2025年12月14日をもって、北海道中央バスの石狩線が運行を終了しました。
札幌と石狩市本町地区を結ぶこの路線は、全長24.7km、所要時間約1時間10分に及ぶ路線です。
石狩川の河口に位置する本町地区は、かつて鮭の町として栄えた北海道の中でも古い歴史を持つ地域です。
市制施行前の石狩町時代には町役場がこの地区に置かれており、また石狩河口橋ができる以前は渡船が両岸を結ぶ交通の要所でもあったわけです。
札幌と石狩を結ぶバス路線が開設されたのは、1938(昭和13)年のこと。
札幌観光バス会社によって営業が開始されたのが始まりです。
その後、1943(昭和18)年のバス事業の戦時統合により、北海道中央乗合自動車株式会社(現在の中央バス)による運行となりました。
北海タイムス昭和13年4月1日号掲載のバス運行広告。(平成9年発行石狩町誌より引用)
戦前から続く、歴史があるバス路線までもが廃止になるというのは正直驚きでした。
乗客の減少と、運転手不足問題から、これ以上路線の維持が困難ということが理由です。
これも時代の流れと言うことなので、仕方がありませんね。
私は、廃止前に一度乗っておこうということで、石狩までそのバスに乗ってみることにしました。
廃止1週間前の日曜日のこと。
葬式鉄ならぬ葬式バスというわけです。
◆ 札幌ターミナル10:33発 → 石狩着11:39【中央バス】
石狩線のバスは札幌ターミナルが起点となります。
北1条と創成側通りの角にある、中央バスのターミナルです。
地下鉄駅や地下街とは直結しておらず、少々中途半端な場所は否めません。
このターミナルに乗り入れする路線は主に高速バスで、中央バスが主となる路線は始発の札幌駅前を発車すると、このターミナルに立ち寄ってから各地へと向かう恰好になっています。
あとは石狩・厚田方面の路線と、屯田と篠路・花川方面への一部路線が始終着とするのみ。
立派なターミナルビルですが、ちょっと持て余しているような印象もあります。
どことなくひと昔前の駅を思わせる待合室。
だけど、ここのターミナルは昔の駅のような雰囲気があって好きですね。
どこか懐かしい。
道内各地の故郷の香りが漂ってきそう。
地下の食堂街も昭和時代って感じで好き。
ですが日曜定休なのか、地下への階段はシャッターが下りていました。
乗車ホーム出入口上の発車案内。
待合室から乗車ホームへの出入口上には、発車案内がずらりと並んでいます。
網走とか旭川とか函館などの行先を眺めていると、なんだか旅情のようなものが湧いてきますね。
対して6〜8番のりばの発車案内は石狩のほかは屯田や篠路など。
高速バスが特急とすれば、こちらはローカル列車の各駅停車といったところです。
いいなあ、どこか旅に出たいなあ。
何しに来たんでしたっけ。
そうそう、石狩行きのバスに乗るんでした。
札幌ターミナルの券売機。
ワンマンの路線バスなのでSAPICAでも乗れるのですが、せっかくなので券売機で石狩までの乗車券を買います。
高速バス用の券売機なのかとも思いましたが、操作すると意外や意外、「石狩」のボタンが現れました。
札幌から石狩までの乗車券。
券売機のボタンに『石狩』とあったので行先を表示した乗車券が出てくるのを期待したけど、JRと同じ『840円区間』と印字された乗車券でした。
バスらしいのは両面に印字されていること。
下車時に運賃箱に入れるので、裏返っても確認できるようにしてあるのでしょう。
7番のりばに入って来た石狩行。
ここ札幌ターミナルの乗車ホームは、今では珍しくなった頭端式となっています。
横づけするのではなく、ホームがL字形に斜めに切り込んであり、そこに前向きに突っ込んで停車するというもの。
狭いスペースに多くの乗り場を設けられるという利点がありますが、発車する時は一旦バックしなければならないのが欠点でしょう。
道内でこの頭端式バスターミナルとなっているのは、ここと小樽駅前バスターミナルくらいかな。
石狩行きのバスは発車時刻1分前に入ってきました。
結構ぎりぎりです。
