2024年 春に廃止が決定している東鹿越へ2

 ◆ 富良野→東鹿越 2477D

こんどは3月31日をもって廃止となる富良野〜東鹿越間を往復してきます。
別に乗れれば立ちっぱなしでもいいやと思っていたので、改札口でもホームでも行列には並ばなかった。

2477Dの編成はキハ40形車両の2両編成。
普段は1両なので増結した格好になる。

2477D/2482Dの編成
キハ40 1479
釧クシ
キハ40 1724
旭アサ
←東鹿越    富良野・滝川→

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 『ぬのべ』の表記が消えるであろう富良野駅の駅名標。

1両ならば結構な乗車率だろうけど、2両編成になると余裕がある。
各ボックスがすべて埋まって、ロングシートに1〜2人、相席にはならない程度といったところ。

客層は乗り納めに来たと思える人ばかり。
改札口ではきっぷを見せるだけの人が多かったので、多くは北海道フリーパスや大人の休日倶楽部パス所持者なのだろうか。
年齢層は高め、若い人はほぼいない。

あとは地元客と思しき人も見られる。
この列車が滝川方面からの列車と全く接続しないのは、富良野市から南富良野町内へ帰宅する人のために設定されたからだろう。

新得まで直通していたころは、道央と道東を結ぶルートとして機能していたが、東鹿越〜新得間が災害でバス代行となってからは本数が減らされ、また時間もかかりすぎるようになったことから、盲腸線のような扱いとなってしまった。
旭川・富良野〜新得・帯広間の利用ならば、3往復ある都市間バスの『ノースライナー』に乗ればいいわけだ。

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 東鹿越行2477Dの車内。

私はというとロングシートの客となる。
すいていれば壁に背をもたれて、横向きになって外を眺めるのも悪くはない。

最初の停車駅が布部駅。

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 北の国からの舞台となった布部駅。

布部駅はテレビドラマ『北の国から』の舞台となった駅。
ドラマ撮影当時からはリフォームされているが、木造駅舎が今でも残されている。

廃止後はこの布部の駅舎はどうなるんだろうか。
保存して新たな観光名所となるのか、解体して整地して記念碑がポツンと立つだけになるのか。

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 一面雪原の富良野盆地を走る。

富良野を出てから車窓風景は平らな富良野盆地。
この辺りは米どころの水田地帯だけど、冬になれば一面真っ白な世界になる。
吹雪いた日にはホワイトアウトが恐ろしい。

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 山小屋風駅舎の山部駅。

次の山部では地元の人の乗降があった。
1966年に富良野市と合併するまでは山部町の中心部だったので、駅前は市街地となっている。
また急行『狩勝』の停車駅でもあった。

ここで4人の乗客があったのはちょっと意外だった。
数は少ないけれど、それなりに地域の足となっているようだ。

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 木造駅舎が残る金山駅。

下金山からは南富良野町となる。
山部まで並行していた国道38号線は、下金山の手前から幾寅までは完全に別ルートとなっている。
ここから金山まで並行する国道は、旭川〜富良野〜占冠〜日高を結ぶ国道237号線となる。

金山駅はここも木造駅舎が残る駅。
駅構内には保線車庫があり、駅舎の横には保線区の事務所として使われていた建物があったりと、鉄道としてはそれなりの拠点であったようだ。

しかしそれも今は使われていないようで、保線車庫への線路は雪に埋もれている。

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 レンガ積みの危険品庫と保線区の建物。

金山駅は集落から少し離れた場所にあり、国道から坂を下った場所にぽつんと建っているような駅だ。
廃止後はここも例外なく解体されてしまうんだろうな。

ホームにあるレンガ積みの古い建物が目を引くが、あれは危険品庫として使われていた建物。
危険品庫とは、鉄道が最初に走り始めた頃、電気がなくてランプを灯していた時代に、明かり用の灯油を保管するために建てられたもの。
明かりが電気になっても、ポイントの潤滑油や暖房用の灯油を補完するために残されているものがある。

この金山駅のは1911(明治44)年建築という大変歴史のあるもの。
駅舎は解体されても仕方ないけど、この古いレンガ積みの危険品庫は保存できないものかと思う。

金山からは空知川の谷間へと分け入ってゆく。
ここから幾寅までは人家もほとんど無い地帯となる。
並行する道路は一般道道金山幾寅停車場線で、かなやま湖畔へ行く車しか通らないような道路だ。

