地平時代の旧旭川駅1 駅舎・ステーションデパート

2010年10月10日に旭川駅が高架駅としてオープンしました。以来駅周辺の再開発も着々と進み、旭川の新しい顔ができつつあります。

しかし、広すぎて寒々としたコンコースや街から遠ざかってしまった駅入口などを見ると、なにか失ってしまったような気がするのは私だけでしょうか。

P2130011.JPG
現在の旭川駅コンコース。

先代の3代目旭川駅は1960(昭和35)年に、地上2階地下1階建てで、地下の民間のテナント部分は民間が出資する「民衆駅」という形で竣工しました。
その前の2代目駅舎は大正時代建築の木造駅舎だったので当時としては鉄筋コンクリートの新駅舎はとても斬新だったと思われます。

その後建物自体は幾度も改築されてその時の現代風になってましたが所々に昭和30年代の、鉄道の要衝であった古き良き時代の面影が残っていました。

今日はそんな旧旭川駅にちょっとタイムスリップしてみましょうか。それほど昔ではなく、2000年台前半頃のイメージで。

※画像は過去に写した寄せ集めのものなので、撮影時期はバラバラです。画像横に撮影年月を記しています。


◆ 駅舎入口から

IMG_20140517_0012.jpg
2003年4月
『旭川駅』と大きく高く掲げられていた表示は旭川のメインストリート平和通買物公園からも目立つ存在だった。

54.jpg
2000年8月
平和通買物公園の賑わいと旭川駅。街と駅は近かった。

IMG_20140517_0009.jpg
1985年10月?
これは国鉄時代の旭川駅。駅舎は格好のメディアとばかりに広告の大看板が掲げられ始めた頃。
正面のデジタル時計はおそらく初代のものだろう。

27.jpg
2002年1月
ステーションデパートの看板も見える駅正面入口。

IMG_20140517_0013.jpg
2001年10月
旭川駅夜景。「旭川駅」のネオンは結構目立って、買物公園からも良く見えた。

PICT0348.JPG
2004年11月
2004年頃からネオンと電光掲示時計は撤去され、イルミネーション風の三角塔と丸時計が設置された。高架移転まで旭川駅の顔はこのスタイルとなる。

PICT0036.JPG
2004年11月
駅前の一般車乗降場。歩道の幅は狭いが、屋根付きで車寄せのように利用できた。

35.jpg
2003年4月
駅前広場東側にあった鉄道弘済会の建物。

PICT0041.JPG
2004年11月
風雪に耐えつつ駅前を見守ってきた夫婦のニポポ人形。新駅移転後行方不明だったが、現在は旭川市内某所に引き取られ保存・公開されているとか。

PICT0085.JPG
2004年11月
旧駅舎とこれも今は無いアサヒビル(右)。


◆ コンコース・改札口

asahikawasta.bmp
JR北海道ホームページに2003年頃掲載していた旭川駅構内図。

IMG_20140517_0003.jpg
2001年10月
改札口前のコンコース。奥はみどりの窓口。

IMG_20140517_0004.jpg
2001年10月
駅舎内はJR化以降様々なテナントが入居してごちゃごちゃした印象だった。

IMG_20140517_0014.jpg
2003年10月
柱が等間隔で並んだコンコース。奥は改札口横にあったキヨスク。

IMG_20140517_0002.jpg
2003年4月
駅に入ってすぐのところにステーションデパートの入口階段があった。2か所あってこちらは西側の入口(西階段)。

IMG_20140517_0022.jpg
2003年4月
東側の入口(中央階段)。こちらは改札口や正面入口からは反対方向になるので閑散としていた。

28.jpg
2002年1月
待合室。昔はもっと広かった気がするけど、増えるテナントに場所を取られてこの形になったのだろう。
奥の立ち食いそば屋は隣のサンレストと厨房は共通で、値段も隣で座って食べるのと変わらなかった。

PICT0066.JPG
2004年11月
待合室の出入り口。

PICT0070.JPG
2004年11月
日観連宿泊案内所。昔ここでビジネスホテルを紹介してもらったが、あまりの安さに驚いた記憶がある。

PICT0074.JPG
2004年11月
旭川駅内郵便局。これもできたのは国鉄からJRになった頃だと思う。当時駅構内に郵便局があるのは珍しかった。旅先のお金は郵貯の預金を現地で引き出していたが、ATMは郵便局にしか無かった時代は駅内に郵便局があるのは大変重宝だった。

