザインや印字の場所、文言までが別になっているところが面白いですね。
窓口でマルス券にするか総販券にするか注文すれば、希望の券を発券することもできたようです。

ただこの総販システムは2019年の運賃改定時に廃止され、今はマルス券1本だけの発券となりました。
そういう意味ではこの江差駅の総販入場券は、二重に今はなき入場券ということになりますね。

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 札幌市営地下鉄の乗継券。

これも今年の3月末をもって無くなる切符。
今までは地下鉄とバスを乗り継ぐ場合、乗継券という割引された1枚の乗車券が発行されていました。
これがICカード乗車券の普及により紙の乗継券は廃止となります。
IC乗車券と定期券の場合は今まで通り乗継料金適用となりますが、4月から現金払いの場合は地下鉄とバスそれぞれの料金が適用となります。

左側はジェイ・アール北海道バスから発券の乗継券。
昔は料金箱の横に乗継券発行機というのが据え付けてあって、料金箱に乗継料金を投入して発行機から受け取っていたものですが、いつの頃からか運転手の手渡しとなりました。
プリペイドカードの『ウィズユーカード』が普及してからは、紙の乗継券発行は激減していたのでしょう。

右は大通駅の券売機で買った地下鉄→バスの乗継券。
着駅の改札口に投入すると回収されずに出てきて、切符はバスの下車時に料金箱に入れる仕組み。

バス発券の乗継券の磁気記録には、入場駅から1区間有効の情報しか入っておらず、日付も乗継指定駅の情報もないため、ほぼフリーで入場できる切符ということになります。
今回廃止となるのは、不正乗車に使われかねないといった事情もあるのかも知れませんね。

ところで紙の乗継券はあと中央バスとじょうてつバスがあるので、それらのも欲しいぞ。
だけど私は普段バスに乗ることがないために、わざわざ乗りに行かなければ手に入らない。

一方で夕鉄バスとばんけいバスはICカード非対応なので、従来通り紙の乗継券による運用継続となります。
ですが、地下鉄→バスの乗継は乗継駅で駅員に申し出て差額を支払うという大変面倒なことになるようです。

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 札幌駅で買った廃止予定駅の乗車券。

上は3月18日に廃止になる日高本線浜田浦からの乗車券。
下は4月1日に廃止となる留萌本線恵比島からの乗車券。

あれっ?
浜田浦駅も恵比島駅も無人駅だけど切符なんて売っていたっけ?

と、お思いでしょうが、これ実は札幌駅の指定席券売機で買ったもの。
この指定席券売機というのが優秀でして、全国のJR線区間の乗車券を買うことができます。
それで買ってみたもの。

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 札幌駅の指定席券売機。

乗り降りしたり現地に赴いた記念として買い求める趣旨からは外れるような気もしますが、どちらも実際に行ったことも乗ったこともある区間だし、たまにはこんなのもいいんじゃないでしょうか。

それに乗車券販売実績として乗車人員にカウントされるでしょうから。
もっとも、今更1人分増えたって何か変わるわけではありませんが。

こうして過去に買った紙の切符を眺めていると、よもやま話が次々と出てきますね。

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 平成10年発行の『ミッドナイト』と『北斗星4号』の切符。

今のデザインのマルス券で一番古いものはと探したら、出てきたのは平成10(1998)年1月4日発行のもの。
札幌駅に自動改札機が導入されたのは、この年の秋ごろと記憶しています。
自動改札機より一足先に新しいデザインのマルス券が登場したことになりますね。

上は快速『ミッドナイト』号の指定券。
当時走っていた札幌〜函館間の夜行快速で、指定席はグリーン車流用の座席車と横になれるカーペットカーの2種類ありました。
青春18きっぷ族御用達の列車でしたね。

席番の指定が無いのは、カーペットカーの指定券だったから。
この列車のカーペットカーは号車だけ指定の定員分だけ発売するもので、車内では実質自由席でした。
貧乏旅行では、300円で横になって移動できるのは有難い列車でしたね。