ここから先にちょっと見たいものがあるので、失礼して最前部のデッキに陣取らせてもらう。

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 金山湖橋梁と旧鹿越信号場のS字カーブ。

金山を発車して2つ目のトンネルを抜けた先にあるもの。
それは、鹿越信号場跡。

長い空知トンネルを抜けて金山湖の鉄橋を渡った先に不自然なS字カーブが見えてきた。
あれが鹿越信号場の跡だ。
当時はY字分岐のポイントがあって線路が二手に分かれていたのだろう。

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 旧鹿越信号場の小屋。

信号場だった当時は短いホームがあって客扱いもしていた。
道内版時刻表にも掲載されていた客扱い信号場だが、まったくもって謎の信号場だった。

今走っている区間は金山ダム建設の際に新たに付け替えられた線路になる。
今はダムの底だが、旧線時代は鹿越駅というのがあった。
新線に付け替えられた当時は、金山の次が東鹿越では駅間が長すぎるという理由でこの鹿越信号場が設けられたのである。
当時は石勝線がまだなく、特急も急行もすべてこちらの根室本線だった時代。

それが石勝線開業で多くの列車が石勝線経由となり、余剰設備となったことから1982年に鹿越信号場は廃止される。
交換設備は撤去されたが、その後も鹿越仮乗降場として客扱いは続けていたようだ。

“ようだ”と言うのは、この旧鹿越信号場の最大の謎。
時刻表に載っているのに、停車する列車が1本もないということ。
当時の時刻表を見ると、営業キロ設定のない駅として鹿越の名はあるが、すべての列車が通過を示す『レ』マークになっている。

そもそも人家がある場所ではないので、保線関係の人が乗り降りしていたのかも知れない。
ネットで調べると、車掌に頼むと停車して降ろしてもらえたという記述もあったりする。

信号場が廃止されても、仮乗降場として書類上存続していただけなのか。
真相はどうだったのか、今となっては知る由もないけれど。

この謎乗降場は1986年11月のダイヤ改正で正式に廃止となり、以後の時刻表からも姿を消している。

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 線路上のシカ。

このあたりから多くなるのがシカの出没。
人家も道路もないこの辺りはシカにとっては楽園だろう。
1日4.5本しか列車の通らない線路は、シカにとっては歩きやすい獣道だ。

だけど運転士にとっては緊張の連続だろう。
車と違って急には止まれないしハンドルで避けることもできない。
線路わきにシカの群れを見つける度に徐行を繰り返す。

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 前面展望から見る東鹿越駅。

無人地帯を延々と走ってきて、だんだん東鹿越駅の構内が見えてくる。
2本あるうちの片側だけだが、構内はきれいに雪かきがされている。
運転士にとっては、無事に着いてホッとするところだろう。

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 今は終点になった東鹿越駅。

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 東鹿越駅に到着。

東鹿越駅は出迎える人もなく、普段は寂しい終着駅なのだろう。
一面の雪景色と、広い構内がよりいっそう寂しさを醸し出している。

構内が広いのは、駅裏に石灰石の鉱山があって、この駅から石灰石を積み出していたから。
90年代までは、ここ東鹿越から釧網本線の中斜里まで石灰石の貨物列車が運行されていた。

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 東鹿越駅のホームと駅舎。

当時、構内に並んだ側線には茶色いトキ25000形貨車が並んでいたので、東鹿越駅というと貨物駅という印象があるけれど、それも遠い時代になってしまったんだなあ。

しかし石灰石鉱山は今でも操業している。
要は100%トラック輸送になったということ。

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 東鹿越駅の駅名標。

列車を降りると駅前に新得行の列車代行バスが停まっていると思っていたが、バスはまだ来ていない。
新得からの到着時刻は15:04着で、15:13に新得行となって折り返すダイヤとなっている。

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 列車が到着すると賑わいを見せる。

駅前は列車で着いた人たちがウロウロと。
大半は新得への代行バスに乗り継ぐようだ。

東鹿越駅は、ここも木造駅舎が残っている。
駅前は見事に何もないところで、駅を出ると1本の町道と、かなやま湖の氷結して真っ白になった湖面が見えるだけ。

駅裏に石灰山の鉱業所はあるけれど住宅はなく、駅前は無人地帯となっている。
かなやま湖の対岸に温泉やキャンプ場のある公園はあるが、駅からは約4kmと遠い。

そんな駅なので、2017年3月ダイヤ改正で廃止が決定するも、その前年の台風災害による不通区間の発生で、東鹿越駅は列車と代行バスとの乗継駅として存続することになった。
そういう意味では運のいい駅ということになる。