PICT0073.JPG
2004年11月
もとは「にっしょく北海道」といって、駅の食堂らしく年中無休で、メニューも定食から丼物、麺類まで幅広くやっていた便利な食堂だった。

39.jpg
2001年10月
自動改札機がずらりと並んだ改札口。当時こんなところにまで自動改札化が進むとは思わなかった。

IMG_20140517_0005.jpg
2003年4月
改札口の向こうにスーパーホワイトアロー号が停車している。1番ホーム発着の列車に限って言えば、地平駅は便利な駅であった。
電光掲示案内の下に『富良野線ホームまでは3分以上かかります』の表示が下がっている。

4.jpg
1988年3月
自動改札導入前の改札口。


◆ ステーションデパート

地下1階はステーションデパートが営業していました。しかし、JR化後はコンコースにも数々のテナントが入居するようになって、すっかり影が薄くなってしまったようです。

地下改札口があって、このあたりが21世紀になっても昭和の香り漂う一角でした。改札口だけできっぷは売っていなかったが、既にきっぷを持ったお客さんが地下改札口の前に並んでいたので結構混雑していた。

そんな光景も、ホームにエスカレーターが付いたことや、自動改札化で常時改札が行われるようになると地下改札口の利用者も少なくなっていったようです。

せめてエスタと地下で直結していればもう少し人の流れもできていたのかも知れないが、お客の減少に歯止めがかからず、新駅舎移転より一足先の2004年4月を以て閉店となりました。

image0 (2).jpg
2001年頃
駅で配布していた『旭川ステーションデパートお買い物マップ』。

IMG_20140517_00251.jpg
2000年8月
ステーションデパート入口の階段。

9.jpg
2001年11月
地下ステーションデパートの店内。地上階の喧噪とは正反対に静かで人影もまばらだった。
駅という場所柄で土産物を扱う店が多かったが、観光客や旅行者の姿を見ることは稀だった。

3.jpg
2002年1月
「デパート」といっても各店はショーケースや陳列棚を並べた売店程度の規模で、観光地の土産物屋のような雰囲気だった。

1.jpg
2002年1月
柱に貼ってあったステーションデパートの案内図。昔は「まごころタウン」の名前がついていたが、この頃はまた「ステーションデパート」の名称に戻っていたようだ。
(店員はあまり「まごころ」は感じなかった記憶はあるが・・・)

IMG_20140517_00061.jpg
2001年11月
ステーションデパート東側の飲食街。改札口から遠いせいかさらに閑散とした一角だった。緑色した暖簾の店は蜂屋ステーション店。当時から有名店で(今ほどではないが)旭川に行く度によく食べたものだった。

IMG_20140518_00021.jpg
2003年8月
ステーションデパートから直接地下道に通じる地下改札口。地上は自動改札化されたが、ここのは最後まで有人の改札口だった。
列車別改札が行われていた昔は奥の改札口からここらあたりまで行列ができていたものだが、自動改札化後は常時改札となり過去のものになった。

101.jpg
2002年1月
地上のような電光掲示板は最後まで設置されず、改札係の人が列車の行先を書いた札を掛けたり外したりしていた。

IMG_20140517_00301.jpg
2003年4月
『只今の改札』という時代がかった表現もこの頃は珍しくなっていた。

IMG_20140517_00071.jpg
2002年1月
改札口横にあった縦書き漢数字の発車時刻表。最後までこのスタイルで、ステーションデパート営業中の9:00〜20:00までの表記だった。