7番のりばの行先案内。
到着したバスに乗り込んだのは私含めて5人。
寂しいターミナルの始発風景です。
まあ、日曜の午前中の郊外行きなのでこんなものでしょうか。
ノンステップバスの車内。
発車時刻になり、バスは一旦バックして発車します。
そう言えば、札幌ターミナルからバスに乗るなんて何年ぶりだろうなあ。
ちょっと思い出せません。
北1条から創成川通りに入るのかと思っていたら、一旦東1丁目通りに入り、北3条から創成川通りへと入りました。
最初の停留所が北5条西1丁目。札幌駅はここが最寄りとなります。2人乗車。
その後も停留所ごとに1人、また1人と乗って来ます。
でも車内はガラガラのまま。
創成川通りを各駅停車で北上します。
篠路のあたりから高校生と思われる若者が次第に増えてきました。
逆に都心方面から乗車した客はこのあたりで少しずつ下車し始めます。
札幌ターミナルからの乗客といえば、茨戸までに全員下車して、札幌ターミナルから石狩まで乗り通す客は私1人ということになりました。
東茨戸2条1丁目から石狩市に入る。
東茨戸1条1丁目手前で、バスは創成川通りから右折します。
これは旧国道のルートを辿るため。
車で走っていると何も考えずに片側3車線の道路を直進しますが、そうだ昔はこっち経由だったなと思い出しました。
伏籠川を2回渡って石狩市へと入ります。
道道花畔札幌線となった旧国道231号線へ。
高校生は石狩翔陽高校で降りるのかと思っていましたが降りず。
全員石狩庁舎前で下車しました。
ここで乗り換えて石狩南高校まで行くのでしょう。
一般の客もここでほとんど降りてしまい、車内は札幌ターミナルからの私と、途中から乗ったもう1人だけとなります。
花畔中央バス停。
ずいぶんと寂しい車内となりました。
多分このままの状態で石狩まで行くのでしょう。
ところが、次の花畔中央で5人ほどの乗客がありました。
見るからに地元の利用者。
こんなところから乗って来るとはちょっと意外でした。
北海道らしい長屋の市営住宅。
ここからのバス停は、『10線』『9線』と北海道らしい停留所名が続きます。
石狩に近づくにつれ1つずつ数が減って行くわけです。
このあたりは今は工業団地となっていますが、昔は何もなく道路の名称を付けるしかなかったのでしょうね。
3線停留所から国道231号線と別れて道道小樽石狩線へと入ります。
こちらも、石狩河口橋が開通するまでは国道231号線だった道路。
これも国道だった石狩渡船を経由して厚田方面へと繋がっていました。
ここからは石狩線の廃止される区間となります。
3線から国道231号線に行く厚田線と石狩線のトーメン団地への路線は引き続き存続します。
ですがこの2路線も来年(2026年)3月をもって廃止がすでに決定しており、4月から石狩庁舎から北へ行く路線バスは消滅することになります。
終点、石狩と表示された運賃表示器。
花畔中央からの乗客も、親船東から下車しはじめ、終点の1つ前の石狩温泉からは私が最後の1人となりました。
終点石狩に到着。
11時39分、ピッタリ時刻表通りに石狩に着きました。
『石狩』の文字があるバス停のポールが1本立つだけ、やたらと空地だけが目立ちます。
ここから先は道幅も狭くなり、どん詰まり感が半端ない。
本町は石狩川と石狩湾に挟まれた半島のような所なので、物理的にもこの先は本当に行き止まりです。
何だか最果てに着いたような寂しい終点でした。
石狩まで来たバスは、川側の道を通って折り返す。
次の札幌行きのバスは11時00分発。
今来たバスが折り返すのかと思っていたら、バスは前面に回送の表示を出しました。
別なバスがもう1台待機していて、それが11時発の札幌行きとなるようです。
なんだか妙な運用のような気がしますが、鉄道と違ってバスの運用は乗務員の運用と同一行程だからこうなるのですね。
コンクリートの骨組みだけが残る石狩川河口渡船場跡。
石狩川へ行くには一度高い堤防に登らなければなりません。