 ◆ 東鹿越→滝川 2482D

そんな駅前広場をバスを待つ人たちと一緒にウロウロしていると、前面に『列車代行様』と掲げた1台の観光バスがやって来た。
このバスは営業路線ではなく、貸切バスの扱いなのでこうなる。

運行会社はふらのバス。
車内は満席というほどではないが、結構席が埋まっている。
青春18きっぷシーズンにもなれば1台に乗り切れるのかなあ。

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 新得からの列車代行バスが到着。

そんなことを思っているともう1台バスが現れた。
こんどのは拓殖バス。こちらも同じような乗車率。

列車代行バスも、いつの間にか2台体制になっていたのだった。

こりゃあ大変だと、バスの乗客が降り始める前に折り返し列車への車内へと戻る。

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 東鹿越発滝川行2482Dの車内。

この段階では、まだ座席は選び放題。
戻りの列車はボックスシートの客となることにした。

しばらくすると、バスからの客が続々と乗り込んできた。
乗客の顔ぶれを見ていると、こちらもやはり年齢層は高い。
夫婦の客もいるが、圧倒的に多いのが初老の男性。

このボックスシートも初老の男性客と相席になった。

さっき着いた列車の折り返しと、代行バスからの乗り継ぎ客合わせて50〜60人ほどの乗客で東鹿越を発車する。
相席でちょっと窮屈だけど、やっぱりボックス席の旅はいいね。
戻りの列車は旅気分で行くことにした。

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 一面真っ白の金山湖を渡る。

ところで、3月いっぱいで廃止になる東鹿越〜新得間だが、廃止後の交通体系は大変複雑になる。

現在この区間を運行するバス事業者は、以下の通りとなっている。

・都市間バス『ノースライナー』
・ふらのバス(富良野〜西達布)
・南富良野町営バス(金山〜南富良野)
・南富良野町デマンドバス(幾寅〜落合)
・占冠村営バス(占冠〜金山〜富良野)

富良野〜東鹿越〜新得間の廃止後は、これらバス路線が代替交通機関となる。

今まではJR1本で行けたものが、鉄道廃止後は各事業者バラバラな運行になる。

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 新たな南富良野町交通体系フロー図(南富良野町HPから引用)

これは、今までは鉄道の廃止後は、代替交通機関ということでバス路線が新設ということになっていたが、バス業界を取り巻く情勢は年々厳しくなってきており、新たな路線を新設するわけにはいかなくなってきている事情からだ。

かつては鉄道が廃止となってもバスによる代替となり、本数の増加やバス停の増加による利便性の向上となったものだ。
バス転換とも呼ばれていた。

だけど今後は、鉄道が廃止となっても簡単にバス転換とはいかなくなるだろう。
その第1号がこの南富良野町の鉄道廃止後の交通体系なのではなかろうか。

この地域のバス事業者が、それぞれの縄張りを持っていて、それぞれの思惑で運行しているのでこうなる。

公共交通機関をインフラとして捉えるならば、バス会社や鉄道を含め、自治体の垣根を取り払って、共同の運行事業者を作る必要があるのではなかろうか。

同じインフラでも、ごみ処理や消防では複数の自治体組合を作り、共同で運営する制度が実現しているのだから、できないはずはない。

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 撮り鉄さんたち。ご苦労様です。

私個人の意見としては、鉄道の廃止は反対の意見だ。
しかし、利用者が極端に少ない路線については廃止もやむを得ないと思っている。

だけど今後は、鉄道を廃止しても代替交通機関を確保できないということを念頭に置く必要がある。

今まではバス転換ということで、鉄道には無いきめ細やかなサービスを提供することを期待できたが、もうそんな余裕はバス業界にはなくなったということだ。

そんな一方で、過去の国鉄再建法によるバス転換は成功したのだから、赤字ローカル線は廃止するべきだという意見も目にする。

その意見に対して一つ言いたいことは、当時は国からのバックアップ(補助金等)もあってのことだし、バス運転手の確保も容易だったことから実現したことだ。

過疎の市町村でも働き手世代がたくさんいた時代の話だ。
それは団塊の世代が現役だった1980〜90年代の話。
令和のこの時代、深刻な過疎化と高齢化社会ではそういうわけにはいかない。

鉄道の廃止バス転換について「過去に成功したから」と言ったところで何になる?