53.jpg
2002年1月
この頃は経費節約のためかダイヤ改正の度に上から紙を貼って時刻修正した箇所が増えて行った。

102.jpg
2002年1月
函館本線、宗谷本線、石北本線、富良野線と4方向の時刻表が並ぶ。

駅舎内は大体見て回ったので、今度は切符を買って改札口の中に入ってみましょうか。

IMG_20140518_0005.jpg

2 ホームと列車と地下道へつづく




posted by pupupukaya at 14/05/18 | Comment(7) | 北海道の駅鉄
この記事へのコメント
懐かしいです(o^∀^o)地下のステーションデパートで、見送りに来てくれたおばあちゃんに、おもちゃを買ってくれたり、ここで両親が、職場に持っていくお土産を、買っていた記憶があります🎵
Posted by えみりお at 2015年11月08日 17:05
関東に出てきて15年くらい。知らない間に旭川駅が変わってしまい帰省する度に寂しい気持ちでいっぱいです。
本当に懐かしい写真ばかり!地下の蜂谷でよくラーメン食べたからJR乗ったなぁ…
西武もマルサもなくなって昔の面影はないですね。
イオンとか綺麗だけど、行くと寂しくなってしまう。
Posted by ぷたろ at 2019年11月15日 17:08
ありがとうございます。
私も地下の蜂谷はよく行きました。
カウンターは無くテーブル席が並んでいて、入口のレジで食券を買って席に着くという、何だか昔のデパートの食堂みたいだなあと当時思っていました。
あと、本店と違って、ラーメンの上におろし生姜が乗っていたのを思い出します。
Posted by pupupukaya at 2019年11月16日 09:53
はじめまして!

北海道を中心に昔懐かしい訪問証、「惜鉄訪問証」を制作、販売しております「合同会社問寒別あさかぜ商会」の友井と申します。

この度、旭川駅の訪問証を制作する事になり、当サイトの国鉄時代に撮影されました旭川駅のお写真をご提供いただけないかと思いご連絡いたしました。

もちろん撮影者様のお名前を記載し、多少ではございますが使用料もお支払いいたします。
ご希望でしたら企画書もお送りいたしますので、何卒ご検討いただけますと幸いです。

宜しくお願いいたします。

合同会社問寒別あさかぜ商会
友井逸平
Posted by 合同会社問寒別あさかぜ商会 at 2024年08月06日 16:38

合同会社問寒別あさかぜ商会様
書き込みありがとうございます。
お問い合わせの件、検討依頼であれば連絡先(メール等)のご記載をお願いいたします。
(当方はSNSの利用をしておりません、ご了承願います)

Posted by pupupukaya at 2024年08月07日 21:25
pupupukayaさま

お返事ありがとうございます。

失礼いたしました。
早速ですが連絡先をお送りいたします。

asakaze.toikan.tomoi@gmail.com

何卒よろしくお願いいたします。

合同会社問寒別あさかぜ商会
友井逸平
Posted by 合同会社問寒別あさかぜ商会 at 2024年08月08日 18:43
旭川駅が高架になって約15年経ちます。
地平時代の旭川駅に比べ、ある意味コンパクトになり、立派になり、先に高架になった札幌駅や帯広駅の教訓が活かされてるのか、改札と乗り場の間に1フロア設けて移動の際のストレスを緩和させたり、ホームも幅広くゆったりしてるし、ガラス張りの為に解放感があるし、駅内通路も余裕のあるスペースでゆったりして、しかも駅イオンと直結してるのが素晴らしいと思います。
高架になったことで札幌方面の特急を1・2番ホームに…と拘りを持つ必要がなくなったのか札幌方面の特急は3・4番ホームがメインとなり、宗谷本線・石北本線メインの5・6番ホームと富良野線メインの1・2番ホームに挟まれ、互いに隣のホームに移動するだけ…となり、乗り換えが便利になりました。
Posted by わた at 2024年11月20日 09:21
コメント
ニックネーム: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
Powered by さくらのブログ
最近のコメント(ありがとう)
2025年3月15日JR北海道ダイヤ改正について考える
 ⇒ 通りすがり北見民 (12/26)
ちょっと昔の札幌を振り返る
 ⇒ にわ (11/25)
 ⇒ ごんごん (07/02)
 ⇒ Tim (06/11)
 ⇒ pupupukaya (05/26)
 ⇒ こうか (05/25)
地平時代の旧旭川駅1 駅舎・ステーションデパート
 ⇒ わた (11/20)
 ⇒ 合同会社問寒別あさかぜ商会 (08/08)
 ⇒ pupupukaya (08/07)
 ⇒ 合同会社問寒別あさかぜ商会 (08/06)
 ⇒ pupupukaya (11/16)
地平時代の旧旭川駅2 ホームと列車と地下道
 ⇒ わた (11/20)
 ⇒ ことり (10/27)
 ⇒ pupupukaya (01/12)
 ⇒ しな (01/11)
 ⇒ 赤影 (08/12)
平成時代の改札口を見る
 ⇒ テレビ番組アシスタントディレクター (11/12)
 ⇒ pupupukaya (11/12)
 ⇒ テレビ番組アシスタントディレクター (11/07)
 ⇒ テレビ番組アシスタントディレクター (11/07)
 ⇒ テレビ番組アシスタントディレクター (11/07)