10月の連休は皆様いかがお過ごしでしょうか。
私はというと、どこへも行く予定もなく・・・
いや、朝に思い立って電車に乗りました。
行先は手稲。
過去の写真(画像ではありませんよ)を色々見返していたら見つけたのが昔撮影した手稲駅前の写真。
今から25年前、1999(平成11)年5月に撮影したもので、そういえば自転車に乗って写真を撮りに行ったなと思い出しました。
まだ3代目旧駅舎だった頃のものです。
調べたら手稲駅は、撮影年の1999年10月に新駅舎に建て替えのための仮駅舎の使用開始とありました。
当時の私は、手稲駅建て替えを知って、今の駅と駅前を写真に残そうと出かけていたのでしょう。
手稲駅前といえば札幌市内ですし、私自身もまったく行かない場所でもないので現在どうなっているかはよく知っています。
しかし、25年前と今現在とどれだけ変わったのだろうと気になり、あの時と同じ手稲駅前へ出かけることにしました。
まずは25年前の手稲駅前の写真から ↓ ↓ ↓
船木旅館横から手稲駅方向(1999年5月撮影)。
画像中央が1982(昭和57)年建築の3代目旧駅舎です。
2階建てで、1階が店舗、2階がコンコースになっていました。
その右側にある三角屋根の古い建物が旧2代目駅舎で、3代目駅舎が使用開始後も保存されていました。
手稲駅2代目旧駅舎(1999年5月撮影)。
2代目旧駅舎は1934(昭和9)年に山小屋風のデザインで建てられた木造駅舎で、戦後の利用客急増からあちこち増築だらけだった駅舎を復元して、新たに喫茶店として営業していたもの。
この頃は駅の2階にあった旅行センターがこちらに引っ越してきていました。
この年の6月に現在の新駅舎建設のために無残にも取り壊されてしまいます。
保存の声もあったのでしょうが、老朽化と保存費用の捻出という問題があったのかも知れません。
さっぽろ・ふるさと文化百選に旧軽川駅舎として選定された名建築ですが、流れには逆らえなかったのでしょう。
でも残念至極。
と文句ばっかり言っているけど、私が撮影した2代目旧駅舎は上の1枚だけ。
何でもっとたくさん撮っておかなかったんだああああ!!
一番文句を言うべきなのは自分自身になのでした。
船木旅館(1999年5月撮影)。
最初の画像左側の建物が船木旅館。
創業は古く、1875(明治8)年と手稲駅(当時は軽川駅)よりも古い旅館です。
手稲・・というか軽川(がるがわ)は、札幌と小樽の間にある交通の要所で宿場町だったところ。
鉄道が開通して軽川駅ができると現在地に移転したのだとか。
以来駅前旅館として、商人宿として長らく手稲駅前を見守ってきた由緒ある旅館でした。
現在はというとこちら ↓ ↓ ↓
手稲駅前ビルの前から手稲駅方向(2024年10月撮影)。
手稲駅前ビルと手稲ステーションホテル(2024年10月撮影)。
高層のビルやマンションが林立して、2階建ての船木旅館だけが1軒あった時代の画像を見ると時代の流れを感じますね。
私も歳を取ったわけで。
由緒ある船木旅館は手稲ステーションホテルと名を変えて営業中。
札幌中心部のホテルが取れなかったり高すぎたりしたときは、手稲あたりも宿泊地に検討してはいかがでしょうか。
札幌市内だし小樽へも近い。新千歳空港は快速『エアポート』1本で行けます。
今度は南口広場から街を見てみましょう。
手稲駅南口広場、旧ミスドの前から(1999年5月撮影)。
旧南口広場は今よりも狭かったようですね。
ロータリーの島を客待ちタクシーがぐるりと囲むように待機しています。
駅前に出入りするバスは来た道を手稲駅前通りに直接戻ることができず、1本南側の中通りから二十四軒手稲通に出ていました。
手稲駅南口広場、南側の一角(1999年5月撮影)。
長らく手稲駅前の顔だったであろうラーメン十八番と喫茶ニイハマ。
南口広場の南側の一角はいかにも昭和といった佇まい。
昭和も30年代まで遡ってしまいそう。
どこからかSLの汽笛がボーッと聞こえてきたりして。
ここから石狩手稲線までの一角は古びた飲み屋街でした。
手稲はかつて鉱山で栄えた町。
昔は鉱山(ヤマ)の男たちで賑わっていたのでしょうか。
夜になると立ちんぼもいたという噂も。
現在はというとこちら ↓ ↓ ↓
