2002年、20年前の私は篠路駅の撮影に出かけていました。
きっと少し前に高架化した新琴似駅の変貌ぶりに驚いて、篠路駅周辺も近代化するに違いないと思って記録するために出かけたのでしょう。
その写真をスキャンしたものをここで紹介します。
撮影日は一部を除いて2002(平成14)年7月20日です。
写真の保存状態が良くないのと、その写真をコンビニのコピー機でスキャンしたものなので画質が悪いのはご容赦願います。
2002年7月20日、篠路駅正面。
軒から下がった駅名の看板、コカ・コーラの自販機、郵便ポスト、ほんと20年経っても変わってないねえ。
厳密にいえば自販機の機械とポストは新しいものに交換されているけど、2022年現在の画像と比べると間違いを探せというレベルくらいに変わっていない。
唯一時代を感じるのは、柱のそばに置かれた灰皿。
このころすでに駅舎内やホームは禁煙になっていたが、所どころに灰皿が置いてあって喫煙所となっていた。
特に仕切りもなく、煙は流れっぱなし。なんちゃって分煙だった。
翌年の2003年には健康増進法が施行され、またたばこの価格も年々うなぎ登りに上昇、年々喫煙者は肩身が狭くなってゆくことに。
ちなみに私はこの画像の4年前に、既にたばこをやめています。
松の木と篠路駅舎。
これも間違いを探せレベルなので逆に驚く。
一番変わったのは松の木の大きさくらいだろうか。
20年前のこの頃もひと気が少なくひっそりとした駅だった。
冬の篠路駅(2000年冬撮影)
これは冬の篠路駅。
撮影日は2000年冬としましたが、2000年に撮影したと思われる写真と並んでいたのでそう判断したもので、違っていたらごめんなさい。
電話ボックスが旧式なので、2002年以前ということだけはわかる。
まだ日本通運の建物があった頃。
駅の正面に立つと右手の角には日通の建物があった。
この頃はすでに営業してはいなかった模様。
篠路駅に限らず、昔は全国どこの駅でも駅前には必ず日通があった。
国鉄時代に各駅で貨物扱いをしていた時代、貨車が発着する駅と荷主の間で、トラック等で貨物の集荷や配達する必要がでてくる。
これを行う事業を『通運』と呼んだ。
駅から貨車で貨物を送る場合の運送料は、荷主が直接駅に持ち込みや引き取りする場合を除いて、鉄道貨物運賃+通運料金のセットとなっていた。
この通運業を、全国一律国鉄専属で行っていたのが日本通運だった。
だから国鉄駅前には必ず日通があったわけである。
国鉄末期ごろから駅の貨物扱いがなくなってもそのまま営業所として残っていたものだが、鉄道貨物輸送が拠点間輸送のコンテナ貨物が主流になると必ずしも駅前にある必要はなく、また営業拠点の集約化などから旧日通の建物も次第に姿を消している。
古き良き時代を思わせる篠路農業協同組合の建物(2000年冬撮影)
『篠路農業協同組合』と〇に協をデザインした旧農協のマークが残っていた。
20年後の2022年でもこの建物自体は残っているが、古い看板とマークは既に撤去されている。
旧農協隣の理容室前から見た篠路駅。
どの画像を見ても20年前と今とでは変わっていないとしか言いようがない。
右側の白い建物は篠路高見倉庫の事務棟なのは同じ。
篠路神社向かいにあった古い建物。
これは篠路駅から少し歩いて道道花畔札幌線沿い篠路神社向かいにあった古い建物。
2002年当時にしても、まだこんな建物が使われているのかと撮影したんだと思う。
ちなみに理容室はこんなでも営業中だった。
2022年の現在は取り壊されて拡幅した道道の道路用地になっている。
明治21年に創生川沿いに今の石狩街道が開削されるまで、道道花畔札幌線のルートが石狩街道だった。
狭くて古びた建物が並んだ冴えない通りだったが、歴史を紐解くと由緒ある街道だった。
写真には撮っていないが、古そうな駅前旅館もこの並びにあった。
駅前から農業倉庫群を見る。
再び駅前に戻ってきて、駅前の倉庫群を見る。
これも角の日通がなくなったくらいで、基本的には変わっていない。
松の木の大きさが今より1周り小さいかなってくらい。
2002年の当時、まさか20年後の篠路駅前がほとんど変わっていないなどとは夢にも思わなかった。
20年前に暑い中自転車漕いで篠路まで行って損したなと思うくらい・・・
農業倉庫群から篠路駅方向を見る。
2022年の今でも駅南側にある赤レンガ倉庫群。
この頃は赤レンガに混じって札幌軟石造りの倉庫も残っていて、独特の景観となっていた。
