2025年 イトーヨーカドーが閉店する琴似駅前を歩く

2025年のお正月は、旅行というわけではありませんが琴似へ行ってみました。
イトーヨーカドー琴似店が閉店になるということで、琴似に出かけてみました。

行ったのは地下鉄ではなくJRの方。
札幌駅から2駅目6分、琴似に着きます。

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ひらがなで『ことに』と書いた縦書きホーローの駅名標がどこか懐かしい感じがします。
この地名の由来はアイヌ語からですが、『琴似』とはいい字を当てたものだなと思います。

道内にはこの『似』で終わる駅名は意外とあって、ほかには様似(旧日高本線)、幌似(旧岩内線)、豊似(旧広尾線)などが見つかります。
さすがに琴似は2つないだろうと思いきや、意外な場所にJR北海道バスに同名のバス停があります。
それがこちら。

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場所は様似町、こちらはひらがなで『ことに』ですが、国道にある覆道は『琴似』の字を当てています。
それはともかく琴似へやって来ました。

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琴似駅が高架になったのが1988(昭和63)年11月ダイヤ改正のとき。
その後2000年のダイヤ改正で快速が停車するようになり、琴似駅の利便性も一気に向上しました。
利用者が増えて手狭になったことから、駅舎部分の増築も行われて現在の格好になっています。

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琴似駅前といえばイトーヨーカドー。
昔は琴似本通りに面した、今の5588の方がイトーヨーカドーでした。

私にとっては琴似駅といえばイトーヨーカドーでしたので、無くなるのはちょっと寂しくなります。
といっても、後継のシーナシーナの入店が決まっており、今度はそちらが琴似駅の新たな顔となるのでしょうか。

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鳩の看板が見られるのもあとわずか。

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琴似駅とイトーヨーカドーは空中歩廊で直結。
冬は大変ありがたい構造です。
入口の自動ドアは両開き折り戸なのが珍しいですね。

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入口には閉店を告げる張り紙がありました。
『31年間』とありますが、これは現在の場所に『エスパ』として開業してからの年数で、本通り側の旧店舗時代から数えると48年になります。

店内は閉店売り尽くしセールとなっていて、あちこちに30%OFFや50%OFFと書いた幟が目につきます。
そういや通勤用カバンが欲しかったな。いいのが安く手に入るでしょうか。

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2階の奥には、フォトスポットコーナーとイトーヨーカドー琴似店の変遷を展示したコーナーがありました。

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屋上の看板の変遷を見ると、オープン時の看板は『エスパ』でした。
そういやここが出来たときはエスパだったと思い出します。

エスパとは何ぞや?と思われるでしょうが、確かイトーヨーカドーよりもグレードアップ版を目指した店だったかな。
でもこの店名はあまり定着しなかった気がします。
2001年に再びイトーヨーカドーに戻っています。

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その隣には、これまた懐かしい写真が。
木造駅舎時代の琴似駅。

この駅舎は本通りに面した場所にあって、歩道から直接出入りできる便利な場所だったけど、駅前広場がなく私鉄の電車駅という風情でした。
その隣にそびえ立っていたのがイトーヨーカドーの旧店舗でした。

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展示の白黒写真にちょっとイタズラして、カラー写真にしてみました。
いつ頃写したものなのでしょうか。
左側に写る車はダットサン・サニー1200クーペGX(1972年発売)とすればイトーヨーカドー琴似店が開店した1976(昭和51)年頃といったところでしょうか。

それにしても懐かしい。
私が子供の頃は汽車に乗るといえばこの琴似駅でした。
海水浴に行くのも、親戚の家に行くのも、その他市外に出かけるのはいつも琴似駅でしたから。

しかしこうして見ると、ボロボロですね。
駅舎の真中へんなど軒が下がっていますから。

いつ頃建設の駅舎なのでしょうか。
造りが似ていると思った苗穂駅の旧駅舎が1935(昭和10)年建築ですから、おそらく同年代ではないか。

1936(昭和11)年に昭和天皇が陸軍特別演習のために行幸された際、札幌〜琴似間にお召列車が運行したとあり、その際に建築されたのではないか。
まあわかりませんけど。

この駅舎が建った当時は、白ペンキが塗られた札幌時計台にも似た、瀟洒な駅舎だったのでしょうね。
長い年月と風雪にさらされて老朽化著しい姿となっていました。
国鉄は何でこんな古い駅舎を放置していたのかと思いたくなりますが、70年代には高架化が決定していたので、だましだまし使っていたのでしょう。

あと小さいけど駅名看板の上にスピーカーがあるのは、あそこから表に向かって駅の放送を流していたから。
「ただいまから〇時〇分発札幌行きの改札をいたします」
なんてのを表に向かって流していたのね。

