今から20年前、私は北海道医療大学駅に行っていたようです。
また過去の画像が出てきましたので、ここでご紹介したいと思います。
なお撮影日は、2005(平成17)年11月5日土曜日です。
まずは札沼線の、浦臼や新十津川まで直通する列車が発着する1番ホームから。
現在は立派な屋根がありますが、この当時のホームは1981年に大学前駅として開業した当時からあまり変わっていません。
まだ電化前、架線や架線柱も無いので空が広々としています。
ところでなぜ私は北海道医療大学駅にいたのだろう。
それは、天気の良い土曜日、おそらく一日散歩きっぷを持って札沼線の列車に飛び乗り、終点の北海道医療大学駅まで乗って折り返したのでしょう。
本当は当時の終点である新十津川まで行ければ良かったんですが、そうなると日帰り旅行みたくなってしまうので、
「そこまでは・・」ということだったと思われます。
この当時は新十津川までの列車は3往復ありましたし、廃止の話もありませんでしたから。
↑ 札沼線が新十津川まであった頃の路線図(交通新聞社発行道内時刻表2004年発行より引用)
考えたら20年前のこの時代が、JR北海道の一番良かった頃だったのかも。
北海道新幹線はようやく函館延伸が決定した頃。
特急のスピードアップも進み、札幌近郊の列車も年々充実していった時代。
その後起こったJR北海道の不祥事やトラブル続きに経営の悪化を誰が想像したでしょうか。
2010年代に入ると、ダイヤ改正ごとにスピードダウンに減便、ローカル線の廃止も相次ぐことになります。
2020年代になると、コロナ禍がさらに拍車をかけました。
この当時の時刻表と、20年後の現在の時刻表を見比べるだけでも、北海道の鉄道はここまで凋落したのかという思いにさせられます。
1番ホーム終端方向です。
今は少し行った先で線路は終わりですが、まだまだ新十津川まで路線があった頃。
出発信号機があり、線路は北へ向かって続いています。
さらに昔は留萌本線の石狩沼田までありました。
札幌と石狩沼田を結ぶ線だから札沼線というわけです。
その石狩沼田駅も来年の3月いっぱいで廃止されてしまいますから、線名の由来も消えてしまいますね。
北海道医療大学から先は2020年に廃止され早いもので5年、現在ではホームから少し行った先で線路は終わり、その先は藪となっています。
ホームの端っこから見ると、線路は非電化単線で頼りなさげ。
札沼線はもともと簡易線規格で作られた路線で、気動車でも最高速度は65km/hに抑えられていました。
昭和初期に『我田引鉄』の勢いで、軽便鉄道規格で敷設された路線のひとつ。
それでも、1980年代にもなると当時の国鉄は、札幌近郊の通勤路線として生まれ変わりを図ろうと、軌道改良工事を行います。
その結果、1986(昭和61)年3月ダイヤ改正から桑園〜石狩当別間で最高速度85km/hにスピードアップされました。
これにより札幌〜石狩当別間の所要時間は最速42分→39分と短縮。
しかし同年11月のダイヤ改正では新駅が3駅開業して逆に所要時間が増えてしまう結果になってしまいました。
その後も新駅は増えて、今では85km/hで走れる区間は太美〜当別間くらいなんじゃないかな。
当別〜北海道医療大学間は電化された今でも65km/hのままのようです。
これは距離が短いため、投資してスピードアップしても時間短縮効果がほとんどない為でしょう。
それに、北海道医療大学も2028年をめどに北広島市のボールパーク近くに移転する予定なので、その後はどうなるかわかりませんから。
話が脱線したので、2005年当時に戻ります。
2番ホームに停車中は、札幌方からキハ48+キハ141+キハ142の3両編成。
キハ141と142は50系51形客車から気動車改造された車両で、改造初年は1990(平成2)年です。
非電化時代の札沼線では標準車両となっていました。
非電化時代は札沼線に新型車両が入ることはまずありませんでしたね。
この車両が登場した当時の札沼線はというと、道内各地から寄せ集めた中古気動車の見本市のようになっていました。
キハ22はさすがに見なくなっていたけど、24、27、40、46、48、53、56といったところかな。
53は浦臼・新十津川方面直通だった。
キハ24・46なんて知っている人いるかな。
車端部ロングシートにつり革と近郊型仕様なのに床が板張りという変わった車両。
まあ、27と53、56も板張りだったし、バスだって当時は床が板張りというのが多かったから、それ自体は珍しくなかったけど、床が広いぶんニス塗りの板張りがより目立ったものでした。
『学園都市線』と都会っぽい線名を付けてみたけど、ボロいローカル線のイメージが抜けきらなかったのは、この24・46のせいではないかと思ったものでしたね。
まあそれはともかく、この客車改造の気動車が入って来て旧型車を一掃したおかげで、札沼線も都会の鉄道らしく生まれ変わったのでありました。
↑ 札沼線の時刻表(交通新聞社発行道内時刻表2004年発行より引用)
