2023年3月の廃止を待つ浜田浦駅

ここ数年来、毎年ダイヤ改正の度にどこかしらの駅が廃止となっていますが、道内では今回対象になるのは日高本線の浜田浦駅。
去年(2022年)に住民側から廃止の合意が得られ、今回の廃止が決定しました。

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ファンからは秘境駅とされているようですが、近くにまったく人家がないわけではなく、駅前に集落こそありませんが、駅周辺は農家が点在する場所です。

駅廃止となっても国道235号線沿いにあって路線バスも運行していますから、浜田浦駅廃止後の住民の足はバスということになります。

JR北海道が公表しているデータでは、直近5年間平均の浜田浦駅1日当たり乗車人員は2.4人。
うち1か月当たり定期券発売枚数は、令和3年度で通学定期が1枚。
利用者がゼロに近い道東や道北の駅と違い、こちらは毎日の利用客が僅かながらもあったようです。

しかし、並行する国道に路線バスがあり、駅近くのバス停にも土休日運休含めて浜田浦駅の停車本数と同じ6往復の本数が運行されていることとあっては、JRとしては今後はバスを利用してほしいことでしょう。
1日僅か2〜3人の利用客のために駅を維持するとなると、毎年多額の経費が掛かるわけですから。

今後も乗車人員が僅かの駅で、かつ他の交通機関が存在する駅に関しては、JR北海道は地元に廃止か地元負担による存続かの交渉が続くことと思われます。

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 地味に利用客が多い浜厚真駅(2022年6月撮影)。

一方で隣駅の浜厚真駅は浜田浦駅と大差ない場所にある駅ですが、令和3年度の1か月当たり定期券発売枚数は17.2枚。
JR北海道のデータでは苫小牧方面へのまとまった通学利用が見られます。
実際に浜厚真駅で学生が乗り降りしていますし、朝や夕方は保護者が車で学生を送り迎えする光景も見られます。

バスと鉄道では、通学定期券の値段や、苫小牧までの所要時間の大差ということで、鉄道が選択されているのでしょう。
浜厚真駅は安泰とまではいえませんが、廃止の話があるとしてもまだ先の話でしょう。

それぞれ事情が異なるものの、廃止まで1か月を切った浜田浦駅。
この駅にちょっと訪問する機会がありましたので、廃止前の浜田浦駅を見てきました。

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まずは浜田浦駅の入口です。
雪に残るタイヤの跡と足跡は、廃止を聞きつけて車で訪問した人たちのものでしょう。
かく言う私もその1人ですが。
国道を走る車から見ると、駅というより停留所のような佇まいです。

この浜田浦駅の開業は1959(昭和34)年12月18日。
昭和30年代前半に、日高本線における旅客列車のディーゼル化が完了したことにより一斉に設けられた駅のひとつ。

浜田浦の駅名の由来は、国鉄北海道総局発行の『北海道駅名の起源』によると、田浦の海岸寄りに駅があるからとあります。
本来は田浦駅としたかったのでしょうが、先に神奈川県の横須賀線に田浦駅があったので『浜』を冠したのだと思われます。
こうした場合、通常は国名を冠するのが習わしで、それでいけば『胆振田浦』となったのでしょう。

そうしなかったのは、胆振を冠した駅名が他にないこと、当時あった胆振線の駅と混同するからという理由でしょうか。
隣駅の浜厚真も、厚真から浜厚真に改称した経緯があるので、それに倣って浜田浦としたのかも知れません。

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こちらはホームから。
石を敷き詰めたホームに小さな待合小屋だけの無人駅。
奥に伸びる線路の先が終点の鵡川駅です。

日高本線も鵡川から先が廃止になり、日高に行かない日高本線になってしまいました。
現在の日高本線の営業キロは30.5km。これは『本線』としては日本一短い路線となっています。

ですがこの日本一も3月いっぱいまでで、4月からは留萌本線の石狩沼田〜留萌間が廃止となるために、日本一短い本線の座は留萌本線に移ることになります。

こちらと同じように留萌へ行かない留萌本線の残区間は、深川〜石狩沼田間の14.4km。
ただ留萌本線は、残区間も2026年3月末での廃止が決定事項となっており、その後は日本一短い本線の座は再び戻ってくることになります。

