■ 2024年11月10日
アロハ〜 ♪
朝の目覚めはハワイから。
東郷池を望むホテルの部屋。
ハワイつっても、こちらは鳥取県のはわい温泉ですが。
今朝も青空の広がる良い天気。
だけど天気予報を見ると、今日向かう先の島根県松江市や出雲市は午後から雨マークとなっていました。
午後は松江の街歩きを予定しており、天気が持ってほしいところです。
はわい温泉 9:35 → 10:12 赤瓦・白壁土蔵(日本交通)
9時、ホテルをチェックアウトします。
チェックアウトといっても、昨日おかみさんに言われた通り、部屋にカギを置いて出るだけですが。
はわい温泉の街路灯。
朝の東郷池。
バスの時間まで30分以上あるので、東郷池のほとりを歩いてみます。
湖面に浮かぶボートはシジミ漁で、ときどきジャラジャラとザルで掬う音が聞こえてくるのどかな風景。
東郷池は海から海水が流れ込む汽水湖で、しじみが名産となっています。
さらに行くと道の駅はわいとか、ハワイ海水浴場がありますが、歩いては行けませんね。
倉吉駅経由西倉吉行きのバス。
バス停は一泊したホテルのすぐ前。
9時35分発は温泉街からの乗客があるものと思っていましたが、ここからのバスの乗客は私1人だけでした。
車内の客は数人だけ、観光路線ではなく地方の生活路線です。
あちこちハワイだらけ。
途中、ハワイアロハホール前というバス停があったり、国道に出るとスーパーの『ハワイ店』があったりします。
確かにここは紛れもなくハワイ(羽合)なのですが。
9時55分、バスは倉吉駅に到着。
当初の予定ではここで降りることにしていたのですが、普通列車との接続がすこぶる悪く、1時間以上この駅で待たなければなりません。
いろいろ調べていたら、はわい温泉からのバスは、倉吉の旧市街地を通って西倉吉まで行くことがわかったので、このまま乗って行くことにします。
降りた停留所は赤瓦・白壁土蔵前。
ここは倉吉市の旧市街に当たり、歴史的建造物の保存地区にもなっています。
ここに来た目的はもう1つ。
地図で倉吉線鉄道記念館というのを見つけたから。
蒸気機関車C11と倉吉線鉄道記念館。
降りたバス停から歩いて3分ほどの所に鉄道記念館がありました。
通りに面して蒸気機関車C11が保存されているのが目印です。
建物の中は真っ暗なので休館日なのかと思いきや、ドアに『開館中』の札が掛かっていました。
入口に『照明を付けてご見学ください』の表示があり、ドア脇のスイッチで明かりをつけます。
鉄道記念館の内部。
この鉄道記念館は旧倉吉線の打吹(うつぶき)駅の跡に設けられたもの。
館内は、入れ替えで使われていた機関車と、往時の写真がメイン。
在りし日の打吹駅。
1972年に駅名が改称されるまでは旧市街に近いこちらが倉吉駅を名乗っていたという由緒ある駅。
この倉吉線も国鉄末期に第1次特定地方交通線に指定され、1985(昭和60)年に廃止となっています。
展示物を見て回り、最後に明かりを消して外へ出ます。
今度は玉川沿いの倉吉白壁土蔵群へと向かいます。
ここの滞在時間はわずか30分。
何とも慌ただしい観光ですが、倉吉発を次の列車とすると2時間以上も先になってしまうので仕方がありません。
玉川と倉吉白壁土蔵群。
玉川といっても道路わきの用水路みたいな川なのですが、波もなく鏡のように白壁を映した姿は絵になる風景。
それにしても、低い日差しが日向と日陰のコントラストをくっきりと作り出すカメラ泣かせの光線ぐあい。
そこを美しく撮影するのが、腕の見せどころでもあるのですが。
江戸時代からの町家が並ぶ本町通り。
白壁の倉庫の反対側は、店舗兼住宅となる母屋となる町家が並んで伝統的な風景となっています。
日曜なので昼頃になれば人通りも多くなるのでしょうが、この時間は人がほとんどいないのがまた良い。
有名観光地はインバウンドが押し寄せるようになってしまいましたが、ここは静かな観光の穴場のようです。
はわい温泉からのバスがここまで直通することを知るまでノーマークでした。