 〜北海道知事の鈴木さん聞いてる?

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 防雪柵の風景。

今乗っているキハ40形気動車は、青いボックスシートが並ぶ昔ながらの『汽車』の面影を残す最後の車両となった。
道内向けの車両は150両が製造され、ひと頃はどこへ行ってもキハ40ばかりなので食傷気味になったこともあった。

この車両も、製造が一番新しい車両でも40年以上が経過して老朽化が進んでいる。
そのため2025年3月で廃止されることになっている。

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 曇る窓が悩ましい。

富良野では富良野線に乗り換えるのか、下車客が目立った。
代わって乗り込んできたのは外国人旅行者たち。
一気に国際色豊かになって富良野を発車する。

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 富良野駅から秋と冬のみ運行される貨物列車。

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 だんだん日が暮れて。

汽車の窓から暮れゆく風景を見ていると、この根室本線が道央と道東を結ぶ幹線だった頃への思いが膨らんでくる。

まだ石勝線がなかった時代、特急『おおぞら』や急行『狩勝』といった優等列車がここを通っていた。
すっかりローカル線になってしまったが、かつては同じ風景を『おおぞら』の食堂車から眺めていたかも知れない。
今は食堂車にいると思い込めばここは食堂車なんじゃないかな。

富良野で買った男山のワンカップで一杯やりたくなったけど、相席だし周りにも乗客がいるのでさすがにやりかねる。

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 キハ40形の網棚。

単調な車窓からたまに車内に目を向けると、網棚(あみだな)が金網で出来ていることに気づいた。
これぞまさしく網棚だよなあ。
さらに古くは紐を編んだ、本当の網で作られていた。

何となく網棚と呼んでいたが、今のはパイプ棚だし、特急や新幹線のはただの荷棚だ。
網棚ってなんで『あみだな』って呼ぶの?なんて言う時代になるのか、それとも死語となってしまうのか。

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 函館本線と合流。

16:57、滝川着。
東鹿越から1時間45分はさすがに乗りごたえがあった。


 ◆ 滝川→札幌 ライラック34号

ここから乗り継ぐ列車は17:02発『ライラック34号』。
わずか5分の接続だし、次は30分後に『ライラック36号』があるので、そっちでもいいかなと思っていた。

今の列車で降りた人たちのほとんどが改札口ではなく跨線橋へと向かっている。
滝川から特急に乗り人も多そうだ。

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 滝川駅に到着。

しかしここまで来たら早く帰りたくなってきた。
特急のホームに行ってみて、混んでいたら次のライラックで帰ろうと5番線ホームへと向かう。

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 滝川駅に停車中の721系電車。

向かいの4番ホームに停車中の列車は721系電車の岩見沢行。
この電車も今度のダイヤ改正では岩見沢〜旭川間での運行を引退することになっている。

車内はがら空き。
こっちに乗ろうかなと思いかけるも、やっぱり早く帰りたかった。
やがて旭川からの『ライラック34号』が入線。

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 滝川駅に入線する『ライラック34号』。

自由席の3号車にいくつか空席が見えたので、乗ってしまうことにした。
ホームの乗車口案内板には自由席って書いてあったんだよ。

乗って車内に入ると、自由席だと思っていた車内の表示は『指定席』となっていた。
やっぱり次のやつで帰ろうとデッキに向かうと、ちょうどドアが閉まったところだった。

なお帰ってから調べたら、旭川で『大雪』と『サロベツ』と接続するライラックは3号車が指定席となるとあった。

発車してから自由席の方へ行けば、満席というほどではないが席は埋まっている。
反対方向からも空席を探して車内を歩く人たちとすれ違う。

もういいや。

札幌までの53分はデッキで立っていることにした。

DSCN3199.JPG
 外国人旅行者が多い自由席車内。

旭山動物園の帰りなのか何なのか知らんが、外国人の乗客が多い。
半分以上がそうなんじゃなかろうか。

これは次のライラックに乗ったとしても、大して変わらなかったかも知れないね。

 〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。   


posted by pupupukaya at 24/02/03 | Comment(0) | 道央の旅行記
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