地平時代の旧旭川駅1 駅舎・ステーションデパート

2010年10月10日に旭川駅が高架駅としてオープンしました。以来駅周辺の再開発も着々と進み、旭川の新しい顔ができつつあります。

しかし、広すぎて寒々としたコンコースや街から遠ざかってしまった駅入口などを見ると、なにか失ってしまったような気がするのは私だけでしょうか。

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現在の旭川駅コンコース。

先代の3代目旭川駅は1960(昭和35)年に、地上2階地下1階建てで、地下の民間のテナント部分は民間が出資する「民衆駅」という形で竣工しました。
その前の2代目駅舎は大正時代建築の木造駅舎だったので当時としては鉄筋コンクリートの新駅舎はとても斬新だったと思われます。

その後建物自体は幾度も改築されてその時の現代風になってましたが所々に昭和30年代の、鉄道の要衝であった古き良き時代の面影が残っていました。

今日はそんな旧旭川駅にちょっとタイムスリップしてみましょうか。それほど昔ではなく、2000年台前半頃のイメージで。

※画像は過去に写した寄せ集めのものなので、撮影時期はバラバラです。画像横に撮影年月を記しています。


◆ 駅舎入口から

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2003年4月
『旭川駅』と大きく高く掲げられていた表示は旭川のメインストリート平和通買物公園からも目立つ存在だった。

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2000年8月
平和通買物公園の賑わいと旭川駅。街と駅は近かった。

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1985年10月?
これは国鉄時代の旭川駅。駅舎は格好のメディアとばかりに広告の大看板が掲げられ始めた頃。
正面のデジタル時計はおそらく初代のものだろう。

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2002年1月
ステーションデパートの看板も見える駅正面入口。

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2001年10月
旭川駅夜景。「旭川駅」のネオンは結構目立って、買物公園からも良く見えた。

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2004年11月
2004年頃からネオンと電光掲示時計は撤去され、イルミネーション風の三角塔と丸時計が設置された。高架移転まで旭川駅の顔はこのスタイルとなる。

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2004年11月
駅前の一般車乗降場。歩道の幅は狭いが、屋根付きで車寄せのように利用できた。

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2003年4月
駅前広場東側にあった鉄道弘済会の建物。

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2004年11月
風雪に耐えつつ駅前を見守ってきた夫婦のニポポ人形。新駅移転後行方不明だったが、現在は旭川市内某所に引き取られ保存・公開されているとか。

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2004年11月
旧駅舎とこれも今は無いアサヒビル(右)。


◆ コンコース・改札口

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JR北海道ホームページに2003年頃掲載していた旭川駅構内図。

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2001年10月
改札口前のコンコース。奥はみどりの窓口。

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2001年10月
駅舎内はJR化以降様々なテナントが入居してごちゃごちゃした印象だった。

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2003年10月
柱が等間隔で並んだコンコース。奥は改札口横にあったキヨスク。

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2003年4月
駅に入ってすぐのところにステーションデパートの入口階段があった。2か所あってこちらは西側の入口(西階段)。

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2003年4月
東側の入口(中央階段)。こちらは改札口や正面入口からは反対方向になるので閑散としていた。

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2002年1月
待合室。昔はもっと広かった気がするけど、増えるテナントに場所を取られてこの形になったのだろう。
奥の立ち食いそば屋は隣のサンレストと厨房は共通で、値段も隣で座って食べるのと変わらなかった。

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2004年11月
待合室の出入り口。

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2004年11月
日観連宿泊案内所。昔ここでビジネスホテルを紹介してもらったが、あまりの安さに驚いた記憶がある。

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2004年11月
旭川駅内郵便局。これもできたのは国鉄からJRになった頃だと思う。当時駅構内に郵便局があるのは珍しかった。旅先のお金は郵貯の預金を現地で引き出していたが、ATMは郵便局にしか無かった時代は駅内に郵便局があるのは大変重宝だった。

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2004年11月
もとは「にっしょく北海道」といって、駅の食堂らしく年中無休で、メニューも定食から丼物、麺類まで幅広くやっていた便利な食堂だった。

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2001年10月
自動改札機がずらりと並んだ改札口。当時こんなところにまで自動改札化が進むとは思わなかった。