当時はこの『ミッドナイト』に乗って朝函館に着き、快速『海峡』で青森へ。
そこから奥羽線と羽越線のロングシート普通電車をひたすら乗り継いで行くと村上で夜行快速『ムーンライトえちご』に接続して翌早朝に新宿に着くというもの。

そこから東海道線の普通電車を乗り継げば午後には大阪着。
さらにそこから『ムーンライト九州』に乗り継げば、0泊4日で北海道から九州の地へ到着という壮大な貧乏旅行も可能でした。
こんなのも、すでに昔話ですね。

下は同じ年の暮に買った、北斗星4号の特急券・B寝台券です。
懐かしいですね。
札幌発18:14の列車が4号とある通り、北斗星が1〜6号まであった3往復時代のもの。
翌年夏に『カシオペア』が運行を始めて、北斗星は2往復となります。

この切符は年末年始休みに、北斗星のソロに乗って東京旅行したときのもの。
食堂車のパブタイムに行ってクリームパスタを食べたっけ。
行列するほどではなかったけど混んでいて、無口なオッサンと相席になって、間が悪い時間を過ごしたのも今となっては思い出話。

切符の話に戻しますと、これ以前のマルス券は緑色の地紋の磁気券や、両側に紙送り用の穴が開いたロール紙にドット印字のものが主流でしたが、この頃から青地に帯のある今のデザインのものに統一されたようです。

あれから25年。
列車や旅行の形態は変われども、今のデザインのマルス券はしぶとく生き残っていたことになりますね。
裏の磁気データに各種情報を記録して、自動改札機に通すというシステム。
上画像の横長券は自動改札機非対応ですが、払い戻し等で座席予約を取り消す際は窓口の端末で磁気情報を読み取っていたようです。

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 えきねっとで購入し、指定席券売機で発券した『トクだ値55』。

時代は変わり2020年代。
JR各社は窓口での販売よりも、えきねっと等のインターネットでの予約・決済に移行したがっているようですが、せっかくインターネットで購入しても乗車前に駅で紙の磁気券を発行しなければならないのでは、便利さも半減です。

それにこのシステムは無人駅から乗車する人は利用することができません。
自宅で簡単に予約から決済までできるにもかかわらずです。

特に北海道など、特急停車駅でも無人駅が多いし、有人駅でも営業時間の短縮や定休日を設ける駅も増えました。
インターネットによる切符の販売方法は、早急に改善してもらいたいことの1つです。

JR四国ではスマホアプリによるチケットレス乗車券となる『しこくスマートえきちゃん』の運用が始まっています。
まだ自由席だけの発売で、上記の理由から指定席までは利用できないようですが、こうしたチケットレスへの動きは今後加速してゆくのではないでしょうか。

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 Webアプリ『DohNa!!』で購入したチケットレス乗車券。

えっ?
チケットレスになったら切符が集まらなくなるから悲しいだろうって?

いえ、私のは別に集めているわけではなく、自然と溜まっただけですから。
紙の切符など廃止して、こんなものさっさとチケットレスになった方が便利に決まってます。
これは当ブログで、ことあるごとに主張していること。

よく鉄道の輸送改善と言えば、車両とかダイヤのことばかりが議論となりますが、こうしたソフト面にもう少し目を向けてもいいのではないでしょうか。

こんなところで筆者の主張を始めたらキリがなくなるので、今日はこれで終わります。

〜最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。  

posted by pupupukaya at 23/03/12 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

2023年3月の廃止を待つ浜田浦駅

ここ数年来、毎年ダイヤ改正の度にどこかしらの駅が廃止となっていますが、道内では今回対象になるのは日高本線の浜田浦駅。
去年(2022年)に住民側から廃止の合意が得られ、今回の廃止が決定しました。

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ファンからは秘境駅とされているようですが、近くにまったく人家がないわけではなく、駅前に集落こそありませんが、駅周辺は農家が点在する場所です。