名誉なことなのか不名誉なのかまでは分かりませんが。

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駅名標と待合小屋を一緒に入れてみたのがこちら。
列車の車窓から見る浜田浦駅はこんな感じでしょうか。
車窓から見る限りは秘境駅っぽい感じがし、いかにも北海道らしい雄大な原野の中の駅という感じです。

ですが実際ホームに立ってみると、国道が前を通っており大型トラックの通行が多く、雄大というよりも殺風景な場所という感じは否めません。
秘境というよりは臨海工業地帯の外れにある駅といったところでしょうか。

駅向かいは土砂置き場となっていて、それが一層殺風景に見えるのかも知れません。

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苫小牧側を見ると、遠くには送電線の鉄塔や工場の煙突が見えます。
それが一層寂しさを漂わせている理由でしょうか。
『秘境』とは相対的なものなのだ、と言われればこの駅は秘境駅でしょうけど。

ホームの反対側に立つ『27』と書かれたキロポストがあります。
ここは苫小牧起点27km000地点で、浜田浦駅の営業キロも苫小牧起点27.0kmとなっています。

時刻表の路線図だけで見ると、浜田浦駅は苫小牧近郊の駅のように感じますが、この距離は首都圏で言うと上野〜大宮間や新橋〜横浜間の距離とほぼ同じ。

やっぱり北海道は広いですな。

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しかしこのコンクリートブロック造りの小屋がまたいい味を醸し出しています。
壁はブロックを組んでトタンの波板を屋根とした簡単なもの。
周りの殺風景と妙にマッチする風景となります。

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待合小屋の中を覗いてみると、外見とは反対に小ぎれいになっています。
きっと誰かがきちんと管理しているんでしょう。

ベンチの上には駅ノート。
壁の掲示板には千羽鶴が飾られていました。

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どこの画伯の作品でしょうか。
縦縞はノートの罫線。駅ノートに描かれていたものを額に入れて飾ったものと思えます。
なかなか粋なことをなさる。これには感心しました。

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駅の待合所なので、一応時刻表と運賃表が掲げられています。
窓は明り取りと列車の到着を確認するために設けられたのでしょうか。

出入口は戸が無いので雪が容赦なく吹き込んでいます。
南国ならばこんな家もありそうですが、北海道では雨や雪を凌げるだけの小屋でしかありませんね。

そんな殺風景な建物ですが、日高本線はこうしたコンクリートブロック造の駅が目立ちます。
逆に言うと、なぜか日高本線の駅はブロック造の駅舎が似合う。

ついでなので、浜田浦以外にもある(あった)日高本線のブロック造の駅舎をご紹介しましょう。
過去に撮影したものなので、撮影年月も記します。

まずは2つ隣の勇払駅の駅舎。

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 2013年6月撮影、勇払駅。

このコンクリートブロック造の駅舎は、1962(昭和37)年建築。
この年に苫小牧港建設のために、日高本線は線路を山側に大きく迂回する現在の路線に付け替えられ、勇払駅も現在の場所に移転しました。
2階建てなのは、苫小牧工業港の発展により貨物取扱量が増大することを見込んでということでしょうか。

昔は列車の行き違いもできて、急行『えりも』も晩年は停車するようになったほどの駅ですが、今は無人駅。
駅前は寂しい場所ですが、ここは日本製紙の城下町。
それなりの市街地があって、少し離れた道道沿いには商店街もあります。

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 2018年1月撮影、汐見駅。

こちらは汐見駅
鵡川の1つ先の駅にあった駅で、浜田浦駅と同じ日の開業。
2015年1月に起こった災害以来列車は運休し、2021年4月に正式に営業廃止となっています。
この頃は列車の来ない駅になっていましたが、待合室の中は代行バスの待合所として手入れがなされていました。

コンクリートブロック造の駅ですが、こちらは出入口に引き戸がある立派なもの。
仕切りが無く吹きさらしの浜田浦駅と違うのは、利用者数の違いからでしょうか。
奥に家々が見えている通り、少し離れて鵡川漁港の町がありました。

