おはようございます、5月2日朝。
5時に明るいので目が覚める。天気は見事に雨 (T T)
天気予報も雨マーク。
今日は普通列車で稚内まで移動する予定で、そのあとも特に予定を組んでいるわけではないので、雨で困ることはないのだが気は重くなる。
傘を持ってきてないので、宿から駅までの道中が濡れちゃうな。
朝風呂は6時からスタートなので一番に行った。
廊下を歩くが、本当に宿泊フロアは人の気配がない。
風呂は当然一番風呂で、ずっと貸し切り状態だった。
6時49分、朝の上り一番列車が天塩川温泉駅を発車する時刻。
窓際で待ち構えていると、遠くから踏切の音が聞こえてきた。
音威子府始発の旭川行き4322D。名寄からは快速『なよろ2号』となる列車だ。
てっきりキハ54形だと思っていたが、やってきた列車はキハ40形だった。
H100形気動車の導入で宗谷線から追放されたと思っていたが、まだ残っていたんだね。
レールの響きを轟かせて天塩川の対岸を行く旭川行き4322D。
今だから部屋の窓から枝越しに列車が見えるが、もう少しして緑が茂ったら見えなくなるんだろう。
列車は川の向こう岸を通過して見えなくなっても、しばらくレールの響きは続いていた。
7時過ぎに1階のレストランへ。こんどは朝食会場となる。
夕食時と違って「お好きな席に」と言われたので窓側のテーブルへつくと、配膳の人は朝はいないのか、フロントの人がお膳を運んできた。
飲み物はジュースか牛乳かを選べるので牛乳にした。
食後はコーヒーをお持ちしますとのこと
朝食も大して期待していなかったが、そこはお役所仕事。
全く期待を裏切ることはなかった。
そんな中でも特筆すべき一品は塩辛。
身が妙に極太でシャキシャキして、こんな塩辛初めて食べた。
個人的には納豆があれば、もう1ポイントくらいは点数アップしても良かったんだけどね。
まあ、朝から腹が苦しくなっても後の行程が残念なことになるので、朝食はこんなもんでいいのかも。
そう思えば腹も立たん。
コーヒーを飲みながら外を眺める。
前面の駐車場には1台の車も見えない。
まさか宿1棟貸し切りだったとか?
相変わらず雨はやみそうにない。
それでも、空は明るくなってきているし、雨も弱まってはきているようだ。
部屋に戻る途中、フロント横の売店をのぞいてみるが、これといったものは置いていなかった。
音威子府そばの乾麺でもあれば即買いするんだけど。
代わりに『源泉ラーメン』という乾麺の袋が並んでいた。
もう出発する支度を終えた8時過ぎ、外を見ると雨は上がったようだ。
雨の中傘なしで歩く羽目にはならずに済んだ。
8時20分過ぎ、フロントに鍵を返してチェックアウトと会計。
宿泊代と入湯税と夕食のビール代と合わせ、しめて12,120円。
領収書も発行されて明朗会計。宿泊代だって予約時に承知の上で泊ってるんだから文句をつける筋合いはない。
ま、1棟貸切って静かに過ごせたようなものだ。
そう思えば腹も立たん。
・・・今回の旅行はこればかり言っているな。
ただ、滞在中に不快な思いをしたとか、スタッフの態度が悪かったとかは無かったので念のため。
今回の宿泊に値段をつけるならば、1泊2食付きで6千円台てとこか。
諭吉様は無いわ。
◆ 天塩川温泉駅
再びやってきました、天塩川温泉駅。
板張りの短いホームに小さな待合所。
時折り横の踏切を車が通る以外は鳥のさえずりだけが聞こえる。
雨は上がってアスファルトもだんだん乾き始めてきた。このまま晴れてくれればいいんだけどな。
この天塩川温泉駅、去年から音威子府村が維持管理する駅となっている。
利用者がほとんどいないために廃止の対象となったのだが、村が面倒を見るという条件で存続することになったもの。
せっかく駅を残すのだから、もうちょっと外から人を呼べるようなことを考えれば良さそうなものだが、例えばこの駅は天塩川温泉の最寄り駅だが、温泉への道しるべ1つ無いのは困ったことだ。
せっかく宿泊できる温泉施設が近くにあるんだから、列車で来る人用のプランを設けたり、駅の利用者を1人でも多く増やす方法はいくらでもあると思うんだけど。
せめて列車で来た人には施設からのプレゼントがあります、とか
・・そのくらいやれってんだ!
