旧手宮線と小樽運河を歩く

6月27日の日曜日は快晴だったので小樽に行ってきました。

当初は買い物に行こうと車で出たわけですが、あまりにもいい陽気に誘われて、ついつい小樽まで車を走らせてしまいました。

小樽と言えば、一昨年までは某アジア系観光客ばかりになって、ここは日本か?と思いたくなるような場所になってしまって足が遠のいてしまっていましたが、観光客が減ったいい機会に小樽を散策して来ようと思ったわけです。

一度歩いてみたかったのが旧手宮線線路跡。

手宮線は、1880(明治13)年、北海道初の鉄道として、全国で3番目の鉄道として開通。
その後は貨物専用となったり、また旅客輸送が復活したりを繰り返したが、1962(昭和37)年を最後に旅客営業は休止して、以降は貨物線となった。
全線廃止は1985(昭和60)年のこと。

以降は長らく線路が放置されていたが、2001(平成13)年から遊歩道としての整備が始まり、2016(平成28)年には寿司屋通りから小樽市総合博物館本館手前まで完成している。

私は草生したり、駐車場代わりにされたりした手宮線跡は知っているが、遊歩道となった手宮線はまともに歩いたことが無かった。
前述の理由から、小樽自体から足が遠のいていたのもある。

そんな手宮線の跡を手宮から歩いてみた。

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旧手宮駅手前の踏切跡。4本の線路がアスファルトの中に埋まる。
デコボコして車は走り辛そうだ。

昔(2000年頃)、やはり手宮線探索でこの辺りをウロウロしていたら、近くに住んでいる爺さんに呼び止められて色々話を聞いたことがあった。
この踏切は昔は貨物列車の入れ替え作業が多く、あかずの踏切と呼ばれていたこともあったそうだ。

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手宮線の線路跡はタンポポが満開。
一面黄色に染まっていた。

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右へ寄ったり左へ寄ったりする遊歩道。
線路に背を向けた家々が往時を偲ばせる。

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人道踏切の跡。

小樽は晴れの日はあまり似合わないと思う。
寂れっぷりが際立って、一層侘しく見える。

小樽を歩くなら、どんよりとした曇りの日がいいな。

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臨港線の踏切。
さすがにここは線路は埋められてしまっていた。

車が多いのでここは渡ることができない。
すぐ脇に横断歩道があるのでそちらを渡る。

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臨港線を渡ると街中らしくなる。

ここは竜宮通りの踏切跡。
道路と交差する箇所でも、線路が残されているのが小樽らしい。

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軟石造りの踊場ミレー。
昔は小樽市内に数多くあったという社交ダンスホール。
小樽の街を歩いていると、時が止まったような街角が現れる。

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手宮線跡は南小樽駅から旧手宮駅までLRT(次世代型路面電車システム)として復活させる構想もあったようだ。
しかし実現することは無く、遊歩道として整備されることとなった。

こうして見ると、昨今増えてきた芝生軌道のようにも見える。
向こうから古びた電車が現れても違和感を感じないような気がする。

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小樽駅から延びる中央通りとの交差箇所は不自然な勾配がある。
これは中央通りが拡幅された際に路盤を削ったためにできたもの。

拡幅前の中央通りは、手宮線踏切を越えると急な下り坂となっていて、その部分は石畳となっていたのを思い出す。

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旧色内駅手前の枕木積みの土留めは、同駅のホームの名残り。

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旧色内駅舎を模して設けられた休憩所。
昔はここは色内交番があった。

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浅草通り(日銀通り)の踏切跡に残っていた踏切標識と警報機。
奥の重厚な建物は旧日銀小樽支店。

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浅草通りにもレールが残されている。

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寿司屋通りの手前で旧手宮線遊歩道は終点。

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寿司屋通りで分断される手宮線跡。
通りの向こうは草藪と化していた。
この先南小樽駅手前まで線路は続いているはずだが、歩くのは難しかろう。

レンガ積みの幅広の橋台は、かつて手宮線が複線だった頃の名残り。

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手宮線跡から寿司屋通りへは階段で降りられる。

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カフェや土産物屋が連ねる堺町本通りは、緊急事態宣言が終了して観光客が戻ってきたようだった。