昔は町と石狩川の桟橋は一体化していましたが、水害防止のために高い堤防が築かれて町と石狩川が分断されてしまった格好です。
その代わり、堤防の上から渡船場の跡が見下ろすことができるわけで。
川に突き出した人工物がその渡船跡。
昔はここから釣り竿を垂らす人をよく見かけたものですが、今は柵がめぐらされて入ることはできなくなりました。
石狩川河口渡船場跡の看板。
堤防を下って桟橋跡まで行ってみると、『石狩川河口渡船場跡(左岸)』と書かれた看板が立てられていました。
説明書きを要約すると以下の通りです。
〜〜
幕末以前から運航されていた石狩川最古の渡船場であること。
昭和30年代後半からはカーフェリーも導入されたこと。
1978(昭和53)年3月31日、石狩河口橋の供用により100年以上にわたる歴史に幕を閉じたこと。
〜〜
せっかく渡船場の桟橋跡が残っているのに、簡単な説明書きと当時の写真が1枚だけでは何とも物足りない。
私は歴史あるこの石狩渡船について以前から興味を持っていました。
ところがネット上で調べても当時の運航状況を知る情報がほとんど出てこないのです。
そこで石狩市民図書館へ行って調べてきました。
以下、石狩の渡船場について説明させていただきます。
◆ 石狩渡船について
石狩河口橋が1972(昭和47)年に供用されるまでは石狩河口に橋は無く、国道231号線は渡船を介して両岸を結んでいました。
北海道開発局による国営渡船で、渡船料金は人も自動車も無料。
運営は石狩町に委託されていました。
橋の供用直前の1972年の時点で就航していた船は、車専用の車運船が2隻、旅客用の客船が2隻、客船が曳航するはしけの車運船が1隻の合計5隻。
| 船名 | 区分 | 屯数(t) | 定員(人) | 台数(台) | 就航(年) |
| やはた丸 | 客船 | 12.52 | 32 | 1959 | |
| おやふる丸 | 車運船 | 42.06 | 12 | 6 | 1962 |
| 第2車運船 | 車運船 | 40.00 | 12 | 5 | 1965 |
| あつた丸 | 車運船 | 52.15 | 36 | 8 | 1967 |
| ちどり丸 | 客船 | 18.22 | 28 | 1969 |
※積載台数は中小型車の場合
※第2車運船は客船が曳航するはしけ
※出典:石狩町郷土研究会発行、いしかり渡船場物語
石狩側と八幡町側の両岸に桟橋と待合所があり、車運船用の桟橋には電動の可動橋を設けてありました。
可動橋により、川の水位が上下しても自動車の乗降をスムーズに行うことが出来たそうです。
なお、1971年国土地理院撮影の空中写真を“オンライン閲覧所”の高解像度写真にて確認すると、八幡町側は客船と車運船の桟橋は別々に配置されていたようです。
上流側に可動橋のある桟橋と車運船に車の列、下流側に待合所のある客船桟橋とバス発着場らしき敷地が見えたので間違いないようです。
石狩渡船の位置図(地図・空中写真閲覧サービス_1971年6月撮影より筆者加工)
渡船の運行時間は6時から22時まで。
さらに22時から24時までは30分おきに客船のみ運行しました。
それ以外に、運航時間外に救急等の輸送が発生した際には、夜間当直員によって臨時運行も行われました。
所要時間は、川の流れが普通の場合は片道10分たらず。
客船の運航回数は1日に50往復、バスがある時間はバスの発着に合わせての運航だったようです。
当時渡船の定期的な利用者は、八幡町地区から石狩中学校へ通学する通学生、札幌行きのバスに乗り換える通勤通学者、それに町内のそれぞれ対岸の職場へ通う通勤者。
また厚田村の人たちはバスで八幡町まで来て渡船に乗り、石狩から札幌行きのバスに乗る。帰路はこの反対を辿るというから大変だったことと思われます。
1972年7月の石狩渡船桟橋(石狩町郷土研究会発行、いしかり渡船場物語より引用)
旅客輸送以上に重要だったのが自動車航送でした。
国営化当初は自動車をはしけに乗せて客船が曳航していましたが、だんだんそれでは輸送が追い付かなくなります。