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 2018年1月撮影、大狩部駅。

大狩部駅もブロック小屋が似合う駅でしたね。
ホームの先に建つ待合小屋と広がる草むら、反対側は太平洋の浪しぶきが護岸を洗うという、絶壁にあるような駅でした。
“おおかりべ”という駅名も、どこか最果てのような響きでした。

周辺の風景や駅名の響きとは反対に、まるっきり秘境というわけではありませんでした。
土手の上を国道が通り、駅と町とは国道下のトンネルで結ばれていて、その先には人里あふれる大狩部の集落がありました。

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 2018年10月撮影、絵笛駅。

こんどは絵笛駅
先の海岸沿いの駅とは違い、こちらは内陸の駅。
“えふえ”の響きが、どことなくメルヘンチックな駅を連想させます。

同じブロック造でもこちらは化粧ブロックという新し目な建物。
周りは牧場地帯で、馬が放牧されているいかにも日高らしい場所。

この駅は牧場の中にあるような駅でしたね。
場所も町道から牧場の家へ入るような道を入った奥にありました。

代行バスは駅の方へは入らず、国道に代行バス絵笛駅と書いたポールが立っていました。
国道の代行バス絵笛駅とは2km以上も離れており、当然ながらこの頃は待合所としての利用はありませんでした。
しかし中に入ると綺麗にしてあって、駅ノートも置いていたのには驚いたものです。

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話が絵笛駅まで行ってしまいましたが、再び浜田浦駅に戻ります。

今度は駅名標の画像です。
長い間風雪や潮風、それに列車からの鉄粉にさらされて焦げ茶色のまだら模様となっています。
これはこれで味わいがある気がします。
それと、待合小屋を含めてほかに駅名を記したものがないので、この駅名標が浜田浦の駅名を知ることができる唯一のものです。

ところで、この駅をウロウロしていたら、この駅にはある物が無いことに気づきました。
ある物とは、縦長のホーロー製の駅名標。
道内の駅でよく見かける紺地に白抜き文字で、黄色の縁で囲ったやつ。

下の方に赤い文字で『サッポロビール』と書かれていたものですが、この広告部分が白く塗りつぶされるようになってからは、見かけるたびに撮影するようにしています。

JR化後の新しい駅とか、仮乗降場上がりの駅などは最初から無い駅もあるが、浜田浦駅はたしか設置してあったはず。

過去にあった証拠をと思って、手持ちの画像を探したがなかなか見つからない。
そうして見つけたのが下の1枚。
こんなのしか見つからなかった・・・。

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 2006年5月『優駿浪漫』号車内から撮影。

ホームの苫小牧側に立つ電柱に『はまたうら』の駅名標が確かに見える。
上のは相当前の画像ですが、いろいろ画像検索して確認したら、とある時期からこの縦長駅名標は消滅していたようです。

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上画像の右側に写っている電柱にあったはずなんですがねえ。
どこに消えた縦長の駅名標。

考えられるのは、JR関係者が何らかの事情で撤去したか、どこかの人間がこっそり外して持ち去ったかの2通り。

ま、疑うわけではありませんが、昔からこの手の駅名標の盗難はよく聞きますし、ググれば他駅でも盗難のニュースがこれでもかと出てきます。
この駅名標自体、ドライバー1本で簡単に外せるものでしょうからね。

浜田浦駅の縦長駅名標がどういう経緯で無くなったのか、いろいろググってみましたが結局わかりませんでした。
かわりに見つけたのがこちら。

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 ネット上で見かけた通販サイトのスクショ。

浜田浦の縦長駅名標は、今頃どこかの部屋の飾り物にでもなっているんでしょうか。
それとも、当事者が犯罪ということに気づいてこっそり処分しちゃったのでしょうか。

誰かが失敬した可能性があるというだけで、あくまで筆者の邪推ですので念のため。

真相はわかりませんね。
浜田浦駅の廃止とともに迷宮入りになりそうです。

わたし個人としては、撮影したかったのにとても残念。

  〜最後までお読みいただき、ありがとうございました。  


posted by pupupukaya at 23/02/23 | Comment(0) | 北海道の駅鉄
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