■ 2005年9月8日(水)
予定通りならば、朝のフェリーで松山から広島に入るはずだったのだが、台風で予定が狂ってしまい、今日は1日広島観光となってしまった。
広島に来たのは今回で4回目。すべて広電に乗るために訪れている。
実は私は大の路面電車マニアで、国内旅行のほとんどは全国の路面電車に乗るためにしているようなものだ。
今回の旅でまともな宿に泊まるのは5泊目にして最初。
少々寝坊させてもらい、ホテルを出たのは朝8時過ぎのこと。
広電路面電車と原爆ドーム
3両や5両連結の電車が次から次へと走ってゆく電車を見ながら、当てもなく電車道の歩道を歩いて行くと紙屋町の交差点に出る。
ここは広島の交通の中心。
次から次へと電車がやって来る朝ラッシュの紙屋町電停をしばし見物する。
朝8時半、朝ラッシュの紙屋町西電停。
私は昨日買っておいた1日乗車券を持っている。
電車を眺めているばかりでなく乗ってみたい。
横川行きというのが来たのでこれに乗る。
この路線は数年前に新しくできた系統で、都心の紙屋町や本通とJR横川駅を結ぶ。
乗った電車は、ラッシュと反対方向なので車内は空いていた。
ドーム状の屋根が覆う横川駅前。
横川駅前は前に来た時は、本数の少ない江波行の電車が細々と発着する場末の商店街という印象しかなかったのだが、この変わりようはどうだ。
電車は駅前広場に直接乗り入れるようになり、駅と直結した大きな屋根が乗り場全体を覆っている。列車が着き、改札を出れば目の前が電車乗り場というわけで、わかりやすいし乗換えも楽でいい。
ふと、札幌市電が札幌駅まで延伸され、南口広場にこんなふうに乗り入れている姿を想像した。
横川から広電前行きの電車に乗って折り返し、都心の本通までもどる。
時刻は9時過ぎで、どこに行こうか。平和記念資料館はもう開いているのではないか。
何回も広島には来たが、電車に乗るのに夢中だったり年末年始休業だったりで、まだ行ったことはなかった。
被爆電車の650形651号。本通で。
今度は反対側のホームに立っていると西広島行が来た。
なんと650形651号被爆電車ではないか。
車内には『650型電車の由来』というのが掲示してあり、昭和20年8月6日午前8時15分、市役所付近を走行中に原子爆弾により被爆したとある。
原爆で焦土と化した中、生き残った職員の手で懸命に復旧作業を行い3日後には一部区間で電車の運行を再開したという。
651号の車内。
この650型電車は昭和17年製で壁や床は木製となっている。
入念に手入れがされていて、まだまだ現役で走る。
ただ残念なことに、最近では朝夕ラッシュ時しか運行されないようだ。
651号はノスタルジックな木造の車内。
2つ目の原爆ドーム前で電車を降りる。原爆ドームの前を通り、人も少なく広々とした平和記念公園を歩く。
アーチ型の慰霊碑の前では観光客がやってきて記念撮影をしていた。
原爆ドームと相生橋。
原爆投下直後のジオラマ。赤い玉が爆心。
広島平和記念資料館は入館料50円。館内には被爆資料や遺品の展示などがあり、原子爆弾の恐ろしさを伝えている。
被災のジオラマなど生々しくて1人でいたら恐ろしい、今日はさいわい朝から見学者が結構いる。
さすがに外国人の客も多い。
戦争の愚かさ、原子爆弾の恐ろしさが身にしみてわかる。
のどかな平和記念公園。
1時間ほど見学して資料館を出る。日差しがきつい。今日は雲ひとつない快晴で暑くなりそうだ。
「安らかに眠ってください
過ちは繰り返しませぬから」 原爆慰霊碑の碑文
宇品線の主力3000形連接車。後面展望から。
『広島の常識』かき醤油の広告入り吊革が広島らしい。
さっき来た方とは反対方向の平和大通を歩いて袋町電停に出る。
平和資料館へはドーム前からより袋町か中電前で電車を降りて歩いた方が近いようだ。袋町からは広島港行の電車に乗る。
空港ターミナルと見紛うような立派な広島港電停。
広島港も前は宇品と言っていたが、フェリー乗り場があるので今の名称に変更された。
名称だけでなく、終点広島港は巨大な屋根で被われて、見違えるように新しくなっていた。
ここから四国や瀬戸内海の島々とを結ぶ連絡船が出ている、広島市の海の玄関口でもある。
広島港から西広島駅行きの電車に乗る。
広島つけ麺と宮島口あなご飯
今日は朝食を食べていなくて、そろそろ昼近くなり何を食べようかと考えていると、土橋を過ぎたところに『つけ麺本舗 ばくだん屋』の目立つ看板を見つける。
ばくだん屋土橋店。