肝心な住民の足はというと、村営の無料バスが運行されていて、列車よりも本数が多くて路線は村内4つの駅を全てカバーしているので、駅を日常的に利用する住民は基本的にいない模様。
いったい誰のための駅なんだろう。ハコモノさえ残れば満足なのか。
これじゃ単なる金食い虫だよ。
ホームの割に立派な待合所の小屋は、ホームと段差ができるほど沈下しているし、建物も傾むいてきている。
自然条件が厳しいところだし、早晩建替えの時期が来ることは想像がつく。
その時がこの駅の運命の時となるのだろうか。
存続する目的もはっきりせず、自治体の思惑にだけ使われているような小さな駅。
なんだかこの駅が可哀そうに思えてきた・・・
8時46分、上り特急サロベツ2号が通過。
踏切の向こう側で通過する特急『サロベツ2号』を撮影してホームで列車を待つ。
今度の下り列車は、今行った特急と隣の豊清水信号場で交換してこちらに向かうダイヤになっている。
◆ 天塩川温泉 8:54【4323D】幌延 10:33
8時54分になっても列車は現れない。
何があった。豊清水で特急を待たせているのか。
こんな駅で、まさか運休は勘弁してくれよ。
5分ほどしたら踏切が鳴り始めた。
良かった、シカ徐行でもあって遅れたのかな。
天塩川温泉駅に到着するキハ54×1両の稚内行き4323D。
板張りの小さなホームから1人乗り込んでくる乗客に何を思ったのか、乗客たちが一斉にこちらを見る。
車両はキハ54形1両。車内は中央部が転換クロスシートになったタイプ。乗客は10人(私含まず)だった。
意外と乗っているのは、旭川始発の列車だからだろう。
オタなのか一般の乗客なのか判別はつかないが、少なくとも全員男性。
ほとんどの人は数少ないクロスシートに座っている。
大体こういうローカル列車では、地元客はロングシート、それ以外はクロスシートという棲み分けになるものだ。
私は誰もいないロングシートを独り占めします。
景色の良い区間ではデッキから後面展望を楽しんだりしてね。
ほぼ全員このまま稚内まで行くのかと思っていたら、音威子府で乗客が入れ替わった。
音威子府は3分停車だが、この列車は5分ほど遅れているのですぐの発車となる。
ここからは9人(自分含む)となった。
跨線橋と4本並んだ線路が主要駅だったことを思わせる。音威子府駅。
音威子府から雄信内までは天塩川の谷沿いを行く区間。
以前夏に乗った時は木が茂って川面が見える区間など僅かしかなかったが、まだ新緑前のこの時期はずっと天塩川が見えている。
冬に乗った時は一面真っ白で、川なんだか畑なんだか分かんなかったし。
この天塩川だけ見ていると、GW中の旅行も悪くないと思った。
音威子府〜雄信内間は天塩川に沿って走る。
やっぱり空いているときはロングシートだなあ。
窓は1個独り占め。デッキに立って後面展望を楽しんだり。しかも窓が大きくて眺望の良いキハ54形。
せっかくだから、特急の窓からは絶対に見られない、あなたの知らない宗谷本線をお届けしましょう。
★ ★
まずは神路駅跡。
知る人ぞ知る秘境駅だった。
駅周辺は人家はおろか、よそへ通じる道すらない場所にあった。
駅としての廃止は1977年、その後は信号場となるが、上下各1本だけ客扱い停車があった。
試しに1982年発行の道内時刻表を見ると、神路駅に停車する列車は上りが9:31発、下りが15:53発。
一説によると、この駅に勤務する駅員の通勤用として停車していたんだとか。
今はCTC化されて無人となったが、当時はタブレット交換のために駅員が常駐していた。
信号場としても廃止となるのが1985年。
2000年代の中ごろまでは旧駅舎が残っていたが、今は解体されて小さな土台だけが一瞬見えるのみだ。
神路駅跡を通過。画像右側に小さな土台が見える。
続いては歌内駅跡。
3月に廃止になったばかりの駅。
駅舎とホームはまだ残っているが、これも近いうちに撤去工事が始まるだろう。
去年3月をもって廃止対象となるが、中川町による維持管理を条件に存続することとなった。
しかしその1年後の今年3月、代替の公共交通が確保できたとして廃止に踏み切ることとなった。
高額の維持管理費の負担がやっぱり重荷だったのでという話もあるが、当初から公共交通が確保できるまでという条件付きの存続だったので、当初より早く確保できたことから予定通り廃止したというのが正しいだろう。
自治体管理駅としては初の廃止駅でもある。
今のところ他の自治体管理駅について廃止の話は聞かないが、将来的には歌内駅同様に自治体判断で廃止に踏み切る駅が増えてくることだろう。
2022年3月ダイヤ改正をもって廃止となった歌内駅跡を通過。
現役の秘境駅といえばこちら糠南駅。
板張りの短いホームに物置改造の小さな待合所がウケたのか、秘境駅として有名になった。
