2004年の小樽・手宮を歩いてみる

今週末は雨模様だし、また寒くなっちゃったね。
晴れていたって、道内は新型コロナの緊急事態宣言中ということで、旅行などできるはずもなく。

札幌ナンバーの車で他所を走っていて、石をぶつけられるのも嫌だしね。

先週はモグタンにお願いしてタイムトラベルをしてきた。
今週もまたタイムトラベルしようと思う。

土曜日、またモグタンの家を訪れた。

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 暗いモグタンの図(撮影不可のためイメージを作成)

相変わらずだなあ。
モグタン・・・

「モグタン、なんでいつもそう暗いんだい」

そう尋ねるとモグタンは、

「だってボクはもう36年間も出番がないんだ・・・」
「ボクなんてみんなから忘れられちゃったんだ・・・」
「グスン・・・お姉さんは今頃どうしているんだろ・・・」

暗いなあ・・・

「ねえモグタン、またタイムトラベルに連れてってよ」
「いいよ、だけどまた1人で行ってね」
「モグタンも行こうよ」

「ボクはこんな無様な姿になってしまって、人前になんて出たくないよ・・・」

しょうがないな・・・

「先週は泊りで行ったからさ、今度は日帰りでどこかへ連れてって」
「ああ、いいよ」

モグタンは力なく返事をした。

「それじゃあ、いくよ」
「クルクルバビンチョ・・・(以下略)」

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ここは2004年の小樽だよ〜!

17年前に飛ばしてくれたか。
元号で言えば平成16年。

週末の小樽駅は観光客で混雑している。
当たり前だけどほとんどが日本人。
あと10年もしたら某国人で埋め尽くされるようになるなんて誰が想像しただろう。

ふっふっふ、私はパンデミックの2021年から来た未来人。
平成の次の元号は令和なのだよ。

駅前を歩いている人たちに言いふらしたくなったが、

ねえ、平成の次の元号は令和なんですって

こんなこと口走った日にゃ、確実に頭がおかしい人認定だ。

2ちゃんねるに書き込みしたくなったが、あいにく2021年のスマホは2004年のネットには繋がらない。
まったく情けない未来人だ。

スマホを手にしていると2004年の人が、変わったものを持っているねという風にのぞき込んだ。

これはいけない!
とっさに、

「ぷ、プレイステーションポータブル※の試作品でして・・・」

 ※ プレイステイションポータブルは2004年12月発売

マウントを取るのはこれくらいにして、この頃の小樽でちょっと行ってみたい町があるのでそこへ行ってみることにした。

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小樽駅から手宮までやって来た。
その行きたいところとは、錦町の能島通り十間坂

住所は錦町だが、ここは北海道で最初に鉄道が開通した手宮の駅前だった町。
商店街の街路灯に『手宮駅前通会』の文字を見ることができる。

2021年の現代では、古い建物は大方取り壊されて空き地や駐車場ばかり目立つが、2004年に来るとまだ古い商店街が残っているのだった。

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まずは手宮幼稚園裏の高台に登ってみた。
能島通りと旧タヌキ小路の十字路に富士の湯、一番奥に小樽交通記念館が見える。

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能島通りの手宮側から歩いてみよう。
由来は、北前船の船主だった能島家からきていて、地主の能島家が明治初期に私有地を道路として提供したことから能島通りと呼ばれるようになったそうだ。

2004年の今でもとうに寂れてしまっているが、かつてはこの能島通りが手宮一の繁華街だった。

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富士の湯の前で交差する道は、昔はタヌキ小路と呼ばれ遊郭が並ぶ赤線地帯だったという。
富士の湯向かいの調剤薬局や美容室が入居する木造建築は往時の建物だという。

2階の窓に往時の面影を残す。

札幌でも菊水に遊郭があり、戦後も1970年代までは当時の建物が残っていたというが、今菊水に行っても往時の建物は無い。
そんな建物が2004年でも現役で残っているのはさすが小樽。