駅廃止となっても国道235号線沿いにあって路線バスも運行していますから、浜田浦駅廃止後の住民の足はバスということになります。

JR北海道が公表しているデータでは、直近5年間平均の浜田浦駅1日当たり乗車人員は2.4人。
うち1か月当たり定期券発売枚数は、令和3年度で通学定期が1枚。
利用者がゼロに近い道東や道北の駅と違い、こちらは毎日の利用客が僅かながらもあったようです。

しかし、並行する国道に路線バスがあり、駅近くのバス停にも土休日運休含めて浜田浦駅の停車本数と同じ6往復の本数が運行されていることとあっては、JRとしては今後はバスを利用してほしいことでしょう。
1日僅か2〜3人の利用客のために駅を維持するとなると、毎年多額の経費が掛かるわけですから。

今後も乗車人員が僅かの駅で、かつ他の交通機関が存在する駅に関しては、JR北海道は地元に廃止か地元負担による存続かの交渉が続くことと思われます。

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 地味に利用客が多い浜厚真駅(2022年6月撮影)。

一方で隣駅の浜厚真駅は浜田浦駅と大差ない場所にある駅ですが、令和3年度の1か月当たり定期券発売枚数は17.2枚。
JR北海道のデータでは苫小牧方面へのまとまった通学利用が見られます。
実際に浜厚真駅で学生が乗り降りしていますし、朝や夕方は保護者が車で学生を送り迎えする光景も見られます。

バスと鉄道では、通学定期券の値段や、苫小牧までの所要時間の大差ということで、鉄道が選択されているのでしょう。
浜厚真駅は安泰とまではいえませんが、廃止の話があるとしてもまだ先の話でしょう。

それぞれ事情が異なるものの、廃止まで1か月を切った浜田浦駅。
この駅にちょっと訪問する機会がありましたので、廃止前の浜田浦駅を見てきました。

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まずは浜田浦駅の入口です。
雪に残るタイヤの跡と足跡は、廃止を聞きつけて車で訪問した人たちのものでしょう。
かく言う私もその1人ですが。
国道を走る車から見ると、駅というより停留所のような佇まいです。

この浜田浦駅の開業は1959(昭和34)年12月18日。
昭和30年代前半に、日高本線における旅客列車のディーゼル化が完了したことにより一斉に設けられた駅のひとつ。

浜田浦の駅名の由来は、国鉄北海道総局発行の『北海道駅名の起源』によると、田浦の海岸寄りに駅があるからとあります。
本来は田浦駅としたかったのでしょうが、先に神奈川県の横須賀線に田浦駅があったので『浜』を冠したのだと思われます。
こうした場合、通常は国名を冠するのが習わしで、それでいけば『胆振田浦』となったのでしょう。

そうしなかったのは、胆振を冠した駅名が他にないこと、当時あった胆振線の駅と混同するからという理由でしょうか。
隣駅の浜厚真も、厚真から浜厚真に改称した経緯があるので、それに倣って浜田浦としたのかも知れません。

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こちらはホームから。
石を敷き詰めたホームに小さな待合小屋だけの無人駅。
奥に伸びる線路の先が終点の鵡川駅です。

日高本線も鵡川から先が廃止になり、日高に行かない日高本線になってしまいました。
現在の日高本線の営業キロは30.5km。これは『本線』としては日本一短い路線となっています。

ですがこの日本一も3月いっぱいまでで、4月からは留萌本線の石狩沼田〜留萌間が廃止となるために、日本一短い本線の座は留萌本線に移ることになります。

こちらと同じように留萌へ行かない留萌本線の残区間は、深川〜石狩沼田間の14.4km。
ただ留萌本線は、残区間も2026年3月末での廃止が決定事項となっており、その後は日本一短い本線の座は再び戻ってくることになります。

名誉なことなのか不名誉なのかまでは分かりませんが。

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駅名標と待合小屋を一緒に入れてみたのがこちら。
列車の車窓から見る浜田浦駅はこんな感じでしょうか。
車窓から見る限りは秘境駅っぽい感じがし、いかにも北海道らしい雄大な原野の中の駅という感じです。