赤瓦・白壁土蔵 → 倉吉駅(日本交通)
わずか30分の滞在ですが古い町並みを堪能して、またバスで倉吉駅へ向かいます。
倉吉駅はこれも標準となってしまった橋上駅です。
正面のガラス張りに木の柱を装飾して、伝統的な町並みを表現していて、パッと見た目には古い駅舎のようにも見えます。
ですが駅前は居酒屋チェーンやビジネスホテルが立ち並ぶ、どこにでもある駅前風景。
この駅で1時間以上過ごすより、旧市街まで足を延ばして正解でした。
倉吉駅は伝統的な町並みを表現したデザイン。
倉吉市は鳥取県では鳥取市、米子市に次ぐ3番目の都市で、人口は4万人台。
大阪・京都と鳥取県を結ぶ特急『スーパーはくと』の半数以上の列車がここ倉吉まで乗り入れています。
倉吉 11:06 → 12:13 米子(山陰本線・普通)
次の米子行普通列車は1番ホームから。
10時58分に米子から着く列車の折り返しとなります。
またキハ126形気動車2両のワンマン列車。
倉吉から乗る人が意外と多く、私が座ったボックス席も、スーツケースを持った旅行者らしき夫婦と相席になりました。
倉吉駅ホーム。
車内は意外とスーツケースや旅行鞄の乗客が多く、米子から特急『やくも』に乗り継ぐ人がこの列車を利用するのでしょうか。
ところが、2つ目の由良で多くの人が席を立ちます。
相席の夫婦も由良で降りました。
由良駅もコナン駅の別名が付けられて、ホームもコナンの飾り付けが目立つ駅。
ここは『名探偵コナン』の原作者、青山剛昌の出身地で、駅近くには漫画にちなんだ施設がいくつも作られています。
今日は何かイベントでもあるのでしょうか。
車内の半分くらいの人がこの駅で降りて行きました。
すっかりローカル列車の雰囲気になって米子着。
米子 12:47 → 13:20 松江(山陰本線・普通)
米子駅の乗り継ぎ時間は34分。
この間に改札を出て、駅弁を仕入れてきます。
米子駅の自動改札機とICカードリーダーが並ぶ改札口を見ると、都会に戻って来た感覚になりました。
山陰本線では現役のキハ40形気動車。
米子駅ホームに入って来た出雲市行ワンマン普通列車はキハ47の2両編成。
北海道から九州まで、気動車と言えばこのキハ40形と呼ばれる車両に当たることが多かったのですが、今ではすっかり少数派に。
一番新しいものでも製造から40年以上という高齢化のため、JR北海道では2025年春のダイヤ改正をもって廃車となることが決まっています。
ここ山陰本線ではまだまだ現役。
国鉄型標準だった朱色一色の車両は、どこか郷愁を誘います。
キハ47のボックスシート。
乗車した車両は、車内の半分がロングシートに改造された車両ですが、入線したばかりなのでボックスシートに陣取ります。
まだ乗客は僅か。この間に駅弁を食べてしまいましょう。
米子駅の吾左衛門鮓 鯖(1,300円)。
駅弁といっても買ったのは吾左衛門鮓 鯖。
米子駅で古くからある駅弁『吾左衛門鮓(ござえもんずし)』。
しめ鯖と酢飯を、柔らかく炊いた昆布で巻いた寿司です。
オリジナルの品は1本丸まんまで、あれはお土産用でしょう。
こちらはハーフサイズの5貫入り。
たっぷりと脂の乗った寒サバを昆布の旨味で閉じ込めた逸品。
サバ好きには吾左衛門鮓抜きで米子は素通りできません。
ああ、酒が欲しい。
箱の説明書きによると、米子駅の駅弁屋である米吾の前身は江戸時代の廻船問屋で、船内食として鯖寿しを持たせたのが吾左衛門鮓の始まりだとか。
松江駅に到着。
いつの間にか空は雲が覆うようになってしまいました。
スマホで天気予報を見ると、この次向かう松江は雨のようです。
松江駅で傘を買わなければならないのかなあ。
空もだんだん暗くなって、途中でポツリポツリと窓に雨粒も伝うようになりました。
33分で松江に到着。
松江城へ
松江市は島根県の県庁所在地で人口は約20万人。
米子、松江、出雲と人口10万人以上の都市が並んで、地図や鉄道の時刻表で見る限りは1つの都市圏のようにも見えます。
実際、東京や大阪からこの3つの都市へは、新幹線から岡山乗り継ぎで特急『やくも』が結んでいます。