モータリゼーションの波とともに、年々輸送量は増加する一方。
2隻の車運船を就航させてピストン運航することにしました。
それでも常に乗船を待つ車の列ができ、川を渡るために待つ時間の増加が問題視されるようになります。
特に厚田方面への海水浴客が増加する夏の最盛期には、通常2隻の車運船のほかに、車を積んで客船で曳航させる第2車運船も加わって、三艘体制としてフル運行しました。
それでもさばき切れず、渡船場から本町市街入口まで、1km近くもの乗船を待つ車の列が連なったといいます。
撮影年月不明、車運船から出てくる車(石狩町郷土研究会発行、いしかり渡船場物語より引用)
参考に、利用ピークだった1971年8月の1日当り平均の利用状況がこちら。
人:6,065人/日
車:1,597台/日
(いしかり渡船場物語の『毎年の渡船利用状況』から日割計算)
車の1日当りの1600台近くという数は、1隻に6台積載するとして単純計算すると、1日に266回運航しなければ運べない台数です。
ピークの時間帯は、職員は休憩時間も取れないほどのフル稼働だったといいます。
毎日毎日休むことなく自動車を運び続ける渡船は、いつしか『動く国道』とも呼ばれるようになりました。
1972年7月に念願だった石狩河口橋が開通します。
そちらが国道231号となり、バスも車も厚田方面へ直通できるようになりました。
同時に、車運船の運航も廃止されることになります。
しかし、本町と八幡町を結ぶ便利な交通機関であったことから客船は引き続き運航継続が決まります。
翌1973年には渡船の運営は、国から石狩町営へと引き継がれました。
2隻の客船と桟橋、待合所は国から無償で町へと引き渡され、渡船料金は引き続き無料とされました。
1978年3月、さよなら終航会(石狩町郷土研究会発行、いしかり渡船場物語より引用)
こうして客船は存続が決まった渡船ですが、人口減少などから利用者は年々減少の一途をたどることになります。
また町営になったことで運行経費は石狩町の負担となります。
利用者が少ない渡船の費用負担は大変ということから、住民と協議の上、渡船は廃止されることになりました。
最終運航日は1978(昭和53)年3月31日です。
長い間石狩の風物詩だった渡船、町民にとって無くてはならない交通機関だった渡船も幕を閉じます。
廃止された渡船の代替として、石狩〜母子会館間に中央バス石狩町内線が設けられて、石狩河口橋経由で両岸を結んでいました。
しかし、1993年にはこの路線も廃止されたようです。
◆ 石狩発 11:00 → 札幌ターミナル着 12:07【中央バス石狩線】
さて石狩停留所まで戻って来ました。
それにしても何もない終点。
石狩灯台やはまなすの丘へはこのバス停が最寄りなのですが、それにしても寂しいバス停周辺です。
渡船場があった時代の活気はどこへやら。
まさに『兵(つわもの)どもが夢の跡』という感じがします。
終点石狩停留所付近。
昔はこのあたりまで家が並び、通りは商店街になっていたのですが、それが見事に取り払われて空地ばかりになってしまいました。
バス停横の妙な石垣は歴史的なものではなく、比較的最近築かれた物のようです。
下は23年前の2002年に撮影した同じ場所。
2002年筆者撮影、終点石狩停留所付近。
この本町の道道は、2000年代半ばくらいに道路の拡幅が行われ、道路に面した古い家屋は拡幅工事のために取り壊されてしまった経緯があります。
立ち退きになった家は、更地になったあとは花川や札幌に引っ越したのでしょうか。
人が出て行って、買い物も不自由な本町での生活は厳しそうですね。
唯一の交通機関であった中央バスも、もうすぐ予約制のバスに変わってしまい、札幌へも直通しなくなります。
かつては渡船が結ぶ交通の要所として、あるいは鮭の町として栄えた本町と札幌を結ぶ中央バスは、もうすぐ手の届かない過去のものになってしまいます。
石狩のバス停と待合小屋。
12/14までと記された時刻表。
この本町地区の住民の足は、12月15日から石狩市が運行する予約制バスになります。
