旧苗穂駅舎が解体された2022年現在、篠路駅は札幌市内に残る唯一の木造駅舎となりました。
この駅の開業は1929(昭和9)年なので、開業時からの駅舎だとすれば今年で93歳ということになります。
駅舎自体は横長の平屋にトタン屋根という特徴のないものですが、昭和戦前、戦中、戦後、高度成長、平成、令和と長く風雪に耐えてきた駅舎はそれなりの風格が出てくるようで、他の新しい駅舎にはないオーラのようなものを感じますね。
昔ながら佇まいを残す篠路駅。
この篠路駅も高架駅となることが既に決定しています。
当初高架化完成は2025年度となっていましたが、都市計画の変更などが行われたために完成は2029年度以降になる模様です。
高架化工事の工法やスケジュールはまだ公開されていないようですが、Web上で公開されている資料をいくつか見ていると大まかな工程はわかってきました。
篠路駅部分に関してはホームと線路は仮線に移し、現在線の場所に高架線と駅舎が建設されるようです。
仮線は現在線の東西どちら側に設けられるかというと、西側は支障となる建物があるので、おそらく現駅舎を解体して東側に設けられるものと思われます。
だから札幌市内最後の木造駅舎である篠路駅舎を見ることができるのはあとわずかでしょう。
そんな私にできることといえば、撮影して記録に残しておくことくらい。
そんなわけで、2022年9月の土曜日に篠路駅に行ってきました。
今日はノスタルジック空間が残る篠路駅前の旅行記となります。
また長くなりますが、しばらくお付き合い願います。
◆ 札幌市内最後の木造駅舎
札幌駅から北海道医療大学行きの電車に乗って篠路で降りる。
この駅で降りるのは電化以来初ではなかろうか。だからもう10年以上ぶりということになるのかな。
木造駅舎はまだ健在。ホームから見る限りでは、変わったところといえば、線路上に架線が張られたくらいのものだ。
西口はかつてあった赤レンガの農業倉庫がなくなって広々とした駅前広場となったが、駅舎のある東口は昭和時代から時が止まっているような佇まいを残している。
猫の額ほどの駅前広場に植えられている松の木の成長だけが時の流れを伝えているような、そんな空間がまだ残っていた。
自転車置場から見ると都会的に見える。
昭和時代で止まっているような駅舎と駅前だが、駅前広場の半分近くを占拠した自転車と、駅舎の屋根越しに見えるマンションがやはりここは札幌市内の電車駅なのだと思わせる。
篠路駅舎とコスモス。
駅舎の横の空き地はコスモスの花が満開だった。
コスモスは廃止になった新十津川駅の駅舎周りにもいっぱい咲いていたっけ。
この後駅周辺を歩いたときも、線路脇にもコスモスの花が咲いていた。
石狩月形、浦臼、新十津川・・・
もうこれらの駅は無くなったけれど、いまだにレールが繋がっているような気がしてくる。
コスモスに彩られた駅舎を見ていたら、さらに古くに過去のものとなった雨竜や石狩沼田まで行けそうな気がした。
昔は札幌と石狩沼田を結ぶ路線ということで札沼線と名付けられた。
札沼線の横の繋がりは薄れてしまったけど、目に見えない何かでいまでも繋がっているような何かがあるように見えた。
札沼線の駅にはコスモスが似合う。
おっと・・・この路線は札沼線ではなく、学園都市線でしたね。
こんどは駅舎の中を見てみましょう。
駅舎の改札口と待合室。
正面から入ると自動改札機がデンと鎮座している。
改札口に対して斜めに設置されているのは、真っすぐ置くと乗降客の動線が壁に当たってしまうからだろう。
それくらいに駅舎内は狭い。
一番奥はトイレになっているが、昔はあの場所にキヨスクがあったのを覚えている。
といってもまだ90年代初め頃で、早いうちに閉店していたようだ。
トイレ側から改札口ときっぷ売場を見る。