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色内大通りと浅草通りの交差点には旧金融機関のビルが立ち並ぶ。
小樽港に多くの船が出入りして、北のウォール街と呼ばれた色内。

金融関係機関は小樽郵便局だけ残し、あとは美術館や博物館に転用されている。

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小樽運河といえば、ここ浅草橋からの眺めが定番。

一昨年までは記念撮影台が置かれ、写真屋がいて、修学旅行なんかでの記念写真の定番だった場所。
コロナ前はここを車で通ると、某アジア系の観光客がこぼれんばかりに溢れていたのを思い出す。

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小樽運河の定番写真だけど、人が少なければ悪くない眺め。

倉庫の壁の赤いマークは旧澁澤倉庫の社章。
創業者は今度1万円札の肖像画になる渋沢栄一。
新たなスポットとなるといいね。

橋から運河と倉庫を眺めていると、今と同じ時期に旅行したスウェーデンのヨーテボリの街を思い出した。
あそこも小樽と同じ運河のある港町だったなあ。

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中央橋から小樽運河を眺める。
運河沿いに石造りの倉庫が立ち並ぶのは浅草橋から中央橋までの300m足らず。

昔はこの裏側に、浜小樽駅からの貨物引き込み線があった。
小樽駅から中央橋を渡って第3埠頭まで行く間に、手宮線、埠頭への引き込み線の踏切があったなあ。

橋の上から運河を眺めていると、私が子供の頃は悪臭立ち込め、老朽船が放置されているドブ川だったと思い出す。

その後下水道が整備され、半分は埋め立てられて道路になったけど、こうしてきれいに整備されて小樽は世界的な観光地になったのは結構なことだ。

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石積みの倉庫群とは別に、運河沿いに異様な4階建てのビルが現れる。
これは北海製罐第3倉庫。小樽運河のもう1つの象徴でもある。

1924(大正13)年建築の鉄筋コンクリート造り。
小樽出身のプロレタリア作家小林多喜二は、小説『工場細胞』でこの建物をこう表現する。

“その一角に超弩級艦のような灰色の図体を据えていた。それは全く軍艦を思わせた”

2020(令和2)年には老朽化のため解体されそうになったが、小樽市の申し入れで1年間の猶予が与えられた。
保存には巨額の資金を投じて保全工事を行う必要がある。

コロナ禍で観光客が激減した厳しい状況の中、果たして保存されるのだろうか。

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こうして見ると、何やら軍艦のような容姿にも見えてくる。

製品を上げ下ろしするリフト。
歯車に架かるチェーンは外れて錆び付いてしまっている。
もう動かなくなって久しいのだろう。

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倉庫から運河の船に製品を滑り降ろすスパイラルシュート。
北洋漁業盛んな頃は、ここから缶詰用の缶を降ろして船に積み込んでいたのだろう。

こんな遺構をみて往時を想像してみたら、子供みたいにワクワクしてきた。
私が子供の頃に稼働している倉庫の姿を見たら、きっとギラギラと目を輝かせていつまでも眺めていたに違いない。

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臨港線が山の方に曲がって行くと、ここからが本来の小樽運河となる。
奥の古い建物は北海製罐の工場。

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北海製罐第3倉庫と橋剛制作『友達』の像。

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昔ながらの形で残る北浜橋。
中央通りに架かる中央橋もこんな橋だったと思うが、あっちのは臨港線工事で架け替えられた新しい橋。

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鉄筋コンクリート建ての北海製罐工場は1931(昭和6)年建築。
直線を強調した昭和初期のモダニズム建築を今に伝える。

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浅草橋から続いた小樽運河はここが終点。
この少し先が手宮となる。

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小樽市総合博物館本館の手宮口脇の柵から覗くと、アイアンホース号が運転されて賑わっていた。
ちょっと寄ってみたくなったが、

“札幌市全域にお住まいの方に関しては、令和3年7月11日までの期間、当施設への入場はご遠慮ください”

との張り紙があり残念。

でも館内は賑わっているね。
ところで皆さん一体どこから来たのだろうか。

〜おわり


posted by pupupukaya at 21/06/27 | Comment(0) | 廃線跡・未成線
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