1日当たりの乗車人員が0人として廃止の対象となるが、2021年から幌延町による維持管理になることで存続が決まった。
秘境駅イベントを開催したり、幌延駅のインフォメーションセンターでは手作りの秘境駅グッズを販売したりと、秘境駅の活用に一番積極的だと感じるのが幌延町だ。
町としては鉄道利用促進策を展開し、乗降数向上を目指す考えのようだが、乗降数が増えると逆に秘境駅としての魅力は薄れるわけで、それはそれで悩ましいところ。
物置小屋改造の待合所が特徴の糠南駅。
天塩川に沿った区間のハイライトといえばこちら問平陸橋。
陸橋というのだから下を道路が通っているんじゃないかって?・・・違います。
ここは山の斜面が天塩川に向かって急に落ち込み、崖下を天塩川の流れが洗う場所。
こんな険しい場所に線路を通すには、ここに川を渡らない橋を架けるしかなかったのだろう。
宗谷本線の問寒別〜幌延間が開通したのが1925(大正14)年。
日露戦争勝利で日本領になった樺太を目指して宗谷本線の建設が急いで進められた。
建設に日数のかかるトンネルや渡河をさけて、とにかく最短で線路を通したかったがための苦肉の策を思わせる。
戦後、列車のスピードアップが叫ばれるようになると、根室本線や函館本線であればここと同じような箇所は一旦対岸に渡ったり山側にトンネルで通したりする線路付け替えによる改良工事が行われた。
その一方で、樺太を失ってローカル線になってしまった宗谷本線では改良工事が施されることはなかった。
今となっては、橋脚の洗堀や橋桁の腐食など、保線の手が抜けない厄介なポイントとなってしまった。
この天塩川を渡らない鉄橋は、問平陸橋(175m)、錦川橋梁(113m)、三笠川橋梁(40m)と3箇所続く。
問平陸橋(奥)と錦川橋梁(手前)。
糠南と雄信内の間にあったのが上雄信内駅跡。
こちらは秘境駅ブームを待たずして2001年に廃止されている。
上雄信内駅といえば駅までの道が無い駅として知られていた。
90年代の初め頃、稚内発朝6時台の普通列車に乗っていると、上雄信内から通学の女子高生が1人乗ってきたのを覚えている。
道はないけど、一面に広がる牧草地の中を歩いて毎日駅へ向かっていたのだろう。
あれから20年。
元々板張りのホームと簡素な待合所しかなかったため、撤去されて久しい今は駅跡を思わせるものは何もない。
こんなところにも駅があって、毎日の利用者がいたんだなあ。
自然の厳しさと、農業に生きることの厳しさを思わせる。
上雄信内駅跡(多分このあたり)。
今度は宗谷本線唯一のトンネルである下平トンネル。
ずっと天塩川に寄り添って、トンネルも通さず橋で川を渡ることもせず、ひたすら山裾を回ってきた宗谷本線だが、ここへ来て山側に迂回してトンネルに入る。
もともとここはさっきの問平陸橋と同様に下平陸橋で通していたところ。
天塩川が湾曲して激流がぶつかる箇所のため災害が多かった。
そこへ雪崩が起こり、橋脚全てが天塩川に転落する事故があり、その後も再び雪崩事故が発生したために、1965年に山側のトンネルによる新線に切り替えられた。
宗谷本線唯一のトンネル、下平トンネル(1256m)に入る。
下平トンネルを抜けると雄信内駅。
古い木造駅舎と列車交換設備が残る。
駅前には人家が1軒あるだけということからか、ここも秘境駅の1つとなっている。
雄信内の町は駅から2km離れた天塩川の対岸の天塩町にあって、あちらは『おのぶない』と読む。
昔は駅前も市街地となっていたようだが、だいぶ前から限界集落化している。
私が2003年にこの駅に降りた時は、駅前の道道沿いに廃墟が並び、崩れて露わになった家の中は、住人が忽然と消えたと思わせるほど生活感が残っていたのに驚いた。
あの当時はこの駅から天塩中川方面へ通学する高校生の姿が数人あったものだが、通学生もいなくなってからは乗車人員0人が続いていた。
糠南駅などと同時に廃止対象となり、住民からも使わないから残さなくていいと突き放されるも、秘境駅という理由から幌延町の維持管理に移行することで存続が決定した駅。
ある意味、悪運の強い駅でもある。
秘境駅として名が知れ渡った雄信内駅。
雄信内で天塩川の谷は開け、ここからは天塩平野となる。
かつては安牛、南幌延、上幌延と3駅あったが、今は南幌延だけになった。
晴れていれば地平線の彼方に利尻富士が見え始めるのもこのあたり。
さすがにこの曇り空じゃ・・・と思っていたら、裾野のほんの一部だけ姿を現していた。
「まもなく幌延です」
幌延が近くなると運転手はマイクを取って放送を始めた。
「先行の普通列車が雄信内駅で車両不具合のため幌延駅に停車中です」
「そのためこの列車は幌延〜稚内間は運休とさせていただきます」
なんだってー!