広島のB級グルメのひとつに「広島つけ麺」があるのは知っていたが、どの店に行くかは調べていなかった。
ここでいいやと次の十日市町で電車を降りて、つけ麺屋に入る。結構有名な店なのかテレビの取材もきていたという看板がある。
ばくだん屋の辛味噌つけ麺6倍(700円)。
『辛味噌つけ麺』というのを頼むと、「辛さは?」ときかれ、辛いのは好きなので「辛く・・・」と言うと“6”と聞こえたみたいで、店員が「はい6倍ですね」と言った。
6倍・・・・って?よく見たらカウンターに辛さの一覧が貼ってあり、辛さは0〜20倍まであり、6倍とは普通の辛さで一番辛い味だった。
熱いつけ汁に、冷たい麺をつけて食べる。平べったい麺にゆでたモヤシと煮たまご、チャーシュー2枚が載り、汁はゴマと豚の脂身が浮いている。辛さは6倍だがもっと辛くてもよかった。
唐辛子の効いたつけ麺を食べていると汗がふき出してきた。
こんどは土橋から宮島口行の電車に乗る。
宮島口行の電車は全て3両か5両編成で、車掌が乗っている。
広島の電車で最初に戸惑うのはこの2人乗務の電車である。
1両目と2両目の中ドアが入口で、1両目先頭運転士横のドアと3両目の車掌が立っているドアが出口となり、お金も降りるときに料金箱に入れるのはワンマン電車と同じ。
「ガッ、ガッ」と車掌がブザーが2回鳴らすと発車オーライの合図となる。
土橋を発車すると狭い通りを電車は進む。観音町で、車掌が窓から後ろを確認して「左オーライです」と言うと、黄色い矢印信号は点いていないが、電車が左に曲がって発車する。
何度か右左折を繰り返して西広島へ。ここは前は己斐(こい)だったが、広島港と同じようにJRと同じ西広島に改められた。
よその人にはわかりやすくて良いのだが、昔ながらの駅名が改められると寂しい気がする。
車掌が乗る宮島線の車内。
この電車は3両連接車で、いまどき珍しい車掌が乗っている。
広島の電車で最初に戸惑うのはこの2人乗務の電車である。
1両目と2両目の中ドアが入口で、1両目先頭運転士横のドアと3両目の車掌が立っているドアが出口となり、お金も降りるときに料金箱に入れるのはワンマン電車と同じ。
「ガッ、ガッ」と車掌がブザーが2回鳴らすと発車オーライの合図である。
楽々園―山陽女子大前を行く5000形グリーンムーバー。
西広島からは、宮島線と呼ばれ、専用の線路になる。今まで街の中をヨタヨタと走っていたが、西広島からは打って変わって高速で飛ばす。
高速と言っても最高60km/hなのだが、線路際まで家々が密集しているところを走るので、より速く感じる。
楽々園という駅があり、何か楽しそうな名称なので途中下車してみる。べつにこれと言って何もない普通の町だった。
駅近くに橋があったので、そこで電車の撮影をする。広電の線路の橋桁は川面スレスレの所に架かっていて、一昨日の台風では何ともなかったのだろうか。
楽々園から再び宮島口行の電車に乗車する。
2社並ぶ宮島口の連絡船乗り場。
終点宮島口には改札口があって、料金はそこで払うことになっている。私は1日乗車券のカードを持っているのでカードリーダーに通す。
宮島口へは昨日はJRで来たが、今日は広電宮島口駅に降り立つ。
駅前には宮島松大汽船の乗り場があって『宮島行のりば』と大きく表示してある。
隣はJR宮島航路だが、こちらは広電グループの船だ。
連絡船乗り場までJR宮島口駅から歩いて来ると、JRのほうが正面にあるので自然とそっちに行ってしまうが、広電宮島口で降りると、松大船のきっぷうりばが目の前にあり、乗り場が2つあることを知らない人は自然と松大船の方へ行ってしまうという仕組みだ。
乗り場では往復券を買うようにとの放送がしきりにある。
さりとて往復割引があるわけで無し、どちらも同じ15分間隔だし所要時間も同じ。
要は先に出る方に乗れば良いのだが、どちらも1人でも多く乗船客を取り込もうと商売熱心だ。
宮島は昨日行ったので今日はここで引き返すことにする。
せっかく宮島口まで来たのだから、『うえの』で宮島口の駅弁『あなご飯』を買う。
1個1,470円で、同じ値段で店でも食べられるのだが、名前を書かされて待たされるので、面倒なので弁当にする。
これは最近は駅であまり売っていないようだが、全国一の駅弁はと聞かれたら、この宮島口の『あなご飯』を推したいくらいだ。
買ったは良いが近くには食べるようなところは無かった。
ホテルに戻ってから部屋で夕食用とするか。
結局、弁当の袋を提げたまま広電の電車に乗り、広島に戻る。
