閉店する札幌駅のキヨスク3店

あると思っていたものがいつの間にか無くなっていたものってありますよね。
駅にあるキヨスクもその1つ。

ホームや地下鉄駅にあったキヨスクが姿を消してから久しいですが、その後も閉店やコンビニ等への業態転換などが続き、札幌市内でも現在までキヨスクという形態で残っている店舗はJR札幌駅と新札幌駅だけとなっていました。
そのキヨスクがまた閉店となります。


以下上記リンク先からの引用です。

閉店店舗ならびに閉店日時は以下の通りとなります。

◆キヨスク札幌ラッチ西店(改札内店舗)
 閉店日時  2023年3月22日(水) 18:00

◆キヨスク札幌西コンコース北店(改札外店舗)
 閉店日時  2023年3月27日(月) 18:00

◆キヨスク札幌東コンコース中央店(改札外店舗)
 閉店日時  2023年3月28日(火) 18:00

3月29日からは、札幌駅に残るキヨスクは改札内にある2店舗だけになります。

札幌駅をご利用いただくお客様へのサービス向上を目的とした業態転換を行うため、閉店することとなりました。

おそらく他の駅と同様にコンビニとしての再開となるのでしょう。
そのほうが便利といえば便利ですが、駅のキヨスクが改札内のを残してすべて消滅すると思うと少し寂しいものを感じます。

改札内の2店舗(ラッチ中店、ラッチ東店)はそのまま残るようですが、今の流れだといずれは1店舗に統合してコンビニ化となると思われます。

そんな最後の姿のキヨスクを見に札幌駅へ行ってきました。

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 キヨスク閉店のお知らせの張り紙。

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 東改札口前のキヨスク。

東改札の真ん前にあるキヨスクが東コンコース中央店。
常に人の流れが絶えない場所にあって、お客が絶えることが少ない忙しい店です。

スタンド型の店舗は、キヨスクで何か買ってから“汽車”に乗る、旅立ち前の儀式のようなものを思い出します。
隣は駅弁の弁菜亭の売店。
いいですね、駅弁とお酒を買ってどこかへ旅に出たいと思う光景です。

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 駅弁の弁菜亭と並ぶ。

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 東改札口とキヨスク。

キヨスクと言えば対面販売で、並んだ商品越しに店員とやり取りしていましたが、そのような営業形態の店舗は既になくなっています。

今は並んでいる商品を直接取ってレジで精算するコンビニやスーパーと同じ方式。
この東コンコース中央店も例外ではなく、店舗をぐるり取り囲むように並んだ商品を直接取ってレジで精算する仕組みです。

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 キヨスク東コンコース中央店。

キヨスクを見ていると、売れ筋はペットボトル飲料とお菓子それにパンやおにぎり。
缶コーヒーや栄養ドリンクなんてものが昭和〜平成時代のオヤジ御用達でしたが、今や片隅に。

キヨスクに並んだ商品を見ていると、今の時代の売れ筋商品というものがわかるところが面白いですね。

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 積み重ねられた新聞。

キヨスクと言えば新聞ですね。
とは言ってもそれはひと昔前のことで、通勤途中にキヨスクに寄って新聞を買い求めたのは昔の話。
ニュースなんてスマホで最新のものが無料で読むことができるようになった時代ですからね。

今でも新聞は一応置いていますが、たま〜にスポーツ新聞や競馬新聞を求める客がいるくらい。
10年も経てば紙の新聞というものも消滅しているのかもしれませんね。

あと、雑誌は全く置いていません。
過去には新聞とたばこに並ぶキヨスクの売れ筋商品だったのですが、雑誌が消えたあたりに時の流れを感じます。

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 東コンコースにある北海道四季彩館札幌東店。

東コンコース北側にある四季彩館は道内キヨスクの業態転換のひとつ。
土産物を主体とした店舗で、主要駅ではよく見かけます。

西改札口横にもありましたがあちらは新幹線工事に伴って閉店しましたが、こちらは営業を継続しています。
目立たない場所のためか閑散としていますが、鉄道グッズが地味に充実している店でもあります。

キヨスク東コンコース中央店閉店後は、元の場所に壁とドアで仕切った店舗を建ててコンビニとして再開するのでしょうか。
地下鉄大通駅南北線コンコースのコンビニはそのような店舗になってますね。

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 北口のわきにひっそりとある札幌西コンコース北店。

こちらは西コンコース唯一の売店ともなっています。
とは言っても場所が場所だけに閑散としているのが残念ですね。
こちらは3月27日閉店予定。

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 きっぷ売り場、ミスタードーナツと並んでいるが・・・。

こうして画像だけ見ると悪くない立地のようですが、駅利用者の動線からは少し外れた場所。
向かいの北海道どさんこプラザが再開してからはさらに影が薄くなったようです。

ここをコンビニとするにはちょっと狭いですね。
利用者が圧倒的に多い西コンコースからテナントが無くなるのも勿体ないので、場所を移してコンビニとして再開することでしょう。

ここは別カテゴリの売店となるのでしょうか。
東コンコースの同じような場所にもキヨスクがありましたが、そちらは洋菓子の売店になっています。
まさか凹んだデッドスペースと化すことは無いと思いますが。

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 5・6番線階段横の札幌ラッチ西店(別の日に撮影)。

こちらは一足先に閉店となったラッチ西店。
今はシャッターが下りたままとなっています。

画像はまだ営業中だった頃のもの。
一見すると対面販売のようにも見えますが、ここも商品を持ってレジで精算する仕組みです。

柱で分断されている場所なので使い勝手は悪そうな場所ですが、西改札口から各ホームへ向かう動線上なので悪くない場所です。ここはどのようなテナントとして再開するのでしょうか。

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 5・6番線エスカレーター下の札幌ラッチ中店(別の日に撮影)。

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 東改札精算所横にある札幌ラッチ東店(別の日に撮影)。

札幌駅でキヨスクとして存続するのがラッチ中店とラッチ東店。
今後もキヨスクとして存続するのかというと、ちょっと厳しいのではないでしょうか。
改札口側から見るとキヨスクが3店舗直線状に並んだ格好になっていて、こんなにキヨスクがいるのかと正直思ってしまいます。
これもラッチ中店に集約してコンビニ化となるのかもしれません。

札幌駅のキヨスク3店舗が閉店後は、改札内の2店舗、あとは新札幌駅1店舗と新函館北斗駅3店舗(うち1店は休業中)だけになります。
しかも改札外にあるキヨスクは新札幌駅だけに。
他の駅と同様に、新札幌駅のキヨスクも早いうちにコンビニ化されるのではないでしょうか。
駅に行けばキヨスクがあったなんてことも昔話となる日は近いようです。

  ★  ★

さて、ここからは昔を振り返り、JR札幌駅構内にあった過去のキヨスクを見てみましょう。

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 7・8番線ホームにあったキヨスク(2006年5月撮影)。

2000年代前半頃までは札幌駅の全ホームにキヨスクがあったものですが、普通列車しか発着しないホームから順次撤退し、2015年の夏ごろにはホーム上の全店舗が閉店となった模様です。

上画像は7・8番ホーム東側にあったキヨスク。
このほかにも西側のエスカレーター前、ホーム中央にはそば店と一体となった店がありました。
同じホーム上にキヨスクが3店舗もあったなんて、今じゃ考えられませんね。

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 ありとあらゆる商品を取り揃えたホームのキヨスク(2012年9月撮影)。

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 キヨスク、駅弁、そば店が一体となったホームの店舗(2007年6月撮影)。

ほぼ普通列車専用だった9・10番線のホームにもキヨスクと立食いそばがありました。
特急の発着する5・6番ホーム、7・8番ホームはこのほかにも駅弁のワゴン販売があって、この時代のホームは賑やかでしたね。
上画像はそんな時代の一コマ。

こんど新しくできる新幹線札幌駅のホームには何らかの形での売店はできるのでしょうか、気になるところ。

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 西改札口の横、東西通路の角にあったコンビニキヨスク(2006年3月撮影)。

こちらは西コンコースの改札口横にあったキヨスク。
キヨスクと言えば対面販売でしたが、客がセルフで商品取る方式の店舗をコンビニキヨスクとしていたようです。
南口から西改札口に向かう場所なので常に混雑していました。

この場所は北海道四季彩館札幌西店があったのが記憶に新しいですね。
確か2011年に改装して四季彩館となったと記憶してます。
四季彩館も新幹線工事に伴い2022年10月に閉店となりましたが、少し離れた場所で北海道四季マルシェ札幌ステラプレイス店と名を変えて営業中です。

立地としては最高の場所なので、新幹線工事がひと段落したらまたキヨスク系の営業によるテナントが再開するのではないでしょうか。

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 対面販売だった頃のラッチ中店(2004年8月撮影)。

こちらは今のセルフ形式になる前のラッチ中店。
積み上げられた新聞と雑誌がひと昔前を感じます。
おっと、2004年の画像ですから、もうふた昔近く前ということになりますね。

パソコンが家庭に普及してインターネットが身近になった時代ですが、スマホはまだなく、2つ折りのガラケーが主流だった時代ですね。
団塊の世代もバリバリ現役。
新聞や雑誌といった紙の媒体が最後の輝きを放っていた時代とも言えましょう。

2005年の画像に今の形態となった店舗が写っていたので、改装されたのはその間と言うことになります。

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 ラッチ東店(2004年8月撮影)。

こちらはラッチ東店。
新聞の高さがすごい。あと横積みになった雑誌の数も。

対面販売とは言え、この頃にはセルフで商品を取る方式になっていました。

レジ?
この頃のキヨスクはそんな無粋な機械は置いていません。

店員さんの所へ持っていくと暗算で、すこし複雑になると電卓をたたいてお客に金額を伝えるわけです。
さらにもうひと昔前はソロバンをパチパチやっていましたな。

で、千円札などを出すとお釣りを渡される。
そのお釣りの出し方がキヨスク独特で、ボタンをガチャンガチャンガチャンと叩くと叩いた回数の枚数が出てくる機械があって、そこから出していましたね。

コインカウンター釣銭機と言うらしいですが、見るたびに、きっとあれ叩きながら暗算していたんだろうなと思っていました。
駅の窓口でも同じものを使っていましたね。

キヨスクの店員というのはそんな熟練というか職人技が要求されること、狭い場所で基本立ちっぱなしというハードな仕事、早朝・深夜の営業と年中無休という不規則な勤務形態から人手不足ということになってくるわけです。

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 7・8番線エスカレーター下にあったスーベニアキヨスク(2004年8月撮影)。

スーベニアキヨスクという売店もありました。
こちらは土産専門店という形態で北海道四季彩館の全身ともいえる店舗でした。

北海道四季彩館札幌北店と名を変えて営業していましたが、この場所はいつの間にかメガネスーパーコンタクトに変わっています(現在は空き店舗)。

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 東改札前の東コンコース中央店(2005年7月撮影)。

こちらは18年前の東コンコース中央店。
上部の看板部分デザインが異なる以外は現在の店舗と同じ。
今の店舗は2台のレジ前がカウンターのようになっているが、この当時はレジがないので3方向から客とやり取りができるようになっていました。
今よりも開放的な感じがしますね。

階段の向こう側は札幌弘栄堂書店の札幌駅東店。
今は書店が急速に姿を消していますが、この時代はデパートでも大型スーパーでも必ず書店が入居していた時代でした。
新たにできる新幹線駅や商業ビルに書店が入居することはあるのでしょうか。
こんな画像1枚でも時代の流れを感じますね。

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 ステラプレイスとJRタワー、それに8月に閉店が決定している札幌エスタ。

札幌駅前も北海道新幹線の2030年度末を開業を目指して様変わりします。
長らく札幌駅南口広場の顔だったエスタは8月31日の閉店が決まっており、その後は解体工事となります。
跡地は高層ビルの建設となります。
駅正面の旧西武跡地も高層ビルの建設が決まっています。

あと数年もすると札幌駅南口の眺めも様変わりしていることでしょう。
駅前通りも札幌駅からすすきのまで多くのビルが解体や建設工事を行っています。

この通りも新幹線が開業するころには、昭和時代からのビルは総入れ替えして、今とはまるで違う通りのようになっているかもしれません。
時代の流れが早くなりすぎて、うっかりしているとついて行けなくなりそうですね。

安易に「昔は良かった」などと口から出そうですが、昔は良かったけど今もまた良いと思うようにしなければ、あっという間に年寄りになってしまいそうです。

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 東コンコース中央店のお酒コーナー。

今日は改札外にあるキヨスクの最後の姿を見てきたわけですが、写真だけ撮って何も買わないのも何なので、お酒を買ってきました。
純米酒金滴のカップ2本。
このお酒は札幌駅のキヨスクでしか見かけないのですが、札幌駅キヨスク限定のお酒なんでしょうか。はてさて。

結構おいしいお酒で、札幌駅の駅弁との相性も抜群。
駅弁のお供にどうぞ。
って宣伝みたいになってしまいましたね。
新たな店舗として再開しても、置いてくれると嬉しいのですが。