「幌延より先に行かれるお客様は後続の特急列車へのご案内となります」
列車は幌延駅の1番ホームへと到着する。
隣の2番ホームは車両不具合だという先行列車が停車中だった。
とにかく幌延駅で降ろされる。
いま乗ってきた車両は、自走できなくなった先行列車を連結して名寄に回送するとのこと。
幌延駅の立派な駅舎は、かつて羽幌線が分岐していた名残り。
幌延駅か。
前回この駅で降りたのは2003年だったから19年ぶりということになる。
その後は車で来たことはあるが、それでも10年ぶりにはなる。
札幌から稚内まで行くときは、天塩から道道稚内天塩線の日本海沿いを行くので、幌延に寄ることはまずない。
後続の特急と簡単に言うが、幌延駅で1時間以上も待たされることになる。
それに途中駅で降りる人はどうするんだろ。
途中駅の利用者なんていないと踏んでのことか。
特急が途中の無人駅で臨時停車するとも思えないから、駅側の判断でタクシー代行にでもするんだろうか。
しかし先行列車が運休になると後続のこちらまで運休になるとはどうなってるんだか。
私は早く着いても逆に困るくらいなので、1時間くらい遅く着く分には別に構わないけど。
待合室に居てもつまらないし、かといって行くところも無いし、駅舎の脇から車両の連結作業を眺めていた。
お、不具合の先行列車は上に赤線が入る急行仕様だね。
かつての急行『礼文』で使用されていた車両。
幌延駅に常駐してるのか、どっかから出張してきたのかは知らないが連結作業員が旗を振って誘導する。
車両不具合の527号の先頭に幌延打切りとなった501号を連結する。
キハ54が登場したのが1986年11月、国鉄最後のダイヤ改正だった。
道内の国鉄では初のピカピカのステンレス車体を見た時、北海道の鉄道もいよいよ新時代がやってきたことを思ったものだ。
2台エンジン500馬力は、両運転台の一般形気動車としては今でも最強パワーを誇る。
あれから30余年。
ステンレスの外見こそ古さは感じないが、製造経費を抑えるため中古車両からの部品を多用した車内は、老朽化を隠せなくなってきた。
今までキハ54形の牙城だった路線にも、H100形気動車導入で余剰になったキハ150形が進出し始めている。
2台エンジンという燃費の悪さ、ローカル線の普通列車のみの運用では必ずしも高加減速を必要としないこともあり、キハ54形は今後急速に活躍の場は減ってゆくだろう。
もしかしたらキハ40形よりも、キハ54形が淘汰されるのが早いのかもしれない。
2両になって名寄に回送する。何となく往年の急行『礼文』を思い出す姿。
さっき1番ホームに着いた列車が旭川方に引上げて2番ホームの先行列車に連結。
堂々としたキハ54の2両編成を見ると、急行『礼文』の復活だ。ヘッドマークを付けて走らせてみたい。
2両の急行礼文・・・じゃなかった回送列車は11時11分に名寄に向けて回送して行った。
このダイヤは雄信内で下り『宗谷』と交換だな。
雄信内でカメラを構えていた撮り鉄さんがいたら、サプライズの交換風景に驚いているだろうね。
ただそのあおりを食ってか、駅員は特急『宗谷』は8分遅れで運転中ですと伝えた。
待合室のストーブはまだ火が入っていた。
いつの間にか張り出された運休のお知らせを見ると、3本の運休列車が表示してあった。
しかも『代替の運転はございません』と冷たい対応。
3本とはいえ、1日3往復しかない普通列車のうちの3本。
今日の普通列車は稚内19時49着の4331Dだけ除いて全滅と言うことになる。
ひどい話だが、動けなくなった車両をけん引して今日中に名寄に戻らないと、明日の車両繰りもおかしくなってしまうからだろう。
それにしても、GW中とはいえ今日は一応平日なのだが、通学生とかどうするんだろ。
◆ 幌延 11:46【宗谷】稚内 12:40
11時50分に8分遅れの特急『宗谷』の改札が始まる。