中島みゆき『ホームにて』の一節に、

♪ ふるさとへ向かう最終に乗れる人は急ぎなさいと
やさしいやさしい声の駅長が街中に叫ぶ

というのがあるけど、スピーカーから列車の改札や発着を街中に向かって叫んでいたわけで。
昭和の駅の風景です。

話をイトーヨーカドーに戻しますと、その汽車の乗り降りの際に親とイトーヨーカドーに寄っていたので、琴似駅とイトーヨーカドーは何だかセットのような感覚なわけです。

DSCN9080.JPG

これは現在の木造駅舎が建っていた場所。
今はコイン駐車場と駐輪場となっています。
歴史を示す看板がありますが、旧琴似駅を示すものではありません。

通りには踏切があって、道の向こう側には踏切小屋があり、いつも職員が詰めていて警報が鳴ると手動で遮断機を下ろしていました。
遮断すると白い旗を振って運転士に安全を伝えるわけです。

踏切の警報音にスピーカーからの改札案内放送、何だかいろいろ思い出しますねえ。

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上は1980(昭和55)年ごろの琴似駅前の地図。
どこかでコピーを入手していたもの。出典はわかりません。

この地図と、ネット上で拾った木造駅舎琴似駅の画像、それに筆者の記憶をもとに図面を起こしてみるとこうなりました。

kotonista1980.png

目をつぶれば、昭和時代の琴似駅前がありありと蘇って来そう。
こんな時代を生きてきたんだなあ・・
私にとって琴似の原点は、やはり木造駅舎時代の琴似駅だったのです。

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こちらは本通り側にある旧イトーヨーカドー琴似店。
今は5588というテナントビルになっています。

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5588の横は古い一角が残っています。
ビリー軒となっているところは、昔ミスタードーナツだったことがあることを知る人はいるかな。
汽車に乗る前にミスドでドーナツをよく買ったので、どうも汽車といえば琴似駅にイトーヨーカドーにミスドというイメージが付きまとう。
1980(昭和55)年頃の話だよ。

このミスドはのちにイトーヨーカドーの中に入った記憶が・・・いや逆だったかな。
その後ミスドが無い状態がずっと続いて、高架下にミスドが入った時は琴似にミスドが復活したと思ったものです。
でもまたミスドは無くなっちゃったな。

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これは5588の向かい側。
建物上の『写真5』の看板は1枚5円のプリント屋さん。
今はもう無いけど看板だけは残っています。
安いので、フィルムの一眼レフを持っていた頃はよくここにフィルムを持って行ってました。
デジカメの普及で、こうしたプリント屋さんは消滅へ。
スマホのカメラが高性能となり、デジカメすら今は少なくなりました。

時代は変わるものであります。
ななしのラーメンもよく行ったな。

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あとは琴似のラーメン屋で思い出すのが “ふくべ”。
もやしが大盛で有名なラーメンだった。

ふくべで思い出すのが、ここの兄ちゃんがラーメンをテーブルに置くのに、いっつもどんぶりに親指入れてたなんて変なことを覚えているます。
片手にお盆を持って、もう片方でどんぶりを持つとそうなるし、汁もなみなみだったから指が入るんだろうけど。

カウンターだけだったふくべでお盆なんて使うの?とお思いのあなた、昔のふくべは小上がりがあったのよ。
なぜか焼き肉用のコンロが付いているテーブルで。
その店は火事で焼けて、新しい店になった。
その新しい店も閉店して取り壊し、今は駐車場になっていますが。

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札幌市西区で生まれ育った私にとって琴似は懐かしい街です。
駅前商店街といえば衰退するばかりですが、琴似の街は昔と変わらず賑わっているのは嬉しい限り。

地下鉄琴似とJR琴似が700mほど離れているという位置関係、それに地下鉄のイオン(旧ダイエー)とJRのイトーヨーカドーという2大商業施設の存在がこの琴似商店街を支えているのでしょう。

こうして久しぶりに琴似の街を歩いていると、随分と変わったものだなあということも思います。
気づけば本通りに立ち並ぶ店舗は居酒屋チェーン店ばかり。
通りに面して駐車場があったり、テナントが入居しないマンションがあったり、今後はこうした形態が増えてくるのでしょうか。
昭和時代の琴似を知る者としては、今の琴似は寂しくなったなあと思いますが、昔ながらの市場が今でも営業していたり、琴似はどこか昭和の香りを残しています。

琴似の街は、今後どう変わってゆくのでしょうか。
私が愛してやまない、この古さと新しさが同居する街は。

〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。


posted by pupupukaya at 25/01/03 | Comment(0) | 北海道の駅鉄
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