宮島口から電車に乗ること1時間近く、原爆ドーム前で降りる。だいぶ日も傾いてきた。
宮島口駅弁のあなご飯(1,470円)。ラベルは昭和初期の復刻版。
平和記念公園を歩いていると、元安川べりのベンチが空いていたので、そこに座ってさっき買った『あなご飯』を食べることにした。
経木の折箱に香ばしいアナゴの蒲焼をぎっしり詰めてある。アナゴのアラで炊き込んだご飯にもアナゴの脂とタレがしみ込んでいる。以前に店で食べたことはあるが、冷めている方がおいしい気がする。
川の向こうに原爆ドームを見ながらあなご飯を食べていると、今遠い広島に居るんだなあ〜・・という気持ちをしみじみ感じた。
ここは札幌から直線距離でも1,200km以上離れた地。
世界遺産の原爆ドームと3900形ぐりーんらいなー。
広島市民球場と元大阪市電の900形。
広島は路面電車の都市。
幅広の相生通りを歩いていると、次から次へと電車が通る。
広島駅、紙屋町、広島球場、お好み焼き
平和記念公園からは歩いて紙屋町西へ行き、ここから広島駅行の電車に乗る。
信号が青になり発車すると交差点の反対側に紙屋町東電停があり、そこでも停まる。
前はどちらも同じ紙屋町電停で、手前の紙屋町を発車すると「次は続いて紙屋町」という車内放送が流れたのを覚えている。
電車は走り出すと結構飛ばす。
信号が多いのと電停が短い間隔でたくさんあるので、動き出したら猛ダッシュで加速、すぐに赤信号や電停で停止という感じである。
都心部は停まってばかりでさっぱり進まないという印象。
的場町で、広島駅へはここで降りて歩いた方が確実に早いというほど長い赤信号に引っかかる。
紙屋町西から広島駅まで僅か2kmばかりの距離を、20分もかかって広島駅に着いた。
広島駅と広島港行き3000形。
広島駅前は、寂れた商店街や市場があるだけの様な所だったが、最近は大きい商業施設ができたりして変わってきているようだ。
それでも広島市の中心は紙屋町や八丁堀の方で、駅の横には錆びついたような古い商店街が軒を連ねる。
広島駅の横は古びた商店街が残る(駅前市場通り)。
三越や天満屋が連なる八丁堀電停の賑わい。
夕方5時半も過ぎ、都心の道路は帰宅する人たちで賑やかになる。
そんな夕方ラッシュ風景を見ながら歩き回る。
夕方6時、帰宅ラッシュを迎えた紙屋町西電停。
帰宅客ラッシュの宮島口行グリーンムーバー。
夕方ラッシュの紙屋町西電停と3700形ぐりーんらいなー。
八丁堀、立町、紙屋町と都心の電停はどこも人がいっぱい。
路面電車と言えば地方都市のもの、あるいは都会にあっても沿線住人しか利用しないローカルな位置づけというイメージだが広島のは違う。
都心から市内各所を結ぶ、交通機関の主役という感じがする。
札幌の駅前通りに市電があったころはこんな風だったのかと思いを馳せる。
カープファンの聖地、広島市民球場。今夜は対横浜戦。
電車通りの光景を見ながら原爆ドーム前まで歩いてきた。
近くの広島球場は人だかりがして賑やか。
広島対横浜戦の垂れ幕が下がる。
売店のカープ観戦セットなんてのを眺めていると、にわかカープファンのような気持になった。
紙屋町の地下街を歩いていると『みっちゃん』というお好み焼き屋があった。
そういえば広島と言えばお好み焼きだったな。
『スペシャルそば』とビールを頼む。
広島のお好み焼きは自分で焼くのではなく、店の人が作ってくれて皿に載せて持ってくるという所が多い。
作り方を見ていると、溶いた小麦粉をまずクレープ状に伸ばして、その上に野菜や具を載せてひっくり返す。素人には難しそうだ。
トッピングもいろいろあり、そばダブルなんてのもある。
みっちゃんのスペシャルそば(1,050円)と生ビール。
『スペシャルそば』の内容は、キャベツ、豚肉、イカ、天カス、イカ天、卵、焼きそば。
一番上のペロッとした皮のような薄い小麦粉も良いアクセントになっている。
独特のソースを絡めて食べると旨いっ!
夜の相生通り夜景と電車。
1050円のお好み焼きに満足して、夜の街をぶらぶら歩きながらホテルに戻る。
広島本通アーケード商店街の夜景。
途中でコンビニに寄ってビールを買う。あとはホテルの部屋で1杯やって寝るだけ。
明日は飛行機で札幌に帰ることになっている。
なお、今日の広島対横浜戦は1対5で広島が負けた模様。
残念。
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