■ 2025年4月30日
おはようございます。
朝の6時、台北のホテルから。
もう日が出て明るいはずなのに真っ暗。この部屋は窓が無いので。
窓の外はすぐに隣のビルの壁みたいな、あってもなくてもいいような窓もあるけれど、少なくとも昼か夜かくらいはわかる。
何だか体内時計もおかしくなりそう。
それなら窓のあるもっといいホテルに泊まればいいわけで、値段相応と思うしかない。
今日の朝食は、昨日買っておいたカップ麺。
ホテル周辺には朝食を安く食べられる店があるみたいだが、そうした所はもうちょっと慣れてから行ってみよう。
朝食のカップ麺。漢方風味鴨肉ラーメン。
今日のカップ麺は『大補帖 當歸鴨風味』(30元)というラーメン。
お湯を注いで3分。
粉末のスープを入れると、カチカチの具材も一緒に出てきた。
カップの能書きに、粉末を入れてからお湯を注ぐということが書いてあった。
それに油の袋が2つ。
見た目は普通のカップ麺だが。
う〜む、いかにも台湾風ラーメンという味。香料がきつい。
日本で食べたら旨いと思うかな?
でも、その土地のカップ麺をいろいろ試してみるのも結構楽しいものだ。
メインステーション、台北車站について
今日は1日台北市内観光としている。
あれこれ見たいもの、行ってみたい所は数々あるけれど、1日で回れる範囲は限られる。
私は鉄道好きなので、鉄道関係の見どころを軸に台北市内観光をする予定だ。
9時過ぎてから出る予定でいたが、カップ麺を食べてシャワーを浴びたらすることがなくなり、9時前に部屋を出る。
まず向かうは台北駅こと台北車站(タイペイチューチャン)。
台北車站の南門側。旧駅時代はこちら側が正面だった。
別に駅に用はないのだが、今度向かう所が9時半オープンなので、それまで駅の中を見物することにした。
それに、明日からこの駅から各地に出かけるので、その下調べもしておこうというものだ。
1Fから6Fまで吹き抜けになっている大ホール。
1Fのエントランスから入って奥へ歩いて行くと、吹き抜けになった大ホールが現れる。
台湾の首都である台北の表玄関らしい威容を誇る。
ホールに面して台鉄の出札窓口と券売機が並んでいる。
でも妙に人が少なくてガランとしているのは、鉄道駅のコンコースとホームは地下にあるからだろう。
台北車站は地下化されていて、地上にあるのはこの宮殿のような駅舎だけとなっている。
台北車站のフロア案内図。
ではエスカレーターで下りて地下コンコースへ。
さっきの大ホールの真下、B1Fが改札口のあるコンコースとなっている。
こちらはあまり広くはなく、天井も低く、首都の玄関口という感じは薄い。
地下1Fにある高鐵の入場専用改札口。
構造的には中央にコンコースが1本あり、向い合せになるように改札口が設けられている。
その向い合せになった改札口の1つが高鐵(新幹線)、その横に台鐵(在来線)というように、新幹線と在来線の改札口が別々になっているのは日本と同じ。
高鐵の隣に台鐵の入場専用改札口がある。
改札口は別々なのは、台鐵が国営なのに対し高鐵は私鉄という理由がある。
自動改札機も別々の型となっていて、台鐵の方は日本で見るのとそっくりなのに対し、高鐵は妙に大陸的な仕様の改札機が並んでいた。
この中央コンコースに面した改札口は入場専用口で、改札内コンコースを挟んだ裏側が出場専用改札口となっている。
これは台鐵も高鐵も同じ。
入場専用改札口の裏側に出口専用改札口がある。
台湾車站B1平面図。鉄道のコンコースはこれだけ。
こうして午前9時前後の台北車站を見てきたが、意外に思うのは人が少ないということ。
平日の朝ラッシュは終わりかけの時間だが、人の数だけ見ていると日曜の朝みたいな感じ。
日本の名古屋駅とか博多駅の方がずっと広くて人が多い。
あまりに静かで人の少なさがちょっと意外だった。
台北車站周辺地下街の案内図。
台北車站はこの先毎朝お世話になるので、見物もこのくらいにしておく。
国立台湾博物館鉄道部園区
では台北車站を後にして台北観光へ出かけます。
まず1番に向かうのは、旧台湾鉄路管理局だった建物を使用して鉄道博物館とした施設で、2020年にオープンした新名所。
台北車站からは500mほどの距離。
台北地下街を歩いて向かう。
MRT松山新店線の北門站まで続く台北地下街。
地下街の開店は10時のようで、この時間は薄暗くて人も全く歩いていない不気味な通路だった。
案内図で確認していた出口から地上に出ると、強い日差しが照り付ける。暑い!