券売機、みどりの窓口、自動改札機、Kitacaのチャージ機と必要なものはひと通り揃っている。
天井にある円盤状の照明らしきものは駅開業時からのものだろうか。
昔はこんな狭い待合室でもベンチが並べられて、冬になるとストーブが真ん中に据え付けられたものだが、利用客は西口の方が多くて電車の本数も1時間に3本とあっては待合室に滞留する人も少なく、ただ通過するだけのコンコースといった様相。
昔の列車別改札だった頃は、朝ラッシュ時など駅舎から人があふれていたことだろう。
私は篠路駅のラッシュは知らないが、同じように狭かった新琴似駅の地平駅時代、夕方のラッシュ時は駅舎に入れない乗客たちが外でたむろしていた光景を思い出す。
駅舎の窓から見たホーム。
窓からホームを見ると古びたホームと対照的に近代的なマンションがそびえる。
かつてはあの場所に赤レンガの倉庫が立ち並んでいたのだが、もうだいぶ前に倉庫は取り壊されて駅前ロータリーが出現した。
昭和時代から変わらない東口とは対照的に、西口は近代化が進んでいる。
◆ ホーム側から見た篠路駅
今度はホームに入ってみましょう。
みどりの窓口で入場券を買う。1枚200円。
Kitacaで入場して、そのまま帰りの電車に乗ればいいのだろうけど、律義に入場券を買った。
それにこの入場券は使用後は記念に貰うことにしている。
木造駅舎とはいえ、外装や内装は何度もリフォームされて近代的な装いになっているが、ホームに張り出した屋根と柱の軒下にやはりこれは木造駅舎というものを見ることができる。
木組みの柱がいかにも木造駅舎。
ホームの改札口前は風よけなのか壁が設けられている。
篠路は風の強いところなのか、この壁は昔からあって、ホーム側から見た篠路駅の特徴になっている。
改札口からホームに向かってスロープのようになっているが、これはホームが電車に合わせてかさ上げされたからこうなった。
軟石を斜めに積み重ねたホームの土留め。
2番ホームには軟石を斜めに積み重ねた土留めが今でも使われている。
昔はホームといえばどこもこんな作りだったが、電車に合わせてかさ上げされたり、ホーム下は退避できる空間を設ける必要があったりと、もうローカル線でしか見ることはなくなった。
煙となんとかは高い所が好き、というわけではありませんが跨線橋へ。
跨線橋から駅舎を見る。
跨線橋から駅舎を撮影しようと思ったけれど、架線のトラスビームが邪魔してあまりいいアングルでは撮れなかった。
駅舎と反対側はこちら。
跨線橋から拓北駅方向を見る。
いま見ている現在線に高架橋が建設されるはずで、こんな風景も過去のものとなる。
広めに取られた駅構内の敷地は、貨物輸送が盛んだったころの遺物だ。
古くは左側にアーチ形の赤レンガ倉庫が並んでいて、側線に停車する貨車への農作物の積み込みが行われていた。
さらに古くは出発信号機後方の空間は日石専用線があって、茨戸や生振の油田から輸送管で運ばれた原油がタンク車に積まれて本輪西の製油所まで輸送されていたこともあったという。
狭い跨線橋。
跨線橋の階段や通路は狭くて、対面通行ならば1列に並んで歩かなければならない。
篠路駅のホームは元々構内踏切で連絡していたもので、跨線橋の設置は比較的新しめ。
いつ建設されたかものかは不明だが、国土地理院の空中写真を見た限りでは1980年代初め頃ということになる。
建設当時は1日当たり乗降客数は1,500人程度、本数も1時間に1本あるかないかというローカル線並みの駅だったのでこれで十分ということだったのだろう。
電車駅となった今ではこれではあまりに手狭。
やはり早期の高架化が待たれるところではある。
2番ホームから1番ホームを見る。
2番ホームにいると向かいの1番ホームに電車が入ってきた。
721系3両編成。
篠路駅でこの車両を見るとどういうわけか違和感を覚える。