このうち米子だけは鳥取県。
遠い北海道の私から見れば、こうしたところが島根か鳥取か分からないけど・・・
なんてことになるのですが。
京橋川を行く堀川めぐり遊覧船。
それはともかく、松江に着きました。
松江では松江城見物をすることにしています。
松江駅から松江城へは2kmほどの距離があって、路線バスもありますが街歩きも兼ねて歩くことにしました。
スマホで雨雲レーダーを見ると、松江は雨ということになっていますが、少なくとも松江駅前は雨の気配はなし。
傘は持っていませんが、松江城まで歩くことにしました。
リュックの中にあるレインハットが頼りです。
京橋川を行く遊覧船や、松江城のお堀端の道を歩きます。
島根県庁分庁舎にある竹島資料室。
途中で『竹島資料室』という看板を見つけ、気になったのでちょっと寄ってみることにしました。
そういえば竹島は島根県でしたね。
竹島や歴史や現在の竹島に関する資料が展示。
竹島といえば韓国が不法占拠している日本の島という認識くらいしかなかったのですが、竹島問題について改めて認識させられます。
この資料室を1回り見学すると、日本の領土問題に対して襟を正す気持ちになります。
北海道だって、ロシアが不法占拠している北方領土問題がありますから他人事ではありませんね。
韓国側の主張と日本側の反論。
私は松江は3回目になります。
1回目は乗り鉄のために一畑電車の松江しんじ湖温泉駅から松江駅まで歩いただけ。
2回目はやはり一畑電車から境港行きのバスに乗り継いだだけというもの。
あのころは松江城なんて眼中にもありませんでした。
私もようやく途中下車したら町を観光する余裕を持てるようになったようで。
まあともかく、今の今まで素通りしてきた松江城に、3回目にしてようやくやって来たわけです。
松江城大手門跡と天守閣。
松江城の天守閣は江戸時代以前に建設された現存天守のひとつです。
江戸時代初期の1611年に開府の祖、堀尾吉晴によって建てられ、松江藩の城となりました。
以後改易があり、城主は京極氏、松平氏と変わります。
時代は移り変わり明治維新を迎えると廃藩置県で松江藩は松江県となります。
明治政府は廃城令を下すと、全国の江戸時代からの城郭は解体・売却が行われます。
松江城も180円(当時)で売り払われるはずでしたが、地元の有力者の尽力によって買い戻されることになりました。
こうして現在でも天守閣が残されているわけです。
2015年には国宝に指定されています。
ちなみに隣の米子城も天守閣を持った城がありましたが、明治の廃城令によって解体され、廃材は風呂の薪として売り出されたとか。
1611年建築の松江城天守閣。
そんな由緒ある松江城です。
下の大手門から階段や坂道を登って行くとチケット売り場があって、680円を払って中へ。
天守閣は土足禁止で、入口でビニール袋を渡され、靴は中に持って入ることになります。
天守閣の内部。階段の昇り降りがまた・・・
天守閣の内部は板張りで薄暗く、屋根裏部屋か倉庫のような殺風景な雰囲気。
こんなところに殿様が御座したのか。
これは松江城の天守閣は住居ではなく望楼のためにあったと説明書きにあって、居住や執務は別の建物で行われていたようです。
天守最上階になる天狗の間。
階段を登って、登って、登って着いた先は最上階の天狗の間。
ここからは松江の町を360度見渡すことができます。
松江の街並みを見下ろす。
ガラス窓もなく吹きさらしの展望台から見る景色は気持ちが良いものです。
しかし、私は高所恐怖症。
柵の前で下を見下ろすと足がすくみます。
さて、登ったら今度は降りなくてはなりません。
階段と言うよりほとんど梯子に近い角度の階段を下ります。
足を下ろすごとにギシギシきしむ踏板と、頼りない木製の手すり。
片手は靴を入れたビニール袋。
それでも何とか下まで降りて来られました。
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