地下を歩いてきて正解だった。
今日は暑くなるようで、今朝の天気予報では台北の最高気温は30℃と伝えていた。
国立台湾博物館鉄道部園区(旧台湾総督府鉄道部庁舎)。
さて、台北の鉄道博物館へ。
正式名称は『国立台湾博物館鉄道部園区』で、赤レンガの風格ある建物がそれだ。
入口前では日本人の親子連れが記念撮影をしている。日本人好みの施設といえそうだが。
この建物は、日本統治時代の1907(大正9)年完成で、台湾総督府鉄道部庁舎だった建物。
戦後に日本が撤退し、中華民国・国民党政府がやってきても、台湾鉄路管理局の庁舎として使用されていた。
管理局が1989年に新築された台北車站の新駅舎に移転すると、長らく未使用となっていたが、長い修復期間を経て2020年に博物館としてオープンした。
ではさっそく中へ。
入ってすぐの所に券売機があって、横に係の人が立っている。
中国語でナンヤラカンヤラ聞かれるがわからない。
次に英語で。
どうやら他の博物館とセットになったチケットか、ここだけなのか尋ねたらしい。
「ヒア オンリー(ここだけ)』というと、このボタンを押して(?)と教えてくれた。
入場料は100元、クレジットで払う。
中はそれぞれの部屋ごとに違うテーマの展示がある。
説明文は中国語と英語のみなので分からないが、展示品と漢字を見れば趣旨はわかる。
文化や言葉は違えど、鉄道システムというものは万国共通のものが多いわけで。
タブレット閉塞器は日本時代からのものだろう。
館内ではこれでもかというほど撮影したが、ネタバレになってもいけないので、ここでは代表的なものだけ紹介します。
展示品が日本国内にある鉄道の博物館とさほど変わらないのは、昔の鉄道のシステムは日本統治時代から変わらず使用されていたからだろう。
ここの館内にいると、今台湾にいることを忘れてしまうようだ。
急行『莒光號』の車内を再現した一室。
平日のオープンして間もない時間だからか、館内はガラガラ。
目立つのは日本人の鉄道ファンと思しき男性。私もその中の1人ではありますが。
駅弁を再現したサンプル。
1970〜19800年代の台北車站を再現した大ジオラマ。
地平線だった時代を再現した北門広場周辺。
館内を2周して見て回って、最後に1Fのミュージアムショップに寄った。
鉄道グッズもあるけど、目を引いたのが台湾の鉄道雑誌や鉄道本。
日本の鉄道本を中国語に翻訳した本も多数ある。
こんなにあるのかと、目を丸くする思いになる。
多数ある本の中に、宮脇俊三著『台湾鉄路千公里』の中国語訳本が平積みされていた。
私は宮脇ファンで、この本は私も読んだことがあるし、この旅行に出る前も読んできたのだが、こんなものまであるとは思わなかった。
今の時代では少々時代がかって、昔の台湾の鉄道旅行記といった風に読まれていることだろう。
台湾の鉄道本や鉄道雑誌に囲まれていると、『台湾鉄路千公里』中にある一節を思い出した。
売店にはいろいろな雑誌が並んでいる。 〜中略〜 カー雑誌は他にもあった。私はもしや「火車雑誌」(筆者注:火車=日本の汽車)はないかと探したが、それはなかった。 |
台湾には鉄道の好きな人間はいないのか、汽車の写真を写したりする子供はいないのか、と私は訊ねてみた。自動車の趣味雑誌はあるのに鉄道雑誌のないのが腑に落ちなかったからである。 「イナイ。タイワンニハ、イナイ」 (筆者注:ローカル線終点で駅員との会話) |
上2つ、宮脇俊三著『台湾鉄路千公里』より引用。
上記の本が書かれたのは1980年。
