地平時代の旧旭川駅2 ホームと列車と地下道

それでは改札口から入場してみましょうか。改札を入ってすぐは1番ホームに面していて、札幌方面行の特急列車が停車しています。ライラック、スーパーホワイトアロー、スーパーカムイと列車名と車両は変わっていますが、毎時00分発の特急列車は必ず1番ホームから発車していました。

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2002年1月
改札を入るとすぐワゴンの駅弁屋さんがいた。
もともと改札口は直接1番ホームに面していたが、自動改札導入後は改札口から地下道入口まで壁で仕切られるようになった。

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2001年10月
昔から毎00分初札幌方面への特急は1番ホームが定番だった。停車中の列車はスーパーホワイトアロー。

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2001年10月
時代を感じさせる1番ホームの階段。化粧タイルや手すりのエンド部分に古き良き時代を感じる。
地下道は駅舎より3年早い1957(昭和32)年に完成していた。

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2001年10月
改札口側はエスカレーターが設置されたが反対側は昔のままだった。

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2002年1月
右はスーパーホワイトアロー、左はライラック。真ん中の線路はよく貨物列車が停まっていた。

1991年から2007年までスーパーホワイトアローは毎時00分発、ライラックは毎時00分着となっていてダイヤ上は同時発着だが、実際は駅構内の札幌方で両列車が平面交差する事情から、ライラック到着後でないと1番線は青信号にならずスーパーホワイトアローは発車できなかった。

ライラックを1番線に、スーパーホワイトアローを2番線発着とすれば同時発着可能となるのだが、そこは旭川駅。最優等列車は1番線に着けるという国鉄時代からの大原則は最後まで曲げなかったのである。

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2000年8月
優等列車専用ホームに相応しい幅広で屋根が堂々と張り出した1番ホーム。

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2008年4月
駅長室と名石「神居古潭石」。

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2001年10月
1番ホームから階段を下りたところにあったステーションデパートの改札口。ただし、デパート以外にはどこにも通じておらず地上へは階段を登らねばならないため、ここから出場する客は少なかった。

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2003年8月
駅舎と各ホームを結んでいた地下道。改札時以外はがらんとしていた。

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2004年11月
壁面のタイルなど薄暗いがどこか風格を感じさせる。

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2004年11月
地下道の銘板。富良野線ホームへの狭くて長い通路は駅舎よりもさらに早い昭和28年に完成していたらしい。

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2001年10月
2・3番ホームへ登る階段。反対側にはエスカレーターが設置されている。

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2001年10月
新千歳空港からの特急ライラックが到着。

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2000年8月
2・3番ホームは毎時30分発の札幌方面行特急と石北・宗谷本線方面への特急が主に発着していた。

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2008年4月
ホームの売店と立ち食いそば屋。奥側にはキヨスクもあって、3店舗仲良く営業していた。

筆者は90年代の一時期稚内で暮らしていたころ、このホームからよく18:23発急行サロベツに乗った。
といってもあの頃の下り急行は混んでいて、改札口で並んで改札が始まるとホームで並んで慌ただしく列車に乗った記憶しか無い。

そういえばあの当時は発車メロディーがあったが、これもいつの間にか無くなっていた。

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2002年1月
2・3番ホームの東側にあった輸送事務室の建物。

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2000年8月
4・5番ホームは売店も電話もなく飲み物の自販機だけあった。ローカル列車専用だが、急行礼文や上り急行宗谷・サロベツは4番ホームに発着していた。さすがにその時は駅弁のワゴン販売が行われていた。
ホームの上屋は木造だったが、高架化工事のため2002年頃には仮設ホームになってしまった。

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1988年1月
読みが「あさひがわ」だった頃の駅名標。市名と同じいまの「あさひかわ」に変更されたのは1988年3月13日から。

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1988年1月
4両編成のL特急ライラック号。昔から1番ホームに横付けされるのは1番の花形列車だった。