札沼線・・・いや、学園都市線が電化されて早や10年が経つのだが、私の頭の中では非電化で止まっているようだ。
思えばこの電車が全盛だった頃に学園都市線を走ることはなかったようで、電化されるとお古しか寄こさないと言いたげに721系電車が投入された。
思えば、札沼線から学園都市線と名を変えた当時、この線を走る車両は道内各地から寄せ集めた中古気動車の見本市のようになっていた。
27、40、46、56・・・、この頃はさすがに22は見なくなった。
51形客車から改造された141、142はまだ試作的な存在だった。
たまに石狩当別以北で使われる53もぶら下がっていたな。
私の鉄道車両に関する知識はこの当時で止まっている。
だから今走っている〇〇系などと言われてもすぐにはわからない。
他の記事で『〇〇系は・・・』などと知ったかぶりで書いているが、それらの多くはググって調べたものだ。
話がずれたけど、篠路駅が高架になる頃には、この721系電車も姿を消していることだろう。
入場券を買った窓口の女性駅員に無効印を押してほしいと頼んだら、親切に対応してくれた。
ほかに客もぜんぜんいないし、暇だったからということもあるのかも。
そういうことを言っちゃいけないね・・・
◆ 篠路駅前の倉庫群
今度は駅を出て、駅前を見てくることにします。
篠路駅に降り立ってまず目に入るものといえば倉庫。
正面に立って右側には赤レンガの農業倉庫、左側には札幌軟石造りの篠路高見倉庫の建物が立ち並んでいる。
篠路駅高架化工事と並行して篠路駅前も再開発事業が行われ、駅東口側にも広い駅前広場ができることになっている。
当初の計画では、現在の篠路高見倉庫の敷地が駅前広場となるはずだったのだが、計画変更で赤レンガの農業倉庫側の方が駅前広場になることとなった。
札幌軟石造りの篠路高見倉庫は保存されることになったようだ。
高架開業後も保存が決まった軟石造りの篠路高見倉庫。
今日は土曜日で休みのようだが、篠路高見倉庫の方は私有地となっていて倉庫も現役で使用中のため外側から見るに留めておく。
篠路駅前の見どころは反対側にある農業倉庫の赤レンガ倉庫群だろう。
これらは札沼線の開通によって篠路駅は農作物の出荷基地として発展した時代を今に伝える遺産と言っても良い。
駅周辺には倉庫が立ち並び、農家で収穫された玉ねぎなどがここに出荷され、篠路駅から貨物列車で全国に発送されていった。
そんな農業の出荷基地として賑わった時代を今に伝える貴重な文化遺産でもある。
篠路駅南側にある赤レンガ倉庫群。
昔はもっとびっしりと倉庫が立ち並んでいたと思うが、取り壊されて草むらの空き地となっている所も目立つ。
この倉庫もいつもならば玉ねぎの収穫シーズンを迎え、トラックやフォークリフトが忙しく出入りしている頃だと思うのだが、倉庫はもう使われていないのか、土曜日はお休みなのかはわからないが、無人でひっそり静まり返っていた。
篠路駅に集まった農作物はここから貨車で全国に向けて発送されていた。
昭和10年頃に建築されたという赤レンガ倉庫。
誰もいない赤レンガ倉庫に囲まれた一角にいると、昔に海外の古い街を歩いていたら、どこかの小路に迷い込んだことを思い出す。
ここは札幌駅から電車で20分、その駅から徒歩1分の場所である。
そんなことを忘れてしまうようなほど静かな異国情緒あふれる赤レンガに囲まれた空間だった。
もうずっとコロナ禍で海外旅行に行けない状態が続いている。
もしお嘆きの方々がおられたら、篠路駅前の赤レンガ倉庫群の中に身を置いてみたらいかがでしょうか。
遠くへ行くばかりが旅ではない。
近くにあっても日常とは違う空間、異質な景色に接することが旅なのだとすれば、ここはまさしく旅に相応しい場所だ。
異世界に迷い込んだような錯覚も覚える一角。
こんな静かな赤レンガ倉庫群が見られるのもあとわあずかとなることだろう。