| 日本には鉄道の写真を撮りたがる人がたくさんいる。が、台湾にはまったくいない。カー・マガジンはあっても鉄道雑誌はない。 |
宮脇俊三著『終着駅は始発駅』より引用。
当時台湾の、鉄道ファンへの理解のなさを嘆いていた故・宮脇氏。
もし今この世に現れたら、台湾の進化っぷりに仰天するだろうか。
現在の北門広場と旧台北郵便局。博物館2Fの窓から。
博物館に入って1時間ほど、外に出る。
さっきは地下街から来たので気が付かなかったが、博物館の前は広々とした交差点となっている。
北門広場と呼ばれ、清国時代は台北城の城壁があって、その北門があったことに由来している。
台湾の鉄道は清国時代に初期の鉄道が敷設されたが、現在の台北車站へ通じる路線は日本統治時代に開通したものだ。
当時は台北城の城壁を取り壊して線路を敷設、今の場所に二代目台北駅が完成する。
三代目台北駅は1940年完成。その後地平駅と地平線路とともに戦後も使用された。
1980年代になると経済成長と車の増加によって、市街を分断する鉄道によって渋滞が慢性化するようになり交通が麻痺するようになった。
これを解決するために行われたのが台北市内の鉄道立体化工事である。
台北では高架化ではなく地下化が選ばれた。
地下化工事が完成して、今の4代目駅舎が使用開始となったのが1989年。
地上から線路がなくなった今は、北門広場や中華路一段といった幅広の大通りになっている。
旧線時代を示すモニュメント。
今では道路とか広場などにすっかり整備されて、地上に鉄道があった面影を探すのは難しい。
そんな北門広場の歩道に、ここに線路があったことを示すモニュメントと埋め込まれたレールがあった。
説明板にあるのは中国語と英語。簡単に訳すと、
“日本軍が台湾を占領した際、台湾全土から植民地資源を集めるために鉄道の建設を優先した”
ということになる。
日本人には耳が痛いくなる文面だが、台湾が日本の植民地であったことは事実だし、一方で植民地時代に鉄道を始めとする社会インフラを整えたのも日本だということも事実だ。
これを悪意と取るか善意と取るかは、台湾の人たちが判断すべきこと。
現在の台湾の人たちは後者と取る人が多い。
一部の人たちにあるような、戦前の日本がやったことはすべて悪であるような考え方は前時代的な間違った認識であり、改めるべきことだと思う。
少なくとも、日本と台湾の関係を見ている限りはそう思う。
台北の若者の街、西門町
ここから歩いて西門町へ行ってみる。
西門町(シーメンディン/せいもんちょう)は『台北の原宿』なんて別名もあるくらいの若者の街。
台北市内で一番の繁華街となっている。
西門町の歓迎アーチ。
北門から中華路一段の通りを下って来ると西門町の歓迎アーチが目についた。
ここからちょっと通りへと入ってみる。
まだ午前11時前でどの店も開店前。人通りも疎らだったのだが、11時を過ぎた頃から店がオープンし始めて人通りも増えてきた。
平日だし、観光客らしい人たちの方が目立つ。
歩いているとやたらと目につくのが日本のチェーン店の看板。
牛丼とかカレーとか回転ずしとかラーメンとか、日本に普通にある店が、この通りにも普通にあった。あと日本のコンビニ。
ときどき台湾にいることを忘れそうになるほど、日常の日本の光景が現れるのだった。
西門町徒歩区の賑わい。
西門町とはずいぶん日本らしい町名だが、ここに台北城の西門があったことに由来する。
清朝時代の西門の外門は無人の湿地帯が広がっていた場所だが、日本統治となった1890年代の後半に造成され、映画館などが建つ日本人繁華街として発展するようになった。