自由席は先頭の増1号車と後ろの1号車との案内に、今日はラベンダー編成の日だと気づく。
幌延から『宗谷』の客となるのは、運休となった4323Dからの乗客と幌延から稚内へ行く地元客2人。
みんな増1号車のほうに並んでるけど、あっちはラウンジカーだから席は空いてないよ。
私1人だけが後ろの1号車の位置で待つ。
今日の下り宗谷号は『ラベンダー編成』だった。
『宗谷』はやはりラベンダー編成でやってきた。
今までの経験からすると、このあたりまで来れば自由席などガラガラだ。
と思って乗り込んだら、ゲッ混んでやがる。
パッと見の乗車率にして7割くらい。
指定席も似たようなものだった。
デッキはだれもいないので、仕方ない稚内までデッキで過ごすことに。
稚内まで各駅停車でのんびり行くはずだったのが、とんだことになってしまった。
乗降ドアの小さな窓からサロベツ原野を眺めていたら、利尻富士が裾野だけ見え隠れしていた。
1つ手前の南稚内から車内清掃員が乗り込んできて、ごみの回収を始める。
この列車の遅れはさらに増して12分遅れ。稚内で折り返して上り『サロベツ4号』となるこの列車の折り返し時間は定時運転でもわずか21分。
時間を稼ぐために、こうして終点に着く前から作業を始めていた。
終点稚内到着。
ホームは下車客があふれる。
こんなに大盛況の稚内駅を見るのは、今の新しい駅になってから初めてのような気がする。
地元客はほとんど南稚内で降りるから、下車客の大半は観光客ということになる。
札幌から5時間10分、最北端の終着駅稚内に到着。
ようやく着いた最北端の駅。駅名標や看板を撮影する人が多い。
閑散としている稚内駅しか知らない私からすると、大盛況だなあ。まだまだ鉄道も捨てたもんじゃないなあと思える光景だった。
そんな光景をよそに気を揉むのは乗務員と車内清掃員だろう。
発車時刻まで10分を切っているのだが、まだ車内の乗客も降ろし切っていないのだから。
ホームの大混雑に驚いて改札を出るとさらに驚いた。
改札口を先頭に乗車客の大行列。コンコースを通り越して土産物屋のあるあたりまで続いていた。
あれだけの大混雑なのだからだいぶ遅れて発車するのかと思いきや、わずか4分遅れの13時05分に『サロベツ4号』は発車して行った。
2階の展望デッキからラベンダー編成のサロベツ4号を見送る。
◆ 稚内公園へ
今日は南稚内駅前のホテルを予約してあるが、終点の稚内まで来たのは観光でもしようかと思っていたから。
ホテルのチェックインが14時からなので、それまで時間をつぶしていなければならない。
駅から国道側へ出ると、また大行列ができている。
何かと思ったら、宗谷岬行きのバス乗り場だった。
今日はどこもかしこも凄いことになっている。
稚内で何かあったんですか?と聞きたいほどだ。
坂道を登って稚内公園へ向かう。
天塩中川あたりでは雨脚が見えるほどの雨が降っていたが、稚内では雨は降らなかったのか路面は乾いている。
いつしか青空が見えるようになってきた。
歩いているうちに日が差してくる。暑い。坂道を登っていたら汗が噴き出してきた。
稚内といえば何と言っても『氷雪の門』。
札幌にある同名のカニ専門店を連想してしまいがちだが、本物は稚内公園に建立された本郷新の彫刻による樺太慰霊碑。
“人々はこの地から樺太に渡り樺太からここに帰った”
の碑文は泣かせる。
侵略するソ連軍から追われて、人々は命からがらこの稚内に逃げてきたのだった。
そして追われた故郷に再び帰る日はこなかった。
稚内に来たならばこの碑に来て、戦火に追われて無念のうちに故郷を追われた人々に思いを馳せ、また樺太の地で無念の思いで亡くなった多くの人たちの霊を慰めるべく手を合わせたいものだ。
宗谷海峡と氷雪の門。
氷雪の門に並んであるのが『九人の乙女の碑』。
1945年8月20日、ポツダム宣言受諾後にも関わらずソ連軍は樺太の真岡(まおか)に上陸してきた。