手稲駅南口広場(2024年10月撮影)。
手稲駅南口広場、南側の一角(2024年10月撮影)。
すっきりしたというか、きれいになったというべきか。
古びたまま朽ちていくよりはこうして新しい建物に替わる方が望ましいのは言うまでもありません。
こうして見ると、線路側の並びは25年前とあまり変わりなく。
当時から続いている店もいくつか。
ここだけは昔ながらの手稲駅前って感じがします。
北側から見た手稲駅構内(1999年5月撮影)。
こちらは駅の北側、花畔人道橋の下から撮影したもの。
ホーム側は3面4線という変わった構造でした。
もともと駅舎に面した1番ホームと、跨線橋を渡った2・3番ホームだったのを、快速運転を始めたときに快速と普通の接続を行うために北側の側線に新たに4番ホームを増設したのでこうなりました。
これにより上りも下りも手稲駅で快速と普通が必ず接続するダイヤとなりましたが、快速と普通を乗り継ぐとなると必ず跨線橋の昇り降りが発生するという面倒な駅となりました。
新駅舎工事の為の仮設駅舎が使用開始になると同時に現在の2面4線に改められています。
1番ホームに面した2代目駅舎の三角屋根がいかにも手稲って感じがしますね!
現在はこちら ↓ ↓ ↓
北側から見た手稲駅構内(2024年10月撮影)。
現在花畔人道橋が工事中なので上と同じ場所というわけにはゆかず。
だけどほぼ同じ構図です。
これを東京郊外の駅ですと言ってもわからないだろうな。
手稲を感じさせるものが何もない。
駅の橋上化や高架化で、どこもかしこも同じような風景になってしまうのは寂しくも感じます。
それにしても山小屋風の2代目旧駅舎を撤去してしまったのが残念でなりません。
手稲駅コンコースと改札口(1999年5月撮影)。
手稲駅3代目駅舎は鉄筋コンクリート2階建て。
この駅は橋上駅ではなく、駅舎2階にコンコースと改札口がありました。
エスカレーター?
基本昭和の国鉄時代の設計ですから、当然そんなものはありません。
南口広場に出るには1か所の階段のみ。
自由通路は北側(小樽側)にあって、そちらから北口広場に出入りできました。
ホームへは、改札口を通ると直接跨線橋の通路につながっていました。
今の岩見沢駅とほぼ同じ構造です。
この当時でも乗降客数は1日当り2万6千人を超え、道内でも札幌駅に次いで2番目に利用者の多い駅となっていました。
ラッシュ時は4つ並んだ改札ボックスすべてに駅員が立ち、乗降客をさばいていました。
今ではちょっと信じられないですね。
ところで、札幌圏各駅に自動改札機が導入されたのは1998年11月ですが、手稲駅は翌年に仮駅舎への移転を控えているためか自動改札化は翌年(1999年)10月の仮駅舎使用開始まで持ち越されました。
現在のコンコースと改札口はこちら ↓ ↓ ↓
手稲駅コンコースと改札口(2024年10月撮影)。
2002(平成14)年に完成した現在の橋上駅は南北自由通路『あいくる』から入る格好となります。
コンコースも広く天井も高く明るい駅。
札幌市西側の玄関口として、ターミナル駅としての貫禄十分の駅です。
基本昭和の国鉄時代の設計だった旧3代目手稲駅。
狭くて混雑して、エスカレーターやエレベーターの増設もままならず、乗り換えも面倒だった手稲駅が建替えられるのは必然だったと言えますね。
現在の駅の方がはるかに便利で快適です。
★ ★ ★
25年前の手稲駅前はいかがだったでしょうか。
これだけ変わっていたのかと、私自身びっくりしています。
今日出かけたのは札幌駅から快速で僅か11分の手稲ですが、こうして25年前の写真と見比べながら手稲駅前を歩いていると、何となく時間旅行(タイムトラベル)のような感覚となります。
遠くへ行くばかりが旅ではなく、こうして時間の移動を想像するのも旅と言えるのではないでしょうか。
最後にですが、1999年当時撮影の画像は保存していたカラープリントをスキャンしたものです。
色落ちと画質が粗いのはご容赦願います。
〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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