のちに西門町と正式に命名される。
日本が破れ撤退した第二次大戦後は、中国大陸で起こった国共内戦で敗れて台湾に亡命政府を打ち立てた外省人たちの繁華街として発展することになる。
1980年代になると中心部空洞化などの影響で活気を奪われていたこともあったが、1990年代後半には地下鉄の開業や周辺の歩行者天国化が行われて、若者向けの繁華街へと成長した。
西門紅楼と呼ばれる赤レンガ造りの八角堂。
西門で目を引く存在といえば、赤レンガ造りの西門紅楼(シーメンホンロウ/せいもんこうろう)。
日本時代の1908(明治41)年に官営市場として建てられた。
2階建て部分は上から見ると八角形になっており、『八角堂』の名を持つ。
戦後は劇場や映画館に転用され、1997年には台北市の公式史跡に指定されるようになった。
現在はインフォメーションや土産物屋、劇場などが入る複合施設となっている。
MRT西門站(西門駅)前。
西門町をぐるっと歩いてきて、地下鉄のMRT西門站(シーメンチャン/せいもん駅)までやって来た。
普通はこちら、西門站が玄関口なのだろうが、今日は逆回りで来た格好になる。
駅前はちょっとした広場になっていて、アニメーション風の看板が目立つ東京の秋葉原や大阪の日本橋のような光景。
北海道の私なら、突然ここに連れてこられたら、東京のどこかの街と思ってしまうかも知れない。
MRT板南線、西門站のホーム。
ずっと歩いていたら暑い。
通りにあったデジタルの温度計は30℃を示していた。
汗を拭き拭き歩いているが、日陰に入ると通り抜ける風が心地よい。それでも歩き疲れてきた。
午後から予約している施設があるので、一旦地下鉄で台湾車站へ戻ることにした。
初日に台湾の交通系ICカードである悠遊カードを買っておいたので、地下鉄は改札機にタッチするだけで乗ることができる。
それと、台湾は公共交通機関の料金が物価に比べてはるかに安くなっていて、地下鉄ならば1区間料金がたったの20元(約90円)。
1日乗車券を買わずとも、気軽に利用できるのはありがたい。
台北車站再び・・・昼食編
私は鉄道ファンだからなのかどうなのかはわからないが、旅行先で行く当てがなくなると鉄道駅に来てしまう。
台北車站は台北市内の交通網が集中するメインステーションでもある。
だから必然とこの駅に来てしまう。
台北車站については前項で説明したが、2階は飲食店街となっている。
そろそろ昼食の時間だが、ガイドブックや旅行記にある巷の飲食店は、台湾旅行初心者の私にとっては少々敷居が高い。
そこで、駅の食堂街ならば旅行者が1人でも入れる店だろうとやって来たわけだ。
ぐるり回廊となっている飲食街は、日本語の看板を掲げた日本食の店が目立つ。
日本人の私は入りやすくもあるが、日本食を食べるためにわざわざ台湾までやってきたわけじゃないからね。
かといって、どうしたものか。
台北車站2Fにあるフードコート『台湾夜市』。
そんな中にフードコートを見つけた。
ショッピングセンターによくある、セルフサービスの飲食店が並んだコーナー。
これはいいと、ここで昼食をとることにした。
色々見て回ったが、第一佳という店の排骨(パイコー)と滷肉飯(ルーローハン)のセットが気に入った。
注文はメニューにある「aZ」と店員に伝えればよい。
呼び出しベルを渡されて、出来上がるとピーピー鳴るのは日本と同じ。
台湾旅行初心者が気軽に台湾料理を食べるのにはおすすめと言える。
第一佳の排骨と滷肉飯のセットメニュー(195元)。