残留日本軍が応戦し戦火が広がり砲弾が炸裂する町。
真岡郵便局の電話交換手は刻々と迫る身の危険の中、交換台を命を捨てる場所と覚悟した彼女らは最後まで交換台に残り、
「皆さんこれが最後です。さようなら、さようなら」
この言葉を最後に青酸カリを飲んで自らの命を散らした。
これはその9人の慰霊碑。
昭和天皇が戦後に稚内を行幸された際、この話を聞いて涙をぬぐわれたそうだ。
昭和天皇も涙されたという九人の乙女の碑。
空気が澄んでいればここから樺太の島影が見える。
今でこそ行き来できるようになったサハリンだが、この2つの碑が建てられた当時は遠く帰って来ない望郷の地だった。
ソ連の一方的な侵略。
日本ではもうはるか昔に霞んだ出来事だ。
しかし今この21世紀、ロシア軍が再び同じことを始めて、彼の地では侵略戦争が現在進行形で起こっていることを忘れてはならない。
何だか熱く語ってしまいましたね。
さすがに稚内公園まで来ると人は少ない。歩いて登ってくる人はさらに少ない。
近くに駐車場と売店があるけど閑散としている。
その車の人たちは、なぜか年寄りが目立つ。
そういえばさっき乗ってきた特急の車内は若い人が多かったな。
年寄りなんて見かけなかった。
特急の車内が若い人ばかりで、車で旅行しているのが年寄りばかりというのは不思議な現象だね。
稚内公園から北防波堤ドームを見下ろす。
とにかく天気になって良かった。
宿にいるときや列車で移動中は雨に降られたが、こうして外に出ている間は不思議と雨雲が引っ込む。
見たか晴れ男の実力。
稚内公園からまた下ってきて稚内駅に戻る。
稚内駅前からバスで南稚内に移動する。
◆ 稚内グランドホテルとわっかない応援クーポン
稚内は南北に細長い街で、そのせいか昔から市内のバスの本数が多い。
ここから南稚内に向かうにも、1時間に4本以上ものバスが毎時出ている。
南駅前でバスを降りて、予約してある稚内グランドホテルに向かった。
今夜の宿は稚内グランドホテル。
今は稚内もリゾートホテルやチェーンホテルが目立つようになったけど、昔はこのグランドホテルと稚内駅前で今は廃墟ビルになっているサンホテルくらいしかなかった。
90年代中頃かな、天然温泉が出たって話題になったこともあった。
そんなホテルだが、泊まるのは初めて。
グランドホテルとは言っても札幌にある老舗高級ホテルとは程遠く、部屋はリニューアルされているけど広さは昭和時代のビジネスホテルのそれ。
1泊素泊まりで11,100円。
さすがGWの強気価格。
だけど、まともなホテルならばこれでも安い方でね。
今回の宿泊プランは
さいほく春々旅(1名につき現地で3000円割引+3000円わっかない応援クーポン付)
というもの。
稚内市の補助によって、宿泊代が6千円以上のプランならば3千円引きになり、さらに『やど得』として市内で使える3千円分のクーポン券がもらえるというもの。
どうみん割がGW期間中はお休みで、ホテルはどこも強気のぼったくり価格になる中、なかなかお得に使えるプランだ。
これを見つけたので稚内行きを決めたというのもある。
リニューアルされているが広さは昭和のビジネスホテル。
宿代は高いけど、この『やど得』の3千円引+3千円分クーポンで実質6千円引きで泊れることになる。
だけどこれだけじゃないのよ。
行きか帰りに名寄〜稚内間を鉄道利用したことが分かるもの(乗車券とか特急券とか)をチェックイン時にフロントで提示すると『てつ得』としてさらに3千円分のクーポンが追加で貰えるんですねえ。
手に入れたクーポン券は合わせて6千円分。
いや〜稚内市さん太っ腹。
だから今日のホテル代は実質9千円引きということになる。
『やど得』と『てつ得』、わっかない応援クーポン2セット6千円分。
とはいえ、クーポンは買い物用と飲食店用、それに交通機関やレンタカー用がそれぞれ千円分なので、事前に考えて使う必要がある。