2021年に戻ればここは空き地になってしまっている。
所有者がいるので仕方がないとわかっているが、惜しいことをしたものだ。

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ここは旧タヌキ小路に面する富士の湯の裏側。開業当初の大正時代の造りだろう。
能島通り側は今風にリフォームされているが、裏側は大正時代当時を思わせる形で残っていた。

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なんとまあ、凝った造りの窓。
これが大正モダニズムなのか。当時の建築を今に伝える。

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昔からすればすっかり寂れてしまったのだろうが、2004年の今はそれなりに商店街は保っていたんだね。

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この通りで異彩を放つのは『金魚・本』と書かれた赤い看板。
店の中は金魚の水槽と本棚が同居していた。

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本を買いに来たついでに金魚も買おうかなという人は便利な店だ。
何だか可笑しくて何枚も写真を撮ってしまった。

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能島通りは手宮仲通りからは幅が10間(約18m)になって十間通りとなる。
奥に見える坂が十間坂。

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軟石造りが異彩を放つ肉屋さん。
火事から品物を守るために、軟石造りは倉庫が多い。
ここの建物は元は何屋さんだったのだろう。

2021年に戻ればここは草ぼうぼうの空き地になっている。

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庇の上に『もち』と鏡餅をあしらった看板を掲げる竹屋穴田餅店。
小樽は餅屋さんが多い。この能島通りにももう1軒餅屋があった。

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う〜ん、50年も前にタイムスリップしたかのような眺め。
錦会館向かいの路地からちょっと撮らせてもらった。

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手宮仲通りにある手宮市場裏の通りは八百屋が並んでいて、露店の市場のような趣もある。
こういう所が小樽らしいなあと思う。

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十間坂の上から能島通り方向を見下ろす。
ここからの眺めを見ていると、小林多喜二文学碑にある一節を思い出す。

“階段のように山にせり上がっている街を、ぼくはどんなに愛しているか分からない”

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十軒坂を下ってきて旧手宮線跡に向かう途中振り返ると、時が止まったような風景がそこにあった。
ここも赤線だったのだろうか。

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今度は手宮仲通りにある旧手宮線の踏切へ。
ここから旧手宮線の線路跡を歩いて小樽駅の方へ戻ることにした。

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途中で線路が草に埋もれてしまったところもあったが、線路はたまに草刈りされているらしく、芝生の道のようで心地よい歩きだった。

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臨港線に出る1つ手前にある人道の踏切跡。
『止まれ見よ』の看板に、警報機も遮断機もない第4種踏切とわかる。

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町中に残る手宮線の線路。

このあたりから来るとだんだん車が目立つようになった。
右側の車が駐車してある空間は複線時代の名残り。

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廃止になっても撤去されず放置されている線路跡は、駐車場代わりにされているのだった。
こういう所もなんだか小樽らしい気もする。

手宮線跡地の散策路が完成したのは2016年。
この頃はただ放置されるがままという感じだった。

一時はライトレールとして鉄道を復活させるなんて話もあったようだが、実現することなかった。
手宮線跡地の散策路として線路は残されることとなった。

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最後に柳川通りにある『なると』へ寄る。
小樽へ行ったらやはりここでしょ。

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若鶏時代なると本店で食べた若鶏定食はランチタイムで1000円。

えっ?夏目漱石の千円札で払ったのかって?
ダンナ、そういう突っ込みはナシですよ (^^;

ちなみに今の野口英世の千円札が発行されるのは2004年の11月。

さてそろそろモグタンが待つ2021年に戻らなくてはならない。
今日は短いタイムトラベルだった。

なお2021年の小樽市は、目下(もっか)新型コロナ緊急事態宣言中でございます。
2004年の手宮・能島通りが現代どうなったか見たければ、googleストリートビューでどうぞ。

〜おわり

〜画像は2004年11月、筆者撮影です。



posted by pupupukaya at 21/05/30 | Comment(0) | 架空の旅行記
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