先日、偶然に木古内駅でTRAIN SUITE 四季島(トランスイートしきしま)を目撃しました。
道の駅の駐車場で車の中にいると、15時ごろ列車が入ってくる音がしました。
それでふと見ると、なんとなんと、というわけでした。
ダイヤは一般には公表しておらず、何日の何時にどこを走っているのか一般の人は知ることができない列車なわけですが、追っかけの撮り鉄さんなら当然ダイヤは入手しているんでしょう。
しかしこの日はそれらしい人は1人もいませんでした。
木古内停車中のTRAIN SUITE 四季島と道南いさりび鉄道キハ40形。
四季島が停車中の線路はホームがないので、ここに旅客列車が停車しているのは違和感も覚えます。
青函トンネル区間は新幹線と在来線の共用区間で、在来線の列車も直通は一応できるし貨物列車は実際毎日直通しているのですが、旅客列車が停車していると妙な違和感を覚えたわけでした。
6号車ダイニングしきしま。
四季島はJR東日本が運行する周遊型のクルーズトレイン。
観光やホテルがセットになった企画商品として発売するので、乗車だけというのはできないようです。
色々調べたら、この四季島は7月11日に上野駅を出発した3泊4日コースの3日目だったようですね。
2022年7月は3回、8月は2回、9月は3回運行とありました。
ちなみに3泊4日コースの四季島乗車ツアーの代金はおいくら万円かといえば、一番安いスイートが2名1室で80万円、1名1室ならば120万円だそうです。
15時07分、青森へ向けて発車する四季島。
また北海道と本州を直通する寝台特急列車に乗ってみたかったですが、もう叶うことはないのでしょうか。
こんなことならもっと乗っておけばと後悔するも、今さらどうしようもないわけで。
木古内駅を通っていた寝台特急列車は、うちにあった2004年の時刻表を見ると、『北斗星』2往復と『日本海』が1往復、毎日運転ではありませんでしたが『カシオペア』『トワイライトエクスプレス』もそれぞれ1往復ずつここを通っていました。
計5往復、そのほかに急行『はまなす』がありました。
多客期には臨時列車の『北斗星81・82号』『エルム』も運転されましたから、1日に何本の寝台列車が通っていたのでしょう。
それが2016年の北海道新幹線開業と引き換えに全て無くなってしまったわけです。
本州〜北海道間は観光需要もあるでしょうし、当時は1往復くらいは残るんじゃないかと思っていましたが甘かったですね。
この過去にあった寝台特急列車、残すわけにはいかなかったのでしょうか。
なぜ消滅してしまったのでしょうか。
今日はこの辺りを考えてみたいと思います。
★ ★ ★
最初にJR時刻表1991年2月号の寝台特急列車のページを見てみましょう。
1987年の分割民営化で新制JRとなり、国鉄の車両や施設、ダイヤをそのまま引き継いで始まったJR各社ですが、民営化4年目。
JR各社も国鉄を脱して地域に根ざした会社としての独自色が出てきた頃です。
この当時は東京(上野)と京阪神を発着とする寝台特急列車が全国に向けて運行していました。
まだ東北新幹線が盛岡までで、東海道新幹線も『のぞみ』号がなかった時代。
今から30年前の時刻表を見ると、寝台特急列車がまだまだたくさんありました。
最盛期に比べたら本数は少なくなりましたが、それでも時刻表上では5ページ分が割かれていました。
国鉄時代末期から続いていた列車の整理もひと段落し、新たに個室寝台が登場したり食堂車をリニューアルしたりと、寝台特急も新時代を迎えた頃でした。
東京・大阪から山陽・九州方面(JR時刻表1991年2月号より引用)
この頃は九州ブルートレインがまだまだ健在だったころ。
国鉄からJRになって4年目、1列車の『さくら』から11列車の『あさかぜ3号』まで6本もの寝台特急列車が発車していました。
『あさかぜ』なんて完全に東海道・山陽新幹線と運行区間がかぶるわけですが、この当時新幹線の所要時間は東京〜広島間で最速4時間30分、東京〜博多間で5時間47分となっていましたから、寝台特急の需要もそれなりにあったのでしょうね。
東京発着の列車は新たにB個室を増やしたり、大阪発着の列車は夜行バスへの対抗として座席車を連結したり、この頃はまだ寝台特急列車の運行に意欲が見られた頃でした。
食堂車もまだ健在です。
それも長くは続かず、この2年後には食堂車が営業休止。その後は車内販売もなくなります。
2000年代中ごろからは利用者の減少を理由に次々と廃止や運転区間短縮が続き、『はやぶさ』と『富士』の併結で残っていた九州ブルートレイン最後の1往復も2009年3月のダイヤ改正で姿を消すことになります。
この時刻表には載っていませんが、東京〜大阪間には寝台急行『銀河』1往復がありました。
『ひかり』号でわずか3時間足らず(1991年当時)なのにわざわざ夜行寝台車で?と思われるでしょうが、当時はそれなりに愛用者がいたようです。
東京発着の九州行きブルトレの列車名は、ブルトレ廃止後に新幹線の愛称名として採用されることになります。
『さくら』と『みずほ』は九州新幹線に、『はやぶさ』は正反対の東北・北海道新幹線で採用されました。