ですが実際ホームに立ってみると、国道が前を通っており大型トラックの通行が多く、雄大というよりも殺風景な場所という感じは否めません。
秘境というよりは臨海工業地帯の外れにある駅といったところでしょうか。

駅向かいは土砂置き場となっていて、それが一層殺風景に見えるのかも知れません。

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苫小牧側を見ると、遠くには送電線の鉄塔や工場の煙突が見えます。
それが一層寂しさを漂わせている理由でしょうか。
『秘境』とは相対的なものなのだ、と言われればこの駅は秘境駅でしょうけど。

ホームの反対側に立つ『27』と書かれたキロポストがあります。
ここは苫小牧起点27km000地点で、浜田浦駅の営業キロも苫小牧起点27.0kmとなっています。

時刻表の路線図だけで見ると、浜田浦駅は苫小牧近郊の駅のように感じますが、この距離は首都圏で言うと上野〜大宮間や新橋〜横浜間の距離とほぼ同じ。

やっぱり北海道は広いですな。

DSCN6215.JPG

しかしこのコンクリートブロック造りの小屋がまたいい味を醸し出しています。
壁はブロックを組んでトタンの波板を屋根とした簡単なもの。
周りの殺風景と妙にマッチする風景となります。

DSCN6216.JPG

待合小屋の中を覗いてみると、外見とは反対に小ぎれいになっています。
きっと誰かがきちんと管理しているんでしょう。

ベンチの上には駅ノート。
壁の掲示板には千羽鶴が飾られていました。

DSCN6220.JPG

どこの画伯の作品でしょうか。
縦縞はノートの罫線。駅ノートに描かれていたものを額に入れて飾ったものと思えます。
なかなか粋なことをなさる。これには感心しました。

DSCN6224.JPG

駅の待合所なので、一応時刻表と運賃表が掲げられています。
窓は明り取りと列車の到着を確認するために設けられたのでしょうか。

出入口は戸が無いので雪が容赦なく吹き込んでいます。
南国ならばこんな家もありそうですが、北海道では雨や雪を凌げるだけの小屋でしかありませんね。

そんな殺風景な建物ですが、日高本線はこうしたコンクリートブロック造の駅が目立ちます。
逆に言うと、なぜか日高本線の駅はブロック造の駅舎が似合う。

ついでなので、浜田浦以外にもある(あった)日高本線のブロック造の駅舎をご紹介しましょう。
過去に撮影したものなので、撮影年月も記します。

まずは2つ隣の勇払駅の駅舎。

DSCN0094.JPG
 2013年6月撮影、勇払駅。

このコンクリートブロック造の駅舎は、1962(昭和37)年建築。
この年に苫小牧港建設のために、日高本線は線路を山側に大きく迂回する現在の路線に付け替えられ、勇払駅も現在の場所に移転しました。
2階建てなのは、苫小牧工業港の発展により貨物取扱量が増大することを見込んでということでしょうか。

昔は列車の行き違いもできて、急行『えりも』も晩年は停車するようになったほどの駅ですが、今は無人駅。
駅前は寂しい場所ですが、ここは日本製紙の城下町。
それなりの市街地があって、少し離れた道道沿いには商店街もあります。

IMG_0722.JPG
 2018年1月撮影、汐見駅。

こちらは汐見駅
鵡川の1つ先の駅にあった駅で、浜田浦駅と同じ日の開業。
2015年1月に起こった災害以来列車は運休し、2021年4月に正式に営業廃止となっています。
この頃は列車の来ない駅になっていましたが、待合室の中は代行バスの待合所として手入れがなされていました。

コンクリートブロック造の駅ですが、こちらは出入口に引き戸がある立派なもの。
仕切りが無く吹きさらしの浜田浦駅と違うのは、利用者数の違いからでしょうか。
奥に家々が見えている通り、少し離れて鵡川漁港の町がありました。

IMG_0675.JPG
 2018年1月撮影、大狩部駅。

大狩部駅もブロック小屋が似合う駅でしたね。
ホームの先に建つ待合小屋と広がる草むら、反対側は太平洋の浪しぶきが護岸を洗うという、絶壁にあるような駅でした。
“おおかりべ”という駅名も、どこか最果てのような響きでした。

