私はデジカメを所有してから、とにかく何でもかんでもバカスカ撮影するようになったものです。
その画像は外付けHDDに保存しているのですが、画像だけでどのくらいの容量になっているのかというと、821GBとなっていました。
画像1枚当たり4MBとすると、その枚数は20万枚以上になるでしょうか。
年月日ごとのフォルダに分けて保存しているので収拾がつかないというほどでもありませんが、これだけ数が多くなると過去のあの画像はどこだったかなと探すのも一苦労となるわけで。
この画像を見返していたら、2007年5月に撮影した江別駅前の画像が出てきました。
今から15年と1か月前の私は江別に行っていたようです。
もう消えてしまった町並みや建物もあって懐かしく、せっかくなので記事にしてみました。
まずは2007年5月の江別駅前公園から。
奥に見える鉄骨は建設中のえべつみらいビル。
江別駅前再開発工事が始まった頃で、変わってゆく江別駅前の撮影をしようと、当時の私は江別まで出かけたのだろう。
江別駅前で一番印象に残っていたものといえば、中央銀座通りのアーケード商店街。
発展した野幌駅前の商店街とは対照的にこちらは90年代頃にはシャッター通りと化していたようだ。
この頃には老朽化したアーケードの撤去が始まっており、画像に写っているのは残っていた一部のもの。
コンクリートブロックの舗装と行燈の店名看板に賑わった時代を思う。
江別は札幌から快速で20分(当時)、駅を中心に住宅地がどんどん広がっていったが、住宅地の広がりと反比例するようにこの商店街は寂れた。
江別駅前は、昔は石狩川の水運と、王子製紙(現・王子エフテックス)の城下町として発展した古い街でもある。
古い街にありがちな住人の頑固さと、土地や建物の所有権の複雑さ、工場、神社、川、線路と四方を取り囲まれた立地が周囲の発展から取り残された原因なのだろう。
駅前という好立地にありながら、2022年の今でもコンビニすらできないあたりに、この立地の難しさが窺える。
レンガの煙突がいい味を出す寿司屋。
ここもアーケードがあったが、撤去されて歴史がありそうな建物があらわになっていた。
この頃には空き家となっていた模様。
2階は今でいう宴会場のようになっていたのかな。芸者さんなども出入りしていたのかも。
そんな遠い時代のことを想像させる。
この中央銀座通りをまっすぐ行くと国道337号線(現在は道道江別長沼線)となる。
札幌から岩見沢方面に抜ける短絡路として交通量が多いが、両側は王子の構内で人が歩くような道ではない。
中央銀座通りは、歩行者からすると実質行き止まりの道だった。
逆に車からすると商店街は実質行き止まり。
このあたりも中央銀座が寂れた大きな要因だったのだろう。
中央銀座通りから外れても古い建物が残っている。
まだ鉄道がなく、石狩川の海運が唯一の交通手段だった時代を思わせる。
レンガ造りの建物。
江別はレンガの町でもあった。
札幌市内に残る赤レンガの建物の多くは、江別で生産したレンガでできている。
上の2つの画像の建物は、2022年でも現存している模様。
理解ある人が引き取って、カフェや工房として使われている建物は運が良かったのだろう。
ヨーロッパなんかでは中世からの古い町並みが普通に残っているので、日本はなぜ古い建物を大事にしないのかと思いたくなるところ。
向こうの場合は、建物は多くが石やレンガでできていて地震もほとんどなく火事にも強い。
対して日本はというと木造建築が多く、昔は一旦火事が広まると大火になってしまった。
それと地震その他の自然災害が多いことから、建物自体が100年も200年も使うことを想定していないからだろう。
実際古い建物って現在の生活様式には合わないだろうし(風呂が無いとか)、耐震や耐火でも劣る。
北海道ならば断熱材もないような家じゃ冬は寒くてしょうがないし。
駅前再開発という名の土地収用事業は、古い建物の所有者にとっては渡りに船だったのだろうか。
しかし、様変わりした野幌駅前に対してこっち江別駅前の再開発は中途半端に終わった感は否めない。
これは別の日に撮影した中央バス江別ターミナル。
JR駅がリニューアルして近代化しても、中央バスターミナルの多くは昭和時代のままだった。
中央バスは駅よりも繁華街に近い場所に独立したバスターミナルを持っていて、鉄道駅にはそっぽを向けていた感があった。
鉄道VSバスと対決していた昭和時代ならともかく、車が普及して利用者が減ると、こうしたバスターミナルは廃止されて駅前発着とされるようになった。
15年と1か月前のこの日は、レストランアップルにも立ち寄っている。
さっきの中央銀座とは反対側の北洋銀行近くの仲通りにあった。
寂れた町にある古くからの洋食屋といった感じの店だった。
インディアンライスというのが珍しく、注文してみた。
何かというと、目玉焼きがのったドライカレー。軽くカレーソースがかかっていた。
サラダとスープ付きで700円。
今『インディアンライス』でググってみても、これとは別物のようだ。
この店のオリジナルなのか、実は江別の隠れたB級グルメだったのかは今となってはわからない。
最後にレストランアップルの入口にあったサンプルの画像を上げて終わります。
こんな昭和の洋食屋も少なくなったよなあ・・・
では今日はこのへんで。