あと指定された店でしか通用しないので注意が必要。
チェックインして部屋に荷物を置いてから南稚内駅周辺をしばらく散歩する。
ホテル裏の通り(ていうかこっちが表通りだが)の飲み屋街は『オレンジ通り』と呼ばれている。
コロナのせいなのか元から寂れたのかはわからないが、もう夕方なのに生気がない。
飲食店用の『食べて飲んで応援クーポン』2千円分は今夜どこかの店で使うことになるが、これはという店は見つからなかった。
頼みの綱、つぼ八は月曜定休の張り紙が・・・
セイコーマートでビールとつまみ、それに明日の朝食の買い物をする。
お会計は938円。
何と言うこと、千円分クーポンを使い損ねたわい。
まあいいや、買い物で2千円分なんてすぐ使い切るさ。
南稚内駅前のオレンジ通りは閑散と・・・
ホテルに戻って大浴場の温泉に浸かってきたら、もう外へ出る気がしなくなった。
1階にレストランがあるので、そこで食事にしよう。
風呂上がりでビールも飲みたいし。
1階にあるレストラン泉の入口に『ビールセット1,050円』というのを見つけたので、とりあえずこれにした。
レストラン泉のビールセット(1,050円)
あ〜風呂上がりのビールは格別だねえ。
やっぱり宿は民間のがいいね。役所温泉は味気なくていけない。
真ん中のテーブルは団体さんでも来るのか、卓上コンロやカニフォークなんかが設えてある。
やけに空いていると思ったら、まだ5時過ぎだった。
後ろでは家族連れが早い夕食中。
「デザートはあとで部屋にお持ちしましょうか」とか店員とのやり取りが聞こえてくる。
どうやら食後にノシャップ岬に夕日を見に行くんだとか。
今日の稚内の日没は18時40分。夕食後でも十分間に合う。
続いてビールのお代わりと、チャーメンを注文する。
チャーメンは稚内のご当地グルメなのだとか。
謳い文句は『稚内人のソウルフード』
〆めは稚内人のソウルフードらしいチャーメン(930円)で。
チャーメンとは要はあんかけ焼きそば。
稚内のは油で炒めた中華麺に塩味ベースのあんかけをたっぷりかけたもの。
具材はエビ、イカ、豚肉、白菜、うずらの卵など。
そういや昔稚内にいたとき、こんなものをよく食べてたと思い出す。
これがチャーメンなんて意識していないし、あの当時はご当地グルメなんて言葉もなかった。
懐かしいね。
具材のエビが大きくてプリプリなのには感動した。
すっかりいい気分になってお会計。
2,670円のところクーポン2枚使用で670円。
これだけ飲んで食って670円ですよ。
皆さんもぜひ鉄道で稚内へ行きましょう。
部屋に戻って、セイコーマートで買ったビールで二次会。
あまり眺めの良い部屋ではないが、外は町並みが夕日に照らされてきれいだった。
この分じゃノシャップ岬の夕日も見ることができるんじゃなかろうか。
既に酔っ払らいの私は、今日はもうどこへも行きませんけど。
18時過ぎ、部屋の窓から見る町は夕日に照らされていた。
明日は『乗って応援クーポン』2千円分を使うべくバスで宗谷岬まで行く予定にしている。
晴れるといいな。
天気予報を見ると、明日こそ雨じゃと言わんばかりに宗谷地方は雨マークだった。
でも、昨日も今日も雨予報の中、雨にあたっていない。
だから明日も雨にはあたんないんじゃない?
天気予報の雨マークよりも、妙な自信の方が強かった。
品目 | 場所 | 金額(円) | 備考 |
宗谷バス | 稚内〜南駅 | 210 | |
宿泊費 | 稚内グランドホテル | 8,100 | 3,000円引 |
部屋での食費 | セイコーマート | 938 | |
夕食代 | レストラン泉 | 670 | 2,000円引 |
5/2 合計 | 9,918 |
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