周辺の風景や駅名の響きとは反対に、まるっきり秘境というわけではありませんでした。
土手の上を国道が通り、駅と町とは国道下のトンネルで結ばれていて、その先には人里あふれる大狩部の集落がありました。

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 2018年10月撮影、絵笛駅。

こんどは絵笛駅
先の海岸沿いの駅とは違い、こちらは内陸の駅。
“えふえ”の響きが、どことなくメルヘンチックな駅を連想させます。

同じブロック造でもこちらは化粧ブロックという新し目な建物。
周りは牧場地帯で、馬が放牧されているいかにも日高らしい場所。

この駅は牧場の中にあるような駅でしたね。
場所も町道から牧場の家へ入るような道を入った奥にありました。

代行バスは駅の方へは入らず、国道に代行バス絵笛駅と書いたポールが立っていました。
国道の代行バス絵笛駅とは2km以上も離れており、当然ながらこの頃は待合所としての利用はありませんでした。
しかし中に入ると綺麗にしてあって、駅ノートも置いていたのには驚いたものです。

DSCN6210.JPG

話が絵笛駅まで行ってしまいましたが、再び浜田浦駅に戻ります。

今度は駅名標の画像です。
長い間風雪や潮風、それに列車からの鉄粉にさらされて焦げ茶色のまだら模様となっています。
これはこれで味わいがある気がします。
それと、待合小屋を含めてほかに駅名を記したものがないので、この駅名標が浜田浦の駅名を知ることができる唯一のものです。

ところで、この駅をウロウロしていたら、この駅にはある物が無いことに気づきました。
ある物とは、縦長のホーロー製の駅名標。
道内の駅でよく見かける紺地に白抜き文字で、黄色の縁で囲ったやつ。

下の方に赤い文字で『サッポロビール』と書かれていたものですが、この広告部分が白く塗りつぶされるようになってからは、見かけるたびに撮影するようにしています。

JR化後の新しい駅とか、仮乗降場上がりの駅などは最初から無い駅もあるが、浜田浦駅はたしか設置してあったはず。

過去にあった証拠をと思って、手持ちの画像を探したがなかなか見つからない。
そうして見つけたのが下の1枚。
こんなのしか見つからなかった・・・。

DSC03766.JPG
 2006年5月『優駿浪漫』号車内から撮影。

ホームの苫小牧側に立つ電柱に『はまたうら』の駅名標が確かに見える。
上のは相当前の画像ですが、いろいろ画像検索して確認したら、とある時期からこの縦長駅名標は消滅していたようです。

DSCN6213.JPG

上画像の右側に写っている電柱にあったはずなんですがねえ。
どこに消えた縦長の駅名標。

考えられるのは、JR関係者が何らかの事情で撤去したか、どこかの人間がこっそり外して持ち去ったかの2通り。

ま、疑うわけではありませんが、昔からこの手の駅名標の盗難はよく聞きますし、ググれば他駅でも盗難のニュースがこれでもかと出てきます。
この駅名標自体、ドライバー1本で簡単に外せるものでしょうからね。

浜田浦駅の縦長駅名標がどういう経緯で無くなったのか、いろいろググってみましたが結局わかりませんでした。
かわりに見つけたのがこちら。

135723.jpg
 ネット上で見かけた通販サイトのスクショ。

浜田浦の縦長駅名標は、今頃どこかの部屋の飾り物にでもなっているんでしょうか。
それとも、当事者が犯罪ということに気づいてこっそり処分しちゃったのでしょうか。

誰かが失敬した可能性があるというだけで、あくまで筆者の邪推ですので念のため。

真相はわかりませんね。
浜田浦駅の廃止とともに迷宮入りになりそうです。

わたし個人としては、撮影したかったのにとても残念。

  〜最後までお読みいただき、ありがとうございました。  

posted by pupupukaya at 23/02/23 | Comment(0) | 北海道の駅鉄
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