上野から青森・北海道方面(JR時刻表1991年2月号より引用)
1988年に津軽海峡線が開業し、華々しく寝台特急『北斗星』が定期2往復、季節1往復でスタートしました。
車両はすべて国鉄の中古車両を改造したものでしたが、個室やロビーカーを連結したブルートレインは何もかも新しく、豪華個室のロイヤルや予約制フランス料理の食堂車など、鉄道ファンならずとも大いに話題になったものでした。
新制JRの象徴として、長らく斜陽だった寝台特急列車の起死回生として、明るい話題を振りまいた列車でもありました。
翌年には季節1往復も定期列車に格上げとなり『北斗星』は3往復体制が『カシオペア』登場まで続くことになります。
青森行きの『ゆうづる』『はくつる』は、元々青函連絡船を介して北海道内の特急へ連絡する列車でした。
北海道連絡の役割は『北斗星』に移ったわけですが、この頃は東北新幹線が盛岡止まり。
青森へも秋田へも、盛岡で乗り換えが必要だったことから、直通で行ける夜行寝台特急も重宝されていたのでしょう。
この時刻表には載ってませんが、夜行急行『八甲田』や『津軽』もまだ健在でした。
東京・上野・大阪から各方面(JR時刻表1991年2月号より引用)
『出雲』『瀬戸』『北陸』『出羽』『鳥海』『日本海』『つるぎ』『トワイライトエクスプレス』『あけぼの』。
こうして見ると、この当時は寝台特急列車だけで全国を旅行できたと言えますね。
逆に寝台特急が通っていない県を挙げると、高知県、徳島県、愛媛県、和歌山県、奈良県、三重県、長野県、山梨県、千葉県といったところ。
うち長野県と山梨県は夜行の急行がありましたし、和歌山県は普通列車の新宮夜行があったので、夜行列車もない県は6県となります。
北に目を転ずれば、東北方面が充実していますねえ。
上野から上越・羽越・奥羽線経由で青森行き『鳥海』、秋田行き『出羽』。
上野〜青森間奥羽線経由の『あけぼの』。この頃は山形新幹線工事のため山形は通らず陸羽東線経由となっていました。
大阪からは日本海縦貫線経由で青森・函館へ『日本海』2往復。
大阪〜札幌間は週4回運転の『トワイライトエクスプレス』。
上野や大阪から各線経由で集まる奥羽線の秋田〜青森間の特急は、午前中の下りと午後の上りは寝台特急くずればかり。
『あけぼの』などの下り列車に乗っていると、各駅から青森へ向かう地元客が、立席特急券で自由席のように乗ってきたものでした。
1991年当時は定期列車だけでも24往復48本もの列車が毎日全国へ向けて運転されてたんですね。
これら寝台特急列車の多くは2000年代に入ると利用者の減少、新幹線の延伸といったことを理由に次々と姿を消すこととなります。
この中で2022年の現在でも残っている列車は、『出雲』と『瀬戸』のみ。
電車化され『サンライズ出雲』『サンライズ瀬戸』と形は変わっていますが、1往復が東京〜岡山間併結運転で残っています。
★ ★ ★
こうして30年前の時刻表を眺めていると、寝台特急列車も全部とは言わないが、各系統に1往復くらい残っていても良かったんじゃないかと思えてきます。
新幹線が開業してもスピードアップしても、日本は旺盛な観光需要があるので、移動手段の多様化、寝台車の旅を楽しむというコンセプトで人気列車となっていた可能性もあります。
実際、『サンライズ』も人気がありますしね。
在りし日の上野駅13番線ホームの光景。(2006年撮影)
しかし、実際寝台列車の運行を続けるとなると、いろいろ壁が立ちふさがることになります。
一番は車両の老朽化。
寝台特急列車のほとんどは国鉄時代に製造された24系25形という客車。
製造年は1974年〜1980年なので、2010年以降は全ての車両が製造から30年以上経過となります。
『北斗星』なんて晩年は車体一面ボロボロになった客車が運行していたのを覚えています。
客車は機関車が牽引するわけですが、この機関車の老朽化も客車以上に深刻でした。
1975年製DD51形機関車はこの時点で製造から40年。(2015年撮影)
じゃあ車両を新製するといっても、莫大な資金が必要となります。
仮に夜行列車1往復を毎日走らせるとなると、予備を含めて3編成が必要となりましょう。
しかも、1編成が運行できるのは片道のみ。昼間は車両基地でずっと休んでいるだけですからね。
1編成が1日に何往復もできる新幹線や在来線特急に比べて恐ろしく効率が悪い運用です。
もう一つの問題が、JRの会社間またがりの問題。
基本的に他社またがりの列車の運賃収入は、その運転距離によって各社に分配されるという決まりがあります。
東京〜博多間を運行する寝台特急列車の場合、各社への収入配分はこうなります。
JR東日本・・・9%
JR東海・・・29%
JR西日本・・・56%
JR九州・・・6%
例えば、JR九州が寝台列車を保有して博多から東京へ直通する列車を走らせるとしましょう。
でも、自分の会社には収入の6%しか入って来ません。
いくら観光需要とか看板列車とか言ってもこれではビジネスにならないでしょう。
収入割合が多い東海と西日本に協力を呼び掛けたところで、夜中に通過するだけの列車に投資してくれるとは思えません。