この場所は新しく高架駅となる篠路駅の駅前広場の一部となることが決定している。
計画図を見る限りでは、倉庫群のうち一部は広場にはかからないようだが、その建物についてはモニュメント的なものとして保存するのか、あるいは全部解体して再開発となるのか。
いずれにしても、今のような赤レンガ倉庫群や囲まれた空間が残ることはないだろう。
次は駅周辺を歩いてみます。
◆ 篠路駅界隈、踏切、西口など
駅正面から伸びる道は篠路駅東通という都市計画道路で、高架化に合わせて駅前一帯が土地区画整理事業に指定されているので
この通りも一新することだろう。
駅舎から駅前を見る。
駅を出て右手に目立つアーチ状の屋根にギザギザの軒を持つ変わった建物。
ある意味篠路駅前のランドマーク的な存在でもある。
今は一般の会社が入居しているが、元々は篠路農協ストアーだった。
その隣の石造り風の建物は旧篠路農協。
農協はJAさっぽろ篠路支店となって横新道と道道花畔札幌線の角に移転して、こちらはもう長いこと空き家状態となっていたようだ。
かつて篠路農業協同組合だった建物が並ぶ駅前。
ギザギザの軒が特徴の旧篠路農協ストアー。
石造りの旧農協が農業で栄えた頃の篠路を偲ばせる。
農協スーパーがあって、小さいなりに商店街があって、それなりに人が集まるところではあったようだが、篠路駅西口側に発展とは反比例するように今ではすっかり寂れてしまっている。
かつては駅の西側が住宅地として発展していたが、平成になってから東側の住宅地化も進んで、隣の拓北駅の駅勢圏である拓北とも一つの町のようにつながってしまった。
この篠路駅東側の住宅地としての発展は駅の乗降客数にも表われていて、例えば2000年の1日当たり乗降客数は3,176人となっているが、2019年では6,156人とほぼ倍増となっている。
周囲が発展しても、電車の本数が増えようと篠路駅前が発展することはなかった。
古い町にありがちな、発展を阻む何かがここにも存在していたのだろう。
古びた篠路交番。
駅前ビルと篠路駅東通。奥が篠路駅。
所どころに昭和時代の名残を残す建物が残っているが、ここも数年もすれば様変わりしていることだろう。
今度は横新道の踏切を渡って西口へ行ってみます。
土地区画整理事業が進行して、やたらと空き地ばかりが目立つ。
老朽化した住宅やアパートも所どころに残っているが、近いうちにこれらも撤去され新しい街並みが作られることだろう。
横新道へ出ると、片側1車線の道路は踏切の前も後も渋滞中。
近年発展した篠路駅東口側のみならず、上篠路や丘珠方面から石狩街道まで真っすぐ通り抜けられる道路といえばこの横新道くらいなので、どうしても車が集中するのだろう。
このあたり、早期の高架化完成が待たれるところだ。
渋滞している横新道の札幌篠路線踏切。
横新道から篠路駅方向を見る。
踏切から線路を見ると、篠路駅方向は駅舎を解体して旧貨物ホーム跡あたりに仮線を通すことが出来そうだが、反対側の百合が原方向は仮線を設けるほどの余裕はなさそう。
元々単線だったのを複線にした路線だから、線路の両側に余裕は少ない。
営業中の線路の真上に高架橋を建設するか、上下線を分けて先に1線だけを高架にして、それからもう片方線の高架橋工事を始めるか、それしかなさそうだ。
それにしても高架化工事とまでは言わないが、もう土を掘る重機くらいは動いているのかと思っていたが、工事着工どころか用地を示す杭すら見かけなかった。
今のうちに撮影して残しておかないと・・・
そんな思いに駆られてやってきたのだが、こんな篠路駅と篠路駅前の見納めはまだちょっと先のようだった。
側線に停車中の保線車両。
篠路駅西側の側線は保線用の車両がよく停まっているのを見かける。
今日は4両のバラストを積んだ貨車と保線用の機関車が停車していた。