今までと同じ路線を運行し、バス停もそのまま引き継がれるため、廃止というよりも新たな運行形態に変わるというべきでしょうか。
札幌へは直通しませんが、大型スーパーや銀行がある石狩病院前までの運行となるので、地元の住民にはより実情に合った交通機関となるのではないでしょうか。
石狩停留所と札幌ターミナル行バス。
バスは堤防沿いの通りにずっと停まっていますが、一向に動き出す気配がありません。
気温はプラスなのですが、風が強いので立って待っていると寒い。
やっと動き出してバス停にバスが来たのは発車1分前でした。
バスの窓から。
今度はカードリーダーにSAPICAをタッチして乗車します。
乗客は私1人で発車するのかと思ったら、発車直前になって地元客が1人乗って来ました。
次の石狩温泉で1人乗車。
中央バス整備工場では2人乗車。
数は少ないが、利用者にとっては貴重な足であることには変わりありません。
完全予約制の本町花川線運行開始のポスター。
15日からは完全予約制に移行するものの路線自体は残ります。
ですが、気軽に利用できる乗り物ではなくなってしまいます。
特に観光客にとっては、石狩への交通機関は事実上無いことになります。
こんなことまで調べてまでなんて、普通はやりませんからね。
国道231号線に出てからは新たな乗客もなく、停留所は次々と通過します。
来年の4月からは厚田線とトーメン団地行の路線も廃止され、石狩市のデマンド交通になるようです。
石狩庁舎から北は完全に路線バスの空白地帯になってしまいます。
とはいえ、僅かな利用者のために運転手を配置して大型バスを運行することは、今の日本では難しいようです。
そんなことをぼんやりと思っていると、9線停留所からは数人の乗客がありました。
その乗客は東南アジア系。
このあたりの工業団地で働いているのでしょうか。
花畔中央では本町地区からの乗客3人が下車します。
ここからは停留所ごとに乗客があるようになります。
あと目立つのが、東南アジア系の乗客。
途中の停留所からも乗ってきて車内で目立つようになりました。
観光客ではありません、外国人技能実習生なのでしょうか。
みんな若くて、車内では大人しい。
どこかのインバウンドとは違います。
篠路か太平あたりからは、車内は結構な混雑となってきました。
日曜日、ちょっとマチのほうまでといった客層が多く、きっと地下鉄乗り換えなしで都心に直通できる便利なバスなのでしょう。
この石狩線は14日までの運行ですが、15日からも石狩線だった便は運行区間を札幌〜石狩庁舎間に短縮された上で引き続き運行されます。
こうして実際に乗車して分かったことは、実態は札幌〜石狩庁舎、石狩庁舎〜石狩と別々の路線だったということ。
だから利用実態に合わせて石狩庁舎〜石狩間を切り離して別形態の運行に置き換えたのだとも見て取れます。
札幌ターミナルに到着。
北7条東1丁目では大量下車。ここは札幌駅北口が最寄りとなります。
続いて北3条東1丁目でも大量下車。この停留所は私など『鉄道病院前』と言ってしまいますが・・・
だいぶ車内もすっきりして終点の札幌ターミナルに着きます。
始発の石狩から乗り通したのは私1人だけでした。
あと1週間で廃止となる石狩線の石狩系統ですが、鉄道と違って名残乗車客というのは見ませんでした。
あまり話題にもならなかったようで。
これで1938年から運行してきた中央バス石狩線は、87年の歴史に幕を下ろしました。
本町地区に中央バスが乗り入れることはもうありません。
寂しいことですが、これも時代の流れですから仕方がありませんね。
〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。
【参考文献】
平成2年3月発行、いしかり渡船場物語
平成9年3月発行、石狩町誌
まなびぃ【石狩市教育委員会社会教育課】56いしかり川渡船(youtube)
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