あいにく2005年当時の時刻表は手元になかったので、2004年の時刻表を引用します。
ダイヤはほとんど変わってはいないでしょうから。
撮影画像の時刻からして、20年前の私は北海道医療大学発10時23分発550Dに乗って札幌へ戻ったようです。
キハ141(左)、キハ142(右)は50系51形客車の形をよく残しています。
車幅2800mmの車体側面は平面形状、先頭の車幅2900mmで裾絞りのキハ48が丸っこく見えます。
キハ141・142は、1990年から1994年にかけて改造された、この形式としたは初期の車両。
このあとに改造されたキハ143形は冷房搭載となっています。
ところで、1990年に札幌駅でこの車両を見た時、また新車が入ったかと思いましたが、新車にしては古くさい車両に逆戻りしたものだと感じました。
古くさいというのは、当時はキハ54形や721系電車が最新で、その斬新な内装にはショックを受けていたこともあったからです。
でもキハ54形にも似た前面は最新車両を思わせる、何とも不思議な車両でした。
私は鉄道ファンでしたが当時から車両には疎く、これが客車からの改造だと知ったのはかなり後のことでした。
では懐かしいキハ141の車内を見てみましょう。
客車時代のボックスシートは片側が1人掛けとなり通路が広く取られています。
前後の2ボックスは撤去されてロングシートを増設。
ずらりと並んだつり革も通勤列車仕様を思わせます。
天井に取り付けられた機械は冷房ではなくただの送風機。
外気の風が入ってくる分、扇風機よりはマシだったのでしょうか。
キハ40形ものちにこのタイプの送風機が取り付けられました。
客室内は通勤列車仕様となりましたが、2扉デッキ付き仕切り扉付きはラッシュ時の泣き所。
混雑時は途中駅での乗り降りが大変なのと、どうしてもデッキだけが激混みとなってしまいます。
のちに登場したキハ143形は仕切りが撤去されましたが、初期車のこちらは50系客車時代から変わらない姿が残っています。
デッキの向こうには客車時代の車掌室を流用した運転室がありました。
その向こうは先頭車両となるキハ48形車両。
あちらはボックスシートの片側が1人掛けとなって通路が広くなったほかは大きな改造は行われていません。
キハ40形のうち方運転台でワンマン化改造されなかった車両は、道内の気動車普通列車がほぼワンマン化されたことから、札沼線専用車両となっていたようです。
もともと製造両数が少ないうえに、宗谷線急行用に改造された車両もありましたから、ほぼ原形のキハ48形は珍しかったですね。
残念なことに、20年前の私はキハ48の撮影はしておりませんでした。
この当時はキハ40形の一党といえば道内どこに行ってもゴロゴロしていましたから。
10時23分になり、列車は北海道医療大学を発車。
20年前、ボックスシートに腰掛けて札幌へと戻った私。
旧型客車から変わらない北海道特有の二重窓がなんとも旅情を感じますねえ。
幅広になっている窓枠にワンカップを置いて、汽車に揺られて遠くへ行きたい。
この画像を見ているだけでそんな気持ちになってきます。
冬を間近に控えた小春日和の週末、札幌駅からフラッと飛び乗った列車にもこんな汽車旅があったんですね。
こんな身近な旅情も、いまではすっかり過去のものになってしまいました。
★ ★ ★
20年前かあ。
もうふた昔ということになります。
北海道の鉄道に関しては現在よりも遥かに充実していましたが、世の中は不景気でしたね。
人余り、リストラ、就職難。
就職にあぶれた若者は非正規雇用に頼るしかない。
正社員でも60歳定年制ということになっていましたが、50歳過ぎたら早期退職か、給料半分を承知で会社に残る選択を迫られる。
この頃はそんな話ばかり聞きましたな。
デフレ経済、失われた30年というヤツです。
今は逆で、各方面で人材不足、とりわけ現場での人材不足が叫ばれています。
それが続けば、私らの世代以降は70歳くらいまで働くことになるのでしょうか。
20年前と比べると隔世の感がありますね。
現在から20年後、2045年には世の中はどうなっているのでしょうね。
AI(人工知能)を筆頭としたハイテクは、さらに進歩していることは間違いないでしょう。
その頃には、今では思いもつかないような新しい社会秩序が生まれているような気がしてなりません。
一方で、道内の鉄道はどうなっているのでしょう。
20年後にはさすがに札幌に新幹線は来ているでしょうが、2005年当時の充実した鉄道に戻ることは無いでしょう。
自動運転が実用化され、今とは全く違う交通体系が実現しているかも知れません。
まあ未来のことは誰にもわかりませんね。
世界でも個人の人生でも、これから先も迷ったり転んだりしながら生きてゆかねばなりません。
それだけは確実に言えることです。
〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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