駅から横新道に出るには、この通りが一番の近道なのだが、とても駅前とは思えない通りだ。
駅舎内の改札口ときっぷ売場。
再び駅へ戻ってきて駅舎の中を撮影する。
基本的な造りは変わっていない。
昔の国鉄駅は出札口と改札口は別々の場所に設けられていたが、国鉄末期ごろから出札と改札を統合して隣り合わせにする改築が行われて、斜めになった切符売場とカウンター型の改札口が出来上がった。
自動改札機が今のと違って小ぶりなのは簡易型改札機だから。
この改札機は集札機能がないので、駅員が手で集札していた。
この時代はICカードなんてあるはずもなく、定期券も乗車券もすべて磁気券だった。
市営交通はウィズユーカードが全盛でしたね。
なお、奥の事務室に掲げられた日めくりカレンダーに赤い『20』というのが見える。
よってこの写真の撮影日が2002年7月20日海の日と判明した。
出入口上の広告看板がローカルムードを醸し出す。
出入口上の行燈(あんどん)型の広告看板が時代を感じるなあ。
こんな看板なんて、今じゃほとんど見かけなくなった。
民営化となった新制JRも、この広告料収入の増収に精を出していたことがあって、90年代ごろになると本来は時刻表や運賃表が掲げられていたスペースにまでこの手の行燈型広告看板が進出していたこともあった。
この頃が全盛だったのかなあ。
スマホが普及すると、こうした通行人の視覚に訴える広告は急速に姿を消して行った。
なお、この広告枠は札幌恵北病院から札幌優翔館病院と名を変えた同じ医療法人が2022年現在も2枠に拡大して使用中。
駅舎の窓からホームを見る。
夏なので待合室の窓が開けられていた。
その窓からホームを撮影したもの。
停車中の車両はキハ141+142か?
ホームもまだ低いままだ。
1番ホームから見た駅西口方向。
これも待合室の窓から撮影したものじゃないかな。
2022年の今と決定的に違うのは、駅西側の赤レンガ倉庫群が健在だったこと。
今でこそ懐かしい眺めだが、この並んだ倉庫が篠路駅をより一層田舎臭く見せていた面もある。
篠路駅西側にあった赤レンガの倉庫群。
2番ホームから駅舎を見る。
駅舎とホームと跨線橋自体はほとんど変わっていない。2番ホームに上屋がこの当時はまだなかったようだ。
決定的に違うのは、この時代はまだ非電化路線。
架線がないスッキリとした空だった。
ホームに高い所があったり低い所があったりするのは、低いのは元からあるホーム、高いのは後から増築したホームだから。
今では電車に合わせて高さを統一されている。
ホーム1つ取って見ても、まだのんびりとした路線だったことを思わせる。
篠路駅西口から見た赤レンガ倉庫群。
これは20年前にわざわざ篠路駅まで行って撮影しておいて良かったと思った1枚。
今は西口駅前広場やマンションとなっている場所。
こちらの倉庫群も赤レンガで古そうに見えるが、建築年は1959〜1978(昭和34〜53)年と比較的新しいようだった。
篠路駅前は西口側の方が発展して、駅の利用者も西側の住人がメインなので西口が開設されてから便利になったことだろう。
しかし西口も長い間この倉庫の敷地内を通らなければ町へ行き来できなかった。
夜など真っ暗になって、若い女性などは怖かったろうな。
この倉庫群は2004(平成16)年頃から解体が始まり2007年には全部解体された。
翌2008年には西口駅前広場が完成して、西口のアクセスは抜群に良くなった。
側線に停車する除雪車両と赤レンガ倉庫群(2000年冬撮影)
駅前の赤レンガ倉庫群とか、商店街とか駅前旅館とか、もっと写真撮っておけば良かったとも思いますが、当時はフィルムカメラ。
2002年はフィルムカメラとデジカメの出荷台数が逆転した年だったようですが、デジカメなど貧乏人にとっては高根の花でしたね。
デジカメやスマホならばメモリーの許す限り撮影し放題ですが、フィルムの現像代とカラープリント代がかかるこの当時ではこれが限界だったのでした。
また、データならば劣化することはありませんが、紙のプリントは年が経つにつれて劣化します。
それでも写真や画像に残っていれば、当時の記憶が鮮明によみがえってくるもので、西口の赤レンガ倉庫群など、ふらっと出かけて行けばまだそこにあるように思えてもきます。
しかしとっくに消え失せて、記憶の彼方にしか存在しない空間。
それにしても、この間のことのように思えるけどなあ・・・
今から20年前、あなたはおいくつでした?