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2003年4月
改札口の向こうにスーパーホワイトアロー号が停車している。1番ホーム発着の列車に限って言えば、地平駅は便利な駅であった。
電光掲示案内の下に『富良野線ホームまでは3分以上かかります』の表示が下がっている。

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1988年3月
自動改札導入前の改札口。


◆ ステーションデパート

地下1階はステーションデパートが営業していました。しかし、JR化後はコンコースにも数々のテナントが入居するようになって、すっかり影が薄くなってしまったようです。

地下改札口があって、このあたりが21世紀になっても昭和の香り漂う一角でした。改札口だけできっぷは売っていなかったが、既にきっぷを持ったお客さんが地下改札口の前に並んでいたので結構混雑していた。

そんな光景も、ホームにエスカレーターが付いたことや、自動改札化で常時改札が行われるようになると地下改札口の利用者も少なくなっていったようです。

せめてエスタと地下で直結していればもう少し人の流れもできていたのかも知れないが、お客の減少に歯止めがかからず、新駅舎移転より一足先の2004年4月を以て閉店となりました。

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2001年頃
駅で配布していた『旭川ステーションデパートお買い物マップ』。

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2000年8月
ステーションデパート入口の階段。

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2001年11月
地下ステーションデパートの店内。地上階の喧噪とは正反対に静かで人影もまばらだった。
駅という場所柄で土産物を扱う店が多かったが、観光客や旅行者の姿を見ることは稀だった。

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2002年1月
「デパート」といっても各店はショーケースや陳列棚を並べた売店程度の規模で、観光地の土産物屋のような雰囲気だった。

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2002年1月
柱に貼ってあったステーションデパートの案内図。昔は「まごころタウン」の名前がついていたが、この頃はまた「ステーションデパート」の名称に戻っていたようだ。
(店員はあまり「まごころ」は感じなかった記憶はあるが・・・)

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2001年11月
ステーションデパート東側の飲食街。改札口から遠いせいかさらに閑散とした一角だった。緑色した暖簾の店は蜂屋ステーション店。当時から有名店で(今ほどではないが)旭川に行く度によく食べたものだった。

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2003年8月
ステーションデパートから直接地下道に通じる地下改札口。地上は自動改札化されたが、ここのは最後まで有人の改札口だった。
列車別改札が行われていた昔は奥の改札口からここらあたりまで行列ができていたものだが、自動改札化後は常時改札となり過去のものになった。

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2002年1月
地上のような電光掲示板は最後まで設置されず、改札係の人が列車の行先を書いた札を掛けたり外したりしていた。

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2003年4月
『只今の改札』という時代がかった表現もこの頃は珍しくなっていた。

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2002年1月
改札口横にあった縦書き漢数字の発車時刻表。最後までこのスタイルで、ステーションデパート営業中の9:00〜20:00までの表記だった。

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2002年1月
この頃は経費節約のためかダイヤ改正の度に上から紙を貼って時刻修正した箇所が増えて行った。

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2002年1月
函館本線、宗谷本線、石北本線、富良野線と4方向の時刻表が並ぶ。

駅舎内は大体見て回ったので、今度は切符を買って改札口の中に入ってみましょうか。

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2 ホームと列車と地下道へつづく




posted by pupupukaya at 14/05/18 | Comment(3) | 北海道の駅鉄
この記事へのコメント
懐かしいです(o^∀^o)地下のステーションデパートで、見送りに来てくれたおばあちゃんに、おもちゃを買ってくれたり、ここで両親が、職場に持っていくお土産を、買っていた記憶があります🎵
Posted by えみりお at 2015年11月08日 17:05
関東に出てきて15年くらい。知らない間に旭川駅が変わってしまい帰省する度に寂しい気持ちでいっぱいです。
本当に懐かしい写真ばかり!地下の蜂谷でよくラーメン食べたからJR乗ったなぁ…
西武もマルサもなくなって昔の面影はないですね。
イオンとか綺麗だけど、行くと寂しくなってしまう。
Posted by ぷたろ at 2019年11月15日 17:08
ありがとうございます。
私も地下の蜂谷はよく行きました。
カウンターは無くテーブル席が並んでいて、入口のレジで食券を買って席に着くという、何だか昔のデパートの食堂みたいだなあと当時思っていました。
あと、本店と違って、ラーメンの上におろし生姜が乗っていたのを思い出します。
Posted by pupupukaya at 2019年11月16日 09:53
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