私は支払いに極力現金を使わない主義なので、この買い物の支払いも電子マネーで。
Kitacaなど交通系だけでなく、流通系の各種電子マネーも使えるので、なかなか便利です。
私はWAONで支払います。

ところでこのキヨスクがコンビニとして再開したらWAONは使える店になるのでしょうか。
もし使えなくなったら、私としては少し不便になります。

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 純米酒 金滴(280円)。

隣の駅弁屋で駅弁も買って、列車に乗り込んでどこかへ行きたくなりますが、それはまたこの次に。
2本の金滴は持って帰って一杯やることにしましょう。

〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。  

posted by pupupukaya at 23/03/26 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

廃止される東9丁目踏切とアリオと直結した苗穂駅

私は踏切をこよなく愛するフミキリストの1人で、車でも歩いてでも踏切を渡るとなんとなくワクワクしてしまいます。
特に踏切手前で警報機が鳴りだして先頭で停止した時など、何が来るのか、特急かな普通かな快速かなと一人心が躍って列車が来るのを待つわけです。

だけど踏切ってのは世の中からすると迷惑な存在です。
町は分断されるし事故も起こる。
渋滞も発生するし、通過待ち時間のストレスも半端ない。
できればこんなものは無い方がよろしいということになります。

特に列車本数が多く、遮断回数の多い踏切などは『開かずの踏切』などと呼ばれて問題視され、立体交差化などによって解消されてきました。
それでもまだ多くの開かずの踏切が全国に残っています。

苗穂駅の西側にある東9丁目踏切もその1つ。
列車回数が多くて遮断時間が長いことから交通渋滞が多く発生することや、年に複数回の踏切支障が起こることなどから、国土交通省から『開かずの踏切』の指定を受けている踏切です。

北海道開発局が公開している踏切道安全通行カルテから主なデータを拾うとこうなります。

 踏切長・・・27m
 線路横断本数・・・5本
 自動車交通量・・・2,518台/日
 歩行者等交通量・・・2,001人/日
 鉄道交通量・・・562本/日
 ピーク時遮断時間・・・42分
(令和4年12月)

これを平面交差でやっていたのだから、さあ大変。

通常はこのような踏切は、道路の立体交差化や鉄道の連続高架化によって解消しますが、この東9丁目踏切は前後に立体交差化できるだけのスペースも距離も不足していることから、車は新たに作られる苗穂駅連絡通を迂回することにし、歩行者は苗穂駅移転で開通した苗穂駅自由通路を利用するということで、踏切自体を廃止することになりました。

このたび廃止日が正式に決定し、令和5(2023)年3月23日15時をもって踏切は通行できなくなります。

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 東9丁目踏切廃止のお知らせ。

この3月に苗穂駅自由通路とアリオを結ぶ空中歩廊が開通し、次いでJR線の北側を並行する苗穂駅連絡通が開通したことにより、東9丁目踏切の廃止が決定しました。

不便で危険な踏切が解消されるのは、世間一般的には喜ばしいことです。
ですが、踏切好きとして札幌から魅力的な踏切がまた一つ姿を消すのは寂しいところであります。

東9丁目踏切をなくなる前にもう一度見ておきたい。
もうひとつ、アリオが空中歩廊で苗穂駅と直結したと聞いていたので、駅周辺再開発工事がひと段落した苗穂駅の様子も見に行くことにしました。

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 奥にサッポロビールの煙突が立つ。

この東9丁目踏切の通りは、JR苗穂工場の北側あたりの人が都心と行き来するのに便利な道です。
私もアリオに行くときはもちろんですが、わざわざこの踏切を経由することもしばしば。
地元の利用者からすれば、混雑を助長する迷惑な奴と思われかねませんが、まあ勘弁してください。

で、この通りに差し掛かり、踏切の奥にそびえ立つサッポロビールの煙突を見ると「ああ苗穂だなあ」なんて思ったものですが、この風景も過去のものとなるわけですね。

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 SL型の踏切標識と東9丁目踏切。

ここの菱形の踏切標識がまたいいですね。
SL型の標識がまだ残っています。
近年は非電化路線の踏切でも電車型標識が幅を利かすようになりましたが、ここのはまだまだSLが健在。

踏切の手前に差し掛かると警報機が鳴りだしました。
この踏切の警報機の音がいいですね。

カンカンカンカン・・・

私は踏切のそばに住むってのが密かに憧れていましたね。
夏の日の夜に一杯やっていると、窓の外から「カンカンカンカン・・・」なんて踏切の音が聞こえてくる。
じつに風情があると思うんですが。

え、お前だけ?

それはともかく、踏切のそばに住みたけりゃ、札幌も郊外の方まで行かなきゃならなくなってしまいましたね。

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 千歳線普通列車が通過。

ほどなく左側から733系電車が通過。
こうして待っている間に反対方向の列車を表す矢印が点灯したりするのですが、残念ながら(?)遮断機は上がってしまいました。

なんで私は踏切好きなのかというと、幼いころの鉄道の原風景が踏切だったからでしょう。
私の記憶にある最古の鉄道風景と言えば、琴似駅横の踏切。

今の琴似駅と駅前広場は昔のイトーヨーカドーこと今の5588の裏手にありますが、当時の琴似駅舎は琴似本通りに面した場所にありました。
まだ3歳くらいの幼い私は、両親のもう行こうという言葉を制止していつまでも食い入るように踏切を見ていた記憶があります。

踏切と木造駅舎、猫の額ほどの狭い駅前広場。
長い編成の列車が停車すると、踏切にはみ出して停車していました。
客車のドアは開けっ放しで走行していたし、大らかだった時代。
今では考えられない光景ですね。

その後は発寒中央駅横の踏切ですかね。
中学生にもなって、あちこち行きたいけどまだ自由に行けない頃、自転車に乗ってその踏切からよく眺めていました。
手稲の運転所からの回送列車が多いので、特急や急行列車も多く通りました。
方向幕の『釧路』『網走』『稚内』など、まだ行ったことのない見知らぬ町を思い、自由な旅路を夢見ていたのはこの頃。

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 5本の線路を跨ぐ踏切。

遮断機が上がったので踏切を渡ります。

横断する線路は函館本線と千歳線の複々線4本と苗穂工場・運転所への引き込み線が1本の計5本。
なかなか立派な踏切っぷり。

これだけの線路を跨ぐ踏切は、ここがなくなるとあとは白石駅横の川下街道踏切だけになってしまいました。
函館駅の北側にも5本跨ぐ踏切がありますけど、あっちは複線が2本で残り3本は側線ですから、格がぜんぜん違います。

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 東9丁目踏切から札幌駅方向を見る。

踏切の良いところは、線路を間近に見ることができること。
幹線の函館本線だけあって、こちらも立派な線路っぷりですな。
こんな眺めも踏切ならでは。

上には交流2万ボルトの電気が流れる架線が張られています。
この架線がプラス線で、電車はこの電気でモーターを動かし、下のレールにマイナス線として電気を流しているわけです。
だからレールは第2の架線というわけですね。

だけどレールに足を乗せても感電しないよ、何で?
なんて話もできなくなりますね。

踏切から見る線路もこれが最後ですね。
今後はJRの保線職員くらいしか見ることができなくなる風景です。

ああ、町から線路が遠くなる・・・

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 東9丁目踏切から苗穂駅方向を見る。

今度は反対側の苗穂駅方向。
あと10年もしたら、令和時代の前半までこんな場所に踏切があったなんて話をすれば、信じられないと思われそうです。

昭和〜平成の頃、札幌駅の高架化前の地平線時代にもこんな踏切がたくさんあって、西側から順番に挙げると、西9丁目、西8丁目、西7丁目、西6丁目、西2丁目、東2丁目、東3丁目、東4丁目とこれだけ並んでいたのだから、今からすると信じられませんね。

遮断機が上がっても、またすぐに次の列車が来るので踏切内でのんびり撮影している時間はありません。
さっさと渡り切ってしまいます。

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 先詰まり注意の看板。

今度は踏切の北側から。
長い踏切なので色々な注意を即す看板が設置されています。
先詰まり注意とは、踏切の向こう側で渋滞となっているときに進入してしまうと、踏切内で立ち往生してしまうことがあるため。

実際立往生もよく発生するようで、事故にまで至らないものの踏切支障となることも多いようです。

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 東9丁目踏切の表示。

これは線路側に表示してある『東9丁目踏切』の標識。
下の288K543Mは函館本線の函館起点からのキロ数を表したもので、踏切だけでなく鉄道施設のありとあらゆるものに付与されている、いわば鉄道施設の住所といったものです。

あと、意外と知られていませんが、このキロ数は函館駅からではなく旧函館桟橋起点のものなんですね。
青函連絡船廃止後は旧函館桟橋というものは概念上の存在になりましたが、こうして今でも使われているわけです。
一方で営業キロは函館駅起点のものを使用しており、このキロ数とは別建てになっています。

このあたりの話はこちらでどうぞ。


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 踏切北側に残る踏切小屋。

北側にある小さな小屋は踏切小屋だった建物です。
もうだいぶ前から内側からカーテンが引かれていて使われていないようです。

昔は駅の前後にある踏切はこのような踏切小屋があって職員が詰めていて、踏切の動作を手動で行っていました。
列車が近づくと、警報機を鳴らしてハンドルを回し、滑車で吊り下げられたワイヤー製の遮断機がスルスルと下りてくる仕組みになっていました。
車の切れ目を見て遮断機を下ろすあたりは職人技があったのかも知れませんね。
道路を遮断したら、駅員と同じ制服制帽姿で白い旗を振って列車の運転士に安全を伝えていました。

駅間の踏切は自動化されていましたが、駅の前後は手動式の踏切が残されていたのは、昔は貨物列車の入れ替えなどがありどうしても手動で操作しなければならなかったこと。
貨物が無くなってからも、道路の遮断時間を短くするために、列車の停車中は踏切を開けるなどする必要があるからでしょう。

この職員の正式名は踏切警手と呼び、駅構内の踏切は駅の職員、駅間のものは保線区が担当していたようです。
国鉄からJRとなってもしばらくは残っていました。

踏切小屋と白い旗は、踏切の一種の風物詩でもあった光景ですが、札幌市内の高架化が完成してからはそんな光景もなくなりました。
この踏切小屋は高架化後もしばらくは職員が詰めていたような気がします。
おそらく、苗穂運転所へ出入りする列車があるから手動式が残されていたのかも知れませんね。
とは言っても少なくとも30年以上は昔の話。とっくに無人化されて今は遠隔操作となっていることでしょう。

小屋が残されているのは、臨時に手動で踏切を操作することがあるのかも知れません。

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 線路南側に残る地平線時代の線路跡。

今は5本の線路を跨いでいますが、昔は南側にもう1本線路があって、北ガス専用線としてタンク車が出入りしていました。
いつごろまであったのか調べてみたら2001年の3月までは使用していたようです。
今の北ガスアリーナがあるあたりが北ガスの工場となっていて、昼間タンク車が数両停まっているのをよく見かけたものです。
あの当時は専用線側にも遮断機がもう1本あったような気がしますが、うろ覚えです。

その後は駐車場や空き地となっていましたが、ここに北海道新幹線の車両基地ができることが決定しています。
こんな眺めも最後になりますね。

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 東9丁目踏切とサッポロビールの煙突(2004年6月撮影)。

これは19年前の2004年6月に撮影した画像。
まだアリオの建設が始まる前。
マンションもこの頃は少なく、遮るものが少ない風景でした。

正面に見える煙突はサッポロビール札幌工場のもの。
この工場は2003年に閉鎖して恵庭にある北海道工場に集約することになり、跡地に大型商業施設を建設することが決定していました。

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 東9丁目踏切の北側(2004年6月撮影)

こちらは踏切を渡った北側からサッポロビール方向を撮影したもの。
レンガ造りの煙突とポプラ並木が印象的です。
アリオはまだ姿かたちもなく、古い家屋や畑が残るのんびりとした光景でした。
サッポロビールの工場と線路に挟まれた、発展から取り残されたような一角でしたね。

この翌年にはアリオ札幌が開業、それども長らくは交通の便が良くない所でしたが、2018年に苗穂駅が移転してきて北口ができると利便性が急上昇しました。

この辺も桑園のようにマンションだらけになる日も近いのでしょうか。
駅近でアリオも目の前とあっては、きっとそうなるでしょう。

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 苗穂駅南口駅前広場。

さて今度は発展の中心となる苗穂駅。
2018年に移転新築と新しくなった苗穂駅ですが、駅前の再開発工事はその後も行われていました。
その工事もほぼ完了し、計画図通りの苗穂駅が姿を現しました。

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 線路南側には新幹線車両基地が建設される。

南口の3階窓から札幌駅方向を見ます。
線路の南側に空き地が続いていますが、これは高架化される以前の地平線時代の線路跡。
桑園側は緑地や遊歩道として整備されましたが、苗穂側は長らく空き地や駐車場として放置状態でした。