それにしても20年の歳月。
東口駅舎と駅前があまりにも変わっていないのに驚き、西口駅前のあまりの変わりように驚き、表と裏でこうも違うものかと思いましたが、これも篠路駅の顔だったのでしょうね。
★ ★ ★
篠路駅もこれから高架化工事がスタートします。
完成は2029年頃になるようですが、工事が始まれば今のようなのんびりとした駅前風景は過去のものとなるでしょう。
また、2030年度開業を目指して工事が本格化した北海道新幹線札幌駅。
篠路駅が新しくなる頃には、北海道の鉄道も新たな節目を迎えることになります。
鉄道に限らず、世の中が変わってゆくことは誰にも止められません。
懐古趣味の気がある私などからすれば残念なことばかりですが、進化して近代化する流れに反対することはできないわけです。
自分自身も、別な形で進化や近代化を享受しているからです。
昔は良かった的な、年寄りの懐古趣味な発想で進化や近代化に反対するのは愚かなことです。
その時代は良かったかもしれないが、時代遅れになった過去の遺物にいつまでもしがみついていては発展が止まってしまうし、その延長線上は原始時代への回帰となってしまうでしょう。
それに短い人生、前を向いて生きてゆかなければ、人生は誰かへの恨みつらみだけで終わってしまいます。
20年経っても変わらない篠路駅前の街並み、それもこれから激変するであろう街並み、20年の歳月。
変わらない篠路駅前と変わりまくった自分自身の20年と重なって、何だか変な話になってしまいましたね。
それでは今日はこの辺で。
〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。
【北海道の駅鉄の記事一覧】
- 2025年 イトーヨーカドーが閉店する琴似駅前を歩く
- 手稲駅前今昔〜1999年5月への旅
- 高架駅になる篠路駅と消えるノスタルジック空間
- エスタ閉店と新幹線工事が始まった札幌駅
- 閉店する札幌駅のキヨスク3店
- 廃止される東9丁目踏切とアリオと直結した苗穂駅
- 気づけば切符が結構たまってしまった件
- 2023年3月の廃止を待つ浜田浦駅
- 札幌駅周辺再開発のまとめと新幹線アクセスを考える
- 改修工事が始まった地下鉄すすきの駅
- 2022年新幹線工事開始前の札幌駅を見る
- ひっそりと消える地下鉄南北線の古い看板
- ノスタルジック空間、2022年篠路駅
- 2007年札沼線終点の新十津川駅
- 2015年8月12日函館駅の北斗星号
- 改称した当別駅と新設のロイズタウン駅を見る
- 3月12日に駅名改称する石狩当別駅と石狩太美駅
- 2021年新幹線工事が始まる前の札幌駅を見る
- JR北海道の駅名標は交換が始まったようです
- 縦長の駅名標からサッポロビールが消える
篠路で20代の頃3年程、
両親と小さな家を借りて住んでました。
私が札幌で最後に住んでいた所です。
10年程前に25年ぶりぐらいに篠路に帰ってみたら、東口は昔と殆ど変わってなくて本当に感激しました。故郷ですね〜。タイムスリップしたかのようでした。
写真等本当にありがとうございます。
この景観が高架で無くなるのは本当に残念です。できればいつまでも残して欲しいですね。