JR旅客会社境界図(JR時刻表1991年2月号より引用)
九州ブルートレインの廃止が早かったのはこの辺の事情が一番大きかったのでしょう。
1998年に客車列車だった『出雲』『瀬戸』を電車に置き換える形で登場した『サンライズ』はそんな問題を解決するべくJR西日本とJR東海の共同開発で生まれた列車です。
しかし後が続くことはありませんでした。
今はJR会社またがりだけでなく、新幹線の並行在来線として第三セクターとなった路線が増えたので、ますます複雑になってしまいました。
さらに、寝台特急列車は新制JR各社にとって扱いづらい存在と化すことになります。
分割民営化後にJR各社が力を注いだのは、新幹線や特急列車による都市間輸送、それと都市圏の通勤通学輸送でした。
当初は国鉄から無償譲与となった車両や施設で運行していた列車も、3〜4年後には新型車両投入やスピードアップ、増発などで利用者も大幅に増えるようになりました。
一方の寝台特急列車はというと、利用者は減る一方。
またスピードが遅い客車列車のため、スピードアップや増発した特急の足を引っ張る、朝ラッシュ時に到着する列車が通勤電車の邪魔になるなどの問題が出始めました。
利用者から見れば、車内設備が旧態依然、料金が高い、着く時間が遅すぎる(早すぎる)といった理由から敬遠されるようになります。
こんな寝台特急列車を尻目に急成長したのが夜行高速バスでした。
ブルートレインの標準だった2段式B寝台車。(2013年撮影)
競争力向上のために寝台特急列車のサービス向上をしたいところですが、JR各社も特急列車のスピードアップや通勤通学列車の増発が優先課題で、どうしても後回しにならざるを得ません。
ましてや他社またがりのため、ダイヤや車両の変更もいちいち他社間で調整が必要という面倒な存在でもあり、悩ましい存在でもあったでしょう。
一方の東北ブルートレインはJR東日本の自社内で完結してますし、北海道へはJR北海道との調整で済んだので割と遅くまで残っていたのだと思われます。
『北斗星』『カシオペア』『トワイライトエクスプレス』といった北海道直通列車は観光客の利用が主だったこと、根強いファンがいたことなどから、九州ブルートレイン全廃後も残っていました。
食堂車も営業し、晩年の九州ブルトレのような見すぼらしい姿にもならず、今後も安泰かと思われました。
これも2016年の北海道新幹線開業を機に、車両の老朽化や青函トンネル区間専用の機関車を新製する必要があるといった理由から、すべて姿を消すこととなります。
JR北海道としても経営難の中、寝台特急よりも北海道新幹線にリソースを割かざるを得なかったこともあるでしょう。
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国鉄から無償で引き継いだ寝台特急列車。
当初は車両の改造だけで済んだので初期投資も少なく、円満に運行継続したかのように見えましたが、地域密着を目指したJR各社独自の経営努力が実り始めると、全国一元時代から引き継いだ旧態依然の寝台特急列車は、予期もせずお荷物と化してゆくことになりました。
以上の理由から現状のJR各会社の経営による運行継続は無理だったと言えます。
そんな寝台特急列車ですが、ビジネスとして存続する方法は1つだけあったと思われます。
1987年に全国一元だった国鉄が分割民営化され、6つの旅客会社と1つの貨物会社に分かれたわけですが、この時にもう1つ寝台特急列車を運行する旅客鉄道を立ち上げれば良かったのかもしれません。
JR貨物と同じように自社の線路を持たず、各旅客会社に線路使用料を払って運行するというもの。
独自の運賃体系にして、飛行機みたいにシーズンや購入時期で料金を別にしたり。
別にこんなのは世界的に見れば珍しいことではありません。
例えば米国では鉄道は全て私鉄が保有していて、その私鉄は基本的に貨物鉄道会社となっている。
旅客列車は政府が出資した『アムトラック』が貨物鉄道会社に線路使用料を払って運行しています。
ヨーロッパでも寝台列車は旅客鉄道会社とは別の会社によって運行していることが多いですね。
シカゴ〜サンフランシスコ間の時刻表(AMTRAK Timetable2014より引用)
それと同じように、車両の保有と維持管理、列車の運行だけ行うというもの。
名前は『JR全日本』とでもなるのかな。
そんな風になっていれば、全国に走っていた寝台特急列車も残っていたのかも知れませんね。
JR貨物と同じように自社は車両と乗務員だけ自前で、JR各社にはアボイダブルコストのみ負担するだけなのだからコストも低く抑えられる。
初めからJR貨物が寝台特急も運行すれば良かったんじゃないか。
貨物だけに限らず、JR他社またがりの列車運行の会社とすれば良かったんじゃ・・・
今となっては、もし(if)の話なのでいくらでもできそうです。
今さらどうしようもないことは重々承知していますが・・・
〜最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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