滷肉飯(ルーローハン)は、細かく刻んだ豚のバラ肉を甘辛いタレで煮詰めたものをご飯の上に盛ったもの。
トロトロの肉と煮汁が染み込んだご飯が旨い。
排骨(パイコー)は、昨日食べた駅弁のとは違い、カラッと揚がったスパイシーなものだった。
中央はボイルキャベツに甘辛いタレをかけたもの。
脂っこい料理の中で、口の中がさっぱりする。
フードコート台湾夜市の様子。
ビールが欲しくなるところだが、フードコートの中にビールを供する店は無いようだった。
周りのテーブルを見ていると、どこかで見かけたような円形の弁当箱で食事中の人もいる。
あれは昨日食べた、台鐵便當ではないか。
これをフードコートに持ちこんで食べる人が結構いるようだ。
フードコートながら台湾料理に満足し、しばし台湾車站をぶらぶらと見物する。
座り込む人が多い1F大ホール。
今朝広いなあと感心した大ホールへやって来た。
奥の方は仮設テントが設営されて何やらイベントが行われている。
それ以上に目を引くのが、床に座り込んでいる人たち。
駅構内には待合所というかベンチというものを見かけない。
だから広いホールに座って列車を待つのだろうか。
昼時なので台鐵便當を食べる人もいたり。
だけど、旅行者らしい荷物を持った人は少ない。
見ていると、円形の弁当箱を持って食事中の人も見かける。
これは台鐵便當ではないか。
台鐵便當の売店はなぜかいつも行列が出来ている。
あれは列車に乗る人ではなく、街の人が買い求めているのでは。
1個100元と安いからねえ。温かくて美味しいし。
この台北車站の大ホールで、日本とは違う台湾の駅弁文化を見た気がした。
台東線762mmゲージ時代の客車。
東側の出口から外に出ると、広場には古めかしい客車が2両展示されていた。
看板の説明書きによると、これは台湾島南部の台東線で使われていた車両ということだった。
台湾の鉄道は、日本と同じ1067mmの軌間で建設されたが、台東線だけは軽便鉄道規格の762mm軌間で建設された。
いわゆるナローゲージってやつ。
このナローゲージの台東線が他の路線と同じ1067mm軌間に改軌されたのは1982年のこと。
それまで使用されていたのが、この車両ということだった。
★ ★ ★
13時も近くなり、そろそろ次の見物先に向かわなければならない。
今度の見学施設は予約制で、時間は14時からとなっている。
場所はMRT松山新店線の南京三民站近く。
台北車站から中山站まで続く中山地下街。
MRT松山新店線は台北車站には乗り入れていないので、隣の中山站で乗り換えることになる。
台北車站から中山站までは中山地下街で繋がっており、地下街を歩くのも面白いだろうと中山站まで歩くことにした。
MRT松山新店線の中山站。
MRT松山新店線、中山から松山までの区間は2010年代に開通した新しい路線。
エスカレーター、エレベーター、ホームドア完備でタイルも新しいピカピカの駅。
地上のごみごみとした街並みに比べて妙に対照的な光景でもある。
MRT松山新店線の車内。
乗り込んだ車内は固いプラスチック製のベンチシートが並び、大陸的な感じ。
欧州製なのか韓国製なのかと思えてしまったが、車端部にあった銘板はなんと日本車輌のもの。
日本離れした車両だったが、実は日本製なのだった。
それを踏まえて見ると、天井や吊り手の造りにどこか日本の通勤電車と通じるものがある。
南京三民站から国家鉄道博物館準備処までの道。
下車駅は南京三民站で、ここから歩くこと10分。
『国家鉄道博物館準備処』という、もう1つの鉄道博物館に向かう。