桑園側は整備されたことが仇となって、こんど建設中の新幹線は地下区間となることを余儀なくされたわけですが、特に使用されなかった苗穂側の遊休地は新幹線用地として遺憾なく活用されることになりました。

創成川を跨ぐ新幹線札幌駅から先も高架橋が建設され、ここ苗穂駅の手前までは新幹線の車両基地が建設されます。
あと2〜3年もすれば姿を現すでしょうか。

そういえばここを札幌市電の延伸用地とすべしと書いていた、怪しげなブロガーがおりましたな (^^;

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 150mもある長い苗穂駅自由通路。

南口から入ってエスカレーターで登ると自由通路に出ます。
南北を結ぶ自由通路は長さ150m。
これは2面4線の苗穂駅と折り返し線、それに苗穂工場への引き込み線と数々の線路を跨ぐため。

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 自由通路から札幌駅方向を見る。正面は手稲山。

自由通路の窓からは行き交う列車が見えますが、架線のトラストビームが邪魔をしているのが少々残念ですね。
正面奥の白い山は手稲山。
札幌市民ならば見れば誰でもわかる山の一つです。

ちなみに、私は家を出るときに、手稲山が雲に隠れていれば雨か雪が降ってくる可能性が高く、綺麗に見えていれば降らないと判断しています。
統計を取っているわけではありませんが、おおむね当たっていると思います。

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 自由通路から苗穂工場を見る。

こちらは苗穂工場側。
車両のオーバーホールをしたり、改造したり、また廃車となった車両を解体する場所でもあります。
今日は珍しい車両はいないようで。
右側に木の陰になっていますが、新幹線用のトレインオントレインもまだあります。

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 苗穂駅入口。

自由通路中央にある苗穂駅入り口は、レンガや縦書きの駅名看板などレトロ調になっています。
旧サッポロビール工場の赤レンガをモチーフとしたものなのでしょう。

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 広い苗穂駅コンコース。

こうして改めて苗穂駅に来てみると、意外と広いコンコースですね。
明るく天井も高くて広々と気持ちよい。
一角にセブンイレブンができたのが良かったです。これがないと広々とした空間を持て余す殺風景なコンコースとなっていたことでしょうね。
21世紀からの駅はこうした将来を想定した思い切った建築が多くなったのは良いことです。

反対に80年代に新築された駅は狭い駅が多いですね。
1988(昭和63)年11月に高架化された桑園駅と琴似駅は、国鉄時代の乗降者数を想定した設計なのか、初めて見たときにホームもコンコースも随分狭いと感じたものでした。
その後の利用客の増加に対応するために、桑園駅は新たな改札口を設け、琴似駅はコンコース部分を増築することで対応しています。

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 券売機コーナー上にある『旅』看板のレプリカ。

『ふらんすへ行きたしと思えども』で始まる額入りの詩は、萩原朔太郎の『旅上』の一節。
元は移転前の木造駅舎のホーム側に掲げられていた看板で、これはその縮小版。

2004年当時、旧駅に設置の画像はこちら

設置当時の画像がよほど貴重なのか、リンク先にある画像は某テレビ局で放映の番組で使用されたようです。
(このブログで使用の画像は出典明記による使用ならばご自由にどうぞ)

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 苗穂跨線橋から現在の南口広場方向を見る(2013年10月撮影)。

これは10年前、まだ新・苗穂駅の建設が始まる前の苗穂跨線橋から見た風景。
だだっ広い駐車場となっているのが今の南口広場ですね。
この頃の苗穂といえば交通の便が良くない古びた町という印象でした。

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 中央区と東区を結んでいた苗穂跨線橋(2013年10月撮影)。

吹きさらしの長い通路の跨線橋が南北を結んでいました。
現在ほどではないにせよ、苗穂駅から東区方面を結ぶ数少ない連絡路でしたので歩行者はそれなりにいました。
だけど、ラッカースプレーの落書きがあったり、飲み干しの空き缶が放置してあったり、夜に通ると怖いところだったでしょうね。

古くはレールを組んだトラス橋でした。
いつ頃開通した橋なんでしょうかね。
地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を見ると、1948(昭和23)年撮影のものには存在せず、1961(昭和36)年のものには存在しているので、この間に建設されたことは間違いないようです。

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 苗穂駅北口広場とアリオへ続く空中歩廊。

北口も駅前広場が整備され、再開発の建物も一通り完成したようです。
南口は中央区ですが、北口は東区になります。

中央区側は線路と豊平川に挟まれた古い住宅地で商業施設もちょっと遠い。
それに比べてこちら側はアリオが空中歩廊で直結し、少し離れれば東豊線の環状通東駅や東区役所もあるといった立地。
苗穂駅の利用客も圧倒的に北口の方が多い感じで、苗穂駅の住所は中央区ですが、ほぼ東区の駅と言っても過言ではないですね。
この苗穂駅北口も、東区の新たな玄関口とも言えそうです。

しかしそれにしては駅前広場が寂しい。
タクシー乗り場はあるものの、タクシーは1台もなく。人影もほとんど見かけません。
東豊線の駅へ連絡するバス路線があれば便利でしょうが、一昔前ならばともかく、運転手の確保も難しくなってきた今ではあまり期待できそうにありませんね。

人が少ないのは空中歩廊を使うからということもあるでしょう。
東区側の玄関口として、これからまだ発展株ということなのでしょうか。

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 空中歩廊の終点はアリオ札幌店内入口。

苗穂駅からアリオまで繋がったと聞いてやってきました。
空中歩廊の終点は風船で飾り付けがされ、『祝 空中歩廊開通』の文字も見えます。

苗穂駅直結はアリオ札幌2005年の開業以来の悲願だったとも言えましょう。
それにしては小さい出入口。
そこからアリオに入ると、すぐにどこかの売り場のようでした。
裏口感が半端ないんですけど。

祝日とあってか子供連れの家族客が多い売り場の中。
いくつか折れ曲がって進むと広い場所に出ました。

振り返ると、どうやらトイザらスの店内に空中歩廊の出入り口ができたようです。
通路が分かりにくいので迷ってしまいそう。

テナントの権利関係があるのかわかりませんが、何とも中途半端な感じのするアリオの苗穂駅連絡口でした。
このあたりも改善されてゆくことでしょう。

南口と北口の再開発工事がひと段落した苗穂駅。
これからは民間業者による周辺の発展ということになります。
少々延期が危ぶまれていますが、2030年度を予定している北海道新幹線札幌開業。
その頃には苗穂駅周辺もさらに大きく変わっていることでしょう。

あと20年もすれば今の人たちは、

「今の若い奴は知らないだろうけど、ここに踏切があってな」
「苗穂駅は今の駅よりも東側にあって木造駅舎で」

なんて話をしているんでしょうねえ。

いつまでも変わらない街というのも魅力的ですが、20年経っても30年経っても変わらないまま、道行く人々だけが年老いてゆく街なんてつまらないよ。
年月とともに風景も変わって、道行く人も代替わりして若い人がやってくる。
その方がやはり街としては魅力的だなあ。

そんなことを苗穂駅とその周辺を見ていて思いました。

〜最後までお読みいただきありがとうございました。   

posted by pupupukaya at 23/03/21 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

気づけば切符が結構たまってしまった件

別に集めているわけではないんだけど、気が付いたら結構たまってしまったなんて物がありますよね。
私の場合は切符。

中学生時代に硬券の切符を集めだしたのが最初で、高校生頃までは集めてたかなあ。
それ以降は成り行き任せ。

駅で乗り降りしたり通りかかったタイミングに買っていたら、気づけば結構な数になっていました。
国鉄〜JRだけでなく、私鉄や公営、三セクの切符も数多くあります。

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 スタンプアルバムやカードホルダーに保存した切符類。

窓口で買った入場券や乗車券のほか、乗車した列車の指定券など。
乗車に使用した切符は、通常は改札口で渡してしまうので、使用後に手元に残ることはほとんどありません。
改札口で無効印を押してもらえば持ち帰ることができたのですが、そこまでして手元に残す気もしなかったので、今思うと惜しいことをしたと思う切符もあります。

それでも結構たまってくると、過去に実際に窓口で買ったり、乗車した列車のものだったりなので、切符1枚で当時の思い出がよみがえってくるものです。

中には古切符として購入したものや、人から譲り受けたものもありますが、ほとんどは自分の足を運んで手に入れたものです。
特に廃止となった線区や駅、改名した駅、無人駅となった駅などの切符は、貴重なものになりますね。

硬券の収集から始まったコレクションですが、その後は硬券だけでなく常備軟券からマルス券まで様々。
JR北海道の駅では比較的遅くまで硬券の入場券が置いてありましたが、通常で購入した入場券の中では平成28(2016)年4月22日に購入したニセコ駅入場券が最後となっています。

一部の簡易委託駅では軟券と呼ばれる常備券や出札補充券を出している駅もありますが、今ではすっかりマルス券ばかりになってしまいました。
硬券収集から始まった私からすれば味気ないものです。

そんな嫌われ者のマルス券ですが、それなりの年月が流れると思い出がよみがえる1枚の切符となるものです。
今日はそんな過去のマルス券に、過去の思い出を振り返ってみることにしましょうか。

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 北海道新幹線開業前の入場券と乗車券。

北海道新幹線が新函館北斗駅まで開業したのが2016(平成28)年3月のこと。
同時に並行在来線となる江差線、木古内〜五稜郭駅は三セクの道南いさりび鉄道となり、五稜郭駅以外はすべて無人駅となりました。
またそれまで渡島大野だった駅は、新たに新函館北斗と改められました。

上の切符は北海道新幹線開業の前年、平成27(2015)年に、無人駅になったり駅名が変わったりすることを見越して集めたもの。
当時は硬券入場券が道内の駅から急速に姿を消していた頃。
「マルス券じゃつまらんなあ・・」なんて思って買っていましたけど、こうして7年も経って見ると、ああやっぱり買っておいて良かったなと思います。

・・偉いぞオレ。

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 無人駅となった駅の入場券。

これらも平成27(2015)年に買った入場券。
上幌向駅は買った年の秋から、芦別駅と奈井江駅は翌2016年春に無人駅となっています。
うち芦別駅は簡易委託駅になっていて、今でも常備券による切符販売が続けられている模様です。

右下の大沼駅は、今年3月18日ダイヤ改正から無人駅となることが決定しているために、このあいだ近くを通った時に買ったもの。
隣の大沼公園駅が特急停車駅で大沼観光の玄関口となっていますが、こちら大沼駅は普通列車しか停まらず地元客の利用しかない駅。
今まで駅員がいて、みどりの窓口まで営業していたのが不思議な気もします。

過去には砂原経由となる上り優等列車がこちら大沼駅に停車しており、定期列車では上り急行『ニセコ』が1986年に廃止されるまで停車していました。
その後も砂原経由となる臨時上り『北斗』が停車していましたが、90年代前半を最後に普通列車だけの駅となった模様です。

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 2023年3月18日から無人駅となる大沼駅。

大沼駅の駅舎は昭和9年建築の木造駅舎。
JR北海道の有人駅としては珍しく国鉄時代からの原型を留めている駅舎です。
なんだか今から思い出話のようになってきましたけど、3月17日まではみどりの窓口として営業中です。

函館本線と砂原支線、それに藤城線が交差する8の字の真ん中に位置する運転上は重要な駅ですが、ポイントや信号はCTCによる遠隔操作でしょうから、運転扱いの駅員だけ駐在ということもなさそうです。
簡易委託化も、隣の大沼公園駅ならばともかく、こちらは地元客の利用が細々という駅なので無いでしょう。
このままどこにでもある木造駅舎の無人駅となるのでしょうか。

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 留萌駅入場券各種。

これもまだ一応現役の留萌駅入場券。
4枚出てきたので並べてみました。

左上から昭和62(1987)年、平成19(2007)年、平成28(2016)年に買ったもの。ここまでが硬券。
右のは令和4(2022)年に買ったマルス券。
料金は140円→160円→170円→200円と、国鉄末期からJRとなって現在までの入場料金の変遷となっています。

一番上のは茶色く変色してしまっていますが、これは保存状態が悪かったため。
昭和62年は廃止直前の羽幌線に乗りに行ったときに買ったものだから、36年前かあ。この頃はまだ萌の字が草冠に朋(萠ではない)となっていました。

2番目のは、青春18きっぷの余りで留萌線に乗りに行ったときのもの。
3番目のは、留萌駅で買った『留萌本線留萌駅−増毛駅硬券入場券セット』の中の1枚。
右のマルス券は去年暮に乗りに行ったときに買ったもの。

この入場券4枚だけでなく、それ以外にも4〜5回は留萌線に乗ったことがあります。
ずいぶんと留萌線に乗ったことがあるものだなあと思いました。

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 マルス券と総販券、江差駅入場券2種類。

こんどは今はなき江差線江差駅の入場券。
上が平成26(2014)年に最後の江差線、木古内〜江差間に乗りに行ったときのもの。
同区間はこの年の5月12日廃止となっています。
で下はその前年の平成25(2013)年に、やはり廃止が決定していた同区間に乗りに行ったときのもの。