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1988年1月
4・5番ホームに停車する気動車。奥のキハ22は永山から来た列車。手前のキハ54は当時昼間も運転されていた近文行普通列車。
国鉄末期頃から旭川近郊列車の増発が行われてきた。

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2003年4月
4・5番ホームの向こうには離れ小島のように富良野線専用の6・7番ホームが見えた。広い空地はかつてたくさんの貨物線があったが、90年代には撤去されたようだ。このスペースは後に現在の高架旭川駅が建設される。

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2003年4月
富良野線ホームはここから約70mも先にある。地下道はここから幅も半分になる。

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2004年11月
長〜い通路。90年代頃までは富良野線の列車の改札が始まるごとに席を取る乗客たちがダッシュする光景が見られた。

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2004年11月
6・7番ホームへ登る階段。

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2003年8月
ローカル列車のみなので私鉄のような雰囲気でもあったホーム。

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2003年8月
富良野線ホームから見た駅舎方向。構内越しに駅前のビル群を眺めると、稚内あたりから来ると結構な大都会に思えたものだった。

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2003年8月
美瑛からの普通列車が6番ホームに到着。

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2003年8月
富良野線は昔から本数が多く、駅数も多かったので旭川の都市近郊電車のような性格の路線だった。

7番ホームからは富良野行普通列車が発車するところですが、これに乗ると帰れなくなってしまうのでそろそろ現代に戻るとしましょうかネ。

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現在の旭川高架駅。

地平時代の旭川駅へのタイムスリップはいかがでしたでしょうか。
ではまたお会いしましょう。お付き合いくださいましてありがとうございました。


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posted by pupupukaya at 14/05/18 | Comment(5) | 北海道の駅鉄
この記事へのコメント
地下通路やステーションデパート、旧駅舎を懐かしく拝見させていただきました。富良野線は、実際に利用しておりましたので、発車時刻ギリギリに改札を通ると、駅員さんに“急いで!!”と声をかけられ、車掌さんもなれていらしゃって、待っていてくれましたね。ありがとうございました。
Posted by 赤影 at 2016年08月12日 15:38
旭川駅のステーションデパート、何度も行った蜂屋、おでん屋に行った事や地下通路等を懐かしく拝見しました。よくぞ撮影して残して頂けたものと感謝です。
駅前の旭ビルも懐かしいです。
地下通路の写真を見ていた時に鉄道管理局に勤めていた父の匂いがしたような気がしました。

今年63才で現在東京在住ですが
旭川市曙の実家に高校生までおりました。
ありがとうございました。
Posted by しな at 2021年01月11日 16:50
ありがとうございます。
実は私も当時の旭川駅が好きで、いつかなくなるであろう駅ナカの写真を行くたびに撮りためていたものです。
今で言う駅鉄というやつですかね。
当時を思い出していただければ幸いです。
Posted by pupupukaya at 2021年01月12日 20:37
貴重な写真ありがとうございます!
とっても面白かったです
Posted by ことり at 2024年10月27日 02:55
昔も現在も富良野線利用者です。
地平時代の旭川駅は「なんで富良野線だけ仲間外れにして乗り場をこんなに離されるのかな?」と常々感じてました。
富良野線の乗客よりも宗谷本線や石北本線の貨物の方が優先順位が高かったから富良野線の利便性は後回しにされてあんな離れた場所に追いやられたのでしょうね。

地下通路が出来た当時は改札から4・5番ホームまで跨線橋を渡り、そこから地下通路を潜り6・7番ホームまで移動した…なんて話しも聞いたことがあります。

そんな不便な思いをさせてまで駅構内に貨物仕分線を設けなければならなかったのでしょうか?
少し線路の配置を感がれば4・5番ホームのすぐ隣に6・7番ホームを作れたと思いますが、当時の国鉄はそこまでして富良野線を除け者扱いしたかったんでしょうかね?
Posted by わた at 2024年11月20日 08:23
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