バラストは新しく、近く交換工事が行われるのだろう。
学園都市線は地盤の悪いところを通っており、そこを電車がバンバン通過するのだから道床の傷みも早そうだ。
駅舎のある東口と違って西口は駅前広場も整備され広々と気持ちが良い。
しかし駅舎はというと小屋のような建物なのがちぐはぐに見える。
小じんまりとした篠路駅西口の駅舎。
ウイキペディアによると西口が開設されたのは1988(昭和63)年とある。
そう言われれば、私が高校生くらいの頃にはこちら側に出入口が作られて、列車を降りた多くの乗客たちがそこから出て行っていたのを思い出す。
駅員もいなければ券売機も無し。切符を買うには跨線橋を渡って東口へ回る必要があった。
いつの頃から今の駅舎が建てられ、券売機と自動改札機が置かれるようになった。
篠路駅西口駅舎。簡易型自動改札機が置かれている。
狭い小屋のような西口駅舎だが、券売機があってKitaca対応の自動改札機がある。
集札はしていないので、乗車券所持の降客はセルフで集札箱に入れることになる。
一応駅員が詰めるような部屋と窓口があるのだが、ここに駅員がいるのは見たことがない。
西口に関してはフリーでホームに出入り自由ということになる。
篠路駅だけでなく、学園都市線はこのような作りになっている駅が多い。
良く言えばおおらか、悪く言えば不正乗車防止に要するコストを省いているということになる。
西口駅前ロータリーの赤レンガが倉庫の遺物。
篠路駅西口・・・いや西側・・裏側といえば、並んだ赤レンガの倉庫だった。
駅の正面にも倉庫、裏手にも倉庫、どれだけ倉庫が並んでるんだと思うほど倉庫が多かった。
それだけここから出荷される農作物が多かったということなのだろう。
こちらの倉庫群は一足早く、2007(平成19)年に取り壊されたようだ。
西口駅前ロータリーにある植え込みにひっそりと建てられた説明書きを読むと、円形に積んだ赤レンガがその倉庫の一部なのだという。
昭和時代から変わらずに。
いかがでしたでしょうか。
札幌市内にあって、JRの駅前にもかかわらず昭和時代から時が止まったような空間が残る篠路駅。
列車の発着時以外はひと気も少なく、松の木の下に佇んで古い駅舎を眺めていたら、子供の頃に見た風景と重なるような気持ちになりそうです。
篠路駅は札幌市内に残る最後の木造駅舎。
残念ですがこうした風景も近いうちに見納めとなります。
木造駅舎に代わる仮設のプレハブ駅舎が建てられ、今のホームの場所には高架橋の柱が立ち並ぶようになるでしょう。
高架化完成までは工事現場の風景となりますね。
高架化工事が完成すればこの篠路駅前も整った駅前広場が整備され、駅前の道路も建物も一新して綺麗な町並みとなることでしょう。
便利で利用しやすい駅になるのでしょうけど、反面ほかの駅と同じような駅前風景がまた出来上がるわけで、昔ながらの篠路らしい風景が消えてゆくのは寂しい気もします。
もったいないとか風情がないとか言うのは簡単ですが、今の駅が老朽化して狭くて東西が分断されて、バリアフリーにも対応できない状態では高架化するか橋上駅化するしかありません。
私にできることといえば今あるものを記録に残すくらいなものです。
そういえば、今から20年前の2002年の夏、何を思ったのか当時使っていたフィルムカメラを持って篠路駅に撮影に出かけていました。
ちょうど新琴似駅が高架化されて新しくなった頃で、木造駅舎と古びた街並みが残る篠路駅も近いうちに様変わりすると思ったのでしょうか。
つぎの記事では20年前に撮影した篠路駅と篠路駅前の写真を紹介します。
〜ノスタルジック空間、20年前の2002年篠路駅 へつづく
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