9年前と10年前。ああ、齢をとるはずだなあ・・・
つい最近のような気がするんだけど、江差駅は既になく、記念碑と短い線路だけ残して町営団地へと変貌しています。

それはともかく、同じ駅の入場券ですが、よく見るとデザインが異なっています。
これは入場券のデザインが変更になったのではなく、マルスシステムによる発券と総販システムによる発券との違い。
総販てのはJR北海道独自のシステムで、指定券発行を伴わない自社完結の商品の場合にのみ使用されることがあります。
システムの違いは私ではようわからんので、詳しく知りたい方はググるなどしてください。

で、上はマルス券なので全国共通の印字です。
下の総販券は『総販』の印字が入るほか、デザインや印字の場所、文言までが別になっているところが面白いですね。
窓口でマルス券にするか総販券にするか注文すれば、希望の券を発券することもできたようです。

ただこの総販システムは2019年の運賃改定時に廃止され、今はマルス券1本だけの発券となりました。
そういう意味ではこの江差駅の総販入場券は、二重に今はなき入場券ということになりますね。

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 札幌市営地下鉄の乗継券。

これも今年の3月末をもって無くなる切符。
今までは地下鉄とバスを乗り継ぐ場合、乗継券という割引された1枚の乗車券が発行されていました。
これがICカード乗車券の普及により紙の乗継券は廃止となります。
IC乗車券と定期券の場合は今まで通り乗継料金適用となりますが、4月から現金払いの場合は地下鉄とバスそれぞれの料金が適用となります。

左側はジェイ・アール北海道バスから発券の乗継券。
昔は料金箱の横に乗継券発行機というのが据え付けてあって、料金箱に乗継料金を投入して発行機から受け取っていたものですが、いつの頃からか運転手の手渡しとなりました。
プリペイドカードの『ウィズユーカード』が普及してからは、紙の乗継券発行は激減していたのでしょう。

右は大通駅の券売機で買った地下鉄→バスの乗継券。
着駅の改札口に投入すると回収されずに出てきて、切符はバスの下車時に料金箱に入れる仕組み。

バス発券の乗継券の磁気記録には、入場駅から1区間有効の情報しか入っておらず、日付も乗継指定駅の情報もないため、ほぼフリーで入場できる切符ということになります。
今回廃止となるのは、不正乗車に使われかねないといった事情もあるのかも知れませんね。

ところで紙の乗継券はあと中央バスとじょうてつバスがあるので、それらのも欲しいぞ。
だけど私は普段バスに乗ることがないために、わざわざ乗りに行かなければ手に入らない。

一方で夕鉄バスとばんけいバスはICカード非対応なので、従来通り紙の乗継券による運用継続となります。
ですが、地下鉄→バスの乗継は乗継駅で駅員に申し出て差額を支払うという大変面倒なことになるようです。

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 札幌駅で買った廃止予定駅の乗車券。

上は3月18日に廃止になる日高本線浜田浦からの乗車券。
下は4月1日に廃止となる留萌本線恵比島からの乗車券。

あれっ?
浜田浦駅も恵比島駅も無人駅だけど切符なんて売っていたっけ?

と、お思いでしょうが、これ実は札幌駅の指定席券売機で買ったもの。
この指定席券売機というのが優秀でして、全国のJR線区間の乗車券を買うことができます。
それで買ってみたもの。

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 札幌駅の指定席券売機。

乗り降りしたり現地に赴いた記念として買い求める趣旨からは外れるような気もしますが、どちらも実際に行ったことも乗ったこともある区間だし、たまにはこんなのもいいんじゃないでしょうか。

それに乗車券販売実績として乗車人員にカウントされるでしょうから。
もっとも、今更1人分増えたって何か変わるわけではありませんが。

こうして過去に買った紙の切符を眺めていると、よもやま話が次々と出てきますね。

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 平成10年発行の『ミッドナイト』と『北斗星4号』の切符。

今のデザインのマルス券で一番古いものはと探したら、出てきたのは平成10(1998)年1月4日発行のもの。
札幌駅に自動改札機が導入されたのは、この年の秋ごろと記憶しています。
自動改札機より一足先に新しいデザインのマルス券が登場したことになりますね。

上は快速『ミッドナイト』号の指定券。
当時走っていた札幌〜函館間の夜行快速で、指定席はグリーン車流用の座席車と横になれるカーペットカーの2種類ありました。
青春18きっぷ族御用達の列車でしたね。

席番の指定が無いのは、カーペットカーの指定券だったから。
この列車のカーペットカーは号車だけ指定の定員分だけ発売するもので、車内では実質自由席でした。
貧乏旅行では、300円で横になって移動できるのは有難い列車でしたね。

当時はこの『ミッドナイト』に乗って朝函館に着き、快速『海峡』で青森へ。
そこから奥羽線と羽越線のロングシート普通電車をひたすら乗り継いで行くと村上で夜行快速『ムーンライトえちご』に接続して翌早朝に新宿に着くというもの。

そこから東海道線の普通電車を乗り継げば午後には大阪着。
さらにそこから『ムーンライト九州』に乗り継げば、0泊4日で北海道から九州の地へ到着という壮大な貧乏旅行も可能でした。
こんなのも、すでに昔話ですね。

下は同じ年の暮に買った、北斗星4号の特急券・B寝台券です。
懐かしいですね。
札幌発18:14の列車が4号とある通り、北斗星が1〜6号まであった3往復時代のもの。
翌年夏に『カシオペア』が運行を始めて、北斗星は2往復となります。

この切符は年末年始休みに、北斗星のソロに乗って東京旅行したときのもの。
食堂車のパブタイムに行ってクリームパスタを食べたっけ。
行列するほどではなかったけど混んでいて、無口なオッサンと相席になって、間が悪い時間を過ごしたのも今となっては思い出話。

切符の話に戻しますと、これ以前のマルス券は緑色の地紋の磁気券や、両側に紙送り用の穴が開いたロール紙にドット印字のものが主流でしたが、この頃から青地に帯のある今のデザインのものに統一されたようです。

あれから25年。
列車や旅行の形態は変われども、今のデザインのマルス券はしぶとく生き残っていたことになりますね。
裏の磁気データに各種情報を記録して、自動改札機に通すというシステム。
上画像の横長券は自動改札機非対応ですが、払い戻し等で座席予約を取り消す際は窓口の端末で磁気情報を読み取っていたようです。

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 えきねっとで購入し、指定席券売機で発券した『トクだ値55』。

時代は変わり2020年代。
JR各社は窓口での販売よりも、えきねっと等のインターネットでの予約・決済に移行したがっているようですが、せっかくインターネットで購入しても乗車前に駅で紙の磁気券を発行しなければならないのでは、便利さも半減です。

それにこのシステムは無人駅から乗車する人は利用することができません。
自宅で簡単に予約から決済までできるにもかかわらずです。

特に北海道など、特急停車駅でも無人駅が多いし、有人駅でも営業時間の短縮や定休日を設ける駅も増えました。
インターネットによる切符の販売方法は、早急に改善してもらいたいことの1つです。

JR四国ではスマホアプリによるチケットレス乗車券となる『しこくスマートえきちゃん』の運用が始まっています。
まだ自由席だけの発売で、上記の理由から指定席までは利用できないようですが、こうしたチケットレスへの動きは今後加速してゆくのではないでしょうか。

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 Webアプリ『DohNa!!』で購入したチケットレス乗車券。

えっ?
チケットレスになったら切符が集まらなくなるから悲しいだろうって?

いえ、私のは別に集めているわけではなく、自然と溜まっただけですから。
紙の切符など廃止して、こんなものさっさとチケットレスになった方が便利に決まってます。
これは当ブログで、ことあるごとに主張していること。

よく鉄道の輸送改善と言えば、車両とかダイヤのことばかりが議論となりますが、こうしたソフト面にもう少し目を向けてもいいのではないでしょうか。

こんなところで筆者の主張を始めたらキリがなくなるので、今日はこれで終わります。

〜最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。  

posted by pupupukaya at 23/03/12 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

2023年3月の廃止を待つ浜田浦駅

ここ数年来、毎年ダイヤ改正の度にどこかしらの駅が廃止となっていますが、道内では今回対象になるのは日高本線の浜田浦駅。
去年(2022年)に住民側から廃止の合意が得られ、今回の廃止が決定しました。

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ファンからは秘境駅とされているようですが、近くにまったく人家がないわけではなく、駅前に集落こそありませんが、駅周辺は農家が点在する場所です。

駅廃止となっても国道235号線沿いにあって路線バスも運行していますから、浜田浦駅廃止後の住民の足はバスということになります。

JR北海道が公表しているデータでは、直近5年間平均の浜田浦駅1日当たり乗車人員は2.4人。
うち1か月当たり定期券発売枚数は、令和3年度で通学定期が1枚。
利用者がゼロに近い道東や道北の駅と違い、こちらは毎日の利用客が僅かながらもあったようです。

しかし、並行する国道に路線バスがあり、駅近くのバス停にも土休日運休含めて浜田浦駅の停車本数と同じ6往復の本数が運行されていることとあっては、JRとしては今後はバスを利用してほしいことでしょう。
1日僅か2〜3人の利用客のために駅を維持するとなると、毎年多額の経費が掛かるわけですから。

今後も乗車人員が僅かの駅で、かつ他の交通機関が存在する駅に関しては、JR北海道は地元に廃止か地元負担による存続かの交渉が続くことと思われます。

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 地味に利用客が多い浜厚真駅(2022年6月撮影)。

一方で隣駅の浜厚真駅は浜田浦駅と大差ない場所にある駅ですが、令和3年度の1か月当たり定期券発売枚数は17.2枚。
JR北海道のデータでは苫小牧方面へのまとまった通学利用が見られます。
実際に浜厚真駅で学生が乗り降りしていますし、朝や夕方は保護者が車で学生を送り迎えする光景も見られます。

バスと鉄道では、通学定期券の値段や、苫小牧までの所要時間の大差ということで、鉄道が選択されているのでしょう。
浜厚真駅は安泰とまではいえませんが、廃止の話があるとしてもまだ先の話でしょう。

それぞれ事情が異なるものの、廃止まで1か月を切った浜田浦駅。
この駅にちょっと訪問する機会がありましたので、廃止前の浜田浦駅を見てきました。

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まずは浜田浦駅の入口です。
雪に残るタイヤの跡と足跡は、廃止を聞きつけて車で訪問した人たちのものでしょう。
かく言う私もその1人ですが。
国道を走る車から見ると、駅というより停留所のような佇まいです。

この浜田浦駅の開業は1959(昭和34)年12月18日。
昭和30年代前半に、日高本線における旅客列車のディーゼル化が完了したことにより一斉に設けられた駅のひとつ。

浜田浦の駅名の由来は、国鉄北海道総局発行の『北海道駅名の起源』によると、田浦の海岸寄りに駅があるからとあります。
本来は田浦駅としたかったのでしょうが、先に神奈川県の横須賀線に田浦駅があったので『浜』を冠したのだと思われます。
こうした場合、通常は国名を冠するのが習わしで、それでいけば『胆振田浦』となったのでしょう。

そうしなかったのは、胆振を冠した駅名が他にないこと、当時あった胆振線の駅と混同するからという理由でしょうか。
隣駅の浜厚真も、厚真から浜厚真に改称した経緯があるので、それに倣って浜田浦としたのかも知れません。

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こちらはホームから。
石を敷き詰めたホームに小さな待合小屋だけの無人駅。
奥に伸びる線路の先が終点の鵡川駅です。

日高本線も鵡川から先が廃止になり、日高に行かない日高本線になってしまいました。
現在の日高本線の営業キロは30.5km。これは『本線』としては日本一短い路線となっています。

ですがこの日本一も3月いっぱいまでで、4月からは留萌本線の石狩沼田〜留萌間が廃止となるために、日本一短い本線の座は留萌本線に移ることになります。

こちらと同じように留萌へ行かない留萌本線の残区間は、深川〜石狩沼田間の14.4km。
ただ留萌本線は、残区間も2026年3月末での廃止が決定事項となっており、その後は日本一短い本線の座は再び戻ってくることになります。

名誉なことなのか不名誉なのかまでは分かりませんが。

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駅名標と待合小屋を一緒に入れてみたのがこちら。
列車の車窓から見る浜田浦駅はこんな感じでしょうか。
車窓から見る限りは秘境駅っぽい感じがし、いかにも北海道らしい雄大な原野の中の駅という感じです。

ですが実際ホームに立ってみると、国道が前を通っており大型トラックの通行が多く、雄大というよりも殺風景な場所という感じは否めません。
秘境というよりは臨海工業地帯の外れにある駅といったところでしょうか。

駅向かいは土砂置き場となっていて、それが一層殺風景に見えるのかも知れません。

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苫小牧側を見ると、遠くには送電線の鉄塔や工場の煙突が見えます。
それが一層寂しさを漂わせている理由でしょうか。
『秘境』とは相対的なものなのだ、と言われればこの駅は秘境駅でしょうけど。

ホームの反対側に立つ『27』と書かれたキロポストがあります。
ここは苫小牧起点27km000地点で、浜田浦駅の営業キロも苫小牧起点27.0kmとなっています。

時刻表の路線図だけで見ると、浜田浦駅は苫小牧近郊の駅のように感じますが、この距離は首都圏で言うと上野〜大宮間や新橋〜横浜間の距離とほぼ同じ。

やっぱり北海道は広いですな。

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しかしこのコンクリートブロック造りの小屋がまたいい味を醸し出しています。
壁はブロックを組んでトタンの波板を屋根とした簡単なもの。
周りの殺風景と妙にマッチする風景となります。

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待合小屋の中を覗いてみると、外見とは反対に小ぎれいになっています。
きっと誰かがきちんと管理しているんでしょう。

ベンチの上には駅ノート。
壁の掲示板には千羽鶴が飾られていました。

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どこの画伯の作品でしょうか。
縦縞はノートの罫線。駅ノートに描かれていたものを額に入れて飾ったものと思えます。
なかなか粋なことをなさる。これには感心しました。

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駅の待合所なので、一応時刻表と運賃表が掲げられています。
窓は明り取りと列車の到着を確認するために設けられたのでしょうか。

出入口は戸が無いので雪が容赦なく吹き込んでいます。
南国ならばこんな家もありそうですが、北海道では雨や雪を凌げるだけの小屋でしかありませんね。

そんな殺風景な建物ですが、日高本線はこうしたコンクリートブロック造の駅が目立ちます。
逆に言うと、なぜか日高本線の駅はブロック造の駅舎が似合う。

ついでなので、浜田浦以外にもある(あった)日高本線のブロック造の駅舎をご紹介しましょう。
過去に撮影したものなので、撮影年月も記します。

まずは2つ隣の勇払駅の駅舎。

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 2013年6月撮影、勇払駅。

このコンクリートブロック造の駅舎は、1962(昭和37)年建築。
この年に苫小牧港建設のために、日高本線は線路を山側に大きく迂回する現在の路線に付け替えられ、勇払駅も現在の場所に移転しました。
2階建てなのは、苫小牧工業港の発展により貨物取扱量が増大することを見込んでということでしょうか。

昔は列車の行き違いもできて、急行『えりも』も晩年は停車するようになったほどの駅ですが、今は無人駅。
駅前は寂しい場所ですが、ここは日本製紙の城下町。
それなりの市街地があって、少し離れた道道沿いには商店街もあります。

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 2018年1月撮影、汐見駅。

こちらは汐見駅
鵡川の1つ先の駅にあった駅で、浜田浦駅と同じ日の開業。
2015年1月に起こった災害以来列車は運休し、2021年4月に正式に営業廃止となっています。
この頃は列車の来ない駅になっていましたが、待合室の中は代行バスの待合所として手入れがなされていました。

コンクリートブロック造の駅ですが、こちらは出入口に引き戸がある立派なもの。
仕切りが無く吹きさらしの浜田浦駅と違うのは、利用者数の違いからでしょうか。
奥に家々が見えている通り、少し離れて鵡川漁港の町がありました。

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 2018年1月撮影、大狩部駅。

大狩部駅もブロック小屋が似合う駅でしたね。
ホームの先に建つ待合小屋と広がる草むら、反対側は太平洋の浪しぶきが護岸を洗うという、絶壁にあるような駅でした。
“おおかりべ”という駅名も、どこか最果てのような響きでした。

周辺の風景や駅名の響きとは反対に、まるっきり秘境というわけではありませんでした。
土手の上を国道が通り、駅と町とは国道下のトンネルで結ばれていて、その先には人里あふれる大狩部の集落がありました。

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 2018年10月撮影、絵笛駅。

こんどは絵笛駅
先の海岸沿いの駅とは違い、こちらは内陸の駅。
“えふえ”の響きが、どことなくメルヘンチックな駅を連想させます。

同じブロック造でもこちらは化粧ブロックという新し目な建物。
周りは牧場地帯で、馬が放牧されているいかにも日高らしい場所。

この駅は牧場の中にあるような駅でしたね。
場所も町道から牧場の家へ入るような道を入った奥にありました。

代行バスは駅の方へは入らず、国道に代行バス絵笛駅と書いたポールが立っていました。
国道の代行バス絵笛駅とは2km以上も離れており、当然ながらこの頃は待合所としての利用はありませんでした。
しかし中に入ると綺麗にしてあって、駅ノートも置いていたのには驚いたものです。

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話が絵笛駅まで行ってしまいましたが、再び浜田浦駅に戻ります。

今度は駅名標の画像です。
長い間風雪や潮風、それに列車からの鉄粉にさらされて焦げ茶色のまだら模様となっています。
これはこれで味わいがある気がします。
それと、待合小屋を含めてほかに駅名を記したものがないので、この駅名標が浜田浦の駅名を知ることができる唯一のものです。

ところで、この駅をウロウロしていたら、この駅にはある物が無いことに気づきました。
ある物とは、縦長のホーロー製の駅名標。
道内の駅でよく見かける紺地に白抜き文字で、黄色の縁で囲ったやつ。

下の方に赤い文字で『サッポロビール』と書かれていたものですが、この広告部分が白く塗りつぶされるようになってからは、見かけるたびに撮影するようにしています。

JR化後の新しい駅とか、仮乗降場上がりの駅などは最初から無い駅もあるが、浜田浦駅はたしか設置してあったはず。

過去にあった証拠をと思って、手持ちの画像を探したがなかなか見つからない。
そうして見つけたのが下の1枚。
こんなのしか見つからなかった・・・。

DSC03766.JPG
 2006年5月『優駿浪漫』号車内から撮影。

ホームの苫小牧側に立つ電柱に『はまたうら』の駅名標が確かに見える。
上のは相当前の画像ですが、いろいろ画像検索して確認したら、とある時期からこの縦長駅名標は消滅していたようです。

DSCN6213.JPG

上画像の右側に写っている電柱にあったはずなんですがねえ。
どこに消えた縦長の駅名標。

考えられるのは、JR関係者が何らかの事情で撤去したか、どこかの人間がこっそり外して持ち去ったかの2通り。

ま、疑うわけではありませんが、昔からこの手の駅名標の盗難はよく聞きますし、ググれば他駅でも盗難のニュースがこれでもかと出てきます。
この駅名標自体、ドライバー1本で簡単に外せるものでしょうからね。

浜田浦駅の縦長駅名標がどういう経緯で無くなったのか、いろいろググってみましたが結局わかりませんでした。
かわりに見つけたのがこちら。

135723.jpg
 ネット上で見かけた通販サイトのスクショ。

浜田浦の縦長駅名標は、今頃どこかの部屋の飾り物にでもなっているんでしょうか。
それとも、当事者が犯罪ということに気づいてこっそり処分しちゃったのでしょうか。

誰かが失敬した可能性があるというだけで、あくまで筆者の邪推ですので念のため。

真相はわかりませんね。
浜田浦駅の廃止とともに迷宮入りになりそうです。

わたし個人としては、撮影したかったのにとても残念。

  〜最後までお読みいただき、ありがとうございました。  

posted by pupupukaya at 23/02/23 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

札幌駅周辺再開発のまとめと新幹線アクセスを考える

2030年度末(2031年3月)開業を目指す北海道新幹線札幌延伸工事。
札幌駅でも去年(2022年)から本格的に工事がスタートしました。

新幹線だけではなく、札幌駅周辺では再開発計画が目白押しです。
エスタとレールパークとなっている西1・2丁目は新幹線札幌駅直結の再開発ビルが、ヨドバシカメラが取得した西武百貨店跡地には高層ビルが建つことは、メディアでも報道されて多くの人が知るところです。

しかし、報道で伝わってくるのはそれぞれ別々で、断片的なものになっていて、全体像が見えてきません。
筆者もいまだに鉄道に疎い人から「新幹線の札幌駅ってどこにできるの?」と聞かれる始末。
長らく無かったものなので、札幌市民からすれば新幹線てのは関心が薄いものなのかも知れませんね。

そんな関心の薄い札幌市民に知らしむべく、各種資料から総合して新幹線開業時の札幌駅周辺想定図を作成してみました。

↓ ↓ ↓ それがこちらの画像。

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 新幹線開業時(2030年度末)の札幌駅周辺想定図。
 -地理院地図より筆者作成-

画像をクリックすると拡大します。
筆者が丸1日かけて作成した力作なので、じっくりと見てやってください。

それはともかく、これで札幌駅周辺の全体図が見えたので、それを踏まえての話になります。
まずは周辺の再開発事業を個別に見てみましょう。


 ◆ 新幹線札幌駅直結の再開発ビル(北5西1・西2地区市街地再開発事業)

新幹線札幌駅開業関連の再開発事業としては筆頭といえるでしょう。
新幹線駅に直結して、1階はバスターミナル、中層階は商業施設、高層階はオフィスとホテルが入居予定。
札幌駅周辺の再開発事業としては肝と言える事業です。

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 エスタ2階から新幹線札幌駅予定地を見る。

その現在はというと、北5西1側の1区画は駐車場のレールパークと駐輪場として使われています。
札幌駅高架前は日通の倉庫やJR北海道バスの営業所があった場所ですが、高架化後は移転して長らく遊休地のようになっていました。
何とも勿体ない使い方でしたが、この土地があったおかげで新幹線駅や再開発ビルの建設ができたわけで。

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 再開発ビルに建替えのため解体されるエスタ。

長らく札幌駅南口の顔だったエスタですが、こちらは今年(2023年)の解体が決まっています。
キーテナントのビッグカメラは東急百貨店内に移転予定。
そのほかのテナントも各所に移転するか休業ということになるのでしょう。

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 新幹線札幌駅直結の再開発ビル。
 -JR北海道_【社長会見】札幌駅直結「(仮称)北5西1・西2地区市街地再開発事業」〜都市計画決定に向けた手続きを開始〜-より画像引用

その再開発ビルの完成予想図が上の画像。
西2丁目通を跨ぐ形で建設され、高層棟は地上43階建て、高さ245mというもの。
現在の南口駅ビルに匹敵する巨大ビルとなります。

札幌市の人口は200万人直前を迎えて頭打ち。少子高齢化の影響でこれから減少が予想されていますが、果たしてこんな巨大ビルを建設して採算が取れるのでしょうか。
まあそこは素人が心配してもしょうがないし、新幹線効果を期待するしかありませんね。

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 主に北4条通に点在する路上のバス発着場。

再開発ビルの1階にはバスターミナルも併設され、西3丁目側が路線バスの、西2丁目側が都市間バスのターミナルとなります。
現在のエスタ1階発着の路線のほか、駅周辺に点在する路上のバス発着場(東急前、旧西武前)もこちらに集約されるようです。


 ◆ 旧西武百貨店跡地(北4西3地区)

こちらは南口側の再開発。
旧西武百貨店(さらに昔は五番舘百貨店)跡地。
2009年に閉店となり、その跡地はヨドバシカメラが取得して建物は解体。長らく空き地になっていた場所です。
そこに、新幹線札幌開業に合わせて高層ビルを主体とした複合ビルを建設しようというもの。

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 南口広場から駅前通を見る。この風景も一変する。

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 西武跡地にできる高層ビル。
 札幌市HP/事業地区一覧/北4西3地区-より画像引用

西武百貨店跡地に建設されるものと思っていましたが、北4西3の一区画が再開発ビルとなるようです。
現在この区画に建つオフィスビルや雑居ビルも取り壊しになるんですね。
これと並行して、北5条通地下を南北線北改札口付近から東急百貨店への通路とを直結する地下道が新設されるようです。

工事開始は2024年度。完成予定は2028年度となります。
この空き地で工事が始まったので、いよいよビルが建つんだなと思っていたら、できたのは平面の時間貸駐車場。
区画内のビルを取り壊して建設開始となるまで、とりあえず駐車場にしておこうということだったようです。


 ◆ さつきた8・1

ここは元は木造の住宅やアパートが立ち並んでいた区画。
札幌市の再開発事業となって、地上48階建て、高さ175mのタワマンがメイン。
低層棟は商業施設や劇場が入居、別棟の14階建てビルはホテルになるんだとか。

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 姿を現した48階建ての『さつきた8・1』。

完成は来年(2024年)度ですが、建設が進んで全容が見えてきました。
これに並行して、地下鉄東豊線さっぽろ駅17番出口から直結する地下道も建設中です。


 ◆ 地下鉄南北線さっぽろ駅

南北線さっぽろ駅のホームは島式ホーム。
他の都心駅は対向式ホームとなっています。

島式ホームの長所は上り線と下り線が同一ホームを使用するためにエスカレーターやエレベーターを共有できるところ。
ですが、乗降客の多い駅では逆に仇となって、1つしかない階段やエスカレーターに降車客が集中しやすいことになります。

実際南北線さっぽろ駅ではラッシュ時など昇る階段が渋滞するほどの大混雑になります。
さらにJR札幌駅や商業施設が近い北側の階段に多くの乗客が集中します。
逆に乗車客の多くも北側の階段に近い場所に集中するので、駅員が何人も立って、奥の南側へ誘導する場面も見られます。

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 壁側に真駒内方面ホームが新設される南北線さっぽろ駅。

こうしたホームの混雑を解消しようという事業で、今は壁となっている1番ホームの反対側にホームを新設し、真駒内方面専用のホームとするものです。
現在のホームは麻生方面専用ホームとなります。

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 南北線さっぽろ駅ホーム増設の概要。
 -札幌市/令和元年度(2019年度)交通部会の開催状況/南北線さっぽろ駅改良事業について-より引用

同様の構造は山手線の渋谷駅、大阪市営地下鉄御堂筋線の駅に見られます。
それぞれのホームを分けることで動線もスッキリし、安全にもつながるのではないでしょうか。

札幌駅周辺のプロジェクトを表にまとめてみると以下のようになります。

札幌駅周辺のプロジェクトと完成予定年
事業名場所概要完成予定
『さつきた8・1』北8東148階、ホテル、住宅、劇場等2024年春
北6東3周辺地区旧卸センター跡公園、ホテル、住宅、医療等2025年
旧パセオ営業再開札幌駅高架下高架下テナント2025年以降
南北線さっぽろ駅改良 真駒内方面ホーム増設2027年度
北4西3地区
旧西武百貨店跡
35階、ヨドバシ、テナント、オフィス、ホテル2028年度
北5西1・2地区市街地再開発現エスタ・レールパーク43階、テナント、オフィス、ホテル2028年度
北海道新幹線札幌駅 乗換跨線橋、新幹線橋上駅舎、新幹線東改札2030年度末

去年あたりから本格的に始まった再開発工事。
来年くらいから次第に完成するところが出てきます。

この先毎年のように新たにできますね。
新幹線開業が一応の着地点として、毎年毎年オープンラッシュとなりそうです。


 ◆ アクセスその1、南北線さっぽろ駅から新幹線改札口まで

次に、新幹線札幌駅アクセスについて考えます。

札幌駅の新幹線アクセスといえば各種報道にもある通り、在来線ホームから跨線橋で新幹線コンコースへ連絡するというもの。
これはJR北海道のHPにも概要が公表されています。

ただこの跨線橋は新幹線と在来線を乗り継ぐ乗客のためにあるもので、市内各所から札幌駅へ行き、そこから新幹線に乗る乗客が利用するものではありません。

例えば筆者が現在の住居から新幹線に乗るとすれば、地下鉄南北線に乗ってさっぽろ駅へ向かうことになります。

一方で、地下鉄東西線沿線からのアクセスを考えても、大通駅での東豊線乗換は相当な距離を歩きますし、やはり南北線さっぽろ駅からのアクセスとなるのではないでしょうか。

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 南北線北改札口から新幹線改札口までのルート図。
 -地理院地図より筆者作成-

南北線さっぽろ駅北改札口から新たに設けられる新幹線改札口までの距離を測定すると約480m
なかなか遠いですね。

ちなみに南北線さっぽろ駅南改札口から地下歩行空間方向へ歩くと、480mは大通駅構内手前まで行ってしまいます。
ほぼひと駅分の距離を移動するわけですから、これは大変です。
いくらアクセスを考慮しても、この距離だけはどうにもなりませんね。
せめて最短距離で行ける通路設計としてもらいたいところです。

この距離を歩いて移動するとなるとどうなるのでしょうか。
南北線さっぽろ駅から新幹線改札口へ向かうルートをシミュレーションしてみます。

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 南北線さっぽろ駅北改札口。

南北線北改札口からスタートします。

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 南北線北改札口前の階段(札幌駅前広場2号地下歩道)。

最初のハードルは9段の階段。
アピアから旧パセオの札幌駅地下まではフラットになっているのに、ここだけはどうにもなりませんでした。

重たいスーツケースを持っていたり、足の悪い人などは難儀しそう。
一応脇にエレベーターがあり、バリアフリー対応にはなっています。

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 アピアの通路(札幌駅前広場6号地下歩道)。

札幌駅に向かう通路からアピアの横の通路を通ります。
中央に柱があって、アピアの買い物客や通り抜けの人で混雑する通路です。

一応3本通路が並行しているので、再開発ビルの通路の配置によっては人の流れが分散しそうですが、後述するアトリウムの構造によってはここがメインの通路となりそう。

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 エスタ前の通路(札幌駅前広場3号地下歩道)。

アピアの通路の突き当りがエスタの入口になります。
現在はエスタですが、この先は再開発ビルの商業施設内となります。

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 東豊線北改札口。

一方でこちらは東豊線北改札口。
南北線よりもかなり近い位置にあるものの、東豊線沿線だけでなく大通地区から新幹線駅への移動はこちらが便利そうです。

ただ、こちらの位置は地下3階。
ここから地上4階にある新幹線改札口へは6階分もの上下間の移動が必要となります。

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 16・17番出口に続く地下道。さつきた8・1にも直結する。

東豊線の通路は北7条通を越えたところまで伸びています。
ひと気も少なく、防犯のために夜は22時30分で閉鎖になる通路。
この通路の途中から再開発ビル内に出る出入口が新設されるのでしょうか。

ちょっと東豊線に寄り道しましたが、元に戻ります。

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 再開発ビル内の商業施設。
 -JR北海道20220518_「(仮称)北5西1・西2地区市街地再開発事業」〜都市計画決定に向けた手続きを開始〜
 -より画像引用

アピア突き当りからは、再開発ビル内の商業施設の通路を通ることになります。
上記画像の内観イメージのような通路となるのでしょうか。
中央が吹き抜けになった二層の通路は、イオンショッピングセンターの通路に似ています。

色んなショップや飲食店が立ち並ぶのでしょうか。
こんなところを歩けば楽しそうですね。

しかし目指す新幹線改札口はまだまだ先。
ここでようやく半分といったところでしょうか。

ず〜っと進むと広大な新幹線アトリウムに出ます。
ここは2階から6階までの吹き抜けとなった空間、正面の窓には停車中の新幹線も見えます。
ずっと通路を歩いてきたので、目を見張ることでしょう。

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 2F〜6Fが吹抜けになる新幹線アトリウム。
 -JR北海道20220316_新幹線札幌駅の概要について-より画像引用

ここで終わりではありません。
着いたのはアトリウムの2階なので、新幹線改札口のある4階まで登る必要があります。
上記画像によると、改札口まではエスカレーターを3階で乗り継ぐようです。
さらに、南北線改札口〜アピアまでは地下1階、アトリウムまではどこかで地上2階まで登っていなければなりません。
ここまでの距離もさることながら、上下の移動だけでもなかなか大変ですね。

移動を想像するだけでヘトヘトになりそう・・・


 ◆ アクセスその2、在来線改札口から新幹線コンコースまで

さてもう一つのルートはというと、既存の在来線改札口から入場して、在来線ホームを通り南北乗換跨線橋を経由して新幹線コンコースに到達するというもの。
地下鉄南北線方面からだと遠回りになりますが、北口広場方向からだとこちらのルートが有利になることでしょう。

在来線改札口は西と東がありますが、ここは西改札口スタートとしてみます。

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 在来線西改札口から新幹線コンコースまでのルート図。
 -地理院地図より筆者作成-

南北線さっぽろ駅からは最短で、現在では利用者が一番多い西改札口。
新幹線開業後も、ここは大きく変わることはないと思われます。

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 札幌駅西改札口。

西改札口から入場して、まず目指すは南北乗換跨線橋。
そのためには任意のホームを通る必要があります。

どのホームでも新幹線駅に通じているのですが、この場合3・4番ホームを通り抜けるのが一番近いようです。
というわけで、3・4番ホームに上がります。

手段は階段、エスカレーター、エレベーターとありますが、楽なエスカレーターだと一旦逆方向に向かってしまいます。
東向きの階段だと近道ですが、登るのはちょっとしんどい・・・

とりあえずホームに出ました(画像だと5・6番ホームのものですが)。

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 札幌駅ホーム。

ここからホームを歩いて乗換跨線橋へ向かいます。
乗車口に列ができていたり、列車到着時は出口に向かう人波があったり、ホームを通路として使うには大変そうです。
階段の下り口からホーム端までは80mといったところでしょうか。

昔の青森駅から青函連絡船に乗るには、改札口から跨線橋を渡ってホームに下り、そこからホームの端から端まで250m歩いて今度は連絡船の跨線橋の階段を登って桟橋まで行ったものですが、それに比べたらまだマシですね。

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 札幌駅ホーム東端。この先に南北乗換跨線橋が建設される。

ホームの端まで歩けば、この先には乗換跨線橋があるはずです。
上へ行くにはエスカレーターかエレベーター。階段は設けられないようです。

ここからは在来線列車から新幹線に乗り継ぐ乗客と同じ流れになります。

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 新在ホームを結ぶ南北乗換跨線橋。
  -JR北海道20220316_新幹線札幌駅の概要について-より画像引用

エスカレーターで跨線橋へ。
ガラス張りで明るい跨線橋。眺めは良さそうですね。
東は新幹線駅や苗穂駅、西は手稲山まで見えるのでしょうか。

ここから乗換改札口を通って新幹線ホームに下るエスカレーターまでの距離は130m。
途中には動く歩道も設置されます。


 ◆ アクセスその3、新幹線東改札口と交通広場

ここまでは地下鉄から乗り換えての新幹線札幌駅へのアクセスを想定してみました。
では、自家用車やタクシー等で直接アクセスするとなると、どのようになるのでしょう。

自家用車ならば北口に乗降レーンがあります。
しかし、地下鉄からのアクセス同様に、相当な距離を歩くことになります。

西2丁目通や創成川通は新幹線駅の近くを通りますが、この2つの通りからは車の乗り降りは難しいようです。
ではどうするのかというと、東2丁目通側に新幹線東改札口が設けられ、ここが新幹線に直接アクセスできる出入口という位置づけになるようです。

出入口に面して交通広場が設けられ、タクシー、自家用車、新たな公共交通システム等との接続が想定されています。
新幹線を降りてタクシー利用ならば新幹線東改札へ出る。
あるいは街側からタクシーで着くならば、新幹線東改札へ着ければ新幹線までは一番近いので便利そうですね。

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 新幹線東改札口から出口方向。
  -JR北海道20220316_新幹線札幌駅の概要について-より画像引用

もう一つが新たな公共交通システムというもの。
既存の交通機関と新幹線駅は、あまりに離れすぎているために街側と新幹線駅をダイレクトに接続する交通機関というものが必要となってくるわけです。

上画像には、改札口を出たところに停車する札幌市電らしき車両が停車中。
札幌市電は2015年に西4丁目〜すすきの間を延伸してループ運転となったわけですが、その後も新たな延伸構想がありました。
構想はいろいろあったようですが、第一は札幌駅へというものでしょう。

ずっと延伸に向けた調査や検討は続いていたようですが、去年(2022年)札幌市は事実上断念する方向を固めました。

市電延伸論が復活する可能性もないわけではありませんが、新幹線開業まであと8年。
新幹線開業時に市電が乗り入れている可能性は極めて低いでしょう。

 * 札幌 路面電車「延伸は極めて困難」 デマンド交通など検討へ

いろいろ検討に検討を重ねての結論だと思うので、それについてとやかく言うつもりはありません。



 ◆ 新幹線札幌駅を生かすためには

報道発表を聞いて気になったのは、市電延伸に代わる案として市が発表した交通機関にある『デマンド交通』だの『AI知能』だの『水素』だのといったフレーズ。

なんだか近未来的な夢の交通機関を並べたような格好ですが、デマンド交通って過疎地で路線バスの運行も難しい地域で行われる予約制交通機関のこと。
都会の都心部でそんなことやりますか?

AI知能とは自動運転のことだと思われます。水素ガスも環境にやさしいエネルギーとして注目されています。
だけど勘違いしちゃいけません。

交通機関の利用者からすれば、大事なのは運行経路が分かりやすいこと待たずに乗れることダイヤが正確なことであって、駆動機関が水素だろうと電気だろうとディーゼルだろうと、関係ないわけですよ。
自動運転だろうと動力が何だろうと、そんなものは運行側の事情でしかないわけで。

だから、新幹線駅と街側を連絡する交通機関を設けるならば、普通のバスでいいんじゃないですかね。
新幹線東口と大通・すすきのを結ぶシャトルバスとして、地下鉄や市電・バスに乗り継ぐのならば運賃は無料とするとか。
市電が無理なら、そういったソフト面で対応する方法があるのではないでしょうか。

すったもんだの議論の上で大東案に決着した新幹線札幌駅。

こうしていろいろシミュレーションしてみると、アクセスの面で難がある駅のようです。
街側とのアクセスを、ソフトの面で改善する必要があるのではないかということで、締めとさせていただきます。

 〜最後までお読みいただきましてありがとうございました。  

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posted by pupupukaya at 23/01/08 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

改修工事が始まった地下鉄すすきの駅

あけましておめでとうございます。
今年は2023年、早いもので令和も5年を迎えます。

年が明け、久しぶりに地下鉄すすきの駅に行ったら、あちこちに工事のための囲いができていました。
工事看板にある工事名は『すすきの駅リフレッシュ改修ほか工事』。

調べたら、これは南北線すすきの駅のホームやコンコースの壁と床を美装化する工事で、工期は2023年3月15日までとなっていました。

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 地下鉄南北線開業時からほぼ変わらないコンコース。

南北線のさっぽろ駅、大通駅、すすきの駅のコンコースはタイルの床に銀色の柱というのが共通したデザインでしたが、さっぽろ駅と大通駅のコンコースは大規模な改修工事が行われたので今は新しくなってます。

大通から地下街ポールタウンを歩いてすすきの駅に着くと、現れるのは時代が昭和に戻ったかのような空間。
開業当初から大きく変わらない姿のコンコースに古びた印象は否めません。
天井はあちこち雨漏りの補修だらけと老朽化も進んでいるようです。

2020年にススキノラフィラが閉店してからは行き止まりのイメージが強くなりました。

それでもラフィラ跡地では『(仮称)札幌すすきの駅前複合開発計画』の建築工事が進んでいて、こちらは今年(2023年)の秋オープン予定。

新しく開業する複合商業ビルは駅直結。
すすきの駅も、それにふさわしいデザインに改修されることでしょう。

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 どこか昭和時代を思い出すコンコース。

ところで、個人的には地下鉄南北線のイメージというと、タイル貼りの床に銀色の柱というイメージを持っています。
柱をステンレス製の化粧板で覆うのは1960年代から70年代にかけての流行だったんでしょうか。

あの当時からすれば、これが近未来的な建築だったんでしょうね。

しかしこの南北線の駅は造りがしっかりしているのか、50年以上たっても朽ちた感じはなく、清潔感を保っているように見えます。
むしろ後にできた東西線のコンコースのほうがどこかくたびれた感じに見えるのはどうしたことか。

最後まで残った、すすきの駅の開業当初からのコンコースがなくなるのは少々残念な気もしますが、もう50年以上も使われて老朽化も隠せない状態では、このまま使い続けるわけにもいかないのでしょう。

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 今の旧ラフィラ前。

上の画像は改札口からポールタウン方向を撮影したもの。
左側の壁はかつてのラフィラの入口で、閉店になってからはその出入口は閉鎖されました。

ラフィラの閉店と新型コロナウイルスによる行動制限から人通りも減ってしまい、今では少々寂しい場所になってしまいました。

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 ラフィラがあった頃(2020年5月撮影)

こちらがススキノラフィラがあった頃。
閉店が2020年5月だったから、早いものでもう3年前になるんですね。

新しい複合ビルがオープンすれば、再びここが出入口になると思われます。

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 ススキノラフィラ地下入口(2020年5月撮影)

ラフィラは地下出入口から入ると正面がエレベーターホールでした。
このエレベーターは外から見ると4基あるのに内側は3基だけ。一番奥のものは埋められているという謎のエレベーターでした。

ラフィラのエレベーターと言えば、それにまつわる色々な怪談もありましたな。
それも今となっては昔話ですがね。

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 ラフィラ側から、すすきの駅コンコースを見る(2020年5月撮影)

それはともかく、私はラフィラといえば、市電の山鼻線がすすきの終点だった頃は、ラフィラ地下1階のイトーヨーカドーで買い物してから市電で帰るなんてことがしばしばありました。

会社帰りに狸小路や地下街をぶらぶらしてススキノまで歩き、スーパーで買い物できましたから。
百均や本屋もあって、結構便利だったんですが。

市電がループ化されると、わざわざススキノまで歩くこともなくなって、ラフィラもススキノも、ちょっと縁遠い場所になってしまいました。

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 かつてのロビ地下ことロビンソン百貨店の入口(2009年1月撮影)

このビルは、さらにひと昔前はロビンソン百貨店でした。
この場所は『ロビ地下』なんて呼んでいたのも懐かしい思い出。
私などちょっと油断すると、旧ラフィラのことをついロビンソンと言っちゃいます。

ロビンソンが閉店したのは2009(平成21)年。
同じ年にラフィラとして再オープンしています。

そのさらに昔をさかのぼるとヨークマツザカヤ
その時代を知っている人となると40歳代後半より上の人たちでしょうな。
うちの親など『ヨーク』と略して呼んでいました。
私もさすがにその時代の写真は持っていません。

もう30年近くも前の、まだ平成も一桁だった頃。
ヨークマツザカヤ時代で思い出すのが、入り組んだ通路でごちゃごちゃしていた地下2階ですね。

ごまそば八雲にラーメン屋の喜龍、それに名前は忘れたがパチンコ屋があったのを覚えています。
覚えていますというか、どれもよく行ってましたから。

そのさらに昔の松坂屋時代となると、私らのもう2回りも上の世代の時代になりますかね。

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 すすきの駅キヨスク(2018年2月撮影)

もうひとつ思い出すのは、改札口横にあったキヨスク。
地下鉄駅のキヨスクも気づけば全店が閉店したか、コンビニに商売替えしたかで1店舗も残っていません。
すすきの駅のは地下鉄駅でも遅くまで残っていた方ですが、2018年3月に閉店しています。

閉店後は店舗も撤去されて、ずっとデッドスペースとなっていました。
他の駅はキヨスク跡地にコンビニなどで店舗が復活した例もありますが、すすきの駅は改修後にコンビニなどはできるのでしょうか。

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 ラッチ内コンコースから。

こちらはホームに下る階段から改札口方向を見たもの。
忘新年会シーズンは夜になるとラッシュ並みの混雑となったホームやコンコース。
そのためか、ラッチ内が広く取られています。
今は北側にも改札口が設けられましたが、昔はここ1か所だけでしたから。

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 1番ホームへの階段。

ホームへの階段はちょっと暗くて狭い。
レンガ調のタイルが、夜など何か出てきそうな・・・
もっとも、この駅は夜の方が賑やかなんですが。

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 ホームからコンコースへの階段。

都心部の駅にしてはちょっと心もとない狭い階段。
地下鉄南北線が開業したのは、札幌オリンピックを目前に控えた1971年12月。
札幌の人口が100万人を超えたあたり。
あの当時はこの程度で十分だという見方だったのでしょう。

あの頃の札幌の人口はうなぎ登りで増えていて、地下鉄の利用者数も開業当初からうなぎ登り。
あっという間に手狭となったからでしょう、この後に開業した東西線以降の地下鉄はどの駅も広く設計されるようになりました。

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 2023年秋オープンを目指して建設中の複合商業ビル。

地上へ出ると、すすきの交差点には18階建ての複合商業ビルが姿を現していました。

地下2階にはイトーヨーカドーが入り、地下1階から地上4階までは複合商業ゾーン、5〜7階は北海道発進出というTOHOシネマズ、7階から18階までが東急ホテルズというもの。

もう一方の狸小路のサンデパート跡地にできる複合ビルは『モユクサッポロ』。
こちらは今年の春オープンを目指して建築中。

去年閉館した4丁目プラザも解体工事が終わり、あらたなビル建設が始まるようです。
それ以外にもピヴォや道銀ビルも建て替え予定だとか。

札幌の都心もどんどん変わってゆきます。
今年はモユクがオープンし、すすきのの複合ビルがオープン。
すすきの駅だけでなく、大通・狸小路からススキノあたりのイメージもがらりと変わるのでしょうか。

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 どこか哀愁漂う、すすきの駅。

昭和から平成を経て今は令和時代。

すすきの駅コンコースが新しくなると知って、昭和という時代がまた一つ遠ざかってゆくような気がします。


〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。  

タグ:札幌 鉄道
posted by pupupukaya at 23/01/04 | Comment(0) | 北海道の駅鉄

2022年新幹線工事開始前の札幌駅を見る

2030年度末開業を目指して工事が進む北海道新幹線。
いよいよ札幌駅でも工事が本格化します。

それに伴って9月30日はパセオが全面的に閉店、その他高架下のテナントも10月中には順次閉店が予定されています。

札幌駅工事のため閉店するテナント
閉店日テナント名
2022年9月25日北海道どさんこプラザ札幌店
2022年9月30日パセオ
KINOTOYA BAKE
おにぎりのありんこJR札幌店
リトルマーメイド札幌店
QBハウスJR札幌駅南口店
2022年10月下旬北海道四季彩館札幌西店
2022年10月31日弁菜亭西コンコース店

これらの閉店は新幹線高架橋工事と、それに伴う在来線高架橋の耐震補強工事のために、営業に必要なインフラ設備の撤去が必要となることから、工事中の営業継続が困難ということからです。
コンコースに隣接する多くのテナントが姿を消すことから、札幌駅もしばらくは不便な駅となりそうです。

一方では、10月16日からは新たに11番線ホームが使用開始となります。
これは現在の1番線を廃止して新幹線の高架橋が建設されるからで、11番線はその代替ということになります。

いよいよ札幌駅も大きく変わります。
しばらくは工事の音が響き渡り、あちこち通行止めや仮設通路となるうるさい駅となりそうですが、数年後に完成したらどのような姿になっているのでしょうか。

そんな札幌駅ですが、大きく変わる前の姿も記録に残しておこうと、この秋に消えてしまうものを中心に撮影してみました。
少々お付き合い願います。

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 paseo GRAND FINALEの垂れ幕とテルミヌス広場。

パセオのグランドフィナーレまで1週間を切りました。
オープンしたのは1989(平成元)年7月というからもう33年になるんですね。
あのときは今のパセオイーストのエリアだけの営業でしたけど。

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 パセオ・センターの地下入口。

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 テルミヌス広場。(この画像は1週間前のもの)

この広場には腰掛けが並べられていて、休憩場所となっていたのですが、いつの間にか撤去されてただの広場になっていました。
新型コロナ対策だったのでしょうか。

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 パセオ・イーストの地下入口。

私は昔のパセオのイメージが強く残っているので2011年にリニューアルした今のパセオはあまり馴染みが無いのですが、仕事で何度かパセオに1日滞在して作業していたことがあり、何年かして改めて画像を見れば感慨深いものとなっているかも知れませんね。

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 パセオの思い出投稿コーナーとカウントダウンボード。

日に日に日数が少なくなるカウントボード。

営業最終となるのは金曜日21時。
残念ながらで私は行けません。
パセオに来るのは今日が最後となりそうです。

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 パセオ1階東側のセイコーマート。

パセオ1階の一番東側にあったセイコーマート。
北海道旅行の最後にセイコーマートオリジナルの商品をお土産に買うにはもってこいだったのですが、旅行客の姿はあまり見ませんでした。


仕事以外で東側に行くことは少なかったですが、私が馴染み深いのはこちら西側、パセオ・ウエストの方です。

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 西コンコース側のパセオ・ウエスト。

かつてリニューアルされる前は宮越屋珈琲の窓となっている階段正面に大きなステンドグラスがありましたね。
あれはどこへ行ったんでしょうか。

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 カフェ、コンビニ、書店、ドラッグストアが並ぶ通路。

ヨドバシカメラに行くのにこの通路をよく通ってましたね。
コンビニ、書店、ドラッグストアと旅行に便利な店が一通り揃っている便利なエリアでもありました。

弘栄堂書店もよく立ち読みしていたっけ。
でも買った記憶はあまりない・・・(どうも申し訳ありません)

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 札幌弘栄堂書店。

この弘栄堂は最近まではアピアにもあったし、もっと前は国際ビルにも入っていました。
さらに昔は札幌駅名店街にもありましたね(古いねえ)・・・

元々は北海道キヨスクの経営でしたが、今は別の会社となっています。
書店はどんどん姿を消していますね。新しい駅となったときに書店は復活するのでしょうか。

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 パセオ・ウエストのエスカレーター。

パセオ・ウエストの1階と地下はレストラン街で、何を食べようか決められずにこのエスカレーターを何度も登ったり降りたりしたこともありましたっけ。

ところで、パセオ店内のあちこちで目にする天井や壁の白黒の模様は『テルミヌス・サウンド』といって、メロディーやサウンドをイメージしたデザインなのだそうです。

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 昔なつかしのサンプルが並ぶサンローゼ。

サンローゼばかつてすすきのにあって、昭和の香りプンプンという店内が印象に残ってますが、こちらパセオ店もその雰囲気は醸し出しています。
銀色の丸いトレイを持ったウエイター、子供が喜びそうな食品サンプルなど眺めていたら昔のデパートの大食堂を思い出します。

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 えぞっこの人形。

ここの人形が結構好きだったんですけどね。
このラーメンどんぶりを持つ赤いジャケットのおっさん人形は私的には馴染み深かった。
なぜかというと、道内時刻表にこのおっさんのイラスト入りの広告が載っていたからです。

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 1994年10月発行弘済出版社道内時刻表にあった広告。

この人形、名前とかあるのかなあ・・・
ググってみたけどわかりませんでした。

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 パセオダイニングの案内板。

札幌の地元人ならば誰でも知っている店からちょっとめずらしい各国料理まで名店が揃っているところでしたね。
西コンコース隣接ということもあってか、昼時はどの店も混雑しています。

このパセオですが、耐震補強工事が完成してもパセオとして復活することはないそうです。
平成元年から令和の時代に営業していたパセオはもう最後となります。

新たな駅が完成した暁には、どのような商業施設がオープンしているんでしょうかね。

次はパセオではなく、西コンコースにある案内所と福祉系ショップ、それにお土産屋が入居する『北海道さっぽろ「食と観光」情報館』。

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 北海道さっぽろ「食と観光」情報館。

ここは入って左側は道内各地の市町村や観光地のパンフレットが置いてあります。
どこかに旅行に行きたいなあ、というときはここでパンフレットを貰ってあれこれ行き先を検討したものでした。

右側は北海道どさんこプラザ。
ここも道内各地の名産品やお土産が揃っています。
新千歳空港あたりでは買えない地味な名産品なども置いていたりするので、それを知っている観光客には人気のようです。

私ら札幌人には、道内各地に行って土産物を買い忘れたときには便利ですね。
あと、アリバイ作りとか・・・

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 北海道四季彩館。

こちらは西改札口隣りにある土産物屋。
どさんこプラザと違うのは、こちらは札幌の土産物が中心。
キヨスクの系列店なのでJR北海道の鉄道グッズも置いていますが、そちらの品揃えは東コンコースにある四季彩館のほうが良いようです。

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 大丸と札幌駅の間。

パセオ・ウエストから外に出ると、こんな空間もあったりします。

ここに新幹線の高架橋が建設され、この空間もなくなるわけです。
だからどうしたと言われそうですけど、ここでお見せしたいのが札幌駅の南側の壁。

札幌駅は高架駅で、ホーム全体を鉄骨の建物で覆っているので、この壁が駅の顔となるわけです。
北口のは凝ったデザインとなっていましたが、南口のは白い壁に横長の窓だけというシンプルなデザインとなってました。
1・2番線が使用開始となった1990年に完成です。

今は1・2番線ホームの南側といえば暗い壁になっていますが、この窓から札幌駅前広場を見ることができた頃もありました。

ちなみにこの一部だけ顔をのぞかせている南側壁が札幌駅の顔だった頃の画像がこちら。

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 旧駅舎が解体された頃の札幌駅(1999年12月撮影)

古い写真をスキャンしたものなので色あせていますが、旧駅舎を取り壊して今の大丸やステラプレイスの建設が始まるまでの短い間、このシンプルなデザインが南口の顔でした。

こんどは入場券を買ってホームの方に行ってみましょうか。

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 10月16日から使用開始する11番ホーム。

すでに工事用の覆いが取り払われて10番線から見ることができます。
この場所は札幌駅が高架化された1988(昭和63)年、今の1・2番ホームが未完成だったために11番線が設けられていました。

当時は仮設だったために、他のホームには設置されたエスカレーターもなく階段だけ。
しかも鉄骨と鉄板で作られたものなので、列車が着くたびにホームを歩く人や階段を下りる大勢の客の足音が轟音のように響いていたのを思い出します。

1990(平成2)年に1・2番ホームが完成すると11番線ホームは使用停止になり撤去され、以降は車両留置線などに使用されていました。

こんどの11番線復活は恒久的なものとなります。

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 1・2番線ホーム。この島式ホームは、正式な名称は第1乗降場。

札幌駅の一番南側にあるホームで、主に手稲・小樽方面の普通列車が使用するホームです。
2番線は快速エアポートが発着することがありますが、1番線は普通列車だけ。
1番線廃止後の2番線は、普通列車専用のホームとなるのでしょうか。

そのほかには札幌が終点になる特急が到着するだけの地味なホーム。
あまり地味すぎるためか、ホームのキヨスクとそば店は他のホームよりも早い時期に閉店・撤去されています。

工事は左の1番線の線路を撤去し、このホームの左側を削って新幹線の線路が敷設されることになっています。

当初はこのホームが新幹線ホームとなるはずでしたが、ホームの幅といい、隣の線路との間隔といい、いくらなんでもちょっと無理そうですね。
だから新幹線ホームは東側に建設される大東案となったのも必然といえます。

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 3番線ホームから東側を見る。

1・2番線からだと乗務員待合室の建物があるので、3番線ホームから新幹線ホームができる東側を見ます。
新幹線の高架橋とかぶるためか線路の移設工事も行われるようです。新しいポイントも見えています。

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 跨線橋新設工事のために撤去される東側のホーム。

3・4番線ホームは『北斗星』や『はまなす』が到着できるようにホームを延長していました。
しかし両列車もなくなり、12〜13両+機関車という長大編成の列車が発着することもなくなって、またここに新幹線ホームと連絡する跨線橋が設けられることから、ホーム東側部分の撤去が始まっています。

同時期に高架化された金沢駅のように、初めから新幹線用地を確保してあればこんな複雑な構造にはならずに済んだはずなんですけどね。
今更どうしようもないことですが。

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 1・2番線ホームの階段から。

コンコース南側の東西連絡通路はガラスで仕切られていて、元々はこの通路から改札内コンコースが見渡せたものでしたが、いつしかコインロッカーが並ぶようになり改札内を見ることはできなくなっていました。

この東西連絡通路も閉鎖が決まっていて、コインロッカーも移設が始まっているようです。
コインロッカーがなくなって、前のようにお互い見通せるようになっていました。
これも短い間の光景ですね。

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 改札内コンコース。

コンコースの案内板にある『1』の部分は早くもシールが貼られていました。
10月16日からはシールを剥がせばOKということなのでしょう。

このホームの番数を表示した案内板には『のりば』と表示されていますが、他は『番線』となっているのにどうしてなんでしょうかね。
駅の自動放送は「○番線」になっているし、車掌の乗り換え放送は「○番ホーム」と言う人が多い。
呼び方を統一しようという声もとくに出ないようで。
割りとどうでもいいことかも知れませんが。

ところで、1番線がなくなると札幌駅のホームは2〜11番線ということになります。
これはどこかのタイミングで1〜10番線と改めることになるのでしょうか。

それとも1番は永久欠番となるんでしょうかね。

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 ここも8年後には大きく風景を変える南口広場。

冒頭の話に戻りますが、これから工事が始まる札幌駅です。
数年後には完成したエリアから新しい姿の札幌駅が見えてくることでしょう。

新幹線が来るようになったら、東京の風も札幌駅に吹いてくるのでしょうか。

最後に紹介するのが下の画像。
西コンコースで行われている『鉄道開業150年のあゆみパネル展』で展示されていた木造駅舎時代の札幌駅舎。

1908(明治41)年に完成したルネッサンス様式の3代目札幌駅舎。
それをAIがカラー化するWebアプリで色をつけてみました。

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 ルネッサンス様式の札幌駅旧駅舎(西コンコースに展示の写真を加工)

3代目木造駅舎から4代目鉄筋コンクリート駅舎へ。
地平駅から5代目高架駅と進化してきた札幌駅ですが、今度は新幹線の駅へと生まれ変わります。

どのような駅や商業施設に変わるのでしょうか。
昭和、平成、令和と3つの時代を生きる身として、この札幌駅の変貌を見届けたいと思っています。

 〜以上、最後までお読みくださいましてありがとうございました。

posted by pupupukaya at 22/09/24 | Comment(1) | 北海道の駅鉄

ひっそりと消える地下鉄南北線の古い看板

この9月に消えるものがありまして、それが札幌駅前にあるヒューリック札幌ビル。
みずほ銀行札幌支店が入っていたビルと言った方が分かりやすいですかね。

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このビルは消えて建て替えとなりますが、それはわりとどうでも良くて、ここで取り上げる消えるものとは地下鉄南北線さっぽろ駅9番出入口のことであります。

出入口わきに貼ってあった張り紙を見ると、ビルの建て替え工事で今年(2022年/令和4年)の9月26日から2025(令和7)年7月1日まで閉鎖になるようです。

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あまり気付いている人も少ないと思いますが、さっぽろ駅9番出入口の上に掲げられた『さっぽろ駅』の駅名標。

他の出入り口に掲げられた地下鉄出入口の看板と比べて、ここのは小さく目立たないものしかありません。
みずほ銀行前に出るこの地下鉄出入口、利用者も少なくて、ここに地下鉄出入口があることに気づかない人も多そうですね。

しかし、大通駅と札幌駅を直結する地下歩行空間がまだなかったころ、ここの出入り口のお世話になった方も多いのではないでしょうか。

例えば、まだ地下歩行空間がなかった頃に大通駅から札幌駅まで歩いて行こうとすると、地上の駅前通りを歩くしかなかったわけです。

PICT0014.JPG
 地下歩行空間がなかった頃の札幌駅前通(2005年5月撮影)

その頃は大通駅の拓銀(古いねえ、今の北洋銀行)横の階段を登って駅前通りに出て、北1条、北2条、北3条の交差点を渡り、北4条手前のこの出入り口から地下に潜るのが一番早かったわけです。

その頃から、この小っちゃな他の出入り口にあるデザインと異なった駅名標に気づいていました。
これが地下鉄南北線開業当初からの駅名標だと知ったのは後のことでした。

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1971(昭和46)年12月開業の札幌市営地下鉄南北線開業当初からの駅名標。
駅名標の枠といい、天井といい、妙にメタリックなのは当時の流行だったのか、近未来を先取りしたデザインということだったのか。

で、これが開業当初からの駅名標だと分かったのはこのストラップを見たからです。

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いつどこで買ったものかは忘れましたが、札幌市営地下鉄グッズの駅名標ストラップ。
現在のものと開業時のものが売られていて、これは開業時デザインのさっぽろ駅のもの。

白地の看板に、駅名の日本語は青色、ローマ字はオレンジ色という意匠はまさに9番出入口の看板と同じです。
また開業当時からのものが1つ消えるんだなあと思い記事にしました。

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上はさっぽろ駅9番出入口を内側から見たもの。
よくこの出入口を利用していたころはこの向かいに赤レンガ調の五番館がありましたね。
おっと、五番館じゃなくて西武デパートだったか。
ここにも高層ビルが建つことが決まっています。

この、南北線開業当初からの駅名標はここだけかと思っていましたが、探してみたら意外とまだ残っていました。
下はさっぽろ駅4番出入口。
さりげなく白地に青とオレンジ色文字の看板がありました。

DSCN5713.JPG


天井からチョコンとぶら下がる古びた駅名標。
私が女子ならば、カワイイ♡・・・なんて言っていたかも。

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さっぽろ駅だけでなく、大通駅に今でもあるのがこちら。

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大通駅13番出入口のもの。
さっぽろ駅のは屋外と仕切りのない場所にあるので劣化していますが、こちらのは屋内にあるので開業当初から変わらぬ姿という感じです。

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三越北館にある出入り口で、ここを下るとみずほ銀行の宝くじ売り場に出ます。
しかし利用者は少なく、ひっそりとした場所。
この看板が最後まで残るとしたら、ここかも知れませんね。

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この地下鉄南北線開業当初からの看板は駅名標だけではなく、すすきの駅には出入口の看板にも残っていました。
すすきのラフィラ横の、店内を通らずに直接駅前通りに出る5番出入口にあったものです。

ただ、ラフィラ閉店と解体に伴ってこの出入口は現在閉鎖されて看板も撤去されています。
下の画像は2012年に撮影したものです。

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『出 EXIT 口』と書かれた独特のデザイン。
この裏側には『地下鉄のりば』の青文字で書かれていました。

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階段途中にあった看板。
これもデザインが同じなので、開業当初からのものでしょう。

右の看板は松坂屋→ヨークマツザカヤ→ロビンソン→ラフィラと取り換えられてきたのでしょうか。

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これは、さっぽろ駅3番出口の地下にあったもの。
2013年撮影。

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さっぽろ駅のコンコースはアイヌ空間が設けられてすっかり新しくなりましたが、伊藤・加藤ビルに出る中地階のような通路は今でも開業当初のような通路になっています。

南北線開業当初からのものといえば、こんなものもありましたね。

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上画像は2006年3月撮影のさっぽろ駅北改札口付近。
タイル張りの床に銀色の柱、それに天井から下がる木目調の時計。

機能よりもデザイン重視なのか、分の目盛りが無い時計。
等間隔で運転される地下鉄なのだから、分目盛りまでは必要ないとの判断だったのでしょうか。

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南北線独特の木目調の時計はホームからは姿を消しましたが、なぜか大通駅西改札口の上に復活していました。

以上、さっぽろ駅、大通駅、すすきの駅にあった南北線開業当初からの看板の紹介でした。
探せば他の駅にもまだまだ残っているかも知れませんね。

こういったものは人知れず消えてゆくか置き換えられるもの。
駅に残る古い看板やデザインにご興味のある方がおられましたら、お早目の撮影をおすすめします。

posted by pupupukaya at 22/09/16 | Comment(